"北海道" に関するエピソード

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

34歳 女性のストーリー
元職場の同期。
その同期は、結婚相手として将来養ってもらえるような人(外見は多少タイプでなくてもよかった)を探し、IT関係の自営業をしている男性と結婚した。
現在は、2人の子どもに恵まれ、1人を出産したあとは、専業主婦として生活している。
本人は「旦那が自営業だし雇い主だからお給料を払う側だし、将来どうなるか不安」と言っているが、こどもは、いつもブランドの服を着て、おもちゃも高級、旅行も北海道から沖縄、海外も年に何度も行っており、持ち家はないものの住宅は高級マンションで月20万以上はしそうなマンションにすんでいる。
同期は料理が苦手だそうで、AI機能が搭載された調理器具を何台も持っており、犬も飼っている、どうみてもセレブな生活をしている。

「死ぬかと思った話」

40歳 女性のストーリー
友人と北海道旅行に行った時、帰りの飛行機が乱気流に巻き込まれてしまい、ずっと揺れていました。
凄く怖くて、このまま墜落したらどうしよう、とさえ思いました。
急降下をすることも数回あったので、アナウンスでは気流の乱れが生じていると言っていたけど、飛行機の不具合だったら墜落するんじゃないかな、と思ったくらいです。

航空機事故はまず命が助からないというので、このまま消えてなくなってしまうのかも、と思うと凄く怖かったです。
友人も同じことを考えていたそうで、無事に到着をした時の第一声がお互いに「助かった・・・」でした。
それまでに何度も飛行機に乗っていますし、この後も何度も乗っていますが、命の危機を感じたのはこの1回だけでした。

「人生で一番贅沢した話」

47歳 女性のストーリー
私が、自分の人生で一番贅沢した話は、今の生活です。
今、私は大切な人と結婚して、一緒に住んでいます。
一緒に住みだしたのは昨年の春からですが、今の彼と生活する前は恥ずかしながら生活保護を受けていました。生活保護を受けていた理由は、母の虐待が何十年にもわたって続き、病気の私を虐待し続けて治療効果が出なかったためです。
生活保護を受けてからも地味な生活を続けていましたが、家でお仕事をしたりしながら収入を得ていました。その分は収入申告をして差し引かれるのですが、自分で得た収入がささやかな充実感となっていました。
その後、落ち着いた頃に、今の彼と出会いました。
今の彼との出会いは、インターネットです。
しかし、とても良い人で、優しく、思い出も沢山できるほど旅行も沢山行きました。
生活保護を抜けてからは、彼と一緒に暮らしています。
喧嘩のようなこともありますが、彼と一緒に行った北海道のフォトウェディングが一番幸せでした。今後も幸せで今のような贅沢な生活が続くとは思っていませんが、
ささやかな贅沢が続けばいいなと思っています。

「嘘みたいなほんとの話」

64歳 男性のストーリー
50歳を超えるまで野球ばかりやっていた私が、脳出血で野球が出来ない体になり、今まで全国大会出場を目指していた野球もこれまでとあきらめていたのですが、仲間が頑張って北海道代表になり全国大会の出場権を獲得、それも、全国大会はあの、あこがれの阪神甲子園球場、私も、久々にユニホームを着て、杖を頼りに阪神甲子園球場のベンチに入ることが出来ました、あこがれていた阪神甲子園球場はテレビで見るのと同じ大きな球場でした、そこでなんと全国一になったのです、若いときからあこがれていた全国大会出場、それも阪神甲子園球場で全国一になるなんて、奇跡の様な出来事でした。私の野球人生に思い残すことはなくなり、これからはのんびりと仲間の野球の応援に励みたいと思います。

「修学旅行の思い出」

26歳 男性のストーリー
高校の時の修学旅行の話である。私が当時在学していた高校は【北海道】、【沖縄】、【シンガポール】の3ヶ所から選択できるのだが、私は沖縄を選択した。その理由はその当時の好きな女の子(仮名、A子)が沖縄を選択していたからであった。今振り返るととても安易な発想ではあるが、当時の私にとっては重要な問題であった。なぜなら修学旅行の期間で告白することを決めていたからである。
修学旅行の主な日程は到着日(1日目)は午後から街の散策。2日目に海でのレクリエーションが予定されていた。つまり、A子に告白する時間はこの2日しかなかった。
街の散策は同じ班になることは叶わなかったが、2日目のレクリエーションの時間は同じ班になることができたのである。神は私を見捨ててはいなかった。
そして運命の2日目。今までになく、良い雰囲気になった。これが沖縄の海の力なのかと1人気分揚々と過ごし、片付けの時間。
周囲の友人が上手く気を遣ってくれ、2人きりになったタイミングで意を決した。
(私)『好きです。付き合ってください。』
(A子)『え、(しばらくの沈黙)
ごめんなさい
37歳 女性のストーリー
高校時代の修学旅行が北海道でした。体験を事前に選ぶものでした。そば打ち、ジャガイモ掘り、ラフティング、バター作り等々、選べる体験はたくさんでした。そのなかで、ラフティングを選びました。人生で初めてのラフティングは激流を下るもので、絶叫マシンが苦手な私でしたが、それとは異なり、とても楽しいものでした。インストラクターのノリが良く、激流をうまく潜り抜けると、パドル水面に叩きつけて、喜びを分かち合うルールでやっていました。最後の激流を抜けたとき、今まで通り、パドルで水面を叩きつけました。その時、右手小指に痛みが‥。隣の友達のパドルの持ち手が私の指に当たっていたようです。テンションが盛り上がってる友達とインストラクター。私も回りが盛り上がっているのが楽しく一緒に騒いでいました。しかし、ボートを降りると更に痛みが増して‥見ると小指が真っ赤に腫れ上がってました。大ケガには至りませんでしたが、残りの旅行は痛みに耐えながらの参加でした。
33歳 女性のストーリー
修学旅行の思い出で1番思い出に残っているのは高校の時に行った北海道です。
私はずっと3人で行動していたのですが3人共食べることが好き過ぎて観光よりも食べることを優先していました。
蟹が乗ってるラーメン、蟹汁、海鮮丼、海鮮焼き、じゃがバター、北海道牛乳のソフトクリーム。
あるものはとりあえず全部食べ尽くしました。
中でも1番美味しかったのがとうもろこし。
とうもろこしといっても屋台で買ったやつでは無くて歩いていると小さな木の小屋にとうもろこし30円と書かれていてそれをなんとなく安いし買ってみようという事になり買って帰りました。
するとそれを見た旅館のスタッフの方が良かったら湯がいてあげるよと言ってくださりご好意で調理していただきました。
そのとうもろこしは今までら食べた中で1番甘くて美味しかったです。
色々お金を使ったけど30円のとうもろこしが1番でした。
あれから北海道行けてませんがまた行きたいと思います。
42歳 男性のストーリー
高校の修学旅行で北海道に行ったのですが、私は長崎に住んでいるので、白銀の世界が素晴らしかったです。また普段は接する事のない、競走馬にも会えました。特にオグリキャップは綺麗だと思いました。真冬の北海道だったので、路面凍結していたのですが、地元の人が滑って転んでいたのには笑っでしまいました。
北海道はかなり大きいので正直なところバス旅行でした。そのためガイドがカラオケを準備していたのですが、曲目が少なかったです。その反動か、福岡空港から長崎に帰るまでの長崎バスでカラオケの曲が豊富でみんな弾けていたのをよく覚えてます。
アイヌ文化に触れた事や霧の摩周湖に行けた事も私にとっては、非常に良かったと思います。
22歳 女性のストーリー
私の学年が、というべきなのか、私の学校の修学旅行の時期が、というべきなのか、小中高とどの修学旅行も話題には事欠きません。
小学校のときには新型インフルエンザ(豚インフル、だったと記憶)の流行によって、5月に予定されていた修学旅行が実施さえ危ぶまれる事態に。結局9月に延期して行ったものの、ハラハラした記憶があります。
中学のときには、生徒の希望で東京への修学旅行が決定。しかし、1年生3月の時に東日本大震災・原発事故が発生して、行き先を例年通りの沖縄へ変更。幻の東京計画となりました。
高校では行き・旅行中は何もなく北海道を満喫したものの、帰りにハラハラさせられました。雨風の影響で地元空港への着陸に手間取り、東京へのとんぼ返りも予告されてしまう事態に。無事に着陸したものの、「しばらく飛行機はいいね」と友人で話しました。

「忘れられない夏休み」

48歳 男性のストーリー
大学3年の夏休み、北海道へ列車で旅行に行った時のことです。
函館から札幌に向かう夜行快速「ミッドナイト」の自由席で、たまたま向かい合わせになった女性がいて、発車までの間、お菓子を食べながら話をしていました。
翌朝、札幌駅に着いてから、一旦別れたのですが、どこで朝食をとろうかと駅の中をウロウロしているうちに、またその女性に会いました。私も特にこれといって予定があるわけではなかったので、しばらく一緒に付き合うことにしました。
大通公園でトウモロコシ雪印パーラーでグラタンを食べた後は、北海道大学に行き、クラーク像の前で写真を撮ったりしました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、札幌駅で旭川に向かう彼女を見送りました。
旅には人との出逢いがあるのは本当だと実感した夏でした。

「一番おいしかった食べ物」

28歳 女性のストーリー
北海道旅行にて食したお寿司。
ネタはしめ鯖です。
北海道旅行にせっかく行くならと気合を入れてお寿司を探しましたがどこもおいしそうで迷いに迷い、宿泊先から近いという理由もあり旭川の路地裏にひっそりと構えるお店に行きました。
恒例のご夫婦が経営されており、板前の旦那様はネタには自信があり一切の妥協を許さないようなイメージ。
たいして奥様は足を痛めておりお茶出しもままならないような状況。(なので心配だったためお茶などは自分でやりました)
そんななか入って気づいたのですがメニューも値段も無いのです。
初めてそんな場所に入店したので本当に緊張しましたが、板前さんにおすすめを聞いたところしめ鯖を出して頂きました。
今までしめ鯖なんて安い居酒屋でしか食べたこともなかったのですがこれがもう絶品。
口の中でとろけるし新鮮だからなせる業なのか臭みも無し。
お代わりをしたかったのですが時価が脳裏から離れずに追加する勇気はなかったのですが次回の訪問時にはまた食べたいそんな一品でした。
32歳 男性のストーリー
小学生の頃は家族4人で夏休みに大きな旅行に行くことが恒例でした。初めは幼馴染の子が沖縄に帰省するのが羨ましくて親に駄々をこねていたのが発端らしいのですが。
小学3年生の時には初めての北海道旅行でした。今でしたら函館の夜景や最北端の宗谷岬や釧路の湿原、札幌の繁華街など楽しみ方は何となく頭に浮かんでくるのですが、当時は予備知識なく親に連れられるがままでした。年の離れた姉は人気4人組ロックバンドのインディーズ時代のライブハウスに行き、私と両親は場所は忘れましたが、北海道でも有名だというジンギスカンのお店に行きました。美味しいお肉が食べられるならと期待をして行きました。気がつくと目の前には不思議な鉄板があり、その上に大量のバターが乗っかっていました。そして大量の野菜と肉の山。手際よく店員がバターを溶かし、野菜を積み上げ、肉を被せました。なんとも食欲をそそる見た目と香りに小学生ながら食欲のリミッターは解除され、あっという間にかんしょくしてしまいました。あの時のバターの風味と野菜の甘みと肉の香ばしさのコラボは三十路を超えた今でも忘れることのできない衝撃の美味しさです。機会ができたら是非自分の子どもにも食べさせてやりたいと思う今日この頃です。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

50歳 女性のストーリー
私が4歳の時の話です。
当時、私の家は北海道のとある農業高校に程近いところにあり、父が私を連れて農業高校の広大な敷地の中を散歩に出かけることもしばしばでした。
農業高校にはシクラメンやベゴニアなどの鉢花を栽培する温室があるのですが、父は温室の管理室にいる職員さんと親しくしており、
散歩の途中で管理室に寄りしばらく立ち話をしてから温室をひとまわりして帰ったものでした。
あるとき、地元のテレビ番組でその温室が紹介されたのを見て、子供心に「テレビでやるなんて、すごいところなんだ!」と考えました。

それからしばらくった頃に、東京に住む祖父が泊りがけに遊びにきたときに、
私は「おじいちゃん、ゆうめいなところにつれてってあげるね!」と祖父の手を引き、喜び勇んでいっぱい歩いて件の温室へ。
職員さんは父を伴わずやってきた私と初対面の祖父に驚きつつも、祖父といろいろ話をしてくださり、私も祖父と一緒にきれいな花をたくさん見て楽しい時間を過ごしました。
…家に戻ると、「どこへ行ってたの?!」と怒る母。
それもそのはず、家から温室までは道のりにして800mはある。
大人の足なら15分もかからないでしょうが、あれこれ興味を惹かれがちな4歳児の私と、70代後半の祖父の散歩。
朝食を食べてから出かけたのに、帰宅したのは昼食の時間になっていましたから、往復で1時間半はかかっていたはず。
「庭で遊んでいるか、散歩に出かけてもせいぜいご近所を回ってくるぐらいだろう」と思っていたであろう母が心配するのも当然ですね。
…しかし、祖父と私から事情ををきいた母は困惑しつつも大笑い。
夕方に帰宅した父は「おじいちゃんは足が痛いんだから、あんまり遠くへ連れてっちゃダメ」と。
祖父からは頭をなでられ「よく歩いたね」と褒められました。
(考えてみれば、いつも両親と出かけるときはすぐに歩きつかれて抱っこしてもらっていた私が、祖父と二人で往復歩きとおしたわけですから…)

東京に戻った祖父はその後脳梗塞を患い、私の家に来ても一緒に散歩に出かけることはなく家の中で過ごすだけになりました。
私が11歳の時に祖父は亡くなりましたが、葬儀に来た親戚みんなが4歳の頃の私と祖父の散歩の話を知っていて
「本当に○○(私)のこと、かわいがっていたものね」と言ってくれました。
祖父にとって私は一番年下の孫であり、未熟児で生まれたために無事に育つのか心配していたらしいこと、
あの散歩で私が元気いっぱいに成長していることを心から喜び、親戚に自慢げに話していたらしいと知ったのは、さらに何年か経ってからのことでした。

祖父と一緒に出かけたあの散歩は、祖父との一番の思い出です。

「結婚っていいなと思った瞬間」

54歳 男性のストーリー
妻と結婚して25年を迎えます。
妻との結婚のきっかけは、私の実家の隣のおじいさんが世話好きな人で、その人の紹介によるものでした。
その頃の私は、北海道で教員を始めて3年目で、日々の仕事で心が荒み始め、一人で生活していると気が狂いそうな毎日でした。とにかく忙しく、家に帰ると誰かがいて、話を聞いてくれる人を求めていました。
そんな中での紹介でした。
相手は、実家の近所の三姉妹の長女、その女性よりお母さんの方をよく知っていて、安心してつき合いを始めることができました。
一緒に生活してみて、自分の至らない点をフォローしてくれたりして、生活に余裕ができ、仕事に対して余裕を持って取り組めるようになり、周りから結婚して変わったな、と言われるようになりました。
しかし、子供が生まれ妻に余裕がなくなると、フォローが悪態に変わり、家に帰りたくなくなりました。
それでも、私が職場でイジメを受けて、職場に足が向かなくなった時、支えてくれたのが妻でした。鬱と診断され長期で休まねばならなかった私が短期間で回復できたのは妻のおかげです。
独身の頃は、結婚にはあまり関心がなく、話しのできる程度の人しか求めていませんでしたが、結婚して、改めて、自分の危機を救ってくれたりと、生涯の伴侶を実感しています。
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これまでで一番悲しかった時
修学旅行の思い出
私について
誰かに聞いてもらいたい愚痴
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そういえば昔夢見ていたこと
誰にも言っていない秘密
わたしがやめられないもの
もっとも尊敬する人
人生が変わった出来事
仕事での大失敗
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結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間