"料金" に関するエピソード

「これまでで一番お金を無駄にした話」

40歳 男性のストーリー
家を建てたこと。
できるだけお金をかけずに家を建てようとしたけれど、なかなかコレだ!というハウスメーカーは見つからず。
地域の工務店も見て回ったけど、なかなか決められずズルズルと日にちが過ぎていくだけ。
結局、とあるローコストをうりにしたメーカーにお願いすることにして契約。

しかし、「これはオプションです」「この作業は別の業者になるので別料金です」など、追加の工事やオプションが必要になった。
しかもオプションもつけなくてもよいけど、それだと色々と理由があって料金をとられることになった。

このように、最初聞いていた話と違い追加料金が発生しまくって予算を超えてしまった。
後日、地元の工務店で私と同時期に家を建てた妹に聞くと、地域の工務店のほうが融通きかせてくれたし予算内で収めてくれたとのことだった。

大きな買い物てあったので、実際に建てたひとに聞くべきだったと後悔しています。

「これまでで一番笑った話」

32歳 男性のストーリー
友人の話です。彼は20代前半のときにバックパッカーとしてインドに行きました。街から街を長距離バスで移動する際にある出発地点で旅行会社の現地人と揉めていました。どうやら支払い額が足りなりらしいです。しかし正規料金を払ったと主張する友人。ヒートアップしているうちに自分の財布をすられてしまいました。見兼ねた旅行会社の人はそのまま友人をバスに乗せてくれたそうです。彼は感謝しましたが、財布の中にはかなりの大金が入っており意気消沈しています。乗り換え地点に着くと、そこから別のチケットで別のバスに乗ります。土地勘のない彼に事情を知るバスの運転手が「これを使え」と優しくチケットをくれたそうです。彼は涙しながら感謝して次の目的地に向かうバスに乗り込みました。車掌にチケットを見せるように言われ、先ほどもらったチケットを出すと
「足りないが?」
友人は数々のインド人の優しさを胸に目的地まで数時間歩いたそうです。

「今までで一番感動した話」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。


「お金さえあればと感じた瞬間」

27歳 女性のストーリー
日頃から多く感じる瞬間があるのはテレビを見ていて旅行おすすめスポットなどの紹介がされているのを見た時です。行きたいところはたくさんあるけれど、そこに使う余裕はないと結局いつも行きたいどまりです。主に物欲に伴って感じることが多いです。どこかに妥協している自分に気付いた時もお金さえあれば妥協せずに住むのにと思います。あとは自分の小ささを感じた時です。例えば、買い物をして駐車料金が無料になるサービスを受けられていたのに、し忘れていて駐車料金を払わなければ行けなかった時です。あとはローンを組みたくない性格で、家や車など大きな買い物がさらっとできない時です。家族の面では子供が欲しいと思った時、やはり体力の問題というよりはお金の面が心配で何人もは産めないと思ってしまいます。
22歳 女性のストーリー
私は水商売をしていたこともありホストをしている友達が沢山いました。最初は友達の働いているホストクラブに遊びに行く程度でしたが、初回周りをしていくうちに1人のホストに駄々ハマりしてしまいました。
正直そのホストは売れているかというとそうではなかったのですが、何故か凄く一緒にいると居心地がよくストレス発散になっていました。通う頻度はどんどん増え、頻度が増えるにつれ1回の会計の料金も増え続けていきました。それでも私もそれなりに稼いでいたため全く問題はありませんでした。ある月、今までナンバーに入ってすらいなかった彼がいきなりナンバーワンになったのです。そして、ナンバーワンになったかと思えば、ナンバーワンにした(それだけの金額を1ヶ月で使った)女の子に水揚げされ店をやめていきました。彼自身ナンバーワンになったら辞めるとは、言っていたのですがホストの言ってることなのでどうせ嘘だと思っていました。この事実を知った瞬間もっと稼いで私がナンバーワンにしていれば・・・と、後悔しました。彼はその女の子の事を好きではないらしいですが彼女は金持ちのようで、それ目当てで近々結婚するそうです。世の中お金だなと想いました。

「人生で一番贅沢した話」

27歳 女性のストーリー
昨年新婚旅行でパラオに行った際に、思いつきで当日予約したセスナに乗り、上空からロックアイランドという世界遺産を見下ろしました。セスナに乗ったのも生まれてはじめてで贅沢だなぁと感じたのですが、インターネットや写真やポスターぐらいでしか見たことがない世界遺産の景色を見て人生ではじめて心が揺さぶられるほど感動しました。また、乗ったセスナは料金をプラスして窓がないものを選べたため、上空の空気や風を感じながら手を伸ばせば届きそうな雄大な景色を目の当たりにできました。セスナ自体の料金は、安くはなかったのですが、せっかくの新婚旅行だしと奮発して贅沢をしてとても良い経験になりました。セスナに乗って世界遺産を目にすることはおそらく一生に一度の贅沢だと思い、とてもいい経験でした。

「今だから言えるごめんなさい」

45歳 女性のストーリー
「今だから言えるごめんなさい」、と聞いて、必ず思い出すのが大学時代から長年付き合っていた元彼のこと。
悪いことをしたな、と思い出すことも多く、その罪悪感からかいまだに時々夢でその当時に戻って謝っているときがあるくらいです。
結婚の約束をし、お互いの両親にもその話をして、指輪もきっちりいただいたのに、海外旅行とプチ留学にはまってしまった私から、いきなりの破棄。
携帯電話の料金も払ってもらっていたし、それこそ海外旅行先から国際電話でかけてくるその費用も彼持ちだったのに、その国際電話で長々と別れ話をしたのも今思うと、すごく申し訳ない。
彼が変わったとか、やっぱり相性が合わなかったという理由ではなく、とにかく海外で見る人、出会う人が新鮮だっただけで、彼に非は全くありません。
後から、共通の友達に聞いたら、結婚が流れた話を説明している彼が酔いつぶれてしまうくらいべろべろに呑んでいて大変だった、飲みに行こうと連れ出されるとその話が延々と続くので最終的には断っていた、ということでした。
「人生が変わった」と酔いつぶれていた元彼、そのご家族、周りの友人、勝手なことしてすいませんでした。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

31歳 女性のストーリー
焼き肉の食べ放題のお店へデートへ行った際に女子料金って言うのがあって男と比べて500円ぐらい安かった。私はラーメン次郎では大盛りでないと満足しない胃袋の持ち主。一方、彼氏は女の子かと思うぐらい食が細い。それなのに男ってだけで料金が高い。つまり胃袋の大きさなんて関係ないんだ。安いのは嬉しかったけど、結局いっぱい食べたから申し訳なくなって割り勘してしまった。だって彼氏は胃袋小さいから、あんまり食べてなかったんだもの…申し訳なくなってしまったんだ。よく新歓やコンパは女の子の方が圧倒的に安い。それを見ると女に産まれて本当に良かったと思う。女の方が化粧やらファッションやらでお金がかかると言われているけど、物を選べばそんなことない。私なんて毎日全身5000円コーディネートさ。

「一番おいしかった食べ物」

46歳 男性のストーリー
ここのとんかつはいままで生きてきた中で一番だと思えるものがあり、肉厚で厚切ロースと書いてあって注文してみるとなんと厚切のお肉がからっと揚がってきていました。ボリューム満点でいつ食べてもお腹一杯になりますが、一つだけ玉にきずではあるのが料金がかなり高いことです。高くて美味しいものを食べる事は簡単ではありますがそこを踏まえてもかなり豪華でおいしいと考えられて妥協はしたくありません。とんかつならばこのお店と言った感じでもありますし、自分の中ではこのお店が定番のお店であります。これまでここのお店のとんかつを越える味を味わった事がないのでこれからはこちらのお店を越えるとんかつのお店を探す事も考えたいです。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
独身っていいなと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
自分は特別だと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
こんなひといました
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
人が豹変した話
わたしの周りで大変身した人
今だから言えるごめんなさい
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
わたしの周りの大恋愛
あの人と縁を切ってよかった
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしの周りで一番勉強ができた人
これまでに出会った天才
ノウハウ
○○の裏話
異性は知らないなと思う話
業界ならではの話
人間関係
一番ひどい友達からの裏切り
家族に一番感謝したこと
女同士って面倒くさいと思った話
女って本当に恐いと思った瞬間
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
これまでで一番悲しかった時
お金さえあればと感じた瞬間
これまでに一番勇気を出した瞬間
人を見返してやった話
今までで体験した一番怖い体験
死ぬかと思った話
修学旅行の思い出
とっておきのすべらない話
嘘みたいなほんとの話
人生最大の失恋話
これはひどいなと思った結婚式
どうしても許せないこと
人生で一番運が良かったなと思う出来事
学校や仕事をサボってやったこと
忘れられない先生の話
人生で一番贅沢した話
これまでで一番お金を無駄にした話
一番の苦労話
一番おいしかった食べ物
人生最大の修羅場
これまでで一番驚いた話
今までで一番感動した話
これまでで一番笑った話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
奇跡だと思った話
忘れられない夏の思い出
忘れられない夏休み
私について
誰かに聞いてもらいたい愚痴
誰にも言っていない秘密
私の変えたい過去
苦手だったのに得意になったエピソード
そういえば昔夢見ていたこと
もっとも尊敬する人
人生が変わった出来事
仕事での大失敗
わたしの初恋と、その結末
わたしがやめられないもの
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間