"駅" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

49歳 女性のストーリー
会社の残業が終わり、駅から家まで徒歩で帰宅していた時の事です。
私もバスを使えば良かったのですが、あの時の私はパニック障害を抱えていたので、満員のバスに乗り体調が悪くなるのを避けていました。
駅から自宅まで徒歩15分位なのでいつも歩いて帰っていました。
ある日、家の前でいきなり後ろから首を締められました。
その後、スカートの中に手を入れられたので、首から手が離れてすぐに大声で叫びました。
びっくりしたのか、近所の人が出てきたので、逃げて行きましたが、逃げて行く姿を見たら顔は目と口だけが見える覆面を被っていたんです。
体型からして若い男性なのは間違い無いです。
怖いと思ったのは、その人がいつから私の後を付けてきたのか、私は全く気がつかなかった事です。
首を締められただけで済んで良かったかもしれません。
後ろからいきなり刺されたとしても不思議では無いと思ったら、暫く夜に一人で歩くのが怖くなりました
26歳 女性のストーリー
大学生の頃の話です。
大学の帰り、いつものように最寄りの駅から電車に乗ろうとホームで待っていると、当時流行っていた厚切りジェイソンに似ている外国人の方に声をかけられました。ここに行きたいのだがどの電車に乗ればいいか?と英語で聞かれて答えたのですが、そのあと何故かペラペラの日本語で説教をされました。何に怒っているのかわからなかったのですが、日本人のここがダメだ!みたいな話をひたすらされました。
怖くなってきたので、電話がかかってきたふりをして、その場から逃げ、待っていたとこほから離れた車両に乗りました。
何だったんだろう、と思いながら乗り換えの駅で下車し、乗り換えのホームへ。
すると、さっきの厚切りジェイソン似の外国人とまたそのホームで遭遇。しかもがっつり目が合ってしまいました。これはまずい、と改札の方に逃げようとすると、うしろから追いかけてきました。まるでテレビでやっていた逃走中のように、ダッシュでした。幸いわりと混んでいる日だったので、人混みに紛れて逃げることができたのですが、この日以来、怖くてひとりで電車利用ができませんでした。

「これまでで一番驚いた話」

48歳 女性のストーリー
 これまでに一番驚いた話は、今から32年前に高校から自宅への帰宅途中、自身に起きた出来事です。

 当時、自宅→自転車→JR→徒歩通学をしていました。その日はテスト休みだったので、JRを途中下車して買い物へ行き、夕方自宅へ帰るところでした。

利用しているJR駅前が珍しく人通りが少なかったことを覚えています。

駅前交差点で信号待ちをして、青信号になったので横断歩道を渡ろうとすると、赤信号のはずの車道側も青信号。車、歩行者用4つの信号機が全て青信号に驚いた時、頭上でピカッと光る物体を発見しました。明らかに未確認飛行物体です。

何が起きたのだろうと考え出した時には、赤信号で当たり前のように車が目の前で停車しています。

恐らく地球より文明が発達した宇宙人が地球へ遊びに来て、ちょっとイタズラをしたのだろうと考えました。

「今までで一番感動した話」

23歳 女性のストーリー
つい先日の記憶にある感動話です。
その時は家を出た時は小雨でしたが、駅に向かって歩くに連れ雨が強くなり私は恥ずかしながら、道に捨てられていた傘をお借りしました。そのまま向かった先は、友人の結婚式場探し。とても綺麗で煌びやかな場所でした。格好は適しているものの、道で拾った傘だけは少し汚れも目立ち不適切でした。少し恥ずかしい気持ちもありながら、会場に傘を預け約3時間の見学を終え帰りに傘を受け取りました。その時、私に渡された傘はピカピカの綺麗に畳まれた傘でした。なんと、スタッフさんが汚れを綺麗に拭いておいてくれたのです。その会場全体の雰囲気も気に入った最後に、そんなに素敵なお心遣いもいただき私はとても感動しました。
小さな感動話ですが、よく体験する事ではないこの経験に胸が打たれました。

「わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳」

33歳 男性のストーリー
学生時代の話です。遅刻癖のある友達と待ち合わせをしていたのですが、その日も相手が遅刻してきました。その言い訳が「電車が遅れていたから」でした。「いやいや、同じ駅にいたんだから電車が遅れてたら私にも情報入るわ。」と返したら、今度は「混んでたし・・・。」と返ってきました。呆れて聞き返しませんでしたが、電車が車のように渋滞するわけないですし同じ電車に乗っていた人が多かったということを言いたかったとしても遅刻の理由には到底なりえません。何度か遅刻されて言い訳もその度に聞きましたが、これが一番無理があり厳しいと思った言い訳です。きちんとオシャレはしてきていたので、身支度をしている間に必死に考えた言い訳なんでしょうけどね。

「わたしの初恋と、その結末」

48歳 女性のストーリー
中学時代に通っていた美容院の美容師さんが初恋の相手です。女子校に通っていた私はかなり奥手で、美容室の中でも殆ど美容師さんと話すことができず、秘めた恋のようなものでした。最寄りの駅の近くの美容室だったため、学校帰りによくその美容室を覗いていましたが、美容師さんの姿を見るだけで満足していたように記憶しています。当時はショートカットにしていましたが、中学生ということで、凝った髪型にもできず、毎月通うほどでもなく、だんだん足が遠のいて、美容師さんのこともフェードアウトのように忘れていったと思います。友達同士で同じ美容室に行っていたら勇気を持ってもっと楽しく美容師さんと会話できていたのかなあと、当時のシャイな私が懐かしいです。
22歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校2年生の頃でした。
小学校2年生の頃に転校し、その転校先で初めて隣の席になった男の子が初恋の相手でした。
私は彼に一目惚れでした。
相手は野球少年で、背が高く転校初日に筆箱を忘れるというボケをかました私に優しく筆記用具を貸してくれたりしてくれました。
その転校初日から、中学3年生までずっと片想いをしていました。中学に入るまでは普通に仲良くできていたのですが、中学に入ると学校もおなじでクラスも近くよくすれ違うのに思春期の為お互い様喋ることも無くなりました。成人式の日の同窓会で再会出来るかなと期待していたのですが彼は同窓会には参加せず結局最後に会話したのは小学校の卒業です。あれから10年ほどが経ちますが、未だに地元の駅ですれ違うのにだけで話すこともありません。でも今でもすれ違うだけでもドキドキします(笑)
45歳 女性のストーリー
私の初恋は中学2年生の時です。同じクラスになった男の子でしたが小学校が違ったので、彼のことは名前しか分かりませんでした。連絡網で住所などを調べましたが、私の家からは遠く、また分かりにくい住所だったので、どこに住んでいるのかも分からずじまい。目立つ子ではなく、女子と話すタイプでもなかったので、結局同じクラスの間は話をすることが一度もありませんでした。3年生になって隣のクラスになり、それでも彼に想いを寄せていました。すれ違うだけで嬉しかったのを思い出します。卒業する時もどこの高校に進学するかも分からず、自分の気持ちを伝える事なくお別れ。その後、駅で一度すれ違ったことがありましたが、そのまま話しかけることも出来ませんでした。今でも彼のことは時々思い出します。
48歳 女性のストーリー
中学時代に通っていた美容院の美容師さんが初恋の相手です。女子校に通っていた私はかなり奥手で、美容室の中でも殆ど美容師さんと話すことができず、秘めた恋のようなものでした。最寄りの駅の近くの美容室だったため、学校帰りによくその美容室を覗いていましたが、美容師さんの姿を見るだけで満足していたように記憶しています。当時はショートカットにしていましたが、中学生ということで、凝った髪型にもできず、毎月通うほどでもなく、だんだん足が遠のいて、美容師さんのこともフェードアウトのように忘れていったと思います。友達同士で同じ美容室に行っていたら勇気を持ってもっと楽しく美容師さんと会話できていたのかなあと、当時のシャイな私が懐かしいです。
22歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校2年生の頃でした。
小学校2年生の頃に転校し、その転校先で初めて隣の席になった男の子が初恋の相手でした。
私は彼に一目惚れでした。
相手は野球少年で、背が高く転校初日に筆箱を忘れるというボケをかました私に優しく筆記用具を貸してくれたりしてくれました。
その転校初日から、中学3年生までずっと片想いをしていました。中学に入るまでは普通に仲良くできていたのですが、中学に入ると学校もおなじでクラスも近くよくすれ違うのに思春期の為お互い様喋ることも無くなりました。成人式の日の同窓会で再会出来るかなと期待していたのですが彼は同窓会には参加せず結局最後に会話したのは小学校の卒業です。あれから10年ほどが経ちますが、未だに地元の駅ですれ違うのにだけで話すこともありません。でも今でもすれ違うだけでもドキドキします(笑)
45歳 女性のストーリー
私の初恋は中学2年生の時です。同じクラスになった男の子でしたが小学校が違ったので、彼のことは名前しか分かりませんでした。連絡網で住所などを調べましたが、私の家からは遠く、また分かりにくい住所だったので、どこに住んでいるのかも分からずじまい。目立つ子ではなく、女子と話すタイプでもなかったので、結局同じクラスの間は話をすることが一度もありませんでした。3年生になって隣のクラスになり、それでも彼に想いを寄せていました。すれ違うだけで嬉しかったのを思い出します。卒業する時もどこの高校に進学するかも分からず、自分の気持ちを伝える事なくお別れ。その後、駅で一度すれ違ったことがありましたが、そのまま話しかけることも出来ませんでした。今でも彼のことは時々思い出します。

「死ぬかと思った話」

21歳 女性のストーリー
この話は2年前のことです。
地元での就職が嫌だった私は、高校を卒業して
2週間後くらいに、地元を離れて就職するために
愛知県にお引っ越ししました。
就職をして1ヶ月間は何もなかったのですが、
GW明けくらいに、お仕事が終わって帰宅しているところに事件は起きました。
私は飲食店で働いていたためその日の、
23時過ぎくらいにお仕事が終わり終電間際の
電車で最寄りの駅まで帰りました。
駅から歩いて徒歩3分くらいのところに
自宅がありました。
自宅まで歩いて帰り、ポストをあとにし
自宅の鍵をあけ入りドアをもう半分くらい閉めていた
その瞬間、ドアが「バッ!」って開き
知らない男性が自宅に入ってき、ドアを閉め
周りをきょろきょろした後、
「1人?1人だね」と言われ鍵を閉められました。
私は死ぬのかなっと一瞬思いましたが
ここで死んではいられないと思い
その方を追い出しました。
あの時は、本当に死ぬかと思い
すごく怖かったです。
35歳 女性のストーリー
私がまだ、小学校低学年だった頃のことです。
家族でお出掛けした帰りに、電車に乗るために駅に向かっていました。その時兄弟や両親と競争したい気分になり、駅まで走っていました。駅の直前、とても広い道路で、車の交通量も多い道を渡るのに信号が有ったのですが、当時走っていたのと、初めての場所だったこともあり、信号にまったく気付きませんでした。
そのまま赤信号なのに、ひとりで走って広い道路を横断してしまいました。その時も車はたくさん有ったのですが、幸いどの車も停まってくれたので、ひかれずに済みました。今振り返りますと、あれだけたくさんの車がいたのに皆停まってくれたことに感謝すると共に、私もひかれてたらと思うと危なかったですが、急停車が原因で後ろの車からのからの衝突事故などもなくて、本当に良かったと思います。
22歳 女性のストーリー
人生で初めてパニック発作を起こした時です。
電車の中で急に息苦しいくなり、同時に猛烈な吐き気が襲ってきました。しかし、電車の中なのでここで吐く訳には行かないと思い次の停車駅までなんとか吐き気を我慢し、息苦しい中頑張って息を吸っていました。
そして、つぎの停車駅についた時には普通に歩くことも出来ず、電車の地面を這いつくばって、ホームに降りました。そこで、力つきてしまい倒れてしまいました。
倒れて意識を失っていたのは数分程度だったのですがすごく長い間意識を失った感覚でした。目が覚めてからも吐き気は続き自力では立ち上がれないほどだったのでそのまま、救急車で緊急搬送されました。
初めての体験だったので本当にこのまましんでしまうのではないと思いました。
40歳 女性のストーリー
いけないとは思いつつ、移動する時間が長いのでついついながらスマホをしてしまいます。
電車やバスなど席に座っている時には何ら問題はないのですが、私は歩いている時にもながらスマホをしてしまうんです。
どこでもやるわけではなく、自宅から最寄駅の往復の道でしてしまいます。
危なかった兆候は多々あり、赤信号だと確認もせずに横断歩道を渡っていたということがありました。
運よく、クルマが来ていないタイミングで横断してしまっていたのでそれまでは危ない思いをしたことがなかったのですが、つい数ヶ月前、クルマに轢かれそうになってしまいました。
クルマの方が少しでも私に気づくのが遅かったら‥。
ブレーキを踏むのが、ハンドルを切るのがと考えるとゾッとします。
56歳 女性のストーリー
8年前能古とです。東日本大震災。

忘れもいたしません。本当に津波を見て怖かった。

おかーさん今日私出掛けたくない。
娘の一言で私は救われた。

3月11日午後13時過ぎだった

私は娘がスチュワーデスになるために宮城県仙台の国際大学に見学に行くため気仙沼の南駅に切符を買いに行くはずだった。

税金の支払いもあるし、最初市役所にいってくるね。と私は娘にいった。

今日の空はおかーさん怖いよ。
長女の娘の可菜がいった。本当にいつもと違う空が悪魔のようにまるで、災害が起きるんじゃ。と言う予知も感じていました。

一生忘れることが出来なかった大地震。あなたは、山も家も飲み込んだ。

そして私たちの心もズタズタにした。
この恐ろしい怖さはなんだったんだろうか?

「わたしの周りの大恋愛」

26歳 女性のストーリー
中学生の頃通っていた塾の先生(男)と生徒(女)の話です。個別塾の担当だったので、受験期の頃は毎日会っていました。先生はとてもめんどうみがよく、お兄ちゃんのような存在だったのですが、その子にだけは他の生徒と比べて特別な扱いをしていました。その子も先生のことを尊敬して、先生みたいな大人になりたい!と言っていたり。のちにわかったことですが、お互い両思いだったそうです。しかし、受験期もおわり卒業。一緒にいることはなくなりました。卒業してから連絡先を交換したものの、お互い多忙で会うこともできず、そのうち携帯が壊れデータが消えてしまい、連絡が取れなくなり、ただの思い出となってしまったのです。しかし、なんと10年後にたまたま駅で再会。「大人になったら一緒にお酒を飲もうね!」と話をしていたのが10年越しに叶い、そのままお付き合い、ゴールイン。あの頃はまさかこんなことになるとは思っていませんでしたが、今はとても素敵な夫婦です。

「忘れられない夏の思い出」

37歳 男性のストーリー
当時28歳でした。
地元のお店で接客業をしていました。
そこに高校中退の女の子が新人で来ることに。

ツンデレな感じな女で、「この仕事お願い」といっても

「めんどくさいです」「やりたくないです」という感じ。

だけど自分のお仕事は手伝ってくれて、不思議な感じがしていました。

その子は通信で高校卒業を取得している間、このアルバイトをして、取得後は別の仕事をしたいという話をお昼の休憩に聞きました。
約1年ほどして、所得したので、辞めますという話だったので、送別会。

送別会も終わって帰宅しようとしたらTELが来て、「少し〇〇駅の前で会えませんか」ということ。
行ってみると、車で待っていてくれて、二人で話をした。彼女は彼氏がいるらしいのだが、急に抱きしめられて、(俺男なのに。。。)

「彼氏いるんでしょ?」
と聞いたら
「彼氏は寝てます。大丈夫。」といって抱きしめてくれました。

罪悪感もあり、それ以上のことはなかったのですが、10年たった今でも思い出します。


「人生最大の失恋話」

27歳 女性のストーリー
高校の時に寮に入り寮で知り合った3つ隣駅の高校の1つ上の彼氏です。
すごく大好きで毎日会ってましたが会えない日は会いたくて涙が出るほど好きでした。
毎日会って学校終わりにも会ったりしてどこに出かけるのも一緒で私の家に半同棲って感じで住んでました。
親も公認で結婚するんだろうなと思っていましたが
いつ頃からか忘れましたが夜遊びに出かけるようになり彼の地元のフィリピンパブに友達と行くようになりそこで知り合った女の子と結婚をしました。
3年ほど付き合ってましたが振られました。
すごくショックで悲しくてたまらなかったです。
フィリピンパブの事は悪気がない態度でこの人何?と思いましたがそこで本性が出たと言うか彼のことが分かりました。

「これまでの人生で悟ったこと」

51歳 女性のストーリー
これまでの人生で悟ったことは、色々な人と出会いましたが、みんな冷たくて、めんどくさければ関わりたくないのか、寄ってこないことです。人なんて自分さえよければいいんだなと思ってしまいます。
毎朝、電車通勤をしていると満員電車に乗っていて、目的の駅に着くと後ろから男性が早く行きたいのか、背後から押してきて突き飛ばされて、転んでしまって誰も知らんふりされて、偉い目に遇いました。駅員さんでさえも気がつきませんでした。とても悲しかったです。人を人とも思っていないんだなと思いました。だから、人を頼らず、自分自身で気をつけないといけないんだなと悟りました。
そして、女性に対して思うことは悪ければ、怒る、良ければ嫉妬する、嫌な人物なんだなと思いました。
もちろん、いい人もいますが、信頼出来る人が少なくて残念です。

「どうしても許せないこと」

21歳 男性のストーリー
朝の通勤ラッシュの時間に駅のホームで列の先頭で待っていて、電車が入ってきたのでドアの前に進もうとしたら、後ろにいたおばさんに突き飛ばされて列の横に倒れ込んでしまい、急いで立ち上がろうとしたのですが、足を打ったようで脚に痛みがあって立ち上がれず、電車の発車のベルが鳴ったので、よろけながら立ち上がり脚を引きずりながら電車から離れたのですが、閉まる電車のドアの前に自分を押し倒したおばさんがおり、謝る事もせずに見下すような目線で自分を見てきた後、ドアがしまった後に見たおばさんの顔がドアのガラス越しに見えたのですが、ニンマリと笑顔を浮かべていました。
ワザとやったのだと思いました。
あの時のおばさんの表情が、今でも忘れられません。
54歳 男性のストーリー
どうしても許せないこと。それは電車の優先席に座ってずっとスマホを見ていて、近くにその席を必要とする人が乗ってきても全く気付かずに堂々と座っている人。そして、ドアの前に立って、乗り降りする人の邪魔になるのに全く場所を譲ろうとしない人です。
優先席なので、その席を必要とする人がいなければ座っても構わないと思いますが、私がその席に座っている時は、駅について人が乗ってくるときは必ず周りを見回し、譲るべき人がいないかは常に気にしています。もしおじいちゃんおばあちゃんや妊娠中の女性がいたらすぐ譲れるように。
最近はみんなスマホを見ていて全くまわりに気づかず、意識さえしていないように思えます。「お前の席じゃねぇよ!」と言ってやりたいですが、最近は注意すると殺されちゃう世の中なのでうかつに注意もできません。そんな状況を見つけると、イライラして仕方ないですね。

「嘘みたいなほんとの話」

42歳 男性のストーリー
毎日電車で通勤しています。通勤時は大体同じ時間なので周りの乗車する人も同じ人で乗る車両も大体同じ車両に乗ります。その時、可愛い女子高生と毎日同じ時間、同じ車両に乗っていました。相手が気づいているかわかりませんが、こちらは相手が可愛い女子高生なので気にはなっていました。何年が経ったある日、いつもの同じ駅、同じ時間で電車を待っていると、その子と同じ学校の制服を着ていた女子高生が目の前に後ろ姿で立っていました。1人の女子高生が後ろを振り向くと、きつもの可愛い女子高生でした。となりの女子高生も振り返るとその子の顔もいつもと同じ女子高生。毎日見かけていた女子高生は双子のようで見分けがつかないくらいそっくり。おそらく同じ女子高生ではなかったと思います。可愛い同じ女子高生が2人立っていると流石にびっくり。その数ヶ月後、また目の前に可愛い女子高生と同じ制服の子が経っていました。振り返るといつもの可愛い女子高生。となりの私服の女性も振り返るとその子の顔も可愛い女子高生と同じ顔。どうやら2人は双子ではなく姉妹のようでした。それにしては双子のようにそっくりで未だに見分けがつきません。でも、来年からはおそらく2人の私服姿が見られるような気がして、今から楽しみにしています。
48歳 男性のストーリー
 私、今年の1月20日に、幽霊を見たんですよ。生まれてはじめて。驚きましたねー。
 JR新潟駅の構内。万代口東通路の少階段のある曲がり角。朝早い時間でした。白人女性型の、幽霊なんでしょうねー。ほんとに脚がないんですよ。足首の辺りから先がありませんでした。
 そこにいるわけではなくて、3Dでもないんでしょうね。亜空間違いなんでしょうか。そこに、光のような、魔法性質というんでしょうか。そういったものが、あるような気がしたんですね。
 顔はわかりませんでした。ただ、白いドレスを着ていたような感じでした。「見た」と言っても、「見えた」部分がある、ということなんですね。身長は、188.3センチという感じ。脚があれば、の話ですね。
26歳 女性のストーリー
それは、私が高校3年生だったとき、ある冬の日の夜に起きました。
私は当時電車通学をしていて、高校と駅の間の距離は15分くらい自転車移動でした。
私の高校は進学校で、学校が終わるのが18時くらいだったので、冬はかなり帰りが暗くなっていました。

帰りのホームルームで校内放送があり、いつも通学時に自転車で通っていた道で不審者が目撃されたと知らされました。
友達と「○○が通る道じゃない?」、「いや、不審者て○○なんじゃない?」などとふざけていました。
私はやはりちょっと怖かったので、その日の帰りは別ルートを通ることにしました。
そして自転車をこいでいたとき、ある駐車場を通り過ぎるときに、途中でなぜかたまたま自転車をこぐのをやめ、一度足を付きました。
その時なぜそこで止まったのかは、今でも覚えていません。

止まると左側(駐車場の方)に何かがいるのが見えました。
そちらを見ると、そこには何羽ものペリカンがいたのです。
大きなペリカンだったので、その姿をはっきりと見て取れたし迫力がありました。
暗い中、目が光っていて、でもペリカンの大きな頭と大きな嘴、そして大きな下あごははっきりと見て取れました。
羽ばたいていて、しかも一羽ではなく何羽もいたので、ぎょっとしてしばらく思考停止したまま動けませんでした。
別に襲われたというわけでもないのですが、怖かったので急いで再び自転車をこぎだして帰りました。

ペリカンたちは消えたりはしなかったので、確実にそこにいたのですが、今思い出すとかなり不思議な実体験です。

「学校や仕事をサボってやったこと」

27歳 女性のストーリー
学校をサボって2つ駅隣の彼氏がいる学校近くまで行き会いました。
すごく会いたくて毎日でも一緒に居たかったので学校の途中で仲良かった子に
ちょっと今から帰るね何か言われても体調が悪かったみたいとでも言っといてねと言って帰りました。
次の日あれから帰ったけど何か聞かれた?と聞くと何も聞かれなかったよ多分気付いてないんじゃないと言われたので
あぁ適当なんだなぁと思いそらから何度か抜け出して電車で彼氏のところに行き会うということを続けてました。
学校を朝からサボって彼氏と会ったりもしていました。
遠かったのでサボり癖がついてしまい単位の事で呼び出された事もあります。
校則が厳しくて呼び出された事も何度もあります。
その度にサボってました。
24歳 男性のストーリー
1,漫画喫茶に行く
実家暮らしだったのでサボったことがバレたくないと思い時間がつぶせて楽しめる漫画喫茶をたくさん利用していました。結果バレていたのかはわかりません。

2,地域の散歩
これは大学生の時で家からそれなりの距離があったので、定期券内の駅で降車し、その地域の散歩をして時間をかけて散策しいました。

3,友達と遊びに行く
これはいくつかありますが、登山に行ったり、カラオケやボーリングにも行きました。

4,アルバイトをする。
授業よりもたくさんのお金が欲しかったので、アルバイトを優先して行いました。

5,たくさん寝る
休日に予定が詰まっている時があり、疲労がたまっていたので休みをもらい、1日中何もしないで睡眠していました。
25歳 女性のストーリー
仕事が多忙になり、毎日終電始発でフル勤務で働いていた時のことです。このままだと体も心も全て壊れてしまうと思い、ある通勤した時に、最寄駅に着いたのにもかかわらず、最寄駅に降りずに会社へ連絡し「今日は体調が悪いので休みます」と言って、電車を乗り継ぎ、そのまま千葉の九十九里へ行き、ヒールを脱ぎ捨てて海で遊びまくりました。サボった日は、たまたま金曜日だったので、勢いで旅館に予約して温泉を3回以上はいり、懐石料理を食べて、ホテルエステも受けて心の底からリフレッシュしました。次の土曜には朝市へ行きじっくり観光しました。結局、日曜の夜には帰宅して月曜には通常の通り出勤しました。反省はしてますが、後悔のないサボりでした。
26歳 女性のストーリー
1年前の夏の出来事です。
当時勤めていた会社は残業が多く、日付が変わってようやく帰ってこれる、という毎日でした。些細な疲労が積み重なり、その日わたしは盛大な寝坊をしてしまいました。目が覚めたときにはとっくに家を出て、オフィスの近くを歩いているような時間だったのです。
すぐに遅刻の連絡を入れ、職場に急ごうと思ったのですが、電話がつながる数秒のうちに魔がさしてしまいました。わたしは「風邪を引きました」と嘘をついて、はじめて仕事をサボりました。
わたしの家は比較的都心部にあり、一歩大通りに出ればオフィス街が広がっています。その通り沿いに、以前からずっと気になっているハンバーガー屋さんがありました。グルメ雑誌に載るような有名店なのですが、それゆえに休日は行列ができてしまい、近所だというのに一度も入ったことがなかったのです。
お昼前、まだランチにでかけるOLもいないような時間に入店して、ひとりでアボカドハンバーガーを食べました。ファーストフード店のものとはまるで違う、ジューシーなあらびき肉からたっぷりの肉汁がこぼれました。窓から見えるのは小走りに駅に吸い込まれていくスーツ姿のサラリーマンばかりで、そんな中でサンダルばきにすっぴんでかぶりつくハンバーガーは、ほんとうにおいしかったです。
会社には絶対に言えないけれど、仕事をサボってよかったな、と思ってしまう一日でした。
22歳 女性のストーリー
学校に行きたくなくてサボった時は、両親にもばれたくなかったので、とりあえず制服で学校に行く時間にしっかり出かけました。
私服は持たずに、校則違反の色付きカーディガンとスカートを折って短くして、一見学校の違う人に見えるように調整をして駅のトイレで始業時間まで待機していました。
始業時間ちょっと前くらいに、休みの連絡を入れました。
その後は、貧乏学生だったので、誰かに見つからないかどきどきしながらも、通学定期圏内を電車に乗り続けて学校一駅前で折り返すを繰り返してとりあえず時間を潰しました。
そんな感じで時間を潰しつつ、気になった駅名の場所で降りて歩いてみたり、最安を探してランチを食べたりすることで終業時間までの時間をやり過ごして、学校帰りの人より気持ち遅めに帰宅していました。
30歳 女性のストーリー
好きなアーティストのライブ(とても当選確率の低い、ライブハウスでのライブ)に当選してしまい、仕事で本来なら休んではいけない日だったのに、休んでライブに参戦してしまいました。その休む連絡も、事前に休むなんて言える日ではなかったので、当日に「熱が出て・・」と嘘をついて休んでしまいました。
そのライブハウスの場所は、自分が所属する部の部長の住居の最寄り駅と同じ区域だったので、ライブが終わってからの帰宅の道のりはとても緊張しました。
ですが、仕事を休んでライブに行ったことは、全く後悔していませんし、ほんとうに幸せなライブだったので「行ってよかったな)と思っています。
もちろん嘘をついて仕事をさぼったのは後にも先にもこの日だけです。
後悔はありませんが、申し訳ないとは思っているので、この先も誰にも言うつもりはありませんが、申し訳ございませんでした。
23歳 女性のストーリー
学生の時、通っていた学校の最寄り駅まで着いた途端行くのが嫌になり、そのまま電車で他県まで一人旅しました。誰も自分のことを見咎めず、気にされないというのは大変楽でしたね。最初に知らないカフェに入って、一日の計画を立てました(親にはサボったことは内緒だったので、あくまで学校へ行った体で帰ろうとしたので)結局午前中はだらだらとそのままカフェに居座り、午後に気になっていた映画を見て、そのまま帰りました。本当はショッピングも楽しみたかったのですが、物があると親にバレるかなと思ったからです。ドキドキしましたし、「学校から連絡が入っていて親にバレないかな」「怒られないかな」と帰宅してからもしばらく不安でしたが、なんのことはなく嘘を突き通しました。その後も度々サボることはありましたが、他県まで行って1人で時間を潰したのはあれっきりです。
24歳 女性のストーリー
高校1年生の冬に特に理由はないのですが、学校に行きたくない時期があり、ある日の朝お腹が痛いと言って休もうとしました。母親は私の嘘を見破いたのかは分かりませんが休ませてくれず、そのまま学校へ行きました。学校へは駅から徒歩だったのですが、そこで友人と待ち合わせていました。友人はいつも親に車で駅まで乗せてもらっていたのですが、友人と会った瞬間涙が出てきて友人のお母さんも心配してくれました。幸い友人のお母さんは理解ある人で、私がその日学校に行くのが難しいと判断してそのまま友人と私、友人の母でドライブしようと提案してくれました。私の母にも電話してくれ、自宅で休ませると嘘までついてくれました。今思えばなぜそこまで辛かったのかわかりませんが、あの日サボってドライブに連れて行ってくれた友人の母には感謝してもしきれません。
42歳 男性のストーリー
仕事をサボってやったことは、日帰り温泉にいきました。
その日、普段と同じ様に出社して朝礼を済ませ、営業に出ました。
予定は、電車で1時間程かかる海が近くにある営業先に向かい、午後には、帰社して事務処理をする予定でした。
営業先で商談を済ませ最寄りの駅で電車をまったくいるときに反対方向の電車が来て温泉行き先に以前行った温泉地の地名が見えたので乗ってしまいました。
温泉地の駅について一応予定管理アプリには、営業先にお客さんを紹介してもらったのでと予定を変更して直帰も追加。
宿泊した事のあるホテルに日帰り入浴とレストランでの食事がついたプランが有ることを知っていたので、のんびりと過ごしました。
今、思えば午後休暇をとれば良かったのかも知れませんがサボっていることがなんとなく楽しかったかもしれません。
34歳 女性のストーリー
高校の頃、学校に行くのが億劫なときは、よく電車に乗って遠くに出かけていました。親には学校に行っていることにしたいので、いつもと同じ時間に出て同じような時間に帰ってきました。
学校の最寄り駅へ行く電車は、終点まで乗ると海に行けます。それに気付いてからは、何かあると海が見たくて終点まで乗るようになりました。
海を見ているというより、みんなが勉強している時間に電車で遠くに行くことが楽しかったんだと思います。
非常勤の先生で一人、仲の良い先生がいたのですが、海に行っていることはその先生だけに話していました。
大人になった今でもあの海が忘れられず、時々ふらっと行くことがあります。今では仕事をサボるわけにはいかないので、きちんと休日に行くようにしています。

「修学旅行の思い出」

34歳 女性のストーリー
小学校の修学旅行、1泊2日の東京観光という日程で行きました。
当時はまだ北陸新幹線ができる前だったので特急で上野駅まで行きそこからバスで最初の目的地お台場にある船の科学館へ行き色々な船の歴史や展示を見ました。
葛西臨海水族園ではマグロの大群が泳いでいる姿は迫力ありました。
泊まった旅館で夕飯後後楽園遊園地(現在は東京ド-ムシティアトラクションズ)へ行きました。
自分は絶叫系が無理だったので観覧車、汽車しか乗れませんでした。
2日目は東京タワー、国会議事堂、上野の博物館へ行きました。
東京タワーは修学旅行の定番で展望台から見える都内の景色はとても綺麗でした。
国会議事堂はテレビでよく見る場所を見て驚きました。
45歳 女性のストーリー
高校の修学旅行の話。
となりのクラスの男の子が、東京駅のホームにすでに停まっていた回送電車にふざけて乗ったらそのままドアが閉まり発車してしまった!
担任の先生だけ残り他の生徒は予定通りの新幹線に乗り出発しました。
どうやらその新幹線は車庫に入ったらしく、みんながお昼のわんこそばを食べている時に担任の先生とその男の子は無事に到着しました。
もちろんその話は卒業まで語り継がれ、3年生を送る会では先生たちの出し物でも笑いのネタにされていました。

当時は携帯電話などなく、本人は強がっていたけどかなり不安だったろうなぁと思います。
去年同窓会があり、20年以上たった今でも笑いのネタにされていました。

修学旅行の思い出はたくさんあるけれど、一番に思い出すのはこの出来事です。

「忘れられない夏休み」

28歳 女性のストーリー
15歳。中学3年生の夏休みでした。
当時私は周りの友達より早く携帯電話を持っていました。1番中の良かった友達も持っていました。
私たち2人は夏休み毎日のように会い、毎日簡単に出来る出会い系サイトの掲示板に投稿しして遊んでました。
8月15日。福山の花火大会に行こう!という話になり、福山駅までは電車に乗って行きました。会場まで行くにはすごい人の量のバスに乗らなければなりません。
私たちはいつものように掲示板で足になってくれる男の人を探しました。
ちょうどよく足になってくれる人が見つかり、花火を見て帰りの電車の時間が迫っていたので福山駅まではなく、東福岡駅に送ってもらいました。
ここまでの話でも今ではとてつもなく危ない事をした忘れられない夏休みなのですが、送ってもらった駅がとても忘れられません。
なんと人よりゴキブリの方が多い駅でした。
あの光景は今でも忘れられません。
22歳 女性のストーリー
高校一年生の夏。

その頃の私は、「高校生」というなんとも輝かしい響きに胸踊り、なんにもないのになにかに期待するバカな女子高生でした。

そんな私にも一丁前に好きな人がいました。
同じ部活の2年生の先輩だったその人は、おっちょこちょいな私にもいつも優しく接してくれて。時にはからかって私のミスを軽くしてくれるようにも感じられました。

忘れられないのは、夏休みの後半。お盆も終わった頃です。

いつものように部活動を終えた後、「みんなで駅の方に遊びに行こうよ!」という話があがりました。
もちろん先輩も参加するそうで、私も行きたかったのですが………。
私はその田舎の高校では珍しいバス通学でした。
先輩や他のみんなは自転車だったので、「ああ、出遅れちゃうな…」と思っていたその時。

「あ、じゃあ後ろ乗ってく?」と、先輩の声。

田舎にある町の、さらに田舎なその道。
周囲には田んぼと畑とビニールハウスしかなくて。
でもそのおかげで、青い空がどこまでも広く見えて。

「しっかり掴まっておけよ」という先輩の声にドキドキしながら、そっと腰に手を添えて。

このまま一生駅になんて着かなければいいのに。と、そう思った夏休みでした。
48歳 男性のストーリー
大学3年の夏休み、北海道へ列車で旅行に行った時のことです。
函館から札幌に向かう夜行快速「ミッドナイト」の自由席で、たまたま向かい合わせになった女性がいて、発車までの間、お菓子を食べながら話をしていました。
翌朝、札幌駅に着いてから、一旦別れたのですが、どこで朝食をとろうかと駅の中をウロウロしているうちに、またその女性に会いました。私も特にこれといって予定があるわけではなかったので、しばらく一緒に付き合うことにしました。
大通公園でトウモロコシ雪印パーラーでグラタンを食べた後は、北海道大学に行き、クラーク像の前で写真を撮ったりしました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、札幌駅で旭川に向かう彼女を見送りました。
旅には人との出逢いがあるのは本当だと実感した夏でした。
21歳 女性のストーリー
初めての東京
ネットで知り合った人とそのご兄弟と東京に12時間かけて行きました。
初めての秋葉原行き、そこで初めてヴァンガードとと言うTKGのゲームをしたあと欲しいカードを買いに行きました。その後にスカイツリーと東京タワーに地図アプリ使いながら歩き、それまで地下鉄でしか移動しなかったのでJR乗りたいと思っていたが、駅まで遠く、迷ったので地下鉄にした後東京駅に行き、東京駅の地下で好きなキャラクターボンレスハムに会えました。帰りはずっと歩きたかった皇居あるき、武道館とか行ってみたいと思いました。
東京最終日にはちょうど開催されていたコミケに行くことが出来、人生でこれほどワクワク楽しく夢が叶う東京旅行でした。

「奇跡だと思った話」

60歳 男性のストーリー
私の田舎は四国の徳島県と高知の丁度間に位置します。
四国全体に言うと丁度真ん中あたりの秘境地帯にあります。
交通は池田駅(高校野球で有名な池田高校のある所)から車で
2時間ほど山に入った所です。丁度今から10年ほど前に田舎に
帰った時の話です。京都から出発したのが昼の3時を回っていました。
池田に着いたのは午後の7時ごろ、そこで一泊しようと思っていましたが、
なぜか今日中に着きたいと言う気持ちが起こり、日が暮れてから山に
入って行きました。車で2時間ほどで着く予定でそれほどスピードは
出たなかったと思います。しかし疲れていたのかついうとうとと運転
していました。そこに鹿が道路に飛び出てきてとっさにハンドルを
きりました。そこの道路には所々ガードレールが朽ち落ちている箇所があり
不運にもガードレールがない場所から崖に落ちて行きました。
何が起こったのか解らいまま気が付いたら大きな木に車が引っ掛かり、
崖下10メートルほどで止まっていました。そこの崖の高さは100m
ほど、携帯で110番して窮地を脱しました。警官も「これは奇跡ですね」
この付近で崖に落ちた車は数多く観て来ましたがほぼ即死状態でしたとの事。
何かに助けられた感じが今でもします。
21歳 女性のストーリー
お金持ち携帯も持ってない歳の時に家族で出かけていたのですが駅からバスで移動した場所でバスで20分ぐらいかかるところで遊んでいたのですが妹とケンカしていじけて勝手に一人で行動し始めました。そしたらお母さんにもいい加減にしなさいと怒られ尚更、機嫌を悪くした私は1人で帰るといいお金も持ってないのでもちろん歩いて帰れるほどの距離じゃなかったのですが私は頑固な性格なので道もわからないままひたすら歩き続けました。
そしたら行く時に乗ったバス停乗り場まで戻ってきたことに気づきそこまで戻れたのは良かったのですが電車も乗れないと家に帰れなくケンカして時間がたったら自分がバカみたいだったなと思うようになりお母さんたちと合流したくなったのですがお母さんがいまどこにいるのかもわからなく知らない人から電話を貸してもらうか迷っていたのですが駅に公衆電話があることに気づきその時は10円はもったいなかったのですがポケットにたまたま5円玉か1円玉が入っていてこれでちょっとでも電話できるかなと考えもしできなくてもお金が戻ってくるボタンで取り戻せばいいなと思いお金をいれやっぱり10円以上じゃないと使えなくお金を戻そうとボタンをおしても全然でてくる気配がなく泣きそうになりながらお金のとこを確認したらなんと10円玉が入っていました。
これでお母さんに電話できると思い電話しました。ですが10円なので話せるのはたったの数秒なのでどこにいるのか聞き今から行くから待っててと言いそのあとは無事に合流できました。今思えばあの時10円玉が入っていたのは奇跡だなと思いました。あの10円玉で本当に助かりました。
27歳 女性のストーリー
当時私は大学生で大阪の実家から離れ上京し、東京の大学に通っていました。一人暮らしの東京の家で、寂しさを紛らわせるために文鳥を飼っていました。もちろん生き物なので、私が帰省する度にその文鳥を虫かごの中に入れて、新幹線で共に大阪東京を行き来していました。

ある冬の夜、帰省を終え東京へ戻ろうと、新大阪駅に家族と共に車で向かい到着した時、駅の入り口の前で急に文鳥が虫かごの蓋を開け、「ぴっ!」と叫び駅を超えて物凄い速さで飛んでいきました。家族一同唖然として開いた口が塞がらず、しばらく呆然と立ち尽くしていました。

そこからは必死の捜索で、私は泣きながら駅の周辺はもちろん、駅員さんに変な顔をされつつも駅のホームの中に入り、1人「ぴーちゃん!ぴーちゃーん!(鳥の名前)」と全てのホームを周り呼び続けました。残念ながらその夜文鳥は見つからず、私は予めチケットを買っていた新幹線をとっくに逃しましたが、なんとか終電で東京へ帰りました。ショックのあまりスタバで買ったカフェモカを新幹線に乗り込んで席に着いた途端ぶちこぼしました。大阪に残った家族はその夜寝ずに駅の周りを探し続けましたが、見つからず家族一同絶望に飲まれそうでした。

結局ネットでこういった事例を調べて、ネットの「ペット探してます掲示板」にも載せ、とりあえず文鳥が逃げた一番近くの交番に紛失届として出すことになりました。もう人からの情報を待つしかなく、私は1人東京に戻り空っぽの鳥かごを見て絶望にくれていました。

しかしその2日後、家族から電話がかかってきました。なんと文鳥が見つかったのです。ただただ涙がでました。しかし見つかった経緯を聞いてこれは奇跡だと思いました。

どうやら文鳥は脱走した後、新大阪駅から少し離れた小道におそらく疲れて地面にペタンと座っていたようです。そこでたまたま神奈川から大阪へ旅行に来ていたカップルが鳥に詳しく、地面に座っている文鳥を見てすぐにどこかから逃げ出したんだと察したようです。
うちの文鳥は人懐っこいので、その方がすぐに保護してくださり、なんとその夜に簡易版鳥かごを作ってくださり、エサと水飲み場まで準備してその簡易版鳥かごに設置して下さっていました。

まだ奇跡は続きます。そのカップルの方が、なんとそこで偶然にも私の家族が紛失届を出した交番に、文鳥を届けてくれたのです。そこでその交番から家族は電話がきて、無事引き取ることができました。

これは3つの奇跡が重なって、奇跡以上の何かに私にとってはなりました。まず地面に落ちていたうちの文鳥を拾ってくれたカップルが鳥に詳しく、瞬時に簡易版鳥カゴ、エサ、水飲み場を準備してくれていたという奇跡。
そしてそのカップルが届けた交番が、偶然にも家族が紛失届をだした交番だったという奇跡。
そして現在、その文鳥は大阪の実家に戻っていつも通り可愛い文鳥と生活が出来ている奇跡。

これが私の人生の中で奇跡だとおもった話です。

ちなみにそれから文鳥はずっと大阪にいます。



35歳 女性のストーリー
主人が資格の試験を受けるために電車で出かける事になり、街の中心部の大きい駅まで電車に乗ってから、更に電車を乗り換えて行くのですが、大きい駅なのでショッピングができるお店や本屋さんなどが入っているので、大きい駅まで一緒に電車で行って、自分は駅でゆっくり買い物などをして、試験が終わったら連絡してもらって夕方駅で落ち合う事にしました。その後、お店を見てまわったり、お昼を食べたりしてゆっくり過ごしていたのですが、スマホの電池が少なくなってきて、電源が切れてしまいました。近くに充電できるところがなく、待ち合わせ場所もちゃんと決めていなかったので、主人と連絡がとれないとどこに行っていいのかも分からないし、困ってしまいました。仕方なく、駅の人がいる場所をうろうろしていましたが、歩き疲れてきて、駅の階段の近くで休もうと思ったら、階段から下りてくる人が見えて、なんとそれが主人でした。相手がどこにいるか、いつ来るかも分からないのに、広い駅の中で出会えたのは、本当に奇跡だと思いました。
54歳 女性のストーリー
都内に住んでいた時の事です。
ある日、所用で少し遅刻して出勤しました。乗っていた通勤電車はラッシュの時間が過ぎて空いていました。途中東京駅で止まり、私の目の前のドアが開くと、そこになんと幼馴染であり、親友でもあるA子が立っていたのです。A子は地方に住んでいたので、目を疑いました。「何でここにいるの!?」とお互いに驚きあいました。
少しの停車時間で旧交を温め、また別れました。
話によると、これから海外旅行に行くために東京駅で空港行きの電車を待っていたのだそうです。偶然だとしても、この車両のこのドアの位置で、というのにある意味ゾッとしました。この出来事の後にもこの親友とは信じがたいエピソードが起こります。つくづく縁というものはあるのだな、と感じた出来事でした。
42歳 女性のストーリー
夫との出会いです。
私は就職のため地元を離れ、現在住んでいる県に引越してきました。仕事でも何度か顔を合わせることはあったようですが、意識にはなく、共通の知人が催した飲み会で意気投合し付き合うようになりました。
話していると、共通点が多いことに気づきました。
私が当時勤めていた職場の同僚は、夫の元同僚だった人が多くかったこと。長く勤めていればそういうこともある職業ですが、私自身こちらに来て2年目で知らない人ばかりだったので、びっくりしました。
夫が以前勤めていたのは、県内でも離れたところの私の叔母が住んでいる地域に近かったこと。広く転勤することはあまりないのですが、最寄りの駅やよく行っていた場所も知っているところで、話が盛り上がりました。
そして、一番びっくりしたのは、夫の同僚が私の妹の友達だったことです。職場は関東、妹は東北にいます。妹から「そっちに友達が就職したんだけど、知らない?」と言われ、よく話を聞いたら夫と同じ職場で、しかもよく飲みに出かける仲だったようです。
他にも似てるなーと思うことがたくさん重なり、最終的には結婚することになりました。人との出会いは、本当に奇跡なんだなと思った出来事です。

「人生最大の修羅場」

40歳 女性のストーリー
以前、LGBTの集まる飲み屋で働いていた時のことです。
私自身はLGBTではないのですが、ちょっとしたきっかけで働くこととなりました。
その際に、出会ったバイセクシャルのお姉様。
私のことをとても気に入ってくれて、私がシフトで入っていた時は必ず来てくれてました。
週に1回は、シャンパンを入れてくれたり。
キープのボトルも高めのものを入れてくれたり。
しかし、私がお店を辞めたとなった後に急変。
昼の仕事に戻るためにお店を辞めたのですが、友達として付き合っていこうと思っていました。
何度か遊びに誘われたのですが、昼の仕事に戻ったばかりというのもあって疲れが抜けず、何回か断っていました。
そんなある日、
「お店辞めても遊ぶって言ってくれたじゃん」
「そんなに疲れが取れないのなんておかしい」
「あれだけ、お金落としてあげたのに」
「あんたにいくら使ったと思ってるの?」
「マンションだってタダで貸してあげるって言ったじゃん」
等など、怒涛のメールが来るように。
挙句、うちの最寄り駅で待ち伏せされるようになりました。

顔は合わさずに済んだのですが、同性と揉めたのが一番の修羅場でした。
67歳 男性のストーリー
大学院生だった時に研究室に入ってきた4年生の女の子が、卒論をまとめるために私の下に付き、わたしが指導することになりました。
ある日、実験が遅くなってしまったので、その女の子を私が借りていたアパートに止めました。その夜のことについては想像に任せます。
翌日の朝、女の子はそのまま自宅に戻り、私は大学に行きました。別れ際に彼女が、女の友達の家に泊まったことにする。大学関係だとバレてしまうので、高校時代の友達にすると言っていました。
大学に付くと研究室が大騒ぎになっていました。彼女の両親が、昨日娘が帰ってこないので、警察に捜索願を出したと、研究室の教授に連絡が入ったというのです。
私は駅で別れたと言い切ってとぼけるしかないと覚悟を決めました。ところが、彼女と一緒に内の研究室に入ってきた仲の良い友達がいて、研究室の電話で片っ端から泊まっていそうな友達の家に電話をしまくっています。
しかし、別れ際に彼女が言っていた「高校時代の友達を」を思い出し、流石にそこまではと安心していたのですが、大学での知り合いは全て掛け終わると、「高校時代の、彼女と仲の良い友達がいるので、もしかしたらそこかも」と言い、電話番号も知っていると言うのです。
この時、私の人生は終わったと、目の前が真っ暗、頭の中は真っ白になったのを今でもはっきりと覚えています。そして、その女友達が高校時代の友達に連絡しようと受話器を取った時に、研究室の別の電話が鳴り、誰かが出ると、朝別れた彼女が家から掛けてきた電話でした。正に間一髪、首の皮一枚を残して命が繋がった瞬間でした。

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

48歳 女性のストーリー
スト-カ-と直接対峙したことですね。

「駅で見掛けて一目惚れした、運命の人だと思った」で、3年ほどつきまとわれたスト-カ-とコミュニケーションを取ったことですね。

何度警察に言っても取り締まってくれないし、何度断ってもつきまとうので、これはきちんと話し合うしかないと思って、ある日、郵便受けに「きちんと話がしたい」と手紙を入れて「いついつどこどこに来てくれ」と・・・。

後日、約束のその日になって本人がやってきて、わたしは付き合う気がないといったことを、きちんとした理由をつけてスト-カ-に話しました。

なかなか納得してくれませんでしたが、2時間程じっくりと話し合って、最期は納得してくれて、スト-キング行為を止めてもらいました。
54歳 男性のストーリー
初恋の女の子に告白をしたこと。もう35年以上前の話です。中学校の卒業式の翌日、小学校3年のころから好きだった女の子に告白しようと決めました。自宅から彼女の家に電話をすると、電話に出たのはお母さん。当時は携帯電話なんかないので、自宅の家電に架けるしかないのです。家が近く、毎年誕生会に招待されていたのでお母さんのこともよく知っていました。でも今回ばかりは自分がかけていると知られてはいけないので、偽名を使った記憶があります。
彼女が電話に出て、何を話したかはもう全く覚えていませんが、一言「好きです」という前にあまりの緊張から言葉に詰まり、「ちょっと待ってね」と言って受話器を耳から外して深呼吸し、そのあとに告白をしました。彼女は「えー・・・?」と言い、最後は「また電話して」と言ってくれました。その時はなぜか付き合ってほしいとは言えず、結局その後電話することもできず。
彼女とはその後何度か駅で会ったりして、大人になってから車でドライブデートをしたこともありますが、最も勇気を出したのはそのきっかけとなった告白電話です。

「仕事での大失敗」

36歳 男性のストーリー
連日遅い日が続いており、前日も最終退室で施錠をしましたが、鍵を管理室に返却することを忘れてしまいそのまま帰宅しました。
引き返すことも考えましたが、次の日に早く出社すれば良いと思い、そのまま就寝しました。
翌朝は、いつもより2時間早く家を出ました。職場へは1時間弱の通勤時間ですが、その日は台風が近づいていることもあり天候が悪く、ダイヤが乱れていました。少し嫌な予感はしましたが、さすがに早く家を出ていることもあり、他の人が出社するまでには間に合うと考え、そのまま電車に乗り通勤しました。しかし、天候がさらに悪化し、途中で何度か停車し、とうとう駅と駅の途中で止まってしまいました。
他の人も同様に遅れているはずなので、この時点では焦っていませんでしたが、なぜか私の乗っている電車だけが中々発車せず、次々に後続電車に抜かれていきます。この時点で、いつもの電車通勤の時間と同じくらいになっており流石に焦り始めました。やっと動き出しましたが、徐行運転で中々到着しません。
結局、会社には始業時刻から10分遅れて到着し、扉の前にはそのフロアで勤務する約50名の社員の方(大半が先輩)が廊下に並んで待っていました。
誰にも強くは咎められませんでしたが、待っていた方々の視線とため息で生きた心地がしませんでした。

「私の変えたい過去」

43歳 男性のストーリー
これは私が実際に体験した人生の中でもかなりショッキングな出来事です。その日は、仕事でイベントもあり、いつもと違う場所への出勤でした。とはいってもそれほど遠方に行くわけでもなく、使い慣れた電車だったのですが、通常のラッシュ時より少し遅いぐらいで、満員電車とはいかない程度で、座ることはできないまでも車内に余裕があるぐらいでした。電車に乗り、これからはじまるイベントの連絡などで携帯電話で同僚とメールのやり取りをしていました。普段はあまりつかわないのですが、仕事のやり取りもあり、カバンを網棚に載せていました。あと一駅で着くぐらいのところで、イベントの関係で急いで電話をしないといけないことに気づきました。電車の中だったので、次の駅で降りてすぐ電話しようと頭で考えていたぐらいに電車も着き、飛び降りて急いで電話しました。電話してる最中になんか軽いなと思った時には時すでに遅く、普段使いもしない網棚に置いたカバンは電車とともに出発。一瞬何が起こったかわからないまま放心状態になりました。
●とにかくパニック
次にパニックです。まず、大事な手帳、財布、イベント資料など、さらに財布にはクレジットカード、免許証、保険証、銀行カード、現金が入っておりました。現金は普段あまり入れないものの、当日に限って子供の習い事の月謝や週末の旅行代金10万円程度が入っていました。手元に残ったていたのは、原因となった携帯電話、そして交通系ICが入った名刺入れ。ある意味、せめてものすくいだったかもしれませんが、電車とともにいってしまったカバンの中身を考えるともはやどうやって生きていけばいいんだ、今日のイベントどころではない、人生最大のピンチだとパニックでした。しかも、この電車は長距離運行で、二つ先の県まで行ってしまう電車でした。もはや追いかける方向もない。これほどゾッとした経験は今までないぐらいで、自業自得なだけに自分自身が本当に嫌になりました。

「一番おいしかった食べ物」

50歳 女性のストーリー
 数年前、はじめてドイツに行くために、イギリスのドーヴァー海峡をフェリーで移動しました。船内でお金を代えておこうかな、と思ったのですが、「まぁ少しはユーロを持っているからいいか」と思いなおしました。船内で軽くスナックを食べ、ベルギーの港について、ちょうど列車が来たので、夜行に乗ってドイツに向かいました。
 すると、その列車は鈍行でしたが、途中で喉が渇き、空腹になってしまいました。機内販売を待っていたのですが、一向に来ません。隣の席の人に聞くと「機内販売なんかない」と言われました。せめて、途中の一時停車でなにかキヨスクのようなところで何か買えないかと聞いても、自販機はヨーロッパの駅のホームになんかありません。空腹で死にそう、と落ち込んでいたら、その人は自分用に持ってきていたサンドイッチとリンゴを差し出してくれて「これ、差し上げますから、食べて元気出して」と言ってくれました。遠慮したのですが、かなり強くすすめてくれるので、半分いただくことにしました。空腹であったことと、見知らぬドイツ人のやさしさのおかげで、あの時のサンドイッチとリンゴの味は忘れられません。
30歳 男性のストーリー
うどん県(香川県)にある讃岐ラーメンのお店のラーメンです。
「はまんど」という名前の店で、へんぴな田んぼの中にあります。
讃岐ラーメンって名前からふざけてると思って入りました。ところがどっこい、どのご当地ラーメンにも負けない、てゆうか普通に勝ってる美味しさでした。
伊吹島(香川県)のいりこをふんだんに使った醤油ベースのスープでした。
麺は讃岐うどんを意識して、歯ごたえのあるものでした。
煮卵などの食材も地元のものを使用しているため、れっきとしたご当地グルメです。そのため、観光として香川県に行った人にもおすすできます。
駅からは遠くて(しかも田舎な駅)アクセスは悪いです。
にもかかわらず、どこから人が現れたのかってくらい並んでいます。
食べログの口コミは香川県のラーメンの中でダントツに多いです。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

57歳 男性のストーリー
私の母方の祖父は、信心深かった。顔も丸顔で何時もニコニコしていた記憶しかない。
 そんな祖父は、祖母が裁縫の縫子という仕事をしていたので、着物を他の縫子さんに届けたり、出来上がった着物を依頼主に届けたりという事をしていた。
 祖父夫婦がこの仕事を始めたのは大分と高齢になってからとのことで、祖父が着物を運ぶために自動車の免許証を取ったのも、五十才を超えてからとのことだった。
 高齢で免許を取得したせいか、運転は穏やかで、田舎だったこともあるが、一度も事故を起こしたこともなかったそうだ。
 小学生になってすぐの夏休みに、親と帰省した時に、祖父が着物を運ぶ車に乗せてもらうことになった。今までも、帰省の度に最寄り駅まで送り迎えはしてもらっていたので、親と一緒には乗ったことがあったのだが、その時は、祖父と私の二人っきりでのドライブだった。
 何時もは後ろの座席ばかりだったが、この時初めて助手席に乗せてもらって、私はとても嬉しかったのを、覚えている。
 祖父の家は、一般道までは人が通るには広いが車幅いっぱいいっぱいしかなく、昔の集落の道なので、曲がりくねっているし、角切などしていない直角に曲がる交差点などを通らなければ、出れないような所だった。
 それでも祖父は慣れているので、そろそろと通過して、一般道に出て、目的地に向けて走り出した。集落の道では、車に接近してくる家の壁にドキドキし、一般道では前面の景色に夢中になっていた。しばらくして、ふと、運転している祖父が何か言っているのに気が付いた。話しかけてくれているのに景色に夢中で気が付かなかったのかと思たが、なにかちょっと違う。言っている言葉が、幼い私に向けてではなく、独り言の様なのだ。エンジン音などで聞こえにくいが、よく耳を澄まして聞いてみると・・・
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と運転しながら祖父は言っていたのだ。
 信号で止まったら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏‥」。走り出したら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」、荷物を降ろしたら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」・・・。
 帰りは「自分はこのまま、あの世に連れていかれるんじゃないか」と何か怖くなってしまった。
 後で聞いたら、「案園運転、事故除けのおまじないや」とのことだったが、ちょっとトラウマになりかけた出来事だった。
27歳 女性のストーリー
保育園に通っていたころ、シングルマザーで働きに出ていた母の代わりに、祖父と祖母が交代で徒歩20分くらいの保育園まで毎日迎えにきてくれました。たまに公園で遊んで、駅まで歩いて、バスで眠りながら帰りました。そして、近くのコンビニのような店でその日のおやつを買ってもらいました。母の分はとっておいて、祖父母と分けて楽しくその日の出来事を話しながら食べました。
保育園のことはあまり覚えていませんが、祖父母と家に帰るのは大好きで今でもよく覚えています。一緒に歌を歌ったり、ごっこ遊びをしながら帰りました。
そうやって大切にしてもらったおかけで、父親が居なくて寂しいと思うことはあまりなく、楽しく過ごすことができ感謝しています。
35歳 女性のストーリー
これは私のおじいちゃんとの思い出話です。
私が小学3、4年生の時、おじいちゃんとおばあちゃんと3人で電車に乗って街の博物館へお出掛けに行った時の話なのですが、帰りの駅のホームで電車を待っている時、ホームに沢山の鳩が群がっていました。
私は退屈な時間を鳩を追いかけて潰していました。
鳩は結構近づいても逃げる様子がないので触れるんじゃないかと試みましたがあと少しで触れそうな所で1mくらい飛んで逃げて何食わぬ顔でまたホームをうろつきました。なかなか触らないなぁとおばあちゃんに話しかけながらしばらくすると、椅子に座ってじっとしているおじいちゃんの足元に1羽の鳩が近づいてきました。すると今までじっとしていたおじいちゃんが素早い動きで鳩の両足を片手でガシッと掴んで逆さ吊りにしたのです。物凄くけたたましい音で翼をバタバタさせる鳩。あまりの短時間で起こった事をただ呆然と見ていた幼い頃の祖父との思い出でした。

「自分は特別だと思った瞬間」

35歳 男性のストーリー
私はエナジードリンクが好きでして、中でもMONSTERが一番好きです。時々、街で配っていることがあります。去年は3週間近く、街で配っていて自分は合計で15本近く貰いました。街では大町の入り口やフォーラス、青葉通り駅の近くで配っていました。
MONSTERは一本で200円以上します。それを15本貰ったので、約3000円以上、得をしたことになります。他の人にMONSTERのことを話したら、「運が強くてそういうの、もっているんですね」と言われたことがあります。自分でもびっくりするぐらい配っているところに出くわして毎回貰っていました。
さすがに自分だけがこんなに貰っていると自分は特別に貰っているのかなと感じました。

「結婚っていいなと思った瞬間」

29歳 女性のストーリー
ひとりの時間がもともと好きなのもあり、暇な時間を自由に使えること。カフェしたり買い物したり、知らない駅や場所を開拓したり。人見知りじゃないので喋りたいときは店員さんや始めてお会いしたひととも喋れるので誰か捕まえて話します。
恋人のために何かをしたり喧嘩や悩みも恋愛経験の楽しみのひとつだけど、いまはその動力が無駄かなって。結婚はもちろんのこと、浮気とか不倫もめんどくさいし。自分がするのも相手に浮気されてもめるのも。恋愛体質でもないからしばらくはいいかなぁって。仕事が充実してて友だちとも適度に会える独身っていいなって最近実感してます。周りは結婚と妊娠出産ラッシュ。ご祝儀貧乏は嫌だけど笑、独身生活が楽しいので良いかなって30目前で感じてます。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
自分は特別だと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
独身っていいなと思った瞬間
こんなひといました
わたしの周りの大恋愛
わたしの周りで一番お金持ちの人
今だから言えるごめんなさい
人が豹変した話
これまでに出会った天才
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
わたしの周りで一番勉強ができた人
あの人と縁を切ってよかった
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
わたしの周りで大変身した人
ノウハウ
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
○○の裏話
人間関係
一番ひどい友達からの裏切り
女同士って面倒くさいと思った話
家族に一番感謝したこと
女って本当に恐いと思った瞬間
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
奇跡だと思った話
これまでで一番悲しかった時
今までで一番感動した話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
一番おいしかった食べ物
今までで体験した一番怖い体験
人生最大の失恋話
忘れられない先生の話
学校や仕事をサボってやったこと
修学旅行の思い出
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これまでで一番笑った話
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とっておきのすべらない話
これまでに一番勇気を出した瞬間
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忘れられない夏の思い出
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結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
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