"死ぬかと思った" に関するエピソード

「死ぬかと思った話」

49歳 男性のストーリー
夜中にドライブしている最中の出来事でした。
車で走っていると急に目の前に正面を向いたまま停止している車が現れ、急ブレーキ。左側が空いていたので車を滑り込ませて何とか衝突は避けました。
安全な場所に車を止め、先ほどの車へと向かい乗っている人を確認し話をしたら、スピンをしてガードレールに衝突後、現在の位置で停止し動かなくなったそうで当人には怪我もなく無事でした。
しかし、そのままほっとくわけもいかず、事故処理の手伝いをしました。三角の反射板を出し、後続車に気づいてもらえるように道路に立って誘導しました。
何台かは無事に誘導したのですが、一台が猛スピ-ドで走ってきました。そのときに
正面に立って懐中電灯をつけ誘導しようとしましたが見えていなかったのか、わたしを引き殺すかのような勢いで近づいてきました。とっさのことに体が動かず固まってしまい眼を閉じましたが、ツレが腕を引っ張ってくれたおかげで車にひかれずに済みました。その車はその勢いのまま停止していた車に追突してしまい。結局二次災害を出してしまいました。あのとき腕を引っ張ってもらえなかったらと思うとゾッとします。
49歳 男性のストーリー
友人たちと海に行き、遊んでいました。私は学生時代に水泳部だった為に泳ぎは
そこそこ自信があったために岸から大分離れた場所まで難なく泳いでいきました。
大分岸から離れたので足が海底につかないような深さとなっている所であり
水温も低く感じたので、そろそろ帰ろうかと思い岸に向かって泳ぎだしました。
ところが、いくら泳いでも岸から離れていくのです。海底に足もつかない深さの
所であり、本当に焦りました、死を覚悟しました。とりあえず、一番スピードの出る
自由形・クロールで岸に向かいましたがあまり進んでいないみたいでした。
そんな中、ふと離岸流の事を思い出し、対応ぱ岸に直角ではなくナナメに
泳いで行けば良い事を思い出し、無事に帰還することが出来ました。
海には遊泳禁止の所にはちゃんと意味があると実感しました。
自然をナメてはいけません。
36歳 女性のストーリー
小さい頃からスイミングスクールに通っており、泳ぎには自信がありました。夏休みは毎年母方の実家に行き、近くに海があったのでよく泳ぎに行っていました。
小学生の時の話ですが、泳ぎが得意だったのもありいつも行っていた海では無く少し波が荒い海に父親と弟と行きました。弟がまだ小さかったこともあり、父親は弟を見つつだったので1人で海に入り結構奥まで泳ぎに行ってたらおぼれてしまいました。
海水を相当な量飲んでしまい、もう無理かもと思った時、たまたま近くを泳いでいたダイバーさんが助けてくれました。私を抱きながら泳ぎ、近くにあった岩にあげてくれました。そこまで父親が泳いで助けに来てくれて何とかなりましたが、あの時は本当に死ぬかと思いました。
32歳 女性のストーリー
飲食店を経営していた時の話です。
お店は少し治安の悪い場所にありました。
お客さんは個性的な方が多かったです。ある日、近所の店から私の店のことを聞いたと、新規のお客さんが来て常連さんになってくれました。
何回か来てくれていたある日。「ツケで飲ませてくれ」と言われたので、お断りしました。

1週間後にまたきて、カウンターに座るなりビールと言われたので、ビールをお出しして一緒に飲ませていただいていました。そしてお会計時に「財布がない!ツケにしてくれ!」と言われ、明らかに嫌がらせだと思い警察に連絡しました。その途端、今まですごく良い人だったのにいきなり店の中で暴れまくり、椅子やコップなどを投げまくり、私にも掴みかかってきました。
殺される!と、思ったタイミングで警察が駆けつけくれ、警察に連れて行ってもらいました。あの時、警察があのタイミングで来なければ…と思うと、今でもゾッとします。
46歳 女性のストーリー
風がつよい平日、会社の車で、レインボーブリッジを走っていました。運転するのは先輩の男性社員、私は助手席に座り、後部座席には、営業マンが2人乗っていました。
得意先に向かう途中だったので、少し急いではいましたが、安全運転で進んでいました。すると突然、前を走っていたトラックの荷台から鉄の板のようなものが飛んできたのです。一瞬のことで私はぎゃーと声を上げましたが、その後見てみると、車のフロントガラスに当たってヒビが入っていました。
鉄の板は橋の下に飛んできました。
運転していた同僚は、冷静沈着で、ちょっと車体が揺れたものの、しっかりハンドルを握っており、大事故になりませんでした。それで本当に助かりました。運転技術が未熟な人だったら、動揺して大事故になっていた可能性もあります。
助手席に座っていた私は、鉄の板が目の前に飛んでくるのを見た瞬間、本気で死ぬかと思いました。
24歳 女性のストーリー
彼氏と他県のアウトレットに出かけた時の話
数回行ってことがあったが、毎回通って行く道は決まっておらずいろいろ試してみて行きやすい道、早く辿りつける道を探している模索段階でした。
その日もナビで3パターンくらいの行き方を提案され、前回とは違う道を選択しナビに従って運転してもらってました。
ちょうど県境を越える時、道が急に狭くなり周りは森が広がっているためUターンも出来ず、ただただ森を突き進むしか選択肢がないような状況になりました。道も舗装されているようでしたが、何年も誰も通ってないのではないかと思うほど、石や枝が散乱してました。
その日はたまたま普段より大きめのボックスカーに乗っていたため、道幅は狭く山を登るにしても曲がるにしても、とてもギリギリで少し傾いてしまったら隣の崖から転落するのではないかとヒヤヒヤしてました。
しかもその山道に終わりは全くみえず、1時間ほどここで私達は遭難して誰にも見つけてもらえず死んでしまうのだろうなと考えて進んでいました。
最後は無事に道が広がり、人が住んでいる場所にたどり着けて助かりました。
目的地にもたどり着けました。
しかしいくらナビに案内されてももう二度とあの道を通っては行きたくないと思ってます。
21歳 女性のストーリー
この話は2年前のことです。
地元での就職が嫌だった私は、高校を卒業して
2週間後くらいに、地元を離れて就職するために
愛知県にお引っ越ししました。
就職をして1ヶ月間は何もなかったのですが、
GW明けくらいに、お仕事が終わって帰宅しているところに事件は起きました。
私は飲食店で働いていたためその日の、
23時過ぎくらいにお仕事が終わり終電間際の
電車で最寄りの駅まで帰りました。
駅から歩いて徒歩3分くらいのところに
自宅がありました。
自宅まで歩いて帰り、ポストをあとにし
自宅の鍵をあけ入りドアをもう半分くらい閉めていた
その瞬間、ドアが「バッ!」って開き
知らない男性が自宅に入ってき、ドアを閉め
周りをきょろきょろした後、
「1人?1人だね」と言われ鍵を閉められました。
私は死ぬのかなっと一瞬思いましたが
ここで死んではいられないと思い
その方を追い出しました。
あの時は、本当に死ぬかと思い
すごく怖かったです。
35歳 女性のストーリー
私がまだ、小学校低学年だった頃のことです。
家族でお出掛けした帰りに、電車に乗るために駅に向かっていました。その時兄弟や両親と競争したい気分になり、駅まで走っていました。駅の直前、とても広い道路で、車の交通量も多い道を渡るのに信号が有ったのですが、当時走っていたのと、初めての場所だったこともあり、信号にまったく気付きませんでした。
そのまま赤信号なのに、ひとりで走って広い道路を横断してしまいました。その時も車はたくさん有ったのですが、幸いどの車も停まってくれたので、ひかれずに済みました。今振り返りますと、あれだけたくさんの車がいたのに皆停まってくれたことに感謝すると共に、私もひかれてたらと思うと危なかったですが、急停車が原因で後ろの車からのからの衝突事故などもなくて、本当に良かったと思います。
52歳 女性のストーリー
2年程前、大病を患って手術をした時の事です。全身麻酔で6時間にも及ぶ手術でした。麻酔から覚めつつある時だと思うのです。そこは真っ暗だけど、痛くも苦しくも切なくもない暖かい闇の中でした。本当に気持ちの良い場所で「居心地が良いな~もう、ずっとこのままがいいな~」と思いながら再び目を閉じようとすると、遠くの前方から「こっちへおいで~」と何度も何度も呼ばれている気がするのです。ふわふわと暗闇を漂いながら、「呼ばれている方へ行こうかな~」とそちらへゆっくり向かい始めまたその時です。「○○さん!!」と大声で呼ばれ、「はっ!」と目を開け現実に帰りました。その瞬間、「呼び戻された、」と感じ、向こうに着いたら死んでいたんだろうと思いました。三途の川は見ませんでしたがその手前の場所だったのかもしれないと思っています。
22歳 女性のストーリー
人生で初めてパニック発作を起こした時です。
電車の中で急に息苦しいくなり、同時に猛烈な吐き気が襲ってきました。しかし、電車の中なのでここで吐く訳には行かないと思い次の停車駅までなんとか吐き気を我慢し、息苦しい中頑張って息を吸っていました。
そして、つぎの停車駅についた時には普通に歩くことも出来ず、電車の地面を這いつくばって、ホームに降りました。そこで、力つきてしまい倒れてしまいました。
倒れて意識を失っていたのは数分程度だったのですがすごく長い間意識を失った感覚でした。目が覚めてからも吐き気は続き自力では立ち上がれないほどだったのでそのまま、救急車で緊急搬送されました。
初めての体験だったので本当にこのまましんでしまうのではないと思いました。
48歳 女性のストーリー
私が22歳の頃の事です。夜に彼氏と会って朝、車で家に帰ろうとしたら急に眠気に襲われて、カーブを曲がりきれずに車が横転しました。目の前がぐるっと回転して死んでしまうかもしれないと思いました。通りかかった方が車から抱きかかえて車から出してもらい、助けてもらい、家まで送ってくれました。一応、整形外科で脳の検査をしてもらい大丈夫だったので安心しました。車は廃車になり、車両保険で新しく中古車を買いました。車の処分もいつもお世話になっている車屋さんにおまかせしました。
それから、25年後、私は47歳になりましたが、精神科の病気にかかってしまい、車を処分しないといけなくなり、車にはもう乗ることは出来ません。若い頃の無茶が祟ったのだと思っています。
33歳 男性のストーリー
大学の卒業旅行でバリ島へ行った時のことです。現地でスキューバーダイビングをする事になりました。私は初体験でしたので少し不安もありました。また泳ぐ事が得意ではありませんでした。そして現地の方の片言の日本語で説明を受けました。要は口からガスボンベ離すことなく、口呼吸すれば問題ないとわかりました。海の中は入り魚と戯れていてとても楽しい時間が過ぎていましたが、ガイドの方が写真を撮るから、口からガスボンベを話してピースサインをしようと言い出しました。この時友人と3名で来ていまして、他の友人は上手くできましたが、いざ自分の番になると外した時に口の中が海水だらけになりました。そしてピースをしていると息が切れたのでガスボンベを付けたところ海水が邪魔で吸えません。吐こうとしても吐かないし、苦しくなってきて焦りました。とにかく酸素がないと死ぬと思ったので、大量の海水を飲み口中を空っぽにして酸素を吸いました。この時海水が飲み干せなかったら、きっと溺れていたと思います。普通は口の中に海水が入らないように外す必要がありましたが、急にするようになってので今回のように死ぬかと思うような体験をしてしまいました。ある程度、練習は必要だと思いました。
41歳 女性のストーリー
・ある日いきなり、頭を後ろからドンキでおもいきり殴られたかのような痛みがあり、病院に行き、最終的には脳梗塞と言われた。その後意識を失い、臨死体験をした。それ以来、頭痛が起きるたびに怖い思いをしている。
・幼い頃かなづちだった私は、深いプールで溺れかけ、もうだめだと思った。
・熊本地震の本震で、マグニチュード7以上の地震が10分以上続き、体育館に避難していた私は、体育館が下から突き上げられるように跳ねて、上から電球が揺れ、10分超え、その時は絶対死ぬと思った。
・彼氏にあまりにショックな事を言われてしまい、過呼吸に陥り、荒い呼吸がずっと止まらず、意識を失いかけ、もう死ぬと思った。
・大嵐の中を、山道のカーブの道を車を運転してて、道路の向こうは崖なのに周りが見えない状態でずっと運転しててもういつ崖にてんらくするか!?って状態でもう死ぬと思った。
31歳 女性のストーリー
22歳の夏、当時付き合っていた彼氏と彼氏の友達と4人でサーフィンに行きました。
その日は台風や近づいておりサーファーの人はたくさん来ていたのですが、海に入っている人はほとんどいませんでした。
人いなくてラッキーと思って海に入り波待ちしていたら次から次に波は来ますが、波はぐちゃぐちゃで到底立ち上がることもできずもう引き上げようと思ったとき中々大きな波に飲み込まれました。
まるで洗濯機の中みたいにぐるぐる回って上と下がわからなくなり必死にもがいてなんとか海面に出ることができました。
めちゃめちゃ苦しくて全部がスローモーションに見えました。
上がってきたら全員同じ状況だったみたいで疲労困憊。友達の1人はおでこにサーフィンの板が当たって流血してました。
調べたら台風のためその日その海岸はクローズのお知らせが出ていたみたいです。しっかり調べるべきでした。
海の事故毎年多いですがこうやって波に飲まれて上がれなくなって死ぬんだなととても怖かったです。
31歳 女性のストーリー
出産が痛すぎて死ぬかと思いました。陣痛の時間がとても短く、本来であれば赤ちゃんが少しづつ骨盤や産道を広げて外に出てくるものらしいのですが、赤ちゃんが陣痛開始からすごい勢いで外に出たがっていて、私の体が何も準備ができていない状態だったのでいきなり激痛に襲われました。そのかわり出産までの時間は普通の人の6分の1くらいでかなりのスピードだったのですが、腰もおかしくなるし、股もお尻まで避け、出血も大量で、短い時間にすべてが凝縮されていました。特に避けた部分はひどいもので、何針縫ったかわからないくらい時間をかけて縫われました。痛くて痛くてもう一生経験したくないので、もしまた妊娠できることがあれば、万が一に備えて痛みを緩和する処置を取ることを考えています。
28歳 女性のストーリー
まだ小学低学年だったころ、家にあった大きな飴玉を食べてる最中に謝って喉に詰まらせてしまい死ぬかなと思いました。
その飴玉は、普通サイズの飴玉を2,3個くっつけて大きくしたようなサイズで3cmほどありました。
もともとあまり食べ物をちゃんと噛まずに飲み込む癖のある私ですがそれまでで一度も食べ物を詰まらせたことはなかったので、今回も一瞬詰まっただけですぐ平気になるだろうと思いました。
ですが、飴玉はまだ食べたばかりだったので飲み込むことはできず、吐き出すこともできなかったので徐々に呼吸が苦しくなってきて子供ながらに喉に物を詰まらせてここで死ぬのかな……と思ったことを今でも鮮明に覚えています。
そのあと何とか飴玉を吐き出すことができ、難を逃れましたがそれ以来大きな飴玉を食べるのが少し怖くなりました。
27歳 男性のストーリー
私が17歳の夏休みに体験した"死ぬかと思った話"になります。

毎年夏休みは海に行きます、人の少ないお盆の時期を狙い地元の幼馴染や友人と電車で行ける範囲で午前11時には海に着き午後17時前には帰路に着ける軽めの遠出といった感じで恒例のイベントとなっていました。

お盆の時期を狙うので"人が少なく""遊泳可能"という場所は限られておりこの時は地元から電車、バスを乗り継いで片道3時間程度の海水浴場でした。

当日は風もなく泳ぐには丁度良い暑さの天候で自分を含めた5人の友人も目一杯泳ぐことができ満足でした。

時間も差し迫り最後にどこまで泳げるか挑戦しよう!という提案に乗り、体力を使いきり帰る想像をしていました。

一人一人満足し海に上がっていく中、私はこれだけ穏やかな波の流れなら自分が遠くまで泳げるぞ!と5人の中でも運動ができるという自信からどんどん先へ泳ぎました

他の5人が泳いだ地点であれば少し戻れば足も着くからどうってことはないと思っていた矢先ある地点を境に波が強くなり力を入れてどれだけ泳いでも戻ることができなくなりました。

浮いているのがやっとという状態でしたが海から上がった友人4人は荷物をまとめ着替えるために浜とは別の場所にあるシャワー施設に向かってしまい私のことは置いて移動してしまいました。

もう体力も持たない、このまま友人が着替え終わるまで待っていたら死ぬのではと感じました。

当然ライフセーバーの方などもその海水浴場にはいたのですが、混まないということだけを重視して探した海水浴場でしたので、そういう方の数も少なく、やんちゃな高校生ということもありライフセーバーのいる監視塔とは離れた所で泳いでいました。

いよいよ浮くこともままならない状態になり、死んだなと思いました。

意識も遠ざかりかけたその時偶然近くでウィンドサーフィンをしている大人の集団がやってきて私のことを救助してくれました。

ウィンドサーフィンを趣味にしている近くに住む会社員の男性でした、仕事が早く終わって来ていなければ取り返しのつかないことになっていたぞと救助後に駆けつけたライフセーバーの方々と一緒にしこたま怒られました。

無事に帰ることはできましたが、それ以降私は足のつかない所では泳ぐことができなくなり、夏は海に行くこともなくなりそれからは毎年山でBBQをするようになりました。

以上が私の体験した"死ぬかと思った話"になります。
40歳 女性のストーリー
友人と北海道旅行に行った時、帰りの飛行機が乱気流に巻き込まれてしまい、ずっと揺れていました。
凄く怖くて、このまま墜落したらどうしよう、とさえ思いました。
急降下をすることも数回あったので、アナウンスでは気流の乱れが生じていると言っていたけど、飛行機の不具合だったら墜落するんじゃないかな、と思ったくらいです。

航空機事故はまず命が助からないというので、このまま消えてなくなってしまうのかも、と思うと凄く怖かったです。
友人も同じことを考えていたそうで、無事に到着をした時の第一声がお互いに「助かった・・・」でした。
それまでに何度も飛行機に乗っていますし、この後も何度も乗っていますが、命の危機を感じたのはこの1回だけでした。
24歳 女性のストーリー
2月の真冬の日に、アパートの階段で足を滑らせてしまい、16段あるのですが、一番上の段から転がり落ちました。
新聞配達のバイトをしており、その日も配達があったので、その時は怪我の状態がわからないまま、痛みを我慢してすぐに配達に行きました。
家に帰って来てから見たら、両足あざだらけになっており、鼻もぶつけて赤くなってました。
仕事もあったため、我慢して行きました。
歩くのですら痛かったので、とてもきつかったです。
幸いにも、冬だったので厚着をしており、怪我はあざ程度で済みましたし、転がり落ちたときに、頭などはぶつけなかったのでよかったのですが、もしぶつけてたりしたら大変なことになってたなと思うと怖くなりました。
47歳 男性のストーリー
20代の頃、友達とキャンプに行きました。車を何台かにわけて乗り合いで現地に向かい、テントを張り、海で泳いだりして楽しんでいました。夕方ころ、バーベキューをしようと準備をスタートすると、食材や調味料の買い忘れがある事に気付き、数名の友達と一台の車で近くのスーパーに向かいました。その車は古い軽自動車で4人で乗りました。運転していた友達が、ふざけてハンドルを左右に切ってジグザグに運転し始めました。テンションが上がった私達は、悪ノリしてもっと大きくハンドルを切るよう煽りました。大きくハンドルを切った瞬間、車は横転しました。後はどうなったかあまり覚えていませんが、車は上下が逆にひっくり返って道路を滑って進んでいきました。ガードレールにぶつかり車は停まりました。幸いにも大きな怪我をした者はいませんでした。正直、死んだと思いました。
25歳 女性のストーリー
地元に居た時に原付を運転していて、車と接触事故を起こしそうになった
コンビニの早朝のバイトが終わり、住宅街や工場がたくさんある裏道のようなところを原付で走っていた時、
自分は直進で、車が曲がってくるときにドライバーさんに原付の存在を見てもらえなかったのか、それとも曲がれる距離だと思ったのかわからないけど目の前まで車が来て引かれると思った。
原付は黒だったけど、ヘルメットは白で服装も蛍光のオレンジなど明るい色を身につけてドライバーさんに原付で走っていることをちゃんと見てもらえるよう
個人的には色んな対策をしていたが、今回ぶつかりそうになった人はおばあちゃんだった。
ぎりぎりの所で車を運転している人も気づき、ぶつからないように少しよけていたのでぶつからずに済んだけど、あの時はさすがに死ぬかと思った。
37歳 女性のストーリー
誰でも華の時代があるといいます。私の場合は幼稚園の3歳から6歳までが華の時代でした。お遊戯会では主役、運動会ではリレーの選手等々、両親も祖母もとても喜んでいました。そんな4歳の頃でした。当時、マンションの3階に住んでおりました。母が買い物に出かけて行く時は、必ず窓から手を振っていました。「いってらっしゃーい」と大きな声で。危ないからやめなさいとよく言われていました。そう言われるほど、反抗したくなるものです。ある日同じように、身を乗り出して手をふっていたら、ぐらっと体が傾いて落ちそうになりました。必死に窓にしがみついて戻りました。子供ながらに、(死ぬかと思った・・・)もう二度と窓から身を乗り出す事はやめようと心に誓いました。そして、親の言う事もきくようになりました。
40歳 女性のストーリー
いけないとは思いつつ、移動する時間が長いのでついついながらスマホをしてしまいます。
電車やバスなど席に座っている時には何ら問題はないのですが、私は歩いている時にもながらスマホをしてしまうんです。
どこでもやるわけではなく、自宅から最寄駅の往復の道でしてしまいます。
危なかった兆候は多々あり、赤信号だと確認もせずに横断歩道を渡っていたということがありました。
運よく、クルマが来ていないタイミングで横断してしまっていたのでそれまでは危ない思いをしたことがなかったのですが、つい数ヶ月前、クルマに轢かれそうになってしまいました。
クルマの方が少しでも私に気づくのが遅かったら‥。
ブレーキを踏むのが、ハンドルを切るのがと考えるとゾッとします。
30歳 女性のストーリー
タイへ一人旅に行った時のことです。
行きの飛行機にトラブルがあったりして到着が大幅に遅れ、泊まるゲストハウスに着いたときにはもうヘトヘトでした。
すぐにでも寝てしまおうかとも思ったのですが、お腹も空いていたしお酒も飲みたかったので歩いて少しのところにあるコンビニへ行くことに。
すると、渡ろうとしていた横断歩道にバイクが突っ込んできて、頭が少しぼーっとしていた私は反応が遅れて、思い切りぶつかってしまいました。
意識はあったのですが思いどおりに身体が動かせず「なんか血が出てるけど、英語もタイ語も話せないし、あんまりお金ないし、知り合いもいないし、もしかしてこのまま死ぬんじゃないだろうか」とさえ思いました。
ですが、その場にいた地元の方々や、騒ぎを聴きつけてやってきてくれたゲストハウスのスタッフさん(日本人)に助けられ、無事病院で治療を受けることができました。
幸い後遺症の残るような怪我もなく、治療費も相手の負担で済みました。
56歳 女性のストーリー
8年前能古とです。東日本大震災。

忘れもいたしません。本当に津波を見て怖かった。

おかーさん今日私出掛けたくない。
娘の一言で私は救われた。

3月11日午後13時過ぎだった

私は娘がスチュワーデスになるために宮城県仙台の国際大学に見学に行くため気仙沼の南駅に切符を買いに行くはずだった。

税金の支払いもあるし、最初市役所にいってくるね。と私は娘にいった。

今日の空はおかーさん怖いよ。
長女の娘の可菜がいった。本当にいつもと違う空が悪魔のようにまるで、災害が起きるんじゃ。と言う予知も感じていました。

一生忘れることが出来なかった大地震。あなたは、山も家も飲み込んだ。

そして私たちの心もズタズタにした。
この恐ろしい怖さはなんだったんだろうか?
25歳 男性のストーリー
あれはカリフォルニア留学にきてから間も無く半年が経過した頃だった。ようやく生活のリズムを掴めるようになり、英語で話す日常会話もなんとなくであったが会話できるようになった。というのも、会話の上達の為に手当たり次第に大学キャンパスにいる綺麗な女性に声をかけていた。その結果、日本人男性では珍しく留学半年でなんとアメリカ人女性とお付き合いすることができたのだ。人生はこのように上手く物事は進むのだと勘違いしていた20才の青年が死ぬかと思った話をしたい。

2017年11月23日午後4時頃。気温は17度。天候は雨。

このような状況で私は5車線あるハイウェイを走っていた。その日は可愛い彼女の誕生日だった。午後7時にサンフランシスコにある海辺にある白を貴重としたレストランで待ち合わせをしていた。私は自宅周辺で誕生日プレゼントとして高級フリースと鮮やかな黄色の向日葵を購入した。私は良い買い物ができたとす満足して彼女の喜ぶ顔が鮮明に浮かんだ。直ぐにでも会って抱きしめたいと考えた。そこでいつもより強くアクセルを踏んでいた。私の心はすでにサンフランシスコにあり、心ここに有らずという感じだった。このような心情で運転していた時に悲惨な事故が起きた。右車線を走る一台のトラックがゆらゆらと車線を無視して蛇行運転をしていたのだ。私はこれは危ないと思い速度を減速しようとした。しかし雨の影響でブレーキを踏んでも減速しないのだ。その時にはハンドルも効かずに”死”という二文字が頭を過った。そしてトラックが私の車線に入ってきた瞬間、、衝突した。
私顔面にガラスの破片が刺っていて手もおかしな方向に曲がっていたのだ。加えて何故か分からないが大切なアソコが猛烈に元気なのだ。幸いにも先方はこちらに対して怒号が飛び交う元気があった。そんな中で医療班がきて私の服を全て脱がしたのだ。もちろんこれだけの大事故なので多くの野次馬が自分の方をみている。だかおかしい何故?どうして脱ぐ必要がある?その服を自分の首元に巻いて自分の息子がおおっぴらになっているじゃないか!!
しかも反り返ってるし。みんな見てるし。なんか二重の意味で死ぬかと思った。

PS搬送後は二週間ほど入院して回復。彼女はぐちゃぐちゃの花を受け取り自分の株が少し上がった様子だった。とにかく死なずによかった。
30歳 女性のストーリー
小学生の頃スキー部に所属していて、とある大会に出場した際、滑っている最中にバランスを崩して転倒してしまいました。その時股間にスキー板がぶつかって、めちゃくちゃ痛くてしばらく動けませんでした。大会は棄権し、痛くて痛くて早く帰りたかったのですが、同級生の男子が入賞したので表彰を見届けてから帰ろうと母に言われ、悶えながら待っていました。
さすがにこれはどうにかなってるのではという痛みで、恐る恐るトイレに行ってパンツをおろしてみるとなんと血まみれ!!股間を覗いてみると腫れていました。母に大変だと説明しようやく家に帰れたのですが、その後用を足してみたら、死ぬほど痛くて泣きわめきました。母が傷を見てようやく事の重大さに気づいたらしく、病院に連れて行かれ、医者に「あと何ミリかずれていたら尿の出口を変えなきゃいけなかったよー」と絵を書いて傷の状況を説明されました。小学生になんて残酷なこと言うんだ・・・。に小学生にして初の分娩台に乗って、傷の縫合手術をされました。縫合だけで済んで良かったですが、二度と怪我したくない場所です。
50歳 女性のストーリー
結婚して初めての冬、初めての雪道での運転。
雪道など車で運転してことがなかったので、本当にこわくて、そろそろと走っていました。
ゆっくり慎重に進んでいたつもりでしたが、トンネルを抜けた時、車がスリップ。
少しのカーブの後の橋の上に行きましたが、もう制御不能でした。
レーシングドライバーのごとく、右に左にハンドルを切り、最後は、橋にぶつかって止まりました。
その間、きっとほんの数秒だったのでしょうが、スローモーションのように時がゆっくり流れていました。
車は大破しましがが、ケガ一つなかったのが奇跡のようです。
あの時、対向車が来ていたら。。。。、あの時、もっとスピードを出していたら。。。と思うと、ぞーっとしてしまします。

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