"" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

36歳 女性のストーリー
小学校低学年の頃、友人と二人で土手でつくしを摘んで遊んでいました。
二人ともどんどん夢中になってそれぞれ地面だけを見て摘みながら進んでいきましたが、少し離れたところに長くてりっぱなつくしを見つけて喜んで手を伸ばした瞬間に、土手のすぐ横にある線路に電車が通ってかなりびっくりしました。
間近からのすごい音と風を全身に感じて体が硬直しました。そこで初めて知らないうちに土手をどんどんと突き進んで、線路のすぐ近くまで下りてきてしまっていたことに気が付きました。
電車が通り過ぎて行って少ししてからやっと自分がものすごく危険な状態にあったことを実感して怖くなり、足に力が入らなくなってしまったのを今でもよく覚えています。
49歳 女性のストーリー
会社の残業が終わり、駅から家まで徒歩で帰宅していた時の事です。
私もバスを使えば良かったのですが、あの時の私はパニック障害を抱えていたので、満員のバスに乗り体調が悪くなるのを避けていました。
駅から自宅まで徒歩15分位なのでいつも歩いて帰っていました。
ある日、家の前でいきなり後ろから首を締められました。
その後、スカートの中に手を入れられたので、首から手が離れてすぐに大声で叫びました。
びっくりしたのか、近所の人が出てきたので、逃げて行きましたが、逃げて行く姿を見たら顔は目と口だけが見える覆面を被っていたんです。
体型からして若い男性なのは間違い無いです。
怖いと思ったのは、その人がいつから私の後を付けてきたのか、私は全く気がつかなかった事です。
首を締められただけで済んで良かったかもしれません。
後ろからいきなり刺されたとしても不思議では無いと思ったら、暫く夜に一人で歩くのが怖くなりました
34歳 女性のストーリー
昔、火事があった場所の近くで真っ黒い人影をみたような気がしたこと。
ゆらりと動いてゆっくりゆっくりと近寄ってくる、走ってきたり追い詰めてくるようなことは無かったけれど、確かに気配を感じつづけるようなものだった。
人影はひとつしか見えなかったが、ほかにもでてくるんじゃないか?とか、もし囲まれたら…とか色々と不安になった。
商店街の中で人通りも多い道だったはずなのに、その時だけは全く周りの人については覚えていない。
見えていなかっただけなのだろうけど、思い出すとそれがとても不気味に感じられる。
その体験のと途中も、そのあとしばらくして人影が消えてからもサブイボが立ち、とても嫌な汗をかいたのでよく覚えている。
30歳 女性のストーリー
まだ10代だった時の話です。
夜勤明けで寝ようと布団に入りました。
今日も疲れたなぁと眠りに落ちそうになった時、キイィィィンと頭が割れるような大きい耳鳴りが起こりました。
どうしようと焦っていると、突然体が全く動かせなくなりまし金縛りなんてなった事もなかったので、どうやったらその状態から抜け出せるかもがいていましたが、どうにも動けません。
そのうち左側になにか気配を感じました。
目を開けるのも怖くて、しばらくその状態でしたが、一向に元に戻らないため、意を決してそーっと目を開け頭も動かないので横目で気配のする方を見てみました。
私はひどい近視でしかも怖くて薄目で見たのでかなりぼんやりとしか見えなかったですが、そこには女性の影が…。
やばいっ!と思って目を閉じた瞬間、さらにきつい耳鳴りがし、私は気を失うように眠りについてしまったようでした。
私が今までの人生で金縛りにあったのもその時の1回だけです。
なんだったのか今でも不思議に思っています。
26歳 女性のストーリー
短大の頃に地元でバイトをしていた時の話です。
その日は帰りが22:30を過ぎていて、バイト仲間と帰り際にバイト先の店前で喋っていると、先に帰った後輩1人が、「白いお面をつけて笑いながらバイクに乗ってる人に追いかけられた」と青ざめながら帰ってきました。何人かバイト仲間がそこにいたので、しばらく周りの様子を伺いましたが、現れることなく、気をつけようと言いながら解散。
街灯が少ない道を私も歩いて1人で自宅へ帰っていたところ、後ろからバイクの音が。。交通量がほとんどないので一瞬で白いお面の人じゃないかと怖くなりました。でも絶対振り返らないと思って、気持ちを落ち着かせながら前だけを見て歩きました。近づいてきた途端にバイクがスピードを落として私のすぐ後ろに来たので、怖くなって振り返ると白いお面をつけた人がバイクに乗って、私を見て大笑いしてきました。私は怖すぎて気付いたら大声を出して叫んでいました。大泣きしました。
白いお面の顔がいまだに忘れられません。
50歳 女性のストーリー
二人目の子供を帝王切開で産んだ時の話です。
一人目が帝王切開だったので、二人目も帝王切開になったのですが、一人目の時は、全身麻酔で、子供と会えたのがなんやかんや5日後になった話を先生にしたら、じゃあ二人目はすぐに会えるように、下半身麻酔にしましょうねと、気を使って下さいました。私も、とても感動して、会えた時は少し泣いてしまいました。そこまでは良かったのですが…
産んだ後は、少しきつめの麻酔を点滴から入れて眠る段取りだったのですが、なぜか少しも眠くならず、しだいに息苦しくなってきました。大きな病院だったので、ちゃんと麻酔専門の先生がいらっしゃったので、先生に、息をしてもなんか息苦しく感じると伝えたところ、過呼吸かもしれないから、ビニール袋を口に当てて、ゆっくり呼吸して下さいと言われました。そのとうりに、ゆっくり呼吸をしていたのですが、やっぱり苦しいですと伝えた後、そのまま気を失ってしまいました。その後、集中治療室に運ばれる途中に、一度だけ目が覚めたのですが、又気を失って、気が付いたのは、二日後の集中治療室でした。
39歳 女性のストーリー
20年以上前の話になります。

友人数人と心霊スポットへ行きました。
札幌の南の方にある有名な場所です。

友人の中に一人だけ霊感があると言っている子がいました。
わたしには全く霊感などありません。

心霊スポットに着くと、
一軒の民家とその奥に山がありました。
そこが心霊スポットだったのか、
もっと奥の方だったかはわかりません。

その民家から山をみた霊感のある友人が、
「山から誰かが走って下りてくる!!」と言い、
それを聞いて怖くなったわたしたちはすぐ引き返しました。

その晩怖くてなかなか寝付けなかったのですが、
なぜか、自分で意識しているわけでもないのに、
自分の目線が部屋の角ばかり見てしまうのです。

霊感がないのでなにも見えませんでしたが、
角ばかり見てしまうのです。

霊感の強い子が言っていました。
「一番怖がっている子に霊がつくんだよ。」と。

わたしが連れて帰ってきてしまったんでしょうか。
今でも思い出すと鳥肌が立ちます。
28歳 男性のストーリー
夜間の勤務のとき、巡回のため渡り廊下を歩いてたときです。廊下の閉めたはずのカーテンがヒラッっと動く様子がたまたま視界に入ったので、窓が開いているのかと思い確認しに近寄りました。すると、窓もしっかり閉まっており鍵もきちんとロックされていました。勘違いかと思いその時は気にしませんでした。
別の夜間勤務の日のことです…明け方に起こりました。一瞬だけ光の様な煙の様な緑色の何かが透き通って消えて行きました。消えた瞬間体の頭頂から足先まで凍てつき振り向かずに動かず息も出来ないほど恐ろしく感じました。心より先に体が恐ろしさを教えてくれた反応でした。その後の日中や夜間でも、同じような事はありませんでした。ですが、気になって霊感のある方に観てもらいたいと考えているのですが勇気がなく恐ろしくて今、現在行けてないです。
24歳 女性のストーリー
おばけを見たことです。
小学生の冬に風邪を引き、母と父と3人で寝ていました。
私は一番端っこで母の隣で寝ていました。
夜中にふと目が覚めて、なかなか寝れずにいた時に
何か嫌な気がするな、と子供ながらにしました。
そうしたら、父親の足元のところに白い服を着た女の霊が立っていました。
元々父親が霊感が強く、怖い話を聞いたり、実体験を聞いたりはしていたのですが、まさか自分が見えるとは思っていなかったので最初は信じていませんでした。
夜で部屋は真っ暗ですし、たまたま見えただけと思っていたのですが、また父親の足元を見ると、やはり女の人が立っていました。何回みても、瞬きしても居たので、もうこれは本物の幽霊だと思い、隣で寝ている母親を起こしているのに全く起きず、1人怖い気持ちのまま布団からくるまって朝を迎えたことがあります。
小学生だったので物凄く怖かったです。
37歳 男性のストーリー
若いころは少なくみて7~10人は殺人を犯している年配(おそらくは反社会勢力)の方とのトラブルの交渉。
仕事柄、仕方がないものであったが、話をするととんでもない迫力を感じた。
生きて戻ってくるのが業務命令であったため、金銭賠償の金額のベースを通常の2倍程度でうまく話を理解してもらいことなきをえました。
相手方も私に危害を加えてしまうともらえるお金がもらえなくなることは感じていたように思います。
周りの用心棒のような男性も私の体格が良いので変に親近感を持ってもらい想像以上の威圧感ではなかった点は良かったですが、その場を離れるまでは生きた心地がしないことと、後々に因縁をつけられて私の事務所に怒鳴り込まれたら嫌だなと思いがありました。
43歳 男性のストーリー
一度テレポートというかワープに似た体験をしたことがあります。
子供の時にマンションのエレベーターで遊んでいたのですが、ボタンを滅茶苦茶におしているうちに勝手に上昇していき、ついには一番上の階を通り越してしまいました。
そこではゴウンゴウンという重低音が聞こえ泣きそうになりました。
また、ボタンをガシガシ押していると、動き出し、降りることができました。
ですが、そこは最初のマンションではなく、同じつくりの新しくできたマンションでした。
私はマンションからマンションへどうやって移動したのでしょうか。
もしかすると、あの日元の世界から私は消えていて、全く別の世界に来たのではないかと怖くなる時があります。
だとすると、元の世界で両親はまだ私のことを探しているのではないかと。
33歳 女性のストーリー
レンタルビデオ屋店内で、男の人に追いかけられたのが一番怖かったです。
近所のレンタルビデオ屋に1人でCD返却に行き、店内をウロウロしていると目線を感じました。
気付くと、私が見ている棚の向かい側に中年の男の人が立っていて、隙間から覗いてきてました。
怖くなり、別の通路に移動すると、また棚の向かい側にいて隙間から覗いてきます。
どんなに移動しても向かい側から覗いてくるので、怖くなり持っていたCDを持ってレジに並びました。
その時は少し後ろの離れたところからじっとこちらの様子を見ていて気持ち悪かったので店員さんに「あそこにいる人からずっと追いかけられています」と伝えました。
店員さんは、分かりましたと別の担当者に伝えてくれてその人が店員に話しかけられている隙に走って店内を出ました。
自転車だった為、急いで鍵を外そうとするも焦り過ぎてなかなか空かず、、そうこうしている隙にその中年の人も出てきてしまい、ある一定の距離からこちらの様子を伺っていて、このままでは家まで着いて来られてしまう、、と思い動けなかったところにバイト先のお客さん(こわもて男性)が話しかけてきてくれて、私の事を凄い目で睨んで離れていってくれました。
本当に怖かったです。
47歳 男性のストーリー
高速道路での体験で実家に帰省する際のできごとなんですが、渋滞ラッシュを避けて夜中の高速道路を走らせていました。
しかし休憩を挟まずに連続で運転していたため非常に強い睡魔が襲ってきており何度も意識が飛びそうになりながらなんとか走っていました。
額をたたいたり頬をつねったりしながら運転していましたが気付かないうちに意識がなくなっていたようで100kmを超えたときに出る警告音で我に返りました。
高速道路のトンネル内の左側の壁がかなり近づいた状態で、慌てて右側に車を寄せて何とか事故にあわずに済みました。
このままではまた意識が飛んで事故を起こしてしまうと思い、一番近いサービスエリアに寄って仮眠をとり、無地に実家に帰ることができました。
もう少しで実家以外の別のところに逝くとこでした。
27歳 女性のストーリー
ベルギー・ブリュッセル旅行に行った際に、団体客の他の旅行者の皆さんと一緒にバス停に向けて歩いていました。
すると突然、ナイフを持った二人組の男たちに襲われ、一緒に横を歩いていた友達がスリにあいました。
その時が私が今までで体験した一番怖い経験でした。
身に着けていた金のネックレスを後ろから走ってきた男に突然引っ張られて、ナイフで切られて取られました。
そのとき、後から来た別の男もやってきて左右にはさまれました。
一度、取り返そうと思い、彼らが走って逃げだしたときに追いかけようと思ったのですが、ナイフを持っていたので止めました。
その時に男たちともめてしまって、ナイフで刺されなくて本当によかったです。
今思うと本当に間一髪だったと思います。
46歳 女性のストーリー
私の自宅は神奈川県某所にあり、自然豊かなのどかな地域で、近所の方とも仲良く暮らしています。
少し歩いたところにURの団地があり、そこの中の公園で子供を遊ばせることも多く、近所のママ友との交流の場になっていました。

今から数年前、作業服を着た30代くらいであろう男性が仕事帰りに公園にいる私達に挨拶をしてくれるようになり、徐々に会話をするようになり、そのうち公園で遊ぶ子供たちとも話をしてくれるようになり、「とても感じが良い方だね」とママ友たちと話していました。
ある日の昼間には仕事が急に休みになったからと、子供たちと遊んでくれたこともありました。
知らない男性ですし普段ならば警戒するのですが、いつも公園の周りを管理人さんが掃除しながら様子を見てくれていた為、私達はなんの疑念も抱かず子供たちと遊ぶ男性を微笑ましく見ていました。

しかしある日の夜遅くに、私服の警察官数名が訪ねて来て驚愕の事実を知らされました。
あの男性は世の中を震撼させた事件の犯人少年Aだったのです。
警察官に色々聞かれましたがその時の記憶がほとんど無く、ただ恐怖で震えていたように思います。

そのことはすぐに噂となり、男性はいつの間にか姿を消しました。

このような話を書くことを躊躇いましたが、今でも何処かで暮らしているであろう少年Aの存在は、罪を償っても変わらずに、私達には恐怖の対象でしかないということと、普通に暮らしていても凶悪犯と接点を持ててしまう現実に違和感を感じた為、書かせて頂きました。

これが私が今までで体験した一番怖い体験です。
ありがとうございました。


24歳 女性のストーリー
高校に入学して間もない頃の出来事です。段々と学校生活にも慣れ、友人もでき、一緒にテスト勉強をしていました。友人と別れ、いつも乗るバスに乗ろうとしました。しかし、曜日によってダイヤが変わることを知らず乗り遅れてしまいました。

一人でバスを待っていると「すみません。」と声をかけられ、振り返るとそこには知らない年配の男性がいました。「近くにコンビニはありますか?」と問われ、まだ学校付近の地形を把握していなかった私は「ごめんなさい。この辺りのことはあまり知らなくて。」と答えました。
すると男性は「そっか。」と答え「ねえ、彼氏いるの?」や「今いくつ?」等急に態度を変え、質問責めにしてきました。
学校の規則により携帯電話の所持が禁止されていて助けを呼ぶことも、あまりの変わり様に足が竦んで逃げることも出来ませんでした。そうしている間にも男性はじりじりと近づいて来て、遂に私の腕を掴み「お金払うからキスさせてよ。」と言ってきました。人生で初めて抵抗したら何をされるか分からないと思った時でした。

刹那、車のクラクションが短く鳴りました。我に返った私は乗る予定のバスが近づいて来ているのを見つけました。「今更のことで恐縮なのですが見られていますよ。」と少し余裕が出来た混乱する頭ででまかせを言いました。
誰かが私達に向けてクラクションを鳴らした訳ではないと思うのですが、幸いにも男性は急いで引き返して行き、私は泣きそうになりながらバスに乗り込みました。

入学して早々事件を持ち込むのも嫌でしたし、通行人等はいなかったので証人もいません。何より親に心配させてしまうと思うと通報も出来ませんでした。
午後5時だと言っても夏だったので暗くなかった上に、たまたま通行人がいなかっただけで車通りが盛んだった状況なのにこの様な目に合ってしまったのがとてつもなく怖かったです。
43歳 女性のストーリー
妊娠中に逆子だと分かり、毎日逆子体操なる逆子を治す体操をしていました。
妊娠8ヶ月になった時、まだ逆子で朝からずっと逆子体操をしていたところ、お腹に激痛が走りました。しばらくはただの腹痛かなと思っていたのですが、20分ほどしても治らず。治るどころかどんどん痛くなる。病院に電話すると、外来は終了したので、また明日午前中に連絡してください!と電話を切られてしまいました。もう一度掛け直そうとしたところ、携帯電話がまさかの電池切れ。その時には既に歩ける状態ではなくそのまま痛みに耐えつつ途方に暮れていました。
30分後物音がしたなと思ったら、夫が会社わ早退して帰宅してくれすぐさま救急車で病院へ。病院に着くと手術室に直行。記憶はないですがいつのまにか赤ちゃんは生まれていました。あと10分遅かったら母子ともにかなり危険だったとか。
病院に電話した時にでたスタッフは新人で、外来は終了したといえば良いと思っていたらしく、会話の内容を隣で聞いていた別のスタッフが慌てて着歴から返信したけど繋がらず夫に連絡して帰宅するよう促したっていう裏話があったそう。おかげ助かりましたが、携帯の電源落ちた時には本当にダメかと思いました。
26歳 女性のストーリー
大学生の頃の話です。
大学の帰り、いつものように最寄りの駅から電車に乗ろうとホームで待っていると、当時流行っていた厚切りジェイソンに似ている外国人の方に声をかけられました。ここに行きたいのだがどの電車に乗ればいいか?と英語で聞かれて答えたのですが、そのあと何故かペラペラの日本語で説教をされました。何に怒っているのかわからなかったのですが、日本人のここがダメだ!みたいな話をひたすらされました。
怖くなってきたので、電話がかかってきたふりをして、その場から逃げ、待っていたとこほから離れた車両に乗りました。
何だったんだろう、と思いながら乗り換えの駅で下車し、乗り換えのホームへ。
すると、さっきの厚切りジェイソン似の外国人とまたそのホームで遭遇。しかもがっつり目が合ってしまいました。これはまずい、と改札の方に逃げようとすると、うしろから追いかけてきました。まるでテレビでやっていた逃走中のように、ダッシュでした。幸いわりと混んでいる日だったので、人混みに紛れて逃げることができたのですが、この日以来、怖くてひとりで電車利用ができませんでした。
21歳 女性のストーリー
中学生の頃のことです。
夏休みだったと思います。
2階建ての家に両親と姉、私、幼い妹と暮らしていました。
2階に各自の部屋があったのですが、両親はベビーベッドの都合上1階の和室で寝起きしていました。
私は部屋が4畳しかなく、12畳程もあった両親の部屋が好きで両親が1階で寝起きする間その部屋で寝起きしていました。

当時中学生だった私は自分の携帯を持っておらず、母の携帯を2階に持って行き夜中まで動画を見たりしていました。

私は普段からお手洗いを我慢してしまうのですが、その日も我慢してしばらく経ってから1階にあるトイレへ向かいました。
夜中の2時〜3時だったと思います。

階段を降りていると、ガチャっとドアを開ける音が聞こえました。
トイレは階段の裏側?埋め込んだような場所にあり、私が慌てて覗き込むと、少し開いたドアに明かり、ドアノブを持つ真っ白な手が見えました。
仕方なく私は階段に座り込み、出てくるのを待っていました。
しかししばらく待っても出てこず、限界で見に行くと……明かりが消えていたんです。
おかしく思いノックするも返事がなく、明かりをつけて開くと誰もいない。
絶対に音も聞こえていたし、手も見えたんです。けれど思い返すと、家族にはあそこまで真っ白な手の人はいない。

ゾッとして慌てて霊感持ちの母を叩き起こし見てもらうと、大丈夫の一言だけ。
お手洗いも我慢の限界だったので母に待っていてもらい恐る恐る、大急ぎで済ませて出ました。
怖すぎて本当に大丈夫なのか聞くと母は
「中にはいなかったけど入り口近くで立ってた」
と。いやいや!怖すぎるから!!と、その日は両親の寝ている部屋で寝ました。

27歳 女性のストーリー
これはわたしが中学3年生のある日の放課後、自宅で受験勉強をしていた時に起きたちょっと怖い出来事です。弟が塾に行く時間になったので、わたしは玄関まで送り出し自分の勉強に戻ったのですが、少し眠くなったので仮眠をとることにしました。すると、しばらくして玄関から「K(弟の名前)くんいますか?」という声で目が覚めました。(弟の友だちかな?でも…わたし鍵かけたはずだけど、やっぱりかけてなかったのかな?)…そんな風に少し不思議に思いながらも、弟は塾に行ってる旨を伝える為起き上がろうとするのですが…身体が動かない!声も出ませんでした。怖くて最初はずっと目を閉じていましたが、恐る恐る開けてみると目の前に黒い影の足が横切って鏡の方に向かっていきました…。わたしはこの出来事を心霊現象というよりも、リアルで怖い夢だったのかなと推測しておりますが、このような体験はこれが初めてでその後は起こっていません。受験勉強で疲れてたのかな?
29歳 女性のストーリー
この経験に対しては中学校の校外学習のことです。キャンプ場な所で、皆BBQをつくりながら、たべてる時に、友達がイヤホンを持って来るので、私に誘われて、一緒に歩いてカバンを置くところまで行きました。行く前には長い階段があって、登って、カバンの所に着いて、探した後、戻り途中で友達急に私を呼んできました。当時私もあの階段ぐらい所に着きました。友達まだカバンの所にいました。何回も私の名前を呼んでも反応がないって言われました。でも、実は先友達と一緒に歩いて戻ってるはずですが。急に一人になりました。この後、ニュースで見ました。あの頃ある小学校の女の子がその場で自殺しました。そのあとも、何回も学校のトイレで幽霊ような人たちの姿を見ました。
50歳 女性のストーリー
まだ20代のころ毎年大晦日から出かけて、翌日の元日まで何社か神社を友人とめぐるという年越しをしていました。
ある年、市内の地元の神社だけでなく県内の有名な神社まで足を延ばそうと、車で出発しました。
車で向かうには初めての場所で、当時はNAVIなどない時代。地図や道路標識を確かめつつ、大晦日の夕方に自宅を出て年が明けるころに、神社にたどり着きました。
無事お参りをすませ、帰路につこうとしましたが国道を外れてしまい右往左往。
なんとかもとの国道に乗ることができ復路を走っていたところ、夜半を過ぎ気温も低下。折しもシャーベット状の雪が轍になっています。時たまホワイトアウト。

緩いカーブで対向車が膨らんできたので軽くブレーキをかけたのですが、後輪が滑りスピン。クルクルと脇の畑にツッコミ停車。
幸い雪の塊が壁になっていたことと、スピードがそんなに出ていなかったのが幸いして大事にならずにすみました。
よく走馬灯が…なんて言いますがそんな余裕はないです。まさしく今までで一番怖い思いをした体験でした。
24歳 女性のストーリー
大学時代の友人とドライブで友人の祖父母宅に行った時の話です。
星のきれいなほど真っ暗な田舎だったため、あたりには街頭が少なく、さらに、遅い時間だったため電気のついている家も少なかったのですが、田んぼの横にある家の前を通りかかったときに、玄関にポッと人の形の真っ白な光が浮かび上がりました。車だったので一瞬で通り過ぎてしまったのですが、私はその不気味さに声が出せず、しばらく黙っていました。家に着いた後、友人にその話をして確認をしましたが、私以外の人は見ておらず、誰に話してもそんなことがあるはずない、電気のついている家はなかったと言われました。
結局なんの光だったのかはわかりませんが、その日は寒気がおさまらず、全然寝付けなかったことは覚えています。星と月はとてもきれいでした。

24歳 女性のストーリー
私が中学生の時に林間学校で経験した体験談です。
その時に宿泊したコテージの女子トイレを使用したクラスメイトが何人も
「トイレに髪の長い女の人がいる」と言い始めました。
みんなトイレを使うのを怖がっていて私もその一人でした。
しかし私は実際にその姿を見たわけではなかったのでみんなふざけて
冗談を言っているのかもしれないとも思っていました。
しかし野外活動を終えてコテージに戻るときにふと窓ガラスの方をみたら
すりガラス越しに白い服を着た髪の長い人のシルエットが見えたのです。
そこはちょうど噂になっている女子トイレがある窓でした。
私は怖くなってとっさに目をそらしてしまいました。おそるおそる
もう一度その窓をみてみるとそこには何もありませんでした。
本当にそのトイレには何かがいるのではと思わされた怖い思いをした体験でした。

26歳 女性のストーリー
私は全く霊感もないですし、勿論、霊感がない為、全然怖い話しも怖くありません。
シャワーを浴びていたら、後ろに気配が!という話しを聞きますが、気配なんか感じることがないですし、まず、お風呂に入って居る時点で、怖い話しのことを思い出したりもしないです。

そんな中、小学3年生の時に初めて自分の家で金縛りに合いました。
金縛りにあった時は壁側を向いて居たのですが、背後から沢山の人の笑い声や喋り声が聞こえてきました。
その時は怖くはなかったのですが、振り向く事が出来ず、金縛りが解けていくにつれて人の喋り声も消えていきました。

その次の日でした。
今回は金縛りではなく、夜中に目が覚めると、白いワンピースの女の人が端の壁際に立って居るのが見えました。
昨日の笑い声の1人だ!!と思い、初めて見る幽霊にビックリし、布団を深く被り、初めて怖くて動けませんでした。
夜中なのでそのまま能天気な事に少しすると寝れたのですが、朝起きると妹のワンピースでした。
寝ぼけて見間違えたみたいです。(笑)
ですが、少し位置が違うように思えたので、本物の幽霊だったのかも。と今考えるだけで少しゾッとします。
24歳 女性のストーリー
中学生のとき、友達の家に泊まりに
行きました。夏の暑い時期で、
夜になっても部屋が蒸し暑く
外に出て家の前で座って話していました。
田舎の車通りが少ない場所なので
周りは真っ暗です。
2人で対面で座って居たんですが
気付くと友達の後ろに人が立っていたんです。暗くて顔はよく見えなかったんですが
多分男性かな?ものすごく怖くて
すぐにでも逃げ出したかったけれど
たまたま通りかかったひとだったら
申し訳ないのでしばらくそのままで
居たんです。友達も異変に気付き
会話は無くなり沈黙で2人で怯えてました。
その人も声をかけることもなく
何かするわけでもなくただ立ってこちらを
見ていました。
そして私はもう耐えきれず友達の手を
引っ張り走って家に入りました。
あれはなんだったのか未だにわかりません。
たまにその友達と思い出して話すんですが
未だに鮮明に覚えてて鳥肌が立ちます。
25歳 男性のストーリー
高校生の頃、部活で旧校舎に入った際に誰もいないのに後ろから頭を触られたことです。
後輩と一緒に二階に居たのですが、後輩は反対側の一番奥に居て後輩触ったのが後輩ではなかったことが分かり恐怖したこと
また、別の日に早朝、誰もいない廊下で戸が開く音、2~3人走る足音を聞いています。
当時、旧校舎は鏡が一枚もなくあったとしても粉々に割られているような状態でした。
現在は取り壊されているのですが、過去に自殺者も居り、いろいろな噂はありました。
別の校舎の部室部屋では、過去実際に自殺者が出ており新聞にも小さい記事ですが載っていたはずです。
高校の場所自体は問題はないはずなのですが、七不思議といわれるのがあるように
結構な数の噂はありましたが、実際に体験するとは思っていませんでした。
19歳 女性のストーリー
つい先日、サークルの夏休み合宿がありました(と言っても私が所属しているのは映画研究会というサークルなので1本だけ映画を見てあとは遊ぶだけというユルいものでした)。そこでの出来事なのですが、私は夜寝ないでおしゃべりを続ける組だったのですが、当然怖い話に発展します。部屋を真っ暗にして、「ここでフラッシュたいて写真撮って、なんか写ったらいやじゃない?(笑)」くらいのノリで写真を撮りました。すると、シャッターが押される直前に白いモヤのようなものが下から上に上がっていくのが見えました。写真には写っていませんでしたが、のちのち確認してみると、iPhoneのLive撮影モードになっていたため、その白いモヤも写っていました。そのあと何かが起きたわけではありませんが、このあと何かあるかもしれないと考えると怖いです。
54歳 男性のストーリー
僕は小学校と中学の時にいじめられた経験があります。その為に登校拒否をなんどかありました。それから高校に入ってからいじめられた子を助けるためにヤンキーみたいな連中に文句を言ったら仕返しされてそれで高校の担任にそれを言ったら逆に先生がほっといたらいいのではないかと言われたのでほっといたらまた僕に暴言を吐かれたんで一発殴りました。それから何も言われなくなりその生徒はタバコを吸って退学になりました。ほとんでシンナーとかタバコで退学になってその人たちはヤクザになっているみたいです。僕は多分隙があるのではないかと自分では思っています。中学の時にいじめられて言い返したら集団で暴言言われて担任の先生に言ったらその子達を呼び出して注意したけどターゲットを他の女子に向けてその女子は自殺しました。悲しい出来事でした。
52歳 女性のストーリー
高校2年生時の夏の深夜、自宅で就寝中の出来事です。
歳の離れた妹は母と一緒に別の部屋、私は自分一人でした。父は夜勤で不在。深夜2時頃、私の部屋に人が入ってきたのが暗い中で見えました。母かと思い声を掛けましたが反応なし。よく見ると白いアンダーシャツとももひき姿、裸足の見知らぬ男。
本棚やステレオなどを無造作に触ったりしており、とっさに叫びました。母は私が悪夢を見て騒いでいると思い私の部屋に走ってきました。見知らぬ男も驚いたようで家の中を走り回り出口を探していたようでした。この騒ぎで妹も泣き叫んでいました。
こういう時は窓を開けて大声を出す、と聞いていたのでどろぼうーと叫びましたが近所の反応無し。
その後、警察が来ましたが侵入男は捕まりませんでした。警察の方によると、どろぼーと叫ぶと近所の方は怖がって出て来ないので、火事だーの方が良いとの事です。
夜が明けて明るくなってから家の床を見ると、男の裸足の足跡があちこちにくっきりと付いており、その後私は1か月以上、自分の部屋で一人で眠る事が出来ませんでした。
本気で物を盗むつもりならば、裸足にももひき姿の目立つ姿で侵入しないはずとも警察に言われました。何の目的だったのか分かりませんでしたが、全く無傷、乱暴されず、無事だった自分は運が良かったからか、と思います。
今までで最も命の危険を感じた出来事でした。

「これまでで一番悲しかった時」

36歳 女性のストーリー
職場の上司とうまく意思疎通ができなかった時です。
働いている会社は異動が多く、その時も来年度から異動で別の所属にお世話になることが分かっていたので、ご挨拶に伺うことになりました。
そういう場合は通常、現上司と二人でいくことになるのですが、当時の上司との折り合いが悪く、好きな時に勝手に行っておいでと言われてしまいました。
その時はそんなものかと思っていましたが、異動後少しして、どうして一人で来たのかと一人の同僚に聞かれました。
やはり一人で行くことはかなり珍しかったようです。
そのことを知った時は自分がそんなにもその上司に嫌われていたのかと思って悲しかったです。
特に、お気に入りの子にはこれ以上ないほどの手厚いサポートをする人だったのでその差は明らかでした。
49歳 女性のストーリー
子供の頃から両親が共働きだったため、私は祖母に育てられました。
私が初孫と言う事もあり、祖母は厳しくもありましたが、それ以上に愛情もお金もかけてくれました。
雛人形や成人式に着た着物は今でも持っていますが、祖母に買って貰った物です。
祖母も自分で自分の生命があとどの位なのか分かっていたのかもしれません。
亡くなる少し前に、宝石屋を経営している友達が「このネックレス凄い高いでしょう」と見ただけで分かるネックレスを形見としてくれました。
いつも凛としていて家の中にいても着物をきちんと来た祖母がいなくなった時は、私自身悲しいと言うより、どうして良いのか分からなくなりました。
祖母の介護生活は7年も続き、時には疲れる事もありましたが、実際にいなくなると家の中が寂しくなりました。
私は現在海外在住ですが、祖父母の写真は持ってきて飾ってあります
34歳 女性のストーリー
京都アニメーションの放火事件がショッキングで悲しかった。
以前から京都アニメーションのアニメを好んで見ていて、スタッフさんが登壇されるトークイベントや体験会みたいなものに何度か参加していたり、スタッフインタビューの記事や、スタッフコメントのたくさん載っている本などを購入し読んでいた。
だからこそスタッフさんたち京都アニメーションで働く方々をとても身近に感じていて、それが本当に悲しくて胸が詰まるような感覚と、無性に泣けてきた。
実際の火事の映像や、焼けた建物、京都アニメーションの作品そのものや関連した音楽を聴くだけでも涙ぐんでしまう。
本当に悲しくて、毎日を生活するのがやっとという日々が数日続いていました。
30歳 女性のストーリー
私には子供が2人いるのですが、妊娠した事は5回あります。
3回は流産でした。
体質的に初期がかなり不安定なようで、妊娠が分かりしばらくすると出血、流産という感じでした。
流産といっても、初期なのであまり痛みなどは感じませんでした。
無事産まれた子供達の時も妊娠初期は危なく、自宅安静になったりしました。
妊娠した事が分かるといつも不安で、さらにつわりや貧血もひどい体質なので毎日横になり安静にしてるにも関わらず流産してしまうのがとても悲しかったです。
さらに悲しいのは初期の流産は流産してしまったと確定になると、中絶手術と同じ手術を行わなくてはいけなかったという事です。
事務的に書類も書かなければいけません。
毎回涙を流しながら書いていました。
流産がこんなに起こりやすい事も自分に起こった後で初めて知りました。
それが今までで一番悲しかった話です。
48歳 女性のストーリー
12年間当たり前のように一緒に過ごしていた愛猫が、4年前に天国に旅立ったことです。
当たり前のように生きて側にいると思っていただけに、亡くなった時は茫然自失でした。

一人暮らしなので、常にその子がわたしの寂しさを紛らわしてくれ、嬉しい時も楽しい時も一緒に過ごして・・・12年間常にわたしを支えてくれた存在でした。

だけど、そのことがあまりにも当たり前過ぎて、当時はそのありがたさが分かっていませんでした。

その子が亡くなって初めて、当たり前のことが当たり前ではないんだなといったことに気づかされて・・・・本当にたくさんの気づきをもらいました。

実は、当たり前に居る存在って、当たり前に居る訳ではないこと、そのことに気づいていない人が多い気がしますよ。
26歳 女性のストーリー
20代の頃に久しぶりに出会った彼とのお話です。
彼も私もお互いに久しぶりの恋人ができて凄く毎日が新鮮で楽しかったです。
プチ遠距離恋愛で、お互い仕事もあるので毎日は会えませんでしたが各週でデートに行っていました。
付き合い初めて3ヶ月経ったくらいの時に初めてお泊まりをしに来てくれました。
お家でご飯を食べて何気ない日を過ごしました。そんな時間が凄く幸せでした。
そして次の週に彼は事故で亡くなりました。
夢であって欲しい、現実なんかじゃない、何度も思いました。現実逃避をしていないと身が持ちませんでした。
体調も崩し精神的にも疲れていました。
彼が亡くなって3週間後、妊娠が発覚しました。
今ではそのお腹の子も、2歳になり走り回っています。
今でも彼が大好きです。誰かを探す気にもなれません。満足いくまで好きでいたいと思います。
52歳 男性のストーリー
私が中学生の頃、家の軒下に燕が巣を作りました。
ヒナもかえり、玄関先が糞で一杯になりながらもヒナの成長を楽しみにしていしました。

ある日、学校から帰宅すると巣がなくなっていました。
小学生の通学路にあった我が家は、その心ない小学生に巣を壊され、ヒナは死んでしまったという事でした。
子供がした事とはいえ、許せないと痛烈に思いました。
その夜は止めどなく涙が出た事を今でも覚えています。何故か、悲しくてなりませんでした。多分、私の中ではもう家族の一員になっていたのだと思います。

あれから何十年も経ちますが、不思議なことに一度も燕が我が家に巣を作る事はありませんでした。
燕が巣を作ると幸運があると言われています。そういう意味でも本当に残念でなりません。
52歳 女性のストーリー
配偶者の突然死です。
いつもと変わらずの休日で、息子のスポーツの為に外出している最中、配偶者が車に息子の荷物を置きに行ったのが最後の別れになりました。
配偶者は心筋梗塞で車のトランクの後ろにちゃんと荷物を入れてから死亡していました。
あまりにも遅かったので、1時間後私が見に行った時には、通行人が通報してくれて救急車で搬送されたあとでしたが、警察官に事情聴取等を受けてそのあと病院で死亡を確認しました。息子も一緒にパトカーに乗って、病院で対面しました。
余りにも急な出来事でその時は涙が出ませんでしたが、家に帰宅してからは止めることが出来ない程の涙が出てきました。
今でも思い出すと悲しくなるのと同時に後悔しています。
いつも一緒に行動をしていた私が、あの日に限って「一人でいくから!」の言葉で行かせてしまったことを後悔しています。
一人で死なせてしまったことは妻としてとても悲しいことをしてしまったと…
私がパニックを起こさない為に主人からの最後の優しさだと周りは言ってはくれますが、今でもこれだけは後悔しています。
49歳 男性のストーリー
やはり、自分の父親が他界を下のが今まで一番いきていて悲しいことです。
私自身親と言う人物はいつまでも、長生きをしてくれると思っていたからです(永遠に)

今考えればいつまでも長生きをしてくれるわけではないと言うのは十分承知なのですが、その時はそのようなことは考えても思いませんでした。そうして、親元方離れて生活をしだしたときに、だんだんと親が年老いていっていると言うのがまざまざとわかってきたわけです。

そうなってくるとどうなるか。その時はまだまだ親も元気ですし、長生きをしてくれるだろうと思っていたわけですが、その日は突然にやってくるのです。私の身内から朝方「父親が亡くなったぞ」と。

それが、今までいきていて一番悲しかったことです。
49歳 男性のストーリー
まさか!と思いました。親は永遠に生きてくれると思っていましたから。

もう、人にはわかってもらえないでしょうが、本当に辛く悲しかったです。それに、人並みですが、なぜ、親孝行ができなかったのか。今まで、散々親に迷惑を掛けてきて歳置いてきているのをみて何一つ、親に対してできることをしなかったのかと言うのが悔やまれます。
(親孝行したい時には親はなし)とは本当に理にかなった言い方だと思います。

親が生きている時は正直、親に逆らったり、迷惑をかけてばかりいると思います。それでも
いつも何も言わず、黙っていつも見守ってくれていた事に対して感謝をしています。私も成人をしており、親としても自分の手元から巣立っていくともう何もできません。
49歳 男性のストーリー
何と言っても、私の父親が亡くなった事です。
今まで、親と言う人物はいつまでも、いつまでも永遠に生きてくれていているだろうと思っていましたから(実際にはそのようなことはないのでしょうが)

今でも、早朝(5時くらい)身内から一本の電話で寝ていた所を起こされ、嫌な予感がしながら開口一番「父親が亡くなった、もう、息もしていないからダメだろう」と。寝ぼけていたので、まだ状況がつかめず、とりあえず実家に急遽帰ったことを今でもハッキリと覚えています。

その時は本当にまさか?!親がこの世から亡くなるとは思いもしませんでした。いつも元気でしたし、自分のことは自分でできていましたから、まだまだ長生きをしてくれると思っていました。
49歳 男性のストーリー
今でこそ、父親がなくなり、改めて父親の偉大さ、家族を縁の下の力持ちと私を高校卒業まで支えてくれた事に非常に感謝をしています。

生前の時は親に文句、いうことを聞かなく迷惑ばかりをかけていた事、親孝行ができなかった事に対して、亡くなってから辛いことばかりが思い出されました(親孝行したい時には親はなし)とは本当によく言ったものです。

亡くなってからわかる事が沢山あります。生きている時には本当にわからないと思います。
親から見ればいつまでも大切な子供、いつまでもいつまでも心配をしていると思います。
わたしもそうでしたから、親の気持ちは今となっては必要以上にありがたく思っています。
ただ、子供も大きくなると自立をして生きていかなければなりませんので、口出しができなくなってしまいますね。
37歳 女性のストーリー
私は昔から、自分は強い人間だと思っていました。
悲しい事があっても、人前で涙は見せず、すぐに立ち直れるタイプだと。
しかし、それは間違いだった事に気付かされました。

昨年、突然父が亡くなりました。
風邪もひかず、ほとんど病院にも通った事のない父が突然逝ってしまったのです。

両親は、私が18歳の時に離婚をしているので、それからは父と兄と3人で暮らしてきました。

その後、結婚して実家を出たので、父は一人暮らし。
兄は実家の近くに住んでいるので、毎週日曜日は様子を見に行ってくれていました。
本当に元気で、まさかこんなに早く死んでしまうなんて誰も思っていませんでした。

正月に、実家で盛大に宴会をやろうという計画を兄と立てていたので、その旨を伝えようと父に電話したのが、死んでしまう4日前。

通話時間5分。
なんであの時、もっと話さなかったんだろう。
なんであの時、体調について何も質問しなかったんだろう。
なんであの時、会話をめんどくさがってしまったんだろう。
「なんで」が尽きませんでした。

兄から「お父さん死んだ」と電話があり、買い物中、脇目も振らず号泣。
自分は強くなんかないんだと気付かされた瞬間でした。

人は本当にいつ死ぬか分からない。
明日死ぬかもしれない。

その日から、日々を大切に生きていこうと心に決めました。







29歳 女性のストーリー
これまで一番悲しかったことは祖母が亡くなったことです。
祖母とは家族の中で1番仲が良いと言っても過言ではないくらい仲良しでした。小さい頃からずっと一緒にいるので祖母がいるのは当たり前と思っていました。しかしだんだんと大人になっていく中で祖母と触れ合う機会少なくなっていき反抗期の時期には祖母に八つ当たりしたりしたこともありました。それでも祖母は私のことをいつも優しく見守ってくれて応援してくれました。私が何か悩んでいるときは私を心配して電話くれたり深くじっくり悩みを聞いてくれていました。祖母は私にとってかけがえのない存在でありとても大切な人でした。それでも人間にはいつかは死の別れがくるものです。しかし私は祖母が癌になっていることに気がつきませんでした。わたしは祖母が癌になっているちょうど時に留学をしたのですが私の留学中に祖母の状態は悪化していき私が留学から日本へ帰る頃にはもう末期の状態になっていました。留学中なんども悔みました。なぜ私は留学をしてしまったのだろうと。留学をしなければ残り少ない祖母の命と向き合えたのにと後悔しました。祖母は私が日本に帰ってきてから2週間後に亡くなりました。今でも祖母が夢に出てきて涙が出てきます。祖母が天国で楽しく過ごしていることを想像しながら人生後悔しないように精一杯生きて生きたいと思うこのごろです。
27歳 女性のストーリー
結婚も考えていた四年付き合った彼氏に二股をかけられていた。しかもその期間はなんと2年半弱。わたしが付き合った期間の半分以上だ。相手はわたしより1つ上のバツイチ子持ち。

それを知った時は本当にハンマーで殴られたくらいの衝撃だった。寝られなくて、食べられなくてなんもしたくなくて、その当時の記憶があまりない。1週間で4キロも痩せた。
揉めて別れたが、数カ月後どうやら元彼は二股相手と結婚したらしい。劣等感に苛まれた。悔しかったし、苦しかった。相手の親とも仲良くしていたのに、、、。

だがそんな信用できない相手と一生を添い遂げるのは精神的に無理だ。心が死んでしまう。当時は辛かったが(今も時々辛い)もっと素敵な相手に出会うべく女磨きに精を出している。とりあえずその元彼には因果応報があることを期待している。
32歳 女性のストーリー
一緒に暮らしていた祖父は幼い頃からわたしを可愛がってくれていました。
社会人になり数年後、祖父は癌のため長期入院をすることになりました。
市内なのでお見舞いによく行っていき最後の別れ際には「また会いにいくね」と言っていました。
ある時、仕事終わりに車に乗っていると突然(祖父の病院にいかないと)という心の中がざわざわする感覚に襲われました。
しかし次の日は早朝勤務だったため、明日の仕事が終わってから行くように決め家路へと急ぎました。
次の日の仕事中、父親から祖父の状態が急変したと連絡がありました。
急いで病院へ行った時にはすでに亡くなってしまいました。
思えば最後に祖父が呼んでくれたのかなといまでも後悔している出来事です。
57歳 女性のストーリー
悲しかった出来事といえば、肉親の死、友人の死や別れなど悲しい出来事を経験してきましたがそれは長い人生の中で出会う当然の悲しみで、幸い大きな悲劇には今のところ見舞われていません。
なので一番悲しかった時はいつだろうと思い起こすと、おそらく人生で最初の号泣した高校2年の時の失恋なのかもしれません。
割と喜怒哀楽の感受性が薄い子だったのですが、その時ばかりは一晩中泣いていました。
青春時代、多感な年頃ということもあったのか、それが今一番印象に残っています。
「他に好きな子ができたんだ」と当時付き合ってたボーイフレンドから告げられた時、
(しかも電話で)あまりの突然の事に一気に涙が溢れてきて「どうして?どうして?」としか言葉が出てきませんでした。
なぜか覚えているのは窓の外から聞こえた近所の盆踊りの太鼓と東京音頭のメロディ。
そしてもう一度会ってちゃんと話して欲しいと約束した朝、
まだショック状態の私は卵かけ御飯さえ喉をとおらず、あぁ悲しい時って本当にご飯が喉を通らないのだなぁとぼんやり考えていました。
今思えば、ちいさな青春時代の一ページかもしれませんが、あの朝ちょっと心配げな父の言葉とか茶碗のご飯のことを覚えているのはやはり一番印象に残っている悲しい時だったのかもしれません。

35歳 女性のストーリー
これまでで一番悲しかったのは、飼い犬が死んでしまった時です。もともと捨て犬で、いとこが拾ってきたのを我が家で飼い始めました。まだ小さく、生後2ヶ月くらいだったため、世話が大変でした。慣れるまでは夜鳴きが酷かったため、夜中も起きて世話をしていました。
私に一番懐いて、私が帰宅すると背筋を伸ばしておすわりをして出迎えてくれました。悲しい事があるとなんとなく分かるのか、慰めるようにそばに来てくれました。 大学入学と同時に家を出たため、それからは会える頻度はかなり減ってしまいました。それでも実家に帰った時には大喜びで迎えてくれました。
ある年の夏、帰省中の車の中で「早く会いたいな」と話していると、母が「話しておかないといけない事がある」と言います。愛犬が前日に息を引き取ったと言うのです。少し前から病気になり、手術も難しいことは知っていました。ただ、少し前まで元気だったため、突然の事に驚きました。静かに眠るように逝った事、自宅の敷地内に埋葬した事、大好きだったりんごを一緒に埋めた事、これからは自由に遊べるように首輪は外した事などを聞きました。
今でも思い出すと涙が止まりません。最期に一緒に居られなかったことが、なにより悲しかったです。
24歳 女性のストーリー
いままででとても悲しくてどうしようもないとおもったのは、3.11の地震。
私はディズニーシーにいて、その日は家に帰ることさえもできなかった。外の状況がどうなっているかわからず、家族とも連絡がとれず、とても不安だった。次の日親が迎えにきてくれて帰ることができた。そこで外の状況をようやく把握することができた。電柱が倒れていたり、液状化になってひどい状況だった。それだけで、外の状況がひどいことはわかったが、一番ひどいのは東北であった。家に着いてから放送されているのは津波の映像。全てを飲み込む津波の映像はとても恐怖で、涙が止まらなく、悲しみを覚えた。地震も揺れが続いていて、もうやめてと叫んでしまうほどだった。何気無い日常が一番幸せで、非日常はとても悲しいものであった。
42歳 男性のストーリー
自分が5歳の時に両親が離婚したことです。その時に両親にこれからどっちと一緒に暮らしていきたいかを問われたのです。

まだ幼かった私は子供心にも直感というか優しかった父親のほうを選びました。母親の方は時折ヒステリックになり軽い暴力や暴言を振るうことがあって自分には受け入れ難かったのも事実でした。

でも幼い私にはこの先どのような生活になるのか全く想像ができす不安で仕方がなかったです。

私には2歳年下の弟もいたのですが、弟はまだ3歳で自分がどちらと暮らすかという選択肢は与えられず、母親が勝手に決めて母親と暮らすことになったのです。

またそれも悲しい出来事でした。

歳も近いため兄弟一緒に遊んだりしていたのにそれがこれから離れ離れになってしまうというのも想像が出来ずとても悲しかったです。

結局いまはお互い大人になり自由に会うことも出来て当時の事を話したりしてお互いの気持ちの折り合いをつけることが出来ました。
20歳 女性のストーリー
小学生3年生の頃から飼っていた犬が亡くなりました。

初めての死を見届けることになりました。

亡くなる前は急に心臓の病気になってしまい獣医さんからも覚悟しといてくださいと言われてました。

散歩には行けるくらいは元気だったためあまり実感無かったのが正直なところです。

亡くなる直前散歩に行きました。

深夜突然咳き込みだして、苦しそうだったため背中さすってあげると落ち着きました。

仕事も行くのも怖い日があり何度かお休みをさせてもらいました。

迷惑かけているのは十分に理解しています。

会社の同僚の人に言われたのが
病院で1日だけでも預かってもらえるよ
後は他の家族に看ててもらったら

獣医さんには病院はストレスになるから自宅の方が良いと言われていました。実際に臆病な子だったため私自身それしか方法がないです。

家族みんな仕事していたので、みんな出来る限り減らしてはいました。

そういう問題ではない時だったため

辛くて悲しい時でした。

勤怠管理している人はすごく理解してくれてあまり言われませでした。

迷惑かけているのは理解はしているが、ペットも家族なんで同僚の方に言われたのがショックでした。
56歳 男性のストーリー
私の母が平成16年12月11日に、交通事故に遭いました。
その知らせを聞いて本当に驚きました。初めての経験で、私の頭の中は,何を考えているか、わかりませんでした。人生の中で、最低最悪の、1日でした。その年は、厄年に、当たる年で、不運な事ばかりが、続きました。どうして、悪いことばかりが、起きるのかと、自問自答の連続でした。このような、年は、早く終わることばかりを祈っていました。その頃は、生きていくのに、無我夢中で、本当に大変でした。人間は、本当に、苦労の連続でした。いつも、何か嬉しいことが、ないかと、思っていました。生きるのが本当に苦しかったことばかりでした。早く春が来ないかと、いつも思っていました。












あいました。
48歳 女性のストーリー
まだ結婚する前に
3年間付き合ってた人がいたのですが、ある日突然連絡がとれなくなました。
しばらくしてから兄弟と名乗る人から彼氏は交通事故で死んだと連絡がありました。

なにか不自然さを感じ、兄弟と名乗る人に色々問い詰めるも一方的に話をするばかりでこちらの問いには答えず...一方的に連絡をシャットアウトされました。

しばらくの間、本当か嘘かもわからず不安で悲しくなり夜も眠れぬ日が続きました。

1年ほどたち彼氏のことも少しずつ考えなくなり始めた時..死んだはずの彼氏から電話がかかって来ました。
そうです、彼は自作自演で自分を死んだ事にしていたのです。
私が精神的ダメージを与えられたことなんてまったくおかまいなしに、彼氏はなに事も無かったようにごめんね、嘘ついてと言いました。
しかも3年も偽名だった事もわかりました。

信じてる人の気持ちをまったく考えてない事にとても悲しくてやりきれない気持ちになりました。
嘘をつかれるってわかった時酷く悲しくなるものです。
32歳 女性のストーリー
これまで1番悲しかった出来事は
ずっと信用していた友達に裏切られた事です。
私が付き合っていた彼と隠れて浮気をしていたので、彼に裏切られるよりも
女友達に裏切られた方がすごく傷つきました。
友達にいろいろ聞いてもまったく答えてくれず、なぜ私に黙ってそんな事をしていたのかすらわからずじまいでした。それから1年が経った頃、偶然見かけたのですが、まさかのその彼と友達が一緒にいてよく見ると彼が小さい子供と一緒にいました。
後から聞いた話ですが、2人は結婚して2人の間にできた子供でした。彼の事がすごく大好きで、結婚しようとまで言われていたのでまさか自分の友達と浮気してるとは思ってなく、なにより女友達に裏切られたのが今までで非常に悲しかった思い出でした。
24歳 女性のストーリー
私が今までに1番悲しかった経験は、初期流産を経験した時です。
結婚を前提に一緒に暮らしていた彼氏との子どもを授かり、初めは驚きましたが、なによりもこのお腹に命があるということに嬉しさが大きかったのを今でも覚えています。検査薬で陽性が出た時手が震えました。
報告をして彼も喜んでくれましたし、まだ籍を入れていない中で、お互いの両親も喜んでくれました。
産科に通い始め、初めは袋しか見えなかった赤ちゃんが少しずつ姿を見せてくれて、お腹の中で心拍も確認することができました。愛しくて愛しくて、泣きそうになりました。
先生が母子手帳をもらっておいでと言ってくれて、私も母になったんだと感動しました。
心拍も確認できたことを彼と家族に報告し、まだ人の形には見えないエコーの写真を、1日中眺めていました。
妊娠もして、彼と籍を入れることを早め、婚姻届を出しました。不思議な気持ちで、フワフワしてなんだか実感が湧きませんでした。
その2日後、また妊婦健診でした。
もらったばかりの母子手帳を握りしめて、母と一緒に病院へ行きました。
「今日のエコー写真も楽しみだなあ」「診察終わったらお母さんにも見せてね?」と会話をしながら待合室で待ち、いよいよ待ちに待ったエコー。
今日はどんな姿を見せてくれるかなと、ワクワクしながら超音波の画面を眺めました。
エコーをしてくれた先生にはいつものように笑顔がありませんでした。他の先生を呼んできてくださいと看護師さんに頼んでいて、急に不安が襲ってきました。「そんなわけないよね」と何十回も自分に言い聞かせました。
他の先生が来て、エコーをして、「心臓が動いていません。残念ですが…稽留流産です。」とわたしに告げました。頭が真っ白で、直後のことは正直覚えていません。必死に先生の話を聞くふりをしましたが、本当は頭になんて何も入りませんでした。
待合室に出ると、お母さんが笑顔で「赤ちゃんどーだった?」と言ってくれました。
その時初めて涙がとまらなくなりました。沢山の人がいる病院で、大泣きしました。
旦那が迎えに来てくれて、家に帰って旦那と2人で泣きました。「ごめんね、ごめんなさい」と、それしか言えませんでした。
今、わたしは元気な男の子のお母さんになりました。それはとても幸せで、とても愛しいです。しかし、あの時の経験は一生忘れることはありませんし、あの時、お腹に宿ってくれた子のことも、一生愛していきます。
私にとって1番悲しい経験でしたが、一瞬でもあの子の母でいられたこと、今生まれてきてくれた息子の母でいられること、それは私の誇りで、これからもこの奇跡に感謝していこうと思います。

「わたしの周りで一番勉強ができた人」

36歳 女性のストーリー
中学生の同級生で、落第忍者乱太郎が大好きな女の子でした。
難しい言葉をたくさん知っていて日常会話にも混ぜてきました。
急に変な踊りを踊りはじめたり、そのまま人の周りをぐるぐる回ったりするので、学年の中では少し変わり者として扱われて浮いていて、中には軽いいじめのような扱いをするような同級生がいるようにも見えましたが、本人はとても強い心を持っていて何とも思っていない雰囲気でした。
言いたいことは忖度せずに何でもはっきりと言うようなタイプでした。
来るもの拒まず、去る者追わずの姿勢で、友人関係に関してだけは中学生の同級生に比べてとてもクールに見えました。
勉強を教えてもらおうとしたことがありましたが、どうして分からないのかわからないらしく他の人に聞いてと言われました。
49歳 女性のストーリー
小学6年生の時のクラスメイトの男子です。
当時、成績は5段階評価だったと思うのですが、オール5の成績で学年でもトップにいた男子です。
卒業文集に、将来は政治家になると書いていました。
これだけだと、たんにガリ勉みたいなイメージを持つと思いますが、スポーツ万能な上、クラスメイトの女子だけではなく、他のクラスの女子達からも物凄くモテてました。
本人は、自分が勉強が出来ると言う事を鼻にかける様な人ではなく、目が合えば誰とでもニコニコと話す人だったのでモテて当然です。
私は中学を受験して中高女子校に入ったのですが、偶然、通学途中の電車内で会いました。
当然、その男子は当時、県で1番と言われていた高校に入っていました。
34歳 女性のストーリー
本人にも自覚のある変わり者、文字通り変人。
頭の回転が早く、要領もとてもいい。
学校のテストなどは鮮やかに通過するし、必死に勉強をする様子もないのに何故かいつも成績は高水準で歯がゆさを感じたくらいだった。
しかしコミュニケーションが少しズレていて、会話ができないという訳では無いが、少し噛み合っていない感覚がいつもあった。
本人曰くコミュニケーション情報を集めて、その情報から自分のリアクションやコミュニケーションの手段を決めているというのだから、珍しいとしか言えない。
突然偏食になって納豆しか食べなくなったりもしていたし面白い人、という印象である一方よく分からないところも印象深くて、ミステリアスにすら思わせるほどだった。
30歳 女性のストーリー
私の兄です。
私はあまり勉強は得意な方ではなく、他に熱中することも多かったので成績も良くはありませんでした。
私の兄は昔はやんちゃで勉強も普通くらいでした。
しかし、ある日から突然勉強を始めました。
きっかけは新しいゲームソフトが欲しくて、親に良い成績を取れたらという条件を出された事から始まりました。
新しいソフトが出ると毎回頑張っていました。
そんな事をしているうちに勉強も身についた様で、ごほうびがなくても良い成績を保っていた様です。
ゲームソフトを手に入れる為にそこまで頑張れるのもびっくりでしたが、それを何年も続けて良い高校、大学、今ではシステムエンジニアにまでなってしまいました。
私にはあまり分からない世界ですが、私も見習って勉強したいなと思います。
57歳 男性のストーリー
私の周りで一番勉強ができた人は、やっぱり少し変わった人でした。両親はともに先生で、自宅のその人の部屋にはピアノがありました。もちろんピアノも弾けてショパンの何かしらの曲を弾いてくれました。また音楽は普通の人が聴く歌謡曲やポップスは全く聞かないで、クラシックだけ聞いているとの話でした。成績は東京大学が楽々ぱすできるくらいの実力がありましたが、かっこいいからという理由で慶応大学へ進みました。その後は一流企業に勤めていましたが、結婚はかなり遅く40歳くらいで結婚したようです。今でもたまに同窓会であったりしますが、とんでもない仕切りたがり屋で、カラオケ屋さんに行っても歌うジャンルを一方的に決めたりします。大人になっても風変わりなところは変わっていません。
48歳 女性のストーリー
大学の法学部を首席で卒業して、大学在学中に司法試験に受かって検察官になりましたが、普通の生活では面白くないと言ってアンダ-グラウンドの世界に転職?していってしまった知人がいます。

頭が切れて回転が速いだけではなく、IQが天才並みに高かったですね。ハーバ-ドの大学院に行く予定でしたが、決まりきった人生を歩んで行くのが面白くないと、検察官の仕事もその大学院に進む話も蹴って、ハラハラドキドキのアンダ-グラウンドの世界に行ってしまいました。

同人がその世界に行ってしまってからは一度も会ってはいませんが、まあ、わたしの知人の中では飛びぬけて頭の良い人でしたね。
怖いくらいの頭脳の持ち主でしたよ。

さらに、運動神経も良くて・・・天は二物を与えますね。
22歳 男性のストーリー
私が通っていた高校は、県内ではとても有名な超進学校でした。私は入学試験のときの倍率が低かったおかげで入学できたようなレベルだったので、勉強を必死にしていても下位層にいました。
そんな私と同じ部活動に所属していたAはとても賢い生徒でした。実力試験の1科目の平均点が200点満点中70点程度だったのにAは150点以上の点数を取っていました。私は国語、数学、英語の点数を合計しても150点に届くかどうかだったので、とても尊敬していました。
ある日、私は、せっかく同じ部活動なのだからAに勉強の仕方を教えてもらおうと思い、Aに聞いてみました。すると、Aには「勉強なんて講義を聞けばわかるし、自主勉強はやりたいときにやればいいんだよ」と言われました。その方法では私の学力は低下していくだけです。
格の違いを思い知らされました。
32歳 女性のストーリー
わたしの周りで一番勉強ができた人は、Wスクール先の専門学校の1歳年上の男性でした。

その男性は遠方から通学していたり、非常に女性に人気があって沢山の人とデートをしたりと、明らかに私よりも勉強できる時間が少ないはずなのに、いつも専門学校のテストでは満点か満点に近い点数で、常にクラスのトップの成績でした。

勉強方法を聞いてみましたが、同じように実践しても私はテストで満点を取ることが出来ず、その勉強方法の倍以上の時間を掛けてやっと満点近い成績を取ることが出来ました。

本当に要領がよく、頭のいい人だなぁと男性の事を尊敬していました。

その後お互いに同業種に就職をしましたが、その彼は同業内でも指折りの有名な会社に就職をして、会社のホームページにも顔写真が載るほど昇進して活躍をしているようです。

わたしの周りで一番勉強ができた人は、誰もが納得するような勉強時間を確保していた人ではなく、本当に要領がよく、頭がいい人であって、素質としかいいようがない人でした。

彼との出会いから10年以上経ちますが、彼以上に勉強ができると感じた人は、未だに出会っていません。
21歳 男性のストーリー
わたしの周りで一番勉強ができた人は、私の幼稚園の頃からの幼なじみでした。
彼は学年でもずば抜けて頭が良く、テストの順位も「どうせ1位だ」と思われているような人でした。
しかし、頭の良さをひけらかすことはあまりせず、また、どちらかと言うと影で努力するタイプの人間だったので、嫌な感じはせず、好感度も高い、勉強の他にもスポーツなども何でも出来る、完璧な人間でした。
そんな彼は今、京都の名門国立大学の学生です。
10歳 男性のストーリー
勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強
32歳 女性のストーリー
私の周りで一番勉強ができた人は、旦那です。
とにかく雑学が豊富で、しかも一度インプットした知識はほとんど忘れることはありません。
例えば一緒に水族館に行ったときは、わたしが魚の解説を読むより先に、横から旦那の「これは〇〇という魚で、△△に生息しているよ」という解説が聞こえてきます。
また、あまり会話のときに目を見たり相槌を打ったりしないので、私が「ちゃんと聞いてよ!」と怒り喧嘩になることもありますが、実は聞いていないようでしっかり聞いていて、忘れた頃に「あの時××って言ってたじゃん」と言われてびっくりすることが多々あります。
昔からオタク気質で、周りからは、小学校のときは虫博士、今は車・工具・地理博士と呼ばれています。
そんなわたしたちの2歳の息子は、しっかりオタク遺伝子を受け継ぎ、すでに電車博士になりつつあります。
50歳 女性のストーリー
私の周りで一番勉強ができた人は、何故かウチの長男でした。私も主人もあまり勉強ができない方でした。なので、なぜ、長男が頭が良くなったのかわかりません。家でもずっと勉強するタイプではなく、あまり勉強をしている姿を見たことがなかったです。たぶん授業中に、集中して先生の話を聞いて理解してしまったのだと思います。
スポーツも得意で、部活も熱心に参加していました。だから、あまり勉強する時間がなかったので、余計に授業中頑張れたのかなぁと思います。周りの子にも不思議に思われていました。
私の通知表には、5はたまにしかなかったのですが、息子の通知表は、オール5という時が一度だけあり家族全員がびっくりしてしまいました。
20歳 女性のストーリー
私には2個上の姉がいますが、、、
その姉は本当に頭が良くて、いつもいつも比べられてました。
それでも馬鹿な私にも勉強を教えてくれようとしていましたが、
私が本当に理解が出来ずに???ばっかり頭の上にありました。
高校受験、大学受験ほぼ全て有名なところへ行った姉本当に時間の使い方が上手く、
遊びに行ったりもしてましたし、
バイトとかも結構してました。
なので勉強してた姿はほぼ見たことがありませんが、成績はいつも学年5位以内に入って居て本当に本当に凄い姉です。

家族内で凄く勉強ができる方がいるとプレッシャーとか、両親の圧が凄いですが、何かあった時に大抵答えが帰ってくるので、ありがたいと思う反面この姉の妹じゃなければと思ってしまう所もあります。

28歳 女性のストーリー
私は勉強が好きでも得意な方ではありませんでした。それを補うように塾に通ったりとしていましたが、それでも成績は真ん中辺りをキープするのが精一杯でした。仲良くしていた友人の中に塾にも通わず、自己の勉強のみで成績順位が常に一桁の友人がいました。勉強法を聞いてもとくに変わったことはしておらず、予習復習を欠かさないとだけ言っていました。その友人の両親の学歴が高かったので遺伝も大切なんだと感じたことがありましたが、その友人の兄弟の成績は平凡であったのでそこまで関係ないのかなとも思いました。その友人は高校は近場が良いともっと上の高校も狙えるのにそれなりのところを受験しましたが、大学はかなりレベルの高いところに行っていました。学校は関係なく本人の勉強への意識次第で学力は変わると思いました。
55歳 男性のストーリー
大学時代の友人です。

授業は最低限の出席しかせず、出ても何もせずにしておりました。しかし、テスト前日になると、教科書、人のノートのコピーを元に夜中まで殆ど声を発することなく、ひたすらそれらを読みふけって、完全に理解します。その後、一緒にテスト準備をしている何人か友人達にポイントを教えてくれるのが毎回のことでした。勿論、本人は大体、”優”でした。まわりも、”可”でしのいでいたことを覚えております。

兎に角言えることは、集中力が半端なく、どんな場所でも脳をフル稼働し、凡人が一週間かかる勉強をたった数時間で終えてしまうという凄まじさです。
また、一度覚えたことは忘れないというのも凄かったです。

持って生まれた才能なのか、それとも長年の努力によるものかは今でも分かりません。

その友達は、卒業後、2、3年で自分で事業を起こしました。
44歳 女性のストーリー
私の周りで1番勉強が出来たのは中学校の頃の親友でした。
私は決して真面目とは言えない生徒だったので、テスト前でも勉強なんてせず、買い物やカラオケに行ったりしていました。なので、その私の親友も私と一緒に買い物に行ったり、カラオケに行ったりしていました。それなので、彼女にはほとんど勉強する時間なんてなかったはずなのです。
テスト当日彼女に、勉強した?と聞いても全然してない!と言われたので私達は赤点とるんだなーと思ったのですが、彼女だけはなんと学年4位という好成績だったのです。私は赤点を取ってしまったので、彼女に、本当は勉強したんでしょ?と皮肉っぽく聞きました。しかし彼女は、本当に勉強してないよーと言います。よく考えれば私と遊びわまわっていた彼女に勉強する時間なんてなかったと思います。
私の周りで1番勉強が出来たのは天才タイプの私の親友でした。

「これまでで一番驚いた話」

51歳 男性のストーリー
出張が多く、飛行機を良く使います。
たまに、離島に行く時は10人乗りくらいのセスナ機にも乗ります。
そのようなこともあるので、多少の荒天でのフライトも慣れておりいます。
2年くらい前、荒天ではなかった時のフライトでの話。
離陸後、水平飛行になり、いつものようなフライトで機内サービスを受け、ジュースを飲んでいる時でした。
突然、前の座席の酸素マスクだけがなぜか出てきました。
その時はあまり気にせず、でも初めて酸素マスクが出てきたのをみたので、珍しく眺めていると、音はしなかったのですが、「ドスン」というような感じで、機体が水平に落ちていきました。
すぐに正常な飛行になりましたが、どうやらエアーポケットのようなものに落ちたようでした。
乗客に怪我はなかったようですが、紙コップや本などが一瞬のうちに天井にあたり、すぐに落ちてくる体験を初めてして、非常に驚きました。
無事だったので良かったですが、今でもその時の衝撃は覚えています。
酸素マスクが落ちてきたのは何かの予感だったのかもしれません。
21歳 女性のストーリー
子供が熱を出した日のこと。咳がひどく水も飲めない状態だっため夜間救急の電話をかけたら、その日の対応の病院を紹介された。
念の為サイトを確認したら小児科医も常駐、とのこと。
安心して病院に電話をかけたら衝撃の一言を言われた。
『ただいま内科医しかおりませんのでそれでも宜しければ』
それでも宜しければ?小児科医が居ないことも問題だが、内科医なのにみれるのだろうか?
それを聞いても同じ返答が返ってくるのみ。
見れるか見れないのか!強く聞いても『みれなくはないですけど、、お子さんそんな酷いんですか??』と。
このような夜間対応が進んでない県だとは思わず頭を抱えた。
そしてこんな病院があるのか、とも驚いた。
サイトに嘘を書くのもどうなと思った
47歳 女性のストーリー
私が数年前に住んでいた場所で、とあるコンビニがあったのですが、その土地がまだ店舗を建てる前に、その場所から白いベビが見つかり、逃してあげたみたいです、その数年後にそのお宅のオーナーが宝くじで高額当選し、コンビニを作り後ろ側には、三階建ての家を建築、みんなが羨むような生活だったみたいですが、それから転勤で私達は引っ越したのですが、その後その場所に住んで居た方は命と引き換えだったのでしょうか?そのコンビニの店舗に車が突っ込んで、その宝くじが当たった方も亡くなったらしいと友人に聞きました、やはり人生ってうまくいくばかりじゃない何らかのリスクが伴うのが人生なんだってかなり驚きました、神さまは何らか試練を人には与える物だと考えてしまいました、だって宝くじが当たった人って半数以上の方が、人生狂ってしまうとか、命自体狙われたりとか聞きますからね。
34歳 男性のストーリー
つい最近、交流が途絶えてしまった女性の話ですが、その方は、元々、僕が行く趣味の鉄道模型店にいた方で約6年位前に知り合い、その後、お店を諸事情で辞められてしまいましたが、お店にいる時にSNSで繋がって、辞められてもやり取りをしていて、また、お店にいる時から舞台女優をしている話を聞いていて、ある時、違うSNSへやり取りを変えた事をきっかけに出る舞台へ見に行く事があり、最終的には10回近く行ったと思いますが、そのうちの2回目の時、舞台のパンフレットを購入し、その際、その女性のプロフィールに`ハイスクールマンザイ優勝´と書かれていて、この時は大した大会ではないと思っていましたが、ネットで調べたら吉本興業主催の高校生の漫才全国大会で、しかも、相方の男性からスカウト(相手の事情でコンビ別れしたらしく…)されて組んだ急造コンビな上、約2ヶ月位で東海地区代表となり、そのまま優勝(その際、審査員だったオール巨人師匠が女性を称賛)し、当時の様子も写真と記事がネットに残っていて、見てなお驚きました。
47歳 男性のストーリー
オーストラリアに旅行に行った時の話です。エアーズロック周辺を散策していました。中東あたりの人と仲良くなり、お喋りしながら歩いていました。細い下りの階段に差し掛かり、私は彼の前を歩き、彼は私の後ろを歩いていました。勾配がなだらかで長い階段でした。階段を降りる時は、彼と会話はせず足元に注意しながらゆっくり階段を下りました。時折、少し立ち止まって周りの景色を見回したりしましたが、彼に話しかける事はしませんでした。そして、その階段を下り切った時、後ろを振り返りました。すると何とカンガルーが立っていました。驚いて声も出ませんでした。階段の上を見ると、彼はそこにいました。私が階段を下りている時に感じていた気配はカンガルーだったのです。私はしばらくカンガルーとにらめっこ状態になり、しびれを切らしたカンガルーはどこかに去って行きました。
24歳 女性のストーリー
高校以来の友達がいるのですが
お互い仕事が忙しく、連絡はとっていましたが
会う時間が作れなかった友人がいます。
でもそんな時、久しぶりに空いている日程が合い
久しぶりに会い、今まで会ってなかった時の色んな話を
お互いに喋っていました。
その友人が私と会っていない時に色んなことがあった、と言っていたので
何があったのか聞いてみたら
付き合っていた彼氏が既婚者だったらしく
その人とか子供がいる、と言われびっくりしました。
その彼とは別れてから既婚者と知ったそうなんですが
妊娠発覚をしたのも別れてから、ということでした。
親の支えもあるから1人で育てていく、と腹をくくったらしいですが、まさか子供が出来ているとは思わずびっくりしました。
47歳 女性のストーリー
お店の仕入れが、昨年急に止まってしまったことです。
仕入れ先への支払いが滞っていたらしく、ギフト屋さんだったのですが、入学のお返し時期に品物が入荷しなくなり、びっくりしました。
しかも経営者の店長は自覚がなく、裏に閉じこもり、何もしない状態でした。
結局、支払いが出来ずに仕入れが出来ないお店が未だに続いています。
お客様が欲しいものを仕入れられずに、未だにお店を開けていて何が出来るのか理解が出来ません。
しかも売り上げないのに、従業員は仕入れてくれ!と言っています。

支払いが出来ないので、仕入れられないのに仕入れてくれと言っている従業員しかも30年20年もいてわからないという人たちが言いたいことを言ってます。
正直このお店の状態にびっくりし、従業員店長の言動にも驚きました。
32歳 女性のストーリー
妹と妊娠した時期が一緒だった事です。
息子が11月産まれで、甥っ子が9月産まれでした。
お互いに安定期に入るまで、親にも身内にも内緒にしてたので、安定期に入ってから実家に行って報告したら、あんたも?と母親から言われてん?何?と聞いたら妹が先月の初めに来て妊娠して、予定日は9月だよと言ってたからと言われて本当に驚きました。
それまでランチや買い物行ってたのに、全く妊娠の話をしなかったので本当に驚きました。
私から妹に電話して妊娠したと告げるとえぇーと妹も驚いてました。
でもお互いにおめでとうと言えて幸せでした。
親友にも報告したら、まさかの親友も妊娠中で産まれるのが12月と言ってたので本当に嬉しい驚きの1日でした。
41歳 男性のストーリー
私が経験した、これまでで一番驚いた話です。
新卒で入った会社に勤務していた頃、その年は例年になく業績が好調で、夏のボーナスも前年度比1.5倍程度頂ける状態でした。
しかしながら業績が好調と言うことは、仕事量も半端なく増えてしまい社員一同疲労困憊でした。
そこで社長から、私の部署を1週間休暇としいきなりハワイ旅行をプレゼントされました。
正直なところ、お世辞にも太っ腹とは言えない社長が社員旅行をセッティングしてくれただけでも驚きなのですが、その旅行先で更に驚く事になりました。
飛行機に乗り現地に着いた頃、ホテルの送迎待ちで空港ロビーで待機していました。
そうすると、私の背中の方から日本人女性の話す声が聞こえてきます。別にハワイにおいて日本人が居ることは珍しくもなんともありませんが、どうも聞き覚えのある声なんです。
その女性の方を振り返ると見覚えのある顔が。
なんとその声の主は、自宅の裏手に住んでいる私の従姉妹でした!
しかもその時は知らされていない後に旦那となる男性との極秘旅行に遭遇してしまいました。
身内には内緒にしておいて!と懇願されましたので結婚するまで黙っていました。
38歳 女性のストーリー
いつものようにリビングでゴロゴロしていた時の事。
テレビはいつもつけたままだったのですが突然テレビが私の名前を呼びました。
ビックリしてテレビを観るとその番組は有名人や著名人などその人の生き方や考え方などを取り上げるドキュメンタリー番組でたまたまその日の放送回が世界的に有名なヘアメイクアップアーティストの方でした。
そんな特別に多い名字ではないのですがフルネームが同じで更に私も田舎で美容師をやっているので職業も近いといえば近い。
顔や見た目こそ大きく違うものの年齢も同じ30代でなんだか他人には思えない…と勝手な親近感がわきました。
たまに雑誌やテレビで取り上げられていて名前が聞こえたりするとドキッとするけど同じ名前なんだから私も負けずにキラキラしたいと日々の過ごし方を意識するいいきっかけになりました。
25歳 女性のストーリー
名古屋にセカイノオワリのライブに行った時の話です。
誘ってくれた子は職場の同僚でした。本来一緒に行くはずの子が急遽行けなくなり、代わりに私を誘ったようです。
1日目ライブ、2日目観光の日程でした。
当日泊まる場所など聞かなかったのですが、憶測としてカラオケでオールするのだと思っていました。
ライブ終了後にその子の知り合いだという男の子が車でやって来てました。
なんか変だなと思いながらも車に乗り込むと、なんとその男の子の家に到着し
同僚に聞くとここに泊まると言ってきました
まさかと思い何も無いよね?と聞くと大丈夫との返答。
同僚を信用したのが、私のバカでした。
なんと夜に聞いてはならぬ声が聞こえました。
正直この同僚は見た目はたいへんブサイクで体重80は超えていそうなくらいおデブ。こんな女を抱く人なんて、いないと馬鹿にしてましたが大きな間違いでした。
AVでしかないと思っていた体験をしたまさかの出来事です。
33歳 女性のストーリー
おじいちゃんの家で犬を飼っていました。

白くてかわいい雌犬です。
当時私は小学生でしたが、よく散歩に連れ出していました。
その犬の様子が変な時期がありました。
おてんばでよく脱走したりしようとしていたのに、妙に大人しくなり甘えるように近くに寄ってきたりするのです。
どうしたのかなと思ってたある日、その犬の小屋を見るとソワソワせわしなく動き回っていて、足元に何かひきずっていたのです。
よく見ると、小さく動く生まれたばかりの子犬がそこにいました。
いつの間にか妊娠してまさにその時出産していたのでした。
慌てておじいちゃんを呼んで、とりあえず子犬を出してあげてタオルにくるみました。
可愛い白い子犬が4匹生まれました。
当時小学生の私には思いもやらない驚いた出来事でした。
30歳 女性のストーリー
私が当時とても仲が良かった女の先輩が、社内不倫をしていたことです。
とても仕事ができて、周りに気遣いもできるような常識がある先輩で、社内だけでなく取引先からも好かれていた女性でした。
しかし、他部署から来た年下男性と親しくなり、就業中に社用のパソコンでチャットやメールをしたりして、とても親しくなっていったようです。
彼らと席が近かった人には、チャットやメール画面が見えるようで、周りではかなりの噂になっていました。
私は当初、仲の良い先輩が不倫をしているなんて信じられませんでしたが、本当だったようで、最終的には会社にいづらくなり、10年以上勤務していた会社を退職までしてしまいました。
本当に仲の良い、周りから愛される先輩だったのでこのようなことになり、とても驚きました。
46歳 女性のストーリー
私が37歳の頃、当時住んでいた町の神社にお参りに行くと、「5月のチャンスを逃すな」と声がしました。
私は子供を望んでおり、きっとそのことを言われたのだろうと思いました。
5月のチャンスの日は、夫の会社の会長が急に亡くなられ、葬儀の準備で慌しい日でもありました。
チャンスはないものと思いましたが、夫は神様のおつげと、特別な意味を感じたそうです。
次の月、私には生理がありませんでした。
もしかして妊娠?と思い、ドラッグストアに妊娠検査薬を買いに行って検査してみると、薄っすらとした線が現れました。
その後、病院に行って妊娠していることが分かりました。
37歳という高齢ながら、神様の言葉通りチャンス到来したことが、これまでの人生の中で一番驚いたことです。
38歳 女性のストーリー
以前の勤め先の同期が社内結婚したことです。
その同期は同期の中で一番若誰が見てもかわいかったです。さらに、性格もよくて仕事もできて誰もが羨むパーフェクトな女性でした。入社してすぐに一個上の先輩と付き合い始めました。その先輩もやはりその代では一番スラッとしていて誰が見てもイケメンでした。美男美女で本当にお似合いでした。5年は付き合ったと思います。先輩の方がかなり太ってきて彼女から指摘されても生活を改めず、他にもたくさん理由があったとは思いますが破局しました。
それから数年後、他の同期からその同期が結婚するという話を聞きました。相手を聞いて仰天しました。同じ会社の20歳上の小太りの先輩でした(イケメンではない)。その先輩はバツイチで前の奥さんから浮気されてそれを追及することもなく離婚したというエピソードは社内でも有名でした。仕事ができるわけでもなく、遅刻して社外に迷惑をかけたというエピソードもあり、正直ダメ男のイメージでした。
同期は、両親からももっとふさわしい人がいるんじゃないかと反対されたにもかかわらず結婚しました。
相手を聞いた時の衝撃が忘れられません。
41歳 女性のストーリー
短大を卒業して初めて就職した先でパート勤務をしていた時の事です。
日によっては本社と支社を行き来していたのですが、支社には決して逆らってはいけないお局様と呼ばれるアラフィフの女性がおりました。お局様が多忙な方で昼ご飯はいつも購入される方でした。
ただ、弁当本体ならまだ分かりますが新人もしくはその部下がお局様の購入された付属品のスープを溶き、サラダにドレッシングを設定してお局様の『適温』と感じられる時間にセッティング、もしくは置かないといけないと叱責を受けるというローカルルールを知った時に驚愕しました。
そこまでしないといけないのが社会人なのか、と当時は納得しましたが、次に転職した会社ではありえない話になっておりました。
34歳 男性のストーリー
キャデラック1993年式に乗っていた時、後ろの
ナンバープレートを落っことした話です。
夜、ドライブに出かけて帰る途中、ガソリンを入れにセルフスタンドに行き給油口がトランクの真ん中にあるためそこに移動したところ
なんとなくいつもよりリア周りがすっきりしているなと思ったらあれ、ナンバープレートがないと気付き、
どこかで落としたかしか考えられずとりあえず、警察署に向かいナンバープレートを落っことした旨を伝え紛失届けを提出しました。
1週間後、警察署より電話があり、日本道路公団の方が発見してくれたとのこと。しかしナンバーは多くの車に踏まれごちゃごちゃの状態で見つかりました。
通常、乗用車はリアナンバープレートには封印がしてあった落ちないはずなのでが一体どうやって落ちたのか?とても驚いたお話でした。
43歳 男性のストーリー
大学院でちょうど博士号を取ったころ、生物の研究をしていました。その結果が科学雑誌のNatureに掲載されたのですが、その数日後、新聞に成果について図と一緒に1面に載っていたのです。取材を受けてもおらず、本当にびっくりしました。私の名前もきちんとXX博士がこの成果を出したと書いてあり、え?、なんで?となりました。あとで聞くと、実は当時の私のボスが論文に気づいた新聞社から取材を受けており、私には何故か全く知らされていませんでした。ボスは笑って詳細を教えてくれませんでした。正直に言えばひとこと言って欲しかったです、というのも新聞に掲載された内容に結構重大な勘違いがあったんです。それを発見した時、もう一度ビックリしました。研究者の端くれとして、まちがったことが、新聞とはいえ載るのはちょっと微妙な気持ちでした。
40歳 女性のストーリー
私も今年でアラフォー。
未だ未婚者ですが、結婚願望がもともとないため、アラフォーだからと言って独身で何がわるい?というスタンスでした。
周りにもフリーな人が多いのもそんな気持ちに拍車をかけているのかもしれませんが、昨年なの年末、1つのLINEでのメッセージにビックリし、奥底にあったのかもしれない結婚願望とやらを刺激されてしまいました。
そのLINEをくれたのは、高校時代の女友達。
その友人も独身でした。
彼女は、自分の両親が離婚し結婚生活の嫌なところを散策見てきたから私は一生結婚しないと言い切っていました。
ですが、驚きのLINEの内容は今日、病院に行ってきたらベビーができました。4週目です。という報告でした。
一瞬、エープリルフールだっけ?今日?とスマホのカレンダーを確認してしまいました。
あまりに信じられない報告にお祝い以前にホントか確認してしまいました。
21歳 男性のストーリー
初めて働いてもらった給料での、税金の引かれ方に、驚きました。

学生時代、平均3万前後が給与から引かれるものかと思っていたのが、実はそうではなく

私の場合、引かれる前の金額と引かれた後の給与の差額が何度か20万ほど

引かれていたことがあり、とても驚きました。

その都度、あんなに頑張って残業してこの給料かよと嘆いていました。

子供の時は、税金税金自体が、そこまで高くないように感じていましたが

実際はそんなことはなく、年々ん働き手からの天引きが高いことが

わかり、驚きました。

その反面、税金の高さに文句言わない人が多くてそこにも驚きました。

働き方改革が叫ばれるのなら、給与から引かれる金額も見直してほしいように感じました
29歳 女性のストーリー
タイムリーですが、京都アニメーションの火災にとても驚きました。
私は平成2年生まれで、29年間35人も個人が殺害をする事件にあったことはなく、サリン事件よりも大きな事件と聞いて本当に信じられないなと思うばかりです。
また、アニメ業界で働いている友人も多く、危なかった子もいたので、関東に住んでいても遠く感じませんでした。
なによりも、自分が2日前に水泳がテーマの京都アニメーションが作成した映画を見たばかりだったので、最初はボヤくらいだろうと楽観視する程、現実味がなくましてや死者がでるなんて思いもしなかったです。
そして犯人も意識不明の重体でこのまま何もわからないまま事件が終わってしまうのかもしれないと思うとやりきれない気持ちもあります。
本当に今でも信じられず、友人が無事だったことが唯一の幸いでした。
45歳 女性のストーリー
知り合いの50代男性の話です。
以前は、公立高校で教諭として勤務しており、野球部の顧問としても頑張っていました。奥様、子どもと幸せそうな家庭も築き、仲間からも慕われ、誰もが羨む生活をしていました。
あるときから、高野連の地方支部の会計の仕事を任されるようになりました。数年後、監査の結果、横領が発覚し、高校教諭を辞めました。解雇ではなく、辞任という形にもなぜ?とびっくりしましたが、その半年後、地元の金融業の社長室付き、新人教育係として地方ではナンバーワンシェアを誇る大企業に就職しました。
奥様のお父様がその大企業の偉い方ということで、高野連の問題も、高校を辞任するという形も、次の就職口も大ごとにならず、秘密裡、忖度で決まったということです。
彼は、いまだに大きな顔をして、毎年、入ってくる新人さんに「社会人とは」などと、新人教育をしています。
横領した人が金融業の新人教育係ということにも驚きですが、やはり世の中は、コネなんだなと驚いた話です。

「」

29歳 男性のストーリー
中学生の頃、家庭教師のお姉さんに自転車で家に来てもらっていました。
その自転車を見て、隣の隣にすむ同級生男子が「これ、友達の盗まれた自転車だ!」と言ってきました。
後から聞くと、お姉さんの自転車は弟さんが貸してくれたそうですが、彼にどこから持ってきたかを聞くと、返答がしどろもどろだったそうです。
お姉さんは気まずくなり、他の家庭教師の方と交代されました。
奇跡的な巡り合わせと世間の狭さを感じました。

「これまでで一番驚いた話」

46歳 女性のストーリー
驚いた話はいくつかあります

夫の妹さん、入籍したと私にメールで知らせてくれました
「おめでとう、こちらこそよろしくお願いします」とお返事しました

数日後、夫から顔合わせをすると言われました
わたしが必要な情報は 日時と場所 です
場所は夫が車で連れていってくれるので問題ありません

私) 「いつ?」

夫) 「あした」

え-------!!!明日!? もう少し余裕ほしいな。と思いました

無事結婚式もおわり、数年後マイホームを買ったと夫から聞いたので電話で直接お祝いを伝えました

 私)引っ越しはいつ?
義妹)来年の2~3月を考えています
 私)日程決まったら教えてね、手伝いにいくよ!

電話を切って数日後、仕事から戻った夫が妹さんから引っ越しの連絡がきたと言われました

私)いつなの?
夫)今日。
私)え-------!!!!!?? (また?) 

引っ越し業者に頼んでいたようで結局手伝いにはいってませんが、このようなことがありました
48歳 女性のストーリー
 これまでに一番驚いた話は、今から32年前に高校から自宅への帰宅途中、自身に起きた出来事です。

 当時、自宅→自転車→JR→徒歩通学をしていました。その日はテスト休みだったので、JRを途中下車して買い物へ行き、夕方自宅へ帰るところでした。

利用しているJR駅前が珍しく人通りが少なかったことを覚えています。

駅前交差点で信号待ちをして、青信号になったので横断歩道を渡ろうとすると、赤信号のはずの車道側も青信号。車、歩行者用4つの信号機が全て青信号に驚いた時、頭上でピカッと光る物体を発見しました。明らかに未確認飛行物体です。

何が起きたのだろうと考え出した時には、赤信号で当たり前のように車が目の前で停車しています。

恐らく地球より文明が発達した宇宙人が地球へ遊びに来て、ちょっとイタズラをしたのだろうと考えました。
24歳 女性のストーリー
小学生の時に一戸建てに家族で引っ越し
初めて自分の部屋がもててとても嬉しかったのです。結構広い部屋で
兄弟たちの中では一番広い部屋をもらえて
ベッドも買ってもらい小学生さながら
テンションはMAX、部屋の模様替えや
物の配置などとても楽しかったのを覚えてます。
3ヶ月ほど経ち
家での生活、新しい小学生にも慣れた頃
私の部屋は2階の道路側に面したところなのですが
窓の横をコンコンコンコンとノックされる音がして
最初は風かな〜と思ってたのですが
何度も何度もノックをされ
窓を開けて確認しても誰もいません。
外は真っ暗でした。
次の日体調を崩して寝込んでいるとまた、
コンコンとノックされて
さすがに腹が立ち、ドン!!!!と壁を叩いてしまいました。
けれどなぜかその後10年住んでましたが
それ以来一切ノックされることはなくなり
怖かったというよりも
ノックしてた人?霊?にもびっくりしました。
私の生きてきた人生で一番びっくりしたことです。
32歳 女性のストーリー
弟の結婚についてです。
弟は学生の頃からお付き合いをしていた彼女がいました。長いお付き合いで私や親の誕生日やイベントもお祝いしてくれる優しく気遣いが出来る子でした。ただご両親が離婚していて家庭も何かと問題がありました。母は宗教にとても熱心で私たち家族を加入するようしつこく勧誘してきていました。私の両親は何度も断っていました。父はいわゆる酒乱でお酒を飲むと記憶をなくし暴れていました。弟も暴力を振るわれ、私たち家族には恐喝をしていました。お前の息子を殺す、教育がなってない、お前たち家族は頭がおかしいなどです。そのせいもあり両親はお付き合いを認めたくないとゆうか彼女に明らかに嫌な態度をとっていました。たしかに結婚となると親戚付き合いをしなくてはいけないし、何かと不自由が生じると思います。でも2人の事で両親よりも若い2人をみていきたいと私は思っていました。そしてある日、弟から結婚の話が出てついにきたかと思ったら別の女性でした。一年前から弟が浮気をしていた方でした。色々とびっくりして結婚にたいしいまだにおめでとうとは言えません。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

26歳 女性のストーリー
私の大学時代の友人に超がつくほどお金持ちの子がいました。身につけているものはほとんど全てがブランド物。カバンも何個もブランドのものを持っており、携帯ケースも1個1万はするであろうものを1ヶ月と言わずに変えていました。社会人になった今でも交流があり3ヶ月に1回の頻度で会っていますが、やはり毎回携帯ケースも変わっており、ストックも常に5個ほどあるようです。もちろん携帯も常に最新のiphoneを持っています。そんな彼女の凄いところは、お金は全て両親持ちという点です。どうやら学生時代から彼女専用のカードがあるらしくそれで自由に買い物をしているそうです。一番驚いたエピソードは、むしゃくしゃした時にストレス発散でショッピングをしたのですが、知らぬ間にカード上限を超えたと笑って言っていた時は本当に驚きました。
34歳 男性のストーリー
私の周りでの一番のお金持ちの話を述べますと、ボランティア仲間の男性です。
30歳の時に離職をし、今では株と実家の仕送りだけで生計を立てております。
定職も一切していません。
さらには家も2件も借りており、相当のお金持ちであると感じました。
その根拠となる出来事を述べます。
ボランティア活動中に仕事について聞かれました。
私は現在障害者雇用で働き、手取りで12万程だといった所こう彼は述べました。
「君がその気なら20万貸すよ、返す日はいつでも構わない。
君自身、障害を持っている事はこれからの世の中の変革に対応するのは大変だ。
消費税増税やらAIやスマートフォンを使いこなすやら技術進歩で大変だろう。
無理はするな。
その気になったらいつでも貸す」と話をしました。
彼自身は、まじめで一生懸命にキチンとボランティア活動をしています。
今は私は働きつつも自分で生活してやっています。
でも本当に困ることがあれば、その時にキチンと状況説明をして、借りようと思っております。
31歳 女性のストーリー
友人は都心に家を持っていて、家族の人数分車所有しています。
もちろん駐車場付き。

お肉はブランド牛のA5ランクしか食べたことがないそうで、自宅で料理するときもA5ランクのお肉を配達してもらうんだとか。
またおばあちゃんの自宅には、一般人には馴染みのない行商さんが来て、宝石やら毛皮やら高級品を売るそうです。
それに対し、欲しいものがなくても、何十万もするものをお情けで毎度毎度購入するそうです。
どうしてそんなにお金があるのか、はっきりとした事は分かりませんが、戦後の土地が安い時に都内の土地をたくさん買ったとかで、それを上手く運用している様子。
いい土地を持っていると、子孫にも楽をさせられ、余るくらいお金があるんだなと驚きました。
30歳 女性のストーリー
会社の友人です。友人のご両親が大企業の役員でかなりのお金持ちです。
彼は、最近都内のタワーマンションを購入。遊びにいきましたが、家具や家電も一流品ばかり。
驚いたのが、ものは基本的に使い捨てということ。メンテナンスして何度も使う労力がもったいないだとか。
庶民の私には目から鱗の発想でしたが、本当に使い捨てしている光景を見て、なんだか気持ちよかったです。
そして不要になったものは、友達にあげるという気前の良さ。この余裕が彼を更なるお金持ちにしているのかも。
羨ましいのが、お金持ちのご両親に毎年海外旅行に連れて行ってもらっているのです。
ときには、航空券だけが送られてくるときもあるそうです。
ここまでお金持ちで、気前よく散財している姿を見て、嫉妬を超えてかっこよく思えます。
22歳 女性のストーリー
社長関係の知り合いが多くいますが、お金持ちの人は大体、車3台くらいは保有してます。
おまけに愛人も結構な確率で居ます。
奥さんとは真反対なタイプが多いですね。
でも、お話を聞く限りだと奥さんもその人に相応しいくらいの寛大で頭のいい奥さんが多いです。
家もめちゃくちゃ広いですし、接待という名の社長関係で毎週のように飲んでます。
やはり男の人のお金持ちは自動車が好きなようでバイク、ジェットスキーなど趣味も幅広く持っている方が多いです。
性格も気さくな方が多いですね。やはりお金を持ってる分余裕があるのかと思いますが、寛大です。
ですが、社長関係の中でも位の低い人は性格にも余裕がなく怒ったりなどしているので、やはりトップの人柄などで収入も変わってくるのかなと思いました。
44歳 女性のストーリー
私の元上司の話です。休日1日はいろんな勉強しているという努力家の方でした。独学で英語もペラペラです。若い時から投資をやっていた方のようで株や先物取引を先駆けてやっていました。

少し若い奥さんをもらい子どももうまれました。子どもが生まれると子ども子どもとなりがちですが、彼は自分が死んだ後妻が困らないようなお金は残して、子どもは自分の力で生きていけばいいという考えの持ち主です。

その地域では高級エリアの高層階のマンションを買い、家具にもこだわり、奥さんは専業主婦で自由にしています。今では奥さんも料理教室を開くまでになりました。子どもも3歳から外国人の英語教師をつけ、小学校から私学に入れています。

年に一度は家族で海外旅行に行き、国内旅行にもちょいちょい出かけています。最近では自身だけで1週間ヨーロッパ旅行をしていましたね。
羨ましい限りです。しっかりものの旦那さんなら安心して任せられますね。
22歳 女性のストーリー
現在大学生なのですが、パパ活だけで生計を立てている子がいます。最初はキャバ嬢をしていた子のですが気付けばパパ活を始めてそのままキャバ嬢をやめて、パパを10人ほど作り、毎月100万程パパに貰い学費も自分で払いながらかなり自由な生活をしているみたいです。
話を聞いていてもパパは55~70位の年配の方が多いらしく、身体の関係は一切ないようです。
男性の方も忙しいらしくそんなに会えなからお手当も貰えないからと言って毎月パパが増えているみたいなので、毎月お手当の額も増えているようです。
今ではBMWの車もマンションも買ってもらっているようで、大学生では有り得ないような生活を毎日送っています。見てるだけでめちゃくちゃ羨ましいです。
47歳 女性のストーリー
私の住む場所の近辺では、かなりの土地を所有していて、その場所とかに有名な飲食店やスーパーを建てたり、マンションにアパートその他手広く資産運用している一族がいらっしゃります。

有名過ぎて誰でも知ってる程の資産家です、高い土地を祖父の代から持っているからか、その一族の息子さんや娘さんは趣味で個人経営の飲食店を開いてたりして、またお金に余裕があるからか、閉店時間が物凄く早かったり、美味しいのに、あまり食数を増やさないのも凄い所です。

やはり乗っている車も、有名な外車とかだし、噂によればその一族の息子さんはギャンブルとかもお好きで、毎日パチンコに来ては何十万円くらいは毎日使ったりしているとか聞いた事もあります。
26歳 男性のストーリー
祖父が一番お金持ちです。
祖父は公務員であり、Wikipediaで調べても名前が出てくる人物であり、勲等を授与されたこともあり、私がとても尊敬する人です。

孫の私にはとてもやさしいのですが、仕事ではかなり厳しいという話を聞き、とても驚きました。

趣味が植木や庭の手入れなのですが、私も小さいころにお手伝いをしたことを覚えています。
自宅の庭で野菜や果物を育てており、祖父宅へ遊びにいくといつも何かしらもらって帰っています。

また、祖父は仕事のことのみならず、様々なことを知っており、仕事を引退されてもなお、色々なことの挑戦していっています。

私自身も色々なことに興味を持ち今後生きていかなければならないと思わせてくれるお手本のような人です。
39歳 男性のストーリー
正確な年齢は覚えていないのですが、おそらく40代後半の方です。
その方は結婚をされていて、まだお子さんはいらっしゃいませんでした。
数年前に自宅で飲み会をしようと呼ばれた事があり、行かせてもらいました。
少し仕事で時間の余裕が出来ると、海外や国内の旅行に行った話は聞いていたので、もしかしたら家も相当なモノなのかな?っと思っていました。
予想通りマンションの最上階ワンフロア全てが自宅で屋上つき。
その屋上もかなりの大人数でBBQができそうな程の大きさでした。
少し広めの庭なイメージです。
室内も仕切りが少なく、解放的な作りで、何畳あるの?ってぐらいの部屋です。
リゾートホテルみたいなお洒落な作りでした。
部屋内にある家具も拘りを持っていて、ソファ・ベットも値段は聞いていないのですが、相当気持ちよかったです。
仕事が車関係の方だったので、駐車場に止まっている車も高級車がズラリ3台!気分によって使い分けているみたいです。
よく奥さんと2人でドライブに行かれていて、日帰りで近隣の県に食べ歩きをされていました。
美味しいものを食べる事が趣味と仰っていました。
その度にお土産を頂いていましたが、ただただ羨ましい限りです。
24歳 女性のストーリー
私の幼稚園の同級生が一番お金持ちでした。
私が通っていた幼稚園は名進研の系列の私立の幼稚園だったのでお金持ちの人はいっぱいいましたが、その人の誕生日パーティーをするから家に遊びに来てよと言われ、家に行った時外見はそこまで大きいとは思わなかったですが、中に入ってみると奥行きがありとても広い豪邸でした。
その時に出てきたケーキもキャラクターのついた大きいケーキでびっくりしました。
それよりも驚いたのは家の中を探検していたときのことです。
都会のど真ん中の家の中に大きな露天風呂があったのです。
もちろん普通のお風呂もありましたが、その日は晴れていたので男女別れてその露天風呂に入れてもらいました。
旅館やホテルでしか見たことなかった露天風呂が家の中にあるとは思いませんでした。
49歳 女性のストーリー
身内の話で申し訳ないのですが、私の1番身近なお金持ちの人は旦那の母親です。
旦那の母親の両親の話まで行くと身元がバレてしまうので簡単な説明になってしまうのと、夫婦であっても旦那の父親は逆玉の輿なので、資産は全て母親のになります。
海外在住ですが、私の旦那の母親はある地方で工場経営をしていたり牧場(牛2000頭くらい)も持っていています。
後は地方に家を15軒所有しており他の方に賃貸で貸しています。
私は結婚するまで旦那の母親が金持ちだと言う事を知りませんでした。
結婚式が終わった時に、私にはエメラルドとダイヤモンド(鑑定書付)の指輪とピアス、ブラックパールのネックレスをくれて、私達には結婚祝いと言う事でトヨタの新車と一軒家を買ってくれました。
はい、これと鍵を渡された時は驚きました。
私は経済大国日本からの嫁です、旦那は途上国の国民です。
日本ではこの様な義理の母の様な方に会った事は無いです(身内と言う意味です)
23歳 女性のストーリー
40代の親戚の男性が、私の周りだとお金持ちだと思います。
結婚されてないので、休日は趣味で出かけたりしていました。
その趣味が、まずは自電車、釣りと至って普通なんですが、その人は大体のものが高級品で自転車なんか20万くらいのを即決で購入するところを見てびっくりしました。
それからは高級車を持ったり、大型テレビや時計など購入品のコレクションが凄すぎて少し羨ましかったです。
さらには一軒家に住んでいるので最近は、リビングをリノベーションして派手なピンク色のキッチンで驚きました。
最近ではもう一つの家として何千万のマンションを一括購入したそうです。
お金を持っている人は飛び抜けていて清々しいと思いました。
これだけ使ってくれたら経済も回るので有り難いと庶民は思っています。
46歳 女性のストーリー
職場の同僚が結婚したおじさんが一番のお金持ちだと思う。
仕事は飲食店を何軒か持っている社長さん。
普段はぱっとしないおじさんだが彼女と付き合っていたときに誕生日プレゼントに車を買ってくれた。
しかもクラウンで新車、わりといいクラスだった。
その他にも三連休などちょっとした連休では韓国や台湾などの近場の海外にお出かけする。
夏休みやゴールデンウィークなど長期の休みはハワイなど。
海外旅行だけで年に10回近くは行っていると思う。
結婚式はもちろんハワイでコテージを借りきって招待客もたくさん招いた様子。
あげくのはてには生まれたこどもはインターナショナルスクールに通わせている。
私たちの県は田舎なので隣の県まで新幹線通学させている。
自分にはあまりお金をかけないが請われるとどんどん出費するおじさんが一番お金持ちです。
24歳 女性のストーリー
何十万点もする指輪やネックレスを平気で買ったり
服も2着で5万円するような服を悩むことなく即買ったりしていた友人がいます。
基本欲しいと思った物は高くても買う、といつも言っています。
また乗ってる車がハリアーを乗っていたりするので
維持費も高いとは思いますが、相当お金を持っているんだな、と思いました。
ご飯行った時は必ず奢ってくれて、お金を一度も出したことがありません。
また誕生日プレゼントも少し高級な腕時計をくれました。
さらに普段行くことがない、高い焼き肉も食べさせてくれました。
自分にお金を使うより、友達などにお金を使って喜ばせたいと言っていましたが
その思考は私には理解ができず、お金を持っているからこその思考だなと思いました。
37歳 男性のストーリー
20歳前半で1等ジャンボ宝くじが当たった人がいます。
時間をかけて家族で世界一周旅行に行き、人生を満喫した後、地元の自治体やNPO法人等の公共の福祉のために寄付をしている人がいる。
お金がありすぎて持て余している感じがするが、特段、人生が狂うわけでもなく、日々平穏に暮らしており、農業や軽作業をして過ごしています。
一言でお金持ちといえども、千差万別でお金をどう使うのかは、その人次第です。
周りの環境や友人や関係する金融機関の人の影響も少なからずあるのかもしれませんが、結局は人に流されて騙される人間はお金持ちにはなれません。
自分で自分の生き方を考えて、出来ている友人がお金持ちになることは良い事だと思います。
30歳 女性のストーリー
友人の男性の家が不動産を持ってるお家。
京都一帯を管理しているお父さんを持ってるのでお金持ち。
マンションの4フロアを所有していて、友人の部屋は1フロア全部。
お父さんからベンツを買ってもらい、それで大学通学。
もちろんお手伝いさん付き。
友人には靴を買ったりご飯をおごったりと周りへも大盤振る舞い。
ただ、庶民をバカにしているところがあるのが残念。
口が悪く、すぐに「これだから貧乏人」はと話す。
そのため、それほど周りに好かれていたわけではない。
なにしろ自分のお金ではなく、親のお金を使っているわけです。
そのためその男性に対する尊敬も周りはなし。
ただ、お金を持っていることをうまく周りも利用していい思いをしている感じ。
32歳 女性のストーリー
いとこのお姉さんです。
ご夫婦で会社を経営してるので次元が違います。
年商などは知りませんが、車はお兄さんがマセラティお姉さんはベントレーに乗っています。
車好きな私からすると羨ましいです。
後7台程所有していると聞きました。
見たことないので車種は分かりませんが、テスラ、フェラーリ、ランボルギーニ、アウディ、レクサス、ベンツ、があるそうです。
身内の集まりのご飯会などは全てご馳走してくれます。
温泉旅行なども一緒に行きましたが、宿はテレビで見た高級宿だったので驚いたり、私が海外旅行好きなので、LINEでどこに行ったことあるのー?と聞いてくれてそれ以外で行きたい場所あるならそこを今度身内の旅行にしようと思ってると言ってくれて、モルディブに連れて行ってくれたのが本当に嬉しかったです。
40歳 男性のストーリー
田舎住まいですが相当貯め込んでいるようです。
以前母が入院したときは「お見舞い金」だと言って100万円が届きました。
流石にそんなに受け取れないと言いましたが、好きに使ってくれとのこと。
また、母の退院後の自宅のリフォームの費用も全て出してくれましたが、その直後にまた新たに田舎に一軒家を建てて、農園が出来るほどの土地とカフェが開けるほどの物件も購入していました。

どこから出たお金なのだろう?と思いましたが、どうやら配偶者の遺産のようです。
カフェをやっている程度で、他に特に仕事をしていないので正直羨ましいです。
おそらくこのまま財産を使い切ってから天寿を全うするつもりなのだと思います。
とあるロックバンドが好きで、ツアーで遠征などもしています。
30歳 女性のストーリー
元同僚は、実家暮らしでドケチなのでお金持ちです。
週に何度も趣味のプラモデルを買って、時間があれば作る。
年に2回は、友達の車で遠出して旅行。
友達から誘われたら、オールで飲み会。
週末は、一人カラオケや温泉へ行く。
毎週、木曜日と金曜日のお昼は、外食の日と決まってたらしく、何がなんでも外食してました。
仕事の話が昼休みに被るとずっとソワソワして、早く外食に行きたいアピールをしていました。
婚活パーティーや街コンにも積極的に参加してます。
しかし、他人にはお金は使いたくないようで、冗談で「奢って!」と言っても「金ないですよ」と言ったり、奢ってくれても領収書をもらったりします。
お金持ちは、他人にお金を払うことをしないので、自分は物を与えられて当たり前。
と思ってるから、お金持ちなんだと思います。
41歳 男性のストーリー
私の知り合いの中で、最もお金持ち(推定)の方についてです。
その方は50代前半の地方公務員で、奥さんと大学生の子供が2人の4人家族です。
職業も市役所の一般職で身なりや車も極めて普通で、自宅に至っては築40年近いお世辞にも綺麗とは言いがたい状態です。
しかしこの方、この地区の大身庄屋の子孫で、持っている土地の広さが半端ないのです。
その所有地に、大手企業の工場や大型ショッピングモールが建っています。また最近では一部の山を宅地造成のために開発業者へ売却したとのことです。
本人から少し聞きましたが、借地代だけで一月あたり200万以上の収入があるとのことです。
しかし前述したとおり、見た目には全くそのような素振りも見せないのでこの事実を知っている人間は私を含めてごく僅かです。
しかし、そのお金持ちっぷりが判るのが東京の大学への進学が決まった長男への投資の仕方です。
下宿ではなく、都内某所に大学生の長男のためにマンションを購入してあげました。また、バイトせずとも勉強に専念出来るように仕送りを月に30万円!
そして車は某ドイツ製高級車を与えていました。
一見親の甘やかしかと思いますが、この長男はその仕送り等を最大限に利用し、勉強に打ち込んでおり、国家公務員1種を目標としているとのことです。
38歳 男性のストーリー
私の元部下の人の話です。5年前までは、私の部下でしたが、昔からやりたいことがあると言っており、ようやく準備ができたので退職して、起業をしました。その方は、国籍が中国の方なのですが、日本語はN1レベルで日本人である私すらかないませんでした。この3年で年商を一億円まであげており、かなりのやり手だと思います。今話題になっている、外国人の方の職業支援をメインに行っており、自身の言語能力を活用しています。7か国語を習得しており、各国を回ってはいろんな国籍の方の職業支援を行っております。週1で、旅行にも行っており、従業員の人たちと写っている写真を常にフェイスブックは更新され、楽しい情報を発信しているので間違いなくお金持ちだと言えます。
23歳 女性のストーリー
高校生時代の友人です。
友人のお父さんが美容院を経営している方でした。
いつも話の次元が違っていました。基本的に習い事は、どこかに習いにいくのではなく自宅に講師がくるという形でした。
家庭教師の方や、バイオリンの先生など様々な習い事をしていました。

家はタワーマンションでとてもひろく、外の景観がとてもきれいでした。
トイプードルとマンチカンを購入したそうで、家全体が高級感にあふれています。
ペッパーというロボットも家においてありました。

洋服もブランドものばかりでした。
普段から、次元が異なっており、周囲の人からは「また自慢だ」と煙たがられていました。
本人にとっては、当たり前の生活だと思うので悪気はないんだろなと思っていました。
34歳 女性のストーリー
建設会社を経営している母の友人。
我が家が金銭的に苦しいとき、私立大学に通っている兄の学費を無条件に出してくれ、それについての返済は求めないと言ってくれている。
母はその友人の悩みや家族の愚痴などをよく聞いてあげているらしく、友人にとって母はなくてはならない存在の様子。
旅行とかよく誘ってくれるが、一般家庭の我が家では行きそうにないところ(豪華客船、列車の旅等)の時は、全て費用を出してくれる。
些細な額のときには、母も費用を払っているようで、それを断らないところも、気を遣わせない対応で好感がもてる。
車や家とかはこだわりがなく、普通より少し良いものを使っている程度だけど、人のために使うお金には額を問わないところが、本当のお金持ちだなと感じる。
34歳 女性のストーリー
元職場の同期。
その同期は、結婚相手として将来養ってもらえるような人(外見は多少タイプでなくてもよかった)を探し、IT関係の自営業をしている男性と結婚した。
現在は、2人の子どもに恵まれ、1人を出産したあとは、専業主婦として生活している。
本人は「旦那が自営業だし雇い主だからお給料を払う側だし、将来どうなるか不安」と言っているが、こどもは、いつもブランドの服を着て、おもちゃも高級、旅行も北海道から沖縄、海外も年に何度も行っており、持ち家はないものの住宅は高級マンションで月20万以上はしそうなマンションにすんでいる。
同期は料理が苦手だそうで、AI機能が搭載された調理器具を何台も持っており、犬も飼っている、どうみてもセレブな生活をしている。
31歳 男性のストーリー
職場の同僚の方で年齢は60近くの男性。
趣味は多岐にわたるが、別荘を2件所持している。
最近までもう1件所持していた。
クルーザー船も所持しているのを見たことがある。
自分と同じ身分で給与にもさほど差がないにも関わらず、そのようなものを買うための資金をどこから調達してくるのかはわからない。
聞くところによると、知り合いの中にはどこかの社長のような身分の人が多いらしい。
プレゼントでもらったという100万超のロレックスはいつも身につけている。
車も複数所持していて、車を買い替える話しも複数回聞いたことがある。
自分も車を買わないかとすすめられたが、お断りをした。
別荘に遊びに誘われることもあったが、お金の出所がわからない方なので、あまりかかわらないようにしている。
41歳 女性のストーリー
知り合いにフィリピン系中国人がいますが、とても豊かな暮らしをしています。
家業が何なのか謎でしたが、どうやら不動産収入が大きいようです。
10年程前ワンルームタイプのコンドミニアムをビジネスタウンに一棟建設し、所有しています。
では家業がディベロッパーなのかと思いきやそういうこともないようで、手広く様々な事業を行っているようです。
彼らには5人の子どもがおりますが、運転手に加え、子どもひとりにつき、ヘルパーがひとりついている為大人数になり、パーティーなどでは御一行様という状態です。
一番末の幼い男の子には、ふたりのヘルパーが付き添っていました。
夫婦はふたりだけで、毎年長期の海外旅行に出てしまうので、その間の子ども達の世話など、随分とヘルパーを信頼されているのだなと驚きます。
57歳 女性のストーリー
母のお友達グループの中の一人です。
といっても母はもうじき80歳になりますが、そのお友達はまだ60過ぎ。
ご主人は保険会社に勤務していらしたのですが、数年前、定年を待たずに急逝されました。
とてもお元気で、意欲に溢れた仕事熱心な方だったそうで、突然のことに回りも本当に信じられなかったほどだそうです。
そのご主人が掛けていた保険金が1億。
保険会社に勤めていたので、必然的に何口かの保険に入っていたらしいです。
子供がいないので、それの全てが奥さんのところに。
ご主人を亡くされた当初は落ち込んでいたらしいのですが、もともと明るい性格の方なので、時間とともに元気を取り戻し、今では自分の思うままに気楽な生活を楽しんでいるとのことです。
j乗馬クラブに通い、年に数回はハワイ旅行。
健康に良いといわれる磁気のブレスレットをなんと50万で買われたといってました。
毎日やりくりに四苦八苦している身には、羨ましい限りです。
34歳 女性のストーリー
以前勤めていた会社の上司と一緒に、上司の知人に挨拶に行ったことがあります。
健康食品の販売や美容系の講習などを行っている方で、自宅である都内のマンションにお邪魔しました。
天井の高い、何十畳もありそうな広~いリビングに通され、そのお宅ではお手伝いさんとそのお子さんも一緒に暮らしているようでした。
忙しくされているようで、日本全国や海外を転々とされているようで、翌日も海外で仕事だと言っていました。
眺めの良いリビングでハーブティーをいただきながらお話を聞いている時間が、とても非現実な感じがしたのを覚えています。
後日、あのマンションの家賃がわたしの給料半年分に匹敵するような金額だったと聞き、世の中にはそういう部屋に簡単に住めちゃう人がいるんだなと感じました。
そんな、自分にとっては殿上人のような方でしたが、液晶がバキバキに割れたスマホを持っていたのがギャップを感じてちょっとおもしろかったです。
33歳 女性のストーリー
私の友人でMRの仕事をしている30代後半の男性がいます。
彼は勉強家でよくビジネス関連の書籍を読んでいたり、動画を見ています。
彼は仕事の休みを利用してよく海外に旅行しています。
おそらく100か国以上は旅していると思います。
東京の一等地に一人暮らしをし、最近ではマンションを購入して家賃収入も得ているとのことです。
彼の買い物を見ていると高いお酒や食材を値段を見ずに購入している感じでした。
高級なレストランやバーにもよく出かけているようです。
独身でお金を資産運用しながらプライベートも楽しんでいる感じです。
やりたいこと、食べたい物、行きたい場所などにお金を惜しまず使っている様子は私の周りの中で一番お金を使っている感じに見えます。
43歳 男性のストーリー
私の大学時代の先生はもう停年退職されておられますが、
金融資産は1億以上あるとのことです。
東大卒業で、博士号を持ち、大学の教員となり、国立大学の教授と
なられたので、生活は全く困ってないようでした。
退職金も3000万円以上もらったそうです。
自分で行なっていた資産運用でも1000万円以上の利益が出ているようです。
現在は、80歳で、元気に暮らしておられます。
その先生は、健康に気をつけておられましたが、
国立大学の教授になった先生でも、若くして病気で亡くなられる先生も
おられました。
せっかく仕事で第一線に立つことができても、途中で亡くなっては、
日本国にとっても損失ですが、残された家族もとても悲しい思いをされるでしょう。
22歳 女性のストーリー
私の周りで1番お金持ちな人は、中学生のときの同級生で、まず中学生の月のお小遣いが1万5千だったということが衝撃的でした。その子自身はお金持ちアピールとかは全くせずに、ただお小遣いの話をしてた時にそれを普通に話していて、周りにいた友達は、みんなびっくりしていました。
お父さんは医者をしているとは聞きましたが、お母さんも働いており、何をしているかは知りません。
家に遊びに行った時、三階建ての一軒家で、リビングは開放感があり、バーベキューができるくらいのテラスみたいなのがありました。二階の部屋は、普通より少し広いくらいの、部屋でした。3階には、少し狭いけれどシアタールームみたいなのがあって、映画館みたい雰囲気のお部屋がありました。これにもびっくりしました。
その子は一人っ子で、特に習い事をたくさんしてるわけでもなく、ピアノが上手でマイペースな子でした。
26歳 女性のストーリー
亡くなった祖父。
生き物が好きな人だったが、多忙で世話ができず、現役時代はひたすら剥製を集めて客間に飾っていた。
現役を退いてからは離れを建てて、各種鳥類をそこで飼っていた。
また、裏庭を拡張して犬も飼い始めた。
母屋のメインダイニングにはアクアリウムが置かれ、母屋の庭(表庭)には池を作って番の鴨を泳がせていた。

いったいいくらかけていたのか孫の私にはわからないが、母や伯母叔父の話しぶりを見ると、動物だけでなく子や孫の生活費・学費、福祉関係にも惜しみなく援助していたようだ。おかげで学歴は一族のある世代以降は全員大学以上である。病弱だった祖母は手厚い医療サービスを受けていた。
祖母が亡くなってからめっきり気落ちし、祖父自身も病床に伏したが、自分の飼った動物たちを見送るまでは生きていた。

運の強さとノブレスオブリージュの精神を持った偉大な祖父だった。
25歳 女性のストーリー
私の高校時代の同級生で毎月ディズニーに行っている子がいました。
母は看護師さん、父は郵便局員さんで両親がディズニー好きなことから幼稚園のころから毎月のようにディズニーに行っていたそうです。
高校時代も毎月ディズニーに行ってはたくさんのお土産をクラスメイトに配っていて、仲のいい友達には1個4~5000円するような某有名人気キャラクターの限定ぬいぐるみを渡していたりしていました。
持ち物もブランド物がメインでペンケースやカバンや財布などあらゆるものがブランドものでした。
聞いた話によると出かけたときは家族で何千円もするコース料理や焼き肉などに行っているみたいでした。
両親はそれぞれベンツとクラウンに乗っていて、その子のお姉さんは幼稚園から大学まで私立のお嬢様学校に通われていてかなり頭も偉かったみたいです。
37歳 女性のストーリー
大学のサークルの後輩に某一部上場企業のオーナーの娘さんがいました。
車通学は認められていませんでしたが、彼女はいつも運転手つきの車で正門まで送ってもらっていました。
バックやアクセサリー、その他持ち物も洋服も上質なブランド品でした。
お父様が伊豆に大きな別荘を持っていて、私を含めたサークルの仲間たちを招待してくれたこともありました。
でも彼女はお金持ちであることで他人を見下したり、自慢したりすることはありませんでした。
私たち同様、学食ではB定食を食べていましたし。
また性格もよく、誰にたいしても優しく親切で、いつも笑顔の絶えない明るい子でした。
お金持ちの余裕からくる心のゆとりなんだろうなと思いました。
59歳 男性のストーリー
近所で仲良くしている方の話です。
本業は会社経営ですが、会社はもう実体なくて経費のためだけの会社です。
不動産も沢山持っていて、駅前にビルをいくつも持っていますし駐車場もかなりのぢ数を保持しています。
アパート、マンションも貸したりしています。
聞く限りですが、固定資産税だけで一部上場会社の管理職の年収を軽く超えるということです。
1000万円以上の輸入車を何台も持っていて、どの車も車検を通さず次の車に乗り換えています。
ベンツ、アルファロメオ、ポルシェや聴いたことのないメーカーや車種を持っています。
先日、家を改築したのですが日光から大工さんたちが泊り込みで工事をしていました。
できた家はお寺のような大邸宅で屋根も銅葺きのものでした。
海外旅行も出かければ、月単位で旅行しています。
40歳 女性のストーリー
お金持ちと言えば、中学時代の友人ですかね‥。
子供の頃、そんな意識はしていませんでしたが、確かに他の友人のお家にお邪魔した時とは違うことがたくさんありました。
まず、家が今思えば、こだわりが見えていたように感じていました。
ダイニングのテーブルは立ち上がっても真ん中に置いてあるものが取れないほど大きなテーブル。
家にはエレベーターがあり、ビックリしました。
出てくるおやつはどこかの高級デパートで売っているようなお菓子。
アイスは、サーティワンのアイス。
もちろん、私も食べたことはありますが、子供の友人に出すアイスなんて箱に何本も入って売っているようなのが定番だったので申し訳ない気持ちになってしまっていました。
そんな彼女のお父さんは、会社経営者。
今は結婚していますが、育ちが裕福だからかダンナさんもかなり稼いでいるようです。
久々に会ったらどこのおばさんかと思うほど、ふくよかな姿になっていました。
見た目からしてお金があるんだろうなと言った装いで。
月々の食費がダンナさんと二人暮らしで30万だと聞いた時にはなるほどねと、納得してしまいました。
38歳 女性のストーリー
高校の時の同級生の話です。
彼女は高校生の時から現実思考で、将来の夢が薬剤師でした。
薬剤師は安定して仕事がありますし、お給料もかなり良いので、絶対に薬剤師になるんだと言っていました。
そして実際に薬剤師になり、長年同じ薬局で働いています。
彼女は結婚するつもりがないらしく、一生独身を貫くことを決めているそうです。
そのために、二十代の後半で新築の分譲マンションを購入し、そこで妹さんと二人で暮らしているようです。
女性で、しかも若いうちにマンションを購入するなんてすごい!と、素直に尊敬していますし、憧れもあります。
美容にも気をつけていて、同窓会でもひと際目立つ存在です。
「お金持ちになりたかったから頑張ったんだ」と正直に言える彼女はとても素敵だと思います。
26歳 男性のストーリー
ダントツで海外保険と資産運用を手がけいるフリーサンスの営業マンですね。

拠点はインドネシアにしており、そこではファミリーで暮らしています。
奥さんも子供もインドネシアでそれぞれ会社勤めと学校に通っており、インターナショナルスクールの費用はハンパではないと嘆いていましたが、正直そこまで大変そうではありません。

というのも、月に一回はビジネスクラスで日本に帰ってきては高級クラブに連れて行ってくれたり、別荘でBBQを楽しんだりと、その人がいないとできないことばかりを経験させてくれます。

学生時代からの友人で、最もしょうもないことで笑い合っていた友人なのですな、最も成功している人であり、私も大きく稼ぎたいなぁと思っています。
22歳 女性のストーリー
お金持ちだなと思った最初は、なんでも奢ってくれるし、いつも外食でいいものばかりたべていたからです。すべての支払いをカードで行っていたのでしっかりとした金額を全く本人が確認してなくて、大丈夫なの?と思うことばかりでした。
しかし、そんな心配は無用だったのです。メーカー勤めの彼は新入社員なのに給料は初任給の平均をはるかに超えており、ボーナスは150万円以上という私から見たら規格外すぎる数字でした。突然なんの前フリもなくパソコンを買いにいき一括払いするなど、衝動的にお金を使っているイメージがありました。
世界が少し違うなと思いつつ過ごしていましたが、少し人を見下す人ようになっていってこんなのもないの?知らないの?と言われることが多かったです。
お金があっても謙虚にならないと嫌われやすいと思うので注意するべきだと思います。
30歳 男性のストーリー
わたしの周りで一番お金持ちの人は、私の父親です。
 私が小さな頃に起業し、バブルの恩恵を受けたのか成功したようで、現在でも会社経営を続けています。お金持ちになって気分を良くした父は、気が大きくなったのか私が5歳の頃に私や母と別れて、経営に没頭しました。仕事が趣味だということで、寝る時間も惜しんで仕事ばかりしている様子です。
 私も大きくなり自分の子供を持つ年齢になりましたが、子供や妻と別れてまでするような仕事の楽しさは理解できません。経済的に豊かになり、好きなことをしている父は、本当にいい人生なのかどうか私にはわかりませんが、とにもかくにも一番のお金持ちです。
 良い車、良い時計を持ち、広い家に住んでいますが、私は父のようになりたいとは思えません。
57歳 女性のストーリー
わたしの周りで一番お金持ちなのは、娘だろうか。
なにしろ、毎月お小遣いをもらい2ヶ月に1度はわたしの実家へ行った際に
母方のおばあちゃんからお小遣いをもらい、
年4回の夫の実家への帰省で父方のおばあちゃんからお小遣いをもらい、
正月には叔母さんや親戚からお年玉をもらっているのだから。
しかも、洋服とか本や文房具などの出費は親持ちなので、
純粋に自分の欲しいもののみにお小遣いを使えるのだ。
親の方といえば生活のために出費、娘の学費のために出費、夫の仕事の必要経費と
自分のためにお金を使う余裕などなく、読みたい本は図書館で調達し洋服はちまちまと着まわし、美容院へは年に一度行くか行かないか、しかし一向にギャラは上がらずむしろ下がる傾向にあるのだからまったくあわない話だ。
これで娘は大学に入学してアルバイトでもするようになれば、さらに収入は上がり、
我が家の中で一番お金持ちなのは間違いなく娘だ。

「これまでで一番お金を無駄にした話」

24歳 男性のストーリー
FXでの話(クリントンとトランプが選挙結果が出る日)
あの日、結果が出る前はクリントン優勢でトランプは劣勢でした。
しかし、結果はご存知の通り逆でトランプが勝ちました。
FXではクリントンが勝つとドル円が上がり、トランプが勝つとドル円が下がります。
(クリントンはリスクオフ、トランプはリスクオンと考えられていた為)
私は当時、クリントンが勝つと思い、ドル円をロングで入れていました。
結果は負けですので私はここで多くの資金を失いました。
ただ、この後、まだ、トランプによる発言等でドル円が今度は下がると思いショートで入れました。
すると、当選したトランプの施策が急に評価され始め、一気にドル円は急上昇…。私は往復ビンタをくらい一気に資金を失いました。
31歳 女性のストーリー
去年本格的にダイエットに取り組もうと主人とも相談して託児付きのパーソナルトレーニングに2か月通いました。
よしやるぞ!と意気込んだもののジムに行ってトレーナーとトレーニングするのは週に二回後は自宅にて食事管理とトレーニングをするというものでした。
子供がまだ小さいこともありなかなか集中してやれないということを言い訳にして蓋を開けてみれば全く成果はみられず太ったままでした。
ジムに行けば痩せると思っていましたが結局はどこまで自分が本気で取り組むかということで結果として安くないお金を無駄にしてしまいました。
今は自宅で動画を見ながらお金をかけずに自分のペースで続けています。
主人にも申し訳ないことをしてしまったと今でも反省してます。
31歳 女性のストーリー
寂しくて特にやることもないとき、ふとスマートフォンのゲームを開きました。
すると、前から欲しかったキャラクターの
ピックアップガチャ(キャラクターゲットのチャンス)が来ていました。
そのキャラクターが欲しくて欲しくてたまらなかった私。
寂しい思いや孤独感にかまけて、ガチャを押す手が止まりませんでした。
10回ガチャを回すごとに3000円減っていきます。
1回…、2回…まだ出ない。3、4、まだまだ…。
その内、数えることもやめてただそのキャラクターだけを求めて、
スマホ画面を押し続けました。
やっと、やっとです。やっとのことで、欲しかったキャラクターを手に入れました。
そして、ハッと正気に戻って今まで使ったお金を
確かめると…3万円。
ソーシャルゲームの恐ろしさを知りました。
私の周りに聞いたところ、なんと100万円使っている人も居るとか……。
これからは気を付けたいと思います。
27歳 女性のストーリー
元アルバイト先の仲の良い友達から急に電話がかかってきました。
電話に出ると、鼻をすすりながら泣いていました。「どうしたの?」と聞くと、コインパーキングに2~3日程車を置きっぱなしにしていたため、管理会社の人から5万円近く請求された。でも今手持ちがないからどうしたら良いか分からないという内容でした。あまりにも泣いていたことと、私が居た場所から割と近くの現場だったということもあり、お金をおろしてすぐに駆け付けました。
車は無事に戻ってきて、私は別の友達と遊んでいたのでその友達のところに帰るね、お金は今度で大丈夫だよ、と言いそのままその人と別れました。
後日、連絡がなかなか来ず、こちらから何度連絡を取っても返事がありませんでした。
それからその子と会うことは無く、お金も戻ってきてません。
たまにSNSでその子が遊んでいる様子がアップされており、無表情で見ています。
2年近く一緒に働いていたけど、そのような事をする人だとは微塵も思わなかったので、びっくりしています。
私の5万円は、こういう事があるんだという勉強代だと思って諦めました。
35歳 女性のストーリー
学生時代に1番お金を無駄に毎日使っていたと思います。

とても無駄に使っているつもりも無いのに日々の生活で散財していたように思います。
スーパーやドラッグストアで買えるものをほとんどコンビニで買っていて一日3回はコンビニに入り飲みものや食べ物、化粧品、雑誌なんでもコンビニで済ませていました。
今考えるとどうしてコンビニで買っていたのか主婦になった今では考えられないくらい馬鹿でした。
毎月仕送りとバイト代合わせて15万から20万は自由に使っていたと思います。
学校に行くための洋服代も月に3万以上、3週間に一回は原宿や青山で髪を切っていました。
そしてどうしてこんなに毎月お金が無いのかと本気で思っていました。
ただただ節約の意識、知識が全く無かったと思います。
33歳 女性のストーリー
現在海外に住んでいるのですが、移住する前に持っていた車を知人に譲ることになりました。
新古車で購入し1年ほどしか使っていなかったので、車の状態も良かったです。
ただ私自身も車の売り買いの経験がなかったので、どのくらいの値段で譲ればいいのか全くわかりませんでした。
また知人に譲ることになっていたので値段がなかなかつけられなっかたのもあります。
周りの友人に相談したらよかったのですが、残りのローンの支払い分を譲る額にしてしまいました。
金額としては購入した額の1/2だったのですが、友人からはとても安いよ!と言われてしまいました。
なのでもっと検討したら良かったと後悔したのですが、さらに後悔したことは知人が毎回支払いを滞納することでした。
車を譲るにあたって、私が残りのローンを一括で支払い、ローンなしの状態で知人に譲り、知人が私に毎月支払うという形にしたのですが、なかなか支払いがスムーズにいかず毎回とても困っていました。
もう完済したのですが、今後知人に譲る場合はもっと値段も譲る相手も検討してからがいいと思いました。
26歳 女性のストーリー
手元にある本や漫画を未だに全冊読破していません。
いわゆる積ん読状態です。
買うときは積ん読があっても売り切れてしまうのではないか、早く手元に置いていつでも読みたいと思いついつい買ってしまいました。
いざ届いてみると買ったことへの満足感と、忙しさで休日に寝てばっかで体力集中力がないことと、ページの多さが1冊でも結構あるなと思ったのが原因で本棚に放置しています。
もっと違うことにお金を使えばと思いました。
買ったお金があれば美味しい食事をしたり、映画を観られたり、洋服を1着買えたと思うと後悔しています。
今度は完結していてどんなに気になっていてもまずは1巻だけ買おうと思いました。
弟に貸して面白かったと言っていたのでいつか読みたいです。
46歳 女性のストーリー
妹夫婦とのコミュニケーション費用

お互い結婚し、家を持ちました
距離も続柄も近い、よくいう「困ったとき近くにいればイザというときに…」精神で
妹夫婦は子供がいますが私たちにはおりません、少額ですが渡していました

渡すだけ! 渡しっぱなしです

妹は小さいころから上からしてもらう習慣がついておりました
母が上のものが面倒をみるものだと言って姉である私はびんぼうくじ的な役割で不満をもっていました
そんな感覚で大きくなって親になっても「してもらって当たり前」お偉いさま。です
注意したところ逆ギレで両親からも「子供がいないのだから渡すのは当然、しかも少なすぎる」と叱られて私も開き直りました

私たちは お互い様とお付き合いしたかったので妹と思う気持ちを捨てました
夫の妹夫婦が子育てのサポートをタイミングよく頼んできたので条件も「お互い様」だったので快諾し現在も良好な関係を築いています

私の妹夫婦とはほぼ絶縁状態です
「近くにいればイザというとき…」という言葉はただ人がいればいいだけではない
判断して動く人こそありがたいという言葉なんだなと実感しました

勉強料と考えるしかありませんが、「ありがとう」という言葉もないのに出したお香典、これらも含めて一番お金を無駄にした出来事です

金額にすると3万ぐらいでしょうか…
34歳 女性のストーリー
数年前、結婚式の準備をしていました。
新築の式場だった為、会場の雰囲気や料理はカタログや写真を見て相談していました。
日取りを決め、予約金10万円を振り込みました。
その後も結婚式の準備を進めていきました。招待状を80件ほど送り、ドレスを決めに何度もドレスショップを訪れ…打ち合わせにも何度も行きました。
しかし、あと1ヶ月で結婚式というところで素人が見ても式場が完成しないように思えました。
担当者と社長と相談し、式を延期しました。
だいぶ揉めましたが…
その後、完成したようでしたので、改めて招待状の打ち合わせをしようと思い連絡しましたが連絡がつかず…何度も連絡しましたが全く。数日後、式場が倒産したと封書が送られてきました。すぐに記載されていた弁護士さんに連絡しましたが、詳しいことはわからなかったです。工事業者さんへの支払いができず倒産したようです。何組か結婚式は挙げられたみたいですが、どうにもならなかったようです。
結局、はじめに払った10万円と招待状80件分の切手代、数回の打ち合わせとドレスショップへの交通費、駐車場代が全て無駄になりました。
あとボイスレコーダー代も。いろいろ証拠を残そうと購入していました。
数年経ちますが、腹が立ちます。今までの人生で一番の無駄な時間とお金でした。また一から別会場で結婚式の準備をしないといけなかったのですごく疲れました。
24歳 女性のストーリー
実家を出て友人とシェアハウスをしていたのですが
シェアハウス中に仕事を辞め、新しい職を探していました。
新しい職を探すまで、今までずっと働きっぱなしだったので
休憩しよう、と半年ほどニートをしていました。
その間もちろん収入はないので、貯金を崩して生活していましたが
毎月家賃や光熱費など支払うのは仕方ないと思っていましたが
今まで働いていて遊べなかった分
存分に遊ぼうと思い、ほぼ毎日お酒を飲みに行ったり
クラブに行ったりしていました。
元々貯金が190万円ほどあったのですが
お金を気にせず遊びまくっていたら、貯金額が20万しか残っていませんでした。
本当に遊びすぎたと後悔し、今思えば遊ぶのを少しでも我慢していれば、貯金はもう少し溜まっていたのに
無駄なことをしたなと思っています。
32歳 女性のストーリー
元彼に貢いだのが本当に今となっては後悔してます。
初めはジムのインストラクターをしていて出会ったのですが、自分で飲食店を経営すると言ってオープンしたのですが、あまり利益が上がらなくて潰してしまいそれからプライドが傷ついたのかニートになってしまいました。
同棲してた部屋の家賃も出さなくて、家でゴロゴロしてはストロットに行く生活が始まり、お金貸してと言われて貸してしまったのが破滅の道でした。
1度貸したら当たり前になって毎日のようにお金の催促が始まりました。
半年で300万程貸してしまい、これじゃもう一緒に居ても無駄だと思って、実家にしばらく帰ると嘘をついて、彼が居ない間にマンションの解約と荷物を全部出して、携帯も替えました。
40歳 男性のストーリー
25歳の時、不幸が重なり結婚寸前だった彼女と破局になった。
式場に支払っていた予約金5万円がパー。
ヤケクソになって制限速度50キロの県道を100キロ以上で飛ばして車を走らせていたところ、見事に白バイに捕まって一発免停。
免停期間中は当然運転できないし、裁判所には罰金9万円。
式場予約金合わせて14万円が一気に消えました。
細かく生産するともっと多くの金額を無駄にしていると思う。
自分には何のメリットもなく、大事な自己資金のみが消えていった。
私が、今までで一番お金を無駄にしてしまったのはこの時です。
この件や仕事で矢面に立たされ、その後うつ病になった。
埋没している親知らずが痛み出し、総合病院で抜歯。
治療費も含めると20万円は消えていると思う。
「思う。
」というのは正式に清算していないからで、あの時いくら飛んで行ったのか清算しようという気持ちには未だにならないからである。
でもあの時白バイに捕まってからは運転が怖くなり、飛ばさなくなった。
もし捕まっていなかったら人をはねていたかもしれない。
そう考えると安く済んだのかもしれない。
54歳 男性のストーリー
パチンコがCR機全盛のときの話です。
近所の行きつけの店に新台「フルーツカクテル」が設置されました。
この新台をとても楽しみにしていました。
朝一番に相棒と並び、取り難い「端台」を狙いました。
作戦通り狙っていた「端台」を取ることができました。
相棒はその隣で打つことにしました。
ふたりで朝10時から打ち初め、まずよくあることでふたりとも「アタリ」は来ませんでした。
午前中12時まで当たる事なく休みとして昼食を取りました。
この時点で3万円程負けていました。
後半戦に期待して1時から打ち始めたのですが、ふたりとも3時頃まで「アタリ」は来ません。
店員さんから「10万円負けたら警察に行っていいよ」と言われました。
ちょうどその時、「通常のアタリ」が取れました。
5千円の回収です。
気がつくと「9万5千」負けていました。
10万円負けることなく店員さんの言う通りとなりました。
40歳 男性のストーリー
家を建てたこと。
できるだけお金をかけずに家を建てようとしたけれど、なかなかコレだ!というハウスメーカーは見つからず。
地域の工務店も見て回ったけど、なかなか決められずズルズルと日にちが過ぎていくだけ。
結局、とあるローコストをうりにしたメーカーにお願いすることにして契約。

しかし、「これはオプションです」「この作業は別の業者になるので別料金です」など、追加の工事やオプションが必要になった。
しかもオプションもつけなくてもよいけど、それだと色々と理由があって料金をとられることになった。

このように、最初聞いていた話と違い追加料金が発生しまくって予算を超えてしまった。
後日、地元の工務店で私と同時期に家を建てた妹に聞くと、地域の工務店のほうが融通きかせてくれたし予算内で収めてくれたとのことだった。

大きな買い物てあったので、実際に建てたひとに聞くべきだったと後悔しています。
41歳 女性のストーリー
東京に越したばかりの頃のことです。
洗濯物を干すための竿を買わなければと思っていたところに、物干し竿売りの小型トラックがスピーカーを鳴らしながら近所にやってきたのがわかりました。
もしかして買えるかも?と思い、財布を手に外に出ました。
洗濯物用なんですが、一本いくらですかと値段と尋ねると、お兄さんは198!(イチキュッツパ)と言いました。
ベランダで使用するんですがと指さすと、お兄さんは竿を適当な長さにカットしてくれました。
さて会計と、1,980円を支払おうとすると、19,800円と言われて固まりました。
ぼったくりだったようです。
すでに竿はカットされてしまったので、払わないわけにはいかず。
痛い出費でしたが学びました。
32歳 女性のストーリー
20歳の頃、大恋愛をしました。相手はホストをされている方でした。今思えば色恋営業でした。
彼が務めるホストクラブに週5程通っていました。毎回数万円を払う日々。そしてイベントでは数万円から100万円以上の支払いでした。更に彼の生活費や交際費全てを私が支払っていました。当時、甘い言葉に騙されきった私は彼を支える一心で2年半程このような状態でした。
1軒の家が建つ程貢ぎ、更には暴力まで奮われ、モラハラはいつものことでした。思いが冷めればなんでこんな男に心も体もボロボロにして貢いでいたんだろうという思いです。
若いうちにこれでもかと言うほど働き、大した人間でもない男に貢いだことが私にとっては人生で1番お金を無駄にしたといっても過言ではありません。
このお金があれば今頃何かしら変わっていたかもと思うと居た堪らないです。
お金も時間も無駄にした2年半でした。
33歳 女性のストーリー
大学生になったばかりの時の話です。
田舎から大きな町に住み始めたということもあって,私は初めての一人暮らしにだいぶ浮かれていました。
入学してすぐ、町のおしゃれな美容室に行き、カラーやエクステを付けてイメージチェンジしました。
また、繁華街に買い物しに行き、雑誌で見た洋服を買いました。
アクセサリーも可愛いと思った物はすぐ購入していました。
また髪が少し伸びてエクステが絡まるからとすぐに美容室に行き、またカラーやパーマをしました。
その美容室の人に「ポイントがこんなに早く貯まってすごいですね」と言われ、自分のお金の消費を認識しました。
小学生の頃からコツコツ溜めていた貯金はあっという間になくなっていました。
それから調子に乗らずお金の使い方を見直して生活するようになりました。
30歳 女性のストーリー
アメリカのディズニーランドのチケットを、数日分余分にまとめ買いしてしまったことです。
4日間の滞在予定だったこと、またまとめ買いするとかなりお買い得になると旅行会社の人に言われたことから、出発前にパークチケットを4日分まとめ買いしました。
でも実際は、現地到着日はフライトや時差でとても疲れていて、ホテルに着いた瞬間に爆睡してしまい、初日から遊ぶつもりが遊べませんでした。
連続してディズニーで朝から晩まで遊ぶと、最終日には足も痛くて疲れてしまい、最終日は結局数時間しかパークにいませんでした。
「お得」という言葉につられて、家族分のチケットを4日分まとめ買いしてしまいましたが、結局使い切れずに残ってしまい、数万円捨てることになってしまったので、無駄なことをしたととても後悔しています。
31歳 女性のストーリー
初めて生まれた子供の為に買った一眼レフカメラです。
生まれたばかりの頃、これからたくさん成長していく我が子をたくさん良い写真で残してあげたいと8万の一眼レフカメラを買いました。
最初こそちょっとした写真やお出かけの度にそのカメラで撮っていましたが、重いし大きいし段々と使う頻度も減っていき、今ではほぼ使ってないです。
写真もスマホの方が簡単ですぐ撮れるし、画質も綺麗だし、ラインとかで共有するならスマホの方が断然便利でした。
一眼レフは使い方も難しく、付いてる機能の半分も活かせてないと思います。
子供が出来たからたくさん写真も撮るだろうし、一眼レフって持ってるだけでもちょっとカッコいいし買っちゃおうと安易な考えで買って失敗してしまいました。
26歳 女性のストーリー
これまでで一番お金を無駄にしたのはたくさんのゲームを買ったことだと思います。

小さいころからゲームが好きで新しいゲームが出るたびに買っていましたが、ほとんど長続きしなくて
やってもすぐに飽きてしまうのに新しいゲームがでると買ってしまったことです。

3DSがやりたくて買ったのに1週間で飽きてしまいもう使っていません。

どこにあるかも分かりません。
高かったのに1週間しかやらなかったのでほんとにお金の無駄なと思います。

すぐに飽きてしまうことが分かっててもまたやりたくなってしまいまた買ってしまいす。

これからは、飽きないように長く遊べるように頑張りたいと思います。

1つのゲームで遊びたいと思いました。
今までのゲームを並べてみるとこんなに買ったのかと反省しています。
44歳 女性のストーリー
ずばり、高校の学費です。
私学の女子高を希望していました。
大学の進学実績がそこそこ良く、憧れのモダンダンス部もあったからです。
推薦は成績の関係上取ることができず、一般入試を受けました。
残念ながら、補欠でした。
諦めて都立高校を受け、無事合格し、手続きも終え、気持ちを切り替えようと思ったときに、元々希望していた私学の女子高から繰り上げ合格の連絡を受けました。
慌てて、手続きし直し、そちらに通うことになりました。
実際蓋を開けてみると、私学なのに受験対策はいまいちで、みんな進学塾に通って、受験対策をしていました。
部活も想像よりもグダグダで面白くなく、2年生になるときに辞めてしまいました。
結局、大学の一般入試に挑んだ私は中堅女子大にしか合格できず、そこに進学。
一方で、行く予定になったいた都立に進学した子たちは、余裕で内申を取り、最終的に有名私大に指定校推薦であちこち進学して行ったと聞きました。
私学と公立の学費の差額はかなりです。
しかも、どちらも塾に通っていたのは同じ。
その差額費用は、本当に無駄にしてしまいました。
親にも申し訳ないです。
46歳 女性のストーリー
大学時代、家を出て一人暮らしをしていた頃の話です。
日本のことわざシリーズというビデオテープセットを50万程度でいつのまにか購入することになり、当時二十歳前後だった私は、クーリングオフ制度の使い方も分からず、50万のローンを組むことになりました。
当然親には内緒で月15000円程度の返済が始まりました。
ただでさえ実家からの仕送りだけではお金が足りず、
アルバイトをして生活していたので月15000円の借金返済も厳しくなり、
最終的には実家の親に泣きつき、残債を支払ってもらう事になりました。
ビデオテープ購入のきっかけは、今思えば、知らない男性からのデート商法でした。
当時、失恋したばかりの私にたまたまヒットしたのでしょう。
電話でのやり取りが続き、誕生日には花キューピットでバラの花束が届きました。
そうしているうちに、国文学科だった私に日本のことわざシリーズのビデオセットの購入を勧められ、
なんかおかしいな。と気にしながらもローンを組んでしまいました。
彼女気分で、購入するときに印鑑を押してしまい、
その後は連絡が取れなくなりました。
彼女気分といっても、相手とは電話で話すだけで、
印鑑を押す時が最初で最後の出会いでした。
苦い思い出です。
40歳 女性のストーリー
ふと通りかかって足が止まったこをきっかけに買ってみたナンバーズという宝くじがあります。
その日から20年余り、その宝くじを抽選がある時は毎回買い続けてどれだけのお金を使ってきたでしょうか‥。
3桁の番号を自分で好きに選び、マークシートに印をつけ、購入するシステムになります。
1回200円。
月火水木金と週に5回。
これを私は20年余り買い続けてきました。
もちろん、1回も当たらなかったらいい加減もう買い続けてはいないと思うのですが、1回で1万5千円から4万円ちょっとをたまに当ててきました。
購入し始めて数回も買わないうちにまず、1回当たってしまったのがやめられない要因かと思いますが、じゃあ、元が取れているのか?プラスになっているのか?と言えば、きっとマイナスなんでしょう。
毎回、楽しみと言えば楽しみなんですが、もう習慣のようなものですね‥。
30歳 女性のストーリー
地元のバンドを応援していた時のことです。
一回のライブでチケット代が3500円、売り上げに貢献しないといけない使命感によりグッズ代で3000円、差し入れ代で2000円、自分の飲食代を合わせて毎回1万円近く使い、月に3?4回ライブがあったので月3?4万使っていました。
CDが出ればその度に同じCDを複数枚買い、遠征費やイベント時の花を出したり、その度自分の服を買ったりしていたため、年間で約100万近くは使っていました。
しかし、バンドは2年ほどで解散してしまい、わたしにはリサイクルショップでは到底売れるとは思えない大量の同じCDだけが残りました。
楽しかった思い出もありますが、今思えば何が良くてあんなに一生懸命追いかけていたのか分からず、その分貯金していれば今頃いい家に住めたのかな、と考えてしまいます。
10歳 男性のストーリー
さあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞーさあ、書くぞー
32歳 女性のストーリー
ソシャゲのガチャにつぎ込んだお金がこれまでの人生で一番の無駄遣いだと思います。

最初は少ない額の課金と無料でもらえるジェムでどうにかなる様にしようと頑張ってみるのですがイベントなどで推しキャラが出てくると足りなくなってしまい誘惑に負け大きい額をつぎ込んでしまいます。
自分で稼いだお金だから、どう使おうが私の勝手!と思いますが冷静になって考えると、たかが画像に一万、二万、三万…と欲しいキャラが当たるまで万札を無駄にした自分が何だか本当にむなしくなりますし、ソシャゲって本当に怖い…と思いました。

一度5万以上の請求額を見て、自分にゾッとしたのでそれ以降は課金は一切しない事を誓いました。今でもソシャゲをしますが、RPG系からパズル系に変更しました。今のところお金はい一切課金していません!
32歳 女性のストーリー
ガチャを回すためにソシャゲに課金したお金が人生で一番の無駄遣いだと思います。

最近ソシャゲのガチャで大金を使う子供たちが多いというニュースをよく耳にしますが、大人になってもガチャの誘惑には勝てないときがあります。

RPG系のソシャゲを始めた際、最初は少量の課金と無料でもらえる石・券などでやりくりするのですがイベントなどで推しキャラが出てくるとどうしても足りなくなり気が付いたらかなりの額をつぎ込んでいました。

冷静になって考えるとたかが画像に一万、二万、三万…とドンドンお金をつぎ込む自分にゾッとしました。自分で稼いだお金はどう使おうが自分の勝手だと思っていますが流石に5万以上の請求額を見た時は「もう課金はやめよう。」と強く誓いました。
今考えるとその5万でもっといいもの買えただろう!!!と思いました。
37歳 女性のストーリー
学生の頃、デザインを学んでいたので服装も派手めでした。
主に古着を愛用していたのですが、とにかく沢山の服を着こなしたかったし、質より量!という感じだったので、安いものを中心にバンバン古着を買っていました。
社会人になって好みも変わるし、落ち着いた服装になってきたこともあって学生の頃に着ていた服を全然使わなくなりました。
あまりにも量があるし、着ないのは勿体ないと思って休日に着たりしていましたが、全然上手く使えず、結局処分しました。
売れるものもありましたが、元々安くで手に入れたり、高かった物も二束三文・・
当時はファッションを楽しんだしそれなりに良かったですが、今となってはもう少しセーブして買い物をしていればなと後悔しました。
25歳 女性のストーリー
大学に入学して半年経って理由はないが何となく全てが嫌になって不登校になった。
バイトは楽しかったので行っていたが、授業には全く行けなくなった。サークルや授業など全てが億劫になった。そして、授業に行っていないので奨学金は止まった。親は何年かかってもいいから卒業してほしいと言っていたが、こちらもその頃には軽く鬱状態だったので授業料は払ってもらったが結局行けず、4年目でようやく退学した。
それからフリーターとなったが稼ぎはもちろん少ない。元々借りていた奨学金がそこそこの金額だったので返済に困っている。振り返ればなんてバカなことをしたんだろうと思う。嫌でも大学に行ってちゃんと卒業していればこんな風に金に困ることもなかったのに。
3年半在籍したのに18単位しか取れなかった大学に払ったお金が今までで一番無駄にしたお金だと思う。
54歳 男性のストーリー
季節は10月、とある紅葉の名所に向かって、まっすぐの広い田舎道を車で走っていました。天気も晴れており、どこか美味しいレストランで家族四人、仲良く昼食でも食べようと思っていたところ、目の前に赤い大きな「とまれ」と書いた旗を持った警察官が突然飛び出てきて、誘導されるがまま、道路わきの広場に停車。車の窓を開けると、警察官から「すいません、スピード超過です」と言われ、「そんなに飛ばしてないけど」と答えたところ、「この道は40㎞制限で、あなたは55㎞で走っておられたので違反です、まあ最近の車はすぐにスピードが出るので注意してください」とのこと。ちょっとしたことでしたが、やむを得ず反則切符を受け取ることに、そして罰金はなんと1万2千円〜、日頃から安全運転を心掛けていただけに大ショック。人生初の無駄な出費でした。
43歳 男性のストーリー
株投資で、新薬が承認されたとの情報で個別銘柄の信用買いをしたが大きく買った直後、まとまった売りが入り、二日で200万円値が下がったこと。最初に小さく下げたときに手放せは良かったものを、あがると信じて次の日に持ち越して、翌日も特売りから入り合計200万円以上の含み損がつくもしばらくは売ることができなかった。

それまではコツコツ勝ってはいたのに、勝負をかけた大きな買いで大きく負けてしまった、いわゆるコツコツどかんってやつで大きく資産を減らしてしまったことが今までで一番お金を無駄にしたと思うことです。それ以降は株投資をやめてしまいました。

合計600万円くらいは株投資で負けてから辞めたので、株をやっていなければと思います
39歳 女性のストーリー
私が21〜23歳の間に経験したことです。
まだ学生だったときと、社会人になったばかりの頃の2回に渡って、うまく営業されて半分騙されたような形で高額な商品を購入してしまったことがあります。1つは着物、2つめは健康器具でした。併せて60万円くらいの値段だったでしょうか。まだしっかりとした経済力もついていない身には、ローンを組まされて払っていたとはいえ高額でしたね。
両方とも共通しているのが、購入した品を使って資格が取れる、商売ができるという謳い文句があったこと。社会人経験もほとんどないので、あっさりその話を信じてしまい、商売をするまでの能力もなく、商品と支払いだけが残り、7〜8年くらいかけて完済しました。
当時は魅力的に思えたのでしょうけど、大きな無駄遣いでしたね。
47歳 男性のストーリー
40代後半の独身の男です。この年代と世間体を考え結婚を意識しますが、どうも異性との会話や生活に自信がなく、とある「無料の」セミナーに参加して「いかに異性とうまく会話をはずませるか」という話を聴きに行きました。セミナーそのものは30分ぐらいで終わり、これでお開きかと思いきや、暫くすると中年の女性に呼び出されて、「結婚の意識」やら「なんで今まで(婚活を)しなかったの?」「パーティーに参加してもいい人は見つかりませんよ」などあれやこれや言われ、結局その結婚相談所の会員にさせるまで、その部屋に監禁させられてしまった。夜も遅く、疲労も蓄積していたので、ついつい契約してしまい、会員費は20万、そして月の費用が18000円。で結局、ネット審査で振られまくり、3か月で退会した。正直、合計30万。どぶに捨ててしまった。
30歳 女性のストーリー
その当時付き合っていた彼氏とのルールは、「お金が貯められる方が貯める」でした。
お互い遠距離恋愛だったため、月に1~2回どちらかがどちらかの県に5日ほど遊びに行くのが暗黙の了解だったのです。
最初はお互い1ヶ月おきに行き来していました。しかし段々と彼は遠くへ遊びにくることに億劫になっていき、私の方も中々お金が貯められない性分だったこともあり、9割型私が彼に会いに行く形になっていました。
ですがそれに合わせてルールも改定され、
私の交通費を折半した金額を、彼がお互いの将来のお金として定期預金で貯めてくれるということで合意していました。

けれど、3年経ったある日。
彼に裏切り行為があったことが発覚。その後なんとか許そうと努めたものの、2人の仲がギクシャクしてしまい、結局別れてしまいました。その際やはり問題に上がったのはお互いのお金を貯めた「定期預金」。
結果的に合計100万単位のお金が貯まっていたのですが、あまりにも未練タラタラな彼を遠ざけるために「お金は全部あげるから連絡してこないで」と大見栄を切ってしまいました・・・。今思えば、貰っておけば良かったです。とほほ。
38歳 女性のストーリー
大学を卒業して、まだ世の中のことが何もわからない頃、実家に出入りしていた保険屋さんにうまく丸め込まれ将来絶対役に立つからと、保険会社の話だけを信じて高い年金保険に加入してしまいました。
またタイミング悪く円安になってしまい、ドル建てだったため、毎月の変動の振り幅が激しく、はじめの2倍ほど支払っていた時期もありました。
結局、払いきれなくなって5年ほどで解約したのですが、よくよく考えたら貯金したほうがずっと良いお金になったくらいしか払い戻しの金額がなくとても損をしました。
将来の貯金が出来るならと、気軽に始めた年金保険ですが、社会の仕組みや保険会社についてももっとしっかり調べてから加入すべきだっと考えています。

「わたしの周りで大変身した人」

28歳 女性のストーリー
中学時代の同級生Yの話です。

Yとは小学校から一緒で、見た目は背が高くふくよかですが、穏やかな性格の子で、身長の割にはあまり目立つタイプではなく、クラスの中心からは一歩離れたような存在でした。

中学では同じバレーボール部に所属し、身長を活かして大活躍できる…かと思いきや、少女バレー上がりの部員に勝るものもなく、3年間をほぼベンチで過ごしていました。

勉強も中の中、性格も相変わらずの穏やかさで、中学3年間も目立たず騒がず過ごしていました。

そんなYとも、私が県外の高校へ通ったのを機に疎遠になり始め、すっかり会わなくなってしまいました。

高校卒業をし、成人を迎えても、成人式にも来ていないY。
地元を離れてしまったのかと思いつつ、私たちが中学卒業の頃は携帯もまだその歳では持たない時代だったので、連絡先も分からず、会うことは叶いませんでした。

しかし、SNSの広がりで容易に繋がりを持てるようになり始め、もしかしたら…とYの名前を検索してみました。

すると、見事にヒット!
…したのですが、そこには別人のようなYの姿がありました。
黒髪のショートで大人しい印象のままでしたが、打って変わって、そこには長い茶髪を緩く巻き、大きなつばの帽子を被り手を添えてポーズを取り、妖艶な表情をする美女と化していました。

更に、職業を見ると、なんと「DJ」と書かれていたのです!
SNSのプロフィール欄は、イベントの告知でびっしり…

大人しく穏やかだったYが、見事に人気DJに大変身していて、度肝を抜かれました。
19歳 男性のストーリー
私の母は、昔と比べて大きく変わりました。
それは大きく2つ変わったことがある。
それは、体型と性格の2つです。
10年前に70キロほどあった体重が現在では50キロまで痩せました。
そうなると性格も大きく変わっていきました。
暗く内向的な性格が、明るく社交的な性格に変わっていったのです。
それまでオシャレに興味が無かった母は、服に衣服に興味を持つようになりました。
こうして母は、しだいに自信を持つようになりました。
私への関わり方も変わっていきました。
今まではあらゆることで私の心配をしていましたが、しだいに心配しなくなっていきました。
それは決して私のことを嫌いになったからではなく、自分自身の人生を歩み始めたという方なのだと実感しました。
人は何歳になってもスタートできるし、チャレンジすることができるのだと実感しました。
20歳 女性のストーリー
小学校・中学校が同じだった男の子がいたのですが、当時は栄養満点な体型でものすごい汗っかきだった彼が、成人式で久しぶりに見かけたとき、スラっとしていてとても驚きました。
顔は面影があり一目で彼だと分かりましたが、体型だけで見ると誰だか分からないくらい変わっていました。
彼は中学時代は剣道部に所属していたのですが特に変わらず、高校に入ってから部活で痩せたそうです。
ハードだったのかなと思いましたがあまりの代わりっぷりに本当に驚きました。
身長も中学時代とさほど変わっておらず、食べる量は変わらないと言っていたので健康痩せかなと思いましたが羨ましい限りです。
自分も見習おうと思ったと同時に自分のだらしない身体が恥ずかしいです(笑)
21歳 男性のストーリー
大学時代からのお友達なのですが、スタイルがよく高身長のバスケ友達が、いつの間にかモデルのお仕事を始めていたこと。
もともとバスケットボールを通して知り合った方なのですが、最近Instagram等のSNSでの投稿頻度が上がったなと薄々感じていたのですが、大変びっくりしました。
コンテストなどにも出場していたりなど、多岐にわたる活動の展開していく感じが、モチベーションの高さを表していて、やっぱ根っこはスポーツマンだなと子感じる次第ではあります。

バスケをしていた頃よりInstagramでの活動が活発になりみているこちらとしても楽しい。

昔にもまして自信に満ち溢れた表情に進化していて勝手に嬉しい気持ちになりました。
22歳 女性のストーリー
高校時代の友人が大変身してしまった。

割と地味な印象だったが、大学デビューを機に自分磨きを頑張ったためメイクやカラコンも付け始め、洋服も可愛いものを身につけるようになった。
それだけならまだいいのだが、恋愛の面においても大変身してしまった…。

大学でできた彼氏と1年いかないぐらいで別れ、その後はたまたま飲み屋で知り合った社会人と付き合うがすぐにフラレてしまったらしい。
そんでもって今は彼氏不在のセフレがいるらしい。
もしかしたらセフレに本気になりそうな予感がする…。
大学デビューでかわいくなりビジュアル面で大変身したのはいいが、恋愛面においても良くない方に大変身してしまい、正直今のセフレとも上手くいかない気がする
51歳 女性のストーリー
先日地元のショッピングセンターで買い物をしていたら、何かのCMじゃないですが35年ぶりに中学の同級生を見かけました。
顔つきがあまり変わらないのですぐに「あー、〇〇君だ!」と分かりました。
結婚して家族と楽しそうに歩いていました。
当時は足が速くてカッコよくて女子にモテモテの彼でした。
もう50ですからお互いシワとか仕方がないけれど相変わらずのイケメンです。
が、視線を上げると頭がピカピカ光っていました。
完全なハゲではなかったけれど、かなりきてました。
少しカッパみたいでした。
私の実家の町から買い物に来たのね…懐かしくて話しかけそうになったのですが見送る事にしました。
絶対に視線を頭部に向けてしまうだろうし、「俺、ハゲたべ?」なんて言われたら久しぶりの再会なのに何と答えてあげたら良いのか分からないので。
最近一番ビックリした大変身でした。
60歳 女性のストーリー
つい何ヵ月前にまで、同じ会社で一緒に働いていました。
その人は逆大変身です。
よく聞かれる大変身はおでぶちゃんがスマートに変身して見違える、という感じですがその人はほんとに逆でした。
元々細いとは言い難いでしたが、1年足らずで倍ほどに膨らんだといいますか、日毎に丸くなっていくという感じでした。
同僚との会話の中には必ずと言っていいほど「あの子、また太った?」と話題にのぼるほどでした。

ほんとに入社した頃と比べると制服などもはち切れそうな感じになっていました。

会社の制服はスラックスとキュロットの2つがあったのですが、その子はキュロットだったので、お尻が横に大きく見えてしまうというか
大きかったです。
仕事もけっこう椅子に座ってばかりだったので、そうなってしまったのかな?って思ってしまいました。

私たちの仕事はスーパー勤めですので、太ってもそこまではいきません。
1日中動き回っていますから。
やっぱり動かなければ駄目ですね。
28歳 女性のストーリー
学生時代、私の友人の友人ですごくスタイルが良くてオーラがあって同じ大学生なのに、すごいなあと圧倒されていたのですが、実は読者モデルをしていると友人から聞いて驚きました。

その上、某有名恋愛ドキュメンタリー番組に出演するようになり、大学は途中で辞めてしまっていたようなのですが、某有名恋愛ドキュメンタリー番組に出演してからもオーラは変わらず、というよりもオーラが増していて、びっくりしたのと、最初から住む世界が違っていたんだなぁと感じさせられました。

今はもう結婚もして、お子さんも生まれたみたいですが(某SNSより)同じ大学に行っていて、同じ教室で少しの間だけ一緒に授業を受けられたこと、同世代の彼女の活躍が嬉しいです。
37歳 女性のストーリー
同じ会社に勤める30代後半の同僚の男性のことです。
バツイチの彼は、30代のうちに再婚を目指し婚活パーティーや、合コンなどに通っていました。
ただ、良い出会いはなくいつも恋愛が上手くいかないと悩んでいました。
彼はかなり体格が良かったため、まずは見た目だけでも改善しようとダイエットを決意。
ライザップに通うことを決意しました。
費用は50万円ほどかかったようですが、週一度から二度の運動と、食事制限で体重が30キロ減りました。
3桁だった体重が70キロまで落ち、見た目もすっきりし似合う洋服も増え髪型にも気を遣うようになりました。
ダイエットに成功したことで、自身がつき女性に対しても積極的にアプローチできるようになり今は充実した生活を送っているようです。
43歳 男性のストーリー
会社の後輩の話です。
一緒に仕事をしていた時は、少々自分勝手で、融通も利かない。
その割に自己主張は激しく、感情の浮き沈みが激しい。
という具合に、一見するととても扱いにくい人物でしたが、知識量は豊富で、頼らざるを得ない場面も多々ありました。

ある日、県外への異動が発表になった時、彼の名前が呼ばれました。
昇格を条件に県外への異動が告げられました。
先輩としては、昇格に喜ばしく、「よかったね」と伝えていましたが、裏話では、早く県外へ出して厄介払い(仕事上だけでなく、職場の人間関係でもトラブルメーカーだったため)をしたかったという話です。

県外異動してから3年。
その間も、プライベートでは何度か連絡を取ったりしていたのですが、県外異動を終えて戻ってくることになしました。

周りは戦々恐々としていましたが、実際戻ってくると、別人のような様子。

仕事に責任感を持ち、周りを気遣い、自分の主張を押し殺してでも仕事を回すということを最優先に動く。
そんな人物に変化していました。

行った先の上司は、人材育成で評判の良い人でしたので、そこでだいぶ鍛えられたのでしょう。

今後の発展が楽しみです。
24歳 女性のストーリー
中学生の同級生ですが、部活が同じ男子で
その当時は髪の毛がボサボサでメガネをかけて
ぽっちゃりしていた同級生がいました。
見た目はどちらかと言うと陰キャになります。
それから高校に入学し、別々の高校になったのですが
部活の試合でばったり会った時、髪の毛は短髪ですっきりしており
メガネをコンタクトにし、痩せていました。
一瞬誰かわからなくなりましたが、「久しぶり」などと
話をしていて、中学生の時の仲間と集まろうと話になりました。
集まった時、その同級生は本当にオシャレになっていて
中学の頃からは想像も出来ないイケメンになっていました。
高校に入って、初めての彼女ができたらしく
人は努力すれば変われるんだな、と思いました。
10歳 男性のストーリー
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10歳 男性のストーリー
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10歳 男性のストーリー
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46歳 女性のストーリー
職場で、26歳で転職してきた男性がいました。前職がテレフォンオペレーターで、うちの会社には営業として入ってきました。未経験と言うことで、最初は簡単な事務仕事からやっていましたが、物静かで、真面目で、我慢強い感じのする子でした。
2年位経った頃、営業でも企画を提出することになったのですが、その男性が提出した企画が通って、社内でもお客さんにも評価を受けました。そうしたところ、自信を持ったのか、その後どんどん企画や自主的な動きをするようになりました。そうなると周りも見る目が変わって、まず、呼び名が君付けだったのが、さん付けになりました。それから、いろんな企画に、彼が呼ばれるようになり、まさに追い風が吹いている感じでした。
すると、彼の言動もちょっとずつ変わったなと思います。前髪が長くて顔が隠れる感じだったのがおでこを出すようになり、メガネもおしゃれなものになり、服も暗い色だったのになんだかパキっとしたおしゃれなものになりました。
で、久しぶりに彼のプレゼンを聞いたら、ジョークを交えながら大きな声で話す人になってたんです。入社した頃は小さな声でつぶやくだけだったので、周りの評価を受けると大変身できるものだなぁ!とびっくりしました。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

35歳 女性のストーリー
私は、人見知りで、嫌とは言えない性格でした。今考えてみても、どちらかというと人に尽くすという感じのタイプだったので、もちろん使われるようなこともありました。嫌な思いもたくさんしたし、毎日悩んだこともありました。
だけど、周りの友人や知人にはすごく恵まれたのかなと思います。ピンチなことがあっても、どうにかなってきました。数年前に、人生最大のピンチがありました。自分が騙されたのがいけないのですが、
自分の周りの人にまで辛い思いをさせてしまいました。けれど、やっぱりその時にも周りにいてくれた人や友人に助けられました。いろいろな人がいる中で、私の人生には常にそばにピンチをチャンスに変えてくれる存在がありました。今も、これからも周りの人に感謝しています。
それが、自分の持ち合わせている運なのかなと思います。
40歳 女性のストーリー
今の夫に出会えたことだと思います。
20代のころは自分が結婚できるとは全く考えられませんでした。
30も後半になり、そのころたまたま職場で幸せな結婚生活を送っているように見える同僚がいて、あてられて私も婚活してみようとなんとなく婚活サイトに登録しました。
しばらくはいろんなかたと婚活サイト上でやり取りをしていて、このやり取りもつかれるなーと思い始めたころに今の夫とやりとりがはじまりました。
この人とはなんとなく気軽に話ができるな、と思えました。
しばらくしてから初めて会った時も、今もある意味リラックスできているように思います。
今もどうしてこうなっているのか信じられないときがあるくらいですが、あの時婚活サイトで夫と知り合えてよかったと思います。
46歳 女性のストーリー
今年4月下旬、着替えの際にみつけた胸のしこり
「乳がん」でした
すぐにクリニックで診察を受け「乳がん」の宣告で頭の中が真っ白です
クリニックの先生から「ステージ2ぐらいですから大丈夫ですよ」と声をかけていただきましたがショックの一言でした
手術・治療は別の大学病院で受け、現在も治療中です

大学病院に転院しても検査ばかりで1か月余り、心が折れそうでした
治療というゴールにむかって進んでいる実感がないからです
でも病院にいくときには必ず「夫」が付き添ってくれました
私が治療に前向きになるように一緒に頑張ろうと外食をやめ、晩酌のビールもやめ、免疫力をあげるため、気分転換のためにウォーキングを勧めてくれて一緒に付き合ってくれます
入院中も個室で毎日泊まって病院から出勤です
夜中トイレに行くとき、一人で不自由があったので夫に支えてもらいました

手術の際リンパの転移もなく、献身的に支えてくれる夫がいる、個室でリラックスした入院生活

ガンになったことは最初人生最大の不幸だと思いましたが、ガンをきっかけに食生活の見直し、ウォーキングでダイエットもできました
そして夫婦の絆も深まりました

ガン保険や医療保険に加入しているのでお金の心配もありません
子供もいないので、自分だけのことに専念できます
住宅ローンも数年前に終わっています

こんな私は「人生で一番運が良かった」
「誰よりも幸せな女」といえるのではないでしょうか?
34歳 女性のストーリー
二年前に長女を妊娠しました。フルタイム勤務&通勤片道70分でしたが、「妊婦は歩いたほうが良い」と聞いていたので、たまにお腹張るけど大丈夫!と産休まで頑張りました。
里帰り出産のため、産休に入ってから一週間後に地元へ帰りました。
検診の予約がなかなか取れず、一週間後に受診。
先生から「赤ちゃん下にさがりすぎ!今すぐ入院してください!」と言われ、そのまま入院しました。
少しでも遅かったら危なかったと・・・
「やっと産休入ったし、生まれるまで遊ぶぞー♪」と意気込んでいたので少し残念でしたが、娘の命を守れてよかったと思いました。
本来の産休はもっと先だったのですが、有休を使って二週間ほど前倒して休みに入っていたのです。
とても運がよかったなと感じました。
46歳 女性のストーリー
私の人生の中で一番運が良かったなと思う出来事は、キャリアコンサルタントの資格を取れたことです。
まだキャリアコンサルタントが国家資格ではないころ、ちょうど私は妊婦でしたが、つわりの中休み休みの実技試験で実技を通過しました。
そして、マークシートや論述も棚ぼたという感じで点が取れました。
私の中では、偶然取れた資格だと今でも思っています。
その資格が、たまたま国家資格化されることになり、自動的に民間資格から国家資格になりました。
これで、私の国家資格が増えることになり、しかも、結構難しい試験だったのが、民間資格のときに取れていたという理由で国家資格にスライドしたのですから、これは運が良かったと言わざるを得ません。
48歳 女性のストーリー
今、私は統合失調症と言う精神科の病気になり、薬の副作用なども有り、制限される事が沢山有ります。好きな音楽も聴けない音楽など有り、大変苦しい思いをしています。
病気になる前は、工場で働き、今はもう無いのですが車に乗って車で通勤していました。休みの日は車で買い物に出かけ、パソコンも今は壊れてしまいましたが、レンタルでCDを沢山借りてパソコンにコピーして好きなアーティストがいて、通販やCDショップで好きなアーティストのCDを買い、他にも色んな音楽を聴いて、とても楽しい日々を過ごしていました。
テレビをみても調子が悪くなったりして、自由にテレビもみれません。以前はドラマも好きで、仕事が夜勤なので、録画しておいて、次の日にみたり、楽しかったです。
そんな、過去の生活が楽しかったです。
43歳 男性のストーリー
会社にバイクで通勤をしていて、高速道路を走行中に
アクセルが自然と元に戻らなくなってしまいました。
自分で戻す分には影響はなかったので、なるべくスピードを
出さずに、ゆっくりと高速を走りました。
夜に仕事が終わり、帰宅しようとアクセルを回した瞬間
ブチとワイヤが切れてしまい、エンジンが回せない状態に
なってしまいました。
修理にだして後に判明したことですが、どうやらアクセルワイヤーを
イタズラされていたらしく切れやすい状態だったそうです。
もし、朝の高速道路でワイヤーが切れて、元にもどらなかったら
どうなっただろうかかと思うと背中に寒いものが走りました。
今に覚えが、走行中の出来事でなかったので運がよかったのだと
思います。
51歳 女性のストーリー
運の良かった出来事と聞くと一瞬のインパクトのある出来事のようなイメージがありますが、私にとってはずっと連れ添ってきた最愛の主人に出会えたことが人生で一番運が良かったとしか思えません。
結婚は人生を左右する一番大事な出来事ですがずっと好きでいられる人を見つけるのはとても難しいです。
私は北国に生まれそこで生きていたのに最愛の主人になるその人は関西生まれ。
普通なら絶対すれ違うことすらないはずのふたりでした。
私が人間関係に悩み仕事を辞めて転職し、主人となるその人はたまたま一度だけ仕事の用事で北国の私の新しい職場に訪れた。
とんでもない距離の2人がそのとき一瞬だけ接触、仕事上の会話から二人三脚の人生へと急展開。
こんな出会いができたことに時間が経てば立つほど驚きが大きくなり私にはこの出会いが人生最大の幸運だったといつも思います。
48歳 男性のストーリー
ある業界で4回バブルに踊れたこと。
可愛げのない社員でした。
主たる業務で可愛がられてたらそんな事なかったのですが、問題児のレッテルを貼って頂き(体育会系だったので同期と時間外に遊びに行こうにも見事にずれてるしそこから段々疎遠になり)そのお陰で業界最先端の話に呼ばれて長期で出向してたことです。
本籍の会社を忘れかけた頃に出向先での仕事が片付いて暫く帰って、また次の案件で在籍中4回そんな話に紛れ込めたことが運が良かったかなぁと思います。
最先端である反面何か知らんしょうもないトラブルも抱えてるのだらけだったので、あのトラブルを止めれる。
あの渦中に入れるそれだけでもワクワクしてました。
昨今ならどれ位言われたのかなぁ残業。
正直に書いて信用できる管理職に一切委ねますと処理をお願いして、その後退職時に恩恵に授かれました。
40歳 女性のストーリー
高校受験の年、それまで小学校6年生から塾に通っていた私は、どこか「ま、どこかには受かるだろう…」なんて気楽に考えていました。
今思い返してみても、決して校内でも好成績ではなかったと思います。
でも、上に兄がいて、兄が受験に合格したことで、それほど切羽詰まったように感じず、どこかのんびりでした。
5教科のうち特に苦手だった社会もそんなに勉強せず、「苦手だから~」と、机の上に教科書が上がる回数も他の教科に比べると少なかったです。
塾で補講として社会を受けるように言われたものの、実際受けても全く頭に入らず、やはり苦手な気持ちだけが残りました。
そんな自分でも、目指す高校が決まり、だんだんと受験日が近づき、いよいよ当日の朝!緊張するかと思いきや、それほど緊張した記憶もなく…。
合格発表の日も、母とおしゃべりをしながら学校まで歩いて見に行きました。
「受かっているんじゃないのー?」となぜか内心そんなことを思いながら。
そして、発表を見てみると、、、そこには自分の受験番号が!あんなに、真剣に受験勉強をしてこなかったのに、受かることができました。
これが今までの人生で一番運が良かった出来事です。
28歳 女性のストーリー
私が人生で一番運が良かったなと思ったのは、オンラインゲーム内でコミュニュケーション能力が高いフレンドと出会えたことです。
このフレンドに出会うまでは、オンラインゲーム内でも現実の世界でも自分から人に話しかけにいったり話を合わせたり、年上の人とは話しづらかったりと、人見知りで人付き合いが本当に苦手だったのですが、フレンドと出会ったことで変わることができました。
フレンドは、とにかくよく喋る人でしかもいろいろな経験をしている年上の方でした。
なので最初はあまり喋らず丁寧な口調で少し距離をとりながら話しかけていた私もいつしか自然に話せるようになり、時には一日中そのフレンドと話したりした日があったぐらいです。
そのおかげで、現実世界でも自分から話かけたり年上の人と話せるようになったりと、少しだけ人見知りを克服することができました。
今の私のコミュニケーション能力があるのはこのフレンドのおかげなので、フレンドには感謝してもしきれないなといつも思います。
67歳 男性のストーリー
67年生きていてさほど運が良いと思った事はありませんでした。
運でなく実力だという認識からくるものだと思います。
ところが定年退職した昨年から1年も経過しない本年初め前職の会社の総務の方からお願いしたい事があるから会いたい旨の連絡があり、退職時慰留された経緯もあり「戻って欲しい」といった話ではないかと断る決意を持って会いました。
話は違いました。

会社の建設業の許可を取っていますが、有資格者が辞めてしまい、資格を使わせてほしいという内容でした。
今は名義貸しが出来ず、社員でなければならないとの事。
その時点で再就職の意志はなく絶対に出社しないという条件付きで応諾いたしました。
報酬はお任せという事で関心を持っていませんでしたが、振り込まれた金額に驚きました。
何もせず、十数万です。
さらに、社員扱いの為社会保険にも加入し、経済的に楽になりました。
この年でめぐり合えた幸運に歓喜しています。
34歳 女性のストーリー
恩師と呼べる先生に一人も出会えない人が多い中、部活動を通して二人、高校のクラス担任の先生とたくさんの恩師と呼べる人と出会えたことです。
部活動では音楽(吹奏楽部)以外の人間性を学ぶことができました。そこで人間として成長できたと思います。
そしてクラス担任はたくさんいる生徒のことを誰一人見落とすことなく、一人ひとりきちんと深く関わってくれる素晴らしい先生でした。
心配もかけましたが卒業後も時たま会っては、元気か?と気にしてくれる先生で、個人的には第2の父親と思っていたほどです。
天国に行ってしまったけれど、あの先生なら自分のこともきっと見てくれているんじゃないかと思い、それを励みに頑張れている自分がいます。
30歳 女性のストーリー
大学入試です。
推薦で、他のクラスメイトより早く、年内に合格を決めました。
試験の内容は、小論文とディスカッションでした。
ディスカッションは、2人の面接官と5人ほどの受験生が集まり、一人ずつ1分程度で自己PRをするところから始まります。
私は、自慢できるような、リーダーシップ経験などがほとんどなく、部活を頑張ったことを話そうと思いました。
しかし、1分埋まるほどエピソードがなかったため、半分は歌を歌うことにしました。
本番では、少し驚かれたものの、他の受験生も「ディスカッション前にリラックスできたよ」などと声をかけてもらえ、自分自信も吹っ切れてディスカッションに挑めました。
実際、合格もいただけて、成功だったと思っていました。
大学卒業直前、ゼミの先生と入試の話をする機会がありました。
入試で歌を歌った受験生はどうやら噂になっていたようで、その時、面接官でなかったゼミの先生も知っていました。
そして、「あの先生(私の面接官だった先生)はそういうの(歌の自己PR)好きだからな。
俺だったら気持ち悪くて絶対落としてるわ。
」と言われました。
面接は同時に何部屋かで行っており、どの面接官に当たるかは運でした。
準備していったものが、たまたま面接官の好みに合ったことで大学に合格できた、本当に運のいい出来事でした。
37歳 女性のストーリー
進学したい短大に、系列の高校があることが志望校を決める直前に判明したことです。私は中学生の頃に苦手教科があったせいで、もともとの志望校を目指すのはちょっと無理だろうと悩んでいました。でも、高校の数が少ない地域なのでランクを落とすとどこの大学にも行けないような勉強しかできない可能性が高くなるリスクがあったのです。
そんな頃、授業で地元の高校をグループ別に調べようということになりました。私は別の高校を調べていたのですが、ふっとスカートに何か当たるのを感じたら隣のグループが調べていた高校のパンフレットだったのです。それを見たら進学したい短大の系列校だと書いてあるではありませんか!しかも、その当時の私の成績でも特進コースに入れる可能性があると知って、とても驚きました。
早速、その日から家族を説得しにかかったのは言うまでもありません。というのも、もともとその学校は成績下位者の受け皿だから信用できないと家族に言われていたのです。しかし、もともと私が進学を希望していた短大は家族の事情で、ここならまあ出してあげられるからここへ行きなさいと小さい頃から言われ続けていた学校。私が頑張ればその短大への系列校推薦が取れるし、中学から高校へもここならば今の成績で推薦が出せるって先生に言われたし一石二鳥じゃない?と家族を口説き落としました。
結果は万々歳。特進だったおかげで成績は大いに伸びましたし、系列校推薦も最初の思惑通りばっちり取れて、短大まで勉強や部活・生徒会活動を満喫できました。短大でたくさんの資格を取得できたのも、高校である程度マルチタスクな勉強の仕方を身につけられたからだと思います。また、短大で取得した資格はもちろんですが、高校の生徒会で身に着けたスキルも今の仕事に役立っています。あの時、母校のパンフを見られたこと。それが本当に運のよかったことだと思います。
34歳 男性のストーリー
私が人生で一番運が良かったなと思う出来事、それは「この国(日本)」に生まれてきたことです。
少し大袈裟かもしれませんが、人やモノ、国などの歴史が好きな私からすると、日本という国は、国としても、文化や風習、民族意識に至るまでとても魅力的で、特異であるということです。
古くは神話や伝承から始まり、国家の起こり、文化の発展、技術の進歩など、およそ2000年間に目まぐるしく事は動き続けています。
しかも、単一国家としては世界最古の歴史を持っています。
今年「令和」へと元号が変わりましたが、ルーツである中国では今は使われていない文化を大事に伝えています。
残念なのは、現代社会が進歩すると同時に、民族レベルが下降気味になっている点です。
かつては確かに存在した「奥ゆかしさ・思いやり」という概念は薄れつつあります。
もちろん、絶望はしていませんが身勝手な人が増えた印象は拭えません。
しかし、技術的にも文化的にもまだまだ可能性はあります。
この奇跡とも呼べる国に生まれてきたことを誇りに、日々精進していきたいです。
長文失礼しました。
22歳 女性のストーリー
今までで単純に運が良かったと思えるのは度々ありましたが、1回だけほんとに運が良かったと、良い1年になるなと思ったことがありました。
あれは小学生?の時。お正月に三社参りをしていた時でした。地元の太宰府天満宮に家族4人で言った時のことです。寒いなら凄い人数の人で、お参りの行列はごった返して1時間くらいならんだ覚えがあります。
そんな中、毎年必ず太宰府天満宮にきたらすることがあります。500円御籤です。
正しい名称までは覚えてないですが、1回500円の大吉以上であればテレビだったり米俵だったりそこそこ高価なものが貰えましたし、大吉を引くと太鼓とアナウンスですごくお祝いをしてくれるものです。私たち家族はどちらかというと商品よりその年の運勢を占うということで必ずしてました。
おみくじを引くとなると必ず良い奴を引こうと肩に力が入りすごい形相でくじを引くのですが、その時はなんとなく指が当たったものにしました。くじを開けてもらうと、なんと太宰府天満宮で人生初の大吉だったのです。
初めて引いたのもありすごくテンションがあがって、嬉しかったのを覚えています。
その時何を思ったか、父がもう1回ひけ!といったのです。いい気持ちで終わりたいと思っていた私ですが渋々言うことを聞くしかなく、サッと引いて帰ろうとしたところ…またまた大吉。ええっ!?って声が出るほど驚きました。その時のお祝いの太鼓は今でも記憶に残っています。
なんだか勢いで引いた御籤ではありましたが、元旦に2回連続大吉はなんだか縁起のいい人生のなかで一番運の良かった思い出として今も覚えています。
47歳 男性のストーリー
高校受験での出来事です。
数学の問題で、答えが「8」と「√3」の2つがどうしても出てきてしまい、どちらにしようか最後の最後まで悩んでいました。
(たぶんテンパっていたので答えが2つ、なんておかしなことにたったのでしょう(笑))

悩みに悩んだ挙句、「8」を選びました。それが正解でした。
それが効いたかどうかわかりませんが、無事希望校に合格することが出来ました。

それ以外でも、60満点で50点を取る予定だった英語が自己採点で29点で絶望の淵に叩き落されたと思いきや、同じく60点満点で20点と踏んでいた理科がまさかの42点!
ミラクルが幾重にも重なった入試でした。
それもこれも、入試の3か月前に亡くなった、母型の祖母が守ってくれたのだと今でも信じています。
10歳 男性のストーリー
雨っぽいから気をつけてください雨っぽいから気をつけてください雨っぽいから気をつけてください雨っぽいから気をつけて
24歳 女性のストーリー
私の人生で一番運が良かったなと思うことは、自分の両親のもとに生まれてきたことです。
私が、前の職業をやりたいといった時も、その職業を辞めたいといった時も、辞めて東京に行きたいといった時も、たとえどんな選択をしても、「あなたの好きなようにしなさい」と両親は言ってくれました。
でも、決して見放しているわけではなく、遠くから常に見守ってくれています。
愛情とはこういうことなんだろうなと感じます。
思えば「こういうふうになりなさい」「こうやって生きなさい」などと強要されることは今までありませんでした。
そのおかげで、現在私は自分の望むように生きることができています。
ちゃんと感謝の気持ちを伝えられていませんが、いつかきちんと言葉にできたらと思います。
36歳 女性のストーリー
複数の俳優さんがステージでトークをするイベントで、登壇者全員と写真を撮ってもらえる権利があたるくじ引きに当たったこと。
それまでにも同様のイベントはあったし、その都度くじに挑戦していましたが、毎回残念賞(参加賞)の記念品をスタッフの方に渡されるだけだったので、当たった時は信じられませんでした。
イベントが終わって観客が退場した後、ステージで撮影が行われました。
その時たくさんの俳優さんの中で一番応援している人が一番近くにいました。
カメラの準備が整うまでの間に応援している事や他に出演している作品を見た感想を直接言うことができました。
今までの人生でそんな経験がなかったのでとても高揚したし、近くで見る俳優さんはすごくかっこよかったです。
35歳 女性のストーリー
一番運が良かったことは、自分のことをとても愛してくれた人がたくさんの海外旅行へ連れていってくれたことです。
旅費含め何も支払いをせず、美味しいものを食べ、洋服を買い、色んな場所を訪れ、夢のような時間をたくさん過ごさせていただきました。
朝ギリギリに会社に到着するような時間帯の飛行機で帰国することもあり、スリル満点なこともあり今ではとてもいい思い出です。
運がいいことはその時の自分は気づいていなかったことがほんの少し残念ですが。色んな女性がいる中で自分を選んでくれたということをもっと大事にしておけば良かったのですが、当時の自分はそんなことにも気が回らず、自ら手放しました。もうあのような体験をすることはできないと思うとやはり私の中で一番運のいい出来事でした。
21歳 男性のストーリー
私は地方の田舎出身で、あまり勉強が好きではなく、高校3年生までは進学校ではなかったというのもあり、勉強という勉強はほぼ全く勉強してこなかったのですが、急にふとこのまま田舎で就職か名前を書けば受かるような専門学校や短大に行くよりかは勉強して都会に出てみたいと思い立ち、高校3年生の春から受験勉強を始め、全く都会の大学にも詳しくなかったのですが、センター試験の結果的に東京のとある名前の通った私立大学に合格することができました。
大学に進学することで都会に出てこれたし田舎で一生を終えるよりも、広い世界や新しい生活の仕方から価値観まで色々吸収することができて、大学に合格できたこと時代が運がいいなと思います。
27歳 女性のストーリー
私の人生で一番運が良かった出来事は、大学受験です。
自分の学力よりレベルが高い大学を第一志望にしていた私は、
判定が悪い中でも毎日勉強を続けました。
その結果、センター試験はかなり良い点数を取ることができ、
第一志望の大学もB判定でした。
しかし、記述力が追い付いておらず、不合格になってしまいました。
滑り止めの私立大学に合格していましたが、学費を安く抑えたかったので、
後期で別の大学を受験することにしていました。
大切なのは、国公立大学に進学することと自分が学びたい分野を
学ぶことだと考え、最後まで受験しようと思ったのです。
後期試験は、小論文でした。
下書きまでは良かったのですが、清書で時間がなくなってしまい、
後期試験もダメだと思いました。
でも、センター試験の結果が良かったことが幸いしたのか、
合格することができました。
第一志望の大学には行けませんでしたが、最低限のラインは
守ることができ、本当に幸運だったと思います。

「これまでで一番笑った話」

41歳 男性のストーリー
私は携帯電話に携わる仕事をしています。ある日おばあさんがメールの操作の仕方が分からないと来店されたので、何が分からないのか1から話を聞いてみることにしました。文字の入力方法や絵文字の使い方など熱心にメモをとって覚えようと努力されていました。会話の流れから娘さんが良くおばあさんのおうちに遊びに来ているようでした。よくよく聞いていると、おばあさんがメールを送信した後に時間が遅くてもおばあさんに会いに来ていると。娘さんやさしいですねーなんて会話を混ぜながら対応していると、娘さんが毎回おかずを取りに来たとおっしゃるそうなんです。これはもしやと思い、メールの署名設定を見せて頂いたところ、案の定署名に「おかずをつくりましたのでとりにきてください」と書かれていました。おばあさんに署名設定をお話ししたところおばあさんも私も大爆笑。今まで送ったメール全部についていたんですね。署名。
28歳 女性のストーリー
関西から転勤してきた同僚の話です。同僚は転勤の際、なんと自宅で飼っていたトカゲ5匹と蛇1匹を連れて引っ越して来たのです!(最近巷でちょっとしたブームの爬虫類オタクだそうで…)住んでいたマンションはペット可だったのですが、さすがにケージの中でバタバタと暴れる体長約80㎝のヘビを飼っているとは言い辛かったようで、近所の方には「旦那がダイエットの為に夜な夜なダンスしていてうるさいんです~!騒がしくてすみません!」と怪しげな嘘をついていたのだとか。
そんな同僚が1年後にまた関西の支社へ戻ることが決まり、いざ引越し!となった時に問題は起こりました。「1年間の間に丸々と太ったヘビとトカゲをどうやって移動させようか?」という課題に直面したのです。飛行機に爬虫類を預けることは禁止されているため、残る方法は自家用車か新幹線しかありません。数日悩んだのち、結局彼女はホームセンターで大きなスーツケースを購入して電動ドライバーなどで穴を開け、そこにクリアケースに入れたトカゲをヘビを入れて新幹線で移動したのです。そして無事に引っ越し完了。数々の面白エピソードを持っていた彼女ですが、この時の経験は今でも思い出話のネタとなっています。
29歳 女性のストーリー
子供の頃、家族でカラオケに行ったときにです。元々私の父は大変音痴なのですが、カラオケで歌い始めると音が合うことの方が少なく、家族みんな大爆笑でした。試しに採点機能をつけてみて、画面上にリアルタイムで音が外れているか見てみようと思いやってみると、まずは出だしのリズムが合わない。マーカーのように出てくる画面上の音のしるしは、重なることがほとんどない。ここまで来ると、逆にどうやったらこんなに音が外せるのか不思議でした。父に話を聞いてみると、職場の二次会でみんなでカラオケに行ったときも、若手社員から大爆笑されたそうです。子供の頃の記憶はそれほど多くはないのですが、これは鮮明に覚えている笑いに笑った出来事でした。
39歳 男性のストーリー
沖縄あるある沖縄出身者:『沖縄の台風はスゴイよ~本土とはレベルが違う』

不動産屋 :『普通に電気も水も止まるし、電柱も倒れますよ!』

と、引越し前に散々インプットされていたため、移住してから初の台風来襲に戦々恐々の妻。窓に叩きつける雨と風の音でテレビもろくに聞こえない状況に不安は高まる一方。

妻:『(これ関東だったらとっくに電車が止まるレベルだよね)』

妻:『(都会で甘やかされた生活を送っていた自分に、水も電気もないサバイバルなんてハードル高すぎる・・・)』

そんな軽くパニック状態の妻をよそに、警報発令のためお仕事を早退してきた夫の手にあったのは沖縄を代表するお酒「泡盛」の一升瓶。
非常食や懐中電灯ではなく、お酒。

妻:『いやいや、サバイバルに必要なのは酒ではないよ。』

夫:『いやいや、これは台風を乗り切るためのマストアイテムだよ。』

妻:『・・・(恐怖のあまり日本語が通じなくなったか?)』

夫:『台風の日は、家が揺れてるのか自分が揺れているのか分からなくなるまで酒飲んで過ごすんだって』

妻:『?!』

夫:『それと、ほらアレ見て』

と夫が指差した先は、我が家の窓から見える某大手レンタルショップの駐車場。そして雨で川みたいになっている国道で強風にあおられながらも列を作っている車、車、車。

妻:『なにあれ?』

夫:『DVD借りる人で渋滞が出来てるんだよ。混んでて駐車場に入れないみたい』

妻:『?!』

夫:『明日は仕事休みになるし、ウチらも何か借りに行く?』

妻:『あ~うん・・・そうだね・・・そうだね』
39歳 女性のストーリー
職場の同僚とお客様の自宅に仕事で伺いました。その際、男性の同僚がどうしてもトイレに行きたくなり、お客様のご自宅のトイレをお借りしました。しかし、そこは田舎のお宅で、いわゆる「ボットン便所」でした。そして用をたそうとした同僚はズボンのポケットに入っている免許証をなんと、ボットン便所に落としてしまったのです。これには大爆笑でした。そして同僚は近くのドブに流れついているとふんで、みんなで探しに行ったところ、免許証を発見。ビニール袋を逆にして広いあげました。その後、同僚は警察署に行って再発行してもらったそうですが、事情を説明したところ警察署員のかたからも笑われたらしいです。もうあれから何年もたちますが、あんなに笑ったことは、初めてというくらい皆で笑い転げました。もちろんお客様はその事実はしりません。
32歳 男性のストーリー
友人の話です。彼は20代前半のときにバックパッカーとしてインドに行きました。街から街を長距離バスで移動する際にある出発地点で旅行会社の現地人と揉めていました。どうやら支払い額が足りなりらしいです。しかし正規料金を払ったと主張する友人。ヒートアップしているうちに自分の財布をすられてしまいました。見兼ねた旅行会社の人はそのまま友人をバスに乗せてくれたそうです。彼は感謝しましたが、財布の中にはかなりの大金が入っており意気消沈しています。乗り換え地点に着くと、そこから別のチケットで別のバスに乗ります。土地勘のない彼に事情を知るバスの運転手が「これを使え」と優しくチケットをくれたそうです。彼は涙しながら感謝して次の目的地に向かうバスに乗り込みました。車掌にチケットを見せるように言われ、先ほどもらったチケットを出すと
「足りないが?」
友人は数々のインド人の優しさを胸に目的地まで数時間歩いたそうです。
61歳 女性のストーリー
当時秋田に住んでいた時の話です。秋田の冬は雪が多く、学校に行くのもスキーウエアを着て完全防備にパンドセルしょって登校していました。その日はピアノのレッスンの日。出かける前に寄り道はしないようにしっかり約束をして送り出しました。しかし、ピアノの先生が来られる頃になっても娘は帰らない。何度も何度もマンションの前で待っていても娘の気配がない。遂に先生が到着。しかしまだ帰ってこない。先生と心配していたところ、ふとベランダを見ると遠くに娘らしい姿が見えてきました。赤い耳当てのついた帽子に赤い手袋、赤い長靴で直ぐに分りました。なんと小さな身体でランドセルを背に大きな大きな雪玉を転がしな自慢げに言うがら夢中に必死に歩いていたのです。家に着いた時は顔は真っ赤、湯気が出るよでした。なんとそうです。ピアノの事などすっかり忘れ学校からずっと転がして帰ったんだよと自慢げに言う娘の姿に大笑いしてしまいました。
22歳 女性のストーリー
実家のリビングにある空気清浄機は普段は緑に光っていて、これは清潔な空気が保たれているということを示します。少し空気が汚れているときは黄色、汚いときは赤色になり、だんだん機械の音も大きくなっていきます。例えば締め切っていたドアを開けたとき外の空気が汚ければそれに反応して、黄色赤色と色が変化するという仕組みです。とある日、窓も開けていなければリビングからの出入りは全くない、というより家族みんながぼーっとしてテレビを見ていたときに、いきなり空気清浄機が赤色に変わって大きな音を立て始めました。1,2分時差があって本当にゆで卵の黄身み大量の塩をかけたような強烈なにおいがして、誰かがすかしっぺをしたのだとわかり、それぞれの表情を探りあっていると、耐えきれなくなった母が大爆笑しながら自白しました。なぜかこっちまで笑ってしまいました。
29歳 男性のストーリー
私が人生の中で一番笑った話は、家族が増えた時ですかね。ほかにもいろいろ考えましたが、あれほど人生の中で素晴らしく笑顔になれる瞬間はありませんでした。笑うという行為はただおかしくて笑うもあるでしょうが、やはり幸せ・幸福を感じて笑顔になったというのが私の一番笑った瞬間です。ほかにもやはり家族と過ごしている時が一番笑える瞬間なのかもしれません。なにをしていても、ただやることがなくぼーっとしていても、おしゃべりをしたり買い物をしたり料理をつくっているときや掃除をしている時でさえ、家族がそばにいれば笑顔になり、毎日が一番笑える日になるのかもしれません。趣旨とは少し違うかもしれまでんがこれが私の一番笑顔になった話です。
28歳 女性のストーリー
先日、洗濯物を取り込もうとした時のことです。
その日は、とても風の強い日でした。
夕方、洗濯物を取り込もうと、マンションのベランダに出てみると、ピンチハンガー(洗濯物干し)が隣の部屋の避難壁(仕切り板)に引っかかってしまっていました。
慌ててピンチハンガーを手前に引き寄せると、同居人の彼氏のパンツだけ、避難壁に引っかかって外れてしまい、壁の上に乗ってしまいました。
当時、まだ風は強く吹いていたため、隣の部屋にベランダに落ちる前にと、急いで手に持っていたピンチハンガーを部屋の中に入れ、ベランダへ戻ると、丁度、私が戻ったタイミングで、私の目の前で、パンツは避難壁の向こう側へゆっくりと落ちていきました。
壁の下からパンツが取れるのではないかと覗いてみたところ、壁の向こう側には、エアコンの室外機が設置されておりました。
こっそり、ベランダの正面側から、お隣のベランダを見てみると、室外機にパンツが乗っていました。
下着という恥ずかしいものでしたので、どうしても隣人に取ってきてもらうようお願いする気になれず、どうにか自分で回収できないものかと考えてみたところ、手を伸ばし、布団用の大きな洗濯バサミでパンツを挟むことを思いつきました。
試した結果、5秒ほどで無事にパンツを救出することができました。
後日、彼氏にこのハプニングを話したところ、当時の慌てようと、回収できてほっとしたのとを思い出し、めちゃくちゃ笑ってしまいました。
29歳 女性のストーリー
旦那と私は去年の秋に結婚式を挙げました
その準備中の会話が今思い出しても笑えます。
私がリングピローを手作りしようと思うことを旦那に
告げると旦那はそんな難しいもの作れるの?っと
すごくびっくりされました。
私は馬鹿にされたかとおもい、リングピローぐらい
手作りできるよ!とイライラしてしまいました。
よくよく話を聞くと旦那はリングピローは
丸い座布団のことだとおもっていたみたいで
私が低反発のリングピローを作ろうとしてると
勘違いしたみたいでした。
でもどう考えても可笑しいですよね!
新婦だけがリングピローに座ってるなんて、、、
想像するだけでも笑えてきます。
旦那はどこまでも天然なんだなあと
思いました。新婦だけどんなVIP待遇なんだよって
ついつっこみたくなりました。
そんなこんなで喧嘩も色々ありながらも
無事に式を終わらせることができ
いまではとてもいい思い出になってます。
45歳 男性のストーリー
私は35歳を過ぎたころから、見知らぬ小さい子に話しかけられることが多くなりました。先日、近所のどこに住んでいるか分からない子に、家の前に居ると話しかけられました。「明日、お父さんと動物園に行くんだ」と小学校にまだ上がっていないくらいのその子は言いました。「へぇ~いいじゃん」と私。そして次の日。日曜で天気が良かったため、お昼を食べた後、洗車を家の前でしていると、昨日の男の子がお父さんとやってきました。「あ!」と思い、スポンジを持ちながら、その子の近くに私が行き、「動物園楽しかった?」と聞くと、「うん・・お馬さんしかいなかった」とその子は言いました。するとその子のお父さんがペコリペコリと頭を下げまくっています。私はその子に「お馬さん、走ってると大声出してるおじさんいなかった?変わってる動物園だよね」と聞きたくなりましたが、お父さんが伴ってさっさと帰っていきました。
57歳 女性のストーリー
その時は、めちゃめちゃ本気だったんですが、あとになって、誰に話しても、大爆笑される話です。主人に死に別れてから、二人の子供を必死で育ててきた私。その当時、長男は高校生でした。友達も携帯を持ちはじめた頃で、生活に余裕はなかったけれど、息子だけないのも不憫だろうと、やりくりしながら携帯を持たせていました。世に中も、まだ、ガラケーだった時代です。ある日、通牒をみると携帯代、3万円引き落としされていました。なんだこれは?携帯会社の間違いじゃないかと、問い合わせたところ、息子がおさいふ機能を使っていたことがわかりました。ぶちきれた私は、息子に注意。もうわかったのかと思いきや、三ヶ月、同じ事を繰り返したバカ息子に、とうとう堪忍袋の緒が切れて、【おーーーーりゃりゃりゃりゃりゃあーーーー!!!!!】と、もう自分でもよくわからない、ブルースリーのような言葉を連発しながら、息子に近ずいていった私は、息子の目の前で、持っていたガラケーを逆パカし、空中めがけて放りなげたのでした。今でもハッキリと、まるで映画の一場面をみるような、二つに切り離されたガラケーが空中を飛んで行くスローモーション映像を覚えています。しかし、そのスローモーションの映像の中で、飛んでいったガラケーは、私のガラケーだったのです。【ええ?!なんで私の?】と思い、息子も【なぜ?おかんの?】という顔をしていました。しかし、怒ってる最中で、急に、態度を変えれない私は、とりあえ、そのまま息子を怒鳴りまくりました。が、目線は、完全にガラケーの行方を追っていました。息子を怒り終えた私は、必死で二つに遮断されたガラケーを探し、とりあえず、電話をかけてみたところ、なんと電話がかかったことを確認!よかった!と喜んだのもつかの間、電話はかかるけど、耳をあてて相手の話を聴く上の部分が、切り離されてるので、会話できない事に気ずきました。その私の様子をみていたバカ息子がとうとう、堪えきれずに、声を殺しながら笑っていました。その後、携帯会社に行って、新しいのと交換してもらいました。
33歳 女性のストーリー
飼っていたハムスターが、毎晩脱走を繰り返していました。
当時、祖父と同居しており、祖父が大変にハムスターを可愛がっておりましたので、夜な夜なこっそりカゴを開けてるのではないか、という話になりました。
とある日の朝、ハムスターがおらず、キッチン周辺みかんネットを両手に持ち、おろおろしている祖父の姿を見つけました。
やっぱり祖父が逃がしてたんだ!と確信し、問い詰めると、カゴは開けていない、起きたらキッチンにハムスターがいた、と言うのです。
絶対に嘘だと思っていたのですが、夜中にこっそりハムスターのカゴを見てみました。すると、カゴの天井にぶら下がり、反動を付けて足で蹴り、カゴを開けているハムスターが…。たくましくターン!とカゴを開け、チャイナマーブルめがけて脱走したハムスターでした。おじいちゃん、ごめん。
23歳 女性のストーリー
初デートの時に大きなショッピングモールに行きました。
初めは緊張して2人ともなかなか話すことができなくてずっとウィンドーショッピングする感じで歩き回っていた時に、ペットショップに入ってそこでやっと距離が近くなり、2人でペットに癒されました。
彼は、うさぎと猫が大好きでずっとガラスの向こうにいる動物を見ながらニコニコ笑っていてそれを見た時さっきまでの無口で緊張していた顔が緩んでこっちまで楽しくなったんです。
それか、ずっとペットショップにいて約1時間近く眺めていました。
その後お昼ご飯をそろそろ食べようとペットショップを出た時に、2人でコレだけ長い間ペットを見ていたのに「あっちにもまだいるよ。
見に行こうよ。
」と2人大きな声で指をさし、まだ向こうにいるペットを見に行こうとした時、そのペットはガラス張りに写った反対側のペットで私たちはただガラスに指をさしただけでした。
その時2人は大声で言った分恥ずかしい気持ちとともに大笑いして周りにバレないようにすぐ近くのエスカレーターで隠れるように別の階に行きました。
ずっと大人しかった2人が初めて爆笑した時で今でも忘れずに覚えています。
56歳 男性のストーリー
私は障害を持っているため一般の企業での就労が難しく、現在福祉施設を利用しています。
そこであった笑ったお話しになりますが、その福祉施設では指導員という方がおられ、作業に対する指導や個々の体調面を管理して下っているのですが、少し前に作業内容が解らなかった為、指導員の方に質問をしました。
そこで指示があった為、私は忘れないようにメモをとっていて、なになに「へ」と書かないといけないところを「え」と書いていたところ、指導員の方が見ていておられたようで突然、「え」じゃなくて「へ」です。
と言われて、私は「あ、見られていたんだ」と思いながらもそこはやり過ごしましたが、後になって指導員の方のツッコミを自宅で思い出し、おかしくなって一人でとても笑ってしまいました。
私の記憶する範囲では一番笑えたお話しでした。
46歳 女性のストーリー
以前勤務していた会社は制服があったので、毎朝出勤後はバタバタと更衣室で着替えていました。
会社の規定で、制服を着用しての通勤は禁止だったので、
朝はいつも慌ただしく着替えていました。

制服のスカートがとても軽い素材でできていたので、
履いているかいないのか分からなくなるくらい着用感のないスカートでした。

寝起きで出勤して寝ぼけたまま、毎朝更衣室で着替えていたので、制服のスカートのあまりの軽さにいつもハッ!としてちゃんとスカートを履いているかどうか、急ぎながらも何度も確認して職場に向かっていました。

ですがある日、いつもスカートを履いているのを確認しているから大丈夫だろう。と油断してしまい、
寝ぼけたまま急いで着替えを済ませたつもりで更衣室を出ました。
ところが、上半身は制服、下半身はストッキングからパンツが透けて見えている自分の姿を、エレベーター越しの鏡で見てしまい猛ダッシュで更衣室に戻りました。

恥ずかしいを通り越して、今でも思い出しては爆笑してしまうエピソードです。
33歳 男性のストーリー
中学生のころ近所のバス停からバス通学で学校に通っていた。
バスを降りてから、いつもつるんでいる同級生と待ち合わせをして学校に向かうのだが、そのメンバーの中に小さくて小太りの男の子がいた。
その子の名前はフナツ君というのだが、フナツ君はいつもみんなの前でふざけて笑わせてくれる男の子で、
その日も一人だけ少し前を歩き、僕たちの方を向いて色んな変な動きを見せながら歩いていた。
車道と歩道の境目に小さい縁石が続いていたのだが、フナツ君はそこの上に登って遊んでいた。
危ないなと思った瞬間、案の定足を踏み外してこけてしまい、縁石が股間にクリーンヒット。
その場で悶絶したのだが、周りを歩いている女子中学生たちも笑いを堪え、対向車の車の運転手も笑っていて、
あの時は私も腹を抱えて笑いました。
52歳 男性のストーリー
だいぶ前にお話になりますが、会社の出張で、職場の人間が、4、5名単位で、出張先で、泊まり込み仕事をしていた時のお話です。
お昼のランチをたまにはみんなで、食事に行こうとなり、ファミレス系列のスケーキ系のお店に入ることにしました。
みんなが順番に注文を行なっていました。
笑いの原因を作った人の順番が来ました。
ステーキ肉の種類、パンを選択するか、あるいはご飯を選択するかまでは何事もなかったのです。
最後の一言、店員スタッフさんが、「お肉はどの様に焼かれますか」と、その同僚は「一生懸命焼いて下さい」と真面目な顔つきで言ったのです。
ウェルダン、ミディアム、レアのどれにするかの回答が返ってくると思っていたのに、「一生懸命焼いてください」の答えに店員スタッフさんは困り顔でした。
若い可愛い女性スタッフさんだったので、「はい、心を込めて、一生懸命焼かせて頂けますが、焼き方はいかがいたしましょう」と再度、訪ねて来られました。
私たちの方が年上で男ばかりだったので、相手が可愛い女の子で、非常に困惑気味だったので、笑いを堪えて、「くすくす」と小さく笑い、肩をゆすっていました。
意味の分かっていない同僚が同じ様に答えるものだから、ますます、女の子は困惑顔になりました。
剣局、周りがフォローしたので、女性スタッフは「有難うございます」と一礼して、ニコッと笑って戻って行きました。
女性スタッフが見えなくなった後、みんなから、「あほか、お前は」といじられていました。
平成の前半だった話ですが、今ほど、外食を多くはしていなかったのでしょう。
若かっただけに経験も少なかったからということでしょう。
後日、その話は職場全体にまで広がり、出張に行っていない私の耳にも入るくらいでした。
29歳 女性のストーリー
あるレジャー施設に行ったとき、入園料を買うために列に並んでいました。
すると前の若いお母さんが受付の人に「大人(おとな)二人と小人(こびと)二人」と言っているのが聞こえて旦那がぼそっと「あの人、こびと連れてるんやって」と。
私はこらえ切れなくなり腹を抱えて大笑いしました。
大人(おとな)は読めたのに、どうして小人はこどもじゃなくて「こびと」と読んだのかな?と冷静に分析している旦那も面白かったです。
でも、一番は受付のお姉さん!「はい、大人2名とこびと2名ですね」っとサラッと真顔で返してしてプロだなと思いました。
私なら笑いをこらえるの必死でプルプルしていたと思います。
誰か、あのお母さんに「小人はこびとじゃなくこどもって読むんやで」と教えてあげてください。
49歳 女性のストーリー
子供のころ、現場作業員の父親が、工事の資材置き場で廃棄物を燃やしていました。
あまりにも莫大な量を処理していたため、焼却炉から火災現場並みに燃えさかる火と煙が。
それを発見した近隣の住民が消防に通報したところ、10台ほどの消防車が駆けつけ、消防士が「大丈夫ですかーっ??」と救助のため父親の元へ。
そこできょとんとした父親の吐いた一言。
「おまえら何しに来たんだ?」
子供ごころに「父さん、此の期におよんで何を…」。
現場に居合わせた家族、従業員ともに苦笑いでした。
消防士さん並びに税金を納めている市民の皆さん、その節は父がご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。

今となっては笑えますが、子供のころの父親との衝撃的な思い出でした。
33歳 女性のストーリー
同窓会の飲みの席で友人づてに聞いた話です。
浮気がバレて彼女を失いそうになった私の元クラスメイトの男性(30代前半)。
そんな彼は、頭がちょっと悪い以外は会話も面白く、空気が読めて、年齢の割にも童顔で甘え上手な性格から、女性の母性本能をくすぐるやつでした。
浮気がバレてしまい、それに気付いた本命彼女に別れを匂わされて焦って名誉挽回しようと決意した彼は、ハリポタオタクである本命彼女を映画グッズで釣って仲直り…と計画するも、それは関西のUSJ限定商品のようでした。購入代行を現地の人に頼みたいと考え、何故か浮気相手の彼女に依頼したそうです。
この時点で???なのですが。

無事希望通りのグッズを入手でき、ホッとして大喜びした彼。
浮気を反省するどころか、感謝のあまりお礼にディナーをご馳走しそのままホテルへとしけ込み、浮気続行したようです(謎)。
その日はクリスマスイヴでした。

翌日のクリスマス、家に呼び出した本命彼女に「どや!」とでも書かれたような顔でグッズを差し出す彼。
「メリクリ。これ、欲しかったやつやろ?」

無表情だった彼女はその一言で更に表情を一変、地を這うような声で「メリクリってかさぁ、」

「メリクリじゃねえ!!メリークルーシオ!!!」

と言い放つと、呆然とする彼の首を締め上げた後、言い訳の隙もなく張り手。そのまま去って問答無用で連絡を絶たれてしまったそうです。
本命彼女はおそらく、元カノのSNSなどで文面や、購入グッズ等同じ物を見て確信したのだと思います。

クルーシオはハリポタの世界における禁断の魔法の1つ、相手を苦しめる拷問魔法の呪文です。
首を締め上げられながら唱えられるなんて想像するだけでトラウマものです。ハリポタオタの彼女怖え……。

いつでも詰めが甘く、浅はかで憎めない彼の性格と、ブチギレた本命彼女が上手いこと言ったのが、聞いているうちにツボに嵌ってしまい、つい今までになく笑ってしまいました。
53歳 女性のストーリー
私、飲食店でバイトしてるんです。この前お店に「サンドイッチをテイクアウトできますか?」って電話がかかってきて、いつものようにサンドイッチの種類や数をメモしてました。最後に「お名前お願いします」と聞いたらその電話の相手が「もりおうがいです」って言うんです。えー?もりおうがいって森鴎外?同姓同名?って頭では思ったのですがまさかお客様にはそのまま言えず、「森さまですね?」と聞きました。するとむこうは「はい、もりおうがいです」とまた言うんです。
半信半疑で電話を切りサンドイッチを作って森鴎外の登場をみんなで待ったのですが一向に現れず。結局ただのイタズラ電話だったんですが電話の後お店に来る人はみんな森鴎外なんじゃないかとジロジロわかりもしない人を探していました。ちなみに森鴎外ってこんな人です。見かけたら「大変お待たせしました」って言ってサンドイッチ渡してくださいね。
48歳 男性のストーリー
突然のことでした。
「となりの客はよく柿くう客だ、という早口ことばがあるでしょう。」
「あるねえ。黄巻き紙とか、赤パジャマよりは言いやすいね。
となりの客はよく柿くう客だ。」
「上手、上手」
「竹立てかけかけた、って難しいね」
「うん、あと何かあったっけ。」
「となりの家に囲いができたってねえ。」
「へえ」
「それは早口ことばではない」
爆笑です。
「ああ、あとこれね。仏像がぶつぞう。」
「早口ではないですね。」
またまた爆笑です。
「さっきの竹とか、巻き紙は複数回いっているから、早口ことばですよね。仏像は2回言っているから、立派な早口ことばじゃん。」
「なるへそ。さもありなん。」
「ダメだね。そんな論法で納得しては。アハハ。」
「アハハ」
「さっきのアハハも繰り返しじゃん。」
「もう早口ことばじゃないじゃん。」

「これまでに出会った天才」

19650101歳 男性のストーリー
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44歳 男性のストーリー
人間の才能に驚かされることは多い。これまでに出会った天才で、特に印象に残っているのは中学と高校の同級生のことである。
中学時代、彼は常にトップの成績を残していた。因みに私は万年2番手という状況。圏域のナンバーワンの進学校へ私たちは進学し、自分はいつか彼を追い抜くことができるという、根拠のない自負を持っていた。
しかし高校ではさらに二人の差は開いていくことになった。ある時一緒に勉強をする機会があり、テストへ向けてお互いに問題を出し合うようなことをしたときだった。同じ時間をかけて勉強をし、何度も問題を出し合うのだが、記憶力の差が歴然だった。彼は躊躇なく間違えることなく回答する。自分は決して記憶力が悪い方ではないのだが、差は圧倒的だった。
こいつにはかなわないと痛感し、天才の存在に気が付く瞬間だった。
37歳 女性のストーリー
以前勤めていた職場の方です。
薬剤師で英語や中国語、他にも何ヶ国語も話せて場所柄多い外国人の患者様の対応をしていました。
ただでさえ外国語が話せるのもすごいのに、医療用語や薬のことや専門的なことが話せる、理解出来るってすごいなと思いました。
話すだけでなく書くことも出来たので、1度なぜそんなに母国語じゃない言葉が覚えられるのか聞いたら、ひらがなカタカナ漢字に言葉使いも色々ある日本語が1番難しいからそれに比べたら外国語は簡単だよと言われた時は天才だなと思いました。
本人曰くゲーム感覚なんだそうです。
ちなみにその方は乗馬にバイオリンにプライベートも色んなことをしていて本当に頭が良く回転が早くて話をしていてもとても面白かったです。
とても憧れの方でした。
31歳 女性のストーリー
大学時代の先輩ですが、実験や研究に関することで、自分や友人が質問したことには何でも答えてくれました。
分からない、と言われたことは一度もありませんでした。
ただ単に頭が良いというだけではなく、「仏様」と呼ばれるほど誰にでも優しく、ユーモアも持ち合わせていて、癒し系でもあり、人柄も完璧でした。
私には何一つ敵うところがないな、と思い知らされました。
また、天は二物を与えずというのは嘘なのだと後輩たちの間でも有名な存在となっていました。

卒業後は研究者を目指していたようでしたが、しばらくして近況を伺ったところ、受験をし直して国立大学の医学部に入学したとのことで、最終的にお医者さんになっていたのが衝撃的でした。
35歳 男性のストーリー
高校生の頃に出会った人がいますが、全国的にも有名な高校に通われていた彼ですが、
ちょうどその時の時期もあったのですが、期末テストの話になりました、
彼は、「うちの高校の古典のテストは簡単なんだよ、ただ百人一首の上の句と下の句が50個出てきて、それぞれ反対の句を各だけなんだよ」と言い出しました。
僕は、「えっ、それは100個すべての上の句と下の句を覚えるって事だよね?」と聞き貸したら
彼は、「えっ?覚えるだけだから簡単じゃない?」と言い放ちました。
本当の天才とは、覚えるという事が苦労とか努力が必要ないただの作業という事だったみたいです、読んだらすべて頭に入るらしいです。
数学などの計算したり頭使う問題は難しいけど、暗記問題は覚えるだけだから頭使わないとまでいっていたので頭の規格が違いすぎると思いました。
それにしても、全国的に有名な高校は規格外な試験をしているとも思った思い出でした。
33歳 男性のストーリー
私が今まで出会った天才は前職に居た会社の先輩です。

年齢は私より5歳上で、それなりにサラリーマン生活を務めていた先輩なのですが他の同年代の同僚と比べて明らかに異質でした。

どういう天才かというと「努力の天才」です。

具体的に何が凄かったかというと
・WEBデザインが出来る
・営業ができる
・経理もできる
・小説を書いている
・WEBライティングで本業を超える収入を稼いでいる
・1日の睡眠時間が4時間を切ってもハイパフォーマンス
・上に対しても下に対しても礼儀正しく、ユーモアがある
・昔、趣味でバンドをやっていたけど「1人」で全ての楽器を扱っていた

この人の天才ぶりは学歴とかそんなレベルではないです。なんせこの人は「高卒」です。

でも私が出会った中では、どんな大卒の人よりも魅力的な人で「自分には何が出来るか?」ということを高速で考え続ける人です。

この間飲む機会があって「相変わらず睡眠時間削って、副業のWEBライティングしているんですか?」と聞いてみたのですが、
「ううん、最近はちゃんと7時間ぐらい寝てるよ。WEBライティングの構成は【夢の中で】してる」という発言が返ってきました。

また自分の知らない境地に到達したのかと、驚いたそんな天才の先輩の話です。
37歳 女性のストーリー
発達障害を持った子供たちのお友達になります。学習障害の彼ですが、1つの工作に対する熱意とアイデアは群を抜きます。
毎年夏休みになると工作があるのですが必ず優秀作品賞を受賞します。過去の作品ですが、とにかく細かい作業を細かく、入念に、リアルな完成に仕上げており、誰も感動したのが、アルミホイルだけを使って作業した恐竜の、恐竜だけの世界をリアルに作り上げていました。まさに思考がないとできない作品だと思います。図鑑から飛び出した、トリケラ、ティラノザウルス、などの20種類以上の恐竜がアルミホイルで描かれている驚きの作品で、みんなが作り方教えて!と飛び付いていましたが、誰1人と仕上げれた人たちはいませんでしたよ。
25歳 男性のストーリー
これまで会った中で一番の天才は、記憶したものをすべて完璧に覚えてた人です。
接客業を現在しているのですが、一度来店したお客様の顔や買った商品、話した内容を事細かくすべて覚えていました。
また、買わなかったけどまた来店されたという場合も話した内容や気になっていた商品をすべて記憶していました。
また、それはたった一人にやっているというわけではなく、なん百人もお客様がいる中で完璧に覚えていらっしゃったので本当に尊敬しましたし、天才だなと思いました。
私は、話した会話や買った商品は覚えているのですが、ざっくりした内容しか覚えてない場合がほとんどであるのであそこまで事細かく覚えているのは普通に尊敬しました。
天才です。
58歳 女性のストーリー
それは、孫のひなたちゃんです。
今、3歳ですが、ブロック遊びが大好きな可愛い女の子です。
特に夢中になっているのが<ピタゴラス>という磁力でくっ付くブロックです。
三角や四角の形をしたカラフルな色味の、そのおもちゃに夢中になっています。
様々な物を作っているのですが、それがどれも凄いんです。
子供の自由な発想と、伸びやかな感性で作られたお家やロケット等、どれも感嘆してしまいます。
自分にそういった創作能力が無いので、わが孫ながら『この子天才』と叫んでしまいます。
最近は知育おもちゃといった物が多く出ています。
好奇心を上手くくすぐり、それが子供の知識として蓄えられるなら、とても良いことだと思います。
中でもブロックは作る楽しさ、それを使って遊ぶことが出来る素晴らしいおもちゃだと思います。
それを上手に組み立てるひなたちゃんは天才です。
21歳 男性のストーリー
僕がこれまでに出会った天才の人は中学時代の時の先輩で当時仲良くしてもらっていた柔道の阿部一二三選手です。
今では男子柔道のエースにもなってもおかしくないくらい実力があり何年後かのオリンピックに出れると思います。
阿部選手が2年の時に中学全国柔道大会55㎏級で優勝しました。
3年生の時には60㎏級に出場してオール一本という快挙を成し遂げて凄いなって思いました。
それからアジアユース大会でも優勝して凄いなって思ったし中学の生徒からは天才と言われていたし凄く人気がありました・阿部選手の練習を近くで見て技のかけ方も凄く上手いですし背負い投げも見て凄く素早くしていてかわせる人は少ないと思いました。
中学の時の憧れの先輩だったのでこれからの男子柔道をエースとして引っ張っていってオリンピックに出て欲しいです。
阿部一二三先輩はずっと天才です。
36歳 女性のストーリー
ソフトボール部の、学年が1つ上の先輩です。
とても身体能力が高くスポーツは何でも出来て、性格もサバサバして男っぽく、みんなの憧れでした。
女からもモテて、他の中学校のソフトボールチームの女の子達が、試合のあとサインをもらいに来るほどでした。
彼女は守備も完璧で、バッティング力もすさまじく、どんな球でも打ちます。
牽制ボールでさえ身を乗り出して打ち、ホームランにしてしまう、そんな天才でした。
私がいじめられている時も助けてくれ、いじめていた子達を呼び出しシメてくれました。
そんな彼女は、ソフトボールの推薦で他の県の高校に進学し、それからは会わなくなりました。
そして何年か時が過ぎ、彼女は実は姓同一障害で、男になったと聞きました。
その頃はまだ姓同一障害は有名ではなく、彼女も苦しかっただろうと思います。
どうりで身体能力が高く、かっこ良かったはずだと、納得しました。
私の人生を大きく変えてくれた、大切な人です。
29歳 女性のストーリー
大学時代に知り合った、とにかくオールマイティな友人です。
まず、学校の成績はいつもオール5でした。
例えば、高校時代の数学の授業に関しては、先生が黒板に書いたものをノートに取ることはなく、目で見てやり方を覚え、応用編もスラスラ問題を解けていました。
音楽は、楽譜が読めないのに音を聞いただけでピアノなどの楽器が弾け、学校の先生も驚いていたほどです。
学業だけでなく、料理に関しても、食べた物の材料をすべて当てたり、後ろから歩いてきてる人の歩く音だけで誰かが分かったり、その場の空気を読む能力が普通の人に比べて非常に高かったりもしました。
IQだけでなく、普通の人ははなかなかない才能を持っている人で、いつも周りの人を驚かせていました。
43歳 女性のストーリー
果てしなく円周率を覚えている人。
「一体どこまで言えるの?」と思うくらいずっと言い続けていた人がいます。
暗算で割り算をしながらでもおそらくこたえられるのでしょうが…それでもなかなかできないことなので感心します。
そしてこの方の記憶力はこれだけにとどまらず、100人以上の友人の携帯番号を全て覚えています。
ここまでくるともはやなんのためにやっているのか、覚えられているわたしたち友人側の人間のほうが逆に引きますが
聞いてみたところ、覚えようとして覚えているわけではなく、電話をかけるタイミングで目にするのでそこで自然に名前と電話番号を覚えたそうです。
思い出す際にも携帯の液晶画面が思い浮かぶとか。
凡人には理解できない天才です。
44歳 女性のストーリー
私の兄弟です。
他の親族とは次元が違っていました。
小6の家庭訪問のときに、「地元の公立中学に行っても悪目立ちするから」と担任の先生に言われ、親は私立中学の受験をさせることを決めました。
かなり昔の話とはいえ、都市部で中学受験をするとなれば、今と同じく小4から専門塾に行くのが当たり前でした。
夏休みも終わり、秋から塾に通いだし、特殊な中学受験の勉強を頭に叩き込み、見事希望校に合格して、進学しました。
でも、兄が塾に通ったのは、この小学校時代の数か月だけです。
その後は、全く塾にも通わず、通信教育も受けず、今のように衛星放送の授業も受けておらず、学校の勉強と独学で受験勉強をしていました。
学校では、常にトップクラスに属し、周りは当然東大への進学希望者ばかりでした。
臨床医になりたいという夢を持っていた兄は、医学部一本で、旧帝大に現役に合格しました。
今でも現役にバリバリの医師です。
36歳 女性のストーリー
うちの弟は天才だと思います。
この話をすると友達からはもれなくブラコンと言われますが、そんな自覚は全くなく、本当にすごい人だと思っています。
1つ年下の弟は、当然同じ両親のもとに生まれました。
1年の違いなだけの人生だったはずです。
その弟は、小さい時からコツコツ努力することが苦手でした。
どちらかというとそれは私の方が得意で、私はゴールに向けて長期間頑張り続けることが弟よりはできていたと思います。
学校の宿題も私の方が先に初めていましたし、ゲームも私の方が長くはまって遊んでいました。
それにもかかわらず、夏休みの宿題はいつも弟の方が早く終わっていました。
鉄棒の逆上がりも弟の方が軽くこなしていました。
ゲームで裏技を見つけては早々にクリアしてしまうのは弟でした。
高校受験では、私よりレベルの高い学校へ合格し、3年連続特待生です。
大学受験がしたくないと、付属の大学へ進み、理系大学の困難な課題をクリアし、教授を圧倒させる研究成果をあげて卒業しました。
大学時代に1か月間、自分の好きな国で生活し、英語をマスターして帰ってきました。
現在彼は、大手外資系企業にスカウトされ、英語を使いこなしながら私の倍以上の給料をもらって、専業主婦の奥さんと穏やかな家庭を築いています。
私とはかけ離れた人生。
私にとっては、今のところ弟以上に天才だと思う人を見たことはありません。
私はブラコンでしょうか。
41歳 男性のストーリー
私の同級生の話です。
小学校、中学校と共に過ごしてきました。
スポーツ万能で仲間からも信頼があり、放課後などはみんなで遊んでゲームをしたりと人気が高い少年でした。
彼は運動神経が良かったのでそこが目立っていたように思えます。
ある日一緒に本屋さんに出かけた時の事だったのです、パラパラと色々な本をめくっていたので、その時はきっとどれを購入するのか悩んでいるのだなと思っていたのですが本屋の帰りに結局どれを買うか決まらなかったんだね的な話をしたときに衝撃的な一言「全部読み切ったよ。
」と!!幼き日の私には何を言っているのだろうと思いましたが、その年の夏休みの読書感想文はそのパラパラとめくって読んでいた一冊から書き上げて提出をしていました。
後で聞いた話ですが、彼は一度見たものはその場で覚えてしまい、忘れないそうです。
その後私も大人になり、彼も大人になりました。
彼の人生は幼いころから決まっていたように思えますが、東大を首席で卒業したそうです。
今では大手企業を引っ張っていっているそうです。
59歳 女性のストーリー
日本酒のソムリエをしている自分自身のことです。何年かトレーニングを積んで、レベルが高くなってからのことです。大事なテイスティングがある日は、集中しているため不思議なことが必ず起こります。
例えば、日本酒の中にいる乳酸が見え、その乳酸と手を取り合ってダンスをしている自分に気付き、それを冷静に見ている自分がいます。また、グラスに注がれた日本酒を見ていると、表情が見え中から声が聞こえてきます。
このように、自分自身がやっている不思議なことを数多く体験してきています。子供の頃から霊感が強く、集中力が強いため、不思議なことが起きても不思議ではありませんが、それによって現実での生活に影響して困ります。周りにこういう形で酒が見えている方はいません。天才と言えるかわかりませんが、自分では変人と思っています。
22歳 男性のストーリー
 小学生の頃からの友人の話です。いつでもあきらめず、どんなことであっても淡々とこなして自分の時間を作り出す友人がいました。たまに家からふらっと消えるように外出しては50kmほど自転車で飛ばしてから散策し、写真を撮って帰宅するといったことを高校2年生の頃から行っており、その距離が年々増えてきて、100kmどころか1日かけてや2泊3日の行程でという風にどこまでも増えていくように見えました。しまいにはアメリカ横断を自転車で開始してしまいました。
 アメリカ横断の予行演習と言ってベトナムにも足を延ばしたりするなど行動力の化身と言わんばかりでありました。年々話す機会は減ってきているけれども近況や自慢話を聞いているとこのような人が天才なのかなと思います。
22歳 男性のストーリー
 これまでに出会った中で天才だと思った人はある友人の母親です。なぜならその家族自体が趣味を通じてまとまっていて片親で男三人兄弟を育てているのにだれ一人として非行や反社会的活動に走らず、喧嘩も起こさず仲良く家事を分担して負担を少しでも和らげようと率先して活動しているからです。今まででこれほどまでに家族関係が円滑に回っている家族を見たことがありませんでした。
 その家族の一番下の兄弟と私は仲が良いのですが、その友人と親しくなった中学生の時にはすでに片親になっており、私は反抗期の真っ最中で親と衝突を繰り返していましたが、その家族は誰も彼女と喧嘩しておらず、むしろ距離感としては友人のようにふるまっていました。
 たとえ、同じ趣味を持っているにしてもここまできれいに家族をまとめ上げられるのは一種の天才だと思います。

「今までで一番感動した話」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。


27歳 女性のストーリー
服飾を専門としている大学に通っていました。そのため何かあれば小物を作ったり、服を常に作製してました。
大学時代に仲が良かった5人組の1人の子が結婚すると聞き、その他の4人で結婚する子のウェディングドレスを作製しました。
結婚する子も含めてデザインから決めました。1年以上前から始めました。デザインを決めて、パターン(服の型紙)を作製し、
何度も体のシルエットが一番綺麗に出るように何度も補正をして、作製しました。
みんな仕事をしていたので、仕事の合間を探して4人で協力して作製しました。それぞれの仕事が終わって集まったりして
作製したのでかなり大変でしたが、とても楽しかったです。
結婚式当日に私たちが作製したウェディングドレスを着ているところを目にしたとき、とても感動しました。
花嫁さん(友達)がとても綺麗で見とれてしまいました。
自分たちが作製したドレスをとても可愛く着こなしてくれてとても嬉しく思いました。
それまでは自分のためだけに作製していた服が多かったのですが、
誰かのために作ることはとても嬉しく、感動するものなんだとその時感じました。
23歳 女性のストーリー
つい先日の記憶にある感動話です。
その時は家を出た時は小雨でしたが、駅に向かって歩くに連れ雨が強くなり私は恥ずかしながら、道に捨てられていた傘をお借りしました。そのまま向かった先は、友人の結婚式場探し。とても綺麗で煌びやかな場所でした。格好は適しているものの、道で拾った傘だけは少し汚れも目立ち不適切でした。少し恥ずかしい気持ちもありながら、会場に傘を預け約3時間の見学を終え帰りに傘を受け取りました。その時、私に渡された傘はピカピカの綺麗に畳まれた傘でした。なんと、スタッフさんが汚れを綺麗に拭いておいてくれたのです。その会場全体の雰囲気も気に入った最後に、そんなに素敵なお心遣いもいただき私はとても感動しました。
小さな感動話ですが、よく体験する事ではないこの経験に胸が打たれました。
32歳 男性のストーリー
今私は3人の子供がいてその内の長男(小学2年生)が知的障害をもっていて、普通の子と比べて国語や算数などはまだ1年生の内容を学校で習っていて、1年生の時から友達とかの輪の中にも入れていないので親としては心配なことがたくさんあるのですが、2年生の一学期の終わりあたりに授業参観があり、簡単な英語の授業でその時に今までの授業参観ではモジモジして「早く終わらないかな」みたいな感じだったのが今回の英語の授業では自分が分かることは積極的に手を上げて答えていたというのと周りの友達とも仲良く一緒に作業している姿も見て、授業が終わってからも先生や友達と仲良く話している息子の姿を見た時が僕が今までで一番感動した出来事です。
31歳 女性のストーリー
2年前祖父が大腸ガンになりました。
92歳と高齢ではありましたが、手術を選択しました。
やはりリスクは覚悟してくださいと医師から言われ、最悪の場合、人工肛門になる可能性等と説明されました。
手術は無事に終了。
転移もなく、人工肛門になることもありませんでした。
そんな奇跡を起こした祖父でしたが、手術後私が祖父のお見舞いに行くと、酸素マスクをしているもののとても苦しそうでした。
酸素の吸い込みが良くない、とのことで検査をすると血栓が肺に飛んでしまう肺塞栓症になっていると。
このまま人工呼吸器に切り替えます、切り替えたらおそらくそのまま取れることはないでしょう。
宜しいですか?と主治医に聞かれました。
その時病院にはまだ私と叔母しかいなくて、その決断をすることが良いのかすら分からないまま、泣きながらお願いしますとしか言えませんでした。
足が悪くて外出できない祖母に会わせてあげるべきかとかさまざまな想いが込み上げましたが、私たち家族ができることは祖父の生命力を信じることだと、祈り続けました。
祖父はまたしても奇跡を起こし、数日後人工呼吸器が外れ、自ら歩き、食事も再開したのてす。
入院前と変わらず、好きな食べ物を自ら食べれるという幸せを祖父は感じたそうです。
現在も祖父は元気です。
祖父がこうして元気でいることに日々感謝しています。
94歳まだまだ長生きしてもらいたいです。
35歳 女性のストーリー
月並みではありますが、親の偉大さには感動を覚えます。
私自身はまだ親になった経験がなく、誰かのために必死になったり、誰かのために何かを我慢したり、そういった経験はありません。
母親には毒親である私から見て祖父にあたる人物が居ました。
彼のせいで幼少期は夜逃げ同然のような生活をも強いられました。
そのような生活を支える父親も、私たち子を守ってくれる母親も幼いながらに心強かったのを覚えています。
私が成人してだいぶ経った頃に、何度も殺されかけたり、色んなことがあったと聞きました。
祖父を殺して母親も死のうと何度も思ったと…。
ですが私たち家族のために耐え抜いて、今は祖父も病気で他界し、平穏な毎日を過ごしていて、母親は毎日幸せだと笑っています。
そんな両親の背中を見て育ち、両親の愛情や責任、多方面から「感動」を覚えます。
22歳 女性のストーリー
中学受験での経験が今まで1番感動した体験です。
私はとある私立女子中に行きたくて、小学五年生から勉強をしていたのですが、受験当日が迫るな中、中々成績が伸びず、模試でも、合格率はいつも20パーセントラインでした。でも、行きたいという気持ちは本物で、小学校は休みがちになってしまいましたが、塾に缶詰になって通い、先生に毎日マンツーマンで勉強を見てもらっていました。人生で1番勉強していた時期だと思います。
同級生が楽しそうに外で遊んでいるのをみると私も遊びたくなりましたが、我慢して塾に通い続けました。
合格発表の日、気分が悪くなりながら、結果を見に行きました。私は自分の番号が書いてあろう掲示板の前に立った時、中々見ることはできませんでした。でも、意を決して見た瞬間、真っ先に自分の番号が目に入って来ました。
その時に、努力は報われたと思い、涙が溢れて来ました。
それが私の1番感動した話です。
45歳 女性のストーリー
私が熱中症になってしまい、仕事から帰ってきて横になっていた時のことです。小学生と幼稚園生の子供がいるのですが、上の子が私の代わりに洗濯物を入れて畳んでくれたり、下の子のトイレやお風呂の世話をしてくれたり、夕飯も簡単なものですが、メニューも考え支度までしてくれたことがありました。
具合が悪く寝ている私の頭に冷えピタを貼ってくれ、身体を冷やすために保冷剤も持ってきてくれたりして、本当にびっくりしました。
いつもはケンカばかりの二人ですが、この日はケンカすることなく、ご飯も仲良く二人で済ませ、洗い物もしてくれました。
そして私にお粥まで作ってくれたんです。まだまだ小さいと思っていましたが、本当に感動した1日でした。
20歳 女性のストーリー
今まで1番感動した話は、両親の話です。
私の母は現在53歳、父は60歳です。
2人が結婚したのは今からちょうど20年ほど前。
2人は結婚したのが周りに比べてかなり遅めでした。
母は結婚前、20代後半で盲腸に苦しみ、お腹に横一に大きな傷があります。
大きな段差のようになっており、温泉などでも体を見せることに抵抗があるようです。
若い頃に体に大きな傷を負い、精神的にも辛い思いをした母は、結婚するときになってその時のことを思い出しました。
体に大きな傷がある、こんな傷では気持ち悪がられてしまうかもしれない、まだ若いのに、、、そう暗く考えてずっと父に言い出せませんでした。
その後、時間を置いてゆっくり話し出すと父は『健康ならそれでいい、傷は見えないから』そう言ってくれたらしいです。

それをきっかけに結婚に前向きになれたと聞きました。
23歳 女性のストーリー
私が、小学校2年生の時に妹が生まれたことが1番感動しました。
その日は休日だったので母親が入院している産婦人科に祖母と一緒に行きました。
私は、生まれてきた妹をみてぎゅっとしたいくらい可愛い顔が大好きだと思いました。
それからは、いつも妹にべったりでもう可愛くてしょうがなかったです。
あんなに小さかった妹がどんどん成長していく姿を見ると感動していつも妹のイベントがあるたびに泣いていました。
卒園、卒業などの写真はいつでも見られるように玄関に飾ってあります。
今現在は、立派に成人を迎え医師として働いています。
その逞しい姿は誇らしく自慢の妹です。
今では少し反抗期なのか生意気ななんですが、それもたま可愛いのでなんでも許してあげたかなります。
これからも可愛い妹でいてほしいです。
39歳 女性のストーリー
子供が産まれた時が一番感動しました。
25歳で結婚し、子供は欲しかったけどなかなか主人に欲しいとは言えず、さらに仕事も忙しく夜勤をやっていて、人も少ないし、妊娠したら夜勤も抜けないといけないから迷惑をかけると思いなかなか作る事が出来ませんでした。
しかし、30を過ぎ、どうしてもほしいと思い、主人と相談。
私は3姉妹で他の2人は流産経験があるので、私も不安があり授かったと分かった時にはとにかく大事に大事にと思ってました。
何か替わった事があればすぐに病院に連絡、申し訳ないと思いながら会社を休んだ事もありました。
36週の検診で急遽帝王切開。
翌週にしました。
麻酔が強くずっと嗚咽してました。
お腹から出た時には産声は聞こえず、しばらくして看護師が子供をつれてきました。
元気な女の子ですといわれた瞬間一気に涙が溢れてきました。
3日後には病気が判明。
一生付き合わせなきゃいけないのですが、子供は元気に育ち今は5歳です。
確かに他の子より弱いですが。
この前も病気になってごめんねって言ったら大丈夫だよって。
もう涙が止まりませんでした。
遺伝性でいきなり突発で発症してしまいましたが、病気にも負けず優しい子に育ってくれているので今は安心しています。
41歳 女性のストーリー
妊娠、出産ですね。
妊娠した時は、本当に本当に嬉しくて、幸せな気持ちになりました。
自分がずっと望んでいた事が叶ったこと、そして、自分の体に生命が宿ったという不思議な気持ちでした。
3人出産しているのですが、みんなそれぞれ違った感動がありました。
初めての出産は、ドキドキ、ワクワクが大きくて、陣痛がきた時は、その痛さにビックリでした。
陣痛の時間が長くて、お腹を切って欲しいと思う位、辛かったのですが、産まれた瞬間、痛さが吹っ飛びました。
可愛い赤ちゃんを目の前にしたら、本当に感動しました。
辛かったけれど、本当に嬉しかったし、感動的でした。
2人目は、陣痛の痛さを思い出して出産間近になると怖くて、怖くて仕方なかったです。
3人目も同様に怖かったのですが、出産は感動的でした。
24歳 男性のストーリー
私が今までで一番感動したのは登山をした時です。
富士山のような有名であったり過酷な山というわけではありませんが、人生初の登山ということもありとても大変でした。
半分ノリで登山を決めたこともあり、途中何度も登山をやめて下山しようと思いましたが、一緒に登山していた友達に励ましてもらいなんとか諦めることなく登りきりました。
その時に山頂から見た景色は今まで見た景色の中で一番美しく見え、その時に諦めることなく登山を続けてよかったと感動しました。
その経験は今でも生きていて、日常生活で辛いことがあっても諦めることなくできるようになったのはこの経験があったからだと思います。
今では登山が自分の一番の趣味になり、今度は富士山にも登山しようと思っています。
49歳 女性のストーリー
5年前のクリスマスに夫から車の鍵を貰いました。
鍵を見て車種は分かりましたが、まさかと言う気持ちがありました。
住まいの地下駐車場に行ってみると、1台のメルセデス・ベンツが停まっていて、え…まさかこの車の鍵?と思っていたら、夫が「今まで文句も言わず頑張ってくれたから」と言い「クリスマスプレゼントだ」とベンツを買ってくれた事です(写真提供出来ます)。
この話だけだと自慢?と思われるかもしれません。
ですが私は、今住んでいる国の言葉が全く分からない状態で嫁いできて、夫の仕事の(国家資格を活かした自営業)サポートを懸命にしてきたつもりでいます。
車のプレゼントに感動したのではなく、自営業のサポートを始めたのが40歳を過ぎていましたので、この年齢からでも頑張る事が出来るのだと、車をプレゼントされる程になった自分自身に感動しました。
多分、ここが海外だからこそ感動が大きかったのかもしれません。
23歳 女性のストーリー
友人が事故にあった時の話です。
友人は車が好きで、よく知り合いと車でドライブに行くことが多くあったようです。
友人達はある時に、走り屋が集まるような場所で運転をしていました。
ひょんなことで単独事故を起こしてしまい、身動きが取れなくなってしまったらしいです。
困っていたところに通りかかったのは、スポーツカーの集団。
怖い人ばかりでどうなることかと思いましたが、車を寄せて止まり、後続車が通れないように通行止めにした上に友人を助け出してくれたそうです。
その後、警察に連絡をし事なきを終えたらしいのですが、助けてくれた彼らに友人は本当に感謝しているそうです。
友人は命に別状がなく、今も元気に過ごしています。
もしあの時彼らが助けてくれなかったら…と今でも思うそうです。
27歳 女性のストーリー
仕事上での出来事です。
専門学校で教員をしています。当たり前ですが、ほとんどの方が未経験で入学をしてきます。また、中には既卒で入学をされる方もいますが、9割以上が高等学校卒業後、すぐにそのまま入学をしてきます。
在学中は、高等学校とほとんど変わらない時間割で授業を行っているので、専門学校に進学したとはいえ高校生気分が抜けず、その様子に注意をしたりということも多くあります。在学生とぶつかることもしょっちゅうです。
ですが、教員の醍醐味だと思いますが、普段は注意を受けることに対して怪訝そうにしていた学生も、卒業を迎えると「あの時注意、指導をしてもらえてよかった」と口にしてくれます。その時の感動といったらこの上ありません。卒業後就職をしてすぐにこういった事を感じてくれる卒業生や、少し時間が経ってから振り返ると思い出したように感じてくれる卒業生など、人によって様々です。指導する立場として、なかなか学生に対し自分の指導する気持ちが伝わらず、もどかしく感じることも多いですが、全てが報われ、感動を感じる瞬間です。
25歳 男性のストーリー
私が12歳(小学校6年)のときの思い出です。

私の担任の先生があまりにも厳しすぎたことで有名でした。
特に私が苦しめられた思い出が、忘れ物をするとグラウンドを10周(3km)走らされるというものでした。
当時私は忘れ物をしがちで、さらに運動神経が悪かったのでこのペナルティは絶望的なものでした。
もういっそのこと死んでしまおうかとも考えました。
しかし、なんとか耐えに耐え切って小学校を卒業することができました。
卒業証書を手にしたときは号泣していました。
クラスの皆も私が卒業証書を手にする瞬間大拍手で祝ってくれました。
私がどれだけ辛い思いをしてきたかわかってくれたからでしょう。
忘れ物をしたのは自業自得ですけどね(笑)人生で一番スカッとした出来事でした。
36歳 女性のストーリー
社会人1年目で、右も左もわからず、同期もいなかったので相談できる人もいなく、朝が憂鬱でした。
まだ慣れない運転で会社に行き、接客業だったので、お客様とのコミュニケーションを取らなければいけない、笑顔でいなければいけない。
先輩たちにも気を遣わなければいけない、そんな毎日でした。
ある朝、その日は雨が降っていました。
車を運転していると信号が赤になり、信号待ちをしていると、横断歩道で同じく信号待ちをしている男子高校生と、おばあちゃんがいました。
男子高校生とおばあちゃんは明らかに他人なのですが、おばあちゃんは持っていた傘に男子高校生も入れてあげました。
信号が青になると、男子高校生は照れくさそうに頭を下げ、おばあちゃんもニコニコ笑い、たった何秒か傘に入れてあげた、その光景を見ただけなのですが、とても心が温かくなり、私も傘に入れてあげれられる余裕を持とうと思いました。そして、ちゃんとお礼ができる人間になりたいと思いました。
36歳 女性のストーリー
高校受験の時だと思います。
幼稚園から大学まで、全ての節目で受験を経験してきました。
しかし、どれも上手くいきませんでした。
受験のための塾の費用をかけてもらったにも関わらず、小学校、中学校と受験に失敗し公立の学校へ通いました。
しかし、高校受験はそうはいきません。
全ての学生が受験を経験します。
私もリベンジも兼ねて中学2年生の時から行きたい学校の目星を立てていました。
中学2年生まで順調に成績を伸ばしており、少し偏差値の高い学校の受験も目指していました。
しかし、中学3年の2学期。
受験に必要な成績を打ち出すべき時期に私は過去最低の成績をとってしまったのです。
これまでの失敗の不安がよぎりました。
志望校の一変させ、それまで余裕だと思っていた中学受験の第一志望だった学校の高等部の学校を第一志望へ変更し、合格できる方法があればただひたすらにその方法を信じてやり抜こうと決め、塾の先生に泣き付いて指導してもらいました。
英語が特に苦手で、思うように成績が伸ばせず本当に苦労しました。
できる努力を最大限にし、迎えた当日。
奇跡が起こりました。
一緒にその学校を受験する友達と一緒に会場へ向かったのですが、その電車の中で、友達が不意に数学の公式を話題にしたのです。
その公式は自分でも盲点だったので、その場で必死に覚えました。
そしていざ試験問題と向き合うと、電車で話題になった公式を使う数学の問題が出題されたのです。
さらに、苦手な英語の問題は、過去問では考えられないほど英語の文章量が少なく、設問も基本的な問題がほとんどでした。
合格発表の日、当時は学校の掲示板まで行かないと自分の合否がわからない時代だったので、掲示板まで母と一緒に向かい、そこで自分の受験番号を見つけました。
嬉しすぎて走り回っていました(若かったので)。
自分の番号があるという経験も初めてでしたし、合格できた学校は中学受験で失敗した学校。
最高のリベンジのできた生涯わすれられない体験です。
努力は報われるという最高の経験ができました。
38歳 女性のストーリー
ピアノを5歳からしてまして、夢がピアノコンクールで入賞することでした。
反抗期の時期もあり、一度はやめたピアノを再び復活させて、一から練習をして、とにかくコンクールにたくさん出ましたが、なかなか入賞できず、予選で落選ばかりする日々を過ごしていました。
ピアノコンクールは多額なお金ですので、何回も出場するにつれて、お金も底をついてきたころ、あきらめかけていた時に、最後のチャンスと自分で覚悟を決めて、出場しました。
全ての力を振り絞り一生懸命感情を込めて演奏しました。
そうしましたら、生まれて初めて優秀賞とオーディエンス賞をいただきました。
本当にあきらめない気持ちが実を結ぶんだと、確信できた出来事でした。
31歳 女性のストーリー
私は統合失調症という病を患っております。
この精神病は、発症すると、「妄想・幻覚・幻聴」など、周囲が全くゆがんで見えてしまいます。
しかも、病気の本人は自分が病気であることを認めません(病識がないのです)。
それほど、ひどい精神病です。
私はこの病を何度か再発して、治ったり、といったことを繰り返していました。
そして、5年前、またこの病気が再発しました。
ついに初めて、精神病院に入院することになりました。
そして、その時、私は妄想の中で、親友の「Y」を妄想で「悪い奴だ」と思い込んでいたのです。
「Y」は私の長年の親友で、彼女自身も身体が弱い中、精神病院に入院したという私のことを心配し続けてくれました。
病院の中にいる私は「Y」を妄想の中でずっと憎んでたというのに!私の病気は徐々に快方に向かっていましたが、「Y」はまだ私の中で悪者でした。
しかし、ある日、そんな妄想の中の私へ「Y」から手紙が届いたのです。
心配する温かい言葉たち……。
私の中で、妄想が崩れ始めました。
そして、ついに退院してから「Y」に電話すると「Y」は電話口で号泣したのです。
私のことを思って。
ガラガラと私の妄想は崩れ去りました。
それが人生で一番感動した私の体験談です。
34歳 女性のストーリー
息子を妊娠、出産したことです。
付き合ってから結婚するまでがとても長く、正直子供を作ることは当初考えていませんでした。
居たら可愛いだろうけど二人でも充分楽しいよね、と夫婦間での意見も一致していました。
ところが翌年、運良く子宝に恵まれ初めての妊娠生活がスタートすることになりました。
時期は夏で気持ちが悪いし身体は怠いしなにもできないのジレンマで連日泣いて吐いてを繰り返し、悪阻期間が終われば今度は安定期まで慎重に過ごす日々が続き、時々どうしようもない不安に襲われつつも、特にこれと言った問題もなく超安産で無事に出産することができました。
と、いっても陣痛はそれなりに痛かったし分娩台に上がってからも苦しみましたが、産まれてきた我が子の顔をみた瞬間、全ての苦しかった日々も痛かった陣痛も不安も全てが吹き飛びました。
こんなに感動できる体験は後にも先にもありません。
32歳 男性のストーリー
私の誕生日は夏休みのお盆中で、毎年田舎に行っていたので親族以外に祝われたことがありませんでした。
学校を卒業し仲の良かったみんなとバラバラになった最初の年。
夏休みの終盤にむりやり友達にご飯に誘われ、若干いやいやでは行くことにした。
待ち合わせをしみんなでお店に着き、近況について語り合っていた。
時間が経ち、そろそろ解散の頃合いかなぁと思っていたところ、いきなりです。
店員がケーキを運んできました!最初はなんのことやら理解ができなかったのですが、
みんなから『少し遅いけど誕生日おめでとう!』と言われ気づきました。
初めて親族以外に祝われれ、正直どういう反応をしたらいいのかわからなかったのですが、
すごいうれしかったです。あとで友達に言われましたけどやはり反応が薄かったみたいです(笑)

「わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳」

35歳 女性のストーリー
学生時代、友達と朝まで飲んだ帰り、コンビニに寄ると、たまたまそこに居合わせた以前何度も通っていたバーのマスターが「〇〇ちゃんだよね?ほら、以前よく僕のバーに来てくれてたじゃない?久しぶりだね」と声をかけてきました。
そのマスターはかっこよくて憧れだったので、急に声をかけられて恥ずかしかったわたしは「〇〇はわたしではなく、わたしの双子の姉で小さいころバラバラになった片われです」となぜか意味不明な答えをしました。もちろんマスターは訝しげな顔をしていましたし、わたしの答えにどう返答していいかわからないようで、気まずげな様子で去って行きました。

素直に「マスターお久しぶりです」とか「また飲みに行きますね」とかいえばよかったのにと後悔しています。
26歳 女性のストーリー
会社の上司の話です。
この上司はその上の上司からも問題児として目をつけられているのですが、怒られても言い訳をするで有名で、部下としては見てて見苦しい感じなんです。
ある日遅刻10分ぐらい遅刻するとLINEで連絡がありました。10分ぐらいの遅刻は明らかに寝坊だろうと誰もが思っていて(過去にも寝坊で遅刻の経験が数回あるため)
それなのに遅刻した理由を体調が悪くて言い訳していたこと。(その理由は少なくても2回はあった)
他にも平日と土日の電車のダイヤを勘違いして遅刻してしまったなど。
遅刻したから元々のシフトを変えて、遅刻したことなかったことに欲しいと上司に頼んでいたこともありました。
さすがに社会人としては厳しい言い訳でした。
39歳 女性のストーリー
私が大学入学して初めてアルバイトをした時の話です。
某ハンバーガーショップで働いていたのですが、ある日
一つ年上のバイトリーダーが、なかなか来ない。
大幅に遅刻したと思ったら、「バイクで事故った」と言い訳をし、
手と足にばんそうこうを20枚くらい貼っていました。
ただ、普通のばんそうこうをあちこち貼っただけで絶対に
けがしてないことは一目瞭然です。
ただ、バイトリーダーということもありバイトの私たち新人は
「大変でしたね…」というしかありませんでした。
ですが次の日、あんなに貼っていたばんそうこうは半分にまで
減少し(貼りなおしたのでしょう)、しかも前日と貼ってる場所
違ってました。そんな浅はかなウソをつくくらいなんで、前回
貼った場所も覚えてないんだろうな~と思いました。。。
30歳 女性のストーリー
私の出会った「流石にこれは厳しい」という言い訳は私の姉の言い訳です。姉はニートで私からちょくちょくお金を借りることが多く、身内ということ、姉の尊厳を守るためもあり返金を要求したり、督促したりすることはありませんでした。しかし、長年の蓄積からわたしももう姉に貸していたら自分の生活もままならないと感じて貸すことをある時期に辞めたことがあります。その時、姉は彼氏からお金を借りるようになったみたいで、内心申し訳ないと思いながらも助かったと思ってました。しかし、姉の借りる理由が「◯◯(わたしの名前)の借金を返済するのが大変だからデート代は持って欲しい」という内容でたまたまラインを見てしまい発覚したんですが、その時の姉の言い訳が、「わたしと同じ名前の友人がいてその子の話だから!」と言われた時は同じ漢字でこんなタイミングでそんな人いるのかと苦しい言い訳を疑問に思いながら受け止めました。
20歳 女性のストーリー
居酒屋アルバイトでの出来事でした。私がお客様の靴にお料理をこぼしてしまい、店長に対応をお願いしました。ルールとして、お客様の持ち物を汚染してしまった場合、名前・電話番号・メールアドレスなどの個人情報をお伺いした上で後日クリーニングにかかった費用をお支払いすることになっていました。しかし店長は間違えて「弁償させていただきます」と言ってしまったそうです。その時お客様は「いえいえ結構です」と物腰柔らかな対応だったらしいのですが、その出来事から五か月たったある日に「弁償の話はどうなってるんだ!」とクレームの電話を頂戴しました。店長は「クリーニングとお伝えしました。弁償なんて言ってません!」と怒り心頭で上司に伝えていたのですが、防犯カメラの口の動きからばっちり「弁償」と言っているのが判明してしまいました。その時の上司への言い訳が驚いたものでした。「いやだから、僕のベンショウとクリーニングは口の動きが同じなんです!」
44歳 男性のストーリー
スーパーマーケットで働いています。土地柄、学生が多く、アルバイトも外国人、特に中東、東南アジア系が働いています。なかでもバングラデシュ、ネパールの学生(真面目な学生ももちろんいますが…)はとにかく時間にルーズ。ギリギリに出勤は当たり前。遅刻は数知れず。無断欠勤もどこふく風って感じで注意してもヘラヘラしてます。入って間もないネパールの男子学生が二週連続遅刻、そして無断欠勤。まだ1ヶ月もたってないのに仕事するきあるのか、確認のために欠勤した次の日理由を聞いたら、昨日は雪がふりそうだったから家からでなかった。とぬかしやがったんです。は?雪?今は夏ですが雪予報なんてないよ?何言ってんの?と聞き返したら、眠いんですって回答が。最初から起きれなくて無理なら働くな!と叱ってやりました。
40歳 男性のストーリー
仕事していると言いつつ、実際は仕事もせずに毎日フラフラしていた虚言癖のある元旦那。

働いてるという会社に在籍確認しても、当然そんな人はいないと。
それでも出向で別の所で働いてると言い張り、あげくの果てにはその会社の社版まで作成してるありさま。

働いてるって言ってるんだから、給料も持ってこなきゃですよね。
一応もらってました。
そのお金はどうしたかって、身内や身近な人達から借金して。
その理由もさまざまで、妻(私)が鬱病、親の事業の失敗、親の病気、親の葬式、会社の機械を壊して保険がおりるまでの立替、更には自分がガンだと…最終的には、自分でも誰にどのうそをついたかわからなくなってました。

家の通帳にも手を出されました。
児童手当は市からの連絡で旦那の名義に変えられてしまい、それでも通帳とカードは私が管理してたんですが、ある日記帳に行くと通帳が使えない…
紛失届を出して、別口座を作ってました。
その理由は、銀行から通知があって磁気不良で使えなくなってる恐れがあるから交換してくださいと言われた。
紛失ということにすれば早く口座ができると…
一体何を言ってるんだってカンジ。
私が銀行に問い合わせても本人じゃないから答えられないって言われたけど、とりあえず、そんな連絡はしないし通知だって出してないってことで。
そのお金は1円だって使ってないって言ってたけど、1円残らず使ったの間違い。

でも、どうにもこうにも返済できなくなったんでしょうね。
当然です。
収入ゼロなんだから。
鬱病になったフリて診断書もらったり、救急車騒ぎ起こして自分は病気アピール。

最終的に、所属してる団体の中で何人もの人から借金してたため、吊るし上げられてTHE END。
診断書もらったって誰も信じず。
どうしようもないですよね。

もちろん、そこまでなってることを気付かなかった私もいけないんです。
子供達が転校したくないと言っていて、あと3年私が我慢すればいいと思っていたので…
被害があるのは私だけだと思ってたので…

あと1ヶ月で離婚して1年になります。
34歳 男性のストーリー
以前働いていたところの上司が遅刻魔で、出勤時間にぴったりくることが奇跡でした。
それでも人柄がよかったのもありますし、一応仕事も適度にこなしていたのと何よりも慣れていたのもあり
周りは今日も遅刻かー。くらいにしか思っていませんでした。
でも社会人として、時間への姿勢は基本中の基本。私は内心イライラしていました。
朝から勤務、昼から勤務と分かれている職場だったのですが、ある日朝から勤務で私が出勤し、数十分しても上司は来ませんでした。
ああ、また遅刻かー。と思っていたら電話がきて、今から行きます。とのこと。
でも実際出勤したのは2時間後。(車で15分くらいの場所に住んでいるのに)そのときのいいわけが
「車で出勤していたら、犬が一人で歩いていて、保護してみたら住所が書いてあったので住所先に届けたらこんな時間になってしまった」
いや、本当ならいい人すぎですが連絡してください。証拠の画像などあれば信じれるけど、今まで何回も遅刻しているから信じれませんでした。
29歳 男性のストーリー
私が実際にやってしまった言い訳ですが、平日の木曜日の深夜にフットサルをしました。いつも行きつけのイタリアンパスタ屋さんのオーナー達の集まりと言う事もあり私は気合を入れて行きました。スタートが夜の22時からでした。フットサルの終わりは深夜の4時でした。家についたのは、朝の5時でしたが睡魔が家についた瞬間に襲ってきました。私はすぐに寝てしまいました。目が覚めたのは、昼の12時でした。会社の上司からは数十件の電話がありました。私は急いで準備をして会社に行き上司に本当の事を言いました。その言い訳は「朝起きるために目覚まし時計などはしっかりとして寝坊をするつもりは一切ありませんでした。だから、申し訳ありませんでした。」と訳のわからないとても厳しい言い訳をしていました。
45歳 男性のストーリー
専門学校の教員をしています。
学生達は協力企業での実習があります。
私は学生達の指導教官として、協力企業へと出向き、学生指導担当の社員の方と実習の進捗状況について情報交換をします。
とある学生が、期限が今日までのレポートを学生指導担当に提出しませんでした。
今まで教員として、レポートが間に合わない学生達の様々な理由を聞いてきました。
パソコンで作業していて突然電源が切れてバックスクリーンしていなかったとか、自宅のパソコンで作業して、USBメモリーに移したつもりが移っていなかったとかは本当によくある一般的な言い訳です。
しかし、この学生の言い訳は、一味違いました。

「昨夜自宅で作業していたら、突然宇宙人が窓から入ってきて、宇宙船に拉致監禁された」
「宇宙人に口を塞がれたところから、記憶がない」
「気がついたら朝になって、実習先にいた」

学生指導担当も、私も、口をぽかーんとあけながら話を聞いていました。
33歳 男性のストーリー
学生時代の話です。遅刻癖のある友達と待ち合わせをしていたのですが、その日も相手が遅刻してきました。その言い訳が「電車が遅れていたから」でした。「いやいや、同じ駅にいたんだから電車が遅れてたら私にも情報入るわ。」と返したら、今度は「混んでたし・・・。」と返ってきました。呆れて聞き返しませんでしたが、電車が車のように渋滞するわけないですし同じ電車に乗っていた人が多かったということを言いたかったとしても遅刻の理由には到底なりえません。何度か遅刻されて言い訳もその度に聞きましたが、これが一番無理があり厳しいと思った言い訳です。きちんとオシャレはしてきていたので、身支度をしている間に必死に考えた言い訳なんでしょうけどね。
35歳 男性のストーリー
会社の先輩が、仕事上で自分で処理しきれなかったり、上司に強く責められたりなど、何か嫌なことがあると休む人でした。
半年で、インフルエンザに2回なり、お母様が3回危篤になり、交通事故に2回あったとのことで、毎回大事な日に限って2、3日お休みされてお仕事を丸投げされてました。
周りの人は基本的に嘘だと思ってましたが、証拠があるわけではないので、とりあえず暖かく見守って、一番業務内容が近い私が特に被害を受けていました。
年度末は大きな仕事もあり、どうしても出社されたくなかったみたいで、2回目の交通事故でむち打ち症になったと言い張り、平日に出勤できないなら、日曜の午前中に出て仕事をしてほしいと週始めに依頼したところ、痛み止のブロック注射を受ける予約をしてるから無理と言われたときは流石に言葉に詰まりました。
嘘つくぐらいなら、やりたくないと拒否してほしかったです。
32歳 男性のストーリー
・部下から、事故で怪我してICUにいるため出勤できません。と言われた。
・デイサービスの居宅訪問で、おやつ代わりにキュウリ漬けを出されて、キュウリが大嫌いな同僚が「母がキュウリだけは食べてはいけない」と言われている。と説明していた。
・デイサービスの部下に時計の電池を買って来て。と言ったら単3のはずが、単4を買って来て、
「前は入った」と言われた。
・デイサービスの部下にA4サイズのクリアファイルの発注を頼んだらA4の3倍ぐらいのクリアファイルが届き、返品するように求めたら半分に切って使おうと思ったから発注したと非を認めなかった。
・母がカレーにつける福神漬けを買いに行ったら赤い箱のポッキーを買って来た。何故か聞いたら、「赤い容れ物だから間違えただけ!」とキレられた。
天然の母ではあるが流石によくわからなかった。
36歳 男性のストーリー
職場で先輩に理不尽な指示を出されて腹立ちが抑えきれなかった同僚が、事務所の外ですごい音を立てて壁を蹴りつけているのを見てしまいました。思わず驚いて固まっていると、私に気づいたその人が、事務所を出たら壁に虫がいるのを見てびっくりして思わず力いっぱい蹴っちゃった。逃げられちゃったけど。あー怖かった。と可愛い感じで言ってきました。その人が以前、家で虫が出たら家族全員が苦手だから退治するのは自分の役目だ、虫はどんな虫でも全然怖くないと話していたのを思い出したので、とっさとはいえ苦しい言い訳だったなと思いました。でもあまりの変貌具合がすごく怖かったので、その場でも職場の他の誰にも何も言うことができませんでした。
32歳 男性のストーリー
愛犬が下痢してたので病院に行ってきました。
と、部下に言われた時はえぇー?と思いました。
その子からは普段から犬を飼ってる話は聞いた事なかったので、嘘だろと思いましたが呆れすぎて反論はしませんでした。
なので、社長に連絡してから社長の判断に任せようと思いました。
社長からは愛犬の病院の領収書を見せてくれてとちょくせつ連絡があり、その子は黙ってしまったので、やっぱり嘘なんだと思いました。
次の日辞めたいと言われたのでそのまま受け入れました。
社長に連絡したら、その子からメールがあり動物病院は領収書を出さなかったと言われたので、それはおかしいな?俺の行く動物病院はちゃんと出すよ?と聞いたら辞めると言ったので止めなかったと言ってました。
26歳 男性のストーリー
友達と久し振りに会う約束をしていた時のことです。その子は遅刻癖があったのですが、まず最初に「バスが遅れてるからちょっと遅れる」と連絡がありました。それはまだいいのですが、その後に「乗り換えのバスに乗り遅れた」「ATM行きたいんやけど、並んでるからちょっとかかる」とか「現地集合の方がすぐ行けそうだから現地集合にかえよ!」などと遅刻の理由をなにかとつけてくる子がいました。でも、前日のSNSには、遅くまで飲んでる様子の写真が挙げられていて、素直に謝ってくれたらいいのになぁと思いました。その子は遅れるのが当たり前ぐらいな感覚の子であまり気にしないタイプなのですが、今後の付き合いのためにもちょっと考えないといけないなと思います。
28歳 男性のストーリー
昔働いていたシステム会社で、顧客の会社にシステムを導入する仕事をしていました。
顧客側の担当者の方はいい方ではあったのですが、いかんせんシステムの話に弱く、導入が遅々として進みませんでした。
お客さんに「この資料を読んでおいてください」と言ってパワーポイントのファイルを前回の出張時に置いて行ったので、今回はその話がメインになるだろうと思いつつお客さんの元へこちらから向かいました。
いつも通り打ち合わせが始まったのですが、資料を読んでいれば噛み合うはずの内容が全然かみ合わず。
お客さんに「資料本当に読みましたか?」と聞いたら

「読んだけど忘れました。」

の一言。忘れたならしょうがないと納得しかけたが、イヤイヤイヤ!!と我に返り呆れた。
33歳 男性のストーリー
寝坊した旦那が、「車の鍵がなくなくなってしまって、息子もなんだか調子悪くて病院に連れていかなくてはならないのに出かけることができなくて…ちょっと仕事遅れます」1人で起きられず人を当てにしている旦那を起こさなかったら案の定仕事に遅刻して、職場の上司に言った言い訳です。何が言いたいのか聞いているこっちもわからないくらい意味不明な言い訳でした。どれか1つ単純な言い訳で良かったと思いますが、目がきちんと覚めていない状態で電話をしたので意味不明になってしまったのだと思います。もちろん上司にはこっぴどく怒られたようで、「なぜ起こしてくれなかったんだ」と言われましたが「人のせいにしないで」と突き放しました。
60歳 女性のストーリー
一昨年の夏の事です。飲食店のホールで働いていたのですが、蕎麦居酒屋の厨房は湿度も高く、エアコンをフル稼働して、汗まみれの毎日。体調を崩すスタッフも居て大変でした。
そんな中、アルバイトのT君からある日電話が。「昨日から具合悪くて、熱中症になったみたいなので、今日は休ませてください。」とのこと。
「体調が戻らなかったら病院行くんだよ。お大事にね。」と電話を切ったのですが、そういえば昨夜、仕事帰りに高校時代の友達と会うって話していたな。と思いだしました。
翌日出勤してきたT君に聞くと友達とはカラオケボックスに朝までいたとの事。「もう飲みすぎで家に帰ってボロボロでしたよー。」というので、「えっと、じゃあいつ熱中症になったの?」と聞くと、「あ、えーとカラオケボックスのエアコンが壊れていたみたいで、すげー暑くて・・・」ってそんな訳あるかいっ!と心の中で突っ込んでしまいました。

「わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード」

32歳 男性のストーリー
自分が小学生の頃、母親が胃潰瘍になった。
入院して胃を一部摘出する手術を行い無事成功。今でも元気に過ごしているが、
数年経って思い出話のように話をしていたら家族と話が微妙に合わずに不思議に思っていたら本当は母は胃潰瘍ではなく胃がんだったという嘘をつかれていたことが発覚した。
当時小学生で心配性の私に負担はかけたくないと家族全員がついた優しい嘘だっが、嘘をついたままバラすのを忘れられていたのだった。
しかも、自分には3歳したの弟がいるのだが、弟には事実を告げていて家族の中で本当に私だけが胃潰瘍と思い特に深く心配はせず数年過ごしていた。
確かに心配性でネガティブに考えてしまうから嘘をつかれてよかったと思う反面、自分も一緒に心配したかったという気持ちもあった。
41歳 男性のストーリー
その日の午後~夜の遅番だったため午前中に、妻の夕飯用としてカレーを作りました。
完成したカレーを冷蔵庫にしまい「カレー作ったから食べてね」と書き置きを残して仕事へ向かいました。
深夜に帰宅したところ既に寝ている妻からも手紙が残っていて「おいしかったよ。ありがとう」と書いてありました。
私も小腹が空いていたので、1食分だけ冷凍しておいたカレーをレンジで温めて食べてみたところ、かなりの辛さ。
実は妻は辛いものが苦手で、いつもカレーは甘口で作っておくはすがその日に限ってカレー粉やスパイスの分量を間違えて、辛口に作ってしまったのでした。
冷蔵庫を見てみると、朝は未開封だったはずの牛乳の口が空いており、半分以上飲まれている状態。
辛いのを我慢して牛乳で流し込むように食べたんだな、と思いました。
32歳 男性のストーリー
夫からの本気で好きな人が出来たと妊娠中に言われました。
誰それ?と聞くと私のお腹を撫でてこいつしかおらんやろと言われました。
そんな嘘をついたことは無かったので、夫を今まで以上に好きになりました。
妊娠を告げてから1週間後に神妙な顔で言われたので、浮気されたんだと思いました。
なので、そう言われた時は思考が一瞬止まりましたが本当に嬉しかったです。
ここまで妊娠を喜んでくれるんだーと本当に嬉しかったです。
夫はなかなか自分の気持ちを伝えない人なのでこんなジョークで言ってくれるなんてとビックリしました。
本当にこの人と結婚して良かったなと改めて思えました。
この嘘で2人の絆がより深くなりました。
嘘にもこんなにHappyになれる嘘があると初めて知りました。
34歳 男性のストーリー
高校3年生の文化祭ではソーラン節、ダンス、太鼓のトリプルで練習を取り組んできました。
夏休みも返上してみんなが必死に練習してきました。
ときにはケンカもあったり、練習をサボる人がいて、クラスもなかなかまとまりませんでした。しかし、高校最後の思い出を作りたいために衣装から演出まで、毎日夜遅くまで話し合う日々でした。
私もソーラン節をまとめるリーダーだったため、あまりリーダー経験がなく、毎日どうしたらいいのか、必死な日々でした。
正直投げ出したくなることもありました。本番約1週間前、文化祭の取り組みについて話し合おうと急に友達に言われました。
今更何?って思っていたら、「ハッピバースデートゥーユー♪」と、クラスのみんなから歌とメッセージのプレゼントをもらい、思わず泣いてしまいました。
とても嬉しかった出来事です。
32歳 男性のストーリー
・貧乏な家計に配慮した担任の先生がみんなに配っていると言ってた遠足用のおやつを皆んなと同じだと言って多めにくれました。
他の子達はうまい棒一本だったが、300円分程戴きました。
・遠方に住む祖母の家で飼っていた犬が亡くなった際に私がとても可愛がっていたため、祖母に電話をする度に「たっちゃん(犬)元気?」と聞いていた。すると祖母は「元気だよ」と優しい声で答えてくれていた。暫くして祖母が体調を崩し、祖母宅に行くと犬が亡くなっていたことが分かった。弱っている祖母は「嘘をついてごめんなさい」と泣きながら言った。当時、両親が離婚した事も重なっていたため、私に犬が亡くなった事を言えなかったんだと思います。大人になってから思うのは、祖母が電話の度に嘘をついてくれていたんだと思うと切なくなります。
26歳 男性のストーリー
私が誕生日の当日に彼も私も仕事でお互いに
時間が作れないとのことになり、
私の誕生日を知っていた友人に誘われ食事に行きました。
すると、会えないと思っていた彼がその場所に現われ、
「お誕生日おめでとう。」と指輪を頂きました。
私は誕生日は会えないと聞いていたので
とても嬉しくて涙したのを覚えています。
「あれ?今日仕事だったんじゃなかった?」と聞くと
私の友人とプレゼントを探しに行ってて
どうせならサプライズにしようと思って
仕事で会えないと嘘をついたと
彼は照れた顔で笑いながら言いました。
指輪のサイズを彼が知るはずもないのに
サイズがピッタリだったことにびっくりしたので
「サイズはいつ知ったの?」と聞くと
「俺の勘だよ!」と彼は言いましたが
その友人が教えたことに私は気づき優しい嘘に
微笑ましく思いました。
24歳 男性のストーリー
自分が小学生くらいの頃に友だちと3人で学校内で悪さをして先生にとても怒られたことがあります。悪さを焚きつけたのは自分ともう1人の女の子だったのですが、3人の中の男の子が「僕がやりはじめました。」と言って嘘をついて自分たちをかばってくれました。おかげさまで自分たちはさほど怒られずすみましたが、その男の子の友達はだいぶこっぴどく怒られたようでした。あとあとその話を聞いた時、彼は女の子の自分たちを守らなきゃと思ったらしく、とっさに嘘をついてくれたそうです。当時はこいつなんでそんな不利になる嘘つくんだ?と思いましたが、時間が経って理由を聞いたらなんだかほっこりしました。これが自分がつかれた「優しい嘘」のエピソードです。
23歳 男性のストーリー
自分が保育園~小学生の頃、お手伝いが好きで共働きの両親に代わって洗濯物を取り込み畳むことを積極的にしてました。
夜になり母が仕事が終わり帰ってきて、その畳まれた洗濯物を見て「ありがとう~ほんと助かるよ~」ととても褒めてくれてるのが嬉しくて仕方なかったのをよく覚えています。
しかし、所詮小さい子供が畳んだものなのでたたみ方も綺麗とは言えませんし、タンスに入るように畳むにはまた違ったたたみ方があるのでしょう。
自分が寝たあとに母がこっそり洗濯物を畳みなおしているのを、夜トイレに起きた先に見てしまいました(母には気づかれてない)。
それがなんとなくショックで、逆に手を煩わせたような気がしてそれ以来お手伝いをあまり積極的にしなくなった覚えがあります。
しかし今考えると母のあの喜んでた顔は、息子の積極的に手伝う純粋な気持ちに答えるためだけでなく、その思いに対する本当の喜びであり、「愛」のある優しい嘘だったのかなぁと思います。
28歳 男性のストーリー
かなり寒い日でした。
その日彼氏とショッピングデートの約束をしていたのですが、私はまさかの寝坊をしてしまいました。
さらに悪いことに、その日は公共交通機関も麻痺。
当時はまだ学生でしたし、公共交通機関しか移動手段のなかった私は、彼に謝りつつ、待ち合わせ場所へと向かいました。
待ち合わせ場所は彼の自宅の近くだったため、「近くになったらまた連絡するから、自宅で待っていて」とメール。
彼からは「大丈夫、気を付けて!けがのないように!」との返信がありました。
「かなり時間かかりそうだから、今日はデートキャンセルで大丈夫だよ」と言うと、
「どうせ自宅で待ってるだけだから、せっかく向かってくれているんだし、待ってるよ」とも返ってきました。
結局待ち合わせ場所についたのは、当初の予定から3時間も経過していました。
直接謝り、手をつなぐと彼の手は氷のように冷たかったのです。
「冷え性だから」と隠そうとされましたが、半ば強引に聞き出すと、少なくとも1時間前からその場で待っていたとのこと!
時々暖を取りに近くの店舗に入ったりしたようですが、なぜそんなに早く来たのか問うと、「もしかしたら突然公共交通機関がスムーズに動いたら、今度はそっちを待たせちゃうでしょ?楽しみにしていたし、なんかただ待っていられなかった」と。
言ってくれたらよかったのにと思う反面、彼のウソのおかげで、私は氷道を走って転ぶことなどなく到着できたのだと思うと、寒い日でしたが心はとても温かくなりました。
34歳 男性のストーリー
どうしても待ち合わせに遅れてしまいそうな時に早めに「ごめんなさい。どうしても待ち合わせの時間に間に合わなさそう」と連絡を入れた。
もちろん到着できるだろう時間も添えて連絡をとったところ、返ってきたのが「大丈夫、こちらも同じくらいになりそうなので」という言葉。
正直なところ自分はかなりほっとして、変な焦りはなく行動できた。
実際に待ち合わせ場所へ着くと既に相手が到着していて、にこにこしていた。
手元には本があったし、息を切らしている様子もなく、もちろん汗ひとつかいていなくて、きっと予定通りにこの場所に到着して待ってくれていたのだろうなとそう思った。
もしも、着いていること待っていることを伝えられていたら焦って乗り継ぎを間違えたりしたかもしれないので、とても有難く感じた。
35歳 男性のストーリー
私には可愛がっているウサギが居て、でも事情があって一緒に住んでいなくて
家族が育てているウサギだったので私が会いに行っていたのですが、
冬の寒い日に「今日は寒いし来なくていいよ~」と言われて確かに寒いし今日はお家で過ごそう。
と特に何も思うことなくその日を終えて数日後に今日は行ってもいい?と訊いたときには
「おっけ~好きに来ていいよ~ついでに洗濯でもしといてw」と言われたのでいつものように訪ねて行き
ウサギを可愛がり掃除洗濯をし、家に帰って母親にそのことを話したのです。
そしたら母が実はあの日の朝、家族がウサギにご飯をあげようと小屋を覗いたときには
寒さのあまり動かなくなっていたウサギがいたそうで、私が見たら泣いてしまうと思って家族は
私には来ないように言い部屋を暖め、カイロや毛布をたくさん小屋に入れて仕事へ行き
昼休憩も家に戻り様子を見ていたら元気になっていたようで、
私が泣かなくて良かった~と一安心し、ウサギが元気なのを確認して数日経ってから母に言ったそうです。
何も知らなかった私は「どうして言ってくれなかったのか」と言いましたが
家族が私を思って嘘を吐いたのは判っていたし、ウサギは今でも元気なのでそれでいいかと思っています。

「わたしの周りの結婚できなそうだなという人」

40歳 女性のストーリー
私も結婚できていないので人のことばかり言ってられませんが、小学校の頃からの友人は絶対に結婚できないと思います。
彼女は、人を傷つけることを平気な顔で言います。
それが自分のコミニケーションだというのですが、ちょっと相手が怒った顔を見るのが好きなんだそうですが、完璧に相手を怒らせます。
それをよくないと注意してもホントのことだからと悪びれるそぶりもなく、私を理解して欲しいとわけのわからない言い分。
私も数えきれないほど彼女との友人関係を解消したいと思ったことか‥。
現に彼ができてもいつもこのような理由で振られています。
何度言われても受け止められていない相手が悪いのだと言わんばかりな言い分。
これじゃ、すぐに振られてしまうのは当たり前。
結婚どころか彼だって、まともに付き合いは続きません。
29歳 女性のストーリー
不潔な人。サークルの先輩だった人ですが、とにかく不潔で臭かった。貧乏でもない実家暮らしなのに、お風呂に入る習慣がないらしく、いつもフケだらけ。太っている人だったせいか、夏場は近寄れないほど悪臭を放っていて迷惑なのに本人は全く気にしていなかった。さすがに周囲も面と向かって清潔にするように言ってもへらへら笑って大丈夫と言うだけ。いや、お前じゃなくてこっちが大丈夫じゃないんだよ!とキレたかった。家族も何も言わないのかと思いきや、小さい頃から甘やかされて育っているようで、特に親は何も言わないらしい。おまけになぜか靴や服、カバンなどもいつから使ってるの?というくらいボロボロで汚らしいものばかり。物持ちが良いといえばそうかもしれないがどれもいつもごみ箱のニオイがしてこれもたまらなかった。
21歳 女性のストーリー
私には親友の男の人がいます。

その人はとても性格はよく、なんというか昭和のあたたかみをひきずったまま生きてる、的な感じの人で。

でもそのひと、人情には熱いけどとにかく女好きなんです。

100人切りなんてもんじゃありません。

その場にいる、目の前の女性との時間は大切にするし、その女の人のこと、心底かわいいと思っているし尽くすのですが、その場だけなのです。

そのくせして自分から関係を切ることはなくて、女性が彼から離れていかない限りずっと関係を続けます。

要するに、だめ男。

その場では寂しい顔して女性の母性をくすぐり、同情を得て女性の心をものにして…。

だけど彼は寂しいから、女性1人では心配で
本命の人がいるのにも関わらず、他の女の人にも優しくご飯を奢ったり。

タチが悪いのは、そのことが本命の女性を傷つけているという自覚が彼には無いこと。

そんな生活を彼はかれこれ、私が知る限り3年続けてる。

このひと、最後の最後、大事なときに側にいてくれる人はいないかもしれないな、と思いました。

友達として、遊んだりすることはできるけど、やはり彼にもちゃんと1人の大切な人と幸せになってほしいものです。
27歳 女性のストーリー
私が言うのもなんですが顔可愛くないです。
そしてプライドが高くて毒舌です。
短気だと思います。
前職場の子ですが彼氏と別れて新しく彼氏が出来
その彼氏が熊本の人でこっちに仕事で来たらしく
その彼氏とはうまくいっているのに別れたらしいです。
その時に職場に配達や収集で来ていた佐川の人に声をかけられ可愛いねご飯行こうと誘われてまんまとその気になったらしいです。
そしてご飯行ったりしてたけどその男は結婚。
なんだ彼女いたのかと腹を立てたらしいです。
その後元彼とよりが戻りそうって事で相談されました。
ですがその元彼はワンナイトでいいって言う人でセフレがちらほらいる人でした。
それが嫌で別れたのにまたよりを戻すけど次は大丈夫だと思う?って聞かれて。
駄目だろうこの子馬鹿?痛い目にあうのにと思いながらこの前会った時に1年半続いてると聞きました。
絶対結婚はないなと思いました。
18歳 女性のストーリー
高校で出会った女の子の話。

すごく明るくて、元気で、みんながいつでも話しかけられるような女の子。


でも、誰もが話しかけやすすぎて、仲良くなりすぎて、異性が女として意識していないため、
彼氏いない歴=今の年齢

こんなにも、人気で元気があってみんなに愛されてても、みんなが友達認定しちゃうから彼氏もできないし、男も女としてみてくれない。
それを自覚しながらも自分を曲げたくない当本人は、一向に彼氏が出来てません。

性格はちょっと強気だけど、女からしたら全然彼女にできるような女の子。顔も悪くないし、スタイルも悪くない、普通の高校生なのに誰も好きにならない、もはや好きになったって人すら聞いたことない。
そんな人がいました。

31歳 女性のストーリー
私の友人に、自分が基準の友人がいます。
その友人は、好き嫌いが多く魚等の食べ物の好き嫌いや、熱いと食べられない等々があり、ご飯に行こうとお店を予約しようとすると、毎回これらの要望を言ってきます。
2人だけなら構わないのですが、流石に大人数となると予約するこちらもその子に合わせるのが難しく、合わせてくれてもいいのに..と思ってしまいます。
また、話をしている時も自分基準であれはだめ、これはだめと否定をしてきます。
それなのに、自分の話になると自分に甘いのか私に対しては否定していたのに自分はいいの!?と思ってしまうことが多々あります。
そんな自分が基準の友人なので、未だに結婚できずに実家で暮らしているようです。
35歳 女性のストーリー
わたしの周りで結婚できなさそうな人は、性格のきつい女性です。
職場には独身女性が多く、そういう人に限って細かく指摘したり、いじわるをします。
彼氏の気配もありません。
女性は優しく、愛嬌がある話しやすい人がもてるとおもいます。

また、実家暮らしが長く現在の生活に満足している人は結婚ができない人が多いと思います。実家は楽なので、自立しないでだらだら親と一緒にいるひとは、なかなか結婚が遅いです。

あと、自分の主張を曲げたくない人、コミュニュケーション不足のひとは、相手の気持ちにたてないので、なかなかけっこんできないとおもいます。大事なのは相手への思いやりです。

金銭感覚がケチなひとは、結婚できないです。
同じ金銭感覚のパートナーならいいですが、すぐに喧嘩をしてしまいます。
44歳 男性のストーリー
自分の海外に住んでた経験からすると、海外に住んでて自分は日本の価値観や男が合わないとほざいている日本人女性。
それは、要するに言い換えると、一歩下がって男をたてるとか、自分中心でないといけない、わがまま、礼儀、言葉使いが終わってる。そういう女性が多いです。
そういうのは大抵30代後半から50代くらいまで、で、外人と一度結婚してたりして、失敗してる人が多いです。
また、犬を買ってる女性。これも朝、晩の散歩やら、結局犬、要は自分の生活中心で、相手に合わせようとしない。自分が空いた時間のタイミングのみデートをしたいとかいってくるので、こういう人は無理ですね。
まず、他人を尊重するとか、そういうことがないので無理ですね。
で、そういうのに限って自分のみためはまぁまぁいけてると思ってるので、自分が本気出せば男がよってくるとおもって余裕ぶっこいてます。が、何回かデートしたりしてくると、そういう性格が露見されて、あーあそびでたまにあうのならいいけど結婚は無理だなと男のほうが思ってきます。
自分は男性なので男目線からかきました。
39歳 女性のストーリー
私の小学校時代からの友人ですが、彼女はとにかくマイペース。いやマイペースという言葉では収まりきらないほどの面倒な性格です。
例えば、約束の時間は守らない。待ち合わせの時間になっても現れないのでどうしたのかと彼女のもとを訪ねると、まだ身支度が終わっておらず「ごめーん」とか言いながらもそれはそれは丁寧に髪を巻いたり眉を気に入るまで微調整したり。そんなのは日常茶飯事です。
食べるのも異様に遅く、焼肉とか一緒に行くと最悪です。次々焼いて食べたいのに、猫舌だかなんだか知らないけれど丁寧にふーふーしたあとずーっともぐもぐやっていて、見ていると食欲も削がれます。
そしてアニメや漫画が大好きな彼女はやたらと相手に布教したがります。作品を色々と無理やり押し付けてやれ見ろそれ読めと急かして感想を聞きたがります。
もうほんとにめんどくさい。
しかし、ルックスは抜群なんですよね。もつたいない。
でも、誰かとお付き合いしたとして、これだけのワガママ女と添い遂げられる男性はいないと思います。
33歳 女性のストーリー
私の友人に30代になっても結婚できない人(女性)が数人います。本人には結婚願望がとても強いので意欲は十分です。ただやはり既婚者の自分から見ると、こんなことを言うのも生意気ですが結婚は難しそうだなと思う言動があります。理想が高すぎることです。特に見た目(身長、髪型、顔)をかなり厳しく求めています。年収や家庭環境(将来、義両親の介護をすることになるかどうか)、職業なども「~じゃないと嫌だ。」などいろいろと条件を言っています。20代前半なら理想を言うことは構わないのですが、30過ぎてからこのようなことばかりしていると、出会いの場に行っても男性は引いてしまうのではないかと思います。特に外見はすぐにどうにかなるものではないのであまり求めてはいけないように思います。
31歳 男性のストーリー
36歳の同僚で、彼氏もいないと思われる女性がいます。
彼女は月~金曜日までフルタイムで働き、職場は渋谷ですが、千葉の幕張方面の実家で両親と暮らし、毎日通勤に往復4時間程かけて通っています。移動時間も長いので、プライベートな時間も取れていなそうで、出会いもなさそうです。フルタイムで勤務しているなら職場で出会いが...と思いますが、残念ながらうちの会社は家族経営の個人事務所で従業員は少人数で男性社員はみんな既婚者です。取引先や外注先などの対面の付き合いもほとんどないので、職場で男性との接点はほとんどありません。
その上、モテそうとか、男性ウケしそうとか、家庭的、いい奥さんになりそう、などの印象はなく、都心のお金持ちセレブ風のママさんを見ては理想を高めて憧れてしまっています。
見た目は綺麗にしていますが、人間として薄いというか魅力がありません。婚活やマッチングアプリも頑張っているようですが中々うまくいってないようで、そういう場でも人としての魅力って大事なんだと思います。
アラフォー、独身、実家暮らし、理想が高くて、仕事人間、プライベート時間もほとんどなさそう、な女性は結婚は難しそうだなと感じます。
37歳 女性のストーリー
わたしの周りの結婚できなそうだなという人は、大学の同期の親友です。彼女は仕事に熱心で、何年も何年もかけて教員採用試験を受けやっと合格し念願の教員生活を送っております。公務も部活指導も自分の時間を削って熱心に取り組んでいます。また、彼女は旅行が大好きで、頻繁に一人で海外旅行などに行っております。英語も勉強しているようで、ある程度は一人で行動できるほどの会話能力はあるようです。誰かと行くことも嫌いではないそうですが、マイペースな彼女はやはり一人旅行が気楽で楽しいと言っております。37歳を目の前に結婚したいとは言っておりますが、わたしから見ると彼女は自分の時間を有意義に過ごし過ぎて結婚なんて向いてないのではないかと思います。自分で稼いだお金で自分の好きな国に旅行し、これ以上ないほどに人生楽しんでいるとおもいます。もし、彼女が結婚し、仕事を辞め、旅行も行けず、そんな生活に満足できるでしょうか。幸せの形は様々です。結婚が全てではないので彼女なりの人生楽しんでもらいたいと思います。落ち着いた頃に、縁があれば結婚も考えてみてはといつも話しています。
30歳 女性のストーリー
以前の上司でした。
とにかく当たりがキツい。気に入らないところがあると上の人間だろうが誰であろうが当たり散らす。周り含めて地雷を踏まないように関わるのに気を使っていました。
キレるのはともかく仕事がサービス業でお客様(ご利用者)がいる前でもよく通る声で喚き散らすのは勘弁してほしかったです。

専門職のためお給料は良く、また親元で暮らしていたとのことなので比較的自由に使えるお金があったようです。よく旅行やネイル、買い物をしていました。
見た目は若く見えるのですが実際のところアラフィフで、ただ結婚願望はないと良く言っていました。
それは端的に言うと自分のために生きていたいということで、結婚すると相手のために時間もお金も使わなければならない。
それが嫌だと言っていました。

あぁ、この人の考えそうなことだ。
本人が結婚しないと言っているので別に構いませんが、きっと結婚できないんだろうなぁと思っています。

38歳 女性のストーリー
私の周りの結婚出来なそうな人。
まずは会社の人達。私の年齢は現在、
36歳ですが、昨年結婚し、現在は都会に在住です。
結婚と同時に転職もしました。結婚前は田舎に住んでいたので私の友達や、知り合い、周りの方々でもちろん25歳を過ぎたら結婚適齢期だったり、結婚を意識し始めるのが普通と思っていました。
しかし、転職先の同僚や、リーダー達からは結婚の話は全然出てきません。もはや結婚に対する意識が低いのか、休みの日はゲームばかりやってるとか。私を除く同僚がほとんど20代前半から後半。
仕事中の会話も全然、普通じゃなく、昼間から酒を呑んでいるとか。
30歳のリーダーは友達とルームシェアすからマンションを探していると言ってました。結婚どころか彼氏すらいないと思いました。
38歳 男性のストーリー
会社の同僚の話です。
30台前半の男なのですが、顔や服装、性格も決して悪くはないのですが結婚できなさそうだと感じてしまいます。
会社では出会いが望めるような環境ではないので、自ら出会いを求めて外に出るしかありません。口では相手がいれば彼女も欲しいし、結婚もしたいと言っていますが、出会いを求めて活動している様子はまったくなく、彼女ができるきっかけすらなさそうな状態です。
以前、別の同僚が3対3の合コンに誘って行ったそうですが、男同士でしゃべっているとよくしゃべるのに、その場ではあまりしゃべることなく終わってしまったそうです。
一応、連絡先は聞いたそうですが、その後連絡することもなかったようで、何事もなかったようです。
決して、悪い男ではないのですが、結婚は難しそうだなと感じる同僚でした。
34歳 男性のストーリー
①自分の稼いだお金を他人に渡せない人。
とにかく自分の稼いだものは自分のもの、他人にお金を任せるなんてありえないと考える人。
自分以外は信じれない人なので結婚はできない。

②実家に寄生してる人。
いい年なのにいつまでも親元を離れられず、いつまでも親の作ったご飯を食べ、親に身の回りの世話をさせている人。
これは男女関係なく、親離れできない人は結婚はできない。

③無職かつニート&借金のある人。
これは男に限る話です。そもそも経済力のない人は結婚はできない。

④理想が高い人。
『そんな奴はいねーよ!』と聞いてるこっちが思う位、恋人にする条件や理想が高い人。
結婚にはある程度の妥協は必要だし、いつまでも理想を追い求めてる人は結婚はできない。
41歳 男性のストーリー
思い当たる人がひとり身近にいるのですが、もうすぐ40歳になる彼は、食へのこだわりがとても強いです。身体に良い食材のみを摂取するようにしていることは分かるのですが、白米は口にせず玄米のみ、油はオリーブオイルかココナッツオイル、間食はサツマイモという感じで、傍から見ると頑なに映り、どこか柔軟性に欠ける人に見えます。鶏肉にアレルギーがあると言って一時期一切鶏肉を受け付けなくなったと思ったら、それが豚肉に変わる時期もありました。食生活は結婚においても大切な部分で、食を共に楽しめない人と生活するのは無理があるかなと思います。また、日頃から小言が多いのも、結婚には程遠いように見えます。自分の物差しでしか物事を見ていないので、他人の言動に対して文句がでるのだと思います。
61歳 男性のストーリー
身内になりますが、もう多分結婚する気もないと思います。自分のやりたいことがあって、お金もそこそこ稼げたら趣味に全力で生きられるので、もう結婚することをしたいと思えば話は変わるのかもしれませんが、目標を結婚することにならない限りは自分から動くことはないんだろうなと思います。とくに子供がほしいわけでもないですし、子供にお金をかけるぐらいなら自分の老後にかけたいと思っています。ただ、宝くじが当たってお金がたくさんあれば子供も育ててもいいのかもしれません。でもそうでなければ面倒だし、体も弱いのできっと子供にも遺伝して大変なんじゃないかなと思ったりネガティブなイメージが強いです。興味がないので、出会いを求めていないとあっという間に適齢期を過ぎました。
24歳 男性のストーリー
20代後半になっても、趣味(アイドル等)を追いかけ続けてるひとは結婚できなそうだなぁと感じます。理想が高くなりすぎている、今まで費やしてきた時間やお金が無駄ではないかと思い、続けてしまう。というひとは恋愛をせずにズルズル歳を重ねて言っていると思います。そのようなひとの周りには同じような人しか集まらないので、焦りすら感じないのだと思います。
理想が高くなりすぎているというか、一般人を見ても何も感じなくなっているのかなーと。
そういうひとって、ひとりででも生きていける感じがするから結婚できなそうと言うより、しなくても全然平気!気にしなーい!って思っているのかなー。って感じます。
一般人より推し!そんなひとたちは結婚できないんだろうなーって思います。
26歳 男性のストーリー
自分で一生結婚しないと言っている男性がこのひとは自分が結婚しないと言っているだけであって、できないだけなのではないかなと思います。
とにかく変わり者で、定職についておらず、
特定の彼女も作らず、だからといって女性に興味がないわけでもチャラチャラしているわけでもなく、
寂しがりやなので一緒に誰かと住んでいたいだけという同居人を必要とするひとです。
女性と一緒に住むのですが、お互い干渉せずに、
付き合うこともなくずっと一緒に住むだけという関係を続けています。
体の関係は最初はあったようですが、今はまったくないそうで、なぜ一緒にいるのかわからないです。
ほかの女の子と二人きりでご飯に行くこともありますし、本当に何がしたいかわからないです。
34歳 男性のストーリー
みんなで集まると必ず、早く私も結婚して子供が欲しい?と言っています。でも実際は、仕事でたくさん稼いでいて貯金もしっかりしている。次付き合った人と絶対結婚する!と聞いて、何人付き合ったかわからないぐらい、彼氏がコロコロ変わります。
年収は◯◯以上ないとだめ、次男がいい、地元は遠い人がいい、など条件がとても多いです。
子供が欲しい、みんなの子供可愛い?と言いながらも、子供の話になると、私全然話がわからない?と空気を悪くします。結局子供の話は避けられ、その子の旅行に行ったことやエステに行ったことなどの話題を聞く流れになっていきます。いいな?と言うと嬉しそうで、本当に結婚したいのかな?って思うぐらい、独身生活を楽しんでるように見えます。
35歳 男性のストーリー
他人に興味がない人は、どれだけ性格が良くても結婚は難しいと思います。
私の学生時代からの友人(女性)は、顔立ちも性格も良いため異性にモテるのですが、彼女自身あまり他人に興味がなく、人付き合いが得意ではありません。人の話を真剣に聞かない、人の気持ちを考えないで発言する、などの行動が目立ちます。結果として、相手から先に好かれて付き合っても相手から振られる、という事が何度もありました。
結婚するとなると、一緒に長い時間を過ごし、お互いに助け合いながら生きていくのが普通だと考えています。彼女のように他人に興味のない人が、誰かと結婚して、まして子供を産んで育てるといった場面を想像することが全くできません。
それでも私にとっては大切な友人であるので、いつか彼女に良い出会いがあれば良いなと思います。
30歳 男性のストーリー
消防士という職業が大好きであることと命をかけて人の命を守ることがかっこよく尊敬すると思っている友人がいます。その友人は、そんな消防士と結婚したい!と思っているので、消防士がくるコンパによく参加をしています。しかし、コンパで良い人だと思い、恋愛に発展しても結局はただセフレ関係になりたかった人を好きになってしまうことが多く、都合の良いようにされていることがよくあります。友人もすぐに好きになり、相手に合わせすぎたり、尽くしすぎてしまうところがあったり、消防士に限定しすぎてしまっているところもあり、出会いの場を自ら狭めています。もっと広い視野で職業にこだわらず、人間性を見ていけば良いと思うのですが、消防士がいいという気持ちは変わらないようです。今のままでは結婚もなかなかできないのではないかと思います。
24歳 男性のストーリー
理想が高すぎて現れないだろうと思いました。
今まで彼氏がいたことがなく恋をしたことないということですが何故か理想が高すぎるのです。見た目はかわいいわけではないですが男顔でキリッとしています。ご両親も恋愛結婚でなくお見合い結婚だから愛があったわけではないのでとすごく冷めた回答で、出会った男の人がいても「俺のことどう思う?」と聞かれても駆け引きとして「ないかなぁ」と何故か答えてしまったりと男心というのか恋心がわかっていない感じです。そんなこんなでもずっとすごして行くことになりそうだなとかんじます。冷め切っているのかそれとも冷めきった演技なのかよくわかりませんが素直でなくて見ていて寂しい気持ちになります。
32歳 男性のストーリー
外見は可愛く背も低い小動物系。服装も可愛い感じで、合コンでも特にアニメや漫画が好きな草食系男子にはよくモテる友人。でも本人は肉食系のイケメン好きで理想が高く、自分から積極的にアプローチすることもないので、いつまでも受け身でどんどん年齢を重ねていっている。まわりは適齢期でどんどん結婚していっているが、今まで一部の男性にはモテてきたので、プライドもあり、妥協することもなく独身のままこじらせている感じ。服装も年齢相応の落ち着いた感じにシフトすることなく、いつまでも幼く可愛い系のままなので、バランスが悪く男性受けは今ひとつ。プライドがあるのか、自分からは合コンや紹介など、積極的に出会いを求めることもないので、チャンスも逃してしまっている。
33歳 男性のストーリー
私が結婚できなさそうだなと思うのは3点あります。

1点目なのですが、基本的に受け身な人が多い気がします。
飲み会や合コンなど出会いの場があったとしても、自分からは行動せずに相手からアプローチが来るのを待っているという人です。
自分が美男美女なら引く手数多かもしれませんが、そうでないなら大抵はその場限りで終わってしまいます。
せっかくの出会いの場を逃してし続けてしまうので結婚できなさそうだなと感じてしまいます。

2点目は、周囲を気にしすぎる人です。
そういった方は優しい方とも見れますが、自信がない方が大半のように見受けられます。
周囲を気遣うことは非常に大切ですが、時には周囲に遠慮せずぐっと行動を起こす時も必要だと感じます。
やはり自分のやりたいように自信をもって行動している姿は魅力的に映りますからね。

3点目は、一番問題なのですが、問題意識を持っていない人です。
人の脳は変化を嫌いますが、私の周りにも数人。結婚したいなというだけで行動していない人がいます。
大学やアルバイトなどをやっているうちは出会いも多く良いかもしれませんが、
社会人になって働き始めると行動しない限りどんどんその機会は少なくなってきます。
いつか結婚したいな~ではなく、年齢等をしっかり考えたうえで行動を起こしていく必要があるかなと思います。

以上3点が私の思う結婚できなさそうだなという人の特徴です。
結局は結婚という変化を起こしたければ行動していくしかないのかなと感じます。
33歳 男性のストーリー
理想が高い人は結婚できないと思います。
結婚するための条件を「優しい人だといいな」といいつつ、出会う人にたいしては、見た目、年収、職業、身長、家族構成、出身大学など細かなところでケチをつけます。むしろ、最初の条件である優しい人というのは、最初からなかったかのように、ゴロゴロと条件が出てきます。一つでも当てはまらないものがあると、それだけで見向きもしなくなります。
結婚とは、相手のだめなところも愛せないと続かないと思います。何十年も人生を共にするのですから寛容な気持ちを持ってほしいです。
自分も完璧な人間ではないでしょうから相手から駄目なところを受け入れてもらうことがあると思います。
理想が高い人は、よっぽど飛び抜けた何かがないと結婚できないと思います。

「わたしがやめられないもの」

28歳 女性のストーリー
私は結婚3年目の主婦です。1年ほど前に10年続けていた職場を辞めました。職を失ったから大好きなジャニーズの追っかけも終わる事ができる!と思っていたのですが、むしろもっと行きたい!時間があるからもっと追いかけれる!と思って月に1回以上会いに行って追いかけています。正直結婚もしていますし旦那もいて子供がいないのをいいことにアイドルを追いかけまわす主婦というのもどうなんだろうと思います。でも本当にジャニーズを追いかける事が楽しくて中毒のようになっている自分もいます。結婚もしていて一生叶うはずのない恋なのにジャニーズのアイドルに恋をしている自分もいて正直怖いです。でも子供ができるまでは絶対にやめる事ができないですし、子供いらないからジャニーズを追いかけたいという気持ちが50%ほどある自分も怖いです。
52歳 男性のストーリー
私が52歳になっても辞められないのはレーシングカートです。

15歳で始めて、もうかれこれ37年になるのですが
いまだにカートコースに行くことを辞められません。

15歳から10年間は、レース三昧の日々でしたが
さすがに現在は練習走行のみ。

レーシングカートはまだまだマイナーなスポーツですが
直線では軽く100km/hのスピードに達する
F1への登竜門とも言われる競技なのです。

本当はまだ、レースに参戦してみたい気持ちは十分にあるのですが
20代の頃のようなタイムには到底及ばず、周回遅れになるのがオチなので
自粛している次第です。

それでも毎週末の転機を気にしながら
ヘルメットを磨いたり、カートのメンテナンスをする時間が
しばらくは続きそうです。
35歳 女性のストーリー
私がやめられないものは、間食です。
ポテトチップスやおかき等も食べますが、一番好きなものはチョコレートです。
しかも、カフェオレやココアといった甘さのある飲み物も飲んでしまうので、
カロリーを上乗せしてしまっています。
でも、空腹以外に、夕食後の1日の終わりに、楽しみとして、リフレッシュとしての意味もあるのでなかなかやめられません。
この習慣のおかげでダイエットは進まず、それどころか夕食後に食べているので、太ることもあります。
食べる時間を昼食後に変えたり、飲み物をお茶に変えたりとしていますが、10年以上の習慣は今更変えることが出来ません。
食べ過ぎないよう、1日のトータルの食事量でバランスをとりながら、チョコレートを楽しみたいです。
46歳 女性のストーリー
ポイント集め
ポイントといってもポイントサイト、スーパーのポイント・・・色々ありますが
私が一番重宝しているのが「楽天」ポイントです

楽天チェック 
1か所10P(10円)、コンビニで(1~3円)

楽天パシャ  
指定商品購入でポイント獲得、レシート投稿で1P(1円)

楽天ポイントクラブ タップで1P(1円)

楽天ツールバー 検索で毎日3~4P獲得

楽天市場 
5のつく日や楽天イーグルスが勝つとさらにポイントがつきます

楽天カード 
他のカードは1000円単位なのに楽天カードは100円単位でポイントがつきます

楽天を利用して10年以上たつかと思いますが獲得したポイントは35万ポイントを超えていました
今までそんなにお金を使ってきたんだという喪失感とお金を使ったのにさらにポイントで得をしたんだ!私は合理的な買い物をしているという安心感の矛盾した感覚をもっています

獲得したポイントで小さい家電から大きい家電(冷蔵庫、洗濯機、エアコン)などポイントを使って購入することで、「安く」買うことができるお得感が「やめられない」理由でこれからももっともっと貯めたいと燃えています
       
46歳 女性のストーリー
「ポイント集め」です

やはり一番の大口は「楽天」でしょうか
・楽天メール
・楽天ツールバー
・楽天チェック
・楽天パシャ(レシート投稿です)
・楽天edy
・楽天クレジットカード

私の通算獲得ポイント 35万 100円で1ポイント獲得で35万
思い返せば良く買い物しました、家に荷物がたくさん届きました
スイーツの注文からはじまり10年経過した今では、大物家電や日用品にかわりました
ポイントを使って買い物ができるという点も魅力ですね
その分自分でお金を負担する部分が減るので「安く買える」魅力で「ポイント〇倍日」とみるとすぐに注文できるように買い物リストを作成している自分がいます

楽天は買い物だけでなく、携帯電話も展開しています
再来月から楽天モバイルに変更する予定なので、私のポイント稼ぎはますます磨きがかかると確信しています
自分がネットを使えなくなる年齢までポイント集めが止まることはないと思います
27歳 女性のストーリー
私が辞めたくてもやめられない事はタバコですね。10月に消費税がまた上がるといいますがタイミングよく使用していたアイコス本体が壊れてしまい、二日間辞めることも検討しましたが結局吸いたいっという欲求のが買ってしまい新しく購入してしまいました。。
タバコは無駄遣いな様な気がするのですが吸いたいというメリットがあるので何年もこの考えから抜け出すことが出来ずに禁煙本も読みましたが完全にタバコ好きが消えません。
今後禁煙がもっと当たり前になり喫煙所が限られた日本になると思いますが、その時までに辞めたい気持ちはあります。。
他人本望です。。

海外では既にもう禁煙が広まっており日本は世界と比べた際には遅れている方だとききます。先のことを考えた際にはやめられないけどやめた方が賢明。。
26歳 男性のストーリー
納豆を食べることがどうしてもやめられません。

アメリカに留学した際に、やはり日本の食文化とは異なっており、ステーキが日本でいう白米の感覚で食卓に登場します。

普段からウェイトトレーニングをしているため、トレーニング後は牛肉はもちろん、鳥や豚もたくさん食べていたので、全く気になりませんでした。

しかし、4日、5日とランチもディナーにもステーキが出てくると、食欲がわかなくなってくるんですよね。

日本では、肉もたくさん食べますが、味噌汁や漬物を意識することなく一緒に食べているので、肉がメインで食べている感覚というのはあまりないのかもしれません。
もちろんそこに、私の場合は納豆が入っています。

納豆は3歳からほぼ毎日食べ続けており、個人的なソウルフードなわけです。

そのため、ありとあらゆるスーパーをハシゴしたのですが納豆は見つからず、結局お寿司屋さんの店長に聞いてやっと売っているところを教えていただきました。

その時に食べた納豆の味は、生涯忘れないことでしょう。
28歳 男性のストーリー
間食がどうしてもやめれません。夕飯を食べた後、作業をして寝るまでに必ずポテトチップスを買って食べてしまいます。

やめようと努めるも、近くにコンビニがたくさんあるため毎日誘惑に負けてします。最近だとポテトチップスのほかにもコーラを買ってしまう癖がついてしまいました。やはり人間、ルーチーンが出来てしまうと弱いものです。

そんな私にも彼女が出来ました。彼女はとにかく間食やらスナック菓子が嫌いなタイプで、見つかると怒られてしまいます。よい大人なんだから我慢を・・・とは考えているものの。やはりやめれません。

彼女の目を盗み、コンビニに忍び通う日々が続いてしまっています。
背徳感もまし、余計にポテトチップスがおいしく感じてしまいます。
54歳 男性のストーリー
 私がやめられないものは競馬です。
 世間ではギャンブル依存症というものが社会問題化しており、
完治は難しいと言われていますが、その通りだと思います。
 競馬を始めたのは約10年ですが、それまでは競艇にはまっていました。
 競艇は知人の誘いでそれまで約5年くらいやっていたのですが、ふとスポーツ
新聞で競馬結果の記事を見たとき、配当金が競艇と比べ物にならない位、高額な
ので、試しにウインズに行くと「勝った」のでのめり込んでしまいました。
 しかし、皆さまご承知のとおり、勝つ回数は少なく、ほとんどが負けの日々。
 「これはやめなければ経済的に崩壊する」とわかっても、お金の工面をし、
やめられません。
 ただ、金額は1日いくらと決め楽しんでいます。
54歳 男性のストーリー
 私がやめられないものは競馬です。
 競馬歴は約10年ですが、それまでは知人の誘いで約5年間、競艇にはまっていました。
 そんなある日、ふとスポーツ新聞に目をやると競馬の結果が記載されていました。
 すると配当金が競艇と競馬では1桁違うのです。
 これは3連単というものですが、競艇は6艇ですから、1万円を超えることは少ないのですが、中央競馬は頭数が多いので、ほとんどが1万円を超え、10万越えもちらほらありました。
 「これは」と思い、スポーツ紙を抱えウインズに赴いたのがきっかけです。
 何日かは「勝った」のですが、そんなに世の中甘くはありません。
 そのうち負けが込み始め「もうやめよう」と思うのですが、何とかお金を工面し
ネット投票にも手をだしたものです。
 ひいては経済的に逼迫した状況となり今に至っています。
 ただ、今は1日の使用限度を決めて楽しんでいます。
54歳 男性のストーリー
私がやめられないものは競馬です。
 競馬歴は約10年ですが、それまでは知人の誘いで約5年間、競艇にはまっていました。
 そんなある日、ふとスポーツ新聞に目をやると競馬の結果が記載されていました。
 すると配当金が競艇と競馬では1桁違うのです。
 これは3連単というものですが、競艇は6艇ですから、1万円を超えることは少ないのですが、中央競馬は頭数が多いので、ほとんどが1万円を超え、10万越えもちらほらありました。
 「これは」と思い、スポーツ紙を抱えウインズに赴いたのがきっかけです。
 何日かは「勝った」のですが、そんなに世の中甘くはありません。
 そのうち負けが込み始め「もうやめよう」と思うのですが、何とかお金を工面し
ネット投票にも手をだしたものです。
 ひいては経済的に逼迫した状況となり今に至っています。
 ただ、今は1日の使用限度を決めて楽しんでいます。
45歳 男性のストーリー
私がやめられないものはお酒、タバコと趣味でやっているソフトボールと麻雀です。
お酒に関しては毎日、ビールとワインを飲むなどお酒を飲まない日はないぐらいに毎日飲んでいます。
タバコにしても、20歳になると同時に始めてから45歳の今までで全くやめることができません。
あと趣味でやっているソフトボールですが、私が大学卒業後に入社した会社の人の紹介で地域のチームに所属してから20年以上プレーを続けています。
年齢とともに足は遅くなり、プレーの質は確実に落ちてきていますが今でも続けています。
麻雀に関しては大学時代に同級生たちと毎日のようにやっていました。
社会人になってからは麻雀をする機会は減りましたが、今でも集まると卓を囲むほど大好きです。
35歳 女性のストーリー
私には趣味がある。それは、4歳から始めているピアノである。ピアノを始めたきっかけは、隣の子がピアノをしていて、そこに行って私もやりたいと宣言したことだ。これは親に聞いた話で、当の本人は始めたきっかけすら覚えていない。私の家は貧乏で、生活をするのがギリギリだった。しかし、ピアノのようなお金のかかる事を反対されなかった。その為、ピアノに関わる事に関しては昔から譲らなかった。例えば、コーラスコンクールのピアノ伴奏。クラスには数人ピアノが弾ける人はいるが、人一倍ピアノに対して依存心が強く、ピアノ伴奏の座を譲らなかった。自分の家庭環境を理解し、親への感謝から、決してピアノだけは辞めてはいけないと感じている。
23歳 男性のストーリー
20歳の頃から吸っているタバコがやめられません。はじめたきっかけは先輩に誘われて「吸ってみなよ」といわれてからです。当時はいつでもやめられるという自信があり飲み会や付き合いの時のみ吸っていました。しかし、ふと気づくと食事の後に体がそわそわして直感的に「タバコを吸いたい」と感じたことを覚えています。

その後は毎日1箱ほど吸ってしまう生活を続けていましたが、その時はまっていたテレビゲームのためのゲーミングディスプレイを購入するために禁煙しようと決心しました。禁煙して1週間経った時、とにかくイライラしていて周りの友人に心配されました。結局友達から「毎日イライラしててやばいよ」と言われたのをきっかけに禁煙をやめてまたタバコを吸っています。なんどもやめようとしたがやめられないものはタバコになります。
46歳 男性のストーリー
私のやめられないものは、お菓子です。特に、甘いものがやめられません。ストレスがかかると、つい食べ過ぎてしまいます。疲れたときやストレスがかかったときは特に甘いものを食べてしまいます。体重がそれによって増えるのがわかっていても、なおやめることができません。ダイエット中も、ずっとヨーグルトだけは自分に許して食べていました。甘いものを食べないとイライラしてしまうくらい、甘いものは本当にやめられません。甘いものなら、洋菓子でも和菓子でも構いません。あんこでも、チョコでも、クリームでも、果物でも、何でも食べています。今は暑いですが、暑さというのまでストレスになり、甘いものに手を出してしまっています。それくらいやめられません。
37歳 男性のストーリー
買い食いですね。さすがにいい年齢なのですが、コンビニやスーパーで食べ物を買って食べながら歩くのが未だに止められません。
しかもマズイのは特に空腹というわけでもないのに何となく食べたいと思ったら買い食いをしてしまう点です。買い食いがしたいという欲求が大きく空腹だから食べるとかではないのが問題点だと感じています。それでいてデブっているので痩せなきゃいけないと思っているのでそれもあるのでいい加減止めた方が良いとは思っているのですが口の中に物が入っていると安心するのかどうにも買い食いが辞められない状況です。
とにかく何かしら食べ物や飲み物を買って食べている状態であると安心するのでガムでも買おうとかと思うのですが、あまりガムが好きではないのでやはり食べ物を買ってしまい結果食べながら歩くという悪循環に陥っています。
48歳 男性のストーリー
私のやめられないものはラジオです。
普通に聴くのもそうですが、聴けない時は、radikoのアプリを使ってタイムフリー機能を使って聴いています。 特にFM横浜にはまっています。
朝9時から12時迄のLOVELYDAYでリポーターをやっている藤田優一君が好きです。神奈川県の至るところにリポートしています。たまに県外にもでてリポートする事もあります。はぁい藤田で~すがキャッチコピーで愛嬌のある方です。 番組中に3回リポートの時間があります。
また12時から15時迄Ene good for you がやります。これもリポーターがいて、穂積ユタカことホズミンといいます。スポーンをキャッチコピーに明るいトークが自慢です。 これも神奈川県をリポートしますし、たまに県外に出る事もあります。番組中に2回リポートがあります。
特に昼間用事がある時はradikoのタイムフリーで聴いています。
56歳 男性のストーリー
この在宅ワークを始めた頃は上手く行くのかなと思っていた節もありましたが毎日、何件か熟す内に慣れてクラウドワークスも含めた在宅ワークがやめられなくなりました。理由は簡単です。時間内に文章を組み立ててテーマに沿って記事にすればお金を得られるので現在は日課に昇格しました。最近では働き方改革のおかげで企業によって本業に支障を来たさない程度の副業が認められています。自分の力で汗を?いて稼ぎましょうと言いますが在宅ワークも結構な情報量をコンパクトに纏めるのは大変です。人によっては仕事として見做さない場合もありますが凹まずに励む予定です。在宅ワークを通して記者さんではなく時間に追われた作家さんのイメージを持つようになりました。できるだけ受注したいと思います。
32歳 男性のストーリー
私がやめられないものはズバリ、スイーツです。一番はチョコレートですが、チーズケーキやアイスクリームもやめられません。食後にケーキを食べたのに、風呂上がりにアイスを食べてしまいます。きっとスイーツをやめれば3キロくらい軽々痩せるんじゃないかと思います。
しかし、子育て中でくたくたの私の唯一の楽しみでもあります。
もうひとつやめられないことは、夜更かしです。もともと夜型な私ですが、子供ができたのでできるだけ早く寝かしつけてから家事をし、一息つくのは深夜になってからです。一人でゆっくりテレビを見るのが何よりの贅沢です。結局、とりためたテレビ番組を見ながらスイーツを夜中に食べ、どんどん太ってしまいますが、やめられません。
39歳 男性のストーリー
それはズバリ、タバコです。何度も何度も禁煙をしようと試みてきましたが、なかなか長続きはせず、どうしても吸ってしまいます。コンビニでも無意識にタバコの番号を言ってしまう程です。昔に比べたらタバコ自体も値上がりしてきていますし、自分が吸っている物が500円を超えているので、さすがに経済的にもしんどいからもういい加減やめようと思っているものの、なかなか…です。
けど、最近では電子タバコに移行しました。今までの紙タバコに比べたらニコチンも少なくタールは0、コストも今までより数十円安いので月単位でみたらまだ経済的です。
初めはどうなる事かと思っていましたが、慣れてしまえばなんて事はありませんでした。まだ体にも優しいので健康面にも気を遣えますしね。
禁煙をしようっと始めた電子タバコですが、これからどうなる事でしょうか?このまま無事にタバコ自体も辞めれたらいいのですが…。
分かっていても、なかなか辞めれないものですからね。
46歳 男性のストーリー
仕事帰りの買い食いです。特にコンビニのホットスナックを見るとついつい買ってしまいます。一番良く買うのはチキンです。お腹が空いているので見た目につられてつい買ってしまうのですが、食べると脂っこくていつも8割くらいで止めてしまいます。味も最初の一口がおいしいくらいで特に病みつきになるほどでもありません。食べると必ず後悔するのですが毎回レジの前に立つと目が行ってしまい無意識に頼んでしまいます。最近ではむやみに買わないように、例えば仕事で残業した日にはご褒美として買おうと決めているのですが、あまり時間が遅いと売っていないコンビニがあり、食べれなければ食べれないでストレスがたまってしまいます。月に2、3回のことなので目をつぶっているところです。
30歳 男性のストーリー
チョコレートがやめられないです。
新作のチョコレート味のお菓子などが出ると必ず買ってしまいます。
コンビニスイーツなどもクオリティが高いので必ずチェックします。
冷蔵庫にも常にストックがあります。
バレンタインデーのチョコレートも、主人の分はもちろん買いますが、
自分のものを買うのにとてもこだわって時間をかけて吟味してしまいます。
ごはんよりもチョコレートのほうにお金をかけてしまいます。
主人とけんかして許せない時も、おいしいチョコレートを買ってきてもらえるとつい許してしまうほどです。
妊娠中に体調が悪くて寝たきりのときも、チョコレートだけは唯一食べられたので、
自分の子供ももしかしたらチョコレートが好きな子に育つのかなと思います。
46歳 男性のストーリー
どうしても、スナック菓子をたくさん食べることがやめまれません。お酒を飲む特に止まらなくなります。このままでは太る一方だと焦り、お酒をノンアルコールにしたり、炭酸でごまかしたりしたのですが、お菓子がやめられません。そこで、お酒の代わりになるものすら飲まないようにしてみたら、若干、お菓子の量をセーブできるのですが、やめられません。袋菓子を袋ごと食べるのをやめてお皿に小分けにして食べてみましたが、結局、何回もお代わりをしてしまうので、食べる量は変わりません。お腹がすいてるわけでもなく、口寂しいわけでもないのですが、一袋全部食べ切らなくては・・・という感じで黙々と食べてしまいます。これは、スナック菓子に限ってです。カステラなど、他のおやつは自分でセーブできることが多いです。スナック菓子には食欲をそそる何かや、安定剤的なものが入っているのかと感じたこともあります。主人に「無理にやめてストレスためるよりもいいんじゃないか」と言われて、今でも、スナック菓子を食べ続ける日々です。
65歳 男性のストーリー
私は、趣味としてゲレンデスキーをしています。これは、私が子どもの頃から変わることのない大好きな事です。
雪深い地域に生まれ育った私には、よい条件がそろっていたのだと思います。
現在私は、60歳半ばの年齢となりましたが、これまでを通じてスキーをするために、体力の維持に努めてきました。雪の無い時期は、ウォーキングやロードバイクを日課としています。お陰様で、これまで大きな病気をしたことが無く、健康を維持しています。
これはスキーを元気で楽しみたいという気持ちが、そうさせてくれたものと感謝しています。
定年退職した今は、何の妨げもなく毎日でもスキー場に通えることに、とても幸せな気分です。
仕事をしていた頃は、毎日が忙しく中々スキーにいけなかったことを思い出します。少ない時間をやりくりしてやっとの思いでスキーをした時、日頃のストレスが晴れ晴れと消えて行くことを、何度経験した事でしょう。それも懐かしい思い出です。
これからも健康に気をつけて、私の一番の楽しみであるスキーを心から楽しんで行きたいと思います。
65歳 男性のストーリー
 私がやめられないもの、それはスキーです。私の最も好きなスポーツで、幼い頃から続けてきました。スキーをするといやなことを忘れることができます。これまで、何度スキーに助けられた事でしょう。仕事での失敗や、人間関係に苦しんだ時も、様々なストレスにさらされた時、その鬱積したものを解消してくれました。そして、私に心地よい解放感を与えてくれたのがスキーでした。
 豪雪地帯に生まれた私に、スキーをする環境が整っていたのでしょう。現在60歳半ばになりますが、スキーを楽しむために、雪の無い時期は、ウォーキングやロードバイクで体力保持に努めています。
 スキーを起点とした私の運動習慣は、大いに健康維持に役立ちました。今も、とっても元気です。ですから、私はスキーがやめられません。これからも、長く続けて行きたいと思っています。
35歳 女性のストーリー
わたしがやめられないものはタバコです。
数年前に、1度辞めようと思いつき、年末の23時59分まで吸う。そして、年始の0時からは吸わないという禁煙方法をしました。
最初はご飯の後我慢できずに苦しみましたが、なんとか耐えました。半年すぎた頃電子タバコが発売された時に買ってしまいました。
半年も我慢できたのに、新しい物買いたい症候群で、結局買ってしまいました。
今はプルームテックを吸っていますが、
辞めるにこしたことはないし、あの時買わなければ今も辞められたかなとも思います。
プルームテックは匂いもないので、今吸ってはいますが、葉たばこは辞められたのでよかったのかなとも思います。できれば、辞めたいけれど…
またそろそろ禁煙に挑戦しようと思う今日この頃です。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

44歳 女性のストーリー
昔から、人見知りが激しくて「笑顔で挨拶」することが苦手でした。
挨拶は出来ても、愛想笑いが全く出来なくて、人間関係もあまりうまく出来ませんでした。

ですが、就職難で仕事が接客業しか無く、仕方なしに接客業をはじめましたが、そこで慣れてきたのか「笑顔で挨拶」が出来るようになりました。

勿論、仕事ですから「笑顔で挨拶」することは必然ですが、自分から話しかけることが出来なかった私が、自分から「挨拶」が出来るようになりました。
その後、お客様と会話していく中で、自然と笑顔で接客出来るようになり「笑顔で挨拶」することが「人を良い気持ちにさせること・決して不快にはならないこと」がわかり、接客業をやめて他の仕事に付いた時にも、仕事場の人たちや来客対応時にも自然と対応出来るようになりました。
そのため、仕事場の人間関係も良かったと思います。

私は今だにコミュ障ですが、「笑顔で挨拶」は必ずしています。
話が出来なくても、「笑顔で挨拶」していればとてもイイ印象を与えるみたいですので。
笑顔は、人を不快にしません。私の中では一番のコミニュケーション方法だと思っています。
36歳 女性のストーリー
小学生の頃から裁縫が苦手だった。家庭科の製作物は、いつも、見かねた友達が、私の代わりにやってくれていた。なので、自分に裁縫は無理だと思っていた 。だけど、大人になって、YouTubeを見るようになって、子供の体操袋やバッグの作り方の動画を見ていたら、自分にもできるような気がしてきて、試しに作ってみたら、あっさり作れてしまった。それからは、見よう見まねでバッグや財布やポーチなど、色々作れるようになった。今まで苦手だと思い込んでたけど、単にや
り方がわからなかっただけだったのかもと思った。口で説明されても、イラストを見ても、ちんぷんかんぷんだけど、動画ならスッと頭に入ってくる。最近は、バッグが欲しいと思ったら、まず作り方の動画を探して、自分で作っている。
35歳 女性のストーリー
小さいころ、お肉が食べられなかった私。
肉をいつまで噛んで、どうやって飲み込むのかがわからなかった。筋だけになった肉をいつまでも口に含み、親が見ていない時にティッシュにくるんで捨てるのだった。
小学生のある誕生日の夜、父に誘われて2人でステーキを食べに行った。そこで食べた肉は、あっという間に口の中からなくなり、溶けるようになくなった。
私は、とてもうれしくなり父を見上げた。このお肉、おいしいね!と喜ぶ私の頭を、父は少しの笑顔と「ごめんな」の言葉とともになでてくれた。
当時3人兄弟の弟が長期入院し、安いお肉しか食べてなかったと気付いたのは大人になってから。
きっと家族5人でステーキを食べる予算がなくて私だけ連れて行ってくれたのだろう。
あの時の父の悲しそうな笑顔を忘れない。
赤身ステーキの流行、私は大歓迎だ。
46歳 女性のストーリー
納豆です
栄養があって体に良いのは知っていますが、どうしてもニオイが苦手です
でも夫は納豆は平気、体に良いからとすすめてくれたのですが家族全員NGです
そんな納豆NGがOKになった日です

夫はいつも通り納豆を食べていました、それに「わさび」を入れてグルグルとかき混ぜていました
わさびをいれると納豆独特のニオイが分かりにくくなるとか・・・
納豆はダイエットにも良いと知っていたので夫に一口だけ食べさせてとお願いし数粒口にいれました
ホントにニオイがわからないのです
食べやすい!
翌日から半分たべ、その翌日から1パック食べれるようになりました
私が納豆を食べ始める様子を見て両親もわさびをいれて私の納豆を食べて納得し今では家族全員「納豆」を食べられるようになりました
でもみんな好みが違います
冷蔵庫には数種類の納豆が入っています
31歳 男性のストーリー
30も超えたいいオトナが、どうしても口にできないもの、それがニンジンです。
ニンジンには辛い思い出があり、小学生低学年の時に給食で出たニンジンの煮物をたべた際、
口に残る甘い味と、青臭いニンジンのエグミが原因で、その日食べた給食を教室内で嘔吐してしまい、クラスのみんなに笑われた思い出が未だに尾を引いて残っていました。
それ以来、20年以上、ニンジンを避けて生きてきたのですが、
付き合って間がない頃、当時付き合っていた彼女が、最初に振舞ってくれた手料理がニンジンスープでした。
自分がニンジン嫌いなことを知らず、仕事終わりにがんばって作ってくれた料理を残すわけにいかず、食べたのですが、そのスープがとても美味しく、それ以来ニンジンが好きになりつつあります。今の妻が、そのときの彼女です。
54歳 男性のストーリー
たいていの人は子どものころから嫌いな食べ物があると思います。私の場合はトマト。でもある時そのトマトが全く問題なく食べられるようになったのです。
子どものころから生トマトが食べられなかった私。トマトスープも、トマトケチャップも、煮たトマトも、トマトジュースもOKなのに、なぜか生トマトだけがダメ。友人から「トマトジュースが飲めるなら絶対に生トマトも食べられる」と力説され、そーかなーとマインドコントロールされてひと口食べてみましたが、やっぱり気持ち悪くてダメ。
ところが、就職してからイタリアに旅行に行き、ランチに出てきたサラダのトマトを食べてみたら、なぜか美味しいと感じて食べることができました。さすがイタリアのトマトは違うと思ったものです。
その後日本に帰国して、恐る恐る日本のトマトを食べてみたら、なんと全く嫌な気持ちがせずに食べることができたのです。ふとしたきっかけってなんともスゴイですね。
51歳 男性のストーリー
小学校低学年生のころ足が遅くて運動が大嫌いで、体育の授業がある日、運動会などは、ズル休みしたくてグッズってよく母に叱られていた。
でも、6年生になるころから成長期になり、体が大きくなるのにあわせて足が速くなった。
特にトレーニングをしたわけでもないのに、学年でトップグループに入るぐらいに短距離走を速く走れるようになっていた。
足が速くなると嫌いだった運動が好きになり、中学・高校では、体育の授業、体育祭、部活などで活躍できてかなり目立っていた。
目立つようになると、モテる様になり、先輩・後輩・同級生を問わずチヤホヤされた。
思い起こせば、人生で一番モテていたのは、このころだ。
あれから数十年、いまでは立派なメタボ中年、人生で一番足が遅くなっている。
51歳 男性のストーリー
小学校低学年の頃、足が遅くて運動が大嫌いだった。
体育の授業のある日、運動家の日には、ズル休みしたくてグズって、母に何度も叱られていた。
でも、6年生になるころには成長期になり、体が大きくなるのにあわせて足が速くなっていた。
特にトレーニングをしたわけでもないのに、学年でトップグループに入っていた。
足が速くなると大嫌いだった運動が好きになり、中学・高校では、部活・体育祭などで活躍できて目立つようになっていた。
目立つようになるとモテるようになり、先輩・後輩・同級生をとわずチヤホヤされていた。
思い起こせば人生で一番モテていたのは、このころだった。
あれから数十年、今では立派なメタボ中年になり、人生で一番足が遅くなっていた。
20歳 女性のストーリー
私は小学生のときから勉強が全般的に苦手で、特に算数や、中学になると数学などの、数字を使った学習が一番苦手で嫌いでした。
放課後や夏休みなどは、成績が芳しくない生徒を集めた補講で殆ど無かった思い出があります。そんな中で、私は周りの友人から勉強が全く出来ないと認識されていました。
もちろん私も自分自身の事を、そう認識していました。その頃の私はそもそも努力をしようとしていなかったのです。

しかし、中学2年の時、「どうせ馬鹿だからね〜」や「〇〇(私)よりも成績低かったら終わる」と、私の目の前で全く悪意がなく言われるのが嫌になっていきました。

そこで、ようやく塾に通いはじめ、家では常に学習に勤しんでいきました。
友人達には次のテストの結果で驚かせたく思い、学校ではなるべくいつも通りを貫いていました。

その結果、私は次の定期テストで全ての科目で高順位取る事ができました。
その中でも、一番不得意だった数学で学年一位を取る事ができだ事が、自分の中では最も嬉しい出来事でした。
その結果をみて友人達からはとても驚かれました。
中学生活の後半には、友人から勉強を教えて欲しいと言われる事が多くなりました。
私は人の倍以上勉強をしないとできないタイプでしたが、それでも努力次第で得意な事は増やせるんだと、この体験を持って深く実感いたしました。
48歳 男性のストーリー
中学校2年迄、数学が大の苦手で、正負の計算なんかは訳分からず、+と-の計算は特に理解に欠けていて計算値や符号が間違いだらけでした。方程式はなんとか理解出来たのですが、不等式はまるで分からない状態 でした。
図形の証明問題なんかはまるっきり解りませんでした。
そんな状態で中学校3年に上がった時、数学の先生が若くて教え方のいい方に変わって見違える程良くなりました。それまでは、年輩の声もはっきりしなくて字も小さくて読みにくい先生でした。はっきり言って教えるのが下手な方でした。 ただその若手の先生は教え方も上手で解りやすいものでした。 お陰であんなに解らなかった整数の計算も分かるようになり、 符号や計算値も出来るようになりました。不等式も理解出来るようになり、図形の証明も出来るようになり、卒業する頃には得意になりました。
お陰で理数系の高校へ進学出来ました。
42歳 男性のストーリー
小学1年まで鉄棒が苦手でした。今でも忘れられない3歳の時に頭から落ちたからです。その時の怖さが忘れられず苦手だったのですが小学2年生の時の事、学校で七夕の短冊の願い事を書いてくる宿題がありました。「七夕さんでお願いしたら本当に願い叶うの?」と母に聞くと「お願いして努力したら叶うよ」と言われ本気で信じた私は鉄棒ができるようになりますように、と願い事を書き、それから必死で練習をしました。七夕さんが見守ってくれているから大丈夫と信じて…。それからはぐんぐん上達し小学4年生になった頃にはクラスで1番小さい私が1番高い鉄棒で体育の時間にお手本をするまでになりました。信じる心というのはすごいなと大人になった今思います。
46歳 男性のストーリー
昔は私はピアノが大の苦手でした。まず、おとなしく座っていること自体が困難でした。すぐに暴れたり、背中にかゆみが出てしまうくらい苦手なものでした。何度も先生を替え、試してみましたが、なかなか得意になりませんでした。5回目くらいに、幼稚園のときの園長先生が私のピアノの先生になりました。小学生の中頃でした。先生が替わった頃からだんだんピアノが得意になっていきました。指導法なのかもしれませんし、先生が私の特性をよく知っていたからかもしれません。私が、ピアノが嫌いなだけで、音楽自体は大好きだということを見いだしてくれたのです。それで、音楽からストーリーを作ってピアノで表現する方法が編み出されて、私はピアノが得意になりました。
50歳 男性のストーリー
私は幼い頃からとても人見知りの性格だったと母親は、言っていました。
小学校3年生の時に生まれ育った大阪から父の転勤の為、遠く離れた九州の福岡に転校をしました。
その時に思ったのが、大阪時代では、とても活発な性格でしたが、福岡に来るとやはり、「転校生」という目で見られたのが、幸いしたのか、皆からは余り声をかけてもらえませんでした。
そこで、私が思っている「大阪パワー」を発揮しました。
大阪の頃は、皆が私を頼ってくれていたのですが、今度は私が、自分から進んで皆に接していくことに頑張りました。
段々と、友人も増えていき、小学校では、友達を増やして、そのまま皆一緒の中学校に進みました。
それから、中学校時代では部活の部長や、生徒会にも参加したので、大阪時代ではない、人との関わりに接しました。
それは、私が、就職先として選んだ「生命保険のセールス」にも、十分すぎるほど、役に立ちました。
初めて会う人への礼儀作法や気遣い。
これは、私が、経験した幼い頃の知らない人への経験があると思います。
25歳 男性のストーリー
私が苦手だったとこは朝起きる事です。
実家にいた頃は目覚ましをかけてもほとんど起きる事が出来ず、夜早く寝てもダメで親に頼んだ際も起こされたことにすら寝ぼけて気づかないこともありました。やっと起きれても二度寝をしてしまうなどかなり酷いものでした。
しかし、一人暮らしを始めてから一度も寝坊をしたことはありません。特に早く寝ているわけでもありませんし、むしろ遅くまで起きてる日も多くありました。それでも朝になると自然と目が覚めます。もちろん目覚まし時計はセットしていますが目覚ましが鳴る前に起きることもありました。
しかし、休みの日に実家に帰った際はまた朝起きることができなくなっていました。
これは、会社に遅れては行けないと言う気持ちの問題だと思いました。
37歳 男性のストーリー
苦いピーマンやししとうが小さい頃から苦手だった。
そのものの苦さしか感じなかったからだ。
大人になり仕事場で用意された中で青椒肉絲弁当しか残っていなかったので試しに食べてみたら味付けが濃いからか、美味しく食べる事ができた。
その後にピーマンが食べられるようになったのかと自分自身を疑い、もう一度青椒肉絲を食べてみることにした。するとやはり美味しく感じて、そこから自分自身でピーマン料理に手を伸ばすようになった。
同じようなししとうも、もしかしたら食べれるのでは?と思い試してみたら食べられた。
小さな頃は家庭で出てくる味付けしかしらなかった為にピーマンそのものの味を苦手と感じるだけだったが、ピーマンの苦さを上回る味付けによって、ピーマンの苦さがポイントになるんだと思える料理に出会えた事が苦手からむしろ得意になったきっかけだった。
25歳 男性のストーリー
私は昔から恥ずかしがり屋で人前に出て発表したりするのが苦手でした。ですが母親に勧められダンスを習いに行ったんです。最初はレッスンでも少し恥ずかしかったのですが、だんだん慣れていき楽しさが分かってきました。ダンスを習いに行ったことで、学校の行事や委員会決め等で、恥ずかしがらずに手を上げて意見を言ったり、進んで体育委員になり、中学、高校とずっと続けられて体育祭では選手宣誓まで出来るようになりました。
高校の卒業式では在校生や親がいる前で、答辞も読んだほど人前に出ることができるようになったんです。
ダンスを習うことによって自信が付き、人前に出るのが苦手だった自分が人前に出れるようになったというエピソードです。
39歳 男性のストーリー
コミュニケーションかもしれません。話はするのは好きやし、聞くのも好きなのですけど、いかんせん口下手で上手く説明や伝える事が出来ませんでした。聞く方も楽しい話はいくら聞いていても飽きないのですが、面白くなくなると、すぐに飽きてしまいます。若干人見知りな部分があり、他人と少し距離を置いている方が楽だったりします。
けど、仕事柄これではアカンっと思い、少しずつ慣れていこうっと思いました。元々お笑いが好きだったので、日常の会話全てを喋くり漫才として、捉えてみました。どうしたらもっとこの人に興味が持てる様になるだろう?っとか、どう話せばもっと上手く伝わるのか?などを漫才形式で考えていけば、凄く会話が楽しくなってきました。ちゃんとフリを効かせたり、ボケを入れてみたら、時にはツッコミに回ったり、勿論ちゃんとオチまで回収します。
苦手だった事に対して、自分が好きなジャンルや事柄に置き換えてみたら意外と見えていなかった事が見えてきた気がします。人見知りの部分も自分は演者や!っと思ってしまえれば凄く気が楽に接する事も出来ました。
33歳 男性のストーリー
子供の頃から春菊が苦手でしたが、今では大好きになりました。あの苦味と匂いか苦手で、すき焼きなどに入っていても食べられませんでしたし、天ぷらにしても何をしても食べられませんでした。ずっと苦手だったので、手をつけていなかったのですが、ある時入った蕎麦屋さんで鍋焼きうどんを注文したのですが、脇に春菊が入っていました。避けて食べても良かったのですが、勇気を出して食べてみましたらとても美味しいではないですか。甘く煮付けられた椎茸の味をスッキリさせとても美味しく感じました。それ以来、すき焼きや天ぷらなども食べてみましたが、大好きになりました。今では春菊を自分で買って、春菊単体で胡麻和えなどにして食べています。
34歳 男性のストーリー
今から書く事は大した事ではないんだと思うものの、これは誰もが経験する事だと思いますが、食べ物関係で小さい時は食べられなかったものが年を重ねるに連れて食べられる事がよくある話ですが、僕自身も幼少期、魚類や野菜の一部があまり食べられなかったり(もしかしたら食わず嫌いの面もあったんだと思いますが…)したんですが、ここ最近、完全に克服までには至ってはないんですが、魚類や野菜の一部も食べられる様になり、話によると体質の変化だったり、話は変わりますが、珍味類が食べられるのは味覚・嗅覚が幼少期に敏感だったのが年を重ねる事に連れ、老化により鈍る事が影響しているとも言われているそうですが、老化というのはマイナス要素であるものの、年を重ねるというのは悪くないとも感じてます。
27歳 男性のストーリー
私の苦手だったものは、トマトです。
以前子供の頃は大好きで食べていたようなのですが、小学校に入ってから突然苦手になり、そこから食べることはほとんどありませんでした。
とにかく食感がドロドロとしていて気持ち悪いという印象と、物によって味が違うのでハズレを引いたら美味しく無いから食べたく無いと思って避けていました。
それがここ数年で妊娠をして、つわりがひどく偏食になった際に、自らとてつもなくトマトが食べたい欲が湧いてきて試しにスーパーで買ってきてみたところ、美味しくて美味しくてたまらず。
今まであんなにも気持ち悪くて食べたくなかったのに、一度食べたらとても美味しくてそれからははまってしまいました。
つわりの時一時的なものかと思っていたら、そのあともずっとトマトが好きになって、とても得意になりました。
44歳 男性のストーリー
私は人と話すことが苦手でした。
人が嫌いという訳ではないのですが、特に大勢の人と話さなければいけないときなど、緊張してしまい、相手を傷つけないようにと、気を使って話していたのです。

なので必然的にあまり人前では喋らなくなり、大人しい人とまわりには思われていました。

でも本当に仲良くなった人には心を開くことができて、面白い話など沢山します。

友達に「面白いー」と言われると嬉しくなる私。

本当の私は社交的で明るいというのを自分ではわかっていました。

そんなときある男性に「そんなに気を使って生きてて疲れない」と言われました。

初めは大して仲良くもないのにと少し腹を立てましたがよく考えてみると彼の言っていることは正しいと思うように。

そのときから私は人の気持ちを考えすぎること、気を使いすぎる事をやめようと思いました。

なかなかすぐには変えられませんでしたが、肩に力が入らなくなり、自分の意見も言えるようになってきて前よりは人と話すのが苦手ではなくなりました。
30歳 男性のストーリー
学生になっても、社会人になっても実家暮らしで、母が専業主婦だったので食事も掃除も洗濯もすべて任せていました。
楽だと思いながらもこのままでいいのかという気持ちもあり、25歳位から週末は夕食を作ってみたり、自分の部屋の掃除をしたりしました。
しかし段取りが悪かったり、作業が雑だったりとなかなか上手くはいかず、かえって手間がかかると面倒でした。
そんな私が結婚をして親元を離れて生活をするようになりました。
主人は神経質ではありますが家の事をほぼやらないという非常に厄介なタイプです。結婚当初はちゃんと生活できるか不安でした。
試行錯誤の末、2年経った現在、フルタイムで働きながら朝夕の食事作り(出来合いの物はほぼ使用しない)、掃除、洗濯、地域の活動をこなす私がいます。
完璧とはいかないかもしれませんが、快適に過ごせる環境にはなっています。
人間は必要に迫られたら予想以上の実力を発揮するのかもしれません。自分でも驚いています。
39歳 男性のストーリー
街で小さい子供に会った時に、コミュニケーションをとれるようになった。
もともと子供が嫌いだったのと、自分が一人っ子で親戚とも離れて暮らしていたため、子供という存在が身の回りにいなかった。だから、公共交通機関やショッピングセンターに子供がいても、できれば関わりたくないし、泣いていることに嫌悪感はかんじなかったけれど、どうしようもないと思っていた。
自分が出産し、子育てをしていく中で、公共交通機関で自分や子供に話しかけてくれる大人に救われることがたくさんあるんだと知り、自分自身も子供の扱いがある程度わかるようになったため、子供と接するということに対して、抵抗感がなくなっていた。
もちろん、泣かせっぱなしや騒がせっぱなしで、何もしない親に対しては許せない存在なので、接すること自体避けたいという気持ちは昔のままであるが、必死になっているお母さんの子供に対しては、協力してあげたいという気持ちのほうが大きくなった。他人の子供に対して、すごくかわいいとか好きとかいう感情があるわけではないが、話したりあやしたりということが苦手だった私だけれど、子供を持つようになって、話しかけたりあやしたりが得意になった。
26歳 男性のストーリー
ハイボールや焼酎、日本酒、ワインなど色んなお酒をチャンポンして飲むが、ビールだけはどうしても苦手で乾杯の一杯しか頼んだことがなかった。

ビールが苦手な理由は、独特の苦味を感じるからだった。私は飲みすぎて吐く事があり、ビールを飲んだ後に吐くと非常に後味が悪く、スッキリせずにその後の飲み具合に影響した経験があり敬遠していた。

しかし、ある人と出会って私は変わった。
ビールの苦味すら愛するようになったのだ。

仕事関係で知り合った大酒呑みの先輩。この人はとてもビールが好きだった。ビールはアサヒと決めており、そのキレや旨みについてよく理解し私に教えてくれた。飲みっぷりもさる事ながら、生き方も豪快な先輩にいつしか憧れを抱き、毎週のように一緒に飲み歩くうちに、私は苦手なビールを克服しむしろ得意分野としてビール愛を語れるようなった。
53歳 男性のストーリー
幼い頃、土地柄から山菜がよく取れ食卓に並ぶ事が多い事がありました、山菜の味は独特であくが強く幼い頃は苦手でした。周りの家庭は野菜といえばほうれん草、かぼちゃなど代表的な野菜ではありますが我が家は何時も山菜です。野菜の甘みが無く子供心ではありますがまたかよっていう感じでしたが、いつの日からかお酒を飲む機会が増え、つまみといえば山菜がつまみとなっております、ご飯のおかずには合わないと思っていた山菜ですが、お酒には無くてはならない存在と現在はなっております。
あんなに苦手だと思っていた山菜が、逆に好物になったのが不思議です。やはり子供の舌と大人の舌では感覚が違うのかと思っております。
現在、自身も親となり子供に山菜を勧めると食べてくれません。繰り返しのエピソードであります。
29歳 男性のストーリー
私は臭覚が人より少し優れていて、人の匂いや草の匂いを嗅ぎ分けるのが特技でしたが、一番苦手だったのが食事の時間です。
自分の好きな匂いの時はよかったのですが、バジルやパクチーなど匂いの強いものが食卓に出てくる時が本当に苦痛で、いつも鼻で息をしないようにご飯を食べていました。
成長とともに臭覚が麻痺したのか、大学生の時にジェノベーゼパスタに挑戦してからやみつきになり、今では匂いの強い食べ物が得意になり自宅の庭でバジルを植えて育てています。
自分で作るバジルペーストがすごくおいしいので、パスタや鶏肉、魚介なんでもバジルペーストをかけて食べています。
まだパクチーは得意ではないですが、食べられるようにまでなったので、小さい頃食べれなかったのが本当に不思議に思います。
77歳 男性のストーリー
私は一人っ子で、内気な性格でした。
あまり人とおしゃべりすることもどちらかといえば苦手でした。
これは吃音もあるためかもしれません。
言葉がスムーズに出てこないのですね。
自分でも声を出して本を読んだり、落語等を練習したりもしました。
まあまあそれなりに高校から大学に行きました。
その後に地元の某信用金庫に勤めました。
最初は本部の経理部でしたので、あまりお話することもそれほどは多くはなかったです。
しかし電話はやはり苦手でした。
その後数年たって営業店に転勤です。
最初は本部にいたので、同期とは仕事の面で大分ハンデがありましたね。
それで支店長は最初は預金から始めて一通り仕事をまわすと。
しかし同僚が社内結婚で、私は半年の預金だけ6か月の勤めで、今度は営業にまわされることになりました。
貸し出しの経験も0ですので、次長がこの人はこのまま仕事が勤まるかと心配したとか。

そのときに、なんとか歳のこうで、なんとかごまかしていました。
営業の研修も受けました。
その後ですね。このままでは駄目だと。
それで誰とでもおしゃべりができるように性格を変える努力をしたのです。
やはり営業は飛び込みの勧誘もあります。
10軒行けば10軒断れます。これが当たり前だと思いました。
それでも自分のテリトリーをくるくると回っていました。
その間、そこは下町だったので、自分でも勉強しました。
そこの人達はギャンブル好きが多かったですね。
そこで競馬も野球もマージャンもパチンコもゴルフも覚えました。
それとくるくる町内を回っているときに、その家の様子を観察しました。
どのような洋服が洗濯で干されているとか、自家用車はどんなものかとか、犬を飼っているとかです。
それで数回訪問しているときに話題を合わせたのです。
そのようなことを数年しているうちに、ある程度はどの人でも話を合わせられるようになりました。
私がどうにかこの信用金庫でやってこれたのも、この時の営業の経験だと思います。
今では話し好きで通っています。
38歳 男性のストーリー
私は物心がついた時から人見知りで、人と話したり
コミュニケーションを取るのが苦手でした。
母はそれを察していたようで、よく一人でお使いに行かせたり、病院等に行かせてはいましたが、幼少期には克服出来ずでした。
中学生・高校生時代は心が許せる数名程度の友人はいましたが、先生ともあまり話さず、人前に出るのが嫌で嫌で堪りませんでした。
高校を卒業し、建築の専門学校に進学しましたが
友人らしい友人も出来ずに半年くらいで学校を辞めてしまいました。今、思い返すと、この時に友人がいたら
学校を辞めていなかったんじゃないかと思います。
学校を辞めて建築関係の仕事を転々とし、相変わらず人とコミュニケーションを取るのが苦手なままでしたが、
そんな私に転機が訪れました。
ひょんな事から花屋を開業することになり、同時に結婚し、家庭を築くこととなりました。
経営は難しく、やはりお客様とのコミュニケーション無しでは成り立たない商売ですので、「家庭」という二文字を抱えていた私は必死に且つ、積極的に接客を行っていきました。
不思議と人と話すのに慣れていき、今となっては
仕事以外のプライベートなどでも、こちらから
他人に話したり出来るようになりました。
やはり、仕事や家庭によって心境の変化があれば
人って苦手なことが克服できたりもするんですね。
28歳 男性のストーリー
小学6年生からパソコンの授業が始まりました。
当時の私は「触ってもし壊してしまったらどうしよう?」という気持ちでパソコンに触るのが嫌で嫌で仕方が無かったのでパソコンの授業が一番嫌いでした。
ですが中学生になり夏休みの期間中にパソコンがある親戚の家に数日泊まることになりました。
それがきっかけで苦手だったパソコンを今度は一日中触るぐらい夢中になり、自分の家にもパソコンが欲しいと考えはじめ親に頼みこんで購入してもらいました。
自宅でもパソコンを毎日触る日々が続き、その時には自らブラインドタッチを意識して遅かった文字の入力も早くなり、他にはサイトやブログを作成してHTMLを覚えたりなどパソコンに没頭していました。
その結果、パソコンの授業が一番好きな授業となり高校生のころにはパソコンに関する資格だけはすぐに取れたりと、思い出深い出来事になっています。
33歳 男性のストーリー
洗濯が得意じゃなかった。洗濯機に入れて回すことはボタンを押すだけなのでいいのだが、シワをパンパンして干したり、乾いたら畳むのがめんどくさいため、あまりやりたくなかった。実家にいる時は、母親のこだわりの干し方がありそれに合わせるのも苦痛だった。
結婚して、どうしてもやらないとダメになり、イヤイヤやっていたが、自分の好きなように干せるようになったり、好きな洗剤や柔軟剤の匂いなど、自分の好きなものを選べるようになってから、楽しくなってきて好きになってきた。洗濯機をあけて自分の好きな匂いに変化した洗濯物を見るのが楽しみになり、干し方も自分のこだわりの通りに出来るようになってから、どうすれば早く乾くかなと考えながら干すのも楽しくなってきた。
28歳 男性のストーリー
女性と話すのが苦手でしたが、とある女性と出会ったことをきっかけに割りと得意になったと思います。
社会人一年目の途中までは女性と話すのが本当に苦手で、複数人で話しているときはまだましなのですが、一対一となると何を話していいのか分からずに
てんぱってしまう日々でした。自分でもどうにかしたいと思っておりましたがなかなか改善できない日々でした。そんな矢先に先輩からとあるバーに連れて行ってもらい
そこで一人の店員さんとであったことで変化が見られました。はじめは先輩含め三人で話していたのですが、先輩が体調を崩しトイレに立てこもっている際に
二人きりで話すことになりました。最初のうちはいつものようにあせっておりましたが、なぜだか自然と話せるようになりました。
33歳 男性のストーリー
大勢の人の前で話すことが昔から苦手でした。
社会人になって就職したのは高齢者対応のデイサービスでした。
あまり考えずに介護の仕事がしたいと思い就職したのですが、就職してからデイサービスというのは始終高齢者の前に立って体操をしたり、歌を歌ったり、レクリエーションをやって盛り上げたり、司会をやったりということでした。
初めて大勢の方の前で仕切って体操を行なった時はとても緊張して泣きそうになりましたが、これを毎日のようにこなさなくてはならない状況だったため自然と肝が座りおどおどすることなく司会なども行えるようになり、人前で話すことが得意になりました。
誰でも情況が変わって慣れてしまえば苦手だったことも得意になるものだと思いました。
28歳 男性のストーリー
車の運転が苦手でした。最初から大きな車を購入したのですが、即ぶつけました。(実家の塀にガリガリもしました。)
それがきっかけで運転するのをなるべく少なくしようとも考えましたが、土地柄的にそうもいかず。
田舎なので車は必須。バスは2時間に1度くらいしかないので。
周りも免許取りたてはそんなもんだよ。と言ってくれましたが、人をひいたりしたらどうしようと思い中々ふんぎりがつきませんでした。
結局のところ大きな駐車場で朝、夜と練習をしました。車を小さいのに変えたら?とも言われましたが小さいので慣れてしまうと
もう大きい車に乗れないのではないか。と不安なので大きい車のまま。車の大きさ(車幅や全長)を理解してくると
ここは行けるな。とかここはバックしようとか焦ることも減りました。今ではドライブが大好きになりました。
あきらめずに練習しておいて今は良かったと思います。
24歳 男性のストーリー
私はもともと料理が苦手でした。
お湯をわかしてもやけどする、パンを焼いても焦がすなど、もはや料理と呼べないレベルからできませんでした。
このままでは将来彼氏、旦那ができたときに困ると思い毎日自分のご飯は自分で作ることにしました。
実家に暮らしているものの、自分で作らなければご飯はないので買い出しからすべて初挑戦ですが見よう見まねでやりだしました。
最初は簡単な包丁の使い方をマスターするためにひたすらみじん切りをしました。
カレーのごろごろとした野菜が好きですがすべてみじん切りで入れていました。
でもそうすることで、みじん切りも習得できて、カレーも作れて一石二鳥でした。
あんなにも作れなかったのにすぐに上達することができたのは、やはり毎日料理をしたこと。
気になったことは面倒でも一回一回手をとめて調べること。だとおもいます。
今は携帯でyoutubeを見れば動画があります。
文章で説明が分かりづらくても、動画を見ると本当にわかりやすく習得も早いのは
料理に限らずだと思います。
31歳 男性のストーリー
高校生になったばかりのころはまだ小説というものが苦手でした。
もともと挿絵の入ったものや漫画を読むことが多くて、絵というのは私にとって気休めのようなものだったんです。
それがまったくない小説はただ字がずーっとつらなっていて息苦しさを感じてしまうのでした。
しかし私の通っていた高校は朝に読書をするという時間を設けられていて嫌でも読まざるを得ない状態になってしまいました。
最初こそ適度に挿絵が入っている児童書を読んでいましたが、徐々に文字だけでも慣れていって最終的には小説が読めるようになりました。
きっかけは全国模試か何かに載っていた「西の魔女が死んだ」です。これものちに児童書だということが分かりましたが、その購入した本には絵は1つも載っておらず、私が小説嫌いを克服したきっかけはそれでした。それ以降小説を読むのは大好きになっています。
36歳 男性のストーリー
飲食業の接客。
昔調理師の学校に通いながら居酒屋でアルバイトをしていて厨房で修行がてら仕事をしていたのですが
とにかく外に出るのが億劫というより頭が真っ白になってお客様に対応すら全くできなかったのです。
片付けものを裏に下げるだけでもかなり緊張してしまうレベルの重症っぷりでした。
後に資格を取りレストランで働く事になったのですが、そこには実演カウンターがありました。
つまりお客様の視界がある中仕事をしないといけないと言う事です。
苦手だからやりたくなかったのですが、以前と違い社員。やれと言ったら苦手だろうと問答無用です。
そして案の定カウンターに立ってやれとなり最初はやはり真っ白になったのですが・・
気が付くと急に楽しくなってきてお客様と接するのがやりがいになってしまいました。
最終的にある時子供がもじもじしながらこちらに来たかと思うと手紙と自分の焼肉焼いている似顔絵を
渡してくれたのはいい思い出でした。
23歳 男性のストーリー
苦手だったことは異性と話すことです。異性と付き合ったこともなく、異性との関わりがまったくありませんでした。ちょっとかわいいなと思った子がいても「嫌われたらどうしよう」・「自分なんてかっこよくないしな」などと自分を否定的にとらえてばかりで関わる機会をものにすることがまったくできませんでした。
しかし、自分に転機が訪れます。自分の転機は、高校二年生のある出来事でした。その出来事とは、勉強が得意だった自分に女性が「勉強教えて!」と声をかけてくれたことです。声をかけてくれたことでまずは期待に応えようと必死で今まで以上に勉強しわかりやすく教えることができました。
その結果その女性が喜んでくれ、仲良くなり付き合うことになりました。
それによって多くの異性の人に積極的に話しかけられるように得意に変化してきました。
30歳 男性のストーリー
家の片付けが苦手でした。
小さい頃から出したら出しっぱなしや開けたら開けっ放しなど、よく母親に怒られるタイプでした。
18歳の時から親元を離れて一人暮らしをするようになり日々部屋が荒れ果てていくのを感じ、このままではまずいと思い、散らかる原因を考えました。
原因はとてもシンプルで物を置く場所を決めていないこと、たったこれだけでした。
帰ってきたときにカバンを置く場所や上着をかける場所、細かいことを言うとリモコンの置く場所まで。
全て寝る前にどこに置かなきゃいけないとルールを決めてそれを守ることを続けました。
本当にたったそれだけで部屋が綺麗な状態が維持できるようになりました。
片付けが得意になったというよりは片付けをしなくていいように工夫したが正しいかもしれませんが、部屋を片付けるという作業が得意になったと自覚しています。

「もっとも尊敬する人」

38歳 男性のストーリー
両親を尊敬しています。実母はいまは67歳ですがまだ、看護師として働いています。今までずっと同じ職場で長年働いてることがすごいとかんじます。実父は74歳ですが、お父さんもずっと同じ工場で働いてました。今は胃癌になりましたが、手術も四年前に終わって今は抗がん剤とかで頑張ってる姿を見るとすごいと感じます。お母さんはお父さんの面倒みながら仕事をしてさらに田舎に90歳になるら祖父母が2人で住んでるのでたまに帰ったりしてます。すごく行動的でガッツがあると思います。
自分は両親を尊敬してるので、これから結婚とかあると思いますが、そういう女性が魅力的だと思います。
そして、今まで両親にはいろいろ迷惑かけてきたと思いますがこれこらは自分がしっかりして支えていきたいと思います
21歳 男性のストーリー
僕が一番尊敬している人はTHEBEATGARDEN(ビートガーデン)という4人組の音楽グループでそのメンバーでもあるレイさんを尊敬しています。その理由はまず顔が凄くかっこいいし歌も凄く上手いです。THEBEATGARDENのボーカルの3人はみんな歌が上手いんですけどレイが一番なんじゃないかなと思います。
THEBEATGARDENを好きになったきっかけがたまたまショッピングモールでライブしていて曲を聴いたら凄くいい曲だなって思ってYouTubeでも聴くようになりハマりました。
それからファンになりライブやトークショーなどのさまざまなイベントにも行っています。今はあんまり人気は出て来てないですけど今年からは絶対人気が出てくると思います。レイさんが一番尊敬してる人なんでこれからも応援していますし頑張って欲しいです。
23歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人物は中学校の担任の先生です。中学3年生まで同じ担任だったのですがそれまで私はすぐになんでも諦めてしまう事が多く飽き性が酷い性格でしたが
中学2年生の時にもうそろそろ高校受験の志望校を決める際にみんなはだいたい決まっていてその志望校の為の受験勉強や準備をしていましたが、私は全然決めておらずそん
な時に修学旅行でファームステイがあり農業体験が出来る内容でそこで私は初めて「農業」というものの素晴らしさと楽しさを知り、そこから私は県内で唯一の県立農業高校
を志望してそこから推薦入試を希望して担任と一緒に小論文と面接の訓練の日々で正直、人生で一番と言っていいほどかなりきつかったです。しかしそこで担任の先生から「
何事も絶対にあきらめないこと」の大切さを教えてもらい私はそれを心の教訓にして猛勉強をしました。そして半年以上勉強して私立の滑り止め高校にも受験し受かって、志
望校にも推薦で見事合格する事ができました。家族も友達もその担任の先生もとても喜んでいました。今現在でも担任の先生から説いてもらった「何事も絶対にあきらめない
こと」を自分の座右の銘にしています。担任の先生には今でも感謝しており私が人生で一番尊敬している人物です。
34歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は専門学校時代に短い間だけ交流のあった先輩です。
その先輩は私が大学を休学して声優や役者について学ぶ学校に通っていた時に出会いました。
初めて出会った時に個人的に感じた第一印象は最悪で「いい加減でお調子者」につきました。
でも、何故か嫌いになれずむしろ一緒にいる時間が心地よくすら感じました。
ちなみに同性の先輩ですので恋愛感情等は在りませんでした。
その先輩は頻繁に忘れ物や授業の無断欠席等をしていましたが突拍子もない演技や表現に何度も度肝を抜かれ、「あぁ、こんな人を天才っていうのかなぁ」と思っていました。
その先輩との最初で最後の苦い思いでは1年生と2年生の歌唱とダンスの合同発表(通常の学校でいうテストのようなもの)で私と組んでいて前日まで共に練習していて当日の朝も電話とメールで連絡を取り合っていたにも関わらず、時間になっても発表の場所に現れず音信不通になってしまいました。
私は万全の発表も出来ず、講師の方々からは物凄い叱責を受けてしまいました。
あの頃は入学して数ヶ月位で二人で作ってきたものを急遽、一人用にアレンジする等という事まで頭が回りませんでした。
結局、その先輩はその日以降も音信不通になり1週間程後に学校も辞めてしまいました。
前置きが長くなってしまいましたがどうしてその先輩を尊敬するようになったのかというと彼は父親を早くに亡くし母親も身体が弱かった為、弟と妹の面倒をみながら新聞奨学生の制度で学校に通いその他にいくつもアルバイトを掛け持ちしていたという事を別の先輩から聞かされたからでした。
あと、先輩は決して天才ではなく睡眠時間を殆ど取らずに影で練習に明け暮れていたとも聞かさました。
学校や学外の練習中にそんな素振りは全くみせず正に白鳥のような人だと今も感じます。
発表の日以降、音信不通になってしまったのは身体の弱かった母親が急遽亡くなってしまい。
連絡するタイミングを逃してしまい私に会わせる顔が無かったからと聞かされました。
出来ればもう一度会ってお話したかったと今も時折思い出します。
33歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人はありきたりですが母です。
20年以上前、末っ子の私が7歳の時に父がうつ病になり仕事を辞めました。そこから母は私達兄妹3人を育てるために仕事を二つ掛け持ちし家計を支えました。今でも振り返るとあんなに忙しい中でいつ料理をしていたのかはわかりませんが、同居の祖母の力を借りつつも平日の給食以外は家でしっかりご飯を食べさせてくれました。昔はおしゃれが大好きだった母も、子供達にかかる費用を優先していたことや、自分の時間もあまりなかったことからなかなかおしゃれができなくなっていましたが、文句ひとつ言いませんでした。その母の頑張りのおかげで兄妹全員大学へ行くことができ、みんな立派な仕事について愛のある家庭を築いています。いかなる状況でもくじけずに笑顔と愛を注いでくれた母以上に尊敬できる人は私にはいません。
32歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は、自分の母親です。ベタな回答かもしれませんが、この世でもっともかけがえのない、尊敬する人物です。
子供の頃はわがままばかり言って、迷惑をかけて、それを受け止めてくれるのが母親なのだと、何も疑問に思いませんでした。当たり前に仕事をして、当たり前に子育てをして、当たり前に家のことや家事を全部こなして。母親とはそういうものなのだと思っていました。
大人になるにつれて、それが当たり前ではないのだと痛いほど実感しています。一人暮らしを始めて、料理も掃除も洗濯も何もしたくない日が何日もありました。たった自分1人分なのに、こんなにも生活するのは大変なのかと。母親は、それを毎日当たり前に、疲れていても落ち込んでいても悲しくても、それを表に出さずに、やっていてくれたんだなと。泣きました。
きっと、私の母以外でも、そうだと思います。今一度、自分の母親のことを思って、考えてみてくれたら嬉しく思います。
31歳 女性のストーリー
自分の主人を最も尊敬しています。20代にして難関資格試験に合格したこと、30代になった今でも勉強を学ぶことを忘れないこと、仕事でも結果を出していること、家庭を大事にしてくれること、親を大事でしていること、細かいことを挙げるときりがないのですが、一番身近で見ている身として、人として男性として夫としてこんなに尊敬できる人はなかなかいないのではないかと思っています。偉人でもなんでもないし、周りの人から見たら普通の人に見えるかもしれないけれど、私は主人の上を目指そうとする努力を知っているし、それを応援してきました。人生の中で大きな目標があり、それを達成するために頑張っている姿は尊敬に値すると思っています。
28歳 女性のストーリー
私が尊敬する人は、オンラインゲームの中であったフレンドです。
その人は年上の男性で、話し方もフレンドリーで面白く、人付き合いも上手くて、人と上手くコミュニケーションをとれないまま関係が終わってしまう私にとっては本当にありがたい存在で尊敬できる人です。
また、その人自身が経験した出来事が、ときには本当なのか?いやでも嘘をついているようには見えないし……といった絶妙な加減の面白いエピソード、怖いエピソードなどとにかく話題がたくさんあっていつも惹かれて話を聞いてしまうぐらい魅力的な人でした。
なので、私が仕事をする上でその方から聞いたエピソードを参考にすることもあったりと、私もこの人のような面白い人間になりたいなと思っています。
26歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは自分の母親です。

朝起きてから夜寝るまで家族のために働いてくれます。
しかも毎日こなしているのできっと大変なことでしょう。
しかし、それを本人に言うと家族が幸せになるなら
へっちゃらだ、と笑って言うのです。

わが母親ながら何て心が広いのだろうと驚きました。

家族の幸せのために頑張っている姿を見て
私も頑張らなければならないと思いました。

今は私が結婚をしたため別々に暮らして
いますが、私も今の家族のために頑張ろうと
思い、日々奮闘しています。

母親とは今でも一緒にご飯を食べたり
出かけていたりする仲です。ご馳走を
したいのに、なかなか財布を出させて
くれないところは困っていますが…

いつか自分の子供が出来たら自分の母親
のような母親になりたいと思っています。
33歳 女性のストーリー
母親です。
私は12才で父親を癌で亡くしました。3つ下に弟が一人います。小さい子供を残された母は一生懸命生活する為に働いてくれました。
子供の頃はどのぐらい大変なことだったのかが理解できていませんでした。
大人になり、結婚し子供もできた今、母親がどれだけの苦労をしてきたのかがすごくわかります。
今の生活は、決して裕福とは言えないもので、生命保険や、学資保険などかける余裕もなく、年金や保険料などは減免や免除などをしてもらうというような貧乏生活。
将来の不安からは切り離されない生活です。母もきっとあの時は将来の不安に押しつぶされそうな気持ちだったんだろうなと思います。
そんな不安の中でも私たち兄弟を育ててくれて、こうやって今生きているんです。感謝しきれないし、そんな強い母親を尊敬しています。
50歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は、星野源さんです。
普通なら、両親や、兄弟、先生・・など、身近な人の名前を出す人が多いかもしれないのですが、私の中の、尊敬に値するイメージは、真の自分を飾ることなく認め、受け止め、そのことを外に発信できる力を持っている人・・・であり、星野源さんはまさしく当てはまります。
星野さんの、音楽、執筆した書物、ラジオの語りからは、常に、自分の弱さを飾ることなく認め、平凡な、時にはバカバカしいと思える日常を、慈しみ、生き抜く力に変えていく証を見出すことができます。
私は、世の中のために、偉大なものを発見したり、作ったりできるほどの能力は持ち合わせていないけれど、星野源さんのように、自分の恥ずかしい部分を隠そうとせず、正直に、ありのままの平凡な日常の、何気ないエピソードを歌いながら、生まれてきたことに感謝を感じ、人生を全うするような人間でありたいと思っています。
29歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は、以前私が勤務していた病院の院長です。院長は70歳後半なのですが、現役でバリバリ働かれていました(現在も継続してお仕事をされているそうです。)プロフェッショナルな先生の技術は全国的にも有名で、各地から講演依頼をされ、いつも各地を周られています。
また、技術面だけでなく、人柄も大変すばらしい先生です。大変偉い先生ですが、スタッフたちとはとてもフレンドリーに話してくださり、昼食も一緒にとるほどフラットな関係をみんな持っています。一度しかお会いしなかった来客の方ですら先生の人柄に感動されるほどです。
技術と人柄の両方を兼ね備え、いつも患者様やスタッフに寄り添う姿勢が、私が一番尊敬する理由です。
38歳 男性のストーリー
私の尊敬する人は先日引退してしまいましたが、プロ野球のイチロー選手です。
どんなところが尊敬しているのかと言うと、アメリカや日本の誰もが彼を認めているこの現状に満足せずに、まだまだ更に上を目指しているその態度がとても素敵だと思ったのです。普通、あそこまで活躍すれば、ある程度の年齢になって、引退して、優雅に一生を暮せば良いと思うのですが、あくまで現役にこだわり、尚且つ成長しようという態度は尊敬しかありません。
生き方、考え方、物事に対する姿勢、とにかく格好よくて素敵だと思います。あそこまで自分に厳しくできるところ、現状に満足せず、常に進化を求めているところが特に尊敬しています。
今、引退をしてしまいましたが、野球を離れてもイチロー自身は成長する意識は変わらないでしょう。
26歳 女性のストーリー
高校時代に3年間担任だった恩師を、私は最も尊敬しています。
幼い頃に父親を亡くし、経済的にも苦しい状況の中で育った恩師。
大学だけは出ておきなさいと母親に言われるものの、とても私立なんて行ける状況ではなかった恩師は、国公立の教育大に進学することを心に決めます。
国公立の教育大は奨学金が無償になるので、特に勉強が好きなわけではないし教師と言う職業に拘った訳ではないけど、母の期待に応えるべく無我夢中で勉強に明け暮れたそう。恩師の出身校はとても国公立なんて狙えるレベルの高校ではなかったそうですが、奇跡的に現役合格を果たします。
大学入学後は勉強の楽しさに目覚め、大学院まで進学し、高校の教師になったのです。赴任2年目にもったのが私のクラスで、最初は頭の回転が速く即行動、非常に熱血な恩師に対して嫌悪感を抱いたのですが、ご自身がとてつもない苦労を経験したからこそ、親身に私たち生徒のことを考えてくれました。
生徒の為なら、朝6時からでも勉強会を開いてくれたり、たまに家庭科室を貸し切って美味しいお肉をご馳走してくれたりと、とにかくその熱心さは保護者から見ても感心の
域でした。卒業して10年経っても社会人の先輩として、色んなアドバイスを下さるので、心の支えになっています。
35歳 女性のストーリー
母です。
小さいころから私に「働いている父を蔑ろにしてはいけない」と教えてくれて育ててくれたのです。
子供の為にパートに出て、私の学費や家族のお金を作ってくれました。
「お家があってご飯が食べられるのはお父さんのおかげ。」
「毎日おやつが食べられるのはお母さんのおかげ。」
「でも、お父さんとお母さんが頑張れるのは子供のため。」
母が泣いているところを見たことが無く、子供心に母は私の自慢でした。
お料理も上手くて、いつも笑顔でスキンシップはちょっと激しめで。
洗濯掃除は苦手だけど、家族のためにいつも頑張っていました。
そんな母のおかげで私は思春期になっても父への反抗期は無かったです。
でも仲良しの家族だと思っていたけど、父が借金と浮気をして離婚しました。
そんな中でも母は泣かずに子供の安全を最優先し、仕事を更に増やし、
昼も夜も働いて私に不自由なく暮らせるように育ててくれたのです。
私はもう子供が持てない年齢になってしまったけど
もし、子供が出来たら母のように守るんだと決めていました。
私が死ぬまで、私の中の1番は母だと思っています。
23歳 男性のストーリー
私が尊敬する人は大学三年時を休学し、10ヶ月行ったカンボジアでお世話になった社長です。
彼を尊敬する理由は失敗を恐れず、挑戦を続けている事です。彼は18年程勤めた広告代理店を退職し、以前から好きだったカンボジアにて起業を行いました。代理店では部長という安定した役職にもつきながら、です。右も左もわからないカンボジアでは広告代理店は務まらないため、未経験でパン屋の売れ残りを買い取り、それらを販売するビジネスから始めました。それから、カンボジア人を雇い、弁当屋を始め、現在はビジネス向けイベントや広告代理店として活躍されています。本人曰く沢山失敗をしたり、カンボジアでありながら、日本人に騙されることもあったそうです。しかし、そのような人達も寛容に受け止め、カンボジアで5年以上ビジネスをやられています。
37歳 男性のストーリー
自分の嫁さんを本当に尊敬しています!
子供が4人いるのですが、自分の仕事柄、土日は休めないし、夜も遅いのですが、ほぼワンオペ状態で家事と、育児をしてくれています!
休みの日に多少なりと自分も家事や育児をするのですが、それを毎日やってもらっていると思うと本当にすごいなぁと思います

1人で子供4人も連れて出かけるのも大変だと思うけど、土日はけっこう子供達を遊ばせに連れていったり、習い事でサッカーをさせているのですが、

試合なども多く、朝も早い事が多いのに、まだ留守番とか出来ない子供なのでみんな連れて試合にいっています!

周りのママ友とかにも本当スゴイねぇと言われています

自分だったらなかなか出来ないなと思うので、それをやっている嫁を本当に尊敬しています
31歳 女性のストーリー
私は大人になるまで親からも疎遠状態で、父はまともに向かい合ってくれませんでした。そんな人生でしたが今の主人と出会ってから私の人生は変わりました。私は持病があり夫にも迷惑をかけてしまっていますがそんな私を温かく迎えてくれて、生活の楽しさや人生の変化を与えてくれました。主人は人柄も良く仕事場でも周りとのコミュニケーションがうまくとれており、それがきっかけで出会うことになりました。主人は私の両親とも真摯に話をしてくれて今は私も育ててくれた両親に感謝出来るようになりました。また、私は子育てが苦手ですぐに子供に当たったりと、大人げない時もありますがすぐにフォローしてくれます。今では3人で暮らしていますがとても平穏な毎日を暮らすことが出来ております。私も尊敬する主人と共に良き妻として成長して行きたいと思います。
32歳 女性のストーリー
その人は自分の目標に向かってひたすら努力できる人です。30代前半で有名な会社のマネージャーまで登り詰めたのに、心理学の教授になりたいと全てを捨てて今大学で働きながら勉強しています。何年以内に教授になると明確な目標に向かってとてもストイックに行動しています。
心理学にもいろんな分野がありますが、彼は職場環境をより良くする為の心理学を学んでいます。正直、私は20代後半に人間関係が原因で仕事を辞め、新しい働き方・生き方を探して今まで来たので、そこに向き合い、みんながより気持ちよく働けるようにという事をひたすら考え、学んでいる彼は凄いと思いました。
また健康面にもとても気を使っていて、暇さえあればジムに通い鍛えていたり、食事も忙しいなか自炊しています。ピザなどのジャンクフードは1年近く食べていないとか。
彼を見ていると私は自分に甘いダメな人間だな。と思う一方、この人を見ているとやる気スイッチを押されるとと言うか、とてもモチベーションが上がります。
頭も良くて何に対してもストイックな彼を本当に心から尊敬しています。
26歳 女性のストーリー
母のことを尊敬しています。
周りが友人たちが遊んでいる20歳の時に出産し、
一生懸命私を育ててくれました。
若い母親だから…と偏見の目で見られないように
言葉遣い、挨拶や公共の場でのマナーは厳しく躾けられました。
私が14歳の頃、両親が離婚しました。
母は親戚に頭を下げて生活費を工面してもらい、
自身はパートをしながら専門学校に通い始めました。
私を大学まで行かせるために、
老後私に面倒をかけないように、
経済的自立を目指し、30半ばで看護師を目指しました。
パート、子育て、専門学校と、忙殺された3年間を終え、
無事に看護師になりました。
どんな環境下でもめげずに自分の人生を切り開き、
私を育て上げた母の努力と根性は
その姿を側で見てきた私に大きな影響を与えました。
母のようなたくましくて強い女性になりたいです。
30歳 女性のストーリー
私の尊敬する人はやはり両親です。まずは私をここまてここまで育ててくれたことに感謝です。私には妹がおり二人姉妹でまだ未婚で子供もいませんが産まれてきてから今の歳まで子供を育てれるのは本当に凄いと思います。仕事にも行かないといけない中、帰ってきて仕事で疲れていてもご飯を作らないといけないし家事も行わないといけないし、体調が悪くても私たちの面倒もみないといけないし本当に両親はすごいと思います。今の私がそれを出来るというと親になってみれば変わるとは思いますが今の現状だと両親みたいにはなれないと思うし、逆に両親を越えることも不可能だと思います。親からすれば私は一生子供たと思いますがいつか自分が結婚し子供が出来たときは両親みたいな親になりたいと思います。
34歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は、20代の頃に8年程付き合っていた元彼です。彼の仕事に対する熱意をとても尊敬していて、別れて何年も経った今でも1番尊敬する人として思いつくのはその彼です。
彼はハウスメーカーの営業をしています。私も同業ですので、ハウスメーカーの営業がいかに大変な仕事か理解しているつもりです。お客様の一生に一度の買い物のお手伝いをする夢ある仕事ではありますが、その責任の重さは計り知れないです。その仕事にとても誇りを持っており、心から「お客様の笑顔の為に」という気持ちで仕事をしていた彼。それを改めて実感したのは、彼が店長となり部下の指導をしている姿を見た時です。部下と電話で話をしていた彼。どうやら部下から、進めている案件が白紙になりそうだといった相談を受けていたようでした。部下は店長である彼に相談なく案件を進めたようで、彼はこう言いました。「白紙になったら、○○くん(※部下の名前)の今月の数字が上がらないとか会社の利益にならないとかそういう問題じゃないんだ。お客様がせっかくウチの商品を気に入ってくれて、検討してくださったその時間を無駄にすることになる。商品は気に入ってくださったのに、○○くんの商談の仕方でお客様が購入を諦めてしまったらもったいないだろう?少しでも商談に自信がなかったらいつでも俺を呼べ。休日でも夜遅くでも関係なく力を貸すから。」
こんなにもお客様にも、部下にも、会社にも、真剣に向き合える彼をとても頼もしく思いました。そんな彼の仕事に対する熱意は、別れた今でも私の仕事へのモチベーションを保つ要素になっています。
45歳 女性のストーリー
私が尊敬する人は両親ですが、特に母親を尊敬しています。子供を産んで育ててから40代にして医療事務の仕事を勉強しながら資格を取得し、最後は支店長になるまでしっかり仕事をやり遂げました。あまり収入はよくなかったようですが、責任感が強く毎日2時間以上かけて通勤をし、夜遅くまで働く姿は同年代となった自分から見てもなかなか同じようなことは真似できないと感じています。母親の仕事に対する意識は将来の自分の仕事の取り組み方を考える機会も増やしてくれ、また悩んでいる時にはよくアドバイスももらったりしてこれまでの仕事選びや自分の生き方の指南をもらいました。自分が将来年齢を重ねて限界を感じる時がきても、母親の姿勢を見習って努力を惜しまないでいたいです。
28歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は、以前の職場の上司です。
その上司は60代の女性で、家庭の事情があり、毎日2時間、車を運転して会社に来ていました。
通勤だけでも、大変なのに、会社のために、深夜まで残って仕事をし、家に着く頃には日付を超え、また、朝の6時には出勤の毎日を繰り返していました。
そんな上司の姿をみて、なんとか力になりたいと思い、私も朝から晩まで、一緒懸命働きました。
しかし、いわいるブラック企業で、残業代も、基本給も少なく、私は生活が苦しく、ご飯をほとんど食べていませんでした。
それが、祟り、職場で倒れてしまいました。
ただの過労と貧血で、大事にはいたりませんでしたが、
心配した上司が、毎日お弁当を作ってきてくださるようになりました。
結婚してその職場は辞めてしまいましたが、その上司の優しさと明るさは、今でも私の目標であり、尊敬する人です。
32歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は私の母です。母は祖父から受け継いだ自営業をしながら私と兄二人の子供三人を一人で育ててくれました。父親はいたものの、ろくに仕事はせず少しDV的なところがあったので、子育てと家事は母が全て一人でおこなっていました。自分が子供だった頃は特に何も感じる事はありませんでしたが、結婚して子供ができた今になると母の偉大さが身にしみてわかります。毎日の生活をこなすだけでも大変なのに母は私達兄弟に惨めな思いはさせたくないと必死で、かつ人として大切な事はたくさん教えてくれてました。現在私には小さい子供が二人いますが、子育てに対するイライラや疲れ、行き詰まりを感じるとき常に母の事を考えるようにしています。
22歳 女性のストーリー
シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子さん。
公務員のご両親の元に生まれ、マラソン選手として生きていくと言った時反対されても自分の信念を貫き通した彼女は一般的に言う才能溢れる選手かといえばそうではない。なのにも関わらずオリンピックで金メダルをアジア人初取れたのは、「走るのが好き」ただその気持ちが誰よりも強かったこと。どんなにキツくても、辛くても走る楽しさを忘れない。これが彼女の才能なのかもしれない。小出監督と出会い、たくさんの才能ある選手を目の当たりにしても尚、腐ることなく走るのを楽しみ続け、努力を重ねた結果があの結果をもたらしたと思うから。
特別な才能がなくても努力と気持ちで世界を取れると教えてくれた彼女は私の最も尊敬する人。
36歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬してる人は主人のお母さん、つまり義母さんです。車で20分程度の距離に住んでますがこちらの家庭に干渉してくることはせず、良い距離感で接してくれています。私の場合、自分の親が過干渉ですごく口出してくるタイプの人間で主人との結婚式場を探す際もお金は1円も出さないのに口出しが激しくウンザリしてたのに対して義両親はお金を出しても口を出さない2人の好きなように決めてと言ってくれる方々で最初は驚きました。その後も私の親の介護問題なんかで私が悩んでいる時も常々気にかけてくれたり私が居ない所で主人に「今介護問題で精神的にきてるだろうから支えてあげて」など言ってくれたりした様です。その後も決して野次馬根性なんかではなく時折気にかけて話を聞いてくれます。上手く書けませんがああいう人になりたいなと思わせてくれる人で尊敬しています。
22歳 女性のストーリー
私が最も尊敬するのは母です
では、何故母が尊敬する人なのかお話ししましょう
母は、左手が発達せず左手が無い障がい者としてここ日本九州の大分に産まれ母の家族は、母の下に年の離れた妹1人、弟1人だったそうです母は、長女であった為かたくましく気が強い女性とし成長していき小中高を無事に卒業し、彼女は介護の専門学校へと通います
そして、いずれ宮崎産まれの父親と出会いを果たし専門学校を無事に卒業し、幾年日過ぎて母は、早くにして姉を子にむかえたといいます
母は、左手が無いのにも関わらず小さい赤ちゃんを懸命に育て姉に障がいが出ないか不安はあったといいますがそんな素振りは私達には微塵も伝わってきませんでした
ここからは、私が産まれてきてそして私が覚えてる話しでのお話しでございます
私は体重、2008㎏の未熟児で産まれ、今度こそ障がいを
覚悟したといいます、ですが私は産まれてすぐ保育器に入れられたものの元気と判断されるすぐに出されたといいます私は、その後も普通の子と遅くなりながらも着々と成長していきました
ここで母が言ってた一言を先に添えます
義手をするより素の方が動きやすいだってこれが私の1部だから
私がこの言葉を聞いたのは多分物凄く小さい頃だったと思います小さいながらにこの人は強いと感じました
ここからは、本当に私が母を尊敬するべきところへのお話しをしましょう
母は、私達にいつもワンピースや巾着、身に付けるあらゆるものを作ってくれました、そう母の特技は、普通の人でも難しい服飾やエコクラフトのバックを制作することでした
私も姉も小さい頃からお手伝いすることは、ありましたが母が障がいを持ってることを忘れるくらい何の気なしにやってのけるのです
ここまでお伝えしていませんでしたが母は主婦業である家事全般を全て行っていました
彼女は、私にとっても姉にとっても偉大で強く理想の母親像であります
母は、私達に言い続けたことがあります
無理はするな、強く居ようとするな、自分らしくあれそして、努力を怠るなさらに継続は力なりと
ここまで話しした通り母は障がいを持っています
障がいを悪いと言われるこのご時世障がいを気にしない私の母は、姉にも私にも常に平等であれと教えてくれた教材であり母が教師そのものでした
私には、大嫌いで大好きでこうは、なりたくないけど理想なんです矛盾してますがこれが私の母親像であり私の理想であり最も尊敬する人なんです
19歳 女性のストーリー
もっとも尊敬する人は中学三年生の時の担任の先生です。その先生は人との関わりや使う言葉をとても大切にする先生で、私もその先生からたくさんのことを教わりました。先生から教えていただいたたくさんの素敵な体験談や綺麗な言葉は今の私の支えになっています。そんな先生は旦那さんがオーストラリアで仕事をしていて、私たちが中学校を卒業する時に先生という仕事を辞め、オーストラリアへ移住されました。それでも、今でも私たちに手紙を送ってくださいます。先生は教師という仕事に誇りや情熱を持っていたのに、悩んだ末にオーストラリアへの移住を決定されました。そのこともまた、将来の進路について具体的に考え始めた私たちにとって大きな影響を与えてくれました。
39歳 男性のストーリー
その人はまったく嫌味がありません。おそらく人生で、誰がみても成功者だろうと思います。まずは、知識が豊富なところです。あらゆる分野に精通していらっしゃるかのようです。実は若い頃からトランペットを吹かれていました。ジャンルもジャズ奏者で、腕前は完璧でした。最近ではなかなか吹いてはないのですが、もしかしたら、プライベートで吹いているのかもしれません。あと、ジャズ奏者なので、アーティストや音楽論なども、恐らく知識は豊富だと思います。次に料理が出来る。基礎は全て把握しておられ、何でも作れると思います。次に地層・地形。学生時代に地形に興味を持ち、色々と調べていく中で、すっかりハマってしまったらしく、今では専門家も顔負けな程の博学者ですね。他にも、電車や話の聞き手のプロ、マニアックなジャンルへの興味やそれに伴う探究心など、あげていけばキリがないと思います。人生においてこれ程、誰かを尊敬した事はありませんし、今後現れないのかもしれません。今はお年を取られて、のんびりと、生活されています。どうかお元気なままで、これからも末永く私を楽しませて欲しいです。
46歳 女性のストーリー
自分の両親を尊敬しています。
短大を卒業するまでは実家で過ごしていました。
家事を手伝っていなかったわけではありませんが、食事、洗濯、掃除を毎日行うのは初めてで最初のうちは気を付けていても、仕事に慣れ、任されるようになると家事がおろそかになっていきました。自分の母は、仕事をしながらも毎日行っていて、その時は気づかずに文句を言ったりすることもあったけれど、自分がやってみて初めてその大変さに気づきました。自分一人だとやらなくてもいいいいけれど、家族がいるとそういうわけにもいきません。家族のために自分の事は後回しにしてでもやっていた母はすごいと思いました。
家庭を持ち、子供を育てる中で、父が愚痴を言いつつも仕事を続けていること、子供や家族を養うことのすごさを知りました。
裕福とは言えないけれど、学費や習い事をさせてもらっていたことなど、今自分が子供にしてあげたいことをさせてくれていたと実感します。
今の自分はまだ両親と同じように子供や家族に出来ていないけど、少しでも近づきたいと思います。
26歳 女性のストーリー
高校の時の先生です。授業も楽しく、人生について教えてくれました。雑談もとっても面白いですし、授業もちゃんとしてて、わかりやすかったです。
また、高校を卒業してからも毎年1度は卒業生のグループにコンタクトを取ってくれ、この1年の振り返り、自分が感じたことを教えてくれます。先生も一人の人間として、悩みながら葛藤しなが生きているんだ、ということを教えてくれます。
その教えを毎年楽しみにしていて、それを読むと自分も頑張らないと!という気持ちになります。卒業してからもそんな気持ちにしてくれて、いつまでも教えを説いて、先生でいてくれます。
きっと、私にとって人生の先生ですし、卒業してから8年経ちますが、会いに行って近況報告をする関係性が築けています。
23歳 女性のストーリー
私が最も尊敬するのは、今お付き合いしている人です。彼は中学からの同級生ですが、同い年とは思えないくらいしっかりしていて、いつもすごいなと驚かされたり、尊敬させられたりしています。特にそう感じるのは、人付き合いの面で、仕事やプライベート関係なしに社交的で、言うことはしっかり言ってくれる人です。仕事では、私は後輩に甘くしてしまい、叱れないことも多いのですが、彼はきちんと叱るところは叱り、褒めるところは褒めています。また、プライベートにおいても、私や友人にきちんと言うべきことは伝えてくれます。それもあってか、彼の周りにはいつも人がいて、ワイワイ楽しそうに生活している印象が強くあります。もちろん私もその輪の中に入れてくれますが、本当にすごいなといつも尊敬します。
39歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは妻です。仕事をバリバリこなしし会社の人からも信頼されています。挫折という言葉を知らないかのような感じで何でもやってしまいます。また失敗もしていないかのようにやっているところが素晴らしいと思います。そして私の両親と同居していますが、このご時世、同居を嫌がる人が多い中嫌がらず、しかも私の両親のことを大切にしてくれるところが今どき珍しいというかありがたく思います。妻にも短所や弱点やストレスなどたくさんあるとは思いますが、それらを感じさせないところがとても尊敬しています。私も夫として妻のようになれるように努力していきたいと思っております。そして妻に尊敬されるような人間になりたいと思います。
50歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は職場の先輩です。いつも笑顔で全ての方に対応されていて神です。相談事にも、的確なアドバイスがもらえて、ついつい小さな問題でも相談してしまいます。
また全体を常に気にかけて仕事をされるので仕事が早くそういうところでも尊敬しています。
ある時、新人がモタモタしてお客様の質問に答えられずグズグズしていたら、隣で他のお客様の対応をしていたにもかかわらず的確で親切なフォローで少しイライラしていたお客様も笑顔で帰られるというような事がありました。こんな時も「凄いなぁ。私もああいう風に対応できるようになりたい!」と思いました。
だからといって嫌味があるわけでもないところも見習いたいと感じます。
23歳 女性のストーリー
私が尊敬する人は、職場のチーフです。10年のブランクからまた、仕事を再開してチーフとして活躍されています。なので約20年近く現役でバリバリ働いているのでとで尊敬しています。そのチーフとすごいところは、まず、職場のみんなをまとめる力があり、女性だらけの職場なので一人一人の悩みの相談やら仕事のことやら全て聞いて改善してくれるとてもいい人です。時には叱ってくれてみんなで「お母さん」と呼んでいる時もありました。それくらい懐が大きく頼もしい人でいつもその人の周りには人が集まっていました。そして、たまに天然な部分もあり歳かなとごまかしたりするところが可愛かったりします。何十歳も歳が離れているのに普通の距離で接してくれてとても暖かい居心地のいい人でした。
24歳 女性のストーリー
私が尊敬する人はお母さんです。なぜかというと、私自身結婚と出産を最近して色々と大変なことが多すぎで、お母さんがこうしていたんだなと思うと、お母さんのありがたさをとても感じました。特に出産は、陣痛から出産まで時間がかかったこともありますが、比にならないくらいに激痛で疲労で生まれてくるまで体がもうボロボロでした。あんな痛みを経験していたお母さん。それから子育ては初めてのことだらけで毎日寝たくても寝れない日々。洗濯や掃除などの家事もしなくてはいけない。そんな日を過ごしているうちにどんどんお母さんはすごいなと感じさせられました。私を産んでここまで育ててくれたありがたみを痛感させられる毎日でお母さんを尊敬しています。
30歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは父です。30代に差し掛かろうとしている今やっとそう思います。大学を卒業し、ある程度社会人として部下も出来て役職もつくようになりましたが結婚や子育て、マイホームの購入などの資金繰りを想像できません。このまま仕事が続けられる保証もないし、病気したりしたら家族を養うことも出来ないだろうと心配になってしまいます。しかし父はそういう不安や責任を全て背負って私たち家族を養ってきてくれたのだなと思うと感動すらします。今までは小言がうるさいなとか、いちいち細かいなとか、思うことが多々ありましたが、実際に自分が同じような責任や不安を抱えていけるか心配してしまう今、父は偉大であり、まだまだ超えられない尊敬できる父です。
22歳 女性のストーリー
高校時代の国語の先生を尊敬しています。
私は福祉の国家資格を取得するために通信制の大学に通っています。
その頃、どうしても文学の単位が取れず、母校に行き国語の先生にアドバイスやポイントを教えていただいていました。
ある時、なぜ資格を取りたいのかという話をしていたとき、先生がこうおっしゃいました。
「私は教員免許を取るのが嫌だった。もちろん、学校の先生にはなりたかったんだけどね。」
資格を持つということはその分責任が大きく付きまとう、教員になって子どもたちを指導することは子どもたちの人生の過程を背負っているということだから、
私は怖かった、と。
その話を聞き、当時の私は資格を取ることを目標にし、仕事が有利になることしか考えていませんでした。
もちろんそれも重要ですが、そこまでの責任が実際に伴うことまでは考えてられていませんでした。
その後、先生と私はあまり連絡することは無くなってしまいましたが、今でも先生のお言葉を胸に常に資格を持つことと責任、
対人に対しての仕事の在り方を考えるようになりました。
25歳 女性のストーリー
わたしがもっとも尊敬する人は絵本作家のかこさとしさんです。
かこさんは、子供の絵本をお亡くなりになるまでずっと書き続けていました。
みなさんが一度は目にしたであろう「からすのパンやさん」や「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「どろぼうがっこう」などの名作をはじめ「海」や「地球」などの専門的な絵本も書かれました。
かこさんを尊敬している理由のひとつは、有名で長い間愛される絵本を書かれたからです。
子から孫へと読み継がれるものを書くことはなかなか難しいことだと思うからです。
それからもうひとつは子供のことを大切にしていることです。
いつもかこさんは「こどもさん」を、敬意をもって呼びます。
そして、子供に読んでもらうものということで専門分野をかなり突き詰めてわかりやすく楽しく絵本として書いてきました。
とても素晴らしい絵本作家さんだと思います。
27歳 女性のストーリー
一番尊敬する人は私の母です。
週6日土曜日だけ半日でそれ以外はフルで働いてました。
朝9時〜夜11時までそれから帰って来てご飯
ずっと仕事ばかりでしたが休みの日は買い物に出かけたり祖母の家に行ったりしてました。
どれだけ仕事で忙しいかは分かってます。
職場では母にしか出来ない仕事があったので何十年も頑張ってます。
女手一つで私と兄を育ててくれて仕事もずっと続けてて文句1つ言わず疲れたしんどいとか弱音も吐かず本当に尊敬してます。
職場の社長さん家族からは家族同然の扱いをされていて創業ぐらいから長年一緒に働いていてすごく親切に色々してくれて母もその職場に貢献したいとずっと頑張っています。
そんな母を見ると私も同じような頼られる人になりたいと思います。
33歳 男性のストーリー
 最も尊敬する人は父である。私の父は、口数はそれほど多くはないが、私を気にかけてくれるような行動や言動をしてくれる。たまにしか家には帰らないが、帰ったら「おかえり」と声をかけてくれたり、冬には、家の前の雪をすかしてくれたりする。
 学生時代は、口数が少ない父と意志の疎通がうまくできず、衝突することもあった。父は話すことがそれほどうまくは泣く感情を伝えることがうまくないので、互いに仲立ちすることは難しかった。それに10年はかかった。
 そのきっかけは、私が社会に出てから、父の周囲の人を大切にする人柄、人望、家族を大切にする姿などが見えてきたことである。
 ちゃんとした教育を受けてきた自覚はないが、自分自身、父に愛されて育ってきたんだなとは感じる。
 普通の父ではあるが、私にとってはかけがえのない存在である。感謝してるし尊敬しているので父とした。
31歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は中江藤樹さんです。
江戸時代の初期の頃に活躍なさった方で、近江の国(滋賀県)高島で生まれた方です。
下級武士だったため家族が貧しく、農業も営む両親の元に生まれますが、大洲(愛媛県)藩に出向いた祖父の付き人として高島から大洲に向かいます。
そこで、熱心に学問を学び後に陽明学者となります。
日本で唯一、聖人と呼ばれることでも有名です。正式には近江聖人といいます。
現代では、滋賀県の高島氏に中江藤樹記念館があり、当時中江藤樹さんが開いていた
寺小屋(日本の寺小屋の始まりを作ったとされています)の跡地を見学することもできます。中に入って当時の様子を伺うことも可能です。
中江藤樹さんの影響で後に活躍する熊沢蕃山の活躍にもつながります。


43歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は、昔勤めていた会社の上司です。
現在、私の会ってきた上司の中でナンバーワン、理想型となる上司の姿です。
仕事はしない、突然仕事中に外出、そしてたまに酒臭い。と、この点だけを見てしまうと最悪のイメージですが、この方には、それを勝るところがあります。
自分の役割をきちんと理解しており、事務作業はできないから(やらないから)、その分、周囲への配慮、根回し、交渉事に重点を置き、マネジメントに特化した仕事のやり方をしています。仕事中の外出もある意味私用ではあるのですが、苦労している部下のために、差し入れを買いに行ってくれたり。そして、最も重要な部分で、最終責任は自分が取るということで、自分で納得したやり方でミスが出たらキチンと尻ぬぐいをしてくれるところです。
逃げの一手が多い今の管理職の中では、珍しい存在でした。
26歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは、お母さんです。私が産まれてすぐに離婚し、女手一つでお姉ちゃんと私を育ててくれました。夜の仕事をやっていたので、小さいときは「なんでママお仕事いっちゃうの?」と泣いて困らせていました。高校受験のときは、県立に受からないとお小遣い無しだからね!と言われていたので県立高校にいきました。私が高校生になると、家計も大変なはずなのにお小遣いを月に1万もくれました。部活もバイトもしていましたが、卒業したら働いて早くお母さんを楽にさせたいなと、ずっと思っていたので就活も頑張れ良い会社に入ることができました。今ではお母さんは再婚したので、今度は自分の幸せを優先してほしいです。これからもお母さんに親孝行していきたいとおもいます。
47歳 女性のストーリー
母親です。どんな逆境にあっても、愚痴のひとつも言わず自分にできることをコツコツと毎日続けることのできる1つです。取り乱したり、感情的なった所は見た事がありません。父親が浮き沈みの激しい人生を送っているのに、なにがあっても動じません。そして自分勝手な父親に、文句のひとつも言わずに寄り添います。芯が強く自分の新年を持った人です。人とのトラブルも起こしたことがありません。泣いているのを見たのは、彼女が母親を亡くした時だけでした。彼女の様にはなれないですが、少しでも近づけたらとは思っております。羨ましいと思う部分が、自分の弱点ばかりなので、特にそう思います。ちなみに、顔や見映えも母親に似ればよかったのになと思います。
25歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は、前の会社の上司です。縁あって別の会社に行くのこととなりましたが、ずっとその上司の下で働けていたならば、会社に残っていたかもしれません。前の会社は新卒がほとんどの会社でしたが、その上司は中途採用のため他の人とは少し雰囲気が違っていました。エンジニア出身ということもあって、非常に論理的な方でした。作成する資料も、プレゼンの仕方も、いかに人を納得させるかということを論理的に組み立てる方でした。特に尊敬していたのは、上司部下との付き合い方です。プライベートでも仲良くさせていただき、何度か食事にも連れて行って頂きましたが、それ以上に仕事において、いい関係を築けて働くことができました。フィードバックが具体的で明快、かつ私の腹落ちするように丁寧に説明を頂けました。いいところも悪いところも、そのように指摘頂けたからこそモチベーション高く働けたのだと思います。
37歳 男性のストーリー
私の尊敬する人は、同じ会社の上司で、歳は私より一つ下です。
その人は一言で、筋の通った人情深い人で、常に自分の行動指針を持っていて、かつそれに縛られすぎない柔軟性もあります。
ももっとも尊敬するところは、「人の可能性を必ず信じ続ける」というところです。
例えば、怠け者の部下がいたとしても、感情で怒らず、その人がやる気を出せる範囲を、驚くほど時間をかけてしらべながら、その人が楽しく仕事ができるように、自分にできることを考え続けて、必ず実行します。
決して人を見捨てず、大局的に物事を考え、感情を理解しつつもそれを押し付けない、さらにはリーダーシップに長けており、気がつくとその人の周りにはひとが付いて行っています。
わたしがとても好きなのは、上司部下の堅苦しい関係ではなく、まるで友人のような関係でも居させてもらえるところです。
32歳 女性のストーリー
ジブリで色彩設定というお仕事をされていた、保田道世さんです。
色々のアニメーション制作会社で、仕上げという、アニメの原画に着彩していくお仕事を重ねながら、一つの作品全体の色合いを決めていく色彩設定というアニメで重要なポジションまで登りつめていかれました。
当時はまだまだ男社会、職人気質の世界のなかで、仕事で誇りと信念を貫き、新色をつくったり、絵の具の会社にかけあうなど、努力や追及を諦めなかった強さに心打たれます。
また、仕事だけでなく、恋愛やディスコに通うなど、自分らしく輝くことも大切にされており、同じ女性としてとても憧れています。
ジブリで専心されるようになってからも、色彩設定のお仕に磨きをかけていったことはもちろん、日本のアニメーションが永遠に続くことを強く望まれて、未来も見据えられていたことにも、胸が熱くなります。宮崎駿監督や鈴木プロデューサーへ、若いクリエイターのために社員化を勧めたり、海外への業務委託でなく社内作業を支持するなど、胸を張って役目を果たされ、自分も働く女性として、背中を追い続けていきたい方です。
51歳 男性のストーリー
アイルトン・セナ
世界的に有名なF1ドライバーです。当然、何度もワールドチャンピオンになったことは素晴らしことですが、若くて才能があったこと、アスリートとして勝つこと、勝つために最善のことを考え行動していたことは尊敬します。ただ、そのレーシングスタイルなどから、周りから避難・中傷されることも多く、また、ナイーブで同じドライバー仲間が事故で怪我をした時は、酷く傷つき、レースに出ることを悩むこともあり、そのような人間性を見せることからも、ただ神のように尊敬するのではなく、近い存在として尊敬ができました。ドライバーの安全を最優先に行動を起こしたことのほか、慈善事業にも積極的で、恵まれない子供たちにの支援活動も実施していたことから、そのような社会人としても尊敬できる存在です。
43歳 女性のストーリー
私の最も尊敬する人物は父です。
父は地元では少しだけ有名な地主の家の末っ子として生まれ、比較的裕福に育ったと聞いています。
そんな父の性格は、とても温厚で、細かいところをこだわらない。というよりは水に流す術を持っているので常に前向き。
私がどんなに悪いことをしてしまっても水を外すようなことがあっても、一度は厳しい言葉をかけますが、決して見放すこともなく
必ずフォローをしてくれます。子供のころから何かあれば父が助けてくれるという思いを強くもっていました。
母親になった今、人間として父のような存在でありたいという思いがあります。
子育て中の今、フっとした瞬間に思いだす「あの時の父の立場」の自分が同じ対応をすることの難しさを実感。
そんな父も、少しだけわがままな、少しだけ新しいことを覚えていられない、かわいいおじいちゃんになりました。
尊敬の気持ちは現在進行形です。
30歳 女性のストーリー
祖母です。幼少期に父親を病気で亡くしてから母親、兄弟たちと力を合わせて生活し、戦争中でも様々な工夫をして乗り切りました。
祖父と結婚後、勉強をして医療事務の資格を取り、子育てと仕事、舅や姑の世話などをこなしていきました。
当時は(40年位前)コンビニもなく、加工食品を今ほど充実はしていませんでした。祖母は忙しい生活の中でも毎日の食事は必ず自炊していたそうです。
また、子ども達にも安心、安全な物を食べさせたい、という気持ちからおやつもほとんど手作りだったそうです。
私も幼い頃祖父母の家に遊びに行くと野菜をふんだんに使用した料理や出来たてのおやつを食べていました。どれもとても美味しかったです。
料理だけでなく、洋服や小物類を裁縫で作ったりもしていました。
さらに趣味でハーモニカをやっており、演奏会に参加したり、趣味の料理の講師や地域の広報誌のコラムの執筆もしていました。
現在85歳になった祖母は身体の調子は衰えてきましたが、私たちが遊びに行くと美味しい料理を用意して出迎えてくれます。
私は2年前に結婚してフルタイムで働きながら家事もやっています。祖母のようにはいかないかもしれませんが、憧れであり目標にしていきたいです。
45歳 女性のストーリー
尊敬する人は主人です。もちろん日常生活においては主人に対して小さい愚痴はそこそこありますけど(笑)
まず、常に冷静さを保てること。感情で周りに当たり散らしたりしたことを見たことがありません。もちろん私にも、です。そして仕事に対して野望も昇格意欲もないと自分で宣言していますが、きちんとこなす事は当たり前だとしてもそれ以上に真摯に打ち込むので、自然と周囲から慕われている様に感じます。転勤族なので、定期的に職場は変わりますが、何年も前の職場の方からいまだにアクセスがあったりします。それも1件だけではありません。更には、去年大病を患い大きな手術をしました。明らかに痛みや不安、不快で精神的にも身体的にも疲弊していましたが、それでも第一に私と子どもの事を気づかっていたその精神力と人の良さに、私も見習わねばならないな、と思えました。そのお見舞いにも、わざわざ以前の転勤先で関わった職場の方が数名、距離があるにもかかわらず来てくださったり、お見舞いが届いたり。今までの主人の生きてきた過程が見えたと思えた時でした。決して主人は人徳者ではないし、偉人でもないです。職場で高い地位に就いているわけでもないし、お金持ちでもありません。しかし、人として大事なところを常に持ち続けてぶれない主人を尊敬し憧れを持っています。恥ずかしいし悔しいから絶対に言いませんが(笑)
33歳 女性のストーリー
祖母を尊敬しています。
とにかく前向きで、嫌味や悪口は一切言いません。無理に前向きでいようとやせ我慢している訳ではなく、自然とポジティブシンキングが出来る人です。嫌味や悪口を言うより、自分が今目の前にあるすべき事を優先し、コツコツこなすことが本当に上手でした。自分の機嫌を自分でとることの天才だと思います。
今あるもの、例えば職場や家庭の環境・体質などをありのまま受け入れ、足るを知る人です。私がつい無い物ねだりをしてしまう時は、祖母の信条を思い出します。
また、漠然とした不安に襲われた時は祖母のモットー「なるようにしか、ならない」を心の支えにしています。
不平不満を言わず、友達と趣味を楽しみ、楽観的に仕事を全うした祖母を超える人はなかなかいないと思っています。
33歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は大学生時代のゼミの教授です。この手の質問で両親の事はもちろん頭に浮かびますが、両親に対しては感謝の念が大きいため、純粋に尊敬できる方を選びました。この方は幼少期にかなり貧しく、大学に通えるようになったのは社会人を経て30歳からととても遅くに進学された教授です。卒業するだけで素晴らしい事なのに、その後も大学で研究をされて今では教授として多くの方に教えをとき、学会発表などもされています。その昔の苦労を我々学生にとてもフランクに話され、とにかく目線が近いため、いわゆる先生という感じがしない方です。その人間性と努力においては今まで私が出会った中では一番だと思いますのでとても尊敬しています。
47歳 女性のストーリー
ある製薬会社の営業の方です。年齢は父親と同じくらいの方です。
私が仕事ができるようになったのはその方が一生懸命教えてくださったからです。
短大を卒業し、ある薬屋の店頭販売員をしていました。
私自身が幼く見えるため、みんなから高卒に見られていました。
そのためこのような人に仕事を教えても仕方ないと思っていて、はじめから相手にすらしてくれない方もいました。
某有名なメーカーの方です。
ただその尊敬できる方は最初からちゃんと名刺もきちんと私に渡してくれ、対等に扱ってくれました。
ちゃんと仕事をしているかチェックしたりされましたが、きちんとしているのがわかると、どんどん薬のことを教えてくれ、売れるようになると楽しくなっていったのを覚えています。
今ではそこまでしてくれる人はいませんが、その方のおかげで今みんなで仕事が楽しくできるのだと思っています。
新人の方でも対等にちゃんと仕事が出来るようにしたいと今でも思えるのはその方のおかげです。
40歳 女性のストーリー
わたしがもっとも尊敬する人物は、それは手塚治虫です。
手塚治虫の描いた漫画は、全て目を通し、何回も何回も読みました。彼は、世に既に知られているようにかなり素晴らしい才能をもった人物です。
それは、彼の経歴からもわかるのですが、まず漫画家でありながら、医師免許をもっていることです。ほんとに多彩な方で、その知識や経験が、多くの作品でリアルに表現されています。とくにわかりやすいのが、ブラックジャック。これは、医師免許をもっている彼だからこそ描ける究極のストーリーです。
毎回リアルな手術内容と、+αで漫画ならではの空想で描けるような結末が織り交ぜられています。
また、戦争の時代の作品を描いたり、宗教的なブッダを遺しました。本当に、彼以上の漫画家は今後現れるのでしょうか。
32歳 男性のストーリー
私が尊敬するのは母です。
私の父は私が小学校3年生の時に病気で他界しました。
それから母は女手一つで3人の子供を育ててきました。
私の家はどちらかと言うと貧乏で父がいる時から借金がありました。母は父が亡くなってから私たちを育てるために朝は新聞配達、昼間は工場で仕事。
ほんとに辛かったと思います。でも辛いと言わずやめることもなく継続しています。毎朝2時に起きて新聞配達へ向かいます。そんな母を私は心より尊敬しています。
子供たちが大きくなり家を出て行きましたが現在母は一人暮らしをしていますが今だに朝は新聞配達、昼間は工場で仕事の生活を毎日続けています。
そんな中でも自分の幸せを見つけていつも笑って過ごしている母は本当に凄い人だと尊敬しています。

「「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事」

46歳 女性のストーリー
結婚退職して15年、在宅の仕事を探したり、ポイントサイトでコツコツとネット内職をしていましたが、ご近所さんが個人塾を開塾し生徒さんも順調に集まり数年たったころ、別の雇っている先生が体調不良でデータ入力がたまってしまって困る、私に入力ののアルバイトを昨年から始めました

時給750円。
最低賃金よりも低いけど決して不満はありません、結婚前の正職員で仕事してた時には14万でも少ないと感じていたのが、こんなにいただいていいのか?(ボーナスもありませんが。)とありがたい限りです

職場は、徒歩、15秒。基本 私一人。マイペースです
ただ夏休み、春休み、冬休みは最高に忙しいうえに「稼ぎ時」です

冷暖房完備。時々おやつもごちそうになります、私にとって最高の職場です

ずっとお世話になりたいです

21歳 女性のストーリー
私はなんとかして携帯で、お金を稼ぎたいと思っていました。それは、私自身に携帯を触れる余裕があったからっていうことと、お金を貯めたいって思いと、したいこと必要な物事のためにお金を稼ぎたいと思ったからです。しかし最初はどんな稼ぎ方があるかわかりませんでした。だから、暇なときにネットで調べていたらたくさん行き着きました。ポイントサイト、クラウドソーシング、仮想通貨など…たくさん出てきました。仮想通貨とかはリスクが高いからほんとにお金ができてからとおもい、最初はポイントサイトから始め、そこで「少しでもほんとに稼げるんだ」と思い、もっとやってみたいと思い始め、何サイトかのクラウドソーシングに登録し稼ぎ始めました。ネットで稼ぎ始めたのは最近なので、まだまだだなと思っていますが、ネットでも、こんな稼ぎ方があるんだと思いました。
45歳 女性のストーリー
部屋を片付けようとしてもなかなか片付けられない人達のために、代行で部屋を掃除したりゴミ出しをしてくれる代行業務があるということ。A.D.HDなどの精神的な病気や長年引きこもりをしている生活者だけではなく、ただ単に仕事やプライベートが忙しくて部屋を片付けられないとか色々な事情の人達が特に都会の生活者に増えているそうなので現代社会の生活に合ったビジネスが増えているようにかんじました。特にゴミの分別などは都会にいくほど厳しく規制されていて、スーパーやコンビニでの日用品や出来合いのお惣菜や弁当を購入する機会が多い、日常的にしている単身者、独身者などは溜め込みがちになってしまうことも原因になるのではと思います。
22歳 女性のストーリー
チャットレディーというネットビジネスです。
私は妊娠している為、家で出来る在宅ワークを探していたところ月収100万以上とタイトルに書いたあり興味本位でタイトルをクリックしてしまいました。
仕事内容としては相談者とチャットして報酬を得るという仕事でした。私もサイトに登録し男の人とチャットをしました。その方の相談に乗ってその相談に乗ってくれた代わりにと報酬を提示されました。ですが、そのサイトは会員にならなくてはならず会員になるには5000円を払ってから会員になりその方から報酬を受け取れるというシステムでした。私はなんだか怖くなり会員にはならず辞めてしまったのですが、相談を聞くだけで15万円を貰えるんだとしたら最高のバイトだなと思いました。
33歳 女性のストーリー
ユーチューバーの方で、子どもとおもちゃで遊んでいる動画を見たときに「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思いました。
我が子がその動画を楽しそうに見ていました。
お金も稼げるし、ユーチューバーの方の子どももおもちゃで遊べて楽しそうだし、これで稼ごうと考えたことがすごいなと感じました。
外に働きに行かないので子どもとの時間がたっぷりあって子どもも幸せだろうなと思います。私は共働きなのでいつもバタバタしていて余裕がなくて怒ったりしてしまうので、外で働かないというのは斬新でした。羨ましくもあります。
ただ、子どもの顔をネット上に載せるのはある程度のリスクがあることなので、それも踏まえての収入なんだろうなと理解しています。
36歳 女性のストーリー
私がこんなお金の稼ぎ方あるんだなと思ったことは出会い系アプリに登録し、アプリ内で男性とメッセージのやり取りをし、ポイントを貯めそれをお金に換金する稼ぎ方、つまりサクラです。サクラという言葉は聞いたことあっても実際に目の当たりにする機会は今までありませんでしたので実際にそういったお話が回って来た時には少々驚きました。そのお仕事の詳細を聞いた感じですと、収入というか金額的にはちょっとしたお小遣い程度の金額のようですがメッセージのやり取り次第で収入額も変わってくるみたいなのでメールが得意で苦にならない方には向いているんじゃないかと思いました。ちなみに私はメールは不得意なのでそのお仕事はやりませんでした。
19歳 女性のストーリー
私がこんなお金の稼ぎ方があるんだなと思ったことは、ラインのスタンプの製作です。私がラインを始めたのは今から5年ほど前で、無料のスタンプしか使ったことはなく、ラインに有料スタンプがあるということすらわかっていませんでした。ですが私の中学校の同級生で絵が上手かった人が、ラインのスタンプを作って稼いでいるという話を人づてに聞きました。はじめは絶対に嘘だと思いましたが、調べてみると本当に稼げることがわかってびっくりしました。わたしは絵やデザインのセンスが全くありませんし、ラインのスタンプの販売はやらなければならない作業が多くて大変らしいので、やってみようとは思いませんでしたが、こんな稼ぎ方もあるんだなという驚きの発見でした。
34歳 男性のストーリー
以前、テレビで会社を辞めてキャンプカーで移動しながら生活している30代手前位の夫婦を紹介する番組を観た事がありましたが、このような話だけだと宝くじか何かを当てて大金を得て悠々自適な生活を得たかと思ったら、実は動画投稿者でつまり、キャンプネタYouTuberだったオチでしたが、世間的に再生回数や閲覧中に出てくる広告で得ている楽な奴らみたいな印象(この番組も含め、テレビ関係は`動画投稿者=不適切な投稿者´というステレオな考えを植え付け、真面目なネタをやっている人も軽視している)があり、動画投稿以外でブロガーとしても平行活動している事も紹介されていましたが、動画投稿に関しては個人的に人間性は別にして番組を作るのと遜色ない思い、動画と番組の違いとしてはスポンサーの制約や撮れ高と言った受けを考えなければならない事(+制作の上の独断と偏見も影響してくる)があるかないかでその店だと動画が制約がない分、自由度はあるので個性が出てくる分、魅力があるんだと思います。しかし、その分、動画投稿とブロガーで生活する分、そのテーマに関した事を搾り出し続ければならない苦労(テレビが一番触れなくて楽な印象を与えている原因であると同時に同じ事を分業でやっている事を気付くべき事)があるんだと思う。
23歳 女性のストーリー
私が特に驚いたのは、商品モニターでお金が稼げるということです。

サンプル品のお試しをし、報酬をいただくというものですが、企業側からすると、そこまでして消費者の方の声が聞きたいという事だとは思います。

しかし、消費者からすると、発売前の商品を試すことが出来、その意見が商品に反映されると考えると、とても貴重な体験なのではないかと思います。また、その企業へ貢献出来ることも自分にとってはとても嬉しいことだと感じます。

それでも報酬がいただけるなんて・・・。こんなに嬉しいことはないのではないでしょうか?

しかしその分応募される方が多いのも現状で、なかなかモニターに選ばれないという難点もあります。

しかし、発売前の商品を試すことができ、企業に貢献出来て報酬も貰えるのはとても得した気分になってしまいます
48歳 女性のストーリー
私が22歳の頃のことです。ペットショップで働きながら夜はファミリーレストランでアルバイトしていました。17時から24時まで掛け持ちで働いていました。ペットショップの給料だけでは生活していけなかったからです。その上、車や美顔器のローンが重なって、ファミリーレストランのアルバイトをしていても、生活が苦しく、実家に帰りました。その上、働いていたペットショップが閉店してしまい、昼は喫茶店で10時から17時までアルバイトしました。それでも、月々のローンはきつく、一番ローンがきつい月は3つアルバイトを掛け持ちしていました。喫茶店と18時半から21時半まで教育参考書のテレフォンアポインターのアルバイトをして、ファミリーレストランのアルバイトは店長さんに頼んで、21時から夜中の2時までアルバイトしていました。若かったからこんな働き方が出来たんでしょう。
43歳 女性のストーリー
「メルカリ」
メルカリを始めるまでもオークションなどの存在は知っていましたが、知らない人との売買に不安しかなく、やるつもりはありませんでしたが、メルカリには匿名配送というものがあり、お互いに名前も住所も知らないまま取り引きが出来ることを知り、思い切って始めてみました。まだ子供が幼稚園に通っており、パートに出る事も出来なかったので、最初は暇つぶし程度に考えていました。
ところが、子供の使わなくなったおもちゃや着れなくなった洋服、履けなくなった靴、人からいただいたけど好みではなく使っていなかったものなど、どんどん売れました。しかもリサイクルショップに持って行った時とは比較にならないくらいの利益でした。ハンドメイドが好きなので、子供のものを作って余った生地で何か作って出品もしてみました。ハンドメイド品の追加オーダーもありました。本当に何でも売れるのでおもしろくてやめられなくなってしまいました。その時、こんなお金の稼ぎ方もあるんだなと思いました。
28歳 女性のストーリー
副業したいなと思い、ツイッターでいろいろ調べていたところ「チャットレディ」という働き方を知った。
男の人とアプリ上でチャットや通話をすると、ポイントを稼げて換金できるというものだった。
友人に相談したところ、経験があるようだったので、自分も小銭稼ぎにと思ってはじめてみた。
初めの方はメッセージがなかなか来ず、こちらから送ったりもしていたが、慣れてくるとつながりやすい時間帯があって、いっきに5,000円以上稼ぐことができた。
アダルト系の会話もあったが、そういうときは無視して普通の人とだけ話すこともできたので、特に苦にはならなかった。
が、長時間スマホを触っていないといけないことと、通話がないとあまり稼げないことから継続はせず、換金できる金額を稼いだ時点でやめてしまいました。
24歳 女性のストーリー
ライブチャットです。ライブチャットはスマートフォンやパソコンのカメラを使って男性向けに配信します。ノンアダルトとアダルトなところがありますが、私はどっちも登録していました。基本的に使用していたのはノンアダルトのほうです。配信をして待機している時男性が入ってくるとお仕事が開始されるという仕組みでした。しかし待機中も10分おきとかにポイントが少しずつたまるようになっていました。男性が入って来たらチャットに書き込まれた内容でお話したりしました。飲み物とか、食べ物は禁止でしたが、男性に許可を得て一緒に飲んだりしてました。男性側が2ショットを依頼してくれればその分お金も弾みました。私は1ヶ月で3万程度しか稼げませんでしたが、かわいい子などはきっとたくさん稼げるのかなと思いました。
33歳 男性のストーリー
お金の稼ぎ方で知って驚いたのは治験です。主に新薬の開発のために治験というものがあります。新薬を作る上では人間で試す必要はあると思っていましたが、条件を満たせばその治験に参加ができます。治験に参加する事は自分の身体においてリスクは少なからずあります。それも新薬を開発に貢献できるためで、世の中の役には立つ事だと思います。治験に参加すると負担軽減費として規定の金額を得ることができます。あくまでバイトや仕事ではなく、有償のボランティアという事がポイントです。しかし、結局のところ、お金は手に入りますので、こんなお金の稼ぎ方もあるんだなと思いました。ちなみに当日のみの診察、検査は7000円程度で、入院すると1泊につき18000円程度負担軽減費がもらえます。期間は一度治験をすると4ヶ月感覚を開ける必要があります。
28歳 女性のストーリー
フリーのイラストレーターや漫画を描いてそれを仕事にしている人は、ゲーム会社や出版社に一度勤めそこで実績や人脈を得てからではないとフリーで稼いでいけないと思っていたのですが、小学生からの同級生がイラスト作成サイトに登録しそこで稼いでいたことでその存在を知りました。
このイラスト作成サイトは、ゲームや小説で使用するような大きくてがっつり描いてある1枚の絵から、ツイッターなどのSNSで使用するアイコンにヘッダー、ブログデザイン、キャラクター単品にデフォルメ絵で描いてほしいなど、初心者でも気軽に絵の仕事を受注できるようになっているなと感じるサイトで、絵で稼いでいくと言ってもいろいろな方法や場所があるんだなと気がつきました。
40歳 女性のストーリー
アンケートに回答をしてポイントをコツコツ貯めて、それを換金する。
1か月に1度換金をすることができるアンケートサイトもありますが、中々アンケートの配信がなくて、換金最低ポイントまで到達するのに凄く時間がかかるところもあります。
それでも何もしないよりはいいと思います。
何もしなければゼロ、コツコツでもポイントを貯めていけばプラスになります。

最近ではパソコンだけではなく、スマホも使ってアンケートに回答をしたり、ポイントを貯めるようにしています。
同じサイトであれば合算をさせることができますし、パソコンよりもスマホのほうが多くのポイントを貯めることができるので、パソコンだけよりもスムーズです。
色々なサイトがあるので、複数のサイトに登録をして、コツコツ貯めています。
22歳 男性のストーリー
都内の建設現場で、大手のゼネコンが請け負ったビル建設の工事で、職人さんたちが汗水たらして働いているなか、地下の部屋で座っているだけ。大きなスクリーンがあり、なにかスクリーン上に異常を知らせる信号が発生したら、置いてある電話で担当に連絡するだけ。結果的には工事期間中の3ヶ月、何も異常は起こらなかった。

ではなぜその人が必要なのかは、工事を依頼した施主さんとの契約で、誰かしら一人はその部屋に居ておいてほしいという契約だったかららしい。
朝8:00~夕方16:00まで、Wi-Fiの繋がった涼しい部屋で、本を読んだりYouTubeをみだりしていただけです。

肝心の給料は、一応正社員扱いのため、手取り20万は貰えました。
このへんは流石大手ゼネコンという感じでした。
29歳 女性のストーリー
国際交流会館でのボランティアです。私は数年前、国際交流会館の語学ボランティアというのをやっており、外国人へ日本語を教えたり、イベントがあるときの通訳、毎月の翻訳作業などを行っていました。ボランティアというと基本無償ですが、外でのイベントの通訳をするときに関しては謝礼金が出ることがありました。(アルバイトではありません。)毎回ではないので割に合うかどうかはその人次第ですが、通訳は時給に換算すると割と高給で、3時間で1万5千円ほどいただいたこともありました。語学関係のボランティアは、こういったチャンスを得られるだけでなく、自分の語学力もさらに磨くことが出来るので、語学力に自信がある人はぜひおすすめです。
43歳 男性のストーリー
飲食業を経験していた時のことです。手元に現金が入ってくるわけではないのですが、個人の出費を抑えることができるので、お金を稼いでいる感覚でした。
飲食業に食品廃棄はつきものです。それも、本来お店で出るような食材の訳ですから、スーパーのたたき売りのそれとはレベルが違います。
ここを業務上で仕入れを調整したり、先を見越したりして経営というものをやるのでしょうが、完璧には不可能でした。
そこで、この食品廃棄を何とかできないかと考えたところ、自分で食べることにしました。
誰もが思いつくことではあるのかもしれませんが、新しい組み合わせで新商品を開発したり、レベルの高い食材を原価で食べることができました。大量仕入れによる割引も相乗効果となり、値段以上の贅沢ができています。その分、税の申告上では、売り上げとして計算しなくてはいけませんが、それ以上に自分の財布から出ていく食費というものが削られて、結果としては、その分のお金を稼いでいる計算になりました。
45歳 男性のストーリー
高校3年生の頃、卒業後の進路を進学か就職かで悩んでいました。本心としては進学を希望していましたが、私の家は母子家庭で母は病弱で働くことができず貧乏だったので、進学できるようなお金は全くありませんでした。
もう、覚悟して就職を目指そうと思い、見納めとして進路指導室で大学や専門学校のパンフレットを見ていました。
そんな時、沢山の学校が掲載されているある進学情報誌に、新聞奨学生についてのページがありました。内容を見てみますと、新聞配達をすることにより、学費を負担してもらえるという制度でした。さらに、給料が支給され、単身寮完備と記載されていました。
このページを見て、閉ざされていた進学への希望が開きました。
そして私は専門学校へ進学することができ、新聞店の寮に住み込みをしながらほぼ毎日朝夕の新聞配達を2年間続け、無事に卒業できました。
あの時、進学情報誌を読んでいなかったら、心残りのまま人生を歩んでいたのかもしれません。新聞配達をしながら学校に通うのは決して楽ではなかったですが、新聞奨学生の制度は私的には有り難かったと感じています。
10歳 男性のストーリー
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10歳 男性のストーリー
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10歳 男性のストーリー
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10歳 男性のストーリー
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24歳 女性のストーリー
今は会社員として固定給をもらいながら、可もなく不可ともなく一般的な給料や年収で生活をしている普通のサラリーマンをしてます。
その中でも、一際目立つ働き方をしている先輩がいました。同じ給料なのに身なりが綺麗なものばかり身につけており、年に数回旅行もしており、不思議に感じて先輩に飲み会の際に聞きに行きました。給料も私とさほど変動はなかったのですが、徹底した収支管理と副収入があったことを教えてもらいました。まず支出に関してはふるさと納税や株主優待券などを活用し最小限の出費に抑え、副収入に関しては株式投資や不動産投資の臨時収入を毎月のように得ており、給料以外の収入が5〜10万くらいあったらしいです。こんなに賢いやり方があるなんて知らなかったので私も早速試してみたところ先輩まではいかなかったですが、生活にゆとりが出るレベルにまでになりました。
26歳 女性のストーリー
わたしの元カレがいわゆるフリマサイトで転売を繰り返してお金を稼ぐ人でした。それも月に多い時で10万を超えるほど稼ぐのです。
その方法は、遊戯王カードの転売です。わたしは全く興味がなかったため価値などがわからなかったのですが、好きな方や収集家の方の中には何万円を支払ってでも一枚のカードを購入したい方がいるのです。
古市屋にいっては安いパックのカードを購入し、それを目利きしてレアものがあれば単価で高く売り、なければ、何枚かをセットにして、必ず一枚あたりあります という謳い文句で売るのです。
時には自ら高値でカードを購入し、それをさらに高値で売っていることもありました。
正直羨ましい稼ぎ方だなと思いました。その他にも古着屋で安くなっている価値のある服を買い、価値がわかる方にうまく誘導する文章で売ったりもしていて、純粋に目利きの能力が高いのだなあ と当時は関心していました。
37歳 女性のストーリー
お金は、汗水たらして稼ぐもの。苦労して稼ぐもの。小さい頃から、そう教わって生きてきました。大人になり、お金を稼ぐようになり、そこそこ辛い思いをしながらも、日々お金を稼いで普通の生活を送ってきました。そんなある日、携帯一つ、いや、ボタン一つでお金が稼げることを知りました。それが、FXとの出会いでした。周りでは株や仮想通貨などが流行り出したころで、友達などは手を出していました。しかし、私は、そんなにうまい話はないだろうと、手を出すことはありませんでした。そんな私が、なぜFXにてを出したかというと、その頃付き合っていた彼氏の紹介からでした。身近にいる人の影響力はすごいものです。その彼氏にFXののうはうを教えてもらい、ほんの少し勉強し、簡単に始めることが出来ました。最初は小額から。ボタン一つで購入し、ボタン一つで決済。すると、ものの数時間で数千円稼げていました。今までは、半信半疑でしたが、そのとき本気で「こんなお金の稼ぎ方あるんだな」と思いました。
簡単にお金は稼げますが、簡単にお金を失います。リスクありきですが、やはり自分は多少苦労してお金を稼ぐほうが向いていると思いました。

「わたしの初恋と、その結末」

62歳 女性のストーリー
私の初恋は、中学一年生の時です。
同じ学校の三年生で、バドミントン部の部長でした。
同じクラスの友人と誘い合い、バドミントン部に入部しました。
先に友人が、部長を好きになり、私も、いつの間にか、好きになっていました。
それからと言うもの、休み時間に部長の教室を見に行ったり、放課後は、待ち伏せをして、部長の少し後を歩いて帰ったりしていました。
ストーカーの様な行為ですね。
特に悪いとも思わずに、行動していました。
部長の家まで行って、「一緒に、バドミントンをしてもらえますか」と頼んでして頂いたり、バレンタインに、チョコを渡したり、ファン気分で行動していました。
卒業する頃に、色紙を買って書いてもらいました。
「良く頑張った❗これからも、何事も諦めずに頑張れ‼️」と。
卒業してからは、とても寂しくなりました。
特に、何もなかったけれど、甘酸っぱい初恋の思い出です。
大人になって、迷惑をかけたと、反省しましたが、いつも、笑顔で優しい先輩だったと、感謝しています。
35歳 女性のストーリー
はじめてアルバイトをした職場の、社員の方でした。なんとなく良いな、付き合ってみたいな、とほのかに思っていましたが、年上の、仕事ができる人への尊敬や憧れの気持ちが大きかったと思います。当時は女子高に通っていて、「付き合う」とか、そもそも「好き」がいまいち良くわからず、なにも行動にうつせないままでした。
その内に数ヵ月後、目が大きいのが印象的な、かわいい大学生くらいの方が新しくアルバイトに入りました。入ってすぐに二人は付き合いはじめました。当時は、誰かとだれかが付き合い始めるのに、そんなに時間がかからないものなのだと驚きでした。しかし、私からみていても、お二人の会話のテンポやノリが良く合っていて、年齢的にもちょうど良いと感じました。
48歳 女性のストーリー
中学時代に通っていた美容院の美容師さんが初恋の相手です。女子校に通っていた私はかなり奥手で、美容室の中でも殆ど美容師さんと話すことができず、秘めた恋のようなものでした。最寄りの駅の近くの美容室だったため、学校帰りによくその美容室を覗いていましたが、美容師さんの姿を見るだけで満足していたように記憶しています。当時はショートカットにしていましたが、中学生ということで、凝った髪型にもできず、毎月通うほどでもなく、だんだん足が遠のいて、美容師さんのこともフェードアウトのように忘れていったと思います。友達同士で同じ美容室に行っていたら勇気を持ってもっと楽しく美容師さんと会話できていたのかなあと、当時のシャイな私が懐かしいです。
34歳 女性のストーリー
初恋は小学校の入学式が終わり、教室で隣の席に座っていた男の子でした。正直入学式のことは一切記憶が残っていないのですが、彼を見たときの衝撃は今もはっきり覚えています。とてもかっこよく、一目惚れでした。
せっかく隣の席だというのに恥ずかしさでほとんど会話はできませんでした。接点は一緒に学級委員をやったことです。ですが必要最低限の会話しかしていなかったと思うので、特にアピールするというようなことはありませんでした。四年生になるまで一緒のクラスで何回か学級委員を一緒にやる機会はあったのですが、先ほども言った通り最低限の会話だけで何もありませんでした。
五年生の時についにクラスが別れてしまったのですが、そうして離れてみると最初はとてもつらいことのように思っていましたが、だんだん気持ちは冷め、気づけば別の人を好きになっていました。好きであった四年間、一度も告白しようという気持ちになったこともありませんでしたので、確かに好きだったのには違いないのですが、どちらかといえば憧れに近かったような気がするので、同じ空間で生活できるだけで幸せな気持ちになれ、満足していたのだと思います。
32歳 女性のストーリー
初恋は幼稚園の年長さんの時でした。相手は同じクラスの男の子でした。初めて男の子に対して違った気もちを持ち、何かモヤモヤとしたものが胸の中に現れたのを覚えています。
その子を見る度にそのモヤモヤを感じました。しばらくは何が起こっているのかわかりませんでしたが、その後、テレビで恋についての番組を見てようやく自分に何が起こっていたのかがわかったように思います。
その年齢で恋をしている子は多分他にはいなかったと思うし、その相手の男の子も私に対して何か感情を持っていたとは思えないので、特に進展があったわけではありません。ただ、常にその子の側から離れなかったくらいです。私から気持ちを伝えたわけでもないので、その初恋は日が経つに連れ徐々に終止符をうちました。
35歳 女性のストーリー
私の初恋は、小学校3年生の時でした。関西に住んでいたので、同じクラスの、足が速くて面白い男の子が好きでした。クラスの半分くらいの女の子がその男の子の事が好きでした。交換日記が流行っていたのですが、その日記を回していたメンバー4人ももちろん、その男の子狙い。交換日記の内容は、好きな人の事ばかり。今思えばみんな牽制しあってたなぁ、と思います。そして、何がきっかけか忘れましたが、「みんなで同時に告白しよう!」という事に。女子4人に呼び出されたその男の子は、何事かと思ったでしょうね。ある子の「せーの」の掛け声でみんなで「好きです!」そして、ダッシュで解散。
男の子は、きょとんとしていたと思います。
そして、しばらくしてから、私が男の子に告白のようなものをされました。しかし、みんなで告白した!という達成感と、私だけそんな事言われた事がみんなに知れたら、仲間はずれにされそうな気がして、、、
私はとっさに「あれ、嘘やから!」と言ってしまいました。同窓会には行っていないので、今どんな人になっているか分かりませんが、いい思い出のまま残しておこうと思います。
22歳 女性のストーリー
私の初恋は幼稚園児の時です。
お互い好きで親も知ってるぐらいの仲でした。
ですが、小学校に上がると同時にカレの引っ越しが決まりました。遠距離状態にはなりましたが母と一緒にたまに手紙を書いたり誕生日プレゼントを送ったりしていました。
小学3年生ぐらいまで続きましたが少しずつ連絡をとらなくなり自然消滅でした。
高校生になり、自転車をこいで学校にむかっているとそのカレがその目の前を通りえっ!!と思い、二度見してしまいました笑
カレは地元に戻ってきていたみたいです。
ですが、私は結局話しかけれずに終わってしまいました。その時話しかけれていたらどうなっていたのかな?とか自分のこと覚えているのかな?とか考えました。こんな偶然ってあるんだな〜と思いました。
33歳 女性のストーリー
小学校4年生くらいに初恋を経験しました。
同じクラスの男の子でした。その男の子と私が両想いという噂が流れて気まずくなってしまい、話さなくなってしまいました。だけど私はずっと好きでした。
そして、中学生になり違う小学校の子と友達になりました。その友達が私の初恋の人を好きになり、告白しました。そして振られてしまいました。
私はその子に自分も好きだということが言えなくて、初恋の男の子に告白することなく、初恋は終了しました。
ちゃんと気持ちを伝えるだけでも伝えていたら良かったなと今になっては思います。
いまでも夢に年に一度くらいその男の子が出てくるので自分の中で消化できていないのかなと不思議な気持ちになります。
22歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校2年生の頃でした。
小学校2年生の頃に転校し、その転校先で初めて隣の席になった男の子が初恋の相手でした。
私は彼に一目惚れでした。
相手は野球少年で、背が高く転校初日に筆箱を忘れるというボケをかました私に優しく筆記用具を貸してくれたりしてくれました。
その転校初日から、中学3年生までずっと片想いをしていました。中学に入るまでは普通に仲良くできていたのですが、中学に入ると学校もおなじでクラスも近くよくすれ違うのに思春期の為お互い様喋ることも無くなりました。成人式の日の同窓会で再会出来るかなと期待していたのですが彼は同窓会には参加せず結局最後に会話したのは小学校の卒業です。あれから10年ほどが経ちますが、未だに地元の駅ですれ違うのにだけで話すこともありません。でも今でもすれ違うだけでもドキドキします(笑)
29歳 女性のストーリー
初恋は、高校2年生のボランティア活動の時でした。おそらく周りの人に比べたら遅い初恋なのかもしれません。高校の時にボランティア部に所属していて、夏休みの期間にボランティア活動をするために地元の大学で開かれる小学生と大学生と一緒にキャンプに行きました。教育学の一環でグループを作っていろいろな体験をしました。事前に川へ行くスケジュールがあったのでAEDの使い方や川の危険性などを学ぶ講習の時に一緒に活動する大学2年生のの男性に一目惚れしました。毎回会うたびにめでおったりして影から見ている感じでした。たまに二人きりになるとかもあるけれどうまく話ができなくていつも緊張していました。そんなボランティアも無事に終わり、彼とは何もないまま思い出として残っています。
43歳 男性のストーリー
私の初恋は中学生の時です。相手は同級生。同じクラスの娘でした。同じクラスですので接点は多く、近所にも住んでいたので、ちょくちょく一緒に行動していました。
幼稚園、小学校の頃から見ていたはずですが、中学生になったころから「かわいい」と感じるようになり、狙って一緒に帰るようにしていました。
頃合いを見て、帰り際に告白。見事に成功してくれました。それからというもの、登下校はほぼ一緒。親も知り合いでしたので、家族ぐるみで付き合っていました。高校時代も同じ高校に通っていたため、付き合い続けましたが、高校卒業後、私は県内、彼女は県外ということになり、はっきりと「別れよう」ということにはなりませんでしたが、自然消滅というカタチになりました。現在は、共に違う土地に住んでいるため会うことはありません。
39歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校3年生の時でした。相手はクラスの同級生で、いつも一緒に遊ぶグループの男の子でした。子どもでしたから、それまでは、好きな人といってもコロコロ変わったり、クラスに1番目から4番目に好きな人がいる状態でしたが、初めて1人の子を長く想うようになりました。彼は勉強こそ出来なかったけれど、運動神経は抜群で運動オンチな私はいつも助けられていました。バレンタインのチョコを初めて家族以外で渡したのも彼でした。学校には持ち込み禁止だったので、近くのスーパーに放課後呼び出しました。彼が来てくれるか、今の関係が壊れるんじゃないか、幼心にドキドキしたのを覚えています。無事に渡せて、関係も変わらず、ホワイトデーのお返し(確か、かわいい入れ物に入ったくまのクッキーだったと思います)ももらえました。大人のように付き合うもなにもなかったけれど、何気ない日々がすごく嬉しくて、毎日がとても楽しかったです。ですが、その1ヶ月後、私は親の転勤で引っ越すことになりました。そこで思っていたのはやはり彼のことです。子どもにとっては県をまたいでの移動なんて外国と同じですし、漫画やアニメのように手紙を出すなんて考えつきませんでした。こうして私の初恋は終わりました。最近、娘も大きくなり、あの頃の私の歳を越えて、好きな男の子が出来たのでこの話をしました。彼もどこかで私のことを覚えていてくれたら嬉しいな、と思います。
45歳 女性のストーリー
私の初恋は中学2年生の時です。同じクラスになった男の子でしたが小学校が違ったので、彼のことは名前しか分かりませんでした。連絡網で住所などを調べましたが、私の家からは遠く、また分かりにくい住所だったので、どこに住んでいるのかも分からずじまい。目立つ子ではなく、女子と話すタイプでもなかったので、結局同じクラスの間は話をすることが一度もありませんでした。3年生になって隣のクラスになり、それでも彼に想いを寄せていました。すれ違うだけで嬉しかったのを思い出します。卒業する時もどこの高校に進学するかも分からず、自分の気持ちを伝える事なくお別れ。その後、駅で一度すれ違ったことがありましたが、そのまま話しかけることも出来ませんでした。今でも彼のことは時々思い出します。
48歳 女性のストーリー
中学3年生の頃のことです。隣のクラスの担任の先生で26歳の国語の先生が初恋の相手です。なので、国語の授業が楽しみで、国語の勉強頑張りました。
文化祭の時は一緒に写真を撮ってもらいました。中学3年なので1年間しか関わる事は出来なかったのですが、受験なども有り大変な時期では有りましたが、先生のおかげで楽しい思い出も出来ましたし、勉強も頑張れたのだと思います。
でも、先生には彼女がいて、体育祭の時に応援に来ていたらしく、失恋はしましたが卒業の時にアドレス帳に書いてもらいました。
その8年後に私が23歳の時にレストランでアルバイトをしていた時に、偶然その先生が奥さんと一緒に食事に来ていました。気づいては貰えなかったのですが、もう私も大人なので挨拶だけはしましたが。
43歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校5年生と6年生の時の担任の男の先生だったと思います。勿論、想いを伝えることはありませんでした。当時は幼かったのでそれが恋だとも思っていなかったと思います。休み時間には先生の机の周りにいつもいました。修学旅行で先生と一緒に写真に写りたくて先生のまわりにいたのも覚えています。先生が結婚することになった時は子供ながらに奥さんにすごく嫉妬したのを覚えています。先生が新婚旅行でオーストラリアに行き、クラスのみんなにポストカードを買って来てくれました。今でも初恋の思い出として大切に取ってあります。その先生は私が卒業する時に他の小学校に異動になりました。離任式では私がクラスの代表としてお礼の言葉を言い、花束を渡すことになりました。先生がその小学校を去る前(春休み中)に先生の為に何か出来ないかと、友達と一緒に教室の掃除に行きました。その時の写真がなぜかあります。誰に撮ってもらったのかそれは記憶にありません。その日依頼、先生とは会っていませんが、お元気でいる事を願っています。
41歳 男性のストーリー
一人暮らしを始めて人生初の彼女ができた。
途中で別れたりくっついたり遠距離になったり5年ぐらい続いた。
人生の中でもまあハイライトな期間だったと思う。
でも別れはあっけない。
彼女を乗せたスクーターを走行中に事故った。
幸いと言って良いのか彼女にケガはなかったが、当然、彼女の両親はカンカン。
その後、危険な目に合わせた負い目もあったので、数ヶ月は会えなかったが、二人ともどうしても会いたいが思い募り、また元通りの日々が始まるかのようだった。
事故によって二人の関係は微妙にズレ始めていた。
再び彼女と会うようになると、やはり彼女の両親の時々介入があり、色々と言われ、結局は大ゲンカになってサヨナラも言えずに終わりました。今となっては切なくも愛しい日々でした。
33歳 女性のストーリー
初恋は16歳のときでした。
女子校に通っていたので、クラスの男子という存在がない中で私が好きになったのは、塾のチューター(大学生の講師アルバイト)でした。
とっても爽やかで背が高く、いわゆる甘いマスクでした。見た目がいいだけでなく進路相談にも親身になってくれて、塾に行く目的の半分はチューター目的でした。
他の生徒からも塾の職員からも人気が高く、高嶺の花でした。もちろん彼女もいたようですし、バイト先の垢抜けない高校生なんか好きになってもらえるわけもなく、思い切ってメールで告白しましたがあっけなく振られました。それでも私を傷つけないよう慎重に言葉を選んでくれたように記憶していて、いい思い出になっています。
今でも、あの人どうしてるかな?と思い出すことがあります。
33歳 男性のストーリー
私の初恋は小学生の4年生の時です。当時は子供ですので男女関係なく学校の休み時間に遊んでいました。その時に鬼ごっこをするのですが、男女数人で走り回ってました。その時の鬼役の女の子がとても可愛くて人気者の子でした。その子に捕まえられると離さないように手を握ったり体の上に乗ったらされていました。それが嬉しかったので、きっと好きだったのだと思います。しかしその頃は好きという思いを伝えるという発想がありませんでした。そのまま月日が経ち、いつの間にかその子に対する好きという気持ちはなくなり別の子の事が気になってしまいました。その子とは両想いになり、好き同士でした。初恋の子に10年以上経って会った時には可愛くもなく、興味もありませんでした。その当時は本当に純粋に好きだったんだと思いました。
30歳 女性のストーリー
保育園の年少組の頃でした。コウイチ君という男の子が好きでした。コウイチ君は他の3、4歳児とは違ってどこか大人びた雰囲気を持つ子でした。
その姿が私にはかっこよく思えたのしれません(今では定かではありませんが)。
それからはよく話しかけたり、遊びに誘ったりと積極的なアプローチをしていました。当時の写真にはよくコウイチ君が一緒に写っています。
バレンタインの時にはチョコレートも渡していました。これは小学校に上がるまで続けていました。
保育園までは直接手渡ししていたのですが、小学校は別々だったので親がコウイチ君の家に行き渡しました。
クールなコウイチ君はそれまでも私の好意には受け流す感じでいました。今思えば照れていたのかもしれません。
親がチョコレートを渡したその夜、電話が来ました。私が出るとぼそりと一言「チョコありがとう」と言って切れました。
それ以降は私も成長し、別の子が好きになったり、友達と遊んだり部活や習い事が忙しかったりとコウイチ君とは疎遠になりました。
親同士は今でも交流があるので、彼の近況は時々耳に入ります。今でも元気に生活しているようです。
私は彼とは全然違うタイプの人と結婚しました。でも、コウイチ君との思い出は幼い頃の1ページとしてずっと忘れないでしょう。
31歳 女性のストーリー
初恋は小学生4年生の時でした。手紙交換をしていて両想いということはわかっていたのですが、周りの人たちにからかわれてあまり話したりすることができませんでした。学校から一緒に帰ったりして、とてもドキドキしました。彼氏、彼女ごっこみたいな感じです。でも小学生だったので特にそこから進展はせず、私も他の男子と遊んだりもしていたので、いつの間にか両想いの関係ではなくなり、なんとなく気まずくなり話さなくなりました。中学も一緒でしたが気まずいままで、話さないまま大人になって同窓会で久しぶりに会って話ができました。当時から頭が良かったのですが、大学卒業後に大企業に入りエリートサラリーマンになって、小学校時代のマドンナ?だった可愛い女の子と結婚していました。。その話を聞いた時、私はまだ独身で婚活中だったので、羨ましいというか複雑な気持ちになりました。
28歳 女性のストーリー
私の初恋は小学六年生の時の同級生です。
その子とは学校が休みの日でも会って一緒に遊んでいました。
恋愛感情はなかったのですが、ある日近くに不審者が現れたとのことで緊急の集会が開かれ体育館に全生徒が集まりました。
いつもと変わらず会話をしていたのですが、その子の保護者が向かいにきて家に帰る事になった時、寂しいな、まだ一緒にいたいなと思いその時にこれが恋なんだなと気がつきました。
周りの協力もあってお互いに両思いだと知ったのですが、中学生にあがってクラスが別々になったことですれ違いが発生。
私も私で上手くいかないことに苛立ってしまい、またそのあと不登校になってしまったためにその男の子との恋愛は自然消滅という形で終わってしまいました。
26歳 女性のストーリー
私が通っていた小学校は全校生徒50人に満たない小さな学校だったため、普段から異学年と関わることも多く、宿泊学習も一緒でした。
5年生の宿泊学習で私は一つ上の先輩を好きになりました。それが初恋です。

宿泊学習で肝試しをするということになり、まず先生の怖い話をみんなで聞くことになりました。私は心霊系が苦手だったので、話が始まってすぐに怖さで泣いてしまいました。
その時、隣に座っていた先輩がそっと背中に手を置いてくれ、話が終わるまで優しくさすってくれました。
普段から優しい人でしたが、その時の優しさにドキドキしてしまい先輩が好きになってしまいました。
その時の私は付き合うということを考えることもなく、先輩が卒業するまで気持ちを伝えることもありませんでした。

中学生になった私は、先輩とまた同じ学校になりましたが、関わることはほとんどありませんでした。
そのまま2年が経ち、先輩の卒業式の日。
勇気をだして”第2ボタンをください”と伝えました。それを聞いた女の先輩が”私も欲しい、じゃんけんで勝ったほうがもらおう!”と提案してきました。その先輩はただボタンを集めているだけだったので絶対に負けたくないと思いました。
しかし、私はじゃんけんに負けてしまいました。せっかく勇気を出したのに、、と思っていると”あげるよ”と言って先輩が私に第2ボタンをくれました。

それ以来、連絡をとることも会うこともありませんが、先輩の優しさで素敵な初恋の思い出になりました。
18歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校三年生ぐらいの時でクラスの男の子でした。その子とは小学校一年生からずっと同じクラスで給食の話や先生の話などたくさんお話しもしたし、休憩時間の時に複数でふざけたりして仲は悪くはなかったと思います。
ある日、その当時親友とも言えるほど仲の良かったクラスの女の子から恋愛相談をされました。実はその子も私と同じ人が好きだったのです。私は応援したほうがいいのかどうなのか複雑な気持ちになりました。自分の本当の気持ちを女の子の友達に言うか迷いましたが、仲が良かったしそんなんで崩れる中ではないと思い打ち明けたらその子も、受け入れてくれました。
結局二人ともその男の子に告白はせず実らなかったのですが、小学校五年生の時友達に〇〇(初恋の人)がお前のことが好きらしいよと言われました。タイミングさえ合えばなあと思いました。恋愛ってタイミングが本当に重要だなと幼いながらに学びました。
29歳 女性のストーリー
私の初恋は3歳の時でした。近所に住んでいた3つ年上の男の子です。その男の子とは毎日一緒に遊んでいました。近所のお母さんたちにも、「将来大きくなったら〇〇くんと結婚する!」と言っていたくらいです。
しかしその子が小学校に上がると、一緒に遊ぶこともほとんどなくなってしまいました。私はバレンタインデーにチョコレートを渡していましたが、ホワイトデーでもらうこともありませんでした。だんだん疎遠になり、お互い顔を合わせても挨拶しかしなくなり、「あぁ、これで私の初恋も終わったのだな」と思ったのを覚えています。
その後は私も幼稚園に新たに好きな男の子ができ、初めての失恋を克服しました。今となってはとても素敵な甘い思い出です。
23歳 女性のストーリー
初恋は、高校生のときでした。
クラスメイトで仲はそこそこよかったです。冗談として周りからはカップルと呼ばれていました。
仲良くなるにつれてどんどん好きになっていきました。
体育館で部活をしていたのですが、向こうの部活終わりの際、手をふって応援してくれたりしていました。
よく一緒にいましたが、友達どうしで冗談としてカップルっぽいという関係が続いていました。
結局、告白はできませんでした。
今思えば、アタックすれば付き合えたと思います。
自分自身なにも行動しないうちに、好きだった人は他の方とお付き合いを始めてしまいました。
付き合ったという報告を受けてわりとショックでした。
それからは、自然と話す時間が減り、いままでのような関係は終わってしまいました。
28歳 女性のストーリー
もともと一目惚れしやすい性格で、学生時代は毎年のように好きなタイプが変わってました。
そんな私が初めて本気で好きになった初恋は、中学2年生の時でした。相手は私の1学年上の先輩でした。会えるのはごくわずかな時間、掃除の時間だけでした。
月毎に掃除する場所が変わる為、たまたま掃除する場所が理科教室がある棟の中で、私は2階。先輩は1階で掃除を11月とか12月とかその辺りに担当していたように記憶しています。
ある日たまたま早く自分の持ち場が終わってしまった私は、終わってしまったことがバレるのが嫌で、室内の階段の踊り場で時間を潰していた時に、まさにその時にその先輩を見かけて、初めて本気で気になってしまい、いつのまにか好きになっていて、持ち場を担当している間はずっと早めに掃除を終わらせて、その先輩を見てわずかな時間を、幸せだなぁって感じてました。
名前もわからず、どうすれば近づくことができるかと考えていたところ、クラスメイトのサッカー部の男子と話している先輩を見かけて、『サッカー部だったんだなぁ』って思い、サッカー部に入っているという事実を知ることができてそれだけで幸せだし、実らなくていいやって、その先輩を好きになれただけで幸せだなぁって思い、片想いで終わりました。
29歳 男性のストーリー
小1のクラスメイト
ただ彼女は1人で食事も食べれなければトイレも行けなかった。当時は母に『彼女と結婚する。』と言ったら、『一緒に生活するにはたくさんボランティアさん雇わなきゃいけない。』という答えが返ってきた。
話すこともできない彼女だったが、音楽や音は好きで中3のころは車いすにボタンをおいていた。
当時は学校の玄関まで一緒に帰ることがあり、ボタンを押すと『○○さん、さようなら。』と先生の声がした。
すると彼女はニコニコと笑い、自分も『○○先生の声がしたね、嬉しいね、』と優しく声をかけtた。
一方で彼女とは別の高校に進んだので、これが最後の思い出になった。
35歳 女性のストーリー
私の初恋は、とても遅くて二十歳のときでした。それは大学に通っているころ、自動車学校でおきました。初恋の人は自動車学校の先生でした。吊り橋効果的なものもあったのかもしれません。急ブレーキの講習や急カーブの購入で、すごいスピードでカーブを曲がる先生にときめいてしまいました。私が通っていた自動車学校は担当制ではなく、毎回違う先生だったので、毎回その先生に当たるかどきどきしていました。送り迎えのバスも、その先生が担当のときはとても嬉しかったものです。またその日の一番最後の講習のあとは、家が近くの先生が自分の車で送ってくれるのですが、そのとき別の先生にその先生の話を色々と聞いたりしました。
告白しようと思いラブレターを書いたのですが、一回目の座学のときはどきどきしすぎて渡せず、そしてその後先生にあたることがなくなってしまいました。結局その後、その先生には一度もあたらず、告白できませんでした。卒業後学校に行こうかとも思いましたが、実行できませんでした。
結局、告白することができず、思いを秘めたまま私の初恋は終了しました。
10歳 男性のストーリー
私の初恋は小学校1年生の時です。同じクラスのイケメンで運動神経バツグンの男子のことを好きになりました。でも、自分に自身がないのと相手がモテモテすぎるので告白もできずにいました。一応私も顔は上の中位はあったので3人とお付き合いしました。でも忘れられずにいたら小学校6年生の時に同じクラスになり、相手もこちらのことを好いていた事がわかり、相手から告白されて付き合いました。本当に好きな相手だったので尽くして、プレゼントも渡していました。結構周りからもお似合いと言われていたし、あだ名がイチャップルで公認のカップルでした。でも、付き合って半年、急に冷たくなって無視されるようになりました。私は何もしらなかったのですが学年のボス的存在の男子が私のことを好きだったみたいで彼は別れるように強制されていました。私はそのことを親友に言われるまで知らなかったです。そのせいでお別れすることになってしまいました。その後そのボス的存在の人には告白されましたがお断りました。当然です。でも根に持ったみたいでした。めっちゃ絡んできたりしました。興味がなくてガン無視でしたが。でも、初恋の彼は諦めたくなくて初恋の彼にアプローチし続けたら「ウザい」と言われました。もう話しかけても無視されます。その後は他の方とお付き合いしました。ですが、半年たった今でも彼のことは気になっています。半端な覚悟でお付き合いするのもおかしいですが、初恋の彼と雰囲気が似ていて落ち着きます。今の彼といたら忘れられるのてはないかと思っています。



長文すみません。見てくれてありがとう。
19歳 男性のストーリー
初めての恋は小学3年生の頃でした。小学二年生の時から仲良くしてもらってる女の子で、ずっと一緒に遊んでいました。そんな小学3年生のある日、とある友達がその女の子はきっと僕のことが好きだと言ってくるようになりました。すると初めは恋愛感情などなかったのにもかかわらず勝手に意識してしまうようになっていました。それから自分に勇気が出ず、なにの進展もないまま小学6年生になりました。
この頃には携帯電話をお互い手に入れ、メールをする仲に。ある日の深夜に好きな人をお互いにいうというメールでついに打ち明けました。「君が好き」と。そしたら彼女も僕のことが好きと言ってくれました。そして付き合うとかの概念がなかった僕たちは中学1年生なったある日に友達に「両思いやのに付き合えへんの??」と。すると驚くことになんと彼女は「あの時友達とおっておもろいからそういうことにしようってなってんー!ほんまにごめん!」と言われました。小学3年生から好きになり始め、両思いだと信じた小学6年生から中学1年生までの長い恋は儚く幕を閉じました。
30歳 女性のストーリー
中学1年生の頃、私の通っている学校で地元の劇団が公演をするということで他校の生徒も合同で観ることになった。
公演が終わり他校の生徒とは接触禁止だった為、先に私達はそれぞれの教室に戻った。他校の生徒に興味深々だった私は3階の教室の窓から外を見ていた。大勢いる中で一人だけこちらをパッと見た男子生徒と目が合い、その瞬間なんとも言えない気持ちになった。

それから半年程経ち、中学2年生になり受験対策を兼ねて塾に通うことになった。案内された教室に入り後ろから2番目の席に座った。
授業が始まって少し経ったころ静かに教室の後ろ側のドアが開き私の後ろの席に誰かが座った。プリントが前から回ってきて後ろに渡そうと振り返ると、半年前に目が合った男子生徒が座っていた。

それから1年間プリントを渡すときにだけ目が合う関係が続いた。

何もないまま志望校を決める時期になった。
志望校を記入するプリントに手紙をつけて渡した。「覚えてないかもしれないけど1年半前に劇団公演でうちの学校にきたときに初めて目が合ったときからずっと気になっていました」

すると背中をトントンとされて手紙が戻ってきた。「僕は1年半前に目が合ったときから好きでした。志望校はどこですか?」

それから付き合うことになったが、違う高校に入学して会う時間がなかなか取れずすぐ別れてしまった。でも今思い出してもあんな風に目が合った瞬間にキラキラした出来事はない。
41歳 男性のストーリー
わたしの初恋は高校2年生の夏です。
特に意識してはいなかった相手なのですが、わたしが言った
何気ない一言でわたしを意識しだしたみたいです。
そして、わたしも嫌いではなかったお相手でしたので
何となく一緒に遊んでいたところ、たまたまその様な雰囲気になりました。
そしてキスをしてしまいました。
そうするとわたしも一気に相手のことを好きになりました。
そして毎日会って毎日キスをする関係になっていました。
やはりわたしもまだ若かったため4日もする頃にはエッチを
しました。
わたしにとっては初エッチでしたので一緒にいる間中ずっとしていた
感じです。
一夏が過ぎ全寮制の高校に入っていたわたしは寮に戻りました。
その後も数日ある休みのたびに会っていましたが、遠距離だったため
近くの女の子と遊ぶようになり、その子が煩わしくなりだして
一年程で別れてしまいました。
これがわたしの初恋の甘酸っぱい思い出です。
21歳 女性のストーリー
私の初恋は高校の部活の先輩です。誰からも頼りにされるその姿に憧れを抱き、気がついたら好きになっていました。その後努力の甲斐もあり、すぐに付き合うことに成功しました。
しかし、初恋が実り幸せ絶頂期だった時のことです。下校しようとした時、校門に先輩が立っていました。迎えに来てくれたのだと思い笑顔で近付くと、何故か先輩のポケットからリングゲージが取り出されました。
じゃらじゃらと音を立てて取り出されたリングゲージに驚きを隠せず固まっているうちに、両手すべての指を測られていました。
その後指輪をプレゼントしてくれる訳でもなく、単純に指のサイズを知りたかっただけと言った先輩に困惑し、別れを告げました。
35歳 女性のストーリー
はじめてアルバイトをした職場の、社員の方でした。なんとなく良いな、付き合ってみたいな、とほのかに思っていましたが、年上の、仕事ができる人への尊敬や憧れの気持ちが大きかったと思います。当時は女子高に通っていて、「付き合う」とか、そもそも「好き」がいまいち良くわからず、なにも行動にうつせないままでした。
その内に数ヵ月後、目が大きいのが印象的な、かわいい大学生くらいの方が新しくアルバイトに入りました。入ってすぐに二人は付き合いはじめました。当時は、誰かとだれかが付き合い始めるのに、そんなに時間がかからないものなのだと驚きでした。しかし、私からみていても、お二人の会話のテンポやノリが良く合っていて、年齢的にもちょうど良いと感じました。
48歳 女性のストーリー
中学時代に通っていた美容院の美容師さんが初恋の相手です。女子校に通っていた私はかなり奥手で、美容室の中でも殆ど美容師さんと話すことができず、秘めた恋のようなものでした。最寄りの駅の近くの美容室だったため、学校帰りによくその美容室を覗いていましたが、美容師さんの姿を見るだけで満足していたように記憶しています。当時はショートカットにしていましたが、中学生ということで、凝った髪型にもできず、毎月通うほどでもなく、だんだん足が遠のいて、美容師さんのこともフェードアウトのように忘れていったと思います。友達同士で同じ美容室に行っていたら勇気を持ってもっと楽しく美容師さんと会話できていたのかなあと、当時のシャイな私が懐かしいです。
34歳 女性のストーリー
初恋は小学校の入学式が終わり、教室で隣の席に座っていた男の子でした。正直入学式のことは一切記憶が残っていないのですが、彼を見たときの衝撃は今もはっきり覚えています。とてもかっこよく、一目惚れでした。
せっかく隣の席だというのに恥ずかしさでほとんど会話はできませんでした。接点は一緒に学級委員をやったことです。ですが必要最低限の会話しかしていなかったと思うので、特にアピールするというようなことはありませんでした。四年生になるまで一緒のクラスで何回か学級委員を一緒にやる機会はあったのですが、先ほども言った通り最低限の会話だけで何もありませんでした。
五年生の時についにクラスが別れてしまったのですが、そうして離れてみると最初はとてもつらいことのように思っていましたが、だんだん気持ちは冷め、気づけば別の人を好きになっていました。好きであった四年間、一度も告白しようという気持ちになったこともありませんでしたので、確かに好きだったのには違いないのですが、どちらかといえば憧れに近かったような気がするので、同じ空間で生活できるだけで幸せな気持ちになれ、満足していたのだと思います。
32歳 女性のストーリー
初恋は幼稚園の年長さんの時でした。相手は同じクラスの男の子でした。初めて男の子に対して違った気もちを持ち、何かモヤモヤとしたものが胸の中に現れたのを覚えています。
その子を見る度にそのモヤモヤを感じました。しばらくは何が起こっているのかわかりませんでしたが、その後、テレビで恋についての番組を見てようやく自分に何が起こっていたのかがわかったように思います。
その年齢で恋をしている子は多分他にはいなかったと思うし、その相手の男の子も私に対して何か感情を持っていたとは思えないので、特に進展があったわけではありません。ただ、常にその子の側から離れなかったくらいです。私から気持ちを伝えたわけでもないので、その初恋は日が経つに連れ徐々に終止符をうちました。
35歳 女性のストーリー
私の初恋は、小学校3年生の時でした。関西に住んでいたので、同じクラスの、足が速くて面白い男の子が好きでした。クラスの半分くらいの女の子がその男の子の事が好きでした。交換日記が流行っていたのですが、その日記を回していたメンバー4人ももちろん、その男の子狙い。交換日記の内容は、好きな人の事ばかり。今思えばみんな牽制しあってたなぁ、と思います。そして、何がきっかけか忘れましたが、「みんなで同時に告白しよう!」という事に。女子4人に呼び出されたその男の子は、何事かと思ったでしょうね。ある子の「せーの」の掛け声でみんなで「好きです!」そして、ダッシュで解散。
男の子は、きょとんとしていたと思います。
そして、しばらくしてから、私が男の子に告白のようなものをされました。しかし、みんなで告白した!という達成感と、私だけそんな事言われた事がみんなに知れたら、仲間はずれにされそうな気がして、、、
私はとっさに「あれ、嘘やから!」と言ってしまいました。同窓会には行っていないので、今どんな人になっているか分かりませんが、いい思い出のまま残しておこうと思います。
33歳 女性のストーリー
小学校4年生くらいに初恋を経験しました。
同じクラスの男の子でした。その男の子と私が両想いという噂が流れて気まずくなってしまい、話さなくなってしまいました。だけど私はずっと好きでした。
そして、中学生になり違う小学校の子と友達になりました。その友達が私の初恋の人を好きになり、告白しました。そして振られてしまいました。
私はその子に自分も好きだということが言えなくて、初恋の男の子に告白することなく、初恋は終了しました。
ちゃんと気持ちを伝えるだけでも伝えていたら良かったなと今になっては思います。
いまでも夢に年に一度くらいその男の子が出てくるので自分の中で消化できていないのかなと不思議な気持ちになります。
22歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校2年生の頃でした。
小学校2年生の頃に転校し、その転校先で初めて隣の席になった男の子が初恋の相手でした。
私は彼に一目惚れでした。
相手は野球少年で、背が高く転校初日に筆箱を忘れるというボケをかました私に優しく筆記用具を貸してくれたりしてくれました。
その転校初日から、中学3年生までずっと片想いをしていました。中学に入るまでは普通に仲良くできていたのですが、中学に入ると学校もおなじでクラスも近くよくすれ違うのに思春期の為お互い様喋ることも無くなりました。成人式の日の同窓会で再会出来るかなと期待していたのですが彼は同窓会には参加せず結局最後に会話したのは小学校の卒業です。あれから10年ほどが経ちますが、未だに地元の駅ですれ違うのにだけで話すこともありません。でも今でもすれ違うだけでもドキドキします(笑)
29歳 女性のストーリー
初恋は、高校2年生のボランティア活動の時でした。おそらく周りの人に比べたら遅い初恋なのかもしれません。高校の時にボランティア部に所属していて、夏休みの期間にボランティア活動をするために地元の大学で開かれる小学生と大学生と一緒にキャンプに行きました。教育学の一環でグループを作っていろいろな体験をしました。事前に川へ行くスケジュールがあったのでAEDの使い方や川の危険性などを学ぶ講習の時に一緒に活動する大学2年生のの男性に一目惚れしました。毎回会うたびにめでおったりして影から見ている感じでした。たまに二人きりになるとかもあるけれどうまく話ができなくていつも緊張していました。そんなボランティアも無事に終わり、彼とは何もないまま思い出として残っています。
43歳 男性のストーリー
私の初恋は中学生の時です。相手は同級生。同じクラスの娘でした。同じクラスですので接点は多く、近所にも住んでいたので、ちょくちょく一緒に行動していました。
幼稚園、小学校の頃から見ていたはずですが、中学生になったころから「かわいい」と感じるようになり、狙って一緒に帰るようにしていました。
頃合いを見て、帰り際に告白。見事に成功してくれました。それからというもの、登下校はほぼ一緒。親も知り合いでしたので、家族ぐるみで付き合っていました。高校時代も同じ高校に通っていたため、付き合い続けましたが、高校卒業後、私は県内、彼女は県外ということになり、はっきりと「別れよう」ということにはなりませんでしたが、自然消滅というカタチになりました。現在は、共に違う土地に住んでいるため会うことはありません。
39歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校3年生の時でした。相手はクラスの同級生で、いつも一緒に遊ぶグループの男の子でした。子どもでしたから、それまでは、好きな人といってもコロコロ変わったり、クラスに1番目から4番目に好きな人がいる状態でしたが、初めて1人の子を長く想うようになりました。彼は勉強こそ出来なかったけれど、運動神経は抜群で運動オンチな私はいつも助けられていました。バレンタインのチョコを初めて家族以外で渡したのも彼でした。学校には持ち込み禁止だったので、近くのスーパーに放課後呼び出しました。彼が来てくれるか、今の関係が壊れるんじゃないか、幼心にドキドキしたのを覚えています。無事に渡せて、関係も変わらず、ホワイトデーのお返し(確か、かわいい入れ物に入ったくまのクッキーだったと思います)ももらえました。大人のように付き合うもなにもなかったけれど、何気ない日々がすごく嬉しくて、毎日がとても楽しかったです。ですが、その1ヶ月後、私は親の転勤で引っ越すことになりました。そこで思っていたのはやはり彼のことです。子どもにとっては県をまたいでの移動なんて外国と同じですし、漫画やアニメのように手紙を出すなんて考えつきませんでした。こうして私の初恋は終わりました。最近、娘も大きくなり、あの頃の私の歳を越えて、好きな男の子が出来たのでこの話をしました。彼もどこかで私のことを覚えていてくれたら嬉しいな、と思います。
45歳 女性のストーリー
私の初恋は中学2年生の時です。同じクラスになった男の子でしたが小学校が違ったので、彼のことは名前しか分かりませんでした。連絡網で住所などを調べましたが、私の家からは遠く、また分かりにくい住所だったので、どこに住んでいるのかも分からずじまい。目立つ子ではなく、女子と話すタイプでもなかったので、結局同じクラスの間は話をすることが一度もありませんでした。3年生になって隣のクラスになり、それでも彼に想いを寄せていました。すれ違うだけで嬉しかったのを思い出します。卒業する時もどこの高校に進学するかも分からず、自分の気持ちを伝える事なくお別れ。その後、駅で一度すれ違ったことがありましたが、そのまま話しかけることも出来ませんでした。今でも彼のことは時々思い出します。
48歳 女性のストーリー
中学3年生の頃のことです。隣のクラスの担任の先生で26歳の国語の先生が初恋の相手です。なので、国語の授業が楽しみで、国語の勉強頑張りました。
文化祭の時は一緒に写真を撮ってもらいました。中学3年なので1年間しか関わる事は出来なかったのですが、受験なども有り大変な時期では有りましたが、先生のおかげで楽しい思い出も出来ましたし、勉強も頑張れたのだと思います。
でも、先生には彼女がいて、体育祭の時に応援に来ていたらしく、失恋はしましたが卒業の時にアドレス帳に書いてもらいました。
その8年後に私が23歳の時にレストランでアルバイトをしていた時に、偶然その先生が奥さんと一緒に食事に来ていました。気づいては貰えなかったのですが、もう私も大人なので挨拶だけはしましたが。
43歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校5年生と6年生の時の担任の男の先生だったと思います。勿論、想いを伝えることはありませんでした。当時は幼かったのでそれが恋だとも思っていなかったと思います。休み時間には先生の机の周りにいつもいました。修学旅行で先生と一緒に写真に写りたくて先生のまわりにいたのも覚えています。先生が結婚することになった時は子供ながらに奥さんにすごく嫉妬したのを覚えています。先生が新婚旅行でオーストラリアに行き、クラスのみんなにポストカードを買って来てくれました。今でも初恋の思い出として大切に取ってあります。その先生は私が卒業する時に他の小学校に異動になりました。離任式では私がクラスの代表としてお礼の言葉を言い、花束を渡すことになりました。先生がその小学校を去る前(春休み中)に先生の為に何か出来ないかと、友達と一緒に教室の掃除に行きました。その時の写真がなぜかあります。誰に撮ってもらったのかそれは記憶にありません。その日依頼、先生とは会っていませんが、お元気でいる事を願っています。
33歳 女性のストーリー
初恋は16歳のときでした。
女子校に通っていたので、クラスの男子という存在がない中で私が好きになったのは、塾のチューター(大学生の講師アルバイト)でした。
とっても爽やかで背が高く、いわゆる甘いマスクでした。見た目がいいだけでなく進路相談にも親身になってくれて、塾に行く目的の半分はチューター目的でした。
他の生徒からも塾の職員からも人気が高く、高嶺の花でした。もちろん彼女もいたようですし、バイト先の垢抜けない高校生なんか好きになってもらえるわけもなく、思い切ってメールで告白しましたがあっけなく振られました。それでも私を傷つけないよう慎重に言葉を選んでくれたように記憶していて、いい思い出になっています。
今でも、あの人どうしてるかな?と思い出すことがあります。
20歳 女性のストーリー
5歳の時からの幼馴染を、小学校を卒業する頃までの7年間、ずっと好きでいたのが私の初恋です。結局関係性を変えるのが怖くて告白はできず、中学校が別になったことで付き合いも薄れてしまいました。大人になった今思い返してみると、きっと昔は両想いだったと思います。仲が良すぎて周りにからかわれても、ずっと一緒に遊んでました。お互いに幼すぎて踏み込めなかったのです。
今でも好きだというわけではありませんが、いい思い出である事には違いありません。大学生になってから久々に会うと、前は殆ど背丈が変わらなかったにも関わらず高身長のイケメンへと成長していて、かっこいいなと思いました。今はかわいい彼女がいるんだろうなと思うと、少し悲しいような、寂しいような気持ちがあります。
33歳 男性のストーリー
私の初恋は小学生の4年生の時です。当時は子供ですので男女関係なく学校の休み時間に遊んでいました。その時に鬼ごっこをするのですが、男女数人で走り回ってました。その時の鬼役の女の子がとても可愛くて人気者の子でした。その子に捕まえられると離さないように手を握ったり体の上に乗ったらされていました。それが嬉しかったので、きっと好きだったのだと思います。しかしその頃は好きという思いを伝えるという発想がありませんでした。そのまま月日が経ち、いつの間にかその子に対する好きという気持ちはなくなり別の子の事が気になってしまいました。その子とは両想いになり、好き同士でした。初恋の子に10年以上経って会った時には可愛くもなく、興味もありませんでした。その当時は本当に純粋に好きだったんだと思いました。
30歳 女性のストーリー
保育園の年少組の頃でした。コウイチ君という男の子が好きでした。コウイチ君は他の3、4歳児とは違ってどこか大人びた雰囲気を持つ子でした。
その姿が私にはかっこよく思えたのしれません(今では定かではありませんが)。
それからはよく話しかけたり、遊びに誘ったりと積極的なアプローチをしていました。当時の写真にはよくコウイチ君が一緒に写っています。
バレンタインの時にはチョコレートも渡していました。これは小学校に上がるまで続けていました。
保育園までは直接手渡ししていたのですが、小学校は別々だったので親がコウイチ君の家に行き渡しました。
クールなコウイチ君はそれまでも私の好意には受け流す感じでいました。今思えば照れていたのかもしれません。
親がチョコレートを渡したその夜、電話が来ました。私が出るとぼそりと一言「チョコありがとう」と言って切れました。
それ以降は私も成長し、別の子が好きになったり、友達と遊んだり部活や習い事が忙しかったりとコウイチ君とは疎遠になりました。
親同士は今でも交流があるので、彼の近況は時々耳に入ります。今でも元気に生活しているようです。
私は彼とは全然違うタイプの人と結婚しました。でも、コウイチ君との思い出は幼い頃の1ページとしてずっと忘れないでしょう。
31歳 女性のストーリー
初恋は小学生4年生の時でした。手紙交換をしていて両想いということはわかっていたのですが、周りの人たちにからかわれてあまり話したりすることができませんでした。学校から一緒に帰ったりして、とてもドキドキしました。彼氏、彼女ごっこみたいな感じです。でも小学生だったので特にそこから進展はせず、私も他の男子と遊んだりもしていたので、いつの間にか両想いの関係ではなくなり、なんとなく気まずくなり話さなくなりました。中学も一緒でしたが気まずいままで、話さないまま大人になって同窓会で久しぶりに会って話ができました。当時から頭が良かったのですが、大学卒業後に大企業に入りエリートサラリーマンになって、小学校時代のマドンナ?だった可愛い女の子と結婚していました。。その話を聞いた時、私はまだ独身で婚活中だったので、羨ましいというか複雑な気持ちになりました。
28歳 女性のストーリー
私の初恋は小学六年生の時の同級生です。
その子とは学校が休みの日でも会って一緒に遊んでいました。
恋愛感情はなかったのですが、ある日近くに不審者が現れたとのことで緊急の集会が開かれ体育館に全生徒が集まりました。
いつもと変わらず会話をしていたのですが、その子の保護者が向かいにきて家に帰る事になった時、寂しいな、まだ一緒にいたいなと思いその時にこれが恋なんだなと気がつきました。
周りの協力もあってお互いに両思いだと知ったのですが、中学生にあがってクラスが別々になったことですれ違いが発生。
私も私で上手くいかないことに苛立ってしまい、またそのあと不登校になってしまったためにその男の子との恋愛は自然消滅という形で終わってしまいました。
26歳 女性のストーリー
私が通っていた小学校は全校生徒50人に満たない小さな学校だったため、普段から異学年と関わることも多く、宿泊学習も一緒でした。
5年生の宿泊学習で私は一つ上の先輩を好きになりました。それが初恋です。

宿泊学習で肝試しをするということになり、まず先生の怖い話をみんなで聞くことになりました。私は心霊系が苦手だったので、話が始まってすぐに怖さで泣いてしまいました。
その時、隣に座っていた先輩がそっと背中に手を置いてくれ、話が終わるまで優しくさすってくれました。
普段から優しい人でしたが、その時の優しさにドキドキしてしまい先輩が好きになってしまいました。
その時の私は付き合うということを考えることもなく、先輩が卒業するまで気持ちを伝えることもありませんでした。

中学生になった私は、先輩とまた同じ学校になりましたが、関わることはほとんどありませんでした。
そのまま2年が経ち、先輩の卒業式の日。
勇気をだして”第2ボタンをください”と伝えました。それを聞いた女の先輩が”私も欲しい、じゃんけんで勝ったほうがもらおう!”と提案してきました。その先輩はただボタンを集めているだけだったので絶対に負けたくないと思いました。
しかし、私はじゃんけんに負けてしまいました。せっかく勇気を出したのに、、と思っていると”あげるよ”と言って先輩が私に第2ボタンをくれました。

それ以来、連絡をとることも会うこともありませんが、先輩の優しさで素敵な初恋の思い出になりました。
25歳 女性のストーリー
私の初恋は、幼稚園の年中から小学4年生まで同じクラスだった男の子です。誕生日、ずっと隣の席、生まれた時間、生まれた時に首にへその緒が巻きついていて出産が大変だったことまで同じで幼稚園生ながら運命かと思うほどでした。
家族公認でお互い大好きでしたが、気持ちを伝え合うわけでもなく、付き合うこともなく、ただ仲良しでした。
小学5年生からクラスが離れ、その後話もせず全く接点のないまま時は過ぎてしまい、25歳になりました。
仕事で都内に行っていた私は、仕事を辞め、出産のために地元に帰ってきていたところ、久しぶりに初恋の人に再会しましたが、その時にはお互い幸せになっていました。今はなんでも相談し会えるよき仲間って感じです。
18歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校三年生ぐらいの時でクラスの男の子でした。その子とは小学校一年生からずっと同じクラスで給食の話や先生の話などたくさんお話しもしたし、休憩時間の時に複数でふざけたりして仲は悪くはなかったと思います。
ある日、その当時親友とも言えるほど仲の良かったクラスの女の子から恋愛相談をされました。実はその子も私と同じ人が好きだったのです。私は応援したほうがいいのかどうなのか複雑な気持ちになりました。自分の本当の気持ちを女の子の友達に言うか迷いましたが、仲が良かったしそんなんで崩れる中ではないと思い打ち明けたらその子も、受け入れてくれました。
結局二人ともその男の子に告白はせず実らなかったのですが、小学校五年生の時友達に〇〇(初恋の人)がお前のことが好きらしいよと言われました。タイミングさえ合えばなあと思いました。恋愛ってタイミングが本当に重要だなと幼いながらに学びました。
29歳 女性のストーリー
私の初恋は3歳の時でした。近所に住んでいた3つ年上の男の子です。その男の子とは毎日一緒に遊んでいました。近所のお母さんたちにも、「将来大きくなったら〇〇くんと結婚する!」と言っていたくらいです。
しかしその子が小学校に上がると、一緒に遊ぶこともほとんどなくなってしまいました。私はバレンタインデーにチョコレートを渡していましたが、ホワイトデーでもらうこともありませんでした。だんだん疎遠になり、お互い顔を合わせても挨拶しかしなくなり、「あぁ、これで私の初恋も終わったのだな」と思ったのを覚えています。
その後は私も幼稚園に新たに好きな男の子ができ、初めての失恋を克服しました。今となってはとても素敵な甘い思い出です。
23歳 女性のストーリー
初恋は、高校生のときでした。
クラスメイトで仲はそこそこよかったです。冗談として周りからはカップルと呼ばれていました。
仲良くなるにつれてどんどん好きになっていきました。
体育館で部活をしていたのですが、向こうの部活終わりの際、手をふって応援してくれたりしていました。
よく一緒にいましたが、友達どうしで冗談としてカップルっぽいという関係が続いていました。
結局、告白はできませんでした。
今思えば、アタックすれば付き合えたと思います。
自分自身なにも行動しないうちに、好きだった人は他の方とお付き合いを始めてしまいました。
付き合ったという報告を受けてわりとショックでした。
それからは、自然と話す時間が減り、いままでのような関係は終わってしまいました。
28歳 女性のストーリー
もともと一目惚れしやすい性格で、学生時代は毎年のように好きなタイプが変わってました。
そんな私が初めて本気で好きになった初恋は、中学2年生の時でした。相手は私の1学年上の先輩でした。会えるのはごくわずかな時間、掃除の時間だけでした。
月毎に掃除する場所が変わる為、たまたま掃除する場所が理科教室がある棟の中で、私は2階。先輩は1階で掃除を11月とか12月とかその辺りに担当していたように記憶しています。
ある日たまたま早く自分の持ち場が終わってしまった私は、終わってしまったことがバレるのが嫌で、室内の階段の踊り場で時間を潰していた時に、まさにその時にその先輩を見かけて、初めて本気で気になってしまい、いつのまにか好きになっていて、持ち場を担当している間はずっと早めに掃除を終わらせて、その先輩を見てわずかな時間を、幸せだなぁって感じてました。
名前もわからず、どうすれば近づくことができるかと考えていたところ、クラスメイトのサッカー部の男子と話している先輩を見かけて、『サッカー部だったんだなぁ』って思い、サッカー部に入っているという事実を知ることができてそれだけで幸せだし、実らなくていいやって、その先輩を好きになれただけで幸せだなぁって思い、片想いで終わりました。
28歳 女性のストーリー
"わたしの初恋は小学1年生です。同じクラスの男の子です。カッコよくて足が速いその子はクラスでも人気者でした。初めての席替えで隣の席になったのをきっかけに仲良くなりました。そこから中学3年生までずっと奇跡的に同じクラスでした。隣の席になることが多くわたし的にはとても仲良かったと思います。しかし中学校に上がると異性と話すとからかわれてしまうようになってしまい、なかなか話すことができなくなってしまいました。しかし運良く席が隣になる運はまだ持ち合わせていたようで何回も隣の席になりました。隣の席になると昔のように仲良く話すことができ、授業中にこっそり話すのが唯一の楽しみでもありました。
しかし、彼がモテるのは相変わらずで人気者。クラスの女子の人気は高まるばかりで、授業中以外彼と話すことはできなくなりました。
告白する勇気もないし、今のゆるい関係のままの方が彼と話せてよかったのもあり結局何にもないまま卒業しました。

その後20歳の成人式の日、中学の同窓会がありました。彼に会ってみたかったのもありましたが、高校卒業後地元を離れていたので参加が遅れました。
遅れていくともう盛り上がっていた会場にびっくりして端っこで様子を伺っていると、「◯◯来ないかと思ったよ。久しぶり、元気だった?」と彼に話しかけられました。その後彼とは思い出話に花が咲き、盛り上がりました。たくさん話せて嬉しかったのですが、肝心の連絡先を聞きそびれました。

その後、彼と仲が良い男友達から実は彼はわたしのことが好きだったことを聞きました。同窓会の日に告白しようと思ったけど勇気がなく告白できなかったとのことでした。とっても嬉しかったのですがそのときすでに彼氏がいたのでこの恋は実ることはありませんでした。彼がわたしを好きでいてくれた時期とわたしが彼に恋をしていた時期は同じでした。初恋が実らないのは本当なんだなと思いました。"
24歳 女性のストーリー
幼稚園のクラス担任の先生に、初めての恋をしました。

当時の幼稚園の先生といえば、女性ばかりだったので母親のような感覚をもって甘えていたのですが、
初めて男の先生が来て、しかも自分のクラスの担任になって、最初は興味本位でちょっかいをかけていました。

それから、大人の男性の力強さ、私に向けられる優しい微笑み、分け隔てなく皆に与えられる優しさ、全てに私は心を奪われ、
いつしか私だけに構ってほしいがためにいたずらを仕掛けたり、先生の近くにまとわりついていたりしました。

結局、この気持ちを素直に伝えることはありませんでしたが、
卒園してから数年後、人づてに先生が結婚したという話を聞きました。
お嫁さんが羨ましいなと思いましたが、思ったよりショックではありませんでした。

それから一度だけ先生と再開しましたが、変わらず元気そうだったので、それが嬉しかったことを覚えています。

いつか先生みたいな素敵な旦那さんを見つけたいものです。
29歳 男性のストーリー
私の初恋は、小学生時代に始まります。
持病があり、幼い頃より入退院を繰り返していました。
その人は、私が入院してくる度に話しかけて来てくれました。
3つ年上の彼女。
笑顔が素敵で、良く笑う女の子でした。
入退院を繰り返してた私、当然その子と会う回数は増えていきました。
笑顔が明るくとてもよく話すその子。
自然と周りに人が集まっていき、病室の人気者でした。
会話の輪に入っていけない私は、常に遠目からその子を見ているだけ。
それだけなのに、とても幸せでした。
誰にでも平等に接することができるのも、その子の1つの魅力。自然ととてつもない速度で惹かれて行きました。
しかし、終わりは突然と訪れます。
何度目かの私の入院時、その子はとてもやせ細っていました。
そして、その数ヶ月後、その子は息を引き取り、私の初恋も終わりを告げることとなりました。

「誰にも言っていない秘密」

25歳 女性のストーリー
私が誰にも言っていない秘密は、子供の頃に買ってもらったペンギンのぬいぐるみに名前をつけ、大人になった今でもペンギンを飼ってるかのように可愛がっていることです。
ちなみに、ぬいぐるみが丸くてむにむにしていることから「おもち」という名前をつけています。
ペンギンは色が白黒なのもあり、時々おもちの黒い部分をなでなでしながら「黒ごまもち~」なんて言って遊んだりもしています。
おもちとはもう10年近く一緒にいるので私にとっては大切な家族そのもので、好きな歌手のライブの時におもちを鞄の中に入れて連れていったこともあり、ライブ後に家で「おもち~、○○さんに会えて良かったね!」と話しかけていました。
なので、将来の夢は私のそんな秘密も受け入れてくれる人と結婚することです。
29歳 男性のストーリー
会社の共用パソコンを使用するときに、
メールのアカウントがログインしたままになっていることに気が付きました。

普通はログアウトしておくのがルールなのに誰か忘れているのかな…と思い、
名前を確認してみると、
仕事の出来る先輩のアカウントが設定されていました。

本当はいけないことですが、仕事の出来る先輩はどんなメールを…と好奇心でメールをのぞき見てしまいました。
するとそこには、自分のことをあだ名で呼んでいる日記メールがたくさんありました。

ごめんなさいと思いつつ読んでみると、
今日19時から○○さんとホテル、最近使いすぎてお尻が痛いけど頑張ろう♪という一文が…
ルール違反なのでのぞき見したことも言えませんが、
ウキウキで定時に退社した先輩を見ると、この秘密は墓場まで持っていこうと思いました。
42歳 男性のストーリー
昔のホテルに勤めていた時フロントで飲み会をやる話になり
ホテルの冷蔵庫から大量のビ-ルを出して宴会をした。
夜も遅くなり酒もかなり回ってきて部下と一緒に調理場の冷蔵庫から
熊野牛やたらばがにを持ってきて洋食厨房からもオ-ドブルも作って持ってきて盛大に酒盛りをやったこと
恥ずかしい話だが後日談があり会社にばれてクビになってしまった。
今働いている同僚には決して言えない秘密です。
首になった後1歳の娘とおなかの大きい嫁を連れ会社の寮を出ていくときの自分の無様な事
2か月で貯金をつぶしてしまいもう駄目だと思ったときに就職先が決まり家族一同なんとか
生き残れた。親には転職したと話したが本当は泣きついて助けを求めたかった。
そこから何とか今まで子供も3人に増えて家を買って何とかやっていること。
実親義理親には死ぬまで秘密です。
60歳 男性のストーリー
仕事上、やむを得ないのですが。詐欺をしてしまった会社社長を、刑務所送りにしたことです。
ネットで、「丸紅の稟議書」て入れてみてください。この事件では、「ポンチ―スキーム」というニセ債権を発行し、それで”お金”を返さないというものでした。
これは、裏に「反社会的」勢力が介在していたのですが、「やめなさい」という指示を、立場上強く申し出ました。
でも、この会社社長は、むしろ「リスクとってください」と言ってきました。
でも、償還不能債権が約400億円は想定で存在していて、社会的規模も大きく、見逃せば世間的にも「恥」であることから、社長からの”申出”をこと断り、いわゆる会計士監査において、警告文言「この会社には、簿外債務について重要な”疑義”があり、会社として許せない」と記載し、この会社に「破たんに該当」とレジェンド(警告文言)を記載したのでした。
結果的に、この会社社長は香港に逃亡しましたが、ICPOの協力で、「逮捕」となり懲役刑が確定しました。
ちと生々しいですが、実際に起こった事件で、反社会的勢力からリベンジ受けたら損であるので、だれにも言えません。
世の中の会社社長には、こういう輩は実際存在します。
39歳 女性のストーリー
実は、前歯の差し歯が取れて、金属がむき出しのまま暮らしています。差し歯が取れたのは今年の初めですから、もう半年以上そのままにしています。
取れたきっかけは自分で作ったパン。このとき作ったパンがとんでもなく固く岩のようなものでした。本当なら廃棄レベルのものだったのですが、「せっかく作ったんだし、なんとかしてこのパン食べたい!」という手作りパンへの愛情(ケチ心も含む)が勝り、かったいパンを前歯でむりくり引きちぎった瞬間、ポロっ・・・。
取れた歯を治したいとは思っているのですが、私歯医者苦手なんです。実は親知らずの調子も悪く、今いったら絶対抜かれると思うと怖くて怖くて。普段はマスクをしてなんとかごまかしています。誰かに言ってしまうと「早く歯医者行きなさいよ。」って言われるのがわかるだけに言えない。はぁ、早く歯医者に行く決心を付けなくては。
36歳 女性のストーリー
私が誰にも言っていない秘密は実の父親に対してもう死んでくれないかな…と思っていることです。
私の父親は酒飲みのヘビースモーカーで自分の健康なんて考えて居ない人です。60を越えたあたりからタバコも酒も少し控えてと言ってきましたが『自分は大丈夫』と意味不明な過信をし毎日飲酒。非喫煙者の私や主人、更には1才の自分の孫の前での喫煙。野菜の少ない塩分高めの食事。気付いた時には糖尿病で足の神経に異常あり。
その途端に気弱になりこちらに同居での介護要請。
足が痛いからと家で寝てばかりの生活をし、アルツハイマー型認知症まで発症してしまい生活に影響が出てくるようになりホームヘルパーやデイサービスにお世話になることを提案してもプライドだけは人一倍高く拒否。
元々短期だった性格にも拍車が掛かり怒鳴り散らす。
こんな性格なので一緒には暮らしたくないです。
誰にも言えませんがもういっその事死んでくれたら…なんて思ってしまいます。
22歳 女性のストーリー
水商売をしていた頃、かなり稼げていたのですがホストクラブにハマってしまい毎月数十万円から多い時は100万近く使っていました。流石にお金がもたなくなった私は風俗を考えましたがその度胸はなく、また親から風俗したら戸籍から外すと脅されていたので風俗も出来ず、借金を作るのも怖かったので、とってもグレーというかブラックな仕事ですが女の子をホストにハマらせて風俗で働かせるようにホストと手を組んでら女の子のヘルスやソープ、性感エステやAVなどの仲介役(スカウト)をして稼いでいました。ハマらせるのはキャバ嬢とかではなく、その辺にいる普通の女の子でした。ハマってしまうのは女の子の自己責任ですが、そんな仕事をしていたなんて誰にも言えません。
34歳 男性のストーリー
完全な秘密ではないんですが、自分自身の趣味が鉄道模型(Nゲージ)を集め、それを貸しレイアウトというお金を払って、レールと街のジオラマが整備されたスペースで走らせる事をやっていますが、某SNSでは走らせている姿を上げているものの、所有する車両の紹介までしてはおらず、推測になりますが、所有両数は500両くらいになっていて、かけた総額も推測で200万円位になっているかもです。高々、ただのオモチャで何でそうなるんだと思われますが、所有する全て新品で買っていったという訳でもなく、新品で購入した物もあるものの、一部車両(例:蒸気機関車)の単価が高かったり、また鉄道模型は1度の生産で一般的なオモチャの様に大量に作る訳でもなく、さらに商品ラインナップから無くなりカタログ落ちではなく出てからしばらく経っている商品等は中古市場で人気車両の場合、定価~倍になってしまう事はよくあり、他にも貨物列車関係ならコンテナは基本バラ売りで新品だと単価的にもそこそこでチリ積になっていくので、かなり負荷になっていきます。多分、鉄道模型関係コレクターの方はこの経験される事はあるあるだと思いますが、行き付けの貸しレイアウトがある某チェーン鉄道模型店で見かけるお店の車両貸し出しでお試しで走らせる子供を連れた親御さんに言いたい事としては、お父さんがやっていたりなら良いんですが、0からで幼少期からの趣味としてはお金がかかるのでオススメしません(苦笑)。
25歳 男性のストーリー
私は至って真面目な人間のように見せかけていますが、非常に女性のことが好きだということです。いわゆる高学歴で、真面目に生きてきたため、誠実そして堅実というのが周りのイメージだと思います。しかし、今までの女性遍歴は真面目とは言えないものです。初体験は彼女ではなく、大学で知り合った付き合ってもいない後輩です。大学時代に彼女がいたときには何度か別の女性に手を出してしまいました。彼女と別れてからは拍車がかかって、セックスフレンドを何人か作り、大学卒業前には卒業旅行と銘打ってセフレと旅行に行ったりもしました。社会人になった今は、あまりそういうことがありませんが、いつでもその気になれば狼になる自信があります。
27歳 男性のストーリー
出会い系アプリを利用しています。
私は、彼女もいなく既婚者でもないです。
なので出会い系アプリを使っても大丈夫です。
しかし私は、実家暮らしです。
親に、このアプリを利用している事を知られるのは恥ずかしいので秘密にしています。
親はスマホをもっていないので、親が何かを調べたいとは僕が代わりにスマホで検索しています。
検索結果を親に画面で見せます。
その時に出会い系アプリの通知がこないかいつもヒヤヒヤしています。
親がスマホの画面を見ているとき、私はスマホの上の方を見て『今、通知くるな』と思っています。
そして友達にも出会い系アプリを利用している事は言っていません。理由はやはり恥ずかしいからです。
出会い系アプリで出会った人と結婚した友達もいるので
すが、やはり私はその友達にも言えません。
私は出会い系アプリに対して敏感なのでしょう。
27歳 女性のストーリー
特に私は秘密主義者ではないので、1人で秘密を抱え込むようなことはありません。ただ、他の人がこれ秘密だからねと言われたことに関しては決して口外することはありません。つまり、私の誰にも言っていない秘密とは、私自身の秘密ではなく、他人の秘密そのものだと思います。もしくは、私が無意識のうちに何かを秘めているかもしれませんが、自覚しておりませんので、これは私は自分の秘密として認識していないということになりますので、これは誰にも言っていない秘密とは言えないと思われます。そもそも、秘密なのだからこっそりと話せるくらいなら、もはやもうそれは秘密ではなくて、いつか話そうとしていた話のネタというものなのではないでしょうか。
33歳 男性のストーリー
誰にも言っていない秘密は知られたくない事になりますのでこのように自分を特定されない場合においてのみ教える事ができます。秘密はたくさんあるのですが、教えれるレベルの話をします。中学生の時に可愛いと思う子がいました。塾が一緒でした。話す機会はありませんでしたので、一方的な好意でした。その当時は性に対して目覚めてました。何かその子に触れたいと思うようになり、その子の靴を舐めました。興奮はしましたが、もちろん苦い感じでよくはありませんでした。他にはその子が捨てたであろう空き缶を舐めたり、噛み終わったガムを噛んだりした事があります。それ以上はエスカレートすることはありませんでした。またおそらく誰にもバレていないと思っています。今では考えられませんし、誰にも言えないおかしな行動です。
39歳 女性のストーリー
会社の上司に惹かれていたこと。ポーカーフェイスで、でも優しくて。最初から意識していた訳ではないけれども、直属の上司になってしばらくしてから気になり出した。日焼けした肌や、意外とずんぐりした指先。気付いたときには、その人の声や仕草に目を奪われて意識していた。個人面談のときに、個室で二人だけになるときは緊張してドキドキして、いつも以上に笑顔が多い上司に、胸がキュンとしすぎて息切れしてしまったり。気になり出したのが先だったか、夢を見たのが先だったか忘れてしまったが、夢の中で口づけされたこともある。そんなことはありえないはずなのに、まるで本当の出来事のように心に残っている。その人には、社内結婚の奥様も、お子様もいらっしゃるので、現状を変えようとは思わなかったが、二人で喫茶店で話し合いをしていて、ふと会話が途切れたときには、夢の続きのように、脈絡なく突然手を握られたりしないだろうか、と勝手にひとりでドキドキしていた。叶わぬ片恋は、誰にも言わず、誰にも迷惑を掛けず、心の中にしまっておく。
31歳 女性のストーリー
顔をいじっていることです。メスを入れたりはしていないのですが、小顔にするためにエラにボトックスという注射をしたり、鼻の形を整えるためにヒアルロン酸を入れたことがあります。どれも時間が経つと吸収されて消えてしまうものなので、今は特に効果は残っていませんが、当時はかなり効果が出ていて今とは結構違う顔付きになっています。あのままいじるのを続けていたらエスカレートしていたと思いますが、お金もかかるし思いとどまってそれ以上することはありませんでした。当時は化粧がギャルっぽかったので、彼氏とかには昔可愛かったとかからかわれますが、化粧どころではなく顔も少し変えていたとは言えませんでした。親にも言ってないし友達にも自分からわざわざ伝えていませんが、わかる子にはわかっていたかもしれません。
43歳 男性のストーリー
中学生の頃、海釣りに行っていました。磯場だったので、近くにお店もなく、もちろんトイレもありませんでした。近くに民家が何軒かありました。最初は我慢していました。まあ、いつものことだから、そのうちおさまるだろうと思っていました。例のごとく、一回目の波は乗り切りました。そして、二回目の波がやってきました。ダメダメダメだと、何とか乗り切りました。その間は、何も飲まず、何も食べずに過ごしました。しかし、そういう時は必ずと言っていいほど、三回目の波がやってきます。我慢我慢我慢して耐えていましたが、ブチっとお尻の穴がゆるみ、少しヒヤッとしました。その瞬間、もう我慢しきれないとあきらめました。お尻の穴をふさぐことを我慢することを。生まれて初めて、外で、海で、野ぐそをしました。
52歳 女性のストーリー
他界した主人との出会いが、今では普通になっているけどネットでの出会い系でした。
周りのみんなには友人からの紹介で知り合ったっと言っていましたが、これは2人だけのひみつでした。
そのまま主人は他界してしまって、今では私だけしか知り得ない事です。
偶フィーリングも合って、同じ価値観で同じ思考だったので偶然が重なった事で私達は出会う事ができましたが、
その当時はネット系での出会いは信頼性がなかったので、2人で隠し通しました。
主人としりあった事は後悔していませんでした。
今は出会い系アプリが沢山あるので未亡人となった今でも活躍して新しい出会いをしてみたいとは思っています。
今はどのマッチングアプリが安心で、良い方々がいらっしゃるかをリサーチ中です。
29歳 女性のストーリー
職場の人によく食事をご馳走になっていますが、相手のことを好きではないことです。連れて行ってもらえるお店が銀座や六本木の、1人2万円以上のコースとグレードが高く、写真がインスタ映えすることや、23時前には帰してもらえるので安心できる点は気に入っています。ただ、相手の話がとにかく面白くないので、毎回適当な相槌を打っているだけです。いい歳してみっともない人だと軽蔑している部分もあります。また、高級感のある食事は見た目は綺麗だけど食べた気にならないというか、大衆向けの串カツ屋なんかに連れて行ってもらった方がずっと嬉しいです。次回からは断ろうと思っているのですが、よい断り文句が思いつかないので結局また付き合ってしまうと思います。
46歳 女性のストーリー
私には、夫もいますが、恋人がいます。恋人は一回り年上です。私が落ちているときや疲れているときに、いつもそばにいてくれます。つまり、不倫ということになります。これは誰にも言えない秘密です。彼と過ごす一部始終が秘密なのですが、仕事だといって帰らない日も時々あります。家族には申し訳ない思いもすごくありますが、私も彼に頼らないともたないので、そのことを秘密にして関係を保っています。この秘密は、バレたら何か言われるだろうと思います。軽蔑する人もいるだろうと思います。でも、今の夫にはできないことです。人生経験豊富で優しい彼だからこそ、受け止められるのだと思います。それもあって、秘密にしながら私たちは会い続けています。
35歳 男性のストーリー
投資をしている事です。自由に使えるお金があるのでそれを投資に回しています。通帳にお金を預けていても増える事はほぼありません。そのお金をずっと保管していてももったいないと判断したからです。もちろんやみくもに投資したわけではなくそれなりに勉強したので現在も継続しています。投資を始めた理由は将来のためいずれ大きなお金が必要になるだろうと思ったからです。株やFXなどハイリスクハイリターンはやれる自信は全くありませんした。それであれば先を見越して長期間を目的とした投資信託が自分に合っているのではないかと思うようになり現在に至ります。投資金額ですが、それなりに大きいので家族には言っていませんし言うつもりもありません。
40歳 女性のストーリー
ずいぶん昔の話になりますが、高校生の時に友人が片想いしていた男子を好きになってしまいました。
最初は、応援するといったもののいつのまにか好きになってしまって、どうしたらいいのかも分からず誰一人として私の気持ちを知る人はいませんでした。
卒業してしまえば、自分の思いは消えると諦めることしか考えていなかってたからです。
それから卒業までの1年間はとても辛い学生生活でした。
ですが、卒業も数日に近づいていたある日、私が片想いしている男子の友人から呼び止められ、呼ばれた先に片想いの人がいて、いきなり告白されました。
予想もしていなかった出来事にアタマが真っ白になり思わず、好きな人がいるから付き合えない!と断りました。
告白されたことも片想いをしていたことも誰にも話したことがありません。
41歳 女性のストーリー
独身の時に、はじめに勤めた会社を退職し、10カ月ほど無職でした。失業保険受給中に職業訓練校に入校し、勉強をしていました。同じクラスの中に美人な人がいました。結婚退職し、スキルアップのために訓練校に入ったということでした。そんななかで5人ほど気が合う人たちがいて、ちょくちょく外食しに行ったりしていました。
職業訓練校がおわっても3から6カ月に一回は集まってご飯を食べたり、再就職先の話をしていました。
そうこうしているうちに美人の子が離婚したと行ってきました。まったくご主人の愚痴など言わなかったのでまさに青天の霹靂!そして、三か月ほどで再婚しました!こっちにもびっくり!
美人な人はすごいなぁって思ってました。
一方私のほうは独身のまま、地元の友達つながりで合コンに参加することも度々でした。
地元中学の友人関連の合コンで初めてあう銀行員がいました。
プッシュが強くて、二人で飲みに行ったりしていましたが、名字が美人の子の前の苗字と同じ(よくある苗字だったので、すぐには気付かず)。職業も、勤務先のエリアも同じなんか怪しいと思いつつも決定打がなく、もやもやしていました。
そうこうするうちに、なんだか告白されそうな雰囲気を出しだしたので、これはいかんと思い、思い切って元妻の名前を聞いたらドンピシャでした。

33歳 女性のストーリー
確か中学2年生の時です。英語の授業中でした。
当時かなりの内向的だった私は人前が苦手で自分の意見が言えませんでした。
その英語の授業の時は先生が前に座り、別の事をして生徒は自習をしていました。教室がシーンと静かでみんな集中しているとき、私はトイレに行きたくなったんです。
でも手を上げて先生に
『トイレに行きたいです』
とは言えるわけもなく、ひたすら我慢我慢我慢…
こういうときって全然時間が進まないんですよね。5分経ったかなと思って時計を見ても1、2分しか経ってないんです。私のお腹は限界を迎えました…
そう!中学生にしてお漏らし…
消えてなくなりたいくらい恥ずかしかったです。
周りの男子が気づいてドン引きしてました。トホホ…。

これは墓場に持っていきたい!
21歳 女性のストーリー
私はバイセクシャル(両性愛者)ということは公言しているのですが、唯一恋愛感情を抱いた女性がいるということが、誰にも言っていない私の秘密です。その女性と出会ったのは私が高校3年生のときで、相手の女性は私が入ったNPO法人のとある支部の先輩でした。ショートカットでボーイッシュな服装、一人称は「俺」でしたが、内面はとても女性らしく乙女な部分があり、また私がバイセクシャルであるということも寛容に受け入れてくださいました。なぜ私がこの女性を好きだったことが誰にも言っていない秘密かというと、その女性が支部のトップと交際しており、半同棲をしていたためです。当時高校生だった私には、自分の上司の交際相手に告白をすることは難しいことだったのです。
23歳 女性のストーリー
誰にも言ってない秘密はパパ活をしようとしてる事と、イケメンを探して恋愛をしようとしている事を妄想する事です。
ドキドキ感や、ハラハラ感みたいなスリルのある事をしてみたいです。
今は結婚してるのでとりあえず頭の中での妄想でしています。
イケメンとのデートを妄想してみたり、連絡取っててどういった内容を送ろうかなとか、パパ活なら子供を預けてどういうおじさま達とどんなプランで過ごそうかとか。
元々妄想するのが好きですがそれを誰かに言ったりとかは出来ないのでずっと自分の中に溜めています。
もっと言えば架空の人物ではなく、好きな俳優、好きなジャニーズ、歌手、ダンサーなども頭の中に出してきて付き合ってたり、デートしてたり、あんなことやこんな事の妄想をしています。
28歳 女性のストーリー
家族には言っていませんが、結構借金を抱えてしまっています
どうしてもストレスが溜まると、散財してしまう性格らしく、お菓子や現金だけでは買えないようなものをクレジットなどでついつい買ってしまい、支払いがやばい、みたいな状況に陥ってます
ですが、基本学力や資格も全然なく、アルバイト生活から正社員になりたいと思っても、なかなか雇い先が見つからない現実があります
元々イラストを描いたり、デザインするのが好きなので、そっちの道も考えたのですが、フリーランスでやっていける技術も実力もまだまだなので、正社員で働きながら、借金を返し、自分の憧れのイラストやデザインの仕事をまずば副業でしてみたい
というのを家族には言ってないので、秘密、ということになるかと思います
35歳 男性のストーリー
実は私は100万近くの借金があります。
社会人15年目になりますが、ギャンブルや風俗、エステにハマりかなりの浪費をしました。特にエステは中国エステや韓国エステなど回春やアカスリがメインのお店を、500店舗以上経験しました。このエステの気持ち良さと女の子と話しが出来る楽しさ、ドキドキさが今でも辞められません。
この話は会社の人には勿論、家族にも話したことは有りません。私は見た目が真面目そうに見え、かつ真面目に仕事を取り組む人間だと、よく周りの人間から言われます。まさか風俗やエステにハマり、借金を作ってるだなんて誰も想像が出来ないと思います。子供が出来たので以前ほど浪費してませんが、アジアンエステは今でも通ってます。
41歳 女性のストーリー
仕事の後、お腹が空きすぎて、家族と夕飯を食べる前に一人で先に食べてしまう事が時々あります。家族にはわからないように、その後もう一度家族と一緒に夕飯を食べます。太らないように控えめにしたり、他の食事の量を控えたりと気をつけていますが、さすがに少し太ってきました。隠さなくてもいいけど、何故か気まずくて家族には隠れてしてしまっています。たまに1人で食べる時食べすぎてしまって夕飯の時にあまり食べられなくなる事もあるのですが、食欲がないと思われ心配してくれる子どもたちや主人に申し訳ないと思いつつ、言えません。恥ずかしい事ですし、本当にしょうもない話なのでどうか秘密でお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。以上です。
28歳 女性のストーリー
私の誰にも言っていない秘密は、
美容エステに200万年以上つぎ込んでしまったことです。
20代前半のころ、ダイエットをして痩せたのをきっかけに、お肌も白くきれいにしたいと欲を出してしまい、せっせと月に1?2回、エステに通い、20000円程する施術を受けていました。
もちろん、化粧品もフルセットで揃えて、初期費用が10万程でした。
高いだけあり、効果はかなりあり、周りの人からも、肌の調子いいね、色白だね!と言われるようにまでなったのですが、そのせいでかなり貧しい生活を送っていました。
いつも、お金がないのを、お給料が少なくて大変!という風に装っていましたが、貧乏の主な原因がエステにお金をかけすぎとは、とても恥ずかしくて、誰にも言えない秘密です。
37歳 女性のストーリー
誰にも言えない秘密があります。それは、大人になって「おねしょ」したことがあります。たまたま1度だけ。と言うものではありません。自分は病気なのではないかと心配になるレベルで「おねしょ」してます。大人になってからの「おねしょ」は大学生になってからでした。普通にズボンも布団も濡れるレベルの「おねしょ」でした。その後も、大学時代何度か「おねしょ」してます。次は、30歳過ぎてからです。同棲していた彼氏の横で。幸い、スウェットを履いていたので、布団はほんの少し濡れた程度で、何とかごまかしばれませんでした。漏らしたとすぐ気づき、シャワーでこっそり洗い流し着替え、タオルを敷いて布団意入り、彼氏のほうが先に家を出るので、出るまで布団の中で寝た振りしていました。その後、速攻でシーツを洗い布団はファブリーズ拭き掛け捲り1日中外に干して乾かしました。そのときの冷静な対応は、何とも手馴れたものでした。
色々調べてみると、大人の「おねしょ」は精神的なものが原因となっていることがほとんどだと。思い返してみると、大学時代は様々なストレスで大変だった時期でした。同棲時代はいつまでも結婚してもらえず、毎日毎日不安との戦いの日々でした。
いまは、落ち着いていますが、、、
誰にも言ってない秘密。もう、これ以上黒歴史増やさないまま、墓場まで持っていきたいです。
25歳 男性のストーリー
爆破バンコク在住なのですが、度々女の子と知り合う機会があります。もちろんそこからデートをし始めるのですが、みなさんご存知の通りバンコクはレズ、ゲイ、色々な人がいます。
ある日僕がバーで知り合ったことデートをすることになりました。バーで少し会話をしたところ、特に違和感も感じずいい子だなあと思っていました。デート場所は少し人が多いデパート。待っているとやって来ました。うん。女の子。
そう思いながら、楽しいデートもあっという間に終盤へ。
そこから少しお酒も入っていたことから、相手の家に行くことに。綺麗な家だなーと思いながら、ゆったりしているとその子が服を脱いで近づいてきました。まさかあそこには、男のものがついていました。
僕は自分の目を疑いながら気づいた頃には行為も、終わり誰にも言えない秘密になりました。

「死ぬかと思った話」

49歳 男性のストーリー
夜中にドライブしている最中の出来事でした。
車で走っていると急に目の前に正面を向いたまま停止している車が現れ、急ブレーキ。左側が空いていたので車を滑り込ませて何とか衝突は避けました。
安全な場所に車を止め、先ほどの車へと向かい乗っている人を確認し話をしたら、スピンをしてガードレールに衝突後、現在の位置で停止し動かなくなったそうで当人には怪我もなく無事でした。
しかし、そのままほっとくわけもいかず、事故処理の手伝いをしました。三角の反射板を出し、後続車に気づいてもらえるように道路に立って誘導しました。
何台かは無事に誘導したのですが、一台が猛スピ-ドで走ってきました。そのときに
正面に立って懐中電灯をつけ誘導しようとしましたが見えていなかったのか、わたしを引き殺すかのような勢いで近づいてきました。とっさのことに体が動かず固まってしまい眼を閉じましたが、ツレが腕を引っ張ってくれたおかげで車にひかれずに済みました。その車はその勢いのまま停止していた車に追突してしまい。結局二次災害を出してしまいました。あのとき腕を引っ張ってもらえなかったらと思うとゾッとします。
49歳 男性のストーリー
友人たちと海に行き、遊んでいました。私は学生時代に水泳部だった為に泳ぎは
そこそこ自信があったために岸から大分離れた場所まで難なく泳いでいきました。
大分岸から離れたので足が海底につかないような深さとなっている所であり
水温も低く感じたので、そろそろ帰ろうかと思い岸に向かって泳ぎだしました。
ところが、いくら泳いでも岸から離れていくのです。海底に足もつかない深さの
所であり、本当に焦りました、死を覚悟しました。とりあえず、一番スピードの出る
自由形・クロールで岸に向かいましたがあまり進んでいないみたいでした。
そんな中、ふと離岸流の事を思い出し、対応ぱ岸に直角ではなくナナメに
泳いで行けば良い事を思い出し、無事に帰還することが出来ました。
海には遊泳禁止の所にはちゃんと意味があると実感しました。
自然をナメてはいけません。
36歳 女性のストーリー
小さい頃からスイミングスクールに通っており、泳ぎには自信がありました。夏休みは毎年母方の実家に行き、近くに海があったのでよく泳ぎに行っていました。
小学生の時の話ですが、泳ぎが得意だったのもありいつも行っていた海では無く少し波が荒い海に父親と弟と行きました。弟がまだ小さかったこともあり、父親は弟を見つつだったので1人で海に入り結構奥まで泳ぎに行ってたらおぼれてしまいました。
海水を相当な量飲んでしまい、もう無理かもと思った時、たまたま近くを泳いでいたダイバーさんが助けてくれました。私を抱きながら泳ぎ、近くにあった岩にあげてくれました。そこまで父親が泳いで助けに来てくれて何とかなりましたが、あの時は本当に死ぬかと思いました。
32歳 女性のストーリー
飲食店を経営していた時の話です。
お店は少し治安の悪い場所にありました。
お客さんは個性的な方が多かったです。ある日、近所の店から私の店のことを聞いたと、新規のお客さんが来て常連さんになってくれました。
何回か来てくれていたある日。「ツケで飲ませてくれ」と言われたので、お断りしました。

1週間後にまたきて、カウンターに座るなりビールと言われたので、ビールをお出しして一緒に飲ませていただいていました。そしてお会計時に「財布がない!ツケにしてくれ!」と言われ、明らかに嫌がらせだと思い警察に連絡しました。その途端、今まですごく良い人だったのにいきなり店の中で暴れまくり、椅子やコップなどを投げまくり、私にも掴みかかってきました。
殺される!と、思ったタイミングで警察が駆けつけくれ、警察に連れて行ってもらいました。あの時、警察があのタイミングで来なければ…と思うと、今でもゾッとします。
46歳 女性のストーリー
風がつよい平日、会社の車で、レインボーブリッジを走っていました。運転するのは先輩の男性社員、私は助手席に座り、後部座席には、営業マンが2人乗っていました。
得意先に向かう途中だったので、少し急いではいましたが、安全運転で進んでいました。すると突然、前を走っていたトラックの荷台から鉄の板のようなものが飛んできたのです。一瞬のことで私はぎゃーと声を上げましたが、その後見てみると、車のフロントガラスに当たってヒビが入っていました。
鉄の板は橋の下に飛んできました。
運転していた同僚は、冷静沈着で、ちょっと車体が揺れたものの、しっかりハンドルを握っており、大事故になりませんでした。それで本当に助かりました。運転技術が未熟な人だったら、動揺して大事故になっていた可能性もあります。
助手席に座っていた私は、鉄の板が目の前に飛んでくるのを見た瞬間、本気で死ぬかと思いました。
24歳 女性のストーリー
彼氏と他県のアウトレットに出かけた時の話
数回行ってことがあったが、毎回通って行く道は決まっておらずいろいろ試してみて行きやすい道、早く辿りつける道を探している模索段階でした。
その日もナビで3パターンくらいの行き方を提案され、前回とは違う道を選択しナビに従って運転してもらってました。
ちょうど県境を越える時、道が急に狭くなり周りは森が広がっているためUターンも出来ず、ただただ森を突き進むしか選択肢がないような状況になりました。道も舗装されているようでしたが、何年も誰も通ってないのではないかと思うほど、石や枝が散乱してました。
その日はたまたま普段より大きめのボックスカーに乗っていたため、道幅は狭く山を登るにしても曲がるにしても、とてもギリギリで少し傾いてしまったら隣の崖から転落するのではないかとヒヤヒヤしてました。
しかもその山道に終わりは全くみえず、1時間ほどここで私達は遭難して誰にも見つけてもらえず死んでしまうのだろうなと考えて進んでいました。
最後は無事に道が広がり、人が住んでいる場所にたどり着けて助かりました。
目的地にもたどり着けました。
しかしいくらナビに案内されてももう二度とあの道を通っては行きたくないと思ってます。
21歳 女性のストーリー
この話は2年前のことです。
地元での就職が嫌だった私は、高校を卒業して
2週間後くらいに、地元を離れて就職するために
愛知県にお引っ越ししました。
就職をして1ヶ月間は何もなかったのですが、
GW明けくらいに、お仕事が終わって帰宅しているところに事件は起きました。
私は飲食店で働いていたためその日の、
23時過ぎくらいにお仕事が終わり終電間際の
電車で最寄りの駅まで帰りました。
駅から歩いて徒歩3分くらいのところに
自宅がありました。
自宅まで歩いて帰り、ポストをあとにし
自宅の鍵をあけ入りドアをもう半分くらい閉めていた
その瞬間、ドアが「バッ!」って開き
知らない男性が自宅に入ってき、ドアを閉め
周りをきょろきょろした後、
「1人?1人だね」と言われ鍵を閉められました。
私は死ぬのかなっと一瞬思いましたが
ここで死んではいられないと思い
その方を追い出しました。
あの時は、本当に死ぬかと思い
すごく怖かったです。
35歳 女性のストーリー
私がまだ、小学校低学年だった頃のことです。
家族でお出掛けした帰りに、電車に乗るために駅に向かっていました。その時兄弟や両親と競争したい気分になり、駅まで走っていました。駅の直前、とても広い道路で、車の交通量も多い道を渡るのに信号が有ったのですが、当時走っていたのと、初めての場所だったこともあり、信号にまったく気付きませんでした。
そのまま赤信号なのに、ひとりで走って広い道路を横断してしまいました。その時も車はたくさん有ったのですが、幸いどの車も停まってくれたので、ひかれずに済みました。今振り返りますと、あれだけたくさんの車がいたのに皆停まってくれたことに感謝すると共に、私もひかれてたらと思うと危なかったですが、急停車が原因で後ろの車からのからの衝突事故などもなくて、本当に良かったと思います。
52歳 女性のストーリー
2年程前、大病を患って手術をした時の事です。全身麻酔で6時間にも及ぶ手術でした。麻酔から覚めつつある時だと思うのです。そこは真っ暗だけど、痛くも苦しくも切なくもない暖かい闇の中でした。本当に気持ちの良い場所で「居心地が良いな~もう、ずっとこのままがいいな~」と思いながら再び目を閉じようとすると、遠くの前方から「こっちへおいで~」と何度も何度も呼ばれている気がするのです。ふわふわと暗闇を漂いながら、「呼ばれている方へ行こうかな~」とそちらへゆっくり向かい始めまたその時です。「○○さん!!」と大声で呼ばれ、「はっ!」と目を開け現実に帰りました。その瞬間、「呼び戻された、」と感じ、向こうに着いたら死んでいたんだろうと思いました。三途の川は見ませんでしたがその手前の場所だったのかもしれないと思っています。
22歳 女性のストーリー
人生で初めてパニック発作を起こした時です。
電車の中で急に息苦しいくなり、同時に猛烈な吐き気が襲ってきました。しかし、電車の中なのでここで吐く訳には行かないと思い次の停車駅までなんとか吐き気を我慢し、息苦しい中頑張って息を吸っていました。
そして、つぎの停車駅についた時には普通に歩くことも出来ず、電車の地面を這いつくばって、ホームに降りました。そこで、力つきてしまい倒れてしまいました。
倒れて意識を失っていたのは数分程度だったのですがすごく長い間意識を失った感覚でした。目が覚めてからも吐き気は続き自力では立ち上がれないほどだったのでそのまま、救急車で緊急搬送されました。
初めての体験だったので本当にこのまましんでしまうのではないと思いました。
48歳 女性のストーリー
私が22歳の頃の事です。夜に彼氏と会って朝、車で家に帰ろうとしたら急に眠気に襲われて、カーブを曲がりきれずに車が横転しました。目の前がぐるっと回転して死んでしまうかもしれないと思いました。通りかかった方が車から抱きかかえて車から出してもらい、助けてもらい、家まで送ってくれました。一応、整形外科で脳の検査をしてもらい大丈夫だったので安心しました。車は廃車になり、車両保険で新しく中古車を買いました。車の処分もいつもお世話になっている車屋さんにおまかせしました。
それから、25年後、私は47歳になりましたが、精神科の病気にかかってしまい、車を処分しないといけなくなり、車にはもう乗ることは出来ません。若い頃の無茶が祟ったのだと思っています。
33歳 男性のストーリー
大学の卒業旅行でバリ島へ行った時のことです。現地でスキューバーダイビングをする事になりました。私は初体験でしたので少し不安もありました。また泳ぐ事が得意ではありませんでした。そして現地の方の片言の日本語で説明を受けました。要は口からガスボンベ離すことなく、口呼吸すれば問題ないとわかりました。海の中は入り魚と戯れていてとても楽しい時間が過ぎていましたが、ガイドの方が写真を撮るから、口からガスボンベを話してピースサインをしようと言い出しました。この時友人と3名で来ていまして、他の友人は上手くできましたが、いざ自分の番になると外した時に口の中が海水だらけになりました。そしてピースをしていると息が切れたのでガスボンベを付けたところ海水が邪魔で吸えません。吐こうとしても吐かないし、苦しくなってきて焦りました。とにかく酸素がないと死ぬと思ったので、大量の海水を飲み口中を空っぽにして酸素を吸いました。この時海水が飲み干せなかったら、きっと溺れていたと思います。普通は口の中に海水が入らないように外す必要がありましたが、急にするようになってので今回のように死ぬかと思うような体験をしてしまいました。ある程度、練習は必要だと思いました。
41歳 女性のストーリー
・ある日いきなり、頭を後ろからドンキでおもいきり殴られたかのような痛みがあり、病院に行き、最終的には脳梗塞と言われた。その後意識を失い、臨死体験をした。それ以来、頭痛が起きるたびに怖い思いをしている。
・幼い頃かなづちだった私は、深いプールで溺れかけ、もうだめだと思った。
・熊本地震の本震で、マグニチュード7以上の地震が10分以上続き、体育館に避難していた私は、体育館が下から突き上げられるように跳ねて、上から電球が揺れ、10分超え、その時は絶対死ぬと思った。
・彼氏にあまりにショックな事を言われてしまい、過呼吸に陥り、荒い呼吸がずっと止まらず、意識を失いかけ、もう死ぬと思った。
・大嵐の中を、山道のカーブの道を車を運転してて、道路の向こうは崖なのに周りが見えない状態でずっと運転しててもういつ崖にてんらくするか!?って状態でもう死ぬと思った。
31歳 女性のストーリー
22歳の夏、当時付き合っていた彼氏と彼氏の友達と4人でサーフィンに行きました。
その日は台風や近づいておりサーファーの人はたくさん来ていたのですが、海に入っている人はほとんどいませんでした。
人いなくてラッキーと思って海に入り波待ちしていたら次から次に波は来ますが、波はぐちゃぐちゃで到底立ち上がることもできずもう引き上げようと思ったとき中々大きな波に飲み込まれました。
まるで洗濯機の中みたいにぐるぐる回って上と下がわからなくなり必死にもがいてなんとか海面に出ることができました。
めちゃめちゃ苦しくて全部がスローモーションに見えました。
上がってきたら全員同じ状況だったみたいで疲労困憊。友達の1人はおでこにサーフィンの板が当たって流血してました。
調べたら台風のためその日その海岸はクローズのお知らせが出ていたみたいです。しっかり調べるべきでした。
海の事故毎年多いですがこうやって波に飲まれて上がれなくなって死ぬんだなととても怖かったです。
31歳 女性のストーリー
出産が痛すぎて死ぬかと思いました。陣痛の時間がとても短く、本来であれば赤ちゃんが少しづつ骨盤や産道を広げて外に出てくるものらしいのですが、赤ちゃんが陣痛開始からすごい勢いで外に出たがっていて、私の体が何も準備ができていない状態だったのでいきなり激痛に襲われました。そのかわり出産までの時間は普通の人の6分の1くらいでかなりのスピードだったのですが、腰もおかしくなるし、股もお尻まで避け、出血も大量で、短い時間にすべてが凝縮されていました。特に避けた部分はひどいもので、何針縫ったかわからないくらい時間をかけて縫われました。痛くて痛くてもう一生経験したくないので、もしまた妊娠できることがあれば、万が一に備えて痛みを緩和する処置を取ることを考えています。
28歳 女性のストーリー
まだ小学低学年だったころ、家にあった大きな飴玉を食べてる最中に謝って喉に詰まらせてしまい死ぬかなと思いました。
その飴玉は、普通サイズの飴玉を2,3個くっつけて大きくしたようなサイズで3cmほどありました。
もともとあまり食べ物をちゃんと噛まずに飲み込む癖のある私ですがそれまでで一度も食べ物を詰まらせたことはなかったので、今回も一瞬詰まっただけですぐ平気になるだろうと思いました。
ですが、飴玉はまだ食べたばかりだったので飲み込むことはできず、吐き出すこともできなかったので徐々に呼吸が苦しくなってきて子供ながらに喉に物を詰まらせてここで死ぬのかな……と思ったことを今でも鮮明に覚えています。
そのあと何とか飴玉を吐き出すことができ、難を逃れましたがそれ以来大きな飴玉を食べるのが少し怖くなりました。
27歳 男性のストーリー
私が17歳の夏休みに体験した"死ぬかと思った話"になります。

毎年夏休みは海に行きます、人の少ないお盆の時期を狙い地元の幼馴染や友人と電車で行ける範囲で午前11時には海に着き午後17時前には帰路に着ける軽めの遠出といった感じで恒例のイベントとなっていました。

お盆の時期を狙うので"人が少なく""遊泳可能"という場所は限られておりこの時は地元から電車、バスを乗り継いで片道3時間程度の海水浴場でした。

当日は風もなく泳ぐには丁度良い暑さの天候で自分を含めた5人の友人も目一杯泳ぐことができ満足でした。

時間も差し迫り最後にどこまで泳げるか挑戦しよう!という提案に乗り、体力を使いきり帰る想像をしていました。

一人一人満足し海に上がっていく中、私はこれだけ穏やかな波の流れなら自分が遠くまで泳げるぞ!と5人の中でも運動ができるという自信からどんどん先へ泳ぎました

他の5人が泳いだ地点であれば少し戻れば足も着くからどうってことはないと思っていた矢先ある地点を境に波が強くなり力を入れてどれだけ泳いでも戻ることができなくなりました。

浮いているのがやっとという状態でしたが海から上がった友人4人は荷物をまとめ着替えるために浜とは別の場所にあるシャワー施設に向かってしまい私のことは置いて移動してしまいました。

もう体力も持たない、このまま友人が着替え終わるまで待っていたら死ぬのではと感じました。

当然ライフセーバーの方などもその海水浴場にはいたのですが、混まないということだけを重視して探した海水浴場でしたので、そういう方の数も少なく、やんちゃな高校生ということもありライフセーバーのいる監視塔とは離れた所で泳いでいました。

いよいよ浮くこともままならない状態になり、死んだなと思いました。

意識も遠ざかりかけたその時偶然近くでウィンドサーフィンをしている大人の集団がやってきて私のことを救助してくれました。

ウィンドサーフィンを趣味にしている近くに住む会社員の男性でした、仕事が早く終わって来ていなければ取り返しのつかないことになっていたぞと救助後に駆けつけたライフセーバーの方々と一緒にしこたま怒られました。

無事に帰ることはできましたが、それ以降私は足のつかない所では泳ぐことができなくなり、夏は海に行くこともなくなりそれからは毎年山でBBQをするようになりました。

以上が私の体験した"死ぬかと思った話"になります。
40歳 女性のストーリー
友人と北海道旅行に行った時、帰りの飛行機が乱気流に巻き込まれてしまい、ずっと揺れていました。
凄く怖くて、このまま墜落したらどうしよう、とさえ思いました。
急降下をすることも数回あったので、アナウンスでは気流の乱れが生じていると言っていたけど、飛行機の不具合だったら墜落するんじゃないかな、と思ったくらいです。

航空機事故はまず命が助からないというので、このまま消えてなくなってしまうのかも、と思うと凄く怖かったです。
友人も同じことを考えていたそうで、無事に到着をした時の第一声がお互いに「助かった・・・」でした。
それまでに何度も飛行機に乗っていますし、この後も何度も乗っていますが、命の危機を感じたのはこの1回だけでした。
24歳 女性のストーリー
2月の真冬の日に、アパートの階段で足を滑らせてしまい、16段あるのですが、一番上の段から転がり落ちました。
新聞配達のバイトをしており、その日も配達があったので、その時は怪我の状態がわからないまま、痛みを我慢してすぐに配達に行きました。
家に帰って来てから見たら、両足あざだらけになっており、鼻もぶつけて赤くなってました。
仕事もあったため、我慢して行きました。
歩くのですら痛かったので、とてもきつかったです。
幸いにも、冬だったので厚着をしており、怪我はあざ程度で済みましたし、転がり落ちたときに、頭などはぶつけなかったのでよかったのですが、もしぶつけてたりしたら大変なことになってたなと思うと怖くなりました。
47歳 男性のストーリー
20代の頃、友達とキャンプに行きました。車を何台かにわけて乗り合いで現地に向かい、テントを張り、海で泳いだりして楽しんでいました。夕方ころ、バーベキューをしようと準備をスタートすると、食材や調味料の買い忘れがある事に気付き、数名の友達と一台の車で近くのスーパーに向かいました。その車は古い軽自動車で4人で乗りました。運転していた友達が、ふざけてハンドルを左右に切ってジグザグに運転し始めました。テンションが上がった私達は、悪ノリしてもっと大きくハンドルを切るよう煽りました。大きくハンドルを切った瞬間、車は横転しました。後はどうなったかあまり覚えていませんが、車は上下が逆にひっくり返って道路を滑って進んでいきました。ガードレールにぶつかり車は停まりました。幸いにも大きな怪我をした者はいませんでした。正直、死んだと思いました。
25歳 女性のストーリー
地元に居た時に原付を運転していて、車と接触事故を起こしそうになった
コンビニの早朝のバイトが終わり、住宅街や工場がたくさんある裏道のようなところを原付で走っていた時、
自分は直進で、車が曲がってくるときにドライバーさんに原付の存在を見てもらえなかったのか、それとも曲がれる距離だと思ったのかわからないけど目の前まで車が来て引かれると思った。
原付は黒だったけど、ヘルメットは白で服装も蛍光のオレンジなど明るい色を身につけてドライバーさんに原付で走っていることをちゃんと見てもらえるよう
個人的には色んな対策をしていたが、今回ぶつかりそうになった人はおばあちゃんだった。
ぎりぎりの所で車を運転している人も気づき、ぶつからないように少しよけていたのでぶつからずに済んだけど、あの時はさすがに死ぬかと思った。
37歳 女性のストーリー
誰でも華の時代があるといいます。私の場合は幼稚園の3歳から6歳までが華の時代でした。お遊戯会では主役、運動会ではリレーの選手等々、両親も祖母もとても喜んでいました。そんな4歳の頃でした。当時、マンションの3階に住んでおりました。母が買い物に出かけて行く時は、必ず窓から手を振っていました。「いってらっしゃーい」と大きな声で。危ないからやめなさいとよく言われていました。そう言われるほど、反抗したくなるものです。ある日同じように、身を乗り出して手をふっていたら、ぐらっと体が傾いて落ちそうになりました。必死に窓にしがみついて戻りました。子供ながらに、(死ぬかと思った・・・)もう二度と窓から身を乗り出す事はやめようと心に誓いました。そして、親の言う事もきくようになりました。
40歳 女性のストーリー
いけないとは思いつつ、移動する時間が長いのでついついながらスマホをしてしまいます。
電車やバスなど席に座っている時には何ら問題はないのですが、私は歩いている時にもながらスマホをしてしまうんです。
どこでもやるわけではなく、自宅から最寄駅の往復の道でしてしまいます。
危なかった兆候は多々あり、赤信号だと確認もせずに横断歩道を渡っていたということがありました。
運よく、クルマが来ていないタイミングで横断してしまっていたのでそれまでは危ない思いをしたことがなかったのですが、つい数ヶ月前、クルマに轢かれそうになってしまいました。
クルマの方が少しでも私に気づくのが遅かったら‥。
ブレーキを踏むのが、ハンドルを切るのがと考えるとゾッとします。
30歳 女性のストーリー
タイへ一人旅に行った時のことです。
行きの飛行機にトラブルがあったりして到着が大幅に遅れ、泊まるゲストハウスに着いたときにはもうヘトヘトでした。
すぐにでも寝てしまおうかとも思ったのですが、お腹も空いていたしお酒も飲みたかったので歩いて少しのところにあるコンビニへ行くことに。
すると、渡ろうとしていた横断歩道にバイクが突っ込んできて、頭が少しぼーっとしていた私は反応が遅れて、思い切りぶつかってしまいました。
意識はあったのですが思いどおりに身体が動かせず「なんか血が出てるけど、英語もタイ語も話せないし、あんまりお金ないし、知り合いもいないし、もしかしてこのまま死ぬんじゃないだろうか」とさえ思いました。
ですが、その場にいた地元の方々や、騒ぎを聴きつけてやってきてくれたゲストハウスのスタッフさん(日本人)に助けられ、無事病院で治療を受けることができました。
幸い後遺症の残るような怪我もなく、治療費も相手の負担で済みました。
56歳 女性のストーリー
8年前能古とです。東日本大震災。

忘れもいたしません。本当に津波を見て怖かった。

おかーさん今日私出掛けたくない。
娘の一言で私は救われた。

3月11日午後13時過ぎだった

私は娘がスチュワーデスになるために宮城県仙台の国際大学に見学に行くため気仙沼の南駅に切符を買いに行くはずだった。

税金の支払いもあるし、最初市役所にいってくるね。と私は娘にいった。

今日の空はおかーさん怖いよ。
長女の娘の可菜がいった。本当にいつもと違う空が悪魔のようにまるで、災害が起きるんじゃ。と言う予知も感じていました。

一生忘れることが出来なかった大地震。あなたは、山も家も飲み込んだ。

そして私たちの心もズタズタにした。
この恐ろしい怖さはなんだったんだろうか?
25歳 男性のストーリー
あれはカリフォルニア留学にきてから間も無く半年が経過した頃だった。ようやく生活のリズムを掴めるようになり、英語で話す日常会話もなんとなくであったが会話できるようになった。というのも、会話の上達の為に手当たり次第に大学キャンパスにいる綺麗な女性に声をかけていた。その結果、日本人男性では珍しく留学半年でなんとアメリカ人女性とお付き合いすることができたのだ。人生はこのように上手く物事は進むのだと勘違いしていた20才の青年が死ぬかと思った話をしたい。

2017年11月23日午後4時頃。気温は17度。天候は雨。

このような状況で私は5車線あるハイウェイを走っていた。その日は可愛い彼女の誕生日だった。午後7時にサンフランシスコにある海辺にある白を貴重としたレストランで待ち合わせをしていた。私は自宅周辺で誕生日プレゼントとして高級フリースと鮮やかな黄色の向日葵を購入した。私は良い買い物ができたとす満足して彼女の喜ぶ顔が鮮明に浮かんだ。直ぐにでも会って抱きしめたいと考えた。そこでいつもより強くアクセルを踏んでいた。私の心はすでにサンフランシスコにあり、心ここに有らずという感じだった。このような心情で運転していた時に悲惨な事故が起きた。右車線を走る一台のトラックがゆらゆらと車線を無視して蛇行運転をしていたのだ。私はこれは危ないと思い速度を減速しようとした。しかし雨の影響でブレーキを踏んでも減速しないのだ。その時にはハンドルも効かずに”死”という二文字が頭を過った。そしてトラックが私の車線に入ってきた瞬間、、衝突した。
私顔面にガラスの破片が刺っていて手もおかしな方向に曲がっていたのだ。加えて何故か分からないが大切なアソコが猛烈に元気なのだ。幸いにも先方はこちらに対して怒号が飛び交う元気があった。そんな中で医療班がきて私の服を全て脱がしたのだ。もちろんこれだけの大事故なので多くの野次馬が自分の方をみている。だかおかしい何故?どうして脱ぐ必要がある?その服を自分の首元に巻いて自分の息子がおおっぴらになっているじゃないか!!
しかも反り返ってるし。みんな見てるし。なんか二重の意味で死ぬかと思った。

PS搬送後は二週間ほど入院して回復。彼女はぐちゃぐちゃの花を受け取り自分の株が少し上がった様子だった。とにかく死なずによかった。
30歳 女性のストーリー
小学生の頃スキー部に所属していて、とある大会に出場した際、滑っている最中にバランスを崩して転倒してしまいました。その時股間にスキー板がぶつかって、めちゃくちゃ痛くてしばらく動けませんでした。大会は棄権し、痛くて痛くて早く帰りたかったのですが、同級生の男子が入賞したので表彰を見届けてから帰ろうと母に言われ、悶えながら待っていました。
さすがにこれはどうにかなってるのではという痛みで、恐る恐るトイレに行ってパンツをおろしてみるとなんと血まみれ!!股間を覗いてみると腫れていました。母に大変だと説明しようやく家に帰れたのですが、その後用を足してみたら、死ぬほど痛くて泣きわめきました。母が傷を見てようやく事の重大さに気づいたらしく、病院に連れて行かれ、医者に「あと何ミリかずれていたら尿の出口を変えなきゃいけなかったよー」と絵を書いて傷の状況を説明されました。小学生になんて残酷なこと言うんだ・・・。に小学生にして初の分娩台に乗って、傷の縫合手術をされました。縫合だけで済んで良かったですが、二度と怪我したくない場所です。
50歳 女性のストーリー
結婚して初めての冬、初めての雪道での運転。
雪道など車で運転してことがなかったので、本当にこわくて、そろそろと走っていました。
ゆっくり慎重に進んでいたつもりでしたが、トンネルを抜けた時、車がスリップ。
少しのカーブの後の橋の上に行きましたが、もう制御不能でした。
レーシングドライバーのごとく、右に左にハンドルを切り、最後は、橋にぶつかって止まりました。
その間、きっとほんの数秒だったのでしょうが、スローモーションのように時がゆっくり流れていました。
車は大破しましがが、ケガ一つなかったのが奇跡のようです。
あの時、対向車が来ていたら。。。。、あの時、もっとスピードを出していたら。。。と思うと、ぞーっとしてしまします。

「わたしの周りの大恋愛」

28歳 男性のストーリー
友人の男性がある女性と学生の頃から数年付き合っていました。
社会人になる時同じ県の職場で働く予定でしたが
女性側の親族が病気となり、仕方なく女性は実家に戻り
友人とは離ればなれになりました。友人は彼女のことが忘れられずに
遠距離恋愛を続けましたが、少しでも大変な彼女の力になりたいと
かなり遠方でしたが転職し、彼女と一緒に暮らせるように転居していきました。
しかし転居後すぐに大地震が起こり、仕事も住む家も友人は失いました。
友人は遠方の地であったため知り合いもいるはずもなく、
彼女とその家族に逆にお世話になる形になり何とか急場を凌ぎました。
半年後、仕事も新たに見つけ、やっと新天地で改めて過ごせると思った矢先に
今度は彼女の浮気が発覚しました。
彼女に思い入れが強く、本当に大好きだった彼は失意を通り越して
心から絶望したそうです。
今では彼は地元に戻り幸せに暮らしていますが
恋愛に対する恐怖心や抵抗はかなりのものがあり
克復するのに数年費やしたそうです。
32歳 男性のストーリー
私の友人が、これまで5年以上彼女がいなく合コンや知人の紹介で何人も女性とご飯いったがすべて実らず。
本人は正直イケメンなのだが積極的になれない性格から残念な結果ばかりだったのだが、昨年の1月に地元の居酒屋で人生初の婚活パーティに僕と二人で参加し、その中で一番かわいい(と思われる)娘に向こうの方から「連絡先教えてくれませんか?」ときてこの世の頂点にたった気分になっていました笑。
婚活パーティも終わり、二週間ほどたった日に「付き合うことになった」と連絡あり。はやいなーめでたいなーとおもっていたらその一ヶ月後に「結婚して婿にいくことになった」と報告が!
当初早すぎるよ、本当に大丈夫?と何度も話したがいまでは子供二人の立派な父親やってます笑
そのときのフィーリングというか、そういうものをお互い感じたんだそうです。人生、何があるかわかりませんね。
26歳 女性のストーリー
中学生の頃通っていた塾の先生(男)と生徒(女)の話です。個別塾の担当だったので、受験期の頃は毎日会っていました。先生はとてもめんどうみがよく、お兄ちゃんのような存在だったのですが、その子にだけは他の生徒と比べて特別な扱いをしていました。その子も先生のことを尊敬して、先生みたいな大人になりたい!と言っていたり。のちにわかったことですが、お互い両思いだったそうです。しかし、受験期もおわり卒業。一緒にいることはなくなりました。卒業してから連絡先を交換したものの、お互い多忙で会うこともできず、そのうち携帯が壊れデータが消えてしまい、連絡が取れなくなり、ただの思い出となってしまったのです。しかし、なんと10年後にたまたま駅で再会。「大人になったら一緒にお酒を飲もうね!」と話をしていたのが10年越しに叶い、そのままお付き合い、ゴールイン。あの頃はまさかこんなことになるとは思っていませんでしたが、今はとても素敵な夫婦です。
30歳 女性のストーリー
大学時代の友人が大恋愛を経て結婚しました。
彼女たちは大学時代からずっと交際をしていました。
誰が見ても美男美女の爽やかなお似合いカップルでそのまま結婚をするのであろうと思っていました。
しかし結婚となると本人同士だけではなく、家の問題がついて回ります。
彼女は2人姉妹の長女、彼氏は一人っ子、お互いに由緒正しい家柄であり、地元も離れていたため、どちらの家も譲れない状態が続いており、泣く泣く別れることを決意しました。
彼女は他に新しい人を探すも、どの男性ともうまく行かず、彼を引きずっていました。彼氏も然りです。
しかし元に戻ったとしても、一緒になれないことは目に見えていました。そんな中、彼女は実家に戻ることになり、遠距離恋愛に。その距離がかえって、2人の絆を深めることになったようです。
ある日彼氏は決心しました。彼女の両親を説得しに毎週末3時間かけて彼女の実家に通うことを。
最初は受け入れてもらえなかったものの、1ヶ月後には家に入れてもらえるようになったようです。
そのまま3ヶ月通い続け、遂に条件はありますが、彼女をお嫁さんとして頂くことを許してもらえたようです。
今はお子さん2人に恵まれ、両家ともに良好な関係を築けているようです。
21歳 男性のストーリー
友達が中学1年生の頃から一目惚れした女の子がいました。その女の子は学校の中でも可愛い子でした。その友達はずっと好きで中学2年の時に告白をしたのですが振られてしまいとても落ち込んでいました。それでも友達は諦めずに中学3年の時にもう一度告白しました。しかし、願いは叶わず振られてしまいました。
その後も友達は女の子を忘れられず彼女を作りませんでした。高校2年のある日、中学の同窓会を開くことになり僕と友達は参加しましたがその場に女の子はいませんでした。僕と友達は中学時代に女の子と仲が良かった子に、なぜ来ないのかを尋ねた。すると、女の子は現在闘病中である事が発覚した。女の子の病気は珍しく徐々に視力が弱くなり最終的には失明するというものであった。
その後、友達は女の子の事があまりにも心配で連絡を取るようになった。たまに直接会うようになり、病気の事なども話してくれるようになった。当時では、赤色が識別出来ないほど病気が進行していた。
ある日、友達は決心し、その女の子に3度目の告白をした。女の子は嬉し泣きをしながら告白を受け入れた。
後に女の子と仲が良かった子から聞いた話では、女の子も中学2年の頃から友達のことが好きだったらしい。しかし、病気の判明も中学2年の頃であり、交際する事は許されないと考え断ったそうです。
現在は違う大学に通っていますがとても仲の良いカップルです。
22歳 女性のストーリー
私の友達の話で、高校生の時に片想いをしている友達がいてその友達と彼は中学から一緒で4年も片想いをしていて、私がその彼と同じクラスで隣の席で初めて喋った相手でした。まさか友達の好きな人とは思わずにどうにかしてその友達のことを色々聞こうとしました。すると好きな人を聞いた時にその友達の名前がでて私が嬉しくなりすぐに報告しました。すると友達も泣いて崩れて告白しておいでと言ったのですが彼はモテモテで入る隙間がなく悩んでいました。それが2年も続きもうダメだと友達が諦めてた時に彼が私に相談してきました。告白してもいいんかなと言う相談でした。私はもう即答でうん!と返事をし友達に告白してきてやっと5年の片想いが叶う時が来て私が号泣した話です。
49歳 男性のストーリー
彼女と付き合っている男性がいました。あるとき喧嘩をして連絡を絶っていました。男性はそのことを会社内の先輩の女子社員に話していました。「大丈夫だよ」と悩みを優しく聞いてくれたことをきっかけに二人は良く出かけるようになりました。2カ月ぐらいたったころ、男性はこのままじゃいけないと思い、先輩女子社員に「彼女と会って復縁してくる」といいました。女子社員はその男子にひかれ始めていました。しかし「がんばってね」と励ましの言葉をかけました。女子社員は別の男性と付き合い始めましたが、その彼のことがいつも心のどこかに引っかかっていました。彼女と復縁した男性は、一時期は仲良くなりましたが1年半後に別れてしまいました。男性の方も先輩女子社員のことが引っかかっていたようです。しかし、先輩には付き合っている彼氏がいました。しかし、その男性は半ば強引に先輩女子社員に「あなたと付き合いたい。それも結婚を前提に」という提案をしました。彼氏がいる先輩はすごく動揺しましたが、丁度彼氏とうまくいっていない時期だったので、そのまま別れました。先輩女子社員の彼氏はかなり動揺したみたいですが、男性の略奪ともいえる行為は成功しそのまま2年後に2人は結婚しました。今では子供3人と一緒に仲良く暮らしているそうです。
35歳 女性のストーリー
年齢差26才。
女性20才、男性46才で既婚者でした。
男性に子供はおらず、家庭内別居状態とのこと。
お互い第一印象から惹かれあっていたようですが、男性が既婚者であるため、不倫はしたくないという理由から交際を断っていたそうです。
しかし女性も20歳とまだ若く、一度火がついてしまった感情を止められずにそのまま交際をすることに。
ただし、家庭内別居で夫婦関係は冷めきっているという男性の言葉を信じ、必ず離婚するという条件のもとお付き合いをすることを約束しました。
しかしそれから1年、2年と月日が経っても親の体調が悪くて話ができる状態じゃない。などの理由をつけて離婚してもらえず。結局4年の月日が経ちました。女性は彼との別れを告げ、年の差26才という禁断の愛は幕を閉じました。
34歳 女性のストーリー
友達がドイツ人の男性に一目ぼれし、結婚してドイツに移住しました。それまでは英語も全然喋れない子でしたが、たまたま初めて行った台湾旅行で、観光に来ていた彼に一目ぼれ。英語が喋れる友達に通訳してもらって、連絡先を交換しました。帰国してからは彼と話がしたいあまりにドイツ語を猛勉強して、ドイツ語がペラペラになりました。そして、覚えたドイツ語を武器に、彼に会いにドイツに行きました。そこで告白し、付き合うようになりました。しばらくはドイツと日本の遠距離恋愛になり、ドイツに行ったり日本に来てもらったりしていました。まさか自分が国際結婚するとは思っていなかったようだし、私もそうでした。今でも、英語は喋れないそうです。
34歳 女性のストーリー
私の友人は、学生時代に長くお付き合いしていた彼と突然音信不通になってしまいました。
彼が学生から社会人になったことで精神的なバランスを崩してしまったことが原因かと思われますが
結局詳しい状況はわからず、これ以上待てないと判断した彼女から
別れのメールを送り、その関係は終わったそうです。
彼の療養中の近況を尋ねるメールや、お別れのメールにまで返信をもらうことができなかった彼女は
ひとく落ち込み、その後4年間恋愛がトラウマになっていました。

彼と別れてから5年後、彼女にも素敵な出会いがあり
ようやく彼氏ができたものの、やはり過去の恋愛がトラウマになり
「どうせいつかいなくなるんでしょ?」などと口癖のように彼氏に言ってしまう
自分に嫌気がさすと言っていた彼女。
でもそのたびに彼は優しく、「絶対にいなくならない」と
言い続けてくれたそうです。

「絶対にいなくならない」と1年間毎日のように
笑顔で答え続けてくれた彼は
交際から1年目で大きなダイヤの指輪とともに
プロポーズをしてくれたそうで、彼女は今でも
とても幸せそうな様子です。
27歳 女性のストーリー
私自身の恋愛ですが、大学の新入生歓迎会で同じグループになった人とその後7年間の交際を経て結婚するとこができました。
彼との出会いはお互いたまたま参加したサークルの新入生歓迎会です。お互いの友だち同士が付き合うことになりそれがきっかけで一緒にいる時間が多くなり、お互いに惹かれ合い交際がスタートしました。1年ほどたった時に彼から別れを告げられ一度別れることになったのですが、どうしても諦められなかった私は恋愛本を読み漁り彼との復縁に全力を注ぎ、半年後再度交際がスタートしました。その後大きな喧嘩もなく仲良く過ごしましたが、その間に彼の留年や大学中退、あまり家族からよく思われない職業への就職などがあり、悩んだ時期も多くありましたが、7年記念日に無事入籍しました。今は彼も転職し、両親の理解も得て順風満帆です。
48歳 男性のストーリー
元同僚です。知らぬ間に社内部署近隣では、バレてました。私が出向出向で、飛び回るようになったうちに向こうは退職。実家に帰り(こちらの実家からしても日帰りで苦痛のない距離)それ以降会う頻度も劇的に増えました。会う頻度が増えた中、向こうの同級生さんにも気がついたら紹介されてました。共通点が少なく互いに競技は違うけど体育会系だったので、普通のカップルみたいなデートらしいことは少なかったと思います。理由は簡単です、互いの競技の練習に忙しかったから。互いの競技とも年に何週間か空きの時季がありその間だけカップルらしい事してました。それで満たされてました。されど微妙なバランスは簡単に崩れるもので、向こうが体育会系を降りる事にした頃から話が段々合わなくなりそのまま別れました。そこまで、十数年でした。

「お金さえあればと感じた瞬間」

45歳 女性のストーリー
やりたいことや、興味のあることは必ずお金がかかることが多いです。
以前、速読に興味を持っていたのですが、数十万円かかることがわかり、やめてしまいました。
それ以外にも、身近なものでいえば、健康面を気にして人間ドッグなども受診してみたいと考えましたが、受診項目によっては予算がかかります。
入院するほどの大きな怪我や病気はありませんが、入院することでお金はかかります。
普段の生活費でも、お金に余裕があれば、食材一つでも、選ぶ品質を高めることができます。
やりたいことだけでなくても、お金があることで、精神的な安心感も得られることが大きいと思います。
お金がかかることで、選べない・選択できないことはまだまだあります。
45歳 女性のストーリー
お金さえあれば
母の歯の治療をしてやれたのにと今も悔やんでいます
いつも入れ歯がガタガタで物を食べるのも辛そうで見てて哀しくなりました
苦労ばかり掛けてる母の歯の治療を受けさせてあげたい
自分の年金問題もお金さえあれば何の問題もなかったのに今は年金機構に延期が申し込めるからまだ有り難いけど
年々親の年金も減らされて大変な思いをしてるのにもし、私が働いていたら何万何十万とかかっても歯の歯の治療をしてあげられるのと長年運転してくれた父の中古の愛車も壊れてガタガタの直してあげたいのに働きたいのになかなか仕事に就けない自分の不甲斐なさすぎるところがなんと悔やまれる事か
世の中お金さえあれば解決出来ることがどれだけ多いのかこの年になって初めて知りました
本当にお金さえあれば
23歳 女性のストーリー
私は毎月1回のペースでコンサートやイベントで遠出をします。
その時ほとんど同じ友達と出掛けるのですが、その友達と私の給料の差が大きく、友達の方が多く収入を得ています。
行き始めた当初は貯金もあったので単純に楽しめていましたが、最近は毎回の出費のことが心配で心の底から楽しめていません。
なら行かなければ良いではないかと思われるのでしょうが、その友達はそのようなイベントの情報を仕入れるのが上手で「申し込んでおいたよ!」と言ってお金を立て替えて払っておいてくれるのです。
私自身もイベントには出来れば行きたいというのが本心なので、立て替えてくれるのはありがたいと言えばありがたくも思います。
このような状況が続いているので、お金さえあればなーと思ってしまいます。
31歳 女性のストーリー
20代で結婚、出産、今まで定職についた事がなく、フリーターで稼いできたお金を貯蓄する事なく浪費して貯金はゼロ。出産を機にアルバイトを辞め自由に使えるお金がない事に直面し、20代前半の自分に貯金はちゃんとしておきなさい!とお説教したいです。お金さえあれば我慢せず、ネイルやエステに行ったり、旅行だって出来たはず。子供が手を離れ働けるようになったとしても、何も資格がないので、資格を取る費用や自動車免許取得にあてて仕事につなげることも可能だったはず…。出産して働けない身になってから、お金がない事への不自由さに気づきました。お金さえあれば子供が興味持ったものの習い事をさせてあげたいです。それが自由に出来ない事が心苦しいのです。
27歳 女性のストーリー
日頃から多く感じる瞬間があるのはテレビを見ていて旅行おすすめスポットなどの紹介がされているのを見た時です。行きたいところはたくさんあるけれど、そこに使う余裕はないと結局いつも行きたいどまりです。主に物欲に伴って感じることが多いです。どこかに妥協している自分に気付いた時もお金さえあれば妥協せずに住むのにと思います。あとは自分の小ささを感じた時です。例えば、買い物をして駐車料金が無料になるサービスを受けられていたのに、し忘れていて駐車料金を払わなければ行けなかった時です。あとはローンを組みたくない性格で、家や車など大きな買い物がさらっとできない時です。家族の面では子供が欲しいと思った時、やはり体力の問題というよりはお金の面が心配で何人もは産めないと思ってしまいます。
26歳 女性のストーリー
海外旅行先から日本に帰ろうとしたら、空港が台風の被害で水没してしまい、帰国予定日に代替え便がない場合帰れなくなるかもしれないと言われました。 
帰国したその日にライブに行く予定でどうしても行きたかったんです。もしも何日も帰国出来なかったらと思うと、恐怖で震えました。
現地のお金も残りわずか。海外ATMから引き出せるお金もなく友人と不安で励まし合いました。
結果的に予定日に日本に帰ることは出来ましたが、ライブには間に合わず、せっかくの海外アーティストのライブなのに…。フェリーなど手段を選ばずに帰れていればライブにも間に合ったかもしれないと思うと悔しいです。
また海外ではカードが一般的ですが屋台では現金のみの扱いで、持ち込んだ現金も少額だったため、もう少しあれば色々食べられたなぁと感じました。
25歳 男性のストーリー
気になる人がいて、デートに誘ってデートをして、夜いい感じになってホテルに行きました。その際、夜の関係を築くのですが、女の子は不満そうでした。私は女の子に何が不満なのかを聞いたところ、傷つくから言えないと言われました。でもやっぱり気になるので、聞いてみたところ、私の目が一重なのとアソコが仮性包茎なことが不満みたいでした。私的にはどっちもコンプレックスだったのですが、まさかそのことで不満とか言われるとは思いませんでした。でもその女の子は顔も性格もすごく好きだったので、頑張って手術を受けて治すよと言いました。ですが、クリニックに行ったところ、二重にするのも瞼が厚いから高い手術になりますと言われ、アソコは綺麗に治すのであればうん十万と言われ、お金さえあればこのコンプレックスともおさらばできて、女の子ともお付き合いもできるのになと。お金さえあればなんでもできるなと思いました。
28歳 男性のストーリー
ある建築、不動産管理会社の営業マンの方から、マンション、アパートのオーナーになれるというお話をいただいた時。土地活用のお話で、ようはどこかに土地を持っていたり、紹介してもらえませんかって話。土地を紹介してくれれば、マンション、アパート建築から管理までやってくれて、家賃収入得られますよっていう話。どこにでもある話だけど、土地ってそんな簡単には手に入らない。オーナーになって家賃収入ずっと貰えるなら、ちょっと良い立地で、大きめのマンション、アパートなんか建てられれば、一生遊んで暮らせるよね。そんなに大きくなくても、副収入的な感じで夢が広がる。お金さえあれば、土地が少しでも買えるお金があればなぁと感じました。
33歳 男性のストーリー
私は毎年好きなアーティストのライブに行くのですが、ライブの申し込みの時に、私は出来るだけ多くの公演に行きたいと思っているのですが、1回の公演の値段が高いために行ける回数が限られてしまい、お金さえあればもっとたくさんのライブに行けて、ライブグッズももっとたくさん買えるのに、と考えてしまいます。
でも、お金がないからこそどこの会場に行こうかとか、どのグッズを買おうかとかを思えるのかな、とも思います。そのようなことを考えている時間もある意味では幸せな瞬間なのかもしれないですし、行ける公演数が限られている分、その1回1回のライブを全力で楽しもうと思えるのかもしれません。
欲を言えば全公演制覇したいと思うのが性ですけどね。
24歳 女性のストーリー
今の職場を退職し、転職期間を設けたいと考えたときです。私は母の介護のため短大を出てパートで働いています。そこのパートは予定などの融通が利く上そこまで重労働ではないため長く続けても良いと思っていたのですが、一人必要に陰険ないじめをしてくる人がいるため私はどうしてもそのパートをやめたいと思うようになりました。しかし、そのためには転職期間の生活費を持っていなければいけません。私はそのようなまとまったお金はなく現在も同じパートで過ごしています。お金さえあればこんな思いをしなくて済むのにと本当に思います。お金は稼がなければ手に入りませんし使えばあっという間に消えてしまいます、使わないようにしても家賃や光熱費でどんどん消えていくのあればそう思う瞬間は多いです。
51歳 女性のストーリー
実家は貧乏だった。父は自営業の職人肌で母は手伝うことをやむを得ない状況だった。全ての人がそうだとは言えないけれど、だから勉強なんてどうでも良いという父だった。もともとおしゃべりが下手で友達も殆どいなかった。酒が入らないと物事も言えず、私と姉は酒の肴にされたものだった。
 地方の田舎の街育ちだったものの、一番の進学校へ入学できた。そこで一時期、テスト順位が一桁台であった。父は大学へいってもどうしようもない、勉強をしても何もならない。そういう思考を持つ人間であり、母は自分が勉学をかなえられなかったということもあったが、進学をさせたいと思いながらも父から、子供の進路から逃げた。
高校2年のある日、酒に酔い帰ってきた父は私に怒鳴った。「大学受験なんて許さない」わめいた。それから、勉強をやめてしまった。なるようになれ。そんな思いで過ごしてしまった。せめてお金があれば、我が家に。父に。母に。私は今、どんな人生を送っていたのだろう。学問は無くならない、残るものだ。
 あの時こそ、お金さえあればと思ったものだ。
22歳 女性のストーリー
給料日が15日、20日の友達が周りに多すぎて25が給料日の私はみんなから、
「給料日だからみんなでどこか行こうよ!」
と連絡がくるといつもお金があれば…と思いつつ
「ごめん…私給料日前だからちょっと厳しい」
と断っています。
世間の給料日が全部同じであればどんなにいいことか、といつも落ち込んでしまいます。
また付き合っていた彼氏とも給料日の違いで憂鬱になっていたりしていました。
遊ぶ日もですが、当時の彼氏誕生日になにかすごいサプライズをしたいと思っていたのですが誕生日が私の給料日前日でお金がもっとあれはもっと盛大にたかったのに…と思ったり。
日頃から貯金をすることの大切さを身に染みて感じます。
それにいざとなったら怖いですものね。
24歳 女性のストーリー
旦那さんが「いつか広い一軒家を買う」と言う時です。

言葉に出せば現実になる事もあると言う考えでテレビで家紹介やリモデリングしたお家が出てくるたびに口に出してます。
私は専業主婦で稼ぎは旦那のみなので欲しいものが全部買える生活なんて出来ませんし余裕があるわけでもないので、お金が降ってくればいいのに...なんて有り得ないことをたまに考えます。
旦那さんはいつも自分の欲しいものを我慢して私や息子のものにお金を使ってくれるので私がお金を稼げる日が来たら旦那の欲しい物をまず買ってあげたいと思っています。

お金さえあればと思う瞬間はたくさんありますが、私の場合は旦那さんの一言が1番大きいと思います。
他にはブランドカバンの新作が出たときにお金さえあればと思います。名前の知られてないブランドでも似たようなカバンはあっても値段のあるブランドカバンをやっぱり手に入れたいです。
32歳 女性のストーリー
動物愛護団体のお手伝いをしています。
最初は、地域猫の避妊去勢手術をするための捕獲やリリースをお手伝いするだけでした。
しかし、捕獲した猫の中には捕獲したけど病気がある子や怪我している子が混ざっています。保護師さんにも限界がありますし、施設も今は一杯です。現実問題として、場所があったとしても、光熱費やご飯、病院代もかさみます。ボランティアはできても、多額の寄付をするには今の給料ではまかなえません。まとまったお金があればこの子達が救えるのに。と考えながらリリースをしていました。私は猫班として活動をしていますが、犬班も悲惨な状況にあり、猫よりも保護師一名あたりの保護数が少なく、泣く泣く保健所行きという子もいます。
人件費、場所代、光熱費、ご飯代が賄える大金があればと日々思っています。
19歳 女性のストーリー
私は学生で、遊びに行くお金はすべて自分でアルバイトをしてまかなっています。そのアルバイトも時給が高いとはとても言えず、普段から常にお金が無い状態です。
そんな中でも友人とは遊びに行きたいし、せっかく遊びに行くなら少し高くても美味しいものを食べたいし、私はアイドルのライブに行くのが趣味なのでそのチケット代・地元でやらないライブでは交通費や宿泊費・コンサートグッズ代など各方面でお金がかかるので、それ以外の空いた時間は基本的にいつもアルバイトをしています。
それでも、友人に「〇日遊べる?」などと聞かれた日にアルバイトが入っていたりすると、仕事柄簡単に休むことができないので、お金さえあればアルバイトもしなくていいのになあと感じています。
32歳 女性のストーリー
いつも仕事での長期休暇は取れないので、期待はしていなかったが、予想外な時に5連休を貰えてしまった時。
お金さえあれば、急遽であっても旅行に行けたであろうに、行けない!!
後お金さえあれば、皆で集まって少し値段の高い飲食店に行くとなった時は、1番歳上の自分が多く出したい!あわよくば、全員の分を奢ってあげたい!と思う。
しかし、お金が無いとかなわない。
後は、親孝行をしたいなぁと思った時に親が好きな物を金額を気にせずに買ってあげたい!
この時ばかりは、声に出てしまった事がある。
お金さえあればなぁと。
後は自分磨きをするうえで年齢にはどうしても勝てない!そんな時はエステや!美容のメンテナンスをしたい!でも出来ない。。
お金さえあればなぁとしみじみ思います。
27歳 女性のストーリー
アウトレットやデパートなどに用事があり
買い物などに行くと
買う予定以外の物などもつい見てしまい
あれも欲しいこれも欲しいなど
欲しい物への欲求が沢山出てくる。
また、
あ!これ可愛い!欲しいな……。いくらだろ?っと
値札を見てみると自分の想像以上に
値段が高い事に驚き、悩んだ末に
結局買うのを我慢してしまう時とか。
この時ほど虚しいものはない。
こうゆう時ほど、あの時買っておけばよかったと
後から家に帰ってから
後悔する事が多いと思うのは私だけですか?
こうゆう場面になる時に、ふっと思うのが
お金さえあれば欲しい物を好きなだけ何も考えずに
買えるのにな。と思う……。
現実はそんな甘いものではないですね。
頑張って働くしかない!
41歳 女性のストーリー
いつも思いますが、
子供たちへの食事や部活の遠征費用
、親、兄弟の保険料
亡くなった兄弟のお墓代
車のメンテナンス
兄の仕事の材料費、従業員への賃金
自分へのメンテナンスや、衣服
短時間の仕事だけでも生活できる
いつでも仕事休める
親との旅行
三世帯分の光熱費が滞りなく払える
未婚のまま出産、育児ができる
甥っ子たちへの援助
まだまだ、お金があればと感じる瞬間はある。
お金がないため、急な出費時は、自分が負担を背負ってでもやりくりするため、時にはストレスにもなり、いらだちが起きる。
裕福な暮らしをしてる人は、元から裕福であり、何かを始める投資金も出せる。
どんなに一生懸命やってもお金がないと、あるとではスタートが違うと感じる。
34歳 男性のストーリー
趣味で鉄道模型をしているんですが、今はある程度、自分の理想的な車両が集まっていて満足はしていますが、集め出した数年はとても大変で新品で購入する事もありますが、中には中古で欲しいものも出てきてしまう事もあり、これが子供向けのミニカーや鉄道関係おもちゃなら大量生産をし、数も出回っていて問題は無いんですが、鉄道模型の場合、メーカーによってまちまちでもありますが、元から大量に作らない(大手が作らない様な車両だったら尚更…)ところもあり、人気車両の場合、生産から数年経ってしまうと元の定価より中古価格が越えてしまうのは良くある事で、集める事に躍起になっていた時は中古を扱っている店巡りをし、欲しかったり、興味をそそられた車両を見つけた際、財布の中に余分分が入っておらず、さらにキャッシュカードやクレジットカードを作ってないので泣く泣く見逃した時はお金さえあれば…とよく思う事はありました。
22歳 女性のストーリー
私は水商売をしていたこともありホストをしている友達が沢山いました。最初は友達の働いているホストクラブに遊びに行く程度でしたが、初回周りをしていくうちに1人のホストに駄々ハマりしてしまいました。
正直そのホストは売れているかというとそうではなかったのですが、何故か凄く一緒にいると居心地がよくストレス発散になっていました。通う頻度はどんどん増え、頻度が増えるにつれ1回の会計の料金も増え続けていきました。それでも私もそれなりに稼いでいたため全く問題はありませんでした。ある月、今までナンバーに入ってすらいなかった彼がいきなりナンバーワンになったのです。そして、ナンバーワンになったかと思えば、ナンバーワンにした(それだけの金額を1ヶ月で使った)女の子に水揚げされ店をやめていきました。彼自身ナンバーワンになったら辞めるとは、言っていたのですがホストの言ってることなのでどうせ嘘だと思っていました。この事実を知った瞬間もっと稼いで私がナンバーワンにしていれば・・・と、後悔しました。彼はその女の子の事を好きではないらしいですが彼女は金持ちのようで、それ目当てで近々結婚するそうです。世の中お金だなと想いました。
24歳 女性のストーリー
2年前くらいにうつ病になってしまい、好きな仕事を続けたくても続けることが出来なくなって仕事を辞めました。
辞めた後は稼げなくなってしまって派遣でアルバイトをしたり、貯金を崩しながら暮らしていました。
でもうつ病になってからは心療内科にも通わなきゃいけなかったのでカウンセリングや薬代もかかりますし、その他生活費で出費が増え、ついに生活するのも苦しくなったことがあります。
うつ病なのでなかなか生活面でも仕事面でも動けず、稼げないままだったので家賃も何ヶ月も滞納し、ご飯も買えず、病院も行けず、毎日死ぬことを考えていました。
お金さえあれば仕事しなくてもご飯食べれる、生活して行ける、うつ病も完治させれるのに空から降ってきたら良いのにとあの時は考えてました。
30歳 男性のストーリー
退職後、暇な時間はたくさんあるのに、お金がなくて希望していたことが何もできなかったときお金さえあればと感じました。突然の勢いで辞めてしまった前職。空いた時間で少し休憩、リフレッシュしてから次の仕事でも探していこうかなと悠長に思っていましたが、そもそもつかえるお金がなく、泣く泣く即就職活動をはじめました。今思うととても勿体無いことをしました。お金さえあれば、せっかくの無限の誰にも縛られることもない暇な時間に会社員時代はなかなか行けなかった長期の海外旅行や行列のできるレストランにいってゆったりとした時間が過ごせたのでは‥と思います。特に長期の海外旅行は、費用面と時間で断念することが多くせっかくのチャンスを棒に振ってしまったと後悔しました。
54歳 女性のストーリー
お金さえあればと感じるのは、いつもです。お金さえあれば、好きな洋服を揃えられて、綺麗な身なりにしていられます。人目を気にして恥ずかしい思いをしないで済むでしょう。お金の心配をせずに、健康に良い鮮度の良い物で美味しいものが沢山食べられます。老後も健康でいられる確率があがるでしょう。長い間、借りている学資の返済が出来ます。借金が片付けば清々するでしょう。お金さえあれば、投資をすることができます。自分自身を磨いたり、どこかへ投資して資金を増やしたり出来るでしょう。お金さえあれば、身内にプレゼントが出来ます。人付き合いも気にせずお金をつかうことができるでしょう。お金さえあれば、時間を気にせずのんびりできるでしょう。老後の心配も殆どなくなるでしょう。
21歳 女性のストーリー
わたしは現在、非正規として働いております。自分の中では正社員になりたい気持ちはそんなにないですが、立場は下の方で重大な責任もなく、周りから見るとあまり良い印象は持ってくれません。しかし、その分精神的なストレスもなく、時間も多くあるために、したいことができていて充実しています。わたしはそれで満足していて、贅沢をすることもそんなに好きではないので金銭面に関しても、特に困っていません。しかし、買い物をするたびに、「いいの?そんなの買って」「正社員でもないのに」等と、家族に言われます。わたしはそこまでお金のない人間に見えるのかと憤りを感じたとともに、そういうことしか言えないのかと呆れました。わたしの気持ち云々よりも、第一にお金が大切なのかと思いました。そして、お金さえあればこのように嫌味を言われることはないのだと思います。
27歳 女性のストーリー
私にはとても欲しい車がありました。
ですが当時はお金がなく買えませんでした。
ですがその当時の友達がこの車どこどこで買ったんだよねと言い自慢してきたのです。
私がどこどこの車が欲しいと言っていたのを聞いていたのです。
その友達は私の髪型や靴や指輪を真似する人で見ていて嫌でしたが職場仲間で仲良かったしその後のお姉ちゃんと私が同級生なので何とも言えませんでした。
ですが私が欲しかった車の同じ色でグレードも一緒で内装も私がしようと思ってたいろにしていたのです。
すごい気持ち悪いと思いました。
他の子と話している内容を聞いてそれをそのまま買うってどういう神経しているのか...
服とか髪型とかじゃなくて車を買うなんてと思いお金さえあれば買ってたのになと思いました。
46歳 女性のストーリー
毎日、思っています。私は、40代でバツイチの夫と2人暮らしです。2人の間に子供はいませんが夫には前の奥さんとの間に3人の子供がいます。私は、未だに貯金がありません。
この歳になっても貯金がない為…いざと言う時の資金がなくて困っています。お金さえあれば…といつも思っています。ZOZOTOWNのまえざわ社長ぢゃないですが、あんなにお金あったら人間の性格や生活にお金の感覚はどうなってんだろーって思います。もし私に宝くじが当たったとしてもあんな贅沢はしません。何故なら、一生食べていけるだけの資金を一瞬で手に入れる事が出来るからです。何食わぬ顔で会社に行き普通の生活を送る自信あるんですけどね。この世に神様はいないと思っている私ですが…世の中不平等だなって思います。でもそれが私に与えられた運命だと思って頑張るしかありませんよね。でも、頑張っても頑張ってもお金って増えないものです。この世にお金なんてなくていいのにって思います。

「誰かに聞いてもらいたい愚痴」

34歳 女性のストーリー
結婚したいのに、彼氏がいても理想の人ではない(犯罪的な仕事をしてる、モラハラ、50代など)で自分はどうしたら理想の結婚生活を送れるのか、、と毎日考えています。
考えるのがめんどくさくて、何もしたくない日々が続いています。
私たちの親の世代は専業主婦でいい、という考え方なので私もその価値観で育ってきてしまっているのに、今更不況になったからと言って共働きが必須、とか最悪すぎます、
友達はみな10歳以上上の経営者などと結婚してセレブ生活を送っています。私もそんな生活を送ります。そのために努力しなきゃと考えている段階です。ただし、あまり亭主関白な人は無理なのでそこも難しいです。実家に帰って親と過ごすか・・・困りましたね。
26歳 男性のストーリー
とにかく旦那の散らかし癖がすごいです。
せっかく片づけて夜眠っても、遅く帰ってきた旦那の脱ぎ散らかした服や、中途半端にあけたペットボトルが散乱していて朝起きるとまずは片づけでテンションさがります。。
46歳 女性のストーリー
5年以上まえから不仲になっている妹夫婦についてです

子供のいない私たち VS 子供のいる妹夫婦
よくある「お金のもらいっぱなし」がきっかけです

私たちと同居している両親も子供のいる妹夫婦の味方をしたことで家庭内で「7日間戦争」状態に。

数年経て和解を妹から提案されて受けましたがどうしてもギクシャクした状態でしたが、結局決別です(妹には伝えていません)

今年ガンで入院手術をしました、入院期間は12日です
そんなに長くありません、ガンといってもステージ2ですので早期発見・早期治療です

見舞いに来ない、たしか10年以上まえに妹の夫が入院したときには私たち夫婦、時間作って足運んでお見舞いを渡しました
人の時にはしらんふりです
 
「何もありません」 お見舞いメールの一言もありません

親からは姉妹近くにいればイザというときに助け合えると言われましたが、何もしない妹なんて要りません
夫も、「さすがに、姉をお見舞いしないなんて ありえない」
向こうが困っても助けないからと断言
私も同じ気持ちです
家族と思う気持ちを捨てました



10歳 男性のストーリー
これはぼくがバイト中に体験した話です。
僕がスーパーで品出しのバイトをしているとき後ろから60代前半くらいのおばあさんに「アスパラってどこにある?」と話しかけられました。僕はそのおばあさんをアスパラガスのある場所まで案内しました。するとおばあさんは「これじゃない」と言い出しました。僕が一瞬困惑すると続けておばあさんは「お菓子のほうのアスパラだ」と言いました。…そうです、おばあさんはアスパラガスビスケットというお菓子のことを言っているのです。僕はそのままそのお菓子があるところまで案内しましたが心の中では「わかるわけねえだろ!」と思いましたね。
31歳 女性のストーリー
自慢ではありませんが私はよく人に道を聞かれたりするタイプの人当たりが良さそうな顔をしています。正直性格はそこまで穏やかではないですし、自分を犠牲にしてまで人に何かをしてあげようと思うほどお人好しではありません。
ある日、毎月の生活費を入金しようと思い郵便局へ出かけました。その郵便局はATMが1台しかなくタイミングによっては多少待つこともあります。私がその場に着いたとき3人が並んでいました。正直早く済ませたいと思っていたので少しイラつきました。一人目が終わり二人目の母(祖母?)娘が使い始めると振込にとても手間取っていました。大きな独り言を言いながら機械の操作に手間取り、約5分・・。「いやあ、良く分からん、出来ん。後ろの人に悪いわね!変わろうか!」と言いました。内心(始めからさっさと諦めて譲れよ・・)と思っていたのですが、そのおばさんはなんと私の前に割り込むのです。カチンときた私は「すいません、順番並んでるんですけど。」というと「いや、一人譲ったからいいでしょ。」と訳の分からない言い分。普通並びなおすなら一番最後尾につきますよね?!結局私もう一度「私も順番待ちしてるので私の後ろに並んで下さい。」キレた口調で返すとそのおばさんは「あら怖い、いいわいいわ、○○ちゃんこっちに並び直そう。いやあ、振込難しいわあ・・」とまた独り言をいいながら後ろに並びました。娘も娘で、我関せずな態度でスマホをイジイジ・・。お前の母(祖母?)が意味不明な理論かましてるの聞いてるなら諭すなり、たしなめるなりせんかい!と一人脳内でキレていました。世の中こんな変な言い分を突き通そうとする老害が多くありませんか?またそれを見てもなにも思わない若者も変じゃないですか?
32歳 女性のストーリー
一年半付き合ってる彼氏がいて、押せ押せで押し切られた形でお付き合いすることになり、最初は全然好きになれず相手の気持ちが重すぎて、気持ちに応えられないもどかしさや申し訳なさがありました。
ですが一年半色々なことを一緒に経験し
ケンカもして、本音でぶつかりあった結果、今は大切だな。好きだな。と感じるようにやっとなりました。
年齢的にも結婚するならこの人かな?と考えるようになったのに…
兄のように慕っている人が猛反対!
あんな男にやれない!稼ぎもろくにないし、将来性もない!あんな男と一緒になっても失敗するのが目に見えると…
確かに彼は工場勤務で出世などあるのかわからないし、あったとしてもたかが知れている。
人間的にも未熟だし、頼りないなと思う部分はたくさんあるけど、そんなボロクソに言わなくても…
あんな男、あんな男と言われすぎて悲しくなります。
気にするなと言われても20年近くの仲ですし、確かに…と思う部分もあるので何も言い返せないのが辛いです。
49歳 男性のストーリー
在宅ワーカーです。これからがんばってライティングでかせいでいこうと思っております。ライティングはじめたてに本気ならコピペだけで月30万から50万稼げるというオファーがきました。結局はスクールやコミュニティの勧誘ということが多かったので、これからというときにやる気に水をさすオファーが多いのがとても残念です。地道にコツコツやればその先が見えてくるという内容ならとてもよいのですが、内容もオファー自体にはないし、つづきは動画無料セミナーで、と時間もとられてしまったのが重ねて残念です。甘い言葉にのせられてしまった自分にとても腹が立っています。ライティングで稼げる階段を探してしっかり確立して、人に教えられるようになります。
24歳 女性のストーリー
私は1歳児を育てている専業主婦なのですが、義両親と義祖母(義母の母親)と同居しています。
子どもが生まれる前は割と上手くやっていたほうだと思うのですが、子どもが生まれてからはいろいろと育児方針が違ったりして、イライラすることばかりです。
特に義祖母と義父は過干渉なタイプで、わかっていることをわざわざ言ってきたり、「こうしたほうがいい」と自分の価値観を押し付けてきたりするのが本当に苦痛です。
家事をやってくれたり育児を手伝ってくれたりするのはありがたいのですが、子どもに対してやっていることにまで口を出されるので、早く別居したいです。
良かれと思ってやってくれることがありがた迷惑だったりして、それが一番困っています。
子どもは録画したいないいないばあを見るのが好きで、テレビのリモコンを見ると、「見せろ」と催促してきますが、見せるとキリがないので、私はその催促があるまでは見せないようにしているのです。
でも、義祖母は子どもが要求する前にリモコンをとって「いないいないばあ見てろ」とつけてしまうんです。
些細なことですが、こういうことが積み重なってかなりのストレスです。
41歳 女性のストーリー
姪現在20歳。
兄が亡くなると、離婚した母と同居を決め、財産放棄したうえに、一切連絡なし。
その間、兄の借金、姪のためにと、高齢の母と一緒に兄の借り入れの返済を四年続けた。
兄が姪のためにかけていた保険料も支払い。
満期になったとたん現れ、保険料だけ300万受け取り、
母(姪の祖母)へはたった30万を手渡し、また連絡なし。
姪は、兄と母(姪の祖母)がずっと育ててきた、姪の母は時にしか現れないのに、やっぱり母は偉大なのか。
私たちへの気持ちは無いのか、腹が立った仕方ない。
できれば、私と母が支払いを続けてきた返済金額分もまとめて支払ってもらいたい。
姪に対しては、母(姪の祖母)が支払いを続けてきた金額の返済を求めたい。
弁護士に相談したところで、姪宛の保険料のため、私たちからは求める権利はない。とネット検索で知ったらため、どうもできないが、どうしても姪が許せないし、返済を求めたい。
22歳 女性のストーリー
私には6歳離れた妹がいます。
今年、高校に入学したのアルバイトを始めた妹。
元々ポッチャりしていたのですが美に興味を持ち始め最近2ヶ月で15キロの減量に成功し、高校でかなりモテているようでかなり調子に乗りまくっています。
また思春期ということもあり、姉の私にめちゃくちゃ反抗してきます。
最初は喧嘩をしていたのですが最近は呆れて喋ることも無くなりました。
私自身反抗期がそんなに無かったので分からないのですが思春期ってそういうものなのでしょか?
朝のおはようの挨拶すら、おはようと言うと黙れ。と返されます。
さすがに人間的にやばいだろと思い注意するのですが、それも一言黙れ。で終わらされます。
そろそろ手が出そうなほどストレスmaxです。
28歳 男性のストーリー
うちの車庫の話なんですけど、頑張ればクルマ四台止められるんですが、縦列駐車になるから、奥の二台出すの為に、一台どかさないと出られないという面倒くさい作りの車庫なんです。しかも、大通りに面していて、バックでしか出られないんです。恐る恐るクルマ来ないかなって首を後ろに伸ばしながら。しかもその大通りに面した出入り口、急傾斜だから余計に見づらいんです。通っているクルマからクラクション鳴らされるなんてしょっちゅうです。ジョギング中の人とか、チャリンコのおっちゃんとか、見えません。挙句の果てに隣の家の植木が邪魔なんです。ブーゲンビリアの枝が道に向けてビローンって垂れてるんです。ブーゲンビリアの花は綺麗だけど、勘弁してください。時々切ってくれるから、まだ助かってますけどね。
22歳 女性のストーリー
私の主人は一つ年上なのですが、甘えたりわがままだったりととにかく子供なのです。
いい歳だし娘のお手本になって欲しいと思い、全ての事を任せて1週間家をあけ地元に帰りました。
1週間の間にも電話が沢山かかってきて、「○○はどこ?○○はどうすればいいの?」と聞いてくる始末。
1週間後帰ってきた時はきっと家が凄いことになってるんだろうなぁ…そう思いつつ1週間後家に帰ってみると、先週帰る前に作ったカレーがそのままになっていたり洗濯物がものすごく臭かったりとどうしようもない程の無知っぷり。
結婚前はずっとおかあさんに任せていたんだなぁと思うと一気にマザコンに見えてきてどう頑張っても旦那のことを嫌としか思えなくなってしまいました。
19歳 女性のストーリー
私は現在大学生で、お昼ご飯の時間はいつも友人と3人でいます。
しかし、入学して3ヶ月が経った頃から「もしかしたらこの子たちと私、性格合わないかも?」と感じることが増えてきました。
私の性格上、一度このように考えてしまうと細かいことまで気になって「あれも合わない、これも合わない…」とどんどん悪い方向に考えてしまいます。
別にその子たちの性格が特別悪いわけではなくただ私の性格と合わないだけなのですが、どうも最近はそのことでイライラしてしまうことも増えて正直いっしょにいるのがしんどいです。
必修など授業が被っているところで一緒に過ごすのはもう仕方がないとして、とにかく今は、せめてお昼ご飯の時間くらいひとりで過ごしたいです。
27歳 女性のストーリー
私は専業主婦。子供は2人。
主人はいつも朝は早く帰りが遅いので
家事、育児は全て私がやる。
ここまではわかる。
その分主人にはいつも感謝しているつもりです。
朝早くから遅くまで私達、家族の為に
頑張って働いてくれているから。
でもね、専業主婦も意外と大変なのも現実。
子供達が起きる前に起きてお弁当作って
洗濯回して、子供達を起こしてからは
ご飯を食べさし、お見送りしてなど。
勿論子供が居なくなってからも掃除、買い物、夕飯準備……
そんなこんなしているうちに子供達が帰ってきてと
毎日が正直戦争!
寝れるのは誰よりも遅く起きるのは誰よりも早い
とうゆうのが私の生活!
でも主人からしたら
専業主婦なんて俺に比べたら対して疲れていない。
と思っている態度が身体から滲み出ている。
いやいや、一回くらいお疲れ様とかありがとうとか
言葉一つくらいかけてくれても
良くないですか?
とまぁ、こんな感じで
これが私の溜め込んでいる愚痴です(笑)。
21歳 女性のストーリー
聞いてもらいたいのは「人生」についてです。
わたしの人生は、良いことも、悪いこともなく淡々と歩んでいます。正社員じゃないことを除けば。それが原因で、家族との仲は最近良くありません。
でも思うんです。ああだこうだ言われても、1番に感じてほしいのは、わたしの人生はわたしものだと言うことを。こうすれば?、と言ってきますが、口を挟み、では貴方に言われたので実行しますね、となり、上手くいかなかったときに責任は取ってくれますか?と。それに、体験談をさも正しいかのように語ってきますが、今の時代にはそぐわないんだよと言いたいです。昔のバブル期が全てではないと思います。ギャップ間の違いも、お互い理解し合えません。わたしは、周りになんて言われようとしたいことをして見返します。
21歳 男性のストーリー
私は今、上場企業のとある会社で正社員として働いてます。
入社するまでは自分が上場企業で働けるという感動もあり、やる気に満ち溢れていたのですが、
いざ入社した私を待っていたのは会社説明のパンフレットに書いてあった、「社員は家族みたいに仲が良く誇りを持って仕事をしている」や「賞与年2回、各種手当が適応される」
などの謳い文句通りの職場ではなく、上司の暴言や暴力に怯えながら仕事をし、拘束時間が長いのに給料は手取り14万円、ボーナスなしという生活だけでも精一杯の毎日です。
先輩たちの口からは不安な言葉しか出て来ず、失敗した仕事を上司にバレないように隠したり、毎日のように怒鳴られる先輩方や、どんどん辞めていく社員の姿を見て不安でしかありません。
もう、ウンザリです。
上っ面だけで利益しか求めない詐欺企業はこれから消えるべきだと思う!
もっと沢山ありますが…長くなってしまうのでここまでにします。長文失礼しました。
24歳 女性のストーリー
"私は国際結婚をして現在韓国に住んでいます。
韓国といっても田舎なので日本人が全くいないところに住んでいます。もうすぐ韓国に住み始めて1年たちますが友達が一人もいません。

旦那さんとは7歳離れています。お友達の奥さんや彼女さんを紹介してくれたりしましたが韓国語を話すことにまだ自信もなく、歳も離れているのですごく仲良くなるところまではいけません。
気にかけてくれて一緒に家族同士でご飯を食べに行ったりするのですがどんな話をすればいいのか分からずに毎回終わってしまいます。

最近、支援センターに通い始めでもしかしてママ友が出来るのではないかと思いながら行っているのですが通い始めて1ヶ月たった今もママ友が出来ることなく常に息子に話かける感じになっています。

このまま友達が出来ないまま韓国に住み続けるのか心配です。"
57歳 女性のストーリー
主婦を20年以上もやっていると、愚痴ならいくらでもあります。
夫はフリーランスの仕事をしているので、仕事のない時には家にいます。
これは新婚当時ならちょっといっしょに出かけたり、映画を見たりと平日に2人で遊べて
楽しかったのですが、これが時間が経ち子どもが生まれてたあたりからちょっと違ってきました。
私自身もフリーで仕事をし、しかも自分の自宅での作業が多いので仕事と家事と育児とが渾然一体となり、自分の時間がどんどんなくなっていったのです。
しかも家族が増えて家のスペースが子ども優先になってくると、自分の居場所自体がなくなってきて、ゆっくりできるのは夜中ひとりになった時くらい。
夫が家にいると、リビングの机を占領しテレビはガンガン付けっ放し、食器は食べたまま、
窓を開けると花粉が入る、隣の家のタバコの匂いや嫌だと締め切ってエアコンつけっぱなし。
これじゃぁ家での仕事も集中できないし、自分の居場所もない!
あぁ自分だけの机が欲しい!夫にはもっと稼いで欲しい!私がそんなに働かなくていいくらい。いまの状態だと私の家事労働は無償なうえに自分の居場所もない!
だから自分の部屋が欲しい!いやせめて夫には毎日仕事で出かけて欲しい!
46歳 女性のストーリー
会社に、関西人の女性がいるお話です。テレビのスカッとジャパンに出したい位の変人なんですが…私は、この会社に勤めてかれこれ13年目になるお局様です。その関西人の女性はまだ2〜3年位のペイペイです。やはり、関西人なのか…関西人を悪く言う訳ではないけどかなりのおしゃべりさん&必要以上に人にあいさつをする女性なんです。悪い事では決してないのですが…時と場合を考えてないため、人がお客様と話ししてる時でもわざとかのように横で大きな声を張り上げてあいさつします。
私がお客様と話しをしてる会話が全く聞こえない為、お客様もイヤそうにその関西人の女性を見ながら私に近寄ってきて話してくださいます。あまりにひどいと私もシビレを切らし〇〇さん、静かにしてくださいと言います。
こんなに本当に周囲を気にしない人は今まで居なかったし、初めてのケースの人なので周りの従業員も飽きられています。どうしたら、いいものか困ってます。注意をすると素直に聞かずに反抗して何か必ずと言っていい程返してくる…ああ言えばこう言うタイプの人です。
どうにかしてほしい存在です。
34歳 男性のストーリー
5月末にパート契約でしたが、6年勤めた所を退職しましたが、退職理由は建前上は一身上の都合でありましたが、本音を言えば、勤めていて不満が募っていた事が理由で勤め先は営業所で本社は大阪でしたが、退職間際の営業所長に対しての振る舞いに不満が大きく、例を上げるとキリがないので何点かにしますが、営業所長は役が付く前から反りが合わない事が多々あり、所長になったあたりから横柄さが増し、同僚(女性)の娘を自己判断で決め、その事案を全体説明せずに入れたり、また、自分自身は加工する部署でしたが、社内では基本的ペーパーレスを進めていたものの、一部の指示をする際は指示書を必要となるんですが、営業所長は話したくないのか説明せずに指示書を作業スペースに置くのが常態化(一番最悪だったのがそばにいるのに置いていく…)という有り様で、しかも、性格が体育会系で何か言うと年上や評価してない人間に対してガッと言うので色々な事が募って退職に…。正直、当人がやりづらい原因を作っている事(自分自身が辞める前から年1人ペースで辞めていく事が続いていた…)いつ気づくのかや補填を何故、やらなかったのかと不満を出したら止まらなくなるので以上で終わります…。
31歳 女性のストーリー
初めまして。
私は現在精神科に通院していて、
精神科の診断では自閉症スペクトラム障害と神経症と診断されています。
二次障害で、鬱病も発症しています。
薬を飲んでいても、毎日がとても辛く、
一向に治りそうにありません。
おまけに社会不安障害も持っていて、人との関わりが上手くできず、
人を前にすると緊張で吐き気と涙がでできます。
言葉を整理して伝えるのが下手で、話すのにもとても時間がかかるし、
怖くなってしまうので避けてしまい、日常でも引きこもりがちになっています。
毎日毎日、マイナス思考で同じ悩みが頭の中でグルグル回っていて絶望を感じます。
無気力で死にたくもなります。
少しでも心が軽くなる方法を、知ってる人はいますか?
37歳 女性のストーリー
結婚5年目に突入した、37歳アラフォー主婦です。
2歳年下の優しい旦那と、毎日幸せに暮らしております。

しかし最近、「子供はまだなの?」と周りの色々な人に言われる事が多く、正直愚痴りたくなる毎日です。

誰も、悪気があって言ってるわけではないし、会話の流れでそういう話になっているだけなんだろうなとは分かってはいるのですが、どうしても気になり、イライラが募ってしまいます。

私達夫婦は、子供があまり得意ではありません。
できなければできないで、夫婦2人助け合って生きていこうというスタンスなので、子供の事を聞かれた時は、そのままを伝えています。

しかし、そう返答すると「絶対後悔するよ」「女なら一回は産んだ方がいいよ」「何の為に結婚したの?」などと言われてしまいます。

例え後悔したとしても、人にとやかく言われたくはないし、子供を産む為だけに、今の旦那と結婚したわけではありません。

もし、この先子供ができなかったとしても、夫婦2人助け合い、人生を共に楽しみながら、歳をとっていけたらいいなと思っています。
24歳 女性のストーリー
私は、旦那と2ヶ月を過ぎた息子との3人で暮らしています。
子どもが生まれる前から、自分のことを自分でできない旦那でした。俺は働いてるんだから家事しないなんて当たり前。ゲームや録画、YouTubeなど自分の好きなことを延々として、人の話すら聞かない。脱いだものは脱ぎっぱなし、ご飯食べたらそのまま、飲み終わった缶ビールもそのまま、自分の仕事で使うものや私物ですら私が管理し、旦那宛の郵便物のチェックや管理も私の仕事。旦那が呼ばれた結婚式の招待状の返事を書くのも出すのも私の仕事です。
子どもが生まれて、とても幸せな反面でとても忙しい日々。旦那は何も変わりません。煙草も赤ちゃんの隣で吸いますし(旦那曰く電子タバコだから害はないと言い張る)、赤ちゃんが大泣きしていようがスマホや自分の睡眠時間優先。時には、「うるさくて眠れないからちゃんと抱っこしててよ。俺は明日も仕事なんだから。寝不足でミスでもしたらどうするの。」とまで言われたこともあります。
仕事が忙しいのはわかります。でも、私だって24時間家事や育児。休みだってないのに、自分は好きなことばかり。飲みに行けば帰ってくるのは朝方4時5時とかなのに、私が起きてなければ起きるまで電話をかけてくる。
まだまだあります。本当に言い始めたら止まりません。

「忘れられない夏の思い出」

37歳 男性のストーリー
当時28歳でした。
地元のお店で接客業をしていました。
そこに高校中退の女の子が新人で来ることに。

ツンデレな感じな女で、「この仕事お願い」といっても

「めんどくさいです」「やりたくないです」という感じ。

だけど自分のお仕事は手伝ってくれて、不思議な感じがしていました。

その子は通信で高校卒業を取得している間、このアルバイトをして、取得後は別の仕事をしたいという話をお昼の休憩に聞きました。
約1年ほどして、所得したので、辞めますという話だったので、送別会。

送別会も終わって帰宅しようとしたらTELが来て、「少し〇〇駅の前で会えませんか」ということ。
行ってみると、車で待っていてくれて、二人で話をした。彼女は彼氏がいるらしいのだが、急に抱きしめられて、(俺男なのに。。。)

「彼氏いるんでしょ?」
と聞いたら
「彼氏は寝てます。大丈夫。」といって抱きしめてくれました。

罪悪感もあり、それ以上のことはなかったのですが、10年たった今でも思い出します。


24歳 女性のストーリー
小学生の頃、近所の夏祭りを友達と楽しんでいた時のこと、突然夕立に見舞われました。真夏だというのに、雨で冷え、浴衣は台無し。二人でプルプル震えながら、肩を寄せ合い、ごった返す人波の中、財布を握りしめ、雨宿りする場所を探しました。ようやくたどり着いたビルの陰、コンビニで買ってきたおでんはふわりと温かく、心まで温めてくれました。雨が止むまで、友人とおおよそ一般的な女子小学生がするような他愛もない話で盛り上がり、唯一無二のおでんの具「友情」を噛み締めていました。
それからというもの、私も友人も、夏の天気にはとりわけ用心深くなり、どこか遠くへ行く時は必ず雨具と気温調節用の衣類、食べ物飲み物といった備えを万端にするようになりました。
49歳 女性のストーリー
1998年7月に横浜スタジアムで開催された氷室京介さんのライブに行った事が忘れられないです。
OneNightstandライブ、ファイナルとその前日の2日間参戦したのですが、ファイナルの日は座席がアリーナで前から2列目の席でした。
私は氷室京介さんのファンなのでライブは殆ど行っていますが、あの様な神席は最初で最後です。
アンコール最後の曲が終わったと同時に打ち上げられた花火の印象が強く残っています。アリーナ席はスタジアムから出る順番が1番最後でしたので、花火の綺麗さとライブの素晴らしさの余韻に浸ってました。
このライブはビデオで発売されたのですが、前から2列目にいた私はそのビデオに映っています。
自分が映っていると分かった時に、ビデオをもう一つ買ってしまいました。
現在、氷室京介さんは活動休止していますが、また夏の横浜スタジアムでサマーゲームを聴きたいと思うほど、私の夏の思い出になっています。
22歳 女性のストーリー
私は夏が大好きです。海にプールに川遊び・・・毎年夏はアウトドアを、沢山して楽しんでいます。
特に私は海などでするBBQが大好きで毎年10回以上する程です。
ある年の夏も毎週のように海などに遊びにいってはBBQを楽しんでいました。
すると、そのある年の夏、職場の同僚から200人規模のBBQがあるから一緒に行こう!と誘われました。
さすがにその規模のBBQは初めてだったので、即行くと伝え、当日までめちゃくちゃ楽しみにしていました。
当日、晴天にも恵まれ超BBQ日和でした。
指定された場所に行くと200人を超える人がいました。
最初は人の多さにびびってしまいましたがそんなの序の口でした。主催者はまさかの、ヤクザさん。参加者の7割もヤクザさんでした。普段関わることの無い人達だったので怖かったですが皆優しく、楽しいBBQでしたが、いろんな意味で忘れられない夏の思い出になりました。
34歳 男性のストーリー
ひと夏の恋関係のネタは残念ながら一つも持ってないんですが、中学時代の話で自分自身は部活で美術部に所属し、元々、絵を描く事は嫌いではなく、また帰宅部だと担任(中学3年同じだった…)が口うるさい(どちらかと言えば神経質)タイプだった事もあり、めんどくさく、担任が顧問する美術部へ入った次第ですが、活動としては主に油絵を描き、そのため、入部と同時に油絵セットを購入しましたが、油絵を描いて思った感想としては絵の具を塗っていくというより重ねていくという感じで下に塗った絵の具に徐々に重ねて風合いを出す様な感じでした。本題からズレてしまいましたが、部活は3年生になると夏休みが過ぎたら引退というのが通例で最後は夏休みまでに描くのが最後の活動でこの時も2枚描いている内の1枚苦戦していて、もういいかなと思っていたら顧問(担任と同一人物)に描き出されてしまい、不満がありましたが、この時、何かの選考会に出さなければならず、2枚出しましたが、入選はしたものの、顧問が描き出した方だったと分かり、挫折と屈辱を同時に味わった感じで、これを境に2度と油絵を描かないと誓いました。
40歳 女性のストーリー
私の両親の実家は、双方ともに地方にあります。
親戚は、それぞれその地方に固まり、しょっちゅう交流をしているようで、我が家だけが1年に1回、夏休みに帰省するのが毎年恒例の夏休みの行事でした。
親戚が我が家に来ることがなかったのでこの期間しか交流することがなく、人見知りの私は、慣れた頃に帰るを毎年繰り返していました。
向こうのいとこは頻繁に交流していたこともあって、いとこというよりも兄弟や友だちのように仲が良く、私たちだけがよそ者感を勝手に感じてしまい、交流するのがとても苦痛な時間でした。
あまりいい思い出ではないのですが、夏休み!といえば、この時の感覚がすごく残っていて夏休みシーズンになると思い出します。
62歳 男性のストーリー
今から30年ほど前になりますが、当時は中学校の教師として働いていました。夏は、部活動の稼ぎ時でもあります。また、市郡の大会で県大会への出場権を得た場合や、それに続く中国大会・全国大会への出場権を得た時は、暑さの中でも活動をする必要があります。当時、私は野球部の顧問をしていましたので、一日外で練習をするという日もたくさんありました。暑さの中、意識がもうろうとするような場面があったことを思い出します。今のように熱中症への注意喚起もほとんどされていない時代です。生徒も自分も無事に活動できたことは奇跡とも言えます。今年も暑い夏が続いています。夏の高校野球も全国大会が始まります。関係される方が暑さの中で守られることを祈念します。
33歳 男性のストーリー
当時中学生だった僕は、夏休み限定で家庭教師を頼んでいました。
来てくれていたのは地元の国立大に通う19歳の大学生のお姉さんです。
勉強はわかりやすく、楽しくて夢中になっていたのを覚えています。
当時は猛暑で毎日薄いTシャツで来るお姉さんの透けたブラジャー、たまに覗く胸元の谷間にいつもドキドキしていました。
夏休みも終盤にあり、全国模試を迎えました。
僕は思い切って、前よりも模試の順番が上がったらお願いを一個だけ聞いて欲しいとお願いしました。
「しょうがないなぁ」と笑いながら答えるお姉さんがホントに綺麗で、今でも思い出すとドキドキします。
猛勉強の末、順位を上げた僕は「どうしてもファーストキスをお姉さんとしたい」とお願いし、ファーストキスを捧げました。
37歳 男性のストーリー
親の介護と上司への信用がなくなり仕事を辞めた直後の夏の一件が未だに忘れられません。その日はとても暑く、ビアガーデンに行ったら最高だろうなと思う日でした。かくいう私も友人達と飲みに行く約束をしており友人たちも休日だったため日中から遊び夕方以降は飲みという計画で日中出かけました。日中は友人たちと麻雀して楽しみ、その後は飲みでビアガーデン空いてないとか愚痴りつつも何とか入れる店を見つけみんなで飲んで盛り上がりました。そしてお開きの時間になってきたのでまた都合をつけて飲もうと約束して帰路につきました。帰宅して喉の渇きを潤し一休みして自室に戻ろうとした際に隣の部屋で横たわっている父を発見しました。音もなく寝ているので血の気が引き息をしているか確認して寝ていると判明したので一安心したのですがいくら揺すっても起きない。今度は別の意味で血の気が引きどうやっても起きないので最終的に救急車を呼び病院に連れて行きました。救急室で母と二人で原因はなんだとか目を話したのが悪かったとか悩みましたが、救急医療の担当医師はどうやら薬の副作用が重なり昏睡に近い状態になったと説明されました。それと同時に対抗薬を入れてみたら目が覚めましたので朝まで様子を見てこのまま一旦入院しましょうと言われ、私たちは一旦帰宅しました。そして翌朝に主治医からの説明では原因不明ですが、もうこれ以降は起きないので安心してくださいと説明され救命センターでの説明と違うと食い下がっても大丈夫の一言で流されてしまいました。この一連の流れが未だに忘れられません、人の命を何だと思っているのか、原因がはっきりしないと今後も起きる可能性があるじゃないかと医者に対する不信感を得るまでに至りましたから。未だに夏が来るとあの一件を忘れる事が出来ずその部屋を見ると感情があふれてしまいます。
52歳 男性のストーリー
小学生の頃、夏休みに和歌山の方へ家族で、2、3泊でしたが、親に海に連れて行ってもらいました。電車とバスでの移動で、宿泊は民宿でした。場所は和歌山県日高町産湯の辺りでした。弟も含め、家族4人で毎年、その旅行が恒例でした。兄弟二人共、その当時は、泳ぎは得意な方ではなかったです。泳ぐことのほかに、堤防で釣りをしたりもしました。民宿なので、釣った魚は、お願いすると、夕食の一品になり、自分で釣った魚だけにとても美味しく感じたことを覚えています。炎天下の中、日陰で休憩を入れたりしましたが、夕方に民宿に戻り、お風呂に入ると、日焼けで、お湯をかけると、ひりひりとして、2、3泊後には腕のあちこちの皮膚がめくれている状態でした。民宿だけにとれたての魚料理が並び、サザエのつぼ焼きなども出て、非常においしかったです。父母も高齢になってしまいましたが、今では忘れられない思い出です。小学校の夏休みの宿題でどこかに行った思い出は毎年、その家族旅行でした。
23歳 女性のストーリー
19歳の社会人1年目の時に、久々に高校の友達3人と遊びました。夏だったので花火をしようと河川敷で花火をしました。車を止めて、携帯だけ写真を撮るために持っておりました。車から100メートル離れたところで花火をして楽しんでいました。するとバーンっと音が聞こえて、何?と言ってビビっていたのですが、近くに高速道路があったのでトラックの音かな?と言ってました。30分ほど花火をして終わって車に戻ったらなんと車の窓が割られていました。まさかの車上荒らしにあってました。携帯だけ持って荷物は置いていたので見事に全て盗まれていました。後々気づいたのですが、あのバーンとした後は窓を割る音だったんだと思うと、ゾッとします。忘れられない夏の思い出です。
48歳 男性のストーリー
江ノ島に彼女と行った事です。付き合いはじめて間もない頃だったのですが、2人で江ノ島水族館へ行きました。
昼御飯は、釜揚げしらす丼を食べました。美味しかったです。
水族館では記念撮影をして、館内をブラブラして彼女がクラゲが好きだというので見に行きました。クラゲショーもあり和やかな時間を楽しみました。
ペンギンも見ました。いろいろなものがいて癒されました。
もっとも見所のイルカとアシカのショーを見ました。イルカは、ジャンプしたり、踊ったりして華やかでした。幸い遠かったので水のかかることもなく楽しめました。
生まれてはじめてカピバラを見て楽しめました。
そして、夕食はちょっと奮発して高めのイタリア料理のダイニングレストランに入りました。サラダは豪華ではじめて食べるニョッキやピザやローストビーフも食べ、最高に美味しかったです。
この日は疲れましたがとても楽しい時を過ごしました。
43歳 男性のストーリー
高校生の頃の話です。卒業する学年になり、仲の良かった人たちで海に行こうという話になりました。BBQもついでに行うということにして、すでに車の免許を持っていた友人たち何人かの運転で海に向かいました。私はかなづちのため、海で泳ぐという気はサラサラなく、BBQメインで考えていました。
海に着き、BBQ準備組と海で泳ぐ組がそれぞれ楽しんでいました。
私はもちろんBBQの準備を行っていたのですが、親に強制的に連れられたり、経験回数も多く、1人でも準備ができるくらいでしたが、わざと外から見ているフリをしていました。案の定、周りは慣れない作業に戸惑います。
こうなれば、私の1人勝ちが確定です。無言で準備に手を出し、すばやく調理を始めました。自宅から隠し玉として、オリジナルの手料理を仕込んだりして来ていたので、ウケは最高でした。
みんなの笑顔と楽しそうな表情を見て、結果として将来飲食の道に入るきっかけとなりました。
32歳 女性のストーリー
中学生の時友達と海に行く約束をしました。
好きな男の子達と一緒に行くこともあって、計画は友達と念入りに考えました。海に行く交通手段やお昼ごはん、そして水着!中学生ながら背伸びして友達とビキニを買いに行きました。いろいろ見て、その頃私が大好きな色の赤い色の水着を買うことにしました。
中学生には金額が高くなんと一万円!貯めてたお小遣いを使い買って帰ったのですがなんと紐ビキニだったのです。
母親にこっぴどく金額や紐ビキニだということに怒られましたが、どうしても着たかった私はその水着を着て海に向かいました。緊張して、好きな男の子と話せず遊べないまま、一人で海で遊んでいると、大きな波がきてかぶってしまいました。その時ビキニがとれてしまい。今でも忘れられない思い出です。
29歳 女性のストーリー
夏は、私と夫が付き合いはじめた記念日がある。それで毎年、決まったお店でディナーを楽しんでいる。去年も例年通り、今までの思い出に浸りながら楽しく食事をした。食事が終わり外に出ると、たまたま地元の祭りが開催されていたので、それを少し見ることにした。しかし、見始めてから10分後、いきなり強い雨が降り出してきた。私たちは急いで雨宿りをし、雨が止むのを待つことにした。しかし、一向に雨が止みそうな気配もなく、スマホのアプリで雨雲レーダーを見ても、雨雲が切れそうになかった。祭りはそのまま続いていたが、とても観覧するどころではなかった。私たちは急いでタクシーに乗って帰ることにした。しかし、祭りの影響で交通規制があっており、タクシーもなかなか捕まらなかった。傘も持っていなかったのでずぶぬれを覚悟していたが、夫が自分のカーディガンを私にかけてくれた。夫はもちろんずぶぬれになったが、私は大分雨をしのぐことが出来た。しばらくたって何とかタクシーを捕まえることができ、無事帰宅した。食事に祭りに大雨と、いろんなことがあったが、夫の優しさを改めて感じることが出来た記念日となった。
37歳 女性のストーリー
花火大会の後に下駄の靴擦れが痛くて、用意しておいた普通のサンダルに履き替えて歩いて帰りました。しかし、下駄を忘れてきてしまい、忘れた場所が悪くてちょっとした騒ぎになってしまいました。

その花火大会では橋を歩行者天国にして歩いて橋を渡って花火がかなり近くから見られます。橋の長さがかなりあるので往復すると疲れます。

私が下駄からサンダルに履き替えた場所が花火が見える方とは逆の橋の欄干の近くでした。下駄がポツンと置いてあるとまるで人が身投げしたように見えて、身投げひた女の幽霊が出たと噂になってしまいました。花火大会の場所が田舎なので、地元の人は花火の後しばらく幽霊の話ばかりしていました。

今さら下駄からサンダルに履き替えて、下駄を忘れただけですと言い出しにくい空気になってしまいました。そのときに一緒に花火大会に行ってくれた彼氏が、今の夫です。一緒に屋台で買い物をしたり、花火を見上げたり最高のデートになるはずでした。

夫も同じ地域の出身なので花火大会の日の下駄の話が、幽霊の噂になってしまったことを知っています。それでも、その幽霊の話が地元で盛り上がり過ぎて、

「今さら下駄忘れただけって言いにくいよね」

夫は苦笑いしていて、二人の秘密のようになっています。もちろん消防団や警察の人はプロなので、置き忘れただけの下駄だと知っています。捜索の川さらいもされませんでしたし、誰にも迷惑はかけていませんが気不味いです。橋の欄干の側でなくても、地元以外から来た人が下駄からサンダルやスニーカーに履き替えて、脱いだ下駄を忘れていくというのはよくあることです。

いくら田舎とはいえ、100人単位の人が橋の周辺にいて誰かが身投げしたら目撃者が出ます。また幽霊の噂にならないように、下駄からサンダルに履き替えるときは下駄を忘れないようにしています。

人騒がせな忘れ物でしたが、毎年今の夫と地元の花火大会に行く度に、あの下駄の忘れ物を思い出します。浴衣の色に合わせて買った下駄なのにもったいなかったなと思います。幽霊扱いされてちょっと後悔が残る忘れられない夏の思い出です。
40歳 男性のストーリー
私の忘れられない夏の思い出は、「仕事に明け暮れた」ということである。
私は塾講師をしているので、夏は「夏期講習」に明け暮れることになる。普段平日昼間子供達は学校に行っているので、塾講師の仕事は午後からである。
一方夏は子供たちは夏休みなので、平日昼間時間がある。よって塾も「夏期講習」ということで午前中からとなる。
「夏期講習」期間中は最も長時間となると、「午前8時30分~午後9時30分」が3週間続くことになる。もちろん途中いくつか休憩時間があるが、正直きつい。
なるべく「体力温存」を図った授業を心がけているが、悪態をつく生徒への対応がメインとなり、とても「体力温存」どころではない。
しかし大変過酷ではあるが、「忘れられない夏の思い出」には良い意味でも悪い意味でもなっていることは、確かである。
43歳 男性のストーリー
私が小学生の時、夏休みには友達と集まって近所の山や空き地などに良く遊びに行きました。今の時代ならあまり子供達も外では遊びませんし、出かけるにしても日焼け対策や熱中症対策など万全にして出かけると思います。でも昔はそんなこと考えてもいませんでした。周りの友達はジュースなど持って遊びに来てましたが、私の家はそんなに裕福では無くて、遊びに行ってもジュースなど買えませんでした。でも私の母が遊びに行く私にいつも冷やしたキュウリを一本丸ごと持たせてくれました。今思えば、母なりの水分補給という事だったんでしょうが、当時の私はとてもそれが恥ずかしくてたまりませんでした。夏休みの時期になるとお祭りなどで冷えたキュウリが売っているのを見かけると、あの時のほろ苦い夏の思い出がよみがえってきます。
21歳 男性のストーリー
中学時代の友人と久々に会うことになり、会った時、彼に彼女がいました、
しかも相手は自分も好きだった女性、そう彼もその女性が好きだったそうです。

話を聞くと、中学卒業式後に告白したみたいでした。

私は、おめでとう!と言いながらも、

友人に好きだった女性を取られ。

心の中は複雑な気分でした。

でも、二人を見ていると、お互い仲も良く、

周りから見ればお似合いのカップルでした。

そのことを感じた瞬間、私は、最初友人への嫉妬がありましたが、やはり君には勝てないなと感じました。

その日、ふと夜空を見上げました。その日の夜空は、気温自体は、蒸し暑かったのですが、

空には雲ひとつもなく、星空が綺麗だったのを今でも覚えています。
33歳 女性のストーリー
小学生の頃に通っていた学習塾のキャンプでの出来事です。その学習塾には仲の良い友達と通っていました。キャンプ場はログハウスがあり、プールも付いており昼間はプールを友人達と楽しんで、夜はログハウスでみんなでごろ寝をしてとても楽しかったのを覚えています。他の場所の学習塾の子達ともその時に初めて会ったのですがすぐに仲良くなれました。引率に付いてきてくれていたのは、いつもの塾の先生達とそのキャンプの時のみのアルバイトの大学生の方が何人かいました。朝方になって、ヒグラシの鳴き声がすごく綺麗に聴こえて起きました。朝ごはんは、大学生の方達がカレーを作ってくれていました。朝からカレーというのにも驚きましたが、そのカレーのまずいこと。私は食べられずに残そうとしました。でも大学生が「まずいなら食べなくて良いよ。」と言いますが表情がとても怖かったです。私はこっそりタッパーに入れて家に持ち帰りました。友達は見えないところで上手に捨てていました。楽しいキャンプでしたが、少し苦い思い出として忘れられません。
40歳 女性のストーリー
高校生の夏休みにイギリスにホームステイに行った時の人生最大のモテ期だった体験を告白します。
当時私は女子校に通っていました。中学まで共学だったので、出会いがなく、恋バナがしたかったのでオーバーに軽いノリでした。
日本にいた頃は、クラスでも三番目くらいに人気がある方でした。幼稚園から顔見知りの女の子たちのグループにいたら、その子たちが目立ってモテるので、その効果にあやかっていたと思います。地方にいましたが、そのグループの女の子で東京のモデル事務所にスカウトされ所属した人もいるくらいでした。
ナンバーワンにならないけど、時々アプローチされるくらいで私には充分でした。
高校は女子校でも、朝の通学の電車のホームで一緒になる男子高生に一目惚れし、彼もかなり人気あったのに、初めての彼女になったこともありました。
イギリスでのホームステイ先は、ものすごく歓迎される感じではありませんでした。私の数日前にも、日本からの留学生が帰国したばかりでした。
私は女子校のノリで、英語力はなくても恋バナでホストファミリーの同年代の女子2人と盛り上がって仲良くなるつもりでしたが、2人ともそんなに恋愛に興味がないようでした。

ホームファミリーに夢を抱いていた私は、コミュニケーションをとることを諦めました。

そのかわり新しい恋愛の出会いを探そうとしましたがきっかけがありません。

ところが、現地の英会話スクールへの通学に使っていた20代男性のバスの運転手さんが、どうも私へ好意を持っていたらしく、ホームステイ中、私の友達たち10人位のバス代をずっと半額にしてくれました。

また、友人のホームファミリーの男の子が、私のことをものすごく気に入ってくれたらしく、熱烈なアプローチをしてきました。その男の子に関しては、友人のホームファミリーということで、流石に遠慮しました。

極めつけは、ロンドンで有名なミュージカルであるCatsを最前列で友人達と見ていたら、Catsに出ている俳優が上演中にボディタッチなどでアプローチしてきました。

Catsは、最前列で見ていると俳優と目が頻繁にあったり、演出上、俳優が私の座席の近くで静止していたりするのですが、その間ずっと見つめあったりしていました。

容姿に自信がある方は、日本の映画の舞台挨拶で前の方に座っていると、かなり有名な俳優さんとしばらく目を合わせるという体験ができるチャンスもあります。
24歳 女性のストーリー
それはまだ私が大学生だったころ、学校のカリキュラムでクラス全員で行った月山への写生旅行。
初夏だというにもかかわらず、着いた場所はひんやり冷えており、山の山頂付近では雪が積もっていた。どこで写生するかは自由とのことでまだ雪の積もるエリアに行くメンバーに着いていった。
その時は、まさか普通のスニーカーで急斜面をロープで伝いながら雪道を歩くとは思わなかった。
いくらか歩き、多少岩肌が確認できるエリアで写生することになった。
その時、山頂付近から霧というか雲のような白い靄が降りてきては下へと通過していった、とても美しく誰かが流したジブリのアシタカせっ記がさらに雰囲気を駆り立てた。あの時の体験と光景、気持ちは今でも忘れられない、大切な思い出となっている。
57歳 女性のストーリー
57歳の専業主婦です。忘れられない夏の思い出は、恋の思い出です。20歳の時会社の得意先の方で、月に何回か来られる時に会釈程度ぐらいで、特に意識はしてませんでした。
しばらく経って、映画館でバッタリ会い、その1ヶ月後、今度は音楽フェスでまた出会ってしまって、その時に一言「奇遇ですね」からお互い電話番号を交換しました。
デートが始まって、すぐ意気投合して、私は彼のことが大好きになりました。
今思えば、私は恋愛にまだ慣れてなくて、想いが強すぎて、周りが見えなくなっていたかもしれません。
そんな私の想いに彼は重荷になってしまって、半年でこの恋は終わりました。
彼に振られてからは、しばらく塞ぎ込む毎日が過ぎました。
でも日が経つにつれて、前の彼とは対照的な今の主人と出会い結婚して、今は穏やかに暮らしています。
あれから20年経った時に、前の彼とバッタリ再会したことがありましたが、その時は懐かしい気持ちと昔の自分を思い出して少しキュンとした甘酸っぱい感動があふれました。
今でも忘れられない体験です

「忘れられない先生の話」

35歳 女性のストーリー
中学校の卒業式の日に、大嫌いだった国語担当の先生の元へ行き、封筒に入れられた「〇〇先生のことが大嫌いだった理由」というタイトルの作文を「先生、本当にありがとうございました」と真顔で渡しました。先生はお礼の手紙だと思っていたのか「ありがとう」と笑顔で言ってくださり、わたしはその場を去りました。

数ヶ月後、わたしの父が働く中学校に電話をすると、たまたま例の国語の先生が電話に出ました。父と同じ中学校に転勤していたのです。先生はわたしが父の娘と知っていたので、すぐにわたしと気付きました。そして「いやぁ君の作文衝撃的で忘れられないよ。素敵な作文ありがとう」と皮肉っぽく言いましたが、その後に「それにしても君は文章力あるな。すごくよく書けてたよ」と今度は大人の対応が帰ってきました。

思春期だったとはいえ申し訳ないことをしたと思います。
わたしも35歳になって大人になったので、もしこの国語の先生に会えることができるのなら会って謝罪したいです。
23歳 男性のストーリー
忘れられない先生は小学校の5年生と6年生の担任をして下さったN先生です。

自分自身小学校の頃は割と不真面目な人間でした。
不真面目といっても、皆様が想像するような不良ではなく
宿題は必ずと言っていいほどやってこない
口よりも先に手が出てしまう、しょうもないいじめっ子のようなものです。

更に目立ちたがりだったため、生徒会長や委員長といった仕事もしていましたが
目立つことだけを考えていたので
責任感なぞあるわけもなく、前述のいじめっ子気質のこともあって
毎日のようにN先生に呼び出されておりました。

ただ、自分がどんな馬鹿なことをしてもN先生は常に優しく
諭すようになぜ自分の行動は間違えているのか
どうすれば良かったのかを教えてくださいました。

時には自宅まで車で送ってくださったり
宿題を忘れたときは休憩時間に付きっきりで
私が終わるまで、見てくださったりと
お忙しいにも関わらず、本当にご迷惑をおかけしました。

とても印象に残ったようなエピソードがあるわけではありませんが
他の先生方以上に自分自身に向き合ってくださったことが
童心ながら、記憶に残っております。

私が小学校を卒業してすぐに、教員の仕事はやめられたとお伺いしました。
今は、何をされているのかはわかりかねますが
長年お会いできていないので
また時間を作って、ご挨拶にお伺いしようと思います。
48歳 女性のストーリー
忘れない先生は、息子の保育の先生です。
保育の時は1日の行動などを連絡帳に書いて頂くのですが、興味のある点を重視し記載されてましたし、こちらからの連絡事項にも寛大に返事を書かれて、よく笑わせて頂いた記憶があります。
送り迎えの前後に先生と話をしていても、親の方を見ながらも常に子供の事を気にかけておられて、危険な事をしている子供にすぐに注意されたり、子供が転倒などあったら保護者は取りあえず置いといて子供の方へ走っていかれるような先生でした。
多くの先生は保護者がウルサいので、ほぼほぼ保護者優先になってしまいますが、その先生は保護者優先ではなく、子供優先の素晴らしい先生だと思います。
突然の転勤でちゃんとお礼が言えなかったのが残念で仕方ありません。
21歳 女性のストーリー
高校生の時、私が入学式の時と同じタイミングにやってきた現代文の先生の話です。

最初から様子はおかしかったのですが、1番驚いたのが 羅生門 の授業の時でした。
最初はラジカセを使って音声さんが読み、クラス皆で聞き、それを踏まえて授業に入りました。
羅生門の登場人物である、老婆 や 下人 など、カラスまでも急にモノマネをし始めて、そんな先生は見た事がなく、クラス中で話題になりました。

その先生は自分のことを おっちゃん といい、私のクラスでほかの教科の授業をしていても前後のクラスでその先生が授業していたら、急な叫び声、急な音、等々とてもインパクトのある授業をする先生だったので、最初は他の教科の先生も 何?とはなっていましたが、高校三年生になるにつれ慣れてきたのか、 またやってるなぁ と発言する先生が増えてました。

今まで出会った中で一番インパクトがあり、授業中はとても賑やかな、親父ギャグが溢れ、冷たい空気が流れまくりでしたか、生徒のことも見て、ラフな関係で接してくれる、優しいおっちゃん先生でした。

25歳 女性のストーリー
小学校5、6年のときの担任だった男性教師のS先生は忘れられないくらいすごい先生でした。

小学校の先生は中学高校と違って担任が全ての授業を受け持つ上、小学生を相手にしていますから、少し変わった方が多いと思います。
S先生も、授業中によく怒って職員室に帰ったりしていました。

ある日、放送委員のクラスメイト3人が朝の放送でミスをしてしまいました。放送ボタンを押したままお喋りをしてしまったのです。
もちろんわざとではありませんが、S先生はかなり怒りました。
朝教室に来るなり怒鳴り、3人を前に立たせてみんなが見る中説教を始めました。
1時間目が始まっても終わりませんでした。午前中ずっと3人を立たせて怒り続けました。
お昼になって給食の時間になってやっと終わったと思ったら、午後の授業が始まる時間になるとまた3人を立たせて怒り始めました 。
同じ事を1日中説教し続けました。
あまりの異常な長さにクラスメイトは先生の方がおかしいと、みんな3人を同情していました。
結局帰る時間まで説教し続け、何のために学校に行ったのかわかりませんでした。

今だときっと苦情が来ると思いますが、もう何年も前のことなので特に苦情も入らなかったと思います。
今あの先生がどんな授業をしているのか気になりますが、きっと変わってないと思います。

「」

29歳 男性のストーリー
小1、小2の担任の先生は「おもらししてもいいから授業中トイレに行くな」という方針だったので、皆おもらししまくりでした(音楽会の最中も!)。
いじめっ子の頭にすら漏らした子をいじめる概念が出てこないほどの洗脳ぶり。
以降の先生は普通にトイレに行かせてくれましたが、しばらくはトイレに行った子はそのクラス上がりの子から「漏らせばいいのに、授業から逃げようとする卑怯者」という扱いを受けていました。
いかにその年齢の子供たちにとって先生が絶対的な存在か、思い知りました。

「忘れられない先生の話」

24歳 男性のストーリー
私にとって忘れられない先生は高校時代の世界史の先生です。先生は世界史のみならず世の中の様々な知識や分野に精通しており、しばしば私たち生徒の知的好奇心をくすぐっていただきました。また先生は知識量のみならず、ユーモアにも満ち溢れておられ、大学受験期の精神的にしんどい時期でも私たちを笑わせて和ませてくれました。その結果、世界史では満点に近い点数を獲得することができ、無事に第一志望の大学に合格することができました。大学に合格した今でも私はしばしば母校を訪れますが、先生に会うたびに楽しく充実した高校生活が脳裏によぎります。私も将来は学校の先生になって生徒に好かれ、模範とれるように精いっぱい努力していきます。
44歳 男性のストーリー
中学の時、非常に見た目のキャラの濃い男性の先生がいた。
当時、とんねるずの石橋貴明が演じていた「ほもだほもお」にそっくりだったのだ。
そんな彼なのに、言動が非常にキザ、英語教師だった彼はまるでルー大柴のごとく会話に無駄に英語を挟んでくる、笑いの生まれないルー大柴。
そんなルーのことも卒業してしまうと忘れてしまっていた。
大学になった、久しぶりに地元の同級生とあった。同じクラスだったこともあり話も弾んだ、そのうち担任の先生の話になった。自分たちは彼女が初めて担任するクラスの生徒だった。小柄な彼女は少し生徒からナメられていた、そしてナメられたままにならぬよう彼女はよく大声で怒鳴っていた、とりたてて美人というわけでもなかったが可愛いらし印象で、今ならもっと人気があったんじゃないかな、みたいな話をしていた。
そこにちょうど別の同級生が来て、その元担任の先生と仲がいいといって、電話をかけ出した(当然家電だ)、横から電話の話きいていると、どうやら結婚したらしい、同級生はなぜか担任先生の旦那さまと話し始めた。??どういうこと、と思っていると。電話を切った同級生が「まさかルーと結婚するとはねー」
まじかーーー、人ってわかんない、そして二人のことは僕を忘れることがなくなった
23歳 男性のストーリー
高校時代、入学してすぐの事です。
私は野球部に入部しました。
新入部員は私を含めて15人でした。
当時、先生(監督)はとても理不尽ですぐ怒る方でした。さらに暴力的なことも多々あるで有名でした。これは他の生徒にはすることなく、野球部員だけの態度でした。
ある日、先生の体育の授業で同期の野球部が忘れ物をしました。
それを授業を受けていた生徒の前で説教をしました。
先生の怒りのボルテージが上がり、最後に生徒の前で暴行を行いました。
それを見ていたある生徒が学校で定期的に行われる体罰調査のアンケートでそのことを書くと、学校側で問題となりその生徒は呼び出しを受けたりと大変なことになりました。
結果、先生の処分は減給になりました。
57歳 男性のストーリー
 高校の時の専門科目に忘れられない先生がいる。
 私は建築科に在籍していたのだが、卒業時、留年しかけていた。
 別に落ちこぼれだった訳ではなく、自慢でではないが、どちらかと言えば成績は良い方だった。しかしスランプに陥り、必須課題であった製図の課題が全くと言っていいほどできていなかった。
 担当の建築製図の先生が、最終提出日を過ぎても提出できない私の描きかけの図面を見て「今までの成績から、この図面とこの図面はできたことにしよう。あとこちらの図面を仕上げれば、課題達成にする」といってくれて、本来の卒業式には間に合わなかったが、卒業することができた。
 そんな状態だったので、卒業後の進路は未定だったが、その先生が知り合いに頼んでくれて、先生の知人の設計事務所に入れてもらうことができた。が、3か月と続かず辞めてしまった私に、また、別の知人の勤める建築会社を斡旋してくれて、某鉄道系建設会社に入社させてくれた。
 卒業して何年も経っているのに、色々迷惑ばかりかけて、年賀状を送ったり、お中元、お歳暮を贈ったりしていたが、鉄道系会社も数年で辞めてしまってからは、年賀状も送らなくなってしまった。建築関係からも離れてしまった今でも、今の自分があるのはあの先生のお陰だと思っている。
48歳 女性のストーリー
中学3年生の頃の事です。隣のクラスの先生が忘れられません。年齢は26歳で、若い先生に憧れていました。国語の先生だったので、国語は、ものすごく頑張りました。他にもその先生に憧れている娘は多く、ライバルが多かったです。今まで学校の先生で若い男性の先生は居ませんでしたので、その先生は人気が有りました。毎日、先生と自分の事を妄想していました。文化祭の時は一緒に写真を撮ってもらいました。卒業式の時はアドレス帳にメッセージを書いてもらいました。でも、その先生には彼女が居て、体育祭の時に一緒にお弁当を食べてたそうで、友達に「諦めた方がいいよ。」と言われても諦めきれませんでした。
それから8年後、私はレスロランで接客のアルバイトをしていて、その先生が奥さんと一緒に食事に来られました。私が声をかけても気付いてもらえなかったのですが。
23歳 男性のストーリー
私が思う忘れられない先生は私が小学3年生の時の担任の先生です。その先生は今の時代では考えられないような教育法でクラス全員の成績を上げていました。その先生は
かなり破天荒で武闘派な先生で悪事やいたずらをした生徒にはほうきの竹の棒で割れるまで叩いたり向こう側まで聞こえるような大声で罵声を挙げるなど今では社会問題も
のの行動や教育指導をしていました。そしてテスト期間の時ではカンニング防止のためわざわざ教室から全員机といすを持ってきてかなりの一定間隔を空けてテストを実施
しており給食もそこの体育館で食べていました。当時は体育館で給食を食べることなどなかったので新感覚だなと思ってましたが今になって考えるとかなり凄い事をやって
いるなと思いました。そしてその担任の先生は体罰として鉄拳制裁は当たり前で自分のクラスはもちろんのこと、他のクラスの生徒の悪事まで徹底的に指導していました。
しかし根っからの悪人ではなくその先生いわく「出来るはずのことをしていない。言われたことをしていなかったら怒る」と言っていたのが印象的でオンオフの切り替えが
凄まじく生徒と遊ぶ時は学校全体を貸切って鬼ごっこをしたり先生も交じって全力で遊んでくれてとても遊び心のある先生で授業をする時は「7時間目まであるかわりに宿
題無し」というのもありました。今でもある意味忘れられない印象的な先生でした。現在その先生は他の学校で校長先生をしています。
44歳 女性のストーリー
高校時代の英語の先生です。物静かで少しボソボソ話す先生でした。その先生はビートルズの大ファンで英語の授業は視聴覚室でやることが多かったです。
先生はビートルズに影響を受けた人で歌詞を自分なりに訳してみたり歌を歌ったりして勉強したそうです。視聴覚室では先生が録画したビートルズのビデオを見たりビートルズの歌をよく歌ったりしました。
学校の教科書そっちのけでビートルズ一色。他のクラスからは羨ましがられましたね。
ただテスト前になると教室で教科書の授業になるので退屈。1回の授業で数ページ進むのでついていくのが必須だし、自分で勉強しないと試験範囲までたどり着けないというちょっと困ったことがありました。
今でもビートルズをテレビでみたり曲を聴くとその先生を思い出しますし、授業はあまり覚えていないけどビートルズの歌は唄えます。
「生きた英語を学ぶことは大事」とよく言っていた先生でした。
45歳 男性のストーリー
今では考えられませんが、小学校5?6年生の時の担任が教室でタバコをすっていました。それも休憩中ではなくて授業中に吸っていました、ある時はそのタバコを吸っている手をデッサンさせていました。
給食の時ももちろんテストの時でさえプカプカ吸ってました。
そのくせ金八先生に憧れているのか、授業を突然潰して散歩大会したり、人生論を語り出したりとかなら無茶苦茶でした。
金八目指すんならます生徒の前でタバコ吸うなよって思いますけどね。
当時も何人かの生徒はタバコをやめてくれと直談判しに行きましたが、相手にもされず喫煙はやめてくれませんでした。

更に最低なのが隣のクラスの担任を授業中に口説くんです、それも冗談とかではなくで本気です。

今は何してるか知りませんが、先生を続けられたとは思いません
62歳 男性のストーリー
それは、小学校の時の先生です。5年生と6年生の担任をしていただきました。一番心に残っているのは、クラスの全員で合唱練習をして、県民会館という大きな舞台で披露したことです。合唱部でもなく、特別な集団でもない、ふつうのクラスの児童が大きな舞台で歌うということは当時はあまりありませんでした。でも、その先生は「歌の力」をご存じだったと思います。「モズが枯れ木で啼いている」という歌詞で始まる反戦の歌は今も私の心の中にしっかりと残っています。また、この歌を一生にうたったクラスの仲間も、心の中でいつまでも忘れられない存在となっています。また、先生は、今でいう放課後学習を熱心にしてくださいました。終礼の時に問題をだして、それが解けたら帰ることができるというようにしてありました。必死で考えた記憶があります。今も覚えている問題は、速度の違う二台の車があって、一方が追い越される時間を求めるという問題です。数学的な考え方の楽しさを教えていただいた気がしています。感謝しています。
23歳 男性のストーリー
小学6年生の1学期の始業式の校長先生の話です。校長先生は日本国内を鉄道で旅行することが好きで、移動中に車窓から富士山を眺める機会が多くあったようです。特に、車窓から見える綺麗な台形の富士山が、印象的だと話していました。しかし、あるとき旅行で普段あまり通らないルートの鉄道に乗っていたとき、車窓から富士山を眺める機会がありました。そのとき見た富士山は、綺麗な台形ではなく、中腹にコブのようなもの見えたそうです。これは、富士山が江戸時代に噴火した際に富士山の中腹にできた宝永山というものです。校長先生はこのとき、この宝永山を見つけることができたのは、富士山を普段見ない方向から見たためであり、あるものを色々な方向から見ることで、新しい発見をすることができるのだと感じたそうです。その経験を踏まえて、校長先生は生徒たちに物事を色々な方向から見ることができるようになってほしいと伝えました。この話は今でも強く印象に残っています。
39歳 男性のストーリー
国語の教師の方で、とても真面目な人でしたが、少し変わっている所がありました。給食の時間になると自宅から持ってきたであろうミキサーを持ち出して、何と給食をミキサーにかけてしまうのです。惣菜も御飯も飲み物(三角パック牛乳)全部入れてミキサーにかけてしまいます。そして、そのドロドロになった物を飲み干すのです。ある日、友人が先生になぜ給食をミキサーにかけるのか聞くと、本人曰く「腹に入れば皆同じ、歯で噛むより消化も良いし、時間も短縮できてる」だそうです。究極の効率化と言えば確かにそうですが、味はおかしくなり普通の人では飲めないかと思います。別にその先生は、歯が悪かったり特別な病気でもないのに不思議な方でした。
50歳 女性のストーリー
私が小学5年性の時の担任の先生の話です。田舎の小学校に大学を卒業したばかりの男性の若い先生が赴任してきました。10歳くらいは違いますが、兄のような存在でした。先生は、初めて先生となり、私たち5年生の担任として向き合うのですが、私たちも田舎の子供とはいえ小学5年生、悪さもします。善悪とか深い意味もなくやっていたことが多かったように思います。クラスである女の子に〇〇菌と名前をつけてからかっていました。その女の子も笑っていたし、いまでいうイジメとは違うちょっとした遊びのつもりでした。ある日、クラスに先生が入ってきたとたん、ものすごい顔でこの遊びをしていたものは手をあげろといい、私たちクラスの半分以上の生徒は先生に叱られたのでした。悪気なくしていた私たちには何が起こったのかその時、ぜんぜん理解ができませんでした。ただ、だんだん涙を流しながら話をする先生の姿をみて、私たちはそんなに彼女を傷つけていたことがわかりました。今でもあの先生の泣いている顔が忘れられません。
31歳 男性のストーリー
中学3年からのサッカー部の顧問の先生。

自分が中学3年生の時にサッカー部の顧問が異動になり、新しく別の中学校から来た先生がサッカー部の顧問となった。
それまでの自分はそこまで熱心にサッカーに取り組んでいるというわけではなく、部活自体も楽しいとは感じていなかった。

しかし、新しく来た先生の練習は厳しい面もありながら非常にやりがいがあり、中学3年生の4月から部活を引退するその年の夏までの間、とても楽しくサッカーに取り組むことが出来た。その結果、自分は中学で辞めようと思っていたサッカーを高校でも続けるようになり、今でもサッカーに関わる仕事をしている。

この先生に出会っていなければ、間違いなく自分は別の道を歩んでいた。
指導を受けた期間は5か月程度だったが、その先生のことは今でも強く印象に残っている。
25歳 男性のストーリー
高校3年生の時の担任の先生が今でも忘れることができません。定年退職直前のおじいちゃん先生でしたが、どんなことに対しても熱心に取り組む姿がとても印象的な先生でした。その先生は化学の先生でしたので、時々原子記号のTシャツを着てきてなかなか面白い一面もありました。生徒たちから「そのTシャツをテストの時に着用してよ」と言われてましたのを覚えています。そんなことをしたら公開カンニングで大変なことになるのは間違いありません。とにかく熱心に指導していただき、生徒を愛する心をとても持っていた先生だと思います。時々起こることもありましたが、内容としては全て生徒に対してのことで、それだけ熱くなってくれていたと思います。
32歳 女性のストーリー
高校時代、バレンタインの時に仲のいい先生たちにチョコレートを渡すことが流行っていた。その当時の化学の先生が独特の変わった先生で常に飄々としていて面白く、もしチョコレートをあげたらどんな反応をするのか、お返しに何かくれるのか気になって友達と一緒にあげることにした。
チョコレートをあげると普段よりは少しテンション高めにお礼を言ってくれ、後日お返しをくれると言ってくれた。しかし、先生の性格的にそうは言っても恐らく実際にはお返しを用意するのを忘れるだろう、と友達と予想していた。
ところがその予想は見事に外れ、お返しを渡された。どんなものをくれたのかと見たら…チョコがけするめ。チョコのかかったするめだった。
一体なぜこのお返しなのかと聞くと、単に面白かったかららしい。本人も食べたが全く美味しくなかった、とまで言われた。
一体どこにこんなものが売っていたのか、何故これを選んだのか、更にはジョークアイテムとしてだったとしても何故先生本人の分までわざわざ買って食べてみたのか、と複雑な気分になった。
バレンタインの時期になるとどうしてもこの先生とするめチョコを思い出してしまう。
33歳 男性のストーリー
当時小学生だった時、いらっしゃった先生の話です。
声と体が大きく、いわゆる熱血タイプの先生で、みんなから好かれている先生でした。
悪いことは悪いとハッキリ叱ってくれる一方で、授業中はいつもユーモアたっぷりでみんなを笑わせてくれる、
本当に尊敬できる先生でした。
私の学校は非常に人数の少ない田舎の学校でしたから、2学年が一緒の教室で過ごす複式学級という形式をとっていました。
つまり、5,6年生が同じ教室で過ごし、その担任は一人なんです。そして、5年生になった時の担任が自動的に6年時まで
持ち上がるような仕組みでした。
当時の5,6年は毎年その熱血先生が担任しており、私も最終的には担任してもらえることを楽しみにしていたのですが、私たちの学年だけ、
なぜか違う先生が担任になってしまいました。私は本当に悲しくて、発表があった直後、プールで作業をしていたその熱血先生の所に行き
涙を流しながら、「担任が先生じゃありませんでした・・・」と話しに行ったのを覚えています。
先生は困ってしまい、「そうか・・・」とだけしか返ってこなかったのですが、今ではいい思い出です。
その後、担任は違えどいつも相談に乗ってもらい、頼りになる先生でした。
29歳 女性のストーリー
私の忘れられない先生は、高校時代の政治経済を担当していた先生です。この先生が授業で行った政治経済を教えてもらった記憶はほとんどありません。なぜなら、この先生は毎回、「人は生きていく上で人の話を聞くということが一番大切なんだ」という話ばかりしていたからです。教科書の内容が進むのは、一回の授業で1ページ2ページくらいのこともしょっちゅうでした。私はなぜこんなにちゃんと授業をしないのか、なぜ毎回同じ話ばかりするんだ、と思っていました。なぜこの話ばかりしていたかは今でも分かりません。しかし、学校の他の授業の内容は、年数が経つにつれて忘れていったのですが、この先生の言葉だけは今でも鮮明に覚えています。先生はおそらく、点数を取るためのいずれ忘れてしまう知識よりも、生きていく上で大切なことを伝えたかったのだと思います。人の話を聞くというのは、簡単そうで難しいです。この大切さを教えてくれた先生にはとても感謝しています。
32歳 女性のストーリー
私の忘れられない先生は中学校3年間の担任の先生です。3年間同じ担任だったというのもあり、すごく思い出が沢山ある先生です。
学校行事の体育祭では全力でクラスのみんなを応援して、学校祭ではクラス発表にも自ら参加し、ダンスを踊り、合唱コンクール毎日も一緒に練習してくれる熱意のある先生でした。
授業中には急に先生の面白い話(漫談)が始まって度々授業が中断されたり、国語教諭だったので詩の授業の時なども全身を使って表現してくれる面白い先生でした。
何より1番忘れられないのは3年間毎日欠かさず先生がやってくれていた事です。
毎朝教室にいくと、必ずおはようから始まるメッセージが黒板いっぱいに書いてあり、前日に思った事や面白かったことなど、先生のそのメッセージを読むのが毎朝の日課でした。
学校は嫌いでしたがその先生のことは大好きでした。
36歳 女性のストーリー
小学校4~5年生の時の担任の話です。当時26歳くらいの女性で、4年生~6年生の間の担任でした。あるとき、以前から問題行動が多かった男の子が、いよいよ私を含め同級生に乱暴なことをしてきました。後から聞くと、彼の家庭環境がかなり複雑で、そのストレスが出たのだと思いますが、そんなことを知らない子供たちは、暴力的な彼にただ参っていたのです。そこで「いじめ」という形で彼に「制裁しよう」というクラスが一丸となりました。最低最悪な方法ですが、その時は私たちは正義の鉄槌と考え、間違っている意識はありませんでした。〇〇菌、無視など、暴力以外のいじめはやったと思います。自分でも胸糞悪いです。今は彼に本当に申し訳なく思っています。あるとき、クラス全員そろっている状態で〇〇菌とこっそりやっているところを、その担任に見つかりました(以前からうすうす気づいていたのではないかと思います)。そこで、先生は「いじめやってんのか!」と激怒。でも次にもっと怒られるかと思ったら、先生は机に突っ伏して泣き出しました。何か先生は言ったんでしょうが、何を言われたかは覚えていません。でも、20年以上昔のことなのに「私たちがやっているのは人というものを悲しませる重大ないけないことだ」と心に強く刺さったのです。それからは、いじめがピタリとやみました。みんな同じように思ったのかもしれません。もしそこで先生が糾弾したり、責任の所在を求めたら、私たちの反応は違っていたのではないかと思います。先生がただ泣いていた。いじめは人を悲しませる、やってはいけない行為なのだ、と、身をもって教えていただいたと思います。
27歳 女性のストーリー
私の忘れられない先生は高校の時の担任の先生の2人です。
1人は一年の時の担任の先生だった女性です。まだ20代で先生の中で若くて、自分たちと歳があまり離れていなかったので、まるで友達のように接してくれる、とても可愛らしく女性として尊敬できるほど優しい先生でした。初めて先生から「友達のように思っていた」と私と先生で揉めたときに言われたので、それがとても嬉しかったです。
それだけ親しくなれて、好かれているんだということを実感したからです。普段みんなにいじられているけど、ちゃんと先生らしく厳しいところもあり、しっかりしていてとても好きです。初めて信頼できる、友達のような親しみのある方だと思ったのがこの先生でした。
もう1人は今の時代に珍しい熱血教師な男性。とても生徒のことを心から思っていてくれて、大事に思ってくれているからこそ時に厳しい、イタリアなどの外国とバイクが大好きな先生です。2年と3年生の時に担任だった先生で、手のかかる個性的的な私たちを二年間熱い思いで見守って、色々なことを教えてくれた素晴らしき恩師です。
何度私たちを叱っても決して見捨てない、とても優しい、大きな愛情を持って私たちと真剣に向き合ってくれました。その事がとても珍しく、皆なんだかんだ言って感謝している大好きな先生です。
高校の時にもっとたくさんの素敵な先生に出会いましたが、この2人の先生が一番近くて素敵だったので今でも忘れられない先生達です。
33歳 女性のストーリー
小学校2~5年までの校長先生。今思えばとても面白い先生でした。とにかく色々な企画をしてくださる先生で、「校長先生と行う親子料理教室」「校長先生と行く魚釣り」「校長先生の夏休みプール教室(夏休みの午後に開放されるものと別で午前中に開かれていた)」「校長先生と行う工作教室」などなど、本当にたくさんのたのしい企画を考えてくださっていました。
中でも一番インパクトがあったのが冬季にグラウンドが使えない時期、業間体育の時間に何のレクを行なうかの学級会をしていた時に丁度教室を見回り中だった校長先生が学級会の議題を把握して『はーい!!ボク(校長先生)は新聞を丸めたものを雪玉として、室内でもやれる[室内雪合戦]がいいと思いまーす!!』と元気よく提案したことです。
満場一致で賛成で、その日以降業間体育の時間に何度も室内雪合戦を行ないました。

例えるなら「窓際のトットちゃん」に出てくる校長先生に近い方だったという印象です。
23歳 女性のストーリー
私の中学の時の理科の先生の話で、
いつも授業中に世間話8割で、理科の授業を2割くらいしかやらない先生がいました。
独自の持論で、色々な話をされるので、普段聞けないし
分からない話を、理科の授業のたびに聞けました。
面白くて、いつも笑っていました。
理科の先生の授業なんか少なくていい、やらなくていい
みたいなスタンスが新鮮で、ああこんな先生もいるんだと思い、楽しい先生だなと思いました。
理屈ばかりで、頭の固い先生よりも、よっぽど授業が8割方雑談だったので、
面白く楽しかったのも事実です。
ああいう授業のやり方もあるんだと思ったし、なにより授業が苦痛だった身としては、
その先生の授業がいつも楽しみで仕方ありませんでした。
24歳 男性のストーリー
 私が出会った中で一番印象に残っているのは高校3年間ずっと担任だったY先生です。
 Y先生の指導教科は英語で、私は彼のおかげで苦手だった英語を克服し、そして大学は英語専攻に進みました。先生の授業は、どちらかといえば理系チックで全てルールに基づいているといった感じで、私自身理系でしたので、自分のスタイルに合っていました。
 また授業外では気さくな人で話しやすく、文化祭や体育祭などの学校行事は、生徒よりも楽しんでいて、それにつられて私たちも準備・練習に励んだのを覚えています。現在では退職され、家族とのんびり暮らしているようです。もう学校での先生としての彼は見ることができませんが、たまには連絡をして、一緒にご飯にもいったりしています。当時の担任の先生と一緒にお酒を飲むのは、少し不思議で懐かしく感じます。また今度思い出話でもしながらお酒を飲みたいと思います。
26歳 女性のストーリー
高校時代の数学の先生でしたが、授業にプラスチック製の野球バットを持ってくる先生がいました。
いわゆる指示棒の代わりだと思うのですが、この先生は授業中に黒板をそのバットでバンバンと叩くので、最初の印象は「そのうちそのバットで誰か叩かれるのではないだろうか…」という若干の恐怖を感じていたのを覚えています(実際に居眠りをしていた生徒は軽く叩かれていましたが)。
しかもそのバットは何本もあるらしく、今日は青色、次の日は赤色…と先生の気分によって変えてくるようで、生徒同士で今日は先生が何色のバットを持ってくるのか、ちょっとした賭けをしていたりしました。
その先生の授業自体はとても分かりやすく(若干口調は悪かったのですが)優しい先生だったので、なかなか出会うことのない面白い先生だったなと思います。
21歳 女性のストーリー
私が忘れられない先生は中学校の担任の先生です。私は3年間担任をしてもらいました。女性の先生で、生徒のためを思って尽くしてくれるような先生です。例えば、体育祭でクラスで競う大縄跳びがあれば生徒だけではなく休憩時間に必ず先生も練習に付き合ってくれました。合唱コンクールではそれぞれのパートごとに家で自主練習できるようにCDを配布して一緒に優勝を目指してくれるような先生でした。それだけではなく、誰かが病気をして入院をしたときにメッセージカードを送ろうと提案をして、クラスメート全員でメッセージを書いたりしました。私も中学時代肺炎で入院していた期間がありましたが、クラスからメッセージカードをもらって元気が出ました。このように生徒ひとりひとりを思って行動をしてくれる素敵な先生だったなと思っています。
60歳 女性のストーリー
忘れられない先生。ということで一番に思い出されるのは、今は亡き高校時代のT先生です。1年生から3年生まで担任としてお世話になった物理の先生でした。
堅物という印象で取っつきにくい雰囲気の先生でしたが、私が家庭の混乱や親との関係で、何もかも嫌になっていた時に、それに気づいてかけてくれた一言です。
「僕は、親は誰でも子どもを大切に思っているはずだ。とかは言わない。だって君の親の気持ちは知らないし、子どもを愛せない大人も居ると思っているから。唯、言えるのは、僕が担任として君をとても大切に思っているということは、確かに言える。もしもどうしようも無くなって、屋上から飛び降りようか。とか思ったら、どうしてもそうするなら、一緒に飛び降りるから僕にだけは知らせて下さい。」
当然、一緒に飛び降りるつもりではないと分かりつつも、こんな風に自分を気にかけて、誤解を受けるような言葉を使ってでも、守ろうとしてくれる人が居るのだ。ということが私自信がそこから先に進む力になりました。
60歳 女性のストーリー
高校時代の3年間担任としてしてお世話になったT先生は、忘れられない先生の1人です。
家庭の混乱や、親との関係などの今となっては小さい事で悩み、何もかも嫌になっていた時期がありました。本当に死んでしまったらどんなに楽か・・・と考えてみたり。
そんなときに、今は亡きT先生が気付いてくれってかけてくれた一言です。
「僕は、親なら誰でも子どもを大切に思って愛しているはずだ。なんてことは言わない。だって君の親の気持ちは僕には分からないし、子どもを愛せない大人も居ると思うから。でも、僕が君をとても大切に思っているということだけは、言える。もしもどうしょうも無くなって、屋上から飛び降りよう。なんて思うことがあったら、話してもどうにもならないなら、僕は一緒に飛び降りるから、必ず声をかけて下さい。」
まさか本当に一緒に飛び降りるつもりは無いと分かりつつも、そんな風に誤解を受けるような言葉を使ってまで私を気にかけて、守ろうとしてくれる人が少なくとも1人を居るんだ。という思いが私の新しい一歩を踏み出す力になりました。
36歳 女性のストーリー
 アメリカ人の英語教師の話です。50代の中年男性で英語のディスカッションクラスの先生でした。第一印象は、あまりフレンドリーではない先生でした。授業は、生徒が興味のあるニュース記事を各々持参し、皆で話し合います。
 ある日、私は「日本における児童虐待問題」についての記事を持参し、クラスで話し合いました。どうしたら解決できるかという意見を皆でシェアをしていた時、先生が「僕は、小さい時、父親から暴行を受けていたし、罵声も浴びせられていた。また父親や姉から性的虐待も受けていた。断片的に覚えている。何度も何度も死にたいと思った。」と話しました。その話を長々とされて、クラスメイト全員はドン引きしてしまいました。それを聞いた、私は胸糞悪い思いをしました。あまりにもショッキングな話にクラスメイト全員が、ディスカッションができなくなりました。レッスン後、クラス皆で「あの先生、大丈夫?」と話しました。
 その先生に対してダークな悪い印象を持った私は、先生が日頃から書いている詩をネット上で見つけました。その内容が「姉が父親から性的虐待をされているのを自分が覗き見している」というもの。身体がゾクゾクするような生々しい文章の表現で、気分が悪く、先生の奥深い心の闇を垣間見ました。それから私は、先生のクラスを取りたくなくなり、顔も思い出したくないくらい嫌いになりました。

「人生で一番贅沢した話」

46歳 女性のストーリー
今年の7月に入院・手術をしました
入院は経験ありましたが、手術は初めてでした。しかも乳がん(幸いにもステージ2)

数年前に入院したときは6人部屋で口から生まれたようなオバサマに囲まれて毎日血圧が高くなっていくのを体感できました

病名も乳がんなので「個室」を希望し、幸いなことに空き部屋があり使えることになりました

シャワーやトイレは部屋で使いたいと希望したところ、さらに家電付きの1日2万円のお部屋を使わせていただきました

入院期間は12日 +手術代=46万円の請求書に驚きました

医療保険、ガン保険に加入していたのでカバーできる金額でしたが旅行でも1日2万の宿泊は今まで一度もしたことがありません

個室なのでポケットWIFIをレンタルして一日中音楽を聴いたり、動画を見たり
ストレスのない「快適な入院生活」でした

食事も私の好物ばかり、入院前に体の免疫機能を高めるために始めたウォーキングでできたウエストのくびれが術後3日でなくなっていました

煮豚、酢豚、豚肉のピカタ、メロン、はまぐりのようなあさりの味噌汁
朝は焼鮭、のり

すべて美味しく頂きました、入院なのに心身ともに贅沢した12日間でした

47歳 女性のストーリー
私が、自分の人生で一番贅沢した話は、今の生活です。
今、私は大切な人と結婚して、一緒に住んでいます。
一緒に住みだしたのは昨年の春からですが、今の彼と生活する前は恥ずかしながら生活保護を受けていました。生活保護を受けていた理由は、母の虐待が何十年にもわたって続き、病気の私を虐待し続けて治療効果が出なかったためです。
生活保護を受けてからも地味な生活を続けていましたが、家でお仕事をしたりしながら収入を得ていました。その分は収入申告をして差し引かれるのですが、自分で得た収入がささやかな充実感となっていました。
その後、落ち着いた頃に、今の彼と出会いました。
今の彼との出会いは、インターネットです。
しかし、とても良い人で、優しく、思い出も沢山できるほど旅行も沢山行きました。
生活保護を抜けてからは、彼と一緒に暮らしています。
喧嘩のようなこともありますが、彼と一緒に行った北海道のフォトウェディングが一番幸せでした。今後も幸せで今のような贅沢な生活が続くとは思っていませんが、
ささやかな贅沢が続けばいいなと思っています。
57歳 女性のストーリー
人生で一番贅沢したのは、結婚して2年目くらいに私たち夫婦と友人で行ったイタリア旅行だろう。
わたしの1年契約の仕事が終わったこともあり、友人の仕事にくっついていく形で(旅費は自腹です)イタリアへ10日間ほど滞在したのだ。
訪れたのはベネツィア、ローマ、フィレンツェ、チンクエテッレなどなど。
ベネツィアでは友人の仕事が終わるのを待つ間にプラプラと街中を散歩したりゴンドラに乗ったり、教会を見学したりとちょっとした新婚旅行。
ローマではヴァチカンへ行ったり、フィレンツェでも美術館巡りと美味しいイタリア料理を堪能、そして世界遺産へのチンクエテッレへ、美しい海と可愛い街並みでのんびりしました。
道中、崖沿いの道にあった小さなレストランで食べた海の幸と美味しいパスタ、そしてデザートのピーチシャーベットの味は忘れられませんね。
ツアー旅行ではないレンタカーでまわる、気の張らない友人と夫との気ままな旅。
もう一生そんな旅行はできないだろうなぁ。
イタリアの空気、美しい景色、映像でした見たことのなかったシスティーナ礼拝堂の天井画、ミケランジェロのピエタ、そして飲めるくらいフレッシュなオリーブオイルには感動したし、ワインは安物ですら美味しい。当然のことならがパスタも素晴らしかった。
しかぁし!もらった感動はプライスレスかもしれないが、旅のための出費はそこそこ大きな金額。しかも夫婦して自由業の身なので10日休めはその分の収入ゼロ。
懐は通常の2倍の痛手となるわけで、こんな贅沢はそれ以降二度とできないでいるのである。

34歳 女性のストーリー
家族でハワイ旅行にいきました!旅行代は母の退職金でホテルはどこでもいい!と言うので、モアナサーフライダーの最上階のスイート部屋を2部屋を繋げて取りました。飛行機はJAL。旅行代金だけで150万円はかかっていました。さすがサーフライダーのスイートは部屋もキレイで景色・ロケーションが抜群でした!(^^)! アメリカの独立記念日に合わせて花火の打ち上げがあったのでディナークルーズを予約して船上より花火鑑賞。アクティビティはスキューバーダイビングなど、すべて母のお金。ご飯代などは一緒に行った姉家族が負担してくれ私は0円。CHANELで見つけた腕時計に一目ぼれして80万円でしたが、今回の旅行でお金を使っていないので勢いあまって買っちゃいました!贅沢旅行でした。
59歳 男性のストーリー
一番贅沢をしたのは、高額ながら高性能スポーツカーを
現金一括(当時総額350万超)で買ったことです。
乗用車を買ったのは3台目でしたが、一番気に入った物が手に入りました。
ボディーは小型で、ほぼ5ナンバーサイズ(幅のみが3ナンバー)に収まり、
狭い道でも扱いやすく、正しく楽な運転姿勢がとれ、安定した走り、加速の良さ、
ハンドリングの気持ちよさなどを兼ね備えた最高の乗用車です。
フロントデザインも他の物にない独特な風貌で気に入っています。
高価格なこの車を買える金銭的余裕が有る時に出会えた幸運なタイミングに
感謝したいです。
もう20年近く乗っていますが、未だ手放す気になれません。
高性能な車だけに、世間では乱暴に乗って事故を起こす人が多くいるようですが、
私に言わせればこんな良い車を雑に扱うのは非常にもったいない話です。
私はこの車に乗ってからこれまで無事故で来ています。
これからも丁寧に運転し、大事に乗って行きたいです。
59歳 男性のストーリー
私のこれまでした一番の贅沢は、高性能スポーツカー(購入当時総額350万超)を買ったことです。
思い切って現金一括で購入しました。
これを買えるだけの金銭がある時期にこの車が発売されたことに感謝したいです。
正しい運転姿勢がとれ、小型で車幅感覚も掴みやすい、ほぼ5ナンバーサイズ(幅のみ3ナンバー域)で、加速、ハンドリングはもちろんのこと、
フロントマスクも風変わり個性的で気に入ってます。
これまでに2台普通乗用車(セダン、200万前後))を購入していますが、
3台目のこれは格段の差で気に入っています。
因って、贅沢といえども安い買い物だと思っています。
世間ではこの車で事故を起こす人たちが大勢いると聞きますが、
私にすれば、こんな良い車を勿体ないことだと思います。
私は公道では力任せの運転をせず、スムースで綺麗な運転を心がけています。
この車で乱暴運転をしたら、それこそ格好悪いし、ましてや煽りなどしたら洒落にもならないですから。
ですので、この車を運転するようになってから20年近く経ちますが、ここまで無事故で来ています。
これからも大事に乗って行きたいです。
27歳 女性のストーリー
昨年新婚旅行でパラオに行った際に、思いつきで当日予約したセスナに乗り、上空からロックアイランドという世界遺産を見下ろしました。セスナに乗ったのも生まれてはじめてで贅沢だなぁと感じたのですが、インターネットや写真やポスターぐらいでしか見たことがない世界遺産の景色を見て人生ではじめて心が揺さぶられるほど感動しました。また、乗ったセスナは料金をプラスして窓がないものを選べたため、上空の空気や風を感じながら手を伸ばせば届きそうな雄大な景色を目の当たりにできました。セスナ自体の料金は、安くはなかったのですが、せっかくの新婚旅行だしと奮発して贅沢をしてとても良い経験になりました。セスナに乗って世界遺産を目にすることはおそらく一生に一度の贅沢だと思い、とてもいい経験でした。
32歳 女性のストーリー
24歳の時にフランスへ一人旅をしました。
旅行費に200万円程貯めていたため、好きな物を買って高級な料理を満喫しようと考えていました。
宿泊はパリ8区内の有名なホテルに泊まり、7泊9日の日程を組んでゆったりと楽しみました。
しかし、私はブランド品は興味がなく、高級レストランはあまり口に合わずに2日目に行った高級レストランを最後にマクドナルドやスーパーで買ったサンドウィッチを食べて過ごしました。
ゆっくりとパリで過ごしているうちに、パリっ子はあまり高級店で食事をしていないことに気づき、どんな生活をしているのか目を凝らしました。すると、マルシェで買ったパンやチーズを景色を観ながらだれかと食べる。そんな姿が目につくようになりました。
私もマルシェで様々なチーズを買い、パンや果物を買ってホテルで広げて食べました。エッフェル塔が見えるホテルで様々なチーズを食べる。窓の外は観光客でいっぱいだけど、上に視線をそらすとエッフェル塔や歴史ある建物と青々とした空が見事でした。
身の丈に合わない食事よりも身の丈に合った美味しい物を食べながらステキな景色を見る。これが一番の贅沢だと感じました。
34歳 男性のストーリー
ちょっと本題からズレてしまう話ですが、正確に言えば、一番贅沢をしたというよりは継続中の話で、実は趣味に関する事でその趣味というのはNゲージという鉄道模型集めで、さらにそれを貸しレイアウトという有料の走らせるスペースで走らせる事をしています。ちなみにNゲージは新品・中古(状態の良いものや玉数・生産から経ってしまって付加価値が付いたものも有)でもそれなりにかかるので約6年位で200万円は軽く越えていると思いますが、元を辿れば、生まれは福岡で幼少期に住んでいた近所に1つ下の幼なじみがいて、その子はやたらミニカーやその関連の建物等を比にならない位持っていて、元から鉄道好きでもありましたが、もしかしたら、その事に対する憧れからの反動かもしれないです。
39歳 女性のストーリー
去年旅行で香港に行きました。
その時の帰りの飛行機がかなり贅沢しました。
時間を間違えてしまい、飛行機を乗り遅れてしまいました。
カウンターで、新しくチケットを買わないと、乗せられないと言われてしまい。
その場で定価で飛行機のチケットを買いました。
格安ツアーで行ったのに、その倍以上の値段を払い、エコノミーの狭い席に座りました。
その時とったツアーが、エコノミーよりもランクアップされた席だったので行きはとても広く快適に過ごせたのですが、まさか帰りの飛行機が、高値を払って狭い席に座るとは思いもよらなかったです。あとあと考えたらLCCなどの飛行機会社もあったのですが、かなり高い飛行機会社のチケットを購入してしまい、すごいあの時は贅沢したなーと今でも思います。
34歳 女性のストーリー
昔からお金を使うことに抵抗があり、欲しいものを買うときにはいろいろな店を回り、一番安いお店でしか買いません。好きなブランドもあるのですが、いざ購入するとなると考えすぎてしまい、次回買おうと後回しにして結局買わずに終わります。しかし、ヴィトンのバッグはどうしても欲しくなり、悩みに悩んで独身最後の贅沢として購入しました。結婚してしまうと中々購入するのは難しくなるだろうと思い、私に取って最大の贅沢をしました。いざ購入すると、勿体なくて使うことはなかなか出来ません。しかし1つ高級バッグを持っていると、どこか良いレストランなどにも行くことが出来るし安心です。今はタンスの肥やしになっていますが、買ったことには凄く満足しています。
31歳 女性のストーリー
私が人生で一番贅沢をしたなと思うのは、自分の結婚式です。
私は海の見えるチャペルでの結婚式にずっと憧れており、地元での結婚式と比較すると3倍近くのお金をかけて、沖縄の海沿いのチャペルで結婚式を挙げました。
人生で1番高額な支払いになりましたし、更なる負担を避けるため家族のみの参加になりましたが、念願叶い海目の前の素敵なチャペルで挙式が挙げられましたし、さらにチャペルそばのプライベートビーチにてウェディングフォトも撮影でき、贅沢だなとは思ったものの大満足で夢のような時間を過ごさせてもらいました。
そして、結婚式後もそのまま沖縄に滞在し約1週間新婚旅行も兼ねて沖縄を旅行し、たくさん美味しいものを食べ思い出をつくりさらに贅沢な時間を過ごしました。
26歳 女性のストーリー
私の人生で一番贅沢をしたのは結婚式のときです。
親族だけの式で、華やかな結婚式と比べると本当にシンプルな結婚式でしたが、今考えると本当に贅沢な事だなと感じます。
プロのメイクさんにしっかりとヘアメイクして頂く事は日常的には本当にない事ですし、アクセサリーと合わせても10万円いかないドレスですが、普段こんなに高い服を着ることはありません。
小さな庭のような場所で人前式をしました。みんなが自分たちのために来てくれて、花びらをかけてくれて、おめでとうとお祝いの言葉をくれました。
1万円を超えるフルコースも結婚式では当たり前ですが、普段はめったに食べません。本当に美味しかったです。
みんながよかったと笑顔で帰ってくれました。
本当に贅沢をしました。
30歳 女性のストーリー
先日友人と沖縄旅行に行ってきました。ずっと憧れていたリッツカールトンに宿泊し、朝はビュッフェで食べ放題、その後ホテルのプールで遊んでお部屋で何をするでもなく、くつろいで、夜はホテルのレストランでディナーを食べました。夜はお部屋のお風呂で泡ぶろをして、ホテルのスパに行っておもいっきり自分を甘やかしました。普段オフィスワークで肩こりや腰痛がひどく、簡単なマッサージには行っていましたが、リッツカールトンのオイルマッサージは格別でした。担当者の方もきめ細やかで丁寧なサービスで、お部屋もアロマの香りがし、オイルマッサージでじっくりほぐしてもらえました。国内旅行でこんなに高額な旅行は初めてだったので、今までで一番贅沢な日でした。
25歳 男性のストーリー
人生で一番贅沢したものは、洋服の購入です。学生時代に購入した服の総額は当時としてはものすごかったです。当時夜の仕事をしていたのでお金はそこそこありました。また、その時と同時に洋服にもものすごく興味があって洋服を購入することにしました。ブランドはトルネードマートというブランドで購入しました。冬服を購入しました。コートとパンツを購入しました。総額で5万円しました。カードでなくて現金で支払ったので、あんなに現金を一度で出したのは初めてでした。お金を出した瞬間は勢いだったので特に何も考えていませんでした。欲しいものは目に付いたものはとりあえずきて、気に入った2点を購入しました。その買い方は最初で最後でした。
42歳 女性のストーリー
20代のころ、当時付き合っていた彼氏と、クリスマスに一度何か派手なことをしてみようという事になりました。当時の彼氏と色々探してみた結果、クリスマスに豪華客船で1泊するツアーに申し込んで、豪華客船クルーズを楽しんでみることにしました。豪華客船の中で宿泊する部屋はランクによって値段がかなり違うのですが、中ランク程度の部屋を予約しました。クリスマスなのでお互いにプレゼントを用意して、豪華客船の中でプレゼントしあいました。私は彼氏に時計を、彼氏は私にバッグを、それぞれプレゼントしたと記憶しています。豪華客船クルーズを体験したのは初めてでしたが、今まで過ごしたのクリスマスの中で、一番贅沢をしたクリスマスでした。
29歳 女性のストーリー
私が一番贅沢をしたと思う経験は、家族でのハワイ旅行です。私が5年生の時に初めて行ったのですが、初海外、それも4泊6日という日数で、とてもワクワクしていました。ハワイでは毎日海に入り、毎日ホテルの外でスパムを食べ、小学生ながらも日常を忘れて贅沢なひとときを過ごしていたなと思います。高級ブランドを買ったり、高級ホテルに泊まったり、高級レストランに行ったわけではありませんが、南国の島で好きなことを好きなだけした時間。家族分の旅費を出してくれた親にも感謝です。「物より思い出」とよく言われますが、私はこの思い出が人生で一番の贅沢だったと思っています。今ではなかなか海外へ行くことも難しくなりましたが、またあの時間を味わえたら、と思います。
33歳 男性のストーリー
私は元々節約家で、農家である実家から送られてくる米と野菜で食生活のほとんどをまかなっております。
しかし、会社から臨時ボーナスが20万出たときに、意を決して贅沢をしようと試みました。
しかし、普段から贅沢を遠ざけて生活していたため、贅沢をしようにも何をどうすればいいのか思いつかないものです。
考えた末思いついたのは、いつも見てるだけだったスーパーの高級食材を食べ漁ることでした。
あの時の快感は今でも忘れません。
いつも訪れるスーパーでおいしそうなものは片っ端からカゴに入れていきました。
国産牛肉ステーキ(3980円)刺身の盛り合わせ(2480円)いくら醤油漬け(1980円)宮崎県産マンゴー(5980円)
特にマンゴーは驚くほどおいしくて、死ぬときに食べたいものはマンゴーにしようと、心から思いました。
23歳 男性のストーリー
私が人生で1番贅沢をしたと思うのは、食べログランキング1位の高級ステーキ屋で1人前1万5千分のクリスマスコースを友人と、食べたことです。私が、贅沢だと感じた理由は2つあります。1つ目は、何と言ってもそこで食べるステーキが今まで食べたステーキの中で、1番美味しかったからです。特にシャトーブリアンの肉寿司を食べた時は、口の中に入れた瞬間になくなるのですが、最後の最後まで味わっていたかったため、言葉一つ発さずに味わったほどです。コースの1品1品にそのような感動があったため、店を後にした時に、しばらくそこら辺の安い肉は食べれないと感じたほどでした。そして2つ目は、20代前半でクリスマスに1食で1万5000円という値段のコースの肉を食べている人は多くないと感じ、優越感に浸ることできたからです。後日、友人にクリスマスに食べたものを聞いても私たちほど良いお店に行っている友人はいませんでした。彼女、彼氏のいない友人同士で集まって奮発した甲斐があり、異性の人肌という寂しさこそあるものの、食欲を最高の形で満たすことができました。以上の2点より、私自身の食に関する満足感と、周囲の友人より良いものを食べることができたという優越感を感じることができたため、高級ステーキ店での経験を私の人生で1番贅沢した経験としました。

「人生最大の失恋話」

39歳 女性のストーリー
大学生の時から付き合い出した彼。付き合っている間、大きなケンカもなくとても仲良く過ごしていました。お互い一人暮らしでしたが、週末にはお互いの家を行き来して、お互いの生活も大切にしていました。大学卒業を機に地方(飛行機や新幹線の距離)にあるお互いの実家へ挨拶を兼ねて遊びに行きました。卒業後はそれぞれ全く違う職種に就職しました。私はシフト制の休みが不定期な仕事になりましたが、就職してからも、お互いの休みや時間を合わせてデートや旅行を楽しみ、23歳のころ結婚の話が出るようになりました。私の親は少し早いのでは?と言っていましたが、彼のお母さんがとても前向きで、早くおいでー!と言ってくれていました。そんな話が出た数ヶ月後、突然、私の気持ちがわからない。愛されていると思えない、と振られました。順調だと思っていた私は訳がわからず、何故そう思ったのかを尋ねると、就職してから私が仕事優先になりがちだったこと、最終的に記念日を忘れていたことが決定打だったと言われました。
たしかに、仕事はとても楽しくやりがいもありましたが彼のことをないがしろにしたつもりはなくとても辛く、この4年間は何だったのだろうかと思いました。それから数年は引きずってしまい、飲み会や職場での出会いもうまくいきませんでした。
25歳 男性のストーリー
高校1年生から大学3年生まで5年間付き合っている彼女がいました。その子は自分は部活動でとても忙しく月1回か2回遊べるくらいしか時間が無かったです。ただ彼女は優しく喧嘩をすることもほとんどありませんでした。高校を卒業してからは彼女は地元の短大、自分は300キロほど離れた大学に進学し遠距離となってしまいました。それでも3ヶ月に1回くらい会えるようにお互いが行き来して遊んだり一緒に居ました。その生活が2年と2ヶ月たったころ自分の実家のことでトラブルが起き学校を辞めるか迷って居ました。迷った挙句辞めて彼女と結婚しようと考えてしまいその事を伝えてしまいました。初めは戸惑い返事は後で返すと言われ数日経った頃にごめん、別れようと言われました。理由は後で聞きましたが大学を辞めずにいて欲しかったから振ったとのことでした。あれから数年経っていますが今でも忘れられない元カノです。
40歳 女性のストーリー
高校生の時に同じ学校の男子を好きになりました。
喋ったこともなく、ある事情から諦めるつもりでした。
卒業したら会うこともなくなり、自分の気持ちもなくなるだろうと考えていたからです。
諦める前提の片想い。
その人を好きになってから卒業までの1年半、とても心苦し学校生活をしてきました。
ですが、卒業を控えたある日私が片想いをしている男子の友人から呼び止められ、呼ばれた先に片想いの人が待っていて、告白されました。
びっくりでしたが、私はよろこべずにいました。
好きな人がいるから付き合えないと告げ、告白を断りました。
それから卒業を迎え、20年近くたちますがその人以上に好きになれた人はいません。
私がその人から受けた告白を断った理由は、友人の好きだと知った人を好きになったからです。
22歳 男性のストーリー
中学で初めて彼女ができました。隣の中学の子でした。隣の中学には友達がいたため紹介してもらいました。初めは付き合うと言うのが分からず、好きでもないのにノリで告白したらまさかのok。その子はとても頭が良く、可愛く、綺麗な子でした。
もう7年ぐらい前の話ですが時々夢に出てくることがあります。今思えば子供だったなぁと思う節もあれば、いい青春してたなぁと思うこともあります。たった3ヶ月だったけどすごく濃い時間でした。一番の失敗はやはり振ったことですね。それも、周りが復縁ブームが来てたので俺もじきに復縁できると思っていたからです。今考えればすごくバカです。自分にはもったいないくらいの子を自ら捨てたのだから。後悔しましたね。
36歳 女性のストーリー
私が大学2年生の時、バイト先のお店に客として来ていた彼と知り合いました。10歳年上の彼は社会人で、私にとってはとても大人で素敵に見えました。連絡先を交換し、プライベートで会うことも増え、交際に発展。大学生だった私の家に泊まるようになった彼に、仕事の重大さを知らない甘かった私は、彼といたいがために、自分の講義が無い日は彼に仕事を休むように促していました。次第にその誘いに応じるようになった彼は、ついに無断欠勤を続けそのまま退職し、私のアパートに転がり込んできました。運命を感じ、彼を支えるんだと意気込んで、彼のためにバイトを増やしたり、両親に婚約者として紹介していました。その後2年ほど同棲が続き、そのうちに彼はバイトを始めました。そこで知り合った彼と同じ趣味の女性を、バイト仲間として私も紹介され、何度か一緒に遊びました。次第に彼から愛情が感じられなくなったので、禁断のメールの盗み見をしたところ、その女性と性行為までし、愛を誓いあっていることが分かりました。寝ていた彼を叩き起こし、人生で初めて人を殴りました。出ていけ!と言ったら、彼はすごすご出て行きました。それでも後悔して、バイト先に詰めかけたり、その女性を殴ったり、だいぶ酷いことをしたせいか、彼も最初は私とやり直したいと言っていたものの、バイトを辞め、私の前から姿をくらましました。それから立ち直るまでに2年ほどかかりました。今ではネタになる良い思い出です。
33歳 女性のストーリー
中学3年生に上がったころに、中1の時から思いを寄せていた中の良い男子友達と遊ぶ予定があったので仲のいい女子仲間に相談をし告白したらと背中を押してもらったので、遊ぶ当日に意を消して思いを話し告白をしましたが、その日に返事はしなくていいから考えてとその日は終わったのですが。後日家でゆっくりしていたら、外で聞き覚えのある声が聞こえたので、外を見てみると仲のいい女子仲間と彼が一緒に手をつないで歩いているのを見ました。週末が明けて学校に登校し女子友達に話を聞いてみると、その友達も告白をし、OKの回答をもらったとルンルンで話をしました。その時のショックは中学3年の間ずっと忘れられませんでした。依頼中学校を卒業後はその女子友達ともあまり話もしてないです。その例の彼とは連絡も知らないですし、道ですれ違っても目も合わせません。それ以来あまり人に好きな人の話はしなくなりました。
35歳 女性のストーリー
はい!私が当時20歳の時のことです。
私は中学3年生の時から付き合っていた彼氏と別れた事が人生最大の失恋話しになります。
彼は私より2歳年上で、見た目はとてもイカツイ感じですが、性格はとても優しくて恥ずかしがり屋さんです。
彼と一緒に居ると心から幸せを感じるし、喧嘩をしても直ぐに仲直りするような間柄だったのです。
だけども付き合って、3年半が経った頃に、お互いの友達と浮気をしてしまった事によって、お互いに不信感が増すばかりだったのです。
それでも修復出来て、私が成人式を迎える時に、彼から理由もなく別れてくれと言われてしまい…私は立ち直れないぐらいの大失恋を経験しました。
この想いは今でも続いているのです。
23歳 女性のストーリー
人生最大の失恋は高校から大学にかけ、3年以上好きだった人です。
高校3年生の頃からLINEをし始め、そこから約3年間ずっとラインをしていました。
たまに2人で出かけたり、一緒にお祭りに行ったり、いい感じでしたが、お互いに告白することもなく、友達以上恋人未満の関係が続きました。
彼は1歳年下でしたが、私が高校を卒業した後も何回もあったり、関係は変わることがありませんでした。
彼が高校を卒業し、地元を離れたことで会う回数は減りましたが、帰省した時などには必ずあっていました。
お互いにお互いのことを好きなのはわかっていましたが、付き合うという選択はしないまま、時間が経ち、バイトや、就活など、なかなか会う機会がなくなっていき、しばらく経った頃、彼に彼女ができたことを人付に聞きました。
その時はショックだったし、付き合う前になんで一言でも言ってくれなかったのだろう、とも思いましたが、結局は、付き合うというちゃんとした形を取らなかったことが1番の原因だと思い、しょうがないと割り切ることしかできませんでした。
結局は、その頃は付き合っているわけではなかったみたいだということを後から聞きました。
ですが、私が友達から付き合ってると聞いて、距離を置いたことで、彼も終わったと感じたみたいです。
それから3年たち、今では若い話にできるくらい、仲のいい友達になっています。
41歳 女性のストーリー
ずっと好きだった人に告白して付き合える様になりました。彼には付き合っていた彼女がいたので、別れたと聞いて、ダメ元で告白したのですが、OKがもらえて嬉しかったのも、つかぬ間の幸せで、彼は前の彼女を忘れてなくて、一緒にいても彼が遠く感じて。付き合っていた時も私の知らない所で元彼女に連絡を取ったり、会ってたみたいで、私は気付いていても知らないふりをし続けました。彼の彼女でいられるならと思い。
彼が私に嘘をついていても平気な態度を取り続けてきました。彼に問い詰めたりして、別れようと言われる事が1番怖かったので。でも彼から、元彼女との間に子供が出来たから結婚したい!と言われて別れを切り出されました。今まで必死に我慢してきたのに、子供が出来て結婚なんて突然言われて、怒りよりもすごい悲しみとショックでした。私は元彼女に勝てなかった。忘れさせる事が出来なかった。悲しくて涙が止まらなくて、酒に溺れた時期もありました。このまま死にたいと思った事もありました。男性不振になりました。私の2年を返してほしいです
43歳 女性のストーリー
もう20年も昔の事ですが私には大好きな3つ年上の幼馴染のKくんがいました。
幼馴染と言っても毎日会えるわけではなく毎年夏休みに父の田舎で会うだけの仲でした。
彼は本当に優しくてカッコいいお兄ちゃん的存在で初めて会ったのが私が小学校の低学年。
あまりに素敵なので同級生の男子には目もくれず毎年夏だけ一緒に過ごすKくんに20歳過ぎまで一筋でした。
私の好き好き攻撃は妹がお兄ちゃんにまとわりついているようなものだったんでしょうね。
最後までKくんには相手にしてはもらえませんでした。
あれは忘れもしない私が22歳の夏。K君が7歳年上の彼女を田舎に連れて来たのです。
その彼女は32歳の大人の女性でどこか陰のある美人さんでした。
Kくんの手前愛想よく彼女にもあいさつしたのですが彼女は私の気持ちを見抜いていたのか無言で会釈をするだけでした。
私とは真逆のタイプの女性で自分が落ち着きのないガキんちょだとまざまざと悟ったのです。
彼女を交え夜にバーベキューをしたのですが「あの人と結婚しようと思う」とKくんに聞かされショックで目の前が真っ暗になりました。
その後の記憶があいまいなのは当時の私にとってこの失恋は相当なダメージだったんだと思います。
言葉通り翌年の夏にその彼女と結婚し今では3児のパパです。
Kくんは結婚後田舎に遊びに来る事が無くなり私たちは疎遠になりました。
この失恋は現在良い思い出になって居ますが後にも先にも彼ほど素敵な人はいないと心のどこかで思っています。
その為彼氏が出来てもなかなか結婚に踏み切ることができないのが目下の悩みです。
43歳 男性のストーリー
初めは友達同士からスタートしました。他の人も巻き込んで、イベントに一緒に出掛けたり、飲みに行ったりしていました。
半年くらい、そのような状態が続いた後、徐々に彼女の魅力に惹かれていき、相手も悪く思っていなかったようで、告白しました。
答えはOK.交際が始まりました。
しかし、友達同士でいたときの状況とは一変。彼女の真の姿はわがまま、高飛車、加えてメンヘラというとんでもない性格でした。
一部披露すれば、自分の思ったことは曲げない、車を降りるときはドアを開けてもらう、自分はガンなんだと言い出す(ガンではなく精神病の強めの薬を飲んでいるのを発見。抗がん剤など持ってはいない)。
さすがに1週間と持たず別れました。それと同時に、他の友達とも仲が悪くなりました(男は変わりませんでしたが、女性は離れていった。後日聞くとあらぬことを吹き込まれていた模様)。
1週間で恋人を失うとともに、友達まで失ってしまいました(女性たちに何年か後に再会したときは、真実を聞いて仲直りしましたが)。
こんな怒涛のような経験は初めてでした。
26歳 男性のストーリー
4年半付き合った彼女がおり、自分が大学入学と共に上京をしましたがそこからも遠距離恋愛をしていました。遠距離恋愛が1年過ぎた頃自分が実家に帰ったタイミングで彼女とデートをしていたのですが彼女の様子がどうもおかしかったです。問い詰めても何も言わず自分が東京へ戻った日の夜に別れを告げられました。自分が上京した後に浮気をしておりその後まさかの浮気相手との間に妊娠していたそうです。それを言い出せずにそのまま時間が過ぎ我慢出来ずに別れを告げられました。それを聞いた時には笑うしかありませんでした。今では子供も産まれ浮気相手とは離婚したそうです。自分が高校の3年間と大学1年の青春を捧げた人が今ではシングルマザーだと知るとやるせない気持ちでいっぱいです。
27歳 女性のストーリー
高校生1年生のとき初めてできた彼氏が友達のお兄ちゃんで高校生3年の先輩でした。学校の中ではイケメンで人気でしたが今までの3年間告白されても誰とも付き合っていないので相当理想が高いと評判だったみたいです。
何も知らない私は全然化粧もしてないく、色気付いてもいないのでとっても付き合うことになった時は不思議でしたがある時、付き合って1年がたったころその彼が社会人になり、今までのように学校でも会えず新入社員なので研修や先輩との、飲み会などですれ違い始めた頃に彼氏に呼び出されて別れ話かなと思って時にやっぱり妹にしか見えない。妹が2人いる気分と言われました。1年も付き合った後に言われたことで色々考えてひたすら泣きました。
32歳 女性のストーリー
20歳から24際の間に付き合っていた、イギリス人と日本人とのハーフの彼氏との話です。
会ってからすぐに熱烈なアプローチがあり2ヶ月ぐらいは断り続けましたが、しつこく告白をしてきました。
最初は信じなかったのですが、告白が毎回、あまりにも大胆で面白かったため、付き合ってみることにしました。
彼とは医療関係の研修でモンゴルで出会い、アプローチもモンゴルで受け続けました。帰国後、私は大阪、彼は東京での生活が始まりました。
彼は毎週末、大阪に来てくれて、毎回花束を持って来てくれました。
2年後にプロポーズを受けましたが、私は社会人になったばかりで働きたい願望が強かったため、断りました。断ってからは少々気まずくなりましたが、なんだかんだで2年後に私からプロポーズしました。
しかし、彼からは「もう遅い」と残念そうに言われました。1度目のプロポーズからギクシャクした雰囲気が彼は辛かったようです。気づいてはいましたが、私も見て見ぬふりをしていたのも事実です。しかし、強がってしまい、冷たい態度で別れてしまいました。
いろいろと不正解を出し続けた恋愛だったと思います。
55歳 男性のストーリー
学生時代の友人だった彼女。
お互い社会人になってからも忘れられず、思い切って告白したところ「私も貴方が好き」という思いもしなかった返事があり、恋人同士となりました。
恥かしながら自分にとっては初めての彼女で、若干の遠距離恋愛になりましたが、それでも週末は彼女の家の方にでかけたり、東京まで出てきてもらったりと交際を続けていました。
しかし、どこかで「学生時代の同級生」という思いがあったのか、次第に彼女に対してぞんざいな態度をとるようになってしまいました。
付き合いだしてから数年経ったある日、仕事で海外に2週間ほど行くことになりました。
順調に仕事をこなし、明日は帰国だという日に国際電話で彼女に電話をして「おみやげ何がいい?」と聞いたのですが、「たぶん受け取れない」という答えが返ってきました。
その意味もわからないまま日本に帰国し、彼女に電話したところ、共通の先輩と付き合うことになったから別れてほしいと告げられました。
友人の延長線のような付き合いが数年続くなか、彼女は結婚したいと思っていたそうです。
なのに一向に結婚の話が出ないことに悩んだ彼女は、私が海外に行っている間に先輩に相談し、そのまま恋仲になったのだそうです。
「貴方の奥さんになりたかった」
それが彼女の最後の言葉でした。
23歳 男性のストーリー
私には好きな女の子Sちゃんが居た。
Sちゃんはクラスの中でも人気が高く、いわゆる陽キャラと言われるイケイケグループの一員だった。
そのころはまだガラケーが主流で、やり取りもメールが一般的であった。
学生で在りながら携帯電話を与えられていた私は、Sちゃんとメールをすることに夢中になっていた。
メール世代の方はお分かり頂けるだろうが、”新着信メール受信“で何回メールが来ていないか確認したことか。
そんな甘酸っぱい日々を過ごしている中で、知り合いの男の子Hくんに彼氏ができたという情報が入ってきた。
「おお、あいつでも彼女ができたのか」
そう思った私は、自分にも彼女が欲しいと思うようになっていた。
「狙うはあの子しかいない」
そんなことを思いながら返すメール。ワクワクとドキドキを繰り返す。とても充実していたと思う。
ある日私は決心した。
「告白しよう」
そのようにして告白できたならよかったのだろうか。
臆病な私はぬるっと
「なぁ、Hくん彼女できたらしいよ。俺らも付き合ってみる?」とメールで打っていた。
今思うと、なんてかっこ悪い告白の仕方なのだろうと思う。
結果は
「ごめんなさい。」だった。
「まじか、、、」
そう思ったのも束の間、あるメールが飛んできた。
「Hくんの彼女、私だよ」
悲しみが一転、驚きと恥ずかしさに変わった。
「今までのドキドキは何だったんだ。。。彼氏持ちだということに気付かないなんて、しかも彼氏Hくんかよ、、」
恋愛は厳しいものだと認識させられる、中学生の時のエピソードでした。

その後、Sちゃんとのメールはぱったり途絶えました(笑)
29歳 女性のストーリー
私が20代前半の頃、当時付き合っていた年下の彼氏がいました。見た目も性格も超タイプで何よりもとても優しい人でした。
家が近く、夜は私の家で一緒に過ごすことが多くなりました。私の帰りが遅くなり、彼に「今日はどうする?」と連絡をしました。
すぐに返信が来なかったので、今日は来なくても近いうちに来るだろうと彼のためにコンビニでデザートを2つ買って帰りました。
しかし次の日の朝になっても連絡が来ませんでした。彼は連絡を怠るような人ではなかったので、きっと疲れて寝ているのかなと思い、気にしていませんでした。
すると昼頃、共通の友達から連絡がきて、「一回電話切るから、今からかかってくる番号に出て」と言われたので了承しました。
かかってきた電話をとると、あいては警察で彼が事故にあったことを知らされました。車の転落事故で、隣に私が乗っていたのではないか、との安否確認でした。それ以上の詳細は教えてくれませんでした。
そこから記憶はあいまいなのですが、夕方に彼が亡くなっていたことがわかりました。婚約こそしていませんでしたが、結婚するという話にはなっており、老後の将来設計まで立てていました。自分の実家に連れて行ったこともあります。本当に悲しくて何年もたった今でも辛い失恋です。それ以降何人もお付き合いをさせていただきましたが、心から人を愛することができたのは彼が最後でした。

「」

28歳 男性のストーリー
バツイチの彼氏と先日別れた。
前の奥さんと子供がまた一緒に暮らしたいって。
俺には責任があるからって。
ごめんなさいって泣きながら言われた。

カッコつけて、それはしょうがないよね、
次は幸せになるんだよって言ったけど
抑えきれずに昨日電話しました。

やっぱり別れたくないって。
シワシワのおじいちゃん
おばあちゃんになるまで一緒にいたいって

ずっと一緒にいたいって。
年をとっても一緒に美味しいものを食べて笑顔になって、
一緒にきれいなものを見て笑顔になって、
あなたはカメラでそれを撮って
私はそれを見て笑っていたいって。

たくさん悩んで悩んで、
悩んで決めて思いを伝えてくれたのに
また困らせてごめんって。
自分勝手でごめんって。
子供には申し訳ないけど、私を選んでほしいって。
素直に送り出せなくてごめんって。

性格悪くてごめん、
でもあなたの居ない未来が見えないって。
一人にしないでほしいって。
優しさに漬け込んでごめんって。

泣いたら困らせるってわかってるのに止められなかった。

あの人も電話口で泣きながら、
好きなのに別れなくちゃいけないのは俺も辛いって。
泣かせてゴメンな。ちゃんと考えるからって。

責任感のすごい強いあの人のことだから、
どっちを選ぶのかなんて心の中では
分かってるのに期待しちゃう。

早く答えを聞きたいけど聞きたくない。
あの人との繋がりを手放したくない。

手放すにはあなたとの思い出が多すぎる、


これが私の大失恋です
まだ立ち直れておりませんが
ゆっくりと傷を癒していこうと思います

「人生最大の失恋話」

26歳 女性のストーリー
私の人生最大の失恋は
成人式前の小学校の集まりの時に、当時付き合ってた彼と3年の交際を得て婚約した次の日だった為ウキウキで集まりの時にその話をしていました。
みんなからはおめでとう!とか結婚式呼んでね〜とかお祝いの言葉をいただきました。
幸せな気持ちで二次会も終えて帰宅しました
ですが、なんと…
当時ブログというのが流行っており、彼からブログを送られてきて、なんだろっておもったら違う人とのラブラブなブログを送られてきており、、
電話でどういうこと?と聞くと、彼はそういう事だから!じゃ!と電話を切られ
彼とはそれで終わりになりました。
悔しかったし、なんかみんなからお祝いされたのになんか裏切ったみたいになって、
一生忘れれない日になりましたね。。
27歳 女性のストーリー
高校の時に寮に入り寮で知り合った3つ隣駅の高校の1つ上の彼氏です。
すごく大好きで毎日会ってましたが会えない日は会いたくて涙が出るほど好きでした。
毎日会って学校終わりにも会ったりしてどこに出かけるのも一緒で私の家に半同棲って感じで住んでました。
親も公認で結婚するんだろうなと思っていましたが
いつ頃からか忘れましたが夜遊びに出かけるようになり彼の地元のフィリピンパブに友達と行くようになりそこで知り合った女の子と結婚をしました。
3年ほど付き合ってましたが振られました。
すごくショックで悲しくてたまらなかったです。
フィリピンパブの事は悪気がない態度でこの人何?と思いましたがそこで本性が出たと言うか彼のことが分かりました。
36歳 女性のストーリー
3年付き合っていた彼との失恋の話です。
留学を終え遠距離恋愛をする事になりました。
国際恋愛ではありましたがお互いの意思疎通は問題なくお付き合いしていると自負していました。
遠距離恋愛をはじめて3か月目に些細な事で喧嘩になり電話で言い争いになりました。
今までは喧嘩をした事も数える程しかなく、喧嘩をしたとして原因が私にある事が明白であってもすぐに彼が折れ仲直りをしていましたし喧嘩をしても日を跨ぐ事もありませんでした。
その日はお互いにカッとなり別れ話をして電話を切ってしまいました。
別れ話なんて今までした事なんてなかったしいつものようにすぐに電話がかかってくるかな?と思っていましたが5分たっても10分たっても連絡がなく、だんだん不安になってきましたがその日は時間も遅かったので翌日には連絡が来るだろうと思い眠りにつきました。
次の日いつもの時間になっても連絡がなく強情な私も連絡をする事もできず連絡をとらずに2日が過ぎてしまいました。
2日後に彼から連絡があり嬉しくで電話にでるものの彼の声のトーンで『あぁ。別れは現実なんだな。。。』と現実を受け入れるしかありませんでした。
電話の内容は留学中は同じ家に住み、貯蓄も一緒にしていたため銀行口座の解約や家の荷物等の連絡でした。
『別れたい』を言った自分の浅はかさに後悔したものの後にも戻れずあの日から8年が経ちました。
現在日韓関係が悪化するニュースを目にする度に彼の事を思い出します。
本当は国や文化の違いが問題なんかじゃなかったはず。
素直になればなにも問題はなかったはずなのに若さ故の甘えや自己中心的な考えで大事な人を失ってしまいその後何年も忘れられませんでした。
あの彼を超える程好きになれる人にはこれからも出会えないのかなと今だに思う事があります。
38歳 女性のストーリー
高校時代に、友達を通じて紹介された男性がいました。その男性も同じ高校でした。何回かみんなで遊ぶに連れて、紹介された男性と私はお互いに気になっている存在になり、初めて二人で会う約束をしました。会った時からお互いにドキドキしながらも手を繋いだりして、日に日に良い感じになっていきました。そろそろ私に告白してきてくれるかなっとドキドキしながらまっていました。そしたらある日の事、学校で、その男性が別の女性と楽しそうに話をしているのを目撃しました。私は男性を紹介してくれた友達にその女性はいったい何者なのか確認しましたら、私と仲良くしていたその男性は昔からその女性を好きだったみたいで、結局その女性とその後付き合ってるのを知り、失恋しました
38歳 女性のストーリー
学生の頃付き合っていた元カレ。

私の方がすっかり嫌気がさして別れた後は数年間連絡しませんでした。
それがお互いいい年になり何となく連絡を取り合うことになり、たまにお茶したり、旅行に行けばお土産のやりとりをしたりと、普通の友達の関係でいました。

彼はずっと結婚願望が溢れる人でした。
私はそういった願望がほとんどありませんでした。
彼女ができても、本当に好きにはなれないんだ、すぐダメになる。僕は結婚なんてできるかな。
よくそんな愚痴を聞きました。

もともと付き合ってたためか彼に対する私の勘は鋭いものがあり、彼女ができた(あるいはできそう)な雰囲気はすぐわかります。
彼はいつも私には何の報告もしません。
私もいつも彼には何も訊きません。
最近またできたな、と感じて数か月。

ある日の夜、かなり酔った彼から電話が来ました。
そして耳を疑う発言を始めたのです。


僕には彼女ができた。
今回はこのままいけば、きっと結婚できる。
でも、僕がいちばん好きなのは君なんだ。
それは今までずっと変わらない。
そしてこれからも変わらないから、それを覚えておいてほしい。


どこからどう聞いてもおかしな話ながら、正直ぐらつきました。
実は別れた後に一度だけ付き合ってほしいと告白されたことはあったのです。
その時はこの人とまた付き合うなんて考えも及ばなくて、ちゃんと返事はしませんでした。

でも、そんなに思ってくれてるのなら……お互い大人になった部分だって多いだろうし、付き合ってみてもいいのだろうか。
私の考えが変わったことで、彼とは一気に友達以上の恋人のような関係になりました。
彼の恋人は当然このことは知りません。いわゆる二股です。

私は彼に、恋人と別れるよう迫りました。
お互いいちばん好きな人と付き合おう。おかしな関係はやめよう、と。
彼はどっちかなんて選べない、両方好きなんだ、彼女とも私とも関係を続けたいと言い出す始末。

やがて彼は、やはり彼女と結婚することになった、と私に告げるのです。
これからもずっと友達としてよろしくなどと……。

すっかりもてあそばれました。
思わせぶりな態度を取っておいて、私はただの遊び相手だったようです。
恋人はよほど結婚に良いステータスのある人だったのでしょうか。

いつも恋が終わる時は私が別れを告げる側なのに、初めて感じたこの後味はまさに失恋。
彼とはそれ以後完全に縁を切りました。
今後も不倫相手にされてはかないませんから。
26歳 女性のストーリー
高校生のとき。大人の方に恋してました。相手は27歳の10個年上でした。あのときって大人がとても素敵に見えちゃうんですよね‥。デートも何回かして、うまくいくような気がしていました。そんなある日のこと、いつものようにデートで彼の車にのりこむと、ふと左手の薬指に指輪があるのが目にはいってしまいました。
なんと彼は既婚者だったのです。その時は彼のことが大好きだったので頭が真っ白になりました。今思えば遊ばれていただけだったんですよね。後日問い詰めてみると、既婚プラス偽名だったことが、発覚。しかしそのあとも彼が好きでしばらく関係を続けていました。高校を卒業した頃には目が覚めていてどうでも良くなりましたが‥あのときのことを思い出すと胸が痛くなります。
35歳 男性のストーリー
人生最大の失礼話はよくあることだと思いますが人妻わや好きになってしまったことです。同じ職場にいる女性でその女性は結婚していましたがとても魅力的な女性でした。こちらの家庭環境がうまくいってなかったこともあり好意をもつのはそれほど時間がかからなかったです。日増しに好きになってしまい感情が抑えきれずある日食事に誘いました。相手は仕事上の付き合いだと思ったのでしょう、快諾をもらい食事に行きました。その場でも楽しく食事をし私はますます好意を持ってしまいました。最終は相手の家庭の事情で退職されることになってしまいましたがこちらは諦めきれず告白をし関係を持ちたいと切に願いましたが叶わずの恋となりました。かなえば俗にいうダブル不倫になっていましたが叶わず、大人の恋と失恋は本当に辛いです。
29歳 女性のストーリー
大学生の時に付き合っていた彼氏がいました。些細なことで喧嘩になる事が時々ありました。そんなある日小さい事で喧嘩になってしまったので、お互い連絡を取るのを控えていました。ですが彼氏が悪かったと謝ってきたので、これ以上喧嘩をするのも面倒臭いと思い私も謝りました。ですが心の中ではまだ彼に対する怒りが抑えきれなかったので、彼の愚痴を友だちに聞いてもらおうと思い、メールに彼にされて嫌だった事や嫌いな所を書いて友だちに送信しました。ですが友だちに送ったと思っていたメールは実は間違えて彼氏に送ってしまっていてそれを見た彼氏は激怒。いくら謝っても許してもらえずそのまま別れてくれと言われてしまいました。私はまだ彼のことが好きだったので別れたくなかったのですが、どう考えても私が悪いので渋々別れることになりました。
24歳 女性のストーリー
中学2年生の時に恋した私の初恋の人です。
私が中学生の時はまだ昔のタイプの携帯かスマホ初期の時代で、私が好きになった彼は携帯を持っていませんでした。
なので友達に頼んで手紙を書いて渡してもらいました。
そのあとも手紙でのやり取りは続き、気にかけてもらえるようになったのでバレンタインにチョコと一緒に告白をしました!
結果はOKで付き合う事になりお互い初彼女初彼氏になりました。
彼は付き合っているのを隠したくてデートなどは出来なく一緒に帰ると事が私にとってのデートでした。
私は会うたびに好きになっていって何をするのも彼の事しか考えられませんでした。好きで好きで仕方がありませんでした。
その後も特に何もなかったのですが、夏休みになり急に別れようと言われました。
とてもショックで涙が止まらなくて夏期講習を休むほどでした。
23歳 女性のストーリー
高校生の時に両思いで付き合った彼氏がいたのですが、クリスマスに遊ぶ約束をしてて、クリスマス当日に『ごめん、遊べなくなった』とドタキャンされた上に、夜に電話して『なにしてるの?』て聞いたら『女と遊んでる』って言われて、電話越しで泣いてたら『俺、女と寝たしお前と別れるから』とか言われてなんの前フリもなく振られたのが人生最大の失恋話です。
振られた直後は道端で号泣してた上に、自宅に帰ってからもティッシュまるごと1箱使い切りました。その後、祖母から『若いんだから男の子なんて山ほどいる』って言われた時には、なんでこんなクズのために涙流してんだろうと冷静になり、悔しくなったので私から『もう私の目の前に現れないでね。サヨナラ』と言ってその人とお別れしました。
35歳 女性のストーリー
わたしには中学生の時に片思いの相手がいました。わたしより一つ年上の先輩で、色白でイケメン、さらには頭も良くスポーツもできる完璧な先輩でした。
当時は先輩に話しかけたりすることができず、ずっと片思いのままで中学校を卒業してしまいました。
それから何年か経って、わたしが大学生になった時、通学電車の中でタイプの男性に出会いました。まさしくあの先輩そのものといった感じの人だったので一目惚れでした。
それまで気づかなかったのですがいつも同じ車両に乗っている近くの大学生だとわかりました。
毎朝、同じ車両だったので出来るだけ近くに行こうと思って頑張っていました。
そしてある日、となりに立つことができたんです。
するとその人とその人の友達の会話が聞こえてきました。聞いているとどうも怪しいのです。友達は男性だったのですが、ただの友達ではなく付き合っているようでした。
まさかとは思ったものの、さりげなく手を繋いだ瞬間を目撃してしまい、わたしは失恋したのだと確信しました。
46歳 女性のストーリー
20歳そこそこだった時の恋愛の話です。
当時お付き合いしていた恋人がおり、同棲してお金を貯めて結婚するつもりでした。
彼は地方から出てきて働きながらバンド活動をしており、若かったわたしは夢を追う彼の姿が眩しくてたまりませんでした。
彼のことしか見えない、彼以外は考えられない、心から彼のことを愛していました。
しかし何事にも終わりがくるものです。
桜が綺麗に咲いていた季節の夜中、わたしの携帯電話が鳴りました。彼の親友からでした。
バンドの練習が終わりみんなでいつものようにご飯を食べながら呑んでいた時、彼が急に苦しみだして意識を失って病院に運んだところだと言われました。とにかく急いで病院に向かいましたが、わたしが着いた時には亡くなっていました、
心筋梗塞と脳出血をおこしていたと医師から説明を受けました。
1人残されたわたしのその後はここに記せるものではありません。ただ1つ皮肉なことに、わたしの当時の職業は看護師でした。人生最大の失恋話と言えるかわかりませんが、今でも忘れなれない、忘れたくない出来事と、彼の存在です。
いまだに桜の季節が大嫌いです。


重過ぎる話で申し訳ございません。
今は夫と子供たちと楽しく暮らしています。
読んでくださり、ありがとうございました。
22歳 女性のストーリー
まだまだ恋愛経験も少なく歳上の男性に免疫力が全くなかった頃の話です。 歳上=恋愛経験が豊富でリードしてくれるっと勝手に思っていました。
実際とても私のことを大切にしてくれて毎日可愛い、大好き、これ買ってあげると大切にしてくれる彼氏が出来ました。
でもその時の私の精神状態は最悪そのもので家庭環境が元から良くなく小さい頃から家族からは罵倒、暴力、暴言当たり前で、思春期は学年のトップカーストの女子にいじめられ学校では孤立、その前の元彼には散々な捨てられ方をされていました。 前の女が忘れられない、セフレになってよなど。
なのでこんなに私を大切にしてくれる彼が初めてで求めてくれる彼が初めてで何もかも理解不能でした。
何でこんな誰からも好かれてこなかった私を好きになってくれたんだろう、この人はおかしいんじゃないか、この人は私なんかに相応しくない、、そして何より絶対すぐに捨てられると思ってしまい私から別れを告げてしまいました。 失恋とは少し違うかもしれませんが2年以上たった今でも彼のことを思い出します。 過去の経験が私を駄目にし自ら破局という形をとってしまい後悔しています。
いまになってやっとこんな私でも誰かに好かれていいんだだと思えるようになりました。
まあもう当分彼氏は作りませんけどね、一人でも生きていける強い女になりたいです。
45歳 男性のストーリー
去年、離婚して晴れてシングルになった私。離婚が決まってから、周囲に「新しい恋に進みなよ」と進言され、「そうですかね?」と少しばかり女はうんざり。見た目では分からない恐ろしい部分もあるからなと消極的でした。そういう私には、結婚生活中に不倫という訳ではありませんが意中の女性がいました。よく見かける、よく傍にいる、明らかに私を気にしている。横目でチラチラと。嫌な存在なら、とっとと傍を離れていくはずなのに何故か?傍を離れない。そんな女性がいました。その女性が気にするから、私も気にするようになったという流れです。それがいつしか好きという感情になっていたのですが、晴れてシングルになった私。それまで声をかけて、相思相愛であったなら男女の仲ですから、ストップの効かない愛想劇になってしまい、不倫の証拠を突き付けられる最悪の結果でしたが、10年近くにも及ぶ無言の気づかいの意中の女性と決着をつけなければいけないのではないか?と考えました。決着をつけずに他の女性に走ったところで、どうせ意中の女性がチラつくに決まっているのですから。意を決して、意中の女性に声をかけると私を意識していないようでした。まさかの「あんた誰?」状態。腹の内を当てられるのが嫌な既婚女性だったのではないか?というのが私の結論です。10年近く、お互い無言で意識しあったシークレットラブにまさかの決着でしたが、「そんなもんだよな」とあっさり諦めることができました。恋愛はきっちり決着をつけないとダメだなと45歳にして理解できました!
31歳 女性のストーリー
大学生の頃、あるお笑い芸人さんと付き合っていました。テレビに出ていたこともあったので、録画したり一緒に出演を喜んだりとても楽しかったです。でも、テレビに出るということは、きれいな出演者さんと一緒なんですよね。やっぱり、一般の女の子よりもかわいい人が多いですよね。テレビに出始めてしばらくして、なんとなく「浮気してるな」と感じ始めてしまっていたのですが、ある日彼が寝ている時に彼の携帯に電話がかかってきて、画面を見てしまい・・・有名な女子アナウンサーからでした。女子アナには到底かなわないな、と思った失恋話です。私と別れたあと、やっぱりその女子アナと噂になっていた彼でした。現在、どうなっているのかは知らないです。私は一般の方と結婚して幸せになったので、今は笑える人生最大の失恋でした。
27歳 女性のストーリー
友達から「先輩が連絡とりたがっている、興味があるみたいだから連絡先教えていい?」と言われ連絡をしたところ、初日から意気投合しました。趣味やセンスも同じで、今まで全く興味がなかったけど優しさやユーモアにどんどん惹かれていき、よくデートしたり仕事先に迎えに来てくれたりする仲になりました。彼の友達と3人でご飯に行くこともあったりと私の存在を隠さず堂々と紹介してくれるところもカッコイイと思っていてすっかり付き合えるのかと思っていました。ところが、別の友達から私の先輩と付き合ってると聞き驚きました。それも私と連絡とりだしてからと聞いて、なんでそれならデートしたりするんだろう、ととても悲しくなりました。また、その先輩はとても美人で憧れだった人なので余計自分が惨めになりました。今は結婚したと聞いています。
37歳 女性のストーリー
私が人生最大の失恋を経験したのは10代後半だったと思います。
当時、アルバイトをしていた先の4つ年上の社員に恋をして、告白したら見事付き合えることになったんです。
しかし、実は彼には本命の彼女がいました。
その事実を隠されて彼は私と付き合っていたのです。
なんとなくあやしいと気が付いていましたが、別れるのが嫌で知らないふりをしていました。
しかし、耐えられなくなって自分からお別れを告げたんです。
当時は、彼からあまり大切にされず、好きな気持ちが大きかった分、失恋がかなりつらかったです。
普通に別れたわけではなく、私は一人になっても彼には本命の彼女がいて私との別れがいたくもかゆくもないという事実がすごく悲しかったです。
この失恋があまりにもショックだったため、私は生理が半年もとまってしまいました。
48歳 女性のストーリー
私は、現在47歳になりますが、24歳の頃、私の中では人生最大の失恋をしました。
22歳の頃の事です。掛け持ちでアルバイトをしていました。昼間はペットショップで働き、夜はファミリーレストランでアルバイトをしていました。ファもリーレストランのバイト先は大学生の男の子がが多く年齢も近かったので、仲良くなってアルバイトが終わってからよくみんなでカラオケに行ったり、お花見をしたり、クリスマス会をしたり、遊んでばかりいました。その中で気になる男性がいて、1歳年下なんですが、両思いになりました。私の中では結婚を考えていました。やがて、彼氏は就職して、広島に引っ越しました。それでも、諦めがつかず、休みの日には広島まで会いに行っていましたが、結局は向こうに彼女が出来て、別れたりまた付き合ったりで、結局別れました。
立ち直るのにかなり時間はかかりましたが、遠距離恋愛はもうしないつもりです。
27歳 女性のストーリー
大学生の時の話です。私は大学の授業終わりによくゲームセンターに行って遊んでいたのですが、同じゲームセンターに通う別の大学の男性の先輩にSNSを通じて知り合い
その後、ゲームセンターに行く時間がよく被る、と知ってから現実でも仲良くなりました。当時私は、太っていていわゆるデブでなおかつ、不細工の部類に入る程見た目はよくありませんでした。しかし、その先輩は誰にでも分け隔てなく接してくれて、私はいつの間にかその先輩に惹かれていました。しかし、私とその先輩、別の友人二人と食事に行った時にその先輩に彼女がいるという話が出て私はショックを受けました。しかし、私もこんなに惹かれるお方のだから先輩には他に、私より釣り合う彼女がいそうだな……と予想していたのであまりダメージはありませんでした。
28歳 女性のストーリー
本当に失敗しました。大好きで憧れていた同級生にチョコを渡したことから、発端が起きました。
当時私は高校生で友チョコと別に本命チョコとお手紙を添えてそっと彼のカバンに入れました。
そして翌日彼から呼び出されて、俺も好きだった。ありがとう。これからは友達以上の関係になろうなって言ってくれてすごく嬉しかったのもつかの間でした。
3年間付き合っていた彼と別れることになったのです。
発端は志望校の大学でした。
彼と私は同じ大学で学部違いで受けました。
しかし受かったのは、私だけで、彼は落ちました。
そのことを彼に伝えたら、お前は俺の理想の大学に行け、でも私は彼と同じ大学が良かったので、彼に内緒で同じ大学を受けました。
結果は私が落ちて彼が受かったのでした。
これが大失恋のきっかけでした。
私はそのことを彼に伝えたら、なぜ受かっているのに受けたと聞かれ、私は一緒大学行きたかったからと答えたら、俺たちは縁がなかった。
もう別れよう。それぞれ大学生活を送ろうって言ってきたのです。
私は彼と別れるつもりはなかったのですが、
高校生活の思い出じゃと言われればそうかもしれないと思い別れました。
受験は人生を変える
そして考え方も変わってしまった。
そんな大失恋でした。
お互い嫌いになっただけではないけど、
それぞれの人生の邪魔をしてはいけない気がして
別れました。
23歳 女性のストーリー
中学生の頃、私に気があることを知りちょっと気になっていた相手から告白され、付き合うことになりました。それからは毎日メールをして、毎日一緒に下校していたのですが、付き合いだして2ヶ月ほどたった頃、学校では話すのに毎日していたメールがパタリと来なくなり、一緒に帰ることも減っていきました。付き合う前から私は少し気が強く、隣のクラスのある女子とよくケンカをしていたのですが、その頃から彼氏とその女子が学校で楽しく話をする姿をよく見るようになり、問いただすと「別れよう」の一言だけ言われました。本当にショックで、初めての彼氏だったのでどうしていいのかも分からずその場から逃げ出してしまいました。毎日泣きながら悩んで私が出した結論は復縁です。別れを告げられて2週間ほど経った頃、勇気を出して戻りたいとメールをしました。そのあとの返信は「そうですか。好きにしてください」でした。嫌われる心当たりもなく、付き合っていた頃は学校中から仲良いねと言われていたので、信じられず予想もしていなかった答えで、返信ができないまま卒業をし今では会うことも全くなくなりました。初めての彼氏で衝撃の別れ方だったので、今でも忘れられない私の人生最大の失恋です。
27歳 女性のストーリー
それは、中学2年生の時でした。初めは一緒の委員会で活動していて、友達のように仲が良くなり意気投合するくらい毎日一緒に話をしていました。その男子は結構モテる人で顔がイケメンだったのもありいつも彼女がとなりにいる人でした。その頃はまだ、彼を意識していなかったので嫉妬したりとかはなかったのですが、ある修学旅行の時にバスの中で2人が手をつないでいるのをみて大きなショックを受けました。その時に落ち込んでしまって早くこの気持ちに気づけば良かったととても後悔してしまったのを覚えています。それから2人は別れたのですがその後彼は1年間のうちに何人も彼女を作っては別れたの繰り返しでもう私の気持ちは冷めてしまいました。

「今だから言えるごめんなさい」

22歳 女性のストーリー
私はつい数年前まで専門学校に通っていました。
そこではおよそ2年間知識を取り入れていくことが大切でしたが私は一切そのことに関して気持ちがなくそもそも専門的な知識を取り入れていくことに関心すらありませんでした。
そこでは人間関係がうまくいかなくて莫大なストレスを感じていて発散方法を見出すことすら自分の中では当時ありませんでした。
なので今だからこそ言えますが最悪ずっと死ぬことばかりあるいは命を奪いかねない病気にならないかなとどこか期待していました。
精神的に病んでいて本当に専門学校の中では誰も私の立場になってくれる人がいなくて薬で自殺を図っていました。
だからこそその中だけに目を向けずずっと見てくれていた本当の友人たちを悲しませたことは絶対に何があっても忘れません。
そのことについて心から謝罪したいです。
母親は鬱病になった私を罵りましたが友人たちの親切さは宝物です。
42歳 男性のストーリー
小学校6年生の夏休みに母親の実家のおばあちゃんの家に弟と二人で遊びに行きました。
新幹線にローカル線にと電車を乗り継いで7時間ほどかけてやっとの思いでおばあちゃんの家に到着しました。年に数回しか会うことができないおばあちゃんは、僕たちにとってもやさしくしてくれました。1週間ほどおばあちゃんの家で過ごすとだんだんわがままばかりを言うようになっていました。自分の母が子供たちに接している姿を見ているとあのとき自分がおばあちゃんにどれだけ迷惑をかけたのかなあと思います。おばあちゃんが亡くなって20年ほど経ちますが、今でもあのときわがままがかり言ったことを思い出し、おばあちゃんにごめんなさいと謝りたいです。
49歳 女性のストーリー
反省すべきいたずらをしたのは小学2年生のことでした。
近所に住む祖父母の家で、親戚が集まり鍋パーティーをする日のことです。
居間には大きなローテーブルが置かれ、その上には卓上コンロとすでに大きな鍋がセッティングされ出汁が注がれていました。
母や祖母などの大人たちは後から来る親戚を待ちつつ少し離れた台所で鍋の具材やその他のお料理の準備をしていたので、私と近所に住む同い年の従兄弟のA君と2人で粘土遊びをしていたのです。
しかし、いつしか粘土で使うヘラなどの道具を巡って喧嘩が勃発。
その手に持ったヘラや粘土ケースの蓋、そして粘土までもを投げ合うことに。
そして、いとこが投げたこぶし大の粘土がドボン!見事にテーブルの上の鍋の中にダイブしてしまいました。
私とA君は、しばらく鍋を見つめ硬直しました。が、A君は我に返りその粘土を取り出し何食わぬ顔して粘土ケースに戻しまた。
その後、私とA君はほとんど鍋には手をつけず他に出されている料理を食べ、何も知らない大人たちは、鍋を美味しくいただいてました。
あんな粘土エキス入鍋を食べさせてしまってごめんなさい。(笑)
27歳 女性のストーリー
中学校の頃仲良かった子がいました。
その子は小学校の時に大阪から転校してきた子でした。
向こうから話しかけてきてくれたのでそこから話すようになり帰り道も坂の下で家も近くて一緒だったのでいつも一緒に帰っていました。
中学も一緒でしたが漫画の読み方が気に入らなくて
私の漫画なのに途中まで読んで今度読むって事になったら表紙で区切る人だったんです。
喋り方の語尾も両手の人差し指を先と先で合わせて〇〇だよ〜っていじいしたりすごくどもる子だったのでイライラが増し遊びに来てる間にお揃いの筆箱を隠してしまいました。
後日学校で話題になりましたが誰がやったかは分かりません。
なのでまた遊びに来た時にそっとカバンの中に入れておきました。
45歳 女性のストーリー
「今だから言えるごめんなさい」、と聞いて、必ず思い出すのが大学時代から長年付き合っていた元彼のこと。
悪いことをしたな、と思い出すことも多く、その罪悪感からかいまだに時々夢でその当時に戻って謝っているときがあるくらいです。
結婚の約束をし、お互いの両親にもその話をして、指輪もきっちりいただいたのに、海外旅行とプチ留学にはまってしまった私から、いきなりの破棄。
携帯電話の料金も払ってもらっていたし、それこそ海外旅行先から国際電話でかけてくるその費用も彼持ちだったのに、その国際電話で長々と別れ話をしたのも今思うと、すごく申し訳ない。
彼が変わったとか、やっぱり相性が合わなかったという理由ではなく、とにかく海外で見る人、出会う人が新鮮だっただけで、彼に非は全くありません。
後から、共通の友達に聞いたら、結婚が流れた話を説明している彼が酔いつぶれてしまうくらいべろべろに呑んでいて大変だった、飲みに行こうと連れ出されるとその話が延々と続くので最終的には断っていた、ということでした。
「人生が変わった」と酔いつぶれていた元彼、そのご家族、周りの友人、勝手なことしてすいませんでした。
31歳 男性のストーリー
何年も前になりますが、けんえいじゅうたくにすんでいたころ、こねこをちゅうおうこうえんでひろってしまいました。
その猫でしばらくあそんでいましたが、そのままほかの子にあげてしまい、忘れていました。ですがそのこが子猫を持ってきてしまいました、
賃貸では飼うことができないので親にはしかたなくすてえこいと言われました。
といってもこねこをすてるということは、もう死んでしまうとういことをその時はあまりわっかっておらず。そのまま公園に戻してしまいました、
その猫はおそらく死んでしまったのでしょうが成長するまではあまり気になりませんでした。
人ではなく動物に対してですがほんとうにもうしわけないとおもってしまうできごとでした、
42歳 女性のストーリー
社会人なりたての頃、常識が全くなくて、会社名をことごとき聞き間違えて
社内中をパニックに陥れたことがあります。
例えば、伊藤忠商事の伊藤忠を、伊藤 忠(タダシ)さんと言ってしまったり、
丸紅を紅花と言い間違えてしまったり(イメージで喋ってしまう)
IBMを聞き間違えてアイビーム、、目からビームってどういうことなんだろう?と
先輩に堂々と聞いてしまい、先輩に「質問の意味がわからない!」と困った顔をされたりしていました。
ズッコケエピソードが満載で、今思うともう少し勉強しておけば良かった、申し訳なかったなと思います。
今思い出しても赤面してしまいますが、電話をとる度に周りがハラハラしていました。その後、笑い話にしてくれましたが、ごめんなさいしたいです!
39歳 女性のストーリー
現在は遠距離で一人暮らしですが、実家住まいだった頃、母にすごく可愛がられていたのもあり、お金の面でつい甘くしてもらいがちでした。欲しいものがある時、「お母さん、〇〇が欲しいんだけど、お金がなくて、、、」と、哀れみを前面に押し出して同情してもらい、「しょうがないわね、いいよ」と買ってもらったりしていました。あまり高価なものではなく、罪の意識が重すぎないような気軽なものを何度も買ってもらっていた感じです。挙句の果てには、千円と小銭の両替をお願いするように見せかけ、母の小銭貯金を余分に抜き取っていたこともあります。それも、母のおおざっぱでどんぶり勘定だった性格に付け込んでいたのだと今ではかなり深く反省中で、毎日のように懺悔しています。
50歳 女性のストーリー
20代のころスキーに夢中になっていました。その頃、正社員で事務の仕事をしていて普通のオフィスワーク、平日出勤の土日休みでした。でもどうしても出勤の日に泊まりで行きたいスキー旅行がありました。事前に休みを申請しようかとも思ったけれど、なぜか言い出せず、ぎりぎりになってきて余計に言い出しずらくなり、ついには当日欠勤を言い出すことにしました。

夜に出発し、スキー場には朝に到着しました。すぐに会社に電話「すいません、、風邪で熱があり今日休ませてください。すいません、、」と、電話に出た男性中堅社員に言いましたら(まだチームのリーダーは出勤していなかったため)、「〇〇ちゃん、元気そうな声してるね」と言われてしまった。見抜かれていたようです。私は声が高く、しんどそうな声をつくっても、しんどそうに聞こえない声をしているのです。

その後、その男性中堅社員とそのことで話すことはしませんでした。優しい人でよかった。休んでごめんなさい。
45歳 女性のストーリー
もう30年位前になりますが、わたしが小学生の頃、休憩時間に廊下で友達と話しをしてまったりしていました。
5クラスが並ぶ長い廊下だったので、定期的に消火器が設置してあり、私達はその消火器の横あたりで話していましたが、しばらく話していると他の子が話していた友達を呼びに来たので、私は教室に戻ろうとして向きを変えました。
その時、体が消火器にあたり「痛いっ」と思ったと同時に、プシュー!という音と共に
真っ白な煙が大量発生したのです。
その瞬間とっさに誰かに見られなかったかが気になり周りを見ると、幸いにもこちらを向いている生徒がおらず、私は慌てて消火器から離れました。すると教室からみんなが「何?何?」とゾクゾクと出てきて大騒ぎに。。。
私はそのゾクゾクと出てくる生徒に紛れ、あたかも私も今初めて気がついたフリをして、みんなと野次馬側で騒いでしまいました。
結局、消火器が古くて勝手に外れて落ちたのではないか。と言うことになり、みんなで白くなった廊下を「ビックリだよねー」などと言いながら掃除しました。
本当は私があたりました!みんなごめんねー!

24歳 女性のストーリー
彼氏がLINEを乗っ取られたと騒いでいた。話を聞くと、知らないパソコンからログインされたと通知が来たようだ。仕方なく、既存のアカウントを削除して新しい物を作成したが、トークはおろか友達もほとんど消えてしまった。可哀想に思う反面、私は罪悪感にかられていた。なぜなら、乗っ取り未遂を犯したからである。
事件が起こる3時間前、打ちっぱなしになっていたアドレスとパスワードを確認せずにパソコンでLINEにログインした。しかし、そこに出てきたのは私のではないアカウント。彼氏が私のパソコンを使っていたのをすっかり忘れていた。気付いた時点ですぐログアウトし、自分のものに切り替えたが、遅かったようだ。
5年も前の話だが、まだ一度も謝罪してない。次、話題に上がったら謝ります。ごめんなさい
23歳 女性のストーリー
 LINEが普及し、ID検索に関しても制限なく自由にできていた時代のお話です。当時、高校に入学し携帯を買ってもらったばかりの頃、常識も知らなかった私は、検索からやってきた知らない人ともLINE上でのやりとりを行っていました。変な人も居ましたが、その当時は好奇心旺盛、もはや好奇心の固まりで、何の危機感もなくしていたんです。今思うと、ありえない行為ですが…(笑)
そんななかで、ある一人の同年代の子と繋がりました。その子は、恋愛体質といえば良いのか、とにかくネット上で何股もかけているような子でした。そして、寂しがり屋なのか電話を毎日かけてきてLINEも数分で返してくるよう求めてくるくらいでした。部活もろくにしていなかった私は、暇だったのでその子の要望に応えるように毎日連絡を取り合っていました。(今では、そんな時間も余裕もないのでありえませんが笑)
その付き合いは、私が受験に打ち込む前まで続いたような気がします。その期間で、この子を通じて後一人ほどメンヘラ気質の子と連絡を取り合うまでの仲になりました。ですが、2人とも気分の浮沈みが激しく、その子たちの話を聞いているうちに私までつられるようにして気分が落ち込むようになってきました。そして、そのような状況にだんだんと嫌気がさしてきたものの、自分を良い人だと思いたかった私はその子たちと縁を切れずにいました。どうしても離れたかった私は、受験を理由にその子たちと距離置くようになりました。それからというもの、かかってくる電話には出ず、LINEのやりとりも半日経って返すなど段々と希薄な関係になるようにしていきました。そうして、長らく続いた関係も私が連絡を取り合うのしんどくなり、音信不通になって一方的に終わらせてしまいました。
 きっと今までも傷ついてきたであろう子たちに中途半端に関わり、私の都合で連絡を絶ってごめんなさい。
 
26歳 女性のストーリー
私は小学生高学年の頃父を亡くしました。
私にとってはとても頼りになり大好きな父でした。
相談も聞いてしっかり答えてくれる父だったのでとても悲しかったです。
私の母は父とは違い私はあまり好きではありませんでした。
よく怒られるしあまり私の話を聞いてくれるような母ではありませんでした。
なので父が亡くなったことで少し反抗期になり母とは話が合わなくなり話すと喧嘩ばかりでした。
中学生になったころ、母と喧嘩になり
父がいないことで私は母に父と母が逆だったら良かったのにとひどいこと言ってしまいました。

今思うととても申し訳ないことを言ってしまい謝罪の言葉しかないです。

現在は少し成長し私ももうすぐ母になります。

女手1つで子供を育ててくれた母には感謝でいっぱいです。

あの頃はごめんなさい。
29歳 女性のストーリー
高校時代から仲の良い友人だった子と
20代前半では結婚したいねーと2人で婚活っぽいことをしていました。私が最初に彼氏ができたのですがあまりうまくいっていませんでした。
その友人も後から彼氏ができました。友人と彼氏は馬が合ったようで、結婚までスムーズにいきました。若干出来婚だったようで、式前に妊娠もすぐわかりとても幸せそうに見えました。一方、私は彼氏に距離を置かれておりこの世の終わりのような気持ちになっていました。
友人は妊娠してる時に、メンタルがとても弱っていました。私にメールしてくれましたが、私はひねくれていて、あまりメールを返さなくなりました。
いま思えばとても酷いことをしてしまいました。
今自分が結婚して妊娠してこれほどまでメンタルがきついと思いませんでした。
私は冷たくあしらってしまったのにも関わらず、その友人は妊娠している私に、
優しく、辛かったら何でも言ってねと言ってくれます。一時の感情だけで物事を判断することほど悪いことはないなと感じました。
52歳 女性のストーリー
私がまだ20代の頃です。高校時代の部活の同学年の仲間から手紙が届きました。彼女は大きな病院に入院中との事。その時の私はなんて返事を書けば良いかわからず、そのままにしてしまいました。彼女とは仲間ですが親友と呼べるほどの仲ではなかったので、余計どうして良いかわかりませんでした。
その後彼女が皮膚がんで入院していたと聞きました。
それから数年後、彼女本人からもう大丈夫なんだと話しを聞き、安心してました。
また数年後、彼女から手紙が届きました。その頃の彼女は、演劇で舞台に立ち介護の仕事も両立させ、結婚もしてとてもパワフルに活動してました。
彼女の手紙は、演劇を見にきてほしいとの事でした。隣町の劇団で劇場まで遠いので、チケット代だけ送り見にいく事はなかったのですが、ある日彼女から「最後の舞台なのでどうしても見にきてほしい」と手紙が届き、嫌な予感がしてなんとか都合をつけて見に行きました。舞台上の彼女はとても生き生きしていて、思い過ごしだったと安心しました。
それから数年後、彼女が亡くなったと連絡聞きました。その時のショックを思い出すと今でも胸が痛いです。
初めて出会ってから35年経ちます。今でも命日には静かに冥福を祈りながら思い出します。
あの時はどんな気持ちで手紙をくれたのでしょう。。。本当にごめんなさい、の気持ちでいっぱいになります。
26歳 男性のストーリー
小学生の頃の話です。
小学校の図書館の本棚
の棚は自由に棚の位置を変えれるタイプのもので、棚の四方に固定するピンのようなものがありました。
そのピンは1つ取っても本棚はあんていを保てていたため何個かピンをとりました。
そのピンがコマのように回転するため、休憩時間になると友人たちとベイブレードのようにそのコマをつかって遊んでいました。
この遊びが流行ってきてコマの数が足りなくなり、四方の1箇所だけを取っていましたが、2箇所とるところも出てきました。そのうち、本の置き方次第では3個も取れたため調子にのってたくさん取っていると、そのうち本棚が急に崩れました。みんなはその場からすぐに逃げました。
先生がピンがないことには気がつきましたが、私たちがコマ遊びで使用していたことは今でも内緒です。すいませんでした。
27歳 女性のストーリー
私は小学校5年生の時から20歳ぐらいまでずっと父親に対して反抗していました。
きっかけは家族旅行出発前に起きた両親の喧嘩から、今まで聞いてきた話は嘘だったのかという絶望を抱いたことからでした。
そして勉強に部活にと優秀な姉贔屓なところ、その姉と同じようなことをさせようとしてきたこと、不登校となった時に心の拠り所にしていたネットのチャットを強引に辞めさせられたこと、自分には全然構ってくれなかったこと、何もかもに腹が立ち、高校の時からはついに口も聞かず、同じ場所にいようともしませんでした。
そんな父と別居した今、前みたいに上手く話せない状態にあることを少し悔やんでいます。もう少し早くに謝っていればよかったなと心の底から思います。
27歳 女性のストーリー
私にはもうおじいちゃんおばあちゃんはいません。全員亡くなってしまいました。
そのなかで、父親の方のおじいちゃんおばあちゃんに申し訳ない気持ちがあります。
それは私が小学校のときからずっと、父親の弟の叔父夫婦以外からは常に姉と比べられ、
姉贔屓にされて、従姉妹とは年が離れているためか相手にされずいじめられていたことから、親族の集まりを拒否し続けていたことで、おじいちゃん達と何年も会えておらず、
とうとう亡くなる直前までうまく話せずにいたことをとても悔やんでいます。
なんでもっと早くに会ってあげられなかったのだろうか、なんでもっと早くずっと不参加にしていたことを話せなかったのかと喪って初めて謝りたい気持ちでいっぱいになりました。
28歳 女性のストーリー
彼氏に嘘をついてしまいました。
どうしても彼と別れたくなくて、
妊娠したと嘘をついてしまいました。
そしたら彼が本当に信じてしまい、
私のことを大事にしてくれるようになって
嬉しかったです。
そしてしばらくして私も彼と別れたくなり
そのまましばらくの間は連絡を取らなかったら、彼が心配してくれて流産したことを伝えて彼と別れました。
あの時は嘘をついてごめんなさい。
今から5年前の話ですが、
あの時嘘ついてごめんなさいと彼に言いたいですけど、音信不通で今どこにいるかわからないです。
今だから言えるごめんなさいと元彼に伝えないです。
そしてあの時本気で優しくしてくれて嬉しかったけど、私の中で罪悪感がありました。
もう二度と嘘はつかないと心に決めた出来事でした。
35歳 女性のストーリー
現在3児の子育てをしています。
自分の子供は可愛いですが、結婚前は子供があまり好きではありませんでした。公共の場で泣き叫んだり、床に転がったりする子供を見かけると、態度には出しませんが、内心うるさいなと思っていました。
しかし結婚し出産した我が子は、昔「うるさいな」と感じていた子供と同じような言動を度々とる子でした。公共の場で騒いだり走り回ったり…。ある程度の躾はしているつもりだったのですが、全く思い通りに行動してくれません。
昔見かけた「うるさい子供」は、親の躾の問題ではなかったのだと痛感しました。子供はいくら言い聞かせても騒ぐ時は騒いでしまうし、気に入らないことがあると号泣します。本人の持って生まれた性格も影響しているのだと思いました。
うるさいと感じてしまった親子に、ごめんなさいと伝えたいです。
30歳 男性のストーリー
中学生の頃に夏休み、両親共働きのためおじいちゃんと2人で過ごすことが多かった。

昼ごはんをいつも買ってきてくれるおじいちゃん。

最初に頼んだ唐揚げ弁当を多分何を選んでいいのかわからず毎日買ってきてくれていた。

唐揚げを好きで最初に頼んだけど毎日毎日唐揚げ弁当は少しきつくなってきてしまったがそれをおじいちゃんには言えず過ごす毎日。

1、2週間くらい続いたかの時にこっそり捨ててそれからは家にある物を食べるようになってしまう。

何度か裏の畑に捨てては罪悪感の日々。
けどやっぱり食べたくはない唐揚げ弁当、未だにおじいちゃんは知らないだろうけど、せっかく買ってきてくれたお弁当あの頃捨てていましたごめんなさいおじいちゃん。
19歳 女性のストーリー
これは私が小学生だった頃の話。私の家庭はまあまあ厳しく、パソコンもケータイも与えてもらえず、9時には布団に入らなければなりませんでした。そのおかげで私は健康ですごく元気な少女でした。しかし周りの子はみんなDSやネットを見て夜遅くまで起きたり、他の子がする全ての方がカッコよく見えていました。例えそれが視力検査の途中でも。
私は健康少女だったのでもちろんA、目はすごく良かったです。しかし他の子が目が悪いとか言って違うカッコいい機会で視力を図っているのがとても羨ましく、私は見えないフリをしてわざと間違えました。そして私もカッコいい機会の方に連れていかれカッコ気分を味わえたので満足でした。
すると数週間後診断書が届き、眼医者に行ってくださいとのこと、ヤバイと思いながらも眼医者さんに行くとたまたま私は逆睫毛という症状持ちで、目が悪い筋が通ってしまい、私は眼医者通いに、、
小学校の間三年間ほど、目が悪いフリをするのは辛かったです、そしてお母さん余計な医療費払わせてごめんね。
24歳 女性のストーリー
学生時代、人にべったりとされるのが苦手だった。ある一人の友達に入学当初べったりされてしまい、行動するときいつも一緒にいた。誰か一人の人とずっと一緒にいるのが苦手なので、だんだんその子の嫌な部分が見えてきてしまい、苦手に思えてきてしまった。他の友達を作り、その子と仲良くし、べったりしてくる子のことを適当に話したり、冷たくあたってしまうことが多かった。だんだんその子は自分の元から離れていき別の友達を作っていた。自分の元を離れて最初は良かったと思っていたが、時間が経つにつれ、ひどくあたってしまったと後悔している。その友達は何も言ってこないが、きっと傷ついていたと思う。その友達に当時のことを謝りたい。
33歳 男性のストーリー
昔のことですが、アパートに住んでいて、梅雨時期に雨連発だったのですが合間に一度だけ晴れた日がありました。正面の家と道路の間で子供とサッカーしていた。その時、家の玄関口にあるポストにボールをぶつけ、ポストをぶっ倒した。最低謝っておこうと、子供を家(アパート)に向かわせ私がポストをその家に立てかけチャイムをならし、謝ったのですがとても良い人で、「子供と遊んでたんでしょ?いいよいいよ!子供がやったことだ!大丈夫!」と言ってくれたのですが、ポストに当ててぶっ倒したのは私…。話の流れから私は「あぁ…はい…」と言ったのですが、今となっては申し訳ない…と言う感じになります。流れから私が倒しましたと言えずすいませんでした…。
27歳 女性のストーリー
中学の時、部活動の同学年代でいじめ、嫌がらせがありました。
運動部だったのですが、休憩中に陰口を言われたり、無視されたり、
パス練習でボールを強く、あさっての方向へ投げられたり…

ターゲットはリーダー格が飽きるたびどんどん変わっていき、
わたしの一番仲が良かった友達が、嫌がらせの対象になりました。
もちろん、その子はチームメイトに悪いことは何もしていません。

私は友達といるのが楽しかったので、一緒にいました。
ですが、ある日いじめのボスに「いい子ぶるな」と言われてしまい、
次は自分がターゲットになるかもしれない、と怖くとなり、
友達に自ら話しかけに行くのをやめてしまいました。

だんだん友達は部活動にくるのがつらくなり、休みがちになっていきました。
その時もう3年生だったこともあり、部活動はあっという間に引退しましたが、
今でも、友達と一緒にいてあげられなかったことを後悔しています。

中学生という多感な時期ですし、正義感をふりかざすのは難しかったと思います。
ですが、その子の心に大きな傷を残してしまったことは事実です。
一生に一度しかない学校生活、つらい思いをさせてごめんなさい。
72歳 男性のストーリー
古い話ですが、高校を卒業して就職した会社を3ヶ月足らずで辞めて放浪の旅に出ました。理由は特にないのですが、何となく生活の全てが面白くなかったと思います。
求人広告を見て京都の中華料理店でホール係と皿洗いの仕事で住み込みで働き始めました。
京都の夏は想像以上の暑さで、大部屋の20人くらいが寝るのですから暑くてとても眠れない毎日が続いていました。
2ヶ月くらい経ったある朝、目を覚ましてふと横を見ると空になった隣の布団の枕の横に財布が落ちていました。ナントその財布を頂いてしまったのです。そしてそのまま京都にオサラバしてしまったのです。働いていた会社にも無断でした。
今考えてみると金がなかったとは言えとんでもないことをしたものだと思います。今だから言えるごめんなさいの話です。
26歳 男性のストーリー
小学生のバレンタインデー。
前日の帰りの会で先生から、『明日はバレンタインデーですが、学校にお菓子は持ってきてはいけませんからね!』と忠告があった中、朝学校に来てみると、机の中に大きめの箱でが入っていました。
当時は小学校1年生でしたが、人生で初めて異性から貰った事、周りの児童からモテ男だとかチューでもしちゃえなどと茶化された事で恥ずかしさが頂点に達し、くれた子は分かっていたので、みんなの前で『先生にダメだと言われた事をする子は嫌いだ』と大きな声で言って泣かせてしまいました。
Mさん、あの時はごめんなさい。帰った後チョコは食べました。板チョコを溶かした手作り風で、大きなハートの形をしていた事はしっかり覚えています。あの日から、甘いだけだとあまり好きではなかったチョコが好きになりました。
18歳 女性のストーリー
高校時代のお話です。当時、コンピューター部に所属していたのですがとても緩い部活でした。先生も優しい方でよくしてもらったのを覚えています。しかし、緩すぎて少しコンピューター室のルールを破っていたことがありました。飲食禁止だけど、お菓子パーティーを行ったり、お弁当をみんなで食べたり…部員以外の生徒はきちんと守っていた印象がありますが、コンピュータ部部員は守っていなかったです。今だから言えます!ごめんなさい!おかげで楽しい部活動ができたことは事実なんですが…コンピューターは精密機器なので飲み物をこぼしたら危ないと、飲食禁止の理由は分かっていたのですが、みんなでお菓子を食べたりお弁当を食べるのは楽しかったです。
45歳 女性のストーリー
父親が分割で中古車(父の好みの車)を購入したのですが、
私も車を使用していたこともあり、父親が毎月車の支払い代として
私にお金を数万円支払わせ、勿論、そのお金を車の支払いに
充てていたようなので、私もてっきり車は私のものと思っておりました。
しかし、2年位経った頃、私が結婚をし新居へ車も一緒に持っていったのですが、
新しい車に買い換える際に、父には言わずに下取りに出してしまいました。
あとになって、新しい車で父の元へ出向いたところ、実は車自体は父親が
購入したものだったとのことでした。
当時、私が車代と言われて支払っていた分は、結局、家の食費といった意味で
徴収していたとか。
今となっては、もう車は戻ってきません。ごめんなさい。
36歳 女性のストーリー
私が子供のころ、どこかに出かけようと玄関で母が来るのを待っている間、鍵を振り回して遊んでいました。
すると手が滑り、ガラスがはめ込まれた玄関の戸に直撃してしまいました。
「うわ~やっちゃった~!」
ガラスには大きなヒビが入ってしまいました。
しかし素直に謝ることができず、知らないふりをしてしまいました。
母は玄関に来るまで気づいておらず「えー!なんでガラス割れてるのー?」と驚いていましたが、私はしれーっと「ホントだ!なんでだろー?」と、さも今気がついたかの様に振舞ってしまいました。
母は私に疑いをかける事はしませんでした。
心の中では、疑っていたかもしれませんが口にはしませんでした。
それが余計に心苦しかったです。
あの時はごめんなさい。
23歳 女性のストーリー
私が中学生の頃の話ですが、
おばあちゃんは長年500円貯金をしていました。
可愛いたぬきの大きな貯金箱だったと思います。
何キロにもなるほど500円貯金をしていました。
ある日、一緒に数えようと言ってきたので一緒に数えました。
おばあちゃんはいつも私にお小遣いをくれるので
今回も数え終わったらくれるだろうと
自分でも分かっていたのですが
数えながら結構な額をくすねていました。
数え終わって一万円ほどお小遣いをくれたのですが
くすねた額を合わせると二万円程になっていたと思います。
その一回ではなく二、三回同じようなことを
したと思います。
おばあちゃんが気づかないことをいいことに
すごく申し訳ないことをしたなと今になって思っています。ごめんなさい。
22歳 女性のストーリー
中学生のときどうしても生理的に無理で嫌いになってしまった男の子と授業で隣の席でした。小テストを交換しなければならなかったけど本当に嫌すぎて、完全に無視してしまってとても気を使わせてしまいました。その子じゃない側の友達にいつも頼んで、その子にもめちゃくちゃ気を使わせてしまった覚えがあります。さらには、私がシャーペンを落としてしまったときにその子が拾ってくれたのですが、本当に生理的に受け付けなかったせいで、そのシャーペンをその授業のあと捨ててしまいました。今思えば、どうしてそんなに苦手というか嫌いになってしまったのかもわかりませんし、そんなに苦手だとしても無視するのではなくて他にもっと解決する方法があったのではないかと思うと本当に謝りたいです。
23歳 女性のストーリー
今から10年ほど前、私がまだ中学生だったころのお話です。
当時私には周りに秘密で付き合っていた彼氏がいました。その彼は学年でも特に目立つような人ではなく成績もルックスも標準の人でしたが彼の優しさと告白された時の嬉しさからお付き合いを始めました。
ですがその彼実は、幼稚園からの親友の好きな人だったんです。親友に対する罪悪感はありましたが、恋愛に興味もありましたし好きだという気持ちもあったのでお付き合いをしてしまいました。もちろん親友には内緒で。
今思えば正直に話して理解してもらうべきだったと思いますが当時は恐怖のあまり言いだせませんでした。
ですが今となっては昔の話。現在、私は別の男性と結婚し妊娠中で親友も一児の母となっています。
あの時コソコソと隠れて恋愛していたこと本当に反省してます。ごめんなさい。
29歳 女性のストーリー
今の恋人の元カノが別れた直後からずっと連絡が頻繁で、内容は「あなたが好きそうな音楽を見つけた!」「あなたが好きそうな店があった」「最近こんな悲しいことがあった」など、連絡の必要度が低いことばかり。
さらには「いま落ち込んでるから今度二人で旅行にいきたい」「二人でご飯にいって話を聞いてほしい」なども送ってきていました。

ある日いつものように電話がかかってきて、「いま、あの人(私)と一緒?じゃあいいや」とまで...

私がいては困るような話をするのだと思い、私は堪忍袋の緒が切れました。

それから、何度か恋人が見る前に元カノからのくだらないラインをこっそり消してしまいました。
今思えば自分でも最低なことをしたと思っています。まだ恋人にも謝っていません。

今は別の理由で恋人と元カノはもめ、連絡を断つようになったので、言わなくてもいいかなと思っていますが、心のなかではごめんなさいと何度も謝っています。
27歳 女性のストーリー
本当に大人になった今となってはしょうもない話です…。けれど当時私は小学生。

仲の良い女の子といつもの様に小学校から帰っていた時に、偶然対立していた男子グループに会いました。
そこでちょっとまあ小学生ながらも嫌な雰囲気になり、悪口を言いながらその女の子と歩いていたのですが、男子グループの一番気に入らない1人が私たちの前を通りました。
その時に持っていた傘で私は男の子の足をひっかけました。

ちょっとした悪戯心だったのですが、男の子は思いっきり転んでしまい、足をちょっと擦りむいてしまいました。

結局そのままわたし達は家に帰ったのですが、運が悪くなんとその男の子の家が保険屋さんで、私の家にかなり怒って電話をかけてきて、擦りむいた足もめちゃくちゃ大袈裟に言われ、私の家や祖父祖母までこの話がいき、大変なことになりました。

この状況はやばいと小学生ながらに焦った私は言ってしまいました…。
「私は傘を足に引っ掛けてなんていないよ」

一緒に帰った女の子とその家族と、私と私の家族で会議も開かれ、そこではなんとその女の子は私のこの嘘に話を合わせてくれました。ただその後もちろん男の子側は引っ掛けたと主張していました。

私の家族や祖父祖母は私の事をおそらく信じているようです。
ただ大人になった今も、たまに祖父祖母の家に行くと、あの時って引っ掛けてないの?と聞いてきてドキッとしますが、忘れたとはぐらかしています。

もう30代間近になった大人の私なら言えます。
あの時嘘をついてごめんなさい。
そして男の子へ、悪戯心で傘で足を引っ掛けて怪我をさせてしまってごめんなさい。
あと私の嘘に合わしてくれた友人、ごめんね、有難う。
36歳 女性のストーリー
その当時は、付き合っていた彼氏の方が好きで好きでたまらなくて大学を卒業する大事な時期に彼氏の家によくいっていました。就職も適当に決めてなぁなぁで過ごしていました。
そして卒業したあとも、結婚する気は無いけど今がとにかく楽しくて呼び出されれば電車賃が往復2000円かかるところまで会いに行きました。今思えば、とても口が上手い人でのせられていました。
20代半ばになったときに、本当にこの人で良いのだろうかと思い始めたときに、特段好きではないが将来安定している人からの告白を受けました。結婚はしてみたいという考えから、彼氏と別れて付き合おうと思ったらその彼氏がモラハラに変わり毎日2時間電話がかかってくるようになりました。
その内容が自分と別れたらどんなにひどいことが待ち受けているかです。
そしてなぁなぁできめた仕事もうまくいかずにやめることになり、彼氏とは半年間連絡が取れないように一人暮らしをしてひっそり身を潜めました。
あのときは本当に生きた心地がしなかったです。
良い感じの人とは結婚して、あのときじつはあなた以外いたのとはいえず、後ろめたい気持ちもありつつ過ごしています。
32歳 女性のストーリー
中学生のころ、私はまぁまぁ遊んでいて、友達と中学生だがコンパニオンに行って2時間接待してお給料貰ったり、万引きしたり、原付バイクを2人乗りしていたりしていました。そんな遊びまわっているある日、今日の夜もコンパニオンでお金貰えるねー!なんて友達と話していてお昼ご飯を食べに行こうと話していました。某有名チェーン店に入りランチを楽しんでいました。持ち合わせもあまりないので少な目に注文し、今日はどんなんなのかな?なんて話していました。ふと見るとレジは入り口より反対の奥側、レジ奥より反対の入り口ドア近くに通された私達。若気の至りですね。レジ会計済ませたよその御客さんと一緒に出ました。最初で最後の食い逃げ。この後凄く後悔し、10年以上経った今でも反省しています。あの時は本当にごめんなさい!
43歳 女性のストーリー
今だから「お兄ちゃん」ごめんなさい。

お母さんのお財布からお金盗ったのワタシ…なんだ。お財布からお金が減っているのにお母さんが気付いて、即座にお兄ちゃんを呼んだよね。たしかに、前からお兄ちゃんはお金を盗っていたからお母さんが決めつけるのも無理ないと思うけど…あの時の500円はワタシです。ワタシもお金が欲しい時があったんだよ、だからお兄ちゃんと一緒だよ。ただ、お札を簡単に持っていくお兄ちゃんはちょっと…なんですぐバレることするんだろうって、理解できなかったよ。500円ならバレないかなって、で、バレて、自分です、ごめんなさいって言わないのも、結構なワルだよね。大人になってお兄ちゃんの前で潔く反省できたのに、あの時言えなかったがために、未だに潔くなれない自分がいるのよ。

ホントに本当にごめんなさい。
48歳 女性のストーリー
22~23歳の頃の事です。私はタバコを吸っていて、結構ヘビースモーカーで1日1箱は無くなっていました。
アルバイト先で好きな人がいて、両思いになる前は常にバッグの中にタバコを入れていました。両思いになって、付き合う事になって、彼氏の方はタバコを吸わないのですが、気にせずに彼氏のアパートに行ってもタバコを吸っていました。彼氏も始めは何も言わなかったのですが、ある日タバコを止めて欲しいと言われ、とりあえず、1日5本までと約束しておきながら、影でタバコを5本以上吸っていました。「最終的には止めてもらうから。」と言われ、でも彼氏の事は諦めきれず、悩んでいましたが、別れたくないのですが、タバコも吸いたいので、やっぱり影で吸っていました。結局別れてしまい、何十年も過ぎたので、その事を今だから言えるごめんなさいです。
24歳 女性のストーリー
これは私が小学生の時の話なのですが、その日は非常にむしむしした夏の暑い日でした。そんな日に私の小学校では全校集会が開かれました。
その全校集会に行く前から私は自分の体に異変を感じます。
「 あれ、なんかお腹いたな。」
ずっとそう思いながらも私は体育館に並びました。
そして長い長い校長先生の話が始まったその時です。急に私のお腹にぎゅるぎゅると鳴りだしたのです。
その音は小さかったので周りにはバレなかったのですが、どんどんお腹がぎゅるぎゅるとなりオナラが出そうになりました。なんとか我慢しよう、我慢しよう。と思ったのですが、ふいに力を抜いた瞬間ぶーっ!っと大きな音をたててでてしまったのでした。
私はああ、やってしまったなと思ったのですが、周りの人達は私の隣に座っていた男子を指さしてオナラしたー!と言い始めたのです。勿論オナラをしたのは私だったので、その男子は強く否定したのですが、そんなことも通じずその男子がオナラをしたことになったのです。
その時は助かったと思ったのですが、今となっては申し訳ない思い出です。
30歳 女性のストーリー
今だから話せるごめんなさいというテーマで以下にお話させていただきます。
わたしは小学生の頃、片道45分ほど歩いて通学しておりました。朝、自宅を7時半に出る際には雨の日で無い時がありがたかったです。一方帰宅時が辛かった。友達と帰っている時はそうでもないのですが、一人で帰っている時は登り下りの激しい坂道を行くのでとても疲れました。
学校で疲れて帰っているだけならまだ良いのですが、便意をもよおしたときには本当にきついものがありました。
ある時私はトイレ(大)をしたくなりましたが、もちろん公園の公衆トイレなど通学路にはありません。大人になった今だからコンビニにトイレを借りるという選択肢も考え付きますが小学生だった当時の私は、気になる女の子の庭先で野グソすることしかできませんでした。
本当に申し訳ないと反省しています。しかも一部始終を見ていた女の子とその後付き合うことになりました。
33歳 男性のストーリー
私は現在既婚者で過去に付き合った女性は今の奥さんを除いて1人しかいません。
その人は20歳のとかにバイト先で知り合いました。
顔はそこまで可愛くもなく、身体は細く少しお洒落ですが性格も暗く正直あまり好みではありませんでした。
当時私はとにかく彼女が欲しく、軽い気持ちで付き合ってと言ったところ返事はOK!
やったと思い付き合うも正直相性はあまりよくない…
何度も別れ話をすることがありましたが、
いざ別れるとなると私の方が決断力がなく謝り、踏み切れずにいました。
結局8年間も付き合い、彼女が30手前になったことろで別れの時がきました。
その後私はすぐに別の人と結婚し幸せになりましたが、別れた彼女は女の大切な時期を大して大切にもされず棒に振るった結果となりました。
ほんとに申し訳ないと感じています。もう会えませんが本気で謝りたいです。
67歳 男性のストーリー
小学校から仲良くしてくれていた先輩が10年前に突然亡くなりました
運動会の男子のマスゲームで5年・6年は組み体操をしました。私が5年、彼が6年でした。
2人組みで組むことになりました。彼はスポーツマンでしたが、私が運動音痴の為一つ一つの技が決まりません。彼は辛抱強く、付き合ってくれ、優しくアドバイスをくれました。
それ以来、兄貴のように慕っていました。
社会人になってからも、定期的に会って食事したり、飲みに行ったり、カラオケに行ったり遊んでいました。
具合が悪い旨の知らせをもらい見舞いに行きましたが、その時のことが忘れられません。おそらく、死期を悟っていたのでしょう!私が帰るのを何度も止められました。

40年余りの付き合いでしたが、あまりの悲しみで通夜・告別式に行く事が出来ませんでした。
21歳 女性のストーリー
いま20歳なのですが妹がいて小さい頃に何か悪いことをしたりする自分が悪いのに全部妹のせいにしていました。親は私が言ったことの方を信じるので妹もなぜ怒られているか分からないはずなのに否定することなくめんどくさいから謝るようなクセがありそれを利用して小さい頃最悪なことばっかしていました。2人で出かけた時に家の鍵をなくしてしまい家に入れないことがおきその時は家族全員大変なことになり私も手に持っていたはずの鍵が気づいたらなくなっていることに家の前で気づきもちろん親や他の兄弟に責められることはわかっていました。そこで私は最初に親から鍵を受け取ったのは自分でなくしたのも自分のせいなのに途中で妹に渡したという嘘をつきどこで渡したか聞かれ適当に答えてみんなはそれが本当だと思っていたので渡した付近を一生懸命探していて妹もみんなから怒られていました。ですが交番にいったら鍵が届いていて落ちていた場所が妹に渡したといった場所よりも家から遠いところに落ちていたのがわかり嘘ついていたのがバレそのあとはみんなから責められました。あの時は嘘をついてみんなから責められてごめんねと妹に謝りたいです。
28歳 女性のストーリー
私は7歳上の姉、5歳上の兄、7歳下の弟がいます。
私が17歳ぐらいの時、ドラッグストアで除毛テープや脱毛クリームを買っていました。
姉と一緒に除毛テープを試してみたものの全く効果が感じられず2人で男兄弟に試すことにしました。うちの男兄弟は夏でも冬でも家の中はトランクスで過ごすタイプです。
まず、ゲームをしている兄の部屋に行き寝転んでいる兄の太もも裏に除毛テープをはりました。何をされているか全く気付いてい兄。
一気にテープを剥がしました。
突然の痛みに兄は驚いていました。
次に弟を呼び、同じ様に太もも裏に除毛テープをはり兄と同じ様に剥がしました。とても痛がっていました。
次の日に脱毛クリームを勝手に兄と弟に試しました。
兄は元に戻っただけでしたが、弟のスネの毛達は私たちの脱毛クリームや除毛テープのせいで濃くなってしまったらしいです。
兄、弟、あの時はごめんなさい。
23歳 女性のストーリー
小さい頃から泣き虫で、怒られるどころか、怒るそぶりを見せられるだけで泣いてしまうタイプでした。普段から鈍臭くて、親兄弟、学校の先生、近所のおじさんからもよく怒られていて、中学、高校でもずっと泣き虫キャラでした。
高校生の頃、彼氏ができて、とても優しく接してくれて、私が無駄に泣いても本当に心配して話を聞いてくれて、普通なら、そんなことで泣くなよめんどくさいな。と言われるようなことでも真剣に聞いてくれる人でした。
それなのに、遊びに行って夜遅くまで連絡をしなくて心配させてしまい、友達と遊んでいる最中に充電が切れてしまって、でも、友達の相談を無視できなくて付き合っていたと泣きながら説明しました。本当は、浮気をしていました、嘘泣きですごめんなさい。
29歳 女性のストーリー
私は学生の頃、両親に対してすごく口が悪かったです。
また悪い態度ばかりとっていました。
結婚して妊娠して実際に子供を育ててみると
こんなに苦労するんだと初めてわかりました。
そして、それと同時に感謝と子供の頃
申し訳ないことばっかりしてたなぁと
反省しました。
今だから素直にごめんなさいと親に言えます。
そういう機会を与えてくれて
本当に子供にも感謝しています。
子供が大きくなって私と一緒なことをしても
それは仕方ないのかなぁと思っています。
いつかわかる時が来てくれるといいなぁと
思いながらこれから育てていこうと思っています。
怒るということもすごく体力がいること。
本来だったら面倒くさいし疲れるし怒りたくないけど自分の子供のためだからと怒ってくれた親に感謝しています。
54歳 男性のストーリー
僕は昔中学生の同級生と遊んでいて仲間5人である飲食店で
食い逃げをしました。お金は持っていましたがスリル半面悪い事をしていると認識をしていましたけどお客さんがたくさんいたのでバレないのでは無いかと思ってやってしまいました。今でしたらネットでアップされて人道質問されて罰金もしくは刑を受けなければいかなかったのではないでしょうかね。20のころなんで善悪は分っている成人でしたが
その頃はイケイケだったので警察とかこわおもてのお兄さんとかは全然怖く無かったです。
今はみんな真面目になって家庭を築いている人ばかりです。一人は今も独身をしています。
その友人と3年前に会いましたけどかなり真面目人間になっていました。
50歳 女性のストーリー
私は短大の保育課を中退しました。本当の理由は友達に嫌われ仲間はずれにされていたからですが、親には「進路が変わった。保育士ではなくて看護師になりたいから中退して受験したい」と言いました。親は私がどんな道にすすむのも賛成で、厳しく追及されることもなく中退することができました。さて、看護師とは無理やりすぎる理由です。今考えれば、真剣に学ぶ人たちにとても失礼です。私は勉強そっちのけで居酒屋のバイトで稼ぎ、将来のことを考えるのを先延ばしにしていました。年が変わり、看護師の学校への願書は出さず、結局、保育の勉強を続けようと都立の専門学校を受験し、合格しました。親は特になにも言いませんでした。退学の本当の理由は、友達と離れたかったから。たくさんの学費を払ってもらいごめんなさい。でも専門学校は自分で学費を払い
資格を手にし、今でも働けるから行ってよかったと思っています。

「人を見返してやった話」

34歳 女性のストーリー
数年前、以前勤めていた会社の部署内で簿記の模擬試験が行われました。受験者は私と後輩2名の計3名。私は経理未経験で入社したので正直不安しかありませんでした(後輩2名は他の会社で経験済み)。結果、後輩2名は合格、自分だけ不合格でした。当時の上司に「まあ、お前は(経理未経験だから)不合格だろうとは思っていたよ」と言われたのがとても悔しかったので、数ヵ月後に行われる同等の簿記検定に申し込みをしました。当時、役職付きで働いていて会社も繁忙期で大変な時期でしたが、仕事の合間や休みを使って猛勉強し、無事合格しました。もちろん上司にすぐ報告。上司からは「本当に合格するとは!よくやったな!」と言われ、美味しいランチをおごってくれました。
37歳 男性のストーリー
小学校の頃、勉強は出来るが非常に高圧的で上から目線の女子同級生がいた。
そいつが自分より格下認定してる相手にはとにかく高圧的でうざいったら仕方なかったのだが、小学校の席の関係上席替えで男女隣同士になるので当たるとハズレだと溜息をつくほどだった。
頭が良いので口も達者で、こちらが1つ言えばあちらは10返すと言った風に非常に疲れるので出来る限り関わり合いを持ちたくないのだが、どうしても優位に立たないと気に食わないようで隣席になったら絡まれるようになった。
そんな時、風邪で学校を休んでしまい、復帰後にたまたま教師すら驚くような良い解答をしたら、その教師からみんなこの回答を写しておくようにと言われ一瞬だけだがクラス内の時の人になった。
そしたらその高圧的な女同級生がこちらを睨みつけ何も言わずにノートを開いているが、こちらは全く意味が分からずきょとんとしていたらそれが気に障ったのか怒り出してしまった。
後でわかったのだが勉強のできるそいつにその解答を見せるのが、そいつの中で当たり前でそれをしなかったので見下されたと思ったようで、偶然だがそいつを見返す事になり非常にスカッとした。
23歳 女性のストーリー
なんでもお前はできないと言われてきたけど、
部活の部長になってみんなを引っ張って世界大会に行って、ボランティア活動して、みんなから感謝されたて先生を見返した。
私は、元々勉強が無理で成績は下の方でした。
それで、先生にはまともになれ何も出来ない。なにか悪いことがあれば、私のせいにされてきました。
それが嫌で、部活だけは頑張ろうと思って頑張り続けたら部活をしているお前は輝いて見える。本当にすごい。
と何人もの先生から褒められた。
それが嬉しかったのと、さらにもっと頑張ろうっていう思いがありました。
最終的に校長先生から呼ばれて校内で表彰され卒業した今でもそれだけは一生忘れられないです。
今までで1番、たくさんの人を見返せと思った瞬間でした。
25歳 男性のストーリー
私は大学を卒業後に、観光業界へ就職することを決めていました。ですが当時その業界の人気は薄く光の当たらないような存在でした。周りの同級生は公務員、警察官、消防士など安定した職業を求めて就職活動をしていました。そんな中でも、私は自分の好きなことを仕事にしたいと思い旅行会社から内定をもらい就職することに決めました。ですが、周りの反対はすごいものがありました。親、同級生、大学の就職カウンセラーなどたくさんの人に反対されました。たくさんの人たちに反対された私でしたが心の中では「いつか見返してやる」と思っていました。その後、就職し半年後、大学時代のサークルのみんなで集まる機会がありました。その中で給料をそれぞれいくらもらっているかの話し合いになり、僕はその中で一番たくさんもらっていました。とても見返したような気持ちになりました。
49歳 女性のストーリー
私は20代前半で結婚・離婚を経験しています。
当時の結婚生活が酷かったため、結婚願望が全く無くなってしまい、その後10年ほど独身生活をしていました。

私の友達関係は私が過去にどの様な目に合い結婚するのを嫌がっているのかを知っていましたが、会社の同僚達には話した事がありませんでした。

ですので、何故結婚しないのか?バツイチだから結婚出来ないんじゃないか?
もう子供生める年齢じゃないのにやばくない?年とった女なんか男が相手にしなそうなどなど男女問わず言われてきました。

そんな私ですが、旅行先で知り合った男性と付き合う様になり、4か月と言うスピード結婚をしたのです。
夫の職業は弁護士で、しかも事務所を4軒構えています。
夫の両親がかなり裕福層なので、結婚のお祝いとして、新築の家と新車をプレゼントされるほどでした。
更に、私は海外在住で、家事一切はお手伝いさんがしており、車も運転手付きです。

この事を知った元同僚からは、すっごいセレブの奥様になった!
クリスマスプレゼントにメルセデスベンツをもらったの?
(車の写真程度なら提供できます、嘘ではない証明です)。
弁護士さんなんてどこで知り合ったの?誰か紹介してと質問責めにされました。
上に記載した様な言われた事を覚えていた私は、心の中で「あなた達レベルは弁護士の嫁は無理!」と思っていました。
この時は見返してやった気分になったものです。
44歳 男性のストーリー
小学3年生のとき、私と友人Aは担任の先生の目の敵にされていました。
Aは先生に言われたことでも納得がいかないと先生に口答えをしており、私もAをかばったりしていたので気に食わなかったのかもしれません。
そんなとき、学校のイベントで、クラスを6人くらいの班に分けて、隣町から学校まで
地図を見ながら班で協力しあって帰ってくる、しかも早さを班で競うという行事がありました。私とAは同じ班でした。先生は私たちを見て、「どうせあんたたちがビリよ」と厭味ったらしく言ってきました。Aは結構デブで運動が苦手だったのです。ただ、私とAはトップで帰ってくる自信がありました。なぜなら私とAは隣町にある学習塾に一緒に通っていて、帰りはよく寄り道というか探検しながら帰っていたので、抜け道とか近道に詳しかったのです。
そして、結果は見事一着でした。一着は先生から表彰状をもらうのですが、そのときの先生の口惜しそうな顔は忘れません。
18歳 女性のストーリー
過去に仲良かったある女友達がいました。現在は友情関係はありません。その女友達は、彼氏がいました。ですが、その女友達は他の男性とも親しくしており、私は少し不安に思いながらその様子を見ていました。女友達が親しくしていた男性とは私も仲良くしており、ある日私に相談があると言ってきました。内容は、その女友達のことが好きだということでした。女友達はその男性に彼氏がいることを伝えていませんでした。私はどうすればいいんだろうと悩んでいたら、その男性が、告白して付き合えたと私に報告してきました。そうです。私の女友達は二股をかけていたのです。その半年後、二股がバレて両方と別れていました。と、思いきや、新しい彼氏がまたできたみたいです。顔良し、お喋り上手な女友達。一緒にいられないと思い、避けるようになりました。そして、更に半年後、その新しい彼氏とも別れたそうです。
そして、私にも彼氏ができました。一年ほど付き合っています。久々に女友達から連絡が来ました。「一年も続くのってすごいね。幸せそうだね。」とのことでした。「私は二股なんてしないからね(笑)」と返事をしておきました。少し見返せたかな?と思いました。
46歳 男性のストーリー
とある仕事で、上司たちは手柄欲しさに社内で嘘八百の報告ばかりしていました。
全く関係のなかった私が、いきなり引き続きもなく、ただ成功する案件だからと渡されました。
今まで、携わっていた案件も、問題整理してやっと完成し、社内で表彰されて、一息ついて、旅行でも行こうかな、と考えていた時に、でした。
取り敢えず、状況を把握し、先方の状況を確認して、それをまとめて報告しました。
案の定、大問題になりました。
どちらが嘘つきか、はっきりさせるよりも、先方(お客様)から、社の経営幹部に、事実は何か、何をしてもらいたいか、はっきり言ってもらうようにしてもらいました。
事実関係を掴んだ幹部は、関係者全員を個別に呼び出し、真実は何か?を確認してもらいました。その結果、上司たちは全員定期異動で変えられた時。そして、その案件がきちんと成功した時。
37歳 女性のストーリー
以前派遣で勤めていた会社でのことです。長年勤めている方も多く、なんとも部署の体質が生ぬるく、気づいてやった人が損をするような状況になっていました。真面目にやったらバカをみるといった環境で、そんな中での派遣という立場もあり、社員以上に仕事があることもしばしばありました。そんな時、部長の異動があり、異動してきた方は、現状をしっかり知って、どんどん改善していこうというタイプで、この部内のやったもん負け、自分の仕事を最低限やったら後は知らないというような空気はいち早く気づかれたようです。そんな環境なので、こちらが他の方がやらなくて必死にこなしているということにも気づいていただけて、とうとう他の方を差し置いて、部長と直接私が部の方向性を話し合う仲にまでなり、これまで散々だった長年いた社員も黙るしかなくなりました!
46歳 女性のストーリー
私は結婚して17年、不妊治療したものの子供には恵まれませんでした

でも結婚当初から10年ちかく、まわりからの「子供が生まれました」や子供の写真入り年賀状で涙の正月を迎えていました

子供がいる人と会っても子供に関する話ばかりで自分が劣等感につつまれて憂鬱になるだけなので距離を置いていました

それから何年かたって一人は離婚
別の人は子供が大きくなったし、もともと夫婦仲があまりよくないようで家庭内別居状態
別の人は、住宅ローン払いながら子供にお金がかかるためパートで頑張ってるようです

一方私は
専業主婦(時々アルバイトしています)
夫婦仲も良好!
住宅ローンおわりました!!

相手に対して直接何かしたというものではありませんが、私の中で見返したと感じています
今年、「夫婦仲良く行った旅行が楽しかった!」と年賀状を送ったら返事がありませんでした
今まで苦々しい思いをしていたので今年の正月は格別でした

来年の年賀状も張り切って作ります
26歳 女性のストーリー
幼稚園教諭の仕事を始めてすぐ、知識の欠如を感じて働きながら通信制の学校で学び、保育士の資格を取りました。進路相談の際には、担任の先生に仕事との両立は厳しく、成功した人はあまりいないということを言われ、おすすめしないということを言われて来ましたが、自分の意思を貫き、目標達成することができたことで、先生の考えを打ち砕くことができてました。報告をした際に、先生も喜んでくれており、まさか本当に最後までやりとげるとは思っていなかったと言っていました。それなりに大変な思いはしたのですが、その場では少しかっこつけて、計画通りにできましたと、自慢げにいってしまいました。それから私と関わる時の態度が少しかわり、認めてくれているきがします。
36歳 女性のストーリー
私には2歳上の姉がいます。
姉とは仲の良い姉妹として育ってきましたが、事あるごとに小さい頃から姉に「馬鹿!」と罵られたり、「あんたなんて一生結婚出来ないわよ」と、喧嘩する度に傷つくことを言われ続けてきました。
姉は勉強家で、高校は県内でも有数の進学校へ入りました。その時も姉は私に「私と同じ高校には来ないでよね。そんな心配はないか、あんたは馬鹿だから私の高校には入れない」と言ってきました。
その時、私の心に火がつき、なんとか姉を見返したいという一心で猛勉強し、2年後に姉と同じ高校に合格することが出来たのです。
しかし姉の私を馬鹿にする態度はそれほど変わることはありませんでした。
姉の態度が変わってきたのはつい最近。姉より先に結婚が決まり、母となって育児に奮闘する日々を過ごす一方、姉はまだ親と同居して独身です。最近の姉は私に対して「あなたは家庭を持って母となって、私よりしっかりしているね」とよく言います。
姉は難関国家資格を突破して、士業の仕事に突き進んでいます。一方私は結婚を機に退職してパートの主婦へ。
ずっと姉を尊敬し、ずっと姉に馬鹿にされ続けてきた人生。女として立場は全然違うけど、今ようやく姉が私を褒めたり、認めたりしてくれる事が増えたことに喜ぶ自分がいます。
44歳 男性のストーリー
私と同期で入社した同僚は、出世欲がなく、常に飄々と仕事をこなすという人でした。
その人は、何か冷めていて、「別に出世なんかしなくてもいい」というスタンスでしたが、仕事はそれなりにできたので、それなりに出世していきました。
ある年、その同僚と同じ課となったのですが、その時の同僚の立場が私よりも上の立場となっていました。
私は、これまでその同僚には負けない気概で仕事をしていたので、私の仕事ぶりを認めてもらえていないかと思ったのですが、その悔しい思いをバネにして頑張ろうと決意し、がむしゃらに仕事に邁進しました。
そうしたところ、その数年後に年齢の上限がある出世の踏み台になる選抜型の研修があり、同僚ではなく私が選ばれ、見返してやったと思いました。
22歳 女性のストーリー
私は今から数年ほど前の専門学校に通っていました。
そこでは主に農作業をする知識をたくさん持つように教える学校でした。
そこの学校では入学してから間もないくらいに必ずといっていいほどトラクターの運転免許を取得するための講義を受けることになっていました。
私もそもそも自動車の免許を正直なところ今でも取得していませんがこの時は運転すること自体が初めてだったのでものすごく緊張しまくりました。
私は自分のやっていることにいっぱいいっぱいだったのでとにかく余裕がありませんでした。
そんな少し戸惑いや周りに遅れていることに自覚も感じている中で苦手な同級生にトラクターの運転のことについていちいち言われたことがかなりストレスで苦痛でした。
ですが、私の場合は試験を受けて一発で受かったのですがその同級生は落ちたので安心感が生まれました。
56歳 男性のストーリー
会社に入社して日が浅い頃に、仕事も未だ完全に理解していない私に対して先輩社員が
「こんなことも判らないのか」「学校で何を習ってきた」と、事あるごとに嫌味を言われたり、怒鳴られたり、ついには服装や髪形まで注意される日々が続いていました。
それでも、歯を食いしばって辛い日々をやり過ごして何とか仕事も覚え、そのうちに偉くなって見返してやると心に決めて、さらに仕事に打ち込み頑張りました。
時が経ち、部署も何回か変わるうちに何とその先輩社員より、私の方が地位が上がり
新入社員の時に味わった辛いことが吹き飛んだ感じでした。
以降、自分の経験を反面教師として部下や新人には決して怒鳴ったり、嫌味を言ったりしない事を実践して参りました。
41歳 女性のストーリー
私は中学生の頃にイジメにあっていました。親や先生にも言えず耐えながら3年間を過ごしました。私は必死に勉強をして見返してやろうと思っていました。高校への進学は同じ中学から受験する同級生がいない自宅からかなり遠い所に決めました。必死に勉強をして小さい頃から目標にしていた職業に就く事が出来ました。中学を卒業して25年程経ちましたが、最近になって私をいじめていた一人に会う機会がありました。その人は現在は非正規雇用で働いている様子でした。私はすぐにその人のことに気づきましたが気づかないふりをしていました。しばらくしてその人が私の事に気付いて声をかけてきたときに「こんな仕事しててすごいなあ」って言ってきたので「◯◯くんにいじめられたおかげでいつか見返してやろうと思って必死に勉強を頑張ってきた。今は仕事にやりがいがあって楽しい、ありがとう」と言ったときにすがすがしい気持ちになった。
36歳 女性のストーリー
高校生の時、体が弱く、なかなか学校に行けない時期がありました。
久し振りに学校に来れて、しんどいながらも授業を受けていた時、忘れもしない英語科の先生が、突然私の顔をまじまじと見て、こうおっしゃいました。
「私は学校に来ない生徒は嫌いです」
クラスの中で休みがちな生徒は、私しかいません。クラスメイトも驚き、ざわざわし始め、私に注目が集まりました。
先生は、続けてこうおっしゃいました。
「学校に来ないということは、授業に出ない。授業に出ないということは、成績が悪い。私は、成績が悪い、勉強が出来ない生徒は嫌いです」と。
耳を疑いましたが、現実でした。クラスメイト全員がドン引きでした。授業が終わった後みんなが慰めてくれました。
確かに、定期テストで思うようにいい点数がとれなかったのは事実でした。
言い返す言葉もなく、すごく悔しい思いをしました。でも、強く「よく解った。今に見ていろ」と心に決めました。
それから、病院で点滴を受けているときも、家で熱を出して寝ているときも、教科書の他に参考書を買って、必死に勉強しました。
そして次の定期テストでは98点を取り、クラスでトップになりました。
私はその答案を持ち、職員室へ行きました。そうして先生に尋ねました。
「あなたの授業を受けているのにも関わらず、あなたの授業を受けていない私より成績が低い生徒のことを、どう思いますか?嫌いですか?」と尋ねました。
先生はオロオロと困ったように周囲を見回しながら「ごめんなさい」と頭を下げました。
胸がスッとしました。
でも、担任の先生から「やりすぎだ」と叱られました。
29歳 女性のストーリー
以前勤めていた会社には
私のことをすごく見下し、気に入らない後輩がいると挨拶を無視するような上司がいました。年齢も私よりも一回り以上、上で、すごく大人げないなぁと思いながらも反抗せずに我慢して仕事を続けていました。ある日、出身校の話になり、その上司と私が同じ高校であったことが分かりました。その上司は推薦で短大に落ちていました。
私は同じ推薦でその短大に受かり、卒業しています。あえてその上司には言いませんでしたが、
心の中で密かに見返してやったぞっと気持ちになりました。上司はとても悔しそうにしている様子が今でも思い出します。本来、最終学歴で人を見てはいけないのですがこの日ばかりはすごく気分がよかったです。
24歳 男性のストーリー
今まで様々なことで人にばかにされたり、見下されていて、とても悔しい思いを
してきましたが、自らの能力と何ができるかに焦点を当てることによって、
高校受験、大学入試などを運よく乗り越えることができました。また積極的に
人並み以上に豊かな考え方やどのような生き方が一番良いのかを勉強するきっかけ
にもなりました。あの頃のバカにされた経験がなければここまでに自分を奮い立たせることは出来なかったでしょう、悔しさをばねに様々な困難と障害を乗り越えてきたので結果的に良い人生を送ることができるようになっています。
お前には無理だと言ってきた人も今では、見返せたなと内心ほくそ笑んでます
これからも、時々、そのことを思い出しながら、努力の糧にしていきたいと思って
います
29歳 男性のストーリー
私は中学高校の一貫校に通っていたのですが、入学以降部活や遊びに夢中で勉強はもってのほかで常に学年最下位クラスの成績でした。そんな中、高校2年の二学期末を迎え、皆受験を意識し始めたころ、皆で成績を上げる為に、チーム戦でテストの成績勝負をする事になりました。最下位のチームは優勝チームに焼肉を奢るという高校生のお財布には少し厳しい勝負でした。そのチーム分けの際、私と同じチームになったメンバーが既に敗戦ムード。それもそのはず、中学1年から5年半最下位層をうろちょろしていた私は完全にお荷物のレッテルを貼られていました。ここで私は、皆を見返すチャンスだと感じ、敵チームを油断させる意味も含めて、家でものすごく勉強をしました。皆の驚く顔やチームメンバーの喜ぶ顔を見る為に中学以来初めて努力をしました。結果、クラス40人中まさかの2位。勝負していた友人だけでなく、職員室も騒ぎになり逆に呼び出される結果になりました。もちろん焼肉の事は伏せ先生にはこれが本当の力ですと豪語し天狗になりながら人を見返した話です。
54歳 女性のストーリー
30代の頃の話です。
派遣で働いていた職場は、小さな会社が集まるビルの中にありました。
今では珍しい、女性用の和室の休憩室がありました。
そこで昼食をとったりテレビを見たりなどして休憩していました。
他の職場の女性で、豚のように太ったおばさんがいて、少し癖のある性格でした。
自分を棚に上げて人の事をバカにするような人でした。
ある時、他の人の前で私のおなかの肉をつかんで、「ほら太ってる!」と言うのです。
今ならば犯罪まがいになると思いますが、ハラスメントなどという言葉のない時代でした。私は頭にくるやら殺意が芽生えるやらで、自分を抑えるのに必死でした。
確かに太目でしたが、そのおばさんに比べたら全然細いと思っていましたのでなおさら憤慨しました。そこで、一念発起してダイエットに取り組むことにしました。
食事や運動などで、痩せる事に成功し、おなかの肉などつかめない程になりました。
すると、おばさんも「私もやる~」と言ってアドバイスを求めてきましたので、適当な事を言ってやりました。結局おばさんは挫折したようで、そのまま豚のような体型でちっとも変わりませんでした。心の中でガッツポーズをとりました。
34歳 男性のストーリー
パワハラ社長に復讐
社会人4年目に転職で入社したK社での出来事です。
社長の他には6名のスタッフが勤務している、小規模な会社でした。
職場の先輩たちの話によると、私が入社する以前より社長のワンマン経営で、暴言によるパワハラは日常的なものだったそうです。
例にもれず、私も入社1か月目から理不尽な要求を繰り返され、少しでも社長の意に沿わないと数時間にわたって暴言を吐かれ続けました。
その会社でしか身に着けられない特殊なスキルがあったため、パワハラに耐えながらもなんとか仕事を続けていました。
4年間勤務し、その会社で私が身につけたかったスキルはすべて獲得できたため、パワハラ社長への「恩返し」を開始することにしました。
当時残っていたスタッフは、自分を含め5名でしたが、一人ずつ説得し、全員一斉に退職願を提出しました。社長は焦り、弁護士を用意したようですが、こちらは淡々と法にのっとり退職を完了。
60歳を超えて、ようやく己の愚かさを思い知ったようです。
31歳 女性のストーリー
小学生の頃、校内で放課後に開催されるテニス教室に通っていました。

私は当時6年生のキャプテンでしたが、どちらかと言えば人の意見に同調する
おとなしい女の子でした。
おとなしいながらも、固定された友達ではなく、比較的誰とでも仲良くなるので、少しやんちゃな子とも仲良くしていました。

ある日、ある女の子のKが、テニス教室の中で集団いじめを始めたのです。
ターゲットは日に日に移り変わり、一人ずつ仲間外れにされます。

練習の最後にボールを集めるため、みんなでグラウンドを回りながらボールを探すのですが、ターゲットが近づいてくると、みんな一斉に逃げるのです。

一度はターゲットにされていた子もKに逆らえなかったのか、ターゲットが変われば安心したように別のターゲットをKと共にいじめるのです。

ある日、私もそのターゲットになりました。私は、それに気づいていたのですが、悲しむことも落ち込むこともKには態度として表さず、次の日にKのいる前で、聞こえるように大声でKのいじめについて友達に怒りの愚痴を言いました。
あんなことをして何が楽しいのか。一人になりたくなくて、逆にいじめられるのが怖いからしてるのでは?などを周りに聞こえるように話しました。

すると、昨日まで私をいじめていたKがころっと態度を変えて近づいてきたのです。
謝りまではしなかったものの、明らかに態度は違いました。
それ以降、私だけでなく、Kが集団いじめをすることはなくなりました。
19歳 女性のストーリー
今までクズのような男性としか付き合ったことがなく、今まで付き合ったクズという偉業を成し遂げました。
その中の一人、当時はなぜか情で離れられなかったトップクズの元カレ(一番長く付き合っていた)に「お前は幸せにはなれない」と言われました。
ですが、新生活になり心機一転メイクや髪型、振る舞いなどに気をつけて素敵な人と出会うことができました。
新しい彼は今までのクズたちとは違って私の事をかわいいと褒めてくれて、私が落ち込んでたり悩んでたりする時もとても励ましてくれます。とても心配症なところには笑ってしまいますが私は今とても幸せです。私は幸せにになりました。
ざまあみろ!”元カレ!見返してやった気分です。何倍も幸せになってやります。
20歳 女性のストーリー
中学時代の部活の友達に自分のことを馬鹿にしてくる人がいた。私はその人の性格がすごく苦手で合わなかったから話したくなかったけど、部活が一緒だと嫌でも会うし、その度にテストなどの結果などで少しでも私より点数がいいとマウントを取ってきた。

私もその人も、高校は住んでいる地域で一番偏差値の高い所を志望していたが、私だけ数点の差で志望校に落ちた。

私はその人に負けたことが悔しくて、これまでの事よりもこれからの事の方が将来に関わるし、重要な事だと思い、せめて大学ではその人に勝とうと、大学受験のために勉強した。

私は大学受験の結果、その人よりも偏差値の高い大学に行き、入学して少し経った時に会って、私が大学名を言うと、相手はマウントを取るどころか通っている大学名すら言わなかった。
26歳 女性のストーリー
私は昔、キャバクラで働いていました。
正直キャバクラは、女の世界の為、意地悪な女の子は沢山居ます。
お店に入りたての新人の私を先に入って居た先輩がとても可愛がってくれました。
ですが、仲良くしていくうちに、理不尽な事でボーイさんに怒っていたり、女の子の愚痴を言っていたり、少し変わった人だな。という印象に変わっていきました。
すると私の前では私と仲良くしていたのに、周りには私の評判を下げる悪口を沢山言って居るというのに少し経つと気付きました。
私の前では良い格好をし、裏では裏切るという、最低な人でした。
私が新人の癖に成績を伸ばしていっているのが気に食わないんだな、という印象でした。
腹が立っていましたが、一切仕返しはしませんでした。
私も出勤すれば忙しく、その先輩をかまう暇もなかったからこそ、先輩は腹が立ち私の悪口は更にエスカレートしていきました。
嘘とバレるようなことを言いふらしたり、そして駒として使える女の子を使って私に対してお客様の席で陥れるような事を言わしたり、流石に私も滅入ってきていました。
が、仕返しをせずにいると、気付けは周りも先輩に対して不信感を覚え始め、私の周りに居て味方で居てくれるようになっていました!
そしてそんな中、私はお店のナンバーワンに!!!
更にその先輩に操られるように一緒になって私に意地悪をしてきていた人も謝りに来、悪口を言って居た先輩は居場所が無くなり、お店を辞めました。

ナンバーワンになると、お店が確実に守ってくれるのと、女の子は自分が贔屓されたいが為に媚びを売ってくる子も多いです。
そんな中、ナンバーワンの悪口を言っていたと私にチクってくる子も居れば、ナンバーワンの味方だよ!と、うわづらだけでも言う子は増えます。
私はそのお店を辞めるまでずっとナンバーワンを保ってきましたが、喧嘩売る相手は選ばないといけないよ?と教えてやれたかなと思います。
そして結果で見返すのが1番効果的だなというのを学びました。
ある意味勉強になり良かったです。

「とっておきのすべらない話」

32歳 女性のストーリー
酒飲みの上司がある朝無断欠勤した。連絡をいれても通じないので、みんなで「飲みすぎて朝帰りした上、寝過ごしてるんじゃないか。」と話していた。するとその上司の姪っ子さんから連絡がはいった。どうやらベランダで足をすべらし転倒、外階段から落ちてしまった為両足骨折したと。救急車で運ばれ即入院、全治3ヶ月のためしばらく会社にいけないという。みんなで「えー!大丈夫なのかな。」「大変だったんだね…。」などと口々に心配し、噂したことを反省していた。

そしてその次の日、姪っ子さんが菓子折りを手に、会社にお詫びのご挨拶をしにやってきた。お茶を出しながら、「○○さん、大変でしたね。」とお声をかけると「本当に……。これで叔母もお酒をやめてくれると良いのですが…。」とうつむいた。
35歳 女性のストーリー
娘が年長さんの時に、くら寿司が大好きなのでくら寿司に食べに行きました。楽しく食事をして、注文ボタンでデザートも頼んで、 お腹いっぱい食べました。娘にお腹いっぱい?と聞くと 『お腹いっぱい。ご馳走さま』
とゆうので店員さんを呼び
おあいそをしました。後は会計を済ませて帰るだけなので、帰りの用意をしていました。娘も席から外れ 会計の方へ先にいきました。バインダーを持ってレジに行こうとしたら、先に席を外した娘が 前から何か持って歩いてきました。『え?どうしたん?何持ってる?』と聞こうと思う間もなく『パフェ』と、セルフの冷蔵庫からパフェを持ってきてイスに腰かけ食べだしました。嘘でしょと思い店員さんに事情を話し 無事に会計することができました。
62歳 男性のストーリー
最近、行動経済学に大変興味を持っています。心理学者であるダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞して、この分野に関心が高まっていると思います。様々な本を読み、現在も学びを進めているところですが、自分自身や周りの人たちの考え方を理解するうえで大変役に立ちます。例えば、私たちがものごとを考えるときに「代表的なもの」を参考にして思考を進める傾向があります。「ヒューリスティック」と呼ばれるこの傾向は、役に立つものですが、一歩間違えば、「バイアス」という物事を理解する上での障害にもなります。バイアスの代表的なものは、一つの優れた面のある人を過大に評価してしまう傾向です。また、当たる確率の極めて少ない「宝くじ」に多額のお金を費やしてしまうことからも開放されるかもしれません。なぜ、宝くじが盛んなのかについても洞察を得ることができます。これからも学びを深めていきたいと考えています。
45歳 男性のストーリー
中学一年の時の理科教師のT先生のお話

その1
その日は酸化マグネシウムを作る実験で
危険だということでT先生が実験を行い生徒は見学だけでした。

T先生 熱したマグネシウムを混ぜてる際に
ひっかけて機材をたおしてしまい
酸化マグネシウムを机の上にこぼしてしまいました。

机の上で バチバチいってましたが
T先生 余裕の表情で
「この机は高級なのでこの程度では問題ありません」
といった瞬間
ばーーーん!! と爆音とともに火花が
机には風穴があき ボーゼンとするT先生
爆音は他の教室にも聞こえたようで若干の騒ぎになりました。

その2
体育祭の練習の時の話
綱引きの練習ということで
縄をそのへんにあった木にくくりつけて練習させるT先生
練習をつづけていくうちに
あれ?
バターン! という音とともに
気が倒れてしまいました
またもやボーゼンと立ち尽くすT先生の姿が

その年の離任式の壇上にはT先生の姿ありましたが
やっぱ そのへんが理由なんでしょうかねぇ。
40歳 女性のストーリー
まだ、オレオレ詐欺が始まったばかりのころ話です。
実家にオレオレ詐欺の電話がかかってきました。
「もしもし」と電話に出た母に
「オレオレ、○○(名前)だけど…」と男性が話し始めました。
一瞬、ビックリした母ですが、声を遮るように即座に「うちには、○○という息子はいません!!」と答えました。
さすがにそんな電話がかかってくるのは想定外だったので動揺したそうですが、まだテレビ等で啓蒙活動が、あまりされてない初期の時代に即座に詐欺被害にあわずに対応出来た理由は、実はわが家の○○は女性だったんです。
オレオレ詐欺の電話をするなら、まずは性別を確認してから荷電しないとダメですよねー
男女どちらでも通用する名前を付けてもらって、本当によかったと実感した出来事でした。
38歳 女性のストーリー
スーパーのチラシをみて、特売にねらいをつけた品は、冷凍の焼おにぎり。定価より100円程安く、かつ増量キャンペーンという願ったりかなったり。もう買わなきゃならないでしょう!と鼻息荒くして、徒歩で買い物へ行きました。
スーパーでは忘れずに冷凍おにぎりを購入、レジで支払ってレジ袋に買い物したものを入れた所まではしっかり記憶しています。
もちろん、冷凍おにぎりもレジ袋に。
だけどここから先の記憶が曖昧に。
持ち帰る道中、普段なら冷凍食品が足下に当たって冷えた感触があるのに、この日はそんな感触がなく。
そして、帰宅して事件発覚!
あの、特売冷凍焼おにぎりがない!レジ袋にない!でも、レシートには、支払った明記がある!
おかしい!え!なんで??
頭真っ白のまま、スーパーへ問い合わせの電話。だけど、落とし物などの情報はないとのこと。
諦めきれない気持ちを抑えきれず、玄関から店への道をくまなく捜索へ。
絶対落としてるはず!と感じながら探しても見つからず。
もう、見つからない運命だと自分に言い聞かせて帰宅していたらまさかの発見。
『おかあさん、みてみて!』と3-4歳くらいの子供が拾ってもっていたのが、その焼おにぎり!
私の!!!と取りかえしたかったのですが、その子供の親が、
『さわっちゃだめ!ぽいしましよ!』とコンビニのゴミ箱へ。。。

もう、なにも言えない私はただただ、事の成り行きを見守るしかありませんでした。
24歳 男性のストーリー
これは、アメリカに短期留学していたとき、友達がトイレの中に閉じ込められてしまったという話です。
ある日、授業が終わり、友達と寮に戻りそれぞれの部屋に別れると、「ヘルプミー」というラインが来ました。「どうした」と聞くと、アメリカ人の洗面台修理しに来た水道屋さんによってトイレの中に閉じ込められてしまったというのです。なんと、その部屋のトイレはなぜだか外からしか鍵を操作することしかできず、さらには友達がトイレにいることを知っていたのにも関わらす水道屋さんはその鍵を閉めてしまったのです。
私は友達を救出しに行きましたが、ここで問題が発生。水道屋さんはすでに修理を終えて消え、部屋の鍵を閉めてしまっていたため、私は部屋に入ってトイレの鍵を開けることができなくなってしまいました。スペアキーがあるだろうと思い寮の受付の人に交渉しに行きましたが、英語は得意でなかったため、うまくその経緯を説明できず、一度はセキュリティーの関係上スペアキーを貸してもらうを断られましたが、友達をトイレから救出したいと必死に伝えたら、その気持ちが伝わったのか、鍵を開けてもらうことができました。この救出には1時間かかりました。今後留学に行く学生には閉じ込められるのだけは気をつけろと言い続けています。
31歳 女性のストーリー
小学生の時に大好きな人がいました。放課後友達と残っていたら、好きな人の机を覗こうという話になりました。そして、見に行くとその日使った水着が忘れられていました。なぜだかテンションが上がってしまい、その水着の紐を持って友達に「うぇーい」と近づけて遊んでいたら、他の男子が教室に来て、私をみてダッシュで逃げてしまいました。次の日、その目撃した子と好きな人を接触させないように、朝から学校を走り回りましたが、見つからずにチャイムがなってしまいました。しかたなく自分の教室に戻ろうとすると、教室の前に好きな人が。そして、すれ違う瞬間に「おまえって最低だな」と。もうその瞬間はスローモーションに感じました。今までの私の中の黒歴史です。
39歳 男性のストーリー
昔、電車に乗っていた時の話。向かいに女の子の子供連れのお母さんが、2人で座ったいました。なにやら本を子供に見せながら喋っています。良く聞いてみると、「これ何?」っとお母さん。「アップル」っと子供。絵本を見せながら、英単語の勉強をせているんやな?っと思いました。その後も、「これ何?」「オレンジ」「パイナップル」っと、それはそのままやろ!?っと軽く心の中だけでツッコミを入れつつ、何ラリーか続きました。そして、4〜5回目だったと思います。いつもの如く、「これ何?」っとお母さん。すると、子供が、「バーミヤン」。
絶対、それ「ピーチ」やろ!?
っと思わず声に出そうになったのを、抑えつつ、そのご家族が良く行っているんやな〜っと微笑ましくなる様な話でした。

「これまでの人生で悟ったこと」

31歳 男性のストーリー
ちょうど30歳のときですが、県をまたぐ引っ越しをしました。
仕事も私生活の拠点も変え、心機一転あらゆる環境が変わりました。
そして、自分の予想していなかったところも変化がありました。
それは、人間関係です。もちろん、引っ越したので、周囲の人が変わるのは当然なのですが、人のタイプが変わったのです。
引っ越し前は、普通のサラリーマンが100%近くいて、普通の暮らしを普通にしている方々が人間関係を構築していましたが、引っ越し後、バリエーションがかなり増えました。
サラリーマンは若干いますが、経営者、個人事業主、無職、フリーランス、旅人、占い師、スピリチュアル等、メディアで存在は知っていましたが、それが一気に目の前に現れました。
特にスピリチュアルな方々が多く、自然と私もその環境に身を置く機会が増えたのですが、そのせいか、人には個が実はなく、すべては一つがおおもとである、という価値観がとてもしっくりきています。
39歳 男性のストーリー
成功した事や失敗してしまった事、人生で数多く経験されていくかと思います。その中でも、どうしても失敗談だけは強い印象で覚えてしまうのが人間だと思います。
だから、失敗は成功の元っと今でも根強く残っているのだと思います。
失敗した事を忘れてもいいとは思いません。ただ、立ち直って、また歩いていくためにもある程度の割り切りは必要だと言う事です。
常にプラスで考えていける人だけが人生において成功を手にし易いっという事です。
1度で何もかも正しい選択なんて、決して出来ないと思います。自分の経験則でしか、測れなかったり、分からない事だらけな人生です。
なので、常に最低限の割り切りが必要になってくるかと思います。
時には、まぁ〜いいかや、こんなもんよね?などの考え方を持てる様になれれば、もっと楽に生きていけると思うし、間違った選択をしてしまっても、すぐに立ち直りやすいと思います。
悩んだ時や、立ち竦んだ時には、まぁ〜今はそんな時なんやな?っぐらいの気持ちでいた方が自分の心の負荷が減り、もった自分を俯瞰に観れる様になってきます。
心も身体も健康でいやすいと思いますよ?
37歳 男性のストーリー
人生でチャンスは何度かやってくる。そしてそれが周りからは危ない橋を渡るようなものだと言われても、何故か自分にはチャンスで必ず利益が出るというのが感じられる時がある。
そういう時は必ずそのチャンスを手放してはいけないというのをこれまでの人生で悟った。
自分でこれまでに2度ほど大きいチャンスに出会った事があるが、それを両親に否定されそのチャンスをものにする機会を失った。
今でもその時にやればよかったと後悔しているし、今では状況も全く違うので同じチャンスがもし来たとしてもそれを実施する事が出来ない状況に置かれている。
チャンスとは金や時間、自分にとってすべて良いタイミングで来るときがあるのでそれを逃したら将来のためにならないというのが思い知らされた。
48歳 女性のストーリー
人間は基本的には善であるため、悪いことをすると善になろうとして自分で自分の首を絞め始めて裁き始めて、どんどん不幸になって行きます。

要は、不幸になるのは誰のせいでもなく、自分自身で起こしているものなんです。
そのことに気づき、自分自身の悪い部分と直面して乗り越えたら、どんなことにも動じない強い人間になれました。
そう考えると、真実の知識を入れることは大変重要だなと思います。

人間不完全、悪いことをしたって、その事を受け入れて責任を取って、自分を支えてくれる人たちに正直に誠実に生きていれば、良いことしか起こってこないと、つい先日実感した出来事がありました。

人は、支え、支えられて生きているんだなと悟りました。
37歳 女性のストーリー
努力だけではどうにもならないということです。
私は特別な資格もなければ秀でた成績でもなく、ひたすら真面目さを武器に就活を乗り切りました。
採用された会社は全国に支店がある企業で、私の勤務地エリアでは12人の同期がいましたが、その中に1人取引先の社長令嬢という子がいました。
彼女は部署の中でも比較的残業の短い部署に配属され、彼女の親を知っているという上司・先輩だけではなく、他の支店の人にまで「お父さんと話したことあるよ~」気さくに話しかけられ、同期の中では1番の有名人でした。
持ち物はいつもブランド品で、私たちが100円ショップのふせんを使っている中、彼女はルイヴィトンのふせんを愛用していました。
私がどんなに努力しても、生まれ持った家柄が人生を左右するんだなと骨身に染みました。
そんな私も普通の会社員と結婚し、普通の専業主婦をやっていますので、わが子も将来そういう思いをするのかと思うとふがいない親で申し訳ないです。
26歳 男性のストーリー
私はこれまでに何度も転職を繰り返してきました。施工管理や予備校講師、警備員やコールスタッフに介護職員…すぐ採用され面接で苦労しないのは良いのですが、どの仕事も長く続かないのです。

もう転職で失敗は繰り返したくないという思いで今までの自分の仕事を振り返ってみました。そして失敗経験には一つの共通点があることに気付きました。それは「楽そうな職場」という基準で仕事を選んでいるということです。

以前は楽であればある程良いと思っていましたが、残念なことに楽というのはすぐ慣れてしまいます。だからせっかく楽な職場に就けてもすぐにその楽さを感じられなくなり、逆に面倒な点ばかり目につくようになるのです。そしてその面倒さに耐えられなくなって更に楽そうな仕事を求めるのでいつまでも安定しません。つまり仕事に楽さを求めている限り楽に生きることは出来ないのです。

そのことに気付いた私は今では楽そうな仕事ではなく、少しでも楽しいと思える仕事をするようにしています。そのおかげで段々と経済的にも精神的にも安定してきました。

仕事は楽さではなく楽しさで選ぶもの、というのがこれまでの転職失敗から悟ったことです。
21歳 女性のストーリー
興奮している相手、怒り狂っている相手と話を続けて行くためには、相手と同じテンションにはならずに寧ろ笑っているくらいの気持ちで話すことがよいという事。自分が笑う事で自分自身も冷静に話を続けやすくなる。人の話に耳を傾けない頑固な人の理不尽な怒りであればあるほどこの対応は効果を発揮すると思う。笑顔でいる事で無駄にイライラする事なく話すこともできるので、自分自身へのメリットも大きいと感じる。「笑顔でなんとかなる」という事を聞いたことがあるが、本当にその通りだと感じるし笑顔は対人関係だけでなく自分に与える良い影響も多いと感じた。そのことに気づいた時から、相手のペースなるべきでないと感じる時は特に笑顔を意識することで余裕がうまれ会話もうまく出来るようになった。
40歳 女性のストーリー
高校時代、仲が良く信頼していた友人に「絶対誰にも言わないで!」
と、当時コンプレックスに感じていたことを打ち明け、相談しました。
相談しているときは、すごく親身になって話を聞いてくれ、
彼女なりにアドバイスもしてくれた為、相談して良かったと心から思いました。
ところがその友人が、当時付き合ってした彼氏に
「絶対誰にも言わないで!」と頼んでいた私の悩みを、勝手に打ち明けていたのです。
とても信頼していた友人でしたし、しつこいくらい「言わないで!」
とお願いしていたのにもかかわらず、簡単にバラされてしまったことが、
とてもショックでした。
この事が原因で、それ以来私にとってどんなに信頼できると思った人でも、
悩みを打ち明けたり相談したりすることは、無くなったように思います。
57歳 女性のストーリー
ふと気づくと、あっという間に「還暦」近い年齢となってしまった。頭の中身はまだまだ高校生並みで、大病もせずに健康で楽しい毎日を過ごせているのは幸せな事だと思う。
とはいえ、これだけ年齢を重ねるとそれなりに「苦しい経験」もしてきたように思う。私がこの年齢まで生きてきて悟ったことは、「世の中や周りの人間は、たいてい自分の思う通りにはいかない。明日は何が起こるか分からない。だから自分自身の人生を生きよう」と言うことである。
いくつか実例を挙げると、勤務先で真面目に働いていても、社内の経済事情からリストラ宣告を受けてしまい職を失った。また、東日本大震災という思いもよらぬ自然災害に見舞われ、ライフラインがやられて生活に不自由を来たした事もあった。親が急に倒れて要介護状態になった事などもあった。
そんな中で私は「とりあえず今日の事だけを考えよう。明日のことは明日考えればいい」と自分自身に言い聞かせてきた。それは、様々な経験を経た上での、自分の信条ともなっている。

34歳 女性のストーリー
女性はなんだかんだマウンティングを気にして生きている人が多いと大人になってから、特に結婚して子どもができてから悟りました。相手の人が年下か、学歴はどうか、はたまた夫の職業、年収、賃貸か持ち家か、車、服などをやたらとチェックしてはマウンティングを取ってきます。こういう人はたぶん恵まれている環境にいながらも心が満たされていないお気の毒な人なんだなと思うと、いちいち相手にもする気にもなれませんが、面倒事に巻き込まれるのは厄介なので、話すような仲になったとしても、相手の話をできるだけ聞いて自分の話は当たり触らずなことだけを教えてあげるというのでうまくやってこれることを学びました。マウンティングする人は結局は疎まれていることが多いので、みんな優しく付き合ってあげて偉いなと思います。
44歳 女性のストーリー
「人生真面目に生きていればいい事がある」はウソ、「人生図々しい人が勝つ」です。
自分が気に入らないとギャーギャー騒ぐ人ほど自分の事は棚にあげてが多いです。人のミスには厳しいけど自分のミスはエヘヘ気味。
悟すくらいで厳しく注意する人はいないので、周りは疲弊し腫れ物に触らずなので増長します。一度ヒートアップするとギャーギャー騒ぐのでその人が落ち着くまで誰も手をつけられません。初めて見た時とても驚きました。仕事中に人を泣かすほどの喧嘩する?と。給料泥棒だなと思いました。
どんな育ちをしたらこんなになってしまうんだろうと真剣に考えた時もありましたが、どうでもいい事だなと、無駄な時間でした。
ある意味トラブルメーカーなのにやられた側が会社を辞めてしまう、会社もなぜか強く出ない。周りの白けた目も気にせず図々しい人が居座る現状に自分も強くならなければ(余計な事に巻き込まれないように)と思いました
46歳 女性のストーリー
わたしは若い時に1度離婚をしています。
結婚した相手が働かない、ギャンブル狂、浮気三昧などなど、書き出したらキリがない程のクズ男でした。
離婚したての頃は元旦那を恨みましたが、わたしは気が付いたのです。クズ男と居たわたしも所詮はクズ女だったのだと。類は友を呼ぶとはこのことだなと。
わたしに落ち度が全くない訳がないと思いました。
ならば変わらなければいけない!変わりたい!

それからのわたしは職場復帰をして必死に働き、やりたかった趣味や行きたかった海外旅行に行ったりと、視野を広げることを意識しながら生きていました。
周りの人たちに感謝を忘れずに、真摯に人と向き合おうと心掛けたら、新しい友達が出来ました。
もう結婚はしたくないと思っていましたが現在の夫と出会い、結婚して、子供も二人授かりました。

幸せな生活を送っていたある日、何気なくニャースを観ていたら「結婚詐欺で男を再逮捕」との事件がやっており、犯人の顔写真と名前が元旦那でした。
しばらくフリーズした後、何故か大きな声を出して笑ってしまいました。そして「あいつ、本当の馬鹿だったわー」と叫んでいました。

人間は自身に降りかかったターニングポイントで、どう転ぶか、どのような生き様を選ぶかで、人生が大きく変わるのだと心底思いました。

これがわたしが体験した「これまでの人生で悟ったこと」です。


32歳 女性のストーリー
20代半ばでオーストラリアに渡り2年ほど生活していました。
日本での生活がほとほと嫌になり、何もかもから逃げ出して楽になりたかったのです。
でも現地での生活も楽ではなく、就労制限のあるビザの為就職活動もうまくいかず、食生活が変わったため体調もそんなに良くなく、更に話の合う友人がなかなかできずどんどん孤独になっていきました。
でも日本での孤独な生活とは違い、オーストラリア自体のゆるくて開放的な雰囲気は私に合っていたようで、自分を見つめ直すいい機会だと思いとことん自分と対話しました。
なぜ何もかも嫌になったのか、自分は何が嫌いで何が好きなのか、どんな人間になりたいのか。毎日毎日。
そして現地の人間たちとも少しずつふれあい、色々な生活スタイルを見ているうちに、この世界には「こうでなきゃいけない」ものやことなんて、ほんのわずかしかないのだと悟りました。
今自分がとっている色々な行動や思考は、たまたまこの時代に生まれて常識という名の偏見に晒されて培われてきたものに過ぎないのだと。
それに気づいてからは一気に楽になり、逃げてきたはずの日本での生活も別の視点から見られるようになりました。
結果的にはまた日本に戻り、かつての自分とは違い必要以上に追い込まず、人生を身軽に、前向きに捉えて生きられるようになっています。
31歳 女性のストーリー
これまでの人生で悟ったことは、人間はある程度図々しくて自分勝手でいた方が生きやすいということです。私は子供の頃、謙虚で大人しく、自分の気持ちを我慢して何でも周りに譲ってしまう子でした。しかし私は残念ながら「優しい子」とは思われず「何をしても怒らない、言いなりになる子、嫌な事はこの子に押し付ければいい」と思われて性格の悪い子達に利用されてしまい、損してしまっていました。また、中学生の頃は成績が良く学年トップクラスだったにも関わらず、謙虚でいなきゃいけない、自慢してはいけないと思っていたために自分の成績を隠し頭が悪い振りをしていたら、成績の悪い馬鹿だと思われて見下されました。20代になってからも自分のこの癖は続きましたが、やはり都合良く利用されて損するか、見下されるかのどちらかでした。人間、謙虚過ぎる、優し過ぎるよりもある程度自己主張ができて少し図々しいくらいの方が生きやすいと思っています。
44歳 女性のストーリー
正義は勝たないことです。

そして、先輩が間違ったことをしてもそれはは真っ向から指摘しないこと。

それはなぜかと言うと、ただ生意気だと思われるだけでいいことは何一つ無いから。

無駄な正義感で戦うとろくなことは無いと、 つくづく思った世渡りの下手な私。

「え?今の理不尽じゃね?」と思っても、皆さん権力の前には必ず跪くんですよ。

嫌味を言われても、嫌がらせをされても、 そうやって日々ストレスを溜めて嫌な思いをさせられても、結局は約束がある人には勝てず、みんな腰を低くして、へいこら頭を下げてしまうんですよね。

そもそも私の性格は間違ったものは間違っていると言わなければ気が済まない性格なので、それでは世の中渡っていけないと悟りました。




25歳 女性のストーリー
25年生きた中で人生にとって切り離せないことは、表裏一体ということである。なぜそう思うのかというと、何かを選ぶということは、何かを捨てているということだから。受験にしても、就職にしても、結婚にしても、何か一つを選ぶことによって、ほかの選択肢を捨てているということを考慮しながら、自分にとって最善の選択を選ばなければならないということを肝に銘じるべきだ。たくさんの可能性の中で、どれか一つしか選ばなければならない状況は、いくつになっても訪れるだろう。その時に何を一番に考えるべきか、今一度考えて選ぶべきである。どの選択でも自分が納得し、自信をもって選んだといえるなら、それが自分委にとって最善な選択だと私は思う。
35歳 男性のストーリー
人生意外となんとかなる
よくある話ですが、私は中学生の頃いじめに遭いました中学生生活の3年間不登校にこそならなかったですが中々解決せずにつまらない3年間でした。中学校時代の友達は1人もいません。その後高校にいきましたが中学生の経験から人間不信のようなものになってしまい人とのコミュニケーションがうまくとれなくなりました。高校生生活の3年間はいじめこそなかったものの友人もほぼできずとてもつまらないものでした。その後は大学へ進学します。当然のことながら友達は出来ません。唯一バイトだけが楽しみでした。こんな人生なので自殺も幾度と考えたことがあります。社会人になっても変わらないだろうし結婚できない、しても嫁子供を幸せにできないであろうと。でもいまは結婚しましたし子供もいます。人付き合いは下手ですが働いています。収入もまあまああります。入った会社と職場環境がたまたまよかったのでしょう。人生意外となんとかなるなと思いました。
34歳 男性のストーリー
つい最近まで勤めていた会社にいた女子社員の話。その社員は経歴を語ると本題へ行くのに面倒なので割愛しますが、雑談では自分自身に対してかなりいじる事や辞める最後の方はプライベートで何があったのか分からない位、不機嫌な時があって大抵が何かの雑務を八つ当たりに近い位に押し当てて来る事が多く、正直、それが辞めるきっかけの引き金の1つでもあった。
また、その女子社員は仲の良い同僚の女子社員との雑談をよく耳にしていましたが、プライベートな事だったり、デリケートな問題等をデリカシーがない位、漏らしていたが、自分自身の帰り際に女子社員達が休憩している時は大半呼び止められ、雑談へ参加させられたが、内容としては個人的に癪に障る様な事もあったが、性格や年齢・性別を含め、反論する事は無かったものの、女子社員のプライベート話を察するに男性遍歴的な部分は良い方ではなく、他の部分もあったものの、長くなるので割愛しますが、雑談時にかなり我を出すタイプだったので他人の価値観はそれぞれであると自負はしていたが、気に食わないと特に自分自身の趣味であった鉄道模型関係をかなり叩かれ、他にも聞いてほしくない事まで聞いてきたので正直、呆れもあったが、このようなタイプはプライベートで負を埋めるために自分より劣っている様な人間は叩き、また学生時代もスクールカーストで高位置を維持するためにもこのような事をしていたんだと思えた位、関わっていてその人となりを感じたが、正直、こんな事でモチベーションを保つ人間とは関わりたくないと思います。
27歳 女性のストーリー
私は専門を卒業して20歳で社会人になりました。20歳の頃は、なぜか自分に自信があって、自分には価値があると信じ込んでいました。
ですが1社目の会社を辞め、転職活動をしていく内に、何の資格も能力もない自分には、こんなにも価値が無いのだと気付きました。
初めて就職した会社は、ハードな仕事でしたがお給料もボーナスもよく、恵まれた環境だったのだと、辞めてから知りました。
結局、転職をしてもお給料は上がらず(むしろ下がり)、さらには1社目よりもハードな内容と、社長との相性も悪かった為、またすぐに転職してしまいました。
今はお給料も仕事内容も満足する会社に勤めることができていますが、1社目を辞めた時の、無駄な自信をへし折られた経験のおかげで、謙虚さを学び、お給料とお仕事を頂けることへの感謝が出来るようになりました。
自信を持つことは大切ですが、根拠のないプライドを含んだ自信は、ただ無意味なのだと悟りました。
22歳 女性のストーリー
だいたい感情任せに何かをすると大半は後悔したり失敗すると思いました。
何故なら感情は動物的なところがあり自分のことしか考えていません。
なので自己中心的で相手のことを振り回して迷惑をかけています。
そして、その迷惑はどんな形であれ自分に返ってくるとわかっています。
自分の中で感情的になりその時はスッキリできたとしても第三者側から見ればはっきり言って見苦しいです。
それに、いちいちそれでストレス発散されてはその人の印象も悪くなり返って自分の首を締めます。
なので私はどんなことがあっても感情面をコントロールすることの大切さを学びました。
そして、極度に感情的になりそうな時には決まってノートに書いておくか相手の立場になって考えることにしています。
34歳 男性のストーリー
私がこれまでの人生で悟ったこと。
それは、「不寛容な意識が、人間社会を貶めていく。」です。
なんだそれはとお思いになるでしょうが、個人的には最近、それをヒシヒシと感じています。
「あまりにも現代人は文句が多すぎる。」それが率直な考えです。
文句を言うなと言いませんが、言い方・伝え方の問題です。
人を簡単に傷付けたり罵倒したり、その上、発言者は自分の言葉に責任を持たない。
現代はネットで簡単に他者とつながったり、自分の意見を伝えやすくなった。それは便利な反面、匿名性が高いが故に、発言者の態度も大きくなったり攻撃的になったりする。昨今のネットバッシングなどはひどいですよね。自分に関係ないことでも悲しくなったりします。
「何もそこまで言わなくても…。」
「以前はこんなに非難されるようなことだったか?」
ニュースなどの報道でもいろいろ取り上げられて、これが現実だと思うと残念です。
時に人を正すためには、厳しい言葉は必要になります。
しかし、それは相手を思ってのこと。それがなければ罵詈雑言の類でしかない。
「怒りっぽい人が増えたのか?」
「世の中に不満が多すぎるのか?」
いずれにしても、もう少し寛容な精神は在るべきです。
「何でもかんでも許せない、気に入らない。」
そんな思想が蔓延したら一度失敗した人は立ち直れない…。
救える人を救おうとしない社会に未来はない。
少し大袈裟かもしれませんが、これは憂いです。
まだまだ人間、捨てたもんじゃないなと思える世の中になればと切に願います。
もちろん、自分も社会の一員として努力しなければいけませんが…。
長文失礼失礼しました。悟りというより懸念ですね(笑)
40歳 女性のストーリー
家庭環境は大事だな。と感じます。
学生時代に、親から、結婚するなら似たような学歴の人にしてね。と言われていましたが、よく理解していませんでした。
自分が結婚して子供ができ、なんとなく理解ができるようになってきました。
多分、同じような学歴だと、親の考え方や育て方が似ている可能性が高いから、意見がすり合わせしやすいということだったのかもしれません。
今までの経験も考え方に影響してくるので、学歴だけで判断するのは難しいですが…
教育に関しては、自分と同じ、または自分以上の学を身につけて欲しいと思う親御さんが多いと思うので、似たような学歴の方がぶつかりにくいとは思います。
我が子が、将来困らないように、それなりの学を身につけてもらいたいと願っています
25歳 女性のストーリー
今まで生きた中で人生に大事なことは妥協することだと思いました。自分が基準と思っていることでも常に上や下があります。下でも上でも見続けたらキリがありません。だから、人生の中ではある程度の妥協をすることが上手くいく秘訣だと思います。仕事にしても生活にしても、よりよくしたいと思い努力をすることは大事ですが、度を超えた求めすぎは上手くいかないと思います。私自身過去に大きな病気を患い、大学を休学したことがあります。みんなより遅れをとってしまいました授業数が普通の人より多くなってしまい大変だと思いましたが、そのおかげで知り合いになれた人や経験ができました。つまり、マイナスな面ばかりを見るのではなく、見方を変えるだけで感じ方も変わります。
47歳 女性のストーリー
私は、子供のころから友達が多い方が良いと聞いて育ってきましたが、これは嘘です。私の人生において、友達が多かった女性で良い人は一人もいませんでした。むしろ、一人でいることが多い人や、少数のお友達と仲良くしている人の方が信頼できる人が多かったです。女性の場合、友達が多い人に共通していたのは、悪口が多いことでした。自分も悪口を言われたくないから、何となく付き合ったり、何となくグループに入った入りする人が多い。信頼できる人と友達になりたいなら、絶対に一人で行動する人やちょっと友達がいる人の方が安心です。どうして、友達が多い人の方が良いとか、優れていると言われて育ってきたのか、ちゃんちゃらおかしい嘘話です。
27歳 女性のストーリー
私が思ったのは職場ってなんて理不尽な人たちばかりなのだろうと思ったことです。
入社した際にはあんなに優しい先輩達や上司が、数日もたつと急に私に対してあたりがきつくなって、自分が何度も強迫性障害で何度も自分がした作業がちゃんとできているか不安で確認をすることがやめられないのですと伝えても聞く耳を持ってもらえなくて、結局は自分たちと同じように仕事ができる人間にさせようと何人もで私を監視するように見て、あなたはおかしい人だ病院に行けと責められ、何で私たちと同じことができないんだということをずっと責められ続けられました。私の悩みや事情を何度も何度も説明したというのに理解してもらえず、また最初から同じことを聞いて話させる。そして私がやることに全て難癖をつけたり陰口を叩いて執拗で陰湿な新人いじめをしてくる先輩達や上司を
これまで働いてきたどの職場にもいたので、私は職場の人間ほど信用できなくて怖いものはないと思いました。そして、すごく身勝手で自分たちがやりやすいようにするのが新人の役目だとめんどくさいことを全て押し付ける、意見を言っても聞き入れてもらえず責め続ける理不尽な人達がいるところなんだと諦めてしまいましたし、悟ってしまいました。
41歳 女性のストーリー
気持ちの持ちようで人生を変えられる。
私は、20歳の頃潰瘍性大腸炎、
27歳で線維筋痛症、30歳頃関節リウマチを患いました。
いずれも、寛解しています。
(リウマチは未だ薬を服用中ですが。)
発症時は、どの病気の時も「人生終わりだ」と思っていましたが、
医師や家族の助けもあり、治療をすぐに受けられました。
しかし治療を受けても、薬の副作用などでなかなか治らず、
挫けそうになりました。
しかし、いつも「治る」と信じ、引きこもることなく
お金をかけず、楽しみを見つけ、
病気のことはなるべく考えないようにしました。
それが功を奏したのか。
周りの人からは「楽観的」と呆れられましたが、
すっかり、元気になっています。
なんでも真面目に考えることは大切なことですが、
マイナスになることは、あまり考えず、逃げることがよいのです。
それが私が、病から悟った人生で大切なことです。
42歳 女性のストーリー
元々の気質ですが、人に親切にしていたり、少し嫌な目に合ったり人の過失を見ても、人の事情をこうかもしれないなどと無駄に考えすぎて寛容に思える可能性を探るくせがあったりの、いわゆる「いいひと」「面倒くさくなさそうな人」でいた。
が、そうすると世の中では割と弱みに付け込まれるような変な目にあいました。特に弱い訳ではないので、変な頼み事は断りますが、それが意外らしく「あなたなら聞いてくれると思ったのに」などとキレられることもありました。
逆に、性格がきつかったり、面倒くさそうな人の方が、親切にされたり文句を付けられなかったり八つ当たりされなかったりということを悟りました。
だからといって性格は変えられそうにはないですが、分かってくれる人は分かってくれますが、少し損だと思いました。
46歳 女性のストーリー
いざというとき頼りになる「人」「人情」「家族」という答えは美しい響きですが、現実は違います
やはり「お金」です

私は愛情不足なんでしょうか・・・
体験して悟りました

いざというとき、家族、血のつながった兄弟姉妹、近くにいる兄弟姉妹 なにもしてくれません(深刻なことでもありませんが)

要求だけはしっかりくるのに逆になると「しらんふり」する困った家族をもつと自分自身

なんで?という疑問・怒り→何日も頭の中が噴火状態→あきらめる→他人状態

役所で家族を証明する書類に書かれている名前があるからといって決して信用、信頼が成り立っていなければ簡単に壊れていくものなんだなと痛感しました

結婚して「義理」の関係の家族、親族とのお付き合いで生じる「お金」のやりとり
「損得勘定」はしても「忖度して動いてくれる人」はどれだけいるでしょうか?

気持ちで訴えても「お金」がないと弱くなると学びました
だから私は「お金」を大事にし、これからの人生をいきようと思っています
46歳 女性のストーリー
犯罪者や悪人ほど、「そんなつもりはなかった」という言い訳をするということです。
わたしは法学部出身で法律事務所でパラリーガルをしていましたが、その際、仕事で法廷に出ると、被告や被告人が追及されると必ず、苦し紛れに「そんなつもりはなかったんです」と最後に言い訳をしていました。人間は追い込まれると、自分は悪くないということを主張するため、このような言い訳をします。実際の裁判では、裁判官が公正に判断し、裁きますが、実社会では、こういう言い訳を押し通して罪を逃れる人間が非常に多いです。会社では、できの悪い人間ほど、同様の言い訳をしてごまかしている姿を何度も見ました。結局、人間は自己正当化することに労力を割くようです。
51歳 男性のストーリー
東北の震災でボランティアに行った時の事です。避難所や仮設住宅などで活動をして沢山の被災された方にお会いし同じ時間を一緒に過ごしいろいろなものを見ました。
その中で人ってこんなに変わるもんなんだと悟り感心しました。
最初は皆さん大変で頭が真っ白なんですが1週間・1ヶ月・1年・2年と時が流れる中で落ち着きを取り戻してくると人間のエゴなんかがだんだん出てきます。
ごく当たり前の事ですがゼロやマイナスになってそこから進み始めた人を見てたので驚きの毎日です。
良い風に変わる人も悪い風に変わる人も環境に流されここまで人を変化さすとは思いもよりませんでした。
そうした中に身を置いて悟ったのは良い方に変わるのは自分自身の意思で流れを創ることでした。
32歳 男性のストーリー
今まで浮気をしてもなんだかんだばれてなくて、借金しても、パチンコしてもばれてなくて自分は嘘が上手いと思っていた。
しかし、全てバレた日を境に自分が嘘がへたなんじゃないかと思い始め、全てバレるようになる。
自分が嘘が上手いのではなく周りがバレない振りをしてくれているだけだった。
嘘をつくのが上手い人はもちろんこの世にたくさんいるだろう。しかし反対にうまくバレない振りをしてくれている人もたくさんいることだろう。
嘘をついて幸せなことは何一つない。
幸せになるための嘘ならいいではないか。
そういう見方をすればそうだがどんな嘘でも嘘をつかれているとわかった方はやはりいい気持ちはしない。
嘘ではなく本心で思っていることを言葉にして伝える。それが一番なのである。
47歳 男性のストーリー
人生で悟ったことは、お金はいつかなくなってしまうと言うことです。それなりにお金をためてから自分のやりたかったことや趣味に向かって年収は減るが転職、引っ越しをしました。しかし、実際にやりたかった仕事は思っていたほど収入は上がらず、趣味も最初の2年思いっきり楽しんだだけで、余裕があると思っていた貯金はどんどん目減りし趣味をする余裕もなくなってしまいました。仕事も結局、続けてはいますが、アルバイトをしたり、副業を考えたりと、Wワークしないといけなくなりました。それにより、時間的余裕もなくなり、結局趣味をする時間もなくなりました。夢を見ることはあきらめていませんが、もう少し余裕を作ってからにするべきだったと反省しています。
28歳 男性のストーリー
約30年の人生を歩んできましたが、そんななかで悟ったことは適当な人が一番評価されるし楽に生きていけると言うことです。私は俗称転勤族と言われるものに近く、4社転勤してきました。今までの会社は、ノルマばかりで毎日営業、渉外の社員がいる癖に窓口の人も外に出ろ!と言うところだったり、契約の時は事務でしたよね…と思えるほど、事務ではなくて補佐業務ばかり、専門の学校に行っていたこともないんで器具の名前を言われても全くわからず、周りの上司に聞くと他に聞いてくれとたらいまわし、または住民税もちゃんと支払ておらず、会社に確認すると、特別徴収をするためには自分で手続きしてください!なんていう常識も税知識もまったくと言ってない会社でした。いままた転職を考えていますが、これ以上社歴を作ってしまうと自分にとってマイナスになることが出てくるかもしれない…と思い踏み切れていません。
そんな私ですが、周りから言われることはまじめすぎる!でした。パソコンもろくに使えていない年代のサポート業務やら、事務担当でも経理担当でもないのに月末経費精算業務を勝手に引き受けていたりだとか…
1円にもならないことばかりです、たしかに誰かがやらなければいけない仕事ですが自分がやらなくてもいいのでは?を自分はやってきました。
そんな中で他の社員は、私がやるからやらなくていい!という態度です。つまりは頑張ってまじめに仕事するよりもほどほどに適当に、でしゃばらずにゆっくりやっている人が一番楽ができる世の中なのかな…と悟りました。
52歳 男性のストーリー
これまでの人生で悟ったことは、【人生で一番大事なことは、「体験」だ】ということでした。

どういうことかと言えば、例えば、忙しくて時間が足りない、、、もっと時間が欲しいと思っていても、いざ自由な時間が得られたときに、それが苦しい時間だったり、退屈な時間であれば、意味がないと悟りました。

実は、その場合、私が欲しいと思っていたのは、単なる時間ではなく「素敵な体験」だったのです。

それが本当に大事なことだったのだと、これまでの人生を通じて悟りました。

時間はあくまで「体験」の入れ物のようなものであり、そこに「つらい体験」ばかりが存在するのでは、人生台無しになってしまい、何のために生まれたのかわからなくなります。

そうした気づきから、私はある時期から自分の体験に注目するようになりました。

表面的ないろいろな自分の状態ではなく、自分がどんな体験を味わっているのか、、、を意識するようになりました。

ここでお伝えした「体験」には、喜怒哀楽の感情や気分や欲望や思考や五感への刺激や痛みや快楽や夢の中での体験もすべて体験に含まれます。また、それ以外の特殊な体験もすべて含まれます。

そして気が付いたのは、人から褒められようが、けなされようが、お金があろうが、なかろうが、心から素敵な体験を味わえているのなら、それが一番大事なことだということでした。

地位や名誉やお金よりも、自分の体験を自分の意思で自分が望むようにコントロールできるかどうかが一番重要なことだと悟りました。
それが今後の人類が目指す目標になればいいのに、、、とも思います。

そして、誰もが自分の「体験そのもの」を自分の意思で自由自在に選び、楽しめるようになる世界を実現させることが私のライフワークだと思うようにもなりました。

こうした理解がこれまでの人生で私が悟ったことになります。
56歳 男性のストーリー
社会人になってからはガムシャラに働いていたのが新入社員当時の思い出ですが、転機となる出来事が幾つかあって、働き方を考えるようになりました。
仕事は、収入を得て生活すると言う大切な事ですし、自ら課題に取り組み課題を成し遂げた時には大きな達成感を得られます。
しかし、人生の主軸を仕事だけにしてしまうと、仕事が上手く回らなくなった時に精神面でダメージを受けて、仕事以外の何か(例えば、家族・友人・趣味でも)をおろそかにしていると精神面での回復が難しいのでは考えているようになりました。
仕事に邁進する責任感の強い友人はうつ病になり退職し、家庭をおろそかにした仕事優先の友人は離婚という事になってしまいました。
仕事にのめり込み過ぎる若い人を見ると、お節介とは知りながら、つい語ってしまう事もあります。
言葉にするのはヘタなタイプなので聞き流されている感覚もありますし、若い当時の自分自身にこの言葉を掛けても、理解は得られないとは思いますが。
34歳 男性のストーリー
会社では上司に気に入られるには勤勉さよりもどれだけ媚びを売れるかということ。

真面目にやっていても誉められることは最初だけであり、後々それが当たり前どころか更なる勤勉さを求められてしまいます。
そうしてどんどんとハイレベルな事を求められていき潰されてしまうか、出来なくて叱責されてつるし上げられてしまいます。

けれども、媚びを売って気に入られていればそれだけで評価は上がり昇進や昇給で優遇されてもらえたり、上役の奢りで食事等にもつれていってもらったりしてる人達がいます。

それにそういった人達は、業務時間もあちらこちらでフラフラとしていても何も言われませんが、それら以外の人達が同じようにフラフラとしていれば叱責で済めば良い方です。
40歳 男性のストーリー
第一印象は悪いほうが良い(あくまで個人的に)
人見知りであるため、愛想がない、目をみて話すのができない部分は
もう直しようもないことなので、その後の日々の行動などで
加点を狙うしかないのですが
印象悪いため、ちょっといいコトすると非常に印象が良くなるポイントが
多くなることになります。
結果ちょっとした当たり前の行動をすることで最終的には
非常に好感がもてる人物になることもできます

後で「最初は非常に印象悪かったけどね」という笑い話にもできるため
人見知りだけど・・と思って挙動不審になって
余計に気持ち悪い扱いされるのであれば、その後の行動で
挽回したほうが楽なのかもしれません

この行動で最終的には結婚もできたので自分にはこのやり方が
ベストなのかと思います
25歳 男性のストーリー
私ははっきり言ってまだ若いですが、経験だけで言えば相当のものをしてきたと思います。

その中の一つで、公務員試験での出来事があります。


私は地元に残ることは一切視野に入れていなかった為、県外の県庁や市役所の公務員試験を受けました。

県外の都市部の県庁を受けたときの話です。


筆記試験は思ったよりも簡単で、こんなものか、と思っていました。


また、筆記試験と面接は別日で行われ、筆記試験後、両親が議員と県庁職員という受験生と仲良くなり、食事をしました。


そして面接当日、面接官に言われました。


君ははっきり言って学力はトップクラスで、面接での受け答えも悪くない。

ですが、地元愛が感じられないから、残念ながら合格かどうかで言えばNOです。

と通知を受け取るまでもなく不合格を言い渡されました。


後日筆記試験で知り合った知人と連絡をとると、合格者だけでの食事会があり、そのメンバーは全員が2世もしくは先輩や知人が県庁職員であった、とのことです。


我が国の行政の実状です。


就職は平等に自由とうたいつつも、生まれで半分コネでもう半分が決まる世界があると悟りました。
27歳 女性のストーリー
容姿がいい女は得をするという事です。
社会人になり、新卒社員研修も終わり配属が決定された時。同期の中でも綺麗な子や可愛い子が一番大きな支店に配属されました。そのまま大きな支店にいる将来有望な先輩と付き合い結婚していきました。
合コンに行っても、第一印象やその場の2時間ほどしか関わらない状態では綺麗な子が人気です。お酒が好きな私はたくさん飲んでたくさん盛り上げて面白い飲み友達になるのがオチなのです。
趣味であるアイドルのコンサートでも同じです。
気づいてもらえるようどんなにお洒落をしてもうちわを可愛く飾ってアピールをしても、アイドルがステージから観ている先にいる子は可愛くて綺麗な子ばかりです。
通り過ぎる一瞬で目がいくのはやっぱり美しい人なのでしょう。
49歳 女性のストーリー
今まで人生を歩いてきた中で、勉強や趣味、習い事などで、いつかやってみたいと思うことが、常にいつも、いくつか持ちながら過ごしてきました。いつかトライしてみたいと思いつつも、なかなかタイミングが合わなくて始められなかったり、せっかく立てた計画が何か別の用事と重なり流れたり、本当に自分がやりたいと思うことを実行に移せなかったり、ということが度々ありました。最初は、自分のやりたいことが、なかなかスタートさせられないことに焦りを感じていました。焦って、忙しい生活を送る中、時間を作って無理やり始めたりもしましたが、そんな風に始めたことは上手くいかず、最後までやり遂げられずに中断することもしばしばでした。そして、私は「何事にもタイミングがある」と悟りました。やりたいことがあっても、何かが邪魔して上手く始められない時は、「まだ機が熟してない」ということ。そんな時にスタートさせても、上手くいかずに、良い結果は得られないことが多いです。それに気付いた私は、何かを始める時に「機が熟すのを待つ」ようになりました。「機が熟した」と感じた時は、不思議と何の邪魔も入らず、すべてのタイミングが上手く合い、流れるように物事が順調に進んで行きます。言葉では言い表せない直感のようなこの感覚を感じながら、「機が熟す」タイミングを感じながら、これからも行動していきたいと思います。
51歳 女性のストーリー
これまでの人生で悟ったことは、色々な人と出会いましたが、みんな冷たくて、めんどくさければ関わりたくないのか、寄ってこないことです。人なんて自分さえよければいいんだなと思ってしまいます。
毎朝、電車通勤をしていると満員電車に乗っていて、目的の駅に着くと後ろから男性が早く行きたいのか、背後から押してきて突き飛ばされて、転んでしまって誰も知らんふりされて、偉い目に遇いました。駅員さんでさえも気がつきませんでした。とても悲しかったです。人を人とも思っていないんだなと思いました。だから、人を頼らず、自分自身で気をつけないといけないんだなと悟りました。
そして、女性に対して思うことは悪ければ、怒る、良ければ嫉妬する、嫌な人物なんだなと思いました。
もちろん、いい人もいますが、信頼出来る人が少なくて残念です。
41歳 女性のストーリー
人生は、いつどんなタイミングで終わるかわからないし、自分がどう生きるか、どう楽しむかを考えなければあっという間に終わってしまうものだと気がつきました。

これまでの人生の中で、そのときどきで悩みがありました。人間関係で悩んだり、仕事で悩んだり、恋愛や親、兄弟関係など。

でも、兄弟や親しい人とのお別れを経験し、自分が悩んでいることは、自分のプライドや固定観念、こだわりからくるものがほとんどだと気がつきました。

何のために生きているか、自分の存在価値や、人生をどう楽しみ、何を大切にしていくかを考えなければ、ただ必死に駆け抜けて終わってしまうと思います。

例えば、家族や自分の将来に備えて節約をし、貯金をする。
これも、将来の事だけを思って節制だけしていても、今が苦しくて終わってしまいます。

今の時間は今しかないし、将来健康に自分が生きているかもわからないし、何もできないかも知れない。

だから、今の時間のためにもお金も使い、時間を大切にしたいとかんがるようになりました。

悩みは、自分の正直な気持ちに真っ直ぐかどうかを考えてみます。

周りの評価や目を気にし過ぎていたり、意味のない事にしがみついて苦しんでいただけだったりすることも多いです。

一度きりの人生だから、出来るだけ後悔のないよう、今できる事をし、今の幸せも考えて生きて行きたいと思います。
30歳 男性のストーリー
結局、人は「ないものねだり」であると悟った。

結婚できない人は。結婚したいと求める
結婚した人は。自由の身である離婚を求める

お金がない人は。どうしたらお金を稼げるかと求める
お金がある人は。どうしたら有意義なお金の使い方を求める

友人がいない人は。友人募集のためのサイトに登録する
友人が多い人は。たまには一人の時間が欲しいとぼやく

このように、結局は人の感情に制限などはない。
欲求は常に存在し、それは常に自分にはないものを求めるようになる

今ある環境に求めることはない
その今ある環境を失って初めて、その環境を求める

それの繰り返しだと悟りました。

しかし、お金がない。友人がいない。結婚ができない
満たされた経験がないにも関わらず、お金があったも幸せになれないなどぼやくのは
もってのほか。
51歳 男性のストーリー
父親の過去がいろいろわかった時。これまで、しつけや教育には厳しく、それでいて他人からの評判の良かった父親が亡くなった時、遺品整理などいろいろしてある時に過去がわかり、自分が予想していた通り、あまり良い人間ではないことがわかり、悟りました。生前も多額の借金があり、それを肩代わりしたこともあり、その時から薄々、あまりろくでもない人だと思い始めてはいました。亡くなった後、法的手続きを行う時、父親の過去がいろいらわかり始めると、自分も社会人なので、あまり人には誇れる人生ではないことがわかりました。当然、父親には父親なりの理由はあったと思いますが、生前の周りの評価とは真逆の人間だとわかった時、人は見た目ではないな、ということを悟りました。
25歳 男性のストーリー
これまでの人生で悟ったことは人間はお金で変わるということです。
いつも温厚だった上司が会社の体系がかわり部下の成績で自分の給料も変動するようになってから、
今までの人格とは全くの別人になり、残業、パワハラは当たり前、ノルマの設定も常人では考えられないような鬼畜な設定をするようになってしまい、昔の自分が好きだった温厚で優しい上司は見る影もなくなってしまいました。
この経験から私は人間は自分の利益で動くものだ、利益の最たるものがお金なのだな、と悟りました。
この一件があってからというもの常に人間を疑ってかからなければ
自分が不利益を被ることになる
と考えるようになりました。
そんな私も自分の利益だけを考えて生きている人間になってしまいました。
29歳 女性のストーリー
これまでたくさんの人と出会う機会があり個人的には人と接することは苦手ではない方なので、他人のタイプを知っていきたいと思うようになりました。
人間観察が好きなこともあり、どのようなことに興味を持っているのか・今なにをしようとしているのかなどを目で見て勝手に推測することもありました。
こうして相手の方と段々と親しくなり関係を深めていくことが多かったのですが、ただ1点考えさせられたことは「他人を信用しすぎてはいけない」ということでした。
相手との関係は永遠に続くものではなくどこかで必ず終わりがあると思って生きていった方が、気が楽になれるので「このひとなら」と言う考え方はもうしなくなりました。これが私のこれまでの人生で悟ったことです。
32歳 女性のストーリー
見た目で判断してはいけない、と言うけど、やっぱり見た目にどんどん性格が現れてくるんだなぁと最近つくづく感じます。
歩いていても、印象の悪い人は絶対に道を譲ってくれない。
いつもニコニコとしていて楽しそうな人は、たくさんの友人に囲まれて毎日が楽しそうだし、会社での評価も高い。
綺麗な人は、単純に綺麗なだけでなくて努力をしている結果。
幸せなんだろうと思える人は、やっぱり見た目からして、印象が違うなと感じます。
意地悪な人は、表情が曇りがち?なのか。歳をとるごと、どんどん意地悪な顔に…そんな気がします。
なので、常日頃、私も表情に気を付けるようになりました。相手に与える印象を少しでもよく見せられるように頑張っています。
34歳 男性のストーリー
努力に勝る天才はいないと思う。
ある程度のことは、皆、才能でできる部分は、あると思うが、
一定の水準を超えると、
必ず努力というのが必要になってくる。
運動するにしても、
仕事をするにしても、
受験にしても、
必ず一定の水準に達すると、
才能だけでは補えない部分が出てくる。
しかし、努力を、するにしても
要領というものが必要だとも感じる。
つまり、要領よく努力できる人間が、
この世の中で成功する。
いわゆる勝ち組になりえるのだと思う。
勝ち組の定義は人それぞれだが、
私の定義は、いわゆる年収1000万以上を手にした人間だと考えている。
スポーツ業界、会社員、芸能界、
さまざまな分野の職種があるが、
だいたい共通してこの定義は通用すると思う。
まとめると、
要領よく努力できる人間=勝ち組=年収1000万というようなことを私はこれまでの人生で悟った。
66歳 男性のストーリー
これまでの人生で悟ったことは。
私、現在65歳、過去に2回の開腹手術、1回目は20年前、2回目が10年前と、私の運命だと受入れてきました、前向きのわたしも年とともに、走ってから考えるではなくなり、考えても行動が出来なくなり、終活について如何すればよいのか考える今日です、妻にはわたしが、逝ったら、葬儀もお墓も要らない家族だけ行って貰いたいと話はしてあるのですが妻はそんなわけにはいかないと、一般的な体裁を気にしています、後れましたが、子供は、三男一女がおります、それぞれ自立しています、逝ってしまった後は自由になりたいものです。
今は、インターネット上にて楽しんでいます継続は力なり、ご検討を祈っています。
以上。
37歳 女性のストーリー
みんな今の自分に幸せと感じることができていないだけで、人の事を羨ましがったり、勝手に比べて、不幸だと勘違いしていると思う。今あることに幸せと思えない方は、必ず歪んだ固定観念で人と比べて、もっと幸せになりたいと言っているだけで、実は今目の前の幸せをしっかり噛みしめる事ができない人は、永遠に満足のいく幸せなんてならないのだと悟りました。
しかし、それはおそらく何か自分に自信がなかったり、自分の弱さからもくるものでもあり、まずはありのままの自分をよしと思えていなければ、どれだけのことが起きてもまだまだ上があるとか、もっと持っていないものがあると考えていくのだと思います。
今の自分に幸せを感じるということが一番今後の幸せにも繋がる近道だと気付きました。
54歳 女性のストーリー
『鬼の首を取ったように』という言葉がありますが、得意げに勝ち誇ることを戒めたものです。私の場合は、「勝ち誇る」という部分を「相手を責め立てる」という自戒の意味で教訓にしています。
何かが紛失した時などすぐに他人のせいにし、「〇〇がないんだけど!」と身近な人間を犯人だと決めつけて、得意げに責め立てた直後に、自分の所から物が出てきて恥ずかしい思いをした事が数え切れないほどありました。
このことから、人生を半分以上過ごしてきて、やっと「人を責める前に自分を疑え」という教訓を得ました。
そして、何事も瞬時に決めつけるのではなく、あらゆる可能性に頭を巡らせてから尋ねる、という事を心がけています。
今まで身内も含めて犯人扱いしてしまった人に謝りたい気持ちで一杯です。
27歳 女性のストーリー
「人は心の底から深く繋がることはできない」

去年の2月、職場に同じ職務である事務員として2歳年下の同性の子が入社してきた。
年が近かったこともあり、2人が仲良くなるのに時間はかからなかった。同じ部屋(事務室)に常に一緒にいて、デスクも隣で、仕事が落ち着いているときは世間話をして、お互いの誕生日にはそこそこ値の張るものをプレゼントし合い、私の家に来たこともあるなど、仕事仲間である同僚というより友達のような関係になっていった。
しかし、最近あるきっかけで険悪なムードになり、それが元となり業務にも支障をきたし、ミスをして他の職員に迷惑をかけたことから、私は事務室にいない方がいいと判断し異動することとなった。
あんなに仲がよかったのに、この出来事でお互い無意識に避け、目もあわせず、いない存在かのように淡々と仕事をし今に至っている。今回のこの件から、人間ってやっぱり心の底から繋がることはできないんだな、とまだひよっこながらも生きてきたこれまでの人生で悟った。私自身はまだ引きずっているし前のように仲良くおしゃべりしたいが、もう修復不可能のような気もするので、これも一つの人生勉強、人生経験だったんだなと思った、この夏の苦い経験である。
36歳 女性のストーリー
居心地の良い人と過ごすこと。
人は誰でも、合う人と合わない人がいると思います。
100人いて、100人から好かれるのは不可能です。
先日女子高生が話していたのを聞きました。
その場にはいないAちゃんの話をしていたようで、「Aちゃんて、かわいいし性格良いし、運動できるし、悪いところ1つもないよね!」
みんな「うんうん」とうなずいていましたが、そのうちの一人が「でもそれが嫌な人もいるんじゃない?」と言っているのをきいて、非の打ち所さえないところが、嫌だと思われるのかと、目から鱗でした。
だけど、全員から好かれなくても良いと思うのではなく、自分が一緒にいて心地良い人とだけ過ごすようにすれば、相手も自分も気持ちよく過ごせるし、楽しいと思うだろうと最近悟りました。
25歳 女性のストーリー
当時付き合っていた彼氏が私が可愛がっていた後輩と浮気をしていたことを知りました。どのような経緯でそういう関係になったのか知りたくて、浮気相手の子を何食わぬ顔で食事に誘って浮気を問い詰めました。
本当に反省している、もうこんなことしませんと泣きながら謝られ、本当は自分は嫌だと思っていて、でもうまく断れなかったのだと、全面的に彼氏が悪いという趣旨の内容を話し始めました。だから先輩もあんなひどい男はやく分かれたほうが良いと思いますと言うのです。
数日後、彼氏と2人でいると、その子から彼氏に電話が入りました。「私と先輩どっちを選ぶの?」と。いい子だと思っていたのに、自分に見えているものだけがすべてではないのだということを悟った良い経験でした。
41歳 男性のストーリー
高校受験の時、塾の先生から「目標は高く!」と言われ志望校を自分のレベルより明らかに高い学校へと設定しました。毎日必死に勉強しましたが模試の結果はずっとB判定のままです。案の定結果はボロボロでまさかの滑り止め私学まで全落ちしてしまう結果に。
なんとか二次募集の底辺高校へ入学できて、大学受験で巻き返すことを決心し青春なんて何?状態で毎日必死に勉強しました。そして大学受験。またもや全落ちです。
家庭の事情もあり浪人はできないため結局高卒で働くことに。あの猛勉強は全く役に立たない工場の仕事です。
この時点で悟りました。「無駄な努力は無い!」なんて嘘です。現に私は「無駄な努力」で貴重な青春を全て失いました。受験勉強で得た知識なんて社会人になってから全く役に立ちませんから。
社会人になって20年近いですがもう努力することは止めました。会社でものらりくらりやっています。これでも高くは無いけど給料もらえて生活できています。
48歳 女性のストーリー
病気ばかりは、自分ではどうにも出来ないと常々思っています。
どんなに真面目でいい人だからといって、病気にかかってしまうことはよくあります。
普段の生活をきちんとして、健康な食べ物を食べて運動を適度にして、規則正しい生活をして、それでも病気になってしまうのであれば、こればかりは自分ではどうにも出来ないことだと思います。
もちろん手術や薬で治すことが出来るのであればそれほど怖くはないのですが、そうじゃない場合もある。
そのために健康診断などをして予防していくんですが、健康診断の時は大丈夫だったのに・・ということはよく聞きますね。
そうなると、本当に運ということになってしまうので悔しいですが、それでもなるべく健康でいられるように、出来る努力はしていきたいです。
43歳 男性のストーリー
自分が今人生の中で悟った事は、当たり前の事なのかもしれませんが自分のしてきた選択が今の自分に直結していると思います。昔の人はよく言ったもので後悔先に立たずと言いましたがまさにその通りだと思います。でも、そんな事は客観的にみれば誰でもそう思っていてそんな事は分かっていると思っているのですが実際には皆その時々のリアルタイムでは感じ取れていなかったり自分にとって大事な選択である事に気がついていなかったりといった状況なんだと自分を筆頭に思います。なので経済的に成功している人だったり、スポーツでその道を極めたりしている人たちは余程
人生の選択において覚悟と勇気をした人だと
感じます。
なので、人生においての選択という事がどれだけ重要かという事を今振り返りどれだけ重要かという事を悟りました。
又、そう言った事からこれからを背負って立つ若い世代には人生の選択の重要性を感じながら生きていってもらいたいと願います。
39歳 男性のストーリー
自分の事よりも人の為に動いたとしてもそれは必ずしも自分のためにはならないという事。
人のため(恋人や家族や友人)等のために自分の生活や時間を犠牲にしてまで一生懸命動いたとしても、必ずしも相手から感謝されたり、喜ばれるとは限らないという事もある。
基本的には自分の仕事や生活を第一に考えて行動するべきであると思います。自分が後悔する可能性もあるという事です。
例えば、身近な人が病気になった時に、可哀想に思いその人のために時間をを使って動いたり、助けたりしたとしても後で自分が後悔することになることもあるという事です。
あくまで人のために時間や生活を犠牲にしてまで動くという事は自分の判断でおこなっているわけです。
相手に必ずしも感謝されるとは限りません。ましてや逆恨みされる事もあるのです。
それを今までの人生で何度か経験しました。
今の年齢になって思う事は、人のために動く事は素晴らしいことなのですが、あくまで自分の生活や仕事、お金や時間を犠牲にしてまで動くことではないという事です。自分の事を大切にしたうえで余裕のある範囲で自分以外の人が困っているときには助けてあげる。
自分に余裕がない時は自分を優先するべきだと考えます。
人生は一度きりです。時間は戻ってきませんので慎重に考え、動き自分が納得する人生を送りましょう。
49歳 男性のストーリー
お金持ち、肩書、権力、名声、名誉この世的に立派だと思われ成功者と言われる
要素ですが、その人はどういう人かという視点で見ると避けて通りたくなるような
方が大部分です。結局、人間の価値とは内面的に「自分はどういう人間か」が
全てだと思います。
そういう方は得てして表に出さないものです。ごく普通の人と変わり
映えのしない生活をしているものです。
しかし、表面的だけの成功者のムレには決して近寄らないものです。
あくまで表面的に当たり障りなく付き合う程度です。
なぜなら、人はなぜ生きるのか、生きる理由、生きる目的などの根本的かつ
究極的人生の意味を知っているからです。
人生の目的に合致しない事柄は色あせて見えるものです。
そんな方に出会ってみたいものですね。

39歳 女性のストーリー
私は元々とても短気でした。恥ずかしながら今よくニュースで流れているあおり運転もクラクションを鳴らされたことに逆上し一度だけですがやったことがあります。また一人暮らしをしている時は騒音に腹を立て、壁をこぶしで殴ってしまったり、相手の部屋の玄関のドアを蹴り飛ばしてしまったりしたこともありました。
短気は損気という言葉があるように、感情的に行動してしまい、結果的には自分に被害が及ぶようなことはなかったものの、刃物で刺される等自分の命を落としてしまうようなことになってしまったかもしれないですし、ニュースで実際そういう方がいました。何でこんなことをしてしまったんだとひどく落ち込みました。
逆上し落ち着いた頃に落ち込むことを繰り返し、短気じゃなければ、すぐに逆上することがなければ落ち込むこともなくなるし、危険にさらされる可能性を自ら高くしてしまうこともないと悟り、少々のことでは怒らなくなりました。

「どうしても許せないこと」

21歳 女性のストーリー
私はここ最近でどうしても許せないことがありました。それは親戚の言葉です。
私は18歳で第一子を産みました。親も喜んでくれてとても可愛がってくれています。親戚には何が気に入らないのか私達家庭の悪口をよく言われます。言われた事は「働いてない、お金もない、貯金もない、計画性のないできちゃった婚」です。根拠のない事をよく言えたもんだなと頭にきました。「働いてない」は、子供も小さいし、私が働かなくても暮らせるから働いてないだけであって子供が3歳になり保育園に入ったら働く予定でした。「お金もない、貯金もない」は、何故そう思ったのかすごく不思議でたまりません。私自身には確かに貯金は一切ありませんでした。でも旦那さんが貯金していたのでないとは言い切れません。「計画性のないできちゃった婚」は言われて一番腹が立ちました。無計画に子供を作ったわけではありません。確かに、年齢からしたら若くてチャラチャラしているなど思われるかもしれませんが親になる覚悟があったから子供を作ったわけです。その親戚に、「幸せにならんと認めん」と言われたのですが正直認めてもらわなくても構いません。今現在私は幸せなのに認めてもらえてないと言うことは幸せだと言ってもどうせ認めてもらえないのですから。
このように私達家庭の事をよく思っていない発言が多いのです。それも私達に直接言うんじゃなくて陰でぐちぐち言っているのが更に許せません。
37歳 男性のストーリー
自慢話ばかりしてくる友人がいるんですが、ついていない時は愚痴でついている時はマウントをとってくるので非常に面倒で仕方ありません。
しかしながら自分にも友人が選べる程残っていないので自分も愚痴りたい時や飲みたいときに誘う一人なので切るに切れませんが、それでも毎度毎度調子が良いと自慢話をしてくるのに加えゲームとかで負けると不貞腐れるのがどうしても許せません。
これが大学時代だったらまだお互い若いし殴り合って関係を終えても痛くないのですが、今はお互いに社会人ですし、それをしたら犯罪になります。
かといって結構キツイ言い方をしたり、はっきり言っても無駄なので相手の方がこちらを舐めてるのだろうと感じる事が多々あります。それも許せないので内心歯がゆい思いをしながら切るに切れない関係を続けているのが厄介だなと思って過ごしています。
47歳 男性のストーリー
職場で同僚とあることで衝突、掴み合いのケンカになりました。回りにいた他の同僚たちに抑えられて殴り合いに発展しませんでしたが、その同僚を私は今でも許すことはできません。私が間違っていたとは思えないからです。
ですがどいうわけか私がおれて、その同僚に謝罪することになり結果、私はその同僚に謝罪しました。
ですが私は今でも間違っていると思えないのです。
ですが、その同僚は上司や回りからいいように見られているからか、その同僚が正しい、そうなってしまい私が謝罪しなければ場がおさまらないため、謝罪しました。
自分が我慢することで職場の雰囲気が、悪くならないようにするため、私は謝罪しましたが、今でも私が間違っていたとは思っていない、それでもと私は我慢して謝罪しました。
23歳 女性のストーリー
私が一番許せないのは、必要ない嘘をつき他者を騙し傷つける行為と私の友人を悪く言う事です。ひとつ目は、私の周りに虚言癖の子がいました。その時にいろんな子の事喧嘩してないのにした、仲介した、あの二人は実は不仲などありもしない嘘をついている事やストーカーしてるになると本当に悪質で友人がしてないのにマイナスな事を言うのがどうしても許せないです。二つ目の私の友人を悪く言うのが合コンで知り合った男ですが、仲良く二人で話をしたかったのに途中から連れの悪口や私の友人を悪く言った時には、イライラが止まらないです、最後は、自分も言われましたが自分なら言わせとけばいいやぐらいですが友人に関しては、文句をいっぱい言うのとそいつの本性は最悪だなと知りました。
30歳 女性のストーリー
昔の事ですが、私には5歳年の離れた兄がいます。
その兄は、父と母に家の跡継ぎということもあり、溺愛されていました。
それは仕方がないことと、私も半ば諦めていました。
そんな中、私は38度の熱を出し寝込んでしまいました。
高熱で苦しんでいる私のために母はプリンを買ってくれました。
とても嬉しかったのですが、具合が悪く食べられなくて具合が少しでも良くなったら食べようと思い手を付けずにいました。
いざ、数日後具合がよくなり母が買ってきてくれたプリンを食べようと楽しみにしていたのですが、食べないと勘違いした兄が食べていたようです。
私は激怒し兄を責めました。
そのことを咎めても、父も母ですら許せといいます。
私としては納得できませんし、幼いときのことですが、未だに恨んでいると言うか許せないでいます。
42歳 女性のストーリー
私は、体調が悪くて横になりたい時も、お風呂に入ってない場合はベッドには横たわらずに床に寝ころびます。
ベッドに入りたい時は、最低でもシャワーを浴びてからベッドに入ります。
一人暮らしをしていた頃に両親が何度か訪ねて来ましたが、母が着てきた服のままベッドに腰掛けたり、荷物を置いたりするのが、どうしても許せませんでした。
ベッドカバーもかけていましたが、腰かけたり荷物を置かないように常に気にしてました。
父も仕事から帰って来ると、夕飯までの間はベッドの中に入って過ごすのですが、私には考えられません。
外出する際は、いつでも消毒できるように次亜塩素酸水を小さいスプレー容器に入れて持ち歩いています。
部屋は片付いていないし掃除も行き届いていないのに、変なところで潔癖症です。
21歳 女性のストーリー
中学1年生から20歳まで里親(いとこ)のとこ一緒に住んでいて、義母に「通帳預かるから渡しなさい」と言われ私は無駄遣いしないために貯金のためなんだろうなと思っていて義母に通帳を渡し、高校1年から20歳まで稼いだお金を全部私にはなにも言わずに勝手に義母が私の通帳から200万近く貯金してあるはずの稼いだお金全部、生活費や借金してたためその返済や私の学校費や義弟達の部活費用とかなどに使われていたことです。
それを、20歳になってやっと義母に通帳返して欲しいと言ったら「ごめん、全部生活費や学校費に支払いした。」と言われ、ただ謝られてお金を返してくれることもなく言葉だけで済まされ縁を切ってもものすごく許せない気持ちです。
4年間義母に仕事休むな働きなって言われてて、労働時間や休憩なしの時もあり頑張って働いてきたその時の私の努力を返して欲しいです。
21歳 男性のストーリー
朝の通勤ラッシュの時間に駅のホームで列の先頭で待っていて、電車が入ってきたのでドアの前に進もうとしたら、後ろにいたおばさんに突き飛ばされて列の横に倒れ込んでしまい、急いで立ち上がろうとしたのですが、足を打ったようで脚に痛みがあって立ち上がれず、電車の発車のベルが鳴ったので、よろけながら立ち上がり脚を引きずりながら電車から離れたのですが、閉まる電車のドアの前に自分を押し倒したおばさんがおり、謝る事もせずに見下すような目線で自分を見てきた後、ドアがしまった後に見たおばさんの顔がドアのガラス越しに見えたのですが、ニンマリと笑顔を浮かべていました。
ワザとやったのだと思いました。
あの時のおばさんの表情が、今でも忘れられません。
22歳 女性のストーリー
自分の兄妹が、学校に通っていて
多大なお金がかかっているにも関わらず
有名になりたいという夢を叶えるべく
モデル事務所に入った
その事務所には、レッスン料などで約60万ほど。
体型や顔を見てからで直して欲しい。
そしてそんなお金を兄妹に、貸した親も
何故そんなことを許したのか分からない。
そこにお金をかけるなら、旅行や自分の趣味に使って欲しい。
兄妹も夢見るのはいいが、人に金を借りない方法で夢を叶えて欲しい。
きっとその金を返すつもりはさらさらないと私は分かっているのでとてつもなく許せない。
自分勝手過ぎる夢を家族を巻き込んで叶えようとするな!
叶わなくても叶っても絶対に金返せ!
ただでさえ。事務所の金以外にも金借りてるくせに!
32歳 女性のストーリー
先日彼氏の実家にお盆の帰省で初めて泊まることになったのですが、元々初めて会うのに泊まるのは嫌だと彼に話していたのに、気にしなくていいから泊まろうと押し切られたました。気分が乗らない状態で泊まることになり、突然彼氏の親戚が何組も訪ねてきたこともあり、人見知りの自分は緊張状態に耐えきれなくなって泣いてしまいました。そんな状態になってしまった私が面倒をかけたことは重々承知しているのですが、親戚と彼の母親と彼の従兄弟が彼女を実家に泊めるかどうかという話をしている時に、彼が私が実家に泊まるの嫌がっていたもんなと言われ心底腹が立ち許せない気持ちになりました。
彼の母親にもいい印象を与えないし、一緒に話をしていた親戚の顔が今でも忘れられません。
この事は一生忘れないと思います。
52歳 女性のストーリー
夫とは三年前に結婚しました。人生何度も失敗して資産もなく昔のプライドだけで生きていたような夫でしたが人生をやり直そうと必死に立ち向かっている夫を見て、これまで自分の居場所が見つからず悩んでいた私は一緒にやり直したくて手を繋いで歩こうと決意しました。夫は人間的に欠陥が多くあり、もともとの良い部分を自分で潰していくような生活をしてきたので2人で話し合いながら何度も行きつ戻りつ二人三脚してきたつもりでいました。おかしいな、と気づくのにはそう時間がかからず、夫の悪い点、改善すべき点を何度も注意したのですが本人が変わる気がないせいなのかうまくいかなくなる度に衝突しました。一年が過ぎた頃からどんどん酷くなり、私は何度も家を出て2人で過ごした日々が一年の半分にも満たなくなってきました。一番の問題は暴力。これだけは許せずもうしないという言葉を信じてまた同居を始めても同じ事の繰り返しです。三年目にして警察から保護され、家を出た私は実質ホームレスの扱いです。夫は何食わぬ顔で支払いもしないアパートに住み続けています。未だに好きでいたい気持ちは残っていますがこれだけは許せず離婚に向けて動いています。
46歳 女性のストーリー
命に関わる程の大きな交通事故に遭い、頚椎骨折により手術をし、声帯を潰してしまい声が出なくなり 1ヶ月間入院生活を送りました。
生きてきた人生の中で本当に辛く、苦しい思いをしました。「医師には奇跡としか言いようがないです。普通は助かりませんよ。」と言われ、看護師さんにも「守られるって本当にあるんですね。今まで、数々の患者さんを見てきましたが、奇跡と言うか、本当に守られている方なんだなと思います」と言われました。亡くなった実の祖母は、私を本当に可愛がってくれた人だったので私を守ってくれたんだな…と実感しています。

友人や知人、同級生もたくさん お見舞いに来てくれました。感謝の気持ちで一杯になりこんな私の事でも心配してくれる人がいるんだと有り難く思いました。

そんな中、同級生一人の女性の言葉が今でも忘れられません。彼女は、お見舞いに来てくれた訳でもなく、退院して偶然
会った時の言葉が「ドジだから、事故ったんじゃない?」と言いました。少し、間違えば亡くなったかもしれない相手に対し面と向かって言うなんて冗談にもほどがある。
今でも、許せません。私だったら口が裂けてもそんな言葉は絶対に出ません。
例え あまり好きじゃない相手だとしても
お見舞いの言葉はかけます。
人としてどうなんでしょう。

私を心配して見舞ってくれた沢山の友人には感謝しています。病気や怪我をした際には駆けつけてお見舞いしたいと心から思っています。
27歳 女性のストーリー
朝の通勤時間帯の電車で、電車に乗るときや降りるときに明らかに肘などを使って人を押したりする人がどうしても許せません。
比較的混雑する電車を利用しているので、体がぶつかったりするのはもちろん仕方がないと思いますが、前の人が電車に乗り込むことが明らかに分かっているのに何故わざわざ押したりするのかが、まったく理解できません。降りるときも同じです。
朝の忙しい時間なので、少しでも急ぎたい、とか、遅刻してしまいそう、などそれぞれ理由はあるのでしょうが、その自分の身勝手な理由で、朝から不快な気持ちを与えないでほしいです。
でもこのご時世なので、注意をして何か仕返しされたりするのも怖いですし、実際他の方が言い合いになってしまっている場面に遭遇したこともあるので、下手に注意できないなと思い、毎日やり過ごしています。でもやっぱり許せないものは許せません!
ちゃんと周りの人の事を考えて利用してほしいです。
29歳 女性のストーリー
妊活をしていてようやく妊娠することが出来ました。
妊娠がわかって
悪阻が始まった時期に
旦那から仕事をしてほしいと言われ
就活をさせられました。
しなくてはいいと口では少し言っていましたが
態度に出されたりと肩身の狭い思いをしました。
勿論どこも不採用でした。
これだけ辛い思いをしてるのに
こんな心が狭いやつを選んだ自分が許せないです。
その頃、新居を購入し丁度ローンの話が出ていた頃なので気持ち的にも余裕がなかったのは分かりますが、妊娠を甘く見ていた旦那に凄く腹が立ちました。
今現在、妊娠後期ですが流石に仕事のことは、
言わなくなりましたが
たまに思い出してイライラします。
旦那が辛い時に私もいつかしてやろうと考えています。
31歳 女性のストーリー
業務委託なのに、時給制で働かされ、完全に指揮命令系統があり労働契約のような内容のまま働かされて、その上8時間勤務といわれていたのにある日突然4時間に減らされたことです。そんなめちゃくちゃな環境でも我慢して働いていたのに、いきなり収入を半分にさせられるとはどうしても許せませんでした。いまでもそちらと契約はしていますが、4時間の間で最低限のことしかしようと思いません。許せないという思いのほうが強くなってしまい、仕事のパフォーマンスを向上させようとか、良いサービスを提供しようという気持ちにはなれません。同様の環境下で、ぺこぺこしている人を見ると嫌気がさしてきます。本当に、業務委託契約というものは曖昧で、まったく守られないのだと実感しています。
22歳 男性のストーリー
子どもを叱ることができない親が許せません。私は教育業界で仕事をしていますが、最近自分の子どもを叱ることができない親が増えてきていると感じます。子どもがどんなワガママを言っても聞き入れ、子どもが他人に迷惑をかけていたとしても気にしないなどです。ひどい場合には迷惑をかけられた被害者に対して逆ギレをしてくるような親もいます。また、他人が注意すると、そのことに対して文句を言う親も多いです。そのような環境で育ってしまった子どもはやはり叱られることに慣れておらず、自分が何もやっても(言っても)許されると思い込んでしまっています。子どものうちは周りも許してくれるケースも多いかと思いますが、その子が大人になった時に苦労するのだろうなと思います。
25歳 女性のストーリー
バイト先の店長に盗撮されたことです。
それも小型カメラではなくタブレットでなのであんなに大きなもので盗撮するのかとびっくりしました。平均して週4はバイトしてたので半年間という長期にわたってされてたということを聞いたときには物凄くショックを受けました。
バイト中に親と警察に連絡してバイトが終わった直後に覆面の警察が店に入って行き見事な連携プレーで店長が逮捕されたときの優越感は最高でした。
奥さんや子供達にも見捨てられざまあみろという気持ちでいっぱいです。普通のサラリーマンなら即クビになったり公務員ならテレビのニュースで名前が公表されたりするのに、個人店なので犯罪を犯しても今ものうのうと営業を続けれてることが許せないです。
52歳 男性のストーリー
勤めていたシステム開発の会社が倒産することになり、その社長の息子が新たに会社を興して社員達(倒産する会社に勤めていた)はその会社に移籍することになったのですが、その説明会のときに倒産した会社の社長(以降、旧社長)がしゃしゃりでてきて、社員達の質問について色々と遮る行為などをしてきたので、強めに苦情を言ったところ、掴み合いの一歩手前になるぐらいの喧嘩となり、その場は私が「言い過ぎました」と謝罪をして収まったのですが、新会社の最初のボーナスの率が、そのときに旧社長と争った社員だけ軒並み下げられていました。名目はその開発チームの業績の不振。真相は、経理課長に飲み会の席でこっそり聞いたところ、旧社長の意趣返し。結局、新会社も2年で倒産。あれから7年、いまだに怒りが収まりません。
36歳 男性のストーリー
仕事帰りにバスを使って家に帰ろうとバスターミナルで待っていて、バスが来て乗ろうとした時に横から走ってきた中学生くらいの女子が自分にぶつかってきた。
その影響で吹き飛ばされた自分は頭を打ってしまい、血が出ました。
その時自分の手には足が悪い為杖を使っており、しかも買い物したワインのビンも持っていましたので、全く受け身が出来ませんでした。
その後バス会社の方が来て対応してくれましたが、自分の状況を少し見た中学生くらいの相手がバスに乗り込む姿を見たのです。
いくら急いで帰ろうとしていても、今の状況で帰ろうとするかな?って信じられない行動をされたので、バス会社の人に言って相手をバスから降ろしました。
その後止血できたので、その時は帰りましたが病院へ行くべきだったと思います。
22歳 男性のストーリー
自分には親が母親しかいないのですが、小学1年の時に親が離婚して母親が育ててくれたのですが中学3年生の時に母親の職場の男性が母親に好意があり、付き合うようになりました。私も最初は苦手だったのですが母親と自分を大切にしてくれていたのでだんだん苦手ではなくなりました、それから1年経ち男性の方が私たちの実家の近くのアパートに住むことになりました。それからはよくアパートに遊びに行ったり着替えだけ実家に取り行ったりして数十メートルの違いですがそれなりに楽しくしてました。
しかし、高校2年になる頃に母親からもう会えないと言われ理由を聞いたところ同じ会社の若い子が好きになり、そっちの方に言ったそうです。もちろん、アパートもすぐ解約され、いきなりで私も混乱してました。
なにより許せなかったのが、高校生の私がいる中で母親と結婚して子供も欲しいと言ってた男性が簡単に私の母親を捨てたことです。大学生になった今でも、あの時結婚してたりあのまま楽しく生活できていれば母親も幸せに生活できたのにと思うと本当に許せない気持ちが残っています。
26歳 女性のストーリー
高校生の時に2つ上の先輩と付き合っていた。同じハンドボール部で部活後に一緒に帰っていたり、帰宅後は毎晩遅くまで電話をしていたのだが、半年経ってから電話をかけても出ない日が増えた。本人はアルバイトで出られなかったというが、他の知り合いに聞いたらその日はアルバイトはなかったと言った。気になる私はある日、先輩が部屋に遊びにきた時にタイミングを見計らって携帯を覗き見した。するとよく見る名前の人と電話やメールをしていることが発覚。その人は私の親友だった。私と先輩が付き合っていることを知りながら親友は先輩と浮気をしていた。私はその子に喧嘩をした時や先輩の誕生日プレゼントについてよく相談していたため、なおさら怒りがこみ上げてきて、バレて謝られた今でもずっと許すことができない。
56歳 女性のストーリー
友人と二人で旅行に行ってからというもの調子が悪い。調子が悪いばかりでなく次第にオカシイと思うことばかりになった。調べてみると、寝ている間に友人が性具で犯している犯罪が、異常にすぎるという話だった。普通ではない。犯罪者であり精神異常者だと確信した。懲役を2000年積み上げていた。精神病院に入院したり、障害者手帳を偽造し、逮捕されたことがないと嘯くが、狂人であることででしかない。名誉棄損の裁判の大半は、友人が寝ている間に性具で犯した犯罪をどう虚言で埋め尽くしているかで起きる裁判だった。飛び火裁判が起きることで逮捕されないと思っているのかもしれないが、そうは思えない。間違えてはならないことがあるのだ。
43歳 男性のストーリー
20年ぶりに両親と同居しました。大人になってからずっとひとり暮らしや結婚し妻と暮らしていており、また、実家とは遠方であったため両親の生活スタイルはほとんどわかりませんでした。同居してから分かった事ですが、父親はとてもいい加減な人で何でもやりっぱなしです。片付けもすぐに行わずそのうちといった感じです。その片付けも元の場所に戻すわけではなくその辺に積み重ねるだけで、いざ使用したいものは見つからず買ってくるの繰り返しでいらないもので溢れかえっています。また、どうしても許せないことがスリッパを玄関の真ん中に脱ぎ捨てて外出することがどうしても許せません。何度言っても直りません。来客が来たらとても恥ずかしい思いをします。そんな父親の行動が許せません。
42歳 女性のストーリー
電車や職場で口に何も当てずに、くしゃみや咳をする人が許せません。
以前、実家に帰省する際の電車内に酷く咳き込んでいる人がおり、数日後にインフルエンザを発症したことがあります。
家族もインフルエンザに罹っておりませんでしたので、帰省中の電車内でかなと思いました。
また、電車内でペットボトルのお茶が口の中に残っている状態で咳をして、手で押さえたようでしたが、隙間からしぶきが飛んできて顔にかかったこともあります。
後ろに立っている人に咳をされた場合も、マスクをしているか必ず振り返って見てしまいます。
職場でも周りに関係なく豪快に咳やくしゃみをする人がいますが、せめて口にハンカチを当てるか、自主的にマスクをしていただきたいです。
そのため電車内や職場では、なるべくマスクをするようにして、ドラッグストアで売られている次亜塩素酸水を持ち歩いて、いつでも消毒できるようにしています。
30歳 男性のストーリー
私は、女性として生まれました。ですが、物心ついたころから自分の性別に違和感を感じでいました。大人になり、性同一性障害の診断を受け、性別適合手術もし、現在は性別を女性から男性へ変更し、男として生活をしています。
近年、性別適合手術に対し、保険適用が始まりました。当事者は診断を受けてから、ホルモン治療をし、自分の望む性別に体を近づけ、心身ともに問題ないかを判断してから性別適合手術を受けます。GID治療の指針でも手術前にホルモン治療を実施するようになっています。しかし、手術前に保険外の自由診療であるホルモン治療を受けると、保険診療と自由診療の混合診療と扱われ、手術は保険適用外になってしまう。
近年、LGBTに対する社会の環境は良くなってきていると感じます。保険適用になると聞いたときは、やっとかと思いました。しかし、よくよく話を聞けば当事者のうち何人の人が保険適用で手術ができるのでしょう。
ホルモン注射をして手術を受けるのに、ホルモン治療をしていれば保険適用外になります。当事者の人には一つも話を聞かないで、決めたのかと思ってしまします。矛盾でしかない。当事者のことを馬鹿にしているのかと思ってしまいました。
32歳 女性のストーリー
夫の浮気がどうしても許せません。
世間的にはありふれたことかもしれませんが、私の妊娠中に浮気をされ、その後一年近く続いていました。最初のうちは普通に接していたものの徐々に私達との生活が嫌になったのか、それとも良心の呵責からなのか家庭内での彼の雰囲気が非常に悪くなり、浮気と知る前はもしや鬱病なのではとひどく心配しました。
結局蓋を開けたら原因は彼自身の浮気で、家庭内の雰囲気を最悪にしていた間も浮気相手とは楽しくLINEをしていたのを知り、今では彼を全く信用することができません。
両親には子どももいるので離婚は踏みとどまるよう説得され、一応彼も反省をし、連絡を絶ったので、今は表面上そこには触れず家族仲良く過ごしています。
ただ子どもが大きくなれば、信用できない夫との結婚生活は有り得ないと思っています。
表面上仲良く過ごしているせいか、夫が時々老後のことを話してくる気が知れません。いつまでも一緒にいる気はないのに、と今でも怒りがおさまりません。
27歳 女性のストーリー
私には高校2年のときから24歳まで付き合っていた元カレがいるのですが、別れた今でも腹がたつ気持ちが残っています。
それはその元カレが私が不満に思っていたことを全てぶつけても結局聞く耳を持たずにいたこと、しまいにはなんでそんなことを言うんだ、俺は逆にこう思っていたぞと不満を伝えられて逆ギレされるばかりだったからです。
別れる時も終始聞く耳を持たないで謝りもしないで逆ギレし、復縁する前に自分が何度も私に執拗に連絡してきたくせに私が別れるために応答のない彼に何度か連絡したことに対して怒る。何もかも自分に非はなくて私ばかりが悪者にされるのが一番腹立たしくてしょうがありません。あれだけはどうしても私の中でまだ許せない出来事です。
36歳 女性のストーリー
第一子妊娠中の姑の発言

私が23歳の時、第一子妊娠中に切迫流産&切迫早産で安静のため寝たきり生活だった時、姑が私の実家の母に「まぁ、〇〇さん(私)大変ですねぇ、なんでこんな身体なんでしょうね。遺伝ですかね?〇〇さんのお母さんもこんなことになったんですか?ウチは3人産みましたけど、こんなこと全くなかったんですけどねぇ…」と言ったこと!!
うちの母も3人産みましたが、健康な妊婦生活だったそうです!
出産してからも子供の体調が悪かったりすると何かと私のせいにする姑。
出産してすぐ、姑から子供と2人で霊払いにも連れていかれました。
霊媒師には「母親の身体が悪い」と言われ、その場で大泣きしました。
妊娠中、産後のデリケートになっている時にされた、言われた仕打ちは絶対に忘れられません!!
22歳 男性のストーリー
わたしが、どうしても許せないことは、先入観で勝手に物事を決めつける人です。
 わたしは今までバイトを含めていろんな仕事をしてきました。その中で必ず自分の嫌いな人に出会ってきました。そしてよくよく考えてみると、私が嫌いになる人の共通点が最初に述べた先入観で物事を決めつける人でした。
 具体的に話すと、人とゆうのは、初対面の人に対してはまず第一印象として、容姿でこんな人なのかなと判断すると思います。わたしの場合、容姿が少しこわいとゆうひとが多く、常に機嫌が悪いとか、怒っているんですか?ときかれたりします。
 最初はそおゆう風におもわれるのは仕方がないことなのですが、話したこともないのに、勝手にこの人はこおゆう見た目をしているから、こんな性格なんだろうと決めつけて、嫌いになられるのは、本当に許せないです。
32歳 女性のストーリー
初めての出産を無事終えた後の話です。夫はアウトドアが趣味で、結婚後も釣りやサーフィン、バーベキューなど時間があれば出かけていました。
初めての赤ちゃんを出産後、家庭の事情で里帰りはしなかったため、退院後すぐに親子3人の生活が始まりました。産後すぐは体も思うように動かず、夫だけが頼りでした。また産後うつという言葉もあるように、ホルモンバランスの崩れもあってか、小さな赤ちゃんの命を預かっていると思うと責任重大で、不安から気の休まらない毎日でした。
そんな中、夫は「家にいてもそんなにやることもないし」と遊びに出かけてしまったのです。たしかに新生児期で、おっぱいをあげ、オムツを替えたらまたすぐに寝てしまう赤ちゃん、夫がいなくてもお世話はなんとかなるのですが、こんなに大変な時に平気で遊びに出かけるなんて!何をするわけでなくても、ただそばにいてくれるだけで安心するのに…と不安やら怒りやらで精神的にボロボロで、毎日のように泣いていました。
今となっては生活も落ち着いて、夫が遊びに出かけても泣けてくるようなことはないのですが、一番不安でいっぱいいっぱいだったあの時期に、平気で1人で遊びに出かけて行ってしまったことは、今でも許せないです。
38歳 男性のストーリー
今まで様々な業種の仕事を経験して色んな会社で働き色んな人を見てきて本当に色んな組織に属して来ましたが、非常に頭の悪い上司、管理職はどうしても許せない!管理するにはまず把握、情報を集め、仕事を知り、頭を使って考えなければいけないのにそれらを全くしない、出来ないくせにえばってるだけで仕事してると勘違いしてる何一つ管理出来ない管理職!上を司ると書いて上司なのに上から目線なだけで全く司っていない上司!こんな連中がいると仕事の意味がなくなるし、こいつらはお金を捨ててるって認識が出来ないからポイポイお金を捨てる!そんな会社が儲かるわけもなく、行きつく先は倒産↓そのやがて来る暗い未来、いや未来を潰す馬鹿がいる未来のない会社、それらが僕はどうしても許せない。
52歳 女性のストーリー
わたしが一人目の子供を出産したときのことです。その前に一回流産をしていましたので、家族みんな出産を待ち望んでいました。
夫は一人っ子でしたので、義母は大変楽しみにしていたこととは思いますが、それは実母も同じことでした。
出産を終えて入院していたときのこと、私はまだ体も落ち着いていない状態でしたのに、義母にこんなことを言われたのです。
「あそこの娘だとわかると困るから、実家のお母さんには病院に来ないでもらって」
びっくりしました。なぜそんなことを言われなくてはならないのかわかりませんでした。どれだけ自分達は立派だと思っているのかと怒りに震えました。この家族と一生連れ添って行くのかと思うと悲しくてたまりませんでした。
34歳 女性のストーリー
前の職場を紹介した派遣会社が許せないです。スタッフサービスと呼ばれる派遣会社で、パワハラを平気でしていたブラック企業の会社で、サクサビジネスシステムと呼ばれる会社で、なんども面談し営業やサポートをしている人、会社の相談室等に訴えていたにも関わらず、なにも対策をしてくれませんでした。
それで泣く泣く退職する羽目となったが、営業から脅迫され無理矢理退職願いを書かされました。それだけではなく、その派遣会社から離職票を貰ったが、離職票の名前を間違えられ名誉まで傷つけられました。
なんども訴えた結果、その後、その会社から、まったく紹介もされなくなりました。
こっちが悪いように扱われ、とても許せない、死んでも許せない会社です。
50歳 女性のストーリー
スキーに行ったときに、ぶつかられて、そのぶつかった人が逃げたことが許せません。
私はスキーヤーでボーダーの男の子にぶつかられました。お互いさまのところもありましたが、私はスキーを付けたまま変な方向に倒れてしまいました。あきらかに妙な倒れ方で、骨折か何かしていることは明らかで、救助をお願いすることになりました。
私は救助の方のスノーモービルに乗せてもらい、主人はそのあとをぶつかった彼と一緒に降りてきていました。
ところが、主人もぼけっとしていて、その少年をちゃんと見ていなくて・・・この少年は逃げてしまったんです。
あとでスキーゲレンデで放送をかけて、来るように促しましたが逃げてしまったようで来るはずもありません。この少年に腹が立つし、夫にもイラっとするし、どうしても今思い出すと許せない!
そのあと、剥離骨折だったことが分かり、私は仕事を休んで手術をすることになりました。
費用を払えとは言いませんが、ちゃんと謝罪すらしない人間はやはり許せません。
37歳 女性のストーリー
以前勤めていた会社の直属の上司に対してです。
とてもいつも聞き上手で、わかってくれているのだと思っていて、いろいろ相談をしていたのですが、知らないところで信頼して話していた内容も他の社員・私の同僚などに全て話されていました。
仕事の状況が忙しくて精神的にきつくなっていた時で、そういった精神的な繊細な内容も相談していたのですが、まさか地位のある上司が他の同僚にぺらぺらと話していたなんて、本当にいつまで経ってもどうしても許せません。
彼としては自分の身を守るため?のようでしたが、陰でいろいろ言いふらして、何か言いたいことがあるのならしっかりと言えばいいのに、さすがに権力のある上司がそれではダメではないかと今思い出してもあまり気持ちよくないです。
31歳 男性のストーリー
2、3年程前仕事の同僚がとてもお金にだらしのない人でいつも食べる物に困っていた人がいました。
初めのうちは仲が良いこともあり、たまに食事代を奢ったりしていましたが、段々とその同僚のお金の無心や食事を奢ってくれ等の連絡が多くなってきたので、私は縁を切りたいと思い、一度同僚の誘いを断りました。
その後、同僚は会社を個人の都合で退職したこともありましたが、その後も何度か連絡が来たので、私は連絡先を削除しました。
その後その同僚は何をしていたか知りませんでしたが、噂で聞いた話しによるとお金もないのに、出会い系で彼女を作り毎日デートしていると聞きとても呆れてしまい、あの時縁を切って良かったと思っています。
くれぐれも人付き合いはほどほどににしないといけないと思いました。
23歳 男性のストーリー
入社説明時に風通しが良く、社員の意見が通りやすい職場ですと案内されて入社したが、実態は古くからいる人たちによって握られており、意見が通りにくかった。
さらに、後輩が見学に来ている中、私宛の作業が多く入ってきて、あたふたしていたら、上司が後輩に向かって、私を指さして「面白い先輩がいるねー」と、これ見よがしに煽られたこと。
上司からの折り合いが悪く、どこの職場も大体こんなもんだ。先輩社員達の辞めたい辞めたいの声があまりにも大きく、何をやっても変わらないという現実を突きつけられ、仕事に対するモチベーションが著しく低下し、そのことを会社の人事部に相談しても、昔はもっとつらかった。私はもっと努力したと、根本的な解決に至らなかった事
37歳 女性のストーリー
もう20年近くも前、高校生の時に言われた些細な一言、でもどうしても許せない、忘れられないことがあります。
私は国立大学、推薦入学試験で運よく合格し、9月には進路が決まっていたすごくラッキーな高校3年生を送っていました。
高校3年のクラスでは、4人組でいつも行動を共にしていた、12月のあるランチ時間、話はやっぱり模試や進路の話ばかり。そこで、4人組のある一人が私に言った。
「私もう模試の結果も全然ダメで、受験先変えないといけないかも。どうしよう。○○ちゃん(私のこと)大学受けようかなぁ。」と、、、。
それって、私の行く予定の大学はレベルが低いっていうことですよね?まさか、そんなことを仲良くしていた友達から言われるなんて。
結局、彼女は、志望していた国立大学に落ち、滑り止めの私立大学に進学。
もう許せてもいい話なのかもしれないけれど、どうしても許せず。数年前にあった同窓会で連絡先を聞かれたときも、Lineは使ってないからと断りました。
27歳 女性のストーリー
どうしても許せない事は私の嫌な事をする人ですがもっと許せないのは
食べる時に舌が出る人です。
一緒にご飯を向かい合って食べている時に舌がベローンと出てご飯をすくうように食べる人は絶対許せません。
許せなくて一緒にいたいとも思わなくてご飯が美味しく感じません。
なぜ舌を出すかは分かりませんが
指摘したいけどその場の空気を悪くするので見て見ぬ振りで
内心この人無理嫌だなと思ってます。
私は当然舌を出しません。
ご飯の時に舌を出す事によって相手に不快感を与え相手が楽しく美味しいご飯を食べているのに相手の気持ちをぶち壊すと思います。
もし言ってもいいなら言いたいですけど多分言ったら中が壊れてしまいそうな気がして今後付き合いはないかなと思って私が諦めてます。
31歳 女性のストーリー
高校生の頃、体育の授業でバレーボールのサーブの練習をしていた時です。誰かが打ったサーブが私の顔面に直撃しました。ちょうど口の辺りに当たって、唇から血が出ました。かなり強いボールだったので痛くてしばらく動けずにいたのですが、そのボールをぶつけてきた人は謝りに来ませんでした。誰だか分からないけど謝りに来ないなんて失礼な人だな、と不快に思いました。しかし、体育の授業が終わって鏡を見ると、ちょうどボールが当たった辺りの歯が歪んでいたんです!私は元々歯並びが整っているので、一本だけ歪んでいるのはすぐに分かりましたし、目立ちました。歯並びの良さだけは自慢だったので、本当にショックでした。ボールを私に当てた人は、私に当たったことに気づいていないのか、分かっていて謝りに来なかったのか、それともわざとなのかは分かりません。歯は今でも歪んだままですし、人の顔を傷つけておいて治療費と慰謝料をもらいたいくらいなのに謝りもしないのは今でも許せないです。
45歳 女性のストーリー
10年以上働いた職場を自己都合で辞めるように
仕向けられたことです。

自分が今まで先頭に立って関わったきた業務を、
半ば強引に外されました。

元々は、派遣社員として勤務していました。
その時から契約社員や正社員同様の業務を担当してました。

正社員は異動の多い職場だったので、
10年以上同じ部署で働いていた自分は
その分野では社員よりも理解していたんです。

派遣社員から直雇用にしてもらい、
同様の業務に当たっていました。
先頭に立っていましたが肩書きがある訳でもなく
正社員よりも手取りは少なく不満だらけ。

でも仕事は好きでした。天職だと思ってました。
しかしその後、私を待っていたのは
今まで担当していない業務ばかりを命令されました。

理由を聞くとジョブローテーションの一環とだけ。
貴方が悪い訳ではないと。
私のポジションに新しく入ったのは私よりも
経験が浅い後輩でした。

周りも急な出来事に動揺。
今まで不明な事は私に質問しにこれたのに
行けなくなり困ってると言われました。

正社員より仕事を理解されてると
正社員の立場がなくなるという理不尽な
配置転換でした。

私はショックと慣れない仕事でストレスが
溜まり退職する事になりました。

20歳 女性のストーリー
女性同士でよくみられることなのですが、暗黙の「あなたがやりなさいよ」攻撃がどうしても許せません。
資料作成にしても企画の意見出しにしても、とにかく雰囲気が悪くなった際に目や足元であなたがどうにかしなさいよ、と合図してくるあの腹立たしさ。
言いたいことがあるなら直接言いなさいよ、と思っています。
雰囲気が悪いのは私も気づいているし、どうにかしたくてもどうにもできないのだから
あなたこそこの状況を打開する策を全力で考えなさいよと。
人にすぐ頼る、押し付ける女性ほど頭の中身はブランドのことで頭がいっぱいなのです。
私も好きな服やおしゃれな靴をネットで調べることはありますが仕事をしているときくらい目の前の仕事に全力で取り組むべきです。
メリハリのなさや卑屈さにものすごく腹が立ちます
39歳 女性のストーリー
お互い好きだと思い、付き合って結婚しそうだった男性が、二股をかけていました。
元カノとまだ続いていて、何故か彼女は私の存在も知っていました。
私は彼に問いただしましたが、彼は元カノと別れたいけれど別れてもらえなかった。彼女は君と会って話がしたいからどうか会ってくれと言われ、連絡先を渡してきました。今となればすぐ私から別れればいいものを当時は好きだったらので、元カノに会って、もう別れてあげてくれと言いました。けど元カノはクビを縦には振らず、今私は鬱病を患っていて彼がいなければ生きていけないといいました。突然の告白に驚きましたが、私だって別れてくれないあなたのそんな事情突然聞いた私だって、どうにかなりそうですと言いました。そんな元カノといる時間が辛くてトイレ吐きました。何故か吐いたら気持ちが冷めて、彼の事なんてどうでも良いと思い、その場で身を引きました。今思うとそれでよかったと思うけど、どうしてもいろんな事が許せないです。
25歳 男性のストーリー
私は学生時代、県外就職を目標にあらゆる準備を進めていました。

なんとか卒業までに内定をもらい、単身県外へ引越しをすることができました。


引越しも終わり、入社前説明会も受け、あとは出社日に会社へ行き、新社会人としての生活を待つようになりました。

出社予定日1週間前、担当の方から連絡があり、予定よりも事務所の備品到着など遅れが出ているため、2日出社日を遅らせてほしい、と言われました。


そしてその出社予定日の前日、担当の方に連絡を入れ、明日からよろしくお願いいたします、と挨拶をしました。

しかし、もう少し待ってほしい、次の連絡はこちらからする、と待つよう言われました。


その後この会社は良くない、と思い就職活動をまた始めました。

しかし4月半ばにもなると、正社員としての求人はなかなかありません。



そして7月頃、その会社から連絡がありました。

担当の方とは違う方でしたが、〇〇さんまだ就職活動されていますか、と言われました。

就職活動することになったのはあなた方の責任であり、4月の出社予定が延びに延び、連絡はこちらからすると言ってしてきたのは7月

しかもまだ就職活動されていますか、と。


もちろんその旨を伝え、電話を切りました。

数日後ハローワークへ行くと、その会社が当然のように求人を出しており、担当者も私におすすめの求人として紹介しました。


以上が私にと手tどうしても許せないことです。
32歳 女性のストーリー
前職場にどうしても許せない人が居ました。その人は、長年勤めている事務さんで今年還暦を迎えました。バツイチで子ナシという事で、大人になりきれていないのかやる事がとても幼稚でした。その人自身も三人姉妹の三女という事もあり、なんでもお姉ちゃんに助けてもらっていたのだと思います。その人に子供がいれば娘世代になる私にも、あれやってこれやって状態でした。しかし、時給は向こうの方が上です。でも仕事はしない。割りに合いません。他の店の人の事は責任感がないだの、返事をしろだの偉そうに言う癖に自分の店では自分がコレそのものです。自分で発言した事の責任を持てと思い続け上司に直談判しましたが、上司よりも年齢が上のこの人に手を焼いているようで、辞めるつもりも定年もないとの事から転職をしました。責任ということについてきちんと認識し直してほしいなと本気で思いました。
41歳 女性のストーリー
私のどうしても許せない事。それはお金に関する事です。
主人は見栄っ張りで、自分でお金の管理が出来ない人でした。大人になっても母親に自分の給料の管理を任せていたようで、一人の大人としてどうなんだ。と疑問になることが度々ありました。お金に関して見境なく友人後輩におごったりするので、計画を立てて使用することがありませんでした。お金がなければローンを組めばいい。と短絡的に考えて実行に移してしまうので、家族としてどう支えていけばいいのか分からなくなるときは、いつものことでした。ローンでは車・家電など我慢することがないので、払い終わる前に次のローンをする繰り返しで大きく膨らんでしまいました。主人だけがそうなのかと思っていたのですが、義父はお金を出すときは口も出す人で、その一言一言が許せなく、絶縁状態になっています。一番キズついたのは「お前たちの生活もオレが金出さなくちゃ、やっていけないんだろ」です。その当時は家族が大変な時期でしたので、この心無い言葉に、もう二度と頼るものかと許せません。
23歳 女性のストーリー
その日、自分の誕生日で、次の日実家を離れるという時だったのに、父親と思い切り喧嘩して人生最悪の誕生日になってことが今でも許せません。お金がないなどと、ぐだぐだ父親が言っていたので、それなら無理して外食することもないし、何もしなくていいと言い。そこから喧嘩というか口論になりました。家族で仲良く寿司を食べるつもりで、しかも次の日からなかなか会えなくなるということで、ある意味、家族で集まれる最後の日だったのに、そんなことになって怒り心頭でした。結局、最後泣きながら自分の思いをぶつけ、最悪な気分で出前の寿司をつついたことは忘れたくても忘れられません。次の日も結局その喧嘩を引きずり、何にも吹っ切れないまま、家を後にしました。
22歳 女性のストーリー
中学三年生の時に同じクラスと隣のクラスに友達がいました。元々私はいじめられていて、よく話すのはその2人だけでしたが2学期あたりから嫌がらせのようなものが少し起きていました。内容は靴の中にクリップや死ねと書いてある手紙が入っているというものです。同じクラスの子から隣のクラスのお友達が入れてるのを見たよと言われ、隣のクラスの子と距離を置いていました。体育の授業で、たまたまその隣のクラスの子とペアになってしまったので何気なくどうして靴の中にクリップや紙を入れたのか聞きました。そしたら、知らないどういうこと?と聞かれました。よくよく話を聞くと、靴の中にものを入れていたのは同じクラスの友達でした。どうしてそんなことをしたのか結局分からないまま高校に行きましたが、一生忘れない許せない出来事でした。
46歳 女性のストーリー
最近のどうしても許せないことは、喫煙者を犯罪者のように叩くことです。どうして?いつからそんなに悪く言われるようになったのか?何かの陰謀か?と思うくらい酷い扱いを受けています。
歩きタバコや明らかなマナー違反をしてはいけませんが、マナーを守っているのに文句を言われる筋違いはありません。税金だって払っています。
本当に腹が立ちます。

そして、喫煙よりも飲酒の方に寛大なことが理解出来ません。タバコを吸って人に絡む人はいないですが、お酒で人に迷惑をかける人はたくさんいます。
タバコよりもお酒の規制や税率を上げて欲しいと強く願います。
ランチ時の飲食店で小さい子どもを連れていながらビールやワインを飲んでいる母親達に呆れます。
煙モクモク、アルコール臭漂う居酒屋に首も座っていない赤ちゃんを連れてくる母親達はおかしいです。

マナーを守っている喫煙者まで犯罪者扱いすることに物申すです。
どうしても許せません。


25歳 女性のストーリー
義母に旦那の通帳、私の通帳を取られてしまった事。
私が、第一子を出産した時
出産直後義母が同居をするし、後々貴方に家の事全て任せられる時が来たら返すし、
家計簿も付けるし
貯金も私が持っていれば出来るから
息子(旦那)と貴方の通帳を私に渡してと言われました。
最初は私も抵抗しましたが
私は出産の疲れと、旦那のお義母さんに言われてる…と、ゆう事で渡してしまいました。
渡してしまったら最後……
1年を過ぎ2年半頃旦那が義母にお金のことを聞いてみたら
なんと!!全く貯まってない。
挙句の果てには児童手当まで使われていた。
私達は小遣い生活でカツカツだったのに
お義母さんと義妹は私達、子供のお金で極楽生活を送っていた。
全て使われた。本当に許せない。
28歳 女性のストーリー
高校生の時に初めて付き合った年上で社会人の彼氏のことが、どうしても許せません。
初めての彼氏でわたしも良くなかったのはあとから反省していますが、パチンコが大好きな人で給料が入るたびにすぐにパチンコ屋に行ってお金を使い果たしてしまうような人でした。その時はわたしも彼のことが好きだったしそれなりにバイトをしていたので、たまにお金を貸してしまっていました。
結局貸したお金は3万円にもなりました。それでもわたしが特にお金に困ることはありませんでしたが、人にお金を返さないくせに夜遊びをやめず、女の子がいる飲み会に行ったりして、浮気のようなことも繰り返しているようでした。流石に許せなかったので、お金は返してもらえないままでしたが別れました。
29歳 女性のストーリー
どうしても許せない事は信頼関係を裏切られてしまう事です。どんなに毎日の様に会う友達でも、その人が信頼を裏切ってしまえば、友人関係は終わります。その中でも一番許せないのがお金の問題です。私はほとんど友人関係を切る事は無いのですが、過去に二度、お金が原因で友人関係を終わらせています。二人ともそれまではとても仲が良くて、とても信頼していました。それなのに二人とも数万円という大金を私から借りて、返せない現実から逃げてしまいました。信用していた私がいけないのだと思いますが、それでもそこで逃げてしまうのは信頼を裏切る事になってしまいます。今は二人に貸したお金の20万円近くのうち2万円だけが返ってきていないので怒ってはいませんが、お金が帰ってこないという事よりも、信頼関係を失い、今までの友情関係を失ってしまった事は悲しく、この様な裏切りは二度と許されない事だと思いました。
54歳 男性のストーリー
私の会社の前の役員が、とあることをきっかけに私をいじめ出したことです。とあることとは、当時私は企画部に所属しており、取締役会の資料を作成担当でした。その役員が取締役会で発表する資料の原稿を私に手渡し、「誤っている箇所や意味が伝わりにくい箇所は訂正しておいて」との指示があったので、誤字脱字を含めて、わかりやすい資料に大幅訂正することになりました。なんせ、誤字脱字を含めて、文章が中学生レベルであり、止むを得ず私なりに考えて訂正しました。すると、資料をみたその役員が、カンカンに怒りだし、私に対して「お前は何様だ」と言ってきました。自身プライドが相当傷つけられたみたいです、結局、私が作成した資料を取締役会で使ったにも関わらず、それ以来、ネチネチいじめが始まりました。飲んだ席では、「お前のことは絶対に許さない、家まで殴り込んでやる」みたいなことも言われました。結局、役員内規に違反して、勝手に役員定年を延長していることが社外役員にバレてしまい、退任に追い込まれました。今はそいつがいないので、一安心です。
30歳 女性のストーリー
あまり他人とのトラブルとか起こしたりしたくないですし、波風立てずに穏やかに過ごしたいので基本的には怒り出すことはないです。

ただ内心では腹が立つこともあります。
それはなんの断りもなく予定を変えてくる、入れてくることです。

朝に今日1日の予定、タスクを予め想定してどう動くかを考えて行動しますが、もちろん想定外の出来事もあります。どうしてもと言う場合もあると思うのでそこはわかります。

ただ『予定を急に入れたとしてもあなたは問題ないでしょう』という考えで入れられるのが癪に障ります。
こっちのことは関係なしというのがとても嫌です。
こっちはこっちでいろいろ考えも予定もあるのに。
今書いていてもだんだんイライラしてきました。あの人許せない。
35歳 女性のストーリー
職場で一緒に働いている10年ほど先輩の行動が本当に許せませんでした。
30人ほどのチームをまとめる立場の主任であっちたため、プライドが高い人でした。
しかし、新しい部長がきて意見が合わなかったのか、全ての仕事を私に丸投げし、やってるふりをして自分は席で寝るなどサボりだしたのです。
最初は会社に来ていましたが、サボっているのに気付いた部長に追い詰められ、徐々に体調不良(インフルエンザ3回、ノロなどの食中毒2回など)や家族の不幸や事故をつぎつぎに理由をお越し休み始めました。
困難な仕事がある時ほど急に休み、その尻拭いを押し付けていきましたが、1年ほどで部長がねをあげて異動させてしまいました。
しかし、異動先が本社でご栄転となったので、本当に許せませんでした。
54歳 男性のストーリー
どうしても許せないこと。それは電車の優先席に座ってずっとスマホを見ていて、近くにその席を必要とする人が乗ってきても全く気付かずに堂々と座っている人。そして、ドアの前に立って、乗り降りする人の邪魔になるのに全く場所を譲ろうとしない人です。
優先席なので、その席を必要とする人がいなければ座っても構わないと思いますが、私がその席に座っている時は、駅について人が乗ってくるときは必ず周りを見回し、譲るべき人がいないかは常に気にしています。もしおじいちゃんおばあちゃんや妊娠中の女性がいたらすぐ譲れるように。
最近はみんなスマホを見ていて全くまわりに気づかず、意識さえしていないように思えます。「お前の席じゃねぇよ!」と言ってやりたいですが、最近は注意すると殺されちゃう世の中なのでうかつに注意もできません。そんな状況を見つけると、イライラして仕方ないですね。
43歳 女性のストーリー
ごく最近で日本全国で有名な事件、京アニ放火事件です。
自分の近所で起こったことというのが大きですが、正直自分に直接関係がない人が起こした事件でここまで憤りを感じたのは人生で初めてと言えます。
ニュースになる前、自宅にいるとなんだか煙たい漢字がして外を見ました。するとモクモクと煙があがっており、救急車、消防車、パトカー、ヘリコプターとあらゆる緊急車両の音がしていました。これはただごとではないと思っていた矢先、ニュースで京アニが火事だと。しかも犯人らしき人物が確保と出ていました。そのうち時間が立つにつれて被害者がどんどん増えていく。近所でそんなふうに沢山の人が亡くなり、しかも放火。亡くなった方々は殆どの方が若く、自分の夢を叶えるために一生懸命がんばっていたなんの落ち度もない方達。怪我をした方も傷は癒えても心にはありえない傷が残ります。犯人は身勝手な理由で亡くなった方達だけでなくなんとか助かった方達の人生もめちゃくちゃにしました。
今でも焼け焦げた建物を見ると心が締め付けられます。
あの犯人は絶対に助かって苦しい思いをしなければいけない。
絶対に許せません。
29歳 女性のストーリー
付き合っていた彼氏との話です。
私は当時、アパレルに勤めており、年末年始も休みなく仕事が入っていました。
繁忙期であるお正月を挟んで7連勤という過酷なシフトでしたが、私には頑張れる理由がありました。それは、お正月明け7連勤を終えた翌日が私の誕生日だったからです。
彼氏とは、だいぶ前から遊ぶ約束をしており、一体どこに連れて行ってくれるのかとワクワクしていました。

しかし当日、出掛けるために準備をしていると、彼氏から「風邪を引いたから行けない」とキャンセルのLINEが来ました。
ドタキャンをしているのにもかかわらず、「ごめん」の一言も、ましてや「誕生日おめでとう」の言葉もなく、私はカチンと来ました。
風邪なら仕方ないかと思いつつも、この日のために7連勤頑張ったのにという気持ちが抑えられず、怒った返信をしました。すねれば、謝ってくれるし、埋め合わせもしてくれるだろうと思っていました。

ところが彼は、あろうことか逆切れをしてきました。
俺が風邪をひいてしんどい時に自分ことばかり考えている、心配の一言もないお前は最低だとも言われました。年末年始遊び疲れて体調を崩したくせに、ドタキャンしたくせにどの口が言うんだと大喧嘩しました。

今でも一番納得がいかず、許せないエピソードです。
42歳 女性のストーリー
現在は離婚しているのですが、当時の夫がアルコール依存性になり、暴言を吐いたり暴れたりするようになったため別居しました。アルコール依存性が悪化して仕事ができなくなった元夫は、別居中だったため私の知らないうちに子ども達のためにかけていた学資保険を勝手にすべて解約して酒代に変えました。私はその後離婚して子ども二人を育てていますが、進学や就職について考える際、子ども達も金銭面で私を困らせまいと気を使ってくれるのが分かり、申し訳なく情けないばかりです。現在元夫は生活保護で暮らしており、養育費を払えないため一円ももらえません。子ども達の将来のためのお金にまで手を出しておいて父親面する彼を私はどうしても許せません。
36歳 女性のストーリー
声が大きい人が許せないです。
注意をされるにしても、何か話しかけられるにしても、他の人にまで聞こえてしまう配慮がないのかなと思います。
大事な話も筒抜けだし、本人はその人にしか言っていないつもりでも、周りの人には聞こえていて、そこから噂が広がったりします。
声が大きい人のせいで、恥をかくこともたくさんありました。
それに、自分とは関係のない人でも、周りにいるだけで本当に迷惑です。
以前キャラクターショーの時に、声の大きいお母さんが、落ち着きのない子供に「迷惑だからやめなさい!!」と終始言っている時がありましたが、お母さんの声の方がうるさいし、ビデオにも入ってしまうしで、本当に迷惑でした。
声の大きい人は自覚して改善してもらいたいです。
22歳 女性のストーリー
ペットボトルを飲みかけで中身が入っている時に、
机の上などに蓋を閉めない状態で置く人。
何度注意しても治らなかったり、そういう人に限って何回もこぼして、騒ぎ立てたり、すごく落ち込んで周りの空気悪くしたり、こっちにまで八つ当たりしてきたりするので本当にやめて欲しいと思ってます。
どれだけ好きな人でも、この行為をされると、残念な人だなと感じてしまいます。
でも残念だなと感じはしますが、そういう方にも直して欲しいと思うので、一応気をつけて欲しいという気持ちは伝えます。
もしかしたらその人の癖かもしれないと思ってるので、3回は許そうと決めているので許しますが、3回もやっていた時は自然と距離を空けてしまう傾向があります。
30歳 女性のストーリー
婚姻届けを提出する1週間前のことです。
その前の週末に私は、両家顔合わせの打ち合わせのために地元に戻っていました。
その日の夜に夫から会社の同僚と飲みに出かけると連絡がありました。
私も居ないのできっといつもより遅くまで飲んで帰るのだろうと思って、特に気にしていませんでした。
その2日後に自宅へ戻り、私は夜ご飯を作り、夫はお風呂に入っていると夫の携帯にLINEが入り、画面上に表示されるので、表示された部分だけ見てしまいました。
すると、元カノからのLINEでした。
私は以前から元カノや関係のあった女性との連絡は絶対嫌だと話していたので、夫がお風呂から上がってから、LINEが来ていたことを言いました。
夫は、飲みに行った日に酔っぱらって連絡してしまっただけと言ったので、私はLINEの内容見せてもらいました。
その元カノは、遠くに住んでいるので会うことはないのですが、お互い初恋の相手で忘れられない一番好きだった彼女と夫から以前に聞いていたので、元カノの中でもその人と連絡を取られるのが一番嫌でした。
内容は、自分が結婚するという報告でしたが、お前と一緒になりたいと思ってたけどなと伝えていました。
それだけでもすごくショックで許せなかったのですが、さらに他の女性2人にも連絡しており、その中の1人の女性は既婚者で実際には会っていなかったのですが、会いたくなって連絡した。遊んでた頃は好きだった。浮気したくなったらまた連絡する。などの言葉を伝えていました。
すべてのLINEを見た後に1週間後の結婚を辞めることを伝えたところ、夫はこんなことをして悪かったと謝ってきました。
浮気はしてないとはいえ、結婚間近で幸せ絶頂から突き落とされ、今後信用できないような気がしましたが、女性たちの連絡先を削除し、LINEブロックをしてもらい許しました。
でも、この先もこの出来事は一生忘れないし、絶対に許さないと思います。
25歳 女性のストーリー
職場では休む際に1〜2週間前に上司や同僚に報告しておく義務があるのですが、私の部署のリーダーである人が休む日の前日に報告をしてきました。
急なことだと思ったのですが、私以外には報告が入っていたらしいのです。
そのリーダーが休む日には1ヶ月も前から予定されていたミーティングがあったのですが、その代理を私に任せようとしてきました。
リーダーはミーティングに余裕を持って資料を準備したり会議室を借りたりなどする必要があるのですが、まったく準備していないとのこと。
前日になってそんなことを頼んでくるなんて頭がおかしいのかと思いました。私や他の人がそんなことをしたら絶対に上司に報告されていたことでしょう。
このことは本当に許せないと思いました。
23歳 女性のストーリー
小学生の頃飼っていたペットの柴犬を友達に冗談半分で保健所に連れて行かれて、そのことに気づかず、柴犬が殺処分されてしまった。
その友達は犬が嫌いで、私と喧嘩したのを理由にはらいせで連れて行ったと行っていて、謝ラルこともなく何もなかったように接してきたのが許せなかったし、その子が今柴犬の2匹飼っていてとてもよく面倒を見て洋服を着せたりしているのが気に食わない。
私はそれから犬どころかペットを飼う気にもなれず、ほしいけど実際に変えずにいるのに私の犬を殺したその子はペットと仲良く過ごしていて、友達にも自慢し、インスタグラムやフェイスブック、ツイッターに頻繁に画像や動画を載せていて、昔のことを忘れているようで許せない。
47歳 女性のストーリー
同じ町に住んでいるかと思われる変な男が、どこから情報を仕入れたのか分からないのだけど近所に住んでいる旦那の実家に「あなたの息子さんの嫁が夜に窓から僕を覗き見ている」と電話をしてきた。姑から事の事実を聞かれたのだから誰の事かも分からないし、私は夜は子育てに追われて疲れるので早めに就寝していたので勘違いなのですと説明した。その電話から数ヶ月後、その変な男が旦那の実家に来て「あなたの息子さんの嫁は僕に対してストーキング行為をしています。辞めさせて下さい。」と言ってきたそうです。姑は取り合わなかったそうですが、私の自宅を知っているのであれば何故直接訴えて来ないのか、何故姑の方へ抗議に行くのか、意味が分からないし気持ち悪いし腹立たしいし。その後にその男がどんな人物が分かったのだか、小太りの中年男で全く興味も湧かない人間でした。散歩道で通り過ぎても何も言って来ないし、この男のせいで今もなお不愉快な思いで暮らしています。平和なこの街で許しがたい男です。
40歳 女性のストーリー
学生の頃からの友人の話。
その友人は、困っている人をみると見知らぬ人でも声を掛けずにはいれないひとで、いつも周りのことを考え、自分のことは二の次、三の次にできる人です。
私も幾度とその友人の助けに支えられてきました。
少々、言葉はキツイ部分もありますが、そんな友人を尊敬すらしてきました。
小学生で出会ってから今もまだ付き合いが続く貴重な友人です。
ですが、30代を過ぎた頃から結婚したいのにできないという不満から人の幸せを嫌なことばで攻撃するようなことを言うようになりました。
その言葉は、私には向けられていませんが、同じくらい長い付き合いの友人に対する言葉だったりするので、コレが友人の本質かと縁すら断ち切りたいと思ってしまいます。
29歳 女性のストーリー
中学2年生の時の冬、駅伝大会の選抜チームに選ばれた。何度かの練習とタイム計測の後、アンカーという大役を任される。タイム計測で自信をつけた私は胸を張って引き受けた。
本番までの練習も手を抜かずに打ち込んだし、アンカーを引き受けたからにはと他のメンバー以上に努力をしていた自信が今でもある。

迎えた本番当日。雪が降るのではないかというくらい寒い日だった。
今か今かと前走者からのタスキを待つが、想定していたタイムを過ぎても前走者は来ない。筋肉が冷たくならないようにストレッチを続ける私の横を、他チームの選手達が次々にタスキを繋いでいく。

ついにタスキが渡された時には、私達のチームは最後尾だった。
タスキが渡される少し前、すでにゴールしたチームがいるとの連絡が入っていた。そのくらいタイムの差は開いていた。けれど、それが何だと言うのだ。私は精一杯の走りをした。どうせ入賞も出来ないからと諦めた走りはしなかった。

そうしてゴールまで走りきった。なんとか他チームのアンカー達に追い付き、最下位でのゴールは回避できた。私個人としても自己ベストの記録を出し、区間賞では2位の走りができた。

ゴールした私を最初に迎えてくれたのが、補欠員の3人の同級生だった。そこで浴びせられた第一声、これが私が今でも忘れられない言葉である。
その言葉は、「あなたにはガッカリした」というものだった。
3人はそれだけ言うとさっさと引き返してしまった。

私は愕然として何も言い返せなかった。確かに最下位では無かったというだけで、チームの成績は奮わなかった。けれど私は精一杯打ち込んだ練習の成果を発揮した、自分の中で100%の走りができた。それなのに「ガッカリした」などと言われてしまうのか。チームの成績が奮わなかったのは私の責任であるかのように言われてしまうのか。

もう15年程前の子供の頃の出来事とはいえ
、あの時に抱いた理不尽さと怒りはまだ忘れられそうにもない。
32歳 女性のストーリー
20年ほど同居する祖母の偏食です。まだ70代半ばで健康なのに、しんどい・面倒だと言って買い出しにも行かず、人任せで一切作らないくせに、口に合わない・食べるモノがないと日々文句を言って、家でも飲食店でもたっぷり食事を残すことです。
食べ物を粗末にし、作る人の気持ちを考えず、食べる時に人の食欲を無くす態度や言動をすることは、人としてあり得ないと感じるので許せないです。
こっちが作る人の気持ちを考えてよと言えばすぐに拗ねるし、自分が悪いくせに近所の人に、娘や孫の作るモノは口に合わないからと言いふらしています。それで世間の同情をかい、こっちが悪いように世間に印象を植え付けるのがムカつきます。お金がわりと裕福なくせに、月7万から8万ほどかかる食費の中、たった2万円しか作らないのに出さないのもムカつきます。
23歳 女性のストーリー
私は学生の頃、とても仲良くしてたYちゃんがいました。生徒会に入っていて私と違って正反対な真面目な子。朝や帰りの登下校を一緒に行っていたり、クラスが2年生から同じになり、席も隣になったりと楽しく過ごしていました。
3年生の中頃に、進学の内申書が決まる大事なテストがあり、その前にノート点検など評価に関わってくるものの提出があって、クラス全体的にピリッとした雰囲気でした。私が苦手だった英語の授業のノート点検が始まり、テストが悪い分ノートで挽回しようと提出しようとした時にノートが見当たりませんでした。もう探している余裕もなく、授業中に必死にノートを友達から借りて写しました。納得いかず、授業の最後にやったノート20ページ書き終わり、提出しましたが、私より先に終わっているであろう仲良しのYちゃんがまだ提出していなかったこです。おかしいなと思っていて、机に何冊かのノートがあり、その中の1つが私のノートに似ていて、ふと見たらそこノートを提出していました。なんか違和感を感じて友達2人に話ししたら、先生に話してくれました。そんなわけないと思っていたのですが、まさかの私のノートだったみたいで、授業終わった後にYちゃんが呼ばれて戻ってきませんでした。私は絶望でいっぱいでした。必死にノートを探していたのを見ていて、心配もしてくれていたのに。私がノートを必死に写すところをどんな気持ちで見ていたのかと思ったら、悲しみをこして怒りでいっぱいで、今思えばくたらないのかもしれませんが、ものすごく許せません。
46歳 女性のストーリー
昔スーパーで働いていたが、そこの店長が許せない。
堂々と従業員の勤務時間を捏造するし、時給も最低賃金以下でこき使う。
追求すると嘘をでっち上げて言い負かす。
気に入らない人間は上司ヅラして最もらしいことを言いつつ、相手を口撃(つかモラルハラスメント)するのをよくやるのでこいつのせいで、バイトやパートから正社員になってもすぐやめる。
なぜかと言うと正社員になったら、より一層ネチネチ口撃したりこき使うので三ヶ月以内にやめる。
あと思い通りにならん奴も、辞めるように仕向けるので迷惑千万だった。
客がレジで裸銭10万をポケットに入れてたが金が無くなったと騒いで、レジ打ちが金を盗んだと罵倒してた時現場にいたが、知らんふりしていたので従業員の一人が対応して自腹で金を払う羽目になったり(だからその人はその後やめた)とか無責任にもほどがある。
個人的には、口撃で病ませた癖に障害者を使ってやってるとか抜かすのが許せん。
36歳 女性のストーリー
わたしが大学生時代に、卒業するためにはゼミに所属して単位を取る必要がありました。そこで、二個隣のゼミに気になる先輩ができました。その先輩を何回か話すうちに意気投合して付き合うことになりました。周りにはいわないでもいつのまにか周りに知られればいいなとお互い思っていて、穏やかにすごしていました。私と同じゼミで同級生の女の子から付き合っているのか聞かれたので、付き合っていると話したら、応援してくれるということでゼミにはいるまではあまりはなしたことがなくても話すようになり良い子だなと思っていました。彼氏と喧嘩して、あまり会えないといったら親身に聞いてくれて、そこで終わると思ったらその日のゼミの飲み会で、その女の子は私たちのことをネタにしました。いままでずっと話を聞いたらLINEでネタのように話していました。人としてどうなのかと思い腹が立って仕方がない出来事です。
46歳 女性のストーリー
以前働いていたスーパーの店長が許せない。
個人的に、モラルハラスメントで病んでしまって仕事をしてもストレスで能率がますます悪くなっているのに、よりモラハラするので迷惑千万だった。
病ませた自覚が全くなくて、障害者なのに使ってやっているとか抜かして、孫から「老害死ね!」と罵られろと今でも時々思う。
こいつは、店長のくせに責任感がなくて、客がレジで10万無くなったと騒いでバイトをなかせていた時その場にいたのに、知らん顔していた。
だから正社員が対応して、その当たり屋的な客に自腹で金を払ってその後その人辞めたし。
つかこのクソ店長、気に入らない奴はモラハラするやつで、特に正社員によくやるので正社員の離職率が9割を誇っていた。
従業員の堂々と勤務時間を捏造するし、恩着せがましいこともしょっちゅう言うクソだったし。
42歳 男性のストーリー
ここ最近、あおり運転やその結果の口論や喧嘩などのトラブルが注目されている。
私もなるべくトラブルには関わりたくないのだが、一度だけ相手に文句を言ったことがある。

スクーターで橋の上を走行中、赤信号のため前の車列が停車していた。
車列に合わせて停車するために減速したところ、後ろを走っていたワンボックスカーが無理矢理スクーターの前に入って来た。

スクーターに乗っている生身の体からすれば、ワンボックスカーの車体は凶器でしかなく
、急な割り込みは暴力のように感じられた。

一度も交通トラブルで文句を言った事がない私だが、どうしても許せない気持ちになり運転手に文句を言った。

私が「危ないだろう」と声をかけると、注意されると思っていなかったのか女性はびっくりして目を見開いて固まってしまった。
35歳 女性のストーリー
ずばり、彼氏の浮気です。
同棲を始めてすぐ、彼氏の浮気が発覚しました。バイト先の子でした。
発覚したその日私は熱が出て寝ていたのですが、「今日は後輩と論文書きにネカフェに行くから。」と言われていました。しかし、約束の時間まで時間があり過ぎたのか、彼氏も私と一緒に寝てしまっていました。彼のケータイの着信音で私の方が先に目が覚めてしまい、ふと見ると知らない女の人から、「今日行くんでしょ?」と。それからメールを見てみると、その子とのやり取りが出て出てくる・・・私は頭が真っ白になり、家を飛び出していました。それからしばらくの記憶がないのですが、そうやら彼氏に連れ戻されたようです。
それから私は男の人の「愛してる」「お前だけだよ」の言葉は信用しないことにしました。信じていた分、裏切られたときのショックが大きすぎたので・・・

今現在、その彼氏は旦那となっていますが、一切信用はしていません!

「嘘みたいなほんとの話」

27歳 女性のストーリー
私の母は昔から天然です。塩と砂糖を間違えたり、いい間違いをするのは日常茶飯事でした。私が学生時代のころ、送り迎えを車でしてもらったときのことですが、帰り道によく行くスーパーへ買い物に行くことになりました。そこの駐車場は、駐車券を車の窓から手を伸ばして取ってから入っていくよくある駐車場だったのですが、母は、窓を開けずに勢いよく腕を伸ばし手を窓ガラスに激突。しかも窓を開けてないことに気づかずにもう一度アタック。指を骨折してしまいました…。幸い軽症ですんだのですが、私も一瞬何をしているのかわからず、注意できずに固まってしまいました。もうだんだんと歳も取ってきた母。今も変わらずかわいらしい母ですが、けがをするような天然だけはやめてほしいものです。
33歳 女性のストーリー
大学時代に付き合っていた彼氏は社会人でした。付き合って半年くらい経った頃、束縛がひどく嫌になってきていました。そんな時に久々に中学時代に好きだった同級生と偶然会い一緒にご飯へ行くことになりました。約束した当日、バイト上がりにそのまま待ち合わせ場所まで行こうとしたらバイト先まで彼氏が迎えに来ていました。そのため今から同級生と4人くらいで食事に行くと伝えた所、彼が待ち合わせ場所まで送っていくと言いました。私は内心まずいなと思いながら送ってもらいました。よかったことに同級生はまだ来ていませんでした。彼にお礼を言い帰ってもらいました。そして、同級生と二人で食事に行きました。久々に会った同級生は、なんだかナルシストになっておりなんで好きだったのかわからなくなってしまいました。
後日、彼からその日に同級生と二人で会っていただろと問い詰められその同級生の名前まで知っていました。私は全て正直に話し、彼に申し訳なかったことを伝えました。
なぜ彼が全てを知っていたのか不思議でたまりませんでした。真相は、彼の職場の同期が偶然、その同級生と知り合いで、私の名前を出し二人で食事をしたことや彼と別れそうだから私と付き合うことになるかもなど話したそうです。
ほんとに世間は狭いと改めて思った出来事でした。
51歳 女性のストーリー
主人の仕事で地元を離れ、慣れない土地での出来事です。
固定電話の番号がどこかの施設と似ていたのか、毎日と言っていいほど間違い電話が多かったのです。
その日も間違い電話だろうと電話に出たら、相手は年配の女性でした。
でも、いつもの間違い電話とは様子が違ったんです。
その年配の女性は気が動転している様子で「お父さんが、お父さんが息してないみたいなんだけど・・・どうしよう・・・どうしたらいいか・・・お父さんが・・・。」と、しどろもどろでした。
こちらの受け答えも全く耳に入らない様子で、ともかく間違い電話だということを伝えました。
そして、落ち着いて救急車を呼んだ方がいいとも伝えました。
そう伝えると電話がいきなりガチャンと切れました。
その後、どうなったのか分からず、数年経った今でも気になっています。
30歳 女性のストーリー
大学生の夏、母だけ予定が合わず、私と父の二人だけで墓参りに行ったときの話です。
自転車で20分、肝心の墓地に着いた瞬間、まさかの父から「うちのお墓はどれ?」と聞かれてしまいました。父は私が知っていると思い、私は父が知っていると思っていたのです。というのもいつもは母がいるので、二人だけなんていうのは初めてだったんです。二人とも墓参りだけだから、と携帯を置いてきたので聞ける人もいません。慌てて二人で「あっちじゃないか」「いや、ここら辺じゃないか」と炎天下の中、墓地を走り回りました。
そのとき、ふと背後を振り返ると、道にお墓の花瓶が倒れ、中の花が飛び出してしまっているのが目に入りました。私は「探すのに夢中で倒してしまったに違いない」と顔面蒼白になりました。慌てて元に戻し、花瓶に水を入れてあげようと顔を上げると、驚いたことにまさに探していた我が家のお墓でした。
何度も目の前を通りすぎる私たちに、ご先祖様がしびれを切らして「ここだよ!」と教えてくれたのかもしれません。
50歳 女性のストーリー
私がオーストラリアの北部の亜熱帯地域を旅した時の話です。

その日は、ボートで渓谷を巡る1日ツアーに参加しました。ボートに乗る前にトイレに行っておいてくださいとツアーガイドさんに言われ、私はトイレに行きました。個室が2つあった中の1つに入り、洋式便器の蓋を開けると、そこにはサッカーボール大ほどの大きさの真緑のカエルが鎮座していました。ちょうどトイレの水のたまっていない場所に張り付くのにぴったりの大きさのカエルでした。

あまりにもびっくりした私は声を上げることもできず、秒速で蓋をしめ、どうしてもトイレには行っておきたかったので、もう1つのトイレで一目散に用を済ませ、同行者のところにもどってから「カエルがいたの~!!」とやっとのことで叫びました。

あまりにも大きく、きれいすぎるぐらいきれいなグリーン色のカエル。あんなところにいるものなの?あれは幻だったのではないかとたまに思います。でも実際あの地域はそういう大きなカエルがいることで有名なのです。
39歳 女性のストーリー
私は生まれつきずっと猫背で悩んでいました。自分ではまっすぐな姿勢を心がけているつもりでも周りからは口うるさいくらいに猫背と言われ、努力も認めてもらえず、とても辛かったです。特に高校時代、年に1回の健康診断では毎年、耳鼻咽喉科の先生から猫背であることを原因に診断が終わると突き飛ばされて非常に嫌な思いをしました。そんな私が猫背の矯正を決意したのは、今から10年ほど前に知人から姿勢が良くなると心が前向きになるという話を聞いた時でした。姿勢がしゃんとするだけでメンタルが強くなればラッキーだなと考えた私はバスで通える圏内にある整形外科を受診。担当医の先生の指示により、理学療法を何度か受けた結果、見事に猫背が直りました。それだけでなく、高校時代の身長は164cmだったのが、姿勢矯正によって今では3cm伸びて167cmに。生まれながらのコンプレックス克服に力を貸して下さった整形外科の先生やスタッフの皆さんに心から感謝しています。
42歳 男性のストーリー
毎日電車で通勤しています。通勤時は大体同じ時間なので周りの乗車する人も同じ人で乗る車両も大体同じ車両に乗ります。その時、可愛い女子高生と毎日同じ時間、同じ車両に乗っていました。相手が気づいているかわかりませんが、こちらは相手が可愛い女子高生なので気にはなっていました。何年が経ったある日、いつもの同じ駅、同じ時間で電車を待っていると、その子と同じ学校の制服を着ていた女子高生が目の前に後ろ姿で立っていました。1人の女子高生が後ろを振り向くと、きつもの可愛い女子高生でした。となりの女子高生も振り返るとその子の顔もいつもと同じ女子高生。毎日見かけていた女子高生は双子のようで見分けがつかないくらいそっくり。おそらく同じ女子高生ではなかったと思います。可愛い同じ女子高生が2人立っていると流石にびっくり。その数ヶ月後、また目の前に可愛い女子高生と同じ制服の子が経っていました。振り返るといつもの可愛い女子高生。となりの私服の女性も振り返るとその子の顔も可愛い女子高生と同じ顔。どうやら2人は双子ではなく姉妹のようでした。それにしては双子のようにそっくりで未だに見分けがつきません。でも、来年からはおそらく2人の私服姿が見られるような気がして、今から楽しみにしています。
48歳 男性のストーリー
 私、今年の1月20日に、幽霊を見たんですよ。生まれてはじめて。驚きましたねー。
 JR新潟駅の構内。万代口東通路の少階段のある曲がり角。朝早い時間でした。白人女性型の、幽霊なんでしょうねー。ほんとに脚がないんですよ。足首の辺りから先がありませんでした。
 そこにいるわけではなくて、3Dでもないんでしょうね。亜空間違いなんでしょうか。そこに、光のような、魔法性質というんでしょうか。そういったものが、あるような気がしたんですね。
 顔はわかりませんでした。ただ、白いドレスを着ていたような感じでした。「見た」と言っても、「見えた」部分がある、ということなんですね。身長は、188.3センチという感じ。脚があれば、の話ですね。
73歳 女性のストーリー
これって一体誰のお通夜?
約二十年前、職場の同僚のお義父様のお通夜にお参りする事になりました。
場所も分らないまま出発!目的地付近に着くとお通夜らしき明かりが見えてきました。 受付でお香典を手渡し、記帳、ご遺族と思しき人たちに丁寧に挨拶を交わし会場へと入りました。
しばらくして一足遅れてきた同僚が「会場の看板に女の人の名前書いていたけど、ここでいいのかなあ」皆全員目が点になりました。恥ずかしさで一杯になりながら我先にとこそこそと抜け出しました。
勇気を出し?丁寧にお詫びを申し上げお香典も返して頂きました。
皆、車に乗り込むや不謹慎にもこらえきれず誰はばかることなくワハハ、ワハハと大声で笑い転げました。
それから更に車を進め、ようやくお通夜会場らしきものが眼に入りました。今度は慎重に確認しようやく中へ入りました。同僚に会うや挨拶もそこそこに今経験したことを暴露、皆思わず吹き出し厳粛な筈のお通夜も異様な雰囲気でした。皆笑いをこらえるのに必死でした
23歳 女性のストーリー
 LINEが普及し、現在のようにID検索に制限がなかった時代がありました。その当時私は高校生になりたて、世の常識も分からず、中学の頃から欲しかった携帯をようやく手にして有頂天になっていました。
 LINEをやっていると知らない人からメッセージが来ていました。常識で考えれば、無視もしくはブロックするのがトラブルの元にもなりませんよね。ですが、当時の私は好奇心旺盛なうえに一般教養に欠けており、知らない人からメッセージがきても普通に返信し、連絡を取り合っていました。
メッセージを送ってくる人は、なぜか最初は卑猥な話をするので、なんでこんな人たちばかり来るんだ??と疑問すら抱きました。どうやって自分を見つけたのか聞くとID検索だと言われ、どういうことだ??と不思議に思っていれば、自分が登録していたIDがみごとに卑猥な言葉で構成されていたんです(笑)
もちろん、狙ってしていたわけではないので驚きに驚きました。その当時のID由来は、双子のニックネームから取ってきたようなものだったので、まさか卑猥系で解釈されるとはだれも思わないじゃないですか(笑)
このIDのおかげと言っていいのか分かりませんが、普通であれば知り合うはずのない人と関われたのは良き思い出に(笑) それから、噓だと思われそうですが、1人だけリアルでも繋がりを持ち付き合って別れた今でも、よき理解者、よき友としての交流が続いています。
だからといって、知らない人と連絡取り合ったり、会ったりするのはトラブルの元なので気を付けてくださいね。
38歳 女性のストーリー
宝くじのエピソード。一時期、ナンバーズを、当てようと地道に、宝くじ売り場に、行っていた。ある時、私の前に居たマダム(決して派手な成金という感じではなく、しっとりとした艶やかな年配の奥方)が、私に向かって一言。
「あなた、いいわね。もうすぐ来るわよ」
そう言い残し、マダムは颯爽とお買い物へと消えていった。ぽかーん、だった私は、何のこっちゃない、いつも同じ車のナンバーばかりで、挑戦していただけ。今の人、変わった人やったなぁ…ぐらいの感覚だった。そして、いつもの様に、いつものナンバーを書く。もう既に何連敗だろうか。それでも、自分の車のナンバーを信じた。ナンバーズ4の四桁に祈る。それから、当選番号発表が来た。嘘だ。まさか、自分の書いた車のナンバーが当選番号ではないか。まるで、あの時、全てを見透かしていた様な、マダムの言葉が脳裏によぎる。本当に、こんなことあるんだって、あの時は、驚いた。 
33歳 男性のストーリー
数年に1回大きな事故に遭います。
小学生の時から事故に遭い始め、最後は交通事故まで経験しました。

ここ10年以上身体的な事故には遭っていないのでこの先が不安です。
また、規模も年々大きくなっていっているので、交通事故より大きな事故は何なのかという不安にも駆られます。

幼稚園前:網戸に寄りかかっていたら網戸が破れ、顔面強打。
幼稚園:火打石の様に石を持って石を叩いていたら親指を挟み大量出血。
小学生:金属バットが頭にあたり、病院送り。
中学生:部活中に他生徒と衝突し、相手の歯が目元にあたり病院送り。
大学生:居眠り運転の正面衝突で、病院送り。

兄妹家族併せて6名ですが、私だけがそういった経験をしています。
お祓い等の経験はありませんが、そろそろやってみようかな。とも思います。
31歳 男性のストーリー
僕のおかんの話です。
妹が家でチーズをこぼしてしまい、妹が家の掃除機で掃除。
そしてそっからまた掃除機をかけたらめちゃくちゃチーズくさく、おかんにこのチーズくさいのはいやだどうにかしてくれというと
わかったとおかんが。
そしてどうするかと思うと、その掃除機を持ってきてその掃除機の蓋をあけてその掃除機のホースですいはじめたのです。
エンドレスです。
常にチーズが掃除機の中を回っています。
そんなアホすぎるおかんですが、
最近もアイス入ってるからたべというたら、冷蔵庫を探したり
クーラーをかけながら窓を全開にし、暑い!!!とかいうたり
そんなうそみたいなあほなおかんです。
そんなおかんでも一人の親なので大切にしたいと思います。
34歳 男性のストーリー
マッチングアプリを利用していた時にある女性と出会ったのですが、その女性が私と出身地が一緒で、尚且つ出身高校も同じでした。私には3歳年下の妹がおり、妹も同じ高校の出身なのですが、その女性は私の妹の同級生で、妹とも面識がありました。また、私の実家は自営業をしているのですが、その女性の実家も自営業をしており、その自営業の業種も同じで、私の実家の事も把握しておりました。元々は服装の趣味や生活リズム等が合うために仲良くなったのですが、それを知った時にはあまりに共通点が多くて驚きました。マッチングアプリと言うと普段出会わないような女性と出会うものだと思っていましたが、まさか自分の実家の事まで把握している女性と出会うとは思いませんでした。その女性とは今でも交流があり、その時の事を振り返り、「奇跡の出会いだった」などと話をしながら仲良くしています。
41歳 女性のストーリー
夫の趣味が錦鯉を飼うことで、インターネットで錦鯉を購入したんです。
するとクロネコから電話がかかってきて「水が漏れているので、今すぐに行きます!」と言われ、ずぶ濡れの段ボール箱を持ってきました。
夫は留守中で私しかいなかったのでクロネコさんと二人で池のほとりまで段ボールを運び、その場で開封して鯉の生死を確認しました。段ボール箱の中には水と空気を入れて縛った状態のビニール袋の中に錦鯉が横倒しになっており、クロネコさんに「どうしますか?」と言われたので袋から出して池に入れてもらいました。
鯉は無事だったんですが、クロネコさんに魚を池に離すと言う関係のない作業まで当然のように手伝わせて迷惑をかけました。生き物も宅急便で届くんだなと驚いたものです。
41歳 女性のストーリー
高校生の頃自分で耳の上部にピアスを開けようとして氷で冷やして安全ピンを刺して抜いた後、「ポタッポタッ」という音が聞こえてどこから音がしてるのかなーと呑気に思いながら鏡を見たら自分の耳から血が滴ってる音でした。
音にして聞こえるぐらい滴ってるって嘘だろう…と当時は思ったものです。
なかなか血が止まらなくて焦ったけれど病院に行くほどではなかったので良かったです。
上部に穴開けたかったのですが、軟骨があって無理やり安全ピンを刺したのが悪かったみたいで、血管を突き破ったみたいです。
どうしてもピアスを開けたかったので違う場所に開けて自分を納得させましたが、あれ以来ピアス開ける度にドキドキする羽目になってます。
これが私に起きた嘘みたいなほんとの話です。
64歳 男性のストーリー
50歳を超えるまで野球ばかりやっていた私が、脳出血で野球が出来ない体になり、今まで全国大会出場を目指していた野球もこれまでとあきらめていたのですが、仲間が頑張って北海道代表になり全国大会の出場権を獲得、それも、全国大会はあの、あこがれの阪神甲子園球場、私も、久々にユニホームを着て、杖を頼りに阪神甲子園球場のベンチに入ることが出来ました、あこがれていた阪神甲子園球場はテレビで見るのと同じ大きな球場でした、そこでなんと全国一になったのです、若いときからあこがれていた全国大会出場、それも阪神甲子園球場で全国一になるなんて、奇跡の様な出来事でした。私の野球人生に思い残すことはなくなり、これからはのんびりと仲間の野球の応援に励みたいと思います。
22歳 女性のストーリー
以前付き合っていた彼氏の話です。半年も経たないうちに別れを切り出されました。私から告白した相手なのであきらめきれず、理由を問い詰めました。
はじめは言葉を濁していた彼でしたが、やっと白状した理由がなんと「今付き合ってる彼氏がいるから」とのことでした。しかも、相手は公立高校の男子高生。もう関係も持ってしまったとのことで、あまりのことに衝撃を受けました。
責任を取ってどちらかを切ることに決めたとの言い分ですが、私のことは責任とらないのかとか、責任を取ったところで成人済みの男が相手の両親にどう説明するつもりなのか、など疑問が湧き上がりました。
ところが、話を聞いていくと、相手の両親は二つ返事で応援したそうで、私としてはそっちの方が驚きでした。むしろもともと付き合っていた私の方が邪魔者扱いです。
本当に不思議なこともあるのだなぁと感じた実体験でした。
72歳 男性のストーリー
嘘みたいな本当の話です。
高校を卒業して就職した会社を3ヶ月で退職して放浪の旅に出ました。お金はほとんど持っていませんでしたが、所謂住み込みの求人広告を見て京都の中華料理店でホール係や皿洗いの仕事をしました。先の事は何も考えていなかったので、面白くない事があって1ヶ月でやめて大阪へ行きました。
この時もお金は持っていません。特に当てもなかったので御堂筋をブラブラ歩いていました。淀屋橋のたもとで自分は行き倒れで死んでしまうかもと思ったくらいでしたが、麻雀荘の貼紙でホール係の募集に飛び込み採用されました。住み込みとはいえ最初の給料をもらうまでとても苦しい思いをしたことを覚えています。仕事自体は楽なものでしたがメンバーが足りない時、麻雀をさせられ疲れました。色々面白い事があったのですがここも2ヶ月くらいで辞めて東京へ出ました。
大田区の酒屋さんで住み込みで働く事になりました。自転車で酒やビールを配達するのは結構大変でした。ここでも飲んべえの旦那さんや奥さんによくしてもらったのでが、
お正月になり急に里心が出てきて家に戻りました。
今考えてみるとよく無事で帰れたものだと思います、古き良き時代の話です。
37歳 男性のストーリー
僕の母親の話です。僕が小さい頃父親が母親のものを質入れしてから人間不審になりました。その結果学校に行く時かばんの中身を調べられ裸にされ何か外に持ち出ししないか確認され毎朝学校に行くまで1時間その作業をされました。友達を家に呼んだら友達のかばんの中まで調べて友達を失いました。休日も外出する時は同様の行動をとられました。それを見ている父親も見て見ぬ振りをして精神科を受診させませんでした。母親からすれば罪の意識はないと思いますが僕にとってみれば小さい頃にそんなことをされ大きな傷になりました。今思えばそれ程の恨みはありませんが子供を教育する親がそのような虐待を行うことは辛いものです。しかし病気であることは間違いありません。
38歳 女性のストーリー
当時3歳の息子とは良いことをすると必ず神様が見ていて良いことが回ってくるんだよという話をしていました。だから悪いことをしたら悪いことが戻ってくるよということを教えたかったのです。
2人目が欲しいなぁと考えていた頃でした。デパートに息子と買い物中、足元に何か落ちています。1000円札でした。本来の私なら、ラッキーと思いそのまま拾っていたでしょう。しかし、その時は店員さんに届けなきゃいけないという強い意識が真っ先に来てすぐに店員さんへ届けました。息子も落とした人見つかるといいねといいながら、なんだか気持ちがぱあっと明るくなり帰宅しました。
それから半月ほどして、なんと2人目を妊娠したのです。なかなか出来ずにいた私は本当に驚きで、あの時きちんと届けたことを神様は見ていたのだろうか。もし届けずに自分のものにしていたら今頃は、、と思うと因果応報はやはりあるのだなと思いました。
19歳 女性のストーリー
小学生のころ、学校のブラスバンドに所属していたのだが、ある日音楽室から体育館に打楽器をを運ぶ時間があった。同じパーカッションパートの友達と仲良く談笑しながら鍵盤打楽器を押し廊下を移動していたのだが、話がひと段落ついたところで二人とも話すことがなくなり無言の時間が。
しかしお互い無言でも気まずくない関係だったため無理に話をしようとしなかった。
私は特に何も考えずなんとなく歌をくちずさんだのだが、そこで驚きの展開。友達も全く同じ歌の全く同じところを全く同じタイミングで口ずさんだのだ。
私も友達も「え!?今のすごくない!?」と大興奮。
今でも顔を合わしたらときたま「あれすごかったよね」とその時の話をします。
36歳 女性のストーリー
時が戻ったことがあります。
小学校5年生のお盆の時でした。
その前の年に亡くなった親戚の家に行き、親戚が集まって話しているのを退屈に過ごしていました。
キュウリの漬物を食べたり、麦茶を飲んだりして、「早く帰りたいな」という事ばかり考えていました。
時計を見ると10時55分で、「お昼までも時間があるな」と思っていました。それから5分位が経ちました。すると、先ほど聞いた話をまたみんなでし始めました。
最初は「また同じ話をしている」と思いましたが、そんなレベルではなく、おじさんが話す、おばさんが話す、祖母が話す、うなずく、一語一句変わらず、全く同じことが繰り返されていることに焦りを感じました。
「このまま時がずっと繰り返されたらどうしよう・・・」時計を見ると10時55分。
時計が止まっているのかと思いましたが、進んでいます。
それから過ぎたはずの5分間を、私は時計をじっと見つめて過ごし、やっと聞いたことのない会話に入ったときには安心しました。
でも、どうして意味のない5分間が戻ったのかが不思議でたまりません。
41歳 女性のストーリー
子どもの小学校には地域毎に子ども会というものがあります。子ども会の運営は保護者が順番に役員をして当たっています。だいたいは高学年保護者がそれにあたります。ここまでが前提です。

子どもが二年生だった頃、近所のスーパーの前でA地区に住む知り合いと立ち話をしていました。そうすると向こうの方からぞろぞろと女の人1人を先頭に6人ほど纏まってやってきました。知らない人たちなので特に気にしなかったのですが、なんというか誰1人しゃべる事なく列をみださず歩いてくる様がちょっと変な集団だなと思ってちらちらと見てました。

その集団がなんと私たちの前にきたらピタリと歩くのを止めてこちらをじっとみました。(見すぎたかな?)と思って心配していたら、知り合いが集団の先頭にいた人に軽く会釈をしました。「えっ」と思っていると先頭の人がくるりと後ろを向き後ろの人たちにうなずいて見せ、今度は私を品定めするように見回し、また後ろへ頷き、会釈をして去っていきました。

なんだあの集団はと思ってポカンとしていたら知り合いがぼそっと「うちの地区の子ども会の役員さんたち」と一言いました。

白い巨塔というドラマを思い出しました。因みにうちの小学校はお金持ちが多い私立とかではなく、たいしたことのない公立です。
37歳 女性のストーリー
私は昨年結婚したのですが、主人と初めて出会った瞬間に、あれ?私この人と多分すごく仲良くなると瞬時に思いました。
実際に話していると全く同じタイミングで同じ言葉を言ったり、連絡を取ろうとするタイミングが本当に同時だったり、同じ鼻歌を知らない場所で同じタイミングで歌っていたりと、やたらとシンクロすることが立て続いていました。
もちろん、そんな状態なので、出会ってからは仲が良くなる一方で、必然的にこの人と結婚するんだろうなともすんなり理解できました。
20年前ほどにも、初対面でこの子と仲良くなるなと瞬時に何か感じるものがあった同性の子がいましたが、その子とも今でも大親友です。
ソウルメイトには出会った瞬間に何か感じらものがあると聞きますが、その瞬時に、あれ?と感じるのが私にとってまさにそれなんだと思います。
26歳 女性のストーリー
それは、私が高校3年生だったとき、ある冬の日の夜に起きました。
私は当時電車通学をしていて、高校と駅の間の距離は15分くらい自転車移動でした。
私の高校は進学校で、学校が終わるのが18時くらいだったので、冬はかなり帰りが暗くなっていました。

帰りのホームルームで校内放送があり、いつも通学時に自転車で通っていた道で不審者が目撃されたと知らされました。
友達と「○○が通る道じゃない?」、「いや、不審者て○○なんじゃない?」などとふざけていました。
私はやはりちょっと怖かったので、その日の帰りは別ルートを通ることにしました。
そして自転車をこいでいたとき、ある駐車場を通り過ぎるときに、途中でなぜかたまたま自転車をこぐのをやめ、一度足を付きました。
その時なぜそこで止まったのかは、今でも覚えていません。

止まると左側(駐車場の方)に何かがいるのが見えました。
そちらを見ると、そこには何羽ものペリカンがいたのです。
大きなペリカンだったので、その姿をはっきりと見て取れたし迫力がありました。
暗い中、目が光っていて、でもペリカンの大きな頭と大きな嘴、そして大きな下あごははっきりと見て取れました。
羽ばたいていて、しかも一羽ではなく何羽もいたので、ぎょっとしてしばらく思考停止したまま動けませんでした。
別に襲われたというわけでもないのですが、怖かったので急いで再び自転車をこぎだして帰りました。

ペリカンたちは消えたりはしなかったので、確実にそこにいたのですが、今思い出すとかなり不思議な実体験です。
52歳 女性のストーリー
13年前、体調が悪く婦人科に行きました。
そしたら、妊娠していました。
これからもう一人増えると思うと楽しみでした。次の検診に行くと先生が険しい顔をしてます。私は、癌のステージⅢでした。
子どもは諦めて手術しましょう。
と言われました。目の前が真っ白になって気づいたらお腹の赤ちゃん助けてください。
私に癌を知らせにきてくれたのに殺すなんて出来ません。と先生に土下座してお願いしてました。先生も、困った様子で妊娠中にステージが上がったら即手術を受けるなら様子を見ましょう。薬を飲めないし、いつ癌が悪化するかヒヤヒヤしながら過ごしました。無事、臨月で出産し、癌もステージⅢで全摘しました。まさに、命懸けの出産でした。
23歳 女性のストーリー
中学から6年間刑務所なみの学校で寮生活をしていた。
ダウンタウンの浜田がいた学校に通っていた。
昔よりはだいぶ落ち着いたがまだまだ昔と同じような学校で私がいる時、学校で先生が自殺して警察や救急車が来たり、脱走者も多くて、先生の暴力や理不尽な振る舞いも多かった。
給食もなにを食べさせられているのかが分からない飯だった。お皿をひっくり返しても固まってて落ちないレベルで固まっていて気持ち悪かった。お茶に関してはポットから大量の虫がでてきたり。1回校内でO157になった人がいて食堂が閉鎖になってご飯がお弁当だった時期があり、給食の会社も変わって美味しくなるかな~と期待したが結局同じだった。
人生の中で、自分がいる学校で先生が自殺して警察が沢山いたことは夢のような現実だった。

「学校や仕事をサボってやったこと」

25歳 女性のストーリー
学校に行くのが嫌だな〜めんどくさいなと思っていた時がありました。その頃は高校に行くふりをして家をでて、地元で学校をサボっていかないような友達がいたのでその子とよく遊んでいました。朝、その友達の家に行って制服のまま遊びに行っていました。自転車で近くのショッピングモールに行ってたまっていた気がします。お化粧をして、当時でいうとギャルメイクをしてプリクラを撮るのが日課になっていて、プリクラを撮るためにお化粧を毎日欠かすことなくしていました。それがとても楽しくて、いつかはアパレル関係の仕事をしたいなと思っていました。その友達とは毎日のように会っていて、たまに学校にお互い行くのですが、帰りに会ったりして会わない日はないのではないかというくらい仲良しでした。そんな友達と過ごした時間が楽しかったです。
22歳 男性のストーリー
推しの好きなグループのライブがちょうど祝日の授業日とかぶってしまいどうしようかと悩んでいました。しかし、好きなグループですし、推しが最も輝いている瞬間は今しかない、またライブのグッズも欲しいと思い、授業を午前中で帰りライブ会場に行くことを決意。事情のわかる友人に授業のプリントやアリバイ作りを頼み、全力でライブを楽しもうと思って会場に向かいました。ライブのグッズに関しては、残念ながら並ぶのが間に合わず売り切れてしまいましたが後日事後通販で全て買いました。
結果的にそのライブは成功しましたし、推しの輝く姿を自分自身の目で見れたことはとても嬉しかったです。そして何よりも、自分の意志でチケットを取ってまで行った初めてのライブがとても楽しかったので、多少授業に欠席がついても人生において必要なものだったなと思います。
37歳 男性のストーリー
私は仕事をサボって、喫茶店+スーパー銭湯で過ごしました。
仕事場には「私用があってお休みさせて下さい」と伝え、会社に行くふりをして家を出ました。1日丸々予定がない時間をつくり、日頃のせわしい喧騒を離れたゆっくりした時間を過ごしました。
午前中の喫茶店ではモーニングを食べながら、お店の新聞や雑誌を読書したり、ケータイいじりをしていました。周りはご年配の方々ばかり…。お店の客層から見るとかなり浮いていたかもしれませんが、気ままに過ごしていました。
午後はスーパー銭湯でサウナと水風呂を繰り返し体のデトックスに努めました。サウナで放送されているテレビは昼間のワイドショー。日頃放送を見ることないテレビ番組を見て優越感に浸れました。
日頃の溜まっているガスを抜くためにまたしたいなと思いました。
27歳 女性のストーリー
学校をサボって2つ駅隣の彼氏がいる学校近くまで行き会いました。
すごく会いたくて毎日でも一緒に居たかったので学校の途中で仲良かった子に
ちょっと今から帰るね何か言われても体調が悪かったみたいとでも言っといてねと言って帰りました。
次の日あれから帰ったけど何か聞かれた?と聞くと何も聞かれなかったよ多分気付いてないんじゃないと言われたので
あぁ適当なんだなぁと思いそらから何度か抜け出して電車で彼氏のところに行き会うということを続けてました。
学校を朝からサボって彼氏と会ったりもしていました。
遠かったのでサボり癖がついてしまい単位の事で呼び出された事もあります。
校則が厳しくて呼び出された事も何度もあります。
その度にサボってました。
27歳 女性のストーリー
中学校3年間、特に最後の1年の後半は殆ど学校に行かず行ってるフリをしてサボっていた。
自転車通学だったため、最初は近くのちょっとしたショッピングモールや図書館で時間を潰していたがだんだん友達のお母さんに会うことが多くなってきて両親にバレないように行かなくなった。
いじめられたとかではなく、ただ勉強が嫌いでサボっていただけで、けど家にいたら頭の固い両親が怒るのは目に見えていたし近くの公園でブランコにのって携帯ゲームをして時間を潰す日々。
ある日、老人が集まって何やらしてるなぁとチラチラ見てたら一緒にやらへんか?お嬢ちゃん学校行ってないんやろ?と1人の老人に声をかけられた。
老人達がやっていたのはゲートボール。
ルールも何にもわからない私に1つ1つ丁寧に説明してくれて会うたびに手招きされて、お茶菓子をベンチで食べたりしながら午前中は私のサボりの時間を一緒に過ごしてくれて嬉しかった。
47歳 男性のストーリー
私は、仕事をサボってパチンコやスロットルを頻繁に行なっています。

住宅関係の営業職をやっており、お客様に営業をかけるのは夕方から夜にかけての時間であり、必然的に日中は時間を持て余すことから、仕事をサボってパンチンコやスロットルをするのは状態化しています。

1日の行動は、朝9時に出社して1時間ミーティングを行なった後に10時ころ営業と称して外出します。

夕方4時頃事務所へ帰社してから、営業に出る準備をしてからお客様へ営業をしそのまま直帰するというものです。

仕事をサボるのは、10時から夕方4時ころの間であり、私にとってはパチンコやスロトッルし放題のまさに天国な時間です。

結構研究しており、それなにりに稼ぐことができておりある意味副業的な行動です。

後ろめたさがないと言えば嘘になりますし、ギャンブル依存症であると自覚していますが、時間が不定期な営業職であるので、仕事で結果を出して借金を作らなけれ特に問題ないと思いますので、このまま続けていこうと思っております!
29歳 女性のストーリー
昔からストレス耐性の低い私は、学校生活でも社会人になっても、蓄積したストレスが爆発し、現実逃避しがちになる。その時は決まって学校や仕事をズル休みし、映画館で映画を観たり、本屋に入り浸ったり、一人カラオケに興じたりし、メンタルの調子を取り戻そうとする。
泣ける映画を観て思いきり泣き、面白そうな自己啓発本を見て回ったり購入したり、友達や会社の人の前ではとてもじゃ歌えない、自分が本当に大好きな曲ばかりを声が嗄れるまで歌いまくれば、気持ちがすっきりして、「まだ自分は頑張れる」「明日から気分を切り替えてやっていこう」と前向きになれる。
社会人になってからはそれらに加えて、立ち飲み屋をはしごすることもストレス解消の一助となっている。お酒に強くはないので、まったりと飲みながら過ごしている。「職場の人たちが働いている今、私はこうして好きなお酒を飲んでいる」という優越感に浸っていることも。笑
29歳 女性のストーリー
昔からストレス耐性の低い私は、学校生活でも社会人になっても、蓄積したストレスが爆発し、現実逃避しがちになる。その時は決まって学校や仕事をズル休みし、映画館で映画を観たり、本屋に入り浸ったり、一人カラオケに興じたりし、メンタルの調子を取り戻そうとする。
泣ける映画を観て思いきり泣き、面白そうな自己啓発本を見て回ったり購入したり、友達や会社の人の前ではとてもじゃ歌えない、自分が本当に大好きな曲ばかりを声が嗄れるまで歌いまくれば、気持ちがすっきりして、「まだ自分は頑張れる」「明日から気分を切り替えてやっていこう」と前向きになれる。
社会人になってからはそれらに加えて、立ち飲み屋をはしごすることもストレス解消の一助となっている。お酒に強くはないので、まったりと飲みながら過ごしている。「職場の人たちが働いている今、私はこうして好きなお酒を飲んでいる」という優越感に浸っていることも。笑
27歳 男性のストーリー
私が新卒で入った車のディーラーに営業マンとして入った時の話です。入社して1.2年目は、覚えることもたくさんあり、2年目は後輩も多く入ってくるため、なかなか気を抜けず、休日も返上して仕事に励む日々が続いておりました。
そんな中、私が暇な時にしていたのがパチンコです。自由な時間も無く、いつお客さんや、会社から呼び出しがあるか分からない状況でしたので、お金はあるけど遠出もできない、だからパチンコによく行ってハマっていました。
そして、3年目に上がると、基本的な仕事は後輩たちに任せ、外回りに出れる時間も多くなった私は、結果も出していたので外回りと言いつつパチンコによく行っていました。
仕事をサボってパチンコをする背徳感がまた格別でしたが、最終的にはタバコを吸わない私のスーツから匂うタバコ臭を同僚に指摘され、気まずい思いをしましたので、皆さんはサボるときはもっと上手く出来るといいと思います。
48歳 女性のストーリー
わたしは、毎年11月から12月のクリスマスシ-ズンに、1日だけ平日に仕事をさぼってディズニ-シ-に行き、その年の厄払いをします。

このシ-ズンのディズニ-シ-は、まるで外国にいるような気分に・・・。
本当にそんな気分にさせてくれます。
毎年行っておりましたが、恋人といったことがないという落ち・・・(笑)

夢の国で夢のクリスマスを過ごすのが、わたしの何よりの楽しみになっています。
仕事をさぼった罪悪感を忘れてしまうほどの興奮です。

今年もまた仕事を休んでいく予定です。
すごく楽しみで、まだ9月なのにワクワクしております。

人間、そういった楽しみを持つのは、仕事のモチベーションになって良いですね~。
子どものような気持ちで楽しんでいます。

24歳 男性のストーリー
1,漫画喫茶に行く
実家暮らしだったのでサボったことがバレたくないと思い時間がつぶせて楽しめる漫画喫茶をたくさん利用していました。結果バレていたのかはわかりません。

2,地域の散歩
これは大学生の時で家からそれなりの距離があったので、定期券内の駅で降車し、その地域の散歩をして時間をかけて散策しいました。

3,友達と遊びに行く
これはいくつかありますが、登山に行ったり、カラオケやボーリングにも行きました。

4,アルバイトをする。
授業よりもたくさんのお金が欲しかったので、アルバイトを優先して行いました。

5,たくさん寝る
休日に予定が詰まっている時があり、疲労がたまっていたので休みをもらい、1日中何もしないで睡眠していました。
25歳 女性のストーリー
仕事が多忙になり、毎日終電始発でフル勤務で働いていた時のことです。このままだと体も心も全て壊れてしまうと思い、ある通勤した時に、最寄駅に着いたのにもかかわらず、最寄駅に降りずに会社へ連絡し「今日は体調が悪いので休みます」と言って、電車を乗り継ぎ、そのまま千葉の九十九里へ行き、ヒールを脱ぎ捨てて海で遊びまくりました。サボった日は、たまたま金曜日だったので、勢いで旅館に予約して温泉を3回以上はいり、懐石料理を食べて、ホテルエステも受けて心の底からリフレッシュしました。次の土曜には朝市へ行きじっくり観光しました。結局、日曜の夜には帰宅して月曜には通常の通り出勤しました。反省はしてますが、後悔のないサボりでした。
25歳 女性のストーリー
高校時代、勉強についていけなくなって、よく学校をサボっていました。
サボった日は、両親が仕事に行った後の時間に家に戻り、ひたすら動画サイトで趣味に関連する動画を見ていました。
音楽を聴いたり、クオリティの高い動画を見ている時だけ、学校で落ちこぼれている現実を忘れられました。
また、お小遣いも少なかったので、外で遊び歩くこともできず、結局パソコンしかやることがなかったのもあります。
一度ついたサボり癖はなかなか抜けず、大学でもたまに講義をサボってパソコンを見ていました。前と違うのは、大学内に自由に使えるパソコンがあるので、大学内で時間を潰すようになったことです。
さらに、就職のために通った予備校もサボり、今度はお金に余裕ができたため繁華街で遊び歩くようになりました。
そんな風だから、未だ定職につけません。サボり癖なんてつけるものじゃありませんね。
43歳 男性のストーリー
家を出るときには、元気に「行ってきま~す」と出ていったのですが、なぜか気分が乗らず、会社に「体調不良で」と嘘をつき有給をもらったことが数回あります。
街中をふらついていても、どこで誰が見ているかわからないため、密室にこもることになります。だいたい、マンガ喫茶へ行くのですが。
マンガ喫茶で、早いうちからビールとつまみを注文し、読みたかった漫画を山積みにして読みふけります。
昼飯を食べて、昼寝をして、頃合いの時間になったら退店。
会社のみんなには、少々悪い気もするのですが、明日からの仕事の充実のための栄気を養うためと自分を理解させ、リフレッシュを行っていました。
有給を取りやすい会社のため、事前に言えばOKが出るのですが、事前に取った有給よりも、こういった急な有給の方が体が休まる気がします。
しかし、翌日会社に行くと「大丈夫?」と声を掛けられたりして、少々嘘を突き通すのが大変ですけど。ま、みんなやってるでしょう、たぶん。
21歳 女性のストーリー
私は中学校の時からずっとK-POPが好きでした。その中でもKARAがとても好きでした。中学の時にあったK-POPの女性のグループでは初の東京ドームコンサートコンサートに行きたかったのですが私はお小遣いがなかったのでコンサートに行くためのチケットや交通費がなかったので応募すらできませんでした。なのでその時はDVDを買って我慢しました。高校になってバイトをできるようになったのでお金をコンサートに行くために貯めました。頑張って貯めているとKARAのメンバーの2人が脱退することが決まってそのコンサートがあるとあったのでいかないといけないと思い応募して当たったので行きました。けどそのコンサートは平日でした。なので学校があるのですが、絶対に行きたいと思ったのだ学校には熱が出ました。ただ言って休みました。けど休んで行って良かったと思います。とてもいい思い出になりました。
28歳 男性のストーリー
学校(大学)時代。
よく授業をサボってパチンコパチスロに行っていました。当時はジャンキーで学校サボってはパチ屋を4.5軒は渡り歩いていました。しかも金がないのにどこかで絶対大勝ちをすると変に夢を見てひたすら友人にお金を借りて毎日ギャンブル生活を、たのしんでいました。一時期は学生の分際で計15人から借金を(70万円近く)借りていました、卒業までに返さないとそんな思いでひたすらバイトに励みそのお金でパチンコパチスロに行き大学生活(5年間、留年しちゃいましたギャンブルの他にラッパーとして活動してろくに勉強もせず。。笑)を過ごしなんとか卒業までは借金も全額返済プラスで卒業旅行資金まで稼ぐ程になりました。
33歳 女性のストーリー
高校2年生の時の体験です。その日は校外学習で、学年全員が指定のミュージカルを見に行く日でした。
しかし、私と友達はそれには参加しませんでした。学校に学生や先生たちが居ないことをいいことに、体育館に忍び込むことにしたのです。体育館には大きなスクリーンとVHSプレイヤーがあり、友達との間で流行っていた山崎まさよし出演のドラマが入った私物のビデオを再生しました。体育館には友達と二人きり。まるで貸し切りの映画館を楽しんでいるようでした。いつ先生が帰ってくるかわからない、そんなドキドキ感で、正直ドラマの内容は全然頭に入ってきませんでしたが、そのスリルがたまらなく面白おかしく、大声で笑いながらドラマを再生したことを覚えています。
32歳 男性のストーリー
大学4年生の研究室配属されてからのことです。
朝8時半に来て、16時くらいまでいればOKという緩い部屋でした。
実習部屋や図書館など、別の場所にいてもよいので、必ずしも全員が研究室にいるわけではありません。
4年生の5月には、就職先が決まっていたので、学生生活自体にはゆとりがありました。

大学の近くに自動車教習所があったので、
教習は平日の昼間に設定し、1時間半程度、学校を抜け出していました。
行先は、図書館、調べ事と書いて、いました。
先輩には、『ちょっと図書館で論文を探してきます』と言って。。。

自動車教習所は平日の夜や土日は予約の取り合いでしたが、平日の昼間はスカスカなので、前日予約でも充分に空きがありました。
授業は夜に受けて、実技は昼間に受けて、1か月半くらいの期間で免許を無事取得できました。
44歳 女性のストーリー
遠くから友達が遊びに来てくれていたので、仕事をさぼって一緒に遊びに行きました。
友達は休職中だったので、平日に遊びに来たのです。
私は出勤日だったのですが、久しぶりに会う友達だし、今度はいつ会えるのかわからないので、仕事をさぼることにしました。
前から一緒に行こうと決めていた場所に遊びに行きました。
仕事をさぼっている罪悪感はありましたが、せっかくなので楽しもうと気持ちを切り替えました。
なかなか時間がとれずに会えなかった友達と会うこともできたし、行きたかった場所にも一緒に行けたので、よい思い出ができました。
友達も一緒に過ごせて楽しかったといってくれたのでよかったです。
案の定、それからお互い忙しくなってしまい、なかなか会えずにいます。
39歳 女性のストーリー
私が通っていた高校は進学校でありながら、出席に関してはとてもゆるかったので、時々さぼってはいろいろなところに行きました。
たとえば専門学校がやっている、平日のみの美容院。美容師のタマゴさんがカット500円、パーマ1500円の破格でやってくれて、学生でお金がない私にはとてもありがたかったです。
そして朝マック。サラリーマンが多い朝マクドナルドで一息入れてから学校に行くのは、リフレッシュになりました。
あとは当時古着屋さんブームだったので、午後から街に出て古着屋さんめぐりをしていました。雑誌に載っているお店をはしごして、安くてかわいい洋服を見つけることがとても楽しかったです。今思えばもうちょっと真面目に授業に出ておけばと思うこともありますが、息抜きの方法を身に着けることができたので、大人になってから役立っているような気がします。
33歳 女性のストーリー
私が学校をサボってやったこと。
ものすごくありがちですが、学校をサボってディズニーに行った事でしょうか。
当時、専門学校に通っていたのですが、学校に行く振りをしてバイト先の友人たちと舞浜で待ち合わせをして1日ディズニー堪能してきました。
自分で言うのもなんですが、わりと優等生だった私としては非常にドキドキしたのを覚えています。
学校の人間関係にちょっと嫌気がさしていて、気の合うバイト先の友人達のサボっちゃいなよ誘惑にうっかり乗ってしまったといいますか、私としては本当に初めてのことでだいぶ勇気が必要なサボりだったのですが。それが逆に良かったのか、あれこれ考えすぎていた部分があったのかおサボりディズニー以降色んな事が吹っ切れたのか人間関係で悩んでいたのがバカらしくなり、どーでもいいやと開き直る事とができました。学校だけが全てじゃないし、逃げてもいいんだと思えたきっかけです。社会人になってさすがにサボりはしませんが、仕事の合間合間で息抜きを覚えれたのはたぶんディズニーおサボり事件があったからかなと、結果的に良かったと思っております。
19歳 女性のストーリー
とても悲しいことがありとてもじゃないけど学校になど行ける気分ではなかったので、もともとその日は休みだった友達といっしょに買い物に行きました。
今までサボりなんてしたことがなく、母もそういったことには厳しい人なので買い物の途中で母のママ友である友達のお母さんなどに会わないか最初のうちはビクビクしていましたが、友達と学校をサボっておしゃべりをしているというドキドキ感と楽しさで罪悪感はだんだん薄れていきました。
学校をサボった理由の悲しいことも友達と共有しているうちにだんだん落ち着いてきたし、たくさん泣いてスッキリできたのもいい思い出です。
そのときに友達とおそろいで買ったバングルは今でも大切な宝物です。
44歳 男性のストーリー
学校や仕事をサボってやったこと。
競馬をやりました。地方競馬は大きいレースが平日に行われることが多いのですが、どうしても競馬場に行きたくて、仕事をどうするか、ギリギリまで悩んで、仕事をサボろうと決意し、当日の朝、すごく具合悪いような声の調子を作って、職場に電話し、ずる休み!いざ、競馬場へ行くと、1レースから大荒れで、全く当たらず、お金が減る一方、楽しみにしていたメインレースも外れ、残すは最終レース。これまで全敗で、最終レースに望みをかけ、本命ではないけど大穴でもない中穴程度の買い目で、帰りの電車賃以外を賭け勝負に出ました。すると、それが見事に・・・大外れ!結局、仕事をサボって賭け事してもダメだなーと感じました。反省しています。
26歳 女性のストーリー
1年前の夏の出来事です。
当時勤めていた会社は残業が多く、日付が変わってようやく帰ってこれる、という毎日でした。些細な疲労が積み重なり、その日わたしは盛大な寝坊をしてしまいました。目が覚めたときにはとっくに家を出て、オフィスの近くを歩いているような時間だったのです。
すぐに遅刻の連絡を入れ、職場に急ごうと思ったのですが、電話がつながる数秒のうちに魔がさしてしまいました。わたしは「風邪を引きました」と嘘をついて、はじめて仕事をサボりました。
わたしの家は比較的都心部にあり、一歩大通りに出ればオフィス街が広がっています。その通り沿いに、以前からずっと気になっているハンバーガー屋さんがありました。グルメ雑誌に載るような有名店なのですが、それゆえに休日は行列ができてしまい、近所だというのに一度も入ったことがなかったのです。
お昼前、まだランチにでかけるOLもいないような時間に入店して、ひとりでアボカドハンバーガーを食べました。ファーストフード店のものとはまるで違う、ジューシーなあらびき肉からたっぷりの肉汁がこぼれました。窓から見えるのは小走りに駅に吸い込まれていくスーツ姿のサラリーマンばかりで、そんな中でサンダルばきにすっぴんでかぶりつくハンバーガーは、ほんとうにおいしかったです。
会社には絶対に言えないけれど、仕事をサボってよかったな、と思ってしまう一日でした。
22歳 女性のストーリー
学校に行きたくなくてサボった時は、両親にもばれたくなかったので、とりあえず制服で学校に行く時間にしっかり出かけました。
私服は持たずに、校則違反の色付きカーディガンとスカートを折って短くして、一見学校の違う人に見えるように調整をして駅のトイレで始業時間まで待機していました。
始業時間ちょっと前くらいに、休みの連絡を入れました。
その後は、貧乏学生だったので、誰かに見つからないかどきどきしながらも、通学定期圏内を電車に乗り続けて学校一駅前で折り返すを繰り返してとりあえず時間を潰しました。
そんな感じで時間を潰しつつ、気になった駅名の場所で降りて歩いてみたり、最安を探してランチを食べたりすることで終業時間までの時間をやり過ごして、学校帰りの人より気持ち遅めに帰宅していました。
32歳 男性のストーリー
毎週月曜日はとても早起きでした。
なぜなら新装開店だからです。そう、パチンコ屋に並び新台を打つために朝並ぶために早起きし
ていました。早朝のため会社の上司にはメールにて具合が悪い旨を伝え、お休みいただきますと連絡をし、ウキウキでパチンコ屋に並んでいました。
パチンコ屋より整理券を受けとったあとに、会社には電話を入れていました。当然、人がいない静かな場所で電話をしていました。
毎週こんなことをやっていてはさすがに解雇される可能性があるため月1の楽しみとしてました。
パチンコ屋の定員や他に並んでいる人たちからはなんでスーツ着たおっさんが並んでいるんだ?みたいな目では見らていましたが、そんなこと気にしません。
パチンコの勝敗については言わずともわかると思いますが、だいたい大敗です。
悪いことをしてやるギャンブルは勝てません。
35歳 女性のストーリー
高校卒業までは無遅刻無欠勤でした。きちんと真面目に生きてきました。なぜか社会人になってからパッカーンして、これまでとは正反対のサボり人生が始まりました。以下、仕事中に業務を放棄してサボってやったことです。
まずはスマホ。トイレ休憩をちょくちょくとって、ロッカーで常にスマホチェック。Amazonで本やら雑貨やらネットショッピングをしてました。
それから雑誌。ロッカーにおしゃれなきらきらの月刊誌を置いておいて、頻繁に休憩をとっては熟読してました。
ほかのスタッフの都合で休みがとれなくて、ライヴに行けなかったときは、「今日は絶対サボる」と決意して出勤し、微熱があって体調が悪いので…と上司に芝居をうって午前中で早退し、その足でライヴ会場に向かいました。
サボり癖がついたら、なんでもできる、と思います。
31歳 男性のストーリー
小学校時代あまり人前に立つことが好きではなかった私なので、日直がやりたくなく風邪をひいたと嘘をついて小学校をサボり家でアニメを観たり、ゲームをしたりして過ごしたことがあります。
午前中は学校を休むことが出来てラッキーと思っていましたが、昼になって段々とやることがなく暇になってきて外に行くにも友達も学校なので、仕方ないので一日中どれだけ寝ることが出来るか挑戦してやろうと思い、昼間中ずっと寝ていました。
快適で自分の中ではとても有意義だったのですが、夜眠れなくなり夜中中ずっとベッドでゴロゴロしていつの間にか寝てしまいましたが、朝とても眠かったことがあります。
その日以降学校をサボらなくなり、日直もしっかりとやるようになりました。
30歳 女性のストーリー
好きなアーティストのライブ(とても当選確率の低い、ライブハウスでのライブ)に当選してしまい、仕事で本来なら休んではいけない日だったのに、休んでライブに参戦してしまいました。その休む連絡も、事前に休むなんて言える日ではなかったので、当日に「熱が出て・・」と嘘をついて休んでしまいました。
そのライブハウスの場所は、自分が所属する部の部長の住居の最寄り駅と同じ区域だったので、ライブが終わってからの帰宅の道のりはとても緊張しました。
ですが、仕事を休んでライブに行ったことは、全く後悔していませんし、ほんとうに幸せなライブだったので「行ってよかったな)と思っています。
もちろん嘘をついて仕事をさぼったのは後にも先にもこの日だけです。
後悔はありませんが、申し訳ないとは思っているので、この先も誰にも言うつもりはありませんが、申し訳ございませんでした。
35歳 男性のストーリー
学生時代、自転車通学で1時間をかけていたが「出て5分程の距離で大雨が降ってきた」
それだけで通学が億劫になり「家でゲームがやりたい」衝動に駆られサボりました。
自宅近くに戻り、まずは両親が仕事に出る様子を近くのマンションから確認して誰も居なくなった家に帰宅。
この時点で悪いことをしている罪悪感と、悪いことをしているが欲を満たせる瞬間が近い高揚感が入り混じり、心臓が破裂しそうに鼓動していたのを今でも覚えてます。
雨で濡れた体も拭かず、荷物を投げ出しゲームのスイッチをON
普段は通学中の時間~授業を受けている時間なのに、全く違う事をしている自分が世界に一人だけのような感覚、流れる時間の全てが特別で高揚感は止まりませんでした。
しかし、浅はかな行動はすぐに知られ、お昼を迎える頃に帰るはずの無い母の帰宅
外の天気よりも盛大な雷が落ち、その後しばらくはゲームの没収、1回のサボりが無ければ遊べてたであろう時間も消えてしまいました。
高揚感は凄まじかったものの、結果後悔しか残らない事となりました。
30歳 女性のストーリー
大学時代の話です。午前中の授業を終えて、食堂で友だち5~6人とお昼ご飯を食べながらいろいろな話をしていました。その中で、音楽の話になり、カラオケの話題になりました。そんな話をしていたら友だちがカラオケに行きたいと言い出し、私も授業サボっていけたらな~と軽い気持ちでいいました。すると、「行こうよ!サボって!」と友だちがいい、午後から2限続きの英語の授業がありましたが、話が盛り上がり結局午後からの英語の授業をサボって、カラオケに行きました。
このサボりが私の中で人生初の不良行為でした。少し罪悪感はあったもののこういうことも人生で一回は経験してもいいのかなあと開き直りました。
それ以降はサボり癖がついたわけではありませんが、大学にいる間に3回も授業をサボりました。
そのことは今でも親には言っていませんが、地元の友だちに言わせたら、そのくらい大したことないと言われ、真面目すぎと笑われました。
お金を払って行っているわけだから、ちゃんと行くのが当たり前だと思っています。
社会人になった今は、仕事をサボったり、ずる休みしたりはまだしていません。
1回すると癖になりそうで不安だからです。
24歳 女性のストーリー
高校生の頃、部活も引退した3年生の時
ずっと部活をしに高校に行っていたようなものだったので
その部活を引退したら高校に行く気力が一気になくなってサボったりすることが多くなりました。
卒業はできるようにはサボる日数をしっかり調節などはしていました。
仲のいい友達の家に遊びにいって、その子の家でDVD見てゴロゴロしたり、バイクに乗って遊びに行ったり、ファミレスでずっと喋っていたり、映画見に行ったり遊んでいました。
友達の家が田舎だったので警察などに学校は?と聞かれることもなかったので楽でした。
学校から家に電話があると親にサボったことがバレるのが嫌だったので
自分で親のフリして学校に電話かけて休みますと嘘の電話をして
親にはバレないようにしてサボったりもしていました。
72歳 男性のストーリー
随分昔の話になりますが、学校や仕事をサボってやった事は麻雀とパチンコですね。特に麻雀の覚え始めの頃はとにかくやってみたくて機会があればとにかくやりまくっていましね。勝っているときに止めるのは簡単なのですが、負けが込んでくると何とか取り返そうと熱くなってしまってついつい学校や仕事が二の次になってしまっていました。

パチンコも随分やりました、麻雀はメンバーが揃わないと出来ませんがパチンコは時間とお金があればいつでも出来ます。夢中になっていた頃は朝の開店時間から夜の閉店時間までやり続けた事もあります。
今考えてみるとどうやらギャンブル依存症だったように思われます。学校や仕事をサボった事で特にトラブルを抱えた事はありませんが、とにかく収入の大半はギャンブルに消えていたと思います。
38歳 女性のストーリー
大学生のときですが、授業をサボって年上の彼氏と遊んでいました。
私はまだ1年だったので、ほぼ毎日大学へ行き、割とタイトな時間割をこなさないといけなかったのですが、大学までの通学時間が長く、行ったふりをすれば1日遊べる…と今考えるとかなり浅はかな考えでやっていたな〜と思いますが。
結局、その彼氏とはお別れしてしまい、そのあとが大変でした。普通なら3、4年は学校へ行く回数も少なくてすむのに、1年で落とした単位のために毎日学校へ行き、明らかに下の学年だなと思われる子たちと一緒に授業を受けることになってしまいました。なんとか卒業単位ギリギリで卒業出来ることになりましたが、卒業間際にかなりドキドキしていたのを覚えています。
19歳 女性のストーリー
高校の時に学校の数学のテストがあったのですが、私はあまり数学が好きではなかったので、あまり勉強をしていなかったのですが、テスト当日にテストを受けるのがめんどくさくなって、学校の近くの映画館で映画を見ていました。
その当時はとても人気が高くみんなが見ているような映画でした。とても面白く見応えのあるものでした。映画を見終わってからまだ、映画の余韻に浸っていたら、テストがあることを忘れていました。
そのまま帰りそうになっていたのですが、その足でテストを受けに行きました。
今まで勉強していなかったのと映画の余韻で全然集中出来ていなくて点数ほ過去最低の5点でした。びっくりしました。
ここまで点数が低かったのは初めてだったのでよく覚えています。
33歳 男性のストーリー

 私は逃げ癖といいますか、とにかく面倒な物事があったら問題を放り投げてしまう癖があります。小学生から就職した後にも面倒なことから逃げだしてきた経験があります。
 中でも私が専門学生の頃のが酷かったです。そのころ病院で臨床実習を受けてましたが、連日連夜のレポート作成や、実習先のパワハラに近い言動等によって嫌になってしまい、朝に実習先からエスケープしました。県を超えて都内の方にだいたい2週間ほど滞在してました。滞在中は実習生活でできなかったこと、まあ遊びですが漫画喫茶を拠点としてひたすらパチンコに打ち込んでいました。パチンコで得たお金で美味しいものを食べ、浅草や秋葉原等に寄って、ちょっとした観光気分にも浸りました。
 帰るきっかけは両親が警察に相談したと連絡を受けた時、一度帰ることを決意しました。このエピソードが私の人生の中でサボった経験になると思います。
27歳 女性のストーリー
私は小学生から高校生まで学校をさぼると家で映画を見ていました。当時は今のようにネットで映画を観ることはできなかったので、録画しておいた金曜ロードショウを繰り返し見ていました。近所にレンタルビデオ店があったので、時には母に無理を言ってビデオを借りてきてもらうこともありました。
社会人になった今でも時々さぼりで仕事を休みます。その際も、もっぱら家で映画を見ています。私は職場と家が大変近く、コンビニに行くことすら心配になる距離なので家からは一歩も出られないのです。ただ、学生時代と異なるのは、今はテレビをネットに繋いでいろいろな映画を観ることができるということです。ネットのおかげで、サボった日の映画鑑賞がはかどります。
24歳 男性のストーリー
その日は遅刻確定の時間に起きてしまったことから始まる。
1日くらいいいやという考えで頭が痛いなど、熱が出たなどの理由で結局学校を休んでしまった。自分は遅刻も欠席もしていない真面目な人ということで通っていた。
その日はとあるゲームが発売された日でどうしてもそのゲームがやりたかった。
そして遅刻してでも行くか、うそをついてゲームをするかの2択に迫られた。
無遅刻無欠席というイメージを維持するのか、ゲームをするのか。
自分はここで誘惑に負け、学校を休んでしまった。そしてゲームを堪能しようと考えた。
しかし学校を休んでしまったという背徳感からかゲームを心から楽しむことができなかった。今思えばまじめすぎる性格であったと思う。
後日学校へ行くと、周りの学生から体調を心配する声が多く、対応に追われた。
ついに私はゲームをするためにずる休みをしたと打ち明けてしまった。
周囲からは驚きの声がおおく自分はなにか恥ずかしいような今すぐ逃げてしまいようなそんな衝動にかられた。
しかし、真相を打ち明けたあとからあの背徳感は次第に消えていき、次の日からは心からゲームを楽しむことができた。
45歳 女性のストーリー
高校生の頃、1年生の頃から軽音部に入ってバンドを組んでいました。
そのため、スタジオやライブハウスへ普段から入りびたり、先輩や他校の生徒や
その他の一般社会人のバンドマン(ウーマン含む)達と知り合いになりました。
学校外でもバンドを組むこともあったので、当時学校をサボッて様々な人たちと
(メンバー含め)と一緒にスタジオへ入り練習するのはもちろん、
ご飯したり、海も近いこともあり海へ遊びに行ったり(浜辺でボケボケしたり、
夢を語り合ってみたり)、ボーリングにはまったり(マイボールまで作って
遊んでました)、ばかりいました。
しかも、高校2年生~3年にかけて、ライブハウスでバイトもするようになったので、
高校生活の中で、一番バイトメンバーと一緒にBBQしたり、スキー、温泉など
一番楽しい思い出を作ることができました。
まぁ、サボってなので、あまり良いこととは言えませんが、今となっては青春ですね。
43歳 女性のストーリー
大学の授業があるのにもかかわらず、映画を観てまわりました。
昔は観客席が500席以上が当たり前の時代(昭和ですね)
80席や120席と小さな映画館がレアで私はとても居心地が良かったので、
レトロな映画、例えばチャップリンの「モダンタイムズ」など観ていました。
1960年代に流行った映画などよく上映されていた映画館だったので、
バブル時代にはとても珍しい劇場だったでしょうね。
大学の授業では代返(友人に代わりに返事をしてもらう)をしてもらい、
映画三昧だったのは、のちの仕事にも生かされたような気がします。
それは、卒業後ファッション界へ就職したことです。
映画の中の衣装や背景との色合いやコーディネートを学生時代に映画を観ていたことで
沢山学んだような気がします。
36歳 女性のストーリー
今までここまで好きになった人はいないというくらい盲目な恋愛をしたことがあります。
そのときは、彼氏が会いたいといったら学校もサボって会いに行きました。年上で包容力があり、甘えるのが上手で好きになりました。わたしが学生で彼が社会人だったため、彼氏が仕事で有給を取った日などは、2人で平日によくデートをしました。将来夢見た職業につくはずの学校で、ここまで頑張っていたのになぜがその彼氏などハマりして、レポートも早々に会いに行って、精一杯時間を彼氏のために費やしました。なんとか進級できたものの、あれ?と思った瞬間に眼が覚めるのは早くて、次第に甘えん坊な一面はいい歳してわがままなのではわたも思うようになり、いつのまにか別れることになりました。学校をサボって恋愛に打ち込んで、いい勉強になりました。
23歳 女性のストーリー
学生の時、通っていた学校の最寄り駅まで着いた途端行くのが嫌になり、そのまま電車で他県まで一人旅しました。誰も自分のことを見咎めず、気にされないというのは大変楽でしたね。最初に知らないカフェに入って、一日の計画を立てました(親にはサボったことは内緒だったので、あくまで学校へ行った体で帰ろうとしたので)結局午前中はだらだらとそのままカフェに居座り、午後に気になっていた映画を見て、そのまま帰りました。本当はショッピングも楽しみたかったのですが、物があると親にバレるかなと思ったからです。ドキドキしましたし、「学校から連絡が入っていて親にバレないかな」「怒られないかな」と帰宅してからもしばらく不安でしたが、なんのことはなく嘘を突き通しました。その後も度々サボることはありましたが、他県まで行って1人で時間を潰したのはあれっきりです。
32歳 女性のストーリー
小学生のとき、私は森田剛、母はキムタクにどっぷりハマっていて、一度だけ平日に学校をサボって、母と2人で電車を乗り継いでジャニーズショップに行ったのが楽しくて忘れられません。「学校サボっちゃえ!」と提案したのは母です。兄弟や、大真面目でカタブツな父には内緒で行きました。
それぞれうちわや写真を買って帰り、自宅の押入れに大切にしまい込んでいました。学校をサボってジャニーズショップに行ったことも、押入れのうちわも、ずーっと父にはバレず。
15年後、わたしの結婚式の最後の母への手紙で、初めて父にカミングアウトしました。とてもビックリしていましたが、15年も前なので怒られることはありませんでした。今では笑い話です。
43歳 男性のストーリー
宿泊営業の仕事をしています。僕が仕事をサボってやっていることは語学の勉強とデイトレードです。宿泊営業のセールス先の多くは旅行会社ですが、以前に旅行会社で働いていた経験があり業界の人脈を活かして、少ない労力でそれなりのパフォーマンスを上げてきました。それゆえ、余った時間をまずは英語に使っています。週2回スクールに通いながらカフェなどで自主勉強もしています。もう1つは株のデイトレードによる副業です。相場の動きが分かりやすい時、例えば数日間日経平均が暴落した時の買い戻しが入る時期など比較的勝てる確率が高い日に参入します。普段のセールスの仕事で給料を得て、副業で小遣い以上の収入を獲得し、そのお金で語学に投資する。上手に仕事をサボりながらうまく世の中を渡ってます。
24歳 男性のストーリー
高校生当時、学校をサボって冬の海まで行ったことがあります。
当時お付き合いしていた彼女と別れ、行き場のない気持ちが思春期というフィルターを通して発露したのだと思います。
海の寒さに身震いしたことと、こんな時でも「海」はそれ以上でもそれ以下でもないと感じました。
しばらくぼんやりと海を見ていました。
そこでふと、ただそこにあるのものが能動的に自信に影響を与えることはなく、地震がそうものをどう見るかによってなにがが生まれるんだなと気づきました。
周りには所在なさげにふらふらしている中年の男性や何故か半袖の女の子など多種多様な人たちがいました。
自分もこの中の一人なんだな、と思うとなんだかおかしくなりその後は豪華な海鮮丼を食べてから遅れて登校しました。
オチも山谷もない体験ですが、青春の1ページとして私の心に残っております。
24歳 女性のストーリー
高校1年生の冬に特に理由はないのですが、学校に行きたくない時期があり、ある日の朝お腹が痛いと言って休もうとしました。母親は私の嘘を見破いたのかは分かりませんが休ませてくれず、そのまま学校へ行きました。学校へは駅から徒歩だったのですが、そこで友人と待ち合わせていました。友人はいつも親に車で駅まで乗せてもらっていたのですが、友人と会った瞬間涙が出てきて友人のお母さんも心配してくれました。幸い友人のお母さんは理解ある人で、私がその日学校に行くのが難しいと判断してそのまま友人と私、友人の母でドライブしようと提案してくれました。私の母にも電話してくれ、自宅で休ませると嘘までついてくれました。今思えばなぜそこまで辛かったのかわかりませんが、あの日サボってドライブに連れて行ってくれた友人の母には感謝してもしきれません。
46歳 女性のストーリー
仕事の発注が延期になって、ぽっかり時間が空いてしまい、部署全体がヒマな時期がありました。
ぼーっとしてるのも限界があるので、「街や話題の店を見てくるのも仕事のうちだ」ということにして、勤務時間中に、先輩と街にでかけました。最初は真面目に店を見たり商品をチェックしたりしていたけれど、大きなショッピングモールにきたら楽しくなってしまい、先輩がゲームコーナーの店先にあった「太鼓の達人」をやろうと言い出しました。さすがにこれは仕事の範疇に入らないだろうと思ったけれど、誘惑には勝てず、二人でドンドコ太鼓を叩き、意外と高スコアを叩き出しました。
会社に帰って報告書をまとめたのですが、遊んでみたとは言えないので、街で流行っているものを体感できたとか、価格帯を実感できたとかをそれらしく書きました。でも、後日、別部署のおじさんに、「ふたりで太鼓叩いてたでしょ?」と言われ、見られていたことに気づき、青くなりました。
46歳 女性のストーリー
夏の平日、仕事で取引先に行ったら、意外と早く仕事が終わりました。本来なら、職場に戻らないと行けないのですが、あまりにも暑くて汗びっしょりで疲れたのと、会社に戻るより自宅のほうが早い距離にあったので、職場に戻るのがイヤになってしまいました。幸い、何時まで仕事にかかったかは会社の人にはわからないので、仕事が長引いてそのまま直帰したということにしようと思い、夕方前からサボって直帰することにしました。
そして、取引先の近くに銭湯があったので、そこに入って汗を流すことに。温泉もひいているところだったので、ゆったりと思う存分楽しみました。
脱衣所に戻ったら、ケータイに着信履歴があり、会社からでした。気づかなかったことにしようと思ったけど、掛け直したら、仕事の変更があって、職場に戻らないといけないことに…。そこから猛スピードで着替えて職場に向かいました。髪の毛が濡れてるのでやばいと思いましたが、走ってるうちに乾きました。でも職場につく頃には頭がボッサボサになっており、いったい何があったんだと大笑いされました。
54歳 女性のストーリー
自分で言うのも変ですが、とても真面目な学生だったと思います。
しかし、後にも先にも一度だけ学校をサボった事がありました。
高校生の頃、プロレスに熱狂していました。地方に住んでいたので、プロレスの巡業は年に一度か二度くらいしかやってきません。
試合は見に行く予定でしたが、どうしても憧れのレスラー達に会いたい、サインをもらいたい、写真を撮りたい、といった欲望がわきあがってきました。
そして、学校に仮病の電話をすると、仲間とともに朝から出かけてホテルや会場付近に張りこんでいました。すると、今は亡きジャンボ鶴田さんや三沢光春さんなどが続々と現れ、ファンサービスをしてくれたのです。今となっては思い切って行って良かったと思っています。
20歳 女性のストーリー
高校三年生の時、私は大学の公募推薦入試の前日に学校を休みました。休んだその日の授業は受験で必要ない科目ばかり、おまけに体育の授業まであり、一日そんな授業なら最後の追い込みをしたいと思って、同じ大学を受験する友達と相談して、初めて学校をサボりました。
しかし、それまで学校をサボったことがなかったせいか、妙な罪悪感があり結局あまり集中することはできませんでした。暗記漏れも結構あったのではないかと思います。
翌日の試験も面接も不安が残るまま受けてしまい、あまりいい出来ではなかったように思います。その後結果が来ましたが、結局不合格、一緒に受けた友人だけが合格しました。このせいで皆勤賞も逃してしまったので、後悔だけが残りました。
36歳 女性のストーリー
友達との飲み会で、結果サボりになりました。
専門学校の時、友達との時間が本当に楽しくてクラスの半分以上(少人数のクラスです)と飲みに行き、そのまま私のアパートに流れてみんなで朝まで飲み、朝まで飲んでいるから結果的に誰も学校へ行くことができず、みんなでさぼりました・・・
その日の学校は半分以上がいないわけですから寂しかったと思います。
そこから各々帰るメンバー、昼までダラダラ過ごすメンバー、寝るメンバーと、様々で、しょっちゅうそんな事ができていた日々を振り返ると、本当に楽しかったし、宝物の思い出だなと思います。
飲みながらいろんなことをみんなで語り、泣いたり笑ったりできていたあの頃がとても懐かしく思います。
41歳 男性のストーリー
当時のメル友が九州にいて、どうしても会って話がしたいと連絡があり、関西から仕事を丸3日サボり車で向かいました。九州には初めて行くので友達に夜中から美味しいラーメンをたべにいこうと誘いそのまま九州へ向かいました。
岡山辺りで友達がかなりの抵抗をして来ましたがメル友に友達を呼んでもらうことにして難を逃れ10時間かけて九州に到着しました。
無事にメル友と合流して1日遊び関西へと戻ったのですが、仕事場からの電話が鳴り止まず、言い訳を二人で考えながらゆっくりと戻りました。結局、インフルエンザという言い訳は通用せずにクビは免れましたが減給とボーナス査定のマイナスとなりました。
でも、メル友にあう会社をサボるなどドキドキも多く未だに良い思い出です。
20歳 女性のストーリー
学校へ向かうつもりで家を出ましたがそのままカラオケ店に入りました。
その日は寝坊し、髪型や洋服等が自分の理想と合わないままにやむを得なく家を出たので、学校へ向かう途中の電車の中でズル休みすることを決意しました。友達には体調が悪いからと嘘の連絡をし、学校は無断で休みました。
平日の一人カラオケなのですぐに案内してもらい、朝から夕方までフリータイムでひたすら歌いました。採点機能をつけ、自分の声を録音してみたり自分が歌っている時の表情をカメラで撮ってみたりもしました。
あっという間に時間が過ぎ、友達と鉢合わせしないために時間を調節して電車に乗り、バレないように慎重に帰りました。もちろん、親にも内緒でズル休みしました。
親や友達に嘘をついた罪悪感と歌いたい曲を好きなだけ歌えた満足感で複雑な気持ちでした。
31歳 男性のストーリー
私は月曜日の仕事を仮病でサボり土日月の3連休にしました。それから1日ずっとスマホゲームをしていました。というのもそのゲームはリリースしたばかりで曜日イベントやレイドボス、時間イベントがありました。それに参加しないと他のプレイヤーから遅れをとると焦った私は前日(日曜日)の夜中まで、ゲームをしていました。気が付くと月曜日の朝で会社に出勤する時間でした。とてもではないですが、出勤できる状態ではないので仮病を使い、会社を休み仮眠を取った後、スマホゲームの続きをしました。おかげさまで全てのイベントを完了させることができ、無事にキャラクターを強くすることができました。ちなみに次の日はちゃんと会社に出勤しました。
23歳 女性のストーリー
小学生の頃、新任の担任だったので言うことを聞く生徒が少なく授業の途中だろうが何だろうが、教室を飛び出して当時の仲良しメンバーで家でタコパをしたり小学生ながらにおおちゃくをこいていたことと、高校の頃、学校の校則が厳しすぎて、嫌になった友達と親にも先生にも連絡せずに2人で海に黄昏に行ったり、寄り道さえ禁止の高校にも関わらず市内のデパートに制服のまま出かけた。同じ高校の時でまた別の日には、出掛けて補導に出ていた先生たちに見つかり、学校に連れて行かれてしっかり反省文を書かされ、毎日居残りをさせられ更に学校が嫌になって、遂に1週間以上学校をサボり、高校生なのに三者面談ではなく担任が家庭訪問に来ることになったこと。
21歳 男性のストーリー
自分は趣味がアイドルオタクなのですが、学校の授業をサボって何度かイベントに行ったことがあります。そして、ライブでとても盛り上がって、その後友達とカラオケに行ってライブのセットリスト通りに歌うということをしました。
その際、授業は欠席になるのが嫌だったので、友達に学生証を渡して出席扱いにしてもらいました。
また、他には学校での授業をサボって友達とずっと長話をしてたこともあります。
ほんとは授業に出る予定でしたが、思いのほかその友達との会話が盛り上がってしまい、授業に行きたくなくなったのでサボってずっと会話してました。授業料も払っているので出た方がいいことは十分承知していますが楽しいことは優先したくなります。
22歳 男性のストーリー
大学の講義があまりにも面白くなく、スマホでやる作業もなかったので出席だけ取ったのちに図書館へ直行してノートPCでネットサーフィンをやっていたり、気ままにアマゾンの欲しいものリストとバイト状況のにらめっこをして今月はこれとこれを買おうと決めてカートを埋めて行ったりしていた。
中でも一番時間をかけたのは食料品関係の配達方法の考慮で、親が配達物を見つけるとまた買ったのかと怒鳴り散らすのでいかに隠して自分の部屋に運び込むかを模索していた。結果、コンビニ受け取りで受け取って家の前で段ボールの解体と段ボール置き場への廃棄、中身はカバンに詰めて持ち運ぶといった無難な方法に落ち着いて結局今でも繰り返している。シンプルなのが一番だと考え付いた。
37歳 男性のストーリー
高校の時にたまにサボりましたね。

友人の家に泊まって、朝起きてから学校いかずにまずファミレスでモーニング。(もちろん私服で)
三時間目から出勤が多かったですが、ひどいときは、午後からとか、授業全部終わって部活から出勤してました。

友人は高校生からアパートで一人暮らしだったので、多いときは一週間泊まりっぱなしの時もありましたね。

学校が嫌な訳ではなかったですが、朝起きて何となく、「モーニング行くか」ってなると、だいたい一、二時間目は間に合わない時間になります。

学校に「体調悪いんで遅れます」と電話だけはしっかり入れておき、私服に着替えてファミレスへ。
出席日数に支障が出る程ではありませんでしたが、よくやってました。
43歳 女性のストーリー
高校は海の近くにありました。徒歩10分かからずに海まで行ける近さでした。そこで、夏になると授業や補修をサボって海に遊びに行っていたものです。何をするわけでもなく、ただ海に行っていた気がします。
不思議なことに、ばれたこともなければ怒られたこともありません。もしかしたら他にも同じような生徒が多かったのかもしれませんね。あれだけ海が近かったら仕方ない気もします。
ずいぶん昔のことですので、誰と行ったとか、どんな風だったかまでは、もう思い出すこともできません。ただ、授業をサボって海に行ってみんなで遊んだのが「とても楽しかったな」ということだけは今でもなんとなく覚えています。いまだにとても良い思い出です。
42歳 男性のストーリー
仕事をサボってやったことは、日帰り温泉にいきました。
その日、普段と同じ様に出社して朝礼を済ませ、営業に出ました。
予定は、電車で1時間程かかる海が近くにある営業先に向かい、午後には、帰社して事務処理をする予定でした。
営業先で商談を済ませ最寄りの駅で電車をまったくいるときに反対方向の電車が来て温泉行き先に以前行った温泉地の地名が見えたので乗ってしまいました。
温泉地の駅について一応予定管理アプリには、営業先にお客さんを紹介してもらったのでと予定を変更して直帰も追加。
宿泊した事のあるホテルに日帰り入浴とレストランでの食事がついたプランが有ることを知っていたので、のんびりと過ごしました。
今、思えば午後休暇をとれば良かったのかも知れませんがサボっていることがなんとなく楽しかったかもしれません。
52歳 男性のストーリー
私は大学を卒業し、一旦企業に就職したものの
溶接の技術を学んで見たくなり
職業訓練校に30代半ばで入学しました。

その時学校で知り合ったのがいまの家内ですが
当時彼女は生徒ではなく、商業関係のインストラクターでした。
おたがいそういう立場でしたが、次第に付き合うようになりました。

その頃私は彼女を家まで迎えに行き、一緒に通勤、通学をしていました 。
でもある冬の寒い朝、彼女が車に乗ってくるなり
「なんだか温泉行きたいね」
と言い出したのです。

「えっ、教師の分際で生徒にズル休みを強要するのか」
そう思いましたが、その時の意思は雪のようにやわらかく
二人で学校をサボり車を温泉へと走らせました。

今の家内と知り合うまでは、病欠以外で会社や学校を休むことはありませんでしたが
いまはココロが疲れている時にも、会社をサボる勇気が持てるようになりました。
34歳 女性のストーリー
高校の頃、学校に行くのが億劫なときは、よく電車に乗って遠くに出かけていました。親には学校に行っていることにしたいので、いつもと同じ時間に出て同じような時間に帰ってきました。
学校の最寄り駅へ行く電車は、終点まで乗ると海に行けます。それに気付いてからは、何かあると海が見たくて終点まで乗るようになりました。
海を見ているというより、みんなが勉強している時間に電車で遠くに行くことが楽しかったんだと思います。
非常勤の先生で一人、仲の良い先生がいたのですが、海に行っていることはその先生だけに話していました。
大人になった今でもあの海が忘れられず、時々ふらっと行くことがあります。今では仕事をサボるわけにはいかないので、きちんと休日に行くようにしています。
60歳 女性のストーリー
一時期、パチンコにはまりにはまっていた時代の話です。出勤経路にある大型のパチンコ屋が新装開店とのチラシを配っていました。新装開店時は出玉が良いのは誰でも知っていることですから、会議は午後からだし、午前中だけ休んでちょっとだけ寄ろうかなー。と・・・悪魔のささやきが。
翌日、会社に電話して「午前中歯医者さんに行きたいので、午後から出社します。」と連絡し、意気揚々と新装開店の列にならび、いざパチンコ台に、
まあまあの出玉で、そろそろ11:30だし清算して会社に向かわないと。と思った瞬間、確変を引いて大当たりが!!これが終わったら・・・と思って打っていると、終わった次に瞬間に又大当たりが!!この台を放置してパチンコ屋を去るのは無理だわー。ということで、少しだけ悩みましたが、会社に「歯を抜いたら出血がとまらなくて眩暈がして」と苦しい言い訳の電話をして夕方までパチンコ屋に居てしまいました。
37歳 女性のストーリー
若い時ですが、仕事をずる休みしたことがあります。
会社に行くつもりで家を出たけれど、急に彼氏に会いたくなって、風邪をひいたと嘘の理由で会社に電話して休んで、特急電車に乗って、遠距離恋愛していた彼氏に会いに行きました。そんな事が2度ほどありました。
他には、風邪ひいた時にそこそこ治ってきてるけど、もう少し休みたくて、「まだ熱が下がりません。」と会社に連絡して、3日ほど休んだりしました。
大学生時代には、授業をサボってカラオケに行ったり、友達とただしゃべって過ごしたりすることは良くありました。サッカーワールドカップがあった時期には、サボってテレビ見て応援することもありました。

今考えれば、学生時代にはもっとまじめに勉強し、会社員時代には大人としてしっかり責任もって仕事するべきだったなと思います。
37歳 女性のストーリー
某私立中高一貫校の教員になって6年目のこと。上司とうまが合わず、一緒に仕事することが苦痛で苦痛で仕方なかった頃、あることをきっかけに過呼吸になってしまいました。もう、自分がわからなくなり、母親に「仕事やめて、明日帰るね」と電話しました。母親はビックリしておりましたが、理由もきかず「お母さんがそっちに行くから、とりあえず明日は仕事休んで家にいなさい」と、次の日ほんとうに飛行機で飛んできてくれました。職場には体調不良と連絡し欠勤。お母さんは到着するなり「羽田空港にお迎えきて♪」とのこと。嘘ついて欠勤しているので、罪悪感を感じながらも、少しウキウキで羽田へ。羽田で美味しい中華を食べながら、昨日の出来事、今までの苦痛、すべて話しました。話したら、すっきりして、罪悪感もどこへやら。そのまま、銀座にお買い物。欲しい物思うままに買ったり、お洒落なカフェで休憩したり、、、仕事上、休みがなく(最長3か月休みがなかったことも)今まで出来なかったことを満喫!良い気分で帰宅。帰りに美味しいお惣菜買ってきたので簡単に夕飯済ませ就寝。「明日ももちろん欠勤ね。どこ行こうかね♪おやすみ」こっそり泣きながら寝ました。次の日は、車で海ほたるへ。楽しいドライブ、美味しい食べ物、リフレッシュ最高!!
「これで年度末まで頑張れるでしょ。今年度まで頑張って、きちんとケジメつけて帰っておいで」と言い残し、母親は地元へ帰っていきました。
学校勤務なので、中途半端な退職は良くないと親なりのアドバイス。私も、気分がスッキリし、あと半年の我慢!と割り切って仕事に復帰しました。(復帰というか、体調が良くなった程(笑))
職場には今年度で退職希望を伝え、残りの教員生活耐え抜きました。踏ん切りがついてたので、とても楽な気持ちで働けました。最後の最後まであの上司とはうまが合いませんでしたが、、、
こんな仕事サボりですが、私の人生のターニングポイントにもなったサボりだったと思います。
32歳 女性のストーリー
有給が溜まっても、なかなか消費できず…
周りから休みなよ!と言われても、ちゃんと予定が入ってない時って休みにくいんだよなぁと思っていたら、年の離れた弟がインフルエンザに罹って、弟の看病というか見張り(笑)をして欲しいと親に頼まれたので、自分の体調がいまいち優れないという電話をいれて休むことに。
その当時はシフト制の勤務だったので、休みの人を確認し「この人の行動時間は午後からだったな」「この人はどこかに出かけるって言ってたな」と、目撃されないか安全を確認してこそこそ買い物に出たりして。
もっと休みやすい環境だったら、こんなにコソコソしなで楽しんでたんだろうなぁと思ったり笑
このサボリがきっかけで、ちょっとした用事でも、有給使って休むようになりました!
28歳 女性のストーリー
私が学校をサボってやってたことはバイトとバンドの追っかけです。

私の通っていた高校はアルバイト禁止だったのですが小さいスーパーマーケットでレジのアルバイトをしていました。
当時は最低賃金が770円ぐらいだったと思うのですが毎月6〜7万円稼いでいたほどアルバイトに明け暮れていました 笑
今考えるとよく働いたなと思います。
文化祭の練習がある日などはアルバイトに遅れてしまうのが嫌で歯医者に行くなど嘘をついてアルバイトを優先していました。

稼いだお金は全て私のお小遣いで親からは少しは貯金しておきなさいと言われていましたが全く聞く耳を持たず稼いだお金は全部使い切っていました。今思うと1万ずつでも貯金しておけばよかったと後悔しています。

その稼いだお金は全て好きなバンドのチケット代グッズ代に消えていきました。
学校終わりに行ったり、平日のトークショーなどは学校をサボって行っていました。

学校での生活は大嫌いでしたが、その時代はお金を好きなだけ使い好きな事だけをできていたので人生で一番楽しかったです。
38歳 女性のストーリー
どうしても、行きたいアーティストのLIVEが当選して、迷った挙句、行ってしまった。
チケットを、定価で譲るか、誰かに譲渡するか、ギリギリまで悩みに悩んで、考えた挙句、
LIVE当日になると、自然と身体が会場に向かっていた。学校には、バレない様に、後から言い訳などを考えればいいやと、思ってしまった。家族や友人も知らなかったので、本当に秘密裏に、いきなり行動してしまった。当選したチケットを記念に持っているだけでもいいやと、思ったが、いざ当日が来ると、どうしてももったいなくて、行きたくなって。その場で、行き当たりばったりに、交通手段や宿泊など、何もかもが、計画とは違うけれど、自分個人としては、いい思い出になった。
50歳 女性のストーリー
私が短大の1年生だった時、友達との関係が悪くなり仲間はずれにされていました。なんだか学校にいきたくなくて、普通通りに学校に行くふりをして本当はサボり、駅ビルで立ち読みしたり、少し離れた公園でお弁当を食べたりしていました。ふらりと下町から、江の島に行く計画をたてました。きっと仲良しの頃、友達といったことがあったので、思い出にひたりたかったのでしょう。その日は風が強く波もたっていました。防波堤に座って足をぶらぶらさせていると向こうから、派手なヤンキーの女性が二人歩いてきました。「こ、こわい・・からまれる?」とうつむいていると女性は私の顔をのぞきこみ「大丈夫?」「変なこと考えてないよね?」と優しく声をかけてくれました。「大丈夫です、、」と小さな声で返事をすると「じゃあね、気をつけるのよ」と行ってしまいました。私に声かけてくれるなんて優しい人だな。でも私、人から死ぬように見えるんだ、、とそのとき思いました。「親に高い学費だしてもらって何してんだ。学校やめよう」と決心できたサボりの思い出です。
26歳 女性のストーリー
高校生の頃、サボり癖がつき、学校にあまり行かなくなってしまいました。全日制の学校でしたが、週に3回くらいのペースで行っていたこともありました。卒業する事はできましたが、かなりギリギリの単位で卒業しました。両親は共働きで、私が学校に行く時間より前に職場に行っていました、そして学校から帰る時間よりも後に職場から帰ってくるような勤務だったので、1日家にいてもバレませんでした。1日家にいて、インターネットをしたり、テレビを見たりかなりダラダラと過ごしていました。たまに、平日でも両親が家にいる事があったので、そんな時は喫茶店でお茶をしたり、マンガ喫茶でインターネットをしたり漫画や雑誌を読んだりしていました。友達もいなかったので基本的に学校をサボる時は1人でした。

「人が豹変した話」

37歳 男性のストーリー
高校時代からの20年来の友人が社会人になって周りの人間との軋轢やいじめに近い状況に巻き込まれたせいで徐々に人が変わってきたと思っていましたが、最終的に友人関係を損得勘定だけで付き合いを決めるとか言い出して友人関係を一方的に切られてしました。
高校時代からでは全く考えられないような豹変っぷりで、こちらも嘘だろと思い必死に連絡を取ったりしてたのですが一年程経っても変わらず、一時的な気の迷いではなかったようなので結局縁を切る事になりました。
昔からの付き合いなので結構キツイ物言いもしていましたが、それでもお互いに本音を言い合える仲だったので許されていた感じです。
それがあまりの豹変っぷりに今でも信じられないと思い返す事があります。
44歳 女性のストーリー
若い頃に付き合っていた彼は頭もよく温厚でとても付き合いやすい男性だと思っていましたが付き合って数か月してからパチンコにハマってしまい当たる日には一日で10万円位パチンコで稼いだことから休日はほとんどをパチンコ屋で過ごすようになりあたりがない日は一日に3万円位負ける日が続きある日、負けが続いた彼が帰りに車の中でパチンコをしていない私に対してブチギレました。

人が待っているとパチンコに集中できないから負けた、数日間で20万近く負けて今月どうやって生活すればいいんだよ、などの暴言を言われ後から謝ってきましたが許すことができずその後お別れしました。

ギャンブルに負けて豹変する人って本当にいるんだなって実感した出来事でした。
25歳 男性のストーリー
私がかつて在籍していた営業系の会社の社長が、豹変した話です。
社長は面接もしてくれた方で、凄くニコニコとしたやさしい面持ちの方で、質問にも丁寧に
答えてくれ凄くいい印象を持っていました。入社してからもしばらくは優しく、
契約を獲得したときには自分のことのように喜んでくれてたまに呑みに誘ってもくれました。
そんな中、私自身調子を落としてしまい契約数に伸び悩んでいました。ちょうどそのタイミングで
社員全体の給料が上昇しノルマのようなものを設定されました。
調子を落としてしまった私は2ヶ月続けてそのノルマを達成することができませんでした。
そうすると、面談をするよと事前に聞いてた私ですが、優しい社長のことだから
アドバイスなどをくれるのだと思っていました。しかしいざ、面談の場に行くと怖い顔をした
社長がおり、「使えない人間は首だから」といわれました。
あんなに優しい人でも裏の顔があるのだと驚きました。
以来
37歳 女性のストーリー
いつもとても温厚で優しい友達の旦那さん。とにかく美味しいものが大好きで、その方イコール美味しい料理と言うほど、食へのこだわりが強い方でした。その家族には女の子の子供も2人いて、その方は本当に娘にデレデレでとにかく優しい印象だったのですが、ある日ホームパーティーにお呼ばれして伺った際の事。その方のこだわりの料理で振舞ってくださり、とってもゴージャスなお料理がご用意されていたのですが、なんと食へのこだわりが強すぎるあまり、温かいものは温かいうちに食べないと嫌だと言う概念もあり、なんと唐突に食べずに遊んでいる娘2人を怒鳴りつけました。せっかく美味しいタイミングで出しているのだから、早く食べなさい!と本気でブチ切れて、かなりびっくりしました。
43歳 男性のストーリー
自分の友人なのですが、つい最近も大きな話題なっておりますが、煽り運転の上暴行事件のニュースを見て思い出した事をお話したいと思います。
その友人とは当時非常に仲が良く普段はそんなに気性の激しいタイプではないのですが車に乗っていて周りの車から嫌な感じを受けた途端人が豹変してしまい何かのスイッチを押したかのように変わってしまいます。
タチが悪いのが変わった瞬間がわからないのです。見た感じは何も変化がありません。
ただ、対象車両に対しての攻撃が始まってしまいます。
こうなってしまうと誰のいう事も聞きません
では、実際どんな事をするかというと…
まずは煽り始めます。
そこから、執拗にどこまでも追いかけます。
(へたをすると、県をまたぐ事もあります。)
最後に降りて相手に詰め寄ります。
大体この一連の流れになります。
ただ、ちょっと笑ってしまうのは降りてからなんですが完全に頭に血が上っていると思いきや以外と冷静で相手の車を傷つけたりはしませんでした。理由は後から修理代の請求とかきてしまうのはイヤだったみたいです。
そこまで考えられるのならよせばいいのにと
思いますよね。
今、そんな事をしていたらすぐに有名人の仲間入り確定ですね。
もちろん悪い意味ですけど…。
48歳 男性のストーリー
以前、24時間営業のレンタルビデオでバイトしていたときのこと
明け方に店内で万引きがあり、早速もう一人バイトと連携して捕まえ事務所で問い詰めた。
犯人は酔っ払いの中年男性で、数百円の小銭以外は身元を証明する物は一切所持
しておらず「なんで万引きした?」と聞いてもきちんと答えずはぐらかすばかり。
しまいには「俺はヤクザの友達がいて、俺が声を掛ければ100人はヤクザが集まる」など
明らかな嘘を吹聴しだし、
こちらが「じゃあ警察呼ぶから」と切り出すと「そんなもん呼びたかったら呼べ」と
開き直る。
「こんな酔っ払いだと警察来てもどうにもならないだろうな・・」と思っていると
もう一人のバイトが急に怒り出し、酔っ払いに掴みかかって殴っていた。
普段は大人しい性格なので急変振りにかなり驚いたが、この酔っ払いがこういう性格の
人間も怒らせてしまう程舐めた態度だったのも事実。
やりすぎてしまうとこちらが罪に問われてしまうので、とりあえず殴るのを止め
万引きされた商品も取りかえしたことから実害はないので、警察も呼ばずに
店の外に放り出した。
24歳 女性のストーリー
 学生時代の事です。
 私の担任をしていた先生は初担任と言う事で最初の頃は緊張しながらも慎重に物事を行い、丁寧な仕事を心掛けているようでした。受け持ちの授業も工夫を加えようとしているように感じました。
 ですが私の学校のは内部進学が存在し内部進学生が慣れなどもあり強い学校でもありました。そんな生徒にとって先生はからかうには丁度良かったのでしょう。
 ただイジメか? と言われると少し違うと当時から思ってました。からかうと言っても陰湿な事はせず、じゃれ合いに近いですし他の先生のも親しみを込めて同じような言葉を言うなど、彼女等なりに親しみの言動だったのだと思います。
 ですが先生にとっては違ったのでしょう。先生の対応が段々変わっていったのです。自分を被害者と嘯き、周囲に過剰に助けを求め私達生徒を悪しように言い、自分の正当性を主張するようになったのです。
 私達に向けても正論ではあるが情に欠ける無味乾燥な言葉しか言わなくなり、生徒と向き合う事を疎かにしだしました。
 私が一番酷いと感じたのは私達の進路に深く関わる成績会議を自分の心情を優先し休もうとした事です。その時は副担任に強い口調で叱責され泣きわめき学年主任に泣きついたとの事です。

 もしかしたら生徒のからかいがそこまで先生を追い詰めたのかも知れません。ですが、実は豹変する前からその片鱗は見えていました。授業中の言動などで垣間見えていたのです。
 ですから今でも私達は先生に過剰な同情はしていません。ただ少しばかり憐れみは感じています。
 その先生は私達の卒業と共に結婚して退職しました。私達は最初で最後の受け持ちの生徒と言う事になります。彼女の中で私達は何処までも悪役なのでしょう。それでも私達は構いませんが、彼女は先生に向かない人だったのだとしみじみ思うばかりです。
26歳 女性のストーリー
私の母の話です
母は24歳の時に結婚し、社長令嬢として何不自由ない生活をしていた実家を離れ田舎の団地に嫁いできました。
母はもともと奥ゆかしい性格で父の言うことには背きもせず文句も言わず3歩下がって夫を立てる良き妻でした。
ただ、嫁いだ先が悪かった。
義実家からのイジメや小姑からの小言にも耐えている母の事はよく覚えてます。
父はジャイアンの悪いところを濃縮して固めたような性格で、暴力は当たり前。
お酒を毎日飲んでは、いかに母が劣っているか説教をする父でした。
その中には、専業主婦である母は役立たずだと罵る内容が多く、そのほかには非の付け所もないのか延々と罵るのです。
私には、毎日毎日罵られていた母がもう父の言う事を黙って聞くロボットのように見えていました。

ある日、父が友人だと言うAさん夫婦を家に連れてきました。
Aさん夫婦は夫婦でネットワークビジネスをしておりとても裕福な生活をしていると父に話していました。
Aさんの奥さんが何も取り柄のない私でもこのように稼げたと言った時、父が面白半分でいいました。
何もできない私の母でもできるのか、なら好きにしていいからお金を作って来いと
母は従いました。
そこから毎日Aさん夫婦は家に来るようになりました。
元々社長令嬢で身のこなしや作法の綺麗な私の母はいい広告塔になると踏んだのでしょう。
洗脳が始まったのです。
幼い私の幼稚園に行っている間に洗脳が始まったのです。

初めは母が明るくなりしゃべるようになり身だしなみを整えるようになり生き生きしている姿を見て私も嬉しかったのを覚えています。
みるみるうちに変わって行く母を
ある日言い出した張本人である父が色気付いてどこの男と街を歩いているのだ、売春婦かお前はと罵るようになりました。
この頃にはA夫婦に洗脳されている母は、このビジネスを理解出来ないものは虫ケラだと生きる価値の無いものだといいわたしにも良さを強要してくるようになっていました。
父もその虫ケラになってしまったのでしょう。
良い妻であった母は全く居なくなってしまったのです。
母は父に歯向い、私を無視し、仕事だといいビジネスの仲間達を一緒に過ごしています。
まるで、今が青春だと言わんばかりに輝いています。


私の両親は離婚し、私は祖母の家に預けられました。
母は母ではなくなってしまいました。
もう大人になった私は今でも昔の母に会いたいとおもっています。
56歳 女性のストーリー
中学に入学したばかりの時、同じクラスになった美人でもの静かな子から、「お友達になって下さい」と言われ、学校でも休みの日も一緒に過ごしてました。
ある日、うっかり彼女の好きな歌手の悪口を言ってしまったら、普段からは想像もつかない怒りの表情になり、「あんたなんか、背が高くてみっともないくせに!私の引き立て役なんだから!」と言われました。
自分より見劣りしそうな子に声をかけて、友達を作ってたみたいです。
その子の小学校からの友達も、彼女から友達になって下さいと頼まれたらしいです。
もの静かな感じの子なのに、本当の性格が怖すぎて、怒るより呆れてしまいました。
夏休みの補習が成績順でクラス分けされた時、彼女は最下位のクラスでした。プライドの高い彼女には、堪え難かったでしょう。
ちょっと、スッキリしました。
48歳 男性のストーリー
当時、付き合い始めて1カ月になる頃の彼女の話です。
お互いに忙しくて、毎日会ってましたが長い時間を一緒に過ごす事は出来ておらず、まだ彼女のことを全て知りたいという状態ではありましたが、会ってる時はケンカすることもなく、楽しく過ごしていました。
ある日、LINEでやり取りをしている最中、内容は忘れましたが、意見が食い違ったことがありました。
忘れてしまうくらいたわいない話だったと思います。
反論を繰り返す彼女が何となく可愛く思えて、冗談で「頑固やなぁ笑」とコメントしたら、
突然コメント調が変わり、今まで一度も聞いたことないまるで別人のコメント調で「なんや?」と。
LINEとはいえ、こちらは和やかに、討論すら楽しく会話してたつもりだったのが、空気が一変してその後返信は止まりました。
一応、謝罪のコメントを入れて次の日に会って欲しいと伝えて、翌日あいました。
すると、昨日の事など無かったようないつもの彼女でした。
その後もLINE上では、発する単語によって突然豹変する事があり、2カ月で別れました。
48歳 女性のストーリー
仲良くなったママ友が、豹変してしまった話です。
子供同士も仲が良く、低学年の頃はよく、親子でイベントなどに出かけたものです。
ママ友Yさんは私より8歳年下でしたが、とてもしっかりした女性でした。
しかし、一つだけ気がかりなことがありました。そのYさんは、なぜかヤンママと仲が良いのです。
外見は、清楚なイメージでとてもヤンキーには見えませんでした。
ですがある日、私はそのYさんの素性を陰から見てしまったのです。
ヤンママと話す時は、斜め45度で「〜な感じ?◯◯じゃね?」と明らかにヤンキーでした。
私はあの清楚なYさんがそんなはずはないと信じがたく、思わず目が点になり、二度見してしまいました。
最近、私の周りでYさんの目撃情報が多数寄せられています。
人って見かけだけではわからないものですね。しかし、豹変は怖いものです。
教訓とします。
46歳 男性のストーリー
これまでとても良い人だと思って友達になった中学時代の同級生でした。
しかしある事をきっかけに急にその人の性格が変わってしまい驚いた事件があります。
その人と私は同じ人を好きになってしまったのがその原因の発端ではあります。
その人に内緒で好きな女性をデートに誘いそこで出会う事が出来ました。
そのデートを数回繰り返しているうちについにその事件が起きてしまいました。
なんとデート中に偶然その友達に出くわしてしまう事態となってしまいました。
その時は平然を装っていましたが、少し顔が引きずっているのを見逃す事が出来ず、
翌日にその事で彼から私に詰め寄る場面がありました。これまで良い人だと思っていたがついに本性を見た感じに冷たい顔で抜け駆けするなと一喝されてその人との関係は修復せずに終わりました。
25歳 男性のストーリー
職場の先輩が豹変した話。
私の先輩は温厚で優しい人というイメージを作っている。しかし、実際には鈍臭くて仕事はできず、コミュニケーションも上手く取れないため上司からの評判は悪め。そんな先輩がいる部署に私は配属されました。自分で言うのも気が引けますが、私は体育会出身で若手の勢いもあり、配属されてすぐバリバリ仕事をこなす上に、上司との付き合い方も熟知しています。先輩は上司に怒られる度に、『あいつ(筆者)でさえできているのに、なぜお前はできないんだ!』と叱責され、比べられてました。それから段々と先輩の私への態度が変わっていきました。飲み会ではいつも中心にいる私。余程気に食わなかったのか、翌日先輩に店舗の裏に呼び出され、普段温厚で優しいその先輩に理詰、暴力、罵倒を2時間受けました。人の豹変に最も驚いた日でした。
20歳 女性のストーリー
これはとある友人の話です。

友人とは小学校2年生の頃、共通の友人を介して知り合いました。第一印象としては、恥ずかしがり屋で人見知りが激しくあまり打ち解けられない子だなと小学生ながらに感じたことを覚えています。最初の頃は共通の友人がいないと話も出来ない程でしたが、時間をかけて少しずつ距離を縮め、小学校3年生に進級する頃には何とか2人だけでも遊べるようになりました。

しかし、小学校4年生の頃友人は周りの環境のストレスなどが原因で急激に太ってしまい”男子からのからかい”により不登校になってしまいます。私は共通の友人と男子を注意し、放課後毎日のように友人の自宅に通い学校に来るように励ましました。その甲斐あって学校に普通に登校してくるようになり普通の日常が訪れます。その頃の友人は、男子からのからかいのせいもあり、さらに人見知りが激しくなり周りの子と壁を作ってしまいます。

そのまま小学校を卒業し中学校に入学します。友人はまだ太った体型のままでしたが、運動部に入ったおかげか2年生に進級する頃には標準の体型に戻っていました。痩せたおかげで友人は自分に自信がつき周りと積極的に関わるようになっていきます。

それから少し経った頃でしょうか。私に好きな人ができたため友人に相談がてら、『好きな人ができた。』と報告しました。仲の良い子でしたから何でも報告するのが当たり前と当時の私は思っていたんです。それがいけなかったんでしょう。友人は私の好きな人に猛アピールをするようになったんです。メールを沢山したり、二人で出かけたりと逐一私に報告までしてきました。当時、友人は痩せて男子からモテていましたから、私に好きな人ができて上手くいくことが気に食わなかったんでしょう。そして、友人と好きな人が付き合ってしまいました。

私はその出来事を境に友人とは縁を切りました。
友人が痩せて自信がついたことは嬉しかったですが、自身の使い方を間違えていると感じた私はこのまま友人と一緒に居ても自分のためにはならないと思ったんです。

その後の友人の進路などどうしているかは知りませんが、人は些細な出来事をきっかけに豹変してしまうんだなと痛感した出来事でした。
57歳 女性のストーリー
女性上司に内緒で短期間だが社内恋愛をしていた。相手の男性はその上司もお気に入りの人だった(ただし、上司は男性より20歳も年長)。
その男性とのお付き合いが破綻したある日、私たちの仲を怪しんだ上司に、コンピューター・ルームに呼び出されて「あなた、男性君とつきあってるの?」と尋ねられた。その時すでにお付き合いは終わっていたし、隠す必要はないと思ったので「付き合っていましたが、もう別れましたよ」と正直に答えた。その途端、上司が豹変した。
それまではごく普通の上司、いや、むしろ理解のある真っ当でまともで理知的な上司だったのに、バレた瞬間から私へのいじめが始まった。例えば「部下全員をパーティーに誘うのに、私にだけは誘わない」などといった露骨でわかりやすいいじめだった。恋愛が絡むとこうも人間は変わるものなのか、と驚愕した。
そのことがあって以降、決して社内恋愛はしない、と肝に銘じた。
25歳 女性のストーリー
私が22歳の頃、ネットで出会った友達で36歳の男性がいました。
ネットのみの繋がりだし住んでいる場所も年齢も離れているし、「会うことはないけど大切な友達」という程度にしか思っていませんでした。
しかし、私が毎回丁寧に彼のメッセージに返信していたのを気に入ったのか、ある日とんでもないことを言われました。
ある日、彼が飼い猫の写真を送ってきました。
私は「可愛いからずっと見ていられるね」と返しました。
すると彼から「なら嫁に来ると良いよ。そしたら本当にずっと見ていられるから。」と言われました。
私は「いや、会ったことのない人にプロポーズなんて冗談でしょ」と思い、適当に流しました。
すると彼が豹変し「ちゃんと返事してよ!俺が○○さん(私)養う!」としつこくメッセージを送ってきました。
当時、たまたま彼の本名を知っていたので何となく彼の本名を入力し、facebookやインスタグラムを片っ端から調べました。
すると、かなり構ってちゃんで女性に依存しており、更に未成年とも繋がっていることが発覚しました。
こんな大人にはなりたくないとぞっとし、会ったことがないことを不幸中の幸いだなあと思いました。
28歳 女性のストーリー
いつも優しくて、ふんわりおっとりした感じの後輩女子が豹変する姿を見ました。
その子には同じ会社に気になっている男性がいて、ちょくちょく二人で飲みに行ったりするなどいい雰囲気だったそうですが、突然その彼と距離ができて悩んでいました。
私はその彼と同期だったので、さり気なくその理由を聞いてみると、新入社員で入ってきた女の子と良い雰囲気になり、付き合うことになったからだと言っていました。
それがまわりまわって本人の耳に入り、二人の仲も気まずくなってしまったのですが、後輩がその新入社員のことをボロカスに言うようになってしまいました。
「入社早々男漁りするなんて」「絶対キャラを作ってる」「大して可愛くもないくせに」など、いつもおっとりしていた彼女が鬼のような形相で悪口を捲し立てる姿には思わず引いてしまいました。
23歳 女性のストーリー
温厚だった人が、何かが起こったりすると突然人が変わったようになる事は多々あると思います。

私の中で1番豹変したな!って思う人物というのは、6歳離れた私の弟になります。

私を含めて3兄弟なのですが、私が1番上で下2人が弟になるのですが、今回お話するのは1番下の弟の話になります。(つまりは次男です。ちなみに長男と私は1歳差)

この弟なんですが、一言で現すと「冷たい男」としか言いようがないくらいに誰に対しても塩対応。

最近出来た彼女にさえも我々と変わらない接し方をするもんですからいつか見捨てられるぞお前…と家族皆もハラハラしています。

家族、友人、恋人にすら塩対応の弟。
「こいつ大丈夫かな…?」と心配するお節介な姉。

そんな弟が最近何やらニヤニヤする事が増えてきたんです。
どうした弟よ…と彼が目を向ける目線の先にはある木の写真が…木の写真!?

しかもよくわからないのは木の写真は木の写真でも枝の部分を拡大した木というよりももう枝な写真。

実は弟は工業高校の建築科を卒業していて、設計よりも制作する方が好きな職人気質な性格。

「やべぇよこの木目…。」とか言いながらものすごくニヤニヤしながら何かの木(後に栗の木だったらしい)を見つめる弟。

「お前いつもの冷めた表情どこ行った…?」と不審者を見る目を向ける家族。

「お前の表情って木を見せれば変わるものなのか…?」と聞いたところ、「違う。木じゃない。木の木目がいい。」と答えられたうちの弟様。

クールな弟も、木目の美しい木を見れば、セミの抜け殻を初めて見つけた男の子のように顔が変わるのを見て、思わずニヤニヤしてしまうのであった。
52歳 女性のストーリー
とある会社に勤めていた時の話しです。
ある時、同業他社と合併しました。仮に私の会社がA社、合併した他社がB社とします。会社の名前は私たちA社の名前で統合し、B社の名前は消滅しました。
A社の社員は「吸収合併」と思い、B社の社員は「対等合併」と聞かされてきたそうです。
色々ありましたが、2年くらいかかり、なんとか両者のやり方をすりあわせ形になってきました。
そこへリストラが断行されて、旧B社の社員が大量に離職しました。私と机を並べていた旧B社の女性社員も離職しました。
半年後、彼女と再会しました。私はただ懐かしく、色々話しかけましたが、目の前で無視です。共通の仕事関係者とおしゃべりして、完全無視!
仲間として、2年間苦楽を共にし仲良くしていたと思っていたので驚くばかりです。目の前で話しかけても無視するので、諦めて帰りました。私がA社の人間だけど、仲間だと思って頑張ってきた仲なのに悲しかったです。人って、あんなに変わってしまうのだな…と思いました。
34歳 男性のストーリー
高校時代から、親友と行っていい友達がいました。高校時代は毎日遅くまで帰りもせずマクドナルドでとりとめのないことを話していましたし、卒業後も定期的に会って遊ぶなかでした。

話すことといえば、相手がかなりの遊び人だったため、これまでの恋愛遍歴や彼女とのもめごとなど、私は当時から全くモテておらず、彼の話を参考にして彼女ができればなぁ、くらいの気持ちでした。

大学生になって数年たち、やや疎遠になってきた頃、何気なく遠回しにお金を貸してくれないかと持ちかけてきました。当時、まだ金の貸し借りを軽く見ていた私は、深く考えずに20万円弱できたし、なにもかも考えずにぽんと貸してきました。

その後、何回か会うことはあっても、やぼったくもなるのも気がかりだったし、催促はしまけんでして。

その後、彼からの連絡は途絶えてしまい、電話やメールもわからない状態、SNSを漁ってもわからずじまい。

当時は親友なら、おカネの八潮浮く区
29歳 女性のストーリー
新卒で入社した職場の3つ上の男の先輩は、教育担当でもないのに日頃からとても優しく可愛がってくれていました。
私が営業所の補佐として四苦八苦している中、ベテラン営業だった先輩は社会人としての立ち振る舞いなどとても丁寧に教えてくれて、尊敬する気持ちとともに好意を寄せていました。
気づけば両思いで3ヶ月ほどで交際を始めましたがそこから先輩は豹変。
俺は彼氏なんだから、あれだけ教えてやったんだからと他の先輩の補佐業務よりも自分の補佐を優先しろと強制してきました。
公平にするべきだからと後回しにした時や、ほんの些細なミスがあった時は、暴言を吐かれたり人格否定をされたりしましたが、退勤後には必ず、君のためだからと優しく接してくるのです。
しかしそれも3ヶ月ほどで状況が変わり、プライベートの時間でも暴言を吐かれるようになりました。
さらに先輩は一人暮らしをしていましたが浪費グセがあり、将来一緒に住むんだからいいだろう?と、お金がないのを理由に私に光熱費を支払わせら始末。
手料理が食べたいからと、家に来る途中で材料を買ってきて(私の自腹です)作ってと命令する始末。
今覚えば私もほんとうにバカだと思います。ただ当時は何を言っても言いくるめられ、職場の空気を壊してはいけないと配慮して言いなりになっていましたが、転職を決意して、逃げるようにしてその先輩から別れました。
46歳 女性のストーリー
同じ職場で同い年の子と仲良くなりました。お互い独身で彼氏もいなかったためプライベートも仲良くしていて気がつけば35才。結婚に焦りはあったのですが彼女は「この年で変な男とは結婚できない」と銀行員や公務員の夫を持つ友達に飲み会を設定してもらいせっせと婚活に励んでいました。
私はたまたま地元の知り合いと再会したことでお付き合いをすることになったのですがそれを彼女に報告したところ、彼はしがないサラリーマンだったので「年収いくら?そんな人と結婚したら苦労するよ」との返事でなんだか話す気も失せました。
その後私はあれよあれよと結婚が決まったのですが、その途端今まで仲良くしていたのが嘘のように職場での無視、あることないこと噂をされる、悪口を言われるなど散々な目に遭いました。周囲からは「羨ましいのよ」と励まされましたがあまりにもひどく妊娠するまでは仕事は続けるつもりでしたが耐えきれず辞めました。人の幸せが妬ましかったのかなと今となっては思いますがもう一切連絡はしていません。
42歳 女性のストーリー
いつもは理論的に、頭が良さそうにおしゃべりしていた娘の同級生のお母さん。ある、役員を決めなければいけない会議があり、私は司会者として出席しました。大きな役職なので、なかなか決まらず、立候補が出るわけもなく、時間だけが過ぎていきました。なんとか推薦により、決まりかけたそのとき、「その決め方はよくない!」と言ってきたそのお母さん。いろいろと理屈を言って、変えようとして来ます。(男性女性、それぞれ一名ずつ出さなければいけない役員を、「今時ナンセンスだ!」と吠える。)アタマ差いいので、理屈では勝てず、何度か集まり直したあげく、結局はくじびきをすることになりました。そのくじ引きで、最後はそのお母さんが引き当て、終了したのですが、穏やかな頭のいい人はこんな風になるのかと、怖かったです。
34歳 女性のストーリー
高校から付き合いがある彼氏とできちゃった結婚をする事になり親と体面し、話し合うことになりました。
普段は、両親の言いなりの様子な彼ですが、話し合う最中もだんまり状態で頭下がったまま何も言わなかったのたに、籍を入れアパートに一緒に住んだ途端、人が変わったように、条件をたくさん出してそれが守れなかったら出ていくもしくは、帰らないと断言し、私はお腹に子供を宿していたので、守れる範囲尽くしました。私の実家とは引っ越したアパートが目と鼻の先だったので、食費や、ガスは節約で実家で作ったものをアパートに持って行って食べてました。
ある時彼の職場に持参するリュックをみたら、職場に必要のない着替えなのかパンツだけ入ってました。問い詰めると、たまに帰れないときがあるとき履き替えるとのことでしたが、ガソリンスタンド勤務で泊まりはないし着替えのパンツも必要ないと言うことを本人に問いただしたら、豹変して、鋭い口調で、仕事先に可愛い新人さんが入った。だからあれこれ教えないといけないしわかってくれよと言うんです。浮気だなと確信したのでみごもってましたが、その後裁判して離婚しました。
54歳 男性のストーリー
人生が変わったことで親の介護で父が軽度の認知症になったことで母親の手助けをすることによって頑張りが効くようになったので気持ちが前向きになって自分自身のこれからの人生がわかるようになったのでまずは家族4人姉を含めてとうきょうにりょこうにいくことになりました。家族4人で行く事は最後かもしれませんが小旅行としてはまだまさ父が元気な間は行く事は可能なのでもし親父がショートステイに行く事になっても見舞いには行くつもりで母が一人になったらかわいそうなんで母のサポートをしながら人生をおおかしたいと
思っています。仕事も今の仕事をつづけながら定年まで頑張りたいと思っています。友達も今は少ないですが徐々に相談できる友達を何人か作って彼女も作って人生満喫できるようにはしたいです。前向きに人生を考えています。
22歳 男性のストーリー
 私の母のことなのですが、ある日を境に豹変しました。私の財布の中身をのぞいたり、私の部屋をあさったり、ゴミ箱をあさったり、飼い犬のことをあまり気にかけなくなったりして、最後には私を非難するためだけに些細な間違いやちょっとしたゴミ、買ったことを秘密にしておいた趣味の購入物を探し出して何度も何度も怒鳴り散らすようになりました。
 おそらく、一年ほど前に発覚したパーキンソン病によって今までできていたことが徐々にできなくなってきたことが大きな原因となっているかのように思われます。パーキンソン病自体は進行を遅らせることしかできず、完治どころか悪化することを見届けるしかないので徐々に不機嫌になってきてそれを私にぶつけるようになったのではないだろうかと思います。
49歳 男性のストーリー
子供の頃、小学校高学年の時でしたか、友人が豹変した事がございます。
この頃は自分を作っている段階で、判断する知識や能力にも乏しく、
他人の立場に立って考えるとか、人それぞれあらゆる条件・環境などの違う事が
認識出来ない状態であり、親の威を借るキツネや、みんなと違う間違い探しをして
「悪人作り上げて正義面」したりして自己主張するものです。
学校や地域、子供向けの教育番組、家庭もそうかもしれませんが、
あらゆる所で「みんなが同じでなければならない」と教育をしています。
良く「間違い探し」という問題がありますね。これは、将来の人のあら捜し人間となります。まさに「みんなが同じでなければならない」という思考停止教育そのものです。
まず、自分と他人は違って当たり前という事を理解してみようと教育すべきですね。
友人が豹変したのは「自分がヤバくなった途端に」私に罪を擦り付けた事です。
36歳 女性のストーリー
別れた旦那の母親の豹変話。
別れた旦那の母親は、よく言えばおっとり。でも私は嫌な思いをたくさんさせられてきたので、おっとりなんて言葉では片付ける事ができない、ただのバカで気が利かない、自己中心的な人としか思っていませんでした。教養も全くなく、すぐ人に流され、そのくせ頑固でワガママで。家事もできず、料理はいつもスーパーのお惣菜。たまに作るにしても魚を焼きながら何かを炒めたり調理するという、同時進行ができないので、魚を焼くなら焼けるまでずっとグリルの前に張り付いて見ている、そんな感じでした。
でも、旦那にはそれが天然でおっとりにしかうつっていなかったようで、私が色々言われたり、嫌なことがあって報告しても「俺のお母さんはそういうつもりじゃなくて、そういう人だから」でいつも母親の肩を持ち、一度も私の味方はしませんでした。
離婚話の時に、向こうの母親はどうしても私が悪かった事にしたがるので「お義母さんはどうしても私を悪者にしたいんですね」と言ったら「なんだその言い方はー!!頭にくんな!!おい、こんな女早く離婚しろー!!離婚届早く書けー!!」と怒鳴り、元旦那はその姿を初めて見たであろうから「ほら、いつも私言ってたでしょ。これが私に対する態度だから」と言ってやりました。
元旦那の母親は、さすが自己中心的でワガママなだけあり、話も終わらないのに一人帰って行きました。縁を切れて良かったです。
56歳 男性のストーリー
以前の仕事で窓口に、うつ病だという人が来て、障害年金について聞きたいとのことだった。ニコニコしていておっとりした感じで、芦屋小雁が演じる山下清風で話し方もそんな感じだった。

最初は「僕は○○知事と友達なんだけど言ったら変えてもらえるかな」などと意味が分からないことを言うこともあったが、ずっとニコニコしているので温厚な人なんだなと思っていた。

途中からこちらでは管轄外の質問をしてきたので分からない旨を伝えると、突然表情が変わり、口調も変わって「お前らが分からん言うたらわしらが分かるわけないやろ!」と大きな声で怒り出した。

それまで穏やかに会話をしていたのに突然起こりだして、こちらはすごく驚いた。同じ人物とは思えない代わりぶりだった。 
43歳 女性のストーリー
1年ほど前まで、数年間、比較的親しくしていた知人がいました。家族ぐるみで付き合いがあり、普通に交流していたんです。特に何のトラブルもなかったはずなんですが、ある日を堺にSNSなどが暗くなって「どうしたんだろう」と思っていたんです。
すると、いきなり彼がSNSで私や友人をブロック。しかも共通の知人に、私とトラブルになったとか、いろいろ悪口を言い出したのです。まるで原因がわかりませんが、その豹変っぷりにドン引きしました。結局まったく理由がわからないまま今に至ります。何人かの共通の知人には状況を説明しましたが、なんかもうどうでもいいや、と思って放置しています。世の中には怖い人もいるのだな、と思っています。

「人生が変わった出来事」

36歳 男性のストーリー
猫を飼い始めて人生が変わりました。
5年前までは仕事もプライベートもパッとせず、毎日終電まで残業して、休日は寝てばかりのその日暮らしのような生活をしていましたが、当時付き合っていた彼女と別れたことをきっかけに、長年飼いたいと思っていた猫を飼うことにしました。
猫を飼おうと思った途端に職場近くのカフェで猫の里親募集をしていたので応募し、かわいい女の子の仔猫を譲り受けました。
猫を飼ってからは今までよりも自宅にいられるように転職して年収も100万ほどアップし、猫つながりで猫好きの彼女もできました。
猫自体も可愛くて毎日癒されますし、価値観の合う恋人がいることでプライベートも充実しています。
猫のために働き方や生活のリズムを変えたことで本当に人生が変わりました。
49歳 女性のストーリー
日本で大手企業に勤務していましたが、思い切って辞め、海外に移住した事です。日本にいた時の私は、何に対しても文句を言っていた様に思います。私は発展途上国と言われる国に住んでいますが、日本の様に恵まれた国に生まれ育ってきて何で文句ばかり言っていたんだろう?と今になって思います。
お墓参りはともかく、日本にいた時は先祖の仏壇に手を合わせる事も無く、スイッチを押せば電気が点いたり、蛇口をひねれば水が出る、毎日のご飯があるのも当たり前と思って生きてきました。
ですが、この国ではこれらの事が当たり前ではないのです。
交通事情にしても、日本に帰ると、こんな便利な事ある?って思います。
この様な毎日を過ごして行く中で、自分の身の回りにある物に感謝する様になり、物を大切にする気持ちを持ち、今日も一日無事に過ごせたと先祖に感謝する様になりました。
自分としては人間として大きく変わり成長したと思っています。
38歳 女性のストーリー
高校生の頃、ちょっとヤンチャな女友達といつものようにカラオケに行ったとき。
私が気分良く歌っていると、友達にふざけて足でマイクを軽く蹴られました。
その拍子にマイクが私の前歯に当たり軽く蹴った割には、物凄く痛くて脳天まで痛さが響き、その時は何も言えませんでしたが、私が痛がっている姿を見てイタズラが成功したのを笑いながら見てました。

そんな友達だったので、その後考え方の違いで友達を辞めましたが、なんとその一年後ぐらいに歯茎に膿が出てきたので歯医者に行くと、前歯が折れていました。

マイクが当たった衝撃で前歯が折れていたのです。そのまま放置するわけにはいかず、歯茎を切って抜歯しブリッジにしましたが、保険の差し歯では色が変色してくるので、自費でセラミックにしましたが、セラミックが割れてまた自費でやり直しましたが、
私はその友達だった人に保障もしてもらえず、お金がかかる人生になってしまいました。

次割れたら入れ歯です。そうなったら、まだ若いのに見た目最悪なので、前歯で硬いものを噛むのが凄く怖くなりました。

52歳 女性のストーリー
結婚して4年目の春、風邪をひいたと思い市販の風邪薬を飲んだところ熱と発疹が出て、慌てて病院に行きました。今度はそこで解熱剤が出され、良くなるならと使用したところ症状は悪化するばかり。ついには大学病院に行くことになりました。
大学病院で受けた診断はスティーブンスジョンソンズ症候群。重症の薬物アレルギーです。それまでアレルギーとは無縁の生活だったのに、生活が一変しました。4ヶ月近く入院し、以降も様々な後遺症に悩まされつつ生活しています。
病気になって、意外にも良いこともありました。入院中に色々な相談ができる知り合いができたことです。お互い病人なので、健康な友人とは違い、弱音も吐けるし情報交換したりはげましあったり。これからも仲間と頑張ります。
34歳 女性のストーリー
付き合って半年で同棲した彼氏と、同棲の前に両方の両親と顔合わせして、これで結婚まで行くんだろうなと思っていた矢先に同棲から1年半すぎたある日正月休みで家にいた時に、薄々は感じてはいましたが、同棲解消別れましょうという話が出てきました。わたしは予想はしていましたが、本当にそうなるとは思っていなかったので、涙で涙でパニックになっていました。同棲していたのは職場から近くのところで家賃も高かったので、別れてわたしが実家に戻ったら、彼氏もここの家を出て実家の近くで一人暮らしするという話でした。泣き喚いても仕方ないと思いその日に荷物を準備して、翌日にわたしは実家に戻りました。彼もその1ヶ月後に退去したのですが、退去にかかる費用が足りないので、出して欲しいと言われ、8万円出しました。そして、半年後、もう忘れようと頑張っていた時に電話があり、泥棒に入られたので、お給料全部なくなったからお金かして欲しい。他に頼る人がいなくて。と言われたので、20万円貸しました。毎月返すという口約束でしたが、だんだんと職場でも喋らなくなり、お金も結局帰ってないまま現在に至ります。教訓は。人にはお金は貸さない。ということです。
43歳 男性のストーリー
サラリーマンを20年続け、独り身、親も元気、預貯金も十分、今の仕事に価値観が見いだせない(このまま続けていいものか)と考え、思い切って独立開業を行いました。
それまでは、事務員として働いていたのですが、開業した職種は飲食。飲食業界でのバイトや就職経験はなく、本当にイチからのスタートとなりました。
結果として、2年半で閉店。少し借金を負うことになりました。
現在はまた、事務員をしており、収入も以前の事務の時に比べると、1/3以下になっていますが、充実しています。
それは、開業してからの日々の経験、それを経験したからこその考え方の転換。様々な貴重な体験をすることができ、開業は失敗とも思えるのですが、自分の成長という部分に関しては成功と考えています(前のサラリーマンの時は、こんな考え方になどならなかった)。
この経験により、考え方というものに変化が生じ、様々なことが起きてもへこたれない、柔軟な考え方ができるといった、強いメンタルを手に入れることができました。
19歳 女性のストーリー
私は小学3年生の頃に将来の夢ができた。それはホテルで働くという夢。きっかけは遠足で訪れた職業体験ができる場で「ホテルスタッフ」という職業を2回も体験したこと。その時に初めて興味を持ったわけではなく、家族旅行やなんやらと宿泊施設に行くことが多かったので、そのたびにベッドメイキングや受付の仕事に興味を持っていた。短い時間ではあったけれど、体験してみるとこの職業になりたいと強く思うようになった。サービス関係の専門学校ではなく、4年制の大学を選んだ今も夢は変わらず自分の中にある。ただ、大学で福祉を学んでいるため、ホテルと福祉の仕事両方に携わりたいと考えいる。まだまだ具体的なことは決めていないが、職業を体験した小学生の遠足は私の人生を語るうえで最も大きな出来事かもしれない。
52歳 男性のストーリー
なんと言っても東日本大震災でしょう。テレビで見た家や、田畑などが黒い波に飲み込まれていくシーンは頭から離れません。すべての財産や生命をのみこす自然災害の恐ろしさに、働くとは何か?家を建てたり貯金をしたりする意味に絶望を感じました。当時運転手をしていましたが、テレビで見た橋の所でのトラック2台が絡む接触事故らしきせいでその道が通告止めになっており、事故処理の警察や、運転手が結果的に助かり、そいつらのせいでそのみちにたどりつけずなくなった方を思うと言葉になりません。せめて動けそうなトラックを片方に寄せて通れるようにしておけば何十もの命がすくわれたのではないか、と思い同業がいやになりました。とらッカスは消えろ。
31歳 男性のストーリー
自分が中学生に上がるまでは、勉学に勤しみ、部活動に励むというその日その日をなんとなく生きていく人生でした。
そんなある日、「技術」という選択授業で簡単なロボットを作り、大会に出るというものがありました。授業が始まり、お手本となるロボットを見て、自分なりに設計して実際に制作を始めるというものでしたが、初めて見るとある程度の制約はあるものの、自由度が高い作業にどんどんのめり込んでいる自分がいました。大会では2回戦敗退ということであまりよい結果を残せませんでしたが、その日からモノづくりの楽しさに気が付き将来はモノづくりに携われるように進路を進めようと決意しました。
実際にその後の進路は工業高校に進み、国内ではレベルの高い工業大学へ進学し製造業の開発部門で日々製品開発業務に勤しむ生活を送っております。中学生の時のきっかけがあって本当によかったと思っています。
31歳 男性のストーリー
仕事をして8年。同期から誘われた違う仕事。最初は少し考えましたが、これにより良い方に人生が変わったなと思います。それまでは朝から晩まで休む時間もなく働く日々でしたが、働く時間も少なくなり給料も倍ほどまであがりました。また海外旅行などにも行けるような人生になりました。
あのまま以前の仕事を続けていたらそんなことにはならなかったでしょうし、本当に感謝してます。
人生が変わるキッカケはいつやって来るかわかりません。そのキッカケをチャンスと捉えて行動出来るか、出来ないかが、本当に大事になってきます。簡単には人生は変わりませんが、変えようと思った人には間違いなく変えれるものです。

自分の人生を変えるのは自分。
43歳 男性のストーリー
私は中学生の頃に不良グループから使い走りとしてコキ使われていました。高校に進学すれば不良グループと離れられる。そんな希望を持ち中学三年間を過ごしました。高校生になると新しい友人達に囲まれながら青春を謳歌し、次第にヤンチャな友人も増えて行きました。高校一年生の夏休みに地元の中学校卒業を卒業した同級生と会うことになり待ち合わせ場所に行くと、同級生はバリバリのヤンキーに変身していて既に高校は退学になっていました。この同窓生と私は夜な夜なつるむようになり、気が付くと私自身もヤンキーになっていました。夏休みが終わろうとする頃、ヤンキーの同窓生の提案で私を中学生時代にコキ使いまくったヤンキーグループに復讐しようと提案があり、悩んだ挙げ句呼び出しました。勢いよく威圧しながらやって来るかつての敵達。体に染み付いた恐怖感を抑えて私も威喝して一人と喧嘩になりマグレで私は勝ってしまったのです。その後、立場は逆転して敗退した彼等は私と同窓生の使い走りとして高校三年間を過ごしました。因果応報。私の人生が変わった瞬間です。
30歳 男性のストーリー
現在の介護職員として資格を取得して働いています。
元々は建築関係の仕事をしていて介護職とは汚いし、雑用の仕事だと思っており無縁の仕事だと思っていました。
とある日介護に疲れた母親が家を出て行方不明になりました。 捜索願を出したりSNSで拡散しましたが見つからなく、自分がじいちゃんの世話をする事になりました。 何もわからないまま訪問ヘルパーの人に介護を教えてもらい徐々に人の体に触るということが出来るようになりました。
半年が過ぎ母親が帰ってきて、その後すぐにじいちゃんが病院で亡くなり俺は母親にキレました。 1年間母親とも会わなくなり、「介護って家族でもいなくなる人がいるんだな・・・」って少し残念な気持ちと、腹立たしい気持ちが募り学校に通い資格を取得しました。 色々ありましたがあれからもう2年前たちます。建築の仕事も転々としたりしてたので今は介護職員として働けていることが満足です。 良く良くは自分の親の事くらい子供がしっかり見られるような施設を作ったり、介護を変えていきたい。そんな思いで今働いています。 この先どうなるかはわかりませんが、
あの時じいちゃんの事を最後まで看取って人生が大きく変わったので本当感謝しています。つまらない話ですが一生忘れられない出来事の一つです
32歳 女性のストーリー
結婚4年、子供なし、
セックスレス、
主人とは会話もほとんどなし、
地元から離れた田舎の土地で
何のために結婚生活を続けているのか
わからない状態でした。

そんな時、
職場のお客様で凄く素敵な方に出会ってしまったのです。
始めはお客様の中の一人として
きちんと距離を取らないとと思っていたのですが、
気持ちが押されられなくなり
男女の関係になりました。
29歳の年の差、彼も私も結婚をしている
W不倫…
それでも私には彼が心の支えでした。

彼と一緒になれないのは承知の上、
でも今の意味のない結婚生活を続けていたくはない…
だけど、金銭的にすぐに家にを出ることも出来ない…
そんな私の気持ちを察してか、
彼が離婚の後押しをしてくれたのです。

新しくマンションを借りてくれ、
生活の手助けをしてくれました。

家を出てから3ヶ月過ぎたころ、
無事に離婚が成立し、
地元へ帰る準備も彼のお陰ではかどり
重荷から解放された気持ちで
就職活動も精力的に取り組めています。

友人たちからも顔つきが優しくなったし
いきいきしていると言われ、
本当に離婚して良かったと思います。

彼に出会えなければ
今も苦しく寂しい結婚生活を我慢して
続けていたかもしれません。

不倫だと世間からは
否定される関係ではありますが、
彼に出会った日が
私の人生が変わった瞬間でした。
43歳 女性のストーリー
新卒で勤めた会社を1年と数ヶ月で辞めて、兼ねてから夢であった英語圏での生活を叶えるためにオーストラリアにワーキングホリデーに行った。学生時代にもホームステイや海外旅行の経験はあったが、あらかじめしっかり計画された安全なものだったが、ワーホリではその場その場で自分で選択していかなくてはならないことばかりで、一人旅の基盤ができた。オーストラリアを長距離バスでぐるりと一周し、旅の醍醐味を知ってしまい、ワーホリビザなのに仕事はほとんどしなかったに等しい。
帰国後も、3日以上休みがあればすぐ海外へ行く生活を送っていた。おかげで、仕事もよく変えた。それまでは、お堅い性格だったが、色々な国の人と出会い、柔軟な考え方ができるようになった。たくさんの人が親切にしてくれた。だから、身近な外国人には、親切にできる。貴重な経験をした。
39歳 女性のストーリー
人生が変わったと感じた出来事は、出産を経験したことです。自分が母親になるとは想像もしていなかったので、妊娠が分かった瞬間、妊娠検査薬で陽性反応を見た時の衝撃を今でも忘れません。赤ちゃんがお腹で育ち、出産するというのは頭では分かっていたものの、実際どうやって成長していくのかは、妊娠した女性しか分かりません。ある程度月数が経過して赤ちゃんの胎動を初めて感じたとき、本当にお腹に赤ちゃんがいるんだなと実感しました。出産は2回経験しましたが、1回目は何も分からず丸一日かかっての出産でした。赤ちゃんが取り出されるその瞬間、痛みが一瞬で吹き飛び、我が子との対面に感動しました。守るべきものが出来た、そんな覚悟を決めた出来事でした。
27歳 女性のストーリー
独身だと思ってお付き合いしていた方が既婚者で、知らない間に不倫関係なっていたことがあります。
そのことが奥様にバレて夫婦間で修羅場化し、私も呼び出され何度か話し合いをしたことでお付き合いしていた方が魅力的に感じなくなり、結果別れることになりました。
そんな出来事があったせいで精神的に参ってしまい、現在の主人を友達に紹介してもらい相談にのってもらっていたらお付き合いすることになりました。
主人とは相性が良く、結果的にデキ婚をし幸せな家庭を築くことが出来ました。
現在では子どもを3人授かることになり、まさか自分がこんな人生を歩むとは思いもしませんでした。
あの時不倫関係だったことが発覚しなければ、今でも依存した健全でないお付き合いをしていたかと思うとゾッとします。
34歳 女性のストーリー
長男が発達障害グレーの診断を受けたことで、「発達障害」や「療育」について自分自身でも学ぶようになりました。
発達障害の特性を理解した上で、長男と接するようになったことで、それまでイライラ続きだった行動も、なくなったりと、接し方ひとつで大きく変わってくることがわかりました!

それまでは教育についてまったく興味がなかったが、専門的な知識も含め今後も学んでいきたいなと思っています。

「発達障害」と聞くと、マイナスなイメージもあるかと思いますが、子育てにしっかり向き合おうと思うきっかけになりました。

また、発達障害の子は興味のあることに関してはとてものめり込みます。
何も出来ないのではなく、特性を活かすことで、将来の仕事にも繋がるような能力を秘めているのではないかと思います。





42歳 女性のストーリー
私はあまり結婚願望がなく、ずっと独身のままでいいと思って生きてきました。
20代で犬を飼い始め、さらに犬に愛情がいってしまいなんでもかんでも犬優先の生活になっていきました。
お付き合いする人ができても、愛犬が寂しがっていると心配になり早めに帰ったり、予定をキャンセルすることもありました。
もちろんそんなことをしているのでお付き合いも長続きするわけもなく犬中心の人生でした。とはいえ、犬の寿命もそんなに長くなく、10年でいなくなってしまい、そのあと急激に独りが寂しくなりました。
その後、一人の人生は考えられなくなり、婚活を経て結婚しました。今思えば、愛犬に人生を考えされてくれたように思います。今の私があるのは愛犬のおかげです!
64歳 男性のストーリー
私の人生を変えた出来事は、突然の脳出血になって、左半身に麻痺が残り人生設計が代わってしまったことです、今まで行っていた仕事を辞めることになり、退院後はデイサービスでのリハビリが続きましたが、それも思うように良くなることもなく、今は障害者の支援施設に通いながらの生活になっています。病気になったのは人生も終わりに近づいた57歳の時でした、これから老後のことを考える時期に収入がなくなってしまったのですから、大変なことになってしまったのです。今の障碍者施設の給料と、年金だけでは生活することは難しのがほんねです。これからは生活保護の生活になることも考えて暮らしている毎日、楽しいはずの老後もすべての予定が一瞬で変わってしまったことです。
30歳 女性のストーリー
学生時代の私は学校、バイト、サークルとアクティブに動き回り、好きなものを食べて、休みたい時にはゴロゴロし、夜更かしも平気なタイプでした。
ところが就職した会社で、先輩社員に「事務職は太るよ~」と言われた事が全ての始まりでした。
先輩としては悪気のない、何気ない言葉だったと思います。
しかし、私の中では太るのはイヤだという思いが支配しました。
それからは痩せ中心の生活になりました。
幸いだったのは仕事が比較的緩い会社だったので、クビにならなかった事です。
会社に行く以外はひたすら身体を動かし、しかし、食事は減らしました。
少しでも痩せていないと気分が落ち込みました。
最終的には体重が20キロ代まで落ち、流石に死ぬかもと思い、治療を始めました。
あれから数年。今ではすっかり健康になりました。しかし未だに月経不順で子供が出来る可能性が薄いです。改めて健康の有難味を知りました。
64歳 男性のストーリー
私は障害者です。昔はスポーツ大好きなスポーツマンだったのですが、障碍者になり、スポーツもできなくなったのですが、そこで私が出来る障害者スポーツを探したのです。そこで出会ったのが、わが町にある、障碍者団体なのですが、もちろんスポーツもしていますが、いきなり団体の役員となってしまったのです。そして、そこで出会った一緒に役員をやっていた女性、彼女は全盲です。全盲でも活動的な彼女ととの出会いが私たちを変えてくれたのです。年齢も一つ下と物の価値感も同じような年代話は合います。お互い一人での生活をしているので、思い切ってお付き合いをお願いしたのです。答えはOKでした。それからは、二人だけの時間を作り人生が楽しくなってきたのです。あの時障害者団体と巡り合わなければ、なかった話です。
24歳 女性のストーリー
3.11のとき私はディズニーシーにいた。
友達9人くらいで楽しんでいたが、地震は起きた。
地震が起きたとき私はトイレにいた。
揺れ始めは立ち眩みかと思ったが一緒にトイレに行った友達が私の名前を叫んだのでこれは地震だとわかった。
家族とも連絡が付かず、家の状況、外の状況が今どうなっているのかがわからなかった。
ワンセグから見れる情報は津波や火災であり、自分の家もそのような状況なのかもしれないと思い不安に思った。
夜になり長い長い公衆電話の列に並び、ようやく家族と連絡を取ることができた。
家は無事で安心した。
しかし、その日は家に帰ることができず、レストランで宿泊した。
次の日家族が迎えに来てくれて、帰ることができた。
帰る途中見た景色は、電柱が倒れかかっていたり、駐車場が液状化で水没状態だった。
家に帰っても地震はなかなかおさまらず、テレビでも地震が及ぼした影響、津波の映像が連日放送され、もうやめてほしい。普通の生活に戻りたい。と思った。
今までは地震に恐怖を感じることはほとんどなかったが、それから地震に敏感になり、防災用の荷物を用意したり、防災用アプリを取ったりしている。
また、いつ首都直下地震が起こるかわからないといわれており、恐怖を感じながら生活している。
20歳 女性のストーリー
私の人生が変わった出来事は、『ダイエット』です。ダイエットをしたおかげで周囲の態度が激変しました。まず私の体重歴を簡単にお教えします。
私は生まれた頃から小学校中学年までは標準体重で過ごしていた一般的な女子でした。
しかし、小学校5年生の頃仲の良かった友達と喧嘩をし仲間外れにされてしまいます。そのストレスから暴飲暴食が続き、気づけば体重は89キロになっていました。人生で最高記録の体重です。太ったせいで肌は荒れ、今まで着ていた服もピチピチになってしまい男子生徒からの”いじめ”に合いました。先生から気にしなくても良いからねと励ましもあったおかげで不登校にはならずに済みましたが、体重は変化なしに小学校を卒業し中学校に入学します。入学式当日、新しい制服に身を包んだ私は鏡に写る自分を見てあろうことか『自分に似合っている。可愛い。』と思っていたんです。
しかし、入学式が始まり入場の時、男子の先輩がニヤニヤとこっちを見ているのが分かりました。なんだろうと思った私は気にせず入場をしようと思いましたが、その時『すごいデブが入学してきたぞ。やべぇ、床抜けるぞ。』という馬鹿にした声が聞こえてきたんです。明らかに私に向けて言っている言葉でした。私はその時初めて『自分ってそんなに太っているんだ』と気づきました。
そこからの私は行動に移すのが早かったです。文化部に入部しようと思っていましたが、運動部に入部し適度な運動と食事制限をしました。部活が休みの日は、ランニングと筋トレをし89キロあった体重を1年で52キロまで落とすことが出来ました。
痩せた後は、周りの先輩や男子の目が変わり馬鹿にされるどころか頑張ったなと褒められたり細い羨ましいと羨望の眼差しを向けられるようになりました。
今では、一度は振られた初恋の人に告白されて付き合って2年が経ちます。
人生を変える出来事は人それぞれ色々あると思いますが、私は『ダイエット』のおかげで自信や前向きな考え方を手に入れ、愛する彼と一緒になる事ができました。頑張って良かったです。
27歳 女性のストーリー
私は中学校の時に全校生徒からイジメられていてんですが
イジメ事態が大変で無視されたり
ばい菌や触ったら呪われるとまで言われて学校に行けなくて不登校になったんですが
中学2年の時に担任の先生に中学校だけど
このまま行くと中学で留年すると言われたんですが
長時間学校に居ると気分悪くて学校早退したりしていて
学校の先生と私と親で話し合って
不登校など何らかの理由で私と同じで学校にいけない人が大勢いる施設に
実家から通っていたんですが周りに居る人は同じ悩みが合ったので
すぐに仲良く慣れて施設のスタッフさんも色々相談に乗ってくれて
少しづつではあるんですが、
施設に通いながら、学校にも少しづつ行けるようになりました
最初は施設に行って居ても、学校に行こうとすると
足が動かなくて泣きそうになりながら行っていましたが
施設のおかげで学校も無理しなくても通える用になりました。
55歳 女性のストーリー
仕事中、クモ膜下出血で倒れ救急搬送された。その時てんかんの発作を起こしていたらしく、運転免許取り消しとなった。幸い、後遺症もなく退院できたものの、それまで、配達の仕事で生活を支えてきたのに、一気に収入が半分近くまでさがり、シングルマザーでまだ大学生と高校生の息子をかかえ、これまでの借金もあり、生活は一気にどん底に。それ以前に、社会復帰もできるかどうかさえも不安な状況。一か月の入院で筋肉はゼロに。無職にはなりたくなくて、焦る日々。半分の給料にも涙を呑んで辛抱するしかなくて。あの時死んでいたほうがよっぽど楽だったと思う日々。それは今でも毎日思う。時を戻せるのなら、やり直せるのなら、やり直したい。子供達との生活をちゃんとやり直したいと、願う。もう戻せないけど。
38歳 女性のストーリー
人生が変わった出来事は子供を出産したことです。
三人の子供がいますが、一番人生が変わったのは一人目の出産です。出産時、まわりに出産経験者が少なかったこともあり、子供を産んで育てるということにいまいち実感がありませんでした。
出産して驚いたことは赤ちゃんが自分では眠れなくて泣くことです。成長すると自分で眠ることができるようになったのですが、生まれたての赤ちゃんにも眠いとかおなかがすいたとか、何となく不安だとか、色んな気持ちがあり、大人が思う通りにならないことがわかりました。
仕事も順調で、それほど苦労をしたことがなかったので、初めて赤ちゃんを産んで育てる経験は目から鱗が落ちる経験でした。
子育て以外でも人付き合いのなかで他人を自分の思う通りにすることは難しく、どう折り合いをつけていくが大切だということを今も肝に命じて過ごしています。
46歳 女性のストーリー
私は大学院で、臨床心理の勉強をしてきました。大学院を修了し、実務経験を積んだ上で、臨床心理士の試験勉強をしました。かなり一生懸命勉強しました。1次試験が受かり、2次試験も通りました。

臨床心理士の試験に合格したことが、私の人生を変えました。就職活動をしても、急にポンポン受かるようになりました。そして、それまでは精神科デイケアで修行を積んできましたが、就職活動をして、念願の学校でのスクールカウンセラーのお仕事に就くことができました。

スクールカウンセラーのお仕事を始めて、子どもの臨床に携わることができるようになりました。臨床心理士として初めてのお仕事になります。日々いろいろ考えながら、悩みながら、楽しみながら、仕事させていただきました。
27歳 男性のストーリー
社会人になり、新潟で働くことになりました。今まで、実家をほとんど出た経験がなく、初めて知らない土地での一人暮らしです。一年くらい過ぎた頃、当時付き合っていた彼女と別れ、別の女性と付き合うことになりました。しかし、その方は3児の母で、結婚もしています。その方はとても素直で優しい人で、最初はあまり会わなかったのですが、徐々に会う回数も増えていき、次第に一緒にいるのが、連絡を続けるのが当たり前になっていました。そして、自分はこの人と一緒になりたいと思うようになりました。しかし、一緒になるには色々なハードルを越えなければなりません。離婚のこと、子供のことなど彼女は真剣に悩んでくれています。こんなに大切にしたいと思った人に出会ったのは初めてで、今も返事を待っています。
30歳 女性のストーリー
飼っている犬が意識不明の重体になった。原因も不明、脳が影響しているらしく、下手に検査もできなかった。毎日仕事と動物病院の往復。ICUに入っている2歳の天使が、意識もなく腕の中でぐったりしているのに毎日泣きながら過ごした。治療の続行と安楽死、本当に決断を迫られた。しかし、ある日突然立つことはおろか意識もなかった愛犬が、医師が朝様子を見にICUをのぞきみると、愛犬が立ち上がっていた。それまでにけいれん発作を併発し、その発作の動きでICUの壁に頭を強打しぽっかり皮膚がうげたり、輸血を小さな体に5回も行っていたので、医師も驚き、電話をくれた。会いに行くと、昨日まで意識もなかったわが子が、立ち上がり尻尾を振っていた。そのまま愛犬は回復した。後遺症とまではいかないが、歯が抜けてしまい、犬歯2本になってしまったのと、度重なる採決で剥げができてしまったが、生きていてくれるだけでいとおしい。腹が立つこともあるがペットではなく家族として愛犬に向き合っていることを再実感し、人生が変わった。
59歳 女性のストーリー
人生が変わった出来事と言えば、私にとっては長年勤めた会社を辞め、東京を離れ実家のある神戸に移り住んだことです。
東京での生活は管理職だったことや、何よりも社長が熱血漢で仕事に厳しく、徹夜で会議等も珍しくない状況で、とにかく仕事づくめの日々でした。
1日平均12時間以上も会社に拘束された生活は、ハードでしたがやりがいもあり、充実したものでした。
そんな仕事人間だった私が親との生活を選び神戸での転職活動を通して知ったのは、あまりにも世間知らずだったことでした。
当たり前ですが、50歳を越えての転職は厳しく、書類選考で落ちることがほとんどでした。
また、面接までいっても根っからの仕事好き人間のため、やる気満々で挑むと相手に引かれ「そこまでやっていただかなくても」という空気が漂った苦い経験もあります。
しかし、今は無事働き場を見つけ、神戸の美しい海や山の夕景を観ながら帰る道すがら、東京から神戸に戻って良かった、家族と暮らせる幸せな日々に感謝の毎日です。
72歳 男性のストーリー
サラリーマンをやっていました。60歳で定年退職し、62歳まで嘱託職員として働きました。後半は役員になっていたのでそれなりの報酬もありましたし、退職金もそれなりにいただきましたので退職後は海外旅行へ行ったりゴルフをやったりしてのんびり暮らしていました。
ところが3年も経つと蓄えがほとんどなくなっていました。これは家を売ってアパート暮らしを始めるしかないと一時考えましたが、働けるところがあれば働けばいいと考え直しました。
高齢になってからの就職活動は難しいと思っていたのですが、7〜8社目くらいで仕事が見つかりました。個人事業主としての配送の仕事です。慣れないうちは失敗ばかりして大変でしたが、慣れてしまえば気楽で自由度があり私にとっては最適な仕事です。
更に時間に余裕があるので副業を始めました。
今では何とか生活を維持してコツコツ蓄えも始めています。とは言え自分がこれ程働き者だとは思いませんでした。人生が変わった感じがしています。
32歳 女性のストーリー
運動をほとんどしたことがない私がフルマラソンに挑戦をしました。10キロもまともに走ることができなかった私が、半年かけて練習をしました。筋肉痛になりながらも日々走り込みをしました。練習をしていたら体重がどんどん落ちていき、ベスト体重になることができました。
フルマラソン当日になりました。練習では25キロまでしか走ったことがありませんでした。25キロを超え未知の世界に入りました。28キロから足の痛みがひどくなり歩いてしまいました。しかしなんとかゴールをすることができました。まさかゴールをすることができるとは思ってもいなかったので、感動しました。
フルマラソンをゴールすることができたことによって、今まで諦めがちだった私の性格が変わった気がしました。
26歳 女性のストーリー
私は男運が本当に最悪でした。
Aは妻子持ちで、それでもいいとお互い付き合っていたのですが、それを知ったBは浮気が許せないために私をうまいこと略奪。ただ、そんなBには既に彼女がいましたが、それでも私はBと付き合いました。
あとから聞いたら、私とAを引き剥がすためにBを好きにさせようと、その彼女が提案したらしいのです。それを知っても、愛に飢えている私は別れることが出来ませんでした。
ただBは本命彼女メインに連絡を取るため、私は寂しさからいろんな人を好きになりました。
その中のCはほんとに素敵な人だでした。Bから私を略奪…いや、助け出してくれたのです。
Cは今までの男と違って、本当に私だけを愛してくれる人でした。今まで10人弱と付き合ってきましたが、こんなにも愛してくれる人は初めてでした。
私を奪い取るの、ほんとに頑張ったんだよ!とよく話してくれます。
そんなCとは、今月入籍します。
こんなに素敵な人に出会えてよかったです。
25歳 男性のストーリー
死後の世界を経験した人がガラッと変わる、という話を聞いたことがある人は少なくないと思います。

私は以前自殺未遂を繰り返し、入院を要する事態にまで発展しました。


そこから療養やリハビリを経て、今では社会復帰を果たしました。


その中でも入院するに至った未遂では、人生観が変わりました。

それまでの私はとりあえずやりたい仕事、とりあえずやりたいことをしていました。

ですが未遂をし、そのショックで前後の記憶が無いのですが気がついたときは、もう一度生を受けた気分でした。


それによって私は以前の自分のあえて生涯と言いますが、生涯何の意味もなかったのではないかと思いました。

私はこの世に生を受け、一度それを捨て失いかけ、もう一度生を受けました。

この経験を通して今回は私自身の生、命に意味が欲しいと思いました。


未遂を通して私は、一つの大きな目標を持ち、命をかけて取り組むことができるようになりました。

※この文章は自殺未遂を推奨するものでありません
49歳 女性のストーリー
もともと身体が丈夫で、病院とはほとんど無縁だった私ですが、数年前に、初めて入院、そして手術を経験しました。当時妊婦だった私は、悪阻も全くなく、なんとか普通にマタニティライフを送っていました。だんだんお腹も大きくなりつつあった頃、早産の可能性が出てきて、急に入院することとなりました。自宅にいては、ついつい、家事や炊事で身体を動かしてしまいがちなため、入院して、安静に過ごすことが必要だったのです。初めての入院生活で、戸惑いもありましたが、大部屋のベットに入り、同じように安静が必要な他の妊婦さん達と励まし合いながら、入院生活を送りました。当然のように無事に子供は生まれてくるもの・・と思っていたのですが、ある日のこと、突然、お腹の中で出血してしまい、私は命が危ない状態になりました。緊急手術をして、集中治療室にも入り、なんとか一命をとりとめましたが、残念なことに、生まれてくるはずだった子供の方は助からずに、お腹の中で亡くなってしまいました。妊婦の身体の中には、妊婦本人の命と子供の命、二つの命があります。同じ身体の中に共存してたのに、一つの命は助かり、一つの命は亡くなる・・という体験をし、それはとても衝撃的な記憶の体験となりました。そして、その経験をしてから、生と死について深く考えるようになりました。どうして自分は命が助かり、どうして子供の命が亡くなりこの世に生まれて来ることが出来なかったのか、誰にでも起こる可能性のある出来事ですが、どうして私がその体験することになったのかも、理由がなく分かりませんでした。
私たちは、普段、生の力に満ちて生きている時、死をとても遠くにあるものとして、まるで自分とは無関係であるかのように感じていると思います。でも実は、生と死はとても近くにあるもので、自分がいつ何時、死に近づくかは誰も想像できません。妊娠出産だけでなく、災害や交通事故、突然の病気宣告や、急な外傷で命が危なくなることもあります。そして、今生きていること自体も、当たり前のことではなく、たまたま運の良さが継続していて命がある状態が続いているだけだと思います。人は誰でもいつか必ず命に終わりがきます。自分の命が助かったことと、死産という出来事は、生と死について深く考えるきっかけとなり、私の人生や生き方を大きく変えた出来事となりました。
49歳 女性のストーリー
大学を卒業後、一般企業に就職をし、長く会社勤めをしてきました。一般事務の仕事で、とても安定した企業でしたが、社風や同僚の雰囲気が自分とは合っていない職場でした。それでも、せっかく縁があり内定をもらった会社なので、すぐに辞めることはしませんでした。とてもストレスのたまる職場でしたが、なんとか毎週末にストレス発散を心掛け、会社は収入を得る場所と割り切って、働き続けました。ですが、長年の忍耐を伴う仕事生活で、心身の疲れも無意識にたまっていたようで、限界も感じていました。そして、会社を辞める決心を固め、転職するために、14年ほど勤めた会社を退職しました。その後、別の新たな企業に転職し、数年働いた後、縁があり結婚退職し、今に至ります。
最初の企業は、安定した良い会社だったけれど、自分とは合わない職場で、人間関係にもかなり悩まされました。でも、そこでは忍耐力を学べたと思います。そこで働いた14年間を色で例えると、グレーです。身体は生きてるけど、精神的には死んでいたような生活だったように感じます。限られた自分の人生の時間を、グレー色の生活から、色彩豊かな色のある生活に変えたい、そう思って実行した退職・転職でした。
人生を変えようと思った時、時にはリスクもつきまといますが、勇気をもって行動に移したその出来事は、私の人生を色のある人生に大きく変えました。また、環境を変えると、出会う人も変わり、人生の流れが大きく変化していくと思います。自分にとって良い方向へ向かう決断を、これからも慎重に選びながら、過ごしていきたいです。
19歳 女性のストーリー
18歳の時に初めて海外一人旅をしたときに、私の人生は変わったと実感しました。
行先はベトナムのホーチミンです。私は世界の食べ物に興味があり、海外に行きたいと思っていました。
 しかし、私は人より好き嫌いが多かったのです。とりあえず日本のものはすべて食べれるように「好き嫌いなくそうキャンペーン」を一人で細々と実施していました。実施してから1年後には、目の前に出されたものすべて食べられるようになったのです。
その後、私は海外に飛び出し、驚いたことがありました。なんと。私は現地の食べ物だけでなく、カエルや動物の脳みそなどゲテモノまで食べれるようになっていたのです。
 「好き嫌いなくそうキャンペーン」のおかげで、目の前のものはとりあえず口に入れてみよう。そこから好きか嫌いか判断したらいい。という感覚を身に着けることができたのです。
30歳 男性のストーリー
中学卒業後私は県外の専門学校に寮に入って入学しました。
そこそこな学力の学校で卒業後は電気関係のサラリーマンかプログラマか辺りになるだろうな。と思っていました。
寮生1年目で先輩から麻雀でカモにされました。最初の一回だけやんちゃな子はかもられるそうです。古い伝統でした。こちらは麻雀をしたこともない平成生まれだったので。
しかしそこから麻雀に興味を持ち、学校にも行かず学校の隣の寮で連日麻雀漬けの毎日です。朝までして学校の時間はメンツが学校に行くので私は日中ずっと寝ていました。
そのかいもあって、寮では負けなし、休日は街のほうで雀荘に通いました。雀荘の負け分を寮で回収する感じでした。現在私は麻雀と少しの仕事で食べています。
一番の体験と人生まで変えた高校1年生でした。
24歳 女性のストーリー
私が中学生の頃の話です。
友人の勧めでソフトテニス部に入ることになりました。過半数が初心者でしたが、1、2名経験者がありフォームもやはり私達とは別格の存在でした。外でのスポーツということもあり、直射日光に浴びながら必死にボールを追いかける日々でした。

ある日、今思えばそんなことで?というような内容で、私がいじめにあいます。
同じ部活の同級生全員からの無視は答えました。ですが、負けたくない一心で毎日通い、嫌われている相手、悪口を言っている相手にも挨拶を欠かしませんでした。その中で絶対にこいつらより上手くなってやると心に決めて、番手選考会が始まりました。
正直、勝てる自信はありませんでしたが、自主練をやっていたお陰でしょうか、先輩を抜いてベンチ入りを果たしました。
その後、いじめていた奴らも急変し仲良くなり、中学三年生の時には番手2番目まで上り詰めました。
その頃には、誰も私に指図することもなく、悪口を言われるわけでもなく、むしろ私の組みたいと、散々いじめた女が泣きついた時に、本当にざまぁみろと思いました。
28歳 女性のストーリー
人生が変わった出来事は、娘が生まれたことです。
今まで大切に思う人・ものはありましたが、自身を投げ打ってでも大切にしたいと思うものはありませんでした。それが今回娘を妊娠・出産することにより、ガラッと考え方が変わりました。
妊娠中は些細な衝撃や自身の食生活に神経質なほど気を使い、検診幾たびに「生きているだろうか」「ちゃんと成長しているだろうか」などハラハラしていました。出産後は、いつもと違うちょっとした変化や食べ物、住環境にピリピリと気を張っていて、常に自分は二の次、それこそ娘中心の生活となりました。少しの事で死んでしまう小さい命を前にして、自分の行動一つ一つの責任がいかに重いのかを思い知らされました。
それでも、そのような中で娘が毎日少しずつ少しずつ成長し、出来ることが増え、笑いかけてくれるだけで、辛いと思えることも一瞬で消し去ってくれます。日を重ねるごとに「愛おしい」という気持ちが溢れ、この子の為なら頑張れる、なんでもしてあげたいという気持ちにすらなれるほど娘は一番大切な存在となりました。
このような気持ちになる日が来るとは思ってもいませんでした。
そして両親に対しての気持ちも変わる出来事でもありました。私自身も親となり、子育ての辛さ知り、お母さんもこのように苦労して私を育ててくれたんだと思うと感謝しかありません。
このように私は娘が生まれたことにより、人生が大きくかわりました。
これが私の人生が変わった出来事です。
52歳 女性のストーリー
昨年の話しです。私はとある会社に、パートとして働いていました。15年間、どの社員さんにも負けないくらい残業もバンバンやり、サービス残業もかなりこなし、持ち帰り仕事も頻繁でした。後から入社した人は、私がパートとは思ってない人ばかりでした。
長く勤務していたので、わからない社員さんに一から教え、部署の責任者が変わっても業務が滞る事はありませんでした。
定年まで10年、忙しくはありますが好きな仕事だってので、このまま続ける気持ちでしたが、事件は起きました。
5年勤務したら「無期雇用に転換」される制度ができ、制度ができてから5年目でした。そんな事を知らない私が5年目を迎えるタイミングで、契約更新せず期間満了で退職させられました。
仕事ばかりしていた自分が、理不尽な理由で無職となり今だにやる気が起きず、仕事もせず呆けています。
人生何が起きるかわかりません…
27歳 男性のストーリー
小学3年生から大学3回生まで野球に真剣に取り組んできました。
小さいときから周りより上手で目立つ存在だったこともあり、普段は物静かですがグランドにいるときは自信に溢れ堂々とプレーするような選手でした。
それから大学に入学し最初の夏が訪れ、少しずつ他の選手とも打ち解けうまくやっていけそうだと感じていた矢先に起きた出来事です。
部室で選手だけでミーティングをしていた際、私のことを良く思っていなかった選手が私にボールを投げつけバットで殴ってきたのです。その時他の選手は、止めるでもなく心配するでもなく一緒になって笑っていました。ついさっきまで普通に接して話して練習していたメンバー達が私の中で全員敵になり、誰も信じることができなくなりました。
いくら上辺で仲良くしていても、根本は何を考えているかはわかりません。人懐っこく誰にでもオープンでしたが、この日を境に他人を信用し接することはなくなりました。
22歳 女性のストーリー
生きてきて21年ですが私の人生が変わった出来事は親の元から離れたことです。
高校卒業後と養成所に通ったがそこでのレッスンの厳しさに入所3ヶ月でやめてしまいました。
特にやりたいこともなく親元でダラダラとしながらフリーターとして働いていました。
その時は本当に無気力で家と職場の行き来くらいでしか外に出ていなかったです。
半年ほど働いたのですが全くお金を使わなかったので50万くらい溜まりそこで田舎だし車を買おうか悩んでいたのですが突如一人暮らしをしようと思い立ち気づいたら東京で家を契約していました。
親からの忠告など何一つ聞かず仕事も決まっていない状態で一人暮らしを始めたのですが甘くはなかったです。
でもだんだんと仕事も友達も出来て彼氏まででき今ではその彼氏と一緒に住んでいます、大阪で。
19歳 男性のストーリー
自分は現役で受験に大失敗して、本当は行きたくもない大学に行くことになった。学んでいることもこれは自分のためになっているのかもわからなかった。だから、自分は、大学に行きながら、他の大学に行くための勉強をした。しかし、上手く時間を取ることができず、その年も受験に失敗してしまった。とても落ち込んだ。1ヶ月以上は外出をすることなく、友達からの遊びの誘いも断り、自分の部屋から出ることがなかった。しかし、2ヶ月後、自分はバイトを始めた。良い人ばかりだった。そのためか次第に内向的だった自分は、周りに明るく振る舞うようにできるようになってきた。バイトを始めたきっかけで、受験での失敗を忘れることができこれからの人生前向きに行きていこうと思った。
56歳 男性のストーリー
話はもう20年前程にさかのぼりますが、当時の私はとても乱れた生活を送っていました。
どんどん買い物をし、お金を使い、無くなったら借りる等、そういう生活を数年続けていましたが、ある時に一人の女性とお付き合いする事になりました。その女性はとても軟らかく、怒ることも無く、私のわがままを聞き、時にはなだめてくれたりと順調にお付き合いしていました。
そのうちに私はふと彼女が胸にいつも付けているバッジの事が気になっていたので、思い切って尋ねてみました。
そうすると彼女は、「正しい生き方を学ばせて頂いている団体のバッジです。」と答え、私に「一度一緒に足を運んでみますか」と言ってきたので私は、「なんだ宗教か」と思いながらも、彼女のそれまでの振る舞いを見てきて興味があったので、行ってみる事にしてみました。
そこは宗教法人こそ登録されているものの、イメージを遥かに超えた内容を学べる所でした。私はその後、入信し今に至っていますが、今の私は当時と比べ随分と変わりました。 物欲が無くなり、嫌なことでも受け入れる等、話し出すときりが無いのですが随分と人生観が変わりました。
当時、その団体を知ることができなかったら、今の私はどんな人生を送っていたのかと考えるだけでも怖くなります。
本当に彼女と出会い、その団体を教えて貰ったことに感謝しています。
54歳 男性のストーリー
大学を卒業して大手企業に就職し、その後多くの転勤や出向をしてきましたが、昨年秋に初めて転職をしました。定年まで働き続けると信じて疑わなかったのですが、ある転勤がきっかけで、53歳にして会社を辞める決意をしました。
辞めると決める発令が出るまでの5年間、自分なりに今の仕事の関連業務で定年まで働きたいと思い、会社にもその希望を伝え社長にも同意をもらっていたつもりでした。しかし定期人事異動で言われた内示は、その希望とは全く異なるもの。異動した後に自分がどういった道に歩いていくのか、どういうステップアップが望めるのか、給与はどうなのか、などを考えたら、ここがこの会社との縁の切れ目だと確信し、内示のその日に転職活動を開始しました。
その活動が成功し、今は5年間働いていた分野の競合会社に、以前よりも良い条件で働いています。家族にも喜ばれ、良い転職活動でした。
34歳 男性のストーリー
17歳の時コンビニのバイトを始めた。
最初は早朝のみのバイトだったがだんだんと人が辞めていき、昼間、夜、深夜も出るようになった。
オーナーに頼られるんがうれしかったんだと思うがこれが失敗だった。店長になったがあまりの激務に29の時に体を壊して辞めた。
辞める時も引き延ばされ半年くらい辞めさせてもらえなかった。
コンビニのバイトをしてなければきちんと学校へ行って、普通の企業に就職できていたのではないかと今でも思うことがある。
今現在はフリーランスとしていろいろな仕事を受けているが、仕事がないときもあるし、収入的に安定しているとはいいがたい環境にある。
自分で決めたことではあるが、アルバイトがここまで大きく人生を変えるとは正直考えていなかった。
54歳 男性のストーリー
人生が変わったことは父親が軽度の認知症になったことで母親のサポートなど
家の用事を率先してするようになることで仕事が一年くらいで辞めていたことを考えると
3年も続いている事は人生の転機なんではないかと思います。人生が変わったことで
彼女もできる自信が出来て生活感も変わって一人暮らしもする事に対して
前向きな姿勢になってきているので絵今は契約社員目指しています。今年の10月には家族4人姉含めていく予定にはなっているので体も心もベストな状態にして今年は良かったなあ
と思える一年にしたいと思っています。もう一つは大殺界から抜け出して今は種子の状態なんで今年から後5年は良いことが起きると信じて人生変わったんだと実感しています。
もう一つは斜視の手術をすることになっているので遺伝ですが完璧に直したいと思っています。病院も決めています。気を緩める事をしない様に適度に休憩しながら
前進あるのみです。
57歳 男性のストーリー
 「手に職をつけろ」という親にいわれ、建築科の高校を卒業し、建築関係の仕事をしていた。何処も長続きせずに、数か月から数年で転職を繰り返していた。
 三十歳を過ぎて、まだ、落ち着かなかった私に、業種を変えてみればと、寿司屋の見習いの仕事を母が持ってきた。食うことに困らないかもと、入った寿司屋は二十歳代の職人がいる店だった。私の料理の実力は家庭科の実習ぐらいで、二十歳代の職人には、なぜ今頃職人を目指すのか?それだけの根性があるのか?と、私のことを見ていたようだ。
 当時の私には、そんな自覚などなく、言われたから転職してきただけで、なんとか金が稼げればいいやとい程度の認識だった。当然、職人からの風当たりは強くなる。が、根性もなく、先輩職人とはいえ、年下にしごかれまくって、私の心はしっかり折れ、くだけ散った。
 忙しい時間帯にヘマばかりする新入りに「仕事をせんでいいから、端に立ってろ!」の言葉に、自分自身が情けなくなり、生きているのが嫌になり、店の三階まで駆け上がりそこの窓から飛び降りた。
 結局、両足骨折、腰の圧迫骨折で半年以上入院することになった。
 その入院中に言われたことは、「頭から落ちていれば死んでいた。運が良かった」だった。
 入院中動けない体で、「なぜ、助かったんだ」と考え続けた。そして行き着いた答えが「神様っているのかもしれない」「自分にもなにか出来ることがまだあると、神様が助けてくれたのかもしれない」だった。
 退院後は松葉杖の生活で、身体障碍者認定を受けた。最悪、車いすの生活になるかと思ったが、その後のリハビリのお陰で、なんとか、杖なしで自力移動ができるようにまで回復した。未だに「なぜ助かった」は解らないが、リハビリの頑張れたのも、宗教関係でいま頑張っていられるのも、あの入院中の反省会があったればこそかもしれない。
31歳 女性のストーリー
ある夏の日、私は難聴になってしまいました。前日も何の予兆もなく、普通に過ごしていたのが、朝起きた時に右耳に異変を感じたのです。詰まったような感覚と、ザーッという雑音。聞き取りにくいし、何より気持ちが悪くてその日から不快感がずっと続いたのです。そのうち治るのかなと数日は放っておいたのですが、良くなる兆しもなく不安もあり、耳鼻科へ受診することにしました。診断結果は、突発性難聴でした。聞いたこともない病名で原因も不明で、頭の中が真っ白になりました。薬を処方されたものの、いつ治るとも知れないもので、とにかくストレスのない生活と薬を継続することしかありませんでした。少し良くなったかなと思えばまた調子が悪くなるという状態が続きました。その間、先の見えない不安に怖くてふさぎこむようになってしまいました。けれど、「このまま耳が聞こえなくなるなら、いっそ今聞こえているうちにやりたいことをやっておこう」そんな思いが浮かび、気がついたら行動に移していました。私が決断したことは、ラジオのパーソナリティーになることでした。そしてコミュニティーラジオ局のボランティアスタッフとしてでしたが、ラジオの番組を持たせて頂ける機会を得ました。難聴を抱えながら、約2年近くパーソナリティーを経験しました。ラジオをやっている間は本当に病気を忘れ、一生懸命になることで前向きに過ごすことができました。ラジオのパーソナリティーは憧れていましたが、実際踏み出す勇気は持てずにいました。逆に病気になったことで、ここまで頑張ることができたのだと思います。そして、辞める頃には難聴もほぼ完治し、今も再発はしていません。難聴はとても怖かったのですが、生きる希望や夢を与えてくれたのも難聴がきっかけでした。この出来事は今までの人生で本当に貴重で大きく変わった出来事でした。
31歳 女性のストーリー
大学時代、ちょっと変わったテニスサークルに没頭したことがあります。

元々テニスが好きな私は、もちろんテニスが上手くなりたいという一心で入部したのですが、思いとは裏腹に、応援、ボーラー(ボール拾い)を全力で行い、時には過呼吸で倒れる人が出ることがあるほど、応援、ボーラーに力を入れる厳しいサークルだったのです。4時間のうちに何度か休憩はありますが、ほぼぶっ通しで笑顔で全力ダッシュです。この状態で、順番が来たらコートに入りテニスをします。

先輩がボールを拾おうとすると、全力で取りに行きます。練習後にはミーティングがあり、練習中の応援が盛り上がっていたか、ボーラーは全力で行えたか反省を行い、ほぼ怒られておしまいです。

何度も辞めようと試みましたが受け入れてもらえず、授業のシフトをサークルに提出するため、ズル休みはできません。

飲み会も少し変わっていて、コップにビールが入っていなければ、瓶を取り合うようにして一目差に注ぎます。コップの向き、瓶を注ぐラベルの向き、注ぐ順番なども間違えてはいけません。

そんなサークルでしたが、不思議なことに、練習中はこれほど厳しいのに、それ以外ではとっても優しく個々は仲の良い思いやりがある人たちばかりなのです。
今思えばまるで、DVの手法と同じようにも感じてしまいますが、私はそのサークルに染まっていました。

このような過酷な時間を共にした仲間ということもあり、気づいた時には不思議と一体感が生まれていました。

卒業して社会に出て働いた時、あっと思いました。社会でのルール、厳しさ。
時代にあっていない風習ではあったけれど、経験しておいて良かったと。
こんな意味のわからない風習に苦しみ、時間を共にした仲間ももう二度と出会えないかもしれない。

今は私の一生の思い出となり、仲間とは思い出話に花が咲き、
そこで出会った仲間の一人と結婚して幸せに暮らしています。



35歳 女性のストーリー
私の人生が変わった出来事を挙げるとすれば、競馬を知って趣味になったことです。
競馬などのギャンブルは一切興味もなく、むしろ嫌いでしたが、夫から競馬の話を聞いていろいろ調べるうちに、単なるギャンブルではないことが分かりました。
競走馬として生まれるまで、レースに出れるまで、引退後など、すべてのことに多くの人が携わっていて、背景にはものすごいドラマがあることを知りました。実際に競馬場に行くと、馬の体の迫力と美しさに目を奪われました。
競馬は確かにギャンブルで、生き物を賭け事にすることに疑問を持つ人もいますが、馬のことを一番に考えていて、馬と人の信頼関係というのがよく伝わってきます。
そして、一生懸命走りぬく姿、レース後の堂々とした姿は、人に感動と勇気を与えてくれて、競馬の歴史や背景を知ると、一日一日を大事にしなきゃなって感じさせてくれるほどなのです。
49歳 女性のストーリー
私の人生が変わった出来事は、昨年1月14日に車にはねられ、意識不明の重体に陥り、生死を彷徨った事です。
飲食店で朝6時まで働いてフラフラでした。仕事終わりに何も口にしていなかったので、ファミリーレストランで食事をした後、自宅へ帰る途中の出来事でした。信号のある交差点から10メートルの道路を横断しようとした時です。私自身は、自転車に乗っていました。そして渡ろうとした瞬間、「あーー死ぬーー」。気づいた時には、恐らく1メートルの近くで、横から走ってくる車のマークが、視野にはいり「ドカーン」と物凄い衝撃音で、私は相手のフロントガラスに頭をぶつけ、そのまま20メートル引きづられました。道路に転がって、すぐ周りの人が救急車を呼んでくださり、私はそのまま意識不明になりました。気づいた時は、線に繋がれ、酸素マスクをし、自分でも死ぬと思いました。それから数日入院をしましたが、私の命は奇跡的に助かりました。まだ完全には治っていませんが、命拾いをしました。事故後は、考える事も多いですが、くいのない生き方、そして人に優しくを心掛けています。
25歳 女性のストーリー
21歳で子供を産んで母親になった事。
若い頃はいろいろやんちゃをしたり、
自分で自分を傷付けたり、
家に帰らなかったり
親に迷惑をかけたし、心配もさせた。
シングルマザーで4人の子供を育ててる母親に沢山手を掛けさせてしまった。
そして、今自分が母親とゆう同じ立場になり
つくずく自分はバカ女だったなと思います。
そして、子供を産むとゆう体験もしました。
母親とゆう物はこんだけ大変な思いをして
1つの命を新たに築くんだなと思いました。
10ヶ月間いろんな事に気を使って、不安になって
何時間も陣痛に耐えて、痛みに耐えて子供を産む。
子供を産み、育てていくと言う体験をしてると
命の大切さや、親のありがたみ、子育ての大変さを知る事が出来ました。
人生が大きく変わった出来事です。
44歳 女性のストーリー
社会人になって同じ会社で違う店舗に転勤になって、人間関係がとても悪い店舗に異動になったときに立場的には中間の立場で移動したのですが、上司が態度が悪く次から次へと入社してくる人が辞めてしまうような店舗だったので、上からの威圧感がすごく私も異動してからは、いろいろと言われそれまでは私も若かったのもありますが怖いものなしみたいな態度だったのですが、だいぶおとなしくなり異動する前に一緒に仕事をしていた人たちからは穏やかな感じになったので、びっくりしたと陰で言われていたらしく自分もそれはわかっていて、態度が悪い上司のおかげで自分は二度と天狗ではないのですが、威張るような態度はとってはいけないと今でも思いながら生活しております。
55歳 男性のストーリー
ぼくもそうでしたが、坊ちゃん育ちの男子が、最も恐れるもの。
それは、顔を拳で殴られる、というもの。
なぜなら、そうされた経験がないから。
つまり、それに関する知識が、映画やドラマでしかないから、それが、ものすごく派手で痛いもの、という観念、もしくは妄想を持っていて、それを勝手に大きく膨らませているから。
結局人間は、知らないことが一番怖いでしょ?
ぼくは幸か不幸か、二十歳前後の頃に、街で不良にからまれ、めでたく?顔をパンチ!された。
そのときはパニくったが、同時に、何だこんなものか、という、知った安心感。
頭がキーンとなる懐かしい感覚。
それはすでに、子供のときに経験済みの感覚だ。
こんなすでに知っていることを、勝手に妄想して恐れていたのか、という、自分に対する情けなさ...
しかし、うまく言えませんが、この日を境に、世の中の見方が、かなり変わったのは事実。
27歳 女性のストーリー
今まで自分は頼りなくて世間知らずの甘ちゃんでした。ドジで何をしてもうまくできず、親からもいいところは優しいところだけだと言われてきました。
仕事も色々してみましたが、やはりうまくいかず、また人にも優しいけど自分にも甘いので、怠けていました。
やらないといけないことも後回しにしてしまう性格だったんですが、
自分が妊娠して子供が産まれて結婚してからはだいぶ変わりました。

子供の為ならいろいろ頑張れましたし、本当にしっかりしたと思います。また手本を見せないといけない立場なので行動などもだいぶ注意したり、ちゃんとしたことができるようになりました。

あんなだめ人間だった自分がちゃんとできたり、頑張れたりできるようになったのは本当に子供のおかげです。
41歳 女性のストーリー
私は、22歳まで厳しい家庭環境の中で過ごしていました。家で呼吸が出来ないくらい息苦しい生活を強いられていました。何度も死ぬことを考えて行動に出るところまでありました。
実際は死ぬことは出来ませんでした。死ねないことを毎日悔やんでいました。
そんな時に、私とまったく逆の世界で生きてきた男性と出会い引かれてお付き合いを始めました。
毎日が楽しくて死ぬことを考えたり、呼吸をすることもおいしく感じました。彼に救われました。
私の人生を変えてくれて結婚まですることが出来ました。今はあの時死ななくて本当によかったと思えるようになっています。彼も生きてくれていて本島によかった。死んでいたら出会うことも出来なかった。と言ってくれます。
40歳 女性のストーリー
アパレル店のオープニング準備スタッフという求人が目に留まりました。私はその頃、自分の進路に行き詰まり何をしたらいいのかと模索中でした。
洋服が好きでアパレル関係の仕事に興味がないわけではありませんでしたが、アパレル店の店員さんは見た目も重要視されるようなイメージがあったので、自信のない私には挑戦することすら考えられなかったのですが、オープニング準備と言うことでお客様に対応するのとは違い、ハードルが低くアパレル業に携われハードルが低くアパレル業に携われたるということから
試しに受けてみました。
結果は見事合格し、仕事が始まりました。
すると店員としてお客様の対応をすることになってしまいました。
ですが、アパレル業の楽しさを感じそれからずっと携わっていて、自分の人生の大きなきっかけになりました。
37歳 女性のストーリー
私の人生が変わった出来事は、失恋です。普通のことだと思われるでしょうが、、、私にとって、それは、ただの失恋ではありませんでした。高校のときから、付き合う人は告白された人。付き合っても、感情が移入するほどでもなく、自分はとても淡白な人間なんだと思い込んでいました。数人の方とお付き合いしまいたが、いたって普通のお付き合いでした。が!29歳の時、「人生でこんなにも人を好きになったことない」という人に出会いました。当時、その彼には彼女がいましたが、自分を抑えきれず、あたって砕けろ精神で告白。見事お付き合いできるようになりました。略奪愛成功ですね(笑)まさか、自分がこんなことする人間だったことに驚きました。そして、付き合っていくうちに、日を重ねるごとに好きな気持ちが溢れ出す、、、いままでにない新鮮な感情。そんな幸せな毎日を5年間送っていました。が、、、問題は、一向に結婚を切り出さない彼。彼の実家でご両親にもお会いしました。彼の上司にも紹介してもらいました。彼の親友や周りの方々にも、、、なのに、、、。不安でしたが、こんなにも好きでいる、こんなにも長い時間一緒にいる。という気持ちだけで乗り切っていました。が、、、別れは突然でした。彼の「好きだけど結婚は考えられない。家族のような存在としか思えない」と、、、別れを告げられました。過呼吸になるくらい泣き、苦しみ、すがりつきましたが、、、彼の気持ちは変わらず。泣く泣く別れを選ぶしかありませんでした。もう、諦めでしたね。別れて次の日に、同棲していた家を飛び出し、実家へ帰りました。
失恋し、ここから人生が変わりました!!絶対に幸せになってやる!!!と。
その1年後、元彼より素敵な男性と結婚でき、お腹の中には、新しい命が。本当に幸せです。
後々わかったことでしたが、彼には新しい女ができていました。別れて2ヶ月で結婚したそうです。元々、私とのお付き合いを知っていた方々からの非難轟々。本人たちはお花畑状態でしょうが、周囲からはあまり祝福されてないようで、、、ま、今の私には関係のないことですが♪
と、長くなりましたが、「失恋」が人生が変わった出来事でした。
32歳 女性のストーリー
25歳の時に高度異形成3bが分かって手術が必要と言われました。
手術して1年は検査でもクリアでしたが、1年3ヶ月後にまた再発してしまって、再手術が必要と言われました。
その時に子供が産める確率が下がるのと流産早産のリスクがかなり上がると言われました。
子供が欲しかったので絶望感が押し寄せてしまい自殺未遂をしました。
彼が帰ってくるのが後1時間遅ければ私は今生きてないです。
運ばれてから、7日目で意識が戻って彼から子供が産めなくても俺はいいからと言われて、この人と共にこれからも生きようと思いました。
退院してからお互いの両親に話をして手術が終わってから結婚することになりました。
その1年後に妊娠して早産になりましたが大切な息子を出産出来ました。
42歳 男性のストーリー
人生が変わった出来事、それは大学を卒業して風俗業界に就職したことです。
大学は某電機大学で工学部を卒業、順当に行けば大学で学んだことを活かせる会社に就職し、順風満帆とまでは言わなくとも、平穏な人生を歩んでいたと思いますが、大学時代に交際した女性が風俗店で働き始めたことを知り、なぜか私自身も大学卒業と同時に風俗業界に進んでしまいました。
以後、警察のガサ入れがあるたびに店を変え、時には雇われ店長を経験し、SMクラブで働いたこともありますが、現在は文章を書く仕事に落ち着くことができました。風俗業界で知り合った人たちは、私が今まで付き合ってきた人たちとはまったく違う方でとても多くのことを学びました。順風満帆な人生ではありませんでしたが、私は今のこの人生をまったく後悔していません。
47歳 女性のストーリー
2001年のアメリカ同時多発テロ。
テレビで最初、ビルに飛行機がぶつかるのを見て、現実の出来事とは思えず、まるで映画を見ているかのような錯覚を起こしました。
しかも、またもう一機がビルにぶつかるのを見て、コレはただ事ではない事を悟り、この先、どうなってゆくのか?と恐怖でした。
それまで、海外旅行に行く機会が多かったのですが、これを機に、海外とは縁遠くなりましたが、日本国内旅行にシフトを変え、日本にも、たくさん素晴らしい場所があるんだと巡るようになりましたし、人生、明日は何が起こるか分からないなら、好きな事をして生きたい!と強く思うようになり、やりたい事や行きたい所へ積極的に出掛けるようになりました。おかげで、楽しく人生が過ごせています。
26歳 女性のストーリー
18歳で妊娠が発覚。
通っていた高校を中退し、結婚出産。
育児に参加もしない旦那はすぐ外に彼女を作り、理由を見つけて私を実家へ丸投げ。
それからは離婚に向けて水面下で動く日々。
18歳ながら悪知恵は豊富で、どうやって落としいてれやろう、そんな事ばかりを考えていた。
離婚すると決まって旦那も安心したのか、まだ事実嫁である私に彼女の相談。
妻子がいるからまだ色々付き合いを待ってもらってるなど家に連れてきてもいいかなどなど。
二人でドライブか外食かに出掛けている車の横についた事もあった、信号がたまたま赤になり横を見ると向こうも気づいたように急発進。
律儀にその当時流行っていたタイムラインに逐一行動を書いていて、写真は何故か嫁にツーショットを送り付けて来た。
全て印刷して、向こうの親の前に叩きつけてやった。旦那は顔を引き攣らせ失笑。ざまぁみろ。

「修学旅行の思い出」

30歳 女性のストーリー
いまだから言えますが私の修学旅行の思い出といえば、仲の良い女子でグループを組み行く前から沢山計画を立てとっても楽しみにしていた宿泊や初めて行く場所での自由行動に期待で胸を膨らませていったのですが…
グループ内の女の子の1人が当時大流行していたモバゲーというサイトで知り合った他校のメル友(彼氏らしい)がいる彼女。
偶然にもそのメル友と同じ日程で同じ場所での修学旅行だったのが発覚し、何かに付けてメル友に会おうとする友達と絶対に会いたくない他のメンバー。
あんなにも楽しみに計画していた修学旅行だったのに、何をしてもメル友の事ばかりになってしまう友人に一気に雰囲気の悪くなるグループ。
結局謎のメル友の為に見知らぬ土地で別行動させる訳にもいかず計画通りに行動はしましたが微妙な雰囲気の修学旅行となってしまった思い出となりました。
33歳 女性のストーリー
修学旅行中ですが、英語の宿題がありました。
内容は、外国人に名前と出身地を聞くというもので、人数が多いほど得点が加算されるというものでした。
旅行先が都内であったため、外国人を探すのに苦労はありませんでした。
声をかけるときはとても緊張しました。しかし、こちらの意図(英語の宿題であること)をわかってもらうと、とても快く対応してくれました。
外国人といっても、出身地は様々で、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどたくさんありました。聞いているうちにとても楽しくなり、ついでに海外への興味がわいてきたことを覚えています。
きっと現在なら、東南アジアや東アジア系の人が多いことでしょう。しかし当時は、白人の割合がとても多かったです。時代の変化を感じるとともに、現在の子どもたちならどのような宿題をするのかなとも思います。
このような思いになれるのも、あの宿題のおかげなのでしょう。
42歳 男性のストーリー
あれは、忘れもしない中学3年の修学旅行の時でした。修学旅行の行き先が奈良・京都だったので、定番の寺社仏閣を巡り、午後の自由行動などをして、奈良・京都の街を堪能していました。

事件(といっても犯罪等ではありませんが)を起こしたのは、その夜でした。私たちの部屋では枕投げやプロレスごっこが始まり、部屋にいる全員のテンションはMAX状態で、ノリノリでした。

そんな時に、こんな話が誰と無く上がったのでした。

「ねぇねぇ、ここのホテル、壁の隣が金網だからさぁ~、金網伝いに女子の部屋に遊びに行かね?」

なんということでしょう、今までもノリノリ状態だった私たちですが、こんな話がはじまってしまい、もう動物園の猿状態で、ウキウキ言ってました。

もう若気の至りで、先生に見つかるとか、女子が先生に報告するとか全く考えずに、全員一致で、よし行こう~~~~、ということになり、私たちの部屋の男子全員が、女子と遊ぶ為に必死に金網を降りたのでした。

無事、全員が金網を降りられて、女子たちと和気藹々と遊んでいたのですが、男子は4階、女子は3階と、部屋が決められていたのに、はしゃぎすぎて大声になっていた私たちの声に先生たちが気付き、あえなく御用となったのでした。

そして、そこから延々とお説教が続き、私たちの部屋全員が朝方まで、部屋の前で正座させられ、反省を促されたのでした。

今では考えられないですが、ほぼ30年前の話で、時代も時代だったため、正座は当たり前だよなぁ~と、思っていました。

しかし、うちの学校の先生はとても優しく、女子の部屋に忍び込んだ事よりも、金網伝いで降りたことに対して激怒していたのでした。

先生曰く「せっかく一生の思い出になる修学旅行を、もし、金網から落っこちて、事故になったらどうしてたんだ?  シャレにもならんし、人生で一番苦い思い出になるかもしれなかったんだぞ? お前ら・・・・・  事故になっていたら、先生も悲しいし、親御さんたちが悲しむだろう?」

これを聞いて、男子全員はかなり凹んで、シュンとしてしまい、まるで誰かが落っこちたような感じになってしまいました。しかし、間髪入れずに、先生が「まぁ、お前らのやったことは立場上、叱らないといけないから、叱ったんだよ。 しかしだなぁ~、お前ら後先考えず金網伝いに女子の部屋に行くとは、けしからんが、先生もお前らの同級生で同部屋だったら、一緒に行ってたぞ。ガハハハハ。」

と、暖かくも、突っ込みどころの多いお話をいただく事ができました。その後、朝方まで本当に正座して、周りの男子たちには笑われ、次の日は寝不足で旅行どころではなかったのですが、あの夜に先生に本当に人柄が溢れ出てた、お説教をされたのは、私の人生の本当に良い思い出です。

26歳 男性のストーリー
高校の時の修学旅行の話である。私が当時在学していた高校は【北海道】、【沖縄】、【シンガポール】の3ヶ所から選択できるのだが、私は沖縄を選択した。その理由はその当時の好きな女の子(仮名、A子)が沖縄を選択していたからであった。今振り返るととても安易な発想ではあるが、当時の私にとっては重要な問題であった。なぜなら修学旅行の期間で告白することを決めていたからである。
修学旅行の主な日程は到着日(1日目)は午後から街の散策。2日目に海でのレクリエーションが予定されていた。つまり、A子に告白する時間はこの2日しかなかった。
街の散策は同じ班になることは叶わなかったが、2日目のレクリエーションの時間は同じ班になることができたのである。神は私を見捨ててはいなかった。
そして運命の2日目。今までになく、良い雰囲気になった。これが沖縄の海の力なのかと1人気分揚々と過ごし、片付けの時間。
周囲の友人が上手く気を遣ってくれ、2人きりになったタイミングで意を決した。
(私)『好きです。付き合ってください。』
(A子)『え、(しばらくの沈黙)
ごめんなさい
47歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行は関東民なら定番の奈良、京都でしたね。昼間は制服で移動、宿泊施設に帰ったら学校のジャージ。当時はこれが普通。お風呂の時間までも監視がいるような、軍隊かよ的な昭和ならではの修学旅行でしたね。
そんな、修学旅行で悲劇が起きました。修学旅行二日目。清水寺の駐車場でのことです。修学旅行シーズンで駐車場内も渋滞。このままでは決められた時間通りに進まないと判断したのか、少数ずつ生徒をバスから降ろして行きました。
私と数名がバスから下ろされたのですが、すぐ目の前もバスがあり、向こうの通路まで行かれずに降りたところで立ち止まって居ました。
すると、乗っていたバスがなぜかバックしてきてひかれました。バスのタイヤが私の足を上ってくる感覚。忘れられません。
周りはパニックになってました。そのまま救急車で病院へ直行。全治3ヶ月の怪我でした。
私にとっては最悪の思い出です。
18歳 女性のストーリー
高校の修学旅行で、長崎県のハウステンボスに行きました。ハウステンボスといえ一ば年中花が咲いていることで有名なので、楽しみにしていました。
4月に行ったので、さぞかし綺麗な春の花を見ることができるのだろうと思っていましたが、どこをみても花は咲いておらず、とても残念な気持ちになりました。
気持ちを切り替えて、テーマパークのアトラクションを楽しもうとしましたが、どれも私の興味を引くものはなく、また、楽しいな、と思うアトラクションがあっても、もう一度体験するには300円かかると知り、お金を花うならやらなくてもいいかな、と思うものばかりで、心の底から楽しいと思えるようなアトラクションはありませんでした。
ですが、ハウステンボスにはVRコーナーがあり、今話題のものだから、と一度やってみることにしたのですが、とても楽しかったです。まさかハウステンボスで体験できるとは知ず、最新の技術に触れることができてとても楽しかったです。
私は、夜景は好きではないため少しだけしかライトアップはみませんでしたが、とても手が込んでいるな、と思えるような素晴らしいものでした。
ハウステンボスでは、がっかりしたことも多かったものの、VRなどを楽しめたので、言ってよかったな、と思っています。
36歳 女性のストーリー
小学生の修学旅行で、自分のグループは背の高い子ばかりだった。
グループ行動で、ある博物館に入ろうとしたら、みんな背が高いので、本当に小学生?と疑われた。
全員私服だし、名札も確かつけてたし、黄色い帽子もかぶってた。
なので理解してもらえたらしい。
奈良の大仏の公園では、定番の鹿せんべい。
さっそく買ったら遠くにいた鹿が走ってきて、そこにあった柵を飛び越えてきた。
ちょっと恐怖だった。
でも、囲まれるだけで、襲われることはなく、必死におじぎをしてくれていた。
あの時、ミゾにはまっている鹿がいたけど、誰か大人の人が助けてくれたんだろうか。
きっと大丈夫だと思うが、子供だけでなんとかすることもできず、そのまま置いてきてしまったのが心残りである。
33歳 女性のストーリー
高校3年生の修学旅行でオーストリアへ行きました。初海外にワクワクドキドキ。元々英会話に興味があった私は、現地の人と会話をすることが楽しみでした。とあるショッピングセンターでお土産を物色していたら、欲しいものが見つからず、これは現地の人と会話するチャンス!と、すぐさまスーパーのレジにいる現地の方に話しかけてみました。自分の持っている知識の単語を組み合わせてなんとか通じた!しかし、その現地の方は、「それなら、こっちにあるよ。案内するねー」と、日本語がペラペラでした。
頑張って勇気を出して話しかけたのにー!なんだかモヤモヤした気持ちになりましたが、親切なスタッフの方だったなーと、今ではいい思い出です。
48歳 女性のストーリー
わたしは埼玉県に生まれて埼玉県の高校生を卒業しましたが、当時の修学旅行で和歌山~四国を回りました。
その時に不思議な体験をしました。

生まれも育ちも埼玉で、当時は埼玉か東京くらいしか行ったことのないわたしは、当然その場所も一度も訪れたことのない場所でした。
でも何故か住んでいた、あるいは訪れたことがあるといった不思議な既視感に襲われ、修学旅行中ずっとソワソワしていました。

何ともふわふわと落ち着かない気持ちで観光地を回っていて、そんな中、血の池地獄と言われている場所に行った時に、一瞬でしたが、頭の中に武士の戦場の様子が浮かび、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして、その場に倒れ込んでしまったのです。

すごく不思議な体験でした。

後日、母にそのことを伝えたところ、母親の先祖は和歌山のその四国辺り出身の武士だったそうです。

八代将軍徳川吉宗公の側付きの侍だったようで、同氏と一緒に江戸(東京)にやってきて~それから主が変わり~埼玉県の忍城へ~で、そのまま住み着いて子孫まで・・・。

ひょっとしたら、貴女は先祖の生まれ変わりかもね・・・・なんて笑いながら、母が話していました。
37歳 女性のストーリー
高校時代の修学旅行が北海道でした。体験を事前に選ぶものでした。そば打ち、ジャガイモ掘り、ラフティング、バター作り等々、選べる体験はたくさんでした。そのなかで、ラフティングを選びました。人生で初めてのラフティングは激流を下るもので、絶叫マシンが苦手な私でしたが、それとは異なり、とても楽しいものでした。インストラクターのノリが良く、激流をうまく潜り抜けると、パドル水面に叩きつけて、喜びを分かち合うルールでやっていました。最後の激流を抜けたとき、今まで通り、パドルで水面を叩きつけました。その時、右手小指に痛みが‥。隣の友達のパドルの持ち手が私の指に当たっていたようです。テンションが盛り上がってる友達とインストラクター。私も回りが盛り上がっているのが楽しく一緒に騒いでいました。しかし、ボートを降りると更に痛みが増して‥見ると小指が真っ赤に腫れ上がってました。大ケガには至りませんでしたが、残りの旅行は痛みに耐えながらの参加でした。
50歳 女性のストーリー
小学校の修学旅行の就寝は、1クラス毎、男女に分かれて、畳の大部屋で雑魚寝でした。1クラス男女が15人ずつくらいだったと思います。後で男子から聞いたのですが、男子の部屋では朝早くに面白いことが起こったようです。

男子の1人がなぜか相当な早起きををしたようです。そしてなぜか早く起きすぎてしまったことに気づかずにみんなを起こしたらしい。「みんな起きる時間だよ。着替えて、出かける用意して!」と。疑うことをしなかった男子達はみな起き出して、身支度をしたとのことです。それでしばらく経ってから1人の男子がやっと気づいたとのこと。「えっまだ4時半じゃん!」1人の子が間違えたことにやっと気付いた男子達は、せっかく着替えたもんだから服のまま2度寝に入ったそうです。

男子達は笑って話していた。誰も怒ってる子はいなかったです。
30歳 男性のストーリー
高校の修学旅行にフランスのパリがあったので、フランスを選んだ。
英語は元々得意だったので、英語以外にも外国語を学びたいと思っていたので、旅行前のフランス語講座を楽しみにしていたが、講師の方の都合で中止になり、フランス語が習得できないまま、フランスへ。
結局現地のガイドさんがいたのと、集団行動の時間が多く、フランス語は使う機会どころか、英語を使う機会もほとんどなかった。
ただ、帰りの空港でいい経験ができた。
余ったユーロを円に変えたいと友達に言われたので、外貨の両替所を私が探し、友達と他にも両替をしたい学生を案内した。その時は閉まっていたため、少しそこで20~30人くらいで一緒に両替所の前で待つことにした。
現地のグランドスタッフの方が英語で話しかけてきたので、私がユーロを円に変えたいので、両替所の前で、待っていることを伝えると、その日、両替ができるか電話で確認してくれた。
結果、両替できなかったので、待ってる学生にそのことを伝えた。
思い出というより、自分の英語力に自信を持つことができた良いきっかけになった。
英語でコミュニケーションを取り、実際に海外で誰にも頼らず、問題解決ができた。
だから、もっと勉強してスキルを上げたいと思い、高校卒業後、語学留学をしたし、就職してからも、仕事で英語力を活かすことができた。
当時17歳でこのような経験ができたことで自信が持てたので、人生で大きな出来事だった。
77歳 男性のストーリー
小学校の修学旅行で日光へ行った。標高が高いのと曇天のため温度が下がった。薄着だったので体が冷え、腹痛に見舞われた。霧の中で記念写真の撮影が行われたが、苦しくてそれどころではなかった。
高校の修学旅行の前日の夕方、体育の授業の一部として400メートル走と800メートル走のタイムを測った。全力で走った後で水道の水をガブガブ飲んだ。若気のいたりだった。
自宅へ帰ると嘔吐が始まった。激しい運動の後に水を急に大量に飲んだため、胃腸に偏重を来したのだ。嘔吐は夜中まで続いた。明け方になって治ってきたが、早朝に桜木町へ集合せねばならないので、「行かれないな」と思ったが、兄が「どうしても行け」と強制するので仕方なく出かけた。関西、四国への旅行はまるで楽しくなかった。最低だった!
45歳 男性のストーリー
関東に修学旅行に行き、鎌倉の大仏を見た後ホテルへバスで向かいましたが、
その途中で大渋滞に巻き込まれたあげくバスが追突事故を起こしてしまいました。
結局、バス会社の社員が来て事故処理を引き継ぎへこんだ車体のバスでホテルへ向かいました。
結局ホテルについたのが深夜で美味しいバイキングの夕食のはずが、急遽用意された冷え切った弁当が夕食になってしまいました。
そんな疲れ切った状態で翌朝はディズニーランドへ行きました。楽しみすぎて、つい無理をしてしまい絶叫系アトラクションに乗りまくった結果乗り物良いをして気分が悪くなって倒れてしまいました。
最終的に乗り物で散々な目に合った思い出ばかりの修学旅行になってしまいました。
49歳 女性のストーリー
高校の京都奈良の修学旅行最終日、おこづかいをほとんど残さず、八つ橋やいろいろなおみやげを沢山買いました。
最近の高校生の修学旅行の荷物はスーツケースで片面はおみやげ用に空けていくようですが当時はそんなことは無く大きなビニル製の肩から掛けるバックでした。
翌日に向けて、たくさんのおみやげの荷造りをしたのですがどうしても荷物がまとまらず
先生に相談すると宅急便で、自宅に送っても良いと言われ送料はかかるものの同じ部屋の友達と宅急便で送ることにしました。
おみやげや、洗濯物や、もう不要と思われるものを送ると翌日最終日はほぼ手ぶらで過ごすことができる!と必死で荷造りをしホテルフロントで手続きをし、ほどなく宅急便が集配にきて送ることができました。
その後、部屋に戻りお風呂、寝る準備を始めようとした時、友達がかなり焦って
「全部送っちゃった!」と
友達は話しながら荷造りをするうちに必要なものまで入れて送ってしまったのでした。
部屋中、大笑いで皆で必要なものを少しずつ貸して最終夜を終えました。
34歳 女性のストーリー
小学校の修学旅行、1泊2日の東京観光という日程で行きました。
当時はまだ北陸新幹線ができる前だったので特急で上野駅まで行きそこからバスで最初の目的地お台場にある船の科学館へ行き色々な船の歴史や展示を見ました。
葛西臨海水族園ではマグロの大群が泳いでいる姿は迫力ありました。
泊まった旅館で夕飯後後楽園遊園地(現在は東京ド-ムシティアトラクションズ)へ行きました。
自分は絶叫系が無理だったので観覧車、汽車しか乗れませんでした。
2日目は東京タワー、国会議事堂、上野の博物館へ行きました。
東京タワーは修学旅行の定番で展望台から見える都内の景色はとても綺麗でした。
国会議事堂はテレビでよく見る場所を見て驚きました。
34歳 女性のストーリー
高校生の頃、遠距離恋愛をしていました。電車でも3時間かかる距離…会えるのは長期休み程度でした。そんな彼と電話で修学旅行について話をしている時、日程が近いことに気付きました。でも私の高校は修学旅行の行き先は広島、京都、東京で、彼の高校は沖縄と京都です。行き先もバラバラだし、日程も全く同じわけじゃないからまさかねって笑いながら話をしていたのですが、そのまさかが起こったのです。私の修学旅行2日目の京都と、彼の3日目の京都の日程がちょうど重なったのです。もうこれには二人ともびっくり。ホテルに入ってからの自由時間に少しだけ会うことができ、恋愛成就で有名な地主神社の御守りを二人で分け、すごく喜びました。運命だね~なんて話をしていましたが、もちろん今は別々の人生を歩んでいます。こんな偶然ってあるんだなと感じた瞬間でした。
54歳 女性のストーリー
高校の修学旅行の新幹線でのお弁当を彼の分まで手づくりして、冷やかされたけれど、嬉しそうに食べてくれて、私は嬉しかったなぁ〜

途中の川下りの船は無理やり私が乗った船に乗り込んできたり〜

ってなことをしていたら彼が体調崩して、保健の先生にひやかされながら看病したりと

青春感満載の修学旅行でした♪

で、帰りのフェリーではみんなで部屋で大はしゃぎした後甲板で彼と写真を撮りました。

自撮りなんてできない時代だったから友達に撮ってもらわなきゃいけないし、何組かそんなことをしていてすごく恥ずかしかったです〜(≧∇≦*)

あ〜なんて初々しくも甘酸っぱい思い出…

で、只今37年目www
ダンナさまになられています( *^艸^)
33歳 女性のストーリー
修学旅行の思い出と言えば、始めてのスキー体験でしょうか。
沖縄出身のため、雪はもちろんスキー等にはほぼ縁がなく修学旅行のインイベントとしてスキーに行ったのですが。
二泊三日の二日目。前日にはっちゃけすぎた男子が調子に乗って半袖で動き回って熱を出しスキーがでくなくなるなんてお約束もありつつバスで移動。みんなそわそわしながらスキー場へ向かいました。
スキー場ついてグループ別れインストラクターさんの元へ。人数としてはクラスの女子の半分なので8人程度。ドキドキのスキー体験が始まるはずだったのですが、そのインストラクターさんがまさかのスパルタタイプ。いや今考えるとこの人数みるインストラクターさんも大変だったなとは思うのですが、スキーなんてやったことの無い中学生女子に厳しい厳しい。
まず、初体験で道具の扱い方もろくにわからない私たちが見よう見まねで真似た動きを「違う!そうじゃない」と語気も荒々し訂正から始まり、インストラクターさんのテンションに怯えてなかな滑り出せない友人の背中無理やり押す、びっくりして転ぶと怒る。
あまりの状況になかなか上達できない私達グループにイライラしたのか急にストックを回収し出しそのまま滑れと言い出す。あげく、上手い子には優しく下手な子には厳しいまさかの対応で、非常にがっかした体験でした。
修学旅行の文集で私達のグループ全員スキー体験楽しみにしていたのにインストラクターさんが怖かったと示し併せたように書いたぐらいです。
いや、まあ、ストックを外すのは練習としてはありなのかなと今なら思いますが当時は逆に怖かったし何よりスキーなんてもうやりたくないと思いました。
ある意味インパクトがすごかったので、思い出と言えば思い出ですが、もう一回ぐらいちゃんと納得のいく経験して思い出を上書きできたらなと思いながらはや十数年。いまだに縁がないのは、これがある種のトラウマなのかなぁと思わなくもないです。
33歳 女性のストーリー
修学旅行の思い出で1番思い出に残っているのは高校の時に行った北海道です。
私はずっと3人で行動していたのですが3人共食べることが好き過ぎて観光よりも食べることを優先していました。
蟹が乗ってるラーメン、蟹汁、海鮮丼、海鮮焼き、じゃがバター、北海道牛乳のソフトクリーム。
あるものはとりあえず全部食べ尽くしました。
中でも1番美味しかったのがとうもろこし。
とうもろこしといっても屋台で買ったやつでは無くて歩いていると小さな木の小屋にとうもろこし30円と書かれていてそれをなんとなく安いし買ってみようという事になり買って帰りました。
するとそれを見た旅館のスタッフの方が良かったら湯がいてあげるよと言ってくださりご好意で調理していただきました。
そのとうもろこしは今までら食べた中で1番甘くて美味しかったです。
色々お金を使ったけど30円のとうもろこしが1番でした。
あれから北海道行けてませんがまた行きたいと思います。
19歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行で某有名温泉に行ったときの話です。
〝ようこそ○○温泉へ!〟という看板が見えてきたあたりから、急に具合が悪くなってきました。普段は車酔いなどもあまりしないのですが、慣れない旅行だからかなあくらいに考えていました。
部屋に着いて友達と撮った写真のすべてにオーブが写っていました。画面が真っ白になって見えないくらいのオーブが写っていたので、次の日には全部消しました。
その日の夜ご飯と次の日の朝ご飯は具合が悪すぎてほとんど手をつけられませんでした。
ホテルを出発して少ししたところでトイレ休憩になったためトイレに行くと、個室に入った途端にとんでもない吐き気がして吐き気が治まるまで吐いたらそれまでの気持ち悪さはすべてなくなりました。
ホテルが近づいた瞬間に取り憑かれて、吐いて出したのでしょうか...?
44歳 女性のストーリー
京都で半日だけ貸切タクシーに乗りグループ毎自由行動でした。使い捨てカメラが班ごと支給され、自分達で行きたいところを事前にプランニングし、運転手さんに説明を受けながらまわるのですが、お昼になると運転手さんが「おいしいところ連れて行ってやろうか?」「私達お弁当があります」「じゃ、景色のいい所で食べよう」と川辺に連れて行ってくれました。川辺でお弁当なんて食べたことないのですごく盛り上がった思い出があります。すごく親切な運転手さんで、他班からも羨ましがられました。

夜は座禅か染物体験があったのですが、独身男性の先生が自分のクラス担当の若いバスガイドさんの為にハンカチ染めをやってプレゼントしたんです。みんなでヒューヒュー冷やかしたら真っ赤な顔して照れていました。恋は旅とともに終了しましたが。

使い捨てカメラは一部の班が学校に戻り現像する前に盗まれてしまいました。一定期間出てくるのを待ちましたがでてこず、可哀想だからと全クラス分現像せず回収。同行カメラマンの写真しか買うことができないという悲しい思い出もあります。

50歳 女性のストーリー
高校の修学旅行といえば、今からもう30年以上前になります。
行き先は東京と、立山黒部アルペンルート。

なかでも東京では、班行動ではあるけれど1日フリーの日があり、
どんな所へ行くかについて事前の話し合いはを熱を帯びました。
開園したばかりの東京ディズニーランドで1日過ごすか、それとも都内を周るのか。
人気は半々といったところで、私のいた班(女子5名)は都内研修を選びました。

同じく都内を選んだ他の班は、原宿の竹下通りや渋谷・六本木、
あるいは上野・浅草といった名所を研修コースに盛り込み、
いかに先生に認めてもらうか交渉に励んでいました。

それなのに私たちは、5人そろって真面目過ぎる生徒が集まったためか、
新宿ではアルタやルミネではなく「伊勢丹デパート」。
原宿では竹下通りに向かわず「明治神宮」。

真面目過ぎる研修コースは、何の問題もなく先生にすんなり認めてもらえました。
「もうちょっと面白い所に行っても良いんだよ?」とのコメントつきで…。
それでも行く前から楽しかった修学旅行を思い返すと、
四角四面の学生だった自分たちが何だか微笑ましいです。

「」

10歳 男性のストーリー
私の修学旅行の思い出は、部屋行動の夜です。
仲の良い3人とグループを組みました。男子の部屋に突入したり枕投げをしたりコスメを持ってきたりやりたい放題でした。ですが一番の思い出はこれです。
それは二日目の夜に起きました。私と友達が懐中電灯で顔をしたから照らし、おばけ〜と言って遊びました。そうすると残りの二人が笑いながら「相変わらずブスだね」と言いました。冗談の通じる仲だったので気にせず合言葉にして喜んでいましたが今考えると結構ヒデェな、と思いますww

「修学旅行の思い出」

44歳 男性のストーリー
小学生の頃は、自分と同級生の身体の成長の違いに戸惑うこともあります。
私は、修学旅行の頃、アソコの毛が生えてきていまして、同級生の成長度合いが分からなかったので、生えているのが恥ずかしいと思ってました。
みんなで風呂に入りに行き、湯船に浸かるときに、みんなのをちらっとみると、みんな生えてなく、つるつるの皮つきウインナーでした。私も皮つきウインナーでしたが、その周りにちょろちょろ黒い毛があるのを見られたとき、同級生が驚いて、お風呂場でちょっとした騒ぎになってしまいました。
そのとき、担任の先生が入ってきて、騒いでる同級生に「大人になったら生えるんだ。お前らももうすぐだ。」一喝し、自分のタオルを取りました。中身は、ボーボーでしたが、皮つきウインナーでした。今、思い出してみると、「先生、包茎なのに、よく自分のを晒したな」と思いました。というのが修学旅行の思い出です。シモの話になって申し訳ありませんでした。
38歳 女性のストーリー
高校の時の修学旅行は沖縄。私は誰も言えずにいたが、初めて沖縄に行くし、初めて飛行機にものる旅にわくわく。そして一番驚いたことは、共学の高校であったが、旅行先のホテルの部屋男女一緒であったことであった。このことは非常に珍しいと思う。後になって、どうして男女一緒の部屋にしたのか、先生たちのリスク管理の認識がいかほどなのか?とこのご時世だと考えてしまうのだが、その時代ではそれでよかったのでしょう。なぜそのような男女混合の部屋になったのか。まずはクラス内における男女比に一番の理由があったと思う。当時配属していたクラスが理系であり、40人の定員の内、女子が3人と本当に少なかったのである。その3人のために修学旅行用の8~10人の部屋を当てるのは、不経済だとジャッジしたのが大きな要因。もう一つは、万が一が起こらない、というか、クラス内の恋愛がないと判断されて、男女混合の部屋になったのでしょう。だけど大誤算。私、実はクラス内で男子と隠れて恋愛の真っ只中。それも一緒に相部屋でした。いかがわしいことはなかったですが、もう旅行期間は目がギラギラとさえてました。淡くてほろ苦い、旅行思い出です。
47歳 男性のストーリー
小学六年生の時、修学旅行で会津若松に行ったが、初日に学校に集合したときから、校長先生に怒られた。その原因は校長が話を始めている最中に遅刻者がノソノソ来て、みんなそちらに注目が行ってしまい、校長の話なんか聴いていない。その時「どこ見てる! 一年生よりひどい」と罵声が上がった。問題は次の日、宿泊先のトイレで、オイラが小の用を足そうとドアを開けたら、二人の同級生がいきなり飛び出してきた。何事かと思ったが、小を出している最中、個室から校長が血相変えて出てきて、オイラに「用を出しているときに、戸をドンドン叩くとは何事だ‼」と怒鳴り混んできた。オイラはホースをもったまま呆然としていた。犯人はあの二人ではないのか。とにかく、怒られた思いでしかなく、ろくなことがなかった。
30歳 男性のストーリー
高校生の時の修学旅行にて二泊三日での沖縄になったのですが、一日目が西表島残りが沖縄本島に移動してのスケジュールでした。
一日目は楽しく西表島にて予定されていたスケジュールをこなし夜には外に出て街灯がなかったので素晴らしくきれいな星が空を覆いつくしていました。
次の日お昼前ぐらいに西表島から本島にボートで移動する前に島唯一の売店がありそこでペットボトルの期間限定のジュースを買いボートで移動中飲んでいたのですが、本島に着きホテルに着いたあたりでおなかの調子が悪くなりホテルの部屋についてからトイレにこもりそこから下痢が止まりませんでした。
ジュース以外口にいていなかったので原因がそのジュースですたがどこにも言えずじまい。
二日目の晩御飯がホテルの広場にて沖縄料理バイキングだったのですが下痢のせいで沖縄料理を楽しめず唯一口にできたのがシークワーサージュースのみでした。
せっかくの楽しみにしていた料理が食べれなかったのが悔やまれましたが全体的に楽しい修学旅行でした。
22歳 女性のストーリー
私の学校では校則で携帯電話を持っていっていけないことになっていました。けれど、修学旅行の夜にこっそり携帯電話を使ってメールをしていた学生がいて、それが見つかってしまいました。一人が見つかったことで芋づる式にメールをその時一緒にしていた学生が6人ほど先生に見つかりました。その結果、本当は起床時間が8時だったところ学年全員が6時に起こされました。そして、学年集会が開かれ、携帯電話を持ってきた上に隠れて使っていた学生がいたことが伝えられ、その他に持ってきた学生がいないか等の事情聴取のようなものが今後行われることが言い渡されました。ひとまず、今回バレて見つかった学生は旅館に半日待機して反省文を書くことになり、後から合流という処罰が下りました。ただし、反省文を欠かされているメンバーがいる班はその人を迎えに旅館に戻ってこなければいけないという面倒なことが増えかなりのブーイングを食らっていました。
35歳 男性のストーリー
修学旅行は全て雨!
小学校、中学校、高校の修学旅行は全て雨でした。
全て雨!ずっと雨!雨雨雨!雨の中スペースワールドに行ってジェットコースターを乗ったり(小学)、雨の中沖縄の国際通りを自由行動したり(中学)、黒部ダム見学も雨(高校)等、修学旅行は雨の思い出。
ちなみに大学の海外研修旅行で中国に行ったのですが、その時も大雨と台風で成田空港で缶詰になりました。(翌日に無事に出発)
学校行事は常に雨と重なる、雨男です。でもその時は雨男は俺じゃないって思ってました。
ですが、雨は雨なりに楽しい思い出も。好きだった女の子と相合傘できたり、先生が美味しいラーメン食べに連れて行ってくれたり、急遽別の行程で楽しみを増やしてくれたりと、雨ならではの楽しみ方もありました。
その時は本当にショックではありましたが、今となれば良い思い出です。
さすがに社会人のなってからの社員旅行は晴れでした。。。
51歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の話です。旅行先は奈良・京都でした。三泊四日の旅でした。
2日目に奈良から京都へ行く途中で宇治に寄りました。平等院鳳凰堂を見学した後、京都市内へ移動することになりました。推測ではありますが、バスに乗る際に全財産を落としてしまいました。それに気づいたのは京都市内のホテルに到着したときでした。
気づいたときには真っ青になり、担任に泣きついて1万円を借りました。楽しいはずの旅行が一瞬にして憂鬱な旅になってしまいました。3日目の自由行動もあまり楽しめず、修学旅行が終わった翌日に借りたお金は返しました。
このときの教訓から、旅行の時はお金を分散して持ち歩く様になりました。足代は確保できるくらいの金額に分散しています。今はクレジットカードを持っていますので、切符などの購入には問題ないのですが、今でも現金は分散して持ち歩いています。
45歳 女性のストーリー
高校の修学旅行の話。
となりのクラスの男の子が、東京駅のホームにすでに停まっていた回送電車にふざけて乗ったらそのままドアが閉まり発車してしまった!
担任の先生だけ残り他の生徒は予定通りの新幹線に乗り出発しました。
どうやらその新幹線は車庫に入ったらしく、みんながお昼のわんこそばを食べている時に担任の先生とその男の子は無事に到着しました。
もちろんその話は卒業まで語り継がれ、3年生を送る会では先生たちの出し物でも笑いのネタにされていました。

当時は携帯電話などなく、本人は強がっていたけどかなり不安だったろうなぁと思います。
去年同窓会があり、20年以上たった今でも笑いのネタにされていました。

修学旅行の思い出はたくさんあるけれど、一番に思い出すのはこの出来事です。
22歳 女性のストーリー
私の中での1番良かった修学旅行は小学生の時の修学旅行です。
なんといってもあの有名なUSJに行くことが出来たのはなによりも喜びに感じました。
それに、今であれば可愛いミニオンたちが楽しませてくれるので大人になった今だからこそまた違う楽しみ方をしてみたいなとも思っています。
USJに行けただけでなくいろんなお土産を買うことが出来たのもまた楽しかったです。
小学生時代の修学旅行はもうあれから早10年くらいは経ちましたが思い出しただけでもとてもワクワク感が止まりません。
入った瞬間からキティちゃんの写っているチケットをもらい今でも大切に保管しています。
このように楽しかった思い出しか個人的にはないなと感じています。
39歳 女性のストーリー
中学時代の修学旅行が一番の思い出です。初日はバスで岡山入りし、遊覧船に乗って瀬戸内海の景色を楽しむというプログラムがあったのですが、そこでビックリしたことがありました。何と瀬戸大橋の下を列車が走っていたのです。まさか橋の下に列車が走ることなど考えたこともなかった私は驚きのあまり言葉も出ませんでした。そして後になって瀬戸大橋の下を列車が通るということはすぐ下の景色は瀬戸内海なので、そこから眺めを楽しむことが出来るのは斬新だなと思う一方で、高所恐怖症の人は怖くてたまらないだろうなとも思いました。
また、初日の岡山では倉敷市にある大原美術館にも行きました。そこにレオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」のレプリカがあったのですが、たくさん落書きがされていたのが残念だったのを覚えています。たとえレプリカとは言え、展示品には触れないはずなのに誰がこんなことをと思うしかありませんでした。
28歳 女性のストーリー
小学六年生の修学旅行で、札幌生まれだった私が、その時期ちょうど市外の田舎の小学校にいたため、行き先が札幌だったということがありました。田舎の小学校の子たちは電車にも乗ったことがなく、マクドナルドも食べたことがないという子達ばかりでしたが、その子達と一緒に、私の地元である札幌市で社会科見学をかねた都会見学をするという体験をしました。札幌生まれなんだからわかるでしょ?という扱いをされましたが、実際は街がどんどん開発され新しい商業ビルがたっていたので、私自身も初めて行く場所が多く、知っているふりをしながらも、新しくなった札幌に感動したのを覚えています。私は田舎の小学校ではない!という小学生なりのプライドがありましたが、今ではいい思い出です。
27歳 女性のストーリー
高校時代の修学旅行は、グアムでした。
グアムということで、海外の高校生との交流行事がありました。
交流ということでしたので、英語と日本語交じりで必死です。(グアムの高校生は英語が話せる方がたくさんいました。)その際に、私と女の子1人が日本人グループ。男の子3人がグアム側のメンバー。(性別が違ったことについては、あまり突っ込まないでください。)

楽しくわいわいお話をしたり、学校の中の案内をしてもらいました。そこまでは、普通です。Theアメリカ!The高校!というイメージ通り。
ここからが問題です。男の子の1人は急に聞いてきました。Do you have a boy friend?その時彼氏はいなかった為、Noと答えました。私としては、口説かれるの!?お!と思っていたところ、、、
Other member of the guys are in relationship. え、他の2人は付き合ってるよ。=彼ら2人はゲイだよ。と教えてくれました。日本人女子高生にはただただびっくりで固まっておりました。
口説かれるの!?とか思っていた私がとても恥ずかしかったです。
33歳 女性のストーリー
高校生の修学旅行は嫌な思い出しかありません。
仲の良かった友達が初日はずっと一緒にいたのに、2日目の夜からは部屋に戻ってこなくなり他の部屋にいたほうです。最終日は私の隣にいるのがイヤだと、飛行機の中で隣の席が嫌だから席を交換してくれる人を探していました。
理由は他のクラスの子と仲良くしていたからだと言われました。元々束縛が激しい友達だったけど、まさか修学旅行中にこんなことになるとは…。
自由行動もその子と約束をしていたせいで一緒に行動する子がいなく、とても嫌な思い出になりました。
大人になってから再会して仲良くなりましたが、また「私以外の子を親友と呼ぶな」と怒られ喧嘩になりました。女の友情はめんどくさい。今では何をしているかもわかりません。
37歳 女性のストーリー
今から約20年前のこと。
滅多に雪が降らない場所に住んでいた私は、修学旅行先でのスキー研修をとても楽しみにしていた。
バスに揺られ数時間。目的地近くのサービスエリアに着いたときに、一面の雪が目に入って感激!
バスガイドさんが少し呆れ気味に
『こんなに雪だけで喜んでいただけたのは、初めてです。』
と言っていたのを覚えている。
目的地に着き、簡単な講習を受けいざスキー!
最初は難しかったがだんだん慣れてきて、初心者コースを滑って初日が終わった。
それから2日間スキーを楽しむはずだったのだが、その晩に高熱を出して隔離部屋へ…
あまりの高熱に夜中に担任の先生と、近くの救急病院へ行くことに。
判明した病名はインフルエンザ。
かなり重症だったらしく、数時間の点滴をして帰った。
初めてのスキーは1日しか出来ず、楽しいはずの修学旅行はインフルエンザで苦い思い出となってしまった。
この出来事がトラウマになり、大人になった今でも雪国には行きたくないと思うようになっている。
20歳 女性のストーリー
中学時代の修学旅行の思い出で、その時付き合っていた彼と私の友達カップルの自由行動のグループを組んだのですが、私の彼に元カノが修学旅行直前に猛アタックしてきて、「グループ私とやっぱり組もう」と言ったり、あげくには、告白までしていました。
彼は断っていたのですが、元カノに私は目をつけられビクビクしながら修学旅行の自由行動をしました。
また、その自由行動では、ちょうど修学旅行の日で付き合って半年になる大好きな彼との思い出を作ろうとしたのに持ってきたデジカメはトイレに落として壊し、友達が持ってきた写ルンですで撮った写真は、全てスカートの下にはいていた短パンのジャージがチラッと出ていて、とてもダサく黒歴史になる写真ばかり。(中学校の時はスカートの下にジャージを履かなければいけなかった。)
思い返すと、もう少しいい思い出が作りたかったなと思いました。
44歳 女性のストーリー
友達とのお泊りをするのが初めてだった小学生の時の修学旅行が思い出です。
隣のクラスの子と同じ部屋になりたくて学年混合での部屋割りを先生に提案したりなど我ながら積極的に活動したと思います。
修学旅行先はお決まりのハイキング+お寺めぐりでしたがなかなか小学生当時では景色の美しさやお寺の佇まいや景観の素晴らしさを理解するのは到底無理でした。
いかに隠れながらオヤツを食べたりソフトクリームを買って食べたりなどの思い出がよぎりました。
仲の良いお友達と違うクラスながらも同じ部屋になれた事で一日中クタクタなはずなのに時計は夜中の2時40分でした。押入れに入ってドラえもんごっこをしてる中を先生に見つかり正座をさせられこっぴどく叱られた記憶があります。
51歳 女性のストーリー
私の修学旅行の思い出は、中学生の時のこと、クラスでも嫌われていたので、孤立していてバスに乗り込むときも一人でいました。一応班行動をすることになっていたので、どこかに入れてもらってはいたのですが、意地悪されていたのいたのです。この人ならいいなと思った女友達はいたのですが、グループに入ることは出来ませんでした。
コースは、東京、栃木コースでしたが、初めて来る東京はやはり都会で楽しかったです。遊ぶところも学ぶところもたくさんあり、楽しいなと感じました。大好きな劇団も観ることが出来て楽しかったです。それに普段入ることが出来ない国会議事堂も見学が出来て、勉強になりました。
栃木は、涼しくて過ごしやすかったです。バスの中で歌った歌は評判が良くて、嬉しかったのを覚えています。
あの頃が懐かしいです。

33歳 女性のストーリー
私が高校2年生の頃、初めて同じクラスの男の子にメールアドレスを聞かれて、メールのやり取りを始めました。
その時は見た目もタイプではなかったので、ただの友だちとしてやり取りを続けていて、話しやすいなー、程度にしか思っていませんでした。
やり取りを続けて1ヶ月くらい経った頃、修学旅行の日がやってきました。当時は携帯を持って行ってはダメだったのですが、こっそりお互いに持って行ってやり取りをしていました。
男子部屋の様子をリアルタイムで聞いたりと、女子部屋でもかなり盛り上がりながら楽しんでいました。
自由時間に売店で待ち合わせをして二人で話そう、と誘われて、時間を合わせて会いました。
いつもと違う空間で、妙に意識してしまい、ドキドキしました。
その日の夜のメールのやり取りの最中に、突然「好きです」と告白され、女子部屋で大盛り上がり。
私も売店で話した時から気になり始めていて、告白を受け入れ付き合うことに。
その時、男子部屋が大いに盛り上がりすぎて先生に見つかり、携帯を持っているのがバレて没収されちゃったそうです。
これが私の修学旅行の一番の思い出です。
22歳 女性のストーリー
わたしの修学旅行の思い出で一番印象に残っているのが、高校生卒業旅行です。その旅行先がカナダで一週間の旅行で、各首都を巡る旅行でした。トロント、バンクーバーなど巡り一生に残る思い出となりました。特にその旅行の中で印象に残っているイベントとしては、2つあります。1つ目は、氷河を見学したことです。氷河期時代から残っている氷河の上を歩くことができ、地球温暖化の現実味や太古の昔の環境を肌で感じることができました。2つ目は、メジャーリーグへの観戦です。たまたまその時は、ゴジラと呼ばれたホームラン王、松井選手がニューヨークヤンキースからカナダへチーム移行していたことやマリナーズ戦の観戦でしたので、ゴジラ対イチローの対決をカナダで見ることができ、非日常を感じました。
55歳 男性のストーリー
中学のとき、沖縄から九州へ。
長崎は、グラバー邸でコーラを飲む。
当然ながら、観光地巡るので、それなりに、人がいっぱい。
長崎の平和公園では、友だちとだらだら歩いたので、昼食に遅刻して、先生に怒られた。
あと、どこかの城へ行った。
熊本城?
武者返しの部分で、走ってどこまで登れるか、友だちと競いあった。
熊本では阿蘇山にも行って、ガイドの人に火山についての説明をされて、いろいろと勉強になった。
火山といえば、鹿児島では、いきなり桜島の火山灰が降ってきて、学生服の背中が白っぽくなった。
そこでは、名産?の焼き饅頭も食べた。
あと、どこかのドライブインで食べた、揚げじゃがいも?はうまかった。
船で一日かけて行ったので、旅行中ほとんど船酔い状態。
そして、おそらくみんな、便秘状態。
船中では、なぜか、カップルがたくさん誕生してました。
37歳 男性のストーリー
私の高校3年生の時の修学旅行先は沖縄でした。
6月だったんですが、とにかく蒸し暑かったです。
私の学校は男子校だったので、バスの中でみんなが指定の制服(ポロシャツ)の腕をまくっていました。むさ苦しかったです。
行った場所は「ひめゆりの塔」「首里城」他色々です。
ひめゆりの塔の近くでどこか「ガマ」と呼ばれる洞窟に入ったような記憶があります。
なんか霊がでるのではないかとむさ苦しい男子生徒たちが意外にはしゃいでいた気がします。でも、洞窟内はとても涼しく沖縄の熱さを忘れさせてくれました。
あと、ホテルの近くの海でバナナボートに乗りました。3人乗りでジェットボート?で引っ張ってもらいました。これはスリルがあって楽しかったです。途中で落ちた学生もいました。その後、天気が曇ってきましたが、そんな中でビーチバレーをしました。
お土産はホテルの売店で「紫いも」のタルトっぽいのを買ったと思います。
男子校の修学旅行なので女っ気はないですが、沖縄の自然は美しく遊べる場所も満載で、楽しい思い出でした。
40歳 女性のストーリー
高校時代、まじめな人間だと先生に思い込まれていた私。
夜に違う班の子の部屋に行って騒いでたら先生に見つかり、1時間ほど正座で説教。
「まさかあんた達(ほかのまじめだとおもわれてた人たち)がこういうことするとは思わなかった」と言われ・・。
羽目を外してしまったんですね。それ以降、しばらく先生達に目を付けられるようになりました。当たり前ですけどね。
修学旅行先が、戦争でひどい目に合ったところで、そこの記念館(といえばいいのか?)に行ったのですが、しばらく中で見学していたのですが、雰囲気にのまれたのか、すごく気分が悪くなって、途中で見ることができなくなって、リタイヤしてしまいました。友人にもそういう子がいて、その子は入り口付近で「もう入れない」と言って入り口付近のいすで座り込んでました。
57歳 男性のストーリー
もう、数十年前の小学校修学旅行の思い出です。
当時の家計は厳しかったようで修学旅行費すら払えるかどうかの現状でした。
父は公務員で低給料、母は自宅で駄菓子屋を行っていましたが、なかなか収入面に
ゆとりは無かったようです。
そんなある日、幼いながらも、「ぼく、修学旅行はあまり興味もないし行きたくない・・」
などと気お使って言った記憶がよみがえりました。
しかしながら両親は社交性、という教育には熱心に躾けられました。
多分コツコツ母がためていたお金なのでしょう、「大丈夫、友達も行くんだから楽しんできなさい・・と、旅費は学校にだしてあるからね」と、子供ながらに感動をした記憶があります。
旅行先の京都の宿泊先から、学校の課題として自宅にハガキを送るという事で、
両親あてに「ありがとう! 楽しんでいます!」といったハガキを書いたのを思い出しました。貴重な体験と良き思い出です。
28歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行で東京に2泊で行きました。二日目に班別行動で色々な企業を訪問するというのがありました。行くまでにも、学校でグループごとに調べたり電話したりアポを取ったりなど、将来の夢に向けて調べるチームや気になるお店に行きたいチーム様々でした。私のグループは、都内の小さな豆腐屋さんに行くことになっていて、私が班長でした。ギャルもいるようなやんちゃなグループで全然まとまりなく大変でしたがみんな仲良かったので当日楽しみにしていました。当日の朝になって私が高熱を出してしまい、まさかの旅館待機で私以外のメンバーが行ってくれました。地図も分かるのかなと心配でしたが、夕方になっておからクッキーを手土産にみんなが部屋に来てくれました。みんなの優しさを思い知った修学旅行になりました。
44歳 男性のストーリー
私は修学旅行では京都に行きました。修学旅行といえば京都というほど有名な所なのではないでしょうか。
私の修学旅行の思い出は、座禅です。私の学校ではホテルでご飯を食べた後ある寺に行って座禅をするのです。まずは基本の姿勢、呼吸法などを教えて頂きそれを実践します。
座禅の時は両足を両太股にあげるのですがそれが痛いのなんので大変でした。それをなんとか耐え姿勢を整え呼吸を始めると非常に心が落ち着きました。
しかし、その心を落ち着けるはずの座禅の時間男子の一部が騒いでいました。それを見たらその寺のお坊さんが、棒で肩をベシッと叩くのです。本当に馬鹿なやつらだなぁと思いましたが、一人の生徒があまりに大きな声でイタッと言ったので私は我慢できずに吹き出してしまいました。そうするとお坊さんがゆっくり私のの 方に近づいてきて、肩を叩いてきたのです。まさか自分が叩かれるなんて思ってもなかったので、本当にびっくりしました。これが私の思い出です。
31歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行の思い出です。当初、海外の予定でしたが、当時新型肺炎が海外で流行しており、急遽国内となった修学旅行。行先は九州でしたが、初めての九州、また修学旅行ということで、みんなとても楽しみにしておりました。
長崎、熊本を周りましたが、夜は遅くまで友達をお喋りをしており、移動中のバスの中ではほとんど寝ておりました。
そして、最終日ですがこの日は朝から台風が九州に接近しており、天気が大荒れでした。風雨ともに大変強く、飛行機が飛ぶのかみんな不安でしたが、案の定、飛行機は欠航してしまいました。
結局、予定にはなかった福岡に1泊し、翌日に帰ってきました。
当時、みんなは大変喜んでましたが、先生方は大変だったんだろうなと思います。なかなかない経験が出来、一生の思い出になりました。
54歳 女性のストーリー
少し切なく、やるせない修学旅行の思い出があります。
高校の修学旅行は京都方面でした。旅館の部屋割りは大部屋で、私の部屋は女子が八人位いたと思います。そこで起きた出来事でした。
T子の財布がなくなりました。皆、自分は大丈夫だろうかと確かめましたが、なくなったのはT子だけでした。先生も加わり、皆で大捜索しましたが、とうとう出てきませんでした。T子は泣いていました。
その後は、先生からお金を借りてお土産などを買っていたようでした。
財布は落としたのか盗まれたのかは今でもわかりません。ですが、このクラスではその後、普段の学校生活でも次々とお金の紛失事件が起こりました。これは確実に犯人がいて、盗んだのだ、と誰もが思いました。とうとう解決しないまま卒業になりましたが、どうやら手癖の悪いB子という人がいて、その人が犯人ではなかろうか、と感じました。B子と私は仲が良かったので感じたことですが、B子の嫌っていた人が被害に遭っていたので、ゾッとしました。もちろん、証拠なんてありませんし、本人に問いただした訳でもありませんので誤解かも知れませんが、今となっては謎でしかありません。
37歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行が沖縄だったので、飛行機に乗ること自体が初体験で、特にトラブルはありませんでしたが、行きも帰りも発着陸が怖かったのを覚えてます。
沖縄に着いてからは「さすが元アメリカだなぁ」と思う事が多々ありました。
まず、宿泊したホテルでの食べ物はバイキング形式でしたが、全てがビックサイズ。
沖縄でしか食べられない、お料理ばかりだったので、バイキング形式で良かったなぁと思いました。
2日目の自由行動では、マンゴーアイス、シークワーサーのシロップのかき氷と、自分の地元にはないデザートを食べ歩きしました。
1番驚いたのは、ファストフード店に入り、ハンバーガーセットを頼んだ時に出てきたハンバーガーとポテトがアメリカンサイズで、飲み物なんてジョッキで出てきた事です。
やはり、地元のファストフード店では飲み物は紙コップでS・M・Lとサイズがあるのが普通なので、これには本当に驚きました。
学生時代の修学旅行で1番食べ物が美味しくて、楽しかったのは沖縄だけでしたし、率直に帰りたくないと始めて思えた場所でした。
24歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の時の話です。当時、自分のクラスは男子が8人しかおらず、普段から男子8人で行動することが多かったのですが、修学旅行も例に漏れず、4人ずつの班に別れてはいたものの、実態は8人で行動していました。
2泊3日の日程のうち全体行動の日程だった観光名所の見学や戦争体験の講演、班別の自由行動までは良かったのですが、最終日の自由行動で事件は起こりました。この日の自由行動は班別である必要もなく、個人行動が許されている日でした。いつもは8人で行動していますが、班別じゃなくていいならと、そのうちの一人は隣のクラスの友達と行動することに。じゃあ我々もと他のメンバーで行動しようとしたところ、自分を入れて6人しかその場にはいませんでした。「まあ彼もどっかにいったんだろ」と残りの6人で行動を開始。しかし見当たらない彼はトイレに行っていただけ。先生に探して一緒に行動するように言われ、小雨の降る中6人で探し回ることに、、、
結局見つからず楽しみにしてた沖縄そばもゆっくり味わえないことに、、、
修学旅行唯一の苦い思い出です。
20歳 女性のストーリー
中学1年生の時から気になっていた異性がいて、2年でその人と同じクラスになった。その上、修学旅行ではその人と同じ班になり、修学旅行までと修学旅行後の少しの期間と修学旅行の数日間はその人と話す機会が増えた。
修学旅行前はそれほど話す機会もなく、たまに話せばよかったくらいだったけど、同じ班になってからは修学旅行の時の話だけではなく、プライベートな所でも話すようになり、その人と仲良くなった。
修学旅行では、同じ班なこともありずっと一緒にいろいろな場所を回っていて、その人は班長だったので、分からない事があればすぐにその人に聞き、何でも気軽に話せるような関係にまで仲良くなった。
そして修学旅行が終わってからもたくさん話した結果、その人と両想いになる事ができ、最高な思い出となった。
23歳 女性のストーリー
高校の時の修学旅行がマレーシアでした。マレーシアの学校に通っている子たちと英語で交流するというプログラムがありましたが、とても驚いたのは彼女たちの人の暖かさです。
2人ペアで校内を案内してもらいましたが、ペアの子はプレゼントを用意してくれていました。私がもらったのは頭に巻くスカーフで、きっとお寺?に観光で行くだろうと思ってくれたのか用意してくれてました。私がもし逆の立場だったらそこまで考えられないなと思い、すごく感動しました。そして別れ際には最後まで悲しそうにみんなで見送りをしてくれ、バスのすぐ傍までいてくれました。そういうのが当たり前にできる文化ってすごくいいなと思いました。ちなみに、ペアの子に住所を教えてもらったので日本に帰ってからプレゼントを贈りましたが届いたのかは未だに不明です。
42歳 男性のストーリー
修学旅行は京都奈良に行きましたが、一日目の京都の清水寺の男子トイレで仲間達とタバコを吸っていたら学年主任の先生に見つかり。逃げはしましたが、捕まり‥宿泊施設に行っても他のクラスメイト達との翌日の打ち合わせには出席出来ず。
食事後は、部屋から出してもらえませんでした。

しかし、懲りない面々は性懲りも無く各部屋のベランダから私が居た部屋に集まり。

枕投げをしていたら、又も学年主任が現れ皆で学年主任の先生を布団で巻き部屋から脱走。

女子の部屋に行き、夜の京都へと繰り出しました。昼間の顔とは違う京都の夜。
何故か大人な雰囲気が醸しだされていた事を良く覚えています。

しかし、所詮は子供1時間もするとヤバいよと言い出す奴がぞくぞく出てきて静かに宿泊施設に戻りましたが‥そんな事は許されません。
翌日、学年主任と帰宅。

京都奈良の修学旅行が京都だけで終了。
帰っても親にこっぴどく叱られました。

いまだに当時の懲りない面々とは付き合いがあり笑い話になってますが、皆 妻子ある立派な父を一生懸命にやってます。
29歳 女性のストーリー
小学6年生の修学旅行で、奈良と大阪を回ったのですが、その頃はUSJがまだ出来たばかりの頃で、人より早くUSJデビューが出来て嬉しかったことを覚えています。ジョーズは40分待ち、ジュラシックパークやバックトゥザフューチャーは1時間待ちでした。あの頃はまだ、今のように待ち時間が2時間もするものは無く、ETやバックトゥザフューチャーなど、今はないアトラクションもありました。ジュラシックパークに初めて乗ったときは、乗り物に乗って恐竜のいる世界をゆっくり進んでいくだけだと思っていたので、最後の最後でジェットコースターのように水の中へ滑り落ちていったときは、本当に驚いて大きな声を出し、笑い転げていました。面白すぎて、ジュラシックパークは1時間待ちにも関わらず、2回連続で乗りました。あの頃は、本当に体力があっていくらでも遊べていたように思います。
18歳 男性のストーリー
 それは私が中学二年生の時でした。中学二年生といえば待ちに待った修学旅行。私の通っていた学校は奈良・京都に行きます。一か月の間、クラス全員で旅行プランを立てて、その時を待っていました。
 そして修学旅行。班行動で京都を丸一日見学しに行きました。京都を回って早2時間。そろそろ回るところもなくなってきた中、友達が一言、「地主神社行こうぜ」
地主神社とは縁結びの神社で知られていて、全員男子だった私の班は即決で行くことになりました。
 そしてその神社に着いて、お待ちかねのおみくじを引くことになり全員で引いてみると、なんと私だけ大吉でした。でも実際、大吉を引いたところで何かいいことが起きたためしはなく、大吉を引けたことがラッキーだと思い、宿に帰りました。
 しかしここでおみくじの力が発揮されました。携帯を先生に預けるために一人で部屋を出た私はある女の子のクラスメイトに呼び止められました。一瞬何のことかわかりませんでしたが、彼女の紅潮した顔を見てすぐに察しました。しかし、私にはそう言った経験が一度もなく、なんせ中学二年生だったものですから、そうなることが周りの人から冷やかされ、恥ずかしいだけだと思い込んでおり、とっさに部屋に引き返してしまいました。それからというもの、私は彼女から距離を取られてしまい、二人でいるのも気まずい関係です。彼女は勇気をもって私を呼び止めたのに…それ以来私は恩を仇で返した気分です。
 自業自得の思い出でした。
 

35歳 女性のストーリー
高校の修学旅行、沖縄へ行くはずでした。関東の海無し県民にとって海は憧れです。
しかしこの年、9.11が発生。その影響で、飛行機は危険とされ、行き先が変更になってしまいました。変更後の行き先は苦渋の決断、京都・奈良・大阪。あぁ、憧れの沖縄…。なぜ苦渋の決断かって?私の高校はキリスト教の教えをもつ高校だったのです。“いい機会だから、他の宗教も学んでくるといい”学校側はそんな風に言ってましたね…。
災難はまだ続きます。
初日、グループ行動の日。私は先生とのやりとりをする、グループの連絡係でした。制服の胸ポケットにケイタイを入れたまま、トイレに行ったんです。用を足して水を流す。“ボトッ。”何が起きたかすぐには分かりませんでした。しかし胸ポケットをさわると、ない!ケイタイがない!和式の水溜まりに見える物体は、私のケイタイ。そう、水没です。すぐに取り出し、洗って拭いて動作確認をしますが、液晶が死んでいます。でも、動くっぽい!?先生に話をして、連絡係は別の子に変わってもらいました。あとは地元の彼氏に、連絡できないって連絡しなければ。でもどうやって?思いついたのは、同機種を使う友達のケイタイを隣に置き、ボタンを同じ回数押して、メール送信。通話はできなかったけど、通信はできました!(後日確認済。)
この後三日間、ケイタイ無しで過ごしました。修学旅行は楽しかったけど、苦い思い出です。
64歳 男性のストーリー
修学旅行もう40年以上前のことになります、時がたつのは速いものですね。当時は汽車での修学旅行がほとんどだったのですが、そんな中一回だけ乗ることが出来たのが、当時は私たちの乗ることが出来なかった新幹線に乗ることが出来たのです。日本の技術のすごさを感じながら、最後は寝台車で帰路に就いたのを、思い出しました。
それと当時は宿泊は旅館で,他校と一緒になることは当たり前の時代、よくケンカになりそうになりましたが、私たちの学校の一番でかいのが表れて、けんかにならずに済んだことが良くありました、そいつは大きいだけで,ケンカをするようなやつではなかったのですが、ただ大きいことはよいことだったのですね。
時代は変わり、今は海外へ普通に行く時代になっています。修学旅行もお金がかかる時代になってきたようですね、親は大変ですね。
42歳 男性のストーリー
高校の修学旅行で北海道に行ったのですが、私は長崎に住んでいるので、白銀の世界が素晴らしかったです。また普段は接する事のない、競走馬にも会えました。特にオグリキャップは綺麗だと思いました。真冬の北海道だったので、路面凍結していたのですが、地元の人が滑って転んでいたのには笑っでしまいました。
北海道はかなり大きいので正直なところバス旅行でした。そのためガイドがカラオケを準備していたのですが、曲目が少なかったです。その反動か、福岡空港から長崎に帰るまでの長崎バスでカラオケの曲が豊富でみんな弾けていたのをよく覚えてます。
アイヌ文化に触れた事や霧の摩周湖に行けた事も私にとっては、非常に良かったと思います。
33歳 女性のストーリー
高校時代、修学旅行で長崎へ行きました。
当時違うクラスの子と付き合っていた私は、事前に彼氏と「修学旅行中にお互いにプレゼントを買い、最終日の夜に交換しよう」と約束していました。

班別で自由に買い物をしてよい時間がたくさんあったので、クラスの友達にもあれこれお土産の内容を考えてもらい、結果オルゴールを購入しました。
値段はそんなに高くなかったと思いますが、メリーゴーランドの形のおしゃれなオルゴールでした。

そして最終日の夜。
点呼後、先生に見つからないように部屋を抜け出して、死角になるところで彼氏と密会しました。
私が彼へのプレゼントを取り出すと、なんと彼も同じ箱。
箱の中からはオルゴールが出てきました!
数ある店の中でまさかの同じプレゼントを選んでいたのです。

運命だ!とその時は思いましたが、今となっては淡い思い出。
卒業前には別れてしまいました。
でも、とってもいい思い出です。
37歳 女性のストーリー
私は、高校の修学旅行に行けませんでした。高校2年の秋、国民体育大会地元開催を目前の修学旅行。もちろん、「行く」という選択肢はありませんでした。(競技の特性上、数日休むとパフォーマンスに影響が出る為)過去に、先輩も修学旅行に行ってない記憶があったのと、国体地元開催で関係者は通常より気合が入ってるのもわかっていたので、行けないのは当然だと思っていました。
修学旅行の事前作業は見てるだけ。学年全体の事前指導はその場にいて聞いてるだけ。保護者同伴の参加説明会はもちろん欠席。出発前は、あーだこーだ盛り上がるクラスメイトを眺めるだけ。そんなこんなで、修学旅行期間。午前中は図書館で勉強。A4用紙1枚に、何でもいいから書くだけ。ほんとに何でもいい。あいうえおでも、、、たぶん、行けないことを可哀想だと思って超簡単な課題にしてくれてた。地元開催なこともあり、不参加部活動生多数でした。
午後からは、部活。そんな1週間。ま、練習時間早まってラッキーくらいな感じ。
みんなが修学旅行から帰ってきたら、たくさんのお土産にお土産話に、、、楽しそうで何より。みんな、事後作業(レポート作成とか観光地まとめとか)いろんな作業に追われてたかな。
ま、もともと行けない事もわかってたので、そんなに苦痛ではありませんでした。行けなかった事も一つの思い出かなと思います。
22歳 女性のストーリー
私の学年が、というべきなのか、私の学校の修学旅行の時期が、というべきなのか、小中高とどの修学旅行も話題には事欠きません。
小学校のときには新型インフルエンザ(豚インフル、だったと記憶)の流行によって、5月に予定されていた修学旅行が実施さえ危ぶまれる事態に。結局9月に延期して行ったものの、ハラハラした記憶があります。
中学のときには、生徒の希望で東京への修学旅行が決定。しかし、1年生3月の時に東日本大震災・原発事故が発生して、行き先を例年通りの沖縄へ変更。幻の東京計画となりました。
高校では行き・旅行中は何もなく北海道を満喫したものの、帰りにハラハラさせられました。雨風の影響で地元空港への着陸に手間取り、東京へのとんぼ返りも予告されてしまう事態に。無事に着陸したものの、「しばらく飛行機はいいね」と友人で話しました。

「忘れられない夏休み」

61歳 男性のストーリー
 子供たちが小さいころ、毎年夏休みには家族で海水浴をしていました。自宅から車で2,3時間程度で行くことができる海水浴場は5,6か所あり、夏休みを含めた夏の期間に度々行っていたものです。
 ある年の夏休み、いつものように家族である海水浴場に行きました。そこは、それまでに10回近く行ったところで、様子をよく知っていたのですが、その年は浜辺の一部がサーフィンのために海底が浚渫され、遠浅だった浜辺が深く掘り下げられていました。私と次男(小学1年生)は、そのことに気づかず、いつものようにひざ丈ぐらいの海辺(いつもより海底の傾斜がきついと思いながら)で水遊びをしていたところ、突然高波が寄せてきて、その引き波であっという間に100メートル近く沖まで流されてしまいました。泳ぎはできたのですが、子供を抱いていたことと波が強かったために泳いでも泳いでも浜辺へたどり着くことができませんでした。力尽きてもうだめかと思ったとき、20メートルぐらい先にサーファーが数人いるのに気づき、大声で助けを呼びました。サーファーがすくに気づいて私たちに近寄ってきたので、すぐ近くに来たサーファーに力を振り絞って子供を投げ、サーファーが子供をキャッチしたのを見た瞬間、私の中からすべての力が抜けて海底に沈んでいきました。「これで私の人生は終わりだな」という思いが脳裏に浮かび、頭上に真夏の海を通してギラギラ光る太陽を見ながら静かに沈んでいったのですが、私を探していたサーファーのサーフボードがその太陽を遮った瞬間、私の中に力が漲り、海面に向かって浮かぼうと腕を動かすことができ、救助されました。
 救助してくれたサーファーは名乗らずに去っていき、私は救急車で病院に搬送されて治療を受けました。
 この年の夏休みは今でも家族にとって忘れられない夏休みになりました。その時以来、私たち家族は海辺に近づくことはなくなりました。
52歳 女性のストーリー
中学1年の夏休み、母が手術を受けるため入院した。
学校のお弁当があるため、夏休みを選んだが、家に一人でいる時間が長くさみしかった。
父が朝食をつくり、お昼はスーパーで買って、病院で母と一緒に食べた。大部屋だったけど宿題を持って行って、1時間くらい勉強していた。3日もたつと同室の人と話をしたり、お見舞いのお菓子をもらって食べたりした。幸い手術すれば治る病気だったので、病室が居心地の良い空間になっていった。
病院から家に帰り、6時ごろになり少しづつ暗くなってくると、寂しかった。一人暮らしをしている八つ上の姉が、仕事がないときは夕食を準備してくれた。部活でお弁当があるときは父が作ってくれた。結構おいしかった。
2週間がたち、退院してしばらく家で安静にしていたが、母がいるだけで心強かった。
充分なお小遣いをもらっていたが、やはり家族がいる安心感が一番だった。
しばらくすると、通常の生活に戻り、母が入院したことすら忘れてしまうが、心配事があると、中一の夏に感じた不安な気持ちを思い出す。
37歳 男性のストーリー
もうずっと昔の事だが、高校3年の1学期期末試験で友人たちと点数勝負をした。
負けたら夏休み中にとあるイベントに参加するという条件で乗ったのだが、まさかの敗北。
そしてそのイベントに参加した事で、そのイベントに参加するのが趣味になり毎年夏休みはそのイベントに参加するのが毎年の行事となっている。
それまでの自分の人生をまるっきし変えるような出来事だったので未だに初参加した際の驚きは薄れていないし、ある意味自分の人生が変わった忘れられない夏休みとなってしまった。
当時参加していた友人たちも一人辞め二人辞めと今では自分こみで二人しか残っていないがそれでもあの時本気で試験に臨み点数で負けたのはある意味運命だったのかもしれないし、それで得たものが一生ものになりそうなのでこれはこれで良かったのかもしれないと思っている。
37歳 女性のストーリー
夏休みといえば学生。そんなイメージがありますが、夏休みは大人になっても楽しめます。
これは、社会人4年目の夏休みのことでした。職場の同僚が仲良く、みんなで夏休み1泊2日の海水浴旅行を計画しました。計画が決まったら、職業柄、まずはプラン作成、しおり作成、お揃いのTシャツ作成、役割分担、などなど綿密な計画を立て、旅行に行く前から楽しんでおりました。旅行当日、持ち物検査(笑)配車のくじ引きから始まり、海水浴場では泳ぐもよし焼くもよし、チーム対抗ビーチバレー大会、ビーチフラッグ大会、すいか割り、盛りだくさんで全力で楽しみました。夜は、宿泊先でBBQ、肝試し、花火大会、酒盛り、夜更けまでトランプしたりウノしたり、寝ることも忘れるくらい夜を満喫しました。次の日は、朝から日の出散歩、朝ごはんジャンケン、宿舎掃除。帰り支度をし、また配車のくじ引き。帰り道は、観覧車のある公園によって、集合写真撮影。大人って、こんなに楽しめる?てなほど、楽しみつくしました。あの夏休み旅行は、最初で最後でしたが、10年たった今でも忘れられない夏休みです。
28歳 女性のストーリー
15歳。中学3年生の夏休みでした。
当時私は周りの友達より早く携帯電話を持っていました。1番中の良かった友達も持っていました。
私たち2人は夏休み毎日のように会い、毎日簡単に出来る出会い系サイトの掲示板に投稿しして遊んでました。
8月15日。福山の花火大会に行こう!という話になり、福山駅までは電車に乗って行きました。会場まで行くにはすごい人の量のバスに乗らなければなりません。
私たちはいつものように掲示板で足になってくれる男の人を探しました。
ちょうどよく足になってくれる人が見つかり、花火を見て帰りの電車の時間が迫っていたので福山駅まではなく、東福岡駅に送ってもらいました。
ここまでの話でも今ではとてつもなく危ない事をした忘れられない夏休みなのですが、送ってもらった駅がとても忘れられません。
なんと人よりゴキブリの方が多い駅でした。
あの光景は今でも忘れられません。
41歳 男性のストーリー
小2の夏休み、おばあちゃんの家へ行って、従兄弟達と会って遊んでいました。私は、おばあちゃんが履いていた普通のサンダルが何となく好きで従兄弟達と外で遊びに行く時に、必ずそのサンダルを履いて遊んでいました。おばあちゃんの家は、日本の名水百選などにも選ばれる綺麗で美味しい水が流れている土地で、川の側溝も、都会にはなかなか無い幅広さでした。
僕と従兄弟は、公園でゴムボールとプラスチックのバットで野球をして遊んでいた時に、僕が打ったボールが公園の外の道路まで飛んで行きました。
慌てて、従兄弟達と走って取りに行った時に、小2の自分にはまだサイズが大きいおばあちゃんのサンダルが脱げて側溝に落ちてしまいました。おばあちゃんのサンダルはゆっくりと流されて行きました。おばあちゃんのサンダルを失くしてしまったら大変だと思った私は、側溝に降りて、川の流れに逆らいながらサンダルを追いかけました。その側溝は、上部にコンクリートで出来た棒状の仕切りが等間隔に取り付けられていて、自分は、それを避けながら追いかけていたんですが、サンダルを必死で追いかけるうちに、仕切りに頭を何度かぶつけました。
痛いなと思いながらも、サンダルを取る事しか頭に無い自分は、気にせず追いかけましたが、どんどんサンダルは遠ざかって行き、諦め始めた時、上から見ていた1つ上の従兄弟が私の頭を指差し「血が出てるよ」と言いました。額に手を当てると、ドロっとした血が手に付いていました。驚いた自分は、泣きながら側溝から出て、道で号泣。すると近くでバトミントンをしていた中学生くらいのお姉さんが、血を流して泣いている自分を見て、私を抱えながら、従兄弟の誘導でおばあちゃんの家まで走って連れて行ってくれました。その後、親族は大慌てで、病院へ連れて行き、結果、頭部を7針縫うケガを負いました。
22歳 女性のストーリー
大学2年生の夏休みに20歳を迎え、何か今までにやったことがないことがしてみたいと考えました。とは言っても学生の自分でできることは多くなく、結果「1人で二泊三日京都旅行」を敢行しました。
私は地方に住んでおり、バスで移動することもあまりありません。新幹線やホテルの予約や、京都での移動に多々不安がありましたが、「せっかく大人になったんだから」と母の言葉が後押ししてくれました。
中学生の時の修学旅行以来、二度目の京都。現地の予定は完全ノープランだったため、新幹線の中でどこに行こうか考えていました。おすすめのカフェを巡りたいところでしたが、夏休み期間ということもありカップルや家族連れが多く、女子1人で入るにはなかなか勇気のいるお店ばかり…。迷った挙句、修学旅行で巡った神社仏閣を再び巡るというプランになりました。
当時はガイドさんの話を聞いても全く耳を傾けなかった場所に、20歳になって再び足を踏み入れるのはとても感慨深いものがありましま。この神社で写真を撮ったな、あのお店でお土産を買ったっけ。そんな事を思い出しながら、1人京都の街並みをぶらぶらと。
その後、中学時代に読んでいた本の舞台となった場所にも行き、思春期時代の思い出を巡る旅となりました。
15歳の悩み多かった自分を追いかけるようなものでしたが、20歳という節目を迎えた年に経験できてとても良かったと感じています。
29歳 男性のストーリー
僕が専門学校に通っていた時なので10年ほど前の話になるのですが、夏休みに実家に帰省している時にお盆でほかの友達やら後輩もいて夜に何人かで灯台のふもとで流星群を見ようということになりました。
寝ずにおしゃべりをしていたのですが、ただただ昔の思い出話や進路のことなどたわいもない話をしただけだったけど、自分にとってはとても楽しくてこのままその感じがずっと続かないかなと思うくらいな気持ちになっていました。
一緒に喋っていたメンバーの中にずっと好きだった子がいて、二人きりになる場面があったのですが好きという言葉も言えずに朝を向かえ、それぞれ家に帰ったのですが、あの時に好きの一言が言えてたらなと後悔したという思い出です。
32歳 女性のストーリー
私が中学一年生だった年の夏休み。
入学式での吹奏楽部の歓迎演奏で、私は指揮者の先輩に一目惚れをしました。
彼は三年生。どうしてもお近づきになりたくて、彼と同じ吹奏楽部、しかも同じパートに入ることができました。
それだけでも夢のようだったのに、友達のお陰で、なんと学校に入学して三ヶ月もたたずにお付き合いすることができたのです。
ただ、私はまだ恋だの愛だのが理解できておらず、付き合えた事実だけで舞い上がり、ろくに彼の目を見て話すことすらできませんでした。
嬉しいけど恥ずかしい。そんな気持ちが抜けずによそよそしい態度をするばかりで、初めての夏休みがきました。
当時はお互い携帯電話も持っていなかったので、連絡手段は電話のみ。
夏休みに入ってすぐに彼から「鎌倉の花火を見に行こう」と誘われたのですが、嬉しい気持ちよりも、何故か「恥ずかしい気持ち」の方が勝ってしまい、とても冷たく断ってしまったのです。
本当は一緒に行きたくて仕方なかったのに。
それから彼とは自然消滅してしまいました。
あとにも先にも、あんなにも強烈な一目惚れをして好きになった男性はいないのに、自分が子供だったばっかりに、自分の正直な気持ちも、彼の気持ちも傷つけてしまったと、とても後悔しています。
20年近く経った今でも、夏の花火を見るたびに、彼の悲しそうな姿が思い浮かび、胸が痛みます。
24歳 女性のストーリー
中学生の夏休みです。
私は吹奏楽部に所属していたのですが、活動日がお盆以外ほぼ毎日朝から夕方まで練習していました。コンクールがちょうど夏休みの間にあったため、ずっと練習でした。演奏するにも意外と体力を使うので、大変でした。精神的にも体力的にも楽ではありませんでしたが、コンクールに向けての最後の練習は楽しんでやっていました。コンクールで演奏した後も達成感をとても感じ、頑張ってよかったと思いました。
今思えばよくやったなと思います。おかげで、大概の大変なことに直面したらこの頃を思い出し、あのときに比べればと頑張れます。
ある意味心の支えとなっていますし、やることがいっぱいで充実していたので忘れられない夏休みです。
22歳 女性のストーリー
社会人1年目で初めて訪れた夏休み(お盆休み)。
高校生の頃からお付き合いしている同い年の彼と少し距離を置いていた。
高校生活はずっと彼と一緒だった。(放課も週末も)私は少し疲れていた。
1人の時間が欲しかった。だから距離を置いていた。
ある日、会社で同じ部署の男性(3歳年上)に花火でも見て
疲れを取ろう!と言われ、花火大会に行くことになった。
年上の男性と出掛ける事が初めてだった私は少し緊張していた。
結構有名な花火大会だったらしく、朝から集合して会場へ向かった。
車での送迎や、食事代金の支払い、全てにおいて大人の対応だった。
花火を見終わり、帰宅ラッシュが過ぎるまで近くでゆっくりすることになった。
噴水がある公園で噴水を見ながら話していると、突然男性に告白されたのだ。
職場でそんなに会話していなかったし、私はむしろ嫌われていると思っていた。
だからとてもびっくりした。同い年の彼を一途に思ってきた私が、初めて
違う男性に心動く瞬間でした。私は人生で初めて浮気をしました。
数日後に告白を承諾した。同い年の彼に別れを告げると、何で?と言われました。
そうですよね、だって喧嘩もしていないのだから。私が一方的に距離を置き、
そして浮気した。最低な女です。3年だった今でも忘れられない夏休みです。
生きてきて初めて最低なことをした夏休み。
42歳 男性のストーリー
自分が高校2年生の時の夏休みの話です。今から20年以上も前の話ですがその頃私には仲のいい親友と呼べる友達が4人ほどいました。

夏休み前に原付バイクの免許を全員が取得して夏休み前半には全員が人生で初めて原付きバイクを購入出来たこともあり、4人揃ってバイクで色々な場所へ出かける毎日でした。

バイクに乗るのが楽しくてたまらず殆ど毎日バイクに乗っていたので夏休み中だけでなんと1000キロ近くの距離を走行していた事に気づきとても驚いたのと同時に満足感も大きかったです。

隣の県へ出かけた時に起こったことなんですが一緒に走っていたはずの仲間と途中ではぐれてしまい、知らない土地で、当時は携帯電話などもありませんから連絡手段もなくお互いに見つけるまでに3時間位かかったことが有りました。
確かに疲れはしましたがそれでも当時は携帯電話が無いのが当たり前ですから、そういう勘というのも研ぎ澄まされていたのかお互いにそんなに焦りは感じていなかったみたいです。

乗り物を運転して自分の力だけで出かけるという経験も初めてでしたし、それを大切な親友と共有出来たというのがとても嬉しくて、この時の夏休みが今までの人生で一番楽しかったと今でも思います。
19歳 男性のストーリー
中学1年の夏休みを僕は忘れることはないと思う。
毎年お盆休みになると家族でお婆ちゃんの家に遊びに行きます。お婆ちゃんの家はドがつくほどの田舎で周りは山と畑に囲まれていて1番近くのコンビニに行くのに30分くらいかかります。その年はたまたまゲームの充電器をわすれて遊ぶものがなくなりつまらなくて何もない田舎を適当に散歩していました。10分くらい歩いたところで僕より少し身長が高くて高校生くらいの女の人に会いました。僕は年が近い人を見つけて嬉しくなってついつい話しかけました。驚いて振り返った女の人はすごく綺麗なひとでした。女の人は僕と一緒でお婆ちゃんの家遊びに来ているらしくお互いのことをいろいろ楽しく話しました。夕暮れ時になり明日もここで話そうと約束して帰りました。しかし父親が仕事で帰らなければならなくなり会うことができませんでした。それからあの女の人に会えたことはありません。
22歳 女性のストーリー
高校一年生の夏。

その頃の私は、「高校生」というなんとも輝かしい響きに胸踊り、なんにもないのになにかに期待するバカな女子高生でした。

そんな私にも一丁前に好きな人がいました。
同じ部活の2年生の先輩だったその人は、おっちょこちょいな私にもいつも優しく接してくれて。時にはからかって私のミスを軽くしてくれるようにも感じられました。

忘れられないのは、夏休みの後半。お盆も終わった頃です。

いつものように部活動を終えた後、「みんなで駅の方に遊びに行こうよ!」という話があがりました。
もちろん先輩も参加するそうで、私も行きたかったのですが………。
私はその田舎の高校では珍しいバス通学でした。
先輩や他のみんなは自転車だったので、「ああ、出遅れちゃうな…」と思っていたその時。

「あ、じゃあ後ろ乗ってく?」と、先輩の声。

田舎にある町の、さらに田舎なその道。
周囲には田んぼと畑とビニールハウスしかなくて。
でもそのおかげで、青い空がどこまでも広く見えて。

「しっかり掴まっておけよ」という先輩の声にドキドキしながら、そっと腰に手を添えて。

このまま一生駅になんて着かなければいいのに。と、そう思った夏休みでした。
51歳 男性のストーリー
高校の夏休みは必ず仲間と自転車でテントなどの荷物を持って一週間ほどキャンプ、野宿などをしながらサイクリングをするのがたのしみでした。仲間は固定の四人組で夏休みが近づくと計画をたてるのも楽しみでありました。
地元は熊本でして一年目は天草を一周しながらサイクリングを楽しみました。キャンプ、海水浴をしながら多少のトラブルもありましたが、無事に成功しました。
2年目は長崎をほぼ一周するコースで真っ黒に日焼けしながら、長距離のためおしりも痛くなったりしながらも楽しく成功しました。
そして3年目の夏がきました。この時の計画は鹿児島までいきフェリーで屋久島にわたり屋久島一周でした。計画の当日台風がちかずいて来ていました。計画の変更は日程に余裕がなく計画強行3人(私もこちら側)反対1人で意見がまつぷたつにわかれました。話あいの結果、計画断念となりました。長い間計画していた事と初めての挫折に反対した友達をうらんだりもしました。
今となって考えれば台風がきてるから危険というのは当然であるが当時は3年連続でいくことに意義を求めいたきがします。今はその友達とも気の合う親友です。
忘れられない夏休みの思い出です。
32歳 女性のストーリー
19歳、短大2年生の夏休みが忘れられません。
片思いをしていた一つ年上の彼と、頻繁に2人で遊んでいました。彼の家に2人きりで泊まったり、ドライブをしたり。今思えばただの都合のいい女でしたが、当時は彼から誘ってもらえることに舞い上がっていました。
ドライブは、夜の海を見に行くのが定番でした。車から降りて、波打ち際を2人で歩く時間が幸せでした。時には岩場に座って膝枕をして、ただただ無言で時間を過ごしたり。
ただ、その数日後には、彼から「関係を終わりにしたい」と告げられ、地獄のような悲しい日々。
夏休みの間に、天国と地獄を味わいました。
その後、彼とお付き合いをすることは叶いませんでしたが、今でも夏になると、「もし膝枕をしていたあの海辺の時間に告白をしていたら、どうなっていたかな…」と、思い出します。
55歳 男性のストーリー
中学2年の夏休みのときに、沖縄から横浜の親戚の家に、約2週間滞在。
いま思うと、いろいろ迷惑かけたな~と反省しきりな面も...
しかし、ぼく自身は、当時は田舎ものだったので、いろいろと刺激があって、楽しかった。
生まれて初めてはとバスに乗ったのも、そのとき。
バスガイドのねえさんは、大柄な人でしたが、美人でした。一応...
あまり覚えていませんが、皇居に初めて行ったのもそのとき。
一面じゃりが敷かれた、大きな広場だったような?
そして、おそらくそこで、ガイドのねえさんも一緒に記念撮影。
世話になった家族の娘さん(子持ちの主婦)が住んでいる、群馬にも行って、少し滞在。
そこの子供たちといっしょに、古い小さな遊園地へ行ったり、花火をしたりして、けっこう楽しかったです。
夕飯で食べた餃子は、うまかったのか、なぜか今でもはっきりと覚えています。
37歳 女性のストーリー
高校生のときに、夏休みだけホテルのベッドメイキングのバイトをしました。
その時にお昼ゴハン食べるのに廊下で食べるしかなくて、一人で外に買いに行ったら小さな喫茶店を見つけてそこのオーナーの息子とひと夏の経験をしました。
始めは、ただご飯を食べに行くだけだったのですが、話が弾んで一度カラオケに行きました。その時にキスをされ、意識仕出しました。まだ高校生だった私はハーフのキレイ目の男の子に恋をしてしまいました。外国人から挨拶された程度でしたが、それからも毎日毎日喫茶店に通い、バイト最後の日に好きだと伝えると夏休み期間しか日本にいなくて、帰らないといけないと言われました。手紙書いてねと言われ2回書きました。一度会いたいと返事をくれましたがそれっきりです。
もう20年経ちましたが会えるなら今でも会いたいです。
32歳 女性のストーリー
小学生のころの話です。小学3年生の私は両親は共働きでしたが児童館や学童には行っておらず、お昼ご飯のお弁当の用意も無く、毎日毎日お金が置いてあり、自分で好きなものを買いに行くスタイルの日々を送っていました。近くにはスーパーがあり、毎日お惣菜、お弁当、おにぎりなど。友達と毎日買いに行って友達の家で食べたりしながらスーパーのご飯で過ごしていました。そんなある日に、夏特有の夕立、ゲリラ豪雨がありました。その日は丁度自宅で過ごしており、ザーザーと雨は降り、雷はゴロゴロ、バキバキと激しく鳴っていました。記憶にあるのはそれが初めての体験で、凄く怖くて怖くて、母親に何度も電話しましたが帰れず。とにかく怖いので泣きながら布団を被り、机の下で隠れて雷が収まるのを待っていました。今でもその思い出が忘れられず、夏になると思い出すし、雷は未だに怖いです。なぜあの時母は帰って来てくれなかったのか!と思っていましたが、大人になった今では分かります(笑)全然良い話しの忘れられない夏休みでは無いのが残念ですが、毎日楽しく過ごしていたんだろうなとは思います。
52歳 男性のストーリー
3つの人生初が多かった2019年の夏休み。
まずは転職。子育てと介護が終わったので、新しいことに挑戦したくて、
早速エージェントに登録。エージェント登録も人生初でしたが、
結局はハローワークで紹介してもらい、無事面接へ。

2つ目は人生初の就職面接。バブル時代だったので、
就職面接というスタイルがなく、採用担当者と面談程度だった時代なので、
履歴書書くのも人生初で、書き直しも3回ほど。
何とか無事に面接が終了して、半月後に入社。

そして最後の人生初が「マッチングアプリ」
転職するにあたって、新しい人生を一緒に歩んでくれる人が欲しくて・・・。
5つのアプリに登録し、現在、4人の女性とメールのやり取り中。
転職で少し不安な気持ちを癒してくれています。
48歳 男性のストーリー
大学3年の夏休み、北海道へ列車で旅行に行った時のことです。
函館から札幌に向かう夜行快速「ミッドナイト」の自由席で、たまたま向かい合わせになった女性がいて、発車までの間、お菓子を食べながら話をしていました。
翌朝、札幌駅に着いてから、一旦別れたのですが、どこで朝食をとろうかと駅の中をウロウロしているうちに、またその女性に会いました。私も特にこれといって予定があるわけではなかったので、しばらく一緒に付き合うことにしました。
大通公園でトウモロコシ雪印パーラーでグラタンを食べた後は、北海道大学に行き、クラーク像の前で写真を撮ったりしました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、札幌駅で旭川に向かう彼女を見送りました。
旅には人との出逢いがあるのは本当だと実感した夏でした。
44歳 女性のストーリー
それは、次男が幼少期に、先定性の生まれつきのずがの病気の為に、一回目の手術、約7〜8時間かかり、無事に終わり検査通院しながら、2回目の手術3〜4時間かかり、無事に終了しました。主人は海外勤務中でしたので、合間に、日本に帰国した時に、次男の病院に、長男(小3)とお見舞いに来てくれました。2回目の手術が無事に終わり、元気になった、あの夏休みに家族で、念願のディズニーランドに行く事が出来ました。大変な手術を2回も頑張った、次男・・父親が海外勤務中でしたので、留守番を祖父母と共に支えてくれた長男。家族の絆と共に、大好きな、ミッキーマウスに会えた、あの日の夏休み・・・ミッキーマウスの笑顔と共に、長男、次男の心に、いつまでも虹色に輝く橋となり、未来へと響いて行く事と思います。
21歳 女性のストーリー
初めての東京
ネットで知り合った人とそのご兄弟と東京に12時間かけて行きました。
初めての秋葉原行き、そこで初めてヴァンガードとと言うTKGのゲームをしたあと欲しいカードを買いに行きました。その後にスカイツリーと東京タワーに地図アプリ使いながら歩き、それまで地下鉄でしか移動しなかったのでJR乗りたいと思っていたが、駅まで遠く、迷ったので地下鉄にした後東京駅に行き、東京駅の地下で好きなキャラクターボンレスハムに会えました。帰りはずっと歩きたかった皇居あるき、武道館とか行ってみたいと思いました。
東京最終日にはちょうど開催されていたコミケに行くことが出来、人生でこれほどワクワク楽しく夢が叶う東京旅行でした。
32歳 男性のストーリー
小学6年生の夏休みです。何の変哲もありません。朝は早く起きてラジオ体操に行って、帰ってきたら庭の草花に水やりをして、朝食。テレビを見て、宿題をして、午後には兄弟や友達と市民プールに行きます。プールでがっつり泳いだあとは、家に帰ってクーラーのきいた部屋でポカリを飲み、ゲームをします。そんな毎日でした。これといって変わったことはない夏休みですが、大人になった今でも、思い出す夏休みはそのイメージです。夏休みについて思い出そうとしたときはもちろん、夏になって暑い日差しの中を歩いているだけでも、そういうイメージがふと頭の中に浮かんできます。本当の意味で、忘れられないとはそういうことなんだと思います。旅行に行ったりした思い出もありますが、忘れられない夏休みというと、私の中ではこれです。
34歳 男性のストーリー
子供のころ、友達とプールに行った事が楽しかったです。

近所のプールなのですが、流れるプールと波の出るプール、スライダーなどがあって、いつまででも遊んでいられるような楽しい所でした。

そこに売店もあったのですが、そこでフランクフルトを買ったり、ジュースを飲んだりした事も、楽しかった思い出です。

どこにでも売っている安物の食べ物だったのですが、そこでみんなで食べていると、どんな高級食材よりも美味しく感じました。

炎天下の中、走り回ってプールに飛び込んだり、流れるプールで鬼ごっこをしたり、あの頃は疲れる事も知らず、全力で遊びまわっていました。

プールから帰ってきたら、友達の家でゲームをしたり、野球をしたり、何をしていても楽しかったですね。

もう、その頃の友達とは会わなくなってしまったのですが、あの頃の思い出だけは、いつまでも鮮明に覚えています。
19歳 女性のストーリー
今年の夏休みは今の段階でまだ半分ほどですが、すでに自分史上最高に楽しくて、忘れられない夏になりつつあります。
夏休み前夜祭(テスト最終日)から夜にカラオケに行き、高校のころや中学のころの友達と連日朝から夜まで遊び、花火をしたりドライブで普段では行けないような少し遠いところに連れて行ってもらったり自分たちで火を起こしてイチからバーベキューをしたり、夏らしいことをたくさんしてとても満喫しています。
先程も書いた通り今年の夏休みはまだ半分ほど残っていますし、アルバイトもたくさん入っていますが遊びの予定もそれと同じくらいたくさん入っているので、残りの夏休みも夏らしいことをたくさんして楽しみたいと思っています。
36歳 男性のストーリー
小学4年の頃、友達と遊んだ帰り、一人で畑に挟まれた道を歩いて帰っていた。前から歩いてきた男の人は近所では見かけない顔で、里帰りか何かだろうとそのまますれ違った。その瞬間、その人がこちらを見て笑ったような気がして、私が振り返ると、その人はいなかった。両脇は畑。10メートルほど先に家はあるが、どれだけ走っても距離的に無理だし、それにしても門戸を開ける音がするはず。そしてその後、その人が近づいてきた時、ぼんやり光っていたような気がしたことを思い出した。それでも一番不思議だったのは、その人を見た時もすれ違った時も、さらに消えていなくなった時でさえ、何の恐怖感も抱かなかった事だ。その後、特に何も思わず家に帰ったが、未だにあの時のことは時々思い出す。
29歳 女性のストーリー
毎年小さい頃、夏休みには父方の実家の鹿児島に帰っていました。親戚やいとこと遊んだり、鹿児島の名所桜島や海に行ったりと楽しかった思い出がたくさんあります。
その中でも20年以上前に亡くなってしまったおばあちゃんとの思い出が忘れられません。
おばあちゃんとは私たちが住んでいる大阪、鹿児島とで距離がある為、会えるのは毎年1回ほどだったので少ししか会った記憶がありません。そして目が不自由だということもあり鹿児島に帰って来た時には覚えてくれてるかな〜と不安でした。でも毎回おばあちゃんは声だけで分かってくれて、頭に手をあてて「背が伸びたね」と笑顔で言ってくれました。離れてても覚えてくれていた嬉しさは、子どもだった私にとって忘れられない思い出です。
24歳 男性のストーリー
私にとって一番忘れられない夏休みは今年の夏休みです。というのも、私は大学4年生であり、今年の夏休みは就職活動に尽力し、ようやく第一志望のところから内々定を頂きました。私は一般の就活生と異なり、就職活動と公務員試験の両方を受験しており、本当に忙しくも充実した夏のひと時を過ごすことができました。就職活動と公務員試験の受験は一見すると全く異なるもののように感じられますが、両者とも入りたいという熱意さえあれば誰でも乗り越えられるのもであると認識しました。公務員試験に向けての勉強は大変でしたが、試験勉強を通じて全く知らなかった知識を学ぶことができ、精神的にも肉体的にも成長することができた夏休みでした。残りの学生生活も充実化させたいです。
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、遠くに住む幼馴染の家にお泊りに行った。
私と私の弟と、幼馴染と幼馴染の弟と遊んでいた。
その時代、家庭用ビデオカメラが普及していて、
それを使った遊びをしたくて、
そのために、
昼間に4人で不気味なかかしを作って
空地に置いてきた。
暗くなってから、ビデオカメラを持って4人で出かけ、
肝試し風に撮影をして、
昼間に自分たちで仕込んだ不気味なかかしを
あたかも、その時初めて見たかのように
「なんかあるー!!怖いー!!」と
4人で怖がり、走って逃げて
自作自演で楽しんだ。
帰宅してから、その撮影したビデオを、
親と一緒に見たりして、すごく盛り上がり、楽しかったのを覚えている。
大人になっても今でも、この話を幼馴染とすると盛り上がる。
26歳 女性のストーリー
子どものころ(小学生の時)には、夏のお盆の時期に毎年いとこや祖父母などの親戚たちと祖父母宅に集まっていました。
まずは、だいたいお昼ごろに集まって、お墓参りに行きました。

夜にはみんなで夜ご飯を食べて、特に外でバーベキューをしたのが思い出です。
他にも、伯母や祖母や母がちらし寿司をつくってくれたり、だしそうめんをつくってくれたりして、それがおいしくて大好きでした。

いとこたちは年上だったので、学校では遊ばない年上の子どもと遊ぶことができました。
みんなで電気を消して、隠れる人と探す人に分かれてちょっと怖いかくれんぼをしたり、みんなでテレビを見たりしました。

いとこのお姉さんが、ちらしの裏に可愛い絵を描いて、自分もこういう絵を描きたいなとうらやましく思っていた記憶があります。
そのお姉さんからは、怖い話を聞いてわくわくしていた記憶もあります。
いとこのお兄さんは、面白くて、ちょっと怖いことをしてふざけたりして楽しませてくれました。

きゃっきゃっと遊んで、夜中までとても楽しい時間を過ごしました。

「奇跡だと思った話」

56歳 男性のストーリー
雨の日の夜、阪神高速を走っていて、環状線から守口線に入ろうとしていて一番左の車線を走っていたところ、自分の右側の車線を走っていた車が、自分の車にに気づかずに車線変更しようとしたので思わずハンドルを左に切った。

すると側壁に当たりそうになったので慌てて今度はハンドルを右に切ったら、ギュルギュルと言う様な音がして、制御不能になり、4車線ほどある道路の一番左から、車体が右に約90度回転しながら真ん中ぐらいの車線まで流れていって止まった。そこに後続車の1台が衝突した。

事故にはなったものの、普通なら大事故になってもおかしくない状況で2台だけ、しかも物損だけの事故で済んだ。相手方もよく2台だけで済んだと驚いていた。
21歳 女性のストーリー
私が中学1年生の時、大切にしていた猫が死んでしまいました。もともとは野良猫だったのですが、よく一緒にいた母猫が死んでしまい、病弱でこのままだと死んでしまう、と思い保護した猫でした。5歳という若さではありましたが、大切に育ててきた猫。涙が止まりませんでした。桜の木の苗の下に土葬し、一通り終えた夕方。リビングでぼーっとしていたところ、外から、亡くした猫の妹に当たる猫が入ってきました。非常に警戒心の強い猫だったので、少しびっくりしましたが放っておきました。すると、あろうことか、私のすぐ目の前で、何かを踏ん張り始めたのです。私は焦って「お父さん!猫がうんこしてる!」と叫びましたが、よく見るとそれは子猫だったのです。悲しみにくれていた私ですが、目の前のことで頭が一杯。結局、今母猫と、子猫は我が家で平和に暮らしています。
30歳 男性のストーリー
私の住んでいる地域では3年の間に二度の大きな地震がありました。
二回目の地震では震源地がすぐ近くでしたのでかなり大きく揺れたことを覚えています。
当時休日だったこともあり、ゆっくり寝ていたのですが、当時の飼い猫がその日は朝からやけに騒いでいました。
普段は静かでおっとりした動きしかしないのに、この日の騒ぎ方は尋常ではありませんでした。
仕方なく起き上がり、猫を落ち着かせようと近寄りました。
そして抱き上げたのと同時ぐらいにぐらぐらと揺れが起こり、すぐに大きな揺れへと変わりました。
何が起きたのか分からず、ただ猫を抱きしめ、揺れに耐えるしかありませんでした。
その後しばらくして揺れが収まると、ベットの上にタンスの上部が落下していました。
和ダンスだったため、上部部分のみと言えどかなりの重みがあるものです。

あのまま寝ていたら確実に大怪我、もしくは死んでしまっていてもおかしくありませんでした。
動物はそう言った自然災害に敏感と聞いたことがありましたが、あの時猫が騒いでいなかったら私は今生きていなかったかもしれないです。
当時の飼い猫には感謝しかありません。
60歳 男性のストーリー
私の田舎は四国の徳島県と高知の丁度間に位置します。
四国全体に言うと丁度真ん中あたりの秘境地帯にあります。
交通は池田駅(高校野球で有名な池田高校のある所)から車で
2時間ほど山に入った所です。丁度今から10年ほど前に田舎に
帰った時の話です。京都から出発したのが昼の3時を回っていました。
池田に着いたのは午後の7時ごろ、そこで一泊しようと思っていましたが、
なぜか今日中に着きたいと言う気持ちが起こり、日が暮れてから山に
入って行きました。車で2時間ほどで着く予定でそれほどスピードは
出たなかったと思います。しかし疲れていたのかついうとうとと運転
していました。そこに鹿が道路に飛び出てきてとっさにハンドルを
きりました。そこの道路には所々ガードレールが朽ち落ちている箇所があり
不運にもガードレールがない場所から崖に落ちて行きました。
何が起こったのか解らいまま気が付いたら大きな木に車が引っ掛かり、
崖下10メートルほどで止まっていました。そこの崖の高さは100m
ほど、携帯で110番して窮地を脱しました。警官も「これは奇跡ですね」
この付近で崖に落ちた車は数多く観て来ましたがほぼ即死状態でしたとの事。
何かに助けられた感じが今でもします。
27歳 女性のストーリー
小学校に入学したばかりの頃、健康診断で心電図の検査がありました。私はその検査に引っかかり、総合病院にて精密検査をすると不整脈で、運動制限をかけられ、体育の授業に参加することはもちろん、休み時間や昼休みに友達と追いかけっこすることも禁止される学校生活がスタートしました。
月に2回は総合病院にて検査があり学校を休んでいました。そんなことが2年ほど続いたころの検査にて、心電図の数値がとても悪くなっており、次の長期休みで入院することが決定していました。
そのころ、私には血液の病気で、別の病院に入院している祖父がいました。祖父は厳しい人で、あまり会話をした記憶がないのですが、病気が悪化する孫の私をとても心配してくれていたようです。
長い闘病生活の末、祖父は私が小学2年の服に亡くなりました。
そしてその数週間後、私の心臓の検査があったのですが、数値がだいぶ下がり、病変が消えていました。そこからは順調に心臓がよくなり小学校卒業前には体育の授業に参加できるまでになりました。
祖父が天国へ病気を持っていってくれたのだと、親戚一同思っています。
53歳 女性のストーリー
私が結婚したのは22歳の時になります。
その後、子供がなかなか授からなくて、不妊治療も何回か通い、
とても痛い思いをしたのに出来なかった。
その間に流産も経験しました。
もう、子供はあきらめようと思ったのが、37歳を過ぎた頃でした、
旦那とも2人で楽しくやっていこうと言って、呑気に過ごしていた時、
体調に異変があり、検査薬を使用したところ、うっすらと陽性反応が
出ています、でもまた流産するかもという嫌な思い出がよみがえり、
なかなか病院に行けずにいました。
でも、その後も体調は変わらず、やっと病院に行くとしっかりと
心臓の動きが見えていて、とても感動しました。
その感覚は今も忘れていません。
高齢出産のハンコを押されながらも、元気な男の子が生まれてくれました。
私にとっては結婚して、15年目の奇跡です。
23歳 女性のストーリー
 私は、保育園の頃から水泳を習っていました。スイミングスクールに行くのは億劫でしたが、着いてしまえば友達と話せるのでそれなりに楽しく通っていました。スイミングを辞める頃には、タイムは早くありませんでしたが、一通り泳げるくらいになり、その頃には喘息も出なくなっていました。
 中学生に上がる前にスイミングを辞め、中学では違う部活に入るつもりでしたが、初心者もいて緩そうだった水泳部に結局入部しました。先輩方も優しく、とても楽しい部活の日々を送りました。大会では、最下位でゴールするのなんて当たり前、自己記録更新(タイム)できればいいな~位のノリでしか大会に臨んでいませんでした。そんな活動を送っていた私ですが、予期せぬ事態が起きました。
 私は、個人種目のほかリレーメンバーの補欠選手に入っていました。県大会の出場をかけた大会の日、私は個人種目でその前の大会ですでに予選落ちしていたので、リレーメンバーの補欠として気楽に応援だけしに行っていました。リレーメンバーの順位は6位、県大会に行けるのは上位3校と他校が出場辞退しても、繰り上がりで行くのは厳しいところでした。辞退校の発表があり、繰り上がっていく順位...期待が膨らみ、私はこれまで頑張ってきた選手達が県大会に出場できるように必死に祈っていました。そして、ついに、4校の辞退が発表され、私達の学校が繰り上がりで県大会の出場が決まったんです!!
そして、県大会当日、その日もリレーの補欠として大会に同行しました。初めての県大会の場に、出場するわけではありませんでしたが、気楽に楽しく観戦できると思いワクワクしていました。ですが、出発時刻になってもメンバーの1人が来ませんでした。電話をかけにいった先生が戻ってきて、「具合が悪いみたいで来れないらしいから、補欠の◯◯が代わりに出てね」と私に向けて言ってきたんです。
えぇ、もう、絶望しましたよ(笑)
補欠なんて、名ばかりで気楽だな~なんて思ってたのに、県大会出場の予選にすら出れない実力なのに、選手との時間差20秒もあるのに....
なぜここで補欠が発動されるんだ?!?!
とにかく、他の選手に申し訳ないし、大会にも出たくないしで、とにかくパニックになりそうでした。ひたすらメンバーの子に謝ってたなぁ(笑)
結果は最下位でしたが、こうやって振り返ってみれば、形はどうであれ、出れるはずのない県大会に出れたことは奇跡だったなと思っています(笑)
水泳をやっていたことで、喘息も軽減したと思うし、出れるはずのない県大会にも出れたので、ある意味奇跡だと思いました。
24歳 女性のストーリー
これは一人目の長男、出産時の実体験です。
臨月まで無事何事もなく進み
予定日いざ1週間前
そろそろかなと思っていた矢先、
夜中から微妙に痛みが伴いました。

我慢できそうですが念のために、病院に連絡をすると
お産の入院セットを持って来いとのこと。

そのまま病院で朝を迎え、いつ波がまた来るかと期待していましたが、来ず。
子宮口も2cmから全く動かず。

朝方5時すぎ、私の目の前に数人の大人がバタバタ。私も何が何かわからないまま、
酸素マスクをつけられ、旦那は外へと言われていた。
のちに分かったことは、胎児機能不全でお産がストップ。胎児の頭に10分間も血が流れていなかった状態でした。
このままだと母子ともに危険です。と医師から告げられ個人病院から急遽、国立の大学病院へ、緊急帝王切開での出産。

あの日、痛みを我慢して病院に電話せず、
家にいたら…と考えると恐ろしいです。

本当に奇跡でした。生まれるタイミングを我が子はしっかり教えてくれたように感じます。
21歳 女性のストーリー
お金持ち携帯も持ってない歳の時に家族で出かけていたのですが駅からバスで移動した場所でバスで20分ぐらいかかるところで遊んでいたのですが妹とケンカしていじけて勝手に一人で行動し始めました。そしたらお母さんにもいい加減にしなさいと怒られ尚更、機嫌を悪くした私は1人で帰るといいお金も持ってないのでもちろん歩いて帰れるほどの距離じゃなかったのですが私は頑固な性格なので道もわからないままひたすら歩き続けました。
そしたら行く時に乗ったバス停乗り場まで戻ってきたことに気づきそこまで戻れたのは良かったのですが電車も乗れないと家に帰れなくケンカして時間がたったら自分がバカみたいだったなと思うようになりお母さんたちと合流したくなったのですがお母さんがいまどこにいるのかもわからなく知らない人から電話を貸してもらうか迷っていたのですが駅に公衆電話があることに気づきその時は10円はもったいなかったのですがポケットにたまたま5円玉か1円玉が入っていてこれでちょっとでも電話できるかなと考えもしできなくてもお金が戻ってくるボタンで取り戻せばいいなと思いお金をいれやっぱり10円以上じゃないと使えなくお金を戻そうとボタンをおしても全然でてくる気配がなく泣きそうになりながらお金のとこを確認したらなんと10円玉が入っていました。
これでお母さんに電話できると思い電話しました。ですが10円なので話せるのはたったの数秒なのでどこにいるのか聞き今から行くから待っててと言いそのあとは無事に合流できました。今思えばあの時10円玉が入っていたのは奇跡だなと思いました。あの10円玉で本当に助かりました。
32歳 女性のストーリー
私は、15年生理がとまっていました。
原因はおそらく、当時付き合っていた彼氏に振られたことがきっかけで、どんどん痩せていきました。生理がとまり、ガリガリ、足は凍傷、とてもひどかったです。座ることすら痛くて辛い。その後、新しい人と付き合うこともありましたが、体調はぼろぼろ。
このままではいけないと思い、体重を増やすことから始めました。40キロないと生理はこないと婦人科の先生に言われましたが、43キロになってもいっこうに戻りませんでした。
7年彼氏がいない期間がありました。
このまま1人で生きていくのかなと思っていたところ、現在の彼氏に出会いました。出会ってその日に好きになりました。お互いに。
その彼に2回目に会ったとき、なんと生理がきました。15年もとまっていたので、大量の出血で身体がついにおかしくなったと思いました。
しかし、それが生理、しかもそこから毎月しっかりきていて、半年後くらいから基礎体温も安定、奇跡です。
まだ彼氏と彼女ですが、今後、幸せな家庭を築いていけたらと思っています。
22歳 女性のストーリー
当時高校生だった私は、母と喧嘩して彼氏の家に家出していました。家出してから3日目に母から連絡があり「やばいなー。絶対帰らなあかんやつやん。」と思い自転車で彼氏の家をでました。大通りに出るまでに細い路地がありそこを通ると車に轢かれ5メートル宙を飛びました。路地のギリギリまで家がありすぐ道路なのですが、路面が狭く車2台通れるか通れないかでしかも路地の両脇の家の囲いが高いため路地から出ないと車が見えない所なのです。
音楽を聴いていた私も悪いのですが、気づいたら地面に倒れていました。5分ほど意識がなかったそうです。当時乗っていたロードバイクも真ん中から曲がっており乗る事が不可能になっていました。激痛で立ち上がれませんでしたが、救急車を呼ぶと言われ慌てて立ち上がり断りをいれてからすぐに歩いて帰りました。
家から彼氏の家まで自転車で40分の距離だったので3時間近くかけて家までかえりました。左足の太腿が激痛で引きずりながら帰り、病院へいきましたが、全身打撲ですみ3日で治りました。車の所有者曰く、自転車に乗ったまま車と衝突し私自身が飛び頭から落ちたそうです。
頭も激痛でしたが、たんこぶですみました。
当時妊娠中で、事故のあと病院で検査して初めてわかったのですが妊娠3カ月でしたが赤ちゃんも無事でした。
車に轢かれて全身打撲ですみ3日で学校に復帰でき妊娠初期にも関わらず赤ちゃんも無事だったのは奇跡だと思います。
23歳 男性のストーリー
小学2年生の時に実家の新潟県に帰省した時に、地元の従妹と駄菓子屋に行き箱に入っているガムを1つ購入しました。そしてアタリが出たのでまたもう1つ購入しました。するとまたアタリが出てまたもう1つ購入しました。それがなんと10回以上連続でアタリが出て駄菓子屋のおばちゃん店主が調べてみると、その10円ガムの箱の全てがアタリくじ入りの箱で後々その駄菓子のおばちゃんに聞いたらその箱の事を店主が企業に電話すると誤封入した10円ガムの箱らしくかなり珍しい箱で本当に申し訳ないと謝られたそうです。このおかげで私は100円くらいでかなりの量の10円ガムを食べる事が出来ました。この奇跡の体験は今でも忘れない体験で従妹も今でも覚えています。
24歳 女性のストーリー
私が生まれたのは1月3日である。
もともと出産予定日は12月24日でクリスマスイヴであったようだ。
なので名前もイヴちゃんにしようかなどと話もしていたらしい。
しかし、生まれる気配もなく、年末を迎え、年越しをしてしまった。
出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、不安に思っていたらしい。
そして、1月3日。
ようやく生まれた。
この日は母の誕生日。
母の誕生日プレゼントが私となってしまったようだ。
同じ誕生日の親子。
同じ誕生日というのは私も周りで聞いたことがなく、この話をすると驚く人が多い。
同じ誕生日だからかはわからないが、よくテレパシーのようなことがおきる。
私がふと食べたいと思ったものがあると、家に帰ってきて夕飯が食べたかったものであったり、私が欲しいと思っていたものを母が買っていたりする。
なにか見えない力が母と私の間にはあるのかもしれないと思うことがよくある。
29歳 女性のストーリー
今から3年ほど前の冬、祖母のすい臓がんが見つかりました。すでにステージは4。始めにかかった病院ではもう治療は出来ない、死を待つのみと言われ、このまま何もしなければ数ヶ月ももたないと言われました。
セカンドオピニオンをどうするか問われ、有名ながんセンターまで高速で1時間以上かかる場所ではありましたが一縷の望みをかけて連れて行きました。そこでは放射線治療をまだやれると言われ、入院が嫌いな祖母のために毎週火曜日家族の誰かが交代で付き添い連れて行きました。
ちょうどその頃私(孫)の結婚が決まり、せめてウェディングドレス姿だけでも見せてあげたいと思い、結婚式を早めました。始めに言われた数ヶ月を過ぎる半年後に式場の予約を取り、そこを目標に治療を頑張ろうという話になりました。
しかし、結婚式を1ヶ月前にした頃、突然何も食べれず飲めずという状態まで悪化してしまいました。病院へ連れて行きその場で入院、手術が決まりました。ただ、入院時の検査では見られた異物が、手術前日には消えていたのです。医師も「あれ?」と首を傾げていましたが、なくなったなら手術は必要ないとそのまま退院になり、その後それまでの食欲不振が嘘みたいに食べられるようになりました。
着物が大好きだった祖母は、「着物を着ていけない結婚式には顔も出したくない」とふさぎ込んでいましたが、控室に来るだけでも来て欲しいと祖母の妹にも連れ添ってもらい当日を迎えました。食事も1人前は難しいだろうからワンプレートで手配してもらい、もし体調がよければ出席できるように席も設けてありました。
ところがどっこい、それまでの病気が嘘みたいに当日は元気になり、なんと1日挙式から披露宴まできちんと出席し、食事も足らず結局弟たちから食事をわけてもらうほど食べられ、親戚一同驚愕でした。
その1年後私の妊娠がわかり、じゃあ次はひ孫を抱くまでがんばろう!と、短期目標を作っては余命を伸ばすことにみんな必死でした。
残念ながらひ孫が生まれる2ヶ月前に亡くなってしまいましたが、余命数ヶ月もないと言われたあの日からなんと2年も生きたのです。祖母の執念と、家族の思いが生んだ奇跡だったと今でも思います。
45歳 男性のストーリー
今まで生まれてから運が良いと思ったことは一度もなく自分は運が悪いと思ってました。10年位前のことですが、いつものごとく年末ジャンボ宝くじを10枚購入して穏やかないつもと変わらない年末年始を過ごしてました。そして年が明けて新聞の年末ジャンボ宝くじの抽選結果をどうせ今年も外れてるんだろうなぁと毎年の恒例行事みたいにひとつひとつ確認していったら、まさかの100万円が当選してるじゃないですか。100万どころか1万以上の当選はしたことないので、何度も番号見直して、夢じゃないよなってつねってみたりして、現実に戻り当選したのを実感しました。宝くじ売り場じゃなく銀行行かなきゃ引き換えられないのもそのときに知り、引き換え期間が来てから銀行行くまでの期間もそわそわして落ち着かなかったし、銀行で100万もらった時にやっと落ち着きました。預金勧めらたので、取り敢えず使い道ないので預金したというつまらないお話ですけど(笑)
確率とか見たら10枚で当たる確率はとんでもなく低い確率なので、やっぱりこれは小さな奇跡なのかなぁと思いました。
大きな奇跡じゃなくてごめんなさい。
25歳 女性のストーリー
今から13年ほど前、中学生の頃に近所のお祭りに友達数人と遊びに行ったときの話です。

私たちはお祭り会場の入り口付近で立ち止まって、おしゃべりに夢中になっていました。
特に注意を受けたり嫌な目で見られたりといったこともなく、30分程度その場所にいましたが、私はふと「あっちに移動しよう」と口にしました。
突然の提案にも関わらず、友人たちも「そうだね」と受け入れてくれて、私たちは自転車を置いて数メートル離れたところに移動しました。
そこでも話は絶えることなく、またおしゃべりに夢中になっていました。

数分後、後ろから大きな音が聞こえました。
会場の向かいにある建物の駐車場からお祭り会場に向かって、猛スピードで車が突っ込んだようでした。(ブレーキとアクセルを踏み間違えたそうです。)
そして振り返った私たちはぞっとしました。
車が突っ込んでいたのは、つい数分前まで自分達がかたまっておしゃべりしていた場所だったからです。

あのとき「移動しよう」と言っていなかったら、友人たちがそれを受け入れてくれなかったら、私たちは事故に巻き込まれ、命を落としていたかもしれません。
幸いこの事故に巻き込まれた人はおらず、運転手の女性も軽いけがで済みました。

わたしの自転車は事故の衝撃でひしゃげてしまいましたが、なにかしらの奇跡がわたしの直感に働きかけてくれたのかもしれません。
28歳 男性のストーリー
小学生の頃に通っていたそろばん教室でそろばん終わりに仲間と夜8時頃にサッカーをして遊んでいた。
そのそろばん教室の周りは新しく団地が出来る予定で家が少しずつ建っている。その場所でしばらく遊んでいる時にボールが飛びすぎて変な穴の中に落ちてしまった。俺はボールを追ってその穴に飛び降りてボールを拾い上に上がって遊びを続けた。遊んだ後に、そろばん教室のバスが送迎の為に車のエンジンをかけました。そろばん教室のバスのライトが目の前の真っ暗な場所を照らした時に、俺がボールを落とした穴を光が照らした瞬間、俺は絶句しました。その穴には家を建てる為の鉄杭が穴一面に打たれていました。奇跡的にその鉄杭の隙間に飛び降りて居たのでケガなど無かったけど、場所を間違えていたら鉄杭の上に落ちて大変な大ケガになっていたと思ったら凄い奇跡だったと思います。
27歳 女性のストーリー
当時私は大学生で大阪の実家から離れ上京し、東京の大学に通っていました。一人暮らしの東京の家で、寂しさを紛らわせるために文鳥を飼っていました。もちろん生き物なので、私が帰省する度にその文鳥を虫かごの中に入れて、新幹線で共に大阪東京を行き来していました。

ある冬の夜、帰省を終え東京へ戻ろうと、新大阪駅に家族と共に車で向かい到着した時、駅の入り口の前で急に文鳥が虫かごの蓋を開け、「ぴっ!」と叫び駅を超えて物凄い速さで飛んでいきました。家族一同唖然として開いた口が塞がらず、しばらく呆然と立ち尽くしていました。

そこからは必死の捜索で、私は泣きながら駅の周辺はもちろん、駅員さんに変な顔をされつつも駅のホームの中に入り、1人「ぴーちゃん!ぴーちゃーん!(鳥の名前)」と全てのホームを周り呼び続けました。残念ながらその夜文鳥は見つからず、私は予めチケットを買っていた新幹線をとっくに逃しましたが、なんとか終電で東京へ帰りました。ショックのあまりスタバで買ったカフェモカを新幹線に乗り込んで席に着いた途端ぶちこぼしました。大阪に残った家族はその夜寝ずに駅の周りを探し続けましたが、見つからず家族一同絶望に飲まれそうでした。

結局ネットでこういった事例を調べて、ネットの「ペット探してます掲示板」にも載せ、とりあえず文鳥が逃げた一番近くの交番に紛失届として出すことになりました。もう人からの情報を待つしかなく、私は1人東京に戻り空っぽの鳥かごを見て絶望にくれていました。

しかしその2日後、家族から電話がかかってきました。なんと文鳥が見つかったのです。ただただ涙がでました。しかし見つかった経緯を聞いてこれは奇跡だと思いました。

どうやら文鳥は脱走した後、新大阪駅から少し離れた小道におそらく疲れて地面にペタンと座っていたようです。そこでたまたま神奈川から大阪へ旅行に来ていたカップルが鳥に詳しく、地面に座っている文鳥を見てすぐにどこかから逃げ出したんだと察したようです。
うちの文鳥は人懐っこいので、その方がすぐに保護してくださり、なんとその夜に簡易版鳥かごを作ってくださり、エサと水飲み場まで準備してその簡易版鳥かごに設置して下さっていました。

まだ奇跡は続きます。そのカップルの方が、なんとそこで偶然にも私の家族が紛失届を出した交番に、文鳥を届けてくれたのです。そこでその交番から家族は電話がきて、無事引き取ることができました。

これは3つの奇跡が重なって、奇跡以上の何かに私にとってはなりました。まず地面に落ちていたうちの文鳥を拾ってくれたカップルが鳥に詳しく、瞬時に簡易版鳥カゴ、エサ、水飲み場を準備してくれていたという奇跡。
そしてそのカップルが届けた交番が、偶然にも家族が紛失届をだした交番だったという奇跡。
そして現在、その文鳥は大阪の実家に戻っていつも通り可愛い文鳥と生活が出来ている奇跡。

これが私の人生の中で奇跡だとおもった話です。

ちなみにそれから文鳥はずっと大阪にいます。



55歳 女性のストーリー
第一志望の大学に合格できたことです。教育学部(美術系)です。
今でいうセンター試験、当時は共通一次試験と言っていました。模試は真面目に受けていましたが点数が合格ラインとかけ離れていました。特に数学がひどく、校内順位は下に誰もいない時があるほどでした。美術の先生にも担任にも、やめろ、受けるな、とか言われていました。
高3の夏には数学を捨て、文系科目と実技に集中することにしました。秋には美術系専門学校に希望を出し、こちらはすんなり合格できました。こっちでも十分いいや、と思ったので大学入試本番は高校の思い出の一つとして受けるだけ、どうせ合格するわけないし、とリラックスしていたように思います。
試験が終わってみると数学は予想通り、が国語が9割とれていた!(ここが、奇跡です)そんなに取れたことがないのに。このおかげでギリギリ合格ラインに指1本でぶら下がっている感じに。後は実技がどの程度までいけたのか? 予想できませんでしたが、結果、合格でした。
一生分の運をあの時使い果たしたのではないかと思います。その後はくじにもめったに当たりません。
32歳 女性のストーリー
数年前、少し古いフランス車に乗っていました。普段は幌の屋根で、電動でオープンにできるという車でした。電動なので、幌と言っても配線や様々な部品が付いていて重たいです。
ある日、高速道路のトンネル内を時速100キロほどで走行中に、頭上から急に「バリバリバリ!」と音がして、幌がすごい勢いで飛んでいってしまいました。すぐに助手席の私が警察に連絡し、最寄りの出口で降りて、待機しました。「もし後続車に当たっていたら…」「後続車が乗り上げて事故を起こしていたら…」と血の気が引きました。
その後、すぐに駆けつけて幌を回収してくれた警察によると、「後続車はみんな避けて行ってくれて、まったく被害は無い」とのことでした。本当に本当にゾッとしましたが、奇跡だなと思いました。
35歳 女性のストーリー
主人が資格の試験を受けるために電車で出かける事になり、街の中心部の大きい駅まで電車に乗ってから、更に電車を乗り換えて行くのですが、大きい駅なのでショッピングができるお店や本屋さんなどが入っているので、大きい駅まで一緒に電車で行って、自分は駅でゆっくり買い物などをして、試験が終わったら連絡してもらって夕方駅で落ち合う事にしました。その後、お店を見てまわったり、お昼を食べたりしてゆっくり過ごしていたのですが、スマホの電池が少なくなってきて、電源が切れてしまいました。近くに充電できるところがなく、待ち合わせ場所もちゃんと決めていなかったので、主人と連絡がとれないとどこに行っていいのかも分からないし、困ってしまいました。仕方なく、駅の人がいる場所をうろうろしていましたが、歩き疲れてきて、駅の階段の近くで休もうと思ったら、階段から下りてくる人が見えて、なんとそれが主人でした。相手がどこにいるか、いつ来るかも分からないのに、広い駅の中で出会えたのは、本当に奇跡だと思いました。
50歳 女性のストーリー
私の大好きなアーティストがあります。そのアーティストのライブでのスペシャル企画で、ある一定の条件を満たすとその企画にエントリーする事が出来ます。
その企画とは、ライブ終了後にあるアーティストとの記念撮影をしてもらえるというものです。
当選の人数はドームでのライブなので5万人以上の人の中から10組20人なので宝クジに当たるような確率だと思います。
その企画に一応頑張って応募しました。最初から当たるとは思っていなかったのですが、なんと当選いたしました。と言うメールが携帯電話に届いた時は本当に心臓が飛び出てしまうくらい驚きました。
そして、ライブの当日、終了後に大好きなアーティストを目の前にして一緒に写真を撮る事が出来ました。これは、私にとって間違いなく奇跡でした。
54歳 女性のストーリー
都内に住んでいた時の事です。
ある日、所用で少し遅刻して出勤しました。乗っていた通勤電車はラッシュの時間が過ぎて空いていました。途中東京駅で止まり、私の目の前のドアが開くと、そこになんと幼馴染であり、親友でもあるA子が立っていたのです。A子は地方に住んでいたので、目を疑いました。「何でここにいるの!?」とお互いに驚きあいました。
少しの停車時間で旧交を温め、また別れました。
話によると、これから海外旅行に行くために東京駅で空港行きの電車を待っていたのだそうです。偶然だとしても、この車両のこのドアの位置で、というのにある意味ゾッとしました。この出来事の後にもこの親友とは信じがたいエピソードが起こります。つくづく縁というものはあるのだな、と感じた出来事でした。
26歳 女性のストーリー
1年半お付き合いをしている彼との共通の趣味は旅行。二人ともまとまった休みが取れるときにはよく旅行に出かけています。
今年の5月には山口〜福岡へ旅行に行きました。天気予報は少し怪しい雰囲気。あとは当日の運次第、ということに。
いざ当日を迎えてみると旅行中は毎日晴れていてすごく楽しめました。
それだけではなく今年の夏には沖縄旅行を予定していました。天気予報では九州方面荒れ模様。
夏の沖縄ということで海でのアクティビティもたくさん予定していて飛行機が飛ぶのか、旅行中は雨で終わってしまうのか心配していました。
いざ迎えた旅行当日。2泊3日の行程で行きましたが見事に毎日快晴!!
一方その頃本州では大雨。九州でも災害級の雨が降っているほどでした。
見事に雨雲から逃げての旅行となり再び奇跡が訪れたと感じました。
34歳 男性のストーリー
「奇跡だと思った話」
それは、私が中学三年生の時、『体育祭』という運動会のようなもので、
全学年対抗の【大縄跳び】に挑戦した時のことです。
私が在籍していたクラスは、他所のクラスに比べると大人しく、静かな印象でした。
私自身、大人しい性格だったので丁度よかったのですが、何か大きな目標があると
一致団結するような、そんな気概がありました。
その目標というのが、先に挙げた【大縄跳び】です。
母校では伝統的な行事で、特徴的なのは”全学年対抗”という点です。
学年関係なく頂点を競うわけなので、自然と燃えてくるのが分かりました。
本番に向けての練習では、最初こそすぐにつかえてしまいましたが、徐々に
成果が表れ、100回前後は続くようになってきました。
これまでの歴代最高記録がそれぐらいだったので、一つの参考にしました。
そして本番当日。全種目の最後に行われました。
制限時間10分でどれだけ跳べるか。ただし、続く限りは無制限という条件です。
私のクラスは幸先が良く、中盤くらいまでに100回を超えました。
しかし、同学年の隣のクラスも同じくらいの記録を出したので、もう少し記録を
伸ばさなければなりません。
残り時間はおよそ3分。正真正銘のラストチャンス…。
プレッシャーより、ダメもとで開き直った雰囲気でした。
1回、2回と順調に回数を刻み、テンポが一定になってきたころに全学年のトップに‼
しかし、それよりも自分たちがどこまで跳べるか?記録を伸ばせるか?
そこに全神経を集中させ、無心で跳び続けました。
周囲の生徒たちは静かに見守ります…。
そして最終的に跳んだ回数は、【245回】の新記録‼
周囲で喝采が湧き、皆、充実感でいっぱいでした。
最後の最後、土壇場での大記録達成に、奇跡というか、超越した何かを感じました。
中学校生活の最後に良い思い出が出来たと、誇らしく思えました。
ちなみに【最後に足がひっかかったのは自分】というオチが付きます(笑)
54歳 男性のストーリー
社会人に成り立てのころ、残業も少なく貧乏なサラリーマンでした。
当然、好きな晩酌も出来ずにただ眠るだけの生活という具合です。
定食屋で「カツ丼」が食べられず、「玉丼」しか食べられませんでした。
ある日、学生時代からの付き合いのOB達で徹夜マージャンをすることになりました。
8時間ぐらいやったと思います。フラフラになりながら、場代を払ってなんとか3000円程勝ちました。
土曜日から日曜日の徹夜マージャンだったのでJRAのレースが開催されていました。
マージャンのメンバーとWINに馬券を購入することにしました。
持ち金全ての3000円(泡銭)をひとつのレースにつぎ込みました。
単勝5.0倍の一点買いで勝負しました。これがみごとに的中しました。泡銭が3000円が15000円に。
「これはついている!」と思いました。みんなからも年末ラッキーボーイと褒められました。
ここまでは普通にあることです。競馬からの帰り道、ちょうど年末ジャンボの売り出しがありました。
「このツキを使わない手はない!」と勝手に思い込み、15000円分全て宝くじを買うことにしました。
一口3000円で5口(15000円分)が買えました。徹夜あけのせいか、なんか「ええ感じ」する気がしました。
帰省して取りあえず、正月の新聞で当選番号を確認してみることにしました。
さすがに組番号は全て違う「1等はないか。。。」で、末端の数字を見ていくと100000円が当ているではないか?
これは、正月早々縁起がよい。3000円の泡銭が100000円になるという素晴らしい結果である。


20歳 女性のストーリー
大学の期末試験で、1限に英語のテストがあった。
前の日の夕方に少し寝てしまい、夜中に全然眠れないという状況になった。
1限は9時から始まり、テストの日は10分前には多くの人が集まるため、自分も8:50には着くようにしようと決めていたが、結局朝の4時くらいに寝たため、起きるのも当然遅くなってしまい、起きたのが8:40ぐらいになってしまった。
急いで学校に行く準備をして、テストを受ける教室へ向かった。幸い自分の家は学校まで徒歩10分もかからない場所に住んでいたため、9時過ぎに学校には着き、教室に入ると、機材のトラブルにより、リスニングが始められる状況ではなく、テストも始まっていなかったため、遅刻はしたもののきちんとテストを受けることができ、助かった。
44歳 女性のストーリー
美容院にて、螺旋階段の2階部分から足を踏み外して、転がるように落ちていき、螺旋階段の隙間から1階フロアに頭から落下しました。
頭部に激しい痛みと、ギーンという大きな耳鳴りが響き渡り、起き上がろうとしても目眩のような感じでグルグルまわって起きる事もできず、慌てて駆け寄ったスタッフさん達が私を心配しながら「頭から血が出てるので救急車を呼びますね!」と声をかけてくれました。
血が出てると聞いて、硬いフロアタイルに2階から落下したので、このままもう駄目かもと少し諦めながら、意識は絶えないように救急車の中でも頑張ってみました。
病院に運ばれて手当てを受けてからCTなどの検査をし、とりあえずは異常は見られないが、頭が少し割けているとの事で、その場で縫ってもらい、通院という形になりました。
翌日から通院しましたが、先生いわく、奇跡的に打ち所も悪くなかったのか、この程度で済んで良かったと言われ、風呂も翌日から許可がおりました。
ただ、頭を強打している為、今は良くても数ヶ月後になって急変する事もあるし、目眩は当分続くから気を付ける旨を伝えられ、通院も2週間で終わりました。
頭からまっ逆さまに硬いフロアに転落して、この程度で済んだのは私としても奇跡だと思っていますし、その時の事を思い出すと今でもゾッとしますが、後遺症もなく1年が無事過ぎましたので、今現在は少しホッとしています。
35歳 女性のストーリー
初めてバイク(原付)に乗った時、カーブで速度を落とさずに曲がり、電柱にぶつかり救急車で運ばれました。

倒れた瞬間、バイクから飛ばされている自分がスローに見えて、まるでドラマを見てるかの様でした。

病院に着いた頃
目も開かず、声も出ず、手も動かなかったため、救急隊や先生からの問いかけには何も答えられず意識不明と判断されました。

どんだけ時間がたったかはわかりませんがやがて母親が到着し、泣いているのも、先生と話をしているのも全部聞こえていました。

2週間が山だと言われました。
動くことも喋ることも、目を開けることも出来ない私は夢を見ているのか現実なのか生きてるのかもわからないまま...
大きい病院に運ばれる事に。

救急車で運ばれていると
なんと..
車酔いしました!笑

こんな状態でも車酔いするんだな〜と呑気な事考えていたなと今思い返してもおかしい出来事でした。

目を開けたのは事故から2週間後でした。

頭蓋骨骨折
右の瞼、頬
鼻を骨折し
首にはヒビが入っていてあと数ミリで即死だったと言われました。

顔にはびっちり電柱のポツポツの跡が付いていました。

そこから1週間で退院したのは奇跡だと先生や看護師さんから拍手を贈られました。
20年前の話です。

今でも雨の日の前など頭痛が酷い事はあります。
ですが今生きてる事に感謝です!

42歳 女性のストーリー
夫との出会いです。
私は就職のため地元を離れ、現在住んでいる県に引越してきました。仕事でも何度か顔を合わせることはあったようですが、意識にはなく、共通の知人が催した飲み会で意気投合し付き合うようになりました。
話していると、共通点が多いことに気づきました。
私が当時勤めていた職場の同僚は、夫の元同僚だった人が多くかったこと。長く勤めていればそういうこともある職業ですが、私自身こちらに来て2年目で知らない人ばかりだったので、びっくりしました。
夫が以前勤めていたのは、県内でも離れたところの私の叔母が住んでいる地域に近かったこと。広く転勤することはあまりないのですが、最寄りの駅やよく行っていた場所も知っているところで、話が盛り上がりました。
そして、一番びっくりしたのは、夫の同僚が私の妹の友達だったことです。職場は関東、妹は東北にいます。妹から「そっちに友達が就職したんだけど、知らない?」と言われ、よく話を聞いたら夫と同じ職場で、しかもよく飲みに出かける仲だったようです。
他にも似てるなーと思うことがたくさん重なり、最終的には結婚することになりました。人との出会いは、本当に奇跡なんだなと思った出来事です。
29歳 女性のストーリー
この話は私が生まれる前、正確にはお腹の中にいた頃の話です。
つわりがひどく、私を妊娠していても体重が45キロ(160cm)と痩せていたのもあり出産前、通常より早めに入院していた母親ですが、入院中風邪をこじらせてしまい40℃の熱が続く状態になりました。私を妊娠していた関係で解熱薬が飲めなく、母子とのに危険な状態でした。そこで主治医が父親に「奥さんと娘さんの命どちらをとりますか?」という究極の選択を切り出したそうです。そろで父親が苦渋の決断をし「嫁の命をとります」と告げ、医者が解熱剤を投与しようとしたらみるみる熱が下がったそうです。その時父親は「奇跡だ」と感じたそうです。その後、難産ではあったが私が無事に誕生し、母子ともに元気に退院しました。
36歳 女性のストーリー
私は猫を飼っていました。
雨に濡れた小さな鍵尻尾の子猫でした。
模様は鯖模様。サバトラ猫です。女の子でした。
成猫になり10年が経ちました。

保護した後に避妊手術もしていたせいか、
骨格は小さいもものの、お腹を床に擦りながら歩き、まるまると肥えて、元気にしていていたのに、12歳を迎えた頃
食べても食べても痩せていくようになりました。
「甲状腺亢進症」も疑いましたが、
まずは動物病院に連れて行きました。
「がん」だから、「諦めた方がいいです」
と獣医さんが言いました。

私は納得がいきませんでした。
私は仕事を休む決心をし、
動物病院で病院食を沢山仕入れました。
病院食である高カロリーの缶詰を4時間置きに、シリンジで与え続ける毎日です。
時には与えすぎて噴水のように吐かせることもあり、自分を責めました。
お水も消毒済みのシリンジでたっぷり与え続ける日々でした。
愛おしい猫のお腹が膨らみ、すやすや眠る姿に癒され、励まされました。

闘病生活を始めて1ヶ月が経った頃、我が子に変化が起こりました。
鳴くのです。
寂しい時、お腹空いた時、寒い時。

「がん」宣告をされた我が子は正直2キロもなかったのです。
健康な猫は3キロ前後が標準体重ですが、闘病生活の末、自らドライフードを食べ、水を飲み3.2キロにまで肥えました。
まるまるとした目も生気を取り戻し、
生き生きと活発にかぎしっぽを揺らしながら、擦り寄って甘えるようになりました。

これは我が子の生命力と奇跡だったのだと思います。15歳で虹の橋へ行きました。



24歳 女性のストーリー
今から5年前、韓国に住む祖父が亡くなりました。
私は日本生まれ日本育ちで、当時大学生でした。幼少の頃から、長期休みの度に祖父の家で過ごし、優しくて聡明な祖父が大好きでした。高校の時は、バイトやライブなど自分の趣味に明け暮れ、会う機会がかなり減りましたが、大学生なると、祖父の体調が悪くなったので、休みの度に韓国へ訪れるようになりました。大学2回生の時、冬休みは祖父と一緒に過ごしていたのですが、年明けに祖父が意識不明で集中治療室での入院となりました。春休みになり、私が病院に到着した途端、3ヶ月間意識不明だった祖父が目を開き、私の顔を見て「可愛い孫だ」と口にしたのです。滞在中意識も戻り、毎日見舞いに行っていった親戚たちは驚き、これで回復する!と喜んでいた矢先、私が日本に到着して数分後に亡くなりました。祖父は私が訪れる日を、そして日本に安全に到着する日を、待ってくれていたのだと思っています。

「人生最大の修羅場」

40歳 女性のストーリー
 婚約中にもかかわらず、既婚者の職場の上司を好きになってしまいました。次第に、この関係を続けていくのは無理だと思い、2人と別れることを決めました。
 それぞれに、「別れてほしい」とメールをしたところ、その夜、わたしの部屋で2人が鉢合わせに!2人とも「メールで別れたいと言われても納得がいかないから、直接話したくて来た」というんです。
 とりあえず、部屋に入れましたが、なんとも言えない重苦しい空気が流れました。わたしがメインで話をしないといけないとは思いつつも、何を、どう伝えればいいのか分かりませんでした。
 3人で話をし、最初は婚約者は「絶対に別れない!」と言っていましたが、このまま結婚するのは無理だと悟ったらしく、別れることになりました。職場の上司とは付き合うことになりましたが、数ヶ月してお別れしました。
 本当に、ドラマみたいな、人生最大の修羅場でした。
43歳 男性のストーリー
命に関わるような修羅場ではないのですが、
もう20数年前位前に当時付き合っていた彼女に浮気がバレてしまった時の事です。
とりあえずその日は友人5人でいわゆる合コンをしていました。
当然、彼女には男5人で飲み会という事で伝えてありました。
この話のポイントとしては当日にバレたというところです。
何故バレたかというと自分の場合、嘘をつく際、基本情報は包み隠さず伝えます。
なので、日にちと場所と時間は本当の事を伝えておきます。
単純に出かけていたのに寝てたという根本的な嘘は付きません。
当然バレた時の破壊力は計り知れないので…
そんな感じで、いそいそと心踊らせながら合コンへ…
合コン自体はいい感じであったまってきて今日は余程のイレギュラーが発生しない限りはファイナルステージ確実!という状況でした。
しかし、そんな中自分のポケベル(ポケモンではありません)が鬼の様に鳴っています。
出ている番号を見ると彼女の自宅からでした。着信履歴が見事に一周以上してしまっていりなんともそれは恐ろしい状況になっていました。この時には既に彼女は何かを確信いました。
さて、では何故彼女は自分に疑いの目を向けたのでしょう?先述している通り基本情報に
嘘はありません。
正解は、彼女は自分が行っていたお店に電話をしていたのです。
ただ、電話をしただけでは疑う要素がないと思うのですが、彼女は電話口で対応した店員さんにこう告げたのです。
今、男5人で来ている〇〇という人はいますか?と、
その返答に店員さんはこう返します。
男性5名だけのご来店は今、ありません。
店員さんは何も悪くありません。
本当の事をただ伝えただけです…。
その日その後、その鬼ベルをひたすら無視し
結果朝までコースでした。
ただ、恐怖のあまり朝5時に60km程離れた山奥にある彼女の自宅まで行き地面にが掘れる程の土下座をしたのはゆうまでもありません
19歳 女性のストーリー
私には仲のいい友人Aがいるのですが、彼女は男運がとてつもなく悪いです。いつも、ろくでもない男にひっかかっては泣きながら私に相談してきます。
ある日、学校帰りにAから「今から会いたい」という電話がかかってきました。嫌な予感がすると思いながら迎えに行ったのですが、会って早々にAは号泣し始めました。何があったのかと尋ねると、彼氏が自分のことを放置して別の友達と話し込んでいる、とのこと。
以前にも同じようなことがあって大喧嘩したにも関わらず、何も学習しようとしないAの彼氏に腹が立ちました。Aはそのあと彼氏と映画を見に行く予定でしたが、私はチケットを突き返してこいとAに言いました。彼女は頷いて彼氏がいるところへ向かいました。
これでようやく別れるだろうと踏んでいたのですが、10分経ってもAが帰ってこないので心配になり、彼女を探しに行きました。
すると、彼氏がAに怒鳴り散らしている現場を目撃。しばらく様子をうかがっていたのですが、事態が収束することもなかったので仲介に入りました。彼氏は彼女の手首をうっ血するんじゃないかというレベルで握っていて、嫌がるAを無視して完全に逃げられないようにしていました。「痛がっているから離せ」なんてセリフを現実で言うときがくるとは思いませんでした。
結局別れるということになり、Aの家に彼氏が荷物を取りに行ってやっと終わった…と思ったら彼氏が失踪騒動を起こし、見つかった後お互い謝りあって結局Aとその男は復縁しました。
ここまで人を巻き込んでおいて、さすがにこの仕打ちはキレそうでした。
22歳 男性のストーリー
大学で所属していたサークルの同期にかわいい女の子がいました。
その子は、彼氏が体育会系の部活にいたのですが、ある時の複数人で開催した宅飲みの最中にお互いにお酒に酔った勢いではあったのですが隠れてキスをしてしまい、その夜に僕だけ泊めてもらってセフレになりました。
女の子が一人暮らしだったこともあって、それから何度か女の子の家に行ってお酒を飲んだり遊んだりしながら過ごすことがありました。
ある時、お互いに行為の後で疲れて服を着ないで寝てしまったのですが、朝に女の子が慌てて起こしてきたので、何事かと思いながら起きたら、家の前に当時の彼氏が来ていた。
ドアにチェーンをかけていたため完全に発覚はしなかったが、勘付かれてしまったようで、その後女の子は色々問い詰められてしまったらしい。
20歳 女性のストーリー
わたしが地元の喫茶店でアルバイトをしていた時のことです。
よく来てくれる女性のお客様がいて、わたしのことをいつも気にかけてくれるし、
よくお話も聞いてくれて
優しく接してくれるとても良い印象のお客様でした。

当時わたしにはもうすぐ付き合って半年になる彼氏がいてアルバイトが終わると
家まで送ってくれていました。

とある日、そのお客様がいつもいらっしゃる時間に来られなかったので今日は来ないのかな、と思い仕事をしていました。

少し経った時、そのお客様がいらっしゃって、私の方にまっすぐ向かって来て
「○○(彼氏)は渡さないから」と言い捨て
去っていきました。

そのことを彼氏に話すと
その彼の元恋人が私のことを調べるために
探っていたようで、鳥肌が立ったのを覚えています。
あの時の怖い顔を思い出すと今でもゾッとします。
24歳 女性のストーリー
2年前、現在の彼と当時大好きだった元彼と二股掛けていて、
元彼と家にいた時に、現在の彼が訪問してきたことです。
適当に取り繕い帰ってもらおうと思いましたが、有無を言わさずそのまま上がってきたため修羅場でした。

その後元彼と今彼は2人で話をし、2人とも一旦帰宅したようですが、今彼が数時間後に戻ってきて、話し合った結果、元彼と別れることになりました。

元彼のことはとても大好きで、忘れられない存在ですが、今彼とは修羅場から2年経った今でも上手くいっていて、私の事をとても大切にしてくれるので、元彼との事を思い返すと、私が病気の時も誕生日も、ほったらかされたり、私以外の女性とセフレ関係があったりしたようなので、元彼と別れて正解だったかなと思います。

53歳 女性のストーリー
カフェのアルバイトで知り合った人と付き合うことになり、恋人同士となりました。住んでいた地域が近かったため、バイトが終わると一緒に変えることも多々あり、その後半同棲生活ような仲になりました。
それから2年くらいそういう生活を過ごしていましたが、私が就職を決めて、そのバイトを辞めたころから、二人の関係が何となくぎくしゃくし始めたんです。
私は勤めた職場の人に恋をし始め、バイトで知り合った彼は、私が辞めた後に入った新たな女学生バイトと付き合うようになっていました。
ある日、そのカフェの近くに行ったので、少し寄り道して挨拶に行きました。すると、彼はその女学生バイトの子とイチャイチャしていたんです、それを見てかッとした私は、ものすごい暴言を吐き、カフェにいるお客さんの前で取り乱し大変なことになりました。
大声で怒鳴り散らし、そしてそばにあった椅子なども倒すようなこともしてしまったんです。今思えば相当スゴイ修羅場だったと思います。
40歳 女性のストーリー
以前、LGBTの集まる飲み屋で働いていた時のことです。
私自身はLGBTではないのですが、ちょっとしたきっかけで働くこととなりました。
その際に、出会ったバイセクシャルのお姉様。
私のことをとても気に入ってくれて、私がシフトで入っていた時は必ず来てくれてました。
週に1回は、シャンパンを入れてくれたり。
キープのボトルも高めのものを入れてくれたり。
しかし、私がお店を辞めたとなった後に急変。
昼の仕事に戻るためにお店を辞めたのですが、友達として付き合っていこうと思っていました。
何度か遊びに誘われたのですが、昼の仕事に戻ったばかりというのもあって疲れが抜けず、何回か断っていました。
そんなある日、
「お店辞めても遊ぶって言ってくれたじゃん」
「そんなに疲れが取れないのなんておかしい」
「あれだけ、お金落としてあげたのに」
「あんたにいくら使ったと思ってるの?」
「マンションだってタダで貸してあげるって言ったじゃん」
等など、怒涛のメールが来るように。
挙句、うちの最寄り駅で待ち伏せされるようになりました。

顔は合わさずに済んだのですが、同性と揉めたのが一番の修羅場でした。
67歳 男性のストーリー
大学院生だった時に研究室に入ってきた4年生の女の子が、卒論をまとめるために私の下に付き、わたしが指導することになりました。
ある日、実験が遅くなってしまったので、その女の子を私が借りていたアパートに止めました。その夜のことについては想像に任せます。
翌日の朝、女の子はそのまま自宅に戻り、私は大学に行きました。別れ際に彼女が、女の友達の家に泊まったことにする。大学関係だとバレてしまうので、高校時代の友達にすると言っていました。
大学に付くと研究室が大騒ぎになっていました。彼女の両親が、昨日娘が帰ってこないので、警察に捜索願を出したと、研究室の教授に連絡が入ったというのです。
私は駅で別れたと言い切ってとぼけるしかないと覚悟を決めました。ところが、彼女と一緒に内の研究室に入ってきた仲の良い友達がいて、研究室の電話で片っ端から泊まっていそうな友達の家に電話をしまくっています。
しかし、別れ際に彼女が言っていた「高校時代の友達を」を思い出し、流石にそこまではと安心していたのですが、大学での知り合いは全て掛け終わると、「高校時代の、彼女と仲の良い友達がいるので、もしかしたらそこかも」と言い、電話番号も知っていると言うのです。
この時、私の人生は終わったと、目の前が真っ暗、頭の中は真っ白になったのを今でもはっきりと覚えています。そして、その女友達が高校時代の友達に連絡しようと受話器を取った時に、研究室の別の電話が鳴り、誰かが出ると、朝別れた彼女が家から掛けてきた電話でした。正に間一髪、首の皮一枚を残して命が繋がった瞬間でした。
35歳 女性のストーリー
昔は恋愛関係にあった男友達が結婚しました。数年経ってから友達として久しぶりだしドライブに行こうと誘われて、恋愛感情もお互いに無く、海までドライブに行きました。帰り道が思っていたより渋滞していて帰路に着いたのが予定より大幅に遅れました。当然男友達の奥さんは不安になっていたと思います。
そしてその夜。深夜にも関わらずその友達の奥さんから何件も何件も着信がありました。もちろん奥さんのことは知らないので登録していない番号からです。第一声が「旦那をあんたにあげる!」でした。どうやらメールを見て私とその友達が、不倫関係にあると勘違いしたようでした。なんとかなだめて、最終的に奥さんと仲良くなり、その友達の愚痴を聞かされ、その後も何度か電話をする仲になりました。とは言え、こちらは面倒なことになったのもあり、その男友達とは疎遠になりました。
29歳 女性のストーリー
大学生の時、合コンで知り合って付き合った彼氏がいた。近くの大学の先輩で、かっこいい人だった。付き合って1月ほど経った頃、高校の同窓会があってその時の友達と飲んでたら、一人遅れてきた友達が泣いてやってきて、どうしたのかと聞くと、「彼氏と別れた。理由わからなくて、、、」ということで、なぐさめているうちに相手のプロフィールと名前、大学や学部を聞いていたら、あれ?それ私の彼氏じゃない?てなった。幸いその同窓会メンバー全員には話してなくて、その中の一人しか知らなかったので二人で真っ青になってその場は黙っていた。そして帰ったら彼氏から「付き合おう」と連絡が入ってて、そういえばちゃんと付き合おうて言われてないし、デートいつも家の中だったな、と思ってめちゃめちゃ腹立ちました。もちろん断って、そいつはめちゃめちゃ攻め立てたけど元カノである私の友達には言ってません。墓場まで持ってきます、、、、
39歳 女性のストーリー
結婚前、付き合っていた当時の話ですが、両親が不在時に、彼を私の自宅(実家)に招いていた時のことです。
その日は泊まりになって帰って来ないと聞いており、安心して二階の私の部屋で二人くつろいでいたのですが、突然一階で飼っているペットの犬の大きな鳴き声が聞こえ、まさかと思い窓から外を覗いてみると、両親の車が車庫に見えました。
当時は携帯電話がまだそこまで普及していなかったこともあり、両親は連絡なく予定より早く帰ってきたのです。
慌てて、玄関にある彼の靴を持ち、裏の勝手口から、彼を追い出すような形で逃しました。私の両親はやや保守的だったため、異性を家に招き入れるなど知れたら、ただではすみませんでした。
帰宅後の両親にはなんとかバレずに済みましたが、今でもどこか後ろめたい気持ちです。
27歳 女性のストーリー
大学時代、同じサークルに入っていた先輩と2年間付き合っていたんですが、好きな人ができたと言われ、別れることになりました。その2か月後、改めて付き合ってほしいと言われ、正直なところまだ好きな気持ちがあったので復縁することにしたんですが、後日、実はその先輩が自分の友達と付き合っていたことが発覚しました。
デートの約束をしていたのに時間になっても現れず、連絡もつかないので先輩の家にいったところ、出てきたのは上半身裸の先輩で、部屋の奥には全裸の自分の友達がいました。あまりにも衝撃すぎる光景を目の当たりにして言葉を失いましたが、なんとか自分を奮い立たせて説明を求めると、別れるときに言っていた「好きな人」とはその友達のことで、私と復縁する前から付き合っていたということでした。
そしてなによりもびっくりしたのが、私と先輩が復縁することを友達が知っていたことです。友達曰く、先輩から「君のことは大好きだけど、元カノのことも忘れられない。君と一緒にいるためには、元カノともある程度一緒にいないと自分の精神的バランスが崩れてしまう」と言われ、承諾したとのことでした。
さらに、どこでいつ会ったか、何をしたかなど、私と過ごしたことを自ら先輩に事細かく尋ね、全部を把握していたとも言われました。
全く理解できない思考と、その気持ち悪さにとても怖くなり、2人とも今後一切関わらないでほしいということだけ伝え、その場を離れました。
その後、サークルは辞め、本当に親しい人にだけ事情を話して、2人と接触しないように協力してもらいながら過ごしていましたが、その間も先輩からおびただしい数の連絡があったり、あろうことか例の友達からは先輩との復縁願いのメッセージが何通も送られてきましたが、もちろん全て無視しました。念のため、連絡の履歴やメッセージなどは何かあったときのために証拠として残していましたが、幸い何もなく済んだのが唯一の救いです。
自分の人生でこれほどまでに理解不能で気味の悪い人たちに関わるは、これっきりだと信じたいです。
23歳 女性のストーリー
私の人生最大の修羅場は当時付き合っていた男性とその元カノとの浮気が原因でした。
浮気が発覚したその日、彼は私の家にお泊りをしていました。朝方何度も繰り返し鳴る彼の携帯に違和感を感じ見てはいけないと思いつつ見てしまったんです。
それはどこかで聞いたことのある女からのラインでした。その女の子は彼の元カノで私も面識があったので名前を見た瞬間ドキッとしたのを覚えています。
ここから私は自分でも驚くほど冷静に対応していました。まず彼の携帯を使って元カノにこう連絡を取りました。
「〇〇なら今私の横で寝ています。気になって携帯みてしまったんですけど、あなたと浮気してるんですね?」と。
元カノからもすぐに返事が来ました。内容としては私に対する謝罪とそれでも彼が好きだということでした。
このあとは彼を叩き起こし浮気相手を呼び出して話し合いをしました。私は彼と浮気相手に対して言いたいだけ暴言を吐いて、それでも彼を許すことができませんでしたので別れを告げました。彼と元カノもその後は上手くいかず破局したようです。
29歳 男性のストーリー
当時付き合っていた女性が解離性同一性障害、いわゆる多重人格者で、約50の人格(実際に話をしたのは10人程度)がありました。
付き合っているのは一人なのに数人の女性と同時に付き合っているようで初めは楽しかったのです。
しかし、徐々に相手の異常な面が見えてきたことで別れを意識し出しました。
ただ、すぐに別れようとすると攻撃的な人格に報復される可能性がありました。
そこで徐々に会う時間を減らそうとしますが、向こうもそれを感じ取ったのか食らいついてきます。
ついに私は我慢できなくなり別れを切り出し、彼女の家から出ていきました。
予定もあったため車に乗り込み急いでエンジンを始動させます。
そこで事件は起こりました。
車の窓から上から下に影が通りすぎるのが見えました。
そしてほぼ同時にどっという鈍い音が聞こえてきました。
恐る恐るそちらに視線をやると、真っ赤に染まった左足がおかしな方向を向いた彼女の姿が。
そこからは救急車を呼び、警察を呼び、彼女の親にも事情を説明し、と大変な事態だったわけですが、一度だけお見舞いにいった際に例のごとく攻撃的な人格に代わり絶対許さない、殺してやると恨み言を言われ、後遺症が残ったことからさらにエスカレートしていきました。
向こうに次の彼氏ができて精神的に落ち着くまでは遭遇する度に恐怖を感じることになりました。
36歳 女性のストーリー
同棲していた婚約者が浮気したことが分かったとき。当時、私は大学生で、相手はパチンコ屋でバイトしていた8歳年上の男性。当時30代。フリーターだし、おまけ中卒、資格なし。という状態だったが、依存的にも愛してしまっていた私は「大学卒業後に入籍する」と親にも友達にも大学教授にも触れ回っていた。しかし、そこで彼のバイト先の同僚との浮気が判明。言動がちょっと怪しかったのと、私への愛情表現が若干減っていたことが気になり、身勝手にもメールチェックして判明して、人を平手で初めて連打した時の心の荒れ模様もかなり修羅場だった。その後、彼は浮気相手を取った。同棲解消も諦められなかったので、彼と連絡を取ったり、バイト先に押しかけて、浮気相手に客や店員の前でビンタを数発食らわせた。彼の絶縁していた実家に、彼の居場所を教えたり、色々感情に任せて、今振り返ったら自分でも引くけど、同じことが今起こったら、同じ行動を起こすだろうなあと思う。
52歳 女性のストーリー
遠距離恋愛の末、故郷に高齢の母を1人残しての結婚で、結婚生活はずっと気もそぞろだったことは事実です。
早くに父を亡くしたので、それまでずっと母と娘2人で生活してきましたので。
はっきり言って理由はなんでもよかったのでしょうが、夫の咀嚼音や細かい性格、一語一句にある日を境に急に我慢ができなくなりました。
「どうしても離婚してほしい」と切り出してからは、前も後ろもわからない状態で断固とした決意だったので、あまり記憶がありません。
母や親戚は阻止しようとしましたし、元夫には土下座をさせたかもしれません。
普段は優柔不断でどっちでもいいと言うタイプの私ですが、ある方向に向かって何かが体を突き動かし突き進むと言うことが、この離婚を含めて人生に2回ほどあります。
25歳 女性のストーリー
当時付き合っていた彼氏が私が可愛がっていた後輩と浮気をしていることを知りました。なぜそのような関係になったのかちゃんと知りたくて、彼氏と話をした後、浮気相手の後輩を食事に誘い浮気について問い詰めました。
すみませんでした、もうこんなことしませんと泣きながら謝られた後、私は本当は嫌だって言ったんだ、彼氏が全面的に悪いんだという話をされ、あの男はとんでもない奴だからもう関わりたくない、先輩も別れたほうがいいですよと言われました。
その数日後、私が彼氏と一緒にいると彼氏の携帯にその後輩から電話が入りました。「私か先輩どっちを選ぶの?先輩と別れないの?」と。
うん、ごめんと謝っている彼氏から携帯をとりあげ、お前いい加減にしろよって言えた自分が今でもすごいと思います。
40歳 女性のストーリー
結婚式の4日前に、結婚相手の浮気がばれました。しかも、私自身が発見してしまうというとんでもない修羅場があります。
きっかけは、結婚前に彼が一人暮らしをしている部屋に、彼に何も言わずに掃除と洗濯をしに彼の部屋に入ったことです。
前日の夜、明らかに彼が全く電話や連絡にでてくれなくてなんだか怪しいと感じていたので抜き打ちで行く事にしたんです。
そうしたら、案の定、彼の部屋が明らかに前日誰かしらが泊まったような形跡がありました。
しかも、彼が使わない私の電子ピアノの蓋も開きっぱなしで、女性が入ったような気がしました。これが、女性のカンでしょうか。
結婚式4日前の出来事でしたので、彼との今後をとても考えましたが、結局さよならをすることに決めました。
信用ができる相手でないと、やはり結婚生活って難しいものです。
43歳 女性のストーリー
もう20年以上前になりますが、若かったころ、親が失踪したうえで自殺しました。いきなりだったので本当に驚きました。当然、探しに行きたくて職場から休みをもらおうとしたものの上司に「プライベートのことで迷惑をかけるな」と怒られてやむなく出社し、探すことすらできませんでした。数日後、警察からの連絡を受けて自殺を知りました。そこからは借金が山のように出てきたり、変な無言電話が続いたりと、しばらく落ち着かない日々を過ごしました。そういう出来事のおかげでしばらくは人間不信になりました。
いま思い返してみても、あれは人生最大の修羅場だったなと思います。もう二度と経験したくないし誰にも同じような思いはさせたくないなと感じます。
52歳 男性のストーリー
私の人生においての一番の修羅場は
ウチの家内がうつ病になってしまったことで。

平穏な生活は一変し、私や義母そして親戚など
大勢で家内の介護、看病に追われる生活が始まりました。

そんなある日家内から「別れてほしい」といわれました。
理由は、この先もっとうつの症状が酷くなって
私の人生にまで迷惑をかけたくないから、とのことでした。

私は家内の気持ちを受け入れて、書類にサインをし、家内と離婚しました。

3年ほど、症状が酷く、入退院を繰り返す日々が続き
入退院も繰り返しました。

復調の兆しが見え始めたには、この2年くらいでしょうか。
ようやく普通の時間に起きて、普通に食事が取れて
普通に会話が出来るようになったのです。

今はまだ自宅で療養中ですが、司会復帰に向けてリハビリ中です・
ちなみに昨年の11月22日、「いい夫婦の日」に籍を戻しさいこんしました。
結婚記念日が年に2度ある夫婦も、珍しいのではないでしょうか。

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

39歳 女性のストーリー
親の仕事に同行する為にアメリカのボストンを訪れた時に、これまでで1番勇気を必要とする経験をしました。
子どもに絵本を読むという、たったそれだけの経験でしたが、とても怖かったです。
親の仕事相手のご家族にディナーにご招待されたことがきっかけでした。その家には3歳と1歳の男の兄弟がいました。やんちゃ盛りの男の子たちに、是非日本人と遊ばせたいと考えたママさんの計らいで、私ひとりお昼過ぎから御宅にお邪魔することになりました。
3歳の男の子とたっぷり遊んだのですが、英語がカタコトの大人を初めて見た男の子は私に興味津々です。ごっこ遊びで身体を使っている時はまだごまかせたのですが、お昼寝用の絵本を読んでほしいとせがまれた時はとても緊張しました。子どもをがっかりさせたくないし、お昼寝はちゃんとしてほしいし、断ろうかと思いました。でも、息子の異文化交流を微笑ましく眺めていたママの期待を裏切ることはできそうになかってので、勇気を振り絞って絵本を読みました。
29歳 男性のストーリー
新卒で就職した会社が嫌で嫌でばっくれたことがありました。関西から、神奈川へ就職で行ったのですが、内定が出たのも遅く気持ちを入れ替えることもできないまま実家を離れることになってしまいました。
住む家さえも会社が始まる2日前に決まったような状況でした。そのため色々なものの準備もできていない事や、挨拶もできておらずすぐホームシックのような状態になりました。
仕事でも、なかなか結果が出ず上司に怒られる日々が続き毎朝の通勤が本当に嫌なものでした。それでもなんとか1年ほど勤め後輩もできました。
しかし、目覚ましい結果が出ることもなくまだまだどやされる日々が続き気づけば居酒屋の個室で寝てしまうという日も少なくありませんでした。
そんなある日、いきなり私の持っているお客様からの仕事が立て込み4週間連続で売り上げ目標を大きく超えて達成することができました。その時がちょうど会社の四半期の末だったこと翌週以降にお客さんは全く動かないと言うのが見えていたので「ここまでか」という気持ちが芽生えました。前々から自分のデスクは片付けており持っているお客さんを誰に渡すべきかのリストもエクセルでパソコン内に保存していたので、四半期の終わった土日に退職届と返却物を会社のポストに放り込んでやり遊びに行きました。
案の定週明けの月曜、火曜、水曜と連絡が来ましたが全て無視をして終わりました。
私の一人暮らしの家にも来るかと少しビビって対策していましたがそんなこともなく
取り越し苦労でした。
今となっては、あれ以上は続かなかったと思うので、辞めていて良かったです。
29歳 女性のストーリー
 理不尽な理由で解雇されそうになり、労働基準監督署に行ったことです。今までの人はこの会社と早くおさらばしたい気持ちで、何も反論せず辞めていく人ばかりでした。自分もついに辞めろと社長に言われたので、自分なりに抵抗してみました。まず時間をもらって労働基準監督署に相談してどのような方法・解決策があるのか教えてもらいました。そして勇気を振り絞り社長と面談で自ら交渉。あの時社長は本当に私のことが鬱陶しかったと思います。君みたいな人は初めてだよ、と言われました。今まで抵抗する人はいませんでしたからね。自分的には円満退社させていただきました。二度と味わいたくない、惨めな経験ですが、いざとなったら自分はがんばれるのだなと分かりました。
37歳 男性のストーリー
私は現在37歳です。30歳で結婚し32歳で離婚しましました。理由は私のギャンブルです。私は結婚前からパチスロをしていましたが結婚をする前に妻にそのことは内緒にしていました。結婚したらパチスロはやめるし大丈夫だと思っていました。しかし結婚後もやめられずにいました。私は夜勤がある仕事をしていましたので夜勤明けは妻が仕事に行き私は家にいる感じだったので夜勤明けに行ってました。しかしなかなか勝てず辞めようかと思っていましたが辞めれずにいましました。そしてついに負けがこみ2人で貯めた貯金に手をつけました。そしてさらに負けてしまい妻にギャンブル依存であること、家庭のお金を使ったことを伝え謝りました。私はギャンブルをしていることは誰にも言ってなくギャンブルは恥だと思っていたため妻に伝える時は人生で一番勇気がいりました。その後妻との関係性は悪化して数ヶ月後に離婚をしました。
33歳 女性のストーリー
中学1年の春、同じクラスになった隣の席のNくんに一目惚れ!私好みのイケメン!小さな時からシャイで、恥ずかしがり屋な性格の私、目を合わすことも、もちろん話すこともできませんでした。サッカー部だったNくんは、授業後には毎日部活。その姿をこっそりと見るのが私にとって毎日の楽しみでした。その思いを3年間秘めたまま、ついに卒業の日。高校は別の学校、明日から会えなくなってしまうと思うと寂しくて仕方ありませんでした。卒業式が終わり、みんなで記念撮影。私はNくんと2ショットが撮りたくて、迷いに迷った結果、勇気を出してNくんに写真をお願いしました。
しかし、私は何を思ったのか、写真とろうとお願いしたのではなく、突然、付き合ってください!っと。
自分でも言った後に驚き、顔が真っ赤に。。Nくんは呆然。。その後、お断りされてしまいましたが、私にとっては3年間の思いが伝えられてなんだかスッキリとした気持ちになり、中学校もNくんに対する片思いも卒業することができました。
38歳 女性のストーリー
息子の幼稚園の会長になったことです。
学生時代や社会人生活では役職につくなど全く無縁の責任を負わない人生を送ってきました。
ですが、息子が発表会で指揮者を見事やり遂げた事に刺激を受けて、私も息子に頑張ってる姿を見せたい思い、勇気を出して立候補しました。周りのママ達もまさか私が立候補するとは思わずビックリしていましたし。自分の事ならまずやらない事ですが、息子の為なら恥をかいてもいい、息子の幼稚園生活最後の1年を最高の1年になる様お手伝い出来たら最高だなと思いました。
人生でいちばん勇気を出した大きなチャレンジになりました。
息子も大変喜んでくれて、家族のサポート・周りのママ達のサポートのおかげで楽しくやれています。
48歳 女性のストーリー
スト-カ-と直接対峙したことですね。

「駅で見掛けて一目惚れした、運命の人だと思った」で、3年ほどつきまとわれたスト-カ-とコミュニケーションを取ったことですね。

何度警察に言っても取り締まってくれないし、何度断ってもつきまとうので、これはきちんと話し合うしかないと思って、ある日、郵便受けに「きちんと話がしたい」と手紙を入れて「いついつどこどこに来てくれ」と・・・。

後日、約束のその日になって本人がやってきて、わたしは付き合う気がないといったことを、きちんとした理由をつけてスト-カ-に話しました。

なかなか納得してくれませんでしたが、2時間程じっくりと話し合って、最期は納得してくれて、スト-キング行為を止めてもらいました。
32歳 男性のストーリー
登山が趣味の30代です。
趣味と言っても年間に2〜3の山々を登る程度のすごくライトな登山家です。登るときはいつも単独です。友人、知人の中で登山に興味のある人は誰も居ないので、気づけば誰も誘う事なく、山のぼりたいなーと思ってはふらっと向かい1人登山を楽しんでいます。
そんな中、大分県の由布院にある由布岳に鎖場があるとの情報をネットから仕入れて、つい先日登って来ました。
天気は良好で体調も万全。ただ用事があったため登り始めが11時と遅く少し不安を感じながらスタートしました。
登り出しは良かったのですが、分岐のところまで来た時には辺りは雲の中。時間も遅かったことで周囲に人は居ませんでした。
そして目的の鎖場へ。
岩の壁を10メートル登り、さらにその先にもう一つ10メートルほどの鎖その先には真横に3メートルほど鎖が続く、岩の壁と言うか崖。
周りは雲で身体を煽る強風に、一度滑らせれば、登るも降りるも出来なく慣れば、間違いなく死。
人も居ない平日の山なので確実に死ぬと思うと、足が震えましたが、何故だかもうここは行くしか道がないと思いなんとか進むことができました。
その先も思った以上に難関な道が続き、7時間かけて無事に帰り着きました。
帰って見れば怖いことだらけでしたが、1番怖かったのは下山するまで人に会わなかった事です。
勇気と言うより蛮勇でした。
18歳 女性のストーリー
高校生の頃、私の口の悪さが原因で、仲違いしてしまった友人がいました。
その友人とは、仲違いするまでは休み時間はいつも一緒に過ごし、放課後や休日はいつも一緒に遊んでいたほど仲が良かったため、仲違いしてしまった後は、とても寂しく、とても悲しく、一度謝罪をしましたが、もう一度さらにきちんと謝罪をしたいと考えていましたが、友人から避けられていたために話しかけられず、謝罪するタイミングが見つかりませんでした。
そんな時、体育祭のリレーの選手にその友人が選ばれ、私は自分の事のように嬉しくなり、友人に祝福の言葉をかけようとしました。ですが、今仲違いをしている私に祝福された所で嫌な気持ちになるかもしれない、となかなか言い出せずに、ついに放課後になってしまいました。私は、この機会を逃せばもう仲直りできないだろうと思い、勇気を出して友人に「おめでとう、あなたがリレーの選手に選ばれてよかった、自分のことのように嬉しいよ」と声をかけました。
すると、友人が笑顔になり、ありがとう、と言ってくれました。
友人も、仲直りする機会を探っていたようだったので、この時、勇気を出して声をかけてよかった、と本当に思っています。
そして、本当に大切なものは失ってから気づくということをこの事で実感したので、もう二度と友人を傷つけるような言動はするまいと日々心掛けています。
33歳 女性のストーリー
大学生の時にインドに一人で行ったことがこれまでに一番勇気を出した瞬間でした。
行くまでにすごく悩みましたし、いろんな情報を集めて本当に大丈夫かなと何度も何度も考え直しました。女一人でインドに旅行に行った人の話はよくあるのですが、楽しかったと言う人もいれば、酷い目に合った話もよくあります。しかし、前々から行って見たかったと言う好奇心と一人でインドに行くという冒険感、行けたらカッコいいなという憧れの思いから腹をくくって飛行機のチケットを購入しました。この飛行機のチケットをネットで購入した瞬間が勇気を出した瞬間でした。
お金を払って行くと覚悟を決めてからはやるべきこと、準備をするのみでした。結果、2ヶ月のインド旅行を思う存分楽しむことができました。あの時尻込みせずに行って良かったと今でも思います。
27歳 男性のストーリー
私がこれまでの人生で一番勇気を出した瞬間は、異性への告白です。
遡ること中学2年生のクリスマスイブの夜、何気なしに前々から好きだった女の子とメールのやり取りをしていました。そこで恋の話に発展し、「○○(私のこと)は誰か好きなの?」と、質問されたので、やんわり濁して「秘密だよ」と返答しました。すると女の子は、「いいじゃんいいじゃん教えてよ、誰にも言わないから」と、私に好きな子を言わせようと必死に聞いてきます。私もこの場で告白してしまおうと思い立ち、女の子に「オレが好きなのは○○(女の子の名前)だよ。前々から好きだったんだ」そう送信すると、女の子からは、うそ!?私!?でも、ちょっとうれしいかも(笑)」と、返信がありました。これは脈有りと思った私は続けて、「オレと付き合ってくれませんか?」と告白すると、女の子からは「嬉しいけど、今は無理なんだごめん。。。」と、返信があり、フラれてしまいました。勇気を出して告白したのにフラれる。あの時以来、私は異性に告白できていません。
33歳 男性のストーリー
勇気を出した瞬間は、20歳を超えてから初めて告白をした時です。
相手は同じ職場の年下の女性で、同じ仕事の時に空いた時間で趣味などの話しているうちに気になってきました。
それまでは、接点がなかったのですが、挨拶をする時にいろいろと話すようになっていき、好きだという思いが強くなりました。
頻繁に話すようになって1ヵ月ほど過ぎてから、仕事終わりに食事に誘ってみたところ「行きたい」との返事を貰え、2人で近くのファミリーレストランに行きました。
その後、買い物などをした帰りに彼女に直接気持ちを伝えようと、勇気を出して告白をすると決心しました。
告白は成功し、良い返事を貰えてお付き合いすることができました。
断られていたら職場で気まずくなるだけだったのですが、告白をしてよかったと思っています。
24歳 女性のストーリー
私がこれまでに一番勇気を出した瞬間。
それはずばり出産です!
私には2人の子供がいます。
一人目は初めての経験だったので、
陣痛・出産はどんな痛みなのか、自分はちゃんと耐えられるか、赤ちゃんは無事生まれてくるのかな?など考えたらきりがないですがとにかくその日がくるまで不安で仕方なかったです。
予定日1日前の早朝陣痛がきたのですが
今までインターネットで散々検索してたので早くに病院に行くと家に返されると記憶してたので
とにかく家で我慢してました。
そのおかげか病院に着いてから4時間半で生まれてきてくれました。
結果的に無事生まれてきてくれましたが、
陣痛が始まってからはもう戻れないので
出産するときは覚悟を決め今までの人生で
一番勇気を出しました。
勇気を出したおかげで人生で一番幸せな瞬間を体験できました。

ちなみに二人目は病院に着いてから30分で生まれたので勇気出す暇なく生まれてきてきました。
30歳 女性のストーリー
お互いの仕事の都合も考慮し、新婚旅行の日程を決定、予約後、同じ日程での夏フェスの開催が決まってしまいました。
その夏フェスは、私が個人的に行きたいと切望していたものでした。
そんなことを言い出してよいものか・・。悩んで悩んで、会社の人、友人、いろいろな方に意見を聞いてみたりもしました(今思えば背中を押してくれる人をずっと探していただけです(笑))。
ですがやはり、言わないと一生後悔する!!新婚旅行も楽しめない!!と、旦那さまに「行きたいイベントがあるから新婚旅行の日程をずらしてくれ」と正直に伝えました。
どれだけ切れられるだろうかと戦々恐々でした・・が、少々渋い顔をされたのみで了承してくれ、無事、2万強のキャンセル料を払ってフェスに行くことができました!
もちろん日程をずらして新婚旅行にも行きました。
ありえない選択でも、勇気を出してみる事が大事なんだと感じた瞬間でした。旦那様にはほんとうに感謝しています。
26歳 女性のストーリー
今までで一番勇気を出した瞬間…
これは数年前の話です。
バイトで働いていた場所の近くのコンビニ店員さんに一目ぼれし、どうにかして近づきたくて何度か通っていました。
いつか連絡先を渡せたらいいなぁと思いながら、ずっと見つめてるだけでした。
男→女だとよくある話かもしれないんですが(勝手にそう思っていてすみません)、私は女なのでかなり勇気が要りました…
周りの人に相談すると、社員の方がコンビニ店員さんと顔見知りということを知り、その社員さんに私の存在をコンビニ店員さんに伝えてもらったのです!!
おかげで連絡先が渡しやすくなりました。
でも、やっぱり存在を知ってもらっただけなので、話しかけるというのがなかなかできず怖かったです。もともと人見知りな私は余計にです…
連絡先を渡すチャレンジは、1回目は失敗しましたが、2回目は成功しました!これまでに、とっても勇気を出した瞬間がこれでした!!
そこからLINEをするようになり、デートの約束をしたり、他愛のない会話も出来るようになって、今では付き合って4年。ずっと仲良しの彼氏です。
これからも仲良くしていきたいと思います。
57歳 女性のストーリー
南フランスへ一人旅をしたことがある。アルルという町に宿をとり、前々から行ってみたかったカマルグという郊外を訪れるのが目的であった。
カマルグはアルルからバスで一時間程行ったところにある田舎なのだが、そこに小一時間も滞在すればほぼほぼすべてを見尽くすことができてしまたので、宿に帰ろうとした。が、バスは相当時間待たなければ来ないことが分かった。南フランスの日差しが暑く、一刻も早く宿に帰りたかった私は、カマルグの田舎道でヒッチハイクを試みた。田舎道を行く車を止めようとした瞬間がこれまでに一番勇気を出した瞬間だったように思う。フランス語も話せない私が、外国の田舎で、外国人の運転する車に乗り込もうとするとは、今思い出しても空恐ろしくなってくる。
56歳 女性のストーリー
今のこの時代子供が喧嘩やいじめ、夜間に夜遊びをして注意されたことは有りますか?なんか注意いすると、反感や偏見の目を向けたり、殺我の時代なのでさ剃れると恐れる人は数多くいると思います。
2年前自宅のそばでそうですね、夜中近くの11時中学二年の男女がモヤモヤ、ざわざわと煩くて、私は親は何をしているのかと、思いつつも勇気を振り絞り注意いたしました。[今何時だと思ってんの‼早く家に帰りな‼]と怒鳴って注意いたしました。
子供達はビックリしてかえっていきました。私も注意したら良いか散々悩み増したが、心臓マヒが起こるほど、バクバクいたしました。
それからと言うもの子供達は隣のうちの土地で遊ばなくなりました。

自分のしたことが、果たして良かったのかと。
22歳 女性のストーリー
私がこれまでに一番勇気を出したこと。
それは大学四年生で出産を決め、親になるという決意をきめたことだった。
付き合っていた彼との間に大学四年の夏休みにお腹に一つの命が誕生した。その事実はものすごく奇跡な事。でも、自分も相手の彼もまだ学生。その事実はどうしても大きな壁となっていた。しかし、彼は産んでほしいと言ってくれ、両親にも相談したところ責任を持って育てなさいと反対することもなく周りのそのサポートもあり、私は出産し、子供を育て、親になることを決意した。今年の冬に出産予定だ。毎日毎日を大切に生き、周りへの感謝を忘れることなく生活している。子供がお腹にいるだけで毎日が楽しくなっているのだから子供が生まれたら彼ともっと楽しい生活を送りたい。
30歳 男性のストーリー
私は大型バイクに普段乗っていてよく車の幅寄せや右直事故にあいそうになるのですが。
私が一番勇気を出した瞬間は片道3車線の大きい交差点で私が直進対向車線に大型10tトラックが右折待ちで待っていました。私と前の車は少し車線が開いていました。そして右折してくるトラック私は60km/h出ていました間違いなく止まれませんでした。トラックも既にヘッドは私の進路を塞いでいます。大型交差点なので歩行者や赤信号待ちの自転車等いろいろいました。どちらかに避けてバイクをこかすのは誰かに突っ込んだ後のことを考えて、怖くてできませんでした。私は結局大型トラックの前輪タイヤと真ん中のタイヤの間のフレーム部分にバイクごと衝突するしかありませんでした。あの時は最高に勇気を出して死を覚悟しました。結局フルブレーキしながらなのもあって、胸部骨折とバイク廃車で済みました。
34歳 男性のストーリー
高校時代に好きだった同級生(♀)に告白した事です。学校のマドンナという程でも無かったですが可愛くて愛嬌があって誰からも好かれる女の子でした。
しかも告白する当日は昼休みに呼び出すつもりだったんですが、1時限目の時点でクラスメイト数名にばれてしまい(-_-;) 彼らが遠巻きに見てる中、廊下で告白するという事態になってしまいました。(すっごく緊張した・・・)
結果はあえなく撃沈( ノД`) 傷心に浸る間もないうちにクラスメイト男女数名からの冷やかしから逃れる事もできず、午後の授業と部活を終えるまでの間いじられキャラで過ごす羽目になってしまいました・・・。
先日、同窓会で再会する機会がありまして、もし独身なら勇気を振り絞って・・・とも考えましたが人妻でお子さんもいました。お幸せに!
32歳 男性のストーリー
新卒で就職した職場の上司に「辞めたい」と伝えるときが勇気を出した瞬間です。

約7年働くも将来の不安がありました。例えば給与面、昇格、業務のスキルアップが現状望むことが難しいなと感じていました。

さらに自分自身はまだまだ知識も技術もない中、職歴だけで役職がついてしまい、現場の業務をやりたいにも関わらず管理職という仕事をやらざるを得ない状況になってしまいました。

そういうこともあり転職を考えました。当時の上司に「大事な話をしたい」と伝え、別室に案内頂きました。そして、そこで勇気を出して伝えました。「ここを辞めさせて頂きたい」と。上司も薄々感じておられたようで引き止められましたが理解して頂きました。3年前の話今でも思い出します。
29歳 女性のストーリー
高校生の時に好きな先輩が居ました。その先輩は1つ年上なのですが、留年した為3年生で同じクラスになりました。学生の頃の歳の差は、とても大人に感じて憧れもありかっこ良いな~と思っていましたが、なかなか話すことはできませんでした。たまに挨拶するぐらいがやっとです。
卒業式の日が近付いてきて、告白するという選択は自分にはなかったのですが寂しい気持ちは募っていました。卒業式の当日、大学も別々だったので最後に一言でも話したいなと願っていました。みんな終わってからいろいろな人と写真を撮って別れを惜しむ中、ちょうど先輩と目が合い「写真撮ってもらえませんか?」と勇気を出して言うことができました。
その写真は今でもずっと思い出の一枚です。
32歳 女性のストーリー
中学3年のとき、4月から卒業までずっとクラスメイトに片思いしていました。元々仲が良かったわけではなく、初めて同じクラスになり一目惚れから始まったので、目が合うだけで、一言挨拶をするだけで舞い上がる、という日々でした。
3学期になり、彼には年下の彼女ができてしまいました。それでも忘れられない…卒業も間近…どうしよう…と悩む間に、あっという間に卒業式を迎え、何事もなく卒業してしまいました。
その数日後、離任式のため登校し、改めて大好きな彼を見て、気持ちが抑えられず、家に帰ってから、メールで告白することに決めました。
「すき」と2文字だけ。
渾身の2文字でした。
彼の返事は「え!?間違いじゃない!?」でした。1日に一言二言しか話さない仲だったので、当然の反応です。その後彼からは「彼女がいるから、ごめん。」とメール。私が「そうだよね、知ってるよ。自分の気持ちに区切りをつけたくて伝えました。びっくりさせてごめんね。」と送ると、「こちらこそごめんね、ありがとう。お互い高校生活楽しもうね!」と返事が。
彼の優しさに、勇気を振り絞って本当によかった!と思うことができました。
23歳 女性のストーリー
当時付き合って3年くらいになる彼がいました。お互い働いているので、月に一度程度しか会えませんでしたが、何かあると休みを合わせて旅行へ行ったりと喧嘩もなく仲良くしていました。
そんな中で、仕事で忙しいせいなのか、食欲がなくなり、とても眠たい状態の時が多くなり、体もどこか重い毎日で何でだろうと不安でいっぱいでした。もしかして妊娠?というのが頭から離れずで、会った時に冗談半分で妊娠していたらどうしようと言って反応を見ていました。彼はまだいらないてきなことを話していたので、いるわけないだろうなと思った時、母親の勧めで病院に行きました。そしたら、まさかの妊娠発覚。彼にいうか迷いましたが、すぐに電話して初めて泣きながら勇気を出して妊娠を報告しました。
その後すぐに来てくれて抱きしめてくれて安心しました。
54歳 男性のストーリー
初恋の女の子に告白をしたこと。もう35年以上前の話です。中学校の卒業式の翌日、小学校3年のころから好きだった女の子に告白しようと決めました。自宅から彼女の家に電話をすると、電話に出たのはお母さん。当時は携帯電話なんかないので、自宅の家電に架けるしかないのです。家が近く、毎年誕生会に招待されていたのでお母さんのこともよく知っていました。でも今回ばかりは自分がかけていると知られてはいけないので、偽名を使った記憶があります。
彼女が電話に出て、何を話したかはもう全く覚えていませんが、一言「好きです」という前にあまりの緊張から言葉に詰まり、「ちょっと待ってね」と言って受話器を耳から外して深呼吸し、そのあとに告白をしました。彼女は「えー・・・?」と言い、最後は「また電話して」と言ってくれました。その時はなぜか付き合ってほしいとは言えず、結局その後電話することもできず。
彼女とはその後何度か駅で会ったりして、大人になってから車でドライブデートをしたこともありますが、最も勇気を出したのはそのきっかけとなった告白電話です。
40歳 女性のストーリー
これまでに一番勇気を出した瞬間、それは社会人から看護学校の受験を決めた時です!
勤め先の上司に伝える時が本当に勇気が要る瞬間でした。でももう自分の中では受験すると決めていたので勇気は必要でしたが、迷いは無かったです。上司は受験を応援してくれて受験日に休みをくれたり、合格したら辞表を出すように言ってくれたりすごく応援してくれました。
今は子育て中で仕事を一時的にしていませんが看護師資格を取得して10年経ちました。看護師の仕事は大変な事も多くありますが経験さえ積めば一生食べて行けます。子どもの手がある程度離れたら復職する予定です。
あの時本当に勇気を出して相談して良かったです。バックアップがあったからこそ、看護学校に合格出来たと思っています。
19歳 女性のストーリー
これまでにいちばん勇気を出した瞬間は、人生で初めて好きな人に告白したときです。
自分から告白なんてすることがないと思っていたにも関わらず、友達に流されてしまったのもありついLINEで言ってしまいました。
恋バナをしつつ、流れで「この人自分のこと好きそうだなって思う人とかいない?」などとふっかけ、「いないよ?」と言われると「そっかあ、(笑)」みたいな微妙な返事をし、そのあとに「だれかいるの?(笑)」という流れにして「私、とか?(笑)」という、今思えば微妙な告白の仕方だったとは思いますが(笑)、あの当時は心臓が止まりそうでしたし、結果的にはフラれてしまいましたが、人生経験としてとてもいい経験だったと思います。
24歳 女性のストーリー
就活の際に知り合った男の子に連絡をとった時。就活で連絡先を交換してから就職して1年目の1月になるまで、全く連絡をとっていませんでした。私は彼氏がいたことがなかったので、さすがに少し焦ってしまって何か行動を起こそうと思いました。そして就活の時のその彼を思い出しました。その子のことはカッコよかったことと、自分と悩みも似ていて話が盛り上がったことを覚えていました。なので、連絡をとってみました。しばらくやり取りをしていった頃に、ちょうどバレンタイン目前だったこともあったので、数を間違えたからチョコを引き取ってほしいと口実をつけて会いました。それからはちょこちょこご飯に行ったりしています。連絡をとって、会う約束をしたsれまでの間が私が一番勇気を出した瞬間です。
37歳 女性のストーリー
10年程前、どうしても輸出入ビジネスをしている会社で働きたいけれど、全く経験がなく転職エージェントを利用したり、直接募集している会社に履歴書を送っていたけれど、面接にすら全く引っかからない状況でした。
そこで、輸出入をしている会社がやっているレストランがウェイトレスを募集していたので、そこに電話をかけ、本社での仕事をなんでもいいからやりたいのですが、なんとか雇ってもらえないか?と聞いたことがこれまでに一番勇気を出した瞬間でした。
勇気をだして電話した甲斐あって、その場で社長とつないでもらえることができ、後日、直属の上司と面接をしてもらえることになりました。そして、念願の輸出入ビジネス、商社で営業、購買など多岐にわたる業務に携わることができました。
52歳 男性のストーリー
私が製造業勤務していた頃の話。
ある社員が会社の軽トラックの窓ガラスを
鉄鋼材料にぶつけて割ってしまったのです。

その報告を聞いた常務や課長は
「自己の見せかけて、修理代を保険で賄おう」
と、話し始めたのです。

その話し合いは結構長く続き、隣りで内容を
一部始終聞かされていた私は、なんとも言えない苛立ちを覚えました。

一晩考えた私は翌朝のミーティングで
「昨日から、軽トラックの窓ガラスが割れた件で
保険を使って修理しようという話が出ているようですが
そういう無駄な時間があったら、さっさと車は修理に出して
本来の業務に集中すべきではないでしょうか」
と、発言してしまいました。当然、常務や課長、更には社長もいる前で。

物の見事に、その場は一瞬での凍りつきましたが
数秒後「車はさっさと修理に出して通常の業務にもどりなさい」
と、社長のひとこと。

この一件、上司たちの間違った行動に目をつぶらず
「その行為は間違っています」
と、ハッキリ言っただけなのです。

それがゆうきなのか、自分の性格なのかはよくわかりません。
29歳 女性のストーリー
私には長年お付き合いをしている恋人がいます。
2年前に突然、彼が別れを切り出してきました。
当時私は、相当心を病んでいて外出もまともに出来ないほどに落ち込んでいたのです。
それを長年支え続けてくれた彼の糸が急に切れたんだと思います。
突然彼のいない生活が始まり、いつも隣で支えてくれていた彼の存在の大きさに痛いほど気づかされた私は毎日泣き崩れていました。
食事も全く喉を通らなくなり、眠れなくなり、何を見ても彼の面影を思い出してしまい涙が溢れてどうしようもなかったです。
私が何もかも甘えすぎたんだ。彼に寄りかかりすぎたんだ。
これからも一緒にいるには私が私を救うしかないと思いました。
それから、何度も行こうか迷っては結局勇気を出せなかったメンタルクリニックに行こうと決意しました。
もう行かなきゃダメだ、そう思うほどに心が限界でした。

先生は、泣きながら話す私を終始褒めてくださいました。
話せる力がちゃんとあるので大丈夫、よく今まで頑張って生きてくれましたね、ありがとうございますと。

服薬には抵抗があると言ったのですが、先生に
「心の体力が無い状態なので、それを助ける為に服用しましょう。」
と言われ、薬の説明もとても丁寧でした。
そんな先生の言葉や態度に優しさを感じた私は素直に従うことにしました。

後日、彼と改めて話し合う機会を設けられた私は
病院に行ったことや、今まで彼から貰ったプレゼントが全て私にとってお守りだったと気づけたこと、感謝と謝罪の気持ちをありったけ伝えました。
彼は私の話を聞いて泣いていました。
「すごいね、辛い時に1人で病院に行く決意をして勇気をだして大きく前に進んだ○○(私)を尊敬するよ。ほんとにすごい。」
と言ってくれました。

私の本気さが伝わったのか、また1からお付き合いをすることになり、とても嬉しかったです。

彼は、本当に限界だった、逃げたかったと言っていました。
甘えすぎて本当に申し訳ないと思っています。

それから2年経ちますが、私は今でも毎月クリニックに通っています。
そのクリニックの先生との相性がとても良くて、
どんどん良くなっています。
薬の服用も、拒まないでよかったと心から思います。
服用のおかげで夜眠れるようになり、不安感も激減し外出の頻度も増えました。
自分に合う薬を見つけてもらい、用法用量をきちんと守ればなにも怖くないんだと。
病気が治ったわけじゃないけど、信じられないくらい元気になり、彼とのデートも心から楽しめるようになった今、私はとても幸せです。

あの時、勇気を出して病院に行く決意をした私に
私は心から感謝しています。
42歳 男性のストーリー
19歳のときに、同じ職場にいた26歳の女性に告白したときが一番勇気を出した瞬間です。それが人生初めての告白だったために非常に緊張しました。
結果は当然のごとく振られてしまいましたが、以後その女性には仲良くしてもらえたので、勇気を出して告白したことは結果的には良かったと言えます。なお、振られた理由は「私も年齢が年齢だからそろそろ結婚を考えないといけない年だし、まだそこまで考えられないよね?だからごめんね。たぶんもっといい出会いがあると思うから」という感じです。確かに当時の自分は結婚までは考えていなかったので、そう言われて何も言い返せなかったです。
その女性とは結局連絡も取れなくなってしまいましたが、今でもいい思い出です。

「これはひどいなと思った結婚式」

29歳 女性のストーリー
途中まで順調にいっていて、新郎新婦はとても幸せそうだったのに、新郎側と新婦側の親族が殴り合いの大ゲンカを始めた結婚式。
きちんとした理由は分からなかったが、どうやら新郎側の親族がすでにできあがった状態で式場にあらわれ、ずっと騒がしかったことに対して新婦側のいとこか兄弟らしき人がブチ切れたことが原因のようだった。全体的に周りはそんなに迷惑そうな雰囲気ではなく、むしろいじったりして笑っていたのに。
ケンカをしていた二人はすぐに押さえられて引きはがされ、それぞれが兄弟らしき人や奥さんに、くだらないことをするなとか晴れの日に何を考えているのかとかめちゃくちゃ怒られていた。新郎新婦は会場の外で待機していた時だったので、二人はそのことを知らなかった様子だったことは不幸中の幸い。
あと新婦側の人を引きはがしにかかった時、奥さんらしき人がケンカ中の片方の首根っこをつかんでずるずる引っ張っていってお説教をくらわしていたのは申し訳ないけどちょっとおもしろかった。
34歳 女性のストーリー
 職場の同僚女性の結婚披露宴ですが、二つ驚いたことが。
 一つ目は、届いた招待状に切手が貼られていなかったこと。
 「招待状がたくさんあるなら、貼り忘れの一つや二つはあるのかな」と思い、
切手を貼って「出席」で返信しました。
 二つ目は、当日会場で受付をした際、私の席が用意されていなかったこと。
 出席で返信したはずなのに・・・「招待状には出席に〇をして出しました!」と
受付の人に説明しましたが、「呼ばれてないんじゃないですか?」という一言にも
イライラ・・・。祝儀を叩きつけて帰ろうかと思いましたが、そこはぐっとこらえて
参加しました。
 会場に入ると、大慌てで私の席を用意するスタッフさんたち。
 そんな状態で披露宴を楽しめるはずもなく、新郎新婦からも軽く謝罪があった程度。
 後日届いた記念撮影の写真には、私だけひきつった笑顔になっていました。
34歳 女性のストーリー
20代前半の時の話です。仲の良い男友達の結婚式に出席したのですが、その結婚式がとても印象的でひどかったので聞いて下さい。
式は120名ほど参加人数がいました。まず、新郎新婦が一昔前?と思えるゴンドラで登場。ケーキ入刀しては、お色直し、キャンドルサービスして、またお色直しで、特に余興も無し。新郎新婦が居ない間も特に余興がなく、ただ、食事だけでした。披露宴が終われば帰る予定が、二次会を違う部屋で押さえているが、参加人数が少なすぎて困っているから、出て欲しい。と言われしまい、特にその後の用事も無かったので、参加する事に。本当に少ない人数だけで、ちょっとしたビュッフェに特にビンゴやゲームがあるわけでも無く、雑談で、1万も取られてしまいました。
27歳 女性のストーリー
旦那の妹の結婚式です。
旦那の妹がケチだと言う事はあらかじめ分かっていました。
一緒にスーパーに買い物に行った時はこれとこれが同じ値段ならこっちの方が量が多いからこっちにしようと全く別の食べ物なのに湯がいた場合のことを想定して言ったので
え?全く別物 ケチ〜と思いました。
結婚式には招待されて出席したのですが色々出てきた中に鮭の出汁でとったおじやが出てきました。
ブーケトスとかあり最近では紐を引くとあたりで何かをもらったりとかありますが
結婚式ではビンゴで1等が3000円で買えるような焼き鳥の機械で4等とかは入浴剤とかでした。
ケチすぎてドン引き恥ずかしいなと思いました。
私はまだ結婚してなくて彼女の立場だったので私は3万包みましたが結婚式の引出物が小さいスーパーボールの大きさのウサギのクッキーみたいなのが2つとよく覚えてないですがしょうもないものでした。
こんなんなら何もない方がマシだなと。
お返しはちゃちな安いカタログギフトでした。
私の母も何かしなくてはと思い結婚式には出ないけど3万包みましたが
私の母にはドレッシングの詰め合わせ
箱の横にはN3000と書いてあったので
母がこれ3000円じゃねだいぶケチったね安いねと言ってました。
お返しにそんな期待してないし高いものをくれとも思ってないですがこれは酷いなと思いました。
仕事を休んでまで行ったのに。
39歳 女性のストーリー
何年も会っていない付き合いの浅い友人?から、仲の良い友人2人結婚式に呼ばれました。

友人席は、1テーブルだけで、8人席でした。そこに座っていたのが、私たち3人と新婦が化粧品を購入している店の店員2人、新婦の父親の部下の嫁、元同僚2人(10年近く連絡を取っていなかったそう)という、友人が居なくて寄せ集めたんだろうな…という顔ぶれでした。

このテーブルに座っていた人全員、久しぶりにご飯行こう!と新婦から連絡があり、行ったら、結婚式来てくれる?と直接言われて断れず出席していたことが判明しました。

化粧品店の店員はお客様だから断れなかったと言ってました。

ですので、誰も写真を撮りに行こうとせず、進行役の人が促すしまつ。

新郎の友人からは親友認定を受け、二次会でサプライズをするから手伝って欲しいといわれ、二次会には出席しないと伝えるとなんで出ないんだ、冷たいと言われるし、散々でした。

結婚式後は一度も会ってないし、連絡も取ってないです。
29歳 女性のストーリー
私の結婚式に参列してくれた友達が、結婚式が終わったときに、すごいよかったと言ってくれて、特に生い立ちムービーを褒めてくれたした。そのときに使っていた曲が気に入ったらしく、あまりメジャーな曲ではなかったため、誰の曲か調べたと言ってきました。その後約1年後その友達が結婚式をしました。呼んでいただいたので、披露宴にも出席していると、流れてきた生い立ちムービーが、私の結婚式と同じ曲が使われていました。この曲を気に入ってくれたのは、なんだか嬉しかったのですが、全く同じように生い立ちムービーに使われていることに、びっくりしました。同じ曲なので、自分の結婚式を懐かしく思うような、なんとも言えない気持ちてみることになりました。
33歳 女性のストーリー
専門学校の時の友達が当時大学へ通う同い年の彼氏と5年の交際を経て結婚しました。その2人の結婚式の二次会での話です。二次会の幹事は新郎の高校時代の友人と新婦の専門学校時代の友人6人が任されました。ほとんどの企画は新郎の友人が考えてくれました。二次会のゲームが進んでいく中で新郎側の友人が企画したゲームでの新婦への質問に「新郎が付き合った彼女の人数は?」という質問に新婦側の友人は微妙な表情になりました。付き合っていた時に彼氏の浮気話を聞いていたので、新郎の黒い過去を知っている友人たちは新婦に対し、いたたまれない感情になりました。新婦も顔が引きつりながら答えていました。男子校のノリの少しデリカシーのない質問だなと感じました。
31歳 女性のストーリー
私の大学時代の結婚式に招待した時の話です。
1年前に入籍は済んでいました。旦那様と奥様は大学時代の同じサークルで出会い付き合い始めました。旦那様は医者、奥様が私の友達で看護師をしています。医者といっても当時インターンでまわっている最中であり、旦那様は忙しく、奥様は新婚なのになかなか相手にしてもらえてなかったことに不満を持っていて、入籍半年後くらいから不倫をしていました。
その不倫が結婚式の前の日に、バレたのです。旦那様は離婚はせず相手側に慰謝料請求をしたそうですが、お互いの両親にも不倫のことがバレたようでもうすごい雰囲気の中の結婚式でした。新郎新婦に笑顔は全くなしでした。写真の時だけ作り笑顔をしており、式の間夫婦で話すところは見かけませんでした。そのことを式の直前にウェディングドレス姿を見に行った時に聞かされ、不倫していたことを知っていた私も結婚式には場違いの空気感を出してしまっていた気がします。
今度から不倫は全力で止めなければいけないと反省した結婚式でした。
44歳 男性のストーリー
もうかれこれ20年以上前の話。
知人の結婚式に出席したときのことである。序盤は特にこれと言うことなく、言葉は悪いが平凡な結婚式であった。新郎新婦の関係者の挨拶や思い出の映像が流れる感じである。
知人とは特に関係性は近からず遠からずの方だったので、余興なども自分は無関係で、無難な結婚式のなか、食事を楽しんでいる状況だった。
その後事は起こったのである。キャンドルサービスの時だった。
自分のテーブルではなかったのだが、知人の職場関係者のテーブルと思われるところでのこと。突然スーツを脱いだ男性が、ふんどし姿となっているのである。
何が始まるのかと思ったら、お尻にろうそくを挟めて、そのろうそくに新郎新婦が火を灯すという事態だ。悪ふざけにもほどがあるのではと感じ、一生で二度とない結婚式を体験することができたのである。
50歳 女性のストーリー
新婦の過去の結婚歴を新郎の両親に話していなかったことが披露宴の直前に発覚し、新郎側の親族が誰一人参列しないという、修羅場のような披露宴に出席したことがありました。
新婦は離婚歴があり、子供もいたのですが、元夫に親権を取られたそうで、一緒に生活をしていた訳ではなかったのですが、いずれは引き取りたいと思っていたようで、そのことも新郎のご両親は納得できなかったそうで…。
それで披露宴直前に揉めて、披露宴不参加という事態になったのですが、披露宴会場をキャンセルすることも出来ず、規模を小さくして、披露パーティーとして開催したようです。
参列した私たち友人も、披露パーティーになったことを知らなかったため、とても気まずい披露宴となりました。
37歳 女性のストーリー
高校時代の大親友の結婚式のお話です。結婚式場は丘の上にある、とてもとても眺めの良い結婚式場でした。最高に眺めのいい景色を有効に利用した結婚式プランがたくさんあったようで、いろいろとオプションをつけて参列者も楽しめる結婚式を計画してくれていました。ご本人たちはもちろん、私たちもとても楽しみにしていました。
さぁ!結婚式当日!!!朝から土砂降りの大雨!!!式場まで車で送ってもらいましたが、ワイパー最強にしても見にくいほどの雨。ついて、式場に入るほんの数秒でも大粒の雨でドレスが濡れるほど、、、そんな土砂降りのまま、結婚式スタート。式は教会の中だったので雨は気にならず。式後のフラワーシャワーはもちろん外で行えるわけなく、一応雨天時ようの透明の天井のついてる階段で。雨が酷すぎて、天井からは灰色の空に流れ出す滝の水模様、、、
気を取り直して、披露宴。もちろん、最高級の眺めの背景!!(晴天ならね!)はい。引き続く土砂降りで、目の前も見えないほど。もちろん景色なんて何にも見えません。
が、、、披露宴はきちんと盛り上がり終了。
とても綺麗な花嫁さん。美味しい料理。感動の披露宴。どれも、素晴らしかったけど、終始土砂降りがね、、、
天気だけはどうしようもできないけど、神様この天気はひどいな~っと思った結婚式でした。
ですが、大雨の結婚式は縁起がいいと言われてるそうですね♪
もちろん、この大親友は今でも仲良し幸せ夫婦です。
34歳 男性のストーリー
 これは先輩の結婚式の話だが、私が今まで出席した中でもちろん一番だし、これからもこれを超えるひどい結婚式はないと思っている。
 まず挨拶する人する人むちゃくちゃ長い。仲人挨拶1時間、乾杯の挨拶1時間と飲食できるまで2時間もかかった。喋っている本人達は上機嫌だが、聞いているこちら側はまるで葬式のように下を向いて沈黙し、疲弊した。
 その反動からか、飲み始めると段々と一部の人達が荒れだした。先輩は長い間柔道をやっていたので、その師範や先輩先生方を呼んでおり、その人たちが完全に酒に呑まれてしまったのだ。ケーキ入刀や紹介DVDなど本来盛り上がるはずのイベントが、その方たちの汚いヤジで台無しになってしまい、極め付けはお色直しをして登場した新婦さんの元へ近づき、少しではあったがドレスのスカートをめくり上げたのである。感動どころか凍り付いたひどい結婚式だった。

「「あなたの番です」のあらすじ」

37歳 女性のストーリー
原田知世、田中圭演じる新婚夫婦がマンションを購入し引越てきた。そして、その引越先での住人会に参加した際に、誰だって殺したい人の一人くらいいるよね?といった話から始まった交換殺人ゲーム。殺したい人の名前を一人ずつ書いてシャッフルし、引いた紙に書いてあった人を殺すというようにすれば、被害者との因果関係がわからないから完全犯罪ができるというものであった。しかし、そのゲームを発端にマンション内で次々と人が亡くなる事件が起こり始めた。そしてとうとう幸せいっぱいだった新婚夫婦の原田知世演じる菜奈も殺されてしまった。怒りと悲しみに溢れた田中圭演じる翔太は犯人探しに乗り出す。そして、犯人探しをする過程で、住人たちのさまざまな事情や人間模様が繰り広げられて行くなか、果たして本当の黒幕は誰なのか、そして目的はなんなのか、翔太はあばくことができるのでしょうか。
50歳 女性のストーリー
新婚の夫婦の手塚菜奈と翔太がキウンクエ蔵前に引っ越してきて、菜奈が代表で出た、最初の住民会で殺したい人の名前を書くことにしようと紙に書いて、箱に入れ、住民がその紙を引きました。そして、その日のうちに管理人の床島比呂志が屋上から落下して死にました。
その後、医師の山際祐太朗、ブータン料理屋の店主のタナカマサオ、502号室の赤池夫妻、俳優の袴田吉彦、102号室の児島佳世、201号室の浮田啓輔、菜奈の戸籍上の夫の細川朝男、銀行員の甲野貴文、菜奈、刑事の神谷将人が殺されました。山際は402号室の榎本早苗が殺したと自供しました。赤池、児島、浮田、甲野、神谷の犯行を動画で自白した202号室の黒島沙和のストーカーの内山達生も自分の部屋で自殺しました。
その後、黒島沙和が犯人としてAIの分析で89%と出ました。
30歳 女性のストーリー
引っ越ししたマンションの集まりの中で殺してほしい人の名前を紙に書いて引いた人が殺すという交換殺人ゲームをしたことで
本当に殺人事件が起こってしまうミステリードラマです。
ゲームで名前が書かれた人がどんどん殺されていき殺してほしいと書いた人にも殺すように脅迫があったりとほんとに毎回ひやひやしながら見ています。
また殺され方が今までにない殺害方法で夢にも出てくるぐらい頭の中に残ります。
交換殺人ゲームとは関係ない殺人事件が起こっていまい、田中圭さんが演じている翔太の妻が殺害され、最近引っ越ししてきたAIを研究している横浜流星さん演じる二階堂とともに犯人を捜しすドラマです。
また今までにないドラマの長さで今では18話。(今私が見ているところは)
犯人を見つけそうな人がどんどん殺されていくので犯人にいつたどり着くのかが楽しみです。
犯人っぽい人が殺されていくので本当に先が見えなくてわからないです。
怖くて怖くて夜には見れないので昼間に見るほどです。
次が気になって早く見たくなるドラマになっていると思います。
41歳 女性のストーリー
主人公の手塚菜奈と翔太が結婚することになり、隅田川近くのマンションに引越します。マンションの住民会に出席した菜奈、住民会では自分が殺したい人を書いた紙をBOXに入れて引くというゲームが行われた。誰が書いたかわからない、殺したい人の紙を引き、自分の殺したい人を他の住民が引くというゲームを元に関係者が次々に謎の死に見舞われる。誰が殺したのか?誰が自分の紙を引いたのか?私が引いた紙は誰なのか?そんな疑心暗鬼の中、次々と交換殺人が行われ、翔太と菜奈は巻き込まれていくことに。この交換殺人の謎を解き明かすべく、一部の住民たちと協力し、事件の真相を解き明かせるのか?また手塚夫婦の絆や住民たちの過去など、さらなる謎を解き明かせるのか?
30歳 男性のストーリー
新婚夫婦の将太と菜奈が引っ越して来たマンションで、交換殺人ゲームが行われる。住人達の謎の死が繰り返される中で、将太と菜奈が犯人特定の為に動き出したが、その最中で将太の妻である菜奈も誰かのてによって殺されてしまう。怒りに満ちた将太はその犯人に復習をする為に、犯人特定へ全力で取り組むのであった。
そして第2章反撃編が始まり、将太の隣部屋に二階堂が引っ越してくる。彼は将太からこのマンションで殺人が繰り返されていることを伝えられ、犯人特定への協力を求められるなか、自身が作成したAIを駆使した犯人探しを始める。そんな中で二階堂が黒島に恋心を抱く。
エピソードも終盤になりさまざまな情報が固まった中でAIが出した答えがまさかの・・・
果たして誰が犯人なのか、何故殺人が繰り返されるのか、最終回に向けて目が離せないストーリーとなっている。
25歳 女性のストーリー
新居生活を始めようと、とあるマンションに引っ越してきた翔太と奈菜。
これから新しい生活が始まろうとしていた矢先、住民会の参加すると「殺人ゲーム」という自分が殺したい人の名前を紙に書くゲームをした。内容は「殺したい人の名前を書く。しかし、殺したいひとが本当に殺せば怪しまれてすぐ捕まる。なのでその人とは全く関係ない人が殺せばいい。その代わり、殺してくれた後は次は自分が誰かを殺さなくてはならない。」というゲーム。
遊びのつもりが、その後、本当に殺人ゲームが始まった。管理人さんから始まり、次々と住人が死んでいく、、。自分が殺してほしい人が死んだら、「あなたの番です。」というメッセージが届く。繰り返される殺人ゲームでついに翔太の愛する妻、奈菜もその被害者に、、。
そして物語は第二章に。第二章は翔太の復習が始まる。一緒に事件解決を試みるのは空室に引っ越してきた大学院生の二階堂。彼と一緒に着々と真相に迫っていく。
21歳 男性のストーリー
秋元康が企画と原案を手掛けている2クール連続ドラマで。あるマンションの周囲で次々と亡くなって行く交換殺人ゲームがが行われている。新婚の菜奈(原田知世)と翔太(田中圭)はあるマンションに引越してきたことで運命が変わってしまいます。マンションの住民会に参加した菜奈は交換殺人ゲームということで殺したい人の名前を書く。住民の軽い冗談で始めたつもりがその夜に管理人の床島さんが屋上から飛び降り菜奈と翔太が目撃、警察は転落死と判断するが翔太たちが他殺じゃないかと思い推理を始める。それからも交換殺人ゲームが終わる事なく紙に書かれた人が次々と殺害されてしまう、翔太と大学生の二階堂の二人でAIを使って犯人を突き止めようとしています。
31歳 女性のストーリー
年の差カップルの主人公夫婦が越してきたマンション内で、交換殺人ゲームが巻き起こり、主人公夫婦が巻き込まれていく、サスペンスホラードラマです。はじめは交換殺人ゲームの紙に名前が書かれた人が亡くなっていきましたが、次第に、交換殺人ゲームに関係していない人が死んだり、別の殺人が起きていきます。ついに、主人公の妻である、手塚菜奈が何者かに殺されてしまい、夫の手塚翔太は絶望に陥るとともに、犯人に対して復讐を誓います。そんな中、翔太は、新しく引っ越してきたAIに詳しい大学生、二階堂とともに、犯人を推理していきます。しかし、マンションの住人はみな曲者ぞろいでなかなか犯人にたどり着きませんが、二階堂のAIや翔太の懸命な聞き込みや調査により、徐々に犯人に近づいていきます。
27歳 女性のストーリー
新婚の夫婦が引っ越してきたお洒落なマンション。そこの住民たちと仲良くなるために、マンションの住民たちが定期的に開いている住民会に出た時に出た話題、
「誰だって殺したい人はいるでしょ?」という言葉ををきっかけに交換殺人ゲームというのをやってみることにしました。
すると、主人公手塚翔太とその妻菜奈の引っ越し初日の夜、ベランダを見たらコードなどで縛られて吊り下げられていた管理人がいて、重力に耐えきれず落下し死亡します。
その日から起こるマンションの住民たちが次々と殺される交換殺人ゲーム。誰が誰の名前を書いた紙を引いたのか全ては判明されないまま、犯人もわからないまま、殺されていく人はどんどん増えていく。そして、その毒牙は主人公の愛する妻の菜奈にまで及び、殺されてしまうのです。
そこからさらに真剣に加速していく犯人探し、捜査。それでも殺人事件は続いていくばかりで毎回ドキドキハラハラする展開ばかりな作品のドラマです。
20歳 女性のストーリー
手塚翔太、菜奈夫妻は結婚し、あるマンションに引越してきた。菜奈は住民会にでると、そこで遊び半分の交換殺人ゲームに参加することになった。住民は各自殺したい人を書き、住民で回す。そこから交換殺人ゲームが始まってしまう。管理人が転落死することからはじまり、住民の周りの人が次々と殺されていく。住民会に参加していなかった翔太も交換殺人ゲームの存在を知り、交換殺人ゲームを進めている黒幕を探していくことが1クール目の主な話であった。1クール目で1番の衝撃は最終回で菜奈が殺されてしまうことであるだろう。2クール目では翔太主体となり菜奈を殺した交換殺人ゲームの黒幕を探すことが主となる。バディとして横浜流星を迎えAIを使いながら犯人を模索していく。たくさんの伏線があり、住人の中に怪しい人物は複数いる。SNSでも犯人の考察が盛り上がりを見せており、回を追うごとに白熱している。残り2話となったいま、誰が犯人なのか、これまでの伏線を回収できるのか注目の作品である。
27歳 女性のストーリー
新婚夫婦がとあるマンションに引っ越しをしてくる。引っ越しをしてきたその日に、住民会というものに誘われ、新婚夫婦の妻である奈々が参加する。個性的な住民が揃う中 住民会が進むが、ある話をきっかけに、殺したい人を紙に書いてその神を交換し合おうということになった。人それぞれ人の名前を書いたが、投票をするきっかけとなった交換殺人の話のように、書かれた名前の人物が殺されていくという事件が次々と起き始めた。その犯人を突き止めるべく、新婚夫婦の夫である翔太と、妻、奈々が犯人探しを開始する。様々な手がかりを元に少しずつ進展があったが、ついに妻、奈々が殺害され、翔太は復讐を決意する。その復讐劇にどうやんというプログラマーのような人も参加し、AIを使いながら犯人探しを続行している。
29歳 女性のストーリー
結婚して新しくマンションに引っ越してきた夫婦が、マンション内で行われる交換殺人ゲームに巻き込まれていきます。どんどん紙に書かれた人が死んでいく中で、住人たちは疑心暗鬼になっていきます。自分が既婚者でまだ離婚できていないという現実に後ろめたさがある妻は、夫に交換殺人ゲームのことを秘密にしていました。しかしついに話し合い一緒に犯人を見つけようとすることに。そんな中、妻が何者かに殺されてしまい住人が怪しいと思う夫はなんとしても復讐しようと犯人を探し続けます。新たに引っ越してきた人と協力してAIに犯人を当ててもらおうと様々なデータを入力していきますがなかなか見つかりません。少しずつ事件の真相がわかっていきますが、新たな謎も増えてきます。
25歳 女性のストーリー
久住が階段から突き落とされ、田宮は黒島の元彼の波止を殺したと自主をし、そしてAIによって犯人と疑われた黒島。そんな展開から始まった第19話。翔太はすっかりAIを信じ、黒島を疑います。ですが彼氏の二階堂はどうしても信じたくなく…、二階堂は小野が塩化カリウムに詳しい、殺された手塚奈々のことを毛嫌いしてた、内山の動画が小野の部屋で撮影されていた可能性があること、そして南の娘が殺された高知に小さい頃高知に住んでいたという事実から小野を犯人と疑います。
そして不可解なことが1つ。完成したはずのパズルうちの1ピースが不自然で、そこを外すと奈々の字で占いの紙が…。奈々が気づいたのはラッキデー殺人。これがまた黒島を疑うきっかけになってしまいます。そんな翔太に嫌になったのか、犯人をおびき寄せるためにホテルに翔太と2人きりになり翔太の首を締め襲います。翔太は果たして助かるのか…
27歳 女性のストーリー
手塚菜奈と手塚翔太は、15歳年の離れた新婚さん。幸せいっぱいの二人は、新居のマンションの引っ越し作業に張り切っていた。
仲良しそうな家族、親切なカップル、幸せそうなお年寄りなどすれ違うマンションの人たちはいい人そうで買ってよかったと思う二人。
作業が一段落すると管理人の床島という男が現れて隅々までチェックされる。その床島の態度に菜奈は不信感を募らせつつ住民達に挨拶へ。
301号室の尾野幹葉から、この後月に1回の住民会があると聞かされて、そこで2人の事を紹介すると言われる。
住民会への出席は各部屋一人ずつと教えてもらい、ジャンケンで負けた菜奈が出席することになる。
住民会では新入りの菜奈に興味津々の住民達。住民会の議題は、ゴミ置き場の清掃係を決めること。
誰も自分から引き受けようとはせず、結局投票で決めることになり、そんな流れから「人間誰しも、殺したい人がいる」ということに。
住民達は戸惑いながらも自分が消えてほしいと思った人について話し始め、「交換殺人ゲーム」という思わぬ方向へ。
ゲームならばと皆軽い気持ちで余っていた投票用紙に殺したい人の名前を書き始め、くじのように引く交換殺人ゲームが始まった。
こうして住民会をきっかけに恐ろしい殺人ゲームが幕を開ける。
32歳 女性のストーリー
2クールに渡って放送されている、原田知世と田中圭主演のドラマです。
前半は原田知世演じる手塚奈々がメインです。引っ越してすぐの住民会で交換殺人ゲームの話題が上がり彼女が巻き込まれてしまいます。そしてその夜最初の犠牲者である管理人(竹中直人)の死を皮切りに次々と事件が起こります。奈々ちゃんがメインとなって事件の真相を暴こうと動きますが、前半の最後にこの奈々ちゃんが何者かに殺害されてしまいます。ここからは翔太くんがメインとなってドラマが構成されています。交換殺人ゲームをきっかけに、誰が奈々ちゃんを殺したのか、それを調べるために躍起になります。交換殺人ゲームから始まり、それとは一見無関係な人たちも混ざり合って引き起こる思わぬ事件、とにかく毎週毎週驚きの連発のドラマです。
39歳 女性のストーリー
墨田区のとあるマンション「キウンクエ蔵前」の住人同士集まった際、冗談半分で「交換殺人ゲーム」が行われた後、なんと本当に次々と殺人事件が起こってしまいます。そして誰が誰をいつなぜどのように殺したのかの真相をミステリーマニアである主人公の夫婦が追うサスペンスドラマです。
そして物語の中盤で主人公の妻原田知世さんが演じる菜奈も真相にたどり着こうとしたその時、何者かに殺されてしまうという衝撃の展開!
そして現在は田中圭演じる夫翔太は新たに加わった住人達と共に真相、何より愛する妻を殺した犯人を探す「復讐編」の放送終盤!
毎週見終わった後に恐怖と深まるばかりの謎で続きがたまらなく気になります。毎週日曜日が待ちきれません。
31歳 女性のストーリー
マンションの住民会でたまたま話題に出た交換殺人ゲーム。
殺したい人の名前を紙に書いてそれぞれが紙をひき、書いてあった人を殺す。
冗談のようにも思われた話題でしたが、その後管理人がマンションから落ちて死んでしまう。
マンションの掲示板には「管理人」と書かれた紙が・・・
その後マンションで次々と殺人が起きる。
その謎を解こうと奈菜と翔太は動くが、翔太が入院中奈菜までも殺されてしまう。
翔太は復讐を誓い、色々な人を巻き込み犯人探しを始める。
協力を頼んだのは新しくマンションに引っ越してきた大学生の二階堂だ。
二階堂はAIの研究をしていて、翔太はそのAIを利用して真犯人を見つけようとしています。
少しずつ色々なことがわかってくる中、AIが出した犯人は二階堂の恋人・黒島だった。
黒島を守ろうとする二階堂と、黒島を犯人と疑っている翔太は次第にすれ違っていく。
翔太と二階堂はついてに、犯人をおびき寄せるため、あやしい人物に手紙を出すことにしました。
約束の時間、その場に現れたのは…
301号室の尾野だった。
尾野に気を取られている翔太を後ろから襲ってきたのはなんと二階堂でした。
首を絞められて気絶してしまう翔太。
二階堂は翔太を裏切ったのだろうか、本当の目的は?
27歳 男性のストーリー
ある日、マンションに引っ越してきた新婚夫婦(手塚菜奈と手塚翔太)はマンションの住民から毎月行われる住民会に出席し、その場の雑談で「殺したい人の一人くらいいるんじゃない?」と話し始める。そういった殺人が起きれば動機のある人間が真っ先に疑われるよね、といったことを菜奈が言い、なら動機のある人間同士が代わりにそれぞれの殺したい人間を殺す「交換殺人」をしたらいいんじゃないかと遊び半分で住民のみんなで小さな紙に殺してほしい人間を書いてくじ引きのように引いた。
その後家に帰るとき自分のものではない鍵を見つけ、将太が管理人の所有している者だと気づき連絡をして、着信音がベランダから流れたため外を見たとき管理人が逆さにつるされていた。そのまま転落して管理人が死んでしまう。というのがあなたの番ですのあらすじです。
41歳 女性のストーリー
マンション内での住民同士の名前を書いていく交換殺人ゲームをきっかけに連続殺人が発生していくドラマ。主人公の周辺住人が次々と殺されていく中、犯人を突き止めるために主人公は奔走し推理を進めていく。それぞれがそれぞれに疑いをかけ、住人それぞれの性格や、生活・仕事・過去など、個々のパーソナルな部分に踏み込んでいき推理を巡らすが、犯人が判らないまま殺人が進んでいくスリリングな展開とストーリー。そんな中、遂に主人公の奥様ナナちゃんも交換殺人の被害者として自宅で殺されてしまう。怒りと悲しみに打ちひしがれた主人公は、同じマンションに住む大学院生と組んでAIの技術を併せて犯人像に迫っていく。犯人を追っていく中で、住人を殺した犯人は複数おり、次々と浮かび上がってくるが殺されてしまう。しかし、主人公の奥様ナナちゃんを殺した真犯人は判らないまま。犯人として絞り込まれていく住人と、主人公との攻防を追っている。
40歳 女性のストーリー
ミステリーが大好きな新婚夫婦、菜奈と翔太がとあるマンションに引っ越してきた所からこの物語は始まる。
引っ越して間もない菜奈がマンションの住民会に参加した時、住民会の参加者と軽い気持ちで始めたゲームをきっかけにそのマンションで次々に殺人事件が起こる。そのゲームは、匿名で自分が殺したい相手の名前を紙に書き、それぞれが提出したその紙を住民会参加者が順番に引いていくというものだった。
菜奈は、次々に起こる不可解な殺人事件が、住民会で行ったゲームに関係しているのではと考え、その謎を暴こうと奮闘するが、その最中に謎の死を遂げる。
妻を殺された夫の翔太は真犯人を突き止めるべく、新しくマンションに引っ越してきた二階堂に協力を頼み、謎を解いていこうとするが、事件は難航していくばかりだった。
19歳 女性のストーリー
幸せいっぱいの新婚夫婦が引っ越したその日、住民会で「殺したい人を交換する」ゲームが行われた。冗談半分で書いた「殺したい人」が、次々に謎の死を遂げる。誰が誰の「殺したい人」の紙を引き、書いたのか。いったい誰が、ゲーム開始のホイッスルを鳴らしたのか。推理をしていく夫婦に突然訪れた、最悪な事態。妻の菜々が何者かに「殺された」。大好きだった妻にもう「会えない」悲しみを抱えながら、旦那の翔太は復讐心をバネにより一層犯人探しに尽力していく。そしてAIに長けた大学院生の二階堂や売れないお笑い芸人をやっている南など新住民を交えて始まった第二章。その二人の登場により、より一層加速していく捜査にて判明した犯人はなんと翔太や二階堂のそばにいつもいた大学生の黒島の同級生だった!誰が味方で誰が敵か。最終回まで見逃せない!!
33歳 女性のストーリー
マンションに引っ越してきた夫婦(カップル)が住民と何気なくやってみたゲームがきっかけで殺人事件が始まる。登場人物はマンションの住人をはじめ、その関係者に及び、通常のドラマは1クールで終了するところ、2クールにわたって話が続いていく。ドラマの前半では主にマンションの中に住む人たちがゲームにそって殺人を犯していくように話が進み、マンションの住人であったある家族が抱えていた秘密が露呈、その家族が事件の犯人のように話が導かれていったが、彼らが逮捕された後も殺人がとまらない。2クール目に話が続いていき、新たに新しい住人が加えたうえで、警察官も巻き込みながら次第に被害がマンションの住人以外の人たちにも及んでいく。一見怪しさがなかった登場人物たちのどんでん返しが待っている。
27歳 女性のストーリー
主人公夫婦が新しく越してきたマンションでは住民会が開かれる恒例行事があり、ある日、住民たちでゲームをやることになりました。そのゲームは交換殺人ゲーム。紙に殺したい人の名前を書いてみんなで交換をするという、もちろん遊び半分で始めたこのゲームをきっかけに住民皆が巻き込まれる本当の交換殺人が始まります。犯人は何人か存在し、黒幕ももちろん同一犯も沢山いる中で
大切な人をなくす人もいれば、本当に嫌いな人を亡くす人もいる。このドラマで、色んな人がどんな気持ちで亡くなっていくのか毎度毎度起きる殺人事件にハラハラドキドキ止まらない史上最強のスリルサスペンスドラマです。本当の黒幕は誰なのか、果たして犯人は何が伝えたいのか。毎週放送後の考察Twitterでかなり話題を呼んでおります。
29歳 女性のストーリー
主人公夫婦が引っ越してきたマンションの住民会で始まった交換殺人ゲーム。知らない人が関わりのない人を殺すと、犯人と分かりにくいということからこのゲームが始まりました。ドラマの毎週、死にますというキャッチコピーにあるように予想の斜め上をいく展開に目が離せません。特に衝撃だったのでは、ミステリードラマではあり得ない設定の主人公が殺されてしまうと言う部分です。反撃編からは主人公とバディを組んでいたはずの住人が、前回の放送ラストではまさかの裏切り行為に最終回を残して事件の全貌が見えてくる頃だと思っていたので、まさかの結末でした。裏切りなのか何か考えがあってのことなのかは最終回を見ていないと分かりませんが、細かな伏線回収もされてきたので、残る最終話が楽しみです。
33歳 女性のストーリー
主人公の手塚翔太、菜奈という年の差新婚夫婦がマンションを買い、その住民会で殺したい人の名前を書いてくじ引きをするという交換殺人ゲームが行われ、名前を書かれた管理人さんが死んでしまったことから、どんどん人が殺されていきます。
殺してもらったら、名前を書いた人が自分の引いた紙に書いてある人を殺さなければならないというルールがあり、次に殺す役目の人を脅迫する人もいることでどんどん交換殺人が進んでいきます。
しかし、交換殺人とは関係のない殺人も同時に起こりはじめ、ついには主人公の手塚菜奈が殺されてしまったことで、夫の翔太が本格的に犯人探しをやりはじめる第2章反撃編へと突入していきます。
反撃編からのキャラクターも参加し、それまでの謎がどんどん解き明かされていく本格派サスペンスです。

「夫婦関係を続けていくのが不安になった話」

42歳 男性のストーリー
世のご夫婦あるある。
恋は盲目と言いますが、付き合っている時にはわからず結婚してから気づいた事多々あると思います。
・金銭感覚・食事の味付け・嫁姑問題
・教育方針・時間感覚・笑いのツボ 等
挙げだしたらキリがありません。
特に私が不安になったのが金銭感覚です。
相手は自営業が当たり、比較的裕福な家庭で育ちました。話を聞くと全てキャッシュにて決済をし、欲しいと言ったら親御さんが殆ど買ってくれた様です。一方自分は幼少時より貧しく、夕飯のおかずが卵焼きのみという日も多々あり、欲しいものは友人に見せてもらうか、借りるという状況でした。そんな二人が一緒になると毎回何かしらの買い物で喧嘩になる事が想像出来るでしょう。
35歳 女性のストーリー
私達の結婚式に招待した夫婦二組が、不倫しました。夫同士は友人であったにもかかわらず、相手の妻に手をだしたのです。結局子供ができ、二組の夫婦は離婚・不倫カップルは再婚。裏切られた男性(夫の親友でもあります)は、現在はシングルファザーで子育てを行っています。
また、別の夫婦は、妻が事故に巻き込まれ亡くなりました。
私達夫婦の結婚式に招いた友人たちのうち、3組の夫婦が破滅してしまったのです。
事故はまだ、友人が亡くなったことに対するショックこそあれど立ち直れます。しかし、招待された結婚式で出会ったことをきっかけに不倫に及んだ二人のことは、いくらなんでも許せません。
私達夫婦も、いずれ遠くないうちに破綻するのではないでしょうか。時々そう不安になるのです。
46歳 女性のストーリー
結婚前は「この人ともっと一緒の時間を過ごしたい」「もっと会いたい」と離れている間何度も感じていたのに結婚して

この人でよかったのかな?
大丈夫? この人・・・
え? こんなことするんだ・・・ と感じる場面が多々 山あり谷ありで17年になりました

一番夫婦関係を続けていくのが不安だったのは金銭感覚と自分の身内が大事オーラ

金銭感覚は、夫は長男のため自分を大きく見せようと太っ腹な真似をしてたかが「母の日」に7万の出費です
兄弟が何人もいるのになぜウチだけが負担なの?と親の介護になったらどうするんだと大変不安になりました

自分の身内が大事オーラもしんどいです
妻一人が主役とは私も決して思いません、が、バランスって大事だと思います

私にも妹がいますが、夫が不満を言ってきたら決して言い返しません。妹を庇いません。
夫の言う通りだから、庇う理由がないのです
でも、夫はとにかく家族を庇う、私には面白くありません

経済的自立をして離婚を考えたことは今まで3回くらいあります
これからこの回数は増えるのか、何回まで増えるのか… 

念のために「準備」は必要かと思っています


27歳 女性のストーリー
出産の時に、お姑さんが産後のお世話は私がやるわと言ってきて下さいました。
ただ、お姑さんは普段から私や私の父母には意地悪く接する事が多くやんわりとお断りを入れたのですがそれが尺に触ったようで
「なんであんな奴と結婚したのよ?」
「あの子は何を考えてるの?恐怖だ」
と言う事を夫に仰っていたそうです。

私は、お姑さんから私や家族の悪口や金品を強請られたりしても
自分の親の事を悪く言われたくないだろう。と思い言わ無いように一人で我慢に我慢を重ねているのにこの人はそういう事は考えない方なのか?

お姑さんがそういう人なのはもう良いとしてその事をそのまま伝えてしまう夫は配慮がたり無いのでは?
この夫とやっていけるだけの器が私にあるのか?
と少し不安になりました。

「女同士って面倒くさいと思った話」

41歳 女性のストーリー
仕事先での話です。

毎日毎日、同じ話。毎日行動も同じ話。それが毎日毎日愚痴となって、ずっと聞かされていたんです。

あの、「あなたにも、わかるでしょ?」のフレーズは、今もじわっと、感情を思い出します。

ある日、その日は忙しくて、女性的なイライラもあり、疲れているときに、またその時間がやってきました。さすがに、外に言いふらしてないで自分でなんとかならないものかと、真剣に考えてしまったのが、悪かったんです。

 「その話、昨日も同じだったけど、直接お願いするか、断るかしてみたことはありますか?」前置きの言葉をついつい言ってしまい、相手を怒らせてしまったのです。

 「家で愚痴も言えないから、ここで聞いてくれてもいいでしょ。」

このあと、お互いに居心地すごく悪くなるんですよね。

そのリスク考えたら、愚痴らず慣れろですかね。

女同士ならではの、なんてことない関係ですよね。
23歳 女性のストーリー
私を含めて三人でよく遊んでいるグループが仲良かった時代に起こった事です。
三人とも共通の友人の一人の女の子がいたのですが、グループの一人がその女の子と金銭面で揉めた事がありました。
グループの中の子がお金を返さずに揉めていたようで貸していた子と私ともう一人でよく集まり、どうしたらその子からお金を返してくれるかよく相談してました。
ある日に久しぶりに三人で会う事になったので直接言おうと私はもう一人の子と決めました。
帰りの電車の中で、私がお金の件を伝えたところ交わされてしまい、もう一人の子はずっと黙っていたのでなにも解決しないまま終わってました。
後日、何も言わなかった子とお金を返さなかった子は二人でよく会っていて、私のこととお金を借りた友人のことを良く思っておらず言われていたようでした。
お金を借り友人の話を聞いて親身なフリをして、話のネタを得ていたようでした。
それを知ったときは怒りなどよも、そんな面倒なことしてまで話のネタをかき集めないといけなのか、と哀れみさえも感じました。
人の悪口などが女の人は好むと言いますが、ここまで手間暇をかけるのを面倒くさいなと感じました。
36歳 女性のストーリー
20代前半のころ、女友達を数人誘って合コンへ。相手の男性は前から交流のあった3つほど上の方々。女友達も相手の男性方も合コンは何度も経験済みで、楽しい時間を過ごせればいいなぁーぐらいでいました。女友達の1人は次の日仕事だから、一次会で帰ろうかなぁーなんてゆっていて、私もご飯食べて帰ろうかなーなんて思っていました。とりあえず集合して居酒屋でワイワイしながらご飯を食べてお酒も入り、なごやかムード。楽しい雰囲気で食事を終え、さぁ次どうする?と男性方から聞かれ女性陣はどっちでもいーよとゆうので二次会のカラオケへ。カラオケへ入店し、しばらくすると女友達の1人があまり乗り気じゃない感じ。それに気づいた男性も気を使いはじめました。でも1人の男性がその子に向かって「そんな顔して楽しくないの?」とゆってたらしく、急にその女友達が立ち上がり部屋の外へ。残された私たちは何?何?みたいな。私が幹事だったのですぐに女友達を追いかけ、どうしたのか聞くと。「あたし明日仕事あるってゆったよね?」とお怒りモード!そのままキレて帰って行きました。その後の空気は悪く、残された人も解散。その怒って帰った子に何度電話しても繋がらず。数日後、他の女友達こら聞いた話だと、幹事だった私に、そろそろ帰るかとか、時間が大丈夫か聞いて欲しかったらしく。私の気遣いが足りなかったらしい。帰りたいなら自分から言ってくれてもよかったのになぁ〜なんて。今でもその子とは直接連絡を取り合うことはありません。女同士ってめんどくさいって思った出来事でした。
25歳 女性のストーリー
私は高校時代、仲の良かった友人とその友人の幼なじみの恋のキューピッドになりました。友人は私と同じ部活で、その友人の幼なじみは私と同じクラスでした。二人は幼なじみ同士でしたがクラスが違うということもあってなかなか一緒に話したりするきっかけがなかったようです。共通の友人という立ち位置だった私を介して話をする時間が増え、結果的に二人は付き合い始めました。
私は友人と友人の彼氏という風にしかみていなかったのですが、ある時女子グループで話していると友人が彼氏が私の話をすることに対して愚痴を言い始めたのです。異性としてみていなかった事と友人とは仲良くやっていたつもりでいた事もあり、グループ内みんなの前で言い出したことに中々衝撃でした。
実際に私が友人の彼氏にメール等のやりとりをしていたならまだ分かりますが、何もせずとも牽制してくる友人に恋が絡むと女って面倒くさいと思わざるおえない出来事になってしまいました。
結局二人は別れ、別れたからというわけではありませんが友人とは今は以前同様仲良くしています。
37歳 女性のストーリー
自分も女ですが、本当に女って面倒くさいなと思った出来事があります。

以前アルバイトをしいていたコンビニエンスストアは、オフィスビルの一階に入っており、かなりの客数で、スタッフの人数もかなり多い店舗でした。

女性スタッフが多く、学生から60代のおばさままで、様々な方が働いていました。

そのおばさま達が、本当に面倒くさい!!!!!!
口を開けば、新人女子スタッフの悪口。
粗探しがすごいんです。

そんな時、そのおばさま達から突然飲み会に誘われました。

行きたくなかったのですが、断ると私も悪口を言われてしまうのではないかと思い、参加を決意しました。

乾杯をした直後「端から順番に、嫌いなスタッフ言っていこう」を言い出したのは、勤務歴が一番長いお局。
悪口大会開幕です。

本当に女同士って面倒くさいなと思った瞬間でした。
その飲み会がきっかけで、私はその店を辞めました。

28歳 女性のストーリー
物心がついた頃から、女同士って面倒くさいなと感じていました。男同士の友情とは全く別物ですよね。彼氏ができたり、結婚したり、子供を産んだり、環境が変わるごとに、幸せになるごとに面倒くさいことになるんですよね。
私の場合は、職場に寿退社しますと報告してからでした。それまで、彼氏がいる事も同じ部署の人たちにしか話さずにいたので、上司の方々にはとても驚かれて、それでも男性の方からは「おめでとう!」と祝福してもらったのですが。女性の先輩方(未婚)からは冷たい態度をとられるようになったのです。「あなたはこの話は聞かなくていいわ、近々辞めるんだから」とか。
結婚の報告をするまでは休日もお茶に誘ってもらったり、飲みに連れて行ってもらったりしていたのに。あからさますぎて呆れました。
32歳 女性のストーリー
女性は感情的で嫉妬しやすいように感じます。
ある先輩社員が、退社が決まった派遣社員の引継をするため、退社する派遣社員と打ち合わせをしていました。部署全体や個人の業務量を把握するため、派遣社員が請け負っていた仕事を引き継ぐ女性担当者数名を、順番に打ち合わせに参加させて、今後の引継ぎの流れや割り振りを検討していました。必要な情報の聞き取りもある程度終わり、その日は一旦打ち合わせが終わったのですが、終業時間間際になり、ある1人の女性社員が、自分はその打ち合わせに参加させてもらえていない、とかなりの勢いで怒り出し、事務所が一時凍りつくことがありました。
特に呼ぶ必要がなかったため今日は打ち合わせに呼ばなかった、と先輩社員は説明しましたが、その女性社員は気がおさまらなかったようで、翌日上司にまで報告していました。
女性同士の揉め事は、感情的で見ていられませんでした。

「結婚を後悔した瞬間」

28歳 男性のストーリー
私は、今の妻と結婚する前、東証1部上場の大手企業にて働いておりました。

結婚するとき、妻から「一緒にしっかりと、共働きで稼いでいこう。お互いに好きなことを仕事にしていこう」という話を結婚前にしており、結婚と同時にそれまで勤めていた会社を辞め、自分の興味のあるベンチャー企業に転職しました。給料は前職の約半分です。

その直後、妻がメンタルの病気を発症し、会社を長期で休むことになりました。結局退職することになり、メンタル不調が寛解し、新しい仕事に就いても、すぐ嫌に転職する、という流れを現在まで繰り返しております。

これではとても生活していくことができないということで、やむを得ず副業をはじめて稼いでおりますが、こんなことならあのとき結婚せずに会社を続けていればよかったと後悔が残っております。
49歳 女性のストーリー
結婚して、しばらくは気づきませんでした。人は結婚すれば自然と子どもができるもんだと思っていました。1年経ち2年経ち、一向に妊娠しませんでした。病院に行ってみても、これといった原因は見つかりませんでした。私は仕事を休んだり早退したりしながら産婦人科に通い、排卵誘発剤の注射やら卵管の通水検査やら、一生懸命通ったんですけどね。注射も通水検査の痛みは強くて、帰りの電車に揺られるのも辛かったです。毎回つらいので「行き帰りとは言わない、帰りだけでも迎えに来てもらえないだろうか」と夫に相談したところ「お前が勝手に妊娠しないだけなのになんで俺が時間さいてそんなことをそなくてはならないのか」と言われ一気に冷めて、結婚したのを激しく後悔しました。激しく後悔したのに、そのあとさらに10年以上耐えてしまいましたけどね。おかげですっかりメンタルを病んでしまいました。
他にも結婚前に「それは絶対にない」と言ったにもかかわらず何年もたってから「俺の親と同居するのは結婚の条件だったはずだ!!」と言い張ってみたりとか、まあ、要するに、モラ夫ですよね。モラ夫って結婚してしばらく一緒に生活してみないと正体を見せないので厄介です。
モラ夫との結婚は不幸な事故だったと思って今後の人生を頑張ろうと思ってます。
46歳 女性のストーリー
付き合っているときはほとんど喧嘩したことはありませんでした、結婚後も数年間意見の違いはあるものの喧嘩にはいたりませんでした
夫の母は「嫁姑」で大変苦労したようで、夫には結婚したら奥さんの味方をするようにと言われていたと聞いて心強い人と結婚してよかった、良い義母に恵まれたと思っていました

義母は義理の立場である私のことをよく気遣ってくれて、直接メールでできるほど良い関係が気づけているのですが、夫が年数を重ねることに若干「俺様」になり自分の兄弟姉妹を優先するようになりました
嫁姑の苦労はありませんでしたが、義理の兄弟姉妹で頭を痛めることが多く「この人と結婚したのは間違いだったかも」と感じるようになりました
私も夫から自分の両親や妹に不満を言われることがありますが私は言い返さずジッと耐えているのに・・・

「女って本当に恐いと思った瞬間」

21歳 男性のストーリー
学生の時ですが私に初めて彼女ができてとてもうれしく毎日電話するほど仲も良かったです。学校内ではクラスが違った為会う機会はそれほど多くはありませんでしたが登下校などはよけ一緒にいったりしてました。

クラスでは男女の列が交互になっている並びで私は隣の席の女子とも仲良く給食の時や2人1組の授業などではよくおしゃべりをしていました。

そんな時昼休みに部活の友達とあそんで自分のクラスに帰るとそこに隣の席の女の子とその子と仲のいい子が泣いていてどうしたものかと近寄ると不意にその仲のいい子が私に向かって「○○君のせいだからね!」と言われ隣の席の女の子からは「もう○○君とは話さない」とまで言われました。

何があったのか訳が分からず色んな人を尋ねて周りその状況を知っている人を見つけ出して一部始終を聞くことができました。

そこで聞いたところ彼女が私と仲がいい子いると聞いて私がいない間に友達数人を連れて隣の席の子に「もう○○君と仲良くしないで」と言いに行ってたそうで追わててその夜彼女に電話してそのことを聞き出すと「私は悪くない!○○と仲良くしてたあの子が悪い!」と言われ女って怖いと感じた瞬間でした。
33歳 女性のストーリー
以前勤めていた会社のお局様達です。
同じ部署の女性従業員は皆揃ってお昼ご飯を食べるのですが、気に入らない派遣社員とかがいると、本人を目の前にしてラインで悪口のやり取りをしていたみたいです。挙げ句の果てには、課長に気に入られているのをいい事に、気に入らない派遣社員がいると、その人の悪口をあることないこと(基本的には嘘ばっかりですが)吹き込んで首を切らせていました。
気に入らない派遣社員と言っても、気に入らない理由は、だいたいが男性社員にかわいがられているとか、取引先から頂いたお菓子等を自分達優先で配ってもらえなかったとか、そんな下らない理由ばかりでした。媚びを売るのは上手かったので、本当にやりたい放題でした。
44歳 男性のストーリー
この話は高校時代のこと。高校時代と言っても、入学して間もないときの話。
自分は住んでいる地域外のいわゆる進学校へ入学した。通学できない距離ではなかったのだが、両親のはからいで下宿をすることになった。その下宿で、新入学時期だったので下宿人の顔合わせを目的として、バイキングで食事会を行うことになった。
そこで専門学校生の同い年の子と知り合い、その時を境に、その子からの猛アタックが始まる。毎日のように部屋へ訪ねてきて、付き合ってくれと言ってくるのだ。
自分は好きな人がいるので、無理だと毎回断るのだが、そのたびに鋭利なもので手首を切るような仕草をして、「死んでやる」と言い、去っていくのだ。これで自分の精神は崩壊して、ノイローゼ状態へ。それからは居留守をすることになった。当然彼女は死んではいない。
32歳 女性のストーリー
仲良かった友達の結婚式に行った時
その友達の結婚式の席で
仲良かった友達と同じ席に座った。
そして、結婚をする仲よかった子の話しを皆んなで話をした時
結婚相手含め同時に4人と交際しているのが発覚した。
彼女にとって、
一番彼女に条件が良い男で、
相手の収入の高く、
今後も出世に伸び代がある玉の輿の相手を選んで結婚したこと。
また、結婚相手に買ってもらっていた婚約指輪が、とんでもない金額になる日本には売ってない指輪で、
ダイヤがすごい大きいく見せびらかすようにつけていたこと。
その結婚相手以外にも、結構貢いでもらっていた話を聞き怖い女だなと思った。
あまり感情的には好きとか嫌いとかない相手と、挙式して結婚相手とは別に好きな人と続いている話を聞いた。
まだ結婚してからも、結婚する相手とは別の好きな彼氏がいると聞かされた時。、
32歳 女性のストーリー
仲の良いご近所のママさんから聞いた話なのですが、
そのママさんのお家のすぐお隣の奥さんが
特に付き合いが無いのにも関わらず
あることないこと、ママさんの悪口などを
ご近所の奥さんに話していて
知らない間にその噂話が広がっていたという愚痴をこぼしていました。
その話を信じた奥さんたちが、ママさんのことを無視したりして、
ママさんは精神的に酷く疲れてしまい、
手の震えが出るほどにストレスを感じていたそうです。
後々、他のママさんのお友達の協力もあり、
奥さんたちの無視したりする嫌がらせは改善したようですが、
噂話大好きな女性って本当に怖いなぁと思いました。
女性はいくつになっても、仲良い同士グループになって
人の悪口をいうものなのだなぁ、
私はそういう人たちに関わりたくないと心底思いました。

「家族に一番感謝したこと」

46歳 女性のストーリー
産まれたときからいる家族ではなく、結婚して築いた家族に感謝しています
家族といっても夫だけですが、わたしの内面を変えて支えてくれる人です

親や妹とは心からの信頼関係はありませんでした
ただ書類上一緒に生活した関係のような気がします

でも夫とは心から笑い、一緒に考えてくれて、支えて共に歩んでくれる
私は何て素晴らしい家族をもてたんだろうと感謝の気持ち以外ありません
私が楽しむことを快く許して、喜んでくれる

20代後半になって結婚をあせったこともありましたが、焦らずに待ってよかった
もし別の人と結婚していたら私の幸せは大きく狂っていたかもしれない
それぐらい夫との生活が充実しています

子供はいないけど、2人で支え合って年を重ねたいと思います
33歳 女性のストーリー
高校から進学する際、私はまだ就職も不安定な資格の職業に就きたいと両親を説得して、地元から離れた専門学校への進学を希望した。進学先は都会であるため、心配した両親は学費の他に寮での生活費なども援助してくれ、またその専門学校経由で2か月間の留学費用も援助してくれた。今考えると、2年間の学費、交通費、寮費、留学費用、そしてその時期は成人式、卒業式などでの晴れ着の費用などすべて援助してもらったと考えると物図後医学になったと思う。それを反対せず「今したい経験はしっかりさせてやりたいから」と送り出してくれた家族、両親には本当に感謝している。その後は無事就職もすることができたが、給料は思ったように多くなく家族への仕送りも微々たるものであったので、本当にあの学生時代の家族からの援助は感謝しなければならないなと思う。
46歳 女性のストーリー
家族といっても、私が産声を上げて育った家族ではありません
結婚して一緒にいる家族です

血のつながった続柄なのにそっけない関係でした、絆や家族への想いは希薄です
自分は親から考えを押し付けられて育ち、あまり理解されなかったので夫との交際期間中に自分が育ってきた環境の違いを痛感しました

夫は人の気持ちをとても理解できる人
私は自分の主張が下手な人

そんな不器用な私を少しずつ導いてくれた夫に感謝です
人として尊敬しています
病気で入院したときも気持ちに寄り添ってくれて励ましの言葉、一緒に頑張ろうとトライしてくれるその行動力

この人と一緒になってよかった、このまま一生を添い遂げたいという気持ちが結婚して15年以上たちましたが強くなっています

子供に恵まれなかったけど良き伴侶、わたしたちは一番幸せな家族かもしれません
39歳 女性のストーリー
普段ならいて当たり前、空気のような存在なのが家族だと思っていました。そんなに仲がいいわけでもなく、喧嘩もするような関係だったのあり、ありがたみを感じることはさほどありませんでした。
それが変わったのが、私が大人になってから罹患したインフルエンザです。仕事を始めて、実家から通っていたのですが冬のある日、ありえないくらいの体のだるさ、そして関節の痛さ。車の運転も危ないということでわざわざタクシーを呼んでくれた祖母、そして暫く隔離になったにも関わらずこまめに好きなものを買ってきてくれたり、気にかけてくれた寡黙な父母。
照れくさくて、直接はなかなか言いづらかったけどほんとに嬉しかったです。家族のありがたみをつくづく感じたことでした。
57歳 女性のストーリー
 私は長いことうつ病を患っていて、こんなにうつって長引くものなのかと思っていたら、最近「双極性障害Ⅱ型」という診断が出ました。うつ病だけだとあんなに長く、また繰り返すものではないそうです。双極性もうつになりますが、うつ病の人とはまったく飲む薬が違います。うつでないときの私は陽気なので基本的には陽気なたちだと思います。でも双極性と診断が下るとその陽気さを今度は「躁ではないか」と疑わねばならず、しんどい病気なのです。
 うつに落ち込めば死にたくなるもので、もう何回OD(薬の大量服用)をして救急車で運ばれ、ICUに入ったかしれません。そんなとき119番してくれるのはもちろん夫です。でも彼は私が意識を取り戻したとき、非難したことは一度もなく、普通に接してくれます。でもこのあいだ、犬の散歩で歩いているとき救急車が通り、「あのサイレンを聞くとドキドキする」と言ったので、これは悪いことをしたんだなとつくづく思いました。私が逆の立場で、意識不明の伴侶を発見する側ならもちろんそうです。改めて考えてみて、家族(愛犬含む)には感謝しています。病気について勉強する人ではありませんがどんなときも夫が私を見捨てなかったことには間違いありません。
 今はどんなつらい夜もきっと夜明けが来るのだと、それを忘れないように生きています。
46歳 女性のストーリー
社会人になって一年目に、ストレスで自律神経失調症になった時のことです。
当時一人暮らしをしていたので、実家に帰って療養することになりました。
私は、親の期待を裏切ったような気がして、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいで、最初は病気のことや仕事を休むことを伝えるのにとても躊躇しましたし、恐る恐る話を切り出しました。
しかし、両親は私を責めるようなことは一切言わずに話を聞いてくれ、自分の現状を受け入れてくれました。
一緒に食卓を囲んだり、近所の日帰り温泉に行ったり、家族とのただ何気ない日常生活の中で、私は徐々に健康を取り戻すことができ、転職して無事社会人に復帰することができました。
弱っている自分をただ受け入れてくれたことに心底感謝したし、自分がその時必要としていたのはそういう存在だったんだ、と気づかされました。自分が心身ともにいちばんつらい時に、そばにいてくれた家族に一番感謝しています。
45歳 男性のストーリー
仕事で、ちょっとした交通事故に見舞われ、3カ月入院することになりました。不安と絶望に毎日、日々からけていました。心優しい妻は、毎日お見舞いに訪れてくれて、しかも毎日励ましのお手紙を書いてくれました。その中には、娘、息子からのお手紙もありました。大変嬉しかったし、そのお手紙を、何度も何度も読み返し、感動感激したのを、覚えています。今でも、その時のお手紙は、大切な宝物です。また、毎日、差し入れも、してくれました。お菓子や果物etcです。とても、美味しかったのを、覚えているし、時には、手作りのお弁当まで、持ってきてくれていました。お手紙に、お弁当に、何度も、折れかけていた心を救われました。心身共に、弱っている時は、優しくされると、心から、感謝の気持ちが、こみ上げてきます。
22歳 女性のストーリー
私は昨年、妊娠出産を経験しました。
妊娠期間中の想像を超えるつわりで、食べ物を食べても吐き、食べれるものも限られて体重は5キロ減りました。
また子宮が大きくなったための内臓の痛みや、骨盤などの痛み、足がつったりしてとても辛い期間でした。
そして出産前の陣痛も鼻からスイカ以上の痛みで、出産後の股を縫う痛み、骨盤がグラグラして歩くことも困難で、すぐに貧血を起こしてしまいました。
頻回授乳で切れてしまう乳首、支給収縮の痛み、毎日の寝不足など生まれてからも休む暇もなくとても大変な思いをしました。
そしてこの時、私の家族はこんな大変な思いをして私を産んで育ててくれたんだなと思うと、涙がこぼれ落ちました。
文句を言ったり、嫌な態度をしてしまった昔を思い出すと胸が痛くなります。
家族のみんな本当にありがとう。
48歳 男性のストーリー
もう大分前になりますが、私が離婚をして実家に戻った時の話です。
元嫁や、その親、姉妹と価値観が合わずに離婚をしました。
向こうの家は金銭的に大変な事があり、借入金を申請する時に、二度も保証人になったり、元嫁が私のお金も回していた様です。私は普通にサラリーマンなのでそれほど余裕はありませんでしたが、相手の実家の近くにアパートを借り子供を含めた家族で住んでいました。いよいよ大変になったのか、私に、元嫁の実家に入り、家賃を援助して貰いたい様な話しをされましたが、断りました。元嫁は私の実家とは距離を置いていた為、子供にも良い話しはしていない感じで、略交流は無い感じでした。そんななか、向こうの親が少し体調不良な事がありましたが、私はあまり気にして無かったのですが、それが気に入らずに離婚になりました。私は男なので、実家に戻った後も、あまり多くを話しませんでしたが、私が不在の時に、養育費の話か何かで相手が私の実家に来た時に、元嫁が私の文句を言っていたらしく、それを聞いた私の姉妹達と母親は激怒していました。散々私を利用しておいて良く家に来れた、しかも文句まで言っていた、と、如何にも私が悪くて離婚になったからもっと養育費をよこせと言っていたとの事でした。私の親姉妹は、私の事を信用しており、向こうが言っている事実なんて無い事を、何も言わなくても分かってくれている事が嬉しかったです。
24歳 女性のストーリー
私が病気になった時に家族が1番支えになってくれました。
精神的に弱っていた私を見捨てることもなく
諦めることもなく話を聞いてくれ、調子が良くなるように色々調べてくれ、実践してくれたりいておりました。
金銭的にも余裕がなかった私に
病院代なども負担してくれなるべく私に負担がないようにしてくれ、本当に両親には頭が上がりません。
仕事も辞めて家でゆっくりしてもいいよと言ってくれ
生活費も入れれなかったけれども気にしなくていいと言ってくれ本当に支えてくれ家族の大切さに改めて気づきました。
今は病気が治り社会復帰し、正社員で働けるように目指しており
家族に恩返し出来る様に頑張っています。
一度職を失い病院が治るまで側にいてくれて
社会復帰出来たのは本当に両親のお陰です。
43歳 女性のストーリー
一人暮らしをしていた時は、仕事もしていましたし友人もおりましたが、体調が悪い時に病院に行きたいので車を出してほしいとか、会社の先輩や友人には言えませんでした。
仕事が休みの日に起き上がるのも辛くてどうしようもなくなったとき、父が車で実家に連れて帰ってくれた時は、ありがたいと思いました。
特に両親は、一人暮らしを反対されながらもレンタカーを借りてくれて引越しを手伝ってくれるなど協力をしてくれたので感謝しています。
成人になって一人暮らしをしていた時は資金面の援助は受けていませんでしたが、引越しを手伝ってくれたり、GWに実家に帰らないので両親が様子を見に来たり、病院で検査を受けた時は母が新幹線で来てくれたりなど、一人で頑張っていたようで、要所要所で両親に助けられていたんだなと思いました。
27歳 女性のストーリー
家庭環境があまりよくない中で育ったため、両親に対して特別な思い入れなどがないのですが自分を産んで育ててくれたことに関してはとても感謝しています。今自分が子供がいるので尚更感じます。
あの家庭環境があったからこそ逞しい母親になれているところもそうですが、今の状況がとても幸せなので過去があっての今だなと思うと、そのような環境下に置かれていていたことでそう思えるのであればそれはよくも悪くもいい経験になりました。
また、手をかけてもらえずとも私がここまで育ってこれたのは働いてお金を稼いでご飯を食べさせてくれて、それなりの経験や体験をさせてもらえることは軽い気持ちだけではできないので、そういった面でもありがたいです。
32歳 女性のストーリー
私が婚約破棄をしてしまったときのことです。家を出て行く覚悟もしており、仕事も辞めることも伝えていました。家族からも彼と幸せになるためだったら出て行ってもいいよと言ってくれていました。転勤族の彼の力になるということに覚悟を持っていました。
しかしその彼と最悪の終わり方をしてしまいました。もう私は、どうしたらいいのか分からず毎日自分のことを責め続けて泣いていました。何で彼と上手くやっていけなかったのだろうという思いでいっぱいでした。
すると家族は、温かく私のことをずっと見守ってくれて、自分のことを責めている私のことを叱ってくれました。彼のことを気にいっていたのでそんな彼と結婚できなかったことを謝罪をするとあんたは何も悪くないと支えてくれました。
51歳 男性のストーリー
私は現在親子3世代で2世帯に住む50代無職の男性です。片方の家には長女と小学生1年生の孫が住んでいます。長女の旦那は数年前に急病で他界したため子供も小さいこともあり近くに住むことになりました。我が家には妻と独身の二女で住んでいます。それなりに幸せに暮らしていました。そんな折諸事情から無職となりました。再就職の方が上手くいっおらず最近は妻とほとんど会話が無くなり家庭内の空気が重くなりました。私に原因があるのがあるのは明らかなのですがどうすることもできない自分が情けない日々が続いていますが、隣に
住む小学生の孫がとても元気で毎日わたしを慕い遊びに来てくれます。その時だけは私の家の空気が明かくなります。週末はかならずお泊りしていきます。孫に私がどれ程助られいるかはかり知れません。これが私が最近家族に一番感謝したことです。
36歳 女性のストーリー
家族に一番感謝したのは、私が20代のころのことです。
当時付き合って、周囲にもうちの両親にも結婚する体で紹介していた同棲していた彼氏が、職場の女と浮気してしまい、同棲が解消されました。結局は別れましたが、そうなるまでの間の親の言動に頭が下がります。
まず、元カレは中卒で職歴も資格もないフリーターだったので、大卒の親で、娘(私)も当時大学生だったことを考えると、親からしたら不安要素しかない相手だったのではないかと今は思えます。でも当時の私は彼を愛していたので、親は何も言わず交際自体を見守り、彼を受け入れてくれていました。浮気が発覚して別れる別れないのとき、親が数百キロ離れた地元から交代で「死ぬ気がする」と来てくれたり、私の気持ちを尊重して「別れたほうがいい」とは言わず、支えてくれたことです。今、子どもがいる私の立場で考えると色々ぞっとする環境です。あんな状態でも私を尊重してくれたことに大変感謝しています。
39歳 男性のストーリー
専門学校を出て初めての就職で、何もわからない中で通勤をしていましたが、上司が何も教えてくれず、職場の雰囲気にも馴染むことが出来ない状況で、何とか数年務めましたが結局精神的にしんどくなり、最終的に無断欠勤をしてしまいました。無断欠勤をした上に当時一人暮らしだったアパートから脱出してしまいました。無断欠勤の上アパートがもぬけの殻だったため、会社から家族へ連絡が入りひと騒動になり、後から聞いた話だと母親は泣いていたようですが、数日後私から母親へ連絡を入れた所怒りもせず、“実家に帰っておいで”と優しくいってくれました。その優しさがあったので、今改めて職に就き自分自身も家族を養えるようになったと感じています。
49歳 女性のストーリー
学生の頃からとにかく決めたことは曲げない性格で良く言えば行動力がありました。大学派行きたい所が決まっており両親からは家から通える学校にしなさいと言われたのにどうしても行きたい学校が通えない所だったにも関わらず決めた事を曲げず両親が折れてくれました。就職し何年か働いた後、留学し英語を極めたく渡米することを伝えた時反対されましたが私の性格上また曲げず両親が曲げてくれました。
その後結婚、離婚、海外引っ越し等を繰り返し現在に至りますが、どんな時でも兄妹、両親、家族は私をいつも温かく見守ってくれていました。こんなにわがままな人生を許し、支え理解してくれた家族には感謝の言葉したありません。また家族は常に味方でいてくれるということを身にしみて感じました。両親は年老い長生きしてくれることを遠くから日々祈ってます。
26歳 女性のストーリー
私は、中学時代、吹奏楽部に入っていたのですが、中学1年生の頃から部活内でハブられたり、こそこそと陰口をされたり散々でした。私の左腕には、生まれた時から赤いアザがあるのですが、半袖の季節になると、否が応でもその赤いアザを出さなければなりません。そのアザを見ただけでも、こそこそ話されたりしました。何事もやり通してきた私でしたが、ある日母親に「部活を辞めたい」と話した瞬間、すぐにいじめを受けていると察し、すぐ顧問の先生に連絡。その後、いじめをしていたグループの子達以外が話しかけてくれるようになり、その後は引退するまで楽しい時間を過ごすことが出来ました。

また、女手一つで私を育ててくれ、良き母、父親の役割を担ってくれたり、貯金を切り崩して私の為に塾や習い事をさせてくれたりと感謝しかありませんでした。

今、私は結婚をして家庭を持っています。今まで私に母親がしてくれたことをこれから恩返しをしていけたらなと思いました。
38歳 女性のストーリー
私には子供がおります。
産後6カ月の頃腰が痛くなり、ついに起き上がれなくなりました。
独身のころにも腰椎椎間板ヘルニアを患ったことがありすぐにそれだとわかりました。
前回は痛み止めと使い、一週間弱横になって治りましたが、この時は授乳中であり、育児中で薬を飲むことができず、ただひたすら痛みをこらえて横になっていました。
その間私に代わって子供の世話をしてくれたのが実家の両親でした。夜間のミルクを作ってくれたり、おんぶして寝かしつけてくれたりお風呂に入れてくれたり、離乳食を作って食べさせてくれました。
その後まったく良くならず悪化し、手術することになり、実家に子供を預け入院することになりました。手術後も子供を抱き上げる事が出来ない私はその後、子供が1歳になるまで実家で子供を一緒に見てもらいました。授乳もできない、泣いてても抱っこもできず、精神的に辛く、そして腰は激痛で体力的にも辛かったのですが、親が一緒にわが子の成長をみて喜んで笑顔でいてくれて、とても救われました。
その後歩けるようになったことと術後3か月経ったこともあり1歳を機に自宅に帰りました。自宅に帰るとき母は泣いていました。大変だったことや嬉しかったことを思い出したようです。あの時の事はいまでも親には感謝してもしきれません。
32歳 女性のストーリー
私は二年前に娘を出産しました。妊娠中から主人に助けられ、つわり期も乗り切れました。
特に出産中から産後は助けられました。私が陣痛に苦しむ中、声を掛けてくれたり、背中をさすってくれた時はとても嬉しかったです。また、産後は一番精神的にも肉体的にもつらかったですが、主人は傍に居てくれて支えてくれました。
主人以外にも私の実両親にも助けられました。妊娠中、中々連絡することができず心配を掛けた時には申し訳なくなりました。ですがそれでも話を聴いてくれたり、産後も愚痴や悩みを聴いてくれました。
妊娠中から出産、育児と肉体的にも精神的にも支えてくれた主人と実両親。彼らにはとても助けられましたし感謝しています。次は私が、主人と実両親の助けになれたら、と思います。
39歳 男性のストーリー
私は中学生の時に病気の癲癇になりました。
大学時代に、発作をおこして、自転車で交通事故にあいました。
そのために、手術することになりました。
両親は看護婦とサラリーマンでしたが、看護婦の母が会社を
休んで2か月つきっきりで神奈川の病院にきてくれて
看病してくれました。
私は徳島出身でしたので母の苦労は大変だったと思います。
また、兄弟の真ん中で長男、長女も大学にかようことになり
金銭面での負担も大きかったと思います。
それでも決断してくれたのはとてもありがたかったと思います。
手術後、もう15年以上経過しましたが、発作もなく普通の会社に入り、普通に生活できているのは
そのときに決断してくれた、支えてくれた家族のおかげだと
今では思っています。
40歳 女性のストーリー
心労がたたって、人混みや乗り物に乗ることが苦手となりました。できるだそのような状況を避けるようにしていますが、どうしても避けられないとき、夫や子どもが付き添ってくれて、なんとか無事に乗り切ることができました。
自分でも自身に「大丈夫。乗り切れる」と言い聞かせるのですが、どうしても直前になると不安が強まってしまいます。そんな時、夫や小学生の子どもたちも「大丈夫だよ」と言ってくれ、それが心強かったです。乗り物に乗っている間、子どもが手を握ってくれたりもしました。
精神的疲労で、料理もできない日が続いたことがありましたが、会社帰りにお惣菜やお弁当を夫が買って帰ってくれたり、子どもたちも簡単な料理でも文句も言わず食べてくれて、とてもありがたかったです。自分に自信がなくなっているときだったので、家族の優しさに感謝しました。
31歳 女性のストーリー
私は地元から遠い大学に進学したことをキッカケに一人暮らしを始めました。
最初は人並みにホームシックにもなりましたが、人との出会いや交流の多い大学生活の中ですぐに解消され、次第に実家に連絡する頻度も下がっていきました。
一人暮らしにも慣れた大学2回生の夏のことです。
大学は長期の休みでしたが、バイトとサークルで毎日忙しい生活を送る中、つい食事を手軽な菓子パンに頼ってしまっていました。
すると、ある朝目が覚めると体がとても重く、金縛りに合ったように動かないのです。
非常事態だと感じた私は、なんとか枕元の携帯を手にして実家に連絡をしました。
実家の母は、すぐに大学近くに住む遠縁の親戚に助けを求める連絡をしてくれ、私は極度の栄養失調で入院することになったのです。
また、両親は6時間も電車を乗り継いでかけつけてくれ、入院中に親身なお世話をしてくれました。
自分が想像していたよりも悪い状態だったようで、入院は1ヶ月にもなりました。
実家を出て一人で暮らしていると、自分だけでも何とかなると思っていたことを深く反省し、大きな愛で見守ってくれている家族に心から感謝した経験です。
32歳 女性のストーリー
仕事で気持ち的にボロボロに追い詰められたときに、そんなに辛いならばやめてもいいんだよ、と言ってくれたことです。当時は夜勤がある職場で人でも足りなくて夜勤の回数が多く、熱が高くても出勤し、心に余裕がない状態でした。加えて、自分が全く希望していない部署への移動が決まり、なんとか頑張ろうとしました。しかし、お客さんの目の前で後輩を怒鳴るような人達や閉鎖的な空間に耐えきれず、元の部署に戻してほしいと嘆願したところ、他の人も最初はそう言うけれど後々は感謝するものよ、など言われました。それでも移動を希望すると、否定的な言葉を言われ続けるなど、とても傷付きました。そんな風に傷ついて泣いている私を支え続けてくれた家族に深く感謝しています。
21歳 女性のストーリー
私はかつて大きな病気をしたことがあります。その時私を一番に支えてくれたのが、家族でした。まだ子供だった私は周囲に対してはっきり向ける目を持たず、病気になったことを嘆いたり当たり散らしたりしました。ひどいときにはものを投げたこともありました。
けれどそんな私を家族は大きな心で受け止め、私もまた徐々に落ち着いていきました。私が病気だと言うことを受け止め、前向きに治療をしていこうと思えたのはやはり家族のお陰であると思います。
また、治療の過程で骨髄移植をすることになったのですが、私の姉は「あなたが助かるならいくらでも」と骨髄の提供をしてくれました。
身体的にも時間的にも負担が大きいその行為を全くためらいなくしてくれた事に一番感謝をしています。
38歳 男性のストーリー
自分が病気になったときに父親が仕事を辞めてまでも看病してくれたことです。父親は仕事に対してやりがいを持っていましたし絶対にやめたくないと思っていたはずです。それでもこちらに気を使わせないようにしていろいろな理由を考えて説明してくれました。そのことを思い出すと今でも感謝の気持ちが溢れてきます。幸いなことにその後すぐに父親はもっと良い待遇の仕事を見つけることができましたが、もしも最悪の状況になったとしても自分のせいにする人ではないと思います。今では自分の病気も完治して親孝行をしていますが、いまだに向こうから恩着せがましさを感じる事はありません。親として子供への愛情を最高に注いでくれた瞬間だと思います。
41歳 女性のストーリー
シングルマザーで、仕事をしているので、実家の父母には特に感謝しています。子どもが保育園の時は送迎をお願いしていました。朝子どもを保育園まで送るのはほとんど大丈夫だったのですが、仕事が遅くなることが多かったので、お迎えはほぼ母に頼んでいました。小学校になっても一緒で学童へのお迎えを頼んでいました。子どもに対しての愛情も沢山与えてくれました。子どもがせがんだら一緒に遊んでくれたり、ご飯も沢山作ってもらいお裾分けもよくしてくれていました。時が経ち、今は夜勤のある仕事をしています。夜勤の時は子どもの面倒を見に家に来てくれています。また、習い事もさせているため、送迎をお願いすることも沢山あります。子どもが元気に育っているのは、私の親なしじゃありえません。とても感謝しています。
41歳 女性のストーリー
私はシングルマザーですので、両親に手伝ってもらうことが大変多かったです。今でも中学校の子どものために習い事の送迎を頼んだりしています。子どもが小さい頃は、保育園の送迎等もお願いしていました。仕事をしていたので、遅く帰ってくることも多々あり、お迎えに行ってもらって、夕ご飯までご馳走になったことも沢山ありました。今は、夜勤のある仕事に転職しているため、夜勤の時は泊まりで子どもをみてもらい、食事を食べさせてもらったり、一緒に寝てもらったりしています。両親なしでは、子どもが元気に今まで育ってくれるのは難しかったと思います。私にも気をくばり、心配してくれたり、相談にのってくれたりしています。親への感謝は尽きません。
51歳 女性のストーリー
仕事を長年やってきたがとてもしんどくてはっきり言ってブラック企業になってしまった。むかしは事務部署と営業部署が力を合わせて仕事を完成しようという感じだったが、管理職が上層部から命令を受けるからそうなるのか分からないが事務がやれて当たり前、営業にも力を入れろと。営業を営業部署と同等のレベルを求めてくるのでそれはもうおかしいとしか思えない状況だった。営業部署がそしたら事務のフォローをするのかといえばそんな知識はないから出来ないみたいな感じで、管理職が営業部署からしか上がらないから当然事務部署の苦労などわかるはずもない。監査業務までしているものに営業やれってどういう事。辞める最後まで理解はできませんでした。それで辞めたいと家族に言ったのですが不満を一言も言わず辞めさせてくれた。それで今の仕事を頑張って収入上げようとして昔の半分以下の給料だが元に戻せるよう力が湧いてくる。家族には恩返ししたい。
36歳 女性のストーリー
今は結婚して旦那と二人で住んでいます。
独身時代は父親と祖父と弟と私の四人暮らしでした。離婚していて母親とは一緒に住んでいなかったため、洗濯物や洗い物、掃除、料理や買い物すべてというか、ほとんど祖父が行っていました。そんなことが当たり前だと思っており、時にはご飯できたよという呼びかけすら鬱陶しく思い感謝すらしたことがなかったです。

しかし、そんな祖父も4年前に亡くなりました。それから半年後に私は今の旦那と同棲することになりました。それまで、家事をほとんどしておらず、料理は米を炊く、カレーを作る、だしの素で味噌汁を作ることくらいしかできませんでした。自炊すること、お茶碗を洗ったり、洗濯したり、買い物をすることがこんなにも大変だと思わなかったです。
料理が出てくるのは当たり前じゃない。洗濯物を干して畳んでくれるのも当たり前じゃない。洗い物をしてくれるのも、食材が揃っていることも当たり前じゃないと、同棲し、結婚してわかりました。感謝の気持ちでいっぱいですが、伝えることが出来ずに亡くなってしまいました。
家族、私の場合特に祖父にとても支えられていました。ありがとう。大好きっていいたかった。今までずっと家のことしてくれてありがとうございました。
31歳 女性のストーリー
去年の5月は初めての出産。妊娠経過は卵巣嚢腫があり、手術する羽目になったけれど極めて順調だった。お腹のこどもも「少し大きめの男の子だね」って医者に言われてたぐらいで健康優良児っぽかった。
予定日近くになって陣痛が来るのかなってドキドキしてたけど来なかった。それならとケーキバイキングなど来ないことを良いことに遊びまくった。
予定日から1週間後の夜中…いきなりお腹が痛くなった。しかも10分間隔でこの世と思えないいたみがおそってくる。母親学級だと破水して…おしるしが出てって言ってたのにそれがない!
朝になってのたうち回ってる私を見て夫が慌てて病院へ連れていってくれた。どうやら赤ちゃんは出てこようとしているのだが頭だけ下になって体が追い付いていないということで入院。夫と両親が付き添ってくれた。痛みが強すぎて誰かにしがみついていないと耐えきれない状況だったので、みんな仕事を休んで3日間付き合ってくれた。強く握りすぎて内出血してたのに文句ひとつ言わなかった。それに色々飲み物の差し入れやら腰揉んでくれたりしたお陰で乗り越えられた。1人だったら気が狂ってたかもしれない。家族がいてくれて本当に良かった。
41歳 女性のストーリー
私は、一人っ子として育ちました。
現在両親は既に他界してしまいましたが結婚し子供が1人います。
生活は楽では有りませんが充実した生活を送っています。
その理由は、私には兄がいたそうですが彼が3歳の時に交通事故で亡くなりました。両親共に兄には大きな期待を持っていた様ですが夢は叶わず落ち込んだそうです。
その後、生まれたのが私でしたが私は兄とは正反対の性格で余りの違いに悩んでいたそうですがある日母が癌だと分かり闘病生活が始まりました。
見つかった時には既に転移していて手遅れで日に日に弱っていく母を見ては私はトイレで泣き、母の前では明るく振る舞う様にしていました。
ある日、病室で寝ている母の横でつい泣いてしまい、それに気がついた母が私にか細い声で言った一言に感謝しています。
「自分が先に死ぬ事は遅かれ早かれ訪れる事、人生にはそれ以上に辛い事はたくさんあるこんな事で泣くんじゃ無い。」と…。
その言葉のお陰で今、周囲が辛いと感じる仕事や環境でも楽しみを見つけながら過ごせています。
25歳 男性のストーリー
一人っ子で今の家庭に生まれました。
小さい頃から、厳しくも優しく育ててくれました。
そんな中で感謝していることは、沢山あります。
しかし、その中でも、やはり、1番感謝していることと言えば、小学校から大学生まで、今まで貯めていた貯金を使って、将来奨学金を使わなくてもいいように、通わせてくれたことです。
あまり、言うことの聞かなかった、自分の志望校に行けず、期待に添えることのできなかった自分を最後まで見放すことなく、行った先行った先でも、しっかりと応援してくれていました。
就職するまでの16年間、ずっとわがままを言って、反抗していた自分をここまで育ててくれて、「本当にありがとうございました。」と言いたいです。
32歳 女性のストーリー
今私には夫と子供3人、そして私の母の6人で暮らしています。母とは性格が似ていて些細な事ですぐに言い合いになり、喧嘩をしてしまいます。そして間に夫がいつも挟まれている感じです(笑)
子供が3人保育園へ通っているので朝の準備は戦争の様に慌ただしいのですが、いつも夫と母に支えられながら、みんなで協力して日々を過ごしています。周りは核家族や旦那が単身していてワンオペ育児をしている人が何人かいるので、私は家族に支えられていて、時には私が体調を崩したときは代わりに保育園の送迎へ行ってくれたり本当に恵まれていて家族には感謝の気持ちでいっぱいです!
なので夫や母についイライラしてしまった時は日頃を思い出して感謝を忘れずに生活しています。
37歳 男性のストーリー
私は妻と子ども3人の5人家族です。
結婚して7年目、仕事も36歳なので脂ののってきたところなので、
残業も毎日多いです。
残業が続くと、日が変わったぐらいに家につき、晩御飯をレンチンして
一人で寂しくご飯をすることが多いです。
家族を支えなければならないとはいえ、家族のことが大好きなので寂しいのですが、
最近文字を書くことを覚えた長男(6歳)が、残業で遅くなると手紙を書いてくれるように
なりました。妻と長女(3歳)のメッセージを聞いて、手紙にしてくれます。(次男は0歳なので言葉が出せないのでメッセージなしですが)
小さいことかもしれませんが、この手紙が私の宝物で、家族に一番感謝していることです。この手紙をモチベーションに、毎日仕事を頑張って、家族を楽にさせたいと考えています。
49歳 女性のストーリー
昨年の春に鬱病となりました。6月に自殺をしようと首を吊りましたが、ロープが切れて未遂となりました。その後は、精神病院の閉鎖病棟に強制的に入院となりました。鬱は、様々なことが組み合わされて発生しているので、何かのきっかけで急に治るような病気ではありませんが、閉鎖病棟というところは約3カ月の治療期間が普通です。とはいえ3カ月経過しても迎えてくれる家族が居ない人は自宅に戻ることはできず、普通の病棟への転院や施設へ行くことになります。
閉鎖病棟に強制入院とはいえ、家族の面会は割と自由に行えましたので、毎日のように息子や娘が時間を割いて面会に来てくれていました。ほとんどの人が面会人はゼロです。何故かというと精神病院の閉鎖病棟にいる人のほとんどがリピーターです。家族と疎遠になっていたり、厄介者と思われている人の方が多いからです。そんなことも入院して初めて知りました。
ともかく、私は1カ月経過した後、家族がドクターにお願いしてくれて異例の退院をいたしました。そして何よりリピーターにはなりません。
27歳 女性のストーリー
私が家族に感謝したこと。それは周りは大反対していたのに、留学に行かせてくれたことです。元々海外へ興味があった私は、大学の時に留学をしたいと決めていました。しかし両親はどんな反応をするだろう…そう思った私は恐る恐る親へその旨を伝えました。
当時祖父母と一緒に住んでいたので、祖父母は猛反対。海外へいくなんて危ない!の一点張りでした。するとどこからか情報が漏れたのか、身内全体にその話が広がり、身内からも責められることになりました。あまりの責められ具合に私も心が折れそうになっていた矢先の事です。あまりにも酷い責められ方をしている私を見た父が、身内に喝をいれました。「娘の人生なんだ。周りが騒ぎ立てることじゃない」そう言ってくれました。普段温厚な父が声を大にして言っている姿を見てびっくりしました。(あとから母親に聞いた話ですが、初めから両親は留学に賛成だったようです)
それから事は淡々と進み、無事に留学し、今はもう日本に帰国し就職しています。あの時私の人生だからといって、私の意志を尊重させてくれた両親に感謝しています。

「仕事での大失敗」

34歳 女性のストーリー
派遣社員としてホテルで勤めていた時、日頃はレストランのランチタイムに入っていたのですが、その日だけたまたまパーティの配膳係が足りなかった事もあり、急遽入ることになりました。ただ配膳係は事前に特別な研修を受けないといけないのですが、私に与えられた時間はほんの30分程度の実践練習のみで、全く訳も分からないまま本番へ挑む事となりました。
自分の担当テーブルが決まっていて、そこのお客様にワインを2つ頼まれなのでドリンクカウンターまで取りに行き、ワイングラスの脚はしっかり支えないとトレーの上で傾くから気を付けてと言われ渡されたのですが、いざお客様に渡す時にお客様が別々でワインを取った事で一気にトレーが傾き、お客様の足元に一つグラスを落としてしましました。その結果お客様の足にワインが掛かってしまったので、裏で先輩方に囲まれて怒られ21歳の私は恐怖から震えて涙が止まらなかったのを覚えています。
28歳 女性のストーリー
私がパチンコ店でアルバイトをしているときの事です。
当時働いていたパチンコ店では、出玉をプラスチックのケースに入れそれをお客さんの後ろに積んでいました。
それを働いていたスタッフが計数機に運びます。
当然ですが私もスタッフとしてお客様の出玉を計数機に運ぶ作業を行っていました。
ある日、10箱を超える出玉を計数機に運ぼうとしたところ、箱を載せたカートの下に球が1つだけ挟まっていました。
今思えばその玉を取り除いて移動させれば良かったのですが私は面倒で勢いをつけて無理やりにカートを発進させました。
すると、縦に積み上げられた出玉ケースがゆっくりと前に倒れていきました。
まずい、と思った時にはあっという間に出玉は店内に散らばり私はお客様と、店長にとても怒られてしまいました。
32歳 女性のストーリー
わたしは大学生時代、本や漫画が好きだったので本屋でアルバイトをしていました。
レジで、夕方の決まった時間に売上を確認する作業と、一日の終わりに締めの作業がありました。先輩に夕方に行うレジ作業を頼まれ、やったことがなかったので「締めの作業のことですか?」と聞いたところ、別作業をしていた先輩がこちらを見ずに「うん、そうそう」と答えました。その時にきちんと確認すればよかったのですが、あろうことかわたしは一日の途中で締めの作業を始めてしまい、先輩が気づいたときには時すでに遅し。1台しかないレジが使えない状態になってしまいお客さんには電卓で手打ち計算して販売。みるみるうちに長蛇の列ができ、わたしは情けないやら泣きたいやらな気持ちで、なんでもっとちやんと確認しなかったんだろうと激しく後悔しました。結果、次に出勤した時に店長にクビ宣告をされてしまいました。わたしの黒歴史です。
58歳 男性のストーリー
私は50代男性で、自動車学校の送迎をしています。主に送迎を行っているのは高校3年生で、忙しくなる時期は11月後半からで、3月末まで続きます。学校がある日は、授業終了後のお迎えで、午後4時~5時くらいになります。学校がない日は、朝8時くらいから9時半くらいがお迎えとなり、13:30、16:30、18:30、20:30が送りとなっています。そして学校によって、テスト前からテスト期間中は自動車学校通学禁止となったり、休み期間が違ったりもします。ある日、朝「A学校」のお迎えがあり、その子たちを16:30に送り届けたのですが、送り届けた場所の近くにある「B学校」と「C学校」のお迎えがあったのに、その子たちを乗せないまま、自動車学校に帰ってしまいました。なんとその中に自動車学校校長の姪っ子さんがいたので、こっぴどく叱られました。しばらくは校長の顔を見られないくらい恥ずかしかったです。
24歳 女性のストーリー
お客様がお会計されるときにお釣りを間違えて返してしまったことです。
お会計の金額が1万2百円で、お預かりした金額が2万2百円だったのにも関わらず
預かり金を誤って2万2千2百円と打ってしまいお釣りを2千円多く渡してしまったことがあります。
1時間に1回レジの点検をするので過不足が出て誤差の発見が早期に出来ましたが
気づいた時にはお客様はお帰りになられていたので、急いで電話しました。
しかし電話が繋がらず焦っていましたが
3時間後ぐらいに電話が繋がり事情を説明しました。
お客様はまたご来店される時があったので
その時に2千円多く渡してしまったお金を返してくれると言ってくれましたが、社員さんにはひどく怒られました。
お金の確認は本当に重要だと反省しました。
34歳 女性のストーリー
介護福祉士として老人ホームで働いていた時の話です。
当時新人職員だった私は、知識は有れども現場での経験がまだまだ浅く、ホームに入所している入所者さんへの対応で先輩スタッフに怒られる事もしばしばでした。半年ほどして夜勤業務にも入れるようになったのですが、慣れない真夜中の業務に毎回ヘトヘトになっていました。
少しずつ慣れてきて、効率良く業務をこなす事も考えながら夜勤に挑んでいた時、入所者の一人が部屋の中で転倒しているところを発見してしまいました。夜中でもウロウロ動き回る入所者だったので特別珍しい事では無かったのですが、翌朝報告書を書いて上司に提出したり家族へ連絡したりしないといけないという事を考えると嫌になってしまいました。そして何も無かったかのように入所者さんをベッドに寝かし直しました。翌朝入所者さんが夜間のことを思い出して他のスタッフに言うのではないかと気がきではありませんてした。
36歳 女性のストーリー
病院のリハビリ職についていますが、仕事をして間もないことのことです。当時、私は20代でした。精神疾患を病んだ方を対象としたリハビリ施設です。
そこで、私はある男性患者さんと親交を深めました。変な意味ではなく、患者さんと仲良くなって、リハビリに臨んでもらおうとしただけです。その方だけでなく、他の方とももちろん仲良くなろうとしていました。でも人間関係は難しいので、特定の人と仲良くなってしまうこともあったのです。
その方が、私に恋愛感情を抱いてしまったのか、単にお気に入りになったのかは定かではありませんが、私に見るたびに「かわいいなあ」と言うようになっていました。何の脈絡もなく。それに気持ち悪さを感じてしまった私は、次第に心の距離をとっていったのです。それに気づいた患者さんは、私を攻撃し始めました。彼の心を乱してしまったのは私です。今は全く会う機会がありませんが、もう10年以上たちますが、おそらく彼は私のことを恨んでいます。私の技術が未熟だったために、人間関係で振り回してしまいました。このことを思い出すと、自分の未熟さが情けなくなると同時に、彼への申し訳なさがいつもわいてきます。
39歳 男性のストーリー
機械設備のメンテナンス作業のため、半年後の工事日程を
計画し、お客様と調整していた。部品の納期もようやくきまり
いったんお客様と工事日を確定し受注したが、お客様都合で
工事日が伸び、違う日になった。(1週間ほど延長した)
連絡を受けた際に、会社に不在であれ、現場にいて、
部下にたのんで工事日変更のシステムをいれて
もらったのだが、私の勘違いか、お客様の勘違いか、部下の勘違いかわからない
状態で電話連絡のみ、証憑がない状態で思い込み作業だったと思う。
そのままシステム入力されてしまったため、工事日の当日に工事用の部品のみが
ぞくぞく現場にとどいたが、弊社担当者が現場にでていないという状態になった。
お客様にすべて部品類を移動してもらい、改めて工事を行った。
36歳 女性のストーリー
広告営業に従事しております。クライアント企業の電話番号を間違って校了し、紙媒体の広告が全国に流れてしまう大失敗を犯しました。回収、再発行、と自分のクライアントだけでなく他の営業にも多大な迷惑と損害を被りました。そして何より、その間違って記載した番号が一般家庭の電話番号だったことが不運でした。問題の家庭には謝罪の贈り物を送付し(訪問は断れたので)心から謝罪しましたが、色んな電話が増えて大変な迷惑がかかったことは言うまでもありません。会社にも信用、金銭的にも大ダメージを与える失態です。私にとって非常に辛い過去です。それ移項は住所、電話番号、これだけは絶対に間違えまいとして入電確認、住所は複数のウェブマップで確認をするようになりました。
37歳 女性のストーリー
旅行会社で働いていた時の話です。飛行機を利用する旅行の場合、旅行最終日程表のようなものが一式旅行会社から渡されると思うのですが、その重要な書類をお客様の3日前になってもお渡しすることをすっかり忘れており、お客様はお怒りになってしまい、もう旅行には行かない、とキャンセルされてしまいました。海外旅行だったのですが、その旅行を楽しみにされていたのに私の確認不足により台無しにしてしまい、本当に申し訳なかったなと思っています。確認する、チェックするということの重要性を改めて実感しました。その時の上司が代わりに謝罪等を行ってくれたのですが、その時の上司にも謝罪の気持ちでいっぱいでした。当時、あまりの忙しさに一つ一つのチェックが出来ていなかったのですが、それ以降は細かく確認するようになりました。
19歳 女性のストーリー
わたしはコールセンターの仕事をしていました。その当時は初めてのコールセンターで大失敗をしてしまったのは少し慣れてきた頃の話です。
かなりクレームが多く、精神的にも参っていました。
ある日、一本の電話をとりました。それもまたクレームでした。お客様に何度謝罪をしても納得していただけず、上司に変わろうと思い「少々お待ちください」とお伝えし保留をして上司に状況を話した際に「かなりのめんどくさい人」「話が全く通じない」等といったフレーズを使ってし説明をしていました。一通り話し終えた後にお客様にお話をしようと電話機を見たら、なんと保留がされておらずすべて丸聞こえ状態でした。
お客様には「めんどくさくて悪かったな」と言われてしまいもっとヒートアップをさせてしまったといった話です。
これが私の仕事での大失敗です。
34歳 女性のストーリー
人材派遣会社で勤めている時の話です。
元々1人派遣していた建設会社から現場監督の依頼がありました。派遣中の方が優秀で、長く派遣していたこともあり直接雇用の話が出ていたところです。また良い人紹介をお願いと言われ、こちらとしても良い就業先だったのでなんとか人材を募集して派遣しました。が、この新しく派遣をした人が問題ありでした。はじめはうまくいっていたのに、だんだんわがままを言うようになりました。私への呼び出し回数も増え、無断欠勤や金銭の要求など、どんどんエスカレート。今まで良い関係でいた会社だったのですが、社長から呼ばれてしまいました。今後は紹介不要とのことでした。単価もよく、長期で使っていただけた顧客だったのになくなってしまいました。
あの時、別の人を派遣していればと悔やんでも悔やみきれません。
26歳 女性のストーリー
数年前スナックに勤務していました。店内はそこそこきれいで厳か?なつくり。ボーイなどがいなかったため、女の子たちで開店閉店作業をしていました。8時オープンなためだいたい6時には出勤して、店内でコンビニで買ったご飯を食べ、作業に取り掛かるというのがいつもの流れでした。
ある日、オープン作業に来れる子がおらずわたしだけで行うことになりました。そのような状況はよくあったため慣れてはいました。作業内容も全部頭に入っています。一人でも三十分もあれば終わる内容です。その日はたまたま家でご飯を食べていたため6時に出勤したものの早すぎたかな?と思いつつ準備を始めました。店内の清掃からおしぼりなど一連の作業を終え、最後にビールサーバーを使える状態にしようとしたとき、わたしは何を間違えたのかわかりませんがビールの樽から噴水のようにビールがふんしゃされていました。唖然として数秒見つめたあとなんとか噴水ビールを停止。店内の床壁天井全てビールまみれにしてしまいました。パリピのフェスでもありました?ってなぐらい。掃除に一時間半。早めに出勤していてよかったです。。
36歳 男性のストーリー
連日遅い日が続いており、前日も最終退室で施錠をしましたが、鍵を管理室に返却することを忘れてしまいそのまま帰宅しました。
引き返すことも考えましたが、次の日に早く出社すれば良いと思い、そのまま就寝しました。
翌朝は、いつもより2時間早く家を出ました。職場へは1時間弱の通勤時間ですが、その日は台風が近づいていることもあり天候が悪く、ダイヤが乱れていました。少し嫌な予感はしましたが、さすがに早く家を出ていることもあり、他の人が出社するまでには間に合うと考え、そのまま電車に乗り通勤しました。しかし、天候がさらに悪化し、途中で何度か停車し、とうとう駅と駅の途中で止まってしまいました。
他の人も同様に遅れているはずなので、この時点では焦っていませんでしたが、なぜか私の乗っている電車だけが中々発車せず、次々に後続電車に抜かれていきます。この時点で、いつもの電車通勤の時間と同じくらいになっており流石に焦り始めました。やっと動き出しましたが、徐行運転で中々到着しません。
結局、会社には始業時刻から10分遅れて到着し、扉の前にはそのフロアで勤務する約50名の社員の方(大半が先輩)が廊下に並んで待っていました。
誰にも強くは咎められませんでしたが、待っていた方々の視線とため息で生きた心地がしませんでした。
40歳 女性のストーリー
私はお葬式の司会をする仕事をしています。経験で言えば10年以上。
ベテランまではいきませんが、こなしたお葬式の数は1000件以上になります。そんな私が先日お通夜の司会をしている際に絶対にやってはいけない失敗を犯してしましました。

それは故人の名前と喪主の名前を間違える事。

そんな初歩的なミスは、新人の頃にも一度もやったことがありません。しかし、経験を重ね、自分の知らないうちに気が緩んでいたのでしょう。故人の名前を言わなければならないにもかかわらず、目の前にいる喪主の名前をそこで読み上げてしまったのです。

全身冷や汗が止まりません。でもとにかく式を進行することが第一です。ひとまずお寺様が退席されるまで進行し、お通夜の儀式が終わった時点で私は参列の皆様の前に飛び出しました。そして「先程マイクでのご案内でお名前を間違え、大変失礼を致しました。皆様に深いな思いをさせてしまい申し訳ございませんでした!」とガラケー並みに体を二つに折り、深々と頭を下げて謝罪をしました。

幸い、お通夜は家族の方々しかおらず、またとても優しい方ばかりで「誰でも失敗はあるから、今後気を付けて下さいね。」と許して下さったのです。
もう今死ねるなら死んでしまいたいと思うほど自分を責める気持ちでいっぱいでした。
何事も、慣れたから、経験があるからとあぐらをかいていると痛い目に合うんだなと改めて反省した次第です。
35歳 女性のストーリー
軽度の吃音がある私は会話に少々難しい時があります。
調子の良し悪しはその時次第で本人でもわからないのが難点ですが、普段はつっかえそうになったら言葉を言い換えたりジェスチャーで補助したりと日常生活では何とかやっています。
ただ困るのが電話の時。仕事をしていて一番困りました。
まだ仕事を始めて間もない頃の仕事の一つに電話番があり、調子の悪い日は仲の良い同期の子にお願いしていたのですが、不在時はドキドキしながら電話が掛かってこないのを祈りつつ仕事をしていました。
そんなある日のことです。
調子が悪く日常会話も辛い時に同期も不在で掛かってきた電話は運悪くかなり癖のあるクライアント。
電話に出たものの全く言葉が発せずに気持ちは焦るばかり。
何とか「お待ちください」のみ言えて担当者に変わりましたが申し訳なさでいっぱいでした。
当然ながら後にクライアントへのフォローが大変だったと担当者からのクレームがあり、これからも迷惑をかけてしまうのは申し訳なく辞めようかと悩みましたが、電話番から外されることになり仕事は続ける事になりました。
この時ほど言葉が出なかったのは後にも先にもないですが、いまだに電話にはヒヤヒヤさせられます。
54歳 男性のストーリー
以前旅行会社の社員として働いていた時、大型団体のチーフ添乗員としてパリに行った時の話です。毎年自分が海外に連れて行く団体旅行で、旅行の最後の夜に必ずさよならパーティーを開催します。ホテルのバンケットルームや大きなパーティー会場を借り切って、ダンススペースを作り、バンドを呼んで大盛り上がりとなります。
その年のパリのパーティはブローニュの森の中のゲストハウス。300人くらいのパーティで、パーティの最後のコーナーでちょっとした花束贈呈のシーンを企画しました。その団体のトップの方の誕生日だったので、みんなでお祝いしようと単純に考えたのが失敗でした。花を渡すことになっていたのがまたその旅行に招待されている側のトップの方で、花をサプライズで渡そうとしたものの拒否されてしまいました。拒否する理由は聞けば納得なのですが、顔に泥を塗ってしまったのが花を渡す役だった方。ご主人が同行していたので、そのご主人から烈火のごとく怒られました。翌朝の朝食会場で、そのご夫婦の前で土下座してお詫び。拒否したトップの方からも怒られ、翌年はその旅行は他社に取られてしまいました。
さらに、その流れで自分は他支店に転勤。最悪の結果になりました。
57歳 男性のストーリー
仕事に失敗は付きもの。私もしばしば仕事で失敗を繰り返してしまいますが、半年程前の失敗はまさしく『大失敗』と言えるものでした。

私の勤務する会社と取引先の或るフランスの出版社とは、『送料は毎月の請求額に含まれている』との契約を交わしていました。

然し、半年程前に届いた「未払いの送料を支払ってくれるのか?」とのメールに、私は「払う」と返信してしまったのです。

払わなくてもよい送料を払うと返答してしまった単純ミス。とは言え、請求書記載の金額は1万ユーロ(約120万円)。それなりに大きな損害を会社に与えてしまいました。

幸い、上司がこの件を引き継いで支払金額の減額等に対応してくれましたので、支払金額は約半額の5000ユーロ(約60万円)に引き下げられることにはなりました。

それ以来、請求書関連のやり取りには細心の注意を払って仕事をするようにしています。「大失敗」も、成長の糧にするポジティブシンキングが必要ですから。
31歳 女性のストーリー
私は好きな人がいました。学生の時の話です。同じ学校の隣の席の人でした。その人は、私が男友達のなかで1番仲良くなった人でもある人です。当時は仲がよかったのですが今は連絡を途絶えてしまいました。当時に、女友達と仲良くしていました。その子には彼氏がいて、自慢話が多かったです。あまり回りには好かれていない子でした。そんな中、私に好きなことを伝えてみてはどうかなど言ってきました。スッキリしたかったし、いいかなどの気持ちで次の恋に進みたかったので、チャラい人でしたが告白をすることにしました。やはり振られてしまいましたが、その後になんとその子と男友達と交際が発覚しました。みんなは大激怒して、その子から自然と離れていきました。
33歳 女性のストーリー
新卒で就職したばかりのことです。事務職のとき、相手方への到着期限が明後日までの郵便物の発送を頼まれました。県内だったので、その日のうちに投函すれば次の日には着きます。封筒に住所を書いて、ポストに投函。これでよし!と、この仕事のことはすっかり忘れていました。
そして到着期限の日、会社に戻ってきた郵便物……。とても初歩的なミスですが、切手を貼り忘れていたのです。
郵便物を振り分けているのは私。怖い先輩で、しかも先方も怖い得意先だったので、戻ってきたとも言えず、切手を貼ってこっそり投函し直しました。
案の定、先方からは届かないと電話があり、先輩にも確認されましたが、本当のことを言い出すことができず、郵便局で手違いがあったのかもしれないとごまかしました。
数日後、出し直した日の消印で先方にとどいた郵便物に「不思議ですね」と知らないふりをしましたが、社会人になりたてだったので心臓バクバクしていました。
今ならちゃんと正直に言います……。
31歳 女性のストーリー
医療機関で勤めていた時の体験談です。
病院で使用していたFAX機は、受信したときに即時印刷される物ではなく、
データを画面上で確認し、必要な場合だけ印刷するという機能でした。
ある日メモリ数がいっぱいになってしまい古いFAXデータを削除しようとしたのですが、間違えて全件削除のボタンを押してしまい、データをすべて削除してしまいました。
その中には、未印刷だった、他院から送ってもらったある患者さんの診療情報が含まれていました。
その患者さんは次の日に来院予定で、診療に必要だったのですぐにその病院にもう1回送ってもらうように電話し、すでに終業時間が過ぎていたのでその後届くだろうと思い帰宅しました。
しかし次の日に出勤したらFAXは届いていなくて、その病院に電話したら休診日だったため連絡がとれず、その日の診療内容を変更させてしまいました。
その病院が対応してくれなかった事に落胆しましたが、そもそもは自分のミスのせいで
色々な人を振り回してしまい、非常に申し訳なかった体験です。
45歳 男性のストーリー
2週間の海外出張に行った時に、現地に着いて2日目に持っている現金を全て落としてしまいました。
出張先はクレジットカード決済ができないような地域であったため、生活が出来なくなってしまいました。
出張先から一時的に現金を借り、すぐに日本から送金してもらうことで現地て何とか不自由なく過ごすことは出来ましたが、大きく2つダメージを受けた点がありました。
1つは落とした現金は2週間分の食費や生活費に加えてホテル代なども含まれていたため、額が大きかったことで大金を失ったことです。
2つめは、出張先から現金を借りたことにより職場の人達に現金を落としたことがバレてしまい、同僚から冷やかしを受け続けることになったり、上司の信頼を失ってしまったことです。
36歳 女性のストーリー
仕事でDM配達をしていた時がありました。住宅地図と大量のDMを持って店舗を出て、数件のわからない家以外はすべて配達が完了しました。
1ヵ月おきくらいにその作業を何度か繰り返していたある日、1人のお客様が来店されました。「DMが届くけど、自分の家ではない」と。その方は近所に住む同姓のお宅で、毎回DMに明記された住所のポストに届けてくださっていたそうです。最初は間違って入れたんだと思っていたそうですが、何度も届くうちに「あ、間違って入れていることに気づいてない」とわかり、わざわざ来店して教えてくださいました。住所は近いけどDMの住所ではなく、同姓だけど同名ではない。私はその苗字が2軒あることに気づかず、ポストに住所(番地)の表示はないけど名前だけを見て「この人の家はここだ」と思い込み、確認を怠っていました。完全に似て非なるものです。
その時は本当に情けなく、大失敗したと思いました。
38歳 女性のストーリー
営業事務がよくわかっていなかった時期、多分入社して一年たっていなかった時期だと思うのですが、大口顧客へ納品する商品を欠品させるという事態を起こしたことがあります。在庫を引き落としていったにも関わらず、メーカーへ発注するという考えがなく、在庫が足りないとわかってから大慌てで発注。普段コンテナの船便で入荷するものを航空便で手配したため、在庫が潤うまでの間その商品の利益はほぼなくなってしまいました。その商品、ただでさえ薄利多売をしていたものだったので、多分赤字額は相当なもんだったと思います。今はその商品に関してはきっちり在庫数が合うようになりました。かなりのストレスだったので、もうあんな経験はしたくないです。
26歳 女性のストーリー
私が幼稚園教諭として幼稚園で働き始めて一年目の時、いつもはお母さんがお迎えに来る家庭で、たまたまその日お母さんの都合が悪くてお父さんがお迎えに来たことがありました。
私はお父さんに会ったことがなかったので、名前を聞いてどの子どもの保護者の方か聞きました。その時、見た目が幼稚園児の父親にしては高齢に見えたので、祖父だと思ってしまい、「〇〇ちゃーん、おじいちゃんがお迎えに来たよー!」と大きな声で言ってしまいました。すると、その子に「おじいちゃんじゃなくて、パパだよ」と言われて、必死にお父さんに謝罪しましたが、とても気まずかったです。
お父さんは穏やかな方だったので許してくれましたが、本当に反省しました。
このことがあってからは、初めて会った保護者の方のことは、「おうちの方」と呼ぶようにしています。
42歳 女性のストーリー
私が高校一年生で、夏休みに初めてバイトをしたときの体験談です。
初めてのバイトは、ファミリーレストランのウエイトレスでした。友達に誘われて一緒にやることになりました。先輩方はほとんど優しい方が多く、丁寧に教えてもらったのですが何をするのも初めてでなれるまで他の人より時間がかかったように思えます。大きな失敗をしたのは、料理の提供を覚え始めたころのことです。
その日、料理の提供を教えてもらってから3日目くらいだったと思いますがいつもよりも少し忙しくバタバタとしていました。先輩従業員に、熱々のドリアとパスタと飲み物を運ぶようにお願いされて、ドリアと飲み物をトレーの上にのせ片手に。もう片方の手にパスタを持ってお客様のテーブルまで行きました。いつもなら、危ないから飲み物は別に持って行っていたのですが初めて料理と飲み物を持って行ったのがだめでした。
「失礼いたします。」とテーブルでお辞儀をしたら、トレーが斜めになりそのままお客様に向かって雪崩のように・・・お客様に火傷はありませんでしたが熱々のドリアと飲み物が靴にベッタリとついてしまい、店長、副店長、フロアリーダーまでもが揃って謝罪するという大失敗をしたことがあります。
26歳 女性のストーリー
医療系の専門学校で資格を取って、新卒で入職した病院での大失敗です。
同じ部署にいた8年ほど先輩の職員がいわゆる「御局様」で、新人の私は早速目をつけられてしまいました。入職して早々に任された仕事は、病院を訴訟してきた患者家族の対応でした。さすがに上司も疑問に感じて手助けをしてくれましたが、時が過ぎるにつれ、御局様に嫌気がさし、同じ部署の職員はどんどん退職していきました。
私も仕事ができるようになり、御局様に頼まれた仕事をこなしていましたが、御局様は私がした仕事を自分がしたかのように上司に話していました。
このような事が重なって我慢の限界になり、私も退職したいと申し出ると「お前が辞めるなら死んでやる!」と泣きわめく御局様。
職場の管理者へパワハラとして申告し、なんとか退職できましたが、初めての就職が人生一の大失敗でした。
28歳 男性のストーリー
過去に携帯修理業で働いていました。
修理だけではなく、依頼があればスマートフォンからスマートフォンへのデータ移行も承っておりました。
スマートフォンからパソコンにデータを取り出すと、スマートフォンのデータはパソコン上では英数字の羅列。
つまり暗号化されています。
その為、当時働いていた会社ではお客様の名前を付けたフォルダを新規作成し、そのフォルダの中に暗号化されたデータを入れ込んでいました。
当時、新人スタッフがデータ移行の作業工程を徹底しておらず、依頼のあったお客様の新しい端末に別のお客様のデータを入れてしまったトラブルが。
個人情報も何もあったものじゃありません。
もちろんお客様に菓子折りを持って謝罪に行きました。

「私の変えたい過去」

38歳 男性のストーリー
ギャンブル依存症により消費者金融で300万円借金を作り、それをすべて両親に代わりに完済してもらったこと。
お給料を毎月すべて湯水のごとく使うのは当然、最初の内は知り合いに言い訳を適当に作り借金をしていたのだが、全く返せる見通しが立たなくなり、ついに手を出してしまった。一度手を染めてしまったら最後、それを返すためにまたギャンブル、なくなったらまた借りる、それを返すためにまたギャンブル…負の連鎖は止められず、気が付いたころには返せる見込みが全くないほどに膨れ上がってしまっていた。
上限の300万円に達したとき、自殺を考え失踪した。結局死にきれないまま3年間家に帰らず、両親が必死に自分を探し当て、もう二度としないと約束したうえで、全て支払ってもらい、何とか現在に至っている。
24歳 男性のストーリー
大学の卒業式の話だ。
私は大学ではほとんど友達のような者はいなかったが、たまに話すくらいの人はいた。特別に仲が良かったわけでもないが、向こうはよく絡んできた。授業でも真面目でちょっと浮きやすいタイプだった。初めは話しかけられると鬱陶しい気持ちもあったが、だんだんと慣れてきて、悪い人ではないよな、と好意的な気持ちも湧いてくるようになった。
そして大学の卒業式になり、その人と私は隣り合わせになった。弾みはしないものの、ポツポツと話をしながら、無事卒業式は終えた。その後、その人の両親が来ており、とてもニコニコして「仲良くしてくれてありがとう」と言われた。私とその人は、まあ友達というほどではないけれど…みたいな感じで返答はしたが、向こうは連絡先でも交換する?と言ってきて、つい私は断ってしまった。別にしたってよかったのだが、その頃の私は人に仕向けられることに苦手意識を覚えており、自分の意思を通さなきゃと反射的に答えてしまったのだ。だからといって向こうに変な反応があったわけではないが、帰り道でとても後悔した。
両親の言葉から察するに、その人は今までも孤独になりやすかったのではないかと思う。あの時、少しでも私が大人だったら、連絡先の交換くらいわけはなかっただろう。これも一つの教訓のようなものであって、無かったことにするべきではないのかもしれないけれど、それでも瞬間に戻れるなら戻りたい。
45歳 男性のストーリー
私の変えたい過去は高校生時代です。
高校入試の際に1次入試に落ちてしまい、1.5次入試で私立高校に合格しました。
合格したのはいいのですが、この学校ではひたすら大学合格を目指す勉強漬けの日々であり、しかも男子校だったので全くいい思い出がないのです。
この時の勉強のかいあって無事大学には合格できましたが、毎日のテストやら文化祭の日でも勉強やらと楽しいことを思い出すことができません。
しかも部活動もできませんでした。
なので私がもし過去を変えられるのであれば、多少レベルを落としてでも公立高校に入学して、何らかの部活動をやって同級生の女性たちともたくさん触れ合って、これぞまさしく青春という高校生生活を送ってみたいです。
41歳 男性のストーリー
現在、インターネットビジネス・FXトレーダーをして生活しておりますが、4年前まで7社グループの会長をしておりました。自分の変えたい過去はずばり、1円の大事さも気づいていなかった当時の自分です。
社員には1円の大事さを伝えていたのに、肝心な自分が疎かにしていました。365日付き合いで飲み歩く始末、、、。許させる経費内、自分の給料内でやっていたので会社資金には迷惑かけてはいませんでしたが、毎日酒臭い会長、社員にしてみたら本末転倒ですよね。
1円が大事といっておきながら毎晩飲み歩く始末。ちゃんと理由がありましたが理解される事は絶対にないと思いました。
そんな矢先の裏切り、追い出し、、そこまでやってきた努力が一瞬にして無くなり全て失い現在に至ります。
今はそうならないように家計簿をつけて生活しております。
31歳 女性のストーリー
子供の時私は好きな人ができると、もういてもたっても居られずに、好きを最大限アピールしていました。それは、好きな人の帰り道をずっとつけたり、休みの日に家に電話して本人が出たら切ったりなど、今になっては本当に迷惑なことをしていたと反省する日々です。

そんな私の最も反省する、変えたい過去があります。それは、好きな人がいくら好き好きとアピールしても相手にしてくれなく、馬鹿な私は相手にしてもらいたいがだけで、歩道橋の上から「この人はシスコンで、妹のことが大好きでお風呂に一緒に入ってまーす」と大声で叫んだんです。それを聞いた相手は私を追いかけました。それでも馬鹿な私は「おー相手にしてくれて嬉しい」と思っていた、どうしようもない奴でした。

今思い出すと本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
32歳 女性のストーリー
私は小学校から仲の良い親友がいました。何をするにも一緒で失恋したり失敗しても励まし合える、言葉なんかなくてもわかるようなそんな仲だと思っていました。
でも、気づいたときにはアラサーですべて嘘偽りだらけのフレネミーだったのです。
彼氏は寝取られ、失恋したら酒のつまみにされ、マウンティングは日常茶飯事、裏では私の悪口は言いたい放題、妄想癖の被害者面だった事を鈍感な私が気づかなかったのが悪い、いや、気づいていたけど自分に被害がないと思っていたから安心しきっていた部分でもある。
一度裏切られたときに気づいていれば、結婚式を白紙にすることもなく家族や仲間を悲しませ、怒らせる事もなかったんだろうなと今なら思えます。すべては長く一緒にいた時間が信頼だと思っていた過去を変えたい。一度不信を感じた時に縁を切ればよかったです。
34歳 女性のストーリー
私の変えたい過去は大学三年生の時に行った転職活動です。
あの時は「とにかく早く就職先を決めて、残りの大学生活を謳歌したい」というようなことしか考えていなかったため、企業研究もろくにしないまま就職活動をスタートさせてしまいました。
本当は一般事務に就職したかったのですが「志望動機を考えるのがめんどくさそう」という理由から志望動機が考えやすそうなSEで就職活動を行ってしまいました。
その結果、SEで就職が決まったのですが元々が法学部出身であり、文系人間だったのでいきなりプログラムが組めるわけもなく早々に挫折してしまいました。
また就職先が大きくない会社なので研修設備も整っておらず、一年目は毎日辛い日常でした。
あの時に戻れるのなら、就職活動の時に戻ってもっと真面目に就職活動をしたいと思います。
34歳 男性のストーリー
自営業で接客業をはじめました。始めた当時、とある会社から営業の電話がきて、
『御社専用の予約アプリを作成しませんか?』
と言われました。自分一人でのスタートでしたし、周りに相談しようにもなかなか相談できる人もおらず、
『これからの時代、必要になる時がくるだろうから。』
と、契約しました。
総額240万円ほど。分割で。
運用し始めて半年、なかなかアプリの恩恵を感じる機会がなく、せっかくアプリを使っての予約ができる状況になったのにもかかわらず、このような形となってしまい、あげくのはてに、
『契約しなければよかった。だからと言って契約後にキャンセルしたら240万の数十%の違約金を一括で支払え。というのも無理な話だったし…なぜ契約したのだろう。』
と、今でも後悔しています。正確には契約した次の日から自問自答の日々でしたが。
これがなければ月4万円ほど、余裕のある生活ができるはずでした。
そういう意味では変えたい過去の一つです。
45歳 男性のストーリー
幼少期より現在に至るまで基本的な性格は変わっていないのですが、
人に対して喜怒哀楽を伝えることができない私。
喜んでいる、楽しんでいるのだけれど「つまらない?怒っている?」
と言われることが多々あります。怒っていてもそれが相手に伝わらず
ナメられることもしばしば。
反対に悲しいのに涙ひとつ流せず、見る人からしたら冷酷だなと
感じられてしまっているかもしれません。
幼いころにどのような生活をしていたのか記憶にないのですが、過去
を変えられるのならば喜怒哀楽の感情が表に出せる、そんな性格が
備わった状態で成長ができたならば大人になった今、このような悩みは
無いのだろうなと思うので、願わくばこの性格を変えたいなと思います。
19歳 男性のストーリー
私は高校時代友達がいなくて寂しくて2・3回しか関わったことない先輩の女の子と青春してみたくて告白しました。しかし彼女は彼氏がいるみたいで私は気まずくなりました。高校にいるのも気まずくなりました。しかし彼女は廊下ですれ違う時おはようと挨拶してきます。私は気まずくそっけない態度をとってしまいました。私の心の中では彼氏いるからあんまり親しくしちゃだめだとずっと思っていました。こんなことになるなら告白しないで友達になればよかったとずっと後悔していました。後で後悔するからそれ以来誰にも告白しないようになりました。たぶん後から笑い話にされたかもしれないし僕は友達がいないし高校の同級生からは嫌われていたので益々私に対するイメージが悪くなったと思いました
40歳 女性のストーリー
大学受験せず専門学校を選んでしまったことです。
その時は、音楽以外の勉強は自分には不必要とすることが格好良いことだと思い、両親は大学への進学を進めてくれたのに、2年で4年分の学費がかかる専門学校へ進んでしまったこと。音楽大学にチャレンジする勇気、自信も無く、普通の大学に行くのもやめてしまったことをもう一度戻れたらチャレンジしたいなと思ってます。せめて普通の大学出ておけばよかったなと思いと、大学生でなければ過ごせない貴重な時間に今でも憧れてます。ただ、専門学校の友達も一生の友達だったりするので出会えなかったらと思うともう一度同じ道を選択するかなとも思いますが、大学へいってみたい気持ちは凄くあるので、過去が変えられるのならやはり専門学校ではなく大学を選びたいです。
18歳 男性のストーリー
私は現在高校三年生です。中学校では勉強をさぼってしまいあまり偏差値が高くない高校に入学しました。
高校入学後は留年などのことも考えたくさん勉強をしてきました。しかし、中学生の内に基礎ができていなかったため勉強に限界がありました。校内ではテストや評定平均は常に上位を保っていましたが上にも書いた通りあまり頭の良い学校ではなかったので他の高校とで比較すると頭の良さは普通ほどでした。
高校生活自体はとても充実していましたが進学は就職のことを考えるともっと早いうちに勉強を熱心に取り組むべきだと後悔しています。
なんとか勉強を頑張り医療関係の学校に進学が決定しましたが、中学生の頃からもっと勉強していれば自分の将来がもっと広がったのではないかととても後悔をしています。
これが私の変えたい過去の話です。
21歳 女性のストーリー
精神的障害を持ち、自分らしさを生まれつき制限される機会が多かった(今もですが)のですが、自分ももちろん家族も気がつくことはありませんでした。
ただ症状に耐え、我慢を続ける日々が限界に達した時、私がストレスによる身体症状が現れました。高校生の時でした。
自分でも、もちろん親も私の障害を受け入れられなかったため、親からは冷たい言葉を吐かれました。精神障害をコントロールしたり我慢したり、普通の人のように振る舞うことなどできないほど疲れてしまった私を、家族から腫れ物を触るように接せられました。

私に「普通」を求められる家族に理解してもらうことを私は半ば諦め、容認しました。
「普通」のフリを必死にして、ダメな時は家族に自分を否定され、また普段の症状からも精神的負担を強いられました。希死念慮も症状として現れることも良くあったため、本当に、楽しいことをしても楽しくない。毎日辛さ、悲しさ、絶望感しか感じない。死んでしまおうか。と何度も何度も、何度も何度も思いました。

今は、一人暮らしをして、大学で研究しています。障害を自分で受け止めつつ、毎日を過ごしています。私の障害を理解できなくとも、辛さをわかって助けてくれる友達がたくさんできました。治療に励み、毎日薬を飲んでいます。家族も私の訴えを聞いてくれました。落ち着いて、丁寧に説明したことで、治療や障害を理解してくれています。将来のことも、障害を踏まえて一緒に考えてくれます。

私が変えたい過去は、私の価値観、考え方です。障害がなければ、家族に冷たくされなくてすみましたし、症状による過度のストレスを負わなくて済んだと思います。障害さえなければと思うこともありますし、何で他の人とおんなじようにできないんだ、何で自分は感情が不安定になるんだ、などと考えることは多々あります。しかし、その全ても私は自分の一部として受け入れられたので、今は高校生の頃の辛い思い出は新しい自分になれた良いきっかけでもあります。

変えたい過去の考え方は、自分を受け入れなかったこと、ストイックになりすぎて「こうでないといけない」と追い詰めてしまったことです。
確かに、真面目で努力家でストイックな私は成績優秀で、県内でも上位の高校に入学しました。今考えると障害を持ちながら努力し続けた自分を誉めちぎりたいレベルです。笑
ですが、「ちゃんとしないと認めてもらえない」「自分など価値はないのだから、出来ることで認められよう」「また失敗した、自分なんか何にも役に立ちやしないダメなやつなんだ」とよく思っていたのです。この考え方は本当に危険です。いくら良い結果や成果をあげても、精神的に自己破壊しているのと同じです。(現に私は崩壊しました)
こういう考え方をする方は、真面目で、些細なミスも許されないまたは許せない方なんですよね。自己評価を低く、低くして、決して傲慢さも持たず、慎ましく生きようとしているのだと思います。
私は、もし、この内容を見られてる方の自己評価が低い方には、とびきり応援をして、褒めて褒めて、貴方の存在の大きさ、素敵さをいっぱい語りたいです。私からしたら、普通の人が普通に生活してるだけで凄い事なんです。羨ましいし、かっこいいです。やる事やらないのにダラダラしたってかっこいいですよ。笑

自己評価の低い考え方を時間をかけてゆっくり変えてきた私は、「自己評価高くしておけばよかった、今までの人生めちゃくちゃ損をしたな」って思ってます。障害に苦しめられても、障害でやるべき事が(やりたくても)できない自分を責めず許して、認めてあげる(認める事もプライドが傷つく事もあります)事で、私は生きていて幸せなのだと思えます。希死念慮も今もありますが、「いや、普段の私はこんなこと思わない!」となんとか理性で耐えてます。笑
今まで生きてきて思うのは、障害同様、自己評価の低い考え方の方が自分にとって大きな闇でした。障害が無くても、自己評価の低い考え方のまま生きていたら、きっといつか後悔してしまう時が来るのだと思います。

自分を責めても、自分を苦しめるだけです。得られるのは贖罪をしたように感じるだけ。
それに何の意味があるんですか?何の生産性がありますか?
自分を本当に幸せに出来るのは、他人ではなく自分です。自分を認めて許してあげるのは他人の役割ではなく自分の役割です。
私は今、こう考えて、日々幸せになることに努力しています。
50歳 女性のストーリー
私の変えたい過去は、幼少時代、男性にいじめられていたことです。そのため、登校拒否児になり、勉強が遅れてしまい、公立に行けませんでした。
未だにそれが原因なのか分かりませんが、男性に嫌われています。職場の男性も怖がっているか、タイプじゃないのか、寄ってもきません。私もいい年なので、積極的に寄っていくほうではありません。男嫌いだと勘違いされてしまっているようです。本当は、男性のほうが優しいから好きなんですが、いやがられては、こちらもひくしかありません。最近は、どうでもいいかなと思ってしまいます。しかし、友人たちが、旦那様のことを自慢する度に羨ましく思う時があります。
老後も近いので、これからどうなるか心配になってきています。
意地悪された過去を消したいです。
26歳 女性のストーリー
私の変えたい過去は高校三年生の受験期です。もともと兄弟が美大に進学しており家計は余裕があるわけではなく、私が進学の際にはできればお金がかからないようにしてほしいという親の意向を直接ではなく間接的に伝えられていたため、自分が本当に行きたい進学先ではなく全く興味がないところへ進学してしまい、今社会人になり無事大手金融機関へ入社をいたしましたが、入社して数年経ってもやはり夢であったインテリアデザイナーを諦めることができず、会社を退社しまた専門学校へ通っています。今となれば、また夢を追いかけられるありがたさを感じていますが、高校三年生の受験期の時に進路を曲げず、夢を追いかけて、美大またはデザインの専門学校へ進学していたら今頃は違うだろうなと後悔してます。
45歳 女性のストーリー
子供は親を選べないけど、親を選びたかった!
両親は私が3歳で離婚、新しい父は酒、ギャンブル好き、毎日のように母と喧嘩。
酔って大声で怒鳴ったり、人に怪我をさせて警察のお世話になったり。
母は私のことはかわいくなかったようで、話しかけても「あとで」と言ってばかりで無視。
時々ヒステリーを起こし、ご飯も食べず仕事も行かず、部屋に2〜3日閉じこもることも。
私が12歳のとき、高齢出産で妹を出産。私は「妹と親とで家族ができあがった。これでわたしは家族からはじかれた」と感じました。
学校ではいじめを受けることはなかったので、大学進学を期に家を出ました。
就職してからは、お金に困ったときだけ連絡があり、お金を貸しても返さない、妹の奨学金の保証人にさせられて、返済しない、など、酷い目にあいました。
挙げ句の果てには、かわいがってくれた祖母の死を知らされず、半年後に知りました。
それを期にうつになり、精神科ではアダルトチルドレンと言われ、カウンセリングで最近やっと復活。
過去の教訓を生かし、今は親と関わらないように生きています。
36歳 女性のストーリー
私は過去、精神的にかなり弱くギャンブル依存症になってしまったことがあります。
とにかく毎日パチンコへ行っていた時期もありました。
そのきっかけになった元彼と付き合う前に戻りたいです。
その元彼自身がパチンコ、パチスロ大好きで毎日のように行っていました。私はそのときはあまり興味がなかったので一緒に行くことはなかったのですが、ある日私の好きなアニメがパチンコになっているからと無理矢理ホールへ。
しかも3000円くらいで当たり、3万くらい勝ちました。
すると私は一気にハマってしまい、彼とは会うたびにパチンコデート。
しかも彼はかなり借金を作っていたようで、私にパチンコで勝ったら返す、と何度も数万円を貸しました。
結局、彼は浮気をして、私から借りた300万も返さないまま消えました。
そして私自身もギャンブル依存症になり、借金を作ることになってしまいました。
なので、彼と付き合わないという選択ができればいいなぁと今でも思ってしまいます。
26歳 女性のストーリー
それは私が中学生の時のことでした。

背の小さかった私は整列をするたびに一番前で
それはそれは悔しい思いをしていました。
そんな私が体育祭の行進の練習で、とある
お願いを先生からされました。

それは退場し終えたら「回れ右」とクラス
全体に声をかけてというものでした。

私が一番後ろだったので任命されたのでしょう。

しかし身長だけでなく気も小さかった私は
私の声でみんなが動いてくれるのかなと、
とても心配をしていました。

しかし、そんな心配は杞憂に終わりました。

そして帰った後、お風呂で母親に先生に
任されたんだよ、と自慢げに話していました。

その後の練習でも、何の失敗もなく
体育祭当日を迎えることになったのですが、
当日、私は大勢の前で緊張をしていました。

「人前で大きな声を出すなんて…」

私の緊張は最高潮でした。
そして行進での退場をし終えて
私がクラス全員に放った一言

「右向け右」

練習があったのでみんなが間違えることは
無かったのですがとても恥ずかしかったです。

あれから10年以上たった今でも思い出すと
穴があれば入りたいほど恥ずかしいです。
変えられるなら変えたい過去でした
40歳 女性のストーリー
20代の頃、付き合っていた彼がパチスロにハマっていて、自然とデートの時間に私も一緒に行くようになりました。もともとゲームセンターのコインゲームは好きだったのですが、「どうせお金でコイン交換して遊ぶなら、返ってくる可能性があるパチスロの方が楽しいよ」と彼に言われて「確かにそうかも」なんて思って、気づいたら自分ひとりでも暇な時間に行くようになってしまっていました。最初はビギナーズラックでけっこう勝っていたのでますますハマってしまい、その彼と別れてからも時間さえあればひとりで行くようになってしまいました。それなりにお金も時間も浪費してしまい、後に債務整理を行うことになってようやく止めることができました。人生が取り返しのつかないことになるほど多額ではありませんでしたが、パチスロにハマっていたなんて親もいまだに知らないし、夫にも言ったことはありません。貴重な20代をもっとほかのことに費やしたかったです。
40歳 女性のストーリー
誰かと会って、一緒に時を過ごしたり、遊んでいる最中..もしくは、相手の家へ泊った時とかでも、自分自身がしっくりこなくて、違和感を感じてしまったら即座に「帰ろう」「帰りたい」と思ってしまう事。もちろん、いきなりその場で「もう嫌、」と態度で示し、帰って来た事もあった。宿泊するつもりで、寝入ったものの我慢ができなくなり、真夜中であっても帰途に就くだとか。家族が相手だと、感情任せにブチ切れ、毒を吐いて帰って来たりしていた。相手から気に障る言動だったり、何か神経に障る一言を言われると気になって気になってずっと考えてしまい、最終的に自分がその場から居なくなりたい、という結論に辿り着く。居なくなる事でしか、自分を保てないというか。突発的にそんな行動をとってしまった自分を思い出すたびに、悲しくなります。
30歳 女性のストーリー
息子が6歳になり、誕生日会で保育園の担任先生より、
「○○君は大きくなったら何になりたいですか?」
という質問をされた事をきっかけに将来の夢についてを考えるようになりました。
勿論、母親の将来の夢と今の職業について、問われます。

私の変えたい過去は、18歳の頃の過去です。

高校で、演劇部に所属して、全国大会や実際のプロ(劇団四季など)の方からの指導を頂く機会が多い中、高校三年生の秋に個人演技賞を近畿内の大会で受賞しました。
それをきっかけに、プロの方からのオファーがいくつかあり、私は是非とも舞台俳優としての道に進みたいと父親に打ち明けました。

当然の如く、「アカン」の一点張りの父。母親も、「そんなんで食べていけないでしょ?」と拒否されました。

でも、どうしても演劇の道に進みたい私は、秘密で、アルバイトのような形でプロダクションに所属しながら大学へと通いました。

秘密というのはどこかでばれてしまうもの。
親に見つかり、プロダクションを強制で辞めさせられてしまいました。

それでも、自分が進みたい道へとガンガン進む勇気が私には無く、諦めて一般企業へと就職しました。

でも、子どもが出来て、その子どもから、
「ママ、夢は諦めちゃそこでおしまいなんやって!いつか掴むチャンスがあるかもしれへんからその時までじーって待つんや」
と息子に励まされ、勇気をもらいました。

あの時、息子みたいな背中を押してくれる人で出会ってれば、私は今、こうしてここにはいなかったのかな?と思います。
30歳 女性のストーリー
大阪の大学を卒業し、地元だが実家からかなり離れた田舎街に就職した。自分のやりたかった仕事につき厳しい先輩のもと一生懸命に勉強しながら働いた。同じ職場で出会った一人の男性と交際し、いつかは結婚を考えるようになった。また、いつかは実家の近くに戻りたいと思っていたが、彼が仕事をやめて私の実家のある街に移動したいといって、私もどうするか考えたが一緒に実家のある街に移ることを決めた。しかし、前と同じ仕事につくのは難しく、違う資格を取って働くことを決めた。
今になって思うと、彼だけ移って私はそこに残ってもう少し腕を磨き勉強すればよかったと今ではとても後悔しています。今でもその時の仕事をもう一度やりたいと思っていますが、現場から何年も離れるともうできない職のため本当に後悔しています。
25歳 女性のストーリー
私は高校卒業まで親の言う通りにしてきましたが高校卒業後の進路先である動物の専門学校も親の言う通りのところに通いました。
でも私はその頃漫画家をめざしていて絵の専門学校に通いたかったんです。
親には手に職を持っていろ、動物の専門学校を卒業してから考えなさいと言われていました。
しかし、高校も手に職を持っていろと言われて調理師の免許が取れる学科のある学校を卒業した為、これ以上親の言いなりにはなりたくないと思ってしまいました。それからは親の反対を押し切り動物の専門学校を中退し上京しました。
今では新聞奨学生として働きながら絵の専門学校に通っていますが仕事は慣れたのですがやっぱり寝れなくて精神的にもダメージがきます。私の変えたい過去はその動物の専門学校を中退せずやり遂げて上京してれば良かったです。
43歳 男性のストーリー
これは私が実際に体験した人生の中でもかなりショッキングな出来事です。その日は、仕事でイベントもあり、いつもと違う場所への出勤でした。とはいってもそれほど遠方に行くわけでもなく、使い慣れた電車だったのですが、通常のラッシュ時より少し遅いぐらいで、満員電車とはいかない程度で、座ることはできないまでも車内に余裕があるぐらいでした。電車に乗り、これからはじまるイベントの連絡などで携帯電話で同僚とメールのやり取りをしていました。普段はあまりつかわないのですが、仕事のやり取りもあり、カバンを網棚に載せていました。あと一駅で着くぐらいのところで、イベントの関係で急いで電話をしないといけないことに気づきました。電車の中だったので、次の駅で降りてすぐ電話しようと頭で考えていたぐらいに電車も着き、飛び降りて急いで電話しました。電話してる最中になんか軽いなと思った時には時すでに遅く、普段使いもしない網棚に置いたカバンは電車とともに出発。一瞬何が起こったかわからないまま放心状態になりました。
●とにかくパニック
次にパニックです。まず、大事な手帳、財布、イベント資料など、さらに財布にはクレジットカード、免許証、保険証、銀行カード、現金が入っておりました。現金は普段あまり入れないものの、当日に限って子供の習い事の月謝や週末の旅行代金10万円程度が入っていました。手元に残ったていたのは、原因となった携帯電話、そして交通系ICが入った名刺入れ。ある意味、せめてものすくいだったかもしれませんが、電車とともにいってしまったカバンの中身を考えるともはやどうやって生きていけばいいんだ、今日のイベントどころではない、人生最大のピンチだとパニックでした。しかも、この電車は長距離運行で、二つ先の県まで行ってしまう電車でした。もはや追いかける方向もない。これほどゾッとした経験は今までないぐらいで、自業自得なだけに自分自身が本当に嫌になりました。
28歳 女性のストーリー
高校2年生の時に出会った彼と付き合ったことを変えたい。
今では、違う彼と幸せに生活していますが、当時の人とは今の彼と結婚するまで悩まされました。簡単に別れてくれず、自傷行為に走ったりストーカー化して付き纏われる事もしばしばありました。
当時はブログが流行っていたので私もしていましたが、コメントは当たり前にされ、毎日のように監視されてました。どうにか別れた後も付き纏われ、連絡もきてたりしましたが、今の彼と付き合ったら自然となくなりました。
ただ、今の彼と別れた後、どこから知ったのか連絡をまたしてくることが増え、趣味のライブ観戦にも参戦していて、見かけた連絡がくる事がありました。
最近になりお互い結婚したので、なくなりましたが…結婚する直前まで最後の思い出〜とか言ってたので、本当に出逢いたくなかったし、買えたい過去になってます
48歳 女性のストーリー
私は18歳まで田舎で育ちました。
小さい頃から何らかの表現者になりたいと思っており、絵、歌、演技・・・様々な表現手法に興味がありました。
それらを習いたいと思っても「東京の子じゃないから無理」と言われ断念するしかなかった幼少時代でした。
知らず知らずのうちに私はそれを抑圧だと感じていたようで
その反動なのか、18歳で大学進学のために東京に出てからは堰を切ったかのように
やりたいと思うことは何でもやりました。
結果、あれもこれも手を出しすぎて「自分にはこれ」と自信を持って言うことが出来るものが何一つありません。
それは仕事についても共通していて、○○の専門と言うことが出来るものは何一つも見つけることが出来ません。
やりたいことを追い続けてしまい、目の前の面白いことだけに集中してしまい
苦難を伴うものからは逃げていた結末がこれです。
実は表現者になりたいと思う傍らで、医者になりたい・・・という夢も持っていました。
そのどれにも近づこうとせず、目の前に降ってくるものだけを追い求め、それはそれで何らかの形になったとしても、強い思いやベースがあるわけではないので長続きするわけがありません。
大学生だった自分に渇を入れたい、あの時代は楽しかったはずなのに、今の私の目線で見ると暗黒の時代です。
48歳にもなり、本来ならばもう少し落ち着くべきところ、とにかく今は生きていくことに必死です。
それもこれも大学時代、そして20代でしっかり種まきしなかったことが原因、自分の責任です。
安定や普通なんてつまらないと思っていたあの頃の自分について、今更後悔しても仕方がない、前に進むしかありません。
これが私の人生ですから、泣かずに負けずに戦い続けます。
48歳 男性のストーリー
私の変えたい過去は、バツイチなので前回結婚した事実を変えたいです。
理由は、私の家族、親族、友人、知人など色々な方に迷惑をかけた生活でした。結婚が早く、10年位生活をしていましたが、子供もおり普通にアパートで暮らしていました。
最初は良かったのですが、相手方の家の資金繰りが悪くなり、近くに住んでいた私の親族から金策したり、私も2本ほど借金の保証人になったりと散々でした。
私はサラリーマンでしたが、若い割には収入があったと思いますが、家計を任せていたので、別れる時には貯金ゼロ、処かマイナスでした。どのくらい援助していたのかも解らず、別れてからも保証人になった金融機関から督促が再三あるなど、もう思い出したくも無いです。
26歳 女性のストーリー
高校時代、冬の寒い朝。寝坊してしまったばっかりに急いで通学することに。
いつも使う急な坂を、この日は猛ダッシュで下っていました。
すると、おじいさんと小学生の子供が上ってくるのが見えたので、少しスピードを落とし脇に避けて進んだら、次の瞬間、コンクリートの地面にたたきつけられていました。
衝撃で何が起こったかわからず、立ち上がれないまま、全身痛いのか冷たいのか、へんにあったかい。手袋をした手で顔を触ってみると血が・・・。顔着(がんちゃく)。顔面から着地したみたいです。
さっき来た道に目をやると、先ほどのおじいさんと小学生はこっちを見ながらも、何事もなかったかのようにそのまま上って行ってしまったんです。
その時何を思ったか私は「なんで助けてくれないんですかぁぁぁ!!」と動けない&半泣きの状態で叫んだんです。それでも無視して行ってしまったのですが、、、。
しばらく立ち上がることもできずにいると、通りすがりの男性が助けてくれ、無事、救急車を呼んでもらえました。

けがは顔面に10針以上で骨折せずに済みましたが、今も傷を見るたびにこの出来事を思い出します。
今思うと、あのお二人は、助けてくれなくて当たり前なのかもしれないです。
もう、坂道猛ダッシュ&叫ばないので、過去を変えられたらな~と思います。

因みに、転んだ原因は丸太でした。近所の小学生が置いたみたいです・・・。
40歳 女性のストーリー
昔は絵本作家になりたかったです。
というのも、絵を描くのも大好きだったし、話を作るのも大好きだったからです。
一人遊びとして、よく広告の裏の白紙を利用して、頭で話を考えてセリフを考えながら絵をかいていました。
また、絵を描く荷が好き!ということで、親に絵を習わせてもらったこともあります。
学校で賞をもらったこともあります。
また、私の出身小学校では「手作り絵本クラブ」ってのがあって、小4からクラブ必須だったのですが、ずっとぞのクラブで活動してました。
そのクラブではもちろん先輩はいるのですが、その先輩の作品がすごく素晴らしくて。
小さいながら、私もその人みたいに絵がうまくなりたい!と思うようになりました。
話も子供が楽しめるような話が作れればいいなーと思うようになりました。

でも、結局はなれなかったんですけどね・・・。
26歳 男性のストーリー
メンヘラセフレが妊娠。。その時の対応を失敗した。。

私が大学2年生だったときのことです。女に飢えてた私は、出会い系サイトを使ってセフレを探していました。確か「LINEチャット」というアプリを使っていました。2回ほど会い、なんと一回の中出しセックスで妊娠してしまったのです。
「ちょっと話がある。」という連絡から
「妊娠したかもしれない」と報告を受け

ここまではまだ100歩譲って仕方のないことではあるものの(ゴムをしていたら防げた話ですが)

このように返信してしまったのです。
「てか俺の子供?
違うだろ。
他にもセフレいたよね。
てか学生だし下ろしたほうがいいよ。」

ここからが悪魔の始まりでした。
相手は私のSNSの友達全てに友達申請をし、
この男は最低の暴力男、人殺し
などと投稿をし、非常にめんどくさいことになりました。

この経験から、犯してしまったことに対して紳士ある言動が出来ていればここまで大事にはならなかったと思います。

もちろん遊び女に中出しセックスをすることは良くないことですが、
事実が分かったときに

まずは体の心配であったり、一旦落ち着いて話し合う機会を設けたりするべきであった。

「一番ひどい友達からの裏切り」

20歳 女性のストーリー
私の友達はある俳優が猛烈に好きでした。
私は全然テレビを見ないのでその俳優に興味はありません。ですがずっと「カッコイイからこれみて!」って言われてたので仕方なく毎日毎日その俳優を見ていました。その俳優のかっこいいところ、可愛いところ、を興味もないのに毎日urlを送り続けられ、感想を求められました。「一緒に推そうよ!(ファンになろう)」と毎日誘われました。
そして私は毎日見てるせいかその俳優を好きになってしまったのです。そしてその事を友達に伝えると、その友達は「身近に同担はいらない(ファン)」と。冷たくされ、その日から口を聞いて貰えなくなりました。「一緒にファンになろう」という言葉は何だったのか…未だに分かりません。
24歳 女性のストーリー
大人になってからできた友人の話です。
別の友人の紹介で、彼女と三人で一緒にあそぶことがありました。その時に趣味の話で盛り上がって、連絡先を交換してそのあとも二人で遊ぶようになりました。
中々趣味の合う友人が田舎たこともあり、彼女への信頼もあっという間に私の中でできていました。気を許すようになってプライベートな踏み入った話をするようになって、家がそんなに遠くないこともわかり、週に何回も会って話すようになりました。
でもそれが間違いでした。彼女はだんだん時間にルーズになり、待ち合わせに遅れてくることもしばしば、お金がないと言ってご飯をおごることもたまにありました。
彼女のことを信頼して、見返りを求めているわけではなかったので、少しずつもやっとした気持ちはあったものの、友人関係を続けていました。

でもそんな気持ちもある日爆発してしまいました。大事な用事で待ち合わせをしていたのに、彼女は時間を過ぎても来ず、連絡も帰って着ませんでした。しばらく待って連絡が来たと思ったら、寝てた。いまから準備する。と謝罪もない簡素なメールが。
私はもう彼女と付き合っていられないと思い、来なくていい。と言って、そのあと連絡先をブロックして、縁を切りました。
27歳 女性のストーリー
これは私が大学生の時に経験した話です。
当時仲の良かったAちゃんとBくんがいました。だいたい授業が同じで、一緒にいることが多かったのですが、いつしかBくんの人柄の良さに惹かれている自分がいました。それに感ずいたAちゃんは、協力してあげる!と最初は乗り気でした。しかし、協力するどころか、だんだんと縮まっているような気がするAとB…。おかしいなと思った私は、Aちゃんに聞いてみることにしました。すると「実はBとは3か月前から付き合っている」というんです!!私が相談したのが1か月前だったので、その前から付き合ってたことになります。なんで黙っていたのか聞くと、私がどんな反応をするのか見るのが楽しみだった、と言われました。もうショックでした。その事実を知ってから、2人とは距離をとり、卒業するまで一言も話すことはありませんでした。
一時、友達ってなんだろう…と本気で考えた時期もありました。
20歳 女性のストーリー
私が当時付き合っていた彼氏の相談を友達にしていたのですが、浮気っぽい行為をしていることがあると相談もすることがあったのですが実はその友達が浮気相手で私が付き合ったって報告を友達にした直後に彼に友達が連絡し何度も会うようになり、彼も友達のことが気になりはじめて浮気に発展したと後日彼氏に聞かされました。
でも友達は私に彼のどこが良くて付き合っているのかわからないし自分だったら絶対に付き合わないとまで否定的にいっていたので初めはどうしても信じられなかったし、友達に確認しても違うっていってくれるとどこかで思っている自分がいました。ところがやはり彼女に確認すると嫌いどころか彼のこともともと好きだった後で言われたときは心のそこに穴が開いたように傷つき本当にこんなあっさり裏切られるんだなと思いました。
21歳 女性のストーリー
私はよく変わっている、個性的と言われます。
自分でもそう思います。「他者と同じ行動はしたくない」と小さい頃から思っていました。
自分は自分のやり方で生きていくのだと。
それ故なのか、幼少期から高校生まで酷い扱いを受けてくることが多々ありました。
一番酷い扱いを受けたのが中学2年のときです。複数名から突然裏切られ、そして都合のよい人間のように扱われました。一番酷いを「沢山の人から裏切りを受けた一番酷い時期」とさせてください。

中学2年を向かえ、6月にさしかかろうとしている頃。私は同クラスの人から突然「臭い」と言われ、のけ者にされるようになりました。私の目の前から去る、見えるところでの悪口、因縁、文句、誹謗中傷、それが日常茶飯事に。それも仲がよかった人から突然に。

―中学1年の時は仲良かったのに・・・。
  私たちは仲良しじゃなかったの?

確かに私は不潔かもしれない。成長期だったため、身体に様々な症状が現れそれの処理に手がおっついていなかったことは認めます。ですが、そこからの誹謗中傷はあまりにも酷すぎて・・・。次第にその波長は広がっていき、部活で同期から同じように扱われるようになりました。クラスでも彼女達と仲のいい人も私を同様に扱ってきました。その仲のいい人もそれまで私と仲がよかった友達でした。孤立し続ける自分、それでも同クラスに好きな人がいたから乗り越えられました。「好きな人は頑張っている、だから私も負けてられない」と。一番酷いときには私が何かしらで成功すると必ず何か因縁を付けられました。そのため「私は成功しちゃいけない人間なの?」と追い詰められ、物事の成功が怖くなりました。今でもそれは後遺症として残っています。
そんな時間が6ヶ月以上続きました。しかし私がクラスの人から認められたり、部活で活躍したりするとそれまでの対応はなんだったの?と思える程、私に親しくなりました。「あの時はほんとごめん、忘れて」といってくる人、なにもなかったかのように振舞ってくる人。
今思えばあのときの私はよく許したなと思います。人を邪魔者のように扱ったのに、辛い思いさせ、後遺症を植えつけたというのに今更何言ってるのと。ましてや「忘れて」なんぞ、出来るはずがありません。高校のときは彼女たちと仲良く接して来ましたが、大学になった今では赤の他人と思っています。古い関係が大嫌いな私ですからそれは確実に。


そしてもうひとつ、私の恋を応援するとかいっときながらそれを弄んだ人がいます。
私は初恋をしたときにどうしたらいいのかわからず、仲がいいと思っていた友達に打ち明けました。「誰にも言わない」と言いましたから。するとその友達はそのことをあちらこちらにばら撒きました。おかげで本人には当然、同期全体が私の好きな人を知ることになりました。当然避けられるようになり、目で追っているだけの窮屈な日々になりました。なのにその友達はまた別の友達2人と一緒に「さっさと告白」や好きな人と私の絵を描いて遊んできたりと楽しんでいるようでした。

―そんな状況で告白なんぞ出来るはずもない。

本人達はただのおちょくりのようでしたが、私には裏切りといじめにしか感じられませんでした。
そして月日が絶ったあるとき、先ほどの虐めも治まった頃、ばら撒いた友達は私にひとつの手紙を渡してきました。内容を拝見すると「好きな人が出来たから聞いてほしい、だれにも相談出来なくて・・・」
云々と綴られた最後には「あなたの好きな人のこと、ばらしてごめん!」と。
それから後々になってその友達と何故か親しくなり、あるとき好きな人の話になると「まあ、バレたけどみんな応援してくれたからいいじゃん」と言われました。

―好き放題私と私の恋を扱って?
 それでその態度?
 おまけに恋愛相談だと?

高校になってからもその友達は勝手に怒って勝手に元に戻ってと私は振り回され続けました。
高校卒業の頃は私に既に親友がいたので関係を自分の中で絶ったものの、今でも年賀状が届きます。もちろん返していません。先ほどと同様、彼女たちは赤の他人です。


このように裏切っては私を好き放題扱った後に謝ってきたり、何事もなかったかのように接され都合の良い人間のように扱われてきました。少し鋭利な言葉表現になってしまったかもしれませんがこれが私の本音です。
ぶっちゃけもう高校からの親友以外の小中高の人とは会いたくないです。それ程までに私の心の傷は大きいものでした。黄昏の話をしても仕方ありませんが人に「裏切りやいじめは人の心に大きな傷を残す」ということを伝えたいです。私のような被害者はもう出てほしくないですから。
28歳 女性のストーリー
一番ひどい友達からの裏切りは、小学校からの付き合いの人から受けました。
今から4,5年前の事です。私が入社した会社に、数か月後彼女も入社予定でした。
私の研修として、自分の知り合いを呼んでほしいとの事で、彼女が来ると言ったので
お願いしました。
彼女はお客様としてきたので、その日の態度はスタッフ一同良く思わないぐらいの態度でした。しかし、彼女の前職からしてきっと即戦力になると思い、彼女には会社の研修の事や皆喜んでいたことを伝えました(社長は少なからず期待していました)。
その態度が原因で、もう一度面接することになりました。
その面接日台風もあって大雨になりました。
彼女に連絡とると、「断ったよ。」って言われました。
次の日会社に行くと店長に呼び出されて、「何か言ったの?」言われて、
意味が分からず詳しく聞くと電話で私が言った事が不快に感じたので辞める事にしたそうです。その日から連絡すらとっていないのですが、何かしら理由をつけたかったのか、本当に私が言った事が嫌だったのか分かりませんが、嫌なら嫌と口にする人なので全く理解できずにいますが、幼馴染みたいな関係だった為ショックでした。
40歳 女性のストーリー
昔私はいじめにあっていました。
それは突然で、いじめてきた人は何で私をそこまで毛嫌いするかわかりませんでした。
最初のうちは、周りも「なんであの人はそういうこと言うんだろうね?」と一緒になって怒ってくれていたのですが、次々と何故か私を避けるようになってきて。とある人の事を呼ぶ時に「〇〇ちゃん」とあだ名で呼んだ時、周りにいた人達は「〇〇ちゃんだってー」と笑ってました。別に変な呼び方ではなく、今までと同じ呼び方で他の子も同じ呼び方をしてました。私がそう呼んではいけなかったんだろうか・・。段々とクラスにいるのが嫌になってきました。
唯一仲の良いグループ・・といっても私合わせて4人なのですが、たまたま私以外の3人が離してて「何話してるの?」って話に加わろうとしたら、とある子は「あんたには関係ないから。あっちいって」と言われ。3人でワイワイ仲良く話してました。
それ以来、そのグループの輪には入ることができず。
今まで仲良かったはずの友人たちも、まったくと言っていいほど無視するようになりました。
すごく辛かったです。
友だちだって信じてたのに、裏切られた気持ちでいっぱいでした。
そのころの知り合いとは、もう顔合わすこともないです。
同窓会のお知らせが来ることがあるのですが、今更どの面さげていけるんだ?!と、来るたびに毎回破って捨ててます。
45歳 男性のストーリー
数十年前、私は沢山の友人がいました。
その中の一人は、朝まで飲み続けたり、協力してナンパしたり、就活の相談をしあったり、私にとって特別な存在でしたし、相手も同じように大事に思ってくれていると自負していました。
いつもの居酒屋で、いつものようにくだらない話をしている時に友人が打ち明けてきました。「ここの女将さんの事…俺好きやねん」私は驚きましたが、うれしくもありました。なぜなら女将さんも不幸な過去があり、包容力のある、優しい彼氏がふさわしいと思っていたからです。
私はその場で断言しました。「何とかして二人をつなげたい」それは二人にとって幸せな事だと思ったからです。
何日かして私は一人でそのお店に行き、その事を伝えてみました。女将さんは乗り気ではなく、少し困った感じでしたが「女性は押しに弱い」という自論があったので、何とか納得させて、その場を去りました。
後日「女将さんは私の事が好きだった」と人伝いに聞き、私の行動が申し訳なかった。と反省しました。当然、居酒屋へは足が遠のき、その友人ともなんとなく離れてしまいました。
私が最善だと思ってとった行動は、二人の心を傷つけてしまいました。
45歳 男性のストーリー
前の職場で同僚で、10年来の友人でもあった人と一緒に会社を起業しました。お金が無いとの理由で資本金やその他の運営資金はすべて私が捻出しました。
何もないところから始めた事もあり、最初の半年はどんどん用意したお金が無くなっていき苦しいレベルでしたが、徐々にお客様から利用してもらえるところまできた途端、会社の金を着服した上に会社の金を持って、そのまま姿を消されてしまいました。
世の中にはよくこのような話があると聞きますが、まさか自分も同じ目に合う事になるなんて夢にも思っていませんでしたが、彼との共通の知人曰く、ネットワークビジネスにはまっており借金がすごかったそう。おそらく持ち逃げした金はそれにつぎ込まれたのではないか?と思う。正直言って相手のした事は泥棒であるし、刑事罰も含めて検討したいところであるが、そんな奴を友人として見ていた自分にも非はあるし、何をするにしても追加でお金が掛かってしまうので、自分の恨みを果たすのに追加で金を使うのはやめました。今はその会社を畳んで普通のサラリーマンに戻りましたとさ。人の見る目が無かった自分が情けない・・・・。
31歳 女性のストーリー
高校からの友人でとても仲良くしていました。卒業してからも、週に数回は連絡を取り合い、月に1回は二人で飲みにいっていました。
 ある時、友人は長く付き合った彼氏に振られてしまいとても落ち込んでいました。その時も思い出話を聞いてあげたり、思い出の品を捨てられないと嘆く彼女にお願いされ、一緒に捨てに行ったりしていました。
 私の中学校時代からの友人(男性数人と女子1人)とお花見をすることとなったときに、彼女の気分転換になればと思い誘うことにしました。彼女は二つ返事で参加。その中の私の友人の男性を気に入り、そこから2週間後には付き合うことになったようでした。それをとてもうれしそうに彼女から報告を受けました。
 そこまではよかったのですが、そこからです。彼女はとても嫉妬深かったようで、私の悪口を彼氏(中学時代からの友人)にあることないこいうようになったのです。それだけならまだしも、彼氏から紹介された友人(これまた私の共通の友人)にまで、私の悪口をいうようになりました。そして、一切の連絡をとらなくなりました。
 女友達は、男で関係性が変わると思った話です。
 ちなみにその友人二人は結婚しましたが、男側から結婚式に招待されました。彼女はどんな気持ちで私が参加しているのをみていたのでしょう?
 彼女とはそれっきりですが、男側の友人とは今でも仲良く、飲みに行っています。そしてその時の話をお互い笑い話にして話しています。
46歳 女性のストーリー
友人から、一緒にビジネスをしないかと誘われました。
長い付き合いで信頼関係のある友人からの誘いだったし、ビジネスの内容や条件も、自分が希望していたものでした。
私は二つ返事でオーケーし、仕事の話を順調に進めていきました。売上や給料制度などのお金の話も具体的に説明されていたし、当時の私の仕事の退職の話も進めて、来月にでも仕事をスタートさせようとしていた時に、突然裏切りにあいました。
一緒に働く話は白紙に戻してほしい、と一方的に言われ、納得できる理由の説明もなく、私の方に非はないとのことで謝ってきましたが、誠意の感じられるものではありませんでした。私は路頭に迷ったような、心身を病んだ状態になってしまい、しばらく体調不良でまともに働けませんでした。
それ以来、一切連絡は取っていませんが、友人の気まぐれに振り回され、ひどい目にあいました。
31歳 女性のストーリー
中学生の時に同じ学校の同級生を好きになりました。その人は陸上部でとても足が早く、私は毎日教室からグラウンドをみて、彼にドキドキしていました。そんな私をみて、周りの友達たちも応援してくれて、毎日「今日あいつ遅刻してきたよ」とか「今あいつトイレ行ったからチャンスだから話しかけてきなー」など情報やアドバイスを教えてくれました。

そんな毎日を過ごしていて、とうとう私は自分の気持ちに我慢が出来なくなりました。いつも1番に応援してくれていた友達に「私明日告白してくるわ」と宣言して、次の日放課後彼を呼び出し、思いの丈を伝えました。すると彼から「ごめん。昨日からお前の友達に告白されて付き合うことになったんだ」と言われたんです。その友達が告白を宣言して、毎日1番に応援してくれていた子だったのです。ショック過ぎて、その子にどうしてそうなったのか聞くことも出来す、今も友情は続いています。
35歳 女性のストーリー
27歳、私は友人と婚活をしていました。
お互いにしばらく彼氏がおらず、高校の同級生ということもあり、普段からよく遊ぶ子でした。
そろそろ結婚というものを現実的に視野に入れる年齢になり、街コンや婚活パーティーなど、一緒に参加するようになりました。
最初は楽しかったんです。
参加した後に反省会と称してご飯を食べに行ったり、お互いの近況報告をし合ったり。
そんな時に、気になる人がお互いに出来ました。
「グループでご飯を食べに行かない?」という誘いがお互いにあり、私は、友人と友人の気になる人の仲を取り持つ様に徹してその食事会へ行きました。
その計らいは成功したらしく、その後順調に、友達以上恋人未満な関係を続けている友人。
私もあやかろう!と思い、私の気になる人とのご飯に友人を誘いました。

「それって私に何のメリットがあるの?」
友人からそう言われました。
驚きすぎて何も返せませんでした。
メリットと言われてしまえば何もないかもしれませんが、じゃあ私が参加した食事会は何だったの…?と、納得出来なかった私はその友人と距離を少し置く様にしました。
すると、SNSには「あんなんじゃ彼氏できない」「無理やり合コンに連れて行かされそう」「あとはひとりで彼氏探して(笑)」など、私への悪口と取れるものが沢山。
行動の意図も分からなかったですし、そのおかげで何人かのを失いました。
今思い出してもイラッとしますし、あんな裏切られ方は今後二度とごめんです…
32歳 女性のストーリー
同じサークルでマネージャーをしていた私と友人A。大学でも有名な美人の子でした。同じサークル内で彼氏ができましたが、その彼はかなりフランクな付き合いをするタイプで私の前でもいろんな異性の友達と仲良くしていました。
女の勘とでも言うのか、Aと彼の行動を怪しく感じることがあり、その日からなんとなく二人を意識していました。
ある日、二人が一緒に歩いて彼の家へ行く姿を目撃。ついていく勇気がなく、当時彼専用に持っていた携帯から彼へ電話。一人で家にいる、とのことでしたが電話の向こうで聞こえる音は一人ではない様子。もう片方の携帯でAの携帯を鳴らすと着信音が聞こえ、ドアが開く音がしました。
そこからはすぐ彼の自宅へ行き、事情聴取です。
なんと、私と付き合う前からAと彼はずーーーーっと友達以上恋人未満、つまりは体の関係があったそうです。そうとは知らず、騙され続けていたことは私にとっては衝撃的な裏切りでした。
その後、私は女のプライドから彼とは別れず、サークルも辞めず、Aを見守り続けました。
61歳 女性のストーリー
私が中学生2年生の時のことです。私は、まじめで口数が少なく、目立たない女の子でした。そういう子はいじめられやすいですよね。私の場合はひどいいじめではなかったけれど、友達に適当に扱われ、うらぎられました。
私は、活発なAさんと小学生の時から友達でした。おしゃべりなAさんは、話を聞いてもらえる私を重宝にしていたし、私も楽しかったです。そのAさんが学級委員に他の子から推薦されたのです。Aさんは面倒な仕事をしたくなかったので、私を推薦したと思いましたが、引き受けました。しかし、隣のクラスの子がうるさいから注意してこいとか、学級会の進行が悪いとか、いいアイディアを出せとか、無理難題を押しつけ、困る私を面白がるようになりました。そして、数か月後に、Aさんは、学級委員が無能なので、私がやりますと言い出したのです。私は悲しかったけれど、やめたいと言い、交代しました。Aさんは自分の有能さを示すためにしてきたことだったのです。私は裏切りに気付き、そっと離れてますます目立たない中学校生活を送りました。
22歳 女性のストーリー
私には中学生の時周りからも、双子?と言われるくらい似ているとても仲の良い友達Aちゃんがいました。
休憩時間一緒に遊んだり、放課後遊んだり、休みの日に遊んだり、秘密を教えあったりしました。
そんな中、Aちゃんをあまりよく思わない他の友達が悪口を言ったり、してもないことを噂話したりしてるのをみて私はそんなことしてないよ!とAちゃんを庇い助けました。
噂話もなくなったころ、今度は私の悪口、噂話が出てくるようになりました。
私はほっとけばいいや、Aちゃんもいるし!って思っていたのですが、なんとAちゃんは休憩時間も悪口を言ってる友達の方にいき、私が話しかけても軽く無視しました。
授業内のグループ分けもいつも一緒だったのに、悪口を言ってる友達とグループになったりしてました。
私は助けてあげたのに、なんで?ととっても疑問でした。
その後は私は他の友達のグループに入れてもらい仲良くさせてもらいました。
この話が一番ひどい友達からの裏切りでした。
20歳 女性のストーリー
中学入学してすぐ友達になったAちゃん。
家も近く部活も一緒で毎日遊んで、毎週泊まって
高校が離れてもバイト先は一緒で週2回は必ず会うくらいでお互い隠し事がないくらい仲良しでした。
私は14歳の時に好きな人ができました。
中学生からしたらだいぶ年上だったので、Aちゃんにも相談できず高校入学するまでずっと黙ってました。
高校に入ってから、実はずっと好きな人がいると打ち明け、その時はAちゃんも応援するよと色々話を聞いてくれてました。
ですが、私は高校卒業しても好きな人との進展はないままでAちゃんは卒業してすぐ結婚して子供も産まれました。
それでも変わらず頻繁にAちゃんと遊んでは恋バナしてました。
好きになってから7年目、あまりに進展がないからかAちゃんが協力するから好きな人の連絡先を教えてとなり、その日からAちゃんは変わり始めました。
好きな人とはお兄ちゃんと妹みたいな関係な私達だったけど、毎日昼休憩と夕方には電話してメールしてだったのが、Aちゃんと連絡とるようになってから3日に1回に変わりました。
Aちゃんと遊んでる時にも、Aちゃんは私の好きな人と私そっちのけで電話したりメールしたりしてて、でもそれは私に協力してくれてるんだって思ってました。
それから半年くらいしてAちゃんは離婚しました。
離婚してすぐ、SNSでAちゃんと私の好きだった人が結婚したのをしりました。
後からわかった事ですが、連絡先を交換してから頻繁に会ったりして、私の好きな人を取ったんだと周りに自慢げに話をしてたことを知って、とてもショックでした。
それでも、今も、Aちゃんと好きだった人とは仲良くしてます。
37歳 男性のストーリー
高校時代、同じ部活の女の子に告白し、付き合いだした。デートを重ね、自分としては純粋だったため、のめりこんでいった。付き合って5か月目のある日、突然別れを告げられた。意味が分からなかった。ただ、彼女から一方的に「私たちって合わないよね?」との一言だった。別れた次の日、誰にも言っていないはずの二人の別れを授業で一緒になった女の子が知っていた。「A君もショックだよね。まさかB君に取られるなんて」意味が分からなかった。聞けば、私の親友と彼女が付き合い始めたそうだ。手をつないで校内を歩いていたと教えてくれた。後から分かった話だが、彼女はもともと、そのBのことが好きだったが、私に告白されたことでタイミングを失い、しゃーなしの付き合いを始めたそうだ。そんな中、Bと教室でたまたま二人っきりになった際、私と付き合っている事実を隠して告白し、成功したのだそうだ。
24歳 女性のストーリー
私が高校生の時です。
休み時間、友人にスナック菓子をもらいました。
ちょうどお腹の空いていた私はラッキー、と思って袋を開けて一口ぱくり。
少し湿気っていたがおいしい、普通のスナック菓子だった。
これ湿気ってない?と尋ねたところ友人はニヤニヤとしていた。
なんだろうと思い詳しく聞くと、
「パッケージ裏見て」とのことだった。
私はその通りパッケージ裏をよく見てみると、少しだけ違和感を感じる。
……賞味期限切れてない?

賞味期限切れに気づいた私を見て友人は大爆笑。
美味しいがこれを人にあげるのは非常識だ、と怒るが友人は笑いながらごめんと言うばかり。
「私も食べちゃったけどなんともなかったよ!」
と言っていたので信じたも、数時間後私はお腹を壊した。
なんということだ。私はもう信じないぞ!
34歳 女性のストーリー
これは友人Aからの死ぬ死ぬ詐欺をされた話です。
友人Aがお金がない、死にたいと、私の家にまで来て泣きながらお金を借りにきた。
何度も断ったが、他に頼れる人がいない、必ず返すと言う。
時には、橋から川を見下ろす写真や、夜中の砂浜の写真などを突然送ってきて、今から死ぬと言ってくる。
私もかなり悩んだものの、私がお金を貸さないことで友人Aが死んでしまったら、後悔すると思い○十万円を貸した。
借用書も書かせた。返済期日も決めてもらったが、一向に返済してこない。
それどころか、さらに貸して欲しいと言ってくる。
さすがに、私1人で抱えきれない悩みとなり他の友人Bに話したところ、「Aは、一番お金を貸しちゃいけない奴だよ。あいつはお金を借りるプロということで有名だよ。なんでもっと話してくれなかったの?」と言われた。とんでもない裏切りだった。
34歳 女性のストーリー
一番仲が良く、登下校も一緒にして、いつも遊んでいた同級生がいました。
その同級生の筆箱に小さなメモ帳が入っており、目に飛び込んできた文章に言葉を失いました。
メモ帳は当時流行っていた交換日記でした。
その交換日記には私の悪口が書かれていました。
そこには数人の筆跡がありました。
私の悪口を書くためだけに用意されたメモ帳でした。
私の所属しているグループとは別のメンバーの子だとすぐに分かりました。
どうやらその子は私がリーダー格なのが気に入らないらしく、別のグループに入るために始めたらしいのですが、まさかという思い出いっぱいでした。
私自身ひどく傷つきましたが、担任に相談し、メモ帳に書き込んでいた子たちは注意を受けました。
36歳 女性のストーリー
私が中学生の頃の話です。中学2年の当時、初めての彼氏がいました。しかし4か月もしないで別れてしまいました。理由は「お前のことが好きかどうかわからなくなった」という彼側の理由でした。私も愛するまではいかないにしろ、好きは好きだったので、フラれて結構落ち込んで、同じグループの友達に慰めてもらったり、元気づけてもらったりしていました。しかも、その時の席が私の友達Aが私の斜め後ろ、彼(当時すでに元カレ)が私の後という席でしたので、Aには話を色々聞いてもらってかなり助けられていました。
そんな傷もすっかり癒え、中学の卒業式。友達がだんだん帰っていく中、同じグループですがAとは別の友人Bから「黙っているのが苦しくて。実は…」と話がありました。Aはグループの中でもBと一番仲が良く、色々話していたそうです。元カレとAがほぼ付き合っていた状態だったと。Aには好きな人がいて、付き合うまではいかなかったようですが、私と元カレが付き合っていたころから、Aと元カレは毎日電話をして、付き合いたいね的なことを言っていたとか。それからAとは面白いくらいに会う機会がないのですが、もう過去のこととはいえちょっと切なくなります。
36歳 女性のストーリー
もう20年前の話になりますが、友達だと思ってた女性にとあるレンタルビデオ店のカードを貸しました。信用してたし、ほんの軽い気持ちでです。週2~4日と頻繁に会っていたので、2,3日で返してくれました。別になんてことないやりとりです。1ヶ月位して1人でレンタルビデオ店に行こうと思い立ちました。当時若くお金をあまり持ってなかったのですが、確かカードには2000ポイント貯まってた筈なのでレンタルできるだけのお金も持たずにお店に行きました。ポイント使って支払えば良いという考えからです。1時間位吟味したでしょうか。5本程度の映画を借り、レジでポイントを使って下さいとお願いしたところ、なんとポイントがゼロだったのです。そうです。先日友達にカードを貸した際にポイントを使われてたのです。とにかく店員の方にそんなことを言っても無駄だし、なんせ現金もないので私は泣く泣く手ぶらでお店を後にしました。私の吟味した1時間を返せという思いと勝手にポイントを使われた腹ただしさは並ではありませんでした。友達に絶縁宣言をして友情に見切りを付けました。
30歳 女性のストーリー
私は高校入学してすぐに身内に不幸があり何日か休んだ。
その間に私が当時目立っていたギャル達の事を恐いと言っていたと噂を流されていた。
何も知らずに登校するとすぐに呼び出されたが、否定して話をしたら優しい人達だったから何もされずに済んだ。
噂を流したグループと一緒に野球部のマネージャーをしていた。それも私一人を残してみんな辞めていった。
そこから椅子を蹴るなどの行動が始まった。

1年耐えてやっとクラス替えがあった。
嫌なこともされなくなり高校生活も楽しくなってきたころ、その子達からメールが届いた。
あの時はごめんねと謝罪メールだった。
許す気はなかったが話を聞いていくと、原因は男絡みだったらしい。
その子が好きだった人と連絡を取っていたことを知って裏切られたと思ったと言われた。
その子が好きだったことも、急にメールが来て連絡を取るようになったのも休んでいた期間のことだったと話した。
仲直りはしたがそれ以来連絡は取っていない。
34歳 男性のストーリー
高校を卒業し僕は岡山の短大へ、その時付き合っていた彼女は大阪の専門学校に進学し遠距離恋愛がスタートしました。会えるペースは月に1回、それでも毎日電話やメールでやりとりし、会えない寂しさはありましたが、うまく付き合っていました。お互い在学期間は2年間。毎月欠かさず会いに行きました。彼女も盆や正月、その時々の行事事があると地元に帰ってきてお互いの都合が合えば会っていました。毎月大阪に会いに行っている時に彼女の大阪での友人関係が気になり聞いてみると学校のクラスメイトを紹介され僕もすぐに仲良くなりました。卒業1年前になるとその友人も含め遊ぶ事もあったのですが卒業前になり彼女から「別れたい」と言われ理由を聞くと、好きな人が出来たと言われました。なんとその好きな人は紹介してくれた友人で更に1年以上前から関係があったみたいです。仲良く遊びながら黙っていた友人にも彼女にも裏切られ一時期人間不信に陥りました。
27歳 女性のストーリー
初めて友達が出来たのが高校のころなんですが、
私は体が生まれつき弱くて、登校があまりできず、
2年生のころになってあまり、行けなくなってしまい、
友達には病気のことを伝えてましたが
久しぶりに学校へ行き、友達に
あまり通えないけど、友達のままでいてくれるかな?と聞いたら
ごめん、もう一緒に遊んだりするのは厳しいと言われて、
そのショックから、精神病が悪化し、
統合失調症を発症してしまいました。
今は恨みなどないですが、割り切れてない自分はいます。
親友だと自分は思っていたからに
メンタルに傷が予想以上に入ってしまい、
初めて友達が出来たのに
悲しいことになってしまい、残念でしたし、
その後、友達をまた作り直したいとも思えず、
友達ってなんだろうなと思ってます。
47歳 女性のストーリー
学生時代からの親友(だとずっと思っていた)に裏切られたことがあります。
それはある日、あるラジオ局からスノーボードセットが宅配便で送られてきたことから始まりました。
まず、私にはそのラジオ局にもそのスノーボードセットにも身に覚えがありませんでした。
なので手がかりを探す為、中を開けてみると、ラジオ局からの文章が入っており、ある番組にハガキを送ってくれて番組内でハガキの内容を読んだお礼の品に当選したのでスノーボードセットを送りますということが書かれていました。
宛名は間違いなく私でした。
…誰かが私の名を語りハガキを出したんだ…
思い浮かんだ人が一人いました。
親友の彼女です。
彼女は以前からテレビやラジオにハガキを出したりするのが好きなことを思い出しました。
私はすぐに彼女に電話をすると、それ私!と全く悪びれることなく言い、謝ることもなく、私の家にすぐに飛んできました。
私がなぜ勝手に名前を語ったのか⁉︎という問いに対して、自分はもうこのラジオ局に何度もハガキを出しているから何にも当選しないからあなたの名前を使ったと言いました。
そして、私に勝手に名前を語ったことに対して
言われ、多少罪悪感を感じたのか彼女は『じゃあ、スノーボードセットは時々貸し出すよ』と言い出し、私は呆れてしまい断ると、次は『このスノーボードセットは誕生日プレゼントにあげるよ。これからは○○様(○○は名前)と言いな!』と言い出しました。
私はもう呆れ返りなんの言葉も出なくなってしまいました。
当然スノーボードセットは彼女に渡して私達の友情も終わりました。


23歳 女性のストーリー
中学生の時に好きな先生がいました。妻子持ちで外見もお世辞にもかっこいいと言える人ではなく、生徒からは嫌われている先生でした。
私は中学校卒業と同時にその先生へ手紙を出し、見事、返事とその先生のメールアドレスをもらいました。
好きな人とのメールのやりとりはとても慎重になるもので、友達に相談しながらメールを打っていたのを覚えています。
今回はその友達の話です。
その友達とは小学校からの仲ですが、中学校に上がると同時にいじめが勃発し、私はその友達と仲良くしているからという理由で自分もいじめに合う中でも、その友達のそばにいました。
高校に上がるといじめをするような人ともおさらばでき、友達も他の中学校から来た子たちに話しかけたりしていました。
事件が起こったのはそんな時でした。
その友達は、他の子と友達になりたいけど話すことが何もないと思ったのか、私の中学の先生への片思いとメールのやり取りについて話し始めたのです。
中学は他校であれど同じ市内なので異動で赴任していた時期もあり、もちろん他の中学校の生徒もその先生のことを嫌っていました。
そんな状況の中、絶対に誰にも言わないで。〇〇ちゃんしか頼れないから。と言っておいたにも関わらず、その友達は私利私欲のために私を売ったのです。
人生が終わったと思いました。これから3年間の高校生活を指を刺されながら、笑われながら生きていくのかとおもいました。それと同時に、この友達がいじめられる理由はどれだけ隠してもこういうところが滲み出てるからなんだなぁということも思いました。
しかし現実は、少しばかり噂になり、変人扱いを受けたものの、目立った被害もなく、他の友達と高校で好きになった先生のおかげで楽しい高校生活を送ることができました。
それでも、あの時私を見世物にした友達は許せず、高校卒業へ向かって徐々に疎遠になっていきました。
24歳 女性のストーリー
小学校高学年の頃、気の合う友達と2人で仲良くしていた。
その友達とは何でも話すし、クラスの他の子からも2人は仲が良いと思われていた。


その友達には小学校低学年の頃から何年間も片想いをしている相手がいて、わたしはもちろんその相手が誰かやその人への思いなど全て聞いていた。


ある日気分屋のわたしがその友達と違う行動をとった。

その時たまたま友達よりもわたしの方が友達の好きな人と席が近く2人はケンカをしたのかと話し掛けられた。

わたしはケンカではなくただのわたしの気分だと回答した。

その後そのシーンをばっちりみていた友達から、なぜわたしが〇〇くんのことを好きだと知っていながら話をしたのかと聞かれた。向こうから話しかけられたことや自分はただ質問に答えただけだと伝えたが、話をしたことに納得がいかなたったようでその日を境に無視されるようになった。
29歳 女性のストーリー
一番ひどい友達からの裏切りは、小学生の時に好きな人を取られたことです。
私は当時同じ小学校の友達と一緒に塾に通っていました。その友達に、実は好きな人がいるのだと相談し続けていました。相談して数ヶ月経った頃、修学旅行がありました。その時に相談相手と私の好きだった男の子が一緒に行動していて、さらには好きな人が相談相手の友達にお土産まで買ってあげていました。
私はショックを受けて「どういうこと」「いつからなの」と問い質しました。私の相談を受けているうちに好きな人のいいところを知って好きになってしまったとのことでした。子供心に、非常に傷ついた覚えがあります。
今思うと、小学生でも立派に恋愛をし、人間関係が崩れ、傷つくのだなということを証明した事案でした。
38歳 男性のストーリー
昔好きになった女の子がいまして、好きになってしまっけど男にだらしなさそうな感じもあったので10年の付き合いの1番の親友に相談したところ、そんな女の子はやめとけ絶対に幸せになれない、
との答えで1番の親友が言うしやっぱりそうかなーと考えていたら自分の知らないところで親友はその女の子と連絡を取り合っていてセックスまでしていて付き合ったと後日打ち明けてきて綺麗事を淡々と伝えてきてそのままもう親友とも会うことも無くなってしまいました。
自分も付き合っていたわけでは無いので文句は言えない立場なのだけど裏でこそこそやりあっていたり言っていた事とやっている事が全然違っていたので信用できなくなってしまいかなりショックでした。
38歳 女性のストーリー
中学時代からの友人と大学時代からずっと続いていた恒例の夏休みの2人島生活。
社会人になっても夏休みの予定を合わせていつもの島のいつもの宿で過ごしていました。
桟橋で昼寝したりビール飲みながら散歩したりしてのんびりと過ごすだけですが、かけがえのない時間でした。
ある年に、仕事でまだ予定がわからないと言われ、定期的に予定確認の連絡をとっていました。予定や仕事の関係で夏終わりがけに行く年も数回あったので気にしていませんでした。
お盆当たりに仕事どんな調子?と連絡したところ、彼女にはめずらしくすぐに返事が返ってきました。
いま島にいまーすという文字と違う人数人との写真が。
大人数で行きたかったのかもしれない、違う人と行ってみたかったのかもしれない、連絡することを忘れていた?そもそも私と行きたくなかった?私が2人でとこだわっていただけ?色々なことを考えましたが、どうしても飲み込むことができず、そのまま音信不通になってしまいました。
55歳 男性のストーリー
信頼した人物に重要な仕事を依頼したのですが、土壇場になってキャンセルをされたこと。キャンセルされ時間もなかったのですが、クライアントの信頼を損なうことなく、乗り越えられたのは幸いでした。ただ、その後当該人物から別の事項で無責任な人間となじられた際に、このことを取り上げ指摘し、何も言い返せない状況に追い込んだ時は非常に快感でした(悪い感情なのかもしれません)。
信用・信頼は構築するのは難しく、壊すのは簡単なものなので自身の戒めとしても、このことは忘れないように心がけています。どんな人間も独善的な思考に陥りやすいので、常に客観的なものの見方ができるようにに心がけています。自身のため、そして今後の為にもです。
24歳 女性のストーリー
高校生の頃、彼氏と親友が浮気をしていました。私に、バイト終わるの待ってるね!帰りは迎えに行くから頑張れ!と言いつつ、私の親友を呼び出しカラオケ行ったりなんやかんやしたり…。
そのことは共通の友人から聞かされました。
親友は大好きだった元彼がいて,その人と私の彼氏を重ねてしまったと言っていました。
何かある度に相談してお互い励ましあって何があっても味方でいる!ってずっと一緒にいたのに。本当に心からショックであれから7年たった今でもたまに思い出して、なんで…?と悲しくなります。
ですが私には今、可愛い子供に優しい主人がいてとても幸せです。
当時の親友はあの時のことをどう思っているのか分かりませんが私は仲良かっただけにきっとこれからも許せないんだろうなと思います。
40歳 男性のストーリー
これは私が20歳の頃の話ですが、友人の友人に騙されてお金を取られました。とても腹立たしく屈辱だったので、思い出したくもない話です。友人の友人、仮に名前を阿保とします。阿保がバイクの事故を起こしてしまいました。事故は本当のことです。被害者とは示談が成立したのですが、お金が足りなくて困ってしまい、こともあろうに私にお金を貸してくれと、我が家にやってきました。私にとって阿保は友人の友人にすぎません。面識も2回程度で、ほんの数分見ただけの人でしかありません。本来ならば友人に頼めばいい筈のこと、なぜ私にと思ったのですが困った人を見捨てることができずに、当時で10万円ほど貸してしまいました。給料が入ったらすぐに返すと約束されたがその後貸したお金は返ってきませんでした。おまけに友人とも喧嘩別れ。私の方にもなんて俺はいいやつだとのうぬぼれがあったのも事実で、若気の至りとしか言いようもありません。いい勉強になりました。
33歳 女性のストーリー
小学校からの幼なじみで、1番の親友。
中学生になってから、私への執着が始まり、リストカットや、自殺未遂をするように。私は、彼女から逃げたかったのもあり、高校生になって、留学を考えるようになった。少し、距離を置けば、きっと執着心は、なくなると思ったから。
高校を卒業して、私はニューヨークへ語学留学した。最初のうちは、毎日メールと電話のやりとりがあったが、それも少しずつ減っていき、一年後には、一ヶ月に一回程度連絡を取る仲になって、私は、ほっとしていた。良い関係が築けていると思っていた。
ある日、母からの突然の電話。彼女が、事故で亡くなったと。信じる事ができなかった。
次の日のフライトで、私は日本へ帰った。司法解剖があった為、その二日後が葬式だった。
事故の原因を聞くと、彼女は、周りに内緒で、デリヘルの仕事をしていた。その派遣先へ向かう途中の高速道路で、タイヤがパンクし、車が転倒し、即死だったらしい。
彼女は、親友だと思っていたけど、私に嘘ばかりついていたようだ。
彼女の死も、彼女の嘘も、全てが裏切られたように感じました。
34歳 男性のストーリー
一緒に起業した友達からの裏切り話です。
海外で事業を興し、軌道に乗り始め、いざこれからというタイミングでした。

ある日、友人から会社を辞めると連絡がありました。私は東南アジア、彼は日本を担当していました。
突然のことに困惑しましたが、すぐに帰国することもできませんでした。
何度連絡をしても一向に返信はありませんでした。
また、それだけではなく、会社の資産から彼が勝手に決めた彼の取り分を無断で奪われてしまったのです。
会社の経営、目先の仕事、関係各所への説明に終われ、毎日が地獄のようでした。
そんな私の状況を見かねて、創業当初からお世話になっている方が助け舟を出して下さいました。
そのおかげで、危機を乗り越え、今は元通りに経営ができています。

が、未だに彼とは連絡が取れません。
33歳 女性のストーリー
社会人になって数年がたってからかなり仲良くなった友達が離婚するか悩んでおり、約2年近く愚痴や相談にのっていた。
ついに離婚することに決めたようで、離婚届の証人欄にサインを頼まれたので、あまり気が進まなかったがサインをした。離婚のことを相談しているような他に証人になってもらえる友達がいなかったようで、サインをしたときにはかなり感謝をされた。そのときにその子は既に元夫とは別の好きな人がおり、その人とかなりいい雰囲気になっていたこともあり、その人と再婚するときには今度は結婚届の証人欄にサインをしてね!と言われていた。
ただ、それから1年後、その子は好きだった人と再婚することになったのを別の共通の友達から聞いた。さらに、その結婚届にはそれを教えてくれた共通の友達がサインをした模様。
離婚届のようなネガティブな話のときには相談やお願いをしておきながら、結婚のことは事前に教えてくれもしなかったことに裏切られたと感じた。私が相談や愚痴に載った時間を返してほしいと思った。
30歳 女性のストーリー
10年ほど付き合いがあった親友に縁を切られた事についてです。
保育所の頃から交流が有り、よく遊んでいたAちゃん。家族ぐるみで仲が良かったのですが当時から私には一つの悩みがありました。それはAちゃんは言葉が凄くきついかったことです。
基本私のことは名前で呼ばないし、基本いっしょにいてもAちゃんの命令に従う時間の方が多く、最初はこんな関係に疑問も生まれず従っていました。
しかし、歳を重ね様々な人と関わることでどうしてこんな事を言われなければならないのかと疑問に思い始めました。

Aちゃんを含む仲の良い5人グループがあり、成人してからもLINEで繋がりはありました。
そんな中、グループ内についに子どもができたとBちゃんが報告。一気にお祝いムードに。あまり会いたくないとは思いいましたがお祝いの席は一緒に同席し、久しぶりに対面したのです。
Aちゃんは相変わらずで他の子たちも「Aちゃんどう言っても変わらないから…」と言及せずで、少し悲しかったです。

数年後、今度は私が結婚が決まり子どもが出来た際Aちゃんを含むグループLINEに報告した時です。
前のBちゃんの時は家に行き出産祝いを渡したり…そんな事をしていたのに私の時に誰もそんな話も出ず、むしろ無視。
その時に「ああ、私はただの召使だったんだな」と痛感して、グループを退会。

その後BちゃんのSNSに私を除いたメンバーで旅行に行っている事が書かれていて本当に関わった時間全てが無駄だったなと裏切られた気持ちになりました。
私にもなにか問題があったのかも知れないけど…直接言ってくれたら良いのに。
32歳 女性のストーリー
私が社会人4年目の時のことです。

休みの日も一緒に遊んだりする同期の友達がいました。わたしは当時職場で後輩の女の子とペアで仕事を任されていましたが、気分屋のその後輩が苦手で悩み苦しんでいました。見かねた上司や同期の子が飲み会を開いてくれることになり楽しみにしていましたが、なぜか同期が私が悩む原因の後輩まで呼んでいました。私が参加を拒むとなぜそんなに空気を壊すのかと怒りました。私を励ますための飲み会だと聞いていたのになぜそんなことを言われなければならないのかわかりませんでした。

その話を別の後輩にしたところ、それが気に食わなかったようで同期はなぜ自分を悪者扱いするのか、表に出ようとしないのだからずっと影にいればいいとわたしに言ってきました。

とても信頼していた同期からの言葉に驚き傷つきました。
29歳 女性のストーリー
私の友達A子ちゃんは、私の親友でした。幼いころから共に過ごしていたので彼女の事は分かったつもりでいました。私が高校生の時に初めて彼氏が出来ました。彼女もとても喜んでくれていました。しかし、実際は私に彼氏が出来た事が不愉快だったのか他の女友達や男友達に私が二股をかけていると言ってみたり、本当は好きじゃないけど付き合っているなど嘘を拭き込まれてしまいました。彼は、私を信じてくれていましたが、周囲は私の事を「最低の女」と陰口を言われ辛い時期を過ごしました。私が耐えれば彼と長く付き合う事が出来るのですが、陰口に耐えられず彼と別れてしまいました。その後は何もなかったかの様に、彼女は私の元に戻り、友人を続けています。そんな彼女が許せなかったので、彼女にすべてを離してもらい、友人として距離を置くことになり、現在は疎遠になっています。
36歳 女性のストーリー
もう20年ほど前の出来事ですが、インターネットが普及し始めた頃、見ず知らずの人と会話できる”チャットルーム”で親しくなった友達との話です。

自分はいわゆる”腐女子”で、周りにそういった友達がいなかったため、当時16歳だった私は、趣味を話すチャットルームで出会った”腐女子”の同い年の女の子と意気投合し、2年ほど連絡を取り合った後、東京で開催される"コミケ"で直接会うことになりました。

それからその友人とは一緒に同人webサイトを作ったり、合同で同人誌を出したり、出会ってから5年位楽しく遊んでいました。
サイトやイベントを通じで共通の趣味を持つ友達が増えてきた時、私の描いた絵や漫画を批判するコメントがwebサイトに匿名で届くようになったり、2ちゃんねるに悪口を書かれたりするようになりました。

結論を言うと、悪口や批判的なコメントを送っていたのはその友人で、私がその友人以外の人と仲良くしているのが気に入らなかったようで、私の悪口を書いて周りから孤立させたかったようです。
他の友人から「あの子あなたの悪口みたいなことを色んな人に匿名で送ってるみたいだよ」と言われて分かりました。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

34歳 男性のストーリー
朝は早いし、自営業なのできちんとした休みもないが、お客さんに「おかげで助かったよ!ありがとう」などと喜んでもらえると、この職業で良かったなと思う。またちゃんとした休みがない分、生活に困らないだけの収入はある。私はタバコも吸わないし、普段酒も飲まないし、特別趣味もない。だから唯一の楽しみである、年に一回の国内旅行ではそれなりにお金を使っている。旅行先でゆっくりと温泉に入り、おいしい食事を食べながら生ビールを飲んだ時、頑張ってきて本当に良かったなぁと、幸福感に包まれる。
 また自営業なので奥さんの育児や家事を手伝うことができる。お客さんも小さい子供を見ると笑顔になるし、アットホームな店の雰囲気を気に入ってくれている。夜まで必死に会社で働いて家に帰って奥さんに「ちっとも子供の面倒みてくれない!」などと文句を言われたら、器の小さい私なんか耐えられないです。世間のお父様方本当にお疲れ様です。自営業結構良いですよ。要はやり方です。
27歳 女性のストーリー
私は音楽講師をしています。
夏ごろにいつも皆の前で成果を発表する機会があるのですが、この時期にいつも生徒さんたちと、出る・出ないの攻防戦が始まります(笑)今年は初めて出る!と言ってくれた方がいました。しかしその子はまだ人前に出れるほどの技術はありません。むしろ出たら恥をかいてしまうかもしれない…そんなレベルでした。私はあまり乗り気ではありませんでしたが、本人は出る気満々。彼との練習の日々が始まりました。
いつもは練習してこなかった彼ですが、出る!と決めてから、練習時間が倍に増えました。するとみるみる内に出来るようになり、私が教えている生徒の中で一番上手に出来るようになっていました。
そうして迎えた発表会当日。彼は1つも間違えることなく演奏し終えたのです!これには私もびっくりし、拍手を送りました。終わった後に、彼が泣きながら感謝を述べてくれたことに対して、私ももらい泣きしてしまいました。
この仕事をやっていてよかったなと思う瞬間でした。
44歳 男性のストーリー
私は介護福祉士です。世間では3Kとも5Kともいわれますが、実際は世間のイメージとはだいぶん乖離があります。確かに排泄物のお世話やご利用者の死に直面するなどのマイナス面がありますが、実際にはご家族様から感謝やねぎらいの言葉を頂くことが多く、大変有意義な職業だと思います。「あなたが、母に本当の家族のように接してくださったことは一生忘れません」「面会のたびに、新しい息子ができたと父が言っていました」などその方々の人生の終着駅に到達する瞬間に、私が少しでも彩りを添えることができる職業だと自負しています。確かにその方が亡くなられた時には悲しい思いもしますが、悲しい思いをするのは、本当の家族になれたからこそだと思います。
25歳 男性のストーリー
私はいま,介護士を介護施設や病院などの事業所に派遣する派遣会社の営業をしています.
具体的な業務内容としては,弊社サービスにご登録いただいた求職者に電話口でヒアリングを行い,求人募集をかけている介護施設等の事業所に一定期間派遣する仕事です.
この職業で良かったなと思う点は2点あります.
1つは,介護士人員不足に喘ぐ事業所や,就業先に困っている求職者,前職で辛い思いをしていたなどの転職そのものが問題解決となる求職者から直接感謝を伝えてもらえることです.顧客の問題解決がわたしの喜びでもあります.
2つは,後期高齢社会に突入する中で,より介護士人材不足に陥る業界への貢献性が高い仕事に従事している実感を抱きやすい点です.業界の問題解決もまた,わたしがこの職業でよかったなと思う点のひとつになっています.
25歳 女性のストーリー
私は正看護師なのですが、新卒で就職した頃はこの職業で働けるところは病院、介護施設だけだと思っていました。結婚を機に、新卒で就職した大学病院を辞めて地元に戻りデイサービスに勤務していたのですが、そろそろ妊活に専念したいと自由な勤務で働けるところはないものかと考えていた時でした。母の友人に看護師にも派遣会社があって、単発派遣だと残業もほとんどないし高時給で時間の都合もつけやすい、と教えて貰ったのです。早速、紹介された派遣会社に登録してみると一般の単発派遣よりも仕事が多く、時給も倍以上で働きたい日付も自由に決められるので妊活との両立も難なく出来ています。看護師という資格を持っていることで、こんなにもストレスフリーな働き方があるなんて本当によかったと思いました。
29歳 女性のストーリー
今の職業で良かったなと思う事は、自分がした仕事が、どのように周りに影響を与えているかが、直接かつ直ぐに感じる事ができるところです。
医療職の特性でもあるのですが、自分がした事がどういう結果に繋がったのかが、分かりやすい職業だと思います。
患者さんの病気・症状が良くなるように努めるのですが、中にはそうはならないケースもあります。その場合は、その都度フィードバックをし、再発の防止に努めます。
また、患者さんの病気・症状が良くなった場合は、直接その成果を感じる事ができるので、モチベーションの向上にも繋がります。患者さんの喜びを、患者からの言葉や表情から感じる事ができます。自分が行った仕事が、他者の幸福に繋がっていると感じる事ができる仕事だと思います。
28歳 女性のストーリー
今の職業は歯科衛生士をしています。高校を卒業し、専門学校を3年間通い、国家資格を取得しました。専門学校は非常に厳しく毎日勉強で辛い日々でしたが、今働いてからは毎日がとても充実し、やりがいを感じています。患者さんに「ありがとう」と言われるたびにこの仕事をしていてよかったなと思います。新卒のころはできないことがたくさんで苦労しましたが長年この職業だけをしていたおかげで今では自分に自信が持てるようになりました。
またこの職業は求人がたくさんありますので、就活ではあまり苦労することがないと思います。妊娠出産で一度退職しても、また違う職場を探しやすいことはとてもメリットだと思います。本当にこの仕事でよかったと思えます。
32歳 女性のストーリー
私は長年事務の仕事をしています。
事務の仕事は派手な仕事ではありません。
人から感謝されることも、正直少ない仕事です。
仕事内容は好きで、やりがいを持って取り組んでいましたが、やって当たり前と思われがちな仕事でもあります。
仕事を覚えていくうちに、外回りをしている営業さんから「取引先の人が、電話応対が丁寧で助かったと言っていたよ」と教えてもらったり、電話口で「あなたの受け答えはいいね」と直接言ってもらえることが増えてきました。
ある会社を退職するときは、一緒に働く他の人たちから「なんでもできるから頼りにしていた」と言われ、ちょっと感動しました。
地味な作業の多い事務の仕事ですが、人から感謝されるときには、この職業をやっていて良かったなと思いました。
23歳 男性のストーリー
私は電気工事の仕事をしています。
普段は主に電柱の改修、新築、保安をしているのですがとにかく大変です。停電時間が決まっているのでお昼休みもろくに取れません。工事が早く終わった分には追加で仕事をもらい給料に反映されるのですが工事が遅れた時は家に帰るのが12時を回ることもあります。
こんな電気工事の仕事でもやりがいを感じる時があります。それは、不謹慎ですが台風や地震などの災害が起きた時です。いつもみんなが当たり前に使っている電気がなくなった時それを復旧しに行きます。その復旧の時は地域の方が待ち遠しいように工事を見にきてくださり電気が通るといままでにないくらいに喜ばれ感謝されます。この瞬間がこの職業で良かったと思える瞬間です。
28歳 男性のストーリー
私は現在、地域金融機関で営業をしております。預金、融資、企業支援業務、保険、投信等様々な募集営業活動をメインに行っております。それ以外に既存の大口管理(事業資金、住宅ローン利用者)も行っており、定期的にお客様の所へ訪問し現状等確認や資金ニーズ等伺っています。その中で市場金利の低下から、自分の住宅ローン金利が高いと不満を持つ方も増えております。
あるご自宅で住宅ローンの金利引下げ相談がありました。最初はクレームに近い案件で、訪問した際には怒られることもしばしばあり、あまり印象が良くなかったと思います。早急に対応しなければという考えもあり、最優先で金利引下げ申請を行いました。決裁になるまでも何度か訪問し続け、最後に契約書をもらいに訪問した際にそのお客様の子供から「将来なりたいものはお兄さん」と言ってもらいました。お客様の要望に応えることでかっこよく見える職業につけて良かったと感じた瞬間でした。
26歳 女性のストーリー
急性期の総合病院で理学療法士というリハビリの仕事をしております。
主に入院と外来を担当していますが、この仕事をしていて良かったと思う瞬間はありきたりですが、患者様から感謝されたときです。
入院されている方はご自身で思う様に身体を動かすことが出来なかったり、以前出来たことが出来なくて苦しい思いをされます。
また外来の方においては痛みで生活に支障を来たす方がいらっしゃいます。
そのような方々に、お一人でできる方法を模索し提案したり、または痛みが取れるようにアプローチします。
それによって改善が得られて、患者様から感謝された時にこの仕事をしていて良かったと心から思います。
また、入院患者様が退院されてから元気になった姿を見せに来てくれた時も同様の気持ちになります。
31歳 男性のストーリー
私は元々人としゃべることに少し自信を持っていた。なので大学を卒業してから就職先を探すときも「営業」一本で探していた。
また食べること、お酒を飲むことが大好きなので食品に関わる営業をしたいと考えていた。結局食品の卸売業の会社に就職した。
しかし現実は厳しく少々自信を持っていたしゃべりではどうにもならないことや好きだった食品は嫌いになるほど営業がうまくいかなかった。
そのため私は転職することにした。転職先として選んだのはプラント設備の配管工事や検査業務を行う会社で、私はそこに技術職として就職した。
転職してからは覚えることも多かったが私は転職して良かったと思えることばかりだった。
例えばこの仕事は検査業務で毎年法定の保安検査を受けなければならない。それに受からなければ事業所の営業を停止させられることもある。そのため事業所も保安検査に向けて様々な準備をする必要がある。
そんな時に分からないことや不安に思うことを解消するのが私の仕事で、事業所の方に何度も「ありがとう」「助かった」と言われることが増えた。
営業をしていた際にはなかったそれらの言葉をもらえるだけで私は今の職業でよかったと思う。
60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。
46歳 女性のストーリー
今現在私は介護職員として高齢者施設で働いています。以前は福祉の仕事など自分には出来ないと思っていましたが、気が付けば一番長く働いているのは福祉の仕事でした。
以前は他の業種で働いていましたが、会社内の派閥争いとかくだらないイジメなどを目の当たりにして、仕事内容よりも人間関係でのストレスが大きかったのですが、福祉の現場では仕事内容はとても体力も入りますし、トイレ介助などだと臭いもひどいですし、認知症の対応などは専門知識がいって大変なのですが、利用している高齢者の方達が時々「本当にありがとう」とお礼を言ってくれる瞬間があります。「今日は楽しかったよ」とか笑顔で名前を呼んでくれたりとか。その瞬間、気持ちがほわっと暖かくなってこの職業でよかったと真摯に思います。
28歳 女性のストーリー
自分はアパレル業で、店舗勤めの販売員です。

この職業で良かったなと思う瞬間は
「お客様が自分に会いに来てくれた」時です。

自分の配属店舗について簡潔に言いますと、
全国に店舗があるブランドで、価格もリーズナブルなものが多いです。

自分たちはお客様の求めているものをご提案させていただくのが役目です。
様々な理由で来店される方々に、少しでも満足していただけるような接客を日々心掛けています。
その為、お話してくださった方の名前や顔を覚えて、次回のご来店時に気付き、さらに仲が深められるよう努力しています。

その結果、お客様が「近くを通って、いるかなーと思って覗いてみた」「話したい事出来たから久しぶりに会いに行こうと思って!」とご来店してくださるんです。
お店のブランドはもちろんですが、このお店の自分を含め会いたいスタッフの為に足を運んでくれているんです。
きっとお客様からの信頼がなくては成り立たないと今も思います。

他の業種よりも様々な方と接する機会が多いからこそ、このようなお客様に巡り合えたと考えると、この職業で良かったなと思ってしまいます。
27歳 男性のストーリー
私はITエンジニアをしています。この職業をしていてよかったと感じる瞬間は、周囲の人と仕事の話をしている時です。
違う仕事をしている友人等との食事や飲み会の場で仕事の話になると、大部分が愚痴のようなマイナスのことばかりで、なんでその仕事を選んだのだろうと感じてしまいます。
私は現在の仕事内容には全く不満がなく、IT技術の急激な進化も相まって、必要性の高い職に就くことができたと感じています。
また、「多くの職業がAIで代用される」といった話をよく耳にしますが、私はAIの開発を行う側なので、少なくとも私が生きている期間は必要とされるのではないかなと感じています。
仕事に不満がないことがよかったと感じるとは思いもしませんでしたが、周囲の環境と比べることで実感できています。
29歳 男性のストーリー
私は今6年自動車整備士として仕事をしています。
初めは1年大型トラックの整備をしていましたが、高級外車を扱う車屋さんが近くにあり転職して今に至ります。
教えてくれる先輩も居ないために独学で勉強したり、周りの車屋さんに教えてもらいながらやってきました。
今ではある程度の作業をできるようになりました。
そんな中で、他の車屋さんでわからなかった故障を私がみて治すことができてお客さんから[ありがとう]と、とても感謝をされた時にこの仕事をしていてよかったなとおもいました。
そのお客さんは今でも何かあれば頼ってきてくださいます。
他にも苦労して治して、入庫してもらった時以上に車を綺麗にしてお返しした時に感謝のメールをいただいた時には苦労した分、涙が出そうになる程嬉しかったです。
これからもお客さんに頼りにしてもらえて、感謝してもらえる仕事をしていきたいとおもいます。
30歳 女性のストーリー
大学で事務として働いているのですが、卒業する学生が事務所を訪ねてきてくれたり、卒業した学生たちが遊びに来てくれたときにはこの仕事をしていてよかったなと思います。また、頑張っている学生たちのサポートをし、その学生達が成功し、嬉しそうにしている姿を見たときは、こちらまで嬉しくなり、今までの苦労が吹っ飛びます。若い学生達と接しているので、同い年の友達と比べると若いね。と言われることが多いので、それもよかったと思います。
そして、一般企業では、なかなか難しいと思うのですが、夏休みと冬休みが少なくても10日間はあり、旅行に行きやすいところもメリットです。部署にもよりますが、私が働いている部署は、残業もほとんどないので、この職業でよかったなと思います。
46歳 女性のストーリー
私の仕事は、米軍基地内で働く事務員です。学生のころからずっと英語に触れる仕事に就きたくて何年かこの職に応募しながら他の仕事をしていました。夢がかない面接までたどり着き合格。それ以来、アメリカ人の上司や同僚たちと楽しく仕事をしています。上司によっては、文化の違いからイライラさせられることもありますが、やはり好きな仕事についているということからあまり負担に感じません。好きな仕事をすることの大事さを学びました。また、日本ではない文化内での仕事なので、朝ご飯を口にしながらパソコンで仕事。音楽を聴きながら仕事。職場にあるTVは常にONなのでそれを見ながら仕事。日本では考えきれない仕事の仕方だと思います。そういう事を思うと今の仕事で良かったなと思います。
30歳 女性のストーリー
20歳で子供が生まれてすぐ、仕事を探しにハローワークに行って、見つけたのが今の仕事でした。

募集要項はネジ付け等の軽作業。
製造業の工場で、50〜60歳のおばちゃん達に「若いから!若いから!」と言われ続け、鍛えられ、嫌だなと思って泣いてしまう事もたまにあり「次に嫌な事があったら辞めよう」と思っていました。

勤めて2年後、会長に辞めたい。と相談したところ、時給を上げて頂き部署も移動になってもう少し頑張ろうと思いました。

新しい部署では、外から来る小口のお客さんの対応と加工部門にて毎日違う形の仕事で形によって加工のやり方が変わったりと毎日ワクワクする様な仕事でした。「この形だとどうしよう?」と悩んだり大変な事もありましたが、5年続けることができました。妊婦となり、産休に入りました。

産休明けで職場復帰をすると、会長のご子息、社長が就任していました。社長の「若い力で改革を」をモットーに、"なる様になる"の検査・梱包・出荷の部門に異動になりました。
加工で見たことのある形でも、検査・梱包・出荷は初めての事で在庫管理等もして覚える事もたくさんありましたが、覚えて頑張りました。慣れてくると、社長と共にみんなの製品に対する意識改革を進めました。進めると共に、前任者のリーダーが「私は居ない方が変われる」と言って引退なさりました。恩師でした。言葉を胸に、意識改革を進める意義を強く感じました。

後輩も育ち、更に新人も加わり、検査梱包手順を指導し品質・納期管理をするリーダーとなりました。
9年間勤め10年目に入りましたが、あの時辞めずに留まって良かったなとか、自分的に有意義な仕事が出来て嬉しく思っています。
新人のミスと社長の高い意識に板挟みになる事が多いですが、良い会社になる様に勤めたいと思います。
36歳 女性のストーリー
私は発達障害の傾向があります。グレーゾーンといわれる分類で、療育が必要ではありませんが、そうでない人たちと感覚が違いすぎて生き辛いです。顕著なのは、自己中心性と空気の読めなさと、こだわりと衝動性です。
学業の成績は良いのに、みんなと同じになれなくて自分はダメ人間だと思ってきましたが、現在の精神科の心理職に就いたことで、専門の精神科医から発達障害の認定をされました。そのことで、取り組むべきことが分かったりしました。
普通に暮らしていては、どうやって心を整理したら良いか分からないので、解決できる新しい療法を知ることができる瞬間が、この職で良かったと思う瞬間です。
また、同僚が精神疾患に理解があるので、私の傍から見たら奇抜な言動を「お前は発達だから」と良い意味で諦めて受け入れてくれるのを見ると、発達障害に理解のない一般社会だったら、精神を病んでいただろうと思います。
心の在り方や人の気持ちを専門的にデータとしてわかり、周囲の理解も得られるので、本当にこの職で良かったと思います。
28歳 女性のストーリー
私は転職し、現在は販売業に勤めています。前職はいわゆるブラック企業で、特に人間関係が悪く精神的に病んでしまい、退職せざるを得なくなってしまいました。
現在の職場を選んだ大きな理由は、面接時に店長が「僕もうつになった経験がある」ということを話してくれて、私が転職した経緯を真摯に受け止めてくれたからです。こういった病気にきちんと理解を持って接してくれる上司はなかなか出会えないと思い、現職に勤めることを決めました。
結果的に、今の職業が私の人格にぴったりだと感じています。職場の人間関係はもちろんですが、とにかくお客様と接している時間が幸せです。接客業で働いている人の多くは、人との関わりを大切に思っている人達だと感じます。私も例に漏れず、人と人の繋がりを大切にしたいと感じているので、そういった気持ちがお客様に伝わるのだと思います。
私個人に会いにきてくれるお客様も増え、毎日が充実した幸せな日々を送っています。お給料は高くはありませんが(笑)、それでも心が満たされる暖かい職場です。今の職業に就けて、本当に幸せです。
60歳 女性のストーリー
学生時代の友人が一般企業に就職してバブル景気の時に、ビックリするくらいのボーナスをもらって、海外旅行にどんどん出かけて、ブランド品を買い漁っているのを目の当たりにした時は、さすがに内心うらやましく思いました。
しかし、三十年後には私もそこそこの給料をもらうようになり、そこそこのボーナスももらえるようになったので、最終的にはトントンかなあと思いました。
ちなみに友人は某生命保険会社のOLで社内結婚後、専業主婦になりました。その当時、一般企業では社内結婚すると、女性は退職するというのが慣習でした。
彼女は今は近所のスパーでパートで働いています。私は公務員、結婚後も働き続けて30数年になります。
今では友人からうらやましいと言われています。ということで、この仕事、公務員でよかったと思っています。
28歳 女性のストーリー
約7年間、看護師をしています。私は小さい頃から看護師になりたくて、念願かなってなることができました。思っていたよりもとてもハードな仕事で、嫌なことも多い仕事です。ですが、看護師をしていると患者さんからたくさんの感謝の言葉わ、いただくことができます。今は独り身の方も多く、家族の見舞いもなく過ごされている患者さんが多いです。そんななかで一人一人に寄り添うことができる看護師という仕事は、とてもやりがいを感じることができます。
看取りの場面で、貴女に看取ってもらえてよかったと家族からいわれたときは、この仕事をしていてよかった、心を込めて寄り添うことができていたんだと感じることができて、とても嬉しく感じられました。これからもそんな看護師であり続けたいと考えています。
42歳 女性のストーリー
書店で働いています。
毎年夏休みになると、とあるママさんが私を訪ねてきてくださいます。
お子様が1年生の夏休みの時に、夏休みの宿題の読書感想文の本のおすすめをたずねられて、何冊か選ばせていただいたのはじまりです。
お子様は本はあまり好きではないのだけれど、どんな本がいいかというお話でした。
ちらちら雑談を挟みながら、お子様の好きなものや生活を探りながら選んだ本数冊をお買い上げいただき、数日後には本が好きではないというお子様がしっかり読んで感想文も提出できたとのこと。
おすすめはしたものの、実際に気に入っていただけるかは全く未知数だったので、とてもうれしい報告でした。
仕事としては当たり前のことをしただけなのですが、その日から私はその親子にとって夏休みの宿題専門のコンシェルジュです。
ほんの限られたタイミングのやり取りですが、それでも目に見えて誰かに喜んでいただけるのは、充足感と幸福感に包まれるひとときです。
好きな本を買ってただけるだけでも十分なのですが、この仕事でよかったなぁとしみじみできるのはこういうときなのだなぁと思います。
41歳 男性のストーリー
私は高校も出ていなく頭で仕事をする事が出来ない育ちでした。
高学歴の奴には負けてたまるかと思い資格を取り体を動かしなんぼの仕事しか稼げないし、安定した仕事なんか私にはあるのかな?と考えていました。
当時働いていた職業は建設業、雨なら休み、休みなら給料にならない日給月給でした。
仕事もだんだんとなくなり休みの日にはパチンコ、スロットとギャンブルをする日々が続きました。
ある日、兄の勤め先である運送業に働かないかとの誘いがあり勤めるようになりました。
体を動かして稼げる?と思い運転をする事も好きな私は働くことにし自分の中では今の職場で良かったと思っています。
なぜなら建設業では不安定な給料。
今は運送屋で中間管理職となりそれなりの年収を得てます。
61歳 男性のストーリー
私が大学を卒業して、入社した会社はゴム会社で営業職で就職いたしました。
入社して、数か月後に東京営業所に転勤になりました。
ここで知り合った、上司・先輩は皆さん私と同じ県出身でした。
皆さん同じ県の出身ということもあり、地方から出てきた私たちは、皆方言が一緒で仕事が不安な時に、言葉が一緒というのは、すごく安心感が有りました。
その後、長らく一緒の営業所で仕事を行いましたが、数年後からは数人ずつ人事異動で離れ、又違う人が来るという繰り返しでした。それから時間の経過とともに、皆で会う機会が会社では減りましたが、何年がたっても懐かしく、親交をたやさないようにするために、全国に散らばった人が年に1回旅行に行っています。そこで年に1回会うたびに30年前の職場でのエピソードを昨日の事のように親交を交わしています。
33歳 女性のストーリー
私は小さい頃、両親が共働きだったので学校から帰ると祖父母と一緒に過ごす事が多かったんです。祖母のお茶のみに一緒に参加したり、祖父と一緒にテレビを見て学校の話をしたりしていました。
だんだん成長していく中で祖父母に恩返し出来るような仕事に就きたいと思った時に介護福祉士という仕事を見つけました。高齢者の身の回りのお世話をする仕事は私がやりたかった仕事だと思い、専門学校へ進学し、現在介護福祉士として働いています。
最初の頃は理想と現実の間で、とても悩み何度も辞めてしまおうと思った事がありました。でも、そんな考えは利用者からの「ありがとう」の一言で消えてしまいました。
最初は「仕事でやっているだけだから。」というひねくれた考え方も持っていましたが、今では「ありがとう」を聞く為に頑張っている部分もあります。
ありがとうって言われる事が、こんなに嬉しい事なんだという事に気付かせてくれたこの仕事に誇りを持って、これからも続けていきたいと思っています。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

25歳 男性のストーリー
自分は男なのですが女性は大変だなと感じます。
なぜなら、毎日化粧をしなければならないからです。
朝20分。早い人でも10分程度かかるかと思います。
一年のうち丸三日ほど化粧をしている時間なのではないでしょうか。
朝化粧するのですから、当然男性より早く目覚める必要があります。
朝少しでも長く寝ていたい自分からすると考えるだけで億劫な気分になります。
また、月に一度女性は生理がきます。
ホルモンバランスが崩れたり、強い痛みを感じることがあるでしょう。
そのストレスたるや、想像を絶します。
その痛みを軽減させるために食生活に気を使ったり、生活習慣にも気を付けなければなりません。
また道具を常に携帯しておく必要もあるかと思います。
それを考えると男に生まれて良かったと強く感じます。
31歳 女性のストーリー
私が女に生まれて良かったと思う瞬間はメイクをしている時です。
もともと目がきつく見えるすっぴんが大嫌いだった私ですが、中学生ころから化粧をし始め、ナチュラルメイクからギャルメイクまでいろいろな種類のメイクができるようになり、今はTPOやその時なりたいイメージに合わせて自分の顔が変わっていくのがとても楽しく嬉しく思います。
自分の理想に少しずつ近づいていけると、自信も出てきます。

それに男性は常にすっぴんで勝負しなければならないので、もしも自分が男だったらと思うとほんとにぞっとします。

やはり自分に自信がなくても、メイクをすると理想の自分に近づけ自信が持てるという点は女性に生まれたメリットだと思います。
39歳 女性のストーリー
女にしかできないこと、それは妊娠出産だと思う。子どもを育てている間は色んなことで自由ではなくなったり、自分の時間がなくなったり、言うことを聞かない子どもにイライラしたり、これがずっと続くのかと思えてしまうけど、そんな時は一瞬ですぐに自分の手元からいなくなってしまう。子供と手を繋いだこと、「お母さん」と頼ってくれたこと、赤ちゃんを抱っこできたこと、なによりお腹の中にいると実感できた胎動や、出産は大変だけど、一生のうちに一回でも体験できたことがあるからこそ、今の子供との関係の根本にあり、昔を思い出すことで何があっても前に進んで行けると思う。それは女の特権で女にしかできないことで、私が女に生まれてよかったなと思うことです。
29歳 女性のストーリー
女性に生まれてよかったと思う瞬間は、会社でゴミ出し当番の時に男性がいつも手伝ってくださいました。

汚れた仕事は男性がやろうとしてくれるような気持ちを感じて、恐縮でもありましたが、女性であることが良かったなと感じました。

重い荷物持ちの時なども、男性がサポートしてくれました。重いものを持たなくてよいという嬉しさではなくて、男性が助けようとしてくれているそういった心を感じるということが、とても幸せなことだと感じました。

また、お化粧やファッションなどに関することが大好きなので、季節に合ったものや、自分を変えたいと思う時に沢山買い物をします・
そういったときに、なかなか男性では味わえないよろこびだと思い女性に生まれたことに嬉しさを感じる瞬間でもあります。
20歳 女性のストーリー
男性の場合だと、同年代の若い世代であっても、仕事を選択する際には結婚を前提にして選択しているようなことをよく耳にします。その理由を男性に尋ねると、結婚をすれば女性や生まれてくる子供を養うだけの年収が求められるので、一定以上の年収が見込めなければならないといった内容が多かったです。これに対して私が仕事を選択した際には、年収を気にすることはありましたが、それは自分自身のために使うお金に対して気を遣っていただけだったと思います。例えば旅行に行くための費用や、外で美味しい食事をするための費用などを賄うだけの給料が貰えるかどうかで、何十年後に年収がどれくらいになるかなど、気にしていませんでした。このようなことを思う瞬間に私は、女に生まれて良かったと思います。
60歳 女性のストーリー
私の時代は女性は小さいときから綺麗に可愛らしくすること、男性を立て、内助の功を示すのが当たり前と言われてきています。実際、性格も内向的なので家の中で楽しむ趣味が多く、あまり活動的ではないので、女でよかったと思います。
それでも芯は強く我慢強いので、出産の痛みや、子育ての苦労での辛抱とか、大変でしたが芯の強さがますます鍛えられたと、そんな風に思っています。特に妊娠中、自分のお腹の中で子供を育て、動きを感じて、生死に直面する出産を乗り越えた感動と言えば、何にも替えることができないくらい、自分の中で誇りに思う部分です。
男性にはいくら頑張ってもそれは経験することはできないし、耐えられないことだと思います。悪いけれど、そういう経験のできる女性に生まれ。本当に良かったと思っています。
33歳 女性のストーリー
私には、今年3歳になる娘と、今年生まれの娘がいます。二人とも、私の大切な子供です。
主人も私も子供が授かりにくい体質らしく、自然には難しいと言われており、人工授精を考え始めていたときに授かった子供でした。二人目は、体質が改善されたらしく、ベストなタイミングで自然と授かりました。
お腹に宿った小さな命を大事に大切に守りながら十月十日。胎児と共に愛おしさも育みながら、会える日を指折り数え、そして無事出産を迎えたときの喜びは何事にも変えられないほどの感動です。
こればかりは、主人に代わってくれと言われても代われません。主人は男、私は女ですから。残念。
この時ほど、ああ、女に生まれてきてよかったなと感じたことはありません。
10歳 男性のストーリー
同じ時給だけど、女ということで簡単な作業に配置されておしゃべりしながら仕事をさせてもらえたことです。
29歳 女性のストーリー
女に生まれてよかったと思うこと。
私は小さい頃から男のことの方が気があうことが多く、地域のお祭りで男の子だけ参加出来るものがあったりなど、男の子に生まれたらよかったと思っておりました。
しかし大人になるにつれ、自然や体、物事に対する捉え方は女性の方が共感できることが多くなってきて、女性で良かったと思うようになってきました。
自分が子供を産んだり出来る女性だからこそ、感覚的に理解できていることがあるように思います。
それはあまり突き詰めて考えすぎると、オーガニックやスピリチュアル、ベジタリアンなどのこだわりを持つようになり、それがこの世の中ではかえって生きにくいことになりそうなので、具体的に行動には起こさないのですが、ふんわりと体に感じる空気だとか、ある感情を大事にすることなど、直感的に動ける女性が1番心が自由なのではないかと思っているので、女性作家のいい作品に出会った時や、素敵な女性に出会ったときには、そんな風になれる可能性のある女に生まれて良かったと思います。
36歳 女性のストーリー
ズバリ、中高の学生時代の運動科目で男女で学校が指定する運動量が男女で全く違うので女で良かったと感じました。
今はどうか解りませんが、私が学生時代の時は持久走大会では男子のほうが女子よりも長く走らさせてました。
明らかに自分よりも持久力ないだろうという男子でさえ、規則ですから、決められた距離を走らなくてはなりません。それが不憫でたまらないのと同時に本当に私は女で良かったと感じました。
部活においても、男子は野球、女子はソフト、サッカー部は男子のみ(20年前の話です)と明らかにハードルが違いました。それが差別だというフェミニスト女子も居ましたが、私は心底安堵してました。運動が苦手な私にとっては少しでも身体への負担を少なくしたいと考えてたので喜ばしいことでした。
27歳 女性のストーリー
子どもを産んだ時、授乳している時。
陣痛はとても辛いけど、産まれた時の嬉しさと感動はやっぱり女で良かったと思った。
妊娠中から、男親よりも自覚の芽生えも早く、母性が生まれてくる。
妊娠中も大変で嫌な事も多かったが、産まれてくる我が子のことを思うと、頑張ろうと思う。
精神的にも強くなれる。
だが、思いの外、出産は厳しい体験だった。
死ぬかと思ったし、何度も気を失った。
こんなに辛い思いをしなければいけないのか?
もう投げ出したい、辞めてしまいたいと何度も思った。
だが、しかし、産まれてくる子どもを見れば、心の底から女で良かったと思った。
あと、授乳している時も辛い事も多いけど、授乳している時の子どもの表情や吸ってくる時はとても愛おしい。
こちらも、女で良かったと思う。
30歳 女性のストーリー
女に生まれていいなと思ったことは、妊娠したとき、子供を産んだときです。

それまでは毎月来る生理、生理痛、生理前後のイライラ、生理中の不快感で、なんでおんなばっかりこんな辛い目に合わなきゃいけないんだろう。
男も生理になってみたらいいのに…。

なんて、思っていました、ですが、妊娠が分かったとき、自分のお腹の中にかけがえのない命が宿っていると知って、本当に嬉しかったです。
胎動を感じる喜び、痛いけれど本当に幸せでした。動いたらすぐわかるんです。

出産は命がけです、自分が母親になって初めて、心から自分の母に、両親に感謝の気持ちが溢れました。
こんな気持ちになれるのも、女子の特権かもしれませんね。

パパは嫌だ、ママがいいという子供の言葉も、実は嬉しかったりします。
36歳 女性のストーリー
女は子供が産める。男は種を提供するだけ、女の体の中で実にして出産する。
自分の体から出てきているため、血のつながりを感じる強さが男より強いと思う。
女性は年齢が上になっても、多少可愛げがあれば男性からも職場など社会的な場でかわいがられる。男性が同じようにやっても、馬鹿にされたり気持ち悪がられるだけ。
男性は新卒で就職活動をするときに定年まで働くことを前提をしていることが多いが、女性は結婚・出産などを理由に円満に仕事が辞められる。
いざという時に男子トイレを女性が緊急的に使うことは許されても、女子トイレを男性が使うことは許されない気がする。
迷子の疑いがある小さい子にも声をかけるときに躊躇わずに声掛けできる。
男性が小さい子に声をかけると誘拐とおもわれることも。
26歳 女性のストーリー
女性に生まれて良かったなと思う瞬間は、メイクを楽しめることです。
男性はほとんどの人がメイクをしないので
素顔のまま勝負しなければならないので
気の毒だなと思うことがあります。
女性はメイクをすることで、何倍も可愛くキレイになることができます。
大抵の人が何かしらコンプレックスを抱いていて、いかにコンプレックスと上手に付き合うかという事を考える時間も楽しいし、
コンプレックスがあっても隠すことができるので、元の顔が嫌でもメイクで自信を持つことができます。
また、色々な化粧品を試していくことで
新しい自分を発見することができます。
メイクをする人が多い分、友人等から
この化粧品がオススメ!と教えてもらうことも多く、どんどん美意識が高くなり
努力次第で目に見えて結果がでるのが
醍醐味だと思います。
29歳 女性のストーリー
今現在、妊娠をしています。女性でないと、悪阻の苦しみや辛さ、体動の感動、お腹の中にいる赤ちゃんへの愛おしさは感じることのできないことだと思います。今はまだお腹の中にいるので、一心同体で私にしかわからない感情かもしれませんが、お腹の中にいる赤ちゃんが、動くたびに嬉しさや喜び感じます。男性ももちろん、赤ちゃんができることやお腹の中で育ち、生まれることを喜んだり、感動してくれると思いますが、男女間では感情は妊娠時には少し差があるような気がします。早く生まれてきてくれて、旦那さんとも色々な気持ちを共有して育てていきたいなと、感じています。妊娠の時だけに感じることのできる気持ちだと思うので、女性に生まれてよかったなと思いました。
26歳 女性のストーリー
女の人に生まれてよかったなと思う瞬間は、お洒落や化粧を周りの偏見なく楽しむことができる所です。最近では、男の人でも化粧だったりファッションでもロングスカートのようなものを履いてお洒落を楽しんでいる方もよく見られるようになり、かなり偏見の目は無くなってきていて男性も楽しみやすくなってきていますが、女の人に比べるとまだまだのように思います。派手な色のリップやマスカラなど女性ならではの化粧があったり、ネイルなど男性があまりしないようなお洒落も楽しむことが出来ます。ファッションでも、短めのスカートや少し肩を露出するオフショルダーなど女の人ならではのお洒落があります。アクセサリーも、ネックレスや指輪は男の人にもありますが、ターバンやカチューシャ、髪飾りなどは女性ならではという感じがします。こういったように、お洒落の幅が広いのでより楽しめるなと思うからです。
19歳 女性のストーリー
たくさんおしゃれができるので女に生まれてよかった!友達とコスメの話をしたり、美容の話をしたりするのはとても楽しい!毎日メイクしたり肌の手入れをするのは大変だったりするけど、好きな人の前では綺麗でいたいし、好きな人に褒められるように頑張ろうとおしゃれを楽しめるので本当に女に生まれてよかった。日焼け対策や保湿、脱毛など色んなことを頑張っていて、思いもよらぬ人から急に褒められた時も嬉しくなる!あとは愛嬌が武器になったり、女の子だからっていって優しくしてくれたり、少し特別扱いしてくれる時や男の子だけ厳しくされてる時。レディースデーがあったり女子会で恋バナをしたり甘いもの食べに行ったりする時も女に生まれてよかったと感じる!
29歳 女性のストーリー
私が思う女に生まれてよかったなと思う瞬間は、かっこいい物も可愛い物もどちらも身につけていて褒められる瞬間です。
私は可愛い物もかっこいい物も両方大好きです。特に天然石のブレスレットなどは、一見メンズ向けのようなデザインから、ファンシーな色合いの魔法具のようなデザインまで所持しています。最近は男女の垣根がなくなってきてはいますが、それでも可愛い物は男性が身につけづらい傾向にあると思っています。でも、私は今のところかっこいいブレスレットを身につけていても可愛いブレスレットを身につけていても周囲からお褒めの言葉をいただくことの方が多いです。お褒めの言葉をいただいた瞬間に、女性に生まれて少し得をしたなとよく思います。
24歳 女性のストーリー
子どもを産んだ時に、女に生まれて良かったと心底実感しました。
言葉では言い表せないような喜び、感慨深さ、強烈な痛み。
痛くて痛くて気を失ってしまいたい気持ちにもなり、生んだ直後にはもうこんな経験はしたくないと思いました。
産んだら終わりではなく、その後もいろんな痛みがついてきますし、初めての子供は分からないことばかりで、辛い事も正直多いです。
ですが反対に、子供を産んで初めて我が子と対面する時の感動であったり喜びは計り知れないもので、私は、あの時程幸せで喜びに満ちた瞬間はないなと思います。
出産という貴重な経験は女性の特権であり、誰でもが出来ることでもないので
今思えば、その時に一番女性に生まれて良かったなと思いました。
24歳 女性のストーリー
子どもを産んだ時に心底、女性に生まれて良かったと思いました。
あの時の喜びであったり、強烈な痛みは言葉で言い表すことが出来ないほど感慨深いものでした。
産まれるまでの10か月間の間にも、制限されるものが多く我慢の連続で、
産まれるときは痛くて痛くて気を失ってしまいたいほど強い痛みがあり、
産まれてからもなお続く痛みであったり、初めての子育て不安や泣きたくなることも多々ありました。
それでも、子どもが産まれたときの安心と、初めて対面した時の嬉しさなどは本当に素晴らしいもので、
身体がふわふわ浮くような気持になり喜びと幸せで満ち溢れた瞬間でした。
このような経験が出来るのは女性の特権でもあり、誰でもが経験できることでもないので、
今思えば、一番女に生まれて良かったなと感じれた瞬間でした。
27歳 女性のストーリー
女に生まれてよかったなと思う時は、女で若いというところだけでちやほやされ年上男性からの対応が優しいと感じるときです。愛想よくニコニコ笑っているだけでなんでもいいよ、いいよという態度をしてくれますし、ある程度年を重ねれば若い男性から姉御姉御と慕われて年上男性とは違ったちやほやをされるので、女って得だなと感じます。また、ファッション関係でも洋服は安くて可愛いものがいろんなブランドから販売されており、最近は質がいいものも出てきているのでたくさんお洒落を楽しめますし、メイクもいろんなブランドがあってデパコス、プチプラなどから様々な話題商品が出ていてそれを購入し自分で使用して女性ならではのメイクの楽しみを味わえるというのもいいところです。
46歳 女性のストーリー
私は2人の子供を持つ40代の母です。女に生まれて良かったなと思う瞬間は、やはり出産の経験をした時です。妊娠中、子供が自分のおなかの中で足を蹴ったりした瞬間は、女にだけしか味わえない幸せな体験だと思います。出産は女性にとっても一番のお仕事。中には出産で命を失う母も居るくらい大変な事ですが、無事に10か月もおなかの中で成長してきた我が子に会えた瞬間は、何物にも代えられない幸せな気持ちに包まれ、女で本当に良かったなと思える瞬間です。命をつなぐことができる世の中の女性たちは本当に偉大だと感じますし、尊敬の念を抱きます。男性には味わえない感情や体験だと思うので、女性としてこの世に生まれてきた事、母として子供たちを出産できた事は幸せな事だと思います。
30歳 女性のストーリー
私はコスメや雑貨、キャラクターグッズなどが好きなので、そういった可愛くてキラキラしたものに囲まれていると女性に生まれて良かったなと感じます。
また街を歩けば路面店もデパートも女性向けのお店ばかりだし、レストランでも周りを気にせずに気兼ねなくスイーツを食べることができます。レディースデーなど、女性限定のサービスもあり、お得にいろいろなサービスを体験することができます。
髪の毛の長さ、スカートやパンツ、ネイルなどいろいろな自分の表現の仕方があることも良いと思います。
女性消費者をターゲットとしたものが多いので、たくさんの娯楽があって男性よりも楽しめることが女性の特権ですし、女性に生まれて良かったなと思う瞬間です。
36歳 男性のストーリー
生理痛がないので、男に生まれて本当によかったほと思います。
うちの妻が特別生理痛がひどいのかもしれませんが、あの日になると鎮痛剤を飲まないと生活出来ないレベルになる。
また、出血量も多く頻繁にトイレに行かなければならないし、出血が気になり熟睡ができない。
外出もあまりできないので一緒に遊びに行くこともできません。
それを見て私は、どうすることもできずにただただ見ているだけでした。
なにもしてあげられないことを悔やみます。
毎月、妻の機嫌が悪くなり、死にそうな顔をしてるので本当にかわいそうです。
あの日が来なければいいどれだけいいことかと常々思っています。
神様はなぜあの日をつくったのでしょう・・・このやろー。



40歳 女性のストーリー
出産を経験して、女に生まれて良かったと思いました。私は結婚して7年間、子宝に恵まれず、不妊治療も行いましたが、お金と時間を使うだけで、なかなか効果がなく悩み苦しむ日々が続きました。そして悩みに悩んで、最後のチャンスとして体外受精を行い、7年目にしてやっと子宝に恵まれました。壮絶な痛みを乗り越え、我が子に会えた瞬間の嬉しさは今も忘れません。子供に対して、いくつになっても愛しく、守ってあげたいと想う気持ちを持ち続けられるのも自分のお腹を痛めて産んだという事実があるからだと思っています。辛い日々もありましたが、出産を経験して、母になれた事は、私にとっては最高の幸せです。女性に生まれて本当に良かったと思いました。
41歳 女性のストーリー
基本的に女性と言うだけで特別扱いが多いかなぁと。お店でも女性ばかりで来店したら特典があったり。何かにつけて女性が使うものにはサンプルが有ったりするのが多いですね。
甘いスィーツなどもお店で気兼ねなく食べられますね。男性は周囲の視線を気にしたりあるようですし。自分をきれいにするアクセサリーも女性は多いので、いろんな自分を作れます。
一番はやはり出産を体験できることですね。こればっかりは男性では絶対にできないことですから。
私はありがたいことにあの感動を2回味わうことができました。人生で一番の幸せを味わえた瞬間ですね。あの感動は口では伝えきれないです。痛い・しんどいっていうのもあるんですが、それ以上の幸せがありますね。
25歳 女性のストーリー
私は都内でSEとして働いていますが、男性の多い職種ですので、女性はすごく寛大に見てもらえるところがあります。
まず、仕事のアサイン自体がかなり気を使ってもらえます。炎上しそうにないもの、お客様が比較的優しいものを、上司が優先して回してくれます。理由は、「急な夜間作業とか女の子に言えないからね、夜道とか危ないし」とのこと。
男性と同じように仕事を何でも受けられないのは申し訳ないけれど、ストレスなく働かせてもらっています。
仕事面以外でも、職場での飲み会は、女性陣はほとんどお金を出していません。男性のにんずが多いので、少し多く出すよ、とみんながやってくれると、ほとんど払い終わってしまいます。
同じお給料をいただいているから、女性だからといってお金を出さないのもおかしいとは思うのですが、優しさに甘えてしまっています。
ずるいようですが、女に生まれて、快適だなと思います。生まれ変わったとしても女になりたいです。
31歳 女性のストーリー
焼き肉の食べ放題のお店へデートへ行った際に女子料金って言うのがあって男と比べて500円ぐらい安かった。私はラーメン次郎では大盛りでないと満足しない胃袋の持ち主。一方、彼氏は女の子かと思うぐらい食が細い。それなのに男ってだけで料金が高い。つまり胃袋の大きさなんて関係ないんだ。安いのは嬉しかったけど、結局いっぱい食べたから申し訳なくなって割り勘してしまった。だって彼氏は胃袋小さいから、あんまり食べてなかったんだもの…申し訳なくなってしまったんだ。よく新歓やコンパは女の子の方が圧倒的に安い。それを見ると女に産まれて本当に良かったと思う。女の方が化粧やらファッションやらでお金がかかると言われているけど、物を選べばそんなことない。私なんて毎日全身5000円コーディネートさ。
22歳 女性のストーリー
私は今妊娠しており、もうすぐ出産を控えています。
妊娠がわかった時は、驚きと嬉しさでなんだか胸がいっぱいでした。
妊娠が発覚してから1ヶ月もしないうちにつわりが始まり、体調の良くない日々が続き、正直とてもしんどい日々でした。
立ち仕事をしていたのですが、職場の方からの気遣いや、お客様からの、「身体大事にするんだよ!」「元気な赤ちゃん産んでね!」など、様々な言葉が本当に温かく、とても心が安らぎました。
旦那がのうのうと生活しているのを見ると、男の人は楽でいいなあ、、、なんて思ってしまうこともありましたが、お腹の中で愛しい我が子を育てられることや、色々な人からの温かい気遣いを感じられることも全て、女性の特権だなと思い、今では女に生まれてよかったなと感じています。
22歳 女性のストーリー
私が女に生まれて良かったと思った出来事は好きな人に会うときに頑張ってオシャレしたことを褒められた瞬間です。
いつもはあまり化粧もせず適当な洋服を着ていたんですが、ある日片思い中の好きな人とデートすることになってとても頑張ってオシャレしました。
褒められたとき、女に生まれて良かったと感じました。頑張った化粧も好みに合わせて選んだ洋服も悩んでいるときが一番女の子を楽しんでいると実感しました。
それから化粧や洋服に興味が出て毎日オシャレを心掛けるようになりました。そしてその片思い中だった人とは無事付き合えたのでとても幸せです。
可愛いと褒められるとさらに頑張りたくなるし、好きな人に言われる言葉はどんな言葉よりも嬉しかったです。

「一番おいしかった食べ物」

30歳 女性のストーリー
昨年初めてスペインに旅行に行った時に、バルセロナとサンセバスチャンに行ったのですが、サンセバスチャンのバルのある旧市街地のバスクチーズケーキで有名なラヴィーニャというお店のチーズケーキが、今まで食べた中で一番美味しかったです。
サンセバスチャンに行った人は必ず食べてると言われてるだけあって、そこのお店はいつも混んでるのですが並ぶ価値ありです。
チーズケーキの外側はしっとりした生地で、先端に行くにつれてクリームのようなチーズケーキになるチーズケーキの概念を覆すほどです。
そこのチーズケーキはサンセバスチャンのそのお店でしか味わえないので、また絶対行きたいと思うチーズケーキです。
人生で一番美味しかったケーキでした。
21歳 女性のストーリー
高知には文旦という柑橘系の果物があります。ある居酒屋さんではこの文旦にお砂糖をかけてバーナーで炙る、焼き文旦という料理が出てくるのですが、この焼き文旦が非常に美味しいです。
文旦自体はしっかりとした八朔のような食感で、すこし酸味のあるような味なのですが、ここにブリュレのパリパリとした食感が加わって、酸味とほろ苦さが絶妙にマッチします。
高知といえばカツオも有名ですが、カツオを食べるならば塩で是非食べて欲しいです。タレにつけて食べるものと、塩をかけて食べるものとがあるのですが、ぜひ、タレよりも塩とニンニクで味わってほしいです。
私は群馬県から高知県に引っ越したので魚を美味しいとあまりかんじたことはなかったのですが、高知県に来てカツオのとろける食感を味わってからはもうさかな、特にカツオのファンです。
24歳 女性のストーリー
自分は食べることが好きでよく色々なものを買って食べています。その中でも一番美味しかった食べ物をご紹介します。
それはローソンの竜田揚げポテト串。その名の通り竜田揚げとポテトが交互に串刺しになっている食べ物です。最初見た時は珍しい組み合わせだなぁと思って試しに一本買ってみたところ、その美味しさにハマってしまい、ついつい買って食べてしまいます。
竜田揚げは衣がかりっとしていて肉は柔らかくて食べやすいです。ポテトは太くカットされていますが一口サイズなのでこれまた食べやすいです。食べてみると、素材の味が口いっぱいに広がります。
そのままでも美味しいですが、ケチャップとマスタードをかけて食べるとなかなか美味しいです。また竜田揚げとポテトを交互にではなく、一緒に食べると更に美味しさ満点になります。オススメの一品です。
21歳 女性のストーリー
 私が今までで一番美味しかったなと思ったのは、祖母の作ってくれた「いもモンブラン」というスイーツです。
 一般的なモンブランのスポンジ部分が蒸かしたサツマイモになっていて、モンブランの特徴であるクリームの部分は紫芋が使われていました。地元の行事で近所の子どもたちが集まった際に振る舞ってくれたのですが、サツマイモの自然な甘さと子どもの口に合わせて入れられた砂糖の甘さが良いバランスでとても美味しかったのを覚えています。
 現在では、裏ごしをしたりするのが、体力的に厳しくなったと言って作ってくれなくなったのですが、今も口の中によだれが溢れ出るくらい恋しい思い出の味です。祖母からレシピを教えてもらって、今度は私が祖母に作ってあげようかなと思います。
30歳 女性のストーリー
一番おいしかった食べ物は、おばあちゃんのから揚げです。
小学生のころ、毎週のように母方のおばあちゃんの家に家族でお泊りに行っていました。おばあちゃんは料理が得意で、昆布などから直接出汁をとるのは勿論、カレールーなども市販の物をほとんど使わない人でした。
私がから揚げが大好きで、おばあちゃんは私たちが止まりに来るたびにから揚げを揚げてくれました。一口目に醤油とニンニクがガツンときて、噛み締めていくと甘い鳥の油があふれてきて、最後にふわりとショウガの香りが鼻から抜けていく。
作り方を見ても、特に隠し味などの特別なことはしていないのに、お店とは違う独特なあの味が今でも忘れられません。当の本人に聞いてみても「適当だよ」と言われてしまい、今自分で作ってみてもあの味を再現できません。死ぬ前にもう一度食べたい一番おいしい食べ物です。
28歳 女性のストーリー
北海道旅行にて食したお寿司。
ネタはしめ鯖です。
北海道旅行にせっかく行くならと気合を入れてお寿司を探しましたがどこもおいしそうで迷いに迷い、宿泊先から近いという理由もあり旭川の路地裏にひっそりと構えるお店に行きました。
恒例のご夫婦が経営されており、板前の旦那様はネタには自信があり一切の妥協を許さないようなイメージ。
たいして奥様は足を痛めておりお茶出しもままならないような状況。(なので心配だったためお茶などは自分でやりました)
そんななか入って気づいたのですがメニューも値段も無いのです。
初めてそんな場所に入店したので本当に緊張しましたが、板前さんにおすすめを聞いたところしめ鯖を出して頂きました。
今までしめ鯖なんて安い居酒屋でしか食べたこともなかったのですがこれがもう絶品。
口の中でとろけるし新鮮だからなせる業なのか臭みも無し。
お代わりをしたかったのですが時価が脳裏から離れずに追加する勇気はなかったのですが次回の訪問時にはまた食べたいそんな一品でした。
32歳 女性のストーリー
最近食べたもので一番美味しいと感じたものは、恵比寿にある「うまえびす」という馬肉専門店の馬のたてがみです。
以前違うお店でたてがみを食べたことがあったのですが、そのときは全く美味しさを感じませんでした。たてがみって白い脂のような見た目をしているのですが、まさしくアブラ…という感じで味がなくて口の中に残ってしまうような印象をその時は覚えました。
しかしうまえびすさんのたてがみは、上質なホルモンのように旨味というか甘みというか、えっ?美味しい!と一噛みしてすぐに思うほど、その美味しさに衝撃がありました。
そして噛めば噛むほど味が出て、ずっと噛んでいたい…と思わせてくれ、まさにたてがみ革命が起こった貴重な瞬間でした。
63歳 女性のストーリー
私は今まで食べた中で一番美味しかったものは、幼い時に食べた母の作ってくれたお好み焼きです。
あれ以上美味しいものを食べたことがありません。

どんなものかといえば、ただの平凡な小麦粉に卵を混ぜ込んで、キャベツと ネギを入れて焼いて、その上に魚介類や肉、お金がない時はそれが ちくわになったりしていました。
それらをトッピングしたものです。

就職して、給料もらうようになってからも、1枚2000円弱のお好み焼きも食べに行ったことがありますが、母が亡くなって10年以上になりますが、母のお好み焼きを超えるものは今まで食べたことがありません。

家族みんなで食べたから美味しかったのか、どうかはわかりませんが、たぶん心がこもっていたからではないかと思います。

39歳 女性のストーリー
私自身、生魚が苦手なので、お寿司屋さんとかに行っても、あまり食べる物が無く、
でも、最近の回転ずしには、結構、色々なものがあって、
今年の夏、某、回転ずしで食べた
冷やし担々麺にすごくハマってしまい、行く度に毎回注文して食べてました。
辛い物が好きな事もあって、ラー油の辛さと、別入れの花山椒を入れてピリッと
しびれるけど美味しい!という。
また、ゴマの香りが良くて、食欲の落ちた夏でもスルスル入っていき、
麺を食べ終えると、追いシャリ出来るという!
担々麺の汁とシャリがまたベストマッチでいい具合に絡んで食べやすかったです。
今までに食べた担々麺の中で一番おいしかったな、と思いました。
また来年も出てほしい一品です。
32歳 男性のストーリー
小学生の頃は家族4人で夏休みに大きな旅行に行くことが恒例でした。初めは幼馴染の子が沖縄に帰省するのが羨ましくて親に駄々をこねていたのが発端らしいのですが。
小学3年生の時には初めての北海道旅行でした。今でしたら函館の夜景や最北端の宗谷岬や釧路の湿原、札幌の繁華街など楽しみ方は何となく頭に浮かんでくるのですが、当時は予備知識なく親に連れられるがままでした。年の離れた姉は人気4人組ロックバンドのインディーズ時代のライブハウスに行き、私と両親は場所は忘れましたが、北海道でも有名だというジンギスカンのお店に行きました。美味しいお肉が食べられるならと期待をして行きました。気がつくと目の前には不思議な鉄板があり、その上に大量のバターが乗っかっていました。そして大量の野菜と肉の山。手際よく店員がバターを溶かし、野菜を積み上げ、肉を被せました。なんとも食欲をそそる見た目と香りに小学生ながら食欲のリミッターは解除され、あっという間にかんしょくしてしまいました。あの時のバターの風味と野菜の甘みと肉の香ばしさのコラボは三十路を超えた今でも忘れることのできない衝撃の美味しさです。機会ができたら是非自分の子どもにも食べさせてやりたいと思う今日この頃です。
54歳 女性のストーリー
宮古で、食べたウニ丼は、忘れない。
うにいっぱいのどんぶりで。ウニの甘さと濃厚な味が、堪能できる。宮古といったら。ウニ!これは絶対に堪能すべし。
夏がシーズンなので、ぜひ、この時期に宮古に訪れるべし!間違いないから!ウニが、山盛りになったウニ丼はあっかんです。非常に味わい深いどんぶりだと思います。なかなか都会では食べられないご当所の名物とおもいますよ、損はしないから絶対に試してみてくださち。雲丹の虜になるかもしれません。値段も格安で食べ応え満点な一品です。宮古にいったら。雲丹丼です!ご飯が隠れちゃう雲丹丼なんてなかなか、お目にかかれませをんからね!宮古の雲丹はさいこーな雲丹ですよ?朝一にもよって新鮮な海産物を堪能してほしい
30歳 女性のストーリー
食べ物ではなく飲み物ですが…
私はカフェオレなどの甘いコーヒー飲料が大好きで、仕事の休憩時間や外でお茶したときなど毎日のように飲んでいました。
ですが妊娠が分かってから、カフェインはあまり胎児によくないと有名だったのでお腹の子のためずっと我慢していました。(1日一杯程度なら大丈夫という情報もよく目にしましたが、飲まないに越したことはないと思って…)
ある日、旦那とミスタードーナツにお茶しに入ったときです。飲み物のメニューに「カフェインレスカフェオレ」の文字が!
万歳!これなら赤ちゃんに罪悪感を抱くことなく飲めるんだ!と、ウキウキしながら注文しました。
一口飲んで、暖かいカフェオレが身体に染み渡る感覚を覚えました。カフェオレってこんなに美味しかったのか…。
その後も、自宅用にカフェインレスのインスタントコーヒーを購入したり、カフェなどでカフェインレスのメニューを見つけたら注文したりして適度に楽しんでいます。
38歳 男性のストーリー
食べ物おはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎおはぎ
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40歳 女性のストーリー
大好きな焼き餃子。
夕飯が焼き餃子だとテンションがあがるメニューでした。
そんな我が家の焼き餃子は、母の手作りでお母さんの餃子は美味い!!とあまり出てくる料理を褒めない父が唯一食卓に出るたびに褒めていた母の作る料理でした。
そんな我が家は、外食で焼き餃子を食べる機会がなく、私は母の作る焼き餃子は好きなもののそんなにも外の焼き餃子と比べ、美味しいのかと半信半疑でした。
なので、高校を卒業するまで母が作る焼き餃子しか食べたことがなかったのですが、アラフォーになり外で食べることもありますし、自分でも作ります。
パリッとした焼き目。
肉汁たっぷりな餡。
絶妙な味わい。
どれをとっても母の作る焼き餃子を超えたものを食べたことがありません。
50歳 女性のストーリー
 数年前、はじめてドイツに行くために、イギリスのドーヴァー海峡をフェリーで移動しました。船内でお金を代えておこうかな、と思ったのですが、「まぁ少しはユーロを持っているからいいか」と思いなおしました。船内で軽くスナックを食べ、ベルギーの港について、ちょうど列車が来たので、夜行に乗ってドイツに向かいました。
 すると、その列車は鈍行でしたが、途中で喉が渇き、空腹になってしまいました。機内販売を待っていたのですが、一向に来ません。隣の席の人に聞くと「機内販売なんかない」と言われました。せめて、途中の一時停車でなにかキヨスクのようなところで何か買えないかと聞いても、自販機はヨーロッパの駅のホームになんかありません。空腹で死にそう、と落ち込んでいたら、その人は自分用に持ってきていたサンドイッチとリンゴを差し出してくれて「これ、差し上げますから、食べて元気出して」と言ってくれました。遠慮したのですが、かなり強くすすめてくれるので、半分いただくことにしました。空腹であったことと、見知らぬドイツ人のやさしさのおかげで、あの時のサンドイッチとリンゴの味は忘れられません。
33歳 男性のストーリー
32年生きてきて一番おいしかった食べ物は「カツオのたたき」です。
祖母、祖父が高知県に住んでいて夏になると必ず帰省します。帰省した時は必ず祖母がカツオを買って捌くところから始まり、調理してくれます。
ポン酢とニンニク、ショウガで食べると土佐のカツオは本当においしく口の中でとろけます。絶対に関東で食べられない、夏にしか食べれないと思っていました。しかし、土佐清水ワールドという居酒屋が都内になりそこでは高知県からの直送のカツオでたたきを出してくれます。味はもちろんそのまま!土佐のカツオを食べたら他では刺身や生魚は食べれないほど本当においしいんです。カツオのたたきを食べるたび、今は亡き祖母、祖父の顔を思い出します。
31歳 女性のストーリー
新婚旅行でハワイに行きました。ずっと行きたくて行きたくて、念願のハワイに、行く前からワクワクしていました。そして、行く前から分厚いステーキが食べられるお店やガーリックシュリンプが食べられるお店、大きなハンバーガーが食べられるお店などを調べていました。

ハワイについてからは、毎日夢だったご馳走様を食べまくりました。ステーキ、ハンバーガー、ピザ、ケーキなど。どれも豪勢で、なかなか食べられないような贅沢ばかりしていました。

そんな楽しかったハワイも最終日になり、最後の夜は疲れてしまいスーパーに入っているテイクアウトのお店で、適当にお弁当を買い、ホテルで食べることにしました。そして、いざ食べてみると驚くほど美味しく、子供も旦那も貪り食うように食べたんです。それこそハワイで食べた中で1番!と間違いなく言えるものでした。

そのお弁当のパッケージを見てみると「テリヤキチキン 500円」でした。あんなに贅沢したのに、1番美味しいのは日本味の500円でした。
48歳 女性のストーリー
一生忘れられないハマチ。

10代の頃、オックスフォードに留学していました。
毎日の食事は学校のダイニングでバイキング形式で好きなだけ食べられる洋食。
初めのうちは喜んで食べていましたが、やはりそのうち飽きてきて、日本食が恋しくなり始めました。

母から時々届く荷物には、お煎餅・梅干し・レトルト味噌汁等と手紙。
大抵のものは送れますが、どうしても送れないものが生もの。
段々と生ものへの想いが強くなり、ある日意を決してロンドンの日本食屋さんを調べて初めてバスで一人旅をしました。
英語もまだ慣れない上に、土地勘もなく、当時は紙の地図を頼るしかないので大変な冒険でした。

迷いに迷ってやっと日本食屋さんに到着。
久しぶりの日本語、日本食(感動)。
その時注文した品が、シンプルにハマチのお刺身・味噌汁・白飯。
ハマチはたった5切で日本円で約3,500円・・・学生の私のお小遣いでは少しキツかったです。
白飯にたっぷりと醤油を含ませたハマチを乗せて大口で食べた時のあの味が忘れられません。
自分の中の日本人遺伝子をあの時ほど強く感じたことはありません。

今ではいつでも食べられますが、ハマチを見るとあの時の記憶が鮮明に蘇ります。
37歳 女性のストーリー
あれは確か、30歳になる誕生日だったと思います。妹が「お姉ちゃんはきっと食べたことないだろうし、食の経験も大切だよ」と言って、ふぐ料理に連れて行ってくれました。お恥ずかしながら、ひとり貧しく暮らしていることが多く、あまり、高級な食材との出会いがないので、それを知ってか知らぬか妹が連れて行ってくれたのでした。ふぐといえば、大きなお皿にきれいに並べられた刺身のイメージが強かったのですが、そのお店で食べたのは、ふぐの唐揚げと、ふぐ鍋でした。高級な食材をあまり美味しいと思わないタイプで、例えば鯛より鮭の方が好きな感じなもので、正直どうかなと思いましたが、その澄んだ旨味の深さに驚きました。しつこくないし、あげてもよし、煮ても最高に上品でそれでいて食べやすい!初めて食べたときは本当に感動しましたし、美味しいと感じました。それから、自分でもお金を貯めて同じお店に食べに行ったのですが、不思議なことに、妹と食べたときよりイマイチだったのです。きっと、妹が私を思って連れて行ってくれた、それが最高に嬉しくて、最高に美味しいと感じられた最高の隠し味だったのだと今では思います。
42歳 女性のストーリー
私が生きてきて一番おいしかったと言える食べ物は、浜辺で食べた豚汁です!
昔、空手の寒稽古というものを正月明けにやっていました。寒空の下で、空手の型の練習をしながら、海に入っていくという、私にとっては意味のないものでした。暖かいところでたくさん練習した方が効率もいいし、精神論だけで空手がうまくなるんだったら練習いらないじゃん、とひねくれていたのです。寒いのが大の苦手でしたから。それでも、余地はないので、毎年行っていました。稽古着のままずぶ濡れになって、先生の許可が出ると海から出ていいのですが、その時に係りのおばさんたちが、ほらほら食べなさい!と出してくれるのが熱々の豚汁でした。具沢山で、肉も山盛り、立ち上る湯気が食欲をそそります。でも何より、その暖かい豚汁が体にしみていくのを感じる時、この世の中で一番おいしいと思うのでした。
32歳 男性のストーリー
神田にあるボンディというカレー屋さんのカレーです。
友達とスノボのウェアを安く買うために街を練り歩いていました。途中までテンション高かったのですが終盤はお腹が空いてみんな沈黙…
そこで歩いていてたまたま目に入ったお店に入りました。
お通しでジャガイモが出てきてびっくり。そこからさらにカレーのうまさにみんなで驚きました。最初はしっかりとした辛味とカレーの芳醇な香りが口の中に行き渡り、その後急にフルーツでも食べたかのような甘味が口の中を通り抜けます。こんなに美味しいカレーは今まで食べたことがありませんでした。
このカレーを食べてから自分でスパイスを調合してカレーを作るようになりました。

後日たまたま神田カレーグランプリの初代優勝店というのを知りとても嬉しくなりました。
35歳 女性のストーリー
ホタテと岩海苔のクリームパスタ です。
ブコディムーロという、壁の穴系列のパスタレストランで食べた逸品なのですが
いまはグランドメニューに載っていないようです。
というよりも、そのブコディムーロというお店はすでに存在していないようです。
(最近ふと思い出して検索してみた結果)
いろいろな飲食店でアルバイトをしてきました。飲食店の接客に興味が沸いて
多くの店へ足を運びました。
高級店からロードサイドのお店まで話題の味を体験すしてきました。
しかし、ゆるぎなく美味しい逸品。
単価2万円の夜景を臨みながら食べる高級焼肉よりも
自分のご褒美だった、「ホタテと岩海苔のクリームパスタ」。
無いとなると更に くちに入れたい良くが燃え上がる。
ゴロっと大きめにカットされたホタテ。半生で硬すぎず食感がよく甘みが広がる。
ホタテとエシャロット?から出るうまみがクリームと合わさり程よい酸味となめらかさ。
岩海苔の塩気と香りが加わって ソースをたっぷり乗せてきてくれる平打ちパスタ、タリオリーニ。
白ワインでも赤ワインでも美味しい。 食べたい。
30歳 男性のストーリー
うどん県(香川県)にある讃岐ラーメンのお店のラーメンです。
「はまんど」という名前の店で、へんぴな田んぼの中にあります。
讃岐ラーメンって名前からふざけてると思って入りました。ところがどっこい、どのご当地ラーメンにも負けない、てゆうか普通に勝ってる美味しさでした。
伊吹島(香川県)のいりこをふんだんに使った醤油ベースのスープでした。
麺は讃岐うどんを意識して、歯ごたえのあるものでした。
煮卵などの食材も地元のものを使用しているため、れっきとしたご当地グルメです。そのため、観光として香川県に行った人にもおすすできます。
駅からは遠くて(しかも田舎な駅)アクセスは悪いです。
にもかかわらず、どこから人が現れたのかってくらい並んでいます。
食べログの口コミは香川県のラーメンの中でダントツに多いです。
35歳 女性のストーリー
ゴルフコンペで優勝した人がくれた牛肉ブロックです。暑さは5センチほど、長さは25cmほどあったと記憶しています。
その厚みならローストビーフとかにしても良かったのかもしれませんが、暑さを半分に切って、シンプルに塩胡椒で焼いて、わさび醤油をつけて食べました。
もう柔らかくて、牛肉独特の臭みもなく、どんだけでもたべれるというおいしさ!
どこのお肉だったか、何牛だったか忘れてしまったのですが、初対面にもかかわらず、ブービー賞ばりにゴルフヘタッピな私に気前よく「あげるよ!」といってくれたおじ様、感謝してます!
あのお肉は最高でした!また食べたい…
思い出しただけでお腹が減るわ、よだれは出てくるわです。
ちょっと特別な日に奮発していい肉買ってお家パーティしようかな…
33歳 男性のストーリー
私にとって、今まで一番おいしかった食べ物は「ひつまぶし」です。

鹿児島県に生まれ、学生時代は埼玉県で過ごしましたが、
8年前である社会人一年目の勤務先が愛知県でした。
「何か愛知の旨いものを食べてやろう」と意気込み、
歩き回って探した結果、ひつまぶしを食べることにしました。

うなぎの蒲焼きは食べたことがあったのですが、ひつまぶしは初体験。
料理が出てきたときに、目の前に並んだのはいくつものお皿や
お茶の入った急須など。「どうやって食べるの?」というのが
正直な感想でした。

店員さんに聞くのも恥ずかしかったのでスマホで調べると、
「ご飯を最初に4つに分けて・・・」と、今まで知らなかった
食べ方を学びました。早速試してみると、当然うなぎは
美味しいのですが、食べ方によっても味が全然違うことに驚きました。

価格はそこそこお高いので、頻繁に食べられるものではないですが、
その後愛知県を訪れた時には、つい思い出してしまう逸品です。
41歳 男性のストーリー
私が大学生の頃、山岳部に所属しておりました。
今でも忘れることが出来ない美味しいものは、決して高級なものではありません。
あれはある年の12月下旬、冬山合宿の時でした。
北アルプスの名峰「鹿島槍ヶ岳」を登山中、豪雪に見舞われた私達は、雪崩が起きる可能性のある雪の斜面に横穴を掘り、決死のビバークを行いました。
厳しい寒さの中、体を横にするのがやっとの状態、穴には3人で入っていました。
たまたま持っていた夕食用の材料、それは「豚汁」を作るための野菜、しかし豚肉はベースキャンプに保存しているため、あったの「魚肉ソーセージ」でした。

体を横たえながら頑張って調理し、見事に「魚肉ソーセージ入りの豚汁もどき」を歓声させることに成功したのです。
いつ死んでもおかしくない中で、暖かい「豚汁」を食べた時、心の底から美味しいと感じました。あの味を忘れることは二度と無く、この先永遠にないかもしれません。
10歳 男性のストーリー
会社のおやつとしてコンビニスイーツが人気なのは知っていたのですが、正直、小さいしスーパーで売っているのと変わりないと思っていました。でも、お財布がホクホクで紐が緩んでいた私は、その時話題になっていたバスクチーズケーキを購入することにしました。

テレビでのコメントを聞いて購入してみましたが、とても濃厚で、コーヒーのお供に最適だと思います。
41歳 男性のストーリー
私が大学生の頃、山岳部に所属しておりました。
今でも忘れることが出来ない美味しいものは、決して高級なものではありません。
あれはある年の12月下旬、冬山合宿の時でした。
北アルプスの名峰「鹿島槍ヶ岳」を登山中、豪雪に見舞われた私達は、雪崩が起きる可能性のある雪の斜面に横穴を掘り、決死のビバークを行いました。
厳しい寒さの中、体を横にするのがやっとの状態、穴には3人で入っていました。
たまたま持っていた夕食用の材料、それは「豚汁」を作るための野菜、しかし豚肉はベースキャンプに保存しているため、あったの「魚肉ソーセージ」でした。

体を横たえながら頑張って調理し、見事に「魚肉ソーセージ入りの豚汁もどき」を歓声させることに成功したのです。
いつ死んでもおかしくない中で、暖かい「豚汁」を食べた時、心の底から美味しいと感じました。あの味を忘れることは二度と無く、この先永遠にないかもしれません。
46歳 男性のストーリー
ここのとんかつはいままで生きてきた中で一番だと思えるものがあり、肉厚で厚切ロースと書いてあって注文してみるとなんと厚切のお肉がからっと揚がってきていました。ボリューム満点でいつ食べてもお腹一杯になりますが、一つだけ玉にきずではあるのが料金がかなり高いことです。高くて美味しいものを食べる事は簡単ではありますがそこを踏まえてもかなり豪華でおいしいと考えられて妥協はしたくありません。とんかつならばこのお店と言った感じでもありますし、自分の中ではこのお店が定番のお店であります。これまでここのお店のとんかつを越える味を味わった事がないのでこれからはこちらのお店を越えるとんかつのお店を探す事も考えたいです。
22歳 男性のストーリー
自分が1番思い出に残ってる味は通っている大学近くにあった家系ラーメンの店の豚骨醤油ラーメンだ。
入学時に知り合った同級生と、その数日後の放課後に食べに行き、感動したことを覚えている。
自分は油っこい食べ物が少々苦手なので、やや豚骨ラーメン自体にも抵抗があったが、そのラーメンのスープははこってり過ぎず、しかし濃厚な甘みが口の中で優しく広がってきたことが衝撃だった。
それからというもの、金曜の授業を乗り越える度に、友達と豚骨ラーメンを食べに行くことが毎週の楽しみとなっていった。
自分が今や1日三本は食べるほどのネギ好きになってしまったのも、毎週のようにこの豚骨ラーメンのトッピングの白髪ネギを堪能していたことが原因であることは間違いない。
しかし、やはり豚骨ラーメンの匂いは好き嫌いが別れるようで、その家系ラーメン屋さんは、自分が入学してから3年程で店を畳むことになってしまった。店主のおじいさんは現在別の場所で居酒屋を営んでいるらしいが、豚骨ラーメンは扱っていないらしく、もうあの優しい濃厚スープを味わうことは出来なくなってしまった。
外出先で家系ラーメンを見つけた時には試しに食べてみたりするが、不思議なことに同じ豚骨ラーメンでも、「あの味」を思い起こさせるような店はなかった。
もうじき卒業し、社会人となる身だが、日々を乗り越えていく中で、自分にとってのうまい飯というものを見つけていくことは人生において実はかなり大切なことなんじゃないかと思ってしまうようなある意味で充実した日々だったんじゃないかと感じた。
57歳 男性のストーリー
一番おいしかった食べ物は、地域に住む農家のおじさんが持ってきてくれた朝採れたてのトウモロコシです。
皮つきで10本ほど持ってきてくれたと思います。大きさは25センチほどでスイーツコーンと呼ばれる品種だったと思います。朝ごはん前に大きな鍋にお湯を沸かし、塩を少しだけ入れてトウモロコシを茹でました。茹で時間は5分ほど、薄皮を1枚残して茹でました。茹でた後は、流水で粗熱を取り、そのあと薄皮と髭などを取って家族全員でいただきました。トウモロコシの粒粒はすべて黄色で、身はぷりぷりとしていました。そして実際に食べてみると甘みがすごくて、夢中で食べました。生まれてから、あれほど旨いものを食べたことがありません。
21歳 女性のストーリー
実は私、医者の娘でありますので、A5ランクのお肉ですとか、県外から取り入れた高級なフルーツですとか、いろんな美味しいものを父が家族のために買ったり、みんなで食べる機会が多かったです。
その為、高級な食材を使って家庭料理を食べたり、美味しいレストランテなどに連れてっていただくことまでありました。

自慢話(凄いのは決して私ではなく、責任重大で、プライベートも削る、プロフェッショナルな仕事をする父が凄いのですが)をお話しの導入にしてしまいました。とにかく、特別な時には美味しい物を食べさせて頂く機会が多々ありました。(父はお百姓さんの息子、母も自転車屋の娘でしたので、庶民的な舌を持っているため、家族で牛丼やマクドナルドなど普通に食べますよ)

その中で今回一番美味しかった食べ物は、父が家でフランベしてお料理してくれた、A5ランクの飛騨牛のサーロインステーキです。お醤油をお肉につけて食べるのが本当に美味しかった。家族団欒、わいわいしながら、お腹いっぱい美味しいお肉を食べ、幸せになっていたから余計においしく感じました。
44歳 女性のストーリー
高1、中1男児の母です。
生きていた中での一番の苦労は、次男の発達障害からの二次障害に陥った症状に翻弄されている生活です。
次男が、小学5年生まで、発達障害に気が付くことなく次男に接してきました。
4年生までは、登校渋りがあったものの、なんとか登校、学習にもついていっていました。
5年生になってから、症状が悪化し、診断を受けることになりました。
その時には、既に二次障害の状態で、登校拒否、学習拒否、学校で言葉がでなくなる、授業中、学校の中を歩き回る、先生とのトラブルで暴れるなどの症状がでていました。
診断を受けても、どうすることもできず、ますます症状は悪化する一方でした。
学校のストレスを、自宅で爆発させて暴れたり、私に暴力をしたり何度もあり、児童相談所や警察のお世話にもなりました。
正社員で20年以上勤めていた会社も、やむなく退職し次男に寄りそうことにしました。
その後も、改善が見られないため、入院ができる病院へ転院し、3か月半の入院をしたことで、大分状態が良くなりました。
退院後、数か月は順調に登校することができていました。
ですが、その後も頑張りすぎたことで、爆発することもあり、本人も家族も限界の状態になり、児童相談所の一時保護を経験しながら送っている日々が、一番の苦労です。
25歳 女性のストーリー
私が、“この世で一番おいしかった”と思えたのは、海外旅行後に食べる日本食です。具体的な食べ物でなくてすみません…。
私は一年に何度も海外旅行に行くタイプではないのですが、以前シンガポールに5日間ほど旅行に行きました。シンガポールは、多国籍な国で、食事もマレー系、中華系、インド系と様々なアジア料理が揃っています。もちろん、観光産業が盛んなので、多国籍ウケするアメリカンなカフェはもちろん、日本食レストランもあるのですが、『せっかく海外にいるのだから、現地のごはんを楽しみたい心』が発動し、日本食は一切口にしませんでした。
でも、やっぱり長年慣れ親しんだ味というのは、すぐに恋しくなるものですね。もちろん現地のご飯もとっても美味しかったのですが、帰りの飛行機に乗るころには味噌汁が飲みたくて飲みたくて…。
日本に着いた頃には夜遅く、もう大半のお店が閉まっていましたが、味噌汁とお米が食べたい一切で有名牛丼チェーン店に駆け込みました。
『ああ、なんて美味しいんだろう、日本に生まれて良かった』と感じた体験でした。
65歳 男性のストーリー
田舎で育った私が昭和の30年代から40年代にかけて、高度経済成長期に、札幌の雪まつりに父に連れて行ってもらい、初めて食べた、味噌ラーメンが衝撃的な美味しさでした、当時は、家で、鶏ガラから作った醤油ラーメンしか知らなかった時代、田舎には無かった味が札幌には沢山あったのです、今思えば、あのラーメン屋さんは、味噌ラーメンの発祥のお店味の三平だった様に思えてきました。中太の卵麺が、今までに食べたことがない味だった記憶が今も残っています、それからはラーメンは札幌と思いこんで、本州に行った時にはラーメンは食べる事が出来なくなった時期もありましたが、最近は本州のラーメンにも慣れて食べる事が出来る様になりました。
24歳 女性のストーリー
私は、国内外問わず旅行が好きです。
看護師という仕事柄、頻繁にまとまった休みを取るのは難しいですが、それでも一年に数回は一週間くらいの長いお休みを頂けるので、そのお休みを利用してよく旅行に行きます。
結論から言うと、私の一番おいしかった食べ物は、ある特定の食べ物ではなく、『旅行から帰ってきた後に食べる、普段食べているもの』。
海外旅行なら帰ってきた後に食べる日本食、国内旅行なら帰ってきた後に食べるおうちごはん。これが、いつもたまらなく美味しく感じる幸せな時間です。もちろん、旅行先では普段食べられない美味しい食べ物はたくさんあります。でも、帰ってきたときの『あ〜!いつものこれこれ!!』って噛みしめながら食べるご飯にはかなわないのです。
49歳 女性のストーリー
イタリアレストランのシーザーサラダ。
レタスにクルトンを入れて食べるのが定番です。ほとんどのレストランでもそのようにしてる所が多くドレッシングを工夫したりする所が多いようです。
しかしながら最近初めて行った新しく出来たイタリアレストランのシーザーサラダは本物のパンを使用されていました。今まで経験した堅いパリパリのクルトンではなく、バケットをガーリック島で味付けて焼き、それを大きめに切ってクルトンの代わりにレタスに混ぜてありました。硬すぎるクルトンとは違い柔らかくて滑らかでドレッシングにも合っていました。1人でボール全てのサラダを完食したほど美味しかったです。斬新かつ美味なシーザーサラダに驚きました。
43歳 男性のストーリー
我が家はスノーボード大好き一家。秋口や春先はスノーボードを目的としてだけ遠出をするのではなく、キャンプや渓流釣りなどいろいろな体験をセットにする旅行になるように心がけています。一つの物事を継続する力、そしてそれが楽しみながらできるというのは本当に魅力的なことだと思います。また、節約するために車中泊ができるようにしたり、なるべく自炊して様々な料理にもチャレンジしています。その中でも最近は渓流釣りに最もハマってます。自分で釣り場を探し、いるかどうかドキドキしながらイワナ を探すのが楽しいです。やはり、自分で釣った魚はおいしく、子供たちも大好き。いろいろな料理を試しましがやっぱりシンプルに塩焼きが一番おいしいですね。
30歳 男性のストーリー
兵庫県西宮市の「和海(なごみ)」という店のラーメンは、生まれてこのかた、一番おいしいと思いました。すっきりと澄んだ味の塩ラーメンです。スープには雑味もまったくなく、後味もすっきりしています。(おそらく化学調味料の類は入っていないものと思います)また、麺も、そのスープに絡むように太さ等も計算されて作られており、のど越しも素晴らしいです。また、具についても、麩が乗っており、スープを吸ってふわふわになったものを食べるのがなんとも美味です。極めつけは、鳥チャーシューです。低温調理でじっくり仕上げていると思われる鳥チャーシューは、ジューシーで口当たりもとてもよく、うまみも非常に詰まっています。基本的に平日の昼間にしか空いていないので、なかなか訪問できませんが、ラーメンといえば…というくらい印象深い一杯でした。
36歳 女性のストーリー
フランスにはラクレットという冬に食べる食べ物があります。それはラクレットとというチーズを専用の機械で溶かして、溶けたチーズをゆでたじゃがいもやハム、生ハムやサラミなどにかけて食べます。フランスには各家庭には絶対1台はあるという卓上の機械で、冬がきて外が寒くなると、たいていの家庭では、そろそろラクレットの時期だ!と、しまっておいた機械を出してきて家族みんなでの食事を楽しみます。
最近そのラクレットをお友達の家でやったのですが、みんなで食卓を囲んで好きなハムや野菜を選び、自分の好きなペースでスライスされたラクレットチーズを焼き、ちょうどいいころ合いに野菜やお肉に溶けたチーズをかけて食べると、もうそれはそれは絶品で、なんとも言えない幸せでした。
43歳 男性のストーリー
自分が一番美味しいと思った料理はトマトの冷製スープです。そのスープは結婚式場を選ぶ時の体験で出された料理の中で出てきたスープですがその美味しさのあまりそこの結婚式場で結婚式をすることに決めました。どういったスープかというとトマトをそのままミキサーで潰して少しだけ生クリームを加え、塩、胡椒で味付けをするといった作り方はとてもシンプルなものです。その味はというと普段は生のトマトは嫌いで食べる事が出来ないのですが、そのスープのトマトはフルーツのような甘みがあるのとトマトの旨味が凝縮されており更にそこへ生クリームのコクが加わり、甘み、旨味、コクがあるのですが、後味はトマトの酸味がサッパリとさせるといったとても美味しいスープでした。
26歳 女性のストーリー
元々貝類がそこまで好きじゃなかった私は友人から誘われたオイスターバーもそんな期待していませんでした。
ですがお店で生牡蠣を食べてびっくり!他の貝類とは全く味が違うのです。
マイルドな塩の味と今まで食べたことないような濃厚でなめらかな味がしました。
牡蠣の種類によっても味が変わりますが、さっぱりとした味の牡蠣にはレモン汁やワインビネガーが、まったりとした味の牡蠣にはチリソースがとてもよく合います。
かけるものを逆にしても美味しいことには変わりないですが。
元々高級食材でそこまで食べる機会もありませんが、今まで食べなかったことを後悔する初めての食材になりました。
その友人との食事からハマりにハマり、今でも1年に1回はオイスターバーに行きますが、ノロウイルスになろうと生牡蠣のなめらかさ美味しさは変わりません。
27歳 女性のストーリー
私が生きてきた中で一番美味しかった食べ物は、母の作ったメンチカツです。
小さい頃、探偵ナイトスクープというテレビ番組で、思い出の震えるほど美味しいメンチカツがもう一度食べたい男性を取材するという内容の番組を見て、母に私も食べたいと頼んだらメンチカツを作ってくれました。
母が作ってくれた出来たてのメンチカツは手が震えるほど美味しく、衝撃を受けた記憶があります。
残念ながら2回目以降のメンチカツは美味しいのだけど震えるほどではなかったです。
お店で食べるメンチカツとどう違うのか、母の愛情なのか番組の影響を受けての錯覚なのか、あれほど美味しいと感じたのはなかなかないです。
またあの震えるほど美味しいメンチカツを食べたいです。
54歳 女性のストーリー
東京都小笠原村の父島で取れたてのキュウリを食べた時です。
いつも食べているキュウリとは全然違い、みずみずしくぱりっとしていて生臭さもなく
きゅうりとはこんなにおいしい野菜だったのかと感動しました。
いつもたべているキュウリはしなしなできゅうり自体にはりがなく、種の部分が生臭く
どちらかといえば苦手で美味しいと思ってたべたことはありませんでした。
ですからきゅうり単体で食べることはなく、酢の物やサラダの一部にして食べていました。小笠原村父島の知人に自分の庭でキュウリを作っていると言われついて行ったのですが、内心期待はしていませんでした。
けれども無造作にもぎとってくれたキュウリを食べてびっくりしました。
今までのわたしのキュゥリ感をくつがえす美味しさでした。
44歳 男性のストーリー
食材ではなく、調理方法を変えることにより、今までで一番おいしいと思えるものに出会えました。
ただ単に、お肉(スーパーで売っているような安物)を焼いて食べただけなのですが、ネットでおいしい焼き方、味付の仕方、下準備を調べて焼いて食べたら、今まで食べていたお肉と同じものなのに、まるで違う味に仕上がり、そこらへんの大衆ステーキ店には負けないほどのものが出来上がりました。
恐らく、決定的だったのが、鉄のフライパンの使用。
これまではテフロン加工のものを使っていましたが、今回のために新規に購入。キチンと手入れを行い、ネットでの助言通りにお肉を焼いて食べました。
このクオリティーを家庭で出せるのであれば、外でお肉を食べるなんてことは、コスパが悪すぎてできないですし、レベルも家庭の方が上です。
これが、今までで一番おいしいと感じた食べ物で、定期的に食べています。
59歳 女性のストーリー
 はるか昔の話ですが、今までの半生で一番おいしかった食べ物は、新婚旅行で行ったオーストラリアシドニーのレストランで食べたキャビアをたっぷりのせた生牡蠣です。オーストラリアは何を食べても日本人には量が多く、そのキャビアも大皿いっぱいに殻付き生牡蠣がこれでもかと並べられていて、驚きました。注文するときも中国人と間違われ、最初中国語のメニューを持ってきて、戸惑っていると気づいたのか英語のメニューを持ってきてくれました。英語もよくわからず料理写真も無いので、だいたい勘で頼みましたが、その中のひとつがこの料理です。それまでキャビアというものを食べたことがなかったのですが、とてもおいしくいただきました。名前は知ってはいたものの、キャビアというものが何かということをその頃の無知な私は知りませんでした。
 思えば、異国の地でふだん食べつけない生牡蠣を大量に食べるという無防備さ。今だったら怖くて食べれません。主人も私も若かったです。結局、食べきれず残した記憶がありますが、今思えばもったいなかったですね。
53歳 女性のストーリー
子供の頃は、現在ほど外食が一般的ではありませんでした。まして私の実家は田舎で、飲食店はほとんどありません。
そんな生活でしたが年に一度だけ、稲刈りの収穫のあと、家族そろって一番近くの中華そば屋さんに食事に行くのが、子どもながらに楽しみでした。今のラーメンのようにチャーシューがのっていたりするような立派なものではなく、ナルトとシナチク、うすーい豚肉のなんてことない中華そば。だけどいつも忙しくてゆっくり会話もできない両親と、この時ばかりはいろいろ話をしたりして、楽しかったな。
もう、そのお店は無くなってしまったけれど、今でも時々あの味を思い出します。生活が豊かになって、イタリアン、フレンチ、お寿司など気軽に食べることができる時代になりましたが、どんなご馳走よりもあの中華そばが一番おいしかった食べ物です。
24歳 女性のストーリー
冬の朝からキャンプに向けて長野県の山奥に進んでいた時に、近くにご飯屋さんが全くなくキャンプ場への道もどんどんと狭くなっていく中、お昼もだいぶ過ぎていた時に、偶然見つけた地元の方が自宅でやっている五平餅カフェで食べた、五平餅とシフォンケーキが一番美味しかったです。
五平餅に使われている味噌は、自家製の味噌でくるみから作られている甘い味噌でした。今までしょっぱい味噌で作られた五平餅しかなかったのでくるみ味噌の甘くておいしところに大感動でした!
お米も自家製でふわふわで腹ペコのお腹と心に沁みました。
シフォンケーキも手作りで、シンプルながらにおっきくてふわふわでケーキ屋さんのシフォンケーキのように美味しかったです。
26歳 女性のストーリー
初めてタイに行った時に食べたものの話です。
普段あまり旅行ガイドは買わないのですが今回珍しく購入して旅行に挑みました。
同行する友人とは予定が合わず事前に旅程を組めなかったのですが、行きの飛行機でとりあえずわカレーを食べようという話になり、プーパッポンカレーと書かれているものが美味しそうであったため、ガイドに書かれている通り、ソンブーンというお店でプーパッポンカレーを食べることにしました。
プーパッポンカレーはカレーというよりはカレーを混ぜた炒め物という感じで、カニ、卵、ニラが混ざっています。
カニから出汁がたくさん出ていて、旨みがぎゅっと詰まっていて今まで食べた中で一番美味しい食べ物だと思いました。
32歳 女性のストーリー
母の作るミートソーススパゲッティが一番美味しいと思います。
実家に帰省した際には必ずリクエストする一品です。

材料はいたって普通です。ひき肉、トマト缶を煮込んでしめじ(マッシュルームが高いので我が家では良く代理として使われます)を投入、ケチャップ、ソースなどの調味料で味を調えて完成。調味料の分量は気分によって毎回違うそうです(笑)
分量は違うのに毎回同じあの味…自分でレシピ通りに作ってもあの味はなかなか出せません…「おふくろの味」というやつですね。
粉チーズをたっぷりかけて食べるのが好きです。トマトの酸味とチーズのまろやかさがたまりません。残ったら次の日に厚切りトーストに乗せて食べてます。味がしっかり濃いめなのでご飯の上にかけても美味しいです!
31歳 女性のストーリー
私の好きな食べ物はすき焼きです。長年付き合っていた彼氏に話すと、「ちょっと意外だね」と笑っていました。もっと可愛らしい食べ物を答えたらよかったかなと少し恥ずかしかったのを覚えています。その後結婚し、初めての結婚記念日を迎えた日、食事に行こうと誘われついて行くとそこはすき焼きで有名な高級店でした。私が好きなのを覚えていてくれて、連れて行ってくれた事がとても嬉しかったです。黒毛和牛に黒豚のお肉、目の前でお店の方に焼いていただきましたが、あまりにも美味しそうだったため、じっと無言で見つめてしまいました。もちろんその味は絶品で口の中で溶けて無くなりました。その日のすき焼きは特別に美味しく、忘れられない味です。
29歳 女性のストーリー
私が今まで食べた中で、一番美味しかった食べ物は母親が作ってくれたカレーです。
このカレーを食べると、やりたくないと思っていたことも何でも頑張ろうという気持ちになる味でした。
今でも実家に帰ると、必ず母が作って待っていてくれます。お肉は大量にひき肉を使っていて、野菜も子供の頃から変わらず小さく切って、じっくり煮込んでくれるので私の子供も大好物になっているほど美味しいです。
隠し味を最後にいれていて、今までは教えてくれなかったのですが、私が結婚し家を出たのを機に隠し味にはトマトジュースをいれているということを教えてもらいました。
お店などでもトマトジュースが入っているカレーを食べたことがあったのですが、母の味に勝るものに出会ったことはありません。
54歳 男性のストーリー
私が一番おいしいかった食べ物は、以前社員旅行で行った三重県伊賀市にある「金谷本店」で食べた伊賀牛のすき焼きです。
家で食べるすき焼きと違って、最初は牛脂で油を敷いた後、サシの入った見た目にも美しいお肉を割り下を軽くかけていただきます。なんともいえない甘さとうま味が口の中に広がり、幸せなひと時、口の中であっという間にお肉がなくなってしまいます。
その後は、お野菜と一緒にお肉をいただくのですが、お肉から出たうま味が野菜と絡み合って、「世の中にこんなにおいしいすき焼きがあるのか」と思いました。
もちろん、有名高級店ですので、お値段もそれなりにします。私のような貧乏サラリーマンには、なかなか行けないお店ですが、息子が大学を卒業し、少しゆとりが出来たら、妻を連れてもう一度あのすき焼きを食べてみたいと思っています。
19歳 女性のストーリー
学生の頃、クラスに女子が2人だけだったので、先生からも生徒からも特別扱いされていました。
授業態度についての注意も、男子と女子では格差があったり、先生は女子に優しく、無理をさせないように気を使ってくれていました。
男子も、教室のドアをわざわざ開けてくれたり、女子の席を綺麗にしてくれたり。
登下校の時一緒になった男の子は、車道側を歩いてくれたり、飲み物を奢ってくれたりなど優しくしてもらえた。
それ以外にも、学校行事では体育祭や大掃除などがありますが、力仕事はほとんど男子がやってくれて、重いものも手伝ってもらえたり、先生からも女子には力仕事をさせないやうに気を使って貰えました。
虫が出た時も、男子が率先してやっつけてくれて、守ってもらえたので女子に生まれて良かったなとしみじみ思います。
24歳 男性のストーリー
私が今までに食べたものでおいしいと思った食べ物は、自分で作った麻婆春雨だ。
作ったと言っても、普通のスーパーに市販で売られている麻婆春雨を使ったものではある。しかし、それが想像以上に絶品なモノだった。
私がアレンジとして付け加えるモノは、玉ねぎ、卵だけなのだが、それが絶妙にマッチしている。
調理方法も簡単で、5分程度あればすぐできる。一人暮らししている人ならばコスパも最強だ。
何より1番美味しい食べ方は、ご飯と一緒に食べることだ。私の中で麻婆春雨は、ご飯に合う最強の食べ物だと思う。麻婆春雨とならご飯も何杯も食べれる勢いだ。
麻婆春雨にも辛さが何種類かある。その中で1番のオススメは中辛だ。
他にも色んな食べ方があると思うが、私の中ではこの食べ方がベストだ。
31歳 男性のストーリー
クラブハリエの焼きたてのバームクーヘン。
今までバームクーヘンなんて口の中の水分を全部もっていかれて、どこのものを食べてもさほど味に変わりはないと思っていたのですが、先日訪れた滋賀県にあるクラブハリエの焼きたてのバームクーヘンを食べれるお店へ行った際、せっかく来たのだからと食してみると今まで食べたどのバームクーヘンよりも柔らかく、それでいてしっとりしていて、口の中で溶けていく感覚を覚えました。
バターと砂糖をこねて何層にも焼き上げただけのお菓子と思っていましたが、卵やバターにもこだわっているらしく、これぞ熟練の技という感じがしました。
場所は滋賀県の近江八幡市にあるラコリーナというところで購入することができます。
31歳 男性のストーリー
クラブハリエの焼きたてのバームクーヘン。
今までバームクーヘンなんて口の中の水分を全部もっていかれて、どこのものを食べてもさほど味に変わりはないと思っていたのですが、先日訪れた滋賀県にあるクラブハリエの焼きたてのバームクーヘンを食べれるお店へ行った際、せっかく来たのだからと食してみると今まで食べたどのバームクーヘンよりも柔らかく、それでいてしっとりしていて、口の中で溶けていく感覚を覚えました。
バターと砂糖をこねて何層にも焼き上げただけのお菓子と思っていましたが、卵やバターにもこだわっているらしく、これぞ熟練の技という感じがしました。
場所は滋賀県の近江八幡市にあるラコリーナというところで購入することができます。
24歳 女性のストーリー
小さいころから果物が好きでよくいちごやりんご、ミカンなどを食べていました。
しかし、ある夏に祖父母の家に遊びに行った際に出された果物が今まで食べたてきた果物の中で飛びぬけておいしかったものがあります。
それは「マンゴスチン」、果物の世界では果物の女王の異名を持っている。
可食部は、種の周りを覆っている白い部分でミカンのような形である、その甘さはさわやかな酸味をとのハーモニーで、いちごなど比べ物にならないほどのおいしさだった。
いくらでも食べられる、と思ったが、原産国は東南アジアや南アジアで熱帯果実の栽培ができる沖縄でも栽培に成功していない品種。
様々な店に足を運んだが、どこも夏にほんの一部しか販売されておらずお目にかかれたら奇跡というほどだった。
いまでも、あの味は忘れられず、見つけた場合は購入してひと時の贅沢を味わっている。
44歳 男性のストーリー
私の好きな食べ物は、「うどん」です。
最近では、丸亀製麺やはなまるうどんなどのチェーン店があちこちにでき、楽しくうどんライフを送ることができています。
だいたい月に4回から8回は昼食にうどんを食べます。
あんまりにも、うどんを食べるため、うどん屋さんの店員さんにも、顔を覚えられてしまいました。
いつも注文するのは、「ぶっかけうどん」です。夏には冷たいぶっかけうどん、冬には温かいぶっかけうどんを好んで食べます。
出勤前、朝食を用意できなかった際には、朝早くから開いている定食屋で素うどんを食べて出勤することもあります。ちなみに、朝素うどんは、250円です。
これだけうどんを愛する私ですが、生まれも育ちも香川県ではありません。
45歳 男性のストーリー
私が過去一番おいしかった食べ物は、意外と思われるかもしれませんが博多のとんこつラーメンです。
以前私はラーメンといえば味噌、とおもっており、豚骨ラーメンはどちらかというとブタくさいにおいのきついものぐらいにしか思っていませんでした。
その私が福岡に転勤になり1年間すごしたことがあります。
福岡県は博多ラーメンの聖地、飲み会の後などは〆で博多ラーメンを食べることがでてきたのですが、これが非常にうまい、この時とりこになりました。
いまだに福岡含めた九州にはよく出張にいきますが、この時はかならずラーメンを食べます。今では博多なら博多ラーメン、長浜ラーメン、久留米なら久留米ラーメン、熊本ならマー油たっぷりの熊本ラーメンなどもう豚骨ラーメンの虜です。
53歳 女性のストーリー
私の経験ですが、主人との結婚をきっかけに長崎から長野へと移住してきました。
その土地に来るまで、これまでの人生で食べたことのなかったものが色々ありましたが、中でも一番おいしかったと言える食べ物が”赤飯饅頭”でした。
見たことも聞いたこともなく、もちろん知ってるわけでもなく、人生初の食べ物でした。
どのようなものかと言うと、赤飯、饅頭それぞれどのような食べ物か、多くの人がご存じだと思いますが、その”赤飯饅頭”は外側は普通のお饅頭で中身があんこではなく、何とお赤飯があんこのように入っているのです。
手に取ると通常のお饅頭よりずっしりとした重みがあり、二つに切り分けると断面がお饅頭の皮と赤飯の薄い赤色した色で、いざ食べてみると不思議な食感がします。
味も丁度良く、甘さも絶妙でしつこくなくてとても美味しく、他にも美味しいものはありますが、私の美味しかった食べ物ベストワンになります。
35歳 女性のストーリー
私が今まで食べた中で一番美味しいと感じた食べ物は、イギリスのエッグタルトです。
10年以上前になります。私は就職活動がうまくいかずに大学を休学し、アルバイトで貯めたお金でイギリスのカンタベリーにある語学学校に留学しました。海外旅行そのものの経験も少なかったのですが、いきなり二ヶ月間のホームステイに飛び込むことで、環境をがらりと変えたいと思ったからです。
ホームステイ先の家族は私に住環境を提供してくれるだけのシンプルなスタンスでした。よって、特に朝早くから学校に行く私の朝食は、必然的に街中のパン屋さんで調達されることになります。学校の近くにある昔ながらのパン屋さんに立ち寄り、紅茶と小さなパンを持ち帰るのが日常でした。
ある日、偶然に焼きたてのエッグタルトの仕上がりに出くわしました。朝ごはんのサイズには小さく、満腹にはならないからという思いでいつも選択肢から外していたのですが、湯気をたてて銀盆に載せられた小さなエッグタルトは魅力的でした。
私は初めてエッグタルトを買い、店の外の通りに出てから、熱々のうちにひと口かじりました。カスタードプリンに似た口当たりですが甘すぎず、濃厚な卵の風味が舌の上に広がり、朝一番の眠気から覚めきっていない頭が一気にすっきりする感覚を味わいました。
その朝初めて私は、自分自身が異国の小さな街の日常の一部に溶け込むことができた実感を味わいました。限られた短い留学期間を過ごす日本人という立場でしたが、昔ながらの商店で買い物をして生活感を得られた充実感も相まって、あのエッグタルトの素朴な味とぬくもりは忘れがたいものになりました。
38歳 女性のストーリー
銀座、ピエール・マルコリーニのチョコレートパフェ。
チョコレートで有名なピエール・マルコリーニの銀座のお店にはカフェが併設されており、お店でも人気のあるエクレアなどが食べられます。そこのメニューのひとつとして出されているチョコレートパフェが、今まで食べたチョコレートパフェの中でだんとつの1番、ものすごく美味しかったです。
チョコレートアイスとチョコムース、生クリーム、バナナが入っています。チョコアイスは濃厚だけどしつこくなく、上品な味と甘さです。生クリームも甘くないものなので合わせて食べてもしつこくなく、チョコの味を引き立てています。
パフェだけでも¥1680と値段はかなり高めで、飲み物も頼むと二千円越えのかなり贅沢なデザートです。
高いけれどチョコ好きならば食べる価値はあります!!
21歳 女性のストーリー
 小学5年生の宿泊学習・臨海学校で日本海へ行った時のこと。入り江の小さな岩の裏にバフンウニが生息していて、採ってそのまま食べることができるということだったので、同級生たちと探しに出かけた。
 小さなバフンウニを見つけて、みんなで一口分、いや一舐め分を分け合った。もともとウニは好きだったが、採ったその場で食べた新鮮なそのウニは、それまで見たことないほど鮮やかなオレンジ色をしていた。味は、一舐めしただけでさえとても濃厚で、ウニそれ特有の臭みなど全くなく、むしろ甘味を感じるほどだった。
 それ以来、今でもそのバフンウニを上回るウニには出会ったことがない。またいつかもう一度、あの新鮮な採れたてのウニを食べてみたい。
38歳 男性のストーリー
私が忘れられない一番おいしかった食べ物は
何と言っても釜茹で、茹でたてのシャコです。
見た目がグロテスクではありますが
味は海老とカニの中間といった感じで
子持ちですと尚更美味しいです。
キッチン鋏で両側をカットして
殻をむきながらむさぼるように食べていると
指がシワシワになるまで夢中になって食べてしまいます。
殻をめくって卵が着いていたときには
得した気分になれます。
よくお寿司屋さん等でにぎりでありますが
全くの別物と言っても良いほど
釜茹では旨いです。
身もほわほわふっくらしていていくつでも食べられます。
市場で生きたシャコを買ってこなければ
なかなか食すチャンスがないのも
シャコの魅力の1つではないでしょうか。
ご家庭で簡単に茹でる事ができますので
生きたシャコを見かけたら是非召し上がっていただきたい逸品です。
56歳 男性のストーリー
まだ、私が20代の頃 仕事で千葉の関連会社へ出張した時の話です。仕事先のお偉いさんから、「もう焼き蛤は食べたか?」と聞かれて、「まだ食べていません」と答えると、千葉に来たなら本場の焼き蛤を食べるように言われました。
その後お偉いさんが部下に指示をして、次の日朝から焼き蛤を食べに行くことになりました。
実はその日も仕事だったんですが、仕事先の部下の方と社用車に乗り朝から九十九里まで出かけ浜辺の店で、新鮮な取れたての蛤を七輪で焼きながら食べました。その美味しさは今まで食べて貝類でも一番の美味しさでした!
仕事中にも関わらず、朝からビールを飲みながら、取り立て・焼き立ての蛤の味は、今でも忘れられない美味しさでした。
27歳 女性のストーリー
働き出して4年目のことだったのですが、仕事でそこそこ大きなプロジェクトを任されました。毎日残業でへとへとになり、ろくにご飯も食べれていない日々が続いていました。
するとさすがに見かねた上司(以下Aさん)が家に招待してくれ、手料理(家庭料理)をふるまってくれました。実家を出て、自分で自炊をしていた私にとって、その時Aさんがふるまってくれた料理がとても家庭的で美味しかったのを、今でも覚えています。
特にハンバーグが得意だと言っていたAさん。お店で食べるハンバーグより美味しかったです。それからそのご飯のおかげ?もあり、次の日からサクサク仕事が進むようになり、無事にプロジェクトは成功。Aさんにも料理のおかげでパワーが出たことを伝え、Aさんからもそういってくれてありがとうと言われました。
あのハンバーグは今になっても忘れられない味です!
25歳 女性のストーリー
小さい頃に初めて食べた、田子の月の富士山頂というお菓子です。このお菓子は静岡にしかなく、ほかの県では買えないし、食べられません。
子供のころに食べてから、おばあちゃんが出かけた時に必ず買ってきてくれて、毎日二個以上は食べないときめていて、大切に食べていました。
大人になってからはどうしても食べたくなった時に買いくので、食べる回数は減ってしまいました。
県外の大学に通っていて、友達に大好物はなにと聞かれたことがあり、富士山頂と答えたら、当たり前だけど富士山頂を知らないので、買って行って紹介したこともありました。
好きすぎて、就活のときに田子の月に就職を本気で考え、説明会にも行きました。
最終的には就職はしませんでしたが、いまでも大好きなお菓子です。
28歳 女性のストーリー
人生の中で一番美味しいと思う食べ物は、一日中働いて家に帰ってきてから食べる夕食だ。

一番好きな食べ物は?という質問は人生の中でよく聞かれることだと思うのだが、好きな食べ物はずっと好きでも、その美味しさは状況によって何倍にも美味しく感じられると思う。
例えば、朝早くから仕事に出かけて忙しく、なかなか休憩も出来ず、夜やっと仕事が終わり疲れきって家に帰った後、好きな食べ物を食べる。この瞬間が好きな食べ物を、一番美味しく食べられる。

またどこで食べるかや誰と食べるかも、美味しく食べることに非常に関係していると思う。
職場で目上の立場にいる方との食事は、緊張のあまり美味しさをあまり感じられない。
逆に信頼出来る友人や家族との食事は、楽しい雰囲気から美味しさを倍増させてくれると思うのだ。
23歳 女性のストーリー
私は出汁巻卵が大好物です。なので、頻繁に居酒屋とか小料理屋に行ったら必ず出汁巻卵を頼むくらいです。その中でも福岡の居酒屋で食べた出汁巻卵が1番頭に残る美味しい出汁巻卵でした。彼氏と2人でちょくちょく福岡にデートしに行くのですが、ある日の夜、居酒屋回ってたとき、一件の立ち飲み居酒屋に入りました。その時、二件目ということであまり食べれませんでしたが、出汁巻卵がすっごく美味しくてたっぷりとのったネギとタレと大根の出汁巻卵を口の中に入れたら出汁がジュワーっと広がる感じとお酒が進むので2、3個食べました。私は生涯忘れることもないし、もし、地球が終わるって日や自分の寿命が終わるとき、最後に食べたいたべものです。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

40歳 女性のストーリー
我が家は両親共働きだったので、幼いころから祖父母宅で面倒を見てもらっていました。
おじいちゃんは厳しい人でおばあちゃんは優しい人でした。
おじいちゃんは、ご飯の食べ方がおかしかったらすぐ注意したり、行儀が悪かったら怒ったり・・とにかくマナーに厳しかったです。
おばあちゃんは優しくて、時間持て余して暇な私に手芸を教えてくれたりマンガを買ってくれたり好きなお絵かき出来るように自由帳とか鉛筆など用意してくれました。
実際は反対で、ご飯食べ終わった後おじいちゃんおばあちゃん2人でご飯食べてる時、しょっちゅうおじいちゃんがおばあちゃんに怒られているところを見て、実はおばあちゃんは怖い人なんだ、と幼いながら思いました。
44歳 女性のストーリー
母方の祖父の思い出です。
母は末っ子だった事もあり、きっと祖父から1番大事にされていたと思います。
私はその母の娘であり、祖父にとって孫の中で1番下の孫でした。
とても可愛がってもらっていました。
私が小さい頃、夏休みや冬休みなどはよく長期で遊びに行っていました。
夜寝る時は、いつも祖父宅の2階に母と一緒に布団を敷いて寝ていました。
しかし夜中になるとふわふわと動いている感覚で目が覚めます。
でもまたすぐに眠りについてしまうんですが、朝目が覚めると祖父の隣で寝ています。
そんな事が毎日続きます。
最初から隣で寝かせればいいのに、なぜかそういう事はなく、祖父は必ず、寝ている私を2階からお姫様抱っこように抱えて自分の隣に連れて行っていたんです。
祖父に抱えられている時の温もりを、今でも忘れられません。
35歳 男性のストーリー
私が小さい頃、毎年お盆休みになると家族全員で福島県に住んでいる母方の祖父母の家に遊びに行っていました。
自然豊かな地域に祖父母の家があり、祖母は畑で採れた野菜や果物をたくさん食べさせてくれました。トウモロコシ、スイカ、梨など、その場で採れたてを食べるとこんなに美味しいのかと感動したものです。
祖父はトンボやカブトムシ、ザリガニ等をとりに連れていってくれました。大きなくぬぎの木を蹴飛ばして耳をすませると、ボトッと虫が落ちるという子どもにもできるやり方で日が暮れるまで虫とりをしていました。でもやっぱり祖父が勧めてくれる木以外では、あまりとれなかった記憶があり、祖父は虫とり名人だと憧れたものです。
祖父は私が中学生になる前に亡くなり、社会人になってからは祖母に会いに行く機会もなくなってしまいました。
仕事が落ち着いたら会いに行く機会を作りたいと思います。
44歳 女性のストーリー
お父さん方のおじいちゃんは、うちから少し離れたところに住んでいた。
いつもうちに遊びに来る時、おじいちゃんはバイクに乗って来ていた。
小さな頃からおじいちゃんが来る度にそのバイクに乗りたくて、停めているバイクに乗って、ブンブンとひとり遊びをしていた。
おじいちゃんの方言が強くて何を言っているかよく分からなくてなんとなく怖いイメージのある人だったので話すことも少なかったけど、そんな遊びをしている私に一言の文句も言わずに見守ってくれていた。
そんなに懐いていたわけでも可愛がってもらっていたような記憶もないけれど、おじいちゃんが亡くなった時はとてもショックだった。
今でもおじいちゃんの乗っていたバイクと同じものを見るとなんだかジーンとし、子供の頃を思い出す。
35歳 女性のストーリー
私とおばあちゃんとの思い出はおばあちゃんの田舎、愛媛県に連れていってもらったことです。小さい時はゴールデンウィークやお盆休み、秋祭りといった時期に姉や従姉妹たちと共に連れて行ってもらいました。小学生の頃になると、行く頻度は減ってしまいましたが、花火大会のある日に合わせて、連れて行ってもらいました。おばあちゃんの妹の家に泊まらせてもらっていたのですが、周りは畑が沢山あり、大阪出身の私にとってはその自然が魅力的でした。夏の花火大会は家から花火が見えたこともあり、すぐ近くで大きな花火を見たことが凄く印象に残っています。
おばあちゃんはもう亡くなってしまいましたが、田舎の思い出は凄く貴重な経験で、おばあちゃんとの大切な思い出です。
33歳 男性のストーリー
小さい頃によく孫たちを遊びに連れていってくれたおじいちゃん。
夢は孫たちとお酒を酌み交わすことでした。
しかし、病気でお酒を止められてしまったおじいちゃん。
普段は、おばあちゃんに止められながら何とか禁酒をしていたそうです。
ある年のお正月、数年ぶりに孫たちがおじいちゃんの家に一堂に会した時がありました。
今までお酒を何とか止めていましたが、一杯だけ解禁して夢が叶っていました。
何度も何度もやっと夢が叶った。うれしい。と言っていたので、
ホントに良かったです。
残念ながらおじいちゃんの夢が叶ったのはその一度だけ。
その後も、皆忙しくなかなか孫たちが会うことはないですが、一度でも夢を叶えさせてあげられてよかったです。
34歳 女性のストーリー
私のおじいちゃんは、とてもお金を大事にしたいた。
孫である私はとても可愛かったようで、会うといつもお小遣いをくれた。
私も大きくなり、子供を産み、おじいちゃんはひいおじいちゃんになった。
ひ孫の存在は
それはもう可愛かったようで、会うたびにお小遣いをくれた。

そんなおじいちゃんが、体調を崩し入院してしまった。
私やひ孫がお見舞いに行くと、
話せなくなってしまっていたが、
指で宙にこう書いた。

「金」

最後の最後まで、お金について伝えたかったようだ。

ひ孫である娘は言う。
ひいおじいちゃんは、いつもお金くれる人だったよね。

おじいちゃんの伝えたかったことは、しっかり伝わっていた。

ありがとうおじいちゃん。
もらったお小遣いは大切に使うね。
43歳 女性のストーリー
もう20年以上前になりますが、成人を迎える際振袖を着て某専門誌の表紙モデルになりました。
私は決して容姿に自信があった訳ではなかったのですが、モデルの謝礼と遠方に住む祖父を喜ばせたかったため志願しました。
元々写真に写るのが苦手でしたので、笑顔を浮かべての撮影はとても緊張しましたが、本を手に取った祖父がとても喜んでくれたのでやってよかったなと思いました。
その後祖父は入院したのですが、入院の際もその本を常に枕元に置いて同室の患者さんや医療スタッフの方たちに「うちの孫こんなすごい本に載ったんだぞ!どうだ綺麗だろ?」と自慢していたそうです。
その後祖父は他界してしまいましたが、いつも優しくしてくれた祖父に唯一できた孝行だったと思います。
28歳 女性のストーリー
中学生の時の修学旅行のお土産に、ミッキーとミニーのキーホルダーを買ったんですが、このお土産に祖父母がわたしの想像をこえる喜び方をしてくれ、いつかふたりをディズニーランドへ連れて行ってあげたいなと思いました。
しかし祖父はうつ病になり外出のできない日が増え、少し元気になったかなと思ったらアルツハイマー性の認知症だと診断され、また心筋梗塞になってからは急激に見た目も変わってしまい、祖母が老老介護で頑張るだけの毎日になってしまいました。ディズニーランドへ連れて行ってあげることはできまさんでしたが、
祖父は病室で息を引き取るまでずっと目を開けて祖母を見つめていたとききました。祖父の死後、祖母も足腰が悪くなり、ディズニーランドには連れて行けそうにないですが、祖母とお土産のミッキーとミニーを連れてどこかへ連れて行ってあげたいなと思っています。
36歳 男性のストーリー
認知症になったおじいちゃん。最後は僕のことをわからなくなってました。ただ昔の話だけは覚えている。そしてそれを支えていたおばあちゃん。後を追うようにおじいちゃんが亡くなったよく年には亡くなりました。一気に寂しくなったんでしょう。あの世ではきっと今も仲良く手をつないで、お互いに文句を言いながら温泉にでも行っているのかなあ。いつも自分の話ばかりだけど、常に孫たちのことを気遣ってきれました。自分も同じように生き方になりたいです。今日も努力して日々精進していきたいです。優しく接してくれたから、いつも会いに行けたよ。大好きって中々言えないけど、心では伝わっていたと思います。おじいちゃん、おばあちゃんの分まで元気で過ごしたいと思います。
56歳 女性のストーリー
子供の頃に香川の母方の祖父母の家で夏休みを過ごすのが毎年の恒例でした。田舎なのでカエルがいたり、田んぼの中のいろいろな虫を捕まえたり、井戸で冷やしたスイカを食べたり、昔の家なので トイレに行くのがとても怖くて 母にいつもついてきてもらったり、
夜はみんなで蚊帳に入って 昔話を聞くのが楽しみでした。親戚の同じ年齢の子供があつまるので いつもみんなでわいわいと楽しく遊びました。お盆になると 海まで連れて行ってもらって海で海水浴をしたりしてとても楽しかったです。おじいちゃん、おばあちゃんはとても優しく 私が母に怒られるといつもかばってくれて、いろいろな昔の話をわらいながらたくさんしてくれました。今でももう一度会いたいです。
29歳 男性のストーリー
ジージがつくった観覧車

「ジージがつくった観覧車に乗りに行こう」。父が誇らしげに、孫の手を引いています。設計を仕事とする父が一部を設計した観覧車に、私たちを連れて行ってくれました。

「ジージが設計したのはどこ?」と聞くと、「ここだよ」と父が指を指したのが、観覧車につながる通路でした。観覧車を設計したと言うから、あの回っている本体なのかと思っていたら。観覧車に乗る前に並ぶ床部分でした。でも、普通の床ではなく、たくさんの人が乗っても耐えられる強度と素材だそうです。私にはよく分からないけれど、その通路は父が頭をひねって描いたものなのです。派手さはありませんが、観覧車への夢の架け橋を父は手掛けたと言う訳です。

普段目にも止めないような当たり前のものでも、設計者が熟慮して生み出したものなのですね。そして、設計図通りに組み立てる人がいて、その上に私たちがいる。観覧車の中から外を眺めながら、父の仕事を誇りに思う私でした。
23歳 男性のストーリー
母方の祖父は、何をするにも形から入るタイプであった。おいしいコーヒーの飲みたいと思ったら、数万円するコーヒーミルをすぐに購入し、聞いたことないような国の豆を買ってくる。またある日は、靴磨きをしたいということでホームセンターに車を走らせ、1万円くらいするセットを購入、帰ったらすぐに取り掛かる、という具合に、新しいことに挑戦するたびに高いものから入る。
ある日なぜ初心者なのに高いものを買うのか、その理由を尋ねた。すると、「高いものは長持ちするもの。最初から安いものでは身が入らないし、何より買って満足したら二度と触らないだろう。高いものを買って、初めて人は長く楽しめるものだ」、と言った。
この言葉に感銘を受け、私もいう通りに高いものを購入してから物事を始めるようになった。とはいえ、私は祖父に似て飽き性だったため、浪費癖ばかりがついてしまった。
41歳 女性のストーリー
母方の祖父母は遠方に住んでいたので、ごくたまにしか会えませんでした。
祖父は若い頃はハードボイルド系で、仕事人間だったそうです。
私は仕事をかなり昔に引退した、年老いた祖父しか知らず、
その祖父は口下手、というか、いわゆるコミュ障で、
娘、息子、加えて、私含む孫達とあまり会話がはずむタイプではありませんでした。
食べ物の好き嫌いやこだわりも激しく、頑固で空気を読むとかはしない人でした。
だからあまり会話をした記憶や会話の内容の記憶はあまりありません。
思い出すのは、リビングで一人座って、好きな野球などのスポーツやニュースを観る姿です。
でも別れ際には、名残惜しそうの握手をしていました。
あまり多くなかった、会う機会の中で、印象深い思い出です。
41歳 女性のストーリー
私は、中学生の時に側彎症になり成人までの治療が必要と判断されました。月に一回受診があったのですが、母は拒否的で一緒に着いてきてくれなかってのですが、祖母は必ず着いてきてくれて、医師の話もしっかり聞いてくれました。
また、私が治療で辛い思いをしていてら長い時間がかかってもずっと話を聞いてくれて、一緒に泣いてくれることもありました。私の体の事でいじめに合ったときも学校に行って医師と話をして状況を話してくれて、いじめが起こることがおかしいことを伝えてくれました。
治療上、食事が取れないことも度々ありましたが、食べやすい食事を作ってくれて栄養バランスが崩れないようにかんがえてくれていました。お陰で痩せ細る事なく成長することが出来ました。
祖母に大感謝しています。
27歳 男性のストーリー
母方おじいちゃん
幼少期、私に木工作業を教えてくれました。トンカチやクギ、ノコギリを使った作業はとても楽しかったのを覚えています。ものづくりってたのしい!と思い始めたきっかけとなりました。

母方おばあちゃん
優しい。とにかく色んなことに対して優しかったです。動物園に私を連れて行ってくれました。一緒に公園に行ってくれたり、私に料理を教えてくれたりしました。両親共働きだったので、保育園への送り迎えなど、よくおばあちゃんが私の面倒をみてくれていました。おばあちゃんの家にもよく泊まりに行っていました。

父方おじいちゃん
横笛を教えてくれました。すげー難しくてすぐ断念したけど。お米や野菜作るのが上手で、家に送ってくれていました。ときどきあったときにお小遣いをくれる人、という印象でした。

父方おばあちゃん
高校生の気難しい私に優しく接してくれました。
32歳 女性のストーリー
小学生の頃、車で1時間半くらい離れた祖父母の家に泊まりに行くのが夏休みの慣習でした。
祖父母の家の近くに住む従姉妹の姉妹と私の妹の4人で、毎年遊んでいました。おばあちゃんの作ってくれるクリームシチュー(夏なのに)を食べて、おじいちゃんのかくあぐらの上に座って、夜にはキャーキャー言いながら手持ち花火をする。
そして寝る時はなかなか寝つけず、従姉妹とずっと話をして、先に寝てしまった従姉妹をべそをかきつつ起こそうとしたり。でも気づいたら自分も寝ていたり。そんな夏休みでした。
祖父母には孫が大勢いるので、わたしもその中の1人でしたが、みんなに平等に可愛がってくれた祖父と祖母。成長と共にお泊まり会はなくなってしまいましたが、あの夏休みのことを思い出すと胸がじんわり温かくなります。
50歳 女性のストーリー
私が4歳の時の話です。
当時、私の家は北海道のとある農業高校に程近いところにあり、父が私を連れて農業高校の広大な敷地の中を散歩に出かけることもしばしばでした。
農業高校にはシクラメンやベゴニアなどの鉢花を栽培する温室があるのですが、父は温室の管理室にいる職員さんと親しくしており、
散歩の途中で管理室に寄りしばらく立ち話をしてから温室をひとまわりして帰ったものでした。
あるとき、地元のテレビ番組でその温室が紹介されたのを見て、子供心に「テレビでやるなんて、すごいところなんだ!」と考えました。

それからしばらくった頃に、東京に住む祖父が泊りがけに遊びにきたときに、
私は「おじいちゃん、ゆうめいなところにつれてってあげるね!」と祖父の手を引き、喜び勇んでいっぱい歩いて件の温室へ。
職員さんは父を伴わずやってきた私と初対面の祖父に驚きつつも、祖父といろいろ話をしてくださり、私も祖父と一緒にきれいな花をたくさん見て楽しい時間を過ごしました。
…家に戻ると、「どこへ行ってたの?!」と怒る母。
それもそのはず、家から温室までは道のりにして800mはある。
大人の足なら15分もかからないでしょうが、あれこれ興味を惹かれがちな4歳児の私と、70代後半の祖父の散歩。
朝食を食べてから出かけたのに、帰宅したのは昼食の時間になっていましたから、往復で1時間半はかかっていたはず。
「庭で遊んでいるか、散歩に出かけてもせいぜいご近所を回ってくるぐらいだろう」と思っていたであろう母が心配するのも当然ですね。
…しかし、祖父と私から事情ををきいた母は困惑しつつも大笑い。
夕方に帰宅した父は「おじいちゃんは足が痛いんだから、あんまり遠くへ連れてっちゃダメ」と。
祖父からは頭をなでられ「よく歩いたね」と褒められました。
(考えてみれば、いつも両親と出かけるときはすぐに歩きつかれて抱っこしてもらっていた私が、祖父と二人で往復歩きとおしたわけですから…)

東京に戻った祖父はその後脳梗塞を患い、私の家に来ても一緒に散歩に出かけることはなく家の中で過ごすだけになりました。
私が11歳の時に祖父は亡くなりましたが、葬儀に来た親戚みんなが4歳の頃の私と祖父の散歩の話を知っていて
「本当に○○(私)のこと、かわいがっていたものね」と言ってくれました。
祖父にとって私は一番年下の孫であり、未熟児で生まれたために無事に育つのか心配していたらしいこと、
あの散歩で私が元気いっぱいに成長していることを心から喜び、親戚に自慢げに話していたらしいと知ったのは、さらに何年か経ってからのことでした。

祖父と一緒に出かけたあの散歩は、祖父との一番の思い出です。
27歳 男性のストーリー
映画館に小さい頃によく行ったことが印象的でした。内容はゴジラやドラえもん、ポケモンの映画を見に行ったことです。いつも一緒に行くのはおじいちゃんでした。それと映画に行くたびに楽しみにしてましたが、時々びっくりして話の内容が分からなくて楽しめないこともありました。大きくなるたびにおじいちゃんも年もとって映画に行くのは減ってしまい、自分が見たい映画がだんだんと楽しめなくなってしまい、挙句の果てには、「大きくなったんだからもう映画行くのはやめなさい」と言われてしまいました。今現在でも映画を見に行くのはできませんが、よく考えると、今となっては新聞を見ると、テレビで遅れて放送するのがあるのでそれを楽しみにしています。
57歳 男性のストーリー
小学校の頃祖父母は母の一番下の弟(男一人なので長男)と暮らしていた。
母の実家に正月前に帰省した時、正月の餅つきをすることになり、祖母が臼の餅をひっくり返す係をして、叔父が杵を持ち搗き始めた。沢山の餅を、何度かに分けて搗いていた。
「ぺったん、ぺったん」と小気味よくついていたのだが、突然、「ゴン!」っと音がして、叔父の「えらいことしてしてしもた~!」という悲鳴のような声を聞いて、周りの者が臼の所へ行くと、臼の横で、杵をほりだしてオロオロしている叔父と、頭を押さえて倒れている祖母がいた。
 救急車が来るまでの間に、叔父に話を聞いたら「おかんが搗いてる臼に頭を近づけてきたんで、よけられんかった」と真っ青な顔で説明していた。
 倒れていた祖母も、しばらくしたら、痛みが少しマシになったのか「ワシが、つい、もう一回餅を回そうと、杵が降りて来るのに手を出してしもたんや」と息子をかばっていた。
 結局は、祖母は骨が丈夫だったのか、おおきなたんこぶをこしらえて、脳震盪を起こしただけで済んだそうだ。でも、ひと月以上は入院したのだが、無事、退院してきて、それから毎年母の実家に行くとその話が出た。
 その祖母は、その後、道を歩いていて車にはねられ、数ヶ月また入院したりしたが、祖父よりも長生きをして、90才をいくつか超えるまで長生きした。恐るべし明治生まれ!
33歳 女性のストーリー
私が小学生の頃、夏休みの八月、丸々一月ほど、祖父母の家で過ごしていました。
夏休みといえば大量の宿題。例に漏れず私の小学校もこれでもかという量の宿題を出してきました。しかし意地でそれら全てを7月中に終わらせて、気持ち晴れやかにいつも祖父母の家に遊びに向かっていました。
ですがひとつだけ、決まって祖父母の家で行う宿題がありました。自由工作です。
何を作っていくかは自由のこの宿題を毎年祖父母と一緒に行っていたのです。川で拾った流木でモビールを作ったり、着物の切れ端でお手玉を作ったり、畑で見つけた虫たちを標本にしたりと、毎年違った作品を、笑って楽しく作っていました。
祖父はもうこの世を去りましたが、私の記憶の中では、当時のあの、優しい笑みの祖父が今もいます。
57歳 男性のストーリー
昔の家は、トイレは外にあった。肥溜めになっていて、田んぼや畑に撒いていたのだ。
母の実家もそんな昔の家だった。帰省して夜寝る前に、トイレに行くのに、親に付いてきてもらわないと怖くて行けなかった。
 昼間によく見てみれば、直径1メートル程の穴の上に、穴を覆うように木製の小屋があり、地面から数十センチの高さに床になっていて、地面に台が置いてあり床の高さから木の扉がある。扉を開けると床の真ん中に楕円形の穴がある。そこが女子便所。三方が板張りの壁で、残りは扉という作りだ。
 また、その小屋の側面(台のない所)に一部分だけ壁の板が床の高さから地面まで貼っていない所があり、肥溜めが見えている。肥溜めに向って立って用を足すところががあり、それが男子便所だ。一応地面から衝立があり、サイドの目隠しになっていた。
 その便所小屋が、母屋の横に建っていて、雨降りでも軒先からは入れるような作りになっていた。
 ある年の夏休みに帰省した時、用を足そうと男子便所に近づくと、祖母が中腰になってそこにいた。普通は、肥溜めに向けて立って用を足すようになっているのだが、祖母は反対向きで、肥溜めの方にお尻を突き出していた。よく見ると、履いているモンペ(ズボン)を膝まで降ろしている。
「おばあちゃん、なにしてるん?」と私が聞くと、祖母は、「台を上がるんが邪魔くさいからここで(用を)してんねん」とのこと。
 生まれて初めて、女の人の立ちションベンを見た瞬間だった。小学中学年ぐらいの時の事だった。
27歳 女性のストーリー
小さい頃、両親が忙しく祖父母の家によく預けられたので祖父母との思い出がたくさんあります。
可愛がってくれますが、時々叱られることもあり可愛いだけの感情で一緒にいたわけではないので、祖父母のことを両親のように思っていた時期もありました。
祖父は寡黙であまり怒らない人ですが、時々怒るときには迫力がありましたが普段はとても可愛がってくれました。
私が小学校低学年の時には夜遅くにお腹が空いたかを尋ねられ、お腹が空いたことを伝えると近所のラーメン屋さんへ祖母に内緒で連れて行ってくれたのがとても思い出に残っており、そのラーメン屋さんの前を通るととても懐かしい気持ちになります。
祖母とはよく喧嘩をしました。怒りに任せて蹴ると祖母も蹴り返してきたときの衝撃は未だに忘れられません。
54歳 男性のストーリー
じいちゃんは、幼稚園に入園する前の年になくなりました。遠い昔の話なので、詳しくは覚えていません。ただ、じいちゃんが優しくしてくれたことがなんなのかはわからないのですがで、とても居心地の良い雰囲気の中で、過ごしてきたことだけは、記憶?として、体に染みついているように思います。そんなぼんやりとした記憶しか無いじいちゃんですが、唯一、はっきりと記憶に残って残っていることがあります。それは、ある夏の晩、じいちゃんが太い声で、ほーほー、ほーたるこーい、と歌いながら手をつないで、田んぼ道を歩いていたことです。そして、おもむろに手拭いを取り出し、広げていたと思ったら、パタンと閉じました。閉じた手拭いを私の目の前に持ってきて、恐る恐る開きました。そうしたら、ほのかに光る蛍が目の前に現れました。宝石のように綺麗だったなという印象が今も残っています。何回かじいちゃんは暗闇の中でこのことを繰り返しました。ここでじいちゃんとの記憶は終わりです。ただ、蛍の歌だけは今でも頭の中に残り、もしかしたら、ほーほー、ほーたるこーい、の歌を人生初に覚えたのがじいちゃんの歌を聞いたからだとおもいます。
43歳 女性のストーリー
私は祖父母と暮らしていたのでおじいちゃんおばあちゃんが大好きでした。
両親は家業が忙しく私達姉妹の世話を祖父母がしてくれました。
特に祖父は孫の私をとてもかわいがってくれて
毎日「散歩へ行こう」と連れ出しては近所の駄菓子屋さんへ通いました。

陶芸家だった祖父は粘土を捏ねては私が好きな動物の置物を作り喜ばせてくれました。
そして秋には近くの森へ行きドングリを拾ってやじろべえや駒を作ってくれました。
私は祖父の作ってくれた素朴なおもちゃが大好きでした。

そんな祖父の影響を受けて私もモノづくりが大好きになり美術系の短大へ進学し一時は陶芸家として自分の作品を発表していました。
しかしここ10年は父の介護に追われ粘土に触っていません。
いつまでこの介護生活が続くのだろうと時々不安になるけれど
祖父が私に惜しみなく注いでくれた愛情とモノづくりを好きになった気持ちを支えに毎日を過ごしています。
36歳 女性のストーリー
生まれたときから、父方の今は亡き祖父母と同居していました。両親、姉、私の核家族が、父方の祖父母宅に身を寄せた形です。保育園は年少クラスから通い始めたので、それまでは祖母に面倒を見てもらっていました。
絵を描いたり、カルタもどきをしたり、田舎なので畑仕事の邪魔をしたり、ご飯を食べたり、おやつに祖母の土の匂いが残る手で握ってくれた塩おむすびを食べたり。楽しかった記憶があります。また、祖父には全く遊んでもらった記憶はありませんが、畑仕事の邪魔をしたり、病院に連れて行ってもらったり、話を聞いてもらった記憶があります。とても愛されていたのだと思います。
しかし、その後に、結婚して家を出た父の姉の子ども(私にとって従妹)の方が色々と愛されていたことが、祖父が亡くなった後に出てきた日記でわかりました。お小遣いの額が違ったり、ナチュラルに従妹アゲされていたり。それほど愛されていなかった事実があっても、愛された記憶が消せず、悔しいような寂しいような様々な感情が同居しています。死んだ人の日記は見るもんじゃないですね。
36歳 女性のストーリー
生まれたときから、父方の今は亡き祖父母と同居していました。両親、姉、私の核家族が、父方の祖父母宅に身を寄せた形です。保育園は年少クラスから通い始めたので、それまでは祖母に面倒を見てもらっていました。
絵を描いたり、カルタもどきをしたり、田舎なので畑仕事の邪魔をしたり、ご飯を食べたり、おやつに祖母の土の匂いが残る手で握ってくれた塩おむすびを食べたり。楽しかった記憶があります。また、祖父には全く遊んでもらった記憶はありませんが、畑仕事の邪魔をしたり、病院に連れて行ってもらったり、話を聞いてもらった記憶があります。とても愛されていたのだと思います。
しかし、その後に、結婚して家を出た父の姉の子ども(私にとって従妹)の方が色々と愛されていたことが、祖父が亡くなった後に出てきた日記でわかりました。お小遣いの額が違ったり、ナチュラルに従妹アゲされていたり。それほど愛されていなかった事実があっても、愛された記憶が消せず、悔しいような寂しいような様々な感情が同居しています。死んだ人の日記は見るもんじゃないですね。
23歳 女性のストーリー
おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出は私が小さい時は、両親が共働きだったのでいつもおじいちゃん、おばあちゃんに面倒を見てもらっていました。
2人ともとても優しいので、私は大好きです。
小学生の時はデパートや動物園、バーベキュー、ボウリングなどたくさんの場所に連れて行って貰いました。中学生になると、休みの日にお買い物やおばあちゃんの家に遊びに行き家族皆んなで美味しいご飯を食べたりしました。旅行には半年に一回連れて行ってもらって、おじいちゃん、おばあちゃんには今まで色んな事で助けて貰いました。
成人して働き出した今、会うのは一年に一度になってしまい昔の事を思い出して悲しくなります。
これからは私が恩返しする番だと思います。
35歳 女性のストーリー
おばあちゃんは破天荒なひとだった。
私が物心ついたころから、おばあちゃんはおじさんと暮らしており、私はその人がおじいちゃんだと思っていたが、どうやら違ったらしい。籍もいれていなかった。
本当のおじいちゃんも、籍を入れていなかったそうで、おばあちゃんは未婚の母である。
何故籍を入れていないのかはわからない。
また、おばあちゃんは人の名前をよばない。長男のことは息子とよび、長女のことは女の子とよんでいた。ちなみに私のことは炊事大臣とよんでいた。一度も名前をよばれたことはない。
一度家族とおばあちゃんで旅行にいったことがある。和歌山にあるアドベンチャーワールドで赤ちゃんの虎と写真をとった。そこそこ大きな虎だった。
そのとき、係の人に虎に触れてはいけないと言われたのに、おばあちゃんは「これでお肉を買いなさい」と、虎にお金を渡そうとして、めちゃくちゃ怒られていた。
なんて破天荒な人だと思った。
37歳 女性のストーリー
わたしのじいちゃん、ばあちゃんは気づいた時にはもうじいちゃんばあちゃんでした。
というのも父が生まれたのがじいちゃんが50歳のときで、ばあちゃんはじいちゃんの15歳年下でした。
じいちゃんと言えば焼酎が好きで自転車乗っててわかばを吸ってたというイメージ。戦争も歳が行き過ぎて行かなかったらしく、原爆が投下される数日前まで長崎の工場に居たらしいです。
ばあちゃんは本当性格が悪かったです。合わなかったかな?思い通りになるまで言い続ける。しつこい、言うことを聞かないとなかなかクセの強いばあちゃんでした。
そんな性格が合わなかった祖母が亡くなる数ヶ月前にわたしも子供を出産し、ホームで寝たきりのばあちゃんに子供を会わせる事が出来ました。
たまたまなのか、起きてるか寝てるかわからない状態ですが、わたしの子供って教えたら目が見開きました。それがばあちゃんとの最後の思い出です。
21歳 男性のストーリー
小学生の頃はまだ生きていたのでよく遊んでもらいました。特に将棋を何時間も教えてもらいました。一度も勝てなかったですが楽しかったです。また、旅行にも何回か連れて行ってもらい、乗馬などをさせてもらったのを覚えています。正月もお年玉をいっぱいもらえるのでうれしかったです。そのお金を使って、親にたしか熱海の旅行券を買ってもらっておじいちゃんとおばあちゃんにあげました。とても喜んでくれたのを覚えています。結局自分も行くことになっていっぱい遊んでもらったのを覚えています。中学校の途中でおじいちゃんがなくなったので、あの時一緒に旅行に行けてよかったなと思っています。身内で亡くなったのが初めてでしたので、普段の葬式は泣かないのですが、ものすごく泣いていました。
25歳 女性のストーリー
昨年の夏、初めてザリガニ釣りをする息子を見て、ふと子供の頃の自分を思い出しました。
自分もおじいちゃんとおばあちゃんとよくザリガニ釣りをしていました。おじいちゃんに新聞紙を丸めて竿を作ってもらい、おばあちゃんに餌となる竹輪や小魚をもらっていました。
私が初めて大きなアメリカザリガニを釣って家に持ち帰ったことがありました。私は嬉しくておじいちゃんとおばあちゃんに見せて、世話をする気満々でした。
次の日、アメリカザリガニに餌をあげに行くと、なんとアメリカザリガニの象徴ともいえるツメが無くなっていたのです。この事をおばあちゃんに話すと、私が大きなツメで挟まれて怪我をしないようにツメをとったとの事でした。
あまりにショックな出来事でしたが、おばあちゃんに悪気はなく私のためを思ってしてくれた事だったので、おばあちゃんを怒ることはできませんでした。
もう今の時代ではありえない事ですが、念のため息子のザリガニに何もしないようにとおばあちゃんに伝えてあります。
27歳 女性のストーリー
今は認知症のおじいちゃんと、亡きおばあちゃんとの
思い出があります。
1度だけ、ゲームセンターに連れて行ってもらったときに
プリクラを3人で撮りました。
最初で最後となってしまいましたが、いい思い出になりましたし、
おじいちゃん、おばあちゃんも
いやだと言いつつ、笑顔で写ってくれて、対応してくれて
撮らせてくれたので
嬉しかったのを今でも覚えています。
そのプリクラはいまはもう、手元にありませんが
今でも、鮮明に覚えてます。
最後におじいちゃんに
あまり遊んでないで、勉強しないとね(笑
と言われ、そのあとは勉学に励みました。
無理矢理にもかかわらず、いやと言わず付き合ってくれて、
帰りにラーメンをおごってくれた
そんなおじいちゃん、おばあちゃんが
私は大好きです。
27歳 女性のストーリー
私が小学生の時、夏休みには必ず祖父母の家へ約1か月長期滞在していました。優しい祖父母が大好きで、実家へ帰る日は泣きながら帰りたくないと言ったこともあります。特によく思い出すのは祖母のことです。祖母はとにかくいたずらが大好きでした。例えばお茶にわさびを混ぜたり、祖父が毎日読んでいる本のしおりを違うページに変えたりとやっていることは子供みたいなことでした。祖父も毎回いたずらされているので、警戒すれば良いのに毎回騙されていました。騙された姿を見て祖母が楽しそうに笑うところを見るのが好きでした。毎日どんないたずらをしようか祖母と考えることが本当に楽しかったです。祖母は数年前に亡くなりましたが、今でも夏がくるとこのことをよく思い出します。
32歳 女性のストーリー
私がまだ保育園に通っていた時、ピアノ教室に通っていました。送り迎えは、おじいちゃんの車でやってもらっていました。ピアノ教室と言っても、まだ年齢的に幼かったからか、先生が弾いたピアノに合わせて教室のみんなで歌ったり活動したりするといったものでした。しかし、引っ込み思案だった私は、みんなと一緒に上手に歌うことが出来ませんでした。そのため、ピアノ教室に通うのがなんとなく憂鬱に感じでいました。
しかし、送り迎えの車の中でおじいちゃんとおしゃべりをするのは大好きでした。信号機の話や、歩行者信号から流れるメロディの話など、色々な話を教えてくれました。大好きなおじいちゃんの車の助手席で、いつも楽しい話が聞けたので、最後まで辞めることなくピアノ教室に通い続けられたと思います。
20歳 女性のストーリー
私は、昔からおじいちゃん、おばあちゃんっ子だったので、おじいちゃんやおばあちゃんと過ごすことが多かったです。おばあちゃんには、よくバスで色々なところに連れて行ってもらったり、近所をグルグルと散歩したり、ジュースを買ってもらったり、沢山甘やかしてもらって過ごしました。おばあちゃんと一緒にお風呂に入ったり、おばあちゃんと一緒に寝たり、おばあちゃんには沢山お世話してもらいました。
おじいちゃんには、学校への送り迎えや、習い事への送り迎え、遊びに行く時にお小遣いを貰ったり、小さい頃は、1歳で弟ができたので、おじいちゃんにおんぶされて散歩に行ったり、おじいちゃんとお出かけをすることが多かったです。大学生になってからも、おばあちゃんは小さい頃に他界したけれど、おじいちゃんには色々お世話になっていて、今でも顔を見せに帰ったらニコニコして出迎えてくれます。
21歳 女性のストーリー
私は小学五年生の時、家族でカヌー体験ができるコテージに泊まりに行きました。
そこで、私は祖父と二人乗りのカヌーを借りてカヌー体験をしに行きました。
私が前に座り、祖父は後ろに座っていました。
最初は二人で楽しく漕いでいたのですが、途中から私一人で漕いでいました。
私は水面から生えてる茂みにカヌーでぶつかっていく楽しみを覚え、ひたすら茂みにぶつかっていっていました。
そして、とある茂みにぶつかりに行ったとき、茂みの隙間にちょうどよくカヌーが進んでいき、私と祖父はバランスを崩し、カヌーから落ちてしまいました。
偶然祖父は水泳をずっとやっていたため、私を背中に乗せ、平泳ぎで近くのカヌーをしている人のところまで泳いで助けを求めてくれました。
祖父は私を励ますために泳いでる間にもずっと歌ってくれました。
今思うと、祖父に対して申し訳ない思いでいっぱいですが、祖父と唯一近づけたいい思い出です。
32歳 女性のストーリー
大好きなおばあちゃんはダンスが大好き。
自分が子供の時に親からダメと言われてできなかったダンスをおばあちゃんになってから始めました。そのダンスもしかも社交ダンス。昔は男の人と女の人が踊ること自体あまりなかったのですがおばあちゃんは社交ダンスをチョイスしました。毎日のようにダンスの練習へ行き、ダンスのない日もダンス仲間と会ってはおしゃべり。そんな多忙な中でも私への毎月のお小遣いは欠かさず渡してくれました。今思えば年金生活で大変だったはずなのに、毎月のお小遣いに加え、ひな祭りやクリスマスには必ずケーキ代もくれました。そしてその時はおばあちゃんの手作りのご飯でおもてなし。それが全然おしくないんです(笑)おばあちゃんは昔から料理が苦手。一度好きって伝えた「なす」。
そしたら毎月なす料理ばかり・・・(笑)。
おばあちゃんでご飯作るの上手なんじゃないの?って思いながら、まずいとは言えずいつも完食していました。月に一度会うにも多忙なおばあちゃんと当時高校生の私はなかなか時間が合わず、毎回日程調整をしていました。思春期もなぜかおばあちゃんとは自然に話せた私。
そんなおばあちゃんも最後のお小遣いをもらってすぐに交通事故で帰らぬ人になってしまい今年で14年。なすを見ると思い出しますし、おばあちゃんに話したいことがたくさん。会いたいな。
34歳 女性のストーリー
父方の祖母のお話です。私が小学校2年生のとき、父方の祖母と近所に出来たばかりのマクドナルドへ、お昼ご飯を買いに行きました。私はハッピーセットのような子供向けのセットを頼み、祖母は「モスバーガー下さい」と注文していました。店員さんは困った顔で「申し訳ございませんがお取り扱いがなくて…」と困った顔で対応されてました。その時の店員さんごめんなさい。
もう一つ、歌が好きな母方の祖母のお話。私が友達とカラオケによく行っていた頃、母方の祖母は老人施設へ慰問のため歌を披露しに行っていたので、一緒にカラオケへ行こうよと誘ったところ、「生バンドじゃないと歌いたくないの」と小粋な回答が返ってきました。そりゃカラオケの生音風よりも、生のバンドが良いですよね。
23歳 女性のストーリー
本当のおばあちゃんじゃないけれど

私が小学校4年生の時、父が商売に失敗し借金背負ってしまうことになり家庭が滅茶苦茶になっていた時期がある。

借金は相当あったらしく電気やガス、水道が止まってしまうことだってあった。
その日の食事もちゃんと取れるかもわからない状況、しかも父と母は毎日喧嘩をしていたので家の雰囲気はいつも負のオーラで満ちていた。

そんな家に居たくなかったので学校が終わっても家に帰らず、町に出てフラフラしていた。
ある日どうしてもお腹がすいてしまい、万引きをしてしまった。
おばあちゃんが1人でやっている小さな駄菓子屋さんで
最初は罪悪感で心が痛かったが、何回かしているうちにすっかり慣れてしまった。
何度も何度も学校帰りに行っては万引きをしていた。

そんなある日おばあちゃんが突然「ごめんね」と言ってきた
私はその日も万引きをするつもりだったので心臓が飛び出るくらいビックリした

おばあちゃんが「身体の調子が悪いから今月で店をやめるんよ。じゃけぇもうお菓子をあげることができんのんよ」

と、私に言ってきた。おばあちゃんは私が万引きしていることを知っていた。
知っていたにも関わらず私を咎めず、更に心配までしてくれていた。

私はそれ以降万引きは1度もしていない。
63歳 男性のストーリー
 私の祖父は明治時代の生まれでした。小さい時の思いでは、いくつかありますが最も大きく感謝していることは、自転車に乗れるように訓練をしてくれたことです。自転車の後ろをもって乗れるまで支えてくれました。後ろに祖父がおらず、一人で乗れていた時の感動は今も記憶しています。
 また、学生になってからは帰省するたびに畑の耕し方を教えてくれました。雑草を埋めながら耕していく「埋め打ち」というやり方を教えてくれてうれしかったです。
 また、高齢になっても家計を支えるために夜の警備の仕事に出かけていました。雨の日の風の強い日も自転車で5~6キロメートル離れた職場に出かけていく姿から、家族のために頑張る姿や自分の責任を果たすことの大切さを教えてもらった気がしています。
36歳 女性のストーリー
おじいちゃんとの思い出は、お祭りです。
近くのお祭りにおじいちゃんと毎年、行きました。おじいちゃんは、お祭り大好き人間でした。お祭り大好き人間と言っても積極的に歌を歌ったり、お神輿を担いだりするわけではありません。見るのが好きなのです。
出店の準備が始まる16時くらいにまず、一人で、一度、見に行きます。また、暗くなる18時くらいには、私と一緒にお祭りを見に行きます。19時くらいになると、母と私と見に行きます。20時くらいになると、1人で舞台の演歌を聞きに行きます。21時、お祭りは終了ですが、終了した後も1人で見に行きます。
そんなとくに何も買わずにただただ見るだけのおじいちゃんですが、おじいちゃんとただただ歩くだけのお祭りが当時の私には楽しみでした。私も楽しかったです。そして、今、何度もお祭りを見に行ってしまう自分がいます。その度におじいちゃんを思い出します。
36歳 女性のストーリー
私の両親は共働きでした。家では一緒に暮らしていた祖母が待っていてくれました。いつも「ただいま」と玄関を開けると、「おかえり」と祖母が出迎えてくれていました。
幼いころは母が家に居てくれ、買い物やお菓子作りのできるの友人が羨ましく思うこともありました。いろいろ構ってくる祖母が嫌な時もありました。
でも誰も居ない家に帰ることがあったとき祖母の「おかえり」がない寂しさに気づき、祖母の存在の大きさを感じました。誰かが居てくれるという安心感も知りました。
幼いころ母が家に居なくても、寂しい思いをしなかったのは祖母が家に居てくれたからだと大人になってから気づきました。”親孝行できる時には親が居ない”とは聞くけれど、親孝行の前に祖母に何かしてあげたかったと後悔しました。私も親になったら「ただいま」の声に「おかえり」と祖母が言ってくれたように安心して帰ってこれる家にしたいです。
60歳 男性のストーリー
私の祖父と祖母の思い出を書きます。
祖父祖母とは同居していました。
父は長男であり、家業を継ぐのと、自分で大きくした事業をやっていました。
つまり、先祖代々の土地に住んでいて、父母祖、祖父母、私の二人の姉妹と同居でした。
私の知る祖父は、仕事は引退しており、父に全面的に譲渡、一切事業に口出しはしません。
美術鑑賞の高尚な手記でした。具体的に言うと、日本画が中心で、画家や画商とも交際が
深かったようです。
掛け軸に仕立てた日本画を床の間に飾って楽しんでいました。
書け実の管理も趣味ジョンに楽しみの一つの様子。
焼酎でなく、日本酒を毎晩おみながら、鑑賞していました。
祖母も、勉強家だったようです。
茶の湯の先生をしていて、若い情勢尾おデッサンも複数いました。
また、和歌や俳句も勉強していました。





36歳 女性のストーリー
 私は甘い卵焼きが好きです。甘い卵焼きは祖母が祖父のために、毎朝用意していたものです。
 私の両親は共働きだったので、私の寝ているうちに仕事に行くこともありました。私の記憶では祖父母と一緒に朝食を食べてることのほうが多かったように感じます。
 幼かった私は祖父の膝に座り、祖母が作った甘い卵焼きを食べるのが私の好きな時間だったようです。祖父の膝に座ることが好きだった記憶はうっすらと覚えていました。いつもはしかめっ面だった祖父がこのときは、やさしい顔になっていたとは知らず、大人になってから親戚に話の中で聞きました。
「大きくなったら甘い卵焼き作れるようになるから、食べてね」と言っていた幼い私の夢は叶わなかったですが、今でも甘い卵焼きを食べると祖父との思い出がよみがえります。
18歳 女性のストーリー
私のおじいちゃんは、散歩が大好きな人でした。おじいちゃんが私の家のインターホンを鳴らす時は、大体「一緒に散歩に行こう」というお誘いでした。
いつも散歩コースは決まっていて、私の通っていた幼稚園や、近所のお寺、スーパー、お花屋さんなどの前の道をいつも通るのです。おじいちゃんは無口なので、基本おじいちゃんも私も何もしゃべらずにただただ歩くのですが、たまに「学校はどうだ」とか「最近楽しいことはあったか」とか聞いてくれることがあって、そうやってのんびりと過ごす時間が私の楽しみでした。
そして散歩の帰りには必ずスーパーに寄って、パンを1つ買ってくれました。おじいちゃんにもらうパンはいつも美味しくて、「おじいちゃんのパンは世界一だ!」なんて思っていました。
今ではもうとうの昔の話で、おじいちゃんも既に亡くなっていますが、今なら、もっとたくさん話したり、パンも半分こしたり、おじいちゃんの話も聞いたりできるのに、と思います。
もっと長生きして欲しかったです。また、大好きなおじいちゃんに会いたいです。
53歳 男性のストーリー
うちの爺さんは元気だった。足が丈夫だったので、よく山に出かけてキノコを採っていた記憶がある。爺さんの家の裏山でキノコが採れた。今から考えると、熊が出て怖いような山だったけど、その当時は熊の心配をしたことが無い。狸や狐が居ると聞いているけど、爺さんのところで見たのはキツネだけだ。熊は一度も見たことがない。それで深い山奥までキノコ採りに出かけると、黄色いのやいろんなキノコを採ってきた。それを瓶に詰めたのを美味しく食べた記憶がある。塩漬けだったからしょっぱかったけど。美味しいキノコだった。キノコ採りについて行くと結構疲れた。歩いてもあまり採れなかったから、一瓶貯めるだけでかなり歩いたんだ。そういえば、よく歩く爺さんだった。
39歳 女性のストーリー
父方のおばあちゃんとの思い出です。
戦争の体験について聞いたことがありました。
確か、小学校で出された課題だったと思います。
父の実家は、家の周りを田んぼが囲んでいるところです。
とても田舎です。
おばあちゃんが、家の近くにある畑で仕事をしてた時に、空襲警報が鳴り、急いで家の中に入り、荷物を持って、防空壕へ逃げようとしました。玄関を出たら、足元に爆弾が落ちてきて、もうダメだと思ったそうです。
その爆弾は、不発弾で命拾いしたと話してくれました。戦争を経験していたからか、食糧難の時期を経験していたからか、畑の仕事は毎日欠かさずしていました。
そんな人でしたが、一昨年92歳で亡くなりました。大往生でした。
今、戦争体験者がご高齢で少なくなっています。とても貴重な話しを聞いたと今では思います。
39歳 男性のストーリー
すすきのは「ラーメン横丁」にあるラーメン屋の話しです。
醤油ラーメンがとても美味しくずっと通い続けていたのですが、店主が「お代はいらないから、あるラーメンを食べてみてほしい」と言われました。
自信があるとの事で、そのラーメンのスープを一口。「濃い・・・」
そして麺はかたく美味しいとはとても思えなかった。「このラーメンは口に合わないですわと言ってしまった。

次の日になり、昨日のラーメンは何だったんだろうと思い仕事をしていました。
また普通の醤油ラーメンを食べにお見せに行きましたが、急に昨日のラーメンを食べたくなり自分の意志で注文しました。
またスープから「・・・美味しい」麺の硬さも合っている。
なんだ、昨日と全然違う。最高のラーメンがここにあった。
店主が言うにはほぼ全員最初は美味しくないと言うが、その後は客を虜にする魔法のラーメンと自信ありげに言っていました。
その後も店に通い続けたのは言うまでもない。
38歳 女性のストーリー
祖父は75歳過ぎまで漁協で働いていました。深夜2時に起床し、朝食をとったら出勤。そこで朝の仕事をこなした後で仮眠をとり、午後の仕事をこなして夕方帰宅するというのが1日のスケジュール。
私は祖父と年に2~3回しか会わない距離だったし、遊びに行ったとしてもすれ違いが多く、ほとんど会話をすることがありませんでした。一緒に出かけたことも数えるほどで、唯一思い出に残っているのがGWに一緒に行った動物園。滅多に車で出かけない祖父が運転をし、後部座席の私と色々な話をしたのを覚えています。
祖父は仕事中に足を骨折して入院したのをきっかけに一気に体が衰弱し、入院から2ヶ月程で亡くなりました。祖父が亡くなった後、祖母がリフォーム詐欺にひっかかったり、叔父夫婦が離婚をしたりと色々身内でトラブルが発生しました。
あまり積極的に家のことに関わる祖父ではなかったし、私にとってはいてもいなくても変わらないような存在の祖父だったけど、やっぱり大黒柱だったんだなと思います。祖父が生きていた頃は、こんなトラブルはなかったと母も言っていたので。祖父があと数年生きていたら、親族の人生も変わったように思います。
35歳 女性のストーリー
私の母方の祖母は、私がまだ小さい頃に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という国指定の難病で亡くなりました。
ALSの症状は全身の筋肉におよびます。歩行、手作業など末端の筋肉からだんだん進行し食事(嚥下)や呼吸も困難になっていきます。
そんな中、祖母は舌の筋肉が先行して衰えたため、真っ先に言葉を話せなくなりました。しかし、その他の身体機能に影響が出なかったので、在宅で暮らしていました。
ALSを発症後も脳は正常に機能するので、言葉が出なくなってからの祖母はどんなにかもどかしい思いをしただろうと思います。私は祖母がどんな声をしていたのか、思い出すことができません。
ですが祖母は、自由に動く体をすべて使って、一生懸命に私とコミュニケーションを取ろうとしてくれました。
ある日私がいたずらをして、畑の若いニンジンを抜こうとしたところ、祖母が慌ててやってきて、手で大きくバツ印を作り、困った顔で笑いました。
私はそのシーンを強烈に覚えています。祖母は本当に話ができないんだ、でも確かに私のおばあちゃんとして一緒に居てくれるんだ、と幼心に実感した体験だからです。
その後祖母の症状はあっという間に進行し、とても静かに亡くなりました。祖母と会話をした記憶がないことは、いまだに少し寂しいですが、不自由な体で一生懸命に末孫の私を愛してくれた祖母の大きな身振り手振りは、私にとって忘れがたい思い出です。
65歳 男性のストーリー
 私のおじいちゃん、おばあちゃんとの思い出は、おじいちゃんは私が生まれた時には、すでに他界していたので、祖母との思い出になります。
 私は、姉が一人おり、その弟として生まれました。その当時、祖母が私の両親と姉と私と同居していました。祖母は、私が生まれた時は、62歳ぐらいだったと思います。
 我が家にとっては、初めて男の子が生まれたことに大変喜んでくれて、私に大変愛情深く接してくれました。当時は、男は家のあととりとの意識が根強くあったと思われます。
 幼少の頃はよく祖母の部屋で一緒に寝ていたようです。私は、60歳半ばになった今でも祖母の肌の暖かさを覚えています。今から考えれば、私の母は、私の姉は4歳年上でしたから、私にも手をかける余裕がなかった訳ではないと考えますが、おばあちゃんに我が子を取られたようで寂しかったかもしれません。祖母と散歩したこと、スキーをするといえば、スキーにローソクを溶かして滑走面に塗ってくれたことなど、懐かしく思い出します。
21歳 男性のストーリー
 自分は幸せなことに父方、母方の両祖父母ともに会って話をすることができ思い出もそれなりには残っている。
 父方の祖父は小さいころに亡くしてしまったがかなり大切にしてもらいさまざまな贈り物を貰ったと聞いている。父方の祖母はいつも自分を頼りにしてくれて今でも定期的に会うようにしている。
 母方の祖父は自分の娘には厳しかったと聞いているが同時に子どもが大好きだったので遊びに行くと近所の公園へ行っては一緒に遊んでくれた。家の中でもテレビを観て一緒に笑い合ったこともあった。晩年は認知症になってしまったが自分が会いに来ると名前を思い出そうとしてくれたことは今でも覚えている。母方の祖母はいつも穏やかでニコニコしており母親が怒りだしてしまった時もよくなだめてくれていた。
57歳 男性のストーリー
私の母方の祖父は、信心深かった。顔も丸顔で何時もニコニコしていた記憶しかない。
 そんな祖父は、祖母が裁縫の縫子という仕事をしていたので、着物を他の縫子さんに届けたり、出来上がった着物を依頼主に届けたりという事をしていた。
 祖父夫婦がこの仕事を始めたのは大分と高齢になってからとのことで、祖父が着物を運ぶために自動車の免許証を取ったのも、五十才を超えてからとのことだった。
 高齢で免許を取得したせいか、運転は穏やかで、田舎だったこともあるが、一度も事故を起こしたこともなかったそうだ。
 小学生になってすぐの夏休みに、親と帰省した時に、祖父が着物を運ぶ車に乗せてもらうことになった。今までも、帰省の度に最寄り駅まで送り迎えはしてもらっていたので、親と一緒には乗ったことがあったのだが、その時は、祖父と私の二人っきりでのドライブだった。
 何時もは後ろの座席ばかりだったが、この時初めて助手席に乗せてもらって、私はとても嬉しかったのを、覚えている。
 祖父の家は、一般道までは人が通るには広いが車幅いっぱいいっぱいしかなく、昔の集落の道なので、曲がりくねっているし、角切などしていない直角に曲がる交差点などを通らなければ、出れないような所だった。
 それでも祖父は慣れているので、そろそろと通過して、一般道に出て、目的地に向けて走り出した。集落の道では、車に接近してくる家の壁にドキドキし、一般道では前面の景色に夢中になっていた。しばらくして、ふと、運転している祖父が何か言っているのに気が付いた。話しかけてくれているのに景色に夢中で気が付かなかったのかと思たが、なにかちょっと違う。言っている言葉が、幼い私に向けてではなく、独り言の様なのだ。エンジン音などで聞こえにくいが、よく耳を澄まして聞いてみると・・・
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と運転しながら祖父は言っていたのだ。
 信号で止まったら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏‥」。走り出したら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」、荷物を降ろしたら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」・・・。
 帰りは「自分はこのまま、あの世に連れていかれるんじゃないか」と何か怖くなってしまった。
 後で聞いたら、「案園運転、事故除けのおまじないや」とのことだったが、ちょっとトラウマになりかけた出来事だった。
31歳 女性のストーリー
小さい頃、父方の祖父とよく近所の公園に遊びに行っていました。
祖父は公園に行くたびに、途中のコンビニでジュースを買ってくれました。
私は毎回不二家のネクターを買ってもらっていました。
今でも大好きで、自販機やスーパーで見つけては思わず買ってしまいます。
いつまでも忘れられない思い出ですし、思い出の味です。
父方の祖母は、祖父が亡くなってから一緒に住んでいました。穏やかで優しい祖母でした。
結婚式に来てほしい、と思っていましたが、残念ながら間に合わずなくなってしまい、悲しかったです。
結婚が決まり、相手のご両親への挨拶も終わったタイミングだったかと思いますが、夢に祖母が出てきて、とっても良い笑顔で何かを私に向って話しているんです。
夢の中の私はびっくりして声も出ませんでしたが、目が覚めて改めて考えると、
あぁ、結婚が決まって喜んでくれて、おめでとうって言いに出てきてくれたんだな、と思いました。
一番優しい思い出です。
61歳 男性のストーリー
おばあちゃんとの思い出は,おばあちゃんは一人暮らしをしており,ミカン畑の手入れに良く畑に行き,その合間に料理・おやつを作ってくれていました。
この季節になると,サツマイモを掘り,収穫してそれを利用して,電気釜でご飯を炊くときにサツマイモを一緒に入れて,炊くと柔らかく焼き芋とは,又違うホンワカしたおいしがありました。
今では,家庭では殆ど作らない,おやつを農作物で取れる,小豆,イチジク,柿等身近に有る物を利用して,作って貰った思い出が沢山あります。時に家庭で作るおやつの中で,昔食べた事の有るおやつを見ると,おばあちゃんが作ってくれた事を懐かしく思いだしています。
今懐かしい,おやつを家族で食べると,子供たちが,又何年後かに思い出して懐かしんでくれると思います。
家庭の味は,こうして代々続くものだともおもいました。
34歳 女性のストーリー
すでに他界しておりますが、父方の祖母との思い出です。
祖母から見たら私が初孫に当たるためか、とても可愛がってくれた記憶があります。
食べることが大好きな私。お小遣いより祖母の作る料理が何よりも楽しみでした。
兄弟が多く、食べ盛りだった私たちのために、遊びに行けばテーブルにはたくさんの料理が並び、それをみんなで楽しく食べるのが恒例でした。
山に住んでいたこともあり、季節によって菜の花やぜんまい、筍など山の幸を使った料理もたくさんありました。スーパーでそれらが売っているのを見た時、タダで手に入るものという感覚があったので驚いた笑える贅沢な記憶があります。
その中でもたくあんや桜でんぶなどを使った、具はとても素朴ですが、カラフルで可愛らしい絵柄の巻寿司が祖母の得意料理。小さい頃からそれが大好きでした。
幼いながらに、私もそんな巻寿司が作れるようになりたいなと、よく祖母に大きくなったら作り方を教えてね、と話したものです。
残念ながら教えてもらう前に他界してしまったのが残念です。
晩年は入退院を繰り返し、最後は病院で息を引き取りました。
時折お見舞いに行くと、二人で夕方の時代劇を見ていたのを思い出します。

母方の祖父母や、父方の祖父よりもずっと大好きな私の祖母の話です。
27歳 女性のストーリー
保育園に通っていたころ、シングルマザーで働きに出ていた母の代わりに、祖父と祖母が交代で徒歩20分くらいの保育園まで毎日迎えにきてくれました。たまに公園で遊んで、駅まで歩いて、バスで眠りながら帰りました。そして、近くのコンビニのような店でその日のおやつを買ってもらいました。母の分はとっておいて、祖父母と分けて楽しくその日の出来事を話しながら食べました。
保育園のことはあまり覚えていませんが、祖父母と家に帰るのは大好きで今でもよく覚えています。一緒に歌を歌ったり、ごっこ遊びをしながら帰りました。
そうやって大切にしてもらったおかけで、父親が居なくて寂しいと思うことはあまりなく、楽しく過ごすことができ感謝しています。
35歳 女性のストーリー
これは私のおじいちゃんとの思い出話です。
私が小学3、4年生の時、おじいちゃんとおばあちゃんと3人で電車に乗って街の博物館へお出掛けに行った時の話なのですが、帰りの駅のホームで電車を待っている時、ホームに沢山の鳩が群がっていました。
私は退屈な時間を鳩を追いかけて潰していました。
鳩は結構近づいても逃げる様子がないので触れるんじゃないかと試みましたがあと少しで触れそうな所で1mくらい飛んで逃げて何食わぬ顔でまたホームをうろつきました。なかなか触らないなぁとおばあちゃんに話しかけながらしばらくすると、椅子に座ってじっとしているおじいちゃんの足元に1羽の鳩が近づいてきました。すると今までじっとしていたおじいちゃんが素早い動きで鳩の両足を片手でガシッと掴んで逆さ吊りにしたのです。物凄くけたたましい音で翼をバタバタさせる鳩。あまりの短時間で起こった事をただ呆然と見ていた幼い頃の祖父との思い出でした。
43歳 女性のストーリー
自分が子どもの頃、田んぼへ行って、祖父母の手伝いをしたのことを、よく覚えています。
田植えでは、泥の中に入り、苗を植えるのですが、イモリやカエルがいて気持ちが悪いし、たまに泥にハマって足が抜けなくなってしまいました。稲刈りでは、台風で稲が倒れてしまったことがあり、機械で刈れるように、その稲を一生懸命起こす手伝いをしたこともありました。作業は大変でしたが、その分祖父母を尊敬していました。
作業の合間の休憩に、ござを敷いて、飲むお茶や、お菓子、おばあちゃんが漬けた漬物や、おばあちゃんが握ったおにぎりを食べるのがとても楽しみでした。頑張ったことと、青空の下、外で食べることもあり、格別な美味しさでした。おばあちゃんのおにぎりは、三角でなく、丸いおにぎりで、味噌がついているものが多かったのですが、それがまたとても美味しかったです。
帰った後、おじいちゃんやおばあちゃんに、頑張って手伝ってくれてありがとうね、助かったよ、と言われるのが毎回とても嬉しかった。そして、そのご褒美にお小遣いをもらえるのも嬉しかったです。亡くなってしまったおじいちゃん、そして今はなかなか田んぼへ行けなくなってしまったおばあちゃんとの、もう出来ない良い思い出です。
47歳 女性のストーリー
 私は4世代同居で育ったので家には、祖父母のほかに曽祖父母も一緒に暮らしていました。両親は仕事で忙しなく、母が夕飯を作る間は、年寄と一緒に時代劇や相撲を見ていました。私の定位置は、晩酌する曽祖父の膝の上でしたから、夕飯前で空腹な時、口を開けてねだると曽祖父はつまみの柳川鍋のドジョウやイナゴの佃煮、イカの塩辛などをポンポンくれました。今では、幼子にそんなつまみを与えるのはタブーかもしれません。私はお酒が全く飲めない下戸ですが、今でもそれらが好物であり、曽祖父との良い思い出です。
 曾祖母は学校に行く時、帰る時、どんな事をしてても必ず、玄関まで出てきてくれました。姉妹だったので声だけではどちらか分からないからということでした。
 時代的な事もあり、二人は子供を多く亡くしました。七五三を祝ってやる前に亡くなってしまう子が多かったので、ひ孫の私達姉妹は、本当に可愛がられ大事にされたと思います。
36歳 男性のストーリー
母方の祖父母は、私が初孫だったこともあり、とても可愛がってくれました。

祖父母ともに可愛がってくれましたが、特に祖父に可愛がってもらい、祖父は国鉄勤務だったこともあり、私が幼年期に鉄道が好きになると色んな場所に連れて行ってくれました。

当時、私の住んでいた地域には、先頭車両が大きくガラス張りになった展望車のようになった車両が走っており、鉄道好きの子どもにとっては、その先頭車両に乗ることは憧れの対象でしたが、特に展望席の座席数も限られており、なかなか乗るのが困難でした。

ある時、それに乗るために、ホームで早めに並んで待っていましたが、そろそろ到着時間も迫る頃には、先頭車両の展望席目当てであろう他の親子連れも数組見受けられ、争奪戦の様相を呈していました。

そんな中、いざ扉が開いた時、祖父は同行していた母に対して、温厚な祖父からは想像も出来ないくらいの大声で、『走れ!!早く席を取れ!!』と命じ、母は走り、無事展望席を確保することが出来ました。

今となっては、席を取る為に、そこまでしなくてもと思わなくもないですが、可愛がっている初孫を展望席に座らせてやりたいという祖父の愛情だったんだなと、30年以上前の出来事ですが、今でも記憶に残る、祖父との思い出です。
21歳 男性のストーリー
私のおじいちゃん、おばあちゃんは九州に住んでいます。
私は関東に住んでいるので、滅多に会いに行くことができず、夏休み等の長期休暇でしか会うことができませんでした。
おじいちゃん、おばあちゃんの家は、周りに温泉や観光地が多くあったため、おじいちゃんの車の運転でよく遊びに行きました。
食も豊富で、地元の漁港で取れた魚の刺身がとてもおいしかったです。
中でも特に思い出深いのは、私が関東に帰る前の日の夕飯で食べたすき焼きです。
全国的にも有名な地元の牛肉を使ったすき焼きは格別でした。
小さい子供のころの出来事ですが、とても思い出深いことです。
社会人となった今では、夏休みも短く、さらに会いに行きにくくなりましたが、また機会があればすき焼きをしたいと思っています、
34歳 女性のストーリー
私が生まれた時、私の両親は父方の身内とは関係がよくなかったらしく、疎遠になっていたみたいです。私が4歳ぐらいの時、祖母が危ないという連絡を受けて、私達家族全員で祖母が入院している病院にむかいました。
何年ぶりかの再会だったみたいです。
もちろん私はまだ、幼いので所々の記憶しかありませんが、幼いながら知らないおじちゃんがいたり、知らないおばーちゃんが病室で寝ているという不思議な光景だったと思います。
その知らないおばーちゃんは笑顔で小さい声で私の手を握り、お前がアヤか‥会いたかった‥とふり絞るような声で言いました。
そしてそこにいた全員が泣き崩れていました。
後から聞かされるとそれが最後の言葉だったみたいです。
45歳 女性のストーリー
私が4、5歳の頃、高熱をだして寝込んでいると、私の母から電話で聞いた祖父が、バスを3回乗り継ぎ、バナナを片手にやって来ました。それから、夜通し私の傍らにいて、寝ずの看病をしてくれました。
以前から病弱だった祖父が、杖を頼りにもう片方の手には大きなバナナを引っ提げて来たと、ことあるごとに母が話していました。
当時の我が家は、祖父母の住む父の実家から離れていたこともあり、お盆とお正月に帰省する程度でした。
父の実家に行くと、沢山の本や古い品でごった返す、祖父の部屋に籠るのが大好きでした。
優しく微笑んでいた祖父は他界しましたが、今でも時折ふと思い出すことがあります。
そんな時は、お爺ちゃんが見守ってくれてるんだなと思い、目頭が熱くなります。
現在は、私の両親も他界し、弟の家族が御先祖様の仏壇を守っています。
実家を訪れた際には、お爺ちゃんを含む沢山の御先祖様に、感謝の気持ちで手を合わせています。
ありがとうございます。
27歳 女性のストーリー
小さい頃から、大きな声を出すおじいちゃんが苦手で、よく泣いていたそうです。初孫ということで、すごくかわいがってくれたおじいちゃんは遊びに行くといつもより声のボリュームを下げて話してくれていたそうです。
農家を営んでいたので、いつも作物の収穫の時は手伝いをし、出荷先へ行ったりしていました。「仲がいいですね」と言われることに対して、すごく嬉しそうにしていたのを今でも覚えています。
私が中学、高校、大学へと上がるにつれて、おじいちゃんもだんだん体が弱ってきました。いつも軽トラを運転していたのにそれも出来なくなり、ついに病院へ入るようになりました。一向に良くなる傾向もなく、日に日に弱っていくおじいちゃん。私が大学を卒業した後に、亡くなってしまいましたが、最後に袴姿を見せれて泣いていました。思わず私ももらい泣きしてしまいました。この時に撮った写真は今でも部屋に飾っており、思い出になっています。
48歳 女性のストーリー
祖父は昔気質の人で、とにかく女性に対して差別的な人でした。奥さん(祖母)に対して、2男5女を産んだにもかかわらず『女ばかりポンポン産みやがって』と暴言を吐く始末と祖母から聞いてました。
そんな祖母は厳しい環境下で生き抜いてきた大正女で、私が3人目の子供を授かり、育児に奮闘している時期にぽつりと言った一言が、今でもっころに残っています。
『お前もこれでやっと親のありがたみがわかる。2人目までは父・母で一人ずつ、3人目から手が足りず同時にあやすことが叶わなくなる』
私は、祖母は実感のこもったつぶやきで、さり気ない教えをしてくれているなぁ、と感じました。
実際、上の子のトイレを手伝っている矢先に、下の子が泣き出したと思うと、異物を口入れていたり、鳥肌ものの体験もしながら、あの時の祖母のつぶやきを二十歳過ぎた娘息子を見るたびに思い出します。早くおばあちゃんになりたいと願って。
37歳 女性のストーリー
私が小さい時はおこづかいやお年玉はおばあちゃんがくれるもので、おじいちゃんはくれないものと思っていた。そんなおじいちゃんがある日突然孫全員に500円玉をくれた。みんなびっくりしたから、500円玉はびっくり玉と命名。私はその時の興奮を作文に書いて、それが文集に載ったのをおじいちゃんはとても喜んだなんてこともあった。それから時々得意気にとびだすびっくり玉が他の大人達にもらえる数千円よりも私たちのテンションをあげていた。
それから10年ほどたつと、おじいちゃんは末期の肺がんを患った。当時の医療では肺はお手上げ状態。後は呼吸を助けるために気管切開で管を通す手術をする事になった。それ以降はもう喋らないかもしれない。そんな手術が終わった日の夜、立ち会った父親に聞かされた話。おじいちゃんは手術室に入る前、突然父親に両替を頼んだそう。何に使うかと聞いたら『孫たちが来たらびっくり玉をやるんだ』と言ったと。もう喋れないかもしれない、最後の会話がそれだったと。結局、そのびっくひ玉をもらいに行く前におじいちゃんは死んでしまった。でも今でも落ち込んだ時は500円を眺めて、元気をもらっている。

「自分は特別だと思った瞬間」

26歳 女性のストーリー
私が小学校高学年頃から父親がアルコール中毒になり、家で暴言吐いたり暴力を振るうようになりました。それから良くなったり、酷くなったりを繰り返すようになりました。
10年以上経った今でもアルコール中毒は治っていません。仕事に行ったり行かなかったりです。
大人になり、結婚して、妊娠しました。県外に嫁いだので里帰り出産のため帰ってきました。娘が妊婦になって帰ってきても父親は相変わらずです。なんのお構いもなくタバコは吸うし、酒飲んでふらふらの状態で家のなかを歩き回ります。何度も突っ込まれそうになりました。
それを心配して、幼馴染や母親の友達が私に「なんかあったらすぐに逃げてきな。」「夜中でも朝方でもいつでもいいから。」「昼間やばくなったら鍵わたすから」と言ってくれました。
里帰りして幼馴染の家に逃げるなんて聞いたことないな、私って特別なんだなって感じました。
46歳 女性のストーリー
自分で言うのは自慢みたいなのですが、私は子供の頃は勉強がとてもよくできて、常に学年トップの成績でした。
塾に通うこともなかったし、家で毎日何時間も勉強することもありませんでしたが、物事の理解が早く、記憶力も良かったのだと思います。
さほど努力をしなくても、学校内では一番の成績をキープすることができました。
私が勉強に必要だと思うのは、記憶力と論理的思考力、集中力ですが、この3つの力が他の子どもたちよりも優れていたと自負しています。
まわりが明らかに私より努力して勉強しても、私の成績を超えることがなかったので、成績発表や通知表を見て自分が一番なのを見る瞬間、自分は特別に頭がいいのではないかと、口には出せませんでしたが心の中ではいつも特別感を感じていました。
28歳 女性のストーリー
女に生まれてよかったことはいくつかありますが、おじさんたちにかわいがられていて得しているなと思うことがたまにあることです。
多分男だったとしたらこんなにいろいろしてもらえることは無いと思っています。
インスタのストーリーにどうしてもほしいマグカップが品切れでなくなっていて探すのを諦めたときに、全国のフォローしてくれている知り合いの方々(知り合いのおじさん)が探すのを手伝ってくれたり、あとは一人でいろいろ旅行しているときも、ご飯を驕ってもらえたり優しくしてもらえたりするので、私にとっては女に生まれてよかったな〜って思います。
旅行先でも一人で自分の写真を取ることはできないのですが、たくさん撮ってもらえたりするので、思い出を振り返ることもできてよかったと思います。
33歳 女性のストーリー
今年3歳になる娘と、今年生まれの娘の二人の母です。
娘は二人とも安産で、二人合わせても、出産には5時間もかかっておりません。術後の回復も比較的早く、二回とも出産した1時間後には、普通に小走りが可能でした。
安産なんて、だいたい皆んなそうだろうと思っていたのですが、自分の周りだけですが、統計を出してみると、ほぼ(私的に)難産。
周りの友人や親戚の話だけでも、やれ30時間かかったやら、やれ緊急で帝王切開になったやら、やれ上からお医者さんに乗られてお腹を押されながらの出産だったやら…。
どうやら私は、生まれ持った性質なのか、体の内部が随分と頑丈なつくりだったらしいです。確かに、産後の体調の回復も、周りのママさんより早いと感じます。
この特別感は、育児に追われる今、実にありがたい事です。
19歳 女性のストーリー
私には特別に初めてとても、好きになった相手がいて、その相手に凄いいつも縛ってしまって、相手はそれが嫌だといつも言われているのですが、「あぁ、またしてしまった」と思い、自分自身、分かってはいるんですがなかなかやめることができず自分でも困っています。
でも異性ではなく、同性ということもあり、自分の親にもなかなか言えなく、どう話したら分かってくれるんだろうと、未だに考えています。
もし仮に、「だめだ」とか「もう会うな」とか言われたりしたら嫌だし、それもあってなかなか話を切り出せません。
でも自分は同性というレッテルがあり、それでも私はその人のことが大事な人であって特別な人であります。
もちろんこれから一緒に住もうという話も出ています
22歳 女性のストーリー
私が皆んなと違う特殊なんだろうなと思った特技は今年に入ってからやっと気が付きました。
それは、効き生活音です。
これは何かというと、シンプルに人の足音やドアの開け閉め、インターホンの音の鳴らし方などのような普段何気なく聞いている音が私には区別化させることが可能です。
もちろん時折音を拾えなくて全く分からない時がありますがそれでも聞こえる範囲内で相手の出している音を把握出来さえすれば全く外すことはほとんどありません。
最初は無意識でよく分からないうちに嫌な音を避けたりして苦しい思いをしましたが、今ではこの仇となっていたであろう効き生活音を活用して相手の気持ちを声で感じ取れることも出来たので役に立つこともあったなと思い聴覚の良さに感謝しています。
33歳 男性のストーリー
私は小中と学生時代は人気者で同じ学校だけでなく、他校にもその人気が広まるほどの人気者でした。生徒会長や実行委員長などありとあらゆる事に対して、リーダーシップを取ってきました。その部分が評価され、内心評価が高く、高校受験はある程度の勉強で合格することができ、その時に特別だと感じました。更に高校に進学すると部には所属せずにバンド活動に明け暮れていました。高校時代はまだ中学生の人気が続いている事もあり、ライブをすればたくさんのお客さんが集まって、大盛り上がりでした。その時にもやっぱり自分は特別だ。と自信ばかりが増えていました。今、思えばその頃からです。他の人気者がたくさんいてる事実を知り、それを認めたくない気持ちが空回りし、音楽性を独特なものに変更していき、余計にお客さんは寄り付かず、しまいにはバンドメンバーまで居なくなる始末。その自分は特別だ。を思いつづけ26歳で特別ではなかったとあきらめ、就職しました。今は一般職平社員です。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
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次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
38歳 女性のストーリー
インターネットの世界ではなかなか真面目な人、誠意のある人との出会いは少ないイメージで、実際にSNSをやって仲良くなった人からの相談を聞いていてもネットの人間関係で悩んでいる方々が沢山います。ですが、私の周りには年齢等も関係なく、誠実な方が沢山いらっしゃってとても楽しく円満に過ごしています。個人的にLINEの交換をしてる方も多くいて、プライベートで何かあった時などもあれこれ相談したりして良い関係を築けている状態。昔から人との出会い運には恵まれている方だと感じていましたが、ネットの世界でもそれを実感出来ている現状です。こういった事を度々立ち止まって考えるのですが、その度に自分て何かしら特別な何かがあるのかなぁなんて思ったりしています。
36歳 男性のストーリー
小学生の高学年からサッカーを始めたのですが、その時にはすでに周りの友達はクラブに入って経験を積んでいました。
その友達から体験でクラブの見学に来ないかと誘われたので、行ってみることにしました。
その見学では、実際の練習や試合をしてみる等、結構充実した内容だったのですが、僕はずっと友達や兄としか練習した事が無かったので少し緊張していました。
その練習での試合中、緊張もほぐれてきていつも通りプレイをしていたら、チームのコーチから突然呼ばれました。どうしたのかと思ったら、もしこのクラブに入るのなら、Aチーム(そのクラブはレベルに合わせてチーム分けされていて、Aチームが1番上位のチームでした)で練習して欲しいといわれました。ちなみに、僕を誘ってくれた友達はBチームで、子供ながらに少し気まずい空気になったのを覚えています。
33歳 男性のストーリー
私が益子町で行われている産業祭というお祭りにいったときでした。
そこで地元の人達と色々と話していたのですが、当時30歳だったのに高校生ですか?と聞かれたときに、自分の外見の若々しさに自信を持ち自分は特別だと思いました。
産業祭には本がいっぱい売っているのですがそこでのんびり本を選び、選んだ本を近くの体育館に行ってのんびりと読んでいました。
近くには健康祭というものやっていて、というか産業祭の一種で健康祭もしていて血圧なども図ってもらったのですがそこでもしっかりと正常値でした。
歯を見てもらった場合でも特になんの問題もなくやっぱり健康そのものでした。
やはり私は30代になっても健康なんだなあと思い、自分は特別だと思いました。
31歳 女性のストーリー
特別美人でも不細工でもない、ごく普通の女子大生だった頃のおはなし。
ゼミの教授はとても厳しい事で有名だったが、バイトで忙しくしていた私にだけ、卒論のベースを作ってくれ、今後の方向性を示してくれた。私自身が関わったのは最後の仕上げくらいで、さすがに気まずくて友達には何も言ってませんが…もちろん教授と個人的な関係はありません。
同時にやっていたアルバイト。そこでもなぜか特別扱いしてもらえて、他の人と同じことをしても私だけ怒られることもなく楽しくお仕事。もちろんサボらずお店への貢献度は平均以上でした。
特別美人でも不細工でもない、ごく普通の一般OLの現在のおはなし。
現職でも上司・先輩・同僚に可愛がってもらえ、ほとんどお金を使わず飲食できている環境…
美人でも不細工でもない、そこらへんにまみれている一般人なのに…わたしは何か特別なのかな、とふと感じてます。
35歳 男性のストーリー
私はエナジードリンクが好きでして、中でもMONSTERが一番好きです。時々、街で配っていることがあります。去年は3週間近く、街で配っていて自分は合計で15本近く貰いました。街では大町の入り口やフォーラス、青葉通り駅の近くで配っていました。
MONSTERは一本で200円以上します。それを15本貰ったので、約3000円以上、得をしたことになります。他の人にMONSTERのことを話したら、「運が強くてそういうの、もっているんですね」と言われたことがあります。自分でもびっくりするぐらい配っているところに出くわして毎回貰っていました。
さすがに自分だけがこんなに貰っていると自分は特別に貰っているのかなと感じました。
27歳 女性のストーリー
自分は特別だと思った瞬間は2つあります。
1つは幼少期のころの話です。
幼少期の頃、自分で言うのも恥ずかしいのですが可愛いとよく言われていました。今の自分とはだいぶ違うのですが、人見知りもせずよく笑い弟の面倒もよくみるいい子だと褒められ育てっていました。ある日、母親が当時やっていたさんまさんの番組に私を応募し書類選考に通ったと言われた時に幼いながらにもやっぱり私は可愛いのでは?と思ったのを今でも覚えています。(今思うとすごく恥ずかしいことを思っていたなと感じています…)

2つ目のお年玉の額は感じている方も多いかもしれません。私は四人兄弟の1番上で、なおかつ祖父母にとっての初孫でした。小さい頃から可愛がられて育っていたのでお年玉も生まれた時から社会人になるまでずっといい金額を貰っていました。
お年玉をいとこにあげる立場になった今、ずっと貰っていたことと貰っていた金額の多さは特別だったんだなと感じでいます。
46歳 女性のストーリー
すごく楽しく働いていた派遣先の事です。
そこは、ワンフロアに1000人近くもいるかなりの大手の会社でした。
そこでは、たくさんの人と多く関わる業務をしていたため、たくさんの人から慕ってもらい、ちょっとした事で話しかけられていたので、毎日会社へ行くのが楽しみで仕方ありませんでした。
仕事が終われば飲みに連れて行かれ、そのままカラオケへ行き、ほぼ朝まで。朝方家に帰り仮眠してまた会社へ行く、なんてこともよくありました。
ありがたい事に、飲み代はほとんど払ってもらっていました。
そんな人たちでしたが、期末になるとほぼ毎日残業で、会議室にこもって会社に寝泊まりしながら仕事するため、会議室の机の上には体力増強ドリンクや、眠気覚ましドリンク、タバコの吸殻が溢れた灰皿なんかも目立ちました。
あまりに酷かったので、いつもの御礼のつもりでお茶やコーヒーをいれたり、軽食を差し入れたりも、していました。
そんな会社を、派遣先と派遣元のトップのイザコザから一斉撤退となり、それに巻き込まれたわたしも辞めなければいけなくなってしまったとき、周りの殆どの人が辞めなくてもいい方法を探してくれ、動いてくれていました。
ただ、派遣元はわたしを離してくれませんでした。
他の人も続けさせてくれ、単価も、アップでなければわたしを続けさせない。他の派遣元にも移動させない。他で仕事をさせる。
と、わたしを取引の条件にまでしたため、さらに状況は悪化し、撤退は確定となってしまいました。
派遣元を辞める事を派遣元から拒否されたため、契約満了での終了です。
その最終日、3時を過ぎたあたりから、たくさんの人が次々と声をかけてきてくれ、残務処理が多少ありましたが、それをうちのグループの人が引き取ってくれ、その人達に使う時間としてもらえました。
合間に各チームの上司へ挨拶に回っているときも、たくさんの人に声をかけてもらい、一緒に回っていた派遣の人が苦笑するくらいでした。
挨拶回りも終えて、関わっていた殆どの人とも挨拶を終えたので、最後にうちのグループの人達に挨拶をし、荷物をまとめて出ようとしたとき、うちのグループの人達が全員出口まで見送りに来てくれました。
異例です。こんな事、今まで他の人が辞めたときに見たことありませんでした。
エレベーターのドアが閉まるまで、笑顔で見送ってくれ、みんな手を振ってくれました。
あんな会社、ほかにはありません。
人生最高に、最大に幸せな、かけがえのない職場でした。
そして、わたしだけの特別待遇だったのだ、と後でききました。

わたしだけが特別。
35歳 女性のストーリー
今年、映画「天気の子」が非常に大きな話題となりました。私は周囲に驚かれるほど的確な晴れ女です。的確というのは、ピンポイントで「この日だけは晴れてほしい」と思うと、自分がいない場所でも晴天になるからです。
例えば、遠方の友人の結婚式。日取りは台風シーズンのさなかでした。ガーデンウエディングと聞いていたので、ぜひとも会場周辺は晴れてほしいと思い二日ほど前にLINEでメッセージを送ったところ、挙式の時間帯は雲ひとつない青空で快晴だったという喜びのお返事と写真をいただきました。ちなみに翌日は台風が接近して雨が降りました。
またある時は、久しぶりに彼氏ができた友人の初デート。ビアフェスに行く予定だったのに前日夜まで雨が降っていて、予定を変えないといけないかなあと残念がるメッセージが届きました。そこで、大丈夫だよ朝から晴れるよと伝えたところ、当日待ち合わせの時間にはすっきりと晴れ、屋外ビール日和になったそうです。
もっとも大切なのは、子どものディズニーランドデビューでした。まだ肌寒く天気が不安定な時期でしたが、お誕生日をディズニーランドで迎えさせてあげたくて計画したところ、滞在した三日間は半袖でも過ごせるくらい暑く、からりと気持ちの良い青空のもとで夢の国を満喫することができました。
おそらくですが、この「晴れ念」は、私自身も生きがいに等しく楽しみにしているイベントや、私の大切な友人にとっての一大イベントに対して効力を発揮するのだと思います。実のところ、そこまで期待値の高くない行事の日や晴れでも雨でもかまわない日には、きれいに晴れないことが多いのです。
欲張らず、誰かのためにお願いすると、見えない力が天気をコントロールしてくれるのかな、と感じます。
余談ですが、私の子どもも同じく晴れの力を持っているようで、運動会や花火大会など、自分が指折り数えて楽しみにしている行事は今のところ100%晴れさせています。これからも親子で力を合わせて、楽しいお出かけ行事を重ねていきたいです。

「結婚っていいなと思った瞬間」

49歳 女性のストーリー
両親が離婚したりまた、結婚したり家にいても、言い争ったりして、どうして好きあって何度も結婚し直して暮らしているのに、仲が悪いのだろうかと子供心に理解が出来なくて結婚に対して、前向きでなかったのに、結婚することになって、同居まですることになって、おまけに、国際結婚となって暮らしてみると、ほんわかしたのは、最初の1か月もあっただろうか...
生活にも言葉にも慣れず、まるで子供みたいに一つ一つ教えてくださった。義父母や夫には感謝の言葉しかありません。
子供にもすぐに恵まれて、あれよあれよと時が過ぎ今は3人の子供にも恵まれ30年ローンのマンションに暮らしています。自然環境の良い所で義父母とは別居となりましたが、比較的静かに暮らして幸せです。
結婚して子供も授かって改めて父や母が、喧嘩しながらも私や弟を一生懸命育ててくれた事に感謝しています。
結婚を通して両親や親戚、もちろん自分もまた深く見つめ直せるし、自分を成長させるし、夫、子供も成長し、家族を創っていく素晴らしい事だと思います。
27歳 女性のストーリー
両親と過ごした楽しい時間ももちろん幸せな思い出ですが、やっぱり結婚して子供が生まれて自分たちで家庭を作り上げて行けることは本当に結婚して良かったと思います。
夕方、夫の帰宅に子供と一緒におかえりと出迎えたり、夫が子供とお風呂で楽しそうに会話しているのを料理しながら聞いていたり、だれかが体調を崩したらお互いをフォローしあったり、何気無い日常のひとつひとつや、協力試合って生きていける感覚が幸せです。
結婚してから私は家庭に入りましたが、家事育児の大変さを理解してくれるだけでなく、私たちのために毎日働いてくれたり、疲れていても子供とのスキンシップを欠かさない夫に感謝してもしきれません。毎日、結婚っていいなと思う瞬間の連続です。
29歳 男性のストーリー
現在、結婚して4年が経ちますが、つい半年前に待望の第一子を授かる事ができました。
どこにでもある普通の話ですが、子供を作り始めたのは、結婚してすぐの頃からでした。
始めは時期に自然にできるだろうと軽く考え、そこまで気にすることはありませんでしたが、2年過ぎた頃やはり何か問題があるのではと双方検査をしました。
その結果、妻は卵管が片方の通りが悪く、私自身は極端に精子の数・運動率共に通常の10分の1程しかありませんでした。
これまで妊娠に至らなかったのは自分に原因があったんだと知り心底落ち込みました。
しかし、そんな時、妻は私を責めることは一切せず、不妊治療に切り替えようと言ってくれました。
不妊治療といっても、男性側は特に何もしないのが現状で、外に出した精子を病院で直接子宮に注入する人工授精とシャーレの中に精子と卵子を入れ受精させたものの子宮に戻す顕微授精があります。
このどちらも女性は痛みを伴ないます。
改めて女性は強いなと感じ妻の愛を感じました。
そんなこんなで、3年間の内、5回の人工授精と1回の顕微授精を行いましたが、結局それで妊娠することはできませんでした。
半ば諦めですべての不妊治療をやめて夫婦生活を楽しんでいたら、なんと自然妊娠していることが判明し、抱き合って喜ぶました。
結婚っていいなと思えた瞬間は、子供ができたという極々平凡な話です。
命が芽生えるという事は本当に奇跡なんだなと感じた瞬間でもありました。
31歳 男性のストーリー
 高校の頃から付き合いがある友達が最近結婚したのですが、その結婚式と披露宴に参加した際、結婚っていいなと思いました。
 
 その友達とは、高校の頃からほかの友達と一緒に馬鹿な事ばかりをして遊んでたのですが、女っけが余り無いような友達でした。大学以降も付き合う彼女はいても余り長続きせず、よく悩みを聞いていたことを覚えています。

 それが変わったのが、去年以降。新たに付き合い始めた彼女との話を聞くたびすごく嬉しそうに話をしており、それ以降どんどん友達も生き生きとしだしてきました。

 結婚式でも終始幸せそうな様子で、あれほど幸せそうな友達を見たのは初めてでした。「支えてくれる人がいるってことはこんなにも良い事なんだな」と感じました。その時に強く結婚っていいなと感じました。
34歳 女性のストーリー
結婚して5年。
子供も生まれて実家から離れたところで暮らしています。
年末年始に実家に帰りましたが、その時私が母と喧嘩をしてしまいました。
事あるごとに子供の教育方針などに価値を出すくせに、孫を目の前にすると甘やかしてテレビ見放題、お菓子も食べ放題、生活リズムもガタガタに。
見かねて私が文句を言うと
「甘やかすのは祖父母の特権、しつけをするのは親の役割だから」
と言って反論してきて頭に来ていました。
その件について夫に愚痴を言った際、
「確かにたまにしか会えない孫を甘やかしたい気持ちはわかるけど、俺たちには俺たちの方針があるからそこはきちんと伝えていこう」
と冷静に言ってくれました。
生まれ育った環境は違うけれど、夫と私で今の家族を構築して行っているのだと強く感じ、結婚して自分の家族を作ることの幸せを感じました。
36歳 男性のストーリー
2013年に結婚し、2015年に子供が生まれました。現在、6年が経ちましたが、一番いいなぁと思った瞬間は親子の家族愛を感じた事です。

私は幼少期(2歳ぐらい)に親が離婚をしたため、母親と実弟、祖父母と暮らしていました。暮らし始めた時に弟と共に祖父母に養子縁組をした事で、母親が別の場所で一人暮らしを始めだし、基本的に祖父母に育てられました。

しかし、祖父母は愛情を持って育ててくれましたが、私にとって父親や母親の存在ではなく、あくまでも祖父母なので、親の存在や接し方というのが、分からず育ちました。

そんな中、子供が生まれ、父親となり、子育てする事で、立場は変わりましたが、子供が成長していく中で親子の家族愛という感じることができ、とても幸せです。

44歳 女性のストーリー
40歳も過ぎてくると、家族や自分に病気がふりかかってくる。
そんなとき身近に相談できる相手がいるととても安心できる。
自分の場合は不安な気持ちを聞いてもらったり、一緒に検査結果を聞きに行くことができる。とても心強いなと感じました。
そして自分の病気でも不安なのは自分だけじゃないと感じた。相手も同じように不安に感じている。そう思うと勇気がわいた。
そしてふと私のこどもたちのことを考えた。今までは子供たちに結婚はしてもしなくてもいいよと言っていたがやはり結婚をして相手がいると親である私は安心できる。年老いて子供によりそってあげれないときに子供に妻、夫がいると心強い。
お互い思いやれてる夫婦だからこそ結婚ていいなと思った瞬間がとれました。
24歳 男性のストーリー
一緒にいる時間が増えて楽しいと思えたときが一番結婚してよかったーと思えました。結婚してから一緒に暮らすようになりました。
やっぱり一緒の時間が増えるとうれしいです。それから結婚してまわりの友人や家族からおめでとうと祝福されたときもうれしかったです。結婚っていいなと思った瞬間でした。

結婚する前に思ったときもあります。やっぱり子どもを連れている夫婦を見たときです。結婚=子どものイメージがあるので、子どもを見ると結婚っていいなと思えます。

友人の結婚式にいったときもいいなって思います。友だちの結婚式の姿がきれいで可愛くて良いなと思いました。なにかイベント事がある時に思うことが多いように思います。結婚を意識した瞬間でした。
32歳 男性のストーリー
私の思う結婚っていいなと思った瞬間ですが、色々ありますが、一つは仕事から帰ってくると、晩御飯を用意して待っていてくれてるときです。とても幸せな気分になります。独身だと、仕事終わりに自分で晩御飯を作らなくてはなりません。そういった点っで結婚はいいと思います。
他には子供の事です。私は最近子供が生まれました。とてもかわいいです。育児は大変だとは思いますが、妻と共同作業での子育てをする事によって前より絆が深まった気がします。これも結婚しないと得られない経験だと思います。
あとは世間体です。やはり結婚前と今では周りの見る目が全然違う気がします。男性は特にそうかもしれませんが、高齢になって独身だと周りから白い目で見られてしまう気がします。
63歳 男性のストーリー
私の妻は本が好きでいろいろな本を読みます。一方、私はというとあまり本を読まない方でこれまで生きてきました。だから『何か面白い本を紹介してほしい』と頼むことが時々あります。今まで紹介してくれた作家でよかったのは、城山三郎さんです。城山さんの政治小説をたくさん読み、昔の政治家の生き方や考え方から多くのことを学んだ気がします。その一つは、自分の節操を曲げないということです。これは、浜口雄幸さんから学んだことです。また、新聞をよく読むので、自分が知らない情報や知識を与えてくれることがあります。知的な刺激を与えてくれる面があるということで結婚してよかったと思うことがあるのです。互いに補い合うことができるところに結婚の一つの意味があると思います。
46歳 女性のストーリー
いざという時、そばにいてくれる存在がいるということに、結婚の良さを感じます。
東日本大震災で余震が続いて心身ともに疲れている時に、家でひとりだったら心細さを感じますが、夫がいるだけで、なんだか心強さを感じました。
「このマンションは耐震性がすぐれているから大丈夫」、「スーパーで品薄が続いてるから、食事は手抜きでも適当でもいいよ。食べられるだけで感謝しないと。」など、冷静かつ客観的な理由を述べつつ、こちらを気遣う言葉をかけてくれて優しさを感じました。私は不安で感情的になっていたので、なぐさめようとしてくれていたのだと思います。
普段はひとりでも大丈夫だと思っていても、窮地に立たされた時や弱っている時は、そばに誰かいてくれるだけで救われた気持ちになるので、結婚っていいなと思いました。
36歳 女性のストーリー
学生の時のアルバイトになりますが、披露宴会場でのお手伝いの仕事をさせていただいておりました。
一緒に一度の結婚式、注意する点や気をつける点は毎回違い、確認することは多々あります。私たちが失敗しないように毎回緊張することばかりですが、新郎新婦さまが列席者のために考えた結婚式に感動し、ステキだなと思っています。家族のため、子どものため、友人のため、どの結婚式も心に残るものばかりです。
新郎新婦さまがアルバイトのスタッフにもお礼を伝えに来てくれる時もあります。その時のお二人の笑顔を見るたびに、こんな素敵なお仕事をさせていただいてよかった。私たちも新郎新婦さまのような幸せいっぱいの笑顔になる結婚をしたい思い、話が止まらなくなります。
24歳 女性のストーリー
去年の秋に4年おつきあいしている彼と結婚をしました。年も違えば、生まれた国も文化も言葉も何もかも一致することがない凸凹国際結婚カップルです。4年一緒にいたとはいえ、ほとんど一緒にいたことがなくトータルで換算しても1年いくかいかないかぐらいです。しかし、毎日欠かさずメッセージのやり取りをし、時には電話をし、手紙やプレゼントを贈りあったり、長期休みがあれば必ず会いに行っていました。
 そんな中、やはり不安はたくさんありました。浮気していないかな、嫌いになっていないかななど。しかしそんな不安を吹き飛ばしてくれたのは彼自身でした。
 そして私たちは去年の頭ごろから同棲生活を始め、夏にプロポーズしてもらい、秋に結婚。日本ではない地での暮らし、家族や親友に会える距離にいない、言葉が通じない国での生活、一人暮らしの経験がなく不安いっぱいの家事、好きな人とはいえ赤の他人同士の同居、、、初めは不安いっぱいで、ストレスもあり、常にホームシック状態でした。喧嘩もしたことがなかったけれど増えてきました。
 しかし、それは今まで喧嘩したりストレスを感じるほど一緒に過ごすことができなかったからです。朝目覚めると必ず横に好きな人がいて、不慣れな手つきで家事をして、完璧じゃなくても必ず感謝の言葉をくれ、改めて「結婚っていいな」と感じるようになりました。これからもそう思える瞬間がたくさんあるように結婚生活を送りたいです。
23歳 女性のストーリー
先日、友人の結婚式に行ってきました。
留学時代の友人で、同期だったのですごく感慨深かったです。
学生時代のその子は、いつも賑やかでおしゃべり好きで、大人しめの私にも積極的に声をかけてくれた記憶があります。
良い子だけど、はっちゃけすぎてて、正直心配になるぐらいだったのですが、結婚式でのその子を見て思わず大人になったなぁ。嬉しいなぁ。なんて親目線で思っちゃいました。
旦那さんはすごく優しそうな人で、あぁこの子のことが大好きなんだなぁというのが感じられました。
お父さんのスピーチの時や、新婦入場の時も、本当に親御さんに感情移入してしまって思わずうるっときちゃいました。
一番印象的だったのは、ご両家の家族全員がお互いに仲が良さそうで、やっぱり結婚って家族ぐるみの付き合いになるんだなと思いました。
皆が仲が良くて、皆が幸せって本当に良いですよね。
それを見ながらしみじみ、結婚っていいなぁと思いました。

31歳 男性のストーリー
彼女との結婚を考えていた際いろいろな人に相談したところ返ってくる答えは「給料全部自分の好きに使えたのに今では決められた小遣いだけで辛い」だとか「家に帰っても家事と育児を手伝わなければならないから自分の趣味の時間なんかなくなる」という愚痴ばっかり。結婚しても辛いことばかりなら、、、となかなか結婚に踏みきれていませんでした。
しかし覚悟を決めいざ結婚したことでそれらの言葉の本当の意味が分かりました。
結婚して子供が生まれ、仕事が終わり3人で一緒に風呂に入り今日一日あったことを話し合う。そんなごく当たり前のありふれたことが幸せに感じます。
いざ自分の後輩に結婚ってどうですかと聞かれると上記のような愚痴ばかり言ってしまいます。それは結局幸せに感じる瞬間はいろいろあるものの、他人に話をするのはこそばゆいからです。愚痴を話した方が話しやすいからです。
私は普段の何気ないことで毎日幸せに感じますし、そのたびに結婚っていいなと思っています。
35歳 女性のストーリー
友達が震災で亡くなった時です。
彼女には、お子さんが1人いました。
彼女が亡くなって、悲しくて、辛かったのです。なんで。って思いました。お葬式でも、現実だと受け止めることができませんでした。人前で泣くのは苦手で、泣くことが出来ず、現実を受け止めることもできず、なんだかモヤモヤして、やる気もでず、何をしても楽しくない。1人になると彼女のことを考え、なんでなんだと。考えて悲しくなっていました。
そんな時に、旦那さんから家族写真をはがきにして送られてきました。その手紙に、彼女のことは忘れられません。彼女に心配かけないように笑顔で2人で生きていきます。って書いてありました。
それを見た時に、温かい気持ちになり、結婚っていいなぁって思いました。
27歳 女性のストーリー
25歳で結婚し、夫と2年間2人暮らしです。結婚して最も良いと感じている点は、新しい恋を探さなくて済むことです。世間では婚活、恋活と煽られ、若い人は盆正月に帰省するたびに彼氏はまだか、結婚はまだかとせかされるのが常でしょう。彼氏がいるからという理由でも良いのですが、社会的な契約により関係が認められるという点で交際と結婚は大きく異なります。家に帰ったら家庭がある、経済的・精神的に安定するという点でも結婚のメリットを感じています。金銭感覚や価値観が自分と似ていて、一緒にいて安心できる人と結婚できたのは自分の人生において最も幸運な出来事だったと思います。両親、兄弟、子供を選ぶことはできませんが、配偶者は唯一自分の意思で選ぶことのできる親族です。
53歳 女性のストーリー
旦那さんと結婚して早20年が過ぎましたが、旦那さんに飽きるということが一度もなく、ずーっと好きでいられるのが不思議だと思います。普通の就職だと転職を何度か経験しているので、結婚となると永久就職と一昔前は言われ、ずっと続けられるか不安はありましたが、自分自身他の人に転職する気が全く起こらなかったので、これから先も起こらないと思いますが、結婚っていいなあと思えます。安心して生活がおくれるのも旦那さんがいてくれるからだと思います。何か問題が起こっても、旦那さんがいざという時助けてくれるし、私も旦那さんが困っていることがあれば助けることができ、お互い持ちつもたれずの関係がちょうどいい具合にかみ合っていて、居心地がいい。
19000101歳 男性のストーリー
やっぱり家事を分担できることでしょうか。
個人的に家事が苦手なのでパートナーと一緒にやることで手間が半分になることはとても嬉しいです。
29歳 男性のストーリー
私が『結婚っていいな』と思った瞬間は、街中やイベント会場で見かける夫婦や子連れの家族を見かけた時です。

よくカップルを見かけた時にもそう思うとは言いますが、カップルはある意味互いに独立した個々人のグループになりますが、夫婦や子連れの家族ですと、彼らが一つの団体として互いに気遣い、助け合ったりしています。

そんな姿を見ていると、こちらまで暖かで穏やかな気持ちになるので、是非とも自分も同じような家族を作って、反対に自分たちを見ている人たちにも同じような気持ちになってほしいなと思います。

自分は今独り身ですが、特に外気が冷える季節になるとどうしても心まで冷え切ってしまうようで、特に秋~冬場の季節にそんな夫婦や子供連れの家族を見かけると『結婚っていいな……』と、思ってしまいます。
34歳 女性のストーリー
日々の生活の中でいつも思うことですが、一緒に生活を共にするパートナーが居るという事自体がまず、いいなと思えるのですが、特に結婚っていいなと思う瞬間はいくつかあります。
1つ目は、居場所です。
家が居にくくなってしまっていてはちょっと難しいですが、居心地の良い場所として感じられる場合、そこに自分の居場所があると感じられます。居場所がある安心感が、他のことも満たしてくれる事が多いので、居場所があるということは生活する上でとても大切なことだと思っています。
2つ目は安定感です。
収入的にも安定が得られたり、お互いが精神的な支えになることで、1人の時よりもより安定感が出てくるように感じられます。精神的な安定は、仕事や人間関係を円滑にするためにも必要なので、上手くいった時にはより、結婚して良かったと感じられてきます。
35歳 女性のストーリー
独身の時は部屋に帰ると真っ暗な部屋で何も聞こえてこなく一人でご飯をたべなくてはならないけど、夜遅くに仕事が終わって帰ると真っ暗の部屋ではなく電気の灯った部屋が外から見えるのはとても安心するし、寒い中帰ってきて部屋が暖かくしてくれていて明るい「おかえり」という声が聞こえてくること毎日の何気ない会話ができること、常に隣に誰かがいるということがこころに余裕がうまれいろんなことに意欲もでる。
一人で悩んでも違う考えや提案をしてくれることは新しい自分と向き合えたりそういった考え方もあるのだと思わせてくれることも二人でないとできないことだと思った。
独身だったら悩んで落ち込んで誰かに話したくてもできないけれど、いろんなことを話し合って成長できるのは結婚していないとできないなと思った。
一緒にご飯が食べれるのはとてもいいですね。
31歳 女性のストーリー
独身時代、結婚に関しては興味も全くありませんでした。付き合う人それぞれとも、結婚したいとも思わず、結婚したら自由じゃないというイメージだったので、私には無縁だと思っていました。
そんな折に妊娠が分かり、できちゃった婚になりますが、結婚することになり、最初は憂鬱でした。
でも、子供が産まれ、子育てをしていくうちに、辛いこと、イライラすること、自由に過ごせない日々は沢山ありましたが、子供の寝顔を見たり、家族みんなでテレビを見たり、そんな些細なことですら楽しく思えたんです。
独身の時には、1人で居ることが当たり前でしたが、幼稚園に預けている間に1人で家にいるだけでも、何故か寂しい気持ちになり、1人で過ごすことが出来なくなった時、家族の大切さがよく分かり、結婚するっていいなと実感しました。
32歳 女性のストーリー
今の夫とは学生時代からの付き合いで交際期間が8年ほどありました。夫が家を購入したことをきっかけに同棲が始まりました。長いこと付き合っていたので特に結婚しなければという意識もなくそのままお付き合いをしていたのですが妊娠が判明して籍を入れることになりました。付き合っていた頃となにも変わらないだろうと思っていたのですが、彼の両親との関係が始まったのが大きな違いでした。やはり結婚は家族とするものなのだと実感しました。彼の両親は非常に人間ができていて今では自分の親よりも尊敬していて、夫抜きで遊びに行くこともよくあります。とても話のわかる感覚の若い人たちで年上の友達ができたようで結婚前の何倍も毎日が楽しくなりました。
50歳 男性のストーリー
毎日、一緒に話せる人がいる。好きな時に一緒にお酒が飲める。旅行に行きたい時に、一緒に行く人を探す必要がない。体調不良の時に、お互いに助け合える。共稼ぎだと、経済的に余裕がある。自分の不得意分野をカバーしてくれる。気持ちが安らぐ。頼ったり頼られたりする人がいると、精神的に落ち着く。お互いの友達と知り合いになることで、人脈が広がる。週末や大型連休でも一人ぼっちじゃない。家事を分担して、自分で全部やらなくてもいい。他のご夫妻とも仲良くなれる。子供がいると、家族団欒ができて心が温まる。パートナーが明るいと自分も元気になれる。自分の知らなかった世界を教えてくれる。社会的に自分に自信が持てる。孤独感が無い。
43歳 男性のストーリー
新婚旅行でいったメキシコのカンクンが忘れられず、いつかもう一度行くと夫婦でずっと思っていました。子供たちも3人小学生、長男は来年中学生のこの時期が、家族で行くには一番のチャンスと意気込んで、大金をはたいていざ新婚旅行でいった思い出のカンクンに。もちろん、行きたかった場所、思い出の場所に行き、いい家族旅行だったはずが、自分の二度の不注意で台無しに。財布なくなり、携帯壊れ。。。
さすがに財布をなくし、携帯を壊したダブルショックから精神的にはかなり参ってしまい、放心状態に。子供たちからも責められ、自分の情けなさ、だらしなさ、甘さを身をもって知ったことで、落ち込みました。念願の2回目のカンクン旅行は一気に冷めたものに。これまで撮ってきた写真も入っていたことから思い出まで消してしまったと。流石の落ち込みように、子供たちから責められるパパをかばったのは妻でした。一番落ち込んでるのはパパなんだから、もういわないのと子供たちを一喝。このときばかりは妻の人間性にほんとに感謝、そしていつまでもふさぎこんでもしかたない、せっかくの機会、まだまだ楽しまないとと前向きになれました。いろいろありましたが、念願の世界遺産チチェンイッツァは、最高の家族の思い出の場所になりました。
29歳 女性のストーリー
長い遠距離から、やっとのことで結婚しました。
福岡、東京で遠く5年も離れていましたが、ずっとすぐに会いに行ける距離でもなくお金もかかり、一緒に居たくてもいれない寂しさが募ってましたが、結婚して同棲を始めました。
仕事の時間以外は、一緒にいれる時間は長いし、すぐに会えるし、一緒の空気をすえる。
そして、お互いの1番がお互いで、大切にしてされる感じがとてもいいです。
好きな時間を好きなだけ共有できて、同じ思い出を沢山共有出来るのも幸せです。
また、子供もできて新しい家族も増え、なおかつ幸せが増えました。色んな悩みも増え、喧嘩もいっぱいしますが、こんな当たり前は今まで考えれなかったので、結婚をして本当によかったなと思っています。
29歳 女性のストーリー
勤めている会社の方たちが、今までの呼び方が旧姓だったものが新姓に変わった時
結婚っていいなと思えました。

交際4年目に入り、遠距離恋愛を続けていた彼と同棲を始めました。
同棲初日にプロポーズを受け、
元々結婚を前提に同棲の計画を立てていたので即OKしました。

春にプロポーズを受けたのですが、籍は記念日に入れたい願望があり、
その年の秋に入籍しました。
それにより、春から勤めている会社では旧姓を名乗っていました。

籍を入れてしばらくの間は、今までの名前から変わることに違和感を覚えていたようで、同僚や私自身も旧姓を使って仕事を続けていました。
そんななか、普段の会話の中で結婚生活の話題も徐々に増えてくると、あるタイミングで急に同僚から新姓で呼ばれ始めました。

旧姓を名乗る機会がなくなる寂しさもありましたが、それ以上に、自分の好きな人と同じ名字で呼ばれるという状況が嬉しくて仕方がなかったです。

まだまだ新姓で呼ばれることに慣れていないのですが、当時呼ばれたシチュエーションも声色も鮮明に覚えているほど嬉しく、結婚っていいなと思えた瞬間でした。
29歳 女性のストーリー
私の親は昔から喧嘩ばかりしていて、私は絶対に結婚なんてしたくないと思っていました。今まで恋人はできたことはありますが、恋人といっても赤の他人ですし、その人と一生一緒に暮らしていかなければならないのかと思うと、嫌で嫌でたまらなくて、結婚までいくことはなかなかありませんでした。また一人でいることが好きなので、結婚願望はまったくありませんでした。
しかし、友達の結婚式に参加したとき、友達夫婦の幸せそうな雰囲気を見て、なんだか羨ましく感じました。またその後子供ができ、友達夫婦の子供に会いに行ってみると、とても可愛らしく、私も愛する人の子供が欲しいと思うようになりました。また今の彼氏は一緒にいてもなんだか落ち着く存在で、この人となら結婚したいなと最近思うようになりました。
56歳 女性のストーリー
結婚をしてよかったことは、いつも誰かがそばにいてくれて、いろいろな話を二人で話し合い、これから先の人生を二人で一緒に歩んでいけるのがとてもうれしいなと思いました。結婚すると 付き合っていた頃にはわからなかったいろいろな夫の癖や好き嫌い、性格や、趣味、嗜好 食事の好き嫌い 仕事に対する思いや お給料 ボーナス これから先どうしたいのかなどがわかり ある程度の妥協をしたり 受け入れたりすることで 結婚生活は続いていくのだと思っています。いろいろなことがありますが、愛する人と一緒にこれから先の未来の人生を歩めるということは とても意義があり 幸せで 結婚指輪を見るたびに 結婚式のことを思い出し 改めて頑張ってふたりでやっていこうと思います。
28歳 女性のストーリー
両親が早くになくなり、長い間一人暮らしをしてました。そんな中結婚して一人暮らしから二人暮らしへなった時、普段はどうしようもなく腹が立ちます。
イライラします。なんでも二人分になってしまったし、何もしてくれないし、寝てばかりだし、なんでこんな人と結婚したんだか?と疑問ばかり。
でも、私が体調が悪くなって入院したのをきっかけに、何も言わずして手伝いや家事を代わりにしてくれました。また記念日には感謝の手紙を貰ったりとふいに感謝を伝えてくれるようになりました。
あの時、入院したのがきっかけにしても私にとっては嬉しかったです。
普段は、何もしないのは変わりないけどキチンと見ていてくれているのだなと感じることが出来て良かったと思います。
34歳 女性のストーリー
夫と付き合ってる時から仲は良かったのですが、結婚してからはラブラブ度は減ったかもしれないけど一緒にいて落ち着く関係になれた事が嬉しいです。
自分の身内以外で自分のことをよく知っていてくれる人がいる事、反対に身内以外でよく知っている相手がいるという事は、心の支えになるし、1人だったら頑張れなかったことも家族がいるから頑張ろうと思えるようになりました。
もちろん1人になりたい時もあるけど、遅く帰ってきた時や落ち込んでる時は、家に誰かがいてくれるのがすごくありがたいと思うし、嬉しい時は一緒に喜んでくれる人がいて。自分と一緒に生きていってくれる人がいるという事がとても心強くて、結婚してよかったなと思います。
39歳 男性のストーリー
結婚して干支1周りしてしまいましたが、結婚前では思えなかった感情がこの間に生まれています。当時は実感もなければその後のイメージもわかない。自分にそうした時がくるのかとわからなかった時期でもありました。

紆余曲折を経て実際に結婚するとそこからは「ジェットコースター」のように時間が流れ、出来事が起きています。子供も手がかかるもののようやく少しは落ち着いて自分のことを考える時間は少しはできるようになりました。

その時にふとこれまでのことを思い返すことがあり、なんとなくぼんやりとしていたのですが、不思議と大変ではあったものの「苦」ではないとも思えたことでした。

もちろん、自分が充実していると思えたのは妻の支えもあったことだと思いますが、自分のことを本当に理解してくれている人物と出会えたのは本当に幸運だったと思いますし、恵まれているとも思えています。

結婚という大きな意思を決めなければこのように思うこともなかったでしょうし、少なくとも自分にとっては本当に良かったと思えています。
31歳 男性のストーリー
結婚については、良いパートナーと巡り合えず諦めているのが現状です。

仕事と一人暮らしのアパートの往復だけで、人生に刺激もなく
また、守るべきも特になく毎日ダラダラしているのが現状です。
「守るべきものが無い」と言うのは自分の考えでは人生に大きく左右するものだと考えております。
理由としましては「もっと安定したした仕事。楽な暮らし。喜ばせたい。」等、常に向上心を持ち人生を歩んでる方が多いかと自分は思うからです。

そんな中、自分の年齢だと周りの同級生等はほとんど結婚しており
年賀状等にも子供が産まれた等の写真があったりと
進展のお話を聞いて羨ましく感じます。
そういった考えや出来事があり、自分の中では「結婚とはいいな」と思った瞬間とさせて頂きます。
28歳 女性のストーリー
彼氏と付き合って5年で結婚しました。結婚して最初は結婚式や引っ越しの準備でバタバタして大変でした。一緒に住み始めたとき、今まで別々に住んでいたので、朝起きたときに顔が見れるは嬉しいと思いました。喧嘩も些細なことでよくしますが、お互いとことん話し合い喧嘩する前より仲良くなれます。辛いことがあった時はいつでもそばにいれるのはありがたいなと思います。
家事は共働きなので分担しています。休みの日は一緒に出掛けたりしています。私は料理をするのが好きなので、作った料理を美味しいと言って食べてくれる主人を見ていると結婚っていいなと思いました。もちろん、良いことばかりではないですが、それも含めて好きな人と一緒結婚でき、過ごすのが楽しいです。
56歳 男性のストーリー
自分はルックスも悪く、お金もない男だったが、唯一、勤務先だけは安定していて自慢できるものであった。ある時、職場の男友達と合コンへ行き、素敵な女性と出会った。しかし、女性は最近、元彼と別れたばかりで、まだ新しい彼を作る気にならないとのことだった。自分はこのチャンスを逃すまいと、必死に口説き何とか彼女になってもらった。それから会社もつぶれることもなく、彼女と結婚し、子供にも恵まれ30年が経った。この間、いいこと悪いこと色々あったが、振り返ると妻がきちんと自分のことをフォローしてくれたから、今の自分が存在しているのだと思う。こうしたことは結婚しなければ味わえない喜びであり、残された人生も妻とともに仲良く歩んでいきたい。
46歳 男性のストーリー
 独身で独り暮らしをしていると、男性の場合は夕食等が外食になる傾向が多いです。外食では一般的に揚げ物系統や中華料理など油物が多く、量も多いため気を付けなければ体重が増加して健康診断でも引っかかることが多いです。また、冬は寒く夏は暑い部屋に一人で帰ることになります。洗濯物を一人でし、一通り家事が終わればパソコンなどで時間をつぶす。話し相手もいない部屋だとテレビを見ながらゴロゴロといった寂しい生活です。
 そのような中、結婚すると外食の機会が減り、手作りの温かみのある料理に囲まれます。また、煮物や味噌汁など、和食等も用意してくれ、味付けも塩分控えめなど健康に気を付けてくれるのが良いと思います。そして何よりも、帰宅して第一にすることが部屋の電気をつけることではない点、そして楽しかったことや腹が立つことなど、一日に起こった出来事を共有できる人がいる事がが結婚して良いなと感じたところです。
 
29歳 女性のストーリー
ひとりの時間がもともと好きなのもあり、暇な時間を自由に使えること。カフェしたり買い物したり、知らない駅や場所を開拓したり。人見知りじゃないので喋りたいときは店員さんや始めてお会いしたひととも喋れるので誰か捕まえて話します。
恋人のために何かをしたり喧嘩や悩みも恋愛経験の楽しみのひとつだけど、いまはその動力が無駄かなって。結婚はもちろんのこと、浮気とか不倫もめんどくさいし。自分がするのも相手に浮気されてもめるのも。恋愛体質でもないからしばらくはいいかなぁって。仕事が充実してて友だちとも適度に会える独身っていいなって最近実感してます。周りは結婚と妊娠出産ラッシュ。ご祝儀貧乏は嫌だけど笑、独身生活が楽しいので良いかなって30目前で感じてます。
31歳 男性のストーリー
独身の時には味わうことのなかった嬉しいこと、楽しいことを共に共有できたときに結婚っていいなとしみじみ感じます。
例えば、週末の朝にコーヒーが上手く炒れることができ、それを飲んだ妻が美味しいと笑顔になってくれるだけで、何気ない日常が幸せだなと感じれるようになります。これは結婚したからこそ感じる感情です。
また、逆に仕事で辛いことに遭遇した時も、家に返ってから「今日こんなことがあった」と話を妻にして聞いてもらえること、そして慰めてもらえると、「こんなことで落ち込んでいてはダメだ」、と辛いことも半分減ったような気持ちになれます。嬉しいこと、楽しいことは倍に、辛いこと、悲しいことは半分に、それが結婚をしてからいいなと思った出来事です。
23歳 女性のストーリー
結婚のいいなと思ったところはやっぱり、好きな人とずっと一緒に居れるところです。
付き合っている頃はお互い忙しく会う回数も月に1.2回でした。
いつも寂しい思いをしていましたが、我慢していました。結婚した今では、毎日朝、帰ってきてから好きな人と一緒に居れるわけです。
仕事も家事も主人のために頑張れます。休みの日には二人で遠出をしたり旅に出たり近所に買い物に行ったり。
そんな些細な事でも幸せを感じられます。
結婚記念日や、お互いの誕生日にお祝いをして皆んなから祝福されとても幸せです。
独身の頃はいつも寂しく、結婚に対する焦り等もありました。
このまま独りで生きていくのではないかと思っていたときもありました。
結婚してからは生活が豊かになり、毎日がとても幸せです。
40歳 男性のストーリー
私が結婚っていいなと思った瞬間は、小さな子供を連れている夫婦が子供を真ん中にして楽しそうに手を繋いで歩いている姿を見た時です。家族で幸せそうにしている姿とも言えるのかもしれませんが、微笑ましい光景を見ていると自分も結婚して家族を持ちたいという気持ちになります。
結婚して家族がいる人からすれば、家族揃って皆でどこかへ出かけるというのは当たり前の事かもしれませんが、独身で独り身の私からすればとても羨ましいというか私もいつかこうなりたいなと思わされます。
もちろん結婚というのは楽しい事ばかりではなくて色々と大変な事もあると思いますが、家族皆で楽しそうな姿を見ていると私も好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたいと思います。
51歳 女性のストーリー
3年前に乳癌が見つかり、休職して手術、抗がん剤治療をしました。脇の下に転移があったので再発の心配があり、それを抑えるためのホルモン治療をしていますが不安な日々が続いています。
主治医から、再発を防ぐにはストレスのない生活をするようにとのアドバイスをされたのですが、私の仕事は精神的ストレスの大きいところなので復帰していいものか悩んでいました。かといって辞めてしまったら経済的な心配もあるしと。
そんな時主人が「仕事を辞めてゆっくり療養すればいい」と言ってくれたのです。「なんとか2人で生活できるだけは俺ひとりで稼ぐから」と。
私ひとりで生きていたら仕事なしではやっていけなかったです。結婚していて本当に良かったとこのとき心から思いました。主人に感謝です。
35歳 男性のストーリー
結婚してよかったと思えるのは、仕事が終わって家に帰った瞬間です。
子どもたちがお昼寝から起きているときは、走って玄関まで出迎えに来てくれます。その瞬間から仕事の疲れも吹き飛びますし、自分に甘えに来てくれる娘が可愛くて仕方ありません。
妻は家事をしながらですが、おかえり~と何気なく言ってくれるだけで家族なんだなと実感できます。妻をおさわりしにいこうとしますが娘たちが目を光らせており、それを防ぐために一攻防するのも楽しみの一つです。妻は嫌がる何よとはいいながらもおさわりさせてくれるので嫌われてはいないなぁと実感できているのも夫婦・家族であることの幸せを実感できているのだと思います。娘が大きくなっても無視はされないようにいろいろな手段を考えるのが今の楽しみです。
51歳 女性のストーリー
 近所に母の姉(伯母)家族が住んでおり、そこへ遊びに行くと伯母が決まっていろいろな料理を作って出してくれたりしました。
 母もかなり完璧な専業主婦でしたがチョット変わっていて、自分は親戚の家に行くのに自分の家には親戚を入れなかったり、掃除・洗濯など他の家事ははこなすけど料理を作ることだけはあまりしませんでした…。なので夕飯はてんやものだったり買ってきた惣菜だったりという食卓でした。完璧な母ではありましたがその一点だけ「どうして料理下手でもないのにやらないのか」は理由は分からず「家庭の味」を殆ど経験することがなかったわたし。
 伯母の家に行くと母が良くスーパーなどで買うようなお惣菜を素材から手作りしていることから家庭料理に憧れていました。今思えばスーパーで売っているのですから家で作れて当然なのですが…、「豆の含め煮」とか「切干大根」とかって買ってくるものじゃなくて家庭でも作れるものなんだなァ…と思った瞬間、自分は早く結婚して家族に美味しい家庭料理を提供したいって強い結婚願望が芽生えました。
 まぁ一人暮らしや独身でもできなくはないんでしょうがやはり家庭料理は手間もかかるしそういった意味で「結婚っていいなぁー」って感じていたわたしでした。
54歳 男性のストーリー
妻と結婚して25年を迎えます。
妻との結婚のきっかけは、私の実家の隣のおじいさんが世話好きな人で、その人の紹介によるものでした。
その頃の私は、北海道で教員を始めて3年目で、日々の仕事で心が荒み始め、一人で生活していると気が狂いそうな毎日でした。とにかく忙しく、家に帰ると誰かがいて、話を聞いてくれる人を求めていました。
そんな中での紹介でした。
相手は、実家の近所の三姉妹の長女、その女性よりお母さんの方をよく知っていて、安心してつき合いを始めることができました。
一緒に生活してみて、自分の至らない点をフォローしてくれたりして、生活に余裕ができ、仕事に対して余裕を持って取り組めるようになり、周りから結婚して変わったな、と言われるようになりました。
しかし、子供が生まれ妻に余裕がなくなると、フォローが悪態に変わり、家に帰りたくなくなりました。
それでも、私が職場でイジメを受けて、職場に足が向かなくなった時、支えてくれたのが妻でした。鬱と診断され長期で休まねばならなかった私が短期間で回復できたのは妻のおかげです。
独身の頃は、結婚にはあまり関心がなく、話しのできる程度の人しか求めていませんでしたが、結婚して、改めて、自分の危機を救ってくれたりと、生涯の伴侶を実感しています。
35歳 男性のストーリー
私の結婚っていいなと思った瞬間は、仕事にやりがいが出たことです。
独身時代は自分の趣味や自分の貯金のために働いてきましたが、やはり全ては自分が中心であり自分がそれをいらないと思えばいつでも辞められる状態でした。
しかし結婚をして初めて給料を妻が手にした時、心からありがとうを言ってくれた時に改めて仕事へのやりがいや会社への感謝が湧きました。
つまりは人は誰かのためにということでしか本気にはなれないということだと思います。
誰かの人生を自分の人生に重ねた時、本当に感謝を感じながら自らの人生を全うできるということを結婚してから学ばせてもらいました。
結婚とは感謝から得ることのできる最高の条件だと思います。
妻に心からありがとうと言いたいです。
29歳 女性のストーリー
結婚して2年が経ちました、結婚したきっかけは出会い系サイトで出会った人と勢いで半年お付き合いしたのに、半年同棲したあとに結婚しました。最近子供を授かり自分のことよりも子供のことを考えて行動することが中心となってきました。好きな食べ物を食べるのではなく、健康第一で栄養価が高いもの、少しでも時間があれば今後の資金繰りやお金を増やす方法を考えています。ふと辛く思う日もありますが、主人が一緒に考え、共に実行してくれる人でした。健康のためのお散歩は基本的に一緒に行ってくれ、急に薄味に変更した私の料理もきっと美味しく感じていないのに美味しいと言ってくれて、きっと一人では続かなかったことが続けられていること自分が変われたことを考えると、勢い尽くしで結婚したけど結果として結婚してよかったと思えます。
30歳 女性のストーリー
私は、5年前に結婚し、今では3人の元気な子どもたちがいます。主人とは短大のころから知り合いでその頃は付き合っていなかったので、今こうして結婚して子どもがいることが不思議だと主人が話します。

私たちは授かり婚ですが、結婚に踏み切る機会を得ることができたと思います。
プロポーズ直前に判明し、主人のプロポーズ作戦を台無しにしてしまった事は、今では笑い話です。日に日に成長していくお腹の子を2人であーでもないこーでもないと名前を考えたり、話しかけたりと楽しい日々を過ごし、出産。
出てきた赤ちゃんを薄ら涙を浮かべ笑っている主人を見たときは、とても幸せを感じました。
その後、さらに2人の子どもに恵まれ、子どもと楽しく遊ぶ主人を見ていると結婚て良いなと思います。
41歳 女性のストーリー
私は20代前半に、パニック障害、鬱、摂食障害になりました。その頃、父の不倫から両親の離婚問題に発展し、家族や親戚を巻き込み耐え難い日々を過ごしていました。
もともと不仲で物心ついた時には既に家庭内別居状態でいつ離婚してもおかしくない状況が続いていて、なるべくしてなった感じなのですが。。
当時、私は保育士の仕事をしており、ちょうど子育て支援事業を任されていた時期でもありました。子育てに大事な事は何か、親子の絆や愛着関係の大切さ等、深く学ぶ機会が多く、学んでいくうちに両親の不仲なのに自分はなぜ生まれてきてしまったのか。自分は生まれてくる価値のある人間なのか。と思い悩むようになりました。
自分に生きるか価値を見出せなくなり、自暴自棄になって自殺願望まで出てきてしまった私を救ってくれたのが主人でした。主人は、私を育て直してくれました。当時は彼氏でしたが、本来あるべき親のようにどんな私でも受け入れて認めてくれ、沢山の愛情を注いでくれました。私を奈落の底から救い上げてくれた主人、鬱もパニックも摂食障害も完全ではないけど、結婚をしてから穏やか日々を過ごす中で発作や症状もほぼ出なくなって10数年経ちます。この人と結婚できて本当に良かったなと毎日感謝して過ごしています。
59歳 女性のストーリー
今は結婚観も多様な時代。結婚するかしないかはそれぞれが考え決めればいいと思う。
ただ、一生独身というのは若い時はいいけれど歳を重ねるにつれ寂しい気がします。
私は夫と二人暮らしで、今はいい夫婦関係が築けていると感じます。
結婚したての時はとにかく忙しく、新婚気分に浸る余裕なんてありませんでした。
夫の仕事は多忙、私も仕事を持っていてお互いが時間に追われていましたが、今から12年前に夫は転職し、以前のような忙しさもなく私も時間に余裕が出てきて、休日には外食したりカラオケに出かけたり、特別な事ではありませんが、二人の時間を取る様に心掛けています。そう!つまり共有出来る時間があり結婚してよかったと感じます。
29歳 女性のストーリー
私は結婚して2年になります。今の旦那さんとは恋愛を5年して結婚しました。恋愛している時はしている時で楽しかったのですが、結婚すると一緒にいる時間が長くなりより旦那さんの事を知る事ができます。独身時代は、自分の為に何かをする事が主になりましたが、結婚すると誰かの為に何かをしたいと思う事が増え、毎日充実しています。結婚すると、独身時代とは違い時間やお金に制約は出来ますが楽しく毎日を過ごしています。また、結婚するとお互いの両親や兄弟とのお付き合いが増え、家族が増える感覚はとても楽しいし新鮮です。今までは、彼氏・彼女だったので見栄を張ったり飾ったりして自分を良く見せる事を考えていましたが結婚して素の自分を出せている気がします。
33歳 女性のストーリー
一人だったら諦めているだろうなってことも、結婚して家族がいるとみんなで乗り越えられる所。
毎日「いってきます」と「ただいま」を言ったら「いってらっしゃい」「おかえり」と、言葉が返ってくる所。
仕事で嫌なことがあっても、家に帰ったら笑顔の家族が待っていてくれて自分を必要としてくれる所。
一人ではいけないレストランや、アミューズメントやテーマパークも家族がいると盛り上がるしとても楽しい所。
具合が悪い時は、看病してもらえる所。
どちらかが忙しかったら、お互いに家事や育児をサポートしあえる事。
何より、好きな人との可愛い子どもを産めて幸せ。
そして、子どもの成長を一緒にそばで見守ってあげられる事。
家に帰ったら、一人じゃないってホッとする事。
19歳 男性のストーリー
近くの公園で保育園の遠足を見たとき。歩道橋から電車を見る子、前日降った雨の水溜まりで泥遊びをする子、道具の取り合いで喧嘩して、泣きわめいている子。大人に忘れてしまった純粋なキラキラした心、キラキラした目。思わず立ち止まってしまった。自分のしたいことをただひたすらに、楽しいことをただひたすらに。もうすべてを忘れて、自分は何を生き急いでいたのかと思い返した。時間に追われ、課題に追われる毎日。そのピュアな心に触れたとき、なぜだか心がふわっとして、今まで結婚なんて微塵も考えてなっかた私でさえも、家庭を築きたいと思ってしまった。そして、自分の本当に愛した人とその子供と一緒にこの公園で遠足をするのが今の私の夢である。

「独身っていいなと思った瞬間」

28歳 女性のストーリー
20代後半の女です。独身の時は結婚願望が人よりも強く早く結婚したいと思っていました。
そんな事を考えていた最中、今の旦那さんと出会いました。そして交際期間1年未満で婚約しました。
当時はこの人と結婚してこれから一生幸せな生活を暮らせるんだろうなと思っていました。
しかし、私が考えていた結婚生活が甘い考えだったと言うことを気付かされました。
料理が苦手だった私は旦那の健康の事を考えながら毎日違うご飯を作る事にとても苦労しています。 独身の時は自分しか食べないので、適当にすませていたのですが。。
また今まで自分の為だけに使っていたお金も2人の物となるのです。
自分のお気に入りのやや高いのシャンプーや美容院を安いコスパの良いものに替えたり服を買うのも我慢することが増えました。
また友人と遊びに行くときも旦那の許可をもらい限られた時間とお金で遊ぶ事に窮屈感を覚えました。
まだまだ自分のやりたいことや楽しみたい事もたくさんあります。特に友人と遊ぶことがとても楽しく感じていたので、急に自由がなくなった気持ちで、まだ独身でも良かったなと思う時があります。
25歳 男性のストーリー
私は25歳になり、高校や大学時代の友達の結婚ラッシュが始まってきました。そして、結婚した友達に結婚後の話を聞く機会も多く、いろんな話を聞くのですが、口々にみんなこういいます。「結婚はいいかもしれないが、お金を非常に使うし、自分の時間もなくなってしまう」と。結婚すると新しい生活も始まり、子供も生まれたりすることがほとんどなので、お金と時間を使わざるをえない状況になります。確かにはたから見ると結婚は幸せに見えるかもしれません。しかし、実際に結婚した人の話をこのように聞いてみると、様々な苦労があり、大変なようです。対して私は独身で結婚もしておらず、実家で暮らしているため、働いたお金は自分だけのために使えるし、時間も自由に使える。こんな幸せなことはありません。私は結婚して今のこの生活がなくなるくらいなら、結婚しないほうがましです。自分の時間とお金がある独身は素晴らしいですね。子供があまり好きではない、ということもそう思える理由なのかもしれません。私が子供好きなら、もしかすると子供が欲しくて結婚したい、となっていたかもしれません。
30歳 女性のストーリー
結婚した友人の話を聞いていると、旦那さんに対する愚痴や自由な時間が制限されてしまうことに対する話をよく聞かされるので、独身だとそのような悩みもないので良いなと思いました。
独身なら、自分の好きなように動けるし、相手のことを考えなくて済むし、自由な時間が多く自分にかけられる時間やお金が、既婚者より多いと思います。また、相手に対する怒りや悩みもないため、その分ストレスも独身の方が少なくて済むような気がしました。
結婚している友人は、なかなか自由な時間がなさそうなので、独身の自由な時間を大切にしたいと思います。友人が晩ご飯のことを気にしているのを聴くと、ご飯のことなども独身だと適当で済むので楽だなと感じました。
28歳 男性のストーリー
私は現在独身ですが友達は結婚している人が多いです。
友達は家事の仕方や料理の味付けについて奥さんと揉めることがしょっちゅうでイライラするそうです。自分は一人暮らしなので完全に行動がフリー。
洗濯を好きなときにして、好きなときに掃除する。その出来不出来に文句をつける人は誰もいません。
料理に関しても自炊をほとんどしないのでその日食べたいものをスーパーやコンビニて買ってきてアニメや映画を見ながら食べる生活を続けています。
とても精神的に楽で、どうして結婚なんかするのか理解に苦しむくらいです。
確かに子供はほしいですが、今の自由で精神的に恵まれた生活を手放すことはできません。独身の良いところは仕事に帰ってからの時間を全部自分のために使えることだと思います。
39歳 女性のストーリー
友人や妹、周囲の女性たちが結婚し妊娠出産を経て、自分の時間がなくなっただけでなく、経済的にも困窮してしまったり、義実家、とくに姑との問題に巻き込まれて苦しんでいる姿、さらには育児に追われているのを目の当たりにしたとき、私は独身でよかったなと安堵することが多々あります。とくに、私は専業主婦の座を勝ち取って、永久就職したのと高をくくっていた女友だちが、旦那の突然の失業でパートを掛け持ちしなければならなくなったのを見ていると、なんだか憐れに思えてしまいました。人任せで生きていけるほど世の中甘くはありません。それにこれからの日本、決して希望が持てる要素がないのに、そんなところに子供を産み落としたことに対する義務感や責任を感じてほしい、そしてその責務を全うしてもらいたいといった気持ちでいっぱいになります。ややこしい問題もなく、自分一人が生きていければいいだけの自由な独身の私の選択は、ある意味では大正解だったのではないかと思う今日このごろです。
39歳 男性のストーリー
現在私は,結婚10年経過しました。
子どもは2人いて,共に小学生です。
私は会社員で妻はパート勤めで,仕事帰りは家事を分担するというその生活が日常となっています。

その中で独身がいいなと思った瞬間は,会社の飲み会です。
仕事後は,家事を妻と分担するために,お互いに役割があるため,
会社の飲み会が急遽入ると,子どもの面倒や炊事など妻の負担が多くなってしまいます。
そのため,会社の先輩や後輩に飲みに誘われると,すぐに即決できないことが多々あります。
独身の時は,徹夜で飲み屋にいることもありましたが,今はそれが出来ないのがとてもつらいです。最近では,先輩,後輩が気を遣ってだいぶん先の日時で都合をつけといてと言われますが,そのうち誘われなくなるんだろうなと危惧しています。
27歳 女性のストーリー
私は2歳の娘が居ます。
友達は結婚している子は少なく、独身で趣味に没頭している子達が多いです。
私も元々、趣味に没頭していて、独身を謳歌していました。
その為、独身の友達のTwitterや、Instagramを見る度に羨ましく思います。
特に、私が好きだった物の大イベントがある時には、かなり羨ましく思います。
イベントは大体平日が多いので、1人で出掛けることも出来ません。
かといって、子どもを何処かに一時保育させる事もお金が勿体無いと思ってしまいます。
独身の時と違い、お金を使うのにも躊躇してしまいます。
そんなお金に関しても、友達はよく外食したり、ディズニーランドへ行ったりして散財しています。
これも良いなあと思います。
でも、その反面友達は生活が安定していなく、仕事もなあなあなので、何だかなあとも思います。
32歳 男性のストーリー
私は生まれてこのかた恋人や配偶者がいませんでした。
ですが、そのことを悪いと思ったことはありませんでした。
なぜなら、クリスマスや誕生日などのイベント日にわざわざ恋人や配偶者に時間やお金を割かなければならなくなり、自分にとってやりたいこと、やらなければならないことができなくなってしまうからです。

また、恋人や配偶者ができてしまうとその人たちとの時間や関係が大事になってしまい、それらを失うことが怖くなります。
そうするとそれらを守るために不必要な行動(プレゼントを買ったり、大事な記念日を覚えなければならない、など)が発生してしまい、自分の人生において余分なリソースを割く必要が出てきます。

そうしたことを考えていくと、ああ、独身っていいなと街中でイチャつく人たちを見て思いました。
31歳 女性のストーリー
年末年始に実家に帰りました。私は今は都会に出ていますが、元々は田舎出身です。本当に田舎なので、田舎に残っている友人たちは誰も残らず皆結婚していて、子供もいます。
そんな友人たちと年末年始にランチへ行きました。どの子にも結婚するにはどうしたらいいのか聞いてみました。すると皆口を揃えて、結婚は妥協と勢いと言っていました。そんな友人たちは誰も幸せそうには見えません。口を開けば旦那や旦那家族の悪口。
私は30歳で独身です。ずっと片思いしている人がいます。
田舎の友人たちから見るときっと私はかわいそうに見えるでしょう。でも、本当に心から好きと思えない人と結婚して残り50年生きていくよりは、大好きな人をどれだけ小さいとしてもその可能性をかけて思い続けて生きている今の私の方が幸せに感じました。
29歳 男性のストーリー
もちろん年齢も年齢ですので、何名かの女性とお付き合いしたことはあります。
そこで、交際していた時分と独身である時分を比較して
とにもかくにも、第一と言えるのは、お金が自由に使えること

時間も加えようかと思いましたが、時間は二人で共有しているものであるため
独身の方が良いという点には該当しないと思い、今回はあえて除外しました

お金に関しても確かに割り勘だったり奢ったり、時間と共に共有しているものであるかもしれません
ただ、中には趣味などに使うお金を節約して恋人に使う、なんて方も少なくないと思います。
その点独身であると、まずデートでかかるお金を計算しなくていい上に、自分の趣味や生活のために使うことが出来ます。

趣味が共通しているような恋人であっても、食事や旅行での宿泊代など
お金はまず付きまとってきます。
もちろんお金と共に愛も提供し合うものなので、全て相手のために消費するというわけではありません。
しかし、相手に提供しない分、自分への投資もできる。

お金の使い方は、独身になると『自分のために幅広く使えるようになる』ものだと考えています。
50歳 女性のストーリー
今年で50歳になります。
20代前半で、心肺停止状態の病気をして以来、結婚というのもを諦めました。
お付き合いしていた方には、母から相手に対して、「ご自分の人生を歩いて下さい。」と私がまだ、意識が戻らない時に言ったとの事で、それ以来、障害者となり、普通の人とは違う人生を歩むようになりました。
しかし、私が大好きなプロ野球の応援を自分の好きな時に自由に応援に行くことは出来ます。体が人より不自由ではありますが、自由な時間があります。
昔からの友人と一緒に行くときもありますが、彼女も結婚はしているものの子どもがいない為、ご主人も理解の上、はしゃげますが、やはり、余りいつもいつも誘えることは出来ません。
ですので、結構、1人で球場に観戦に行きます。
すると、同じファン同士、顔見知りになったり、球場のスタッフさんとも顔見知りになり、選手のシールなどをもらったりと得することも多々あります。
もちろん、健康な体で、結婚をして、旦那さんも同じファンで球場に応援に行くというのが、私の夢でもありましたが、自由な時間を取れるのは、「最高だな!」と思います。
45歳 女性のストーリー
40代、独身です。好きな職業、好きな人に囲まれてようやく生きられるようになりました。この環境を手に入れた瞬間、独身で良かったと思いました。なぜなら、もし自分を自分で満たす術を知らずに私が結婚したとしたら、おそらく自分も相手も大切にすることができずに結婚生活は破綻していたでしょう。人によってさまざまな順番で学びというのはやってきますが、結婚という学びはおそらく私にとっては今のタイミングではないか、必要のないことなのだと思います。自分自身を満たし、周囲の人たちを満たす。その基本的なサイクルができたことで本当の意味で独身でも、結婚していてもどちらでも良いのだと本当の意味で思えるようになりました。導きに感謝しています。
25歳 男性のストーリー
一人で自由に使えるお金を確保した瞬間に思います。そのお金で自由に何買っても怒られませんし、子供のころ欲しかったものを大人買いしても誰にも咎まれないので漫画アニメゲーム映画フィギュアに使っています。また、一人なので何を食べても良いので、夜一人カップラーメンを自由に食べるときにも感じます。健康のことをいちいちゆう人がいないのでお菓子や不健康なファストフードを食べるのも自由なのが良いです。さらに、一人なのでいつも一番風呂です。夜一番風呂に入っている瞬間に感じます。入浴剤を多めに入れても誰も怒りませんし、長風呂しても誰にも叱られません。どんなに遅い時間でも早い時間でも自由な時間にお風呂に入ることもできます。
50歳 男性のストーリー
一番良いと思う事は結婚してる人達は職場や社会で気を遣い、我慢しなければならない事が山ほどあるのに、家庭を持てば家の中でも我慢しないといけないし、たまの休みも結婚してれば疲れていてもゆっくり寝てる訳にもいかないし、家族サービスもしないといけない。
これが独身なら疲れてたら、寝たかったら寝てればいいし、出かけたくなかったらでかけなくていい。
とにかく結婚している人達はあれやこれやの制約や我慢をしないといけない事やそういう場面が多すぎる。
それから独身なら生活費は自分一人の分だけでいい。お金も自由に使える額が大きいから、遊びや飲み食いや買い物でストレスを発散する事が出来るし、自分一人の時間や空間が保証されているが、結婚してる人にはそれすら十分ではない。
何が楽しいのか?と思う。


45歳 男性のストーリー
お相手の事を気にする、気を使うことが無いので自分の好きなように時間を過ごせることが独身でいいなと思っています。例えば今週末は1泊2日の観光旅行したいなって思い立ったら、遠慮なく行動できます。観光ルートや宿泊先のホテルの事も自分で決めて楽しめます。束縛されないで遠慮なく観光を楽しんでいるひと時はまさに「独身っていいな」ってつくづく感じます。購入する車も他を気にすることなく自分で選べるから、選べる幅もとても広がります。私はスポーツカー好きなので、2シーターのオープンカーに乗っています。これも独身だからこそ隣に乗るお相手を考慮することがないので、車に乗って楽しむ時間を存分に満喫できます。春や涼しい頃の初夏の晴天の日にオープンカーに乗って、その時の季節を感じながら走るときの喜びを得るたびに独身でよかったと感じます。
30歳 女性のストーリー
1人暮らしなので、誰にも干渉されることなく過ごせるときは、独身で良かったと思います。例えば、最近結婚した友達は、お盆に旦那さんの実家に行き、気を遣い休みが逆に疲れたと言っていました。その点、独身だと誰かの家に帰らないといけないということもなく、気を遣うこともなく、自由に休みを過ごせることができました。また、仕事で疲れた時や1人になりたいときに、子供がいる友達は、なかなか1人になれず、気持ちのリセットができないと言っていました。しかし、独身だと1人でふらふらでかけることができたり、映画を見たりと時間を気にせず過ごせます。
もう1つは、金銭面です。結婚するとどうしても夫婦のお金になるので、自由に好きなものを買うことができないとよく聞きます。その点、独身の間は誰かに許可をえずともほしいものが買えるので、独身でよかったと思います。
38歳 女性のストーリー
今現在趣味をもっています。イラストを書いたり、粘土で動物を作ったりと完全インドアな趣味です。また創作活動なので、1人で集中できる時間が何よりも大事で、今では音楽を聞きながら自分の世界にこもるのがストレス解消になっています。職場にも同じような趣味が絵描きの人がいますが、その人は既婚者で子供が2人います。夫は仕事が忙しいようで、家庭のことはその人がほとんど一人でやっています。結局自分の時間がもてるのは子供が寝てからとか、子供を学校に見送って自分が出勤するまでのわずかな時間だそうです。それを聞いた時、自分の時間を自分のためだけに使える独身は気が楽だと思いました。ちなみに自分には彼氏がいますが、似たような趣味を持っていて一人で過ごす時間はお互い苦にならず、お互いに邪魔し合わない距離を有しているのでとても助かっています。
31歳 男性のストーリー
結婚してみてからわかる、独身っていいなと思った瞬間がいくつもあります。

まずは自分の時間が持てるということです。夫婦で生活を共にすると、団らんの時間を過ごしたり、会話を楽しむなどの何かと時間を共有したりすることがあったり、食材や家電製品の買い物などの夫婦”共同”のものやことに時間を割かれたりします。

また、時間だけではなく、お金の部分においても夫婦ゆえに自由が利かなくなってくることもあります。
例えば買い物。食材はもとい、家電製品や自分では『いらないかなぁ……』と思うようなものでも配偶者の方が必要と言えば買わなくてはならなくなったりなど、独身の時以上に複雑な家計管理が必要になります。
当然、人数が増えますので住居にかかる費用や水光熱費などの費用も増えてしまうため、より難しくなります。

結婚して振り返ってみて改めて、独身の時はなんて自由だったんだと改めていいなと思う瞬間でした。
27歳 女性のストーリー
現在2児の母をしていますが、独身がいいなと感じるところは自分のペースで時間、お金を使えることです。仕事では残業がある時に子供のお迎えがあるので、みんなに申し訳ないと思いながら先に退社しますし会議も長時間かかるものでも帰らなければなりません。プライベートでは自分の欲しいものがあるとき、自分の生活さえ守れるのであればお金の面を何も気にせず欲しい物を購入できますし、旅行をする際行き場を自由に決め移動時間を考えることなく行くことができますし、飲み会へ行った際には二次会、三次会と長丁場になっても帰らなければならないという思いがなく、遅い時間まで続いても好きなだけ飲んでいられるなど自由な時間がたくさんあるのでいいなと思います。
31歳 女性のストーリー
わたしは独身時代、4年ほど一人暮らしをしていたのですが、そのときが一番楽しかったのではないかと思います。

朝何時に起きてもいいし、好きなものを食べられる。時には自分のためだけに美味しい料理を作り、きれいな花を飾る。
丁寧に化粧をしておしゃれして街に繰り出す。
ゆっくりとコーヒーを飲むこともできるし、好きな映画や本もいつだって楽しめる。
そんな当たり前だと思っていたことが、こんなに自由で幸せだったなんて!

今は子育てに追われていて、それはそれで幸せなのですが、自分の時間がほとんどないので、自由な独身の友人を見ていると羨ましく思ってしまいます。
きっと無い物ねだりなのでしょうが、あの頃に戻りたいと願ってしまうことがあります。
38歳 男性のストーリー
独身っていいなと思った瞬間は、結婚してから二人で生活が始まった翌月の生活費の計算をしている時に感じました。
自分のお金に関する性格は人から見るとケチといわれる部類で、独身時代も実家暮らしでお金を生活のために消費するという経験が薄かったのように思います。当然実家で暮らしていたので、生活費としていくらかは入れていたのですが、稼いでくる20%も入れていませんでした。
ところが結婚生活が始まると、家賃や光熱費が手取りお給料からどんどんなくなっていきます。今まではお給料でもらったお金から諸経費をひいてもある程度のこり、それを貯金に回せる生活が続いていたので、残らないという感覚が初めてでした。新婚生活気分が一瞬にしてなくなり、独身っていいなと思った瞬間でした。
43歳 男性のストーリー
人生の半分を一人暮らし+独身という状態で過ごしてきました。
誰に気を遣うわけでもなく、自分の好きなように起きて、飯を食べて、遊んで、寝るという生活に慣れてしまいました。
いまさら、他人との同居など考えることは、相当なことがなければ考えることができないです。
独身という立場もだいぶ、この自由な生活に影響を与えています。
仕事終わりの急な飲み会、なにかしらのイベントへ参加する時の判断。同居人への気遣い。
全てが自由です。
実家に入ったとしても、この状態に似たような状態で続くでしょうし、同居人への気遣いなぞ、親が相手ですので、必要最低限で済みます。
周りを見ていると、自分の予定を決めるのに、嫁さんの都合を聞いたり、何回か連発でイベントなどが続いてしまうと、泣く泣く断りを入れたり。
みんな、苦労しているようですが、私は気兼ねなく、そういったものに参加し、有意義な時間を過ごさせてもらっています。
52歳 男性のストーリー
 働いていると思うことがある。それは、友人、知人が「今日はとことん吞みに行くんだ」「明日から旅行に行くんだ」などという話をしているときがある。それに正直憧れる瞬間がある。
 一人鍋、一人酒、一人旅、私自身この言葉が大好き。「圧倒的な自由さ」があるじゃないか、泊まり先が汚くても、出てきた食事がまずくてもそれは自分のせい。独身時代はそれで借金もつくったし、失敗もなんどもある。他人は守りに入るというけど、結婚をしているとどうしても相手のことを考えてしまう、それが破天荒な行動をセーブしていることなのだろうなと思う。相手がいるとさすがに汚い宿には泊めることはできないし、食事は相手に満足してもらいたい。飲み屋で夜は明かせないのだ。
 結婚はなかなか失敗できないというハードルがついてまわる、それがたまらなくつらい。独身には自己責任はついてまわるかもしれないけど、やはり失敗だらけでも自分が受け入れればそれでいい。よく病気になったら寂しいよ、とはいわれるけど、「今日はとことん吞みに行くんだ」の言葉の強さは絶大だ。
33歳 男性のストーリー
現在、勤めている職種を何度も変更したいと考えてました。1年前に職場環境の変化と給料の激減により転職をしましたが、その時にも異業種を視野に入れて、転職活動をしましたが、どうあがいても今までの給料よりかわは下がってしまう。そうなると妻子もちですとどうしても中々簡単には給料を下げる事が出来ません。現状の生活水準ももとの給料に合わせている状況ですので、かなり苦しくなってしまいます。そうなるとやはり同業種の違う会社に就職することが選択肢として濃厚になります。ある程度今までの実績などから、給料も今と変わらず下がる事もありませんでしたし、更に職場環境や待遇も良くなりましたので、同業種の転職を選択しました。
しかし、これが独身であればおそらく異業種に選択していたのではないかと日々考えます。また違う世界を経験できたのではないかと。
私の周りも妻子もちは多いので、飲みの席だとそういう話になる事がおおいです。
54歳 男性のストーリー
現在、単身赴任中です。既婚者でありながら、独身生活を満喫してます。離婚こそしていませんが、一人の安心感はしみじみと実感します。私が自宅に住んでいるころ、妻は、私に怒鳴りまくりです。実際は怒鳴ってはないと思いますが、私にとってそう聞こえることがたびたびあり、心が穏やかでなくなり、妙にソワソワしてしまいます。私が悪い時もありますが、私が悪くなくとも愚痴を言われ、聞いているうちに目が回り始め具合が悪くなることがたびたびありました。心を閉じて聞かないようにしたら、ある時、わからないことがあって妻に質問したら、この前話したでしょと怒られる。そして、妻は私の話しを聞かない。夫婦の会話のほとんどが妻が話す。妻に、自分のペースで自分の考えを話したいと思っても無理でした。そんな中、ソープにハマり、ソープ嬢は仕事ですが、体も自分の話も聞いてくれて、助かりました。しかし、ソープが何故か娘からばれ、離婚届を突きつけられました。妻の声を聞くことにストレスを感じていた私には、内心、うれしく、ホッとした瞬間でしたが、何故か離婚には至らず、何故か単身赴任を選ぶことになりました。単身赴任は大変ですが、一人になったとき、自分自身と対話できるのがなかなか良いです。もう、年齢が年齢なのでソープに行くことはなくなりましたが、一人で対話し、自分自身を見つめることは、心が安らぎます。
36歳 女性のストーリー
結婚してから独身の友達が羨ましくなりました。充実した独身時代を過ごしすぎたのかもしれません。
妊娠中や子供が小さいうちは母親が子育ての中心で90%を担うことが少なくないと思います。
それでもなんとか、時間を作って結婚式に出席したとしても二次会なんて行けません。
独身の友達は三次会位まで行きますよね。
家庭があるほうがストレスって絶対貯まるから飲みの場は必要なのにな…と独身者がとても羨ましく思う瞬間です。帰り道では、帰ったらやることが山程あることと、今頃独身者は楽しく交流を深めてるのかな、と寂しくなりました。
人によるかと思いますが、私はとても飲み会の場が好きなので独身時代は解散まで必ず残るメンバーでした。
帰る自分が寂しくなりました。
30歳 女性のストーリー
30歳目前で独身だと周りからの視線がかなり痛いが、毎日自分の好きなおつまみ系メニューの晩御飯を食べながらビールを飲んでいるときと自由にお買い物しているときは独身で良かった~と心から思う。(たまに声も出ている)
また、離婚した友人を見たときも同じことを思う。ある20代前半で結婚した友人は、数年後に義母が亡くなり、一人で身の回りの世話が出来ない義父の面倒を見ないといけなくなった。しかも義父は彼女に対してかなり横柄な態度を取るにも関わらず夫は全く取り合わない。結局子供のいなかった彼らは早々に離婚した。非協力的な夫や家族間の問題は自分の力だけでは解決が中々難しい。そんな問題に巻き込まれている友人を見たとき、お金と時間を自分の思うように使い、食べたいものを食べて居る時が独身っていいなと思う瞬間である。。
41歳 男性のストーリー
独身っていいなと思った瞬間は、自分のために時間を使えるところ、自分のためにお金を使えるところ、この2点が大きな部分です。
妹家族を見ていて、大変だなと感じる部分があります。
子どもが熱を出したり、病気になったとき、仕事を休み病院へ連れていく。そして看病しながら自分も感染して、体調が悪くなってしまう。
けれど仕事には行かなければならない。
共働きでなければ生活に余裕が無いので、この悪循環を繰り返しているように見えます。
それと比較して、結婚をせず子どももいない私としては、親の介護などの問題がこの先あるかと思いますが、介護施設、介護サービスなどを使えば、さほど苦労することもないと思いますし、まだ60代の親ですから、あと10年ほどは独身で自由な時間を過ごせそうです。
独身で寂しくないのか。と問われても、独りで過ごすことが心地よいと感じていますので、寂しくありません。
離婚をした友人もいますが、慰謝料や養育費などでお金の面で大変そうです。
時間とお金の面で苦労をしないで済むのであれば、やはり独身でいたほうがいいと思えてならないのです。
30歳 女性のストーリー
独身時代は好きな時間に寝て好きな時間に起きて食べて仕事行ったり遊んだりといった事が当たり前だったけど、子供が産まれてからは自分の時間など子供が寝たあとしかなく、起きてから子供が寝るまでずっと用事です。
自分の時間がないことにびっくりしたくらいです。
また子供は待ってくれないのでいつもドタバタの日々です。
思い通りに事が進まないイライラ、不安などの毎日です。そして怒っては自己嫌悪といった毎日です。
独身時代、働いていた時は適度に遊んだりして一日24時間あれば十分でしたが、子供が産まれると子供事+家事+自分の事もあるので本当に時間が足りないなと思いました。

子供も可愛いし毎日充実してますがたまに働くっていいな。自由っていいなと思うことがあります。
無い物ねだりだな〜とつくづく思います。
38歳 男性のストーリー
細かく注文をつけられない事です。
結婚している時は、頼まれた買い物をしても、

「このメーカーじゃない」
「24個入りの物のほうがお得だったのに」

等と言われ、休日に家事をしても、

「掃除機のかけ方が違う」
「洗濯物の畳み方が違う」

などと言われ、非常にうっとうしい思いをしていました。

独身は、そういうわずらわしさが無いのが良い所だと思います。

そして、独身なら家計に関しても自由になるので、誰の許可も必要ないですしいくら使っても何も言われない所も良いですね。

それと、時間が自由になるのも独身の特権です。わざわざ休日に見たくもない映画を見なくても済むし、マンガや小説、動画を家でずっと見ていても何も干渉されないのは本当に楽ですね。
23歳 男性のストーリー
独身のいい所はやっぱりパートナーの状況に左右されずに趣味に没頭できる所かなって思います。
趣味を理解できないパートナーと付き合って毎日イライラ。話も合わないっていう人達を何度も見てきましたが本気で見ていられないです。

流れで結婚したとかそういうのではなく、お互いの趣味や思考を把握したうえで理解できる環境に出会えた場合に結婚はありかな!と思います。
無理して結婚する必要は今の時代必要ないし、そもそも行動すれば趣味を最大限楽しめるパートナーは見つかると思っているので『見つからないでしょそんな人』というのが愚問かなって思います。

今自分が一番楽しめる人生が独身で落ち着いたころに結婚などもしやに入れたいですよね。
独身は趣味を存分に楽しめる1つのいい時期であり良い瞬間だなって思います。
51歳 女性のストーリー
私はプロ野球のあるチームを応援しています。
2年前のその日、新人の頃から応援していた選手が、引退する引退試合が設けられました。
私は、同じチームのファンである友人と一緒にその日のチケットを取って、楽しみにしていました。
私は、独身なのですが、友人は結婚しており、なかなか自由の利かない身でもありましたが、その日は、共にずっと一緒に応援していた選手の引退試合という事もあり、彼女のご主人も「行っていいよ。」とO.Kが出ました。
彼女も楽しみにしていました。「久しぶりに球場に行ける!」と。
しかし、当日になり、朝から天候があやしくなってきました。
そうなのです。テレビのニュースでは、「台風が来る」とのことでした。
彼女はやはり、ご主人に行くのを止められました。
しかし、私は、誰にも止められなく、高速道路を走って、飛んでくる葉っぱや小枝などを除けながら、ドーム球場に着きました。
そうです。試合はドーム球場なので、天候には余り関係なく、とてもひどい場合には、中止になる事もあるかもしれませんが、「引退試合」という事もあり、強行突破で試合を開催するしかなかったのでしょう。
私は1人観戦となりましたが、良い試合を見れて良かったです。
友人には、写真をたくさん撮って、送ってあげました。
「独身だからできたんよね。」とつくづく思いました。
39歳 女性のストーリー
自分の為だけに時間とお金を使えるということは贅沢なことだなと思い、独身はいいなと思います
休日に好きな時間まで寝ていられること、好きなだけテレビやネットを見ていられること、好きなものだけ食べられること、好きな時間に外出できること、家の中でうるさく言われずに生活できることなど、とても自由な暮らし方だと思います
ひとりだから、色々な不安事や心配事も多いと思うし、さみしい時もあると思います
そして年齢によっては、独身は他人から哀れみの目や偏見の目で見られることもあります
世の中は結婚してない人、特に女性の場合は、かわいそうなさみしい人と思われがちです
でもこの時代に独身だとさみしい人生というわけではないことを知っている人も沢山います
むしろ自由に人生を楽しんでいる人もいます
そんな人をみた瞬間、独身っていいなって思います
33歳 女性のストーリー
20代前半時に友人が結婚をした。当時、彼女はウエディングハイを起こすほど喜んでいて、私も含め友人数名で苦笑するほどだった。
そんな彼女は旦那さんの仕事の関係で県外に引っ越してしまい疎遠になった。
当時交際相手も居ない私は会社の有給を使って某大型パークへ友人と遊びに行ったのだが、そのことをSNSで知った彼女は私のコメント欄に「あなは独身だから、そんなこと出来ていいわね。私なんて旦那がきちんとしてくれないから家のことは全部私がしているのよ」と恨みを込めた文章が書かれていた。
結婚式で見た嬉しそうな彼女の姿は忘れない。
だけど、彼女が独身の私に送ってきた言葉は私の結婚感を左右されるほどのことだった。こんなことがあって、私はまだ当分は独身を満喫しようと思っている。
31歳 男性のストーリー
結婚していないので、自身の好きなように時間を使えるのが良いと思っている点です。
仕事に関しても集中してできますし、仕事に関わる資格取得、スキルアップの為の勉強にも時間を充てられます。あとは、プライベートで友人たちとの飲み会や、自身の趣味であるサッカーなどの時間も作れるのが良いです。
結婚してもいいなと思うことは多くあるかと思います。パートナーや子供との時間を共有することで、癒しなどをもらえることなど精神面でよいメリットがあるのはわかります。
ただ、自分の時間を作ることはできるのは少なくなってしまうと思うので、今30代の自分としては今は将来の為に時間を割いていろいろと行動していきたいと思っているので、独身をまだ続けたいと思っています。
26歳 女性のストーリー
私は20代後半の独身女性です。私の回りにはすでに結婚していたり子供がいる人が多く、結婚ラッシュも続いている時期となります。私の友達も結婚しており、友達同士で集まっても結婚や子供の話ばかりで独身の私からしたら、ついていけない・つまらないと感じるものでいつも身の窮屈さを感じるばかりでした。友達からは、遊べるのはいまのうちだよなどと言われることが多々ありうんざりしていました。
私自身、結婚したくないとは思っておりませんが、今は好きなことをしていたいなと思っています。
私は旅行に行くことが多く、お金を貯めて年に1回以上は海外旅行に行っています。そのために、英会話教室にも日頃から通って英語の勉強をしています。私は好きなときに好きなところに行くことができますし、好きなことにお金を使うことができます。ですが、結婚してしまうと好きなようにすることが出来なくなってしまいます。それが私にはとても耐えられませんし、旅行などの好きなことは絶対に譲れません。
好きなように生きていると結婚や子育てをしている友達から羨ましがられることが多々あり、やっぱり独身が自由で最高だなと思っています。
28歳 女性のストーリー
この年になると、周囲には結婚したり子どもを持った知人も増えてきます。彼らと話しているとよく聞くのは、幸せを感じさせるエピソードよりも、配偶者やその家族・親族への不満です。やはり結婚というのは当人たちのみならず家と家を結びつけるものであり、20~30年もの間異なる環境で育った二人が価値観を擦り合わせていくのは至難の技なのだと思い知らされます。
一方の私は一人暮らしにもすっかり慣れ、自由を謳歌しています。休日ともなれば何時まで寝ていようが、何にお金を使おうが、深夜に帰宅しようが、誰にも文句を言われることはありません。最近では旅行なども一人で行くことが当然になっていて、既婚者となった知人たちのように、誰かと同じ屋根の下で生活することはできないだろうなと思ってしまいます。
36歳 女性のストーリー
何より自由に時間とお金を使うことが出来ることです。
私は子育て中の既婚者です。先日、バリバリと働く元職場の先輩と久しぶりにご飯を食べました。
素直に感じたことは、お肌ツルツル、ステキな洋服やカバンを持っていて、私にはまず、外見が輝いているように見えました。好きなものを買い、好きな時にエステに通い、お肌をきれいにする事に力を入れているようでした!もう、ステキ!!って心から思いました。
もちろん、内面もステキでした!いろいろな情報にアンテナを立てていて、物知りでした。家庭とか子供とかの狭い世界だけではなく、話題性のある話や、旅行の話をしてくれました。本当に話していて飽きない!引き出しのたくさんあるステキな人だなと思いました。やっぱり、外に出てたくさんの人と接している人は、輝いているのかなーと思いました。
38歳 女性のストーリー
 韓国の男友達2人が平日に日本に来た時のこと。事前に来ることは知らされてはいたものの、平日だったということと、彼ら宿泊する場所が私の住んでいるところからはやや距離があるところだったため、私は合うことができないと断っていました。
 しかし、来日当日、彼らから宿泊代も出すから一緒に飲みに行きたいと猛アプローチされ、結果、夜に彼らの泊まる土地まで電車で出向き、翌日も仕事は体調不良と言い張ってズル休みをしました。そして、彼らと一緒に観光地を巡り、ランチももちろんご馳走して頂いて楽しい時間を過ごせました。
 こんな無茶な行動は独身で、かつ一人暮らしだからできることなので、制限の無い自由な生活は良いものだとその時、独身の身を喜ばしく思いました。
38歳 女性のストーリー
韓国在中の男友達2人が平日、日本に遊びに行くという連絡が入ったのですが、平日ということもあり、また、彼らの宿泊地が私の住んでいるところよりも遠くいるということもあり、私は仕事もあるし無理だと断っていました。
 しかし、彼らが来日した当日、連絡が再度入り、どうしても一緒に遊びたいから、交通費も宿泊費も出すので来てほしいとゴリ押しされ、とうとう根負けした私は、仕事を終え、帰宅してから彼らの宿泊する地へと足を運びました。その日の夜は深夜まで飲み明かし、また、翌日、私は体調不良と言ってズル休みをし、ガイド役として彼らを観光地へ連れ出し、また、昼からアルコールを煽りました。もちろん、その飲食代も全て彼らが支払ってくれ、至れり尽くせりの時間を過ごすことが出来ました。
 彼らも私の行動にすっかり喜んでくれたようで、また仲が深まりました。これも、独身だからこそできるのであって、自由がきく生活っていいなとかみしめた体験です。
43歳 男性のストーリー
結婚したら、独身ではないということ。結婚した時から、独身生活とはさよならしなければならない。稼いだお金の使い道や自由な時間の使い方のすべてが結婚生活に費やされることになります。もっと独身時代にいろんなことを経験していればよかったと思うことが多々あります。独身は、稼いだお金を自分の使いたいことに自由なだけ使うことができる。独身は、時間を自由に使うことができる。誰にも縛られることなく、行きたいところに行き、遊びたい人と気兼ねなく遊び、独身は毎日の自由を選ぶことができる。独身は独身の時にしかできなことをやりまっくておく。独身の時にもっと冒険しておけばよかった。独身の時にもっと遊んでいればよかった。いま独身の人をみるといいなと思う時が多々ある。
44歳 男性のストーリー
私の職場には、結婚をしている人、独身の人が、約半々の割合でいます。
結婚をしている人は、月々の生活費を捻出するのに、非常に頭が痛いそうです。
特に、子供に関しての支出が多くを占めているみたいで、自分のためにお金を使うことが無いそうです。
住宅ローンや、マンションの支払いもあり、生活費が本当にきついと、よく聞かされます。
しかし、私は独身ですので、お金に困ることはありません。
自分のために、好きな物を買うことが出来ますし、辛い仕事が終わった後には、ご褒美として、プチ贅沢をしたりします。
そしてなによりも、好きな車を買うことが出来るのです。
住宅ローンや、マンションの支払いが、私にはありませんので、
少し高級なスポーツカーを、ローンで購入し、休日にはそのスポーツカーでドライブをし、楽しんでいます。
この瞬間が、独身っていいなと思った瞬間です。
25歳 男性のストーリー
 先日、既婚者の友人(男)と飲みに行った際に感じたことことなのですが、彼はお小遣い制で毎月やりくりしているらしく、月のお小遣いは3万円だそうです。それを聞いて、正直、「大学生かよ。」と思いました。独身の自分だったら、自分で稼いだお金から、貯金をするとしても、月に5万円以上は自由に使えるお金があるので、少しかわいそうに感じました。
 また、嫁さんが待っているからとのことで、9時過ぎぐらいには、帰って行きました。また、昔は洋服に大金をつぎ込んでいた彼も、最近ではユニクロや無印良品で服を買っているとのことで、自由に服や好きなことにお金が使えるっていいなあ、独身も悪くないのかもなと思ってしまいました。もちろん、いずれは結婚したいとは思いますが、まだこの自由な生活から抜け出せそうにありません。
23歳 男性のストーリー
まずお金の面で、妻のファッションや趣味、ランチ代、子供が居るのであれば養育費などがすべて掛かりません。同時にそれらに使われる時間も一切掛かりません。という事でとにかく趣味と仕事に打ち込むことが出来る。誰にも文句を言われないので、例えば旅行に行きたくなった時も休みを合わせる必要がありません。お財布は自分が握っているので、欲しいと思った商品を躊躇いもなくポチポチ購入することだって出来ます。また、転職や在宅、海外勤務など、とにかく自分の意思ですべてを決断することが可能です。家族を残して…という心配もいりません。基本的に一人で何もかもやってしまうタイプの人間であればこんなに素晴らしい事はないでしょう。唯一の欠点と言えば自分自身が亡くなった後のお話でしょうか。
21歳 女性のストーリー
私の両親がケンカをよくしていて私に八つ当たりしたり家にあるものに当たっていたりしたし、私の祖父母もいつもケンカをしていて昔は窓を壊したり机をひっくり返したりしていた。私は、家で結婚している人間のケンカばかりを見せられて育ったので結婚するとケンカばかりするようになるのだとおもっている。
独身ならば家で好きなように過ごせるし誰にも文句を言われることもない。誰かのせいで家のものが壊れることもないし、ケンカをして気分がわるくなることもない。
独身は、まわりの人から結婚しろとか子供生まないのか色々言われてしまうのでめんどうだが、それ以上に家で楽ができて自分の好きなことが好きなときにできるのでとてもいいとおもう。
35歳 女性のストーリー
食事ひとつにしても、独身であれば、作るのが面倒だったらご飯も出来合いのもので済ませたりしても誰にも文句を言われません。
撮りためたドラマを徹夜で観ていて、休日に起きる時間がお昼を過ぎても怒る人もいません。
結婚していると、スーパーで買うお惣菜やコンビニ弁当を何日も続けて食卓に並べるわけにもいかないと思います。
休日の予定も、どうしても相手と合わせなければいけない部分が出てくるでしょう。
会社へ行く時の朝の準備も、洗面所を使うタイミングで揉めるかもしれないですし、
長風呂して相手をイラつかせるかもしれません。
結婚したことがないので想像に過ぎませんが、部屋で好き勝手に時間を使っても、自分の自由を邪魔されない時は、
「独身っていいな」と思う瞬間です。
38歳 女性のストーリー
独身って良いなと思う最大の瞬間は、自分がしたいことをしたいようにできたときだ。

することはなんだって良い。
仕事の拘束から解放されたその瞬間、もうそこからはすべて自分のためだけに時間とお金のを使える。帰り道に映画を観に行っても、習い事にいっても、ちょっと奮発してお高い外食をしても、自分へのごほうびと称してケーキやアクセサリーを買ったとしても、何にも誰にも気を使わなくて良い。(実家住まいなら「今日は帰り遅くなるよ」などの気遣いは必要になるが、そこを乗り越えればOKだし)
これで家族を持っていたら自分のやりたいことだけにつぎ込むことはできないだろう。
もちろん、貯金したって良いし、なにもしないでだらだらしてたって良い。
とにかく自分の時間とお金…だけでなく、あらゆることについて、その決定権はすべて自分にある。それを実感した瞬間が、独身っていいなと思うときだ。
37歳 女性のストーリー
結婚して10年です。子供も3人いてますが最近独身の幼馴染を見ると独身っていいなと切実に感じます。仕事もある程度の地位に就くことができる年齢ですしそうなると収入も安定していますし、自由も手にはいるのでとてもうらやましく感じてしまいます。友人を見ていると仕事に行き、コンパに行ったり、飲みたい時に飲んで、休みは音楽フェスなど楽しんだり特定の彼氏にとらわれるのではなくグループで楽しんだり、男女関係なくお友達とわいわいできたりしているのを見ていると独身がとても楽しそうに見えてしまいます。最大のうらやましい点は収入面ですね。本当に自由さが見て取れます。休みの日は買い物に出かけたり、子供たちにお土産なども買ってきてくれるのをみると独身に戻りたくなります。
27歳 女性のストーリー
去年、26歳で結婚しました。
主人は優しく穏やかな性格でとても平和な結婚生活を送っています。
ただ、周りの友人たちは結婚していない人が多く
インスタグラムやツイッターを見ているとたまに羨ましくなります。
好きなブランド物のバックやお財布を買ったり、フラっと海外旅行に行ったり、、、
お金や時間を気にせず、心置きなく遊べる環境が羨ましいです。
晩ご飯の時間には帰らないと、お小遣いがこれだけだからランチは安いほうにしよう、
と友人と遊んでいてもなんとなく家庭のことが気になります。
主人は束縛もないし、たまにはパーッと遊んでおいでと言ってくれますが
やはりどうしても考えてしまいます。
もう数年して、周りの子たちが結婚したら今よりこんな気持ちになるのは少なくなるかなと期待しています。
29歳 女性のストーリー
独身の良いところは、自分のために、時間とお金が使えることだと思います。独身であると、自分が中心で考えて行動ができるので、いつどこで何をしててもさほど問題ではありません。また、時間に融通が効くので食事や趣味や習い事、平日の夜や休日の過ごし方など好きなことが出来ると思います。友人や知人などの集まりなどにも時間を気にせず参加することもできる事はすごく良い事だと思います。また、お金なら使い道も自分の為に使うことが出来るので趣味や勉強かど好きなようにお金が使える点も独身のメリットだと思います。自分自身に投資する金額が多くなるので、将来の自分に対して色々な可能性が持ててすごく良いなと感じることがあります。
49歳 女性のストーリー
子供を育てる苦労を知らない分、ストレスフリー。年齢毎の苦労、思春期になり反抗期の時の苦労、高校、大学入試、就職難での就職活動などその時々で苦労が変わるのを独身者は知らないし経験しなくても良い。お金は全て自分に投資できるし、仕事帰り等飲みに行ったり気兼ねなく出来る。独身時代はブランド物のバッグ、洋服を買いまくっていたが子供ができてからはパタリとやめ、子供の貯蓄へ回している。子供が居ると、子供への貯金などで自分に投資出来るお金が制限
される。私の場合は自分に使えるお金はほぼ無しに近
い。こういう状況の時に独身はいいな、と、感じる。独身は独身なりの悩みがあるとは思うが金銭面では潤っていると思う。あればあるほど使ってしまうのが人間の本能ですが、、
48歳 女性のストーリー
結婚して独身の方が毎日楽しそうに遊んでいたり、呑みに行ったり、その時に独身でいれば良かったと後悔しました。

シングルマザーになってから、絶対にずっと再婚しないと決めました。

子供が社会人になって今頃ですが、独身気分味わっています。

女友達と呑みに行くのが凄く楽しいし、年に2回旅行も言っています。

本当に独身は良いものです。これほど幸せなものはないと思うくらいです。

大げさに言っているように思えますが、私にとっては真剣に思ってます。

自分の時間が出来るので、仕事しんどくても乗り越えることができます。

老後の事も考える余裕もできてます。

在宅でお金を稼ごうと意欲もわいてきています。

疲れたらぽーとすることもできます。



30歳 女性のストーリー
結婚を全体に付き合っている彼氏と半同棲している友人がいるのですが、
その彼氏が電車で女子高生を盗撮している疑惑が浮かんだり、前カノとのいざこざがあったりなど、心身ともにボロボロ状態のようで
す。
友人は作家でもあるのですが、彼氏のせいで彼女の時間、作品制作などか無くなっていき彼女の作品を見ることができないのが残念で仕方がありません。
彼女の愚痴を聞いていると彼氏や夫などがいると趣味の時間が割かれるんだろうなと思いました。
要領の悪い私はきっと作家活動と結婚・同棲生活の両立ができないと思うので、勿論中には結婚している人でも作家活動をしていらっしゃる方はたくさんいると思いますが、
自分は独身でよかったと思いました。
32歳 女性のストーリー
私は現在結婚して、子供2人の育児中です。子供のことにかかりっきりになることが多く、家事や育児で毎日が終わってしまいます。
そんな時、SNSなどで独身の友達の近況がわかると、羨ましくなることがあります。例えば、海外旅行に頻繁に行っていたり、国内でも温泉や美味しいものの食べ歩き、お洒落なカフェなどに行った日常が綴られていると、良いなと思ってしまいます。
家族がいると休みを調整しなければならず、なかなか思うように旅行もできません。また近場であっても、お洒落なカフェには子連れで行くことは気が引けます。
育児疲れを感じていると、自由に好きな時に好きなように、自分の時間やお金を使える独身って良いなと思うことがあります。
39歳 男性のストーリー
周りが次々と結婚していく中で、自分だけが結婚せずに残っていると、20代はよかったのですが、30代前半になるとまだか、いつ、いい人はいないのか?親族、両親、同僚、そして上司にまで心配される始末。つきあっていいところまで行き、結婚かなと思うとなにかしら原因で別れることになる、30代後半の今では周りが気を使ってその話題にふれないことが痛いほど伝わってきます。そんな中で、周囲の早くに結婚した同僚をみていると何やら疲れた顔をしています。聞くと、奥さんが自分に対して冷たい、家事をたくさんさせられる、お金がない、家も建てたから何も好きなことができないetc、大変そうです。子供がかわいいなと思うことはあるけれど、同僚から聞く内容は散々なものです。独身っていいなと思いました。
32歳 男性のストーリー
私は3年前に結婚しており、2年前には女の子が生まれた。
もちろん今の生活には満足しているし毎日嫁と子供の二人と過ごす日々は楽しくてしょうがない。
しかし最近私は一つだけ悩みがある。
それは最近始めた趣味の筋トレをしたくても、時間もお金もなかなか捻出できないことだ。
そもそも筋トレはカッコイイお父さんになりたいと思ったのとSNS等にて有名人達が鍛えあげた体を見て「自分もああなりたい」と思ったことが理由だった。
いざジムに行こうとしても少ない小遣いではなかなか厳しい。そもそも子供が小さくて育児が大変でジムに行く時間すらもとれない。
友人も同じ時期くらいに筋トレを始めているが友人は独身だ。
私とは違い時間もお金もかけられる。
うらやましくないといえば間違いなく嘘になってしまうのが本音だ。
36歳 男性のストーリー
気軽に、自分の好きな事、やりたい事が気軽にできる。
欲しいものがあったら、我慢せずすぐ買える。
どこか行く時、いちいち許可を取らなくて良い。
友達と飲みや遊びに行った時に、帰る時間を気にしなくていい。
時間とか考えずに、趣味とか自分の事に没頭できる。
好きな人が作れる。
合コンが出来る。
休みの日、子供の学校行事で休みが潰れなくて良い。
休みが満喫できる。
休みの朝、何時間でも寝ていられる。
お酒を飲みに行って、次の日二日酔いになっても怒られないで済む。
ぶつぶつ文句を言われなくて羨ましい。
馬鹿な飲み、遊びが出来る。
記念日とかに、高いプレゼントを請求されなくて済む。
食器、洗濯物、などの家事が一人分で済む。
気軽に友達を家に呼べる。




39歳 男性のストーリー
自身は独身なのですが、やっぱり独身のほうがいいなと思う時が多いと思います。

私の趣味はスポーツ観戦なのですが、それをどのように時間やお金をかけるのかは
すごく自由なのです。

例えば野球観戦をするとします。試合時間は3時間以内で終わる時もあれば
場合によっては4時間以上かかってしまうことがあります。
夜の試合だと終わり時間が22時すぎ、自宅に帰る頃には23時というのも
よくあります。
結婚している、はたまた子供がいるとなるとなると、
当然そんな時間までいるわけにはいきません。
独身は早く帰ろうが、遅く帰ろうが自由です。

あとスポーツ観戦は地方遠征もよくあり、その地方へ泊まり掛けで遠征します。
そうなると休日を全部それに取られるので、
結婚していると自分の配偶者に許可を得るのは、すごく厳しいと思います。
実際、結婚している観戦仲間は、時間に縛られていて、まず遠征には来てくれません。
お金もそれにかけられるので、とても自由に行動できます。

自身の趣味を自由に、お金や時間をかけている時。
逆に既婚者はそれができないという時。
そのような時によく思うのが、やっぱり独身っていいなって思う時です。
25歳 女性のストーリー
現在25歳なので、周囲の友人がちらほらと同棲を始めたり結婚するようになりました。私は独身で、一人暮らしをしています。
独身っていいなと思ったのは、好きな時間に起きて、好きなものを食べ、時間も好きに使えるところです。実家暮らしをしていたころは、食事の準備をしてもらえるのはありがたかったのですが、時間や食べるものはもう決まっていて、「今日は魚の気分なのにな」と思いながら肉を食べることも多かったです。
また、結婚している友人は、夫の分も食事を作らないといけないからしんどいと言います。独身なら、食事を作りたくない日はレトルトでも外食でも好きにできるので、そのあたりはとっても楽でいいな、と思います。確かに寂しいと感じるときもありますが、その分圧倒的な自由があるので、今はこの暮らしに満足しています。
28歳 男性のストーリー
私は12歳から絶えずずっと彼女がいました。
フリー期間も1ヶ月以上経過することはなく、常にパートナーがいました。
高校生の時から付き合う彼女とはいつもすぐにどちらかの家に棲みつき、少しでも離れると常にメール(当時はガラケー)、電話とお互いがお互いに執着するような付き合いをしていました。
地元同士の付き合いが多かったので、少し異性と喋るとどちらかが怒り…を長年続けてきていたためそれが普通だと思っていました。
成人して、フリーの期間を2ヶ月過ごした時に気付いた事が。
お金に余裕が出来る(全て私が支払っていたため)。
見張られてる感覚が皆無。
常に携帯を持ち歩かなくて良い。
異性と話しても怒られない。
独り身だと最初は寂しいが慣れると独りが気楽過ぎて抜け出せない。
と感じても今もまた同棲している自分がここにいます。
33歳 女性のストーリー
私は旅行が趣味で、時間を作っては1人でよくハワイなどに行ったりしています。その時の写真をSNSなどにアップすると、「よく旅行行ってるよね!よくお金があるよねぇ。」などと言われることが多いです。
私は収入はむしろ低い方だし、趣味以外にお金をかけることが特にないだけなのです。そんなことよりも、結婚式を挙げて子供を育てて家や車を買い、子供のため貯金をしている友達の方が私なんかよりもよっぽどお金持ちだと常に思っています。
確かに時間は有り余っているので、思い立った時に自由に趣味に時間を使えます。
そんな適度にお金があっても自由に使えない友達の話を聞いていると、独身であることの自由さをもう少し味わっていたいと思ってしまいます。
39歳 女性のストーリー
子供はかわいいが、毎日朝起きて朝ごはんや洗濯から始まり、子供の支度や自分の仕事に掃除に夕飯にお風呂に片づけにとバタバタしてほっとする時間もなく日々眠りにつく。
休みの日には、普段足りていない掃除を細かくやると休みもあっという間。
そんな時に独身の友達のLINEのアイコンがゴルフをプレイ中の姿に変わっていたり、旅行にいったであろうアイコンに変わっていたりすると、週7日間使って何とか仕事と家事を保てている自分も今独身だったら…と思う。
そこに追い打ちをかけるように、高校生や中学生の子供が休みのたびにすきなように過ごし、一番下の子も自由にしていたり…と、独身なら多少の汚れも目をつむって、好きなことに時間を使えるのにと思います。
46歳 女性のストーリー
独身のころは、結婚を強く憧れていました
一人じゃない、そばにいてくれる人がいるという安心感はありますが時々独身でいる自分ってどうなんだろうと想像することもあります

体調が悪いとき家族がいれば心強いといいますけど実際夫は料理しないので病院にいくときは助かりますが食事の面で一人でいるのと大してかわらないように思います

自分らしい生活に憧れたり、親戚づきあいに神経質にならなくてもいいように思ったり何より自分の力で自分の生活を支えるので「かっこいい、素敵」という強いキャリアウーマンの印象を持ちます

自分の稼ぎは自分で使い道を決めれるのも羨ましいです
独身=さみしい人、まるで残っていると昔は思われていましたが今は「独身=人としてゆとりを感じる」印象です
46歳 女性のストーリー
独身はやはり独身貴族です。
自分が独身のころは結婚がいいなと思っていましたが、いざ結婚すると独身がいいなと思うようになりました。
自分で生活を支える必要はありますが、自分のペースで生活できます。
結婚という出来事をきっかけに無理やり家族扱いとなった義理の付き合いもありません。
職場にも義理のお付き合いは生じますが、家の中まで踏み込む内容ではありませんよね?
「近くにいればいざというとき」や「相手に義理をかけておけば・・・」と昔から伝説のように聞いてきた話はどこまでホントの話なのか?と苛立ち苦々しい思いを何度もして家族という信頼関係も崩れ信用できる人がいなくなる家族がいても孤独を味わうくらいなら独身がいいです。
私も結婚前にタイプスリップできるなら自分に言ってあげたい。
「独身」がお得だと。
20歳 女性のストーリー
両親ともに毒親です。父は家族に対し無関心な精神疾患患者で、約20年もの間共に過ごしてきたはずなのに趣味や好物など全く知りません。母は元々の支配者気質に加えて現在更年期障害を患っており、以前にも増して心無い言葉を吐くようになりました。父方の祖父母は実家のすぐ隣に住んでいるのですが、両者ともに精神疾患患者で幼い頃から悩まされてきました。まだ余裕のある考え方ができなかった幼少期には「頼むから別れてくれ」と泣きついたこともありましたが、父や姑を嫌っているはずの母が離婚に踏み出すことは一度も無く、今に至ります。近年、父の精神疾患が悪化しては入院を繰り返すようになったのにも関わらず、「仕事があるから」「末の子供がまだ幼いから」などの理由で実家を出る気配すら見せない一方で、毎晩のように父や祖父母の悪口を延々と聞かされます。私自身父や祖父母に良い思い出がないため母をとがめる気はありませんが、流石に毎晩誰かの悪口を聞かされ続けるのはしんどいです。以上の経験から、私はどんなに好きな人ができても絶対に結婚はしないようにしようと心に決めております。気が向いたら会って、頃合いを見計らっては離れられるような、恋人くらいの距離感が丁度いいです。
28歳 女性のストーリー
出産してからは自分のタイミングで好きな時に出掛けたり、好きなことして過ごすことが全く出来なくなってしまい、独身時代をもっとゆっくり楽しめば良かったかなと思うことが多々ある。特に自分の好きなアーティストのコンサートや、ライブ、イベント等は子供の居ない平日昼間しか出掛けるタイミングがないので中々難しい。預け先を見つけて、お願いしてまで…となるとやめとこうと思ってしまい、余計に遠退く。忘年会や新年会ですら、あまり家を空けたら良くないかななどと考え出したらやっぱり行けない。服も、独身時代のように流行のおしゃれなのを身に付けたい気持ちはあるが、公園や保育園などには着て行けなかったり、自分好みの服は場所を選ばなくてはならない。オシャレして子供に汚されたら…とか考えたら結局安全な服を着てしまう。
39歳 女性のストーリー
結婚して子供がいる男友達は、奥様に隠れて飲みに行ったり、奥様から許可が下りてても22時過ぎたらすぐ帰ったりと、「子供は可愛い。幸せだ」と嬉しそうに話すが、ずっと家族に気を使っていて窮屈そうに見える。
一方結婚して子供がいる女友達にも「独身時代は好きなライブや映画に自由に身にいてったのに、結婚したら全然遊びにいけない」と嘆いていたり、遊びに行くと常に自分の旦那の愚痴を言っていたり「あいつまた飲みに行きやがって」という人もいれば「いないほうが楽なのに休みの日いっつも家でダラダラしてるんだよねー」と嫌がる人もいて、そういう方々を見ていると「もうしばらく独身の方がいいなあ」と思いました。
結婚式に特に結婚式に出席した友人がそういう感じになっていると、リアルに結婚の現実ってこうなんだ・・・と痛感します。
当時付き合っていた彼氏と結婚を考えていたのですが、急に不安になり先延ばしにしているうちに、結局お別れしました。

「一番の苦労話」

35歳 女性のストーリー
シングルマザーの母に、裕福でない環境で育てられたので独立するまでは苦労の連続でした。

ライフラインが停まるのは日常茶飯事で、電気がとまり冬は暗くなるのも早いし寒いので夕方17:00頃から布団へはいってひたすら目をとじて過ごしたり、水道がとまり、夏場なのにお風呂に何日も入れなかったことが多々ありました。
当時は汲取り式のいわゆるぼっとん便所でしたが汲取りをしてもらうお金が払えず何か月も溜まった糞尿が便器からあふれ出していました。
当然家は害虫だらけでした。ゴキブリと共存でしたね(苦笑)
一番辛かったのは家賃の滞納が長期に渡ると家を強制的に追い出されることです。何度も引っ越しを繰り返す日々でした。
中学の頃のことですが家に帰ると施錠されていて、おかしいなと思い窓から中をのぞくと家財道具などがすべて管理会社に撤去され空っぽになっていました。自分の大切にしていたものや写真など全て無くなっていて悲しさと虚しさでいっぱいになったことを覚えています。
41歳 男性のストーリー
技術者として製造メーカに努めていますが、まだ若手社員の時に自分の携わっている製品が不振で事業撤退の憂き目にあい、応援という形で他事業を手伝うことになりました。
応援という形で参加したために、その業務について簡単なレクチャーもなく、これまでの業務経験に基いて成果を出すよう求められました。が、まったく専門分野外のために大した戦力になれず、成果を残せない日々が続きました。
仕事は出来ずとも、ともかく業務に関わっていかないと何も出来ないままなので、無理やり不良に関する会議等に参加し、自らトラブルに巻き込まれるようにしました。
しかしトラブルを自分で解決する実力はないため、分かりそうな人に相談する事を繰り返しましたが、当然ながら嫌な顔をされることも多々ありました。
今ではある程度の実力はついたと思いますが、当時は一番精神的にタフな時期でした。
37歳 男性のストーリー
高校時代に親が事業に失敗し自己破産をした。そして両親と自分、弟で真夜中に夜逃げをしたことがある。見知らぬ土地で全く知らない人達との関わりで大変ストレスを感じた。
自分と弟は母の実家に戻り、祖母と一緒に暮らすこととなった。祖母のおかげで高校は卒業させて貰えた。元々は大学進学を考えていたが、金銭面的に進学は難しく、昼間病院で看護学生として働きながら、准看護師学校に入学した。
看護学生としての働いたが、朝7時から12時まで働き、昼間は学校、夕方17時から数時間ほどの勤務を月に22-25日ほど行い月給は10万程度であった。そのため学費と生活費でほとんどが消えてしまい、自身の趣味などはほとんど出来ない状態であった。
33歳 女性のストーリー
新卒で入った部署の直属の上司がパワハラ上司だった。言葉の節々にとげがあって、しょっちゅう理不尽な叱りを受けて、さらに人間性までも否定されて、精神をかなりやられた。
仕事の雑用はいつの間にか自分に全部降りかかってきていたので、本当に多忙だった。でも「そんなに残業するほど仕事回してない」と、残業を付けることはパワハラ上司の許可が下りず、できなかった。なので上司が不在の時に残業申告を出さずにこっそり残って仕事を片付けるなどして、何とか仕事をしていた。
その部署で働いていた5年間は心療内科に通院していて、どうしてもものすごく気分が落ち込む時は安定剤を時々飲み、日々やり過ごしていた。
当時は新卒でそれがパワハラだとは気づかず、社会って辛いな、大変だな、自分はメンタル弱いんだろうな、と思っていたけれど、今思えばあれは立派なパワハラ、モラハラだった。あの5年間は本当にしんどかった。
36歳 女性のストーリー
過去の苦労話ではなく、現在進行形になります。
子どものころから、人の気持ちが分からない、不注意、衝動的、段取り能力の欠如など、生きていくのに大変やりづらさを抱えていました。知的障害なのかと思ったこともありましたが、学校の成績は良かったので、益々悩んでしまいました。
そんな私が心について興味を持つことは自然な流れだったのかもしれません。今では精神科の仕事についています。そこで、勤務していた医師とカウンセラーに「発達障害だよ」と指摘されました。頭がそれなり良かったので社会適応できていたけれども、明白に発達障害だと言われました。昔ほどは悩んでいませんが、相変わらず人の気持ちが分からないのです。これは致命的です。必死に人の表情や言動のパターンのデータを蓄積中です。人生で一番このことに苦労しています。生まれてからずっとです。
10歳 男性のストーリー
苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく苦労話をかく
28歳 女性のストーリー
高校の時に両親が離婚しました。
原因は父親のDV。アルコールをよく飲む父は、母にたびたび暴力的になることがありました。
離婚後は妹とともに、母についていきました。
自分のことは自分でしようと、高校生活はバイトにいそしみました。
母は仕事も忙しく夜いないこともしばしば。妹がかわいそうではないとか衝突することもありました。
妹をかわいがっていたつもりでしたが、姉として疎まれていたようで、母のいないある日、妹と大きな喧嘩をしてしまいました。妹は深夜なのに家出。わたしは悲しみのあまり自殺を考えていました。
まさか家族に疎まれているなんて。
妹は無事戻ってきましたが、それから口をきいてくれることはなく、母に相談しても被害妄想だといわれました。
離婚後数回食事に言っていた父にも、送迎をお願いした時に、お前のためになぜ酒を我慢しておかなきゃいけないのだと怒られ疎遠に。
数年後、国家試験を控えた私に、今度は母からお前は悪魔の子だ。とか、この家に災いをもたらしているなんて言われるように。
発言されるだけではなく、家族で住んでいる玄関に張り紙をされたりもしました。
病気であったということですが、わたしという人間は、本当に人を不快にさせるしかないのだと痛感しました。
いまでは結婚し、母と妹とも食事にでかけますが、どうしようもない胸の苦しさから解放される日がくるとは到底思えません。
21歳 男性のストーリー
私の一番の苦労話はいじめから引きこもりと社会復帰です。              
中学生の時にひどいいじめにあい、家に引きこもっていました、学校の先生にも相談したりしていましたが常に両成敗または加害者を庇うようなことばっかりで話になりませんでした。そして完全に引きこもり中学校に全くいかないようになりました。
勉強は塾に通ってしていたので高校に通うことはできたのですがクラスは引きこもり支援のところでした。その時にカウンセリングに通い始めて時間をかけて外に出ること、人との会話などを最近ようやくまともにできるようなりましたが、仕事、バイトになると恐怖感がでて1日でやめるしまい大変でした。今は在宅の仕事で何とかやっていいけている状況です。
41歳 男性のストーリー
一番の苦労話ですが、、

私は、株式投資の中での信用取引です。
私の財テクといいますか、資産運用は、初めは積立投資信託でゆるーく開始していました。

先進国ファンド 新興国ファンド 日本株ファンドなど分散し始めました。
10年近く積み立ており、ボチボチ含み益も増えていきました。

株式投資も傍らでアベノミクス効果もありちまちまどころか、投資信託なんかしょぼいやと思いつつも利益を積み上げていく事になりました、、が!

つい、欲が出、信用取引でもっともっと稼いでやれ!と思うに至り、次々と売買するも、利益もあがるが、コケた時にはエゲツない損を被り、、また、投資信託や現金を担保に取引できるものだから、、とある銘柄を買った時に、ヒドイIRが発表され、それまであった10年間積み上げてきた投資信託の利益、株で得た利益がすっ飛びました。
しかも追証まで発生させ、投資信託の保有資産も削ってしまいました。

欲張りから来た失敗です。じっくりいくが自分にはあっていたのでしょうが、見失っていました。
オオゴケした時は、ガクッと膝をついて、冷や汗が出たものです。精神衛生面でもよろしくなく、、苦労話ともいえるでしょうか、まともに仕事するが一番だ、とも感じています。
36歳 女性のストーリー
母親がPTSDになり、高校生になった妹が境界性人格障害を患い、家庭崩壊した時のこと。
母は仕事には行けるが、なぜか家庭に戻ると何もできなくなり、妹は夜中、自意識がなくなったまま自転車で遠くまで行ってしまう。
朝方まだ夜が開けない時間に私に携帯で妹から連絡が入り、どこにいるかわからないと言われる。
母は動かない上、父親は疲れ果ててか、干渉することをやめてしまっていたため、運転免許取り立ての私が妹の対応をするしかない。
周辺の看板や建物の情報を妹から聞き出し、場所を特定。
そのまま車で30~40分ほどの場所まで妹を迎えにいく日が頻繁に発生。
また迎えに行った時の妹は疲れ果てており、学校にもあまり通わなくなっていた。
迎えに行った場所に一旦自転車を置いて妹を自宅まで連れ戻すため、翌日などに、自転車を取りにいく必要もあった。
そんな非日常のような日常が続き、私もそのままうつ病にかかる。
現在はそれぞれの道に進んでいるが、私は今もうつ病治療のため、服薬と通院をしなければいけない生活を送っている。
39歳 男性のストーリー
今までの人生で最も苦労したのは、自分が某大手ファミリーレストランで働いていた時のこと。そこは24時間営業のファミリーレストランとして人気のお店でした。連日多くの客が訪れ、多い時は1日に800人近い人が訪れていました。社員は店長と自分の2人だけ。あとはパートやアルバイト。そんな状態ですので、お盆や正月になると非常に休むパート・アルバイトが多いのです。そんな環境が嫌で、歳を重ねてからは厳しい仕事だと思い、辞めることも決まっていたさいごのお正月。悲劇は待っていました。どうやってシフトを組んでも深夜と午前のシフトが埋まらない。もはや自分が入り続けるしかなかったのです。12月31日の夕方6時に出社し、忙しい中深夜の業務をこなす。朝になるとモーニングが始まり、正月特有の初詣帰りの客が押し寄せる。そのまま休む間も無くランチ、そしてディナー。気づけば1月2日の12時。最後のお正月が終わった…
56歳 男性のストーリー
 高校生の時に事業に失敗した父が、借金を残して失踪しました。金目のものは持ち去られていたので、残された家族はサラ金に追立られることになりました。幸い家族が連帯保証人にはなっていなかったのですが、当然親戚や知り合いからは責められました。
 今のように債権者にも一定の制約があるわけでもなく昼夜関係なく取り立てに来られました。それでもなんとか借金は免れ、私は社会人になります。
 それから四半世紀後父の訃報が届きました。以外にも近くで生きていたようです。無論母も親戚も事後の処理などしません。やむなく遺体の引き取り、葬儀、住まいの撤去から相続に関する手続きまで一人で行いました。
 アパートを引き払う際は連帯保証人でもないのに不動産屋から酷く責められたことが最も精神的に堪えました。
 住まいの撤去では遺品整理の業者さんと出会い、相続については司法書士の先生に借金の有無を調べてもらい、葬儀ではその後もお世話になる小さな心優しい葬儀社の社長さんとも出会うなど、僅か3か月の間に普段はできない社会勉強をさせてもらえたのだと、今では思っています。
43歳 男性のストーリー
以前、仕事を医療事務をしており、様々な業務をしていた。しかし、事務は事務であり、患者に触れる事は、法律で禁じられていた。私は、医療従事者に憧れとコンプレックスを抱いており、一念発起し会社を退職し、34歳から医療の専門学校に入学した。最初は、慣れない勉強、一回り以上下の同級生、生活リズムが一変し、楽しいと思う反面、社会から出た怖さを感じた。そして、勉学、実習、課題など必死にこなし、国家試験を受けるまでこぎつけた。成績は芳しくなく、受かるかどうか瀬戸際なところであったが、教員や仲間、自分の必死の努力により、何とか合格を勝ち取った。人生において、こんなに勉強して苦労した事なかったし、こんなに嬉しい事は、経験なかった。今もあの時の事を思い出すが、あの思いは2度としたくない。
45歳 男性のストーリー
師弟制度が良くも悪くも今も根強い世界なので、なかなか自分の判断で行動したりといったことが難しく、また狭い世界であまり頭のいい人は多くないので変な噂を流されたりするともう消せなかったりする。
資格を持っていても民間企業のように起業したりということはほぼ不可能であり、業界の後継者不足が深刻と言われている割には既得権益で固められているので、新しい人に話が回ってくることもまずない。医者の世界と結構似ているところがある。色々と問題のある世界だとは思うが、今のところは何とか外に漏れずに済んでいるがいつか世間に内情も漏れ聞こえるようになったら一気に崩壊するのではないかと危惧している。
どの業界にも言えることだが真面目な人ほど損をすることが多い世界だと思う。
50歳 女性のストーリー
私は仮死状態で産まれました。
しかし、20代までは、とても友人も多く、健康に生活を送っていました。
友人もどちらかと言えば多く、ボーイフレンドも多かったです。
学生時代はとても楽しい日々を過ごしていました。
20歳を過ぎ、短大を無事に卒業する頃から、喘息の発作が出て来ました。
その頃、会社でも営業職をしていたので、とても忙しい日々を送っていました。
仕事では、25歳でチームリーダーを任されるようにまでなっていましたが、その頃から、朝は5時から夜の11時まで働くのは、当然のことの様になっていました。
多分、疲労がたまったのでしょう。
持病の喘息の発作が出て、5ヶ月間、植物人間状態になっていたとの事です。
もちろん、息が苦しくなり、家族に「救急車呼んで。」と言ったところまでは覚えています。
心肺停止になり、意識が戻ったのが、倒れて5か月目の事でした。
それからは、治療、投薬、リハビリと頑張ってきたつもりですが、倒れてから25年経った今、車イス生活を送っています。
もちろん、結婚もしていませんし、一人っ子の私は、段々と年老いていく両親の為にも少しでも明るく振舞っていないといけないと思いますが、やはり、仕事を昔みたいに出来ないのが、腹立たしさはありますが、自分の出来る事を頑張るしかないと今は思っています。
45歳 女性のストーリー
二人目の子供が生まれてすぐに、父親が倒れました。上の子供が2歳の頃でした。
介護が必要になり、どうしても家で過ごしたいと言う父親の気持ちを汲み、介護と育児の生活がスタートしました。夜中の授乳で寝不足の私に、何をしていても呼び付ける父親。当時、生まれたばかりの子供を抱っこした記憶がほとんどないくらい介護生活は壮絶でした。一番寂しい思いをさせたのは、長男でした。お兄ちゃんだからとたった2歳なのに頼りにしてしまいました。病気の父親に理不尽に怒られても、泣かずに我慢していました。介護が限界で泣いてしまった私に「ママ、何もしなくていいよ。ご飯作ってあげるからね」と頭を撫でてくれ、おもちゃの野菜を切り始めてくれたことは、未だに心の支えです。今は父親が亡くなり、子供たちは大学生と高校生ですが、あの頃の思いが今も私の中で大きいので、子供たちのやりたいことを全力で応援したいと思っています。

「そういえば昔夢見ていたこと」

51歳 男性のストーリー
毎晩、寝る時が一番幸せだと感じている。一日を過ごし床に就けることに感謝している。
観たい夢を見れることは無いが、現実ではかなっていない夢を見れる頃がある。
なぜその夢を覚えているかというと、トイレに起きたとき、または、夢の途中で目覚ましで夢から覚めた時である。
トイレなどで起きた時は、続きの夢を見れるようにまた、床に就く。
目覚ましで起きてしまったときは、その時の夢を忘れないように余韻を残しつつ準備をしている。その日の夜に夢の続きが見れるように記憶として残るように。
現実では、起きないであろういい夢を見て覚えていることはなかなか無いため、その時は夢から覚めたくない、または、夢の続きを見ようと必死になっている自分がいる。
そういう自分も嫌ではない。今後もそういう時間を大切にしていきたいと思う、いつ見れるか分からない夢のために。
54歳 男性のストーリー
私の「そういえば昔夢見ていたこと」は、海辺のそばにある町の公務員になって、サーフィンをしながらのんびりと人生を過ごすことです。
私は大阪の在住ですが、大学は関東にある某マンモス大学に通っていました。その大学を受験し入学したのは、希望していた学部が神奈川県の藤沢市にあり、電車でもすぐに江の島や鵠沼など、日本でも有数のサーフスポットに行けるからです。大阪では、和歌山か徳島など遠方に行かないとサーフスポットはありませんので、当時サーファーを気取っていた私にとっては藤沢は憧れの街でした。
まぐれでその大学に入学し、勉強もそこそこにサーフィンとバイトに明け暮れる毎日でした。とても楽しかった日々です。そんな中、いよいよ卒業となり、結局は親の勧めもあり、大阪の実家に戻って地元の企業に勤めることになりました。
本当は、藤沢市かあるいはどこかサーフィンの出来る海岸のある街の公務員にでもなって、自然を満喫しながら、そこそこのんびりと生活したかったのですが、親にもそんなことは言えず、結局諦めてしまいました。
現在は、サーフィンをする余裕もなく、子育てと家のローンに追われ、満員電車に毎日揺られて会社に通う50代の中年サラリーマンになってしまいました。
57歳 女性のストーリー
 フランスの古い俳優ピエール・フレネーが大好きで、調べると日本には入ってきていない出演映画がたくさんあり、そのためにパリに3か月くらい滞在して「シネマテーク・フランセーズ」で見まくろうというのが夢でした。フランスは芸術を大切にする国でほんとに古い映画でもシネマテーク・フランセーズに行けば見られると小林信彦という作家が書いていたので、自分も行きたいと考えたのです。そのためにOLのときのお給料を貯金していました。奨学金の返済もあったので月の給料の9割は貯金と借金返済で消え、洋服も新調せず、交通費も貯金に回そうと自転車で通勤していました。
 その夢が夢のまま終わったのは結婚したからです。さすがに夫を置いてフランスへ行くのは無理でしたね。今もその頃フランスから取り寄せた本などを眺めて、時々彼のことを思っています。彼のおかげでフランス近代演劇・映画に詳しくなることができました。フランスにこそ行けませんでしたが知力を尽くして調べ物をした経験はのちの人生に生きています。
66歳 女性のストーリー
世界中の遺跡を訪ねてみたい。エジプト、インカ、イースター島、ボロブドールの遺跡、ッポンペイの火山灰に埋もれた廃墟、イギリスの先史時代の遺跡、ペルシャ戦争の後、チンギスハンの墓、などなど。子供の頃から夢みていた。
でもいまだにインド、タイ、ハワイの3国を訪ねたのみ。
この先この年でこの夢が実現できるだろうか。
でも、何が起こるのかわからないのが人生。
期待を持つことをあきらめないでいようと思う。
いつか奇跡が起きて、世界一周旅行に招待されるかもしれない、いつか、宝くじで大金があたって世界一周も夢ではないかもしれない。
いつか、世界の大金持ちのセレブに見初められ・・・無理かな・・・
でも、空想するだけでも、しないよりはまし。
だって、思考は現実化するって、誰か言っていましたよね。
46歳 女性のストーリー
そういえば、昔は漫画家になることを夢見ていました。
自分の画力に限界を感じて「それなら小説を書こう」と思いつつ、書いたり書かなかったりと細々趣味として続けています。
娘は絵が得意な夫に似て、私が子供の頃よりはるかに上手に絵を描いているので、もし漫画家を志望した場合は夢を応援してあげようと思います。
とはいえ、現代は昔と違い、様々なところで絵を共有したり評価されたりとチャンスが転がっているので、まずは数をこなすこと、自分の絵の評価ポイントを見極めることなどアドバイスできたらいいなと思います。
当の娘はアイドルになりたいと言っているので、アドバイスする機会があるかどうかは神のみぞ知る、という感じですが。これも私の夢物語なのかもしれません。
61歳 女性のストーリー
私は貧しく育ちました。友達を家に呼ぶこともできず、家族のことを聞かれるとごまかしたりうそをついたりしてきました。ですから、とにかく、お金持ちになり、自分の家に住み、少しは人に自慢できる仕事や生活をしたいと夢見ていました。そのために、収入を得ることにこだわり、奨学金で大学を出て、たくさん仕事をしました。今、夢はかなったといえるでしょうか。答えは、微妙です。自分の家は買えました。仕事も収入も安定していました。老後が十分とは言えませんが。家族はというと、わけがあり、人には言えません。やはり、夢は全部はかなわないのです。でも、努力できたことにと昔よりはましだと思うことで、良かったと考えたいです。今の夢は、後悔せずに生きることです。
47歳 女性のストーリー
あれはまだ、義務教育の最中だったと思います。親に「一億円の豪邸を建てる」と豪語していました。何の根拠もなくどこで覚えた言葉だったのか、将来は「印税生活する」と息巻いていました。当時の私は友人も少なくクラスで浮いていて、クラスメイトから半無視状態だったことから、知らず知らずのうちに現実逃避をして、心身のバランスを取っていたのだと思います。
今は、印税生活どころか契約社員でチマチマ生活するのがやっとです。今でも思い出しては恥ずかしいと思う反面、あの頃のように、無邪気に未来を夢見て、根拠のない自身に満ちて、生きていけたらどんなにいいかと思います。
夢は叶えるためにあるという人もいます。これを機に、私は印税生活を実現するために何をしたらいいのか模索しながら、生活していこうと思います。
38歳 女性のストーリー
小学生の頃、初めてなりたいと思った職業はピアノの先生でした。
ただ、小学3年の時点で親から音大はお金がかかりすぎるから絶対そっち方面は行かせないとストップがかかり、親が全てという意識の中で行きてる小学3年の私はピアノの先生の道を諦めました。
その後、親から薬剤師は安定してるから目指したら?と言われ何となくその気になっていた所、親が同級生の親から「薬学部は6年大学行かせないとダメらしいよー」と聞き、そちらの道も行かせないととストップがかかりました。

こんな感じで過ごしてきたので小学高学年くらいですかね、将来なりたい職業が公務員の窓際族になりたいと思っていた時期が本気でありました。
(親から反対されず安定した生活ができそうとか考えて)
今にして思えば何て夢のない可愛げのない小学生なんでしょうね(苦笑)
結局その後も色々あり今は全く別の職業についてます。
そんな自分の過去を振り返って我が子には自分の好きな道を進ませてやりたいなぁと思う今日この頃です( ̄▽ ̄;)
37歳 女性のストーリー
ホームアローン1を初めて観た時に、海外のクリスマスに憧れた。
(泥棒とのやりとりの部分も好きだったけど。。)
大きな家がライトアップされ、きれいに飾り付けのされたもみの木や、暖かそうな暖炉。真っ赤なウールのセーターや手袋、見たことのないお菓子や大きなピザ。それらを囲んで家族でクリスマスを祝う。
(ホームアローン1では、家族は旅行に出かけたけども。。)
自分の過ごすクリスマスとは、全く違う文化があった。
クリスマスの朝を迎えると、もみの木の下にはたくさんのプレゼント。
外は真っ白な雪でしんと静か。子供達が暖炉のそばでプレゼントを開ける。
温かな食事を囲んで、家族でクリスマスを迎える。
昔、夢見ていたクリスマス。



34歳 女性のストーリー
高校生の頃は、アニメやゲームが好きだったこともあって声優を目指していたことがありました。その頃は看護師を養成する学校に通っていたので、看護師は命を守る仕事であるのに対して声優はキャラクターに対して命を吹き込む仕事であることなど、内容は違えど命に関する仕事ということで憧れを抱いていたのを覚えています。
ただ実際に声優になることができる人たちは限られていることや、声優として有名になるまではお金をほとんど稼げないことなど、現実を見るようになってからは自分には無理だと諦めました。声優になるための養成学校にかなりお金がかかるところも、諦めた理由の一つです。
それでも時々声優に慣れたらよかったなあと思うことはあります。
33歳 女性のストーリー
今の主人と付き合い始めた頃、主人は初めから私と結婚するつもりで付き合っていると伝えてくれたので、私も自然と、主人と結婚した後の生活をいろいろと妄想・夢見ていました。
願わくば、子供は授かりたい。そして、その子供の成長を出来る限り一番近くで見ていたい。ならば、やはり母としていつでも動ける環境、家庭を全て任される立場の専業主婦が望ましい。収入が少し足りないなら、内職でもすれば良いから、子供におかえりを言える環境を作ってやりたい。
などと夢見ていましたが、いざ現実、今現在主人は無職。転職先で精神病んでしまって療養中。私もフルでガッチリ稼がないと生活できないレベル…。不満もなければ不幸とも思っていませんが、やっぱり、夢は夢だなー、と時々思います。
37歳 女性のストーリー
ホームアローン1を見た時に、海外のクリスマスに憧れた。
(泥棒とのやりとりも、面白かったけど。。)
クリスマスが近づくと、大きな家にクリスマスのライトがキラキラと光る。美しく飾られたもみの木と、大きな暖炉に火がともる。
真っ赤なウールのクリスマスセーターや手袋。見たこともないお菓子や大きなピザ。クリスマスの日、それらを囲んで家族皆で祝う。
(ホームアローン1では、皆旅行に出かけたけども。。)
祈り、感謝をする日。
知らない国の文化があった。
クリスマスの朝、外は雪でしんと静か。
目が覚めると、もみの木の下には子供たちへのたくさんのプレゼント。温かい食事を囲んで、家族で迎えるクリスマス。
昔夢見ていたクリスマス。

10歳 男性のストーリー
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
32歳 男性のストーリー
そういえば昔夢見ていたこと

という問いに対してふと考えを巡らせたのは、幼いころに夢見ていたことが複数存在していたからだ。
まず一つは自分は25歳ごろに亡くなるのではないか?という漠然とした妄想を夢見ていた、これは漫画やアニメの影響をもろに受けていた時のもので、中学から高校までそのようなことを思っていた、いわゆる中二病というやつである。
夢見ていた、ということとは外れいるように見える人はおそらくまっとうな方であろう。
今の自分から見てもかなりサイコで恥ずかしい奴だと思う。ただその当時は素直に25歳ですっぱりこの世から消えるのがすごくかっこいいと思っていたのだ。

もひとつはコンビニのオーナーになることである。
その当時はコンビニが町中に多くでき始めた時代だったので、子供心に最先端の店を経営したいと若かりし自分は夢を見ていた。
19000101歳 男性のストーリー
野球選手になりたいと思っていました。
野球が好きというわけじゃないのですが、男らしくてかっこよくてチヤホヤされてお金もたくさんあって美人と結婚するイメージです。
45歳 男性のストーリー
私が昔夢見ていたのがサラリーマンになることでした。
今から考えるとなんて面白みのない少年だったのかとがっかりしてしまいます。
しかもその通りのサラリーマンになってよかったなあとは思えないのです。
やはり普通の少年や少女が夢見るようなプロ野球選手とかモデルや歌手などの夢を持って頑張っていけばよかったと感じます。
ただ色んなスポーツをやったのですが特にこの競技が好きとか自分がこの競技が得意だということは全く感じなかったので仕方ない部分もあるかもしれません。
逆に夢ではないですが、これだけは自分に向いていないと思うことばかりだったです。
私の場合は習字です。
親の勧めで習字を習っていたのですが、下手すぎて全くやる気が出せずに遊んでばかりいたら、先生の方から辞めたほうがいいのではと言われてしまいました。
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、洋服と絵を描くことが好きでした。そのため、ドレスの絵を描いてみたり、女性の絵を描いたりということをよくしていました。そうした中で、ファッションデザイナーになることを夢見ていました。色々な雑誌やお店を見て回り、自分がいいなと思う洋服を作りたい、そんなことを夢見ていましたが、いつの頃からか夢や目標がなくなってしまい、とりあえず土日祝日休みの事務になれればいいや、と思うようになっていました。実際、事務職に就いていましたが、小学生の頃の夢を追っていたら今頃どうなっていたのかな、と思うこともあります。30を過ぎた今ではもう一度新しい人生を、と奮起する気力はありませんが、あの頃の私に声を掛けられるなら、夢を追いかける背中を押したいです。
31歳 女性のストーリー
小学校の卒業文集には、将来の夢「ファッションデザイナーになる」と書きました。
幼いながら普通のOLにだけはなりたくないとなんとなく思っていましたが、現実は思い切り普通のOLです。

暇があればノートに洋服の絵を書き、誕生日には色鉛筆のセットを買ってもらい、小学校の手芸クラブで手縫いでお人形のお洋服を作り、子供用のミニーちゃんのおもちゃミシンを買ってもらい…

いつからその夢が夢でなくなったのかはもう思い出せません。夢は夢のままだったかもしれませんが、将来の目標にはなりませんでした。大学の進路選択の時に、デザイン学校という選択肢も一瞬頭をかすめましたが、勇気は出ませんでした。得意なことと好きなことは違うと言い訳していたのかもしれません。
43歳 女性のストーリー
昔、夢見ていたことといえば私の場合、自給自足でした。
自分の土地を持って、古民家に住んで、田畑を耕して暮らすというのが目標だったり理想だったりしました。
都会に暮らしているので、緑の豊かな場所に住んで、自然とともに暮らすのは理想でした。
都会ぐらしなのに、あまりデスクワークやコンピューター関連の仕事に憧れなかったせいもありますし、すました感じで小綺麗にしてヒールのある靴を履いて実用性のないスカートやスーツを着る暮らしが嫌だったというのもあります。
以前野菜や果物が好きで栽培していた時期もありましたが、今は経済的な現実や自然災害の恐ろしさを知って、やっぱり完全な自給自足は夢だし、贅沢なことなんだと思い直しているところです。
52歳 男性のストーリー
学生時代に科学者になろうと思ったことがあった。それで大学の理学部に入って、そこで勉強をしていくことになった。
その頃は、そのうち夢が実現するかと思っていた。科学者のことを何も知らなかった。学んでいくうちに、簡単に行かないことがわかる。
研究者になるのは狭き門だった。大学に残ったり、研究所に入るには成績が良くないとできないそうだ。それに、そこに入ったとしても給料の保証がされない。
大学院に進学するなら授業料と生活費が必要になる。一人前の研究者になるまでは時間がかかる。
それに、博士になっても収入の保証が無い。それが一番の問題だった。今でもあるように当時からオーバードクターの問題があって、博士号を取得してもろくな稼ぎが無い人が居たのである。
それで研究者への道を諦めて普通に就職していく。それが普通だった。私もそうすることにした。もし残っていたとしても、大変だったろう。
36歳 男性のストーリー
僕は子供の頃からサッカーをしていました。中学生の頃は市の選抜に選ばれたり、少しは自分のサッカーの技術には自身を持っていました。高校は強豪高に進学して、その後はプロになりたいなんて夢を見ていました。
月並みですが、プロになってお金を稼いだら、家族に家や車をプレゼントしてあげようとか考えていました。
しかし、中学2年の頃ケガをしてしまい、サッカーから距離を置く期間がありました。あんなに熱心に取り組んでいたサッカーなのに、その頃から少しずつサッカーに対する情熱が失われてきていることに気がつきました。ケガが治っても部活にも顔をあまり出さなくてなり、たまに部活に出ても思ったようにプレイできなくなりました。周りの人達も、「前は上手かったのに、今はダメだな」なんて言ってたのを人伝てに聞きました。
それで、サッカーを辞めてしまいました。あのまま、もしサッカーを続けていたらどうなっていたのか、時々考えることが今でもあります。
54歳 男性のストーリー
小さい頃は飛行機のパイロットになりたかった。
人間にはできない、空を飛ぶというあこがれが、そう思わせたのだろう。
小さいころから飛行機が好きで、いろんな飛行機を作って飛ばした。
自分で言うのもなんだが、紙さえあればそれなりに飛ぶ飛行機を作る自信はある。
大人になってからもラジコンの飛行機にのめりこんだ時期もあった。
動力を持たないグライダーという飛行機を自分の手で投げ上げ、操作する。
投げた飛行機が上昇気流にに出会うと、動力を持たない機体がどんどん高く上がり、
どちらを向いているかわからないくらい小さくなる。
多分、その時、大人の私の顔は子供の顔をしていただろう。
いまだに、空を飛ぶということにあこがれを持つわたしである。
52歳 男性のストーリー
中学校のときの担任の先生に「お前は手先が器用だから医者になるべきだ」と言われ、自分自身もその気になり、大学の医学部への進学を夢見て勉強に励んだのを覚えています。
友人からも医者の中でも選ぶなら外科医がよいと言われ、手塚治虫のブラックジャックをその友人から借りて読みまくりました。しかしながら、マンガにも関わらず手術中の描写を見て、少々気持ち悪くなってしまい、1か月も経たないうちにその夢を断念してしまいました。
もしあの時、ブラックジャックを読んでいなかったら、今頃自分はかっこいい外科医として執刀していたかもしれないと思うと、少々残念な気分と同時に、逆にホッと安心するのは、もうあれから30年以上経ち、家族と一緒に幸せな暮らしをしているからなのでしょうか。
45歳 女性のストーリー
小学校低学年の時中森明菜さんに憧れて歌手になりたいと思った。ヤマハ音楽教室に通い、音感は悪くなかったものの声の出し方がわからず大きな声は全く出せなかった。合唱部の主将だった母にもピアノで伴奏することばかりを求められ、必ず歌がうまくなってやると決心した。中学生になりバンドブームが押し寄せると毎日バンドの曲を大声で歌う日々が続いた。しかし全く感情は乗っていなかったし、ただ音をなぞるような歌だった。大学生になってボーカルスクールに通い始めても、バンドを組んで活動し始めても音程ばかりにこだわる歌い方は変わらなかった。社会人となったある日、プロのバンドマンのマスターが経営するスナックでマスターのソウルフルな歌声を聴いて衝撃を受けた。この人との間には越えられない壁があると思いながらも何度も一緒に歌っていただくうち、少しずつお客様との呼吸や感情の入れ方がわかっていった。今はバンドのボーカルとして、あのころの夢とは違う形だがずっと歌い続けている。
66歳 男性のストーリー
少年の頃はたくさんの夢を見ていました。1番最初の夢は、プロ野球の選手、私の子供の頃はなんといっても、王・長嶋の時代でしたので憧れました。次の夢は特撮映画の大ファンでしたので円谷英二に憧れて、特撮監督になるのが夢でした、私も大人になったらゴジラの映画を作るのだと夢に描いたものです。10代の後半になってから黒澤映画を見るようになって、黒澤のような世界的な監督になるのだと強く心に思ったのですが夢破れました。大人になるにつけ自分には才能もなければ、度胸もないと思い知りました、自分には計画性も夢を追いかける持続力もなく冒険心もないもちろんお金は言うに及ばず、私の一番欠けているものは積極性と自分を信じてゆく気持ちでした。

25歳 女性のストーリー
今は全然違う事をしていますが、小学生の頃はずっと獣医さんに憧れていました。きっかけはテレビで見た動物病院のドキュメンタリーでした。何気なく見ていた番組でしたが、内容がとても印象的でその1つのきっかけで獣医さんという仕事がとてもかっこよく見えました。番組の内容は飼い犬がヘルニアになってしまった飼い主さんが、飼い犬に動物病院で手術させる事を決意するところから始まっていたと思います。難しい手術にも関わらず、手慣れた手つきで手術する獣医師の姿が映し出されていました。更に犬の一生懸命生きようとする生命力、回復力に驚かされ、手術後歩くことも出来なくなっていた犬が自分は歩けると信じて疑わず、懸命に歩こうとする姿に心うたれたのを今でも覚えています。
28歳 女性のストーリー
小学生の頃、囲碁にハマったことがありました。
ハマったきっかけは週刊少年ジャンプで連載、アニメ放送された「ヒカルの碁」。作品として面白かっただけでなく、プロ棋士の梅沢由香里さんの囲碁解説ミニコーナーが放送されていて、囲碁そのものへの興味が強くなった記憶があります。
私も祖父母の家で碁盤を探し、折り畳み式の碁盤セットを見つけ、おねだりしました。碁石を洗い、碁笥(碁石を入れておく器)がなかったのでプラスチック容器を代用しました。アニメを見様見真似で打ち始め、囲碁入門の本を見つけては買って読み漁りました。当時、小学校に囲碁将棋クラブもあり、入っていたイラストクラブを抜けてまで、囲碁将棋クラブに入りました。しかし、囲碁を打てるメンバーが少なく、いつも同じ相手の子とばかり。自宅で父相手に打ってもらうも、数回対局して以降、父にも相手にされなくなりました。そんな中でも楽しく打っていた私は「なんでこんなに楽しいものに、みんなは興味を持たないのだろう?」と感じていました。
そんな小学生時代、卒業アルバムの作文に書いた将来の夢は「囲碁を教える人になりたい」でした。
残念ながら、その夢は叶っていませんが、当時読んだ本は今でも何故か手放せずにいます。
64歳 男性のストーリー
私は子供のころから野球をやっていて、昔はプロの選手になることにあこがれていました。しかし環境がよくなかっつたので,高校へ進学した時点であきらめてしまいましたが、その後も野球は続けていました。そうして40歳を超えたころから、50歳以上の軟式野球の全国大会があることを知り、それに向けて仲間が集まり、チームを作り練習を重ねて、ようやく全国大会の切符を手に入れることが出来ました、それも2度の全国大会出場です。憧れだった全国大会へも出場することが出来、その上、甲子園球場での大会へも行くことが出来、甲子園の土を踏むことが出来ました、長年行ってきた野球の夢がかなったのだと思っています。そうして今も、還暦の野球を同じメンバーで夏の間は休みなしで、がんばっているのです。私の人生は野球に始まり野球で終わりそうなそんな人生の様に思います、ともかくあこがれの全国大会と、甲子園球場の土が踏めたことで、子供のころからの夢が叶ったようです。
54歳 男性のストーリー
今、学校の教師をやっているのですが、ここ15年くらい学校では、キャリア教育が行われています。
生徒に、自分の人生を設計させたり、地域の事業所にお願いして職場体験をさせたり、手厚くやってあげてはいるのですが、希望の仕事は公務員。実際、将来やりたいことはわからない、という答えが多くなんのためのキャリア教育かと疑問を抱くことがたびたびあります。
私達が子供の頃は、キャリア教育なんてなく、友達と将来の話になるたびに、偉い人合戦になっていました。
それは、一人が県知事なりたいと言うと、誰かが総理大臣と返し、そこで私が天皇陛下というのです。天皇陛下より偉い人はいないので、私の勝利と確信すると思わぬ所から横槍が。アメリカ大統領!
しかし、それは反則。理由は、日本人ができないから。
私の勝利が決定して、私は本当に天皇陛下を目指して猛勉強を始めました。
普段、勉強をしない私が勉強をするものですから、親が心配して私に訳を尋ねるのです。
私は猛勉強をして将来、天皇陛下になる試験を受けて天皇陛下になるんだと答えたら、親は呆れた顔をして、天皇陛下は血族でないとなれないんだ、と言われて悲しくなりました。
努力してもなれないくやしさと、天皇陛下の血筋でないとなれないやるせなさは、よい思い出となっています。
そう考えると、今の子供達は不幸せだと思います。
23歳 男性のストーリー
そう言えば、昔(少年時代)はよく夢を見ていた、ワールドカップが終わればサッカー選手になろうと思ったし、日本シリーズの時期はプロ野球選手になりたいと思った。そんな影響をもろに受けていた少年時代に特に夢を見ていたのが、仮面ライダーだ。世界の平和のため?に自らの命を省みず、悪の組織に立ち向かっていくヒーローだ。特に俺が好きなところは普段は普通に生活しているのに、悪者が現れたときは即座に戦いへ向かう。戦いが終われば、何もなかったかのように普段の生活へ戻る。なんて健気なんだ。子供心に感銘を受けたものである。サラリーマンになった今、俺は仮面ライダーにはなれなかったが、大事な人を守るためジムへ週に2回通っている。しかし、ジムに通っていることについては基本的に他人には話しをしない。これは、ある意味仮面ライダーなのではないか?笑
27歳 男性のストーリー
小さい頃は「プロ野球選手」という典型的な夢を抱いていた。
小学校低学年から野球をはじめ、野球ばかりの生活だった。当時はプロ野球の中継も盛んで、毎日のように観戦していた。球場に足を運んだこともあった。
それなりに練習もしていたし、チームの中でも上手な方ではあったと思う。だから、当然のように「プロ野球選手」を目指していた。
あの頃はスポーツをしてお金を稼ぐには、どれだけの努力が必要なのか、どれだけすごいことなのか、と考えるようなこともなかった気がする。一番身近で一番かっこいいと思ったのが「プロ野球選手」で、自然とそれを目指していた。
しかしながら、肩の故障から中学1年で野球を辞め、夢を諦めるとともに軟式テニスを始めた。結構性に合っていたみたいで、30歳手前の現在でも続けている。

「あの人と縁を切ってよかった」

41歳 女性のストーリー
職場で一緒に仕事をしていたAさん。
自分の親ほど年が離れており面倒見の良いタイプの人でした。
私のようにずいぶん年下だと親のように接し、また何年か年下の人にとっては姉御肌。
最年長ではなかったのですが仕事面ではトップクラスのプレーヤーでありました。

そんな彼女のお得意とするところが一緒に働く人の悲しみや怒りなどを常に感じ取り共感してくれるところです。
それで誰からも慕われています。
だからといって多くの人をまとめる管理職に向いているというわけでもありませんでした。彼女と同格でしかも同業で彼女よりも高いキャリアを持ち一緒に仕事をやっていた私は彼女を嫌いではなかったのですが、そのやり方では崩壊の道に進んでしまうという確信がありいろいろとストッパー役にもなっていましたがそれが気に入らずある日を境に敵に回されてしまいます。
そうしたときに彼女のやり方というのがグループラインで公開処刑をし自主退職に追い込むというやり方。実はそれで退職した人が過去に2名もいます。
また退職までに至りませんが苦しんだ人もいます。
そんなことやっていますが彼女にはそんな権限はまったくないのです。
さて、それが今度は私に回ってきました。
しかし自分が正しく相手が間違っていたことはあからさまでしたので私は負けませんでした。もともと仲良く同じ方向性で仕事をしていると勘違いしていました。
誰にでも同じようにしていたのです。そして味方につけるためにもこっちでは誰かの悪口を、あっちではこの人の悪口を、といった風に最低レベルのやり方です。
そして何よりもやっかいなのが自分より給料や実力の高い人をそうやって潰していく癖があったのです。
それを知ってからは縁を切ることに決めました。
幸い働く場所が違っていたので会うこともありません。
縁を切ったことで私は自由になり仕事も楽しめるようになりました。
30歳 女性のストーリー
わたしの友人・Aさんは、なぜか自分の好きなことはみんなも好きだという認識を持っています。
それは例えば学校の授業や好きな異性のタイプ、食べ物などもすべて含んでいるのですが、一番厄介なのが趣味のことでした。

Aさんは『ミュージカル・テニスの王子さま』いわゆる2.5次元ミュージカルがとても好きでした。
周囲の友人たちはみんな興味がなかったのですが、とにかく話がしたかったのでしょう。
わたしが矢面にたってしまいました。

ある日Aさんのお宅にお邪魔することになったのですが、AさんはひたすらにYouTubeでその動画を見せ続けてきたのです。
その時間、なんと8時間。

Aさんはもともと食事もあまりしないので、お腹がすいた気配もありませんでした。
わたしは空腹だったのですが、Aさんは『わたしがお腹すいてないからみんなも同じ』と思い込んでいるため、もちろん食事休憩もありません。

長い拷問のような鑑賞を終え、わたしはAさんとの連絡をたちきりました。
風の噂でいまも趣味にのめり込み、自分達の劇団を立ち上げようとしているようです。

いまも連絡を取り続けていれば、きっとそれに巻き込まれていたかと思うとぞっとします。
早めに連絡をたって良かったです。
47歳 女性のストーリー
以前に近所に住んでいた方で、何組かのご家族と一緒に家族ぐるみのお付き合いもありましたが、今はお互いに転居して距離が離れたこともあり全く交流しなくなった方がいます。
私よりも年下だったので知り合った頃こそ、下手に出ていましたが慣れてきた頃からよく暴走するようになりました。
みんなで話し合って決めたことを一人で勝手に変えてしまったり、裏方的な仕事は他の人に押しつけて目立つところだけでしゃばって気ました。
そのうち私に丸投げする前提で、相談もなく勝手に始めてはすぐに放りだし、上手くいけば自分の手柄、上手くいかないのは私のせい、ということが何度か続きこれ以上関わるのは無理だと思いだんだん距離をおくようになりました。
全く交流のない今は、振り回されることもなくとても快適に生活しています。
23歳 男性のストーリー
私には、最近まで仲良くしていた女性の友人がいました。
その女性には友人を連れて来てもらってよくみんなで遊んでいたため、私にも女性の友人がたくさんできました。私は当時、出会いの少ない業界で仕事をしていたため、その友人にはとても感謝していました。
しばらく、元々仲の良かったメンバーで遊んでいたのですが、その仲の良い女性は仲のいい友人を呼んで沢山の人数で遊ぶのが好きで、事あるごとに遊びの提案を受け、予定を組んで飲み会を開いたり、遠出をしたりしていました。
その友人は少しわがままで、言いだす割には私たちに任せきりで思うように行かないと、すぐに怒ったりふてくされたりしていました。
最初は、友人を紹介してもらったりとかがあったので、なんでもゆるしていたのですがとうとう我慢の限界が来て、思い切って縁を切りました。
友人と縁を切るということをしたことがなかった私は正直怖かったのです。
ですが、結果的には相手に我慢する必要がなくなったり、自分の時間がとれるようになったりと
気持ちも晴れてとても良い結果になりました。
33歳 女性のストーリー
20代前半の時に描いていた未来予想図は、25歳くらいに結婚して30代にはもう第一子もいてという状態を描いていたのですが、実際は30代前半独身、絶賛婚活中です。
30代までは仕事に遊びに全力で、今が楽しければ良いという感じで突っ走ってきました。
30代になり、よく聞いていた、周りが30歳直前で駆け込み結婚ラッシュがあり、その波に揺さぶられて、もうそろそろ本気を出して将来のことを考えなくてはいけないのではと思い、合コン・相席屋・アプリにと色々と手を出して、その中でできた同じ年の彼氏。
年齢も一緒だったので、感じていることは似ていたのですが。やはり男女の違いなのでしょうか、結婚に対するあせりは女性の私の方が強かったようです。
彼は仕事が忙しく会いたいときに会える女性の存在が欲しかったようで。
付き合ってはいても想いの重さが違っていたようでした。その違和感を感じながらも、彼氏がいる状態といない状態では、誠心安定が違ったので、ずるずると関係を継続していたのですが。
ある時、きちんと向き合って、将来についてどう考えているのか?
お互いの考えを共有した時に、やはり感じていた違和感は、間違っておらず、お互いに向いている方向性が違うことが理解できたので、なぁなぁになっていた関係性を解消しました。
最初は寂しさもありましたが、きちんと縁を切った事で、そのご私が理想と想っている彼と出逢い、ゴールインすることができましたので、元カレとの縁を切って今ではよかったなと思っています。
61歳 女性のストーリー
私は、60歳です。多くの経験をしてきました。今までで、縁を切ってよかた人というのは、ある女性です。必ずしも男性とは限らないのです。
学生時代は、友達と適当に接してきました。クラスの友達は1年から4年で疎遠になれが自然に離れられます。嫌なことを言われても、合わないと感じても数年で離れられます。
しかし、就職すると、嫌な人と離れることができないのです。小さな会社は異動もないのです。
私は、貧しい家に生まれ、父はあまりまじめに働かなかったので、だから、家のことを聞かれることがとても嫌でした。いつも適当にはぐらかしたり、時にはうそをついたりしてきましたが、執拗にいろいろ聞いてくる同期の女性がいました。
女性は、知りたいという気持ちと自慢したいという気持ちが強いのです。もちろん人によっても違いますが、彼女はどちらも強く、同じ質問や話が繰り返されます。声が大きく、他の人に話し声がきかれてしまいます。私は、毎日苦痛でした。そこで、彼女の話にには相槌だけ、メールの返事も一言だけ、誘いはうまく断り、半年ほどで彼女から離れていきました。その後は縁が切れて、話しかけてもきません。こうして私には穏やかな日々がやってきました。今でも、事情があり、家族の話をすることは嫌です。決して話しません。
39歳 女性のストーリー
以前、会社社長の愛人をしていたことがあったのですが、いつまで経っても妻と別れる気配がなかったので、結局縁を切るというより、私が一方的に振って、囲ってもらっていた部屋を出ていくことにしました。

結果的に、何かを得たかと言われると、お金もほとんど残っていませんでしたし、手切れ金さえもなく、また住んでいたところもくれるようなこともありませんでした。

所詮はその程度の男だったのだと諦めて、私はこれから強く自立して生きていこうと心に決めています。

ちなみに、縁を切ったおかげで、私はクラウドワークスに出会い、今このお仕事をさせてもらっています。

もしかしたら、私の人生はこうなる運命だったのかと思うと、もっと早くあの人と別れていたら、今ごろ、もっと遥かに高いスキルや経験が出来ていたに違いないと思うと、悔しくないと言ったら嘘になります。
29歳 女性のストーリー
私が結婚するときにお祝いも何もしてくれなかったので、友達Aとは縁を切って良かったと思います。私は友達Aの結婚式には出席し、ご祝儀も相場の三万円を包みました。遠方でしたが、お願いされたので受付まで引き受けました。都合をつけて二次会も参加しました。しかし、いざ私が結婚するときには結婚式に出席もしてくれず、お祝いも電報もありませんでした。今までお金のことや損得勘定で友人としての付き合いを決めるつもりはありませんでしたが、友達Aがお祝いする気持ちすら持っていなかったことを知り、縁を切る覚悟ができました。友達Aはもともと気が利かないタイプではありましたが、連絡不精なところや自分本意なところ、薄情なところが次々に浮かびました。人生の節目や冠婚葬祭で、縁を切る良い機会になったと思います。
31歳 男性のストーリー
私の友達に、
『みんなで相談して決めたことを後になって文句を言いだす』ことや、
『お金にルーズで、人からよく借金をする』こと、
そして『アルバイトを転々としながら遊んでばかりいる』ことの、
三拍子を揃えた人間がいました。

当時、私も若くて友達と遊ぶことが楽しくて仕方がない時期であまり気にならなかったのですが、年齢が上がり様々な経験をしていくとその友達のことが気になるようになりました。

彼自身もそうですが、彼と関わる人にあまりよくないことが立て続けに起こっているのを見て、『やはり自分や周囲に悪影響をもたらすようなことを言ったりしている人のそばにいると、自分も同じような目にあう』と思い、その友達とは縁を切ること決めました。

今ではあまり不幸なこともないものの、やはりその友達は風の噂を聞くとあまりいいことが起こっていないようなので、改めて縁を切ってよかったなと思っています。
34歳 女性のストーリー
 あの人と縁を切ってよかった、と思うのは結婚前に勤めていた会社で同僚だった女性社員です。
 彼女はあまり良い噂が有りませんでした。「男性社員に媚を売って社員にしてもらった」とか、見えないところで他の男性社員とイチャイチャしていたり…目に余る行動も多かったです。
私は彼女とはあくまでも『会社の同僚で、世間話をする関係』を貫いていたのですが…
ある時からターゲットにされてしまったのです。それからというもの休日になれば電話がかかってくるのです。
ダラダラと「何してる?」「あの人があなたの事、嫌いだって」と下らない話ばかり。
私は次第に疲弊していきました。
パートさん(主婦の方)に相談したら、あきれてました。そして、「あまり親しくしない方がいい」、「何か言われても真に受けない方がいいよ」と言われました。
 彼女と縁が切れたのは、私が結婚して退職したからです。今思えば彼女は流行りの『エネルギーバンパイア』でした。(他人に迷惑かけて、精神的に疲弊させる人のことです。)
 その後聞いた話ではの彼女は会社内でいろいろ問題行動を起こして退職せざる終えなくなったそうです。彼女とは本当に縁が切れてよかったです。
 
30歳 女性のストーリー
23歳の時に12上の人と結婚をしました。
子供も3人に恵まれたのですが、2人目が生まれた後に旦那が転職をしました。
そこから結婚生活が少しずつ狂いだし、旦那の浮気が発覚。
1週間も帰ってこない、帰ってきていても時間のすれ違いで顔を
合わさない、家で家族とご飯を一緒に食べない・・・など。
ですが浮気をしているのを、わかっていてもまだ愛情はあったので
ずっと我慢していました。
そして、3人目が出来、順調にお腹も大きくなり
いよいよ出産!となり病院に入院したのですが
14時から帝王切開での出産だったのですが、病院に来たのは時間ギリギリ。
書いてもらう書類に記入してそのまま
帰ろうとしたのですが、看護師さんに止められ、出産に立ち会いしました。
子供が取り上げられ、鳴き声を聞いて旦那は私が病室に戻るのも
待たず、帰っていきました。
そして退院して帰宅すると、旦那の服や洗濯機、テレビ、ベットがありませんでした。
すぐに旦那に電話をして、話しをしました。
「しばらくは別居しよう」と言われました。
子供が生まれた後だったからなのか絶望感しかなかったです。
でも、子供たちと4人の生活は毎日が戦争だったけど
とての楽しく過ごせました。
そして、元号が令和になり、一番上の子が小学校に入学したのもあり
自分が前に進まなくては!
と思い、とりあえず旦那の名前を家から出そうと思い
役場に行き、スムーズに手続きが終わり
前から記入してもらっていた
離婚届けをその場で出してきました。
あっけなく離婚も受理されて
離婚した実感も未だにないけど
旦那と離婚した事で心の負担がかなり減りました。
今では旦那がどこに住んでいるのかもわからず、連絡も会う事もなく
楽しく毎日を子供たちと過ごしています!
こんな事ならもっと早くに離婚して縁を切ればよかったと思います。
35歳 男性のストーリー
実の父親と縁を切って良かった。
子供の頃から自分勝手で口先だけは家族を心配する素振り。
母親が追い詰められて心が病んでも支えてやる事もせず
あっちへフラフラこっちへフラフラいい思い出はとても小さい頃に
あった気がするけどそんなことは遠い昔。
弟と妹が生まれてからいい思い出がひとつもない
追い込まれて泣いている母親をみて何度自分を責めたかわからない。
自分が大人になって父親と同じ轍を踏みそうになった。
それが嫌で嫌でたまらなくなって爺ちゃんが死んだ次の日から
父親との連絡を絶った。
それからと言うもの何をやってもうまくいかなかった人生が少しずつ
人並みになって行き、今では人よりもちょっぴりいい暮らしをしている。
心にアンカーを打つ存在と縁を切れば人生って良くなると実感している。

「○○の裏話」

24歳 女性のストーリー
私の働いているDVDレンタルショップの裏話です。
いつも笑顔で働いているスタッフですが、お客さんのいないところでは意外と不満をスタッフ同士で言っていることもしばしばあります。
DVDの読み込み面に毎回傷をつけてくる客や、アダルトビデオを返却されたときにベタッとなにか汚れているものもたまにあります……
子供が傷をつけたとかならわかりますが、大人が誰かに借りたものを傷をつけたり、汚して返すのって、非常識じゃないの?ってよく思っています。
あまり人の多くない地方などでは、よく来るお客さんの顔は意外と覚えられているかもしれません。何気なく適当に扱っている人はもしかしたら、近々その系列のお店でブラックリストに入って、もう借りられなくなるかもしれません。ぜひ気をつけてください。
34歳 男性のストーリー
サイクルベースあさひの裏話を今回はお話させていただきます。
サイクルベースあさひは、今自転車チェーン店でおそらく一番有名なチェーン店となっております。また、常にどこかでバイトの募集をかけてはいますが、実際はどれだけひどいお店であり、またひどい職場かどうかがよくわかります。
まず、基本的に社員の方は2人~3人程度で、後のスタッフに関してはほとんどがアルバイトとなります。実際問題の接客をしているお店に関しては基本的にアルバイトの方がいないと成立しない会社が多いのは現状です。
にも関わらず、社員の方は上から目線でアルバイトを物としてしか見ておりません。
パワハラなんかは当たり前のように横行しております。
また、自転車の値段も強気の設定をしております。修理に関してもお客様の知識が乏しいことを逆手に取り、とんでもない修理値段の内容を伝え、新車の購入等を勧めてきます。また、そこでパンクの防止剤を購入する際に勧めてくるのですが、このパンクの防止剤もクセモノです。この商品はパンクしたら空気がすぐに抜けて走れなくならないように空気をより抜けにくくするための商品であり、実際には通常よりも空気は抜けやすい状況になります。つまり、あまり意味のない商品を1400円弱の値段で購入を勧めてきます。
54歳 女性のストーリー
面接の裏話

先日面接を受けに地元のやまの方に会社へ行ってきました。

指定の時間より15分速く着きました。

十分前には受付を済ませて、案内されたテーブルに座ろうとしました。

ところが、デーブルはお昼を食べたままなのか、ふりかけのこぼれたような跡がそのままになっていました。

厚かましいかと思いましが、気分が悪いので、だいふきを貸してくださいとお願いして、拭いてもらいました。

少し待って面接担当の方がいらっしゃいまして、面接開始。

その中で気になったのがメンタル弱い人は、うちの会社無理だからと、いわれました。

それから、応募したところとは違う作業場に、こっちの方が貴方にはあってるからと、いわれたので、見学することにしました。

何もかも上から目線で、今時、こんな会社あるのかと、かなりビックリしました。

作っているのはアライのヘルメットの磨きとシール貼り。

若いとき工場で作業していたので、そのときよりもとても、古いやり方のように見受けられた。

色々いわれたので辞退して帰ってきた。

「業界ならではの話」

26歳 女性のストーリー
 私は保育士3年目です。保育園は集団生活の場ですのでインフルエンザなどの感染症が流行ることが多く、なかなか避けては通れない道です。流行る病気は様々で、”今年も来たな”というものや”なにそれ?初めて聞く”というものまで…。
 病気が流行り始めると少数ではありますが、保護者の方からこんな質問を受けることがあります。「●●(病名)ってどんな症状ですか?」。この質問には正直困ってしまいます。よくある病気だったり代表的なものは表面的には分かりますが、同じような症状の病気もたくさんありますし、元を言うと病気は覚えきれないほどたくさんあります。
 質問してくださった保護者の方は、毎日の大変な子育てに加えて感染症が近くに迫っているという状況の中で、私のことを信頼して質問してくだっさたのだと思います。保育の専門性を日々勉強しており、流行っている病気について頭に入れておかなければ十分わかっているのですが、たくさんの仕事と比べると、他に医療の専門家がいる内容についてはどうしても後回しになってしまいます。
 私の勉強不足の為に答えられないことが申し訳ないのと、もし答えられても間違った症状や知識を伝えてしまうかもしれないので、病院でたずねたりネットで調べて頂くとありがたいです。
46歳 男性のストーリー
建設業界で勤務していた頃の業界ならではの話として真っ先に浮かんだのは、
勤務時間が長く、人間関係がギスギスしていることになります。

自分が勤務していた時代は、「この業界に定時など存在しない。残業があって
当たり前だ。」と先輩から言われていました。

平日は深夜までの勤務が当たり前で、時には徹夜もあり、さらに休日出勤も多く、
特に繁忙期は心身ともに疲弊していたのを思い出します。

そのような勤務状況のため社内は常時ピリピリしたムードで、小さなミスでも
烈火のごとく怒りだす先輩がいたり、常に上司と喧嘩腰で口論する先輩が
いましたので、ギスギスした人間関係に恐怖を感じながら勤務していました。

現在は人手不足の影響からか、人間関係の部分は若干の改善がされているとは
聞いていますが、勤務時間については他の業界と比較しても長い傾向にあることは
変わらないようです。

以上、建設業界ならではのお話をさせていただきました。
55歳 男性のストーリー
クレジットカード業界ならではの話といえば、やはり知り合いや有名人のクレジットカードの利用状況が見えてしますということです。当然個人情報ですので、興味本位で利用状況を見たりすることはありませんが、業務の遂行上、どうしても見なければならないことがあります。当然のことなが、他言無用ですし、利用状況を迂闊に他人に話してしまうと個人情報保護法に抵触し、最悪の場合は逮捕されてしまいますので、そういったことは絶対しませんが、例えばお金持ちそうな著名人が意外にもキャッシングを利用しているなんてことも見たりすることもあり得なくはないので、心の中では「人は見かけに依らないなぁ〜」なんて思ったりすることはあります。
36歳 女性のストーリー
以前、医療事務の仕事をしていました。医療事務の仕事は一見、安定しているように見えますが不満が多い職場です。理由は2つです。
まず、1つ目は給料が安い!事務と思われがちで簡単なお仕事に見えますが、カルテを運んだり、整理したりと意外と力仕事です。その上、患者さんに連絡したり案内をしたりと、接客業でもあります。大変なのに、他の事務職に比べてみても給料が安く、不満を持ってる人が多い。
2つ目は、上下関係が酷い!一番は医者、二番は看護師、三番目は病院の社員、四番目が医療事務。医療事務のメンバーは基本的には女性が多いので、医療事務の女性メンバーの中でも、年功序列の上下関係があり、本当に働きにくい環境です。年配の人が多い職場だとなおさら上下関係があります。
27歳 女性のストーリー
私は福祉業に務めていて普段から人の命を預かる立場にいて、その人達の安全を確保するのがこの職業において1番求められることですが、正直それは完全にはできません。普段から気をつけてはいますが人手不足であったり、1人の利用者様に何かあったときにはそこへ職員がついてしまい、他の利用者様の安全を怠ってしまったが故に事故が起こってしまうことがあります。ですが、そういった事故があっても入所している方々だと親御さんと密にやり取りをするわけではないので、何か起こっても全て報告するわけではないことが現実としてあります。また、何か起こっても上へ話を通さず、自分達で勝手に解決をしてしまうこともあるため、会社全体で把握していない出来事があるのもざらです。

「異性は知らないなと思う話」

24歳 女性のストーリー
男性は女物の下着が高いと知らないと思いました!
脱いだ時に彼氏に可愛いといいよね、といったり褒めてくれたりはしますが、私のために下着を買ってくれることはありません……
彼氏のために可愛い下着を探して、下着専門店に行ってみますが本当に高くて、買うか迷うこともしばしばあります。彼氏と一緒に下着を買うのは恥ずかしいし、一緒に行ってくれそうな気配もありません。
「その辺に売ってるやつはそんな高くないじゃん」って言って、量販店で売っているものと比べられて責められる始末です……作りが全然違うし、バストの形が崩れてしまうからしっかりした作りのものをつけたいのに、話に興味を持ってくれません。
男性は本当に女性の下着について見た目だけにしか興味がないのかもしれませんが、下着の違いが分かる男性はどのくらいいるのでしょうか……
19歳 男性のストーリー
中学生、高校生の頃のお話しです。少しアダルトな内容が入るかもしれませんがご了承願いたいです。
男子はよく女子の話をしています。しかもその内容はほぼほぼ卑猥な内容の話題になります。年頃の男子だからしょうがないのかもしれませんが、どんな内容かというと「以外とあいつってあるよな(胸が)」や、「かわいいけど男連れ回してヤってそう」などというような内容の話です。これは異性は知らないのではないかと思います。
もう一つも少々卑猥な話になってしまうのですが、男子学生の自慰行為率が以上に高いという話題です。女子に男子がどれだけ1人でするのか知らないの?と聞いてみていた(中学生の頃)ところ全く知らない、きょとんとしていたのでこれも異性が知らないことに該当する話ではないかと思います。
41歳 女性のストーリー
女性が知ってて男性が知らない事と言えば、大体は下の話になると思う。例えば、セックスについて。男性はAVのようなセックスが女性に喜ばれると思っている人が多い。それが故に初体験で失敗してる男性は多いとよく聞く。女性はいったふりをするのが上手だと思う。私もですが。笑なぜフリをするのか。それは、相手が喜ぶから。喜んで貰えるのは嬉しいけど、本当は相手よりと自分が気持ちよくなりたいと思う。満足してない女性は多い。実は男性よりも女性の方がオナニーをしているはず。男性と違って羞恥心があるからオープンに話せないだけで、AVも観るし、エロ漫画も読むし、なんとなく布団の中で…という時もある。案外、女性の方がエロい。
29歳 女性のストーリー
異性は知らないなと思うことは、やはり妊娠から出産、ある程度の年齢になるまでの子育てです。
女性は妊娠してお腹に子供が出来るとゆうことは普通だと思われていると思います。初期のめまい、吐き気、眠気、頭痛、などあらゆる悪阻が起きたりします。異性はまずこの苦しみの激しさは理解できなく、知らないなと思います。
次にお腹が大きくなり自分の股が上からは見えなくなります。その時点で靴下をはくのが難しくなり、腰痛がはじまり、恥骨痛もある人はあると思います。この時期になると私の場合は早く出産してしまいたいと思っていました。最後に出産です。
想像を絶する痛みと何時間も戦いの末我が子誕生。異性はここで終わりだと思っているでしょう。
産み終えたあとも後陣痛とゆう陣痛に苦しめられます。
異性も色々知ってもらえれば妊娠時や産後の関わり方を変えていってくれると思います。
29歳 女性のストーリー
29歳 女性のストーリー
29歳 女性のストーリー
40歳 女性のストーリー
女性の無駄毛処理について、男性は知らないと思った話です。
男性の同僚と雑談をしている際、彼は「男はひげそりを毎日しなければならない」と愚痴っていたので、切れた事があります。
女性である私が「そんなの、たかだか首から上だけじゃないですか。女性は首から下、眉毛と睫毛以外は処理しているんです。剃ったり抜いたりしているんです。処理が必要となる表面積がまず違う。よって、かかる手間も時間も多くなるんですが」と言ったところ、押し黙っていました。
勿論、認識の個人差があるのは重々承知ですが、女性が日々無駄毛に苦しんでいる事実を知らないのでしょう。
女性でも手足の指に無駄毛くらい生えます。
口の周りや、眉間の間に太い毛も生えます。
自分で毛抜きを用いて、脇の毛を抜いたりしているのです。
むしろ、体毛の多い男性の方が、衛生管理上、無駄毛の処理が必要だと考えています。
自分で自分の無駄毛自己処理すらしたことのない人に限って、「女は髭剃らなくてからいい楽」等と、間違った価値観に基づいた発言をするのです。
全身の無駄毛を毛抜きで自己処理してから言え、というものです。
32歳 女性のストーリー
女性の生理について、男性はあまり理解をしていないと思います。
生理は子供を産む為に必要な現象ぐらいの考えだと思いますが、生理は女性にとってはとても嫌な現象です。
まずお腹の痛み。これが1番苦痛に思う人が多いと思います。
人によっては救急車を呼ぶほどの痛みを感じる方もいます。大げさではありません。
友達が実際、救急車を呼んでいました。
さらにイライラや不安症。
私はホルモンバランスが崩れやすく、自分のコントロールが出来ず、周りに当たり散らしています。
子供にあったたりして、自己嫌悪しています。
後、下着の汚れ。
気を付けていても寝ていたりすると下着を汚してしまったりします。
旦那は、理解ある人ですが、仕事場の男性は、理解がなく、イライラしている女性に「あの日だろ」なんて陰口。
どれだけ、女性はこの周期が苦痛かわかってないと常々思います。
23歳 女性のストーリー
私は中学生の時から現在までずっと女子校なのですが、今回は男性の皆さんが知らないであろう女子校について書きたいと思います。
まず女子校の良いところは自分の趣味を共学よりもオープンにできるところです。
女子校ではイケメン俳優、ジャニーズ、LDH、48.46系、ハロプロ、2.5次元、アニメ、漫画など様々なジャンルを好きな人全て趣味をオープンにしています。
共学の友達に聞くとアニメの趣味を隠しているなどと言っていたのでそういう面で女子高で良かったなーと思います。
次にこれも趣味の話とかぶってしまうのですが、好きな芸能人などと本気で結婚や恋愛ができると思い込む人が非常に多いです。
恋愛経験がない人も多くいますので、ドラマや漫画のような恋愛を芸能人とできると本気で思っています。
30歳 女性のストーリー
綺麗な女性はデート、友人との食事などに出かける場合、自宅でスキンケア、保湿、マッサージ、日焼止め入り化粧下地など下準備に2時間。

約束の1時間前にスッピンとマスクで現地に行き近くの化粧室でフルメイクとヘアーをまとめて行います。

その話を聞いて私は絶句しましたが、現在の人気の艶肌は女性の努力と多くの時間でできているのだと知り、自分も驚くだけではなく頑張って美容に積極的にならなくてはダメだと感じました。

化粧を崩さない努力、髪型を崩さない努力、服装に気遣う努力、美は努力である程度作れると思うと少し希望がわいてきたす。

お洒落で綺麗な女の子と話すと自分のモチベーションも上がりとても良いですよね。

また、色々聞いてみたいです。


30歳 女性のストーリー
女性がまったく興味のない男性であっても奢ってもらえるのならば食事に行くということを、男性は知らないと思います。男性は女性を、食事に誘って了承をもらえたら、脈があるとか、好感があると勘違いしていると思います。
例えば私の仕事は薄給なので、毎月お金をかけられる部分は限られています。美味しいものが食べたくても、月々の家賃や交通費など決まったものにかかる費用があり、贅沢品は、メイク道具などの化粧品、洋服などにかけています。そのため食費にまわせるお金はあまりありません。自分磨きにかけるのです。
そのぶんメイクアップした見た目に騙されて、私に好印象を抱く男性がデートに誘ってくださいます。その際は、予約の必要なお店や高級料理店に連れて行ってもらえるよう誘導し、食事をご馳走になります。こちらはたまの贅沢な食事を楽しむのが目的であって、男性には興味がありません。
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「あなたの番です」あらすじ
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ノウハウ
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異性は知らないなと思う話
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