"バイク" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

26歳 女性のストーリー
短大の頃に地元でバイトをしていた時の話です。
その日は帰りが22:30を過ぎていて、バイト仲間と帰り際にバイト先の店前で喋っていると、先に帰った後輩1人が、「白いお面をつけて笑いながらバイクに乗ってる人に追いかけられた」と青ざめながら帰ってきました。何人かバイト仲間がそこにいたので、しばらく周りの様子を伺いましたが、現れることなく、気をつけようと言いながら解散。
街灯が少ない道を私も歩いて1人で自宅へ帰っていたところ、後ろからバイクの音が。。交通量がほとんどないので一瞬で白いお面の人じゃないかと怖くなりました。でも絶対振り返らないと思って、気持ちを落ち着かせながら前だけを見て歩きました。近づいてきた途端にバイクがスピードを落として私のすぐ後ろに来たので、怖くなって振り返ると白いお面をつけた人がバイクに乗って、私を見て大笑いしてきました。私は怖すぎて気付いたら大声を出して叫んでいました。大泣きしました。
白いお面の顔がいまだに忘れられません。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

22歳 女性のストーリー
社長関係の知り合いが多くいますが、お金持ちの人は大体、車3台くらいは保有してます。
おまけに愛人も結構な確率で居ます。
奥さんとは真反対なタイプが多いですね。
でも、お話を聞く限りだと奥さんもその人に相応しいくらいの寛大で頭のいい奥さんが多いです。
家もめちゃくちゃ広いですし、接待という名の社長関係で毎週のように飲んでます。
やはり男の人のお金持ちは自動車が好きなようでバイク、ジェットスキーなど趣味も幅広く持っている方が多いです。
性格も気さくな方が多いですね。やはりお金を持ってる分余裕があるのかと思いますが、寛大です。
ですが、社長関係の中でも位の低い人は性格にも余裕がなく怒ったりなどしているので、やはりトップの人柄などで収入も変わってくるのかなと思いました。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

43歳 男性のストーリー
会社にバイクで通勤をしていて、高速道路を走行中に
アクセルが自然と元に戻らなくなってしまいました。
自分で戻す分には影響はなかったので、なるべくスピードを
出さずに、ゆっくりと高速を走りました。
夜に仕事が終わり、帰宅しようとアクセルを回した瞬間
ブチとワイヤが切れてしまい、エンジンが回せない状態に
なってしまいました。
修理にだして後に判明したことですが、どうやらアクセルワイヤーを
イタズラされていたらしく切れやすい状態だったそうです。
もし、朝の高速道路でワイヤーが切れて、元にもどらなかったら
どうなっただろうかかと思うと背中に寒いものが走りました。
今に覚えが、走行中の出来事でなかったので運がよかったのだと
思います。

「わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳」

39歳 女性のストーリー
私が大学入学して初めてアルバイトをした時の話です。
某ハンバーガーショップで働いていたのですが、ある日
一つ年上のバイトリーダーが、なかなか来ない。
大幅に遅刻したと思ったら、「バイクで事故った」と言い訳をし、
手と足にばんそうこうを20枚くらい貼っていました。
ただ、普通のばんそうこうをあちこち貼っただけで絶対に
けがしてないことは一目瞭然です。
ただ、バイトリーダーということもありバイトの私たち新人は
「大変でしたね…」というしかありませんでした。
ですが次の日、あんなに貼っていたばんそうこうは半分にまで
減少し(貼りなおしたのでしょう)、しかも前日と貼ってる場所
違ってました。そんな浅はかなウソをつくくらいなんで、前回
貼った場所も覚えてないんだろうな~と思いました。。。

「わたしがやめられないもの」

65歳 男性のストーリー
私は、趣味としてゲレンデスキーをしています。これは、私が子どもの頃から変わることのない大好きな事です。
雪深い地域に生まれ育った私には、よい条件がそろっていたのだと思います。
現在私は、60歳半ばの年齢となりましたが、これまでを通じてスキーをするために、体力の維持に努めてきました。雪の無い時期は、ウォーキングやロードバイクを日課としています。お陰様で、これまで大きな病気をしたことが無く、健康を維持しています。
これはスキーを元気で楽しみたいという気持ちが、そうさせてくれたものと感謝しています。
定年退職した今は、何の妨げもなく毎日でもスキー場に通えることに、とても幸せな気分です。
仕事をしていた頃は、毎日が忙しく中々スキーにいけなかったことを思い出します。少ない時間をやりくりしてやっとの思いでスキーをした時、日頃のストレスが晴れ晴れと消えて行くことを、何度経験した事でしょう。それも懐かしい思い出です。
これからも健康に気をつけて、私の一番の楽しみであるスキーを心から楽しんで行きたいと思います。
65歳 男性のストーリー
 私がやめられないもの、それはスキーです。私の最も好きなスポーツで、幼い頃から続けてきました。スキーをするといやなことを忘れることができます。これまで、何度スキーに助けられた事でしょう。仕事での失敗や、人間関係に苦しんだ時も、様々なストレスにさらされた時、その鬱積したものを解消してくれました。そして、私に心地よい解放感を与えてくれたのがスキーでした。
 豪雪地帯に生まれた私に、スキーをする環境が整っていたのでしょう。現在60歳半ばになりますが、スキーを楽しむために、雪の無い時期は、ウォーキングやロードバイクで体力保持に努めています。
 スキーを起点とした私の運動習慣は、大いに健康維持に役立ちました。今も、とっても元気です。ですから、私はスキーがやめられません。これからも、長く続けて行きたいと思っています。

「死ぬかと思った話」

30歳 女性のストーリー
タイへ一人旅に行った時のことです。
行きの飛行機にトラブルがあったりして到着が大幅に遅れ、泊まるゲストハウスに着いたときにはもうヘトヘトでした。
すぐにでも寝てしまおうかとも思ったのですが、お腹も空いていたしお酒も飲みたかったので歩いて少しのところにあるコンビニへ行くことに。
すると、渡ろうとしていた横断歩道にバイクが突っ込んできて、頭が少しぼーっとしていた私は反応が遅れて、思い切りぶつかってしまいました。
意識はあったのですが思いどおりに身体が動かせず「なんか血が出てるけど、英語もタイ語も話せないし、あんまりお金ないし、知り合いもいないし、もしかしてこのまま死ぬんじゃないだろうか」とさえ思いました。
ですが、その場にいた地元の方々や、騒ぎを聴きつけてやってきてくれたゲストハウスのスタッフさん(日本人)に助けられ、無事病院で治療を受けることができました。
幸い後遺症の残るような怪我もなく、治療費も相手の負担で済みました。

「忘れられない先生の話」

27歳 女性のストーリー
私の忘れられない先生は高校の時の担任の先生の2人です。
1人は一年の時の担任の先生だった女性です。まだ20代で先生の中で若くて、自分たちと歳があまり離れていなかったので、まるで友達のように接してくれる、とても可愛らしく女性として尊敬できるほど優しい先生でした。初めて先生から「友達のように思っていた」と私と先生で揉めたときに言われたので、それがとても嬉しかったです。
それだけ親しくなれて、好かれているんだということを実感したからです。普段みんなにいじられているけど、ちゃんと先生らしく厳しいところもあり、しっかりしていてとても好きです。初めて信頼できる、友達のような親しみのある方だと思ったのがこの先生でした。
もう1人は今の時代に珍しい熱血教師な男性。とても生徒のことを心から思っていてくれて、大事に思ってくれているからこそ時に厳しい、イタリアなどの外国とバイクが大好きな先生です。2年と3年生の時に担任だった先生で、手のかかる個性的的な私たちを二年間熱い思いで見守って、色々なことを教えてくれた素晴らしき恩師です。
何度私たちを叱っても決して見捨てない、とても優しい、大きな愛情を持って私たちと真剣に向き合ってくれました。その事がとても珍しく、皆なんだかんだ言って感謝している大好きな先生です。
高校の時にもっとたくさんの素敵な先生に出会いましたが、この2人の先生が一番近くて素敵だったので今でも忘れられない先生達です。

「今だから言えるごめんなさい」

32歳 女性のストーリー
中学生のころ、私はまぁまぁ遊んでいて、友達と中学生だがコンパニオンに行って2時間接待してお給料貰ったり、万引きしたり、原付バイクを2人乗りしていたりしていました。そんな遊びまわっているある日、今日の夜もコンパニオンでお金貰えるねー!なんて友達と話していてお昼ご飯を食べに行こうと話していました。某有名チェーン店に入りランチを楽しんでいました。持ち合わせもあまりないので少な目に注文し、今日はどんなんなのかな?なんて話していました。ふと見るとレジは入り口より反対の奥側、レジ奥より反対の入り口ドア近くに通された私達。若気の至りですね。レジ会計済ませたよその御客さんと一緒に出ました。最初で最後の食い逃げ。この後凄く後悔し、10年以上経った今でも反省しています。あの時は本当にごめんなさい!

「学校や仕事をサボってやったこと」

24歳 女性のストーリー
高校生の頃、部活も引退した3年生の時
ずっと部活をしに高校に行っていたようなものだったので
その部活を引退したら高校に行く気力が一気になくなってサボったりすることが多くなりました。
卒業はできるようにはサボる日数をしっかり調節などはしていました。
仲のいい友達の家に遊びにいって、その子の家でDVD見てゴロゴロしたり、バイクに乗って遊びに行ったり、ファミレスでずっと喋っていたり、映画見に行ったり遊んでいました。
友達の家が田舎だったので警察などに学校は?と聞かれることもなかったので楽でした。
学校から家に電話があると親にサボったことがバレるのが嫌だったので
自分で親のフリして学校に電話かけて休みますと嘘の電話をして
親にはバレないようにしてサボったりもしていました。

「忘れられない夏休み」

42歳 男性のストーリー
自分が高校2年生の時の夏休みの話です。今から20年以上も前の話ですがその頃私には仲のいい親友と呼べる友達が4人ほどいました。

夏休み前に原付バイクの免許を全員が取得して夏休み前半には全員が人生で初めて原付きバイクを購入出来たこともあり、4人揃ってバイクで色々な場所へ出かける毎日でした。

バイクに乗るのが楽しくてたまらず殆ど毎日バイクに乗っていたので夏休み中だけでなんと1000キロ近くの距離を走行していた事に気づきとても驚いたのと同時に満足感も大きかったです。

隣の県へ出かけた時に起こったことなんですが一緒に走っていたはずの仲間と途中ではぐれてしまい、知らない土地で、当時は携帯電話などもありませんから連絡手段もなくお互いに見つけるまでに3時間位かかったことが有りました。
確かに疲れはしましたがそれでも当時は携帯電話が無いのが当たり前ですから、そういう勘というのも研ぎ澄まされていたのかお互いにそんなに焦りは感じていなかったみたいです。

乗り物を運転して自分の力だけで出かけるという経験も初めてでしたし、それを大切な親友と共有出来たというのがとても嬉しくて、この時の夏休みが今までの人生で一番楽しかったと今でも思います。

「奇跡だと思った話」

22歳 女性のストーリー
当時高校生だった私は、母と喧嘩して彼氏の家に家出していました。家出してから3日目に母から連絡があり「やばいなー。絶対帰らなあかんやつやん。」と思い自転車で彼氏の家をでました。大通りに出るまでに細い路地がありそこを通ると車に轢かれ5メートル宙を飛びました。路地のギリギリまで家がありすぐ道路なのですが、路面が狭く車2台通れるか通れないかでしかも路地の両脇の家の囲いが高いため路地から出ないと車が見えない所なのです。
音楽を聴いていた私も悪いのですが、気づいたら地面に倒れていました。5分ほど意識がなかったそうです。当時乗っていたロードバイクも真ん中から曲がっており乗る事が不可能になっていました。激痛で立ち上がれませんでしたが、救急車を呼ぶと言われ慌てて立ち上がり断りをいれてからすぐに歩いて帰りました。
家から彼氏の家まで自転車で40分の距離だったので3時間近くかけて家までかえりました。左足の太腿が激痛で引きずりながら帰り、病院へいきましたが、全身打撲ですみ3日で治りました。車の所有者曰く、自転車に乗ったまま車と衝突し私自身が飛び頭から落ちたそうです。
頭も激痛でしたが、たんこぶですみました。
当時妊娠中で、事故のあと病院で検査して初めてわかったのですが妊娠3カ月でしたが赤ちゃんも無事でした。
車に轢かれて全身打撲ですみ3日で学校に復帰でき妊娠初期にも関わらず赤ちゃんも無事だったのは奇跡だと思います。
35歳 女性のストーリー
初めてバイク(原付)に乗った時、カーブで速度を落とさずに曲がり、電柱にぶつかり救急車で運ばれました。

倒れた瞬間、バイクから飛ばされている自分がスローに見えて、まるでドラマを見てるかの様でした。

病院に着いた頃
目も開かず、声も出ず、手も動かなかったため、救急隊や先生からの問いかけには何も答えられず意識不明と判断されました。

どんだけ時間がたったかはわかりませんがやがて母親が到着し、泣いているのも、先生と話をしているのも全部聞こえていました。

2週間が山だと言われました。
動くことも喋ることも、目を開けることも出来ない私は夢を見ているのか現実なのか生きてるのかもわからないまま...
大きい病院に運ばれる事に。

救急車で運ばれていると
なんと..
車酔いしました!笑

こんな状態でも車酔いするんだな〜と呑気な事考えていたなと今思い返してもおかしい出来事でした。

目を開けたのは事故から2週間後でした。

頭蓋骨骨折
右の瞼、頬
鼻を骨折し
首にはヒビが入っていてあと数ミリで即死だったと言われました。

顔にはびっちり電柱のポツポツの跡が付いていました。

そこから1週間で退院したのは奇跡だと先生や看護師さんから拍手を贈られました。
20年前の話です。

今でも雨の日の前など頭痛が酷い事はあります。
ですが今生きてる事に感謝です!

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

30歳 男性のストーリー
私は大型バイクに普段乗っていてよく車の幅寄せや右直事故にあいそうになるのですが。
私が一番勇気を出した瞬間は片道3車線の大きい交差点で私が直進対向車線に大型10tトラックが右折待ちで待っていました。私と前の車は少し車線が開いていました。そして右折してくるトラック私は60km/h出ていました間違いなく止まれませんでした。トラックも既にヘッドは私の進路を塞いでいます。大型交差点なので歩行者や赤信号待ちの自転車等いろいろいました。どちらかに避けてバイクをこかすのは誰かに突っ込んだ後のことを考えて、怖くてできませんでした。私は結局大型トラックの前輪タイヤと真ん中のタイヤの間のフレーム部分にバイクごと衝突するしかありませんでした。あの時は最高に勇気を出して死を覚悟しました。結局フルブレーキしながらなのもあって、胸部骨折とバイク廃車で済みました。

「一番ひどい友達からの裏切り」

40歳 男性のストーリー
これは私が20歳の頃の話ですが、友人の友人に騙されてお金を取られました。とても腹立たしく屈辱だったので、思い出したくもない話です。友人の友人、仮に名前を阿保とします。阿保がバイクの事故を起こしてしまいました。事故は本当のことです。被害者とは示談が成立したのですが、お金が足りなくて困ってしまい、こともあろうに私にお金を貸してくれと、我が家にやってきました。私にとって阿保は友人の友人にすぎません。面識も2回程度で、ほんの数分見ただけの人でしかありません。本来ならば友人に頼めばいい筈のこと、なぜ私にと思ったのですが困った人を見捨てることができずに、当時で10万円ほど貸してしまいました。給料が入ったらすぐに返すと約束されたがその後貸したお金は返ってきませんでした。おまけに友人とも喧嘩別れ。私の方にもなんて俺はいいやつだとのうぬぼれがあったのも事実で、若気の至りとしか言いようもありません。いい勉強になりました。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

44歳 女性のストーリー
お父さん方のおじいちゃんは、うちから少し離れたところに住んでいた。
いつもうちに遊びに来る時、おじいちゃんはバイクに乗って来ていた。
小さな頃からおじいちゃんが来る度にそのバイクに乗りたくて、停めているバイクに乗って、ブンブンとひとり遊びをしていた。
おじいちゃんの方言が強くて何を言っているかよく分からなくてなんとなく怖いイメージのある人だったので話すことも少なかったけど、そんな遊びをしている私に一言の文句も言わずに見守ってくれていた。
そんなに懐いていたわけでも可愛がってもらっていたような記憶もないけれど、おじいちゃんが亡くなった時はとてもショックだった。
今でもおじいちゃんの乗っていたバイクと同じものを見るとなんだかジーンとし、子供の頃を思い出す。
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