"ハンドル" に関するエピソード

「今までで一番感動した話」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。


「死ぬかと思った話」

46歳 女性のストーリー
風がつよい平日、会社の車で、レインボーブリッジを走っていました。運転するのは先輩の男性社員、私は助手席に座り、後部座席には、営業マンが2人乗っていました。
得意先に向かう途中だったので、少し急いではいましたが、安全運転で進んでいました。すると突然、前を走っていたトラックの荷台から鉄の板のようなものが飛んできたのです。一瞬のことで私はぎゃーと声を上げましたが、その後見てみると、車のフロントガラスに当たってヒビが入っていました。
鉄の板は橋の下に飛んできました。
運転していた同僚は、冷静沈着で、ちょっと車体が揺れたものの、しっかりハンドルを握っており、大事故になりませんでした。それで本当に助かりました。運転技術が未熟な人だったら、動揺して大事故になっていた可能性もあります。
助手席に座っていた私は、鉄の板が目の前に飛んでくるのを見た瞬間、本気で死ぬかと思いました。
47歳 男性のストーリー
20代の頃、友達とキャンプに行きました。車を何台かにわけて乗り合いで現地に向かい、テントを張り、海で泳いだりして楽しんでいました。夕方ころ、バーベキューをしようと準備をスタートすると、食材や調味料の買い忘れがある事に気付き、数名の友達と一台の車で近くのスーパーに向かいました。その車は古い軽自動車で4人で乗りました。運転していた友達が、ふざけてハンドルを左右に切ってジグザグに運転し始めました。テンションが上がった私達は、悪ノリしてもっと大きくハンドルを切るよう煽りました。大きくハンドルを切った瞬間、車は横転しました。後はどうなったかあまり覚えていませんが、車は上下が逆にひっくり返って道路を滑って進んでいきました。ガードレールにぶつかり車は停まりました。幸いにも大きな怪我をした者はいませんでした。正直、死んだと思いました。
40歳 女性のストーリー
いけないとは思いつつ、移動する時間が長いのでついついながらスマホをしてしまいます。
電車やバスなど席に座っている時には何ら問題はないのですが、私は歩いている時にもながらスマホをしてしまうんです。
どこでもやるわけではなく、自宅から最寄駅の往復の道でしてしまいます。
危なかった兆候は多々あり、赤信号だと確認もせずに横断歩道を渡っていたということがありました。
運よく、クルマが来ていないタイミングで横断してしまっていたのでそれまでは危ない思いをしたことがなかったのですが、つい数ヶ月前、クルマに轢かれそうになってしまいました。
クルマの方が少しでも私に気づくのが遅かったら‥。
ブレーキを踏むのが、ハンドルを切るのがと考えるとゾッとします。
25歳 男性のストーリー
あれはカリフォルニア留学にきてから間も無く半年が経過した頃だった。ようやく生活のリズムを掴めるようになり、英語で話す日常会話もなんとなくであったが会話できるようになった。というのも、会話の上達の為に手当たり次第に大学キャンパスにいる綺麗な女性に声をかけていた。その結果、日本人男性では珍しく留学半年でなんとアメリカ人女性とお付き合いすることができたのだ。人生はこのように上手く物事は進むのだと勘違いしていた20才の青年が死ぬかと思った話をしたい。

2017年11月23日午後4時頃。気温は17度。天候は雨。

このような状況で私は5車線あるハイウェイを走っていた。その日は可愛い彼女の誕生日だった。午後7時にサンフランシスコにある海辺にある白を貴重としたレストランで待ち合わせをしていた。私は自宅周辺で誕生日プレゼントとして高級フリースと鮮やかな黄色の向日葵を購入した。私は良い買い物ができたとす満足して彼女の喜ぶ顔が鮮明に浮かんだ。直ぐにでも会って抱きしめたいと考えた。そこでいつもより強くアクセルを踏んでいた。私の心はすでにサンフランシスコにあり、心ここに有らずという感じだった。このような心情で運転していた時に悲惨な事故が起きた。右車線を走る一台のトラックがゆらゆらと車線を無視して蛇行運転をしていたのだ。私はこれは危ないと思い速度を減速しようとした。しかし雨の影響でブレーキを踏んでも減速しないのだ。その時にはハンドルも効かずに”死”という二文字が頭を過った。そしてトラックが私の車線に入ってきた瞬間、、衝突した。
私顔面にガラスの破片が刺っていて手もおかしな方向に曲がっていたのだ。加えて何故か分からないが大切なアソコが猛烈に元気なのだ。幸いにも先方はこちらに対して怒号が飛び交う元気があった。そんな中で医療班がきて私の服を全て脱がしたのだ。もちろんこれだけの大事故なので多くの野次馬が自分の方をみている。だかおかしい何故?どうして脱ぐ必要がある?その服を自分の首元に巻いて自分の息子がおおっぴらになっているじゃないか!!
しかも反り返ってるし。みんな見てるし。なんか二重の意味で死ぬかと思った。

PS搬送後は二週間ほど入院して回復。彼女はぐちゃぐちゃの花を受け取り自分の株が少し上がった様子だった。とにかく死なずによかった。
50歳 女性のストーリー
結婚して初めての冬、初めての雪道での運転。
雪道など車で運転してことがなかったので、本当にこわくて、そろそろと走っていました。
ゆっくり慎重に進んでいたつもりでしたが、トンネルを抜けた時、車がスリップ。
少しのカーブの後の橋の上に行きましたが、もう制御不能でした。
レーシングドライバーのごとく、右に左にハンドルを切り、最後は、橋にぶつかって止まりました。
その間、きっとほんの数秒だったのでしょうが、スローモーションのように時がゆっくり流れていました。
車は大破しましがが、ケガ一つなかったのが奇跡のようです。
あの時、対向車が来ていたら。。。。、あの時、もっとスピードを出していたら。。。と思うと、ぞーっとしてしまします。

「奇跡だと思った話」

56歳 男性のストーリー
雨の日の夜、阪神高速を走っていて、環状線から守口線に入ろうとしていて一番左の車線を走っていたところ、自分の右側の車線を走っていた車が、自分の車にに気づかずに車線変更しようとしたので思わずハンドルを左に切った。

すると側壁に当たりそうになったので慌てて今度はハンドルを右に切ったら、ギュルギュルと言う様な音がして、制御不能になり、4車線ほどある道路の一番左から、車体が右に約90度回転しながら真ん中ぐらいの車線まで流れていって止まった。そこに後続車の1台が衝突した。

事故にはなったものの、普通なら大事故になってもおかしくない状況で2台だけ、しかも物損だけの事故で済んだ。相手方もよく2台だけで済んだと驚いていた。
60歳 男性のストーリー
私の田舎は四国の徳島県と高知の丁度間に位置します。
四国全体に言うと丁度真ん中あたりの秘境地帯にあります。
交通は池田駅(高校野球で有名な池田高校のある所)から車で
2時間ほど山に入った所です。丁度今から10年ほど前に田舎に
帰った時の話です。京都から出発したのが昼の3時を回っていました。
池田に着いたのは午後の7時ごろ、そこで一泊しようと思っていましたが、
なぜか今日中に着きたいと言う気持ちが起こり、日が暮れてから山に
入って行きました。車で2時間ほどで着く予定でそれほどスピードは
出たなかったと思います。しかし疲れていたのかついうとうとと運転
していました。そこに鹿が道路に飛び出てきてとっさにハンドルを
きりました。そこの道路には所々ガードレールが朽ち落ちている箇所があり
不運にもガードレールがない場所から崖に落ちて行きました。
何が起こったのか解らいまま気が付いたら大きな木に車が引っ掛かり、
崖下10メートルほどで止まっていました。そこの崖の高さは100m
ほど、携帯で110番して窮地を脱しました。警官も「これは奇跡ですね」
この付近で崖に落ちた車は数多く観て来ましたがほぼ即死状態でしたとの事。
何かに助けられた感じが今でもします。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
自分は特別だと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
独身っていいなと思った瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
こんなひといました
わたしの周りで大変身した人
あの人と縁を切ってよかった
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
人が豹変した話
わたしの周りの大恋愛
わたしの周りで一番お金持ちの人
これまでに出会った天才
わたしの周りで一番勉強ができた人
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
今だから言えるごめんなさい
ノウハウ
○○の裏話
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
人間関係
一番ひどい友達からの裏切り
家族に一番感謝したこと
女同士って面倒くさいと思った話
女って本当に恐いと思った瞬間
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
これまでで一番驚いた話
どうしても許せないこと
忘れられない夏の思い出
これまでで一番笑った話
これまでで一番お金を無駄にした話
今までで一番感動した話
人生で一番贅沢した話
お金さえあればと感じた瞬間
これまでで一番悲しかった時
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
修学旅行の思い出
死ぬかと思った話
とっておきのすべらない話
人を見返してやった話
忘れられない先生の話
奇跡だと思った話
人生で一番運が良かったなと思う出来事
一番の苦労話
人生最大の失恋話
一番おいしかった食べ物
学校や仕事をサボってやったこと
嘘みたいなほんとの話
人生最大の修羅場
忘れられない夏休み
今までで体験した一番怖い体験
これまでに一番勇気を出した瞬間
これはひどいなと思った結婚式
私について
誰かに聞いてもらいたい愚痴
もっとも尊敬する人
誰にも言っていない秘密
苦手だったのに得意になったエピソード
私の変えたい過去
わたしがやめられないもの
仕事での大失敗
そういえば昔夢見ていたこと
わたしの初恋と、その結末
人生が変わった出来事
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話