"トイレ" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

21歳 女性のストーリー
中学生の頃のことです。
夏休みだったと思います。
2階建ての家に両親と姉、私、幼い妹と暮らしていました。
2階に各自の部屋があったのですが、両親はベビーベッドの都合上1階の和室で寝起きしていました。
私は部屋が4畳しかなく、12畳程もあった両親の部屋が好きで両親が1階で寝起きする間その部屋で寝起きしていました。

当時中学生だった私は自分の携帯を持っておらず、母の携帯を2階に持って行き夜中まで動画を見たりしていました。

私は普段からお手洗いを我慢してしまうのですが、その日も我慢してしばらく経ってから1階にあるトイレへ向かいました。
夜中の2時〜3時だったと思います。

階段を降りていると、ガチャっとドアを開ける音が聞こえました。
トイレは階段の裏側?埋め込んだような場所にあり、私が慌てて覗き込むと、少し開いたドアに明かり、ドアノブを持つ真っ白な手が見えました。
仕方なく私は階段に座り込み、出てくるのを待っていました。
しかししばらく待っても出てこず、限界で見に行くと……明かりが消えていたんです。
おかしく思いノックするも返事がなく、明かりをつけて開くと誰もいない。
絶対に音も聞こえていたし、手も見えたんです。けれど思い返すと、家族にはあそこまで真っ白な手の人はいない。

ゾッとして慌てて霊感持ちの母を叩き起こし見てもらうと、大丈夫の一言だけ。
お手洗いも我慢の限界だったので母に待っていてもらい恐る恐る、大急ぎで済ませて出ました。
怖すぎて本当に大丈夫なのか聞くと母は
「中にはいなかったけど入り口近くで立ってた」
と。いやいや!怖すぎるから!!と、その日は両親の寝ている部屋で寝ました。

29歳 女性のストーリー
この経験に対しては中学校の校外学習のことです。キャンプ場な所で、皆BBQをつくりながら、たべてる時に、友達がイヤホンを持って来るので、私に誘われて、一緒に歩いてカバンを置くところまで行きました。行く前には長い階段があって、登って、カバンの所に着いて、探した後、戻り途中で友達急に私を呼んできました。当時私もあの階段ぐらい所に着きました。友達まだカバンの所にいました。何回も私の名前を呼んでも反応がないって言われました。でも、実は先友達と一緒に歩いて戻ってるはずですが。急に一人になりました。この後、ニュースで見ました。あの頃ある小学校の女の子がその場で自殺しました。そのあとも、何回も学校のトイレで幽霊ような人たちの姿を見ました。
24歳 女性のストーリー
私が中学生の時に林間学校で経験した体験談です。
その時に宿泊したコテージの女子トイレを使用したクラスメイトが何人も
「トイレに髪の長い女の人がいる」と言い始めました。
みんなトイレを使うのを怖がっていて私もその一人でした。
しかし私は実際にその姿を見たわけではなかったのでみんなふざけて
冗談を言っているのかもしれないとも思っていました。
しかし野外活動を終えてコテージに戻るときにふと窓ガラスの方をみたら
すりガラス越しに白い服を着た髪の長い人のシルエットが見えたのです。
そこはちょうど噂になっている女子トイレがある窓でした。
私は怖くなってとっさに目をそらしてしまいました。おそるおそる
もう一度その窓をみてみるとそこには何もありませんでした。
本当にそのトイレには何かがいるのではと思わされた怖い思いをした体験でした。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

46歳 女性のストーリー
今年4月下旬、着替えの際にみつけた胸のしこり
「乳がん」でした
すぐにクリニックで診察を受け「乳がん」の宣告で頭の中が真っ白です
クリニックの先生から「ステージ2ぐらいですから大丈夫ですよ」と声をかけていただきましたがショックの一言でした
手術・治療は別の大学病院で受け、現在も治療中です

大学病院に転院しても検査ばかりで1か月余り、心が折れそうでした
治療というゴールにむかって進んでいる実感がないからです
でも病院にいくときには必ず「夫」が付き添ってくれました
私が治療に前向きになるように一緒に頑張ろうと外食をやめ、晩酌のビールもやめ、免疫力をあげるため、気分転換のためにウォーキングを勧めてくれて一緒に付き合ってくれます
入院中も個室で毎日泊まって病院から出勤です
夜中トイレに行くとき、一人で不自由があったので夫に支えてもらいました

手術の際リンパの転移もなく、献身的に支えてくれる夫がいる、個室でリラックスした入院生活

ガンになったことは最初人生最大の不幸だと思いましたが、ガンをきっかけに食生活の見直し、ウォーキングでダイエットもできました
そして夫婦の絆も深まりました

ガン保険や医療保険に加入しているのでお金の心配もありません
子供もいないので、自分だけのことに専念できます
住宅ローンも数年前に終わっています

こんな私は「人生で一番運が良かった」
「誰よりも幸せな女」といえるのではないでしょうか?

「これまでで一番笑った話」

39歳 女性のストーリー
職場の同僚とお客様の自宅に仕事で伺いました。その際、男性の同僚がどうしてもトイレに行きたくなり、お客様のご自宅のトイレをお借りしました。しかし、そこは田舎のお宅で、いわゆる「ボットン便所」でした。そして用をたそうとした同僚はズボンのポケットに入っている免許証をなんと、ボットン便所に落としてしまったのです。これには大爆笑でした。そして同僚は近くのドブに流れついているとふんで、みんなで探しに行ったところ、免許証を発見。ビニール袋を逆にして広いあげました。その後、同僚は警察署に行って再発行してもらったそうですが、事情を説明したところ警察署員のかたからも笑われたらしいです。もうあれから何年もたちますが、あんなに笑ったことは、初めてというくらい皆で笑い転げました。もちろんお客様はその事実はしりません。

「今までで一番感動した話」

45歳 女性のストーリー
私が熱中症になってしまい、仕事から帰ってきて横になっていた時のことです。小学生と幼稚園生の子供がいるのですが、上の子が私の代わりに洗濯物を入れて畳んでくれたり、下の子のトイレやお風呂の世話をしてくれたり、夕飯も簡単なものですが、メニューも考え支度までしてくれたことがありました。
具合が悪く寝ている私の頭に冷えピタを貼ってくれ、身体を冷やすために保冷剤も持ってきてくれたりして、本当にびっくりしました。
いつもはケンカばかりの二人ですが、この日はケンカすることなく、ご飯も仲良く二人で済ませ、洗い物もしてくれました。
そして私にお粥まで作ってくれたんです。まだまだ小さいと思っていましたが、本当に感動した1日でした。

「わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード」

23歳 男性のストーリー
自分が保育園~小学生の頃、お手伝いが好きで共働きの両親に代わって洗濯物を取り込み畳むことを積極的にしてました。
夜になり母が仕事が終わり帰ってきて、その畳まれた洗濯物を見て「ありがとう~ほんと助かるよ~」ととても褒めてくれてるのが嬉しくて仕方なかったのをよく覚えています。
しかし、所詮小さい子供が畳んだものなのでたたみ方も綺麗とは言えませんし、タンスに入るように畳むにはまた違ったたたみ方があるのでしょう。
自分が寝たあとに母がこっそり洗濯物を畳みなおしているのを、夜トイレに起きた先に見てしまいました(母には気づかれてない)。
それがなんとなくショックで、逆に手を煩わせたような気がしてそれ以来お手伝いをあまり積極的にしなくなった覚えがあります。
しかし今考えると母のあの喜んでた顔は、息子の積極的に手伝う純粋な気持ちに答えるためだけでなく、その思いに対する本当の喜びであり、「愛」のある優しい嘘だったのかなぁと思います。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

28歳 男性のストーリー
女性と話すのが苦手でしたが、とある女性と出会ったことをきっかけに割りと得意になったと思います。
社会人一年目の途中までは女性と話すのが本当に苦手で、複数人で話しているときはまだましなのですが、一対一となると何を話していいのか分からずに
てんぱってしまう日々でした。自分でもどうにかしたいと思っておりましたがなかなか改善できない日々でした。そんな矢先に先輩からとあるバーに連れて行ってもらい
そこで一人の店員さんとであったことで変化が見られました。はじめは先輩含め三人で話していたのですが、先輩が体調を崩しトイレに立てこもっている際に
二人きりで話すことになりました。最初のうちはいつものようにあせっておりましたが、なぜだか自然と話せるようになりました。

「わたしの初恋と、その結末」

29歳 男性のストーリー
小1のクラスメイト
ただ彼女は1人で食事も食べれなければトイレも行けなかった。当時は母に『彼女と結婚する。』と言ったら、『一緒に生活するにはたくさんボランティアさん雇わなきゃいけない。』という答えが返ってきた。
話すこともできない彼女だったが、音楽や音は好きで中3のころは車いすにボタンをおいていた。
当時は学校の玄関まで一緒に帰ることがあり、ボタンを押すと『○○さん、さようなら。』と先生の声がした。
すると彼女はニコニコと笑い、自分も『○○先生の声がしたね、嬉しいね、』と優しく声をかけtた。
一方で彼女とは別の高校に進んだので、これが最後の思い出になった。

「誰にも言っていない秘密」

43歳 男性のストーリー
中学生の頃、海釣りに行っていました。磯場だったので、近くにお店もなく、もちろんトイレもありませんでした。近くに民家が何軒かありました。最初は我慢していました。まあ、いつものことだから、そのうちおさまるだろうと思っていました。例のごとく、一回目の波は乗り切りました。そして、二回目の波がやってきました。ダメダメダメだと、何とか乗り切りました。その間は、何も飲まず、何も食べずに過ごしました。しかし、そういう時は必ずと言っていいほど、三回目の波がやってきます。我慢我慢我慢して耐えていましたが、ブチっとお尻の穴がゆるみ、少しヒヤッとしました。その瞬間、もう我慢しきれないとあきらめました。お尻の穴をふさぐことを我慢することを。生まれて初めて、外で、海で、野ぐそをしました。
33歳 女性のストーリー
確か中学2年生の時です。英語の授業中でした。
当時かなりの内向的だった私は人前が苦手で自分の意見が言えませんでした。
その英語の授業の時は先生が前に座り、別の事をして生徒は自習をしていました。教室がシーンと静かでみんな集中しているとき、私はトイレに行きたくなったんです。
でも手を上げて先生に
『トイレに行きたいです』
とは言えるわけもなく、ひたすら我慢我慢我慢…
こういうときって全然時間が進まないんですよね。5分経ったかなと思って時計を見ても1、2分しか経ってないんです。私のお腹は限界を迎えました…
そう!中学生にしてお漏らし…
消えてなくなりたいくらい恥ずかしかったです。
周りの男子が気づいてドン引きしてました。トホホ…。

これは墓場に持っていきたい!

「死ぬかと思った話」

30歳 女性のストーリー
小学生の頃スキー部に所属していて、とある大会に出場した際、滑っている最中にバランスを崩して転倒してしまいました。その時股間にスキー板がぶつかって、めちゃくちゃ痛くてしばらく動けませんでした。大会は棄権し、痛くて痛くて早く帰りたかったのですが、同級生の男子が入賞したので表彰を見届けてから帰ろうと母に言われ、悶えながら待っていました。
さすがにこれはどうにかなってるのではという痛みで、恐る恐るトイレに行ってパンツをおろしてみるとなんと血まみれ!!股間を覗いてみると腫れていました。母に大変だと説明しようやく家に帰れたのですが、その後用を足してみたら、死ぬほど痛くて泣きわめきました。母が傷を見てようやく事の重大さに気づいたらしく、病院に連れて行かれ、医者に「あと何ミリかずれていたら尿の出口を変えなきゃいけなかったよー」と絵を書いて傷の状況を説明されました。小学生になんて残酷なこと言うんだ・・・。に小学生にして初の分娩台に乗って、傷の縫合手術をされました。縫合だけで済んで良かったですが、二度と怪我したくない場所です。

「」

29歳 男性のストーリー
小1、小2の担任の先生は「おもらししてもいいから授業中トイレに行くな」という方針だったので、皆おもらししまくりでした(音楽会の最中も!)。
いじめっ子の頭にすら漏らした子をいじめる概念が出てこないほどの洗脳ぶり。
以降の先生は普通にトイレに行かせてくれましたが、しばらくはトイレに行った子はそのクラス上がりの子から「漏らせばいいのに、授業から逃げようとする卑怯者」という扱いを受けていました。
いかにその年齢の子供たちにとって先生が絶対的な存在か、思い知りました。

「人生で一番贅沢した話」

46歳 女性のストーリー
今年の7月に入院・手術をしました
入院は経験ありましたが、手術は初めてでした。しかも乳がん(幸いにもステージ2)

数年前に入院したときは6人部屋で口から生まれたようなオバサマに囲まれて毎日血圧が高くなっていくのを体感できました

病名も乳がんなので「個室」を希望し、幸いなことに空き部屋があり使えることになりました

シャワーやトイレは部屋で使いたいと希望したところ、さらに家電付きの1日2万円のお部屋を使わせていただきました

入院期間は12日 +手術代=46万円の請求書に驚きました

医療保険、ガン保険に加入していたのでカバーできる金額でしたが旅行でも1日2万の宿泊は今まで一度もしたことがありません

個室なのでポケットWIFIをレンタルして一日中音楽を聴いたり、動画を見たり
ストレスのない「快適な入院生活」でした

食事も私の好物ばかり、入院前に体の免疫機能を高めるために始めたウォーキングでできたウエストのくびれが術後3日でなくなっていました

煮豚、酢豚、豚肉のピカタ、メロン、はまぐりのようなあさりの味噌汁
朝は焼鮭、のり

すべて美味しく頂きました、入院なのに心身ともに贅沢した12日間でした

「今だから言えるごめんなさい」

30歳 女性のストーリー
今だから話せるごめんなさいというテーマで以下にお話させていただきます。
わたしは小学生の頃、片道45分ほど歩いて通学しておりました。朝、自宅を7時半に出る際には雨の日で無い時がありがたかったです。一方帰宅時が辛かった。友達と帰っている時はそうでもないのですが、一人で帰っている時は登り下りの激しい坂道を行くのでとても疲れました。
学校で疲れて帰っているだけならまだ良いのですが、便意をもよおしたときには本当にきついものがありました。
ある時私はトイレ(大)をしたくなりましたが、もちろん公園の公衆トイレなど通学路にはありません。大人になった今だからコンビニにトイレを借りるという選択肢も考え付きますが小学生だった当時の私は、気になる女の子の庭先で野グソすることしかできませんでした。
本当に申し訳ないと反省しています。しかも一部始終を見ていた女の子とその後付き合うことになりました。

「とっておきのすべらない話」

24歳 男性のストーリー
これは、アメリカに短期留学していたとき、友達がトイレの中に閉じ込められてしまったという話です。
ある日、授業が終わり、友達と寮に戻りそれぞれの部屋に別れると、「ヘルプミー」というラインが来ました。「どうした」と聞くと、アメリカ人の洗面台修理しに来た水道屋さんによってトイレの中に閉じ込められてしまったというのです。なんと、その部屋のトイレはなぜだか外からしか鍵を操作することしかできず、さらには友達がトイレにいることを知っていたのにも関わらす水道屋さんはその鍵を閉めてしまったのです。
私は友達を救出しに行きましたが、ここで問題が発生。水道屋さんはすでに修理を終えて消え、部屋の鍵を閉めてしまっていたため、私は部屋に入ってトイレの鍵を開けることができなくなってしまいました。スペアキーがあるだろうと思い寮の受付の人に交渉しに行きましたが、英語は得意でなかったため、うまくその経緯を説明できず、一度はセキュリティーの関係上スペアキーを貸してもらうを断られましたが、友達をトイレから救出したいと必死に伝えたら、その気持ちが伝わったのか、鍵を開けてもらうことができました。この救出には1時間かかりました。今後留学に行く学生には閉じ込められるのだけは気をつけろと言い続けています。

「どうしても許せないこと」

39歳 女性のストーリー
お互い好きだと思い、付き合って結婚しそうだった男性が、二股をかけていました。
元カノとまだ続いていて、何故か彼女は私の存在も知っていました。
私は彼に問いただしましたが、彼は元カノと別れたいけれど別れてもらえなかった。彼女は君と会って話がしたいからどうか会ってくれと言われ、連絡先を渡してきました。今となればすぐ私から別れればいいものを当時は好きだったらので、元カノに会って、もう別れてあげてくれと言いました。けど元カノはクビを縦には振らず、今私は鬱病を患っていて彼がいなければ生きていけないといいました。突然の告白に驚きましたが、私だって別れてくれないあなたのそんな事情突然聞いた私だって、どうにかなりそうですと言いました。そんな元カノといる時間が辛くてトイレ吐きました。何故か吐いたら気持ちが冷めて、彼の事なんてどうでも良いと思い、その場で身を引きました。今思うとそれでよかったと思うけど、どうしてもいろんな事が許せないです。

「嘘みたいなほんとの話」

50歳 女性のストーリー
私がオーストラリアの北部の亜熱帯地域を旅した時の話です。

その日は、ボートで渓谷を巡る1日ツアーに参加しました。ボートに乗る前にトイレに行っておいてくださいとツアーガイドさんに言われ、私はトイレに行きました。個室が2つあった中の1つに入り、洋式便器の蓋を開けると、そこにはサッカーボール大ほどの大きさの真緑のカエルが鎮座していました。ちょうどトイレの水のたまっていない場所に張り付くのにぴったりの大きさのカエルでした。

あまりにもびっくりした私は声を上げることもできず、秒速で蓋をしめ、どうしてもトイレには行っておきたかったので、もう1つのトイレで一目散に用を済ませ、同行者のところにもどってから「カエルがいたの~!!」とやっとのことで叫びました。

あまりにも大きく、きれいすぎるぐらいきれいなグリーン色のカエル。あんなところにいるものなの?あれは幻だったのではないかとたまに思います。でも実際あの地域はそういう大きなカエルがいることで有名なのです。

「学校や仕事をサボってやったこと」

22歳 女性のストーリー
学校に行きたくなくてサボった時は、両親にもばれたくなかったので、とりあえず制服で学校に行く時間にしっかり出かけました。
私服は持たずに、校則違反の色付きカーディガンとスカートを折って短くして、一見学校の違う人に見えるように調整をして駅のトイレで始業時間まで待機していました。
始業時間ちょっと前くらいに、休みの連絡を入れました。
その後は、貧乏学生だったので、誰かに見つからないかどきどきしながらも、通学定期圏内を電車に乗り続けて学校一駅前で折り返すを繰り返してとりあえず時間を潰しました。
そんな感じで時間を潰しつつ、気になった駅名の場所で降りて歩いてみたり、最安を探してランチを食べたりすることで終業時間までの時間をやり過ごして、学校帰りの人より気持ち遅めに帰宅していました。
35歳 女性のストーリー
高校卒業までは無遅刻無欠勤でした。きちんと真面目に生きてきました。なぜか社会人になってからパッカーンして、これまでとは正反対のサボり人生が始まりました。以下、仕事中に業務を放棄してサボってやったことです。
まずはスマホ。トイレ休憩をちょくちょくとって、ロッカーで常にスマホチェック。Amazonで本やら雑貨やらネットショッピングをしてました。
それから雑誌。ロッカーにおしゃれなきらきらの月刊誌を置いておいて、頻繁に休憩をとっては熟読してました。
ほかのスタッフの都合で休みがとれなくて、ライヴに行けなかったときは、「今日は絶対サボる」と決意して出勤し、微熱があって体調が悪いので…と上司に芝居をうって午前中で早退し、その足でライヴ会場に向かいました。
サボり癖がついたら、なんでもできる、と思います。

「人生が変わった出来事」

24歳 女性のストーリー
3.11のとき私はディズニーシーにいた。
友達9人くらいで楽しんでいたが、地震は起きた。
地震が起きたとき私はトイレにいた。
揺れ始めは立ち眩みかと思ったが一緒にトイレに行った友達が私の名前を叫んだのでこれは地震だとわかった。
家族とも連絡が付かず、家の状況、外の状況が今どうなっているのかがわからなかった。
ワンセグから見れる情報は津波や火災であり、自分の家もそのような状況なのかもしれないと思い不安に思った。
夜になり長い長い公衆電話の列に並び、ようやく家族と連絡を取ることができた。
家は無事で安心した。
しかし、その日は家に帰ることができず、レストランで宿泊した。
次の日家族が迎えに来てくれて、帰ることができた。
帰る途中見た景色は、電柱が倒れかかっていたり、駐車場が液状化で水没状態だった。
家に帰っても地震はなかなかおさまらず、テレビでも地震が及ぼした影響、津波の映像が連日放送され、もうやめてほしい。普通の生活に戻りたい。と思った。
今までは地震に恐怖を感じることはほとんどなかったが、それから地震に敏感になり、防災用の荷物を用意したり、防災用アプリを取ったりしている。
また、いつ首都直下地震が起こるかわからないといわれており、恐怖を感じながら生活している。

「修学旅行の思い出」

19歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行で某有名温泉に行ったときの話です。
〝ようこそ○○温泉へ!〟という看板が見えてきたあたりから、急に具合が悪くなってきました。普段は車酔いなどもあまりしないのですが、慣れない旅行だからかなあくらいに考えていました。
部屋に着いて友達と撮った写真のすべてにオーブが写っていました。画面が真っ白になって見えないくらいのオーブが写っていたので、次の日には全部消しました。
その日の夜ご飯と次の日の朝ご飯は具合が悪すぎてほとんど手をつけられませんでした。
ホテルを出発して少ししたところでトイレ休憩になったためトイレに行くと、個室に入った途端にとんでもない吐き気がして吐き気が治まるまで吐いたらそれまでの気持ち悪さはすべてなくなりました。
ホテルが近づいた瞬間に取り憑かれて、吐いて出したのでしょうか...?
47歳 男性のストーリー
小学六年生の時、修学旅行で会津若松に行ったが、初日に学校に集合したときから、校長先生に怒られた。その原因は校長が話を始めている最中に遅刻者がノソノソ来て、みんなそちらに注目が行ってしまい、校長の話なんか聴いていない。その時「どこ見てる! 一年生よりひどい」と罵声が上がった。問題は次の日、宿泊先のトイレで、オイラが小の用を足そうとドアを開けたら、二人の同級生がいきなり飛び出してきた。何事かと思ったが、小を出している最中、個室から校長が血相変えて出てきて、オイラに「用を出しているときに、戸をドンドン叩くとは何事だ‼」と怒鳴り混んできた。オイラはホースをもったまま呆然としていた。犯人はあの二人ではないのか。とにかく、怒られた思いでしかなく、ろくなことがなかった。
30歳 男性のストーリー
高校生の時の修学旅行にて二泊三日での沖縄になったのですが、一日目が西表島残りが沖縄本島に移動してのスケジュールでした。
一日目は楽しく西表島にて予定されていたスケジュールをこなし夜には外に出て街灯がなかったので素晴らしくきれいな星が空を覆いつくしていました。
次の日お昼前ぐらいに西表島から本島にボートで移動する前に島唯一の売店がありそこでペットボトルの期間限定のジュースを買いボートで移動中飲んでいたのですが、本島に着きホテルに着いたあたりでおなかの調子が悪くなりホテルの部屋についてからトイレにこもりそこから下痢が止まりませんでした。
ジュース以外口にいていなかったので原因がそのジュースですたがどこにも言えずじまい。
二日目の晩御飯がホテルの広場にて沖縄料理バイキングだったのですが下痢のせいで沖縄料理を楽しめず唯一口にできたのがシークワーサージュースのみでした。
せっかくの楽しみにしていた料理が食べれなかったのが悔やまれましたが全体的に楽しい修学旅行でした。
20歳 女性のストーリー
中学時代の修学旅行の思い出で、その時付き合っていた彼と私の友達カップルの自由行動のグループを組んだのですが、私の彼に元カノが修学旅行直前に猛アタックしてきて、「グループ私とやっぱり組もう」と言ったり、あげくには、告白までしていました。
彼は断っていたのですが、元カノに私は目をつけられビクビクしながら修学旅行の自由行動をしました。
また、その自由行動では、ちょうど修学旅行の日で付き合って半年になる大好きな彼との思い出を作ろうとしたのに持ってきたデジカメはトイレに落として壊し、友達が持ってきた写ルンですで撮った写真は、全てスカートの下にはいていた短パンのジャージがチラッと出ていて、とてもダサく黒歴史になる写真ばかり。(中学校の時はスカートの下にジャージを履かなければいけなかった。)
思い返すと、もう少しいい思い出が作りたかったなと思いました。
24歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の時の話です。当時、自分のクラスは男子が8人しかおらず、普段から男子8人で行動することが多かったのですが、修学旅行も例に漏れず、4人ずつの班に別れてはいたものの、実態は8人で行動していました。
2泊3日の日程のうち全体行動の日程だった観光名所の見学や戦争体験の講演、班別の自由行動までは良かったのですが、最終日の自由行動で事件は起こりました。この日の自由行動は班別である必要もなく、個人行動が許されている日でした。いつもは8人で行動していますが、班別じゃなくていいならと、そのうちの一人は隣のクラスの友達と行動することに。じゃあ我々もと他のメンバーで行動しようとしたところ、自分を入れて6人しかその場にはいませんでした。「まあ彼もどっかにいったんだろ」と残りの6人で行動を開始。しかし見当たらない彼はトイレに行っていただけ。先生に探して一緒に行動するように言われ、小雨の降る中6人で探し回ることに、、、
結局見つからず楽しみにしてた沖縄そばもゆっくり味わえないことに、、、
修学旅行唯一の苦い思い出です。
42歳 男性のストーリー
修学旅行は京都奈良に行きましたが、一日目の京都の清水寺の男子トイレで仲間達とタバコを吸っていたら学年主任の先生に見つかり。逃げはしましたが、捕まり‥宿泊施設に行っても他のクラスメイト達との翌日の打ち合わせには出席出来ず。
食事後は、部屋から出してもらえませんでした。

しかし、懲りない面々は性懲りも無く各部屋のベランダから私が居た部屋に集まり。

枕投げをしていたら、又も学年主任が現れ皆で学年主任の先生を布団で巻き部屋から脱走。

女子の部屋に行き、夜の京都へと繰り出しました。昼間の顔とは違う京都の夜。
何故か大人な雰囲気が醸しだされていた事を良く覚えています。

しかし、所詮は子供1時間もするとヤバいよと言い出す奴がぞくぞく出てきて静かに宿泊施設に戻りましたが‥そんな事は許されません。
翌日、学年主任と帰宅。

京都奈良の修学旅行が京都だけで終了。
帰っても親にこっぴどく叱られました。

いまだに当時の懲りない面々とは付き合いがあり笑い話になってますが、皆 妻子ある立派な父を一生懸命にやってます。
35歳 女性のストーリー
高校の修学旅行、沖縄へ行くはずでした。関東の海無し県民にとって海は憧れです。
しかしこの年、9.11が発生。その影響で、飛行機は危険とされ、行き先が変更になってしまいました。変更後の行き先は苦渋の決断、京都・奈良・大阪。あぁ、憧れの沖縄…。なぜ苦渋の決断かって?私の高校はキリスト教の教えをもつ高校だったのです。“いい機会だから、他の宗教も学んでくるといい”学校側はそんな風に言ってましたね…。
災難はまだ続きます。
初日、グループ行動の日。私は先生とのやりとりをする、グループの連絡係でした。制服の胸ポケットにケイタイを入れたまま、トイレに行ったんです。用を足して水を流す。“ボトッ。”何が起きたかすぐには分かりませんでした。しかし胸ポケットをさわると、ない!ケイタイがない!和式の水溜まりに見える物体は、私のケイタイ。そう、水没です。すぐに取り出し、洗って拭いて動作確認をしますが、液晶が死んでいます。でも、動くっぽい!?先生に話をして、連絡係は別の子に変わってもらいました。あとは地元の彼氏に、連絡できないって連絡しなければ。でもどうやって?思いついたのは、同機種を使う友達のケイタイを隣に置き、ボタンを同じ回数押して、メール送信。通話はできなかったけど、通信はできました!(後日確認済。)
この後三日間、ケイタイ無しで過ごしました。修学旅行は楽しかったけど、苦い思い出です。

「家族に一番感謝したこと」

41歳 女性のストーリー
私は、一人っ子として育ちました。
現在両親は既に他界してしまいましたが結婚し子供が1人います。
生活は楽では有りませんが充実した生活を送っています。
その理由は、私には兄がいたそうですが彼が3歳の時に交通事故で亡くなりました。両親共に兄には大きな期待を持っていた様ですが夢は叶わず落ち込んだそうです。
その後、生まれたのが私でしたが私は兄とは正反対の性格で余りの違いに悩んでいたそうですがある日母が癌だと分かり闘病生活が始まりました。
見つかった時には既に転移していて手遅れで日に日に弱っていく母を見ては私はトイレで泣き、母の前では明るく振る舞う様にしていました。
ある日、病室で寝ている母の横でつい泣いてしまい、それに気がついた母が私にか細い声で言った一言に感謝しています。
「自分が先に死ぬ事は遅かれ早かれ訪れる事、人生にはそれ以上に辛い事はたくさんあるこんな事で泣くんじゃ無い。」と…。
その言葉のお陰で今、周囲が辛いと感じる仕事や環境でも楽しみを見つけながら過ごせています。

「一番ひどい友達からの裏切り」

31歳 女性のストーリー
中学生の時に同じ学校の同級生を好きになりました。その人は陸上部でとても足が早く、私は毎日教室からグラウンドをみて、彼にドキドキしていました。そんな私をみて、周りの友達たちも応援してくれて、毎日「今日あいつ遅刻してきたよ」とか「今あいつトイレ行ったからチャンスだから話しかけてきなー」など情報やアドバイスを教えてくれました。

そんな毎日を過ごしていて、とうとう私は自分の気持ちに我慢が出来なくなりました。いつも1番に応援してくれていた友達に「私明日告白してくるわ」と宣言して、次の日放課後彼を呼び出し、思いの丈を伝えました。すると彼から「ごめん。昨日からお前の友達に告白されて付き合うことになったんだ」と言われたんです。その友達が告白を宣言して、毎日1番に応援してくれていた子だったのです。ショック過ぎて、その子にどうしてそうなったのか聞くことも出来す、今も友情は続いています。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

46歳 女性のストーリー
今現在私は介護職員として高齢者施設で働いています。以前は福祉の仕事など自分には出来ないと思っていましたが、気が付けば一番長く働いているのは福祉の仕事でした。
以前は他の業種で働いていましたが、会社内の派閥争いとかくだらないイジメなどを目の当たりにして、仕事内容よりも人間関係でのストレスが大きかったのですが、福祉の現場では仕事内容はとても体力も入りますし、トイレ介助などだと臭いもひどいですし、認知症の対応などは専門知識がいって大変なのですが、利用している高齢者の方達が時々「本当にありがとう」とお礼を言ってくれる瞬間があります。「今日は楽しかったよ」とか笑顔で名前を呼んでくれたりとか。その瞬間、気持ちがほわっと暖かくなってこの職業でよかったと真摯に思います。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

36歳 女性のストーリー
女は子供が産める。男は種を提供するだけ、女の体の中で実にして出産する。
自分の体から出てきているため、血のつながりを感じる強さが男より強いと思う。
女性は年齢が上になっても、多少可愛げがあれば男性からも職場など社会的な場でかわいがられる。男性が同じようにやっても、馬鹿にされたり気持ち悪がられるだけ。
男性は新卒で就職活動をするときに定年まで働くことを前提をしていることが多いが、女性は結婚・出産などを理由に円満に仕事が辞められる。
いざという時に男子トイレを女性が緊急的に使うことは許されても、女子トイレを男性が使うことは許されない気がする。
迷子の疑いがある小さい子にも声をかけるときに躊躇わずに声掛けできる。
男性が小さい子に声をかけると誘拐とおもわれることも。
36歳 男性のストーリー
生理痛がないので、男に生まれて本当によかったほと思います。
うちの妻が特別生理痛がひどいのかもしれませんが、あの日になると鎮痛剤を飲まないと生活出来ないレベルになる。
また、出血量も多く頻繁にトイレに行かなければならないし、出血が気になり熟睡ができない。
外出もあまりできないので一緒に遊びに行くこともできません。
それを見て私は、どうすることもできずにただただ見ているだけでした。
なにもしてあげられないことを悔やみます。
毎月、妻の機嫌が悪くなり、死にそうな顔をしてるので本当にかわいそうです。
あの日が来なければいいどれだけいいことかと常々思っています。
神様はなぜあの日をつくったのでしょう・・・このやろー。



「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

56歳 女性のストーリー
子供の頃に香川の母方の祖父母の家で夏休みを過ごすのが毎年の恒例でした。田舎なのでカエルがいたり、田んぼの中のいろいろな虫を捕まえたり、井戸で冷やしたスイカを食べたり、昔の家なので トイレに行くのがとても怖くて 母にいつもついてきてもらったり、
夜はみんなで蚊帳に入って 昔話を聞くのが楽しみでした。親戚の同じ年齢の子供があつまるので いつもみんなでわいわいと楽しく遊びました。お盆になると 海まで連れて行ってもらって海で海水浴をしたりしてとても楽しかったです。おじいちゃん、おばあちゃんはとても優しく 私が母に怒られるといつもかばってくれて、いろいろな昔の話をわらいながらたくさんしてくれました。今でももう一度会いたいです。
57歳 男性のストーリー
昔の家は、トイレは外にあった。肥溜めになっていて、田んぼや畑に撒いていたのだ。
母の実家もそんな昔の家だった。帰省して夜寝る前に、トイレに行くのに、親に付いてきてもらわないと怖くて行けなかった。
 昼間によく見てみれば、直径1メートル程の穴の上に、穴を覆うように木製の小屋があり、地面から数十センチの高さに床になっていて、地面に台が置いてあり床の高さから木の扉がある。扉を開けると床の真ん中に楕円形の穴がある。そこが女子便所。三方が板張りの壁で、残りは扉という作りだ。
 また、その小屋の側面(台のない所)に一部分だけ壁の板が床の高さから地面まで貼っていない所があり、肥溜めが見えている。肥溜めに向って立って用を足すところががあり、それが男子便所だ。一応地面から衝立があり、サイドの目隠しになっていた。
 その便所小屋が、母屋の横に建っていて、雨降りでも軒先からは入れるような作りになっていた。
 ある年の夏休みに帰省した時、用を足そうと男子便所に近づくと、祖母が中腰になってそこにいた。普通は、肥溜めに向けて立って用を足すようになっているのだが、祖母は反対向きで、肥溜めの方にお尻を突き出していた。よく見ると、履いているモンペ(ズボン)を膝まで降ろしている。
「おばあちゃん、なにしてるん?」と私が聞くと、祖母は、「台を上がるんが邪魔くさいからここで(用を)してんねん」とのこと。
 生まれて初めて、女の人の立ちションベンを見た瞬間だった。小学中学年ぐらいの時の事だった。
48歳 女性のストーリー
祖父は昔気質の人で、とにかく女性に対して差別的な人でした。奥さん(祖母)に対して、2男5女を産んだにもかかわらず『女ばかりポンポン産みやがって』と暴言を吐く始末と祖母から聞いてました。
そんな祖母は厳しい環境下で生き抜いてきた大正女で、私が3人目の子供を授かり、育児に奮闘している時期にぽつりと言った一言が、今でもっころに残っています。
『お前もこれでやっと親のありがたみがわかる。2人目までは父・母で一人ずつ、3人目から手が足りず同時にあやすことが叶わなくなる』
私は、祖母は実感のこもったつぶやきで、さり気ない教えをしてくれているなぁ、と感じました。
実際、上の子のトイレを手伝っている矢先に、下の子が泣き出したと思うと、異物を口入れていたり、鳥肌ものの体験もしながら、あの時の祖母のつぶやきを二十歳過ぎた娘息子を見るたびに思い出します。早くおばあちゃんになりたいと願って。

「そういえば昔夢見ていたこと」

51歳 男性のストーリー
毎晩、寝る時が一番幸せだと感じている。一日を過ごし床に就けることに感謝している。
観たい夢を見れることは無いが、現実ではかなっていない夢を見れる頃がある。
なぜその夢を覚えているかというと、トイレに起きたとき、または、夢の途中で目覚ましで夢から覚めた時である。
トイレなどで起きた時は、続きの夢を見れるようにまた、床に就く。
目覚ましで起きてしまったときは、その時の夢を忘れないように余韻を残しつつ準備をしている。その日の夜に夢の続きが見れるように記憶として残るように。
現実では、起きないであろういい夢を見て覚えていることはなかなか無いため、その時は夢から覚めたくない、または、夢の続きを見ようと必死になっている自分がいる。
そういう自分も嫌ではない。今後もそういう時間を大切にしていきたいと思う、いつ見れるか分からない夢のために。
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「あなたの番です」あらすじ
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ノウハウ
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一番ひどい友達からの裏切り
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