"おかしい" に関するエピソード

「これまでで一番驚いた話」

32歳 女性のストーリー
弟の結婚についてです。
弟は学生の頃からお付き合いをしていた彼女がいました。長いお付き合いで私や親の誕生日やイベントもお祝いしてくれる優しく気遣いが出来る子でした。ただご両親が離婚していて家庭も何かと問題がありました。母は宗教にとても熱心で私たち家族を加入するようしつこく勧誘してきていました。私の両親は何度も断っていました。父はいわゆる酒乱でお酒を飲むと記憶をなくし暴れていました。弟も暴力を振るわれ、私たち家族には恐喝をしていました。お前の息子を殺す、教育がなってない、お前たち家族は頭がおかしいなどです。そのせいもあり両親はお付き合いを認めたくないとゆうか彼女に明らかに嫌な態度をとっていました。たしかに結婚となると親戚付き合いをしなくてはいけないし、何かと不自由が生じると思います。でも2人の事で両親よりも若い2人をみていきたいと私は思っていました。そしてある日、弟から結婚の話が出てついにきたかと思ったら別の女性でした。一年前から弟が浮気をしていた方でした。色々とびっくりして結婚にたいしいまだにおめでとうとは言えません。

「これまでで一番お金を無駄にした話」

46歳 女性のストーリー
大学時代、家を出て一人暮らしをしていた頃の話です。
日本のことわざシリーズというビデオテープセットを50万程度でいつのまにか購入することになり、当時二十歳前後だった私は、クーリングオフ制度の使い方も分からず、50万のローンを組むことになりました。
当然親には内緒で月15000円程度の返済が始まりました。
ただでさえ実家からの仕送りだけではお金が足りず、
アルバイトをして生活していたので月15000円の借金返済も厳しくなり、
最終的には実家の親に泣きつき、残債を支払ってもらう事になりました。
ビデオテープ購入のきっかけは、今思えば、知らない男性からのデート商法でした。
当時、失恋したばかりの私にたまたまヒットしたのでしょう。
電話でのやり取りが続き、誕生日には花キューピットでバラの花束が届きました。
そうしているうちに、国文学科だった私に日本のことわざシリーズのビデオセットの購入を勧められ、
なんかおかしいな。と気にしながらもローンを組んでしまいました。
彼女気分で、購入するときに印鑑を押してしまい、
その後は連絡が取れなくなりました。
彼女気分といっても、相手とは電話で話すだけで、
印鑑を押す時が最初で最後の出会いでした。
苦い思い出です。

「わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳」

32歳 男性のストーリー
愛犬が下痢してたので病院に行ってきました。
と、部下に言われた時はえぇー?と思いました。
その子からは普段から犬を飼ってる話は聞いた事なかったので、嘘だろと思いましたが呆れすぎて反論はしませんでした。
なので、社長に連絡してから社長の判断に任せようと思いました。
社長からは愛犬の病院の領収書を見せてくれてとちょくせつ連絡があり、その子は黙ってしまったので、やっぱり嘘なんだと思いました。
次の日辞めたいと言われたのでそのまま受け入れました。
社長に連絡したら、その子からメールがあり動物病院は領収書を出さなかったと言われたので、それはおかしいな?俺の行く動物病院はちゃんと出すよ?と聞いたら辞めると言ったので止めなかったと言ってました。

「死ぬかと思った話」

25歳 男性のストーリー
あれはカリフォルニア留学にきてから間も無く半年が経過した頃だった。ようやく生活のリズムを掴めるようになり、英語で話す日常会話もなんとなくであったが会話できるようになった。というのも、会話の上達の為に手当たり次第に大学キャンパスにいる綺麗な女性に声をかけていた。その結果、日本人男性では珍しく留学半年でなんとアメリカ人女性とお付き合いすることができたのだ。人生はこのように上手く物事は進むのだと勘違いしていた20才の青年が死ぬかと思った話をしたい。

2017年11月23日午後4時頃。気温は17度。天候は雨。

このような状況で私は5車線あるハイウェイを走っていた。その日は可愛い彼女の誕生日だった。午後7時にサンフランシスコにある海辺にある白を貴重としたレストランで待ち合わせをしていた。私は自宅周辺で誕生日プレゼントとして高級フリースと鮮やかな黄色の向日葵を購入した。私は良い買い物ができたとす満足して彼女の喜ぶ顔が鮮明に浮かんだ。直ぐにでも会って抱きしめたいと考えた。そこでいつもより強くアクセルを踏んでいた。私の心はすでにサンフランシスコにあり、心ここに有らずという感じだった。このような心情で運転していた時に悲惨な事故が起きた。右車線を走る一台のトラックがゆらゆらと車線を無視して蛇行運転をしていたのだ。私はこれは危ないと思い速度を減速しようとした。しかし雨の影響でブレーキを踏んでも減速しないのだ。その時にはハンドルも効かずに”死”という二文字が頭を過った。そしてトラックが私の車線に入ってきた瞬間、、衝突した。
私顔面にガラスの破片が刺っていて手もおかしな方向に曲がっていたのだ。加えて何故か分からないが大切なアソコが猛烈に元気なのだ。幸いにも先方はこちらに対して怒号が飛び交う元気があった。そんな中で医療班がきて私の服を全て脱がしたのだ。もちろんこれだけの大事故なので多くの野次馬が自分の方をみている。だかおかしい何故?どうして脱ぐ必要がある?その服を自分の首元に巻いて自分の息子がおおっぴらになっているじゃないか!!
しかも反り返ってるし。みんな見てるし。なんか二重の意味で死ぬかと思った。

PS搬送後は二週間ほど入院して回復。彼女はぐちゃぐちゃの花を受け取り自分の株が少し上がった様子だった。とにかく死なずによかった。

「忘れられない先生の話」

25歳 女性のストーリー
小学校5、6年のときの担任だった男性教師のS先生は忘れられないくらいすごい先生でした。

小学校の先生は中学高校と違って担任が全ての授業を受け持つ上、小学生を相手にしていますから、少し変わった方が多いと思います。
S先生も、授業中によく怒って職員室に帰ったりしていました。

ある日、放送委員のクラスメイト3人が朝の放送でミスをしてしまいました。放送ボタンを押したままお喋りをしてしまったのです。
もちろんわざとではありませんが、S先生はかなり怒りました。
朝教室に来るなり怒鳴り、3人を前に立たせてみんなが見る中説教を始めました。
1時間目が始まっても終わりませんでした。午前中ずっと3人を立たせて怒り続けました。
お昼になって給食の時間になってやっと終わったと思ったら、午後の授業が始まる時間になるとまた3人を立たせて怒り始めました 。
同じ事を1日中説教し続けました。
あまりの異常な長さにクラスメイトは先生の方がおかしいと、みんな3人を同情していました。
結局帰る時間まで説教し続け、何のために学校に行ったのかわかりませんでした。

今だときっと苦情が来ると思いますが、もう何年も前のことなので特に苦情も入らなかったと思います。
今あの先生がどんな授業をしているのか気になりますが、きっと変わってないと思います。

「とっておきのすべらない話」

38歳 女性のストーリー
スーパーのチラシをみて、特売にねらいをつけた品は、冷凍の焼おにぎり。定価より100円程安く、かつ増量キャンペーンという願ったりかなったり。もう買わなきゃならないでしょう!と鼻息荒くして、徒歩で買い物へ行きました。
スーパーでは忘れずに冷凍おにぎりを購入、レジで支払ってレジ袋に買い物したものを入れた所まではしっかり記憶しています。
もちろん、冷凍おにぎりもレジ袋に。
だけどここから先の記憶が曖昧に。
持ち帰る道中、普段なら冷凍食品が足下に当たって冷えた感触があるのに、この日はそんな感触がなく。
そして、帰宅して事件発覚!
あの、特売冷凍焼おにぎりがない!レジ袋にない!でも、レシートには、支払った明記がある!
おかしい!え!なんで??
頭真っ白のまま、スーパーへ問い合わせの電話。だけど、落とし物などの情報はないとのこと。
諦めきれない気持ちを抑えきれず、玄関から店への道をくまなく捜索へ。
絶対落としてるはず!と感じながら探しても見つからず。
もう、見つからない運命だと自分に言い聞かせて帰宅していたらまさかの発見。
『おかあさん、みてみて!』と3-4歳くらいの子供が拾ってもっていたのが、その焼おにぎり!
私の!!!と取りかえしたかったのですが、その子供の親が、
『さわっちゃだめ!ぽいしましよ!』とコンビニのゴミ箱へ。。。

もう、なにも言えない私はただただ、事の成り行きを見守るしかありませんでした。

「これまでの人生で悟ったこと」

47歳 女性のストーリー
私は、子供のころから友達が多い方が良いと聞いて育ってきましたが、これは嘘です。私の人生において、友達が多かった女性で良い人は一人もいませんでした。むしろ、一人でいることが多い人や、少数のお友達と仲良くしている人の方が信頼できる人が多かったです。女性の場合、友達が多い人に共通していたのは、悪口が多いことでした。自分も悪口を言われたくないから、何となく付き合ったり、何となくグループに入った入りする人が多い。信頼できる人と友達になりたいなら、絶対に一人で行動する人やちょっと友達がいる人の方が安心です。どうして、友達が多い人の方が良いとか、優れていると言われて育ってきたのか、ちゃんちゃらおかしい嘘話です。
27歳 女性のストーリー
私が思ったのは職場ってなんて理不尽な人たちばかりなのだろうと思ったことです。
入社した際にはあんなに優しい先輩達や上司が、数日もたつと急に私に対してあたりがきつくなって、自分が何度も強迫性障害で何度も自分がした作業がちゃんとできているか不安で確認をすることがやめられないのですと伝えても聞く耳を持ってもらえなくて、結局は自分たちと同じように仕事ができる人間にさせようと何人もで私を監視するように見て、あなたはおかしい人だ病院に行けと責められ、何で私たちと同じことができないんだということをずっと責められ続けられました。私の悩みや事情を何度も何度も説明したというのに理解してもらえず、また最初から同じことを聞いて話させる。そして私がやることに全て難癖をつけたり陰口を叩いて執拗で陰湿な新人いじめをしてくる先輩達や上司を
これまで働いてきたどの職場にもいたので、私は職場の人間ほど信用できなくて怖いものはないと思いました。そして、すごく身勝手で自分たちがやりやすいようにするのが新人の役目だとめんどくさいことを全て押し付ける、意見を言っても聞き入れてもらえず責め続ける理不尽な人達がいるところなんだと諦めてしまいましたし、悟ってしまいました。

「どうしても許せないこと」

52歳 女性のストーリー
夫とは三年前に結婚しました。人生何度も失敗して資産もなく昔のプライドだけで生きていたような夫でしたが人生をやり直そうと必死に立ち向かっている夫を見て、これまで自分の居場所が見つからず悩んでいた私は一緒にやり直したくて手を繋いで歩こうと決意しました。夫は人間的に欠陥が多くあり、もともとの良い部分を自分で潰していくような生活をしてきたので2人で話し合いながら何度も行きつ戻りつ二人三脚してきたつもりでいました。おかしいな、と気づくのにはそう時間がかからず、夫の悪い点、改善すべき点を何度も注意したのですが本人が変わる気がないせいなのかうまくいかなくなる度に衝突しました。一年が過ぎた頃からどんどん酷くなり、私は何度も家を出て2人で過ごした日々が一年の半分にも満たなくなってきました。一番の問題は暴力。これだけは許せずもうしないという言葉を信じてまた同居を始めても同じ事の繰り返しです。三年目にして警察から保護され、家を出た私は実質ホームレスの扱いです。夫は何食わぬ顔で支払いもしないアパートに住み続けています。未だに好きでいたい気持ちは残っていますがこれだけは許せず離婚に向けて動いています。
25歳 女性のストーリー
職場では休む際に1〜2週間前に上司や同僚に報告しておく義務があるのですが、私の部署のリーダーである人が休む日の前日に報告をしてきました。
急なことだと思ったのですが、私以外には報告が入っていたらしいのです。
そのリーダーが休む日には1ヶ月も前から予定されていたミーティングがあったのですが、その代理を私に任せようとしてきました。
リーダーはミーティングに余裕を持って資料を準備したり会議室を借りたりなどする必要があるのですが、まったく準備していないとのこと。
前日になってそんなことを頼んでくるなんて頭がおかしいのかと思いました。私や他の人がそんなことをしたら絶対に上司に報告されていたことでしょう。
このことは本当に許せないと思いました。
23歳 女性のストーリー
私は学生の頃、とても仲良くしてたYちゃんがいました。生徒会に入っていて私と違って正反対な真面目な子。朝や帰りの登下校を一緒に行っていたり、クラスが2年生から同じになり、席も隣になったりと楽しく過ごしていました。
3年生の中頃に、進学の内申書が決まる大事なテストがあり、その前にノート点検など評価に関わってくるものの提出があって、クラス全体的にピリッとした雰囲気でした。私が苦手だった英語の授業のノート点検が始まり、テストが悪い分ノートで挽回しようと提出しようとした時にノートが見当たりませんでした。もう探している余裕もなく、授業中に必死にノートを友達から借りて写しました。納得いかず、授業の最後にやったノート20ページ書き終わり、提出しましたが、私より先に終わっているであろう仲良しのYちゃんがまだ提出していなかったこです。おかしいなと思っていて、机に何冊かのノートがあり、その中の1つが私のノートに似ていて、ふと見たらそこノートを提出していました。なんか違和感を感じて友達2人に話ししたら、先生に話してくれました。そんなわけないと思っていたのですが、まさかの私のノートだったみたいで、授業終わった後にYちゃんが呼ばれて戻ってきませんでした。私は絶望でいっぱいでした。必死にノートを探していたのを見ていて、心配もしてくれていたのに。私がノートを必死に写すところをどんな気持ちで見ていたのかと思ったら、悲しみをこして怒りでいっぱいで、今思えばくたらないのかもしれませんが、ものすごく許せません。

「奇跡だと思った話」

35歳 女性のストーリー
初めてバイク(原付)に乗った時、カーブで速度を落とさずに曲がり、電柱にぶつかり救急車で運ばれました。

倒れた瞬間、バイクから飛ばされている自分がスローに見えて、まるでドラマを見てるかの様でした。

病院に着いた頃
目も開かず、声も出ず、手も動かなかったため、救急隊や先生からの問いかけには何も答えられず意識不明と判断されました。

どんだけ時間がたったかはわかりませんがやがて母親が到着し、泣いているのも、先生と話をしているのも全部聞こえていました。

2週間が山だと言われました。
動くことも喋ることも、目を開けることも出来ない私は夢を見ているのか現実なのか生きてるのかもわからないまま...
大きい病院に運ばれる事に。

救急車で運ばれていると
なんと..
車酔いしました!笑

こんな状態でも車酔いするんだな〜と呑気な事考えていたなと今思い返してもおかしい出来事でした。

目を開けたのは事故から2週間後でした。

頭蓋骨骨折
右の瞼、頬
鼻を骨折し
首にはヒビが入っていてあと数ミリで即死だったと言われました。

顔にはびっちり電柱のポツポツの跡が付いていました。

そこから1週間で退院したのは奇跡だと先生や看護師さんから拍手を贈られました。
20年前の話です。

今でも雨の日の前など頭痛が酷い事はあります。
ですが今生きてる事に感謝です!

「人生最大の修羅場」

40歳 女性のストーリー
以前、LGBTの集まる飲み屋で働いていた時のことです。
私自身はLGBTではないのですが、ちょっとしたきっかけで働くこととなりました。
その際に、出会ったバイセクシャルのお姉様。
私のことをとても気に入ってくれて、私がシフトで入っていた時は必ず来てくれてました。
週に1回は、シャンパンを入れてくれたり。
キープのボトルも高めのものを入れてくれたり。
しかし、私がお店を辞めたとなった後に急変。
昼の仕事に戻るためにお店を辞めたのですが、友達として付き合っていこうと思っていました。
何度か遊びに誘われたのですが、昼の仕事に戻ったばかりというのもあって疲れが抜けず、何回か断っていました。
そんなある日、
「お店辞めても遊ぶって言ってくれたじゃん」
「そんなに疲れが取れないのなんておかしい」
「あれだけ、お金落としてあげたのに」
「あんたにいくら使ったと思ってるの?」
「マンションだってタダで貸してあげるって言ったじゃん」
等など、怒涛のメールが来るように。
挙句、うちの最寄り駅で待ち伏せされるようになりました。

顔は合わさずに済んだのですが、同性と揉めたのが一番の修羅場でした。

「家族に一番感謝したこと」

51歳 女性のストーリー
仕事を長年やってきたがとてもしんどくてはっきり言ってブラック企業になってしまった。むかしは事務部署と営業部署が力を合わせて仕事を完成しようという感じだったが、管理職が上層部から命令を受けるからそうなるのか分からないが事務がやれて当たり前、営業にも力を入れろと。営業を営業部署と同等のレベルを求めてくるのでそれはもうおかしいとしか思えない状況だった。営業部署がそしたら事務のフォローをするのかといえばそんな知識はないから出来ないみたいな感じで、管理職が営業部署からしか上がらないから当然事務部署の苦労などわかるはずもない。監査業務までしているものに営業やれってどういう事。辞める最後まで理解はできませんでした。それで辞めたいと家族に言ったのですが不満を一言も言わず辞めさせてくれた。それで今の仕事を頑張って収入上げようとして昔の半分以下の給料だが元に戻せるよう力が湧いてくる。家族には恩返ししたい。

「一番ひどい友達からの裏切り」

27歳 女性のストーリー
これは私が大学生の時に経験した話です。
当時仲の良かったAちゃんとBくんがいました。だいたい授業が同じで、一緒にいることが多かったのですが、いつしかBくんの人柄の良さに惹かれている自分がいました。それに感ずいたAちゃんは、協力してあげる!と最初は乗り気でした。しかし、協力するどころか、だんだんと縮まっているような気がするAとB…。おかしいなと思った私は、Aちゃんに聞いてみることにしました。すると「実はBとは3か月前から付き合っている」というんです!!私が相談したのが1か月前だったので、その前から付き合ってたことになります。なんで黙っていたのか聞くと、私がどんな反応をするのか見るのが楽しみだった、と言われました。もうショックでした。その事実を知ってから、2人とは距離をとり、卒業するまで一言も話すことはありませんでした。
一時、友達ってなんだろう…と本気で考えた時期もありました。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

25歳 女性のストーリー
私は都内でSEとして働いていますが、男性の多い職種ですので、女性はすごく寛大に見てもらえるところがあります。
まず、仕事のアサイン自体がかなり気を使ってもらえます。炎上しそうにないもの、お客様が比較的優しいものを、上司が優先して回してくれます。理由は、「急な夜間作業とか女の子に言えないからね、夜道とか危ないし」とのこと。
男性と同じように仕事を何でも受けられないのは申し訳ないけれど、ストレスなく働かせてもらっています。
仕事面以外でも、職場での飲み会は、女性陣はほとんどお金を出していません。男性のにんずが多いので、少し多く出すよ、とみんながやってくれると、ほとんど払い終わってしまいます。
同じお給料をいただいているから、女性だからといってお金を出さないのもおかしいとは思うのですが、優しさに甘えてしまっています。
ずるいようですが、女に生まれて、快適だなと思います。生まれ変わったとしても女になりたいです。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

41歳 女性のストーリー
私は、中学生の時に側彎症になり成人までの治療が必要と判断されました。月に一回受診があったのですが、母は拒否的で一緒に着いてきてくれなかってのですが、祖母は必ず着いてきてくれて、医師の話もしっかり聞いてくれました。
また、私が治療で辛い思いをしていてら長い時間がかかってもずっと話を聞いてくれて、一緒に泣いてくれることもありました。私の体の事でいじめに合ったときも学校に行って医師と話をして状況を話してくれて、いじめが起こることがおかしいことを伝えてくれました。
治療上、食事が取れないことも度々ありましたが、食べやすい食事を作ってくれて栄養バランスが崩れないようにかんがえてくれていました。お陰で痩せ細る事なく成長することが出来ました。
祖母に大感謝しています。

「一番の苦労話」

35歳 女性のストーリー
シングルマザーの母に、裕福でない環境で育てられたので独立するまでは苦労の連続でした。

ライフラインが停まるのは日常茶飯事で、電気がとまり冬は暗くなるのも早いし寒いので夕方17:00頃から布団へはいってひたすら目をとじて過ごしたり、水道がとまり、夏場なのにお風呂に何日も入れなかったことが多々ありました。
当時は汲取り式のいわゆるぼっとん便所でしたが汲取りをしてもらうお金が払えず何か月も溜まった糞尿が便器からあふれ出していました。
当然家は害虫だらけでした。ゴキブリと共存でしたね(苦笑)
一番辛かったのは家賃の滞納が長期に渡ると家を強制的に追い出されることです。何度も引っ越しを繰り返す日々でした。
中学の頃のことですが家に帰ると施錠されていて、おかしいなと思い窓から中をのぞくと家財道具などがすべて管理会社に撤去され空っぽになっていました。自分の大切にしていたものや写真など全て無くなっていて悲しさと虚しさでいっぱいになったことを覚えています。
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