"落とし" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

26歳 女性のストーリー
短大の頃に地元でバイトをしていた時の話です。
その日は帰りが22:30を過ぎていて、バイト仲間と帰り際にバイト先の店前で喋っていると、先に帰った後輩1人が、「白いお面をつけて笑いながらバイクに乗ってる人に追いかけられた」と青ざめながら帰ってきました。何人かバイト仲間がそこにいたので、しばらく周りの様子を伺いましたが、現れることなく、気をつけようと言いながら解散。
街灯が少ない道を私も歩いて1人で自宅へ帰っていたところ、後ろからバイクの音が。。交通量がほとんどないので一瞬で白いお面の人じゃないかと怖くなりました。でも絶対振り返らないと思って、気持ちを落ち着かせながら前だけを見て歩きました。近づいてきた途端にバイクがスピードを落として私のすぐ後ろに来たので、怖くなって振り返ると白いお面をつけた人がバイクに乗って、私を見て大笑いしてきました。私は怖すぎて気付いたら大声を出して叫んでいました。大泣きしました。
白いお面の顔がいまだに忘れられません。

「これまでで一番驚いた話」

34歳 男性のストーリー
キャデラック1993年式に乗っていた時、後ろの
ナンバープレートを落っことした話です。
夜、ドライブに出かけて帰る途中、ガソリンを入れにセルフスタンドに行き給油口がトランクの真ん中にあるためそこに移動したところ
なんとなくいつもよりリア周りがすっきりしているなと思ったらあれ、ナンバープレートがないと気付き、
どこかで落としたかしか考えられずとりあえず、警察署に向かいナンバープレートを落っことした旨を伝え紛失届けを提出しました。
1週間後、警察署より電話があり、日本道路公団の方が発見してくれたとのこと。しかしナンバーは多くの車に踏まれごちゃごちゃの状態で見つかりました。
通常、乗用車はリアナンバープレートには封印がしてあった落ちないはずなのでが一体どうやって落ちたのか?とても驚いたお話でした。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

30歳 女性のストーリー
大学入試です。
推薦で、他のクラスメイトより早く、年内に合格を決めました。
試験の内容は、小論文とディスカッションでした。
ディスカッションは、2人の面接官と5人ほどの受験生が集まり、一人ずつ1分程度で自己PRをするところから始まります。
私は、自慢できるような、リーダーシップ経験などがほとんどなく、部活を頑張ったことを話そうと思いました。
しかし、1分埋まるほどエピソードがなかったため、半分は歌を歌うことにしました。
本番では、少し驚かれたものの、他の受験生も「ディスカッション前にリラックスできたよ」などと声をかけてもらえ、自分自信も吹っ切れてディスカッションに挑めました。
実際、合格もいただけて、成功だったと思っていました。
大学卒業直前、ゼミの先生と入試の話をする機会がありました。
入試で歌を歌った受験生はどうやら噂になっていたようで、その時、面接官でなかったゼミの先生も知っていました。
そして、「あの先生(私の面接官だった先生)はそういうの(歌の自己PR)好きだからな。
俺だったら気持ち悪くて絶対落としてるわ。
」と言われました。
面接は同時に何部屋かで行っており、どの面接官に当たるかは運でした。
準備していったものが、たまたま面接官の好みに合ったことで大学に合格できた、本当に運のいい出来事でした。

「これまでで一番笑った話」

39歳 女性のストーリー
職場の同僚とお客様の自宅に仕事で伺いました。その際、男性の同僚がどうしてもトイレに行きたくなり、お客様のご自宅のトイレをお借りしました。しかし、そこは田舎のお宅で、いわゆる「ボットン便所」でした。そして用をたそうとした同僚はズボンのポケットに入っている免許証をなんと、ボットン便所に落としてしまったのです。これには大爆笑でした。そして同僚は近くのドブに流れついているとふんで、みんなで探しに行ったところ、免許証を発見。ビニール袋を逆にして広いあげました。その後、同僚は警察署に行って再発行してもらったそうですが、事情を説明したところ警察署員のかたからも笑われたらしいです。もうあれから何年もたちますが、あんなに笑ったことは、初めてというくらい皆で笑い転げました。もちろんお客様はその事実はしりません。

「今までで一番感動した話」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。


「今だから言えるごめんなさい」

22歳 女性のストーリー
中学生のときどうしても生理的に無理で嫌いになってしまった男の子と授業で隣の席でした。小テストを交換しなければならなかったけど本当に嫌すぎて、完全に無視してしまってとても気を使わせてしまいました。その子じゃない側の友達にいつも頼んで、その子にもめちゃくちゃ気を使わせてしまった覚えがあります。さらには、私がシャーペンを落としてしまったときにその子が拾ってくれたのですが、本当に生理的に受け付けなかったせいで、そのシャーペンをその授業のあと捨ててしまいました。今思えば、どうしてそんなに苦手というか嫌いになってしまったのかもわかりませんし、そんなに苦手だとしても無視するのではなくて他にもっと解決する方法があったのではないかと思うと本当に謝りたいです。

「とっておきのすべらない話」

38歳 女性のストーリー
スーパーのチラシをみて、特売にねらいをつけた品は、冷凍の焼おにぎり。定価より100円程安く、かつ増量キャンペーンという願ったりかなったり。もう買わなきゃならないでしょう!と鼻息荒くして、徒歩で買い物へ行きました。
スーパーでは忘れずに冷凍おにぎりを購入、レジで支払ってレジ袋に買い物したものを入れた所まではしっかり記憶しています。
もちろん、冷凍おにぎりもレジ袋に。
だけどここから先の記憶が曖昧に。
持ち帰る道中、普段なら冷凍食品が足下に当たって冷えた感触があるのに、この日はそんな感触がなく。
そして、帰宅して事件発覚!
あの、特売冷凍焼おにぎりがない!レジ袋にない!でも、レシートには、支払った明記がある!
おかしい!え!なんで??
頭真っ白のまま、スーパーへ問い合わせの電話。だけど、落とし物などの情報はないとのこと。
諦めきれない気持ちを抑えきれず、玄関から店への道をくまなく捜索へ。
絶対落としてるはず!と感じながら探しても見つからず。
もう、見つからない運命だと自分に言い聞かせて帰宅していたらまさかの発見。
『おかあさん、みてみて!』と3-4歳くらいの子供が拾ってもっていたのが、その焼おにぎり!
私の!!!と取りかえしたかったのですが、その子供の親が、
『さわっちゃだめ!ぽいしましよ!』とコンビニのゴミ箱へ。。。

もう、なにも言えない私はただただ、事の成り行きを見守るしかありませんでした。

「これまでの人生で悟ったこと」

39歳 女性のストーリー
私は元々とても短気でした。恥ずかしながら今よくニュースで流れているあおり運転もクラクションを鳴らされたことに逆上し一度だけですがやったことがあります。また一人暮らしをしている時は騒音に腹を立て、壁をこぶしで殴ってしまったり、相手の部屋の玄関のドアを蹴り飛ばしてしまったりしたこともありました。
短気は損気という言葉があるように、感情的に行動してしまい、結果的には自分に被害が及ぶようなことはなかったものの、刃物で刺される等自分の命を落としてしまうようなことになってしまったかもしれないですし、ニュースで実際そういう方がいました。何でこんなことをしてしまったんだとひどく落ち込みました。
逆上し落ち着いた頃に落ち込むことを繰り返し、短気じゃなければ、すぐに逆上することがなければ落ち込むこともなくなるし、危険にさらされる可能性を自ら高くしてしまうこともないと悟り、少々のことでは怒らなくなりました。

「嘘みたいなほんとの話」

38歳 女性のストーリー
当時3歳の息子とは良いことをすると必ず神様が見ていて良いことが回ってくるんだよという話をしていました。だから悪いことをしたら悪いことが戻ってくるよということを教えたかったのです。
2人目が欲しいなぁと考えていた頃でした。デパートに息子と買い物中、足元に何か落ちています。1000円札でした。本来の私なら、ラッキーと思いそのまま拾っていたでしょう。しかし、その時は店員さんに届けなきゃいけないという強い意識が真っ先に来てすぐに店員さんへ届けました。息子も落とした人見つかるといいねといいながら、なんだか気持ちがぱあっと明るくなり帰宅しました。
それから半月ほどして、なんと2人目を妊娠したのです。なかなか出来ずにいた私は本当に驚きで、あの時きちんと届けたことを神様は見ていたのだろうか。もし届けずに自分のものにしていたら今頃は、、と思うと因果応報はやはりあるのだなと思いました。

「学校や仕事をサボってやったこと」

38歳 女性のストーリー
大学生のときですが、授業をサボって年上の彼氏と遊んでいました。
私はまだ1年だったので、ほぼ毎日大学へ行き、割とタイトな時間割をこなさないといけなかったのですが、大学までの通学時間が長く、行ったふりをすれば1日遊べる…と今考えるとかなり浅はかな考えでやっていたな〜と思いますが。
結局、その彼氏とはお別れしてしまい、そのあとが大変でした。普通なら3、4年は学校へ行く回数も少なくてすむのに、1年で落とした単位のために毎日学校へ行き、明らかに下の学年だなと思われる子たちと一緒に授業を受けることになってしまいました。なんとか卒業単位ギリギリで卒業出来ることになりましたが、卒業間際にかなりドキドキしていたのを覚えています。

「人が豹変した話」

25歳 男性のストーリー
私がかつて在籍していた営業系の会社の社長が、豹変した話です。
社長は面接もしてくれた方で、凄くニコニコとしたやさしい面持ちの方で、質問にも丁寧に
答えてくれ凄くいい印象を持っていました。入社してからもしばらくは優しく、
契約を獲得したときには自分のことのように喜んでくれてたまに呑みに誘ってもくれました。
そんな中、私自身調子を落としてしまい契約数に伸び悩んでいました。ちょうどそのタイミングで
社員全体の給料が上昇しノルマのようなものを設定されました。
調子を落としてしまった私は2ヶ月続けてそのノルマを達成することができませんでした。
そうすると、面談をするよと事前に聞いてた私ですが、優しい社長のことだから
アドバイスなどをくれるのだと思っていました。しかしいざ、面談の場に行くと怖い顔をした
社長がおり、「使えない人間は首だから」といわれました。
あんなに優しい人でも裏の顔があるのだと驚きました。
以来

「人生が変わった出来事」

26歳 女性のストーリー
18歳で妊娠が発覚。
通っていた高校を中退し、結婚出産。
育児に参加もしない旦那はすぐ外に彼女を作り、理由を見つけて私を実家へ丸投げ。
それからは離婚に向けて水面下で動く日々。
18歳ながら悪知恵は豊富で、どうやって落としいてれやろう、そんな事ばかりを考えていた。
離婚すると決まって旦那も安心したのか、まだ事実嫁である私に彼女の相談。
妻子がいるからまだ色々付き合いを待ってもらってるなど家に連れてきてもいいかなどなど。
二人でドライブか外食かに出掛けている車の横についた事もあった、信号がたまたま赤になり横を見ると向こうも気づいたように急発進。
律儀にその当時流行っていたタイムラインに逐一行動を書いていて、写真は何故か嫁にツーショットを送り付けて来た。
全て印刷して、向こうの親の前に叩きつけてやった。旦那は顔を引き攣らせ失笑。ざまぁみろ。

「修学旅行の思い出」

51歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の話です。旅行先は奈良・京都でした。三泊四日の旅でした。
2日目に奈良から京都へ行く途中で宇治に寄りました。平等院鳳凰堂を見学した後、京都市内へ移動することになりました。推測ではありますが、バスに乗る際に全財産を落としてしまいました。それに気づいたのは京都市内のホテルに到着したときでした。
気づいたときには真っ青になり、担任に泣きついて1万円を借りました。楽しいはずの旅行が一瞬にして憂鬱な旅になってしまいました。3日目の自由行動もあまり楽しめず、修学旅行が終わった翌日に借りたお金は返しました。
このときの教訓から、旅行の時はお金を分散して持ち歩く様になりました。足代は確保できるくらいの金額に分散しています。今はクレジットカードを持っていますので、切符などの購入には問題ないのですが、今でも現金は分散して持ち歩いています。
20歳 女性のストーリー
中学時代の修学旅行の思い出で、その時付き合っていた彼と私の友達カップルの自由行動のグループを組んだのですが、私の彼に元カノが修学旅行直前に猛アタックしてきて、「グループ私とやっぱり組もう」と言ったり、あげくには、告白までしていました。
彼は断っていたのですが、元カノに私は目をつけられビクビクしながら修学旅行の自由行動をしました。
また、その自由行動では、ちょうど修学旅行の日で付き合って半年になる大好きな彼との思い出を作ろうとしたのに持ってきたデジカメはトイレに落として壊し、友達が持ってきた写ルンですで撮った写真は、全てスカートの下にはいていた短パンのジャージがチラッと出ていて、とてもダサく黒歴史になる写真ばかり。(中学校の時はスカートの下にジャージを履かなければいけなかった。)
思い返すと、もう少しいい思い出が作りたかったなと思いました。
54歳 女性のストーリー
少し切なく、やるせない修学旅行の思い出があります。
高校の修学旅行は京都方面でした。旅館の部屋割りは大部屋で、私の部屋は女子が八人位いたと思います。そこで起きた出来事でした。
T子の財布がなくなりました。皆、自分は大丈夫だろうかと確かめましたが、なくなったのはT子だけでした。先生も加わり、皆で大捜索しましたが、とうとう出てきませんでした。T子は泣いていました。
その後は、先生からお金を借りてお土産などを買っていたようでした。
財布は落としたのか盗まれたのかは今でもわかりません。ですが、このクラスではその後、普段の学校生活でも次々とお金の紛失事件が起こりました。これは確実に犯人がいて、盗んだのだ、と誰もが思いました。とうとう解決しないまま卒業になりましたが、どうやら手癖の悪いB子という人がいて、その人が犯人ではなかろうか、と感じました。B子と私は仲が良かったので感じたことですが、B子の嫌っていた人が被害に遭っていたので、ゾッとしました。もちろん、証拠なんてありませんし、本人に問いただした訳でもありませんので誤解かも知れませんが、今となっては謎でしかありません。

「奇跡だと思った話」

25歳 女性のストーリー
今から13年ほど前、中学生の頃に近所のお祭りに友達数人と遊びに行ったときの話です。

私たちはお祭り会場の入り口付近で立ち止まって、おしゃべりに夢中になっていました。
特に注意を受けたり嫌な目で見られたりといったこともなく、30分程度その場所にいましたが、私はふと「あっちに移動しよう」と口にしました。
突然の提案にも関わらず、友人たちも「そうだね」と受け入れてくれて、私たちは自転車を置いて数メートル離れたところに移動しました。
そこでも話は絶えることなく、またおしゃべりに夢中になっていました。

数分後、後ろから大きな音が聞こえました。
会場の向かいにある建物の駐車場からお祭り会場に向かって、猛スピードで車が突っ込んだようでした。(ブレーキとアクセルを踏み間違えたそうです。)
そして振り返った私たちはぞっとしました。
車が突っ込んでいたのは、つい数分前まで自分達がかたまっておしゃべりしていた場所だったからです。

あのとき「移動しよう」と言っていなかったら、友人たちがそれを受け入れてくれなかったら、私たちは事故に巻き込まれ、命を落としていたかもしれません。
幸いこの事故に巻き込まれた人はおらず、運転手の女性も軽いけがで済みました。

わたしの自転車は事故の衝撃でひしゃげてしまいましたが、なにかしらの奇跡がわたしの直感に働きかけてくれたのかもしれません。
28歳 男性のストーリー
小学生の頃に通っていたそろばん教室でそろばん終わりに仲間と夜8時頃にサッカーをして遊んでいた。
そのそろばん教室の周りは新しく団地が出来る予定で家が少しずつ建っている。その場所でしばらく遊んでいる時にボールが飛びすぎて変な穴の中に落ちてしまった。俺はボールを追ってその穴に飛び降りてボールを拾い上に上がって遊びを続けた。遊んだ後に、そろばん教室のバスが送迎の為に車のエンジンをかけました。そろばん教室のバスのライトが目の前の真っ暗な場所を照らした時に、俺がボールを落とした穴を光が照らした瞬間、俺は絶句しました。その穴には家を建てる為の鉄杭が穴一面に打たれていました。奇跡的にその鉄杭の隙間に飛び降りて居たのでケガなど無かったけど、場所を間違えていたら鉄杭の上に落ちて大変な大ケガになっていたと思ったら凄い奇跡だったと思います。

「人生最大の修羅場」

40歳 女性のストーリー
以前、LGBTの集まる飲み屋で働いていた時のことです。
私自身はLGBTではないのですが、ちょっとしたきっかけで働くこととなりました。
その際に、出会ったバイセクシャルのお姉様。
私のことをとても気に入ってくれて、私がシフトで入っていた時は必ず来てくれてました。
週に1回は、シャンパンを入れてくれたり。
キープのボトルも高めのものを入れてくれたり。
しかし、私がお店を辞めたとなった後に急変。
昼の仕事に戻るためにお店を辞めたのですが、友達として付き合っていこうと思っていました。
何度か遊びに誘われたのですが、昼の仕事に戻ったばかりというのもあって疲れが抜けず、何回か断っていました。
そんなある日、
「お店辞めても遊ぶって言ってくれたじゃん」
「そんなに疲れが取れないのなんておかしい」
「あれだけ、お金落としてあげたのに」
「あんたにいくら使ったと思ってるの?」
「マンションだってタダで貸してあげるって言ったじゃん」
等など、怒涛のメールが来るように。
挙句、うちの最寄り駅で待ち伏せされるようになりました。

顔は合わさずに済んだのですが、同性と揉めたのが一番の修羅場でした。

「仕事での大失敗」

34歳 女性のストーリー
派遣社員としてホテルで勤めていた時、日頃はレストランのランチタイムに入っていたのですが、その日だけたまたまパーティの配膳係が足りなかった事もあり、急遽入ることになりました。ただ配膳係は事前に特別な研修を受けないといけないのですが、私に与えられた時間はほんの30分程度の実践練習のみで、全く訳も分からないまま本番へ挑む事となりました。
自分の担当テーブルが決まっていて、そこのお客様にワインを2つ頼まれなのでドリンクカウンターまで取りに行き、ワイングラスの脚はしっかり支えないとトレーの上で傾くから気を付けてと言われ渡されたのですが、いざお客様に渡す時にお客様が別々でワインを取った事で一気にトレーが傾き、お客様の足元に一つグラスを落としてしましました。その結果お客様の足にワインが掛かってしまったので、裏で先輩方に囲まれて怒られ21歳の私は恐怖から震えて涙が止まらなかったのを覚えています。
45歳 男性のストーリー
2週間の海外出張に行った時に、現地に着いて2日目に持っている現金を全て落としてしまいました。
出張先はクレジットカード決済ができないような地域であったため、生活が出来なくなってしまいました。
出張先から一時的に現金を借り、すぐに日本から送金してもらうことで現地て何とか不自由なく過ごすことは出来ましたが、大きく2つダメージを受けた点がありました。
1つは落とした現金は2週間分の食費や生活費に加えてホテル代なども含まれていたため、額が大きかったことで大金を失ったことです。
2つめは、出張先から現金を借りたことにより職場の人達に現金を落としたことがバレてしまい、同僚から冷やかしを受け続けることになったり、上司の信頼を失ってしまったことです。

「私の変えたい過去」

45歳 男性のストーリー
私の変えたい過去は高校生時代です。
高校入試の際に1次入試に落ちてしまい、1.5次入試で私立高校に合格しました。
合格したのはいいのですが、この学校ではひたすら大学合格を目指す勉強漬けの日々であり、しかも男子校だったので全くいい思い出がないのです。
この時の勉強のかいあって無事大学には合格できましたが、毎日のテストやら文化祭の日でも勉強やらと楽しいことを思い出すことができません。
しかも部活動もできませんでした。
なので私がもし過去を変えられるのであれば、多少レベルを落としてでも公立高校に入学して、何らかの部活動をやって同級生の女性たちともたくさん触れ合って、これぞまさしく青春という高校生生活を送ってみたいです。
26歳 女性のストーリー
高校時代、冬の寒い朝。寝坊してしまったばっかりに急いで通学することに。
いつも使う急な坂を、この日は猛ダッシュで下っていました。
すると、おじいさんと小学生の子供が上ってくるのが見えたので、少しスピードを落とし脇に避けて進んだら、次の瞬間、コンクリートの地面にたたきつけられていました。
衝撃で何が起こったかわからず、立ち上がれないまま、全身痛いのか冷たいのか、へんにあったかい。手袋をした手で顔を触ってみると血が・・・。顔着(がんちゃく)。顔面から着地したみたいです。
さっき来た道に目をやると、先ほどのおじいさんと小学生はこっちを見ながらも、何事もなかったかのようにそのまま上って行ってしまったんです。
その時何を思ったか私は「なんで助けてくれないんですかぁぁぁ!!」と動けない&半泣きの状態で叫んだんです。それでも無視して行ってしまったのですが、、、。
しばらく立ち上がることもできずにいると、通りすがりの男性が助けてくれ、無事、救急車を呼んでもらえました。

けがは顔面に10針以上で骨折せずに済みましたが、今も傷を見るたびにこの出来事を思い出します。
今思うと、あのお二人は、助けてくれなくて当たり前なのかもしれないです。
もう、坂道猛ダッシュ&叫ばないので、過去を変えられたらな~と思います。

因みに、転んだ原因は丸太でした。近所の小学生が置いたみたいです・・・。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。
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今までで一番感動した話
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人生が変わった出来事
もっとも尊敬する人
苦手だったのに得意になったエピソード
誰かに聞いてもらいたい愚痴
わたしがやめられないもの
私の変えたい過去
誰にも言っていない秘密
仕事での大失敗
わたしの初恋と、その結末
そういえば昔夢見ていたこと
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間