"ラッキー" に関するエピソード

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

35歳 女性のストーリー
私は、人見知りで、嫌とは言えない性格でした。今考えてみても、どちらかというと人に尽くすという感じのタイプだったので、もちろん使われるようなこともありました。嫌な思いもたくさんしたし、毎日悩んだこともありました。
だけど、周りの友人や知人にはすごく恵まれたのかなと思います。ピンチなことがあっても、どうにかなってきました。数年前に、人生最大のピンチがありました。自分が騙されたのがいけないのですが、
自分の周りの人にまで辛い思いをさせてしまいました。けれど、やっぱりその時にも周りにいてくれた人や友人に助けられました。いろいろな人がいる中で、私の人生には常にそばにピンチをチャンスに変えてくれる存在がありました。今も、これからも周りの人に感謝しています。
それが、自分の持ち合わせている運なのかなと思います。
40歳 女性のストーリー
今の夫に出会えたことだと思います。
20代のころは自分が結婚できるとは全く考えられませんでした。
30も後半になり、そのころたまたま職場で幸せな結婚生活を送っているように見える同僚がいて、あてられて私も婚活してみようとなんとなく婚活サイトに登録しました。
しばらくはいろんなかたと婚活サイト上でやり取りをしていて、このやり取りもつかれるなーと思い始めたころに今の夫とやりとりがはじまりました。
この人とはなんとなく気軽に話ができるな、と思えました。
しばらくしてから初めて会った時も、今もある意味リラックスできているように思います。
今もどうしてこうなっているのか信じられないときがあるくらいですが、あの時婚活サイトで夫と知り合えてよかったと思います。
46歳 女性のストーリー
今年4月下旬、着替えの際にみつけた胸のしこり
「乳がん」でした
すぐにクリニックで診察を受け「乳がん」の宣告で頭の中が真っ白です
クリニックの先生から「ステージ2ぐらいですから大丈夫ですよ」と声をかけていただきましたがショックの一言でした
手術・治療は別の大学病院で受け、現在も治療中です

大学病院に転院しても検査ばかりで1か月余り、心が折れそうでした
治療というゴールにむかって進んでいる実感がないからです
でも病院にいくときには必ず「夫」が付き添ってくれました
私が治療に前向きになるように一緒に頑張ろうと外食をやめ、晩酌のビールもやめ、免疫力をあげるため、気分転換のためにウォーキングを勧めてくれて一緒に付き合ってくれます
入院中も個室で毎日泊まって病院から出勤です
夜中トイレに行くとき、一人で不自由があったので夫に支えてもらいました

手術の際リンパの転移もなく、献身的に支えてくれる夫がいる、個室でリラックスした入院生活

ガンになったことは最初人生最大の不幸だと思いましたが、ガンをきっかけに食生活の見直し、ウォーキングでダイエットもできました
そして夫婦の絆も深まりました

ガン保険や医療保険に加入しているのでお金の心配もありません
子供もいないので、自分だけのことに専念できます
住宅ローンも数年前に終わっています

こんな私は「人生で一番運が良かった」
「誰よりも幸せな女」といえるのではないでしょうか?
34歳 女性のストーリー
二年前に長女を妊娠しました。フルタイム勤務&通勤片道70分でしたが、「妊婦は歩いたほうが良い」と聞いていたので、たまにお腹張るけど大丈夫!と産休まで頑張りました。
里帰り出産のため、産休に入ってから一週間後に地元へ帰りました。
検診の予約がなかなか取れず、一週間後に受診。
先生から「赤ちゃん下にさがりすぎ!今すぐ入院してください!」と言われ、そのまま入院しました。
少しでも遅かったら危なかったと・・・
「やっと産休入ったし、生まれるまで遊ぶぞー♪」と意気込んでいたので少し残念でしたが、娘の命を守れてよかったと思いました。
本来の産休はもっと先だったのですが、有休を使って二週間ほど前倒して休みに入っていたのです。
とても運がよかったなと感じました。
46歳 女性のストーリー
私の人生の中で一番運が良かったなと思う出来事は、キャリアコンサルタントの資格を取れたことです。
まだキャリアコンサルタントが国家資格ではないころ、ちょうど私は妊婦でしたが、つわりの中休み休みの実技試験で実技を通過しました。
そして、マークシートや論述も棚ぼたという感じで点が取れました。
私の中では、偶然取れた資格だと今でも思っています。
その資格が、たまたま国家資格化されることになり、自動的に民間資格から国家資格になりました。
これで、私の国家資格が増えることになり、しかも、結構難しい試験だったのが、民間資格のときに取れていたという理由で国家資格にスライドしたのですから、これは運が良かったと言わざるを得ません。
48歳 女性のストーリー
今、私は統合失調症と言う精神科の病気になり、薬の副作用なども有り、制限される事が沢山有ります。好きな音楽も聴けない音楽など有り、大変苦しい思いをしています。
病気になる前は、工場で働き、今はもう無いのですが車に乗って車で通勤していました。休みの日は車で買い物に出かけ、パソコンも今は壊れてしまいましたが、レンタルでCDを沢山借りてパソコンにコピーして好きなアーティストがいて、通販やCDショップで好きなアーティストのCDを買い、他にも色んな音楽を聴いて、とても楽しい日々を過ごしていました。
テレビをみても調子が悪くなったりして、自由にテレビもみれません。以前はドラマも好きで、仕事が夜勤なので、録画しておいて、次の日にみたり、楽しかったです。
そんな、過去の生活が楽しかったです。
43歳 男性のストーリー
会社にバイクで通勤をしていて、高速道路を走行中に
アクセルが自然と元に戻らなくなってしまいました。
自分で戻す分には影響はなかったので、なるべくスピードを
出さずに、ゆっくりと高速を走りました。
夜に仕事が終わり、帰宅しようとアクセルを回した瞬間
ブチとワイヤが切れてしまい、エンジンが回せない状態に
なってしまいました。
修理にだして後に判明したことですが、どうやらアクセルワイヤーを
イタズラされていたらしく切れやすい状態だったそうです。
もし、朝の高速道路でワイヤーが切れて、元にもどらなかったら
どうなっただろうかかと思うと背中に寒いものが走りました。
今に覚えが、走行中の出来事でなかったので運がよかったのだと
思います。
51歳 女性のストーリー
運の良かった出来事と聞くと一瞬のインパクトのある出来事のようなイメージがありますが、私にとってはずっと連れ添ってきた最愛の主人に出会えたことが人生で一番運が良かったとしか思えません。
結婚は人生を左右する一番大事な出来事ですがずっと好きでいられる人を見つけるのはとても難しいです。
私は北国に生まれそこで生きていたのに最愛の主人になるその人は関西生まれ。
普通なら絶対すれ違うことすらないはずのふたりでした。
私が人間関係に悩み仕事を辞めて転職し、主人となるその人はたまたま一度だけ仕事の用事で北国の私の新しい職場に訪れた。
とんでもない距離の2人がそのとき一瞬だけ接触、仕事上の会話から二人三脚の人生へと急展開。
こんな出会いができたことに時間が経てば立つほど驚きが大きくなり私にはこの出会いが人生最大の幸運だったといつも思います。
48歳 男性のストーリー
ある業界で4回バブルに踊れたこと。
可愛げのない社員でした。
主たる業務で可愛がられてたらそんな事なかったのですが、問題児のレッテルを貼って頂き(体育会系だったので同期と時間外に遊びに行こうにも見事にずれてるしそこから段々疎遠になり)そのお陰で業界最先端の話に呼ばれて長期で出向してたことです。
本籍の会社を忘れかけた頃に出向先での仕事が片付いて暫く帰って、また次の案件で在籍中4回そんな話に紛れ込めたことが運が良かったかなぁと思います。
最先端である反面何か知らんしょうもないトラブルも抱えてるのだらけだったので、あのトラブルを止めれる。
あの渦中に入れるそれだけでもワクワクしてました。
昨今ならどれ位言われたのかなぁ残業。
正直に書いて信用できる管理職に一切委ねますと処理をお願いして、その後退職時に恩恵に授かれました。
40歳 女性のストーリー
高校受験の年、それまで小学校6年生から塾に通っていた私は、どこか「ま、どこかには受かるだろう…」なんて気楽に考えていました。
今思い返してみても、決して校内でも好成績ではなかったと思います。
でも、上に兄がいて、兄が受験に合格したことで、それほど切羽詰まったように感じず、どこかのんびりでした。
5教科のうち特に苦手だった社会もそんなに勉強せず、「苦手だから~」と、机の上に教科書が上がる回数も他の教科に比べると少なかったです。
塾で補講として社会を受けるように言われたものの、実際受けても全く頭に入らず、やはり苦手な気持ちだけが残りました。
そんな自分でも、目指す高校が決まり、だんだんと受験日が近づき、いよいよ当日の朝!緊張するかと思いきや、それほど緊張した記憶もなく…。
合格発表の日も、母とおしゃべりをしながら学校まで歩いて見に行きました。
「受かっているんじゃないのー?」となぜか内心そんなことを思いながら。
そして、発表を見てみると、、、そこには自分の受験番号が!あんなに、真剣に受験勉強をしてこなかったのに、受かることができました。
これが今までの人生で一番運が良かった出来事です。
28歳 女性のストーリー
私が人生で一番運が良かったなと思ったのは、オンラインゲーム内でコミュニュケーション能力が高いフレンドと出会えたことです。
このフレンドに出会うまでは、オンラインゲーム内でも現実の世界でも自分から人に話しかけにいったり話を合わせたり、年上の人とは話しづらかったりと、人見知りで人付き合いが本当に苦手だったのですが、フレンドと出会ったことで変わることができました。
フレンドは、とにかくよく喋る人でしかもいろいろな経験をしている年上の方でした。
なので最初はあまり喋らず丁寧な口調で少し距離をとりながら話しかけていた私もいつしか自然に話せるようになり、時には一日中そのフレンドと話したりした日があったぐらいです。
そのおかげで、現実世界でも自分から話かけたり年上の人と話せるようになったりと、少しだけ人見知りを克服することができました。
今の私のコミュニケーション能力があるのはこのフレンドのおかげなので、フレンドには感謝してもしきれないなといつも思います。
67歳 男性のストーリー
67年生きていてさほど運が良いと思った事はありませんでした。
運でなく実力だという認識からくるものだと思います。
ところが定年退職した昨年から1年も経過しない本年初め前職の会社の総務の方からお願いしたい事があるから会いたい旨の連絡があり、退職時慰留された経緯もあり「戻って欲しい」といった話ではないかと断る決意を持って会いました。
話は違いました。

会社の建設業の許可を取っていますが、有資格者が辞めてしまい、資格を使わせてほしいという内容でした。
今は名義貸しが出来ず、社員でなければならないとの事。
その時点で再就職の意志はなく絶対に出社しないという条件付きで応諾いたしました。
報酬はお任せという事で関心を持っていませんでしたが、振り込まれた金額に驚きました。
何もせず、十数万です。
さらに、社員扱いの為社会保険にも加入し、経済的に楽になりました。
この年でめぐり合えた幸運に歓喜しています。
34歳 女性のストーリー
恩師と呼べる先生に一人も出会えない人が多い中、部活動を通して二人、高校のクラス担任の先生とたくさんの恩師と呼べる人と出会えたことです。
部活動では音楽(吹奏楽部)以外の人間性を学ぶことができました。そこで人間として成長できたと思います。
そしてクラス担任はたくさんいる生徒のことを誰一人見落とすことなく、一人ひとりきちんと深く関わってくれる素晴らしい先生でした。
心配もかけましたが卒業後も時たま会っては、元気か?と気にしてくれる先生で、個人的には第2の父親と思っていたほどです。
天国に行ってしまったけれど、あの先生なら自分のこともきっと見てくれているんじゃないかと思い、それを励みに頑張れている自分がいます。
30歳 女性のストーリー
大学入試です。
推薦で、他のクラスメイトより早く、年内に合格を決めました。
試験の内容は、小論文とディスカッションでした。
ディスカッションは、2人の面接官と5人ほどの受験生が集まり、一人ずつ1分程度で自己PRをするところから始まります。
私は、自慢できるような、リーダーシップ経験などがほとんどなく、部活を頑張ったことを話そうと思いました。
しかし、1分埋まるほどエピソードがなかったため、半分は歌を歌うことにしました。
本番では、少し驚かれたものの、他の受験生も「ディスカッション前にリラックスできたよ」などと声をかけてもらえ、自分自信も吹っ切れてディスカッションに挑めました。
実際、合格もいただけて、成功だったと思っていました。
大学卒業直前、ゼミの先生と入試の話をする機会がありました。
入試で歌を歌った受験生はどうやら噂になっていたようで、その時、面接官でなかったゼミの先生も知っていました。
そして、「あの先生(私の面接官だった先生)はそういうの(歌の自己PR)好きだからな。
俺だったら気持ち悪くて絶対落としてるわ。
」と言われました。
面接は同時に何部屋かで行っており、どの面接官に当たるかは運でした。
準備していったものが、たまたま面接官の好みに合ったことで大学に合格できた、本当に運のいい出来事でした。
37歳 女性のストーリー
進学したい短大に、系列の高校があることが志望校を決める直前に判明したことです。私は中学生の頃に苦手教科があったせいで、もともとの志望校を目指すのはちょっと無理だろうと悩んでいました。でも、高校の数が少ない地域なのでランクを落とすとどこの大学にも行けないような勉強しかできない可能性が高くなるリスクがあったのです。
そんな頃、授業で地元の高校をグループ別に調べようということになりました。私は別の高校を調べていたのですが、ふっとスカートに何か当たるのを感じたら隣のグループが調べていた高校のパンフレットだったのです。それを見たら進学したい短大の系列校だと書いてあるではありませんか!しかも、その当時の私の成績でも特進コースに入れる可能性があると知って、とても驚きました。
早速、その日から家族を説得しにかかったのは言うまでもありません。というのも、もともとその学校は成績下位者の受け皿だから信用できないと家族に言われていたのです。しかし、もともと私が進学を希望していた短大は家族の事情で、ここならまあ出してあげられるからここへ行きなさいと小さい頃から言われ続けていた学校。私が頑張ればその短大への系列校推薦が取れるし、中学から高校へもここならば今の成績で推薦が出せるって先生に言われたし一石二鳥じゃない?と家族を口説き落としました。
結果は万々歳。特進だったおかげで成績は大いに伸びましたし、系列校推薦も最初の思惑通りばっちり取れて、短大まで勉強や部活・生徒会活動を満喫できました。短大でたくさんの資格を取得できたのも、高校である程度マルチタスクな勉強の仕方を身につけられたからだと思います。また、短大で取得した資格はもちろんですが、高校の生徒会で身に着けたスキルも今の仕事に役立っています。あの時、母校のパンフを見られたこと。それが本当に運のよかったことだと思います。
34歳 男性のストーリー
私が人生で一番運が良かったなと思う出来事、それは「この国(日本)」に生まれてきたことです。
少し大袈裟かもしれませんが、人やモノ、国などの歴史が好きな私からすると、日本という国は、国としても、文化や風習、民族意識に至るまでとても魅力的で、特異であるということです。
古くは神話や伝承から始まり、国家の起こり、文化の発展、技術の進歩など、およそ2000年間に目まぐるしく事は動き続けています。
しかも、単一国家としては世界最古の歴史を持っています。
今年「令和」へと元号が変わりましたが、ルーツである中国では今は使われていない文化を大事に伝えています。
残念なのは、現代社会が進歩すると同時に、民族レベルが下降気味になっている点です。
かつては確かに存在した「奥ゆかしさ・思いやり」という概念は薄れつつあります。
もちろん、絶望はしていませんが身勝手な人が増えた印象は拭えません。
しかし、技術的にも文化的にもまだまだ可能性はあります。
この奇跡とも呼べる国に生まれてきたことを誇りに、日々精進していきたいです。
長文失礼しました。
22歳 女性のストーリー
今までで単純に運が良かったと思えるのは度々ありましたが、1回だけほんとに運が良かったと、良い1年になるなと思ったことがありました。
あれは小学生?の時。お正月に三社参りをしていた時でした。地元の太宰府天満宮に家族4人で言った時のことです。寒いなら凄い人数の人で、お参りの行列はごった返して1時間くらいならんだ覚えがあります。
そんな中、毎年必ず太宰府天満宮にきたらすることがあります。500円御籤です。
正しい名称までは覚えてないですが、1回500円の大吉以上であればテレビだったり米俵だったりそこそこ高価なものが貰えましたし、大吉を引くと太鼓とアナウンスですごくお祝いをしてくれるものです。私たち家族はどちらかというと商品よりその年の運勢を占うということで必ずしてました。
おみくじを引くとなると必ず良い奴を引こうと肩に力が入りすごい形相でくじを引くのですが、その時はなんとなく指が当たったものにしました。くじを開けてもらうと、なんと太宰府天満宮で人生初の大吉だったのです。
初めて引いたのもありすごくテンションがあがって、嬉しかったのを覚えています。
その時何を思ったか、父がもう1回ひけ!といったのです。いい気持ちで終わりたいと思っていた私ですが渋々言うことを聞くしかなく、サッと引いて帰ろうとしたところ…またまた大吉。ええっ!?って声が出るほど驚きました。その時のお祝いの太鼓は今でも記憶に残っています。
なんだか勢いで引いた御籤ではありましたが、元旦に2回連続大吉はなんだか縁起のいい人生のなかで一番運の良かった思い出として今も覚えています。
47歳 男性のストーリー
高校受験での出来事です。
数学の問題で、答えが「8」と「√3」の2つがどうしても出てきてしまい、どちらにしようか最後の最後まで悩んでいました。
(たぶんテンパっていたので答えが2つ、なんておかしなことにたったのでしょう(笑))

悩みに悩んだ挙句、「8」を選びました。それが正解でした。
それが効いたかどうかわかりませんが、無事希望校に合格することが出来ました。

それ以外でも、60満点で50点を取る予定だった英語が自己採点で29点で絶望の淵に叩き落されたと思いきや、同じく60点満点で20点と踏んでいた理科がまさかの42点!
ミラクルが幾重にも重なった入試でした。
それもこれも、入試の3か月前に亡くなった、母型の祖母が守ってくれたのだと今でも信じています。
10歳 男性のストーリー
雨っぽいから気をつけてください雨っぽいから気をつけてください雨っぽいから気をつけてください雨っぽいから気をつけて
24歳 女性のストーリー
私の人生で一番運が良かったなと思うことは、自分の両親のもとに生まれてきたことです。
私が、前の職業をやりたいといった時も、その職業を辞めたいといった時も、辞めて東京に行きたいといった時も、たとえどんな選択をしても、「あなたの好きなようにしなさい」と両親は言ってくれました。
でも、決して見放しているわけではなく、遠くから常に見守ってくれています。
愛情とはこういうことなんだろうなと感じます。
思えば「こういうふうになりなさい」「こうやって生きなさい」などと強要されることは今までありませんでした。
そのおかげで、現在私は自分の望むように生きることができています。
ちゃんと感謝の気持ちを伝えられていませんが、いつかきちんと言葉にできたらと思います。
36歳 女性のストーリー
複数の俳優さんがステージでトークをするイベントで、登壇者全員と写真を撮ってもらえる権利があたるくじ引きに当たったこと。
それまでにも同様のイベントはあったし、その都度くじに挑戦していましたが、毎回残念賞(参加賞)の記念品をスタッフの方に渡されるだけだったので、当たった時は信じられませんでした。
イベントが終わって観客が退場した後、ステージで撮影が行われました。
その時たくさんの俳優さんの中で一番応援している人が一番近くにいました。
カメラの準備が整うまでの間に応援している事や他に出演している作品を見た感想を直接言うことができました。
今までの人生でそんな経験がなかったのでとても高揚したし、近くで見る俳優さんはすごくかっこよかったです。
35歳 女性のストーリー
一番運が良かったことは、自分のことをとても愛してくれた人がたくさんの海外旅行へ連れていってくれたことです。
旅費含め何も支払いをせず、美味しいものを食べ、洋服を買い、色んな場所を訪れ、夢のような時間をたくさん過ごさせていただきました。
朝ギリギリに会社に到着するような時間帯の飛行機で帰国することもあり、スリル満点なこともあり今ではとてもいい思い出です。
運がいいことはその時の自分は気づいていなかったことがほんの少し残念ですが。色んな女性がいる中で自分を選んでくれたということをもっと大事にしておけば良かったのですが、当時の自分はそんなことにも気が回らず、自ら手放しました。もうあのような体験をすることはできないと思うとやはり私の中で一番運のいい出来事でした。
21歳 男性のストーリー
私は地方の田舎出身で、あまり勉強が好きではなく、高校3年生までは進学校ではなかったというのもあり、勉強という勉強はほぼ全く勉強してこなかったのですが、急にふとこのまま田舎で就職か名前を書けば受かるような専門学校や短大に行くよりかは勉強して都会に出てみたいと思い立ち、高校3年生の春から受験勉強を始め、全く都会の大学にも詳しくなかったのですが、センター試験の結果的に東京のとある名前の通った私立大学に合格することができました。
大学に進学することで都会に出てこれたし田舎で一生を終えるよりも、広い世界や新しい生活の仕方から価値観まで色々吸収することができて、大学に合格できたこと時代が運がいいなと思います。
27歳 女性のストーリー
私の人生で一番運が良かった出来事は、大学受験です。
自分の学力よりレベルが高い大学を第一志望にしていた私は、
判定が悪い中でも毎日勉強を続けました。
その結果、センター試験はかなり良い点数を取ることができ、
第一志望の大学もB判定でした。
しかし、記述力が追い付いておらず、不合格になってしまいました。
滑り止めの私立大学に合格していましたが、学費を安く抑えたかったので、
後期で別の大学を受験することにしていました。
大切なのは、国公立大学に進学することと自分が学びたい分野を
学ぶことだと考え、最後まで受験しようと思ったのです。
後期試験は、小論文でした。
下書きまでは良かったのですが、清書で時間がなくなってしまい、
後期試験もダメだと思いました。
でも、センター試験の結果が良かったことが幸いしたのか、
合格することができました。
第一志望の大学には行けませんでしたが、最低限のラインは
守ることができ、本当に幸運だったと思います。
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