"待っていました" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

21歳 女性のストーリー
中学生の頃のことです。
夏休みだったと思います。
2階建ての家に両親と姉、私、幼い妹と暮らしていました。
2階に各自の部屋があったのですが、両親はベビーベッドの都合上1階の和室で寝起きしていました。
私は部屋が4畳しかなく、12畳程もあった両親の部屋が好きで両親が1階で寝起きする間その部屋で寝起きしていました。

当時中学生だった私は自分の携帯を持っておらず、母の携帯を2階に持って行き夜中まで動画を見たりしていました。

私は普段からお手洗いを我慢してしまうのですが、その日も我慢してしばらく経ってから1階にあるトイレへ向かいました。
夜中の2時〜3時だったと思います。

階段を降りていると、ガチャっとドアを開ける音が聞こえました。
トイレは階段の裏側?埋め込んだような場所にあり、私が慌てて覗き込むと、少し開いたドアに明かり、ドアノブを持つ真っ白な手が見えました。
仕方なく私は階段に座り込み、出てくるのを待っていました。
しかししばらく待っても出てこず、限界で見に行くと……明かりが消えていたんです。
おかしく思いノックするも返事がなく、明かりをつけて開くと誰もいない。
絶対に音も聞こえていたし、手も見えたんです。けれど思い返すと、家族にはあそこまで真っ白な手の人はいない。

ゾッとして慌てて霊感持ちの母を叩き起こし見てもらうと、大丈夫の一言だけ。
お手洗いも我慢の限界だったので母に待っていてもらい恐る恐る、大急ぎで済ませて出ました。
怖すぎて本当に大丈夫なのか聞くと母は
「中にはいなかったけど入り口近くで立ってた」
と。いやいや!怖すぎるから!!と、その日は両親の寝ている部屋で寝ました。

「死ぬかと思った話」

30歳 女性のストーリー
小学生の頃スキー部に所属していて、とある大会に出場した際、滑っている最中にバランスを崩して転倒してしまいました。その時股間にスキー板がぶつかって、めちゃくちゃ痛くてしばらく動けませんでした。大会は棄権し、痛くて痛くて早く帰りたかったのですが、同級生の男子が入賞したので表彰を見届けてから帰ろうと母に言われ、悶えながら待っていました。
さすがにこれはどうにかなってるのではという痛みで、恐る恐るトイレに行ってパンツをおろしてみるとなんと血まみれ!!股間を覗いてみると腫れていました。母に大変だと説明しようやく家に帰れたのですが、その後用を足してみたら、死ぬほど痛くて泣きわめきました。母が傷を見てようやく事の重大さに気づいたらしく、病院に連れて行かれ、医者に「あと何ミリかずれていたら尿の出口を変えなきゃいけなかったよー」と絵を書いて傷の状況を説明されました。小学生になんて残酷なこと言うんだ・・・。に小学生にして初の分娩台に乗って、傷の縫合手術をされました。縫合だけで済んで良かったですが、二度と怪我したくない場所です。

「修学旅行の思い出」

18歳 男性のストーリー
 それは私が中学二年生の時でした。中学二年生といえば待ちに待った修学旅行。私の通っていた学校は奈良・京都に行きます。一か月の間、クラス全員で旅行プランを立てて、その時を待っていました。
 そして修学旅行。班行動で京都を丸一日見学しに行きました。京都を回って早2時間。そろそろ回るところもなくなってきた中、友達が一言、「地主神社行こうぜ」
地主神社とは縁結びの神社で知られていて、全員男子だった私の班は即決で行くことになりました。
 そしてその神社に着いて、お待ちかねのおみくじを引くことになり全員で引いてみると、なんと私だけ大吉でした。でも実際、大吉を引いたところで何かいいことが起きたためしはなく、大吉を引けたことがラッキーだと思い、宿に帰りました。
 しかしここでおみくじの力が発揮されました。携帯を先生に預けるために一人で部屋を出た私はある女の子のクラスメイトに呼び止められました。一瞬何のことかわかりませんでしたが、彼女の紅潮した顔を見てすぐに察しました。しかし、私にはそう言った経験が一度もなく、なんせ中学二年生だったものですから、そうなることが周りの人から冷やかされ、恥ずかしいだけだと思い込んでおり、とっさに部屋に引き返してしまいました。それからというもの、私は彼女から距離を取られてしまい、二人でいるのも気まずい関係です。彼女は勇気をもって私を呼び止めたのに…それ以来私は恩を仇で返した気分です。
 自業自得の思い出でした。
 

「忘れられない夏休み」

32歳 女性のストーリー
小学生のころの話です。小学3年生の私は両親は共働きでしたが児童館や学童には行っておらず、お昼ご飯のお弁当の用意も無く、毎日毎日お金が置いてあり、自分で好きなものを買いに行くスタイルの日々を送っていました。近くにはスーパーがあり、毎日お惣菜、お弁当、おにぎりなど。友達と毎日買いに行って友達の家で食べたりしながらスーパーのご飯で過ごしていました。そんなある日に、夏特有の夕立、ゲリラ豪雨がありました。その日は丁度自宅で過ごしており、ザーザーと雨は降り、雷はゴロゴロ、バキバキと激しく鳴っていました。記憶にあるのはそれが初めての体験で、凄く怖くて怖くて、母親に何度も電話しましたが帰れず。とにかく怖いので泣きながら布団を被り、机の下で隠れて雷が収まるのを待っていました。今でもその思い出が忘れられず、夏になると思い出すし、雷は未だに怖いです。なぜあの時母は帰って来てくれなかったのか!と思っていましたが、大人になった今では分かります(笑)全然良い話しの忘れられない夏休みでは無いのが残念ですが、毎日楽しく過ごしていたんだろうなとは思います。

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

30歳 男性のストーリー
私は大型バイクに普段乗っていてよく車の幅寄せや右直事故にあいそうになるのですが。
私が一番勇気を出した瞬間は片道3車線の大きい交差点で私が直進対向車線に大型10tトラックが右折待ちで待っていました。私と前の車は少し車線が開いていました。そして右折してくるトラック私は60km/h出ていました間違いなく止まれませんでした。トラックも既にヘッドは私の進路を塞いでいます。大型交差点なので歩行者や赤信号待ちの自転車等いろいろいました。どちらかに避けてバイクをこかすのは誰かに突っ込んだ後のことを考えて、怖くてできませんでした。私は結局大型トラックの前輪タイヤと真ん中のタイヤの間のフレーム部分にバイクごと衝突するしかありませんでした。あの時は最高に勇気を出して死を覚悟しました。結局フルブレーキしながらなのもあって、胸部骨折とバイク廃車で済みました。

「仕事での大失敗」

36歳 男性のストーリー
連日遅い日が続いており、前日も最終退室で施錠をしましたが、鍵を管理室に返却することを忘れてしまいそのまま帰宅しました。
引き返すことも考えましたが、次の日に早く出社すれば良いと思い、そのまま就寝しました。
翌朝は、いつもより2時間早く家を出ました。職場へは1時間弱の通勤時間ですが、その日は台風が近づいていることもあり天候が悪く、ダイヤが乱れていました。少し嫌な予感はしましたが、さすがに早く家を出ていることもあり、他の人が出社するまでには間に合うと考え、そのまま電車に乗り通勤しました。しかし、天候がさらに悪化し、途中で何度か停車し、とうとう駅と駅の途中で止まってしまいました。
他の人も同様に遅れているはずなので、この時点では焦っていませんでしたが、なぜか私の乗っている電車だけが中々発車せず、次々に後続電車に抜かれていきます。この時点で、いつもの電車通勤の時間と同じくらいになっており流石に焦り始めました。やっと動き出しましたが、徐行運転で中々到着しません。
結局、会社には始業時刻から10分遅れて到着し、扉の前にはそのフロアで勤務する約50名の社員の方(大半が先輩)が廊下に並んで待っていました。
誰にも強くは咎められませんでしたが、待っていた方々の視線とため息で生きた心地がしませんでした。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

36歳 男性のストーリー
母方の祖父母は、私が初孫だったこともあり、とても可愛がってくれました。

祖父母ともに可愛がってくれましたが、特に祖父に可愛がってもらい、祖父は国鉄勤務だったこともあり、私が幼年期に鉄道が好きになると色んな場所に連れて行ってくれました。

当時、私の住んでいた地域には、先頭車両が大きくガラス張りになった展望車のようになった車両が走っており、鉄道好きの子どもにとっては、その先頭車両に乗ることは憧れの対象でしたが、特に展望席の座席数も限られており、なかなか乗るのが困難でした。

ある時、それに乗るために、ホームで早めに並んで待っていましたが、そろそろ到着時間も迫る頃には、先頭車両の展望席目当てであろう他の親子連れも数組見受けられ、争奪戦の様相を呈していました。

そんな中、いざ扉が開いた時、祖父は同行していた母に対して、温厚な祖父からは想像も出来ないくらいの大声で、『走れ!!早く席を取れ!!』と命じ、母は走り、無事展望席を確保することが出来ました。

今となっては、席を取る為に、そこまでしなくてもと思わなくもないですが、可愛がっている初孫を展望席に座らせてやりたいという祖父の愛情だったんだなと、30年以上前の出来事ですが、今でも記憶に残る、祖父との思い出です。

「一番の苦労話」

39歳 男性のストーリー
今までの人生で最も苦労したのは、自分が某大手ファミリーレストランで働いていた時のこと。そこは24時間営業のファミリーレストランとして人気のお店でした。連日多くの客が訪れ、多い時は1日に800人近い人が訪れていました。社員は店長と自分の2人だけ。あとはパートやアルバイト。そんな状態ですので、お盆や正月になると非常に休むパート・アルバイトが多いのです。そんな環境が嫌で、歳を重ねてからは厳しい仕事だと思い、辞めることも決まっていたさいごのお正月。悲劇は待っていました。どうやってシフトを組んでも深夜と午前のシフトが埋まらない。もはや自分が入り続けるしかなかったのです。12月31日の夕方6時に出社し、忙しい中深夜の業務をこなす。朝になるとモーニングが始まり、正月特有の初詣帰りの客が押し寄せる。そのまま休む間も無くランチ、そしてディナー。気づけば1月2日の12時。最後のお正月が終わった…
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
独身っていいなと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
自分は特別だと思った瞬間
こんなひといました
わたしの周りの大恋愛
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
あの人と縁を切ってよかった
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
わたしの周りで一番勉強ができた人
これまでに出会った天才
わたしの周りで大変身した人
人が豹変した話
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
ノウハウ
○○の裏話
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
人間関係
女同士って面倒くさいと思った話
女って本当に恐いと思った瞬間
一番ひどい友達からの裏切り
家族に一番感謝したこと
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
これはひどいなと思った結婚式
人生で一番贅沢した話
修学旅行の思い出
人生最大の修羅場
これまでで一番お金を無駄にした話
一番おいしかった食べ物
人生で一番運が良かったなと思う出来事
お金さえあればと感じた瞬間
一番の苦労話
これまでで一番驚いた話
忘れられない夏休み
これまでで一番悲しかった時
今までで一番感動した話
これまでに一番勇気を出した瞬間
嘘みたいなほんとの話
今までで体験した一番怖い体験
とっておきのすべらない話
忘れられない先生の話
忘れられない夏の思い出
人生最大の失恋話
死ぬかと思った話
どうしても許せないこと
奇跡だと思った話
学校や仕事をサボってやったこと
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
これまでで一番笑った話
人を見返してやった話
私について
私の変えたい過去
もっとも尊敬する人
わたしの初恋と、その結末
誰かに聞いてもらいたい愚痴
苦手だったのに得意になったエピソード
誰にも言っていない秘密
そういえば昔夢見ていたこと
人生が変わった出来事
わたしがやめられないもの
仕事での大失敗
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話