"テレビ" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

26歳 女性のストーリー
大学生の頃の話です。
大学の帰り、いつものように最寄りの駅から電車に乗ろうとホームで待っていると、当時流行っていた厚切りジェイソンに似ている外国人の方に声をかけられました。ここに行きたいのだがどの電車に乗ればいいか?と英語で聞かれて答えたのですが、そのあと何故かペラペラの日本語で説教をされました。何に怒っているのかわからなかったのですが、日本人のここがダメだ!みたいな話をひたすらされました。
怖くなってきたので、電話がかかってきたふりをして、その場から逃げ、待っていたとこほから離れた車両に乗りました。
何だったんだろう、と思いながら乗り換えの駅で下車し、乗り換えのホームへ。
すると、さっきの厚切りジェイソン似の外国人とまたそのホームで遭遇。しかもがっつり目が合ってしまいました。これはまずい、と改札の方に逃げようとすると、うしろから追いかけてきました。まるでテレビでやっていた逃走中のように、ダッシュでした。幸いわりと混んでいる日だったので、人混みに紛れて逃げることができたのですが、この日以来、怖くてひとりで電車利用ができませんでした。

「これまでで一番驚いた話」

38歳 女性のストーリー
いつものようにリビングでゴロゴロしていた時の事。
テレビはいつもつけたままだったのですが突然テレビが私の名前を呼びました。
ビックリしてテレビを観るとその番組は有名人や著名人などその人の生き方や考え方などを取り上げるドキュメンタリー番組でたまたまその日の放送回が世界的に有名なヘアメイクアップアーティストの方でした。
そんな特別に多い名字ではないのですがフルネームが同じで更に私も田舎で美容師をやっているので職業も近いといえば近い。
顔や見た目こそ大きく違うものの年齢も同じ30代でなんだか他人には思えない…と勝手な親近感がわきました。
たまに雑誌やテレビで取り上げられていて名前が聞こえたりするとドキッとするけど同じ名前なんだから私も負けずにキラキラしたいと日々の過ごし方を意識するいいきっかけになりました。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

23歳 女性のストーリー
40代の親戚の男性が、私の周りだとお金持ちだと思います。
結婚されてないので、休日は趣味で出かけたりしていました。
その趣味が、まずは自電車、釣りと至って普通なんですが、その人は大体のものが高級品で自転車なんか20万くらいのを即決で購入するところを見てびっくりしました。
それからは高級車を持ったり、大型テレビや時計など購入品のコレクションが凄すぎて少し羨ましかったです。
さらには一軒家に住んでいるので最近は、リビングをリノベーションして派手なピンク色のキッチンで驚きました。
最近ではもう一つの家として何千万のマンションを一括購入したそうです。
お金を持っている人は飛び抜けていて清々しいと思いました。
これだけ使ってくれたら経済も回るので有り難いと庶民は思っています。
32歳 女性のストーリー
いとこのお姉さんです。
ご夫婦で会社を経営してるので次元が違います。
年商などは知りませんが、車はお兄さんがマセラティお姉さんはベントレーに乗っています。
車好きな私からすると羨ましいです。
後7台程所有していると聞きました。
見たことないので車種は分かりませんが、テスラ、フェラーリ、ランボルギーニ、アウディ、レクサス、ベンツ、があるそうです。
身内の集まりのご飯会などは全てご馳走してくれます。
温泉旅行なども一緒に行きましたが、宿はテレビで見た高級宿だったので驚いたり、私が海外旅行好きなので、LINEでどこに行ったことあるのー?と聞いてくれてそれ以外で行きたい場所あるならそこを今度身内の旅行にしようと思ってると言ってくれて、モルディブに連れて行ってくれたのが本当に嬉しかったです。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

48歳 女性のストーリー
今、私は統合失調症と言う精神科の病気になり、薬の副作用なども有り、制限される事が沢山有ります。好きな音楽も聴けない音楽など有り、大変苦しい思いをしています。
病気になる前は、工場で働き、今はもう無いのですが車に乗って車で通勤していました。休みの日は車で買い物に出かけ、パソコンも今は壊れてしまいましたが、レンタルでCDを沢山借りてパソコンにコピーして好きなアーティストがいて、通販やCDショップで好きなアーティストのCDを買い、他にも色んな音楽を聴いて、とても楽しい日々を過ごしていました。
テレビをみても調子が悪くなったりして、自由にテレビもみれません。以前はドラマも好きで、仕事が夜勤なので、録画しておいて、次の日にみたり、楽しかったです。
そんな、過去の生活が楽しかったです。
22歳 女性のストーリー
今までで単純に運が良かったと思えるのは度々ありましたが、1回だけほんとに運が良かったと、良い1年になるなと思ったことがありました。
あれは小学生?の時。お正月に三社参りをしていた時でした。地元の太宰府天満宮に家族4人で言った時のことです。寒いなら凄い人数の人で、お参りの行列はごった返して1時間くらいならんだ覚えがあります。
そんな中、毎年必ず太宰府天満宮にきたらすることがあります。500円御籤です。
正しい名称までは覚えてないですが、1回500円の大吉以上であればテレビだったり米俵だったりそこそこ高価なものが貰えましたし、大吉を引くと太鼓とアナウンスですごくお祝いをしてくれるものです。私たち家族はどちらかというと商品よりその年の運勢を占うということで必ずしてました。
おみくじを引くとなると必ず良い奴を引こうと肩に力が入りすごい形相でくじを引くのですが、その時はなんとなく指が当たったものにしました。くじを開けてもらうと、なんと太宰府天満宮で人生初の大吉だったのです。
初めて引いたのもありすごくテンションがあがって、嬉しかったのを覚えています。
その時何を思ったか、父がもう1回ひけ!といったのです。いい気持ちで終わりたいと思っていた私ですが渋々言うことを聞くしかなく、サッと引いて帰ろうとしたところ…またまた大吉。ええっ!?って声が出るほど驚きました。その時のお祝いの太鼓は今でも記憶に残っています。
なんだか勢いで引いた御籤ではありましたが、元旦に2回連続大吉はなんだか縁起のいい人生のなかで一番運の良かった思い出として今も覚えています。

「これまでで一番笑った話」

39歳 男性のストーリー
沖縄あるある沖縄出身者:『沖縄の台風はスゴイよ~本土とはレベルが違う』

不動産屋 :『普通に電気も水も止まるし、電柱も倒れますよ!』

と、引越し前に散々インプットされていたため、移住してから初の台風来襲に戦々恐々の妻。窓に叩きつける雨と風の音でテレビもろくに聞こえない状況に不安は高まる一方。

妻:『(これ関東だったらとっくに電車が止まるレベルだよね)』

妻:『(都会で甘やかされた生活を送っていた自分に、水も電気もないサバイバルなんてハードル高すぎる・・・)』

そんな軽くパニック状態の妻をよそに、警報発令のためお仕事を早退してきた夫の手にあったのは沖縄を代表するお酒「泡盛」の一升瓶。
非常食や懐中電灯ではなく、お酒。

妻:『いやいや、サバイバルに必要なのは酒ではないよ。』

夫:『いやいや、これは台風を乗り切るためのマストアイテムだよ。』

妻:『・・・(恐怖のあまり日本語が通じなくなったか?)』

夫:『台風の日は、家が揺れてるのか自分が揺れているのか分からなくなるまで酒飲んで過ごすんだって』

妻:『?!』

夫:『それと、ほらアレ見て』

と夫が指差した先は、我が家の窓から見える某大手レンタルショップの駐車場。そして雨で川みたいになっている国道で強風にあおられながらも列を作っている車、車、車。

妻:『なにあれ?』

夫:『DVD借りる人で渋滞が出来てるんだよ。混んでて駐車場に入れないみたい』

妻:『?!』

夫:『明日は仕事休みになるし、ウチらも何か借りに行く?』

妻:『あ~うん・・・そうだね・・・そうだね』
22歳 女性のストーリー
実家のリビングにある空気清浄機は普段は緑に光っていて、これは清潔な空気が保たれているということを示します。少し空気が汚れているときは黄色、汚いときは赤色になり、だんだん機械の音も大きくなっていきます。例えば締め切っていたドアを開けたとき外の空気が汚ければそれに反応して、黄色赤色と色が変化するという仕組みです。とある日、窓も開けていなければリビングからの出入りは全くない、というより家族みんながぼーっとしてテレビを見ていたときに、いきなり空気清浄機が赤色に変わって大きな音を立て始めました。1,2分時差があって本当にゆで卵の黄身み大量の塩をかけたような強烈なにおいがして、誰かがすかしっぺをしたのだとわかり、それぞれの表情を探りあっていると、耐えきれなくなった母が大爆笑しながら自白しました。なぜかこっちまで笑ってしまいました。

「わたしがやめられないもの」

23歳 男性のストーリー
20歳の頃から吸っているタバコがやめられません。はじめたきっかけは先輩に誘われて「吸ってみなよ」といわれてからです。当時はいつでもやめられるという自信があり飲み会や付き合いの時のみ吸っていました。しかし、ふと気づくと食事の後に体がそわそわして直感的に「タバコを吸いたい」と感じたことを覚えています。

その後は毎日1箱ほど吸ってしまう生活を続けていましたが、その時はまっていたテレビゲームのためのゲーミングディスプレイを購入するために禁煙しようと決心しました。禁煙して1週間経った時、とにかくイライラしていて周りの友人に心配されました。結局友達から「毎日イライラしててやばいよ」と言われたのをきっかけに禁煙をやめてまたタバコを吸っています。なんどもやめようとしたがやめられないものはタバコになります。
32歳 男性のストーリー
私がやめられないものはズバリ、スイーツです。一番はチョコレートですが、チーズケーキやアイスクリームもやめられません。食後にケーキを食べたのに、風呂上がりにアイスを食べてしまいます。きっとスイーツをやめれば3キロくらい軽々痩せるんじゃないかと思います。
しかし、子育て中でくたくたの私の唯一の楽しみでもあります。
もうひとつやめられないことは、夜更かしです。もともと夜型な私ですが、子供ができたのでできるだけ早く寝かしつけてから家事をし、一息つくのは深夜になってからです。一人でゆっくりテレビを見るのが何よりの贅沢です。結局、とりためたテレビ番組を見ながらスイーツを夜中に食べ、どんどん太ってしまいますが、やめられません。

「「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事」

34歳 男性のストーリー
以前、テレビで会社を辞めてキャンプカーで移動しながら生活している30代手前位の夫婦を紹介する番組を観た事がありましたが、このような話だけだと宝くじか何かを当てて大金を得て悠々自適な生活を得たかと思ったら、実は動画投稿者でつまり、キャンプネタYouTuberだったオチでしたが、世間的に再生回数や閲覧中に出てくる広告で得ている楽な奴らみたいな印象(この番組も含め、テレビ関係は`動画投稿者=不適切な投稿者´というステレオな考えを植え付け、真面目なネタをやっている人も軽視している)があり、動画投稿以外でブロガーとしても平行活動している事も紹介されていましたが、動画投稿に関しては個人的に人間性は別にして番組を作るのと遜色ない思い、動画と番組の違いとしてはスポンサーの制約や撮れ高と言った受けを考えなければならない事(+制作の上の独断と偏見も影響してくる)があるかないかでその店だと動画が制約がない分、自由度はあるので個性が出てくる分、魅力があるんだと思います。しかし、その分、動画投稿とブロガーで生活する分、そのテーマに関した事を搾り出し続ければならない苦労(テレビが一番触れなくて楽な印象を与えている原因であると同時に同じ事を分業でやっている事を気付くべき事)があるんだと思う。

「わたしの初恋と、その結末」

32歳 女性のストーリー
初恋は幼稚園の年長さんの時でした。相手は同じクラスの男の子でした。初めて男の子に対して違った気もちを持ち、何かモヤモヤとしたものが胸の中に現れたのを覚えています。
その子を見る度にそのモヤモヤを感じました。しばらくは何が起こっているのかわかりませんでしたが、その後、テレビで恋についての番組を見てようやく自分に何が起こっていたのかがわかったように思います。
その年齢で恋をしている子は多分他にはいなかったと思うし、その相手の男の子も私に対して何か感情を持っていたとは思えないので、特に進展があったわけではありません。ただ、常にその子の側から離れなかったくらいです。私から気持ちを伝えたわけでもないので、その初恋は日が経つに連れ徐々に終止符をうちました。
32歳 女性のストーリー
初恋は幼稚園の年長さんの時でした。相手は同じクラスの男の子でした。初めて男の子に対して違った気もちを持ち、何かモヤモヤとしたものが胸の中に現れたのを覚えています。
その子を見る度にそのモヤモヤを感じました。しばらくは何が起こっているのかわかりませんでしたが、その後、テレビで恋についての番組を見てようやく自分に何が起こっていたのかがわかったように思います。
その年齢で恋をしている子は多分他にはいなかったと思うし、その相手の男の子も私に対して何か感情を持っていたとは思えないので、特に進展があったわけではありません。ただ、常にその子の側から離れなかったくらいです。私から気持ちを伝えたわけでもないので、その初恋は日が経つに連れ徐々に終止符をうちました。

「お金さえあればと感じた瞬間」

27歳 女性のストーリー
日頃から多く感じる瞬間があるのはテレビを見ていて旅行おすすめスポットなどの紹介がされているのを見た時です。行きたいところはたくさんあるけれど、そこに使う余裕はないと結局いつも行きたいどまりです。主に物欲に伴って感じることが多いです。どこかに妥協している自分に気付いた時もお金さえあれば妥協せずに住むのにと思います。あとは自分の小ささを感じた時です。例えば、買い物をして駐車料金が無料になるサービスを受けられていたのに、し忘れていて駐車料金を払わなければ行けなかった時です。あとはローンを組みたくない性格で、家や車など大きな買い物がさらっとできない時です。家族の面では子供が欲しいと思った時、やはり体力の問題というよりはお金の面が心配で何人もは産めないと思ってしまいます。
24歳 女性のストーリー
旦那さんが「いつか広い一軒家を買う」と言う時です。

言葉に出せば現実になる事もあると言う考えでテレビで家紹介やリモデリングしたお家が出てくるたびに口に出してます。
私は専業主婦で稼ぎは旦那のみなので欲しいものが全部買える生活なんて出来ませんし余裕があるわけでもないので、お金が降ってくればいいのに...なんて有り得ないことをたまに考えます。
旦那さんはいつも自分の欲しいものを我慢して私や息子のものにお金を使ってくれるので私がお金を稼げる日が来たら旦那の欲しい物をまず買ってあげたいと思っています。

お金さえあればと思う瞬間はたくさんありますが、私の場合は旦那さんの一言が1番大きいと思います。
他にはブランドカバンの新作が出たときにお金さえあればと思います。名前の知られてないブランドでも似たようなカバンはあっても値段のあるブランドカバンをやっぱり手に入れたいです。

「誰かに聞いてもらいたい愚痴」

24歳 女性のストーリー
私は1歳児を育てている専業主婦なのですが、義両親と義祖母(義母の母親)と同居しています。
子どもが生まれる前は割と上手くやっていたほうだと思うのですが、子どもが生まれてからはいろいろと育児方針が違ったりして、イライラすることばかりです。
特に義祖母と義父は過干渉なタイプで、わかっていることをわざわざ言ってきたり、「こうしたほうがいい」と自分の価値観を押し付けてきたりするのが本当に苦痛です。
家事をやってくれたり育児を手伝ってくれたりするのはありがたいのですが、子どもに対してやっていることにまで口を出されるので、早く別居したいです。
良かれと思ってやってくれることがありがた迷惑だったりして、それが一番困っています。
子どもは録画したいないいないばあを見るのが好きで、テレビのリモコンを見ると、「見せろ」と催促してきますが、見せるとキリがないので、私はその催促があるまでは見せないようにしているのです。
でも、義祖母は子どもが要求する前にリモコンをとって「いないいないばあ見てろ」とつけてしまうんです。
些細なことですが、こういうことが積み重なってかなりのストレスです。
57歳 女性のストーリー
主婦を20年以上もやっていると、愚痴ならいくらでもあります。
夫はフリーランスの仕事をしているので、仕事のない時には家にいます。
これは新婚当時ならちょっといっしょに出かけたり、映画を見たりと平日に2人で遊べて
楽しかったのですが、これが時間が経ち子どもが生まれてたあたりからちょっと違ってきました。
私自身もフリーで仕事をし、しかも自分の自宅での作業が多いので仕事と家事と育児とが渾然一体となり、自分の時間がどんどんなくなっていったのです。
しかも家族が増えて家のスペースが子ども優先になってくると、自分の居場所自体がなくなってきて、ゆっくりできるのは夜中ひとりになった時くらい。
夫が家にいると、リビングの机を占領しテレビはガンガン付けっ放し、食器は食べたまま、
窓を開けると花粉が入る、隣の家のタバコの匂いや嫌だと締め切ってエアコンつけっぱなし。
これじゃぁ家での仕事も集中できないし、自分の居場所もない!
あぁ自分だけの机が欲しい!夫にはもっと稼いで欲しい!私がそんなに働かなくていいくらい。いまの状態だと私の家事労働は無償なうえに自分の居場所もない!
だから自分の部屋が欲しい!いやせめて夫には毎日仕事で出かけて欲しい!
46歳 女性のストーリー
会社に、関西人の女性がいるお話です。テレビのスカッとジャパンに出したい位の変人なんですが…私は、この会社に勤めてかれこれ13年目になるお局様です。その関西人の女性はまだ2〜3年位のペイペイです。やはり、関西人なのか…関西人を悪く言う訳ではないけどかなりのおしゃべりさん&必要以上に人にあいさつをする女性なんです。悪い事では決してないのですが…時と場合を考えてないため、人がお客様と話ししてる時でもわざとかのように横で大きな声を張り上げてあいさつします。
私がお客様と話しをしてる会話が全く聞こえない為、お客様もイヤそうにその関西人の女性を見ながら私に近寄ってきて話してくださいます。あまりにひどいと私もシビレを切らし〇〇さん、静かにしてくださいと言います。
こんなに本当に周囲を気にしない人は今まで居なかったし、初めてのケースの人なので周りの従業員も飽きられています。どうしたら、いいものか困ってます。注意をすると素直に聞かずに反抗して何か必ずと言っていい程返してくる…ああ言えばこう言うタイプの人です。
どうにかしてほしい存在です。

「忘れられない先生の話」

44歳 女性のストーリー
高校時代の英語の先生です。物静かで少しボソボソ話す先生でした。その先生はビートルズの大ファンで英語の授業は視聴覚室でやることが多かったです。
先生はビートルズに影響を受けた人で歌詞を自分なりに訳してみたり歌を歌ったりして勉強したそうです。視聴覚室では先生が録画したビートルズのビデオを見たりビートルズの歌をよく歌ったりしました。
学校の教科書そっちのけでビートルズ一色。他のクラスからは羨ましがられましたね。
ただテスト前になると教室で教科書の授業になるので退屈。1回の授業で数ページ進むのでついていくのが必須だし、自分で勉強しないと試験範囲までたどり着けないというちょっと困ったことがありました。
今でもビートルズをテレビでみたり曲を聴くとその先生を思い出しますし、授業はあまり覚えていないけどビートルズの歌は唄えます。
「生きた英語を学ぶことは大事」とよく言っていた先生でした。

「人生最大の失恋話」

31歳 女性のストーリー
大学生の頃、あるお笑い芸人さんと付き合っていました。テレビに出ていたこともあったので、録画したり一緒に出演を喜んだりとても楽しかったです。でも、テレビに出るということは、きれいな出演者さんと一緒なんですよね。やっぱり、一般の女の子よりもかわいい人が多いですよね。テレビに出始めてしばらくして、なんとなく「浮気してるな」と感じ始めてしまっていたのですが、ある日彼が寝ている時に彼の携帯に電話がかかってきて、画面を見てしまい・・・有名な女子アナウンサーからでした。女子アナには到底かなわないな、と思った失恋話です。私と別れたあと、やっぱりその女子アナと噂になっていた彼でした。現在、どうなっているのかは知らないです。私は一般の方と結婚して幸せになったので、今は笑える人生最大の失恋でした。

「人を見返してやった話」

54歳 女性のストーリー
30代の頃の話です。
派遣で働いていた職場は、小さな会社が集まるビルの中にありました。
今では珍しい、女性用の和室の休憩室がありました。
そこで昼食をとったりテレビを見たりなどして休憩していました。
他の職場の女性で、豚のように太ったおばさんがいて、少し癖のある性格でした。
自分を棚に上げて人の事をバカにするような人でした。
ある時、他の人の前で私のおなかの肉をつかんで、「ほら太ってる!」と言うのです。
今ならば犯罪まがいになると思いますが、ハラスメントなどという言葉のない時代でした。私は頭にくるやら殺意が芽生えるやらで、自分を抑えるのに必死でした。
確かに太目でしたが、そのおばさんに比べたら全然細いと思っていましたのでなおさら憤慨しました。そこで、一念発起してダイエットに取り組むことにしました。
食事や運動などで、痩せる事に成功し、おなかの肉などつかめない程になりました。
すると、おばさんも「私もやる~」と言ってアドバイスを求めてきましたので、適当な事を言ってやりました。結局おばさんは挫折したようで、そのまま豚のような体型でちっとも変わりませんでした。心の中でガッツポーズをとりました。

「とっておきのすべらない話」

40歳 女性のストーリー
まだ、オレオレ詐欺が始まったばかりのころ話です。
実家にオレオレ詐欺の電話がかかってきました。
「もしもし」と電話に出た母に
「オレオレ、○○(名前)だけど…」と男性が話し始めました。
一瞬、ビックリした母ですが、声を遮るように即座に「うちには、○○という息子はいません!!」と答えました。
さすがにそんな電話がかかってくるのは想定外だったので動揺したそうですが、まだテレビ等で啓蒙活動が、あまりされてない初期の時代に即座に詐欺被害にあわずに対応出来た理由は、実はわが家の○○は女性だったんです。
オレオレ詐欺の電話をするなら、まずは性別を確認してから荷電しないとダメですよねー
男女どちらでも通用する名前を付けてもらって、本当によかったと実感した出来事でした。

「どうしても許せないこと」

25歳 女性のストーリー
バイト先の店長に盗撮されたことです。
それも小型カメラではなくタブレットでなのであんなに大きなもので盗撮するのかとびっくりしました。平均して週4はバイトしてたので半年間という長期にわたってされてたということを聞いたときには物凄くショックを受けました。
バイト中に親と警察に連絡してバイトが終わった直後に覆面の警察が店に入って行き見事な連携プレーで店長が逮捕されたときの優越感は最高でした。
奥さんや子供達にも見捨てられざまあみろという気持ちでいっぱいです。普通のサラリーマンなら即クビになったり公務員ならテレビのニュースで名前が公表されたりするのに、個人店なので犯罪を犯しても今ものうのうと営業を続けれてることが許せないです。

「嘘みたいなほんとの話」

64歳 男性のストーリー
50歳を超えるまで野球ばかりやっていた私が、脳出血で野球が出来ない体になり、今まで全国大会出場を目指していた野球もこれまでとあきらめていたのですが、仲間が頑張って北海道代表になり全国大会の出場権を獲得、それも、全国大会はあの、あこがれの阪神甲子園球場、私も、久々にユニホームを着て、杖を頼りに阪神甲子園球場のベンチに入ることが出来ました、あこがれていた阪神甲子園球場はテレビで見るのと同じ大きな球場でした、そこでなんと全国一になったのです、若いときからあこがれていた全国大会出場、それも阪神甲子園球場で全国一になるなんて、奇跡の様な出来事でした。私の野球人生に思い残すことはなくなり、これからはのんびりと仲間の野球の応援に励みたいと思います。

「学校や仕事をサボってやったこと」

37歳 男性のストーリー
私は仕事をサボって、喫茶店+スーパー銭湯で過ごしました。
仕事場には「私用があってお休みさせて下さい」と伝え、会社に行くふりをして家を出ました。1日丸々予定がない時間をつくり、日頃のせわしい喧騒を離れたゆっくりした時間を過ごしました。
午前中の喫茶店ではモーニングを食べながら、お店の新聞や雑誌を読書したり、ケータイいじりをしていました。周りはご年配の方々ばかり…。お店の客層から見るとかなり浮いていたかもしれませんが、気ままに過ごしていました。
午後はスーパー銭湯でサウナと水風呂を繰り返し体のデトックスに努めました。サウナで放送されているテレビは昼間のワイドショー。日頃放送を見ることないテレビ番組を見て優越感に浸れました。
日頃の溜まっているガスを抜くためにまたしたいなと思いました。
27歳 女性のストーリー
私は小学生から高校生まで学校をさぼると家で映画を見ていました。当時は今のようにネットで映画を観ることはできなかったので、録画しておいた金曜ロードショウを繰り返し見ていました。近所にレンタルビデオ店があったので、時には母に無理を言ってビデオを借りてきてもらうこともありました。
社会人になった今でも時々さぼりで仕事を休みます。その際も、もっぱら家で映画を見ています。私は職場と家が大変近く、コンビニに行くことすら心配になる距離なので家からは一歩も出られないのです。ただ、学生時代と異なるのは、今はテレビをネットに繋いでいろいろな映画を観ることができるということです。ネットのおかげで、サボった日の映画鑑賞がはかどります。
37歳 女性のストーリー
若い時ですが、仕事をずる休みしたことがあります。
会社に行くつもりで家を出たけれど、急に彼氏に会いたくなって、風邪をひいたと嘘の理由で会社に電話して休んで、特急電車に乗って、遠距離恋愛していた彼氏に会いに行きました。そんな事が2度ほどありました。
他には、風邪ひいた時にそこそこ治ってきてるけど、もう少し休みたくて、「まだ熱が下がりません。」と会社に連絡して、3日ほど休んだりしました。
大学生時代には、授業をサボってカラオケに行ったり、友達とただしゃべって過ごしたりすることは良くありました。サッカーワールドカップがあった時期には、サボってテレビ見て応援することもありました。

今考えれば、学生時代にはもっとまじめに勉強し、会社員時代には大人としてしっかり責任もって仕事するべきだったなと思います。
26歳 女性のストーリー
高校生の頃、サボり癖がつき、学校にあまり行かなくなってしまいました。全日制の学校でしたが、週に3回くらいのペースで行っていたこともありました。卒業する事はできましたが、かなりギリギリの単位で卒業しました。両親は共働きで、私が学校に行く時間より前に職場に行っていました、そして学校から帰る時間よりも後に職場から帰ってくるような勤務だったので、1日家にいてもバレませんでした。1日家にいて、インターネットをしたり、テレビを見たりかなりダラダラと過ごしていました。たまに、平日でも両親が家にいる事があったので、そんな時は喫茶店でお茶をしたり、マンガ喫茶でインターネットをしたり漫画や雑誌を読んだりしていました。友達もいなかったので基本的に学校をサボる時は1人でした。

「人生が変わった出来事」

52歳 男性のストーリー
なんと言っても東日本大震災でしょう。テレビで見た家や、田畑などが黒い波に飲み込まれていくシーンは頭から離れません。すべての財産や生命をのみこす自然災害の恐ろしさに、働くとは何か?家を建てたり貯金をしたりする意味に絶望を感じました。当時運転手をしていましたが、テレビで見た橋の所でのトラック2台が絡む接触事故らしきせいでその道が通告止めになっており、事故処理の警察や、運転手が結果的に助かり、そいつらのせいでそのみちにたどりつけずなくなった方を思うと言葉になりません。せめて動けそうなトラックを片方に寄せて通れるようにしておけば何十もの命がすくわれたのではないか、と思い同業がいやになりました。とらッカスは消えろ。
24歳 女性のストーリー
3.11のとき私はディズニーシーにいた。
友達9人くらいで楽しんでいたが、地震は起きた。
地震が起きたとき私はトイレにいた。
揺れ始めは立ち眩みかと思ったが一緒にトイレに行った友達が私の名前を叫んだのでこれは地震だとわかった。
家族とも連絡が付かず、家の状況、外の状況が今どうなっているのかがわからなかった。
ワンセグから見れる情報は津波や火災であり、自分の家もそのような状況なのかもしれないと思い不安に思った。
夜になり長い長い公衆電話の列に並び、ようやく家族と連絡を取ることができた。
家は無事で安心した。
しかし、その日は家に帰ることができず、レストランで宿泊した。
次の日家族が迎えに来てくれて、帰ることができた。
帰る途中見た景色は、電柱が倒れかかっていたり、駐車場が液状化で水没状態だった。
家に帰っても地震はなかなかおさまらず、テレビでも地震が及ぼした影響、津波の映像が連日放送され、もうやめてほしい。普通の生活に戻りたい。と思った。
今までは地震に恐怖を感じることはほとんどなかったが、それから地震に敏感になり、防災用の荷物を用意したり、防災用アプリを取ったりしている。
また、いつ首都直下地震が起こるかわからないといわれており、恐怖を感じながら生活している。
47歳 女性のストーリー
2001年のアメリカ同時多発テロ。
テレビで最初、ビルに飛行機がぶつかるのを見て、現実の出来事とは思えず、まるで映画を見ているかのような錯覚を起こしました。
しかも、またもう一機がビルにぶつかるのを見て、コレはただ事ではない事を悟り、この先、どうなってゆくのか?と恐怖でした。
それまで、海外旅行に行く機会が多かったのですが、これを機に、海外とは縁遠くなりましたが、日本国内旅行にシフトを変え、日本にも、たくさん素晴らしい場所があるんだと巡るようになりましたし、人生、明日は何が起こるか分からないなら、好きな事をして生きたい!と強く思うようになり、やりたい事や行きたい所へ積極的に出掛けるようになりました。おかげで、楽しく人生が過ごせています。

「修学旅行の思い出」

34歳 女性のストーリー
小学校の修学旅行、1泊2日の東京観光という日程で行きました。
当時はまだ北陸新幹線ができる前だったので特急で上野駅まで行きそこからバスで最初の目的地お台場にある船の科学館へ行き色々な船の歴史や展示を見ました。
葛西臨海水族園ではマグロの大群が泳いでいる姿は迫力ありました。
泊まった旅館で夕飯後後楽園遊園地(現在は東京ド-ムシティアトラクションズ)へ行きました。
自分は絶叫系が無理だったので観覧車、汽車しか乗れませんでした。
2日目は東京タワー、国会議事堂、上野の博物館へ行きました。
東京タワーは修学旅行の定番で展望台から見える都内の景色はとても綺麗でした。
国会議事堂はテレビでよく見る場所を見て驚きました。

「忘れられない夏休み」

32歳 男性のストーリー
小学6年生の夏休みです。何の変哲もありません。朝は早く起きてラジオ体操に行って、帰ってきたら庭の草花に水やりをして、朝食。テレビを見て、宿題をして、午後には兄弟や友達と市民プールに行きます。プールでがっつり泳いだあとは、家に帰ってクーラーのきいた部屋でポカリを飲み、ゲームをします。そんな毎日でした。これといって変わったことはない夏休みですが、大人になった今でも、思い出す夏休みはそのイメージです。夏休みについて思い出そうとしたときはもちろん、夏になって暑い日差しの中を歩いているだけでも、そういうイメージがふと頭の中に浮かんできます。本当の意味で、忘れられないとはそういうことなんだと思います。旅行に行ったりした思い出もありますが、忘れられない夏休みというと、私の中ではこれです。
26歳 女性のストーリー
子どものころ(小学生の時)には、夏のお盆の時期に毎年いとこや祖父母などの親戚たちと祖父母宅に集まっていました。
まずは、だいたいお昼ごろに集まって、お墓参りに行きました。

夜にはみんなで夜ご飯を食べて、特に外でバーベキューをしたのが思い出です。
他にも、伯母や祖母や母がちらし寿司をつくってくれたり、だしそうめんをつくってくれたりして、それがおいしくて大好きでした。

いとこたちは年上だったので、学校では遊ばない年上の子どもと遊ぶことができました。
みんなで電気を消して、隠れる人と探す人に分かれてちょっと怖いかくれんぼをしたり、みんなでテレビを見たりしました。

いとこのお姉さんが、ちらしの裏に可愛い絵を描いて、自分もこういう絵を描きたいなとうらやましく思っていた記憶があります。
そのお姉さんからは、怖い話を聞いてわくわくしていた記憶もあります。
いとこのお兄さんは、面白くて、ちょっと怖いことをしてふざけたりして楽しませてくれました。

きゃっきゃっと遊んで、夜中までとても楽しい時間を過ごしました。

「一番ひどい友達からの裏切り」

20歳 女性のストーリー
私の友達はある俳優が猛烈に好きでした。
私は全然テレビを見ないのでその俳優に興味はありません。ですがずっと「カッコイイからこれみて!」って言われてたので仕方なく毎日毎日その俳優を見ていました。その俳優のかっこいいところ、可愛いところ、を興味もないのに毎日urlを送り続けられ、感想を求められました。「一緒に推そうよ!(ファンになろう)」と毎日誘われました。
そして私は毎日見てるせいかその俳優を好きになってしまったのです。そしてその事を友達に伝えると、その友達は「身近に同担はいらない(ファン)」と。冷たくされ、その日から口を聞いて貰えなくなりました。「一緒にファンになろう」という言葉は何だったのか…未だに分かりません。
47歳 女性のストーリー
学生時代からの親友(だとずっと思っていた)に裏切られたことがあります。
それはある日、あるラジオ局からスノーボードセットが宅配便で送られてきたことから始まりました。
まず、私にはそのラジオ局にもそのスノーボードセットにも身に覚えがありませんでした。
なので手がかりを探す為、中を開けてみると、ラジオ局からの文章が入っており、ある番組にハガキを送ってくれて番組内でハガキの内容を読んだお礼の品に当選したのでスノーボードセットを送りますということが書かれていました。
宛名は間違いなく私でした。
…誰かが私の名を語りハガキを出したんだ…
思い浮かんだ人が一人いました。
親友の彼女です。
彼女は以前からテレビやラジオにハガキを出したりするのが好きなことを思い出しました。
私はすぐに彼女に電話をすると、それ私!と全く悪びれることなく言い、謝ることもなく、私の家にすぐに飛んできました。
私がなぜ勝手に名前を語ったのか⁉︎という問いに対して、自分はもうこのラジオ局に何度もハガキを出しているから何にも当選しないからあなたの名前を使ったと言いました。
そして、私に勝手に名前を語ったことに対して
言われ、多少罪悪感を感じたのか彼女は『じゃあ、スノーボードセットは時々貸し出すよ』と言い出し、私は呆れてしまい断ると、次は『このスノーボードセットは誕生日プレゼントにあげるよ。これからは○○様(○○は名前)と言いな!』と言い出しました。
私はもう呆れ返りなんの言葉も出なくなってしまいました。
当然スノーボードセットは彼女に渡して私達の友情も終わりました。


「この職業で良かったなと思う瞬間」

33歳 女性のストーリー
私は小さい頃、両親が共働きだったので学校から帰ると祖父母と一緒に過ごす事が多かったんです。祖母のお茶のみに一緒に参加したり、祖父と一緒にテレビを見て学校の話をしたりしていました。
だんだん成長していく中で祖父母に恩返し出来るような仕事に就きたいと思った時に介護福祉士という仕事を見つけました。高齢者の身の回りのお世話をする仕事は私がやりたかった仕事だと思い、専門学校へ進学し、現在介護福祉士として働いています。
最初の頃は理想と現実の間で、とても悩み何度も辞めてしまおうと思った事がありました。でも、そんな考えは利用者からの「ありがとう」の一言で消えてしまいました。
最初は「仕事でやっているだけだから。」というひねくれた考え方も持っていましたが、今では「ありがとう」を聞く為に頑張っている部分もあります。
ありがとうって言われる事が、こんなに嬉しい事なんだという事に気付かせてくれたこの仕事に誇りを持って、これからも続けていきたいと思っています。

「一番おいしかった食べ物」

10歳 男性のストーリー
会社のおやつとしてコンビニスイーツが人気なのは知っていたのですが、正直、小さいしスーパーで売っているのと変わりないと思っていました。でも、お財布がホクホクで紐が緩んでいた私は、その時話題になっていたバスクチーズケーキを購入することにしました。

テレビでのコメントを聞いて購入してみましたが、とても濃厚で、コーヒーのお供に最適だと思います。
27歳 女性のストーリー
私が生きてきた中で一番美味しかった食べ物は、母の作ったメンチカツです。
小さい頃、探偵ナイトスクープというテレビ番組で、思い出の震えるほど美味しいメンチカツがもう一度食べたい男性を取材するという内容の番組を見て、母に私も食べたいと頼んだらメンチカツを作ってくれました。
母が作ってくれた出来たてのメンチカツは手が震えるほど美味しく、衝撃を受けた記憶があります。
残念ながら2回目以降のメンチカツは美味しいのだけど震えるほどではなかったです。
お店で食べるメンチカツとどう違うのか、母の愛情なのか番組の影響を受けての錯覚なのか、あれほど美味しいと感じたのはなかなかないです。
またあの震えるほど美味しいメンチカツを食べたいです。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

50歳 女性のストーリー
私が4歳の時の話です。
当時、私の家は北海道のとある農業高校に程近いところにあり、父が私を連れて農業高校の広大な敷地の中を散歩に出かけることもしばしばでした。
農業高校にはシクラメンやベゴニアなどの鉢花を栽培する温室があるのですが、父は温室の管理室にいる職員さんと親しくしており、
散歩の途中で管理室に寄りしばらく立ち話をしてから温室をひとまわりして帰ったものでした。
あるとき、地元のテレビ番組でその温室が紹介されたのを見て、子供心に「テレビでやるなんて、すごいところなんだ!」と考えました。

それからしばらくった頃に、東京に住む祖父が泊りがけに遊びにきたときに、
私は「おじいちゃん、ゆうめいなところにつれてってあげるね!」と祖父の手を引き、喜び勇んでいっぱい歩いて件の温室へ。
職員さんは父を伴わずやってきた私と初対面の祖父に驚きつつも、祖父といろいろ話をしてくださり、私も祖父と一緒にきれいな花をたくさん見て楽しい時間を過ごしました。
…家に戻ると、「どこへ行ってたの?!」と怒る母。
それもそのはず、家から温室までは道のりにして800mはある。
大人の足なら15分もかからないでしょうが、あれこれ興味を惹かれがちな4歳児の私と、70代後半の祖父の散歩。
朝食を食べてから出かけたのに、帰宅したのは昼食の時間になっていましたから、往復で1時間半はかかっていたはず。
「庭で遊んでいるか、散歩に出かけてもせいぜいご近所を回ってくるぐらいだろう」と思っていたであろう母が心配するのも当然ですね。
…しかし、祖父と私から事情ををきいた母は困惑しつつも大笑い。
夕方に帰宅した父は「おじいちゃんは足が痛いんだから、あんまり遠くへ連れてっちゃダメ」と。
祖父からは頭をなでられ「よく歩いたね」と褒められました。
(考えてみれば、いつも両親と出かけるときはすぐに歩きつかれて抱っこしてもらっていた私が、祖父と二人で往復歩きとおしたわけですから…)

東京に戻った祖父はその後脳梗塞を患い、私の家に来ても一緒に散歩に出かけることはなく家の中で過ごすだけになりました。
私が11歳の時に祖父は亡くなりましたが、葬儀に来た親戚みんなが4歳の頃の私と祖父の散歩の話を知っていて
「本当に○○(私)のこと、かわいがっていたものね」と言ってくれました。
祖父にとって私は一番年下の孫であり、未熟児で生まれたために無事に育つのか心配していたらしいこと、
あの散歩で私が元気いっぱいに成長していることを心から喜び、親戚に自慢げに話していたらしいと知ったのは、さらに何年か経ってからのことでした。

祖父と一緒に出かけたあの散歩は、祖父との一番の思い出です。
27歳 男性のストーリー
映画館に小さい頃によく行ったことが印象的でした。内容はゴジラやドラえもん、ポケモンの映画を見に行ったことです。いつも一緒に行くのはおじいちゃんでした。それと映画に行くたびに楽しみにしてましたが、時々びっくりして話の内容が分からなくて楽しめないこともありました。大きくなるたびにおじいちゃんも年もとって映画に行くのは減ってしまい、自分が見たい映画がだんだんと楽しめなくなってしまい、挙句の果てには、「大きくなったんだからもう映画行くのはやめなさい」と言われてしまいました。今現在でも映画を見に行くのはできませんが、よく考えると、今となっては新聞を見ると、テレビで遅れて放送するのがあるのでそれを楽しみにしています。
21歳 男性のストーリー
 自分は幸せなことに父方、母方の両祖父母ともに会って話をすることができ思い出もそれなりには残っている。
 父方の祖父は小さいころに亡くしてしまったがかなり大切にしてもらいさまざまな贈り物を貰ったと聞いている。父方の祖母はいつも自分を頼りにしてくれて今でも定期的に会うようにしている。
 母方の祖父は自分の娘には厳しかったと聞いているが同時に子どもが大好きだったので遊びに行くと近所の公園へ行っては一緒に遊んでくれた。家の中でもテレビを観て一緒に笑い合ったこともあった。晩年は認知症になってしまったが自分が会いに来ると名前を思い出そうとしてくれたことは今でも覚えている。母方の祖母はいつも穏やかでニコニコしており母親が怒りだしてしまった時もよくなだめてくれていた。

「結婚っていいなと思った瞬間」

34歳 女性のストーリー
結婚して5年。
子供も生まれて実家から離れたところで暮らしています。
年末年始に実家に帰りましたが、その時私が母と喧嘩をしてしまいました。
事あるごとに子供の教育方針などに価値を出すくせに、孫を目の前にすると甘やかしてテレビ見放題、お菓子も食べ放題、生活リズムもガタガタに。
見かねて私が文句を言うと
「甘やかすのは祖父母の特権、しつけをするのは親の役割だから」
と言って反論してきて頭に来ていました。
その件について夫に愚痴を言った際、
「確かにたまにしか会えない孫を甘やかしたい気持ちはわかるけど、俺たちには俺たちの方針があるからそこはきちんと伝えていこう」
と冷静に言ってくれました。
生まれ育った環境は違うけれど、夫と私で今の家族を構築して行っているのだと強く感じ、結婚して自分の家族を作ることの幸せを感じました。
31歳 女性のストーリー
独身時代、結婚に関しては興味も全くありませんでした。付き合う人それぞれとも、結婚したいとも思わず、結婚したら自由じゃないというイメージだったので、私には無縁だと思っていました。
そんな折に妊娠が分かり、できちゃった婚になりますが、結婚することになり、最初は憂鬱でした。
でも、子供が産まれ、子育てをしていくうちに、辛いこと、イライラすること、自由に過ごせない日々は沢山ありましたが、子供の寝顔を見たり、家族みんなでテレビを見たり、そんな些細なことですら楽しく思えたんです。
独身の時には、1人で居ることが当たり前でしたが、幼稚園に預けている間に1人で家にいるだけでも、何故か寂しい気持ちになり、1人で過ごすことが出来なくなった時、家族の大切さがよく分かり、結婚するっていいなと実感しました。
46歳 男性のストーリー
 独身で独り暮らしをしていると、男性の場合は夕食等が外食になる傾向が多いです。外食では一般的に揚げ物系統や中華料理など油物が多く、量も多いため気を付けなければ体重が増加して健康診断でも引っかかることが多いです。また、冬は寒く夏は暑い部屋に一人で帰ることになります。洗濯物を一人でし、一通り家事が終わればパソコンなどで時間をつぶす。話し相手もいない部屋だとテレビを見ながらゴロゴロといった寂しい生活です。
 そのような中、結婚すると外食の機会が減り、手作りの温かみのある料理に囲まれます。また、煮物や味噌汁など、和食等も用意してくれ、味付けも塩分控えめなど健康に気を付けてくれるのが良いと思います。そして何よりも、帰宅して第一にすることが部屋の電気をつけることではない点、そして楽しかったことや腹が立つことなど、一日に起こった出来事を共有できる人がいる事がが結婚して良いなと感じたところです。
 

「独身っていいなと思った瞬間」

51歳 女性のストーリー
私はプロ野球のあるチームを応援しています。
2年前のその日、新人の頃から応援していた選手が、引退する引退試合が設けられました。
私は、同じチームのファンである友人と一緒にその日のチケットを取って、楽しみにしていました。
私は、独身なのですが、友人は結婚しており、なかなか自由の利かない身でもありましたが、その日は、共にずっと一緒に応援していた選手の引退試合という事もあり、彼女のご主人も「行っていいよ。」とO.Kが出ました。
彼女も楽しみにしていました。「久しぶりに球場に行ける!」と。
しかし、当日になり、朝から天候があやしくなってきました。
そうなのです。テレビのニュースでは、「台風が来る」とのことでした。
彼女はやはり、ご主人に行くのを止められました。
しかし、私は、誰にも止められなく、高速道路を走って、飛んでくる葉っぱや小枝などを除けながら、ドーム球場に着きました。
そうです。試合はドーム球場なので、天候には余り関係なく、とてもひどい場合には、中止になる事もあるかもしれませんが、「引退試合」という事もあり、強行突破で試合を開催するしかなかったのでしょう。
私は1人観戦となりましたが、良い試合を見れて良かったです。
友人には、写真をたくさん撮って、送ってあげました。
「独身だからできたんよね。」とつくづく思いました。
39歳 女性のストーリー
自分の為だけに時間とお金を使えるということは贅沢なことだなと思い、独身はいいなと思います
休日に好きな時間まで寝ていられること、好きなだけテレビやネットを見ていられること、好きなものだけ食べられること、好きな時間に外出できること、家の中でうるさく言われずに生活できることなど、とても自由な暮らし方だと思います
ひとりだから、色々な不安事や心配事も多いと思うし、さみしい時もあると思います
そして年齢によっては、独身は他人から哀れみの目や偏見の目で見られることもあります
世の中は結婚してない人、特に女性の場合は、かわいそうなさみしい人と思われがちです
でもこの時代に独身だとさみしい人生というわけではないことを知っている人も沢山います
むしろ自由に人生を楽しんでいる人もいます
そんな人をみた瞬間、独身っていいなって思います

「そういえば昔夢見ていたこと」

25歳 女性のストーリー
今は全然違う事をしていますが、小学生の頃はずっと獣医さんに憧れていました。きっかけはテレビで見た動物病院のドキュメンタリーでした。何気なく見ていた番組でしたが、内容がとても印象的でその1つのきっかけで獣医さんという仕事がとてもかっこよく見えました。番組の内容は飼い犬がヘルニアになってしまった飼い主さんが、飼い犬に動物病院で手術させる事を決意するところから始まっていたと思います。難しい手術にも関わらず、手慣れた手つきで手術する獣医師の姿が映し出されていました。更に犬の一生懸命生きようとする生命力、回復力に驚かされ、手術後歩くことも出来なくなっていた犬が自分は歩けると信じて疑わず、懸命に歩こうとする姿に心うたれたのを今でも覚えています。

「あの人と縁を切ってよかった」

30歳 女性のストーリー
23歳の時に12上の人と結婚をしました。
子供も3人に恵まれたのですが、2人目が生まれた後に旦那が転職をしました。
そこから結婚生活が少しずつ狂いだし、旦那の浮気が発覚。
1週間も帰ってこない、帰ってきていても時間のすれ違いで顔を
合わさない、家で家族とご飯を一緒に食べない・・・など。
ですが浮気をしているのを、わかっていてもまだ愛情はあったので
ずっと我慢していました。
そして、3人目が出来、順調にお腹も大きくなり
いよいよ出産!となり病院に入院したのですが
14時から帝王切開での出産だったのですが、病院に来たのは時間ギリギリ。
書いてもらう書類に記入してそのまま
帰ろうとしたのですが、看護師さんに止められ、出産に立ち会いしました。
子供が取り上げられ、鳴き声を聞いて旦那は私が病室に戻るのも
待たず、帰っていきました。
そして退院して帰宅すると、旦那の服や洗濯機、テレビ、ベットがありませんでした。
すぐに旦那に電話をして、話しをしました。
「しばらくは別居しよう」と言われました。
子供が生まれた後だったからなのか絶望感しかなかったです。
でも、子供たちと4人の生活は毎日が戦争だったけど
とての楽しく過ごせました。
そして、元号が令和になり、一番上の子が小学校に入学したのもあり
自分が前に進まなくては!
と思い、とりあえず旦那の名前を家から出そうと思い
役場に行き、スムーズに手続きが終わり
前から記入してもらっていた
離婚届けをその場で出してきました。
あっけなく離婚も受理されて
離婚した実感も未だにないけど
旦那と離婚した事で心の負担がかなり減りました。
今では旦那がどこに住んでいるのかもわからず、連絡も会う事もなく
楽しく毎日を子供たちと過ごしています!
こんな事ならもっと早くに離婚して縁を切ればよかったと思います。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
独身っていいなと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
自分は特別だと思った瞬間
こんなひといました
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
これまでに出会った天才
あの人と縁を切ってよかった
わたしの周りの大恋愛
わたしの周りで一番勉強ができた人
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
人が豹変した話
わたしの周りで大変身した人
わたしの周りで一番お金持ちの人
ノウハウ
業界ならではの話
○○の裏話
異性は知らないなと思う話
人間関係
女同士って面倒くさいと思った話
家族に一番感謝したこと
女って本当に恐いと思った瞬間
一番ひどい友達からの裏切り
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
修学旅行の思い出
一番おいしかった食べ物
学校や仕事をサボってやったこと
死ぬかと思った話
一番の苦労話
忘れられない先生の話
忘れられない夏の思い出
嘘みたいなほんとの話
今までで一番感動した話
人生最大の修羅場
人生で一番贅沢した話
人生最大の失恋話
これはひどいなと思った結婚式
これまでで一番驚いた話
今までで体験した一番怖い体験
お金さえあればと感じた瞬間
人生で一番運が良かったなと思う出来事
人を見返してやった話
忘れられない夏休み
とっておきのすべらない話
これまでで一番悲しかった時
これまでで一番笑った話
これまでに一番勇気を出した瞬間
これまでで一番お金を無駄にした話
奇跡だと思った話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
どうしても許せないこと
私について
わたしの初恋と、その結末
わたしがやめられないもの
人生が変わった出来事
苦手だったのに得意になったエピソード
誰かに聞いてもらいたい愚痴
誰にも言っていない秘密
そういえば昔夢見ていたこと
もっとも尊敬する人
仕事での大失敗
私の変えたい過去
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話