"仕事" に関するエピソード

「これまでで一番悲しかった時」

20歳 女性のストーリー
小学生3年生の頃から飼っていた犬が亡くなりました。

初めての死を見届けることになりました。

亡くなる前は急に心臓の病気になってしまい獣医さんからも覚悟しといてくださいと言われてました。

散歩には行けるくらいは元気だったためあまり実感無かったのが正直なところです。

亡くなる直前散歩に行きました。

深夜突然咳き込みだして、苦しそうだったため背中さすってあげると落ち着きました。

仕事も行くのも怖い日があり何度かお休みをさせてもらいました。

迷惑かけているのは十分に理解しています。

会社の同僚の人に言われたのが
病院で1日だけでも預かってもらえるよ
後は他の家族に看ててもらったら

獣医さんには病院はストレスになるから自宅の方が良いと言われていました。実際に臆病な子だったため私自身それしか方法がないです。

家族みんな仕事していたので、みんな出来る限り減らしてはいました。

そういう問題ではない時だったため

辛くて悲しい時でした。

勤怠管理している人はすごく理解してくれてあまり言われませでした。

迷惑かけているのは理解はしているが、ペットも家族なんで同僚の方に言われたのがショックでした。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

44歳 女性のストーリー
昔から、人見知りが激しくて「笑顔で挨拶」することが苦手でした。
挨拶は出来ても、愛想笑いが全く出来なくて、人間関係もあまりうまく出来ませんでした。

ですが、就職難で仕事が接客業しか無く、仕方なしに接客業をはじめましたが、そこで慣れてきたのか「笑顔で挨拶」が出来るようになりました。

勿論、仕事ですから「笑顔で挨拶」することは必然ですが、自分から話しかけることが出来なかった私が、自分から「挨拶」が出来るようになりました。
その後、お客様と会話していく中で、自然と笑顔で接客出来るようになり「笑顔で挨拶」することが「人を良い気持ちにさせること・決して不快にはならないこと」がわかり、接客業をやめて他の仕事に付いた時にも、仕事場の人たちや来客対応時にも自然と対応出来るようになりました。
そのため、仕事場の人間関係も良かったと思います。

私は今だにコミュ障ですが、「笑顔で挨拶」は必ずしています。
話が出来なくても、「笑顔で挨拶」していればとてもイイ印象を与えるみたいですので。
笑顔は、人を不快にしません。私の中では一番のコミニュケーション方法だと思っています。
37歳 男性のストーリー
苦いピーマンやししとうが小さい頃から苦手だった。
そのものの苦さしか感じなかったからだ。
大人になり仕事場で用意された中で青椒肉絲弁当しか残っていなかったので試しに食べてみたら味付けが濃いからか、美味しく食べる事ができた。
その後にピーマンが食べられるようになったのかと自分自身を疑い、もう一度青椒肉絲を食べてみることにした。するとやはり美味しく感じて、そこから自分自身でピーマン料理に手を伸ばすようになった。
同じようなししとうも、もしかしたら食べれるのでは?と思い試してみたら食べられた。
小さな頃は家庭で出てくる味付けしかしらなかった為にピーマンそのものの味を苦手と感じるだけだったが、ピーマンの苦さを上回る味付けによって、ピーマンの苦さがポイントになるんだと思える料理に出会えた事が苦手からむしろ得意になったきっかけだった。
36歳 男性のストーリー
飲食業の接客。
昔調理師の学校に通いながら居酒屋でアルバイトをしていて厨房で修行がてら仕事をしていたのですが
とにかく外に出るのが億劫というより頭が真っ白になってお客様に対応すら全くできなかったのです。
片付けものを裏に下げるだけでもかなり緊張してしまうレベルの重症っぷりでした。
後に資格を取りレストランで働く事になったのですが、そこには実演カウンターがありました。
つまりお客様の視界がある中仕事をしないといけないと言う事です。
苦手だからやりたくなかったのですが、以前と違い社員。やれと言ったら苦手だろうと問答無用です。
そして案の定カウンターに立ってやれとなり最初はやはり真っ白になったのですが・・
気が付くと急に楽しくなってきてお客様と接するのがやりがいになってしまいました。
最終的にある時子供がもじもじしながらこちらに来たかと思うと手紙と自分の焼肉焼いている似顔絵を
渡してくれたのはいい思い出でした。

「もっとも尊敬する人」

31歳 女性のストーリー
私は大人になるまで親からも疎遠状態で、父はまともに向かい合ってくれませんでした。そんな人生でしたが今の主人と出会ってから私の人生は変わりました。私は持病があり夫にも迷惑をかけてしまっていますがそんな私を温かく迎えてくれて、生活の楽しさや人生の変化を与えてくれました。主人は人柄も良く仕事場でも周りとのコミュニケーションがうまくとれており、それがきっかけで出会うことになりました。主人は私の両親とも真摯に話をしてくれて今は私も育ててくれた両親に感謝出来るようになりました。また、私は子育てが苦手ですぐに子供に当たったりと、大人げない時もありますがすぐにフォローしてくれます。今では3人で暮らしていますがとても平穏な毎日を暮らすことが出来ております。私も尊敬する主人と共に良き妻として成長して行きたいと思います。
26歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは、お母さんです。私が産まれてすぐに離婚し、女手一つでお姉ちゃんと私を育ててくれました。夜の仕事をやっていたので、小さいときは「なんでママお仕事いっちゃうの?」と泣いて困らせていました。高校受験のときは、県立に受からないとお小遣い無しだからね!と言われていたので県立高校にいきました。私が高校生になると、家計も大変なはずなのにお小遣いを月に1万もくれました。部活もバイトもしていましたが、卒業したら働いて早くお母さんを楽にさせたいなと、ずっと思っていたので就活も頑張れ良い会社に入ることができました。今ではお母さんは再婚したので、今度は自分の幸せを優先してほしいです。これからもお母さんに親孝行していきたいとおもいます。

「学校や仕事をサボってやったこと」

37歳 男性のストーリー
私は仕事をサボって、喫茶店+スーパー銭湯で過ごしました。
仕事場には「私用があってお休みさせて下さい」と伝え、会社に行くふりをして家を出ました。1日丸々予定がない時間をつくり、日頃のせわしい喧騒を離れたゆっくりした時間を過ごしました。
午前中の喫茶店ではモーニングを食べながら、お店の新聞や雑誌を読書したり、ケータイいじりをしていました。周りはご年配の方々ばかり…。お店の客層から見るとかなり浮いていたかもしれませんが、気ままに過ごしていました。
午後はスーパー銭湯でサウナと水風呂を繰り返し体のデトックスに努めました。サウナで放送されているテレビは昼間のワイドショー。日頃放送を見ることないテレビ番組を見て優越感に浸れました。
日頃の溜まっているガスを抜くためにまたしたいなと思いました。
41歳 男性のストーリー
当時のメル友が九州にいて、どうしても会って話がしたいと連絡があり、関西から仕事を丸3日サボり車で向かいました。九州には初めて行くので友達に夜中から美味しいラーメンをたべにいこうと誘いそのまま九州へ向かいました。
岡山辺りで友達がかなりの抵抗をして来ましたがメル友に友達を呼んでもらうことにして難を逃れ10時間かけて九州に到着しました。
無事にメル友と合流して1日遊び関西へと戻ったのですが、仕事場からの電話が鳴り止まず、言い訳を二人で考えながらゆっくりと戻りました。結局、インフルエンザという言い訳は通用せずにクビは免れましたが減給とボーナス査定のマイナスとなりました。
でも、メル友にあう会社をサボるなどドキドキも多く未だに良い思い出です。

「人生が変わった出来事」

59歳 女性のストーリー
人生が変わった出来事と言えば、私にとっては長年勤めた会社を辞め、東京を離れ実家のある神戸に移り住んだことです。
東京での生活は管理職だったことや、何よりも社長が熱血漢で仕事に厳しく、徹夜で会議等も珍しくない状況で、とにかく仕事づくめの日々でした。
1日平均12時間以上も会社に拘束された生活は、ハードでしたがやりがいもあり、充実したものでした。
そんな仕事人間だった私が親との生活を選び神戸での転職活動を通して知ったのは、あまりにも世間知らずだったことでした。
当たり前ですが、50歳を越えての転職は厳しく、書類選考で落ちることがほとんどでした。
また、面接までいっても根っからの仕事好き人間のため、やる気満々で挑むと相手に引かれ「そこまでやっていただかなくても」という空気が漂った苦い経験もあります。
しかし、今は無事働き場を見つけ、神戸の美しい海や山の夕景を観ながら帰る道すがら、東京から神戸に戻って良かった、家族と暮らせる幸せな日々に感謝の毎日です。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

34歳 男性のストーリー
朝は早いし、自営業なのできちんとした休みもないが、お客さんに「おかげで助かったよ!ありがとう」などと喜んでもらえると、この職業で良かったなと思う。またちゃんとした休みがない分、生活に困らないだけの収入はある。私はタバコも吸わないし、普段酒も飲まないし、特別趣味もない。だから唯一の楽しみである、年に一回の国内旅行ではそれなりにお金を使っている。旅行先でゆっくりと温泉に入り、おいしい食事を食べながら生ビールを飲んだ時、頑張ってきて本当に良かったなぁと、幸福感に包まれる。
 また自営業なので奥さんの育児や家事を手伝うことができる。お客さんも小さい子供を見ると笑顔になるし、アットホームな店の雰囲気を気に入ってくれている。夜まで必死に会社で働いて家に帰って奥さんに「ちっとも子供の面倒みてくれない!」などと文句を言われたら、器の小さい私なんか耐えられないです。世間のお父様方本当にお疲れ様です。自営業結構良いですよ。要はやり方です。
27歳 女性のストーリー
私は音楽講師をしています。
夏ごろにいつも皆の前で成果を発表する機会があるのですが、この時期にいつも生徒さんたちと、出る・出ないの攻防戦が始まります(笑)今年は初めて出る!と言ってくれた方がいました。しかしその子はまだ人前に出れるほどの技術はありません。むしろ出たら恥をかいてしまうかもしれない…そんなレベルでした。私はあまり乗り気ではありませんでしたが、本人は出る気満々。彼との練習の日々が始まりました。
いつもは練習してこなかった彼ですが、出る!と決めてから、練習時間が倍に増えました。するとみるみる内に出来るようになり、私が教えている生徒の中で一番上手に出来るようになっていました。
そうして迎えた発表会当日。彼は1つも間違えることなく演奏し終えたのです!これには私もびっくりし、拍手を送りました。終わった後に、彼が泣きながら感謝を述べてくれたことに対して、私ももらい泣きしてしまいました。
この仕事をやっていてよかったなと思う瞬間でした。
44歳 男性のストーリー
私は介護福祉士です。世間では3Kとも5Kともいわれますが、実際は世間のイメージとはだいぶん乖離があります。確かに排泄物のお世話やご利用者の死に直面するなどのマイナス面がありますが、実際にはご家族様から感謝やねぎらいの言葉を頂くことが多く、大変有意義な職業だと思います。「あなたが、母に本当の家族のように接してくださったことは一生忘れません」「面会のたびに、新しい息子ができたと父が言っていました」などその方々の人生の終着駅に到達する瞬間に、私が少しでも彩りを添えることができる職業だと自負しています。確かにその方が亡くなられた時には悲しい思いもしますが、悲しい思いをするのは、本当の家族になれたからこそだと思います。
25歳 男性のストーリー
私はいま,介護士を介護施設や病院などの事業所に派遣する派遣会社の営業をしています.
具体的な業務内容としては,弊社サービスにご登録いただいた求職者に電話口でヒアリングを行い,求人募集をかけている介護施設等の事業所に一定期間派遣する仕事です.
この職業で良かったなと思う点は2点あります.
1つは,介護士人員不足に喘ぐ事業所や,就業先に困っている求職者,前職で辛い思いをしていたなどの転職そのものが問題解決となる求職者から直接感謝を伝えてもらえることです.顧客の問題解決がわたしの喜びでもあります.
2つは,後期高齢社会に突入する中で,より介護士人材不足に陥る業界への貢献性が高い仕事に従事している実感を抱きやすい点です.業界の問題解決もまた,わたしがこの職業でよかったなと思う点のひとつになっています.
25歳 女性のストーリー
私は正看護師なのですが、新卒で就職した頃はこの職業で働けるところは病院、介護施設だけだと思っていました。結婚を機に、新卒で就職した大学病院を辞めて地元に戻りデイサービスに勤務していたのですが、そろそろ妊活に専念したいと自由な勤務で働けるところはないものかと考えていた時でした。母の友人に看護師にも派遣会社があって、単発派遣だと残業もほとんどないし高時給で時間の都合もつけやすい、と教えて貰ったのです。早速、紹介された派遣会社に登録してみると一般の単発派遣よりも仕事が多く、時給も倍以上で働きたい日付も自由に決められるので妊活との両立も難なく出来ています。看護師という資格を持っていることで、こんなにもストレスフリーな働き方があるなんて本当によかったと思いました。
29歳 女性のストーリー
今の職業で良かったなと思う事は、自分がした仕事が、どのように周りに影響を与えているかが、直接かつ直ぐに感じる事ができるところです。
医療職の特性でもあるのですが、自分がした事がどういう結果に繋がったのかが、分かりやすい職業だと思います。
患者さんの病気・症状が良くなるように努めるのですが、中にはそうはならないケースもあります。その場合は、その都度フィードバックをし、再発の防止に努めます。
また、患者さんの病気・症状が良くなった場合は、直接その成果を感じる事ができるので、モチベーションの向上にも繋がります。患者さんの喜びを、患者からの言葉や表情から感じる事ができます。自分が行った仕事が、他者の幸福に繋がっていると感じる事ができる仕事だと思います。
28歳 女性のストーリー
今の職業は歯科衛生士をしています。高校を卒業し、専門学校を3年間通い、国家資格を取得しました。専門学校は非常に厳しく毎日勉強で辛い日々でしたが、今働いてからは毎日がとても充実し、やりがいを感じています。患者さんに「ありがとう」と言われるたびにこの仕事をしていてよかったなと思います。新卒のころはできないことがたくさんで苦労しましたが長年この職業だけをしていたおかげで今では自分に自信が持てるようになりました。
またこの職業は求人がたくさんありますので、就活ではあまり苦労することがないと思います。妊娠出産で一度退職しても、また違う職場を探しやすいことはとてもメリットだと思います。本当にこの仕事でよかったと思えます。
32歳 女性のストーリー
私は長年事務の仕事をしています。
事務の仕事は派手な仕事ではありません。
人から感謝されることも、正直少ない仕事です。
仕事内容は好きで、やりがいを持って取り組んでいましたが、やって当たり前と思われがちな仕事でもあります。
仕事を覚えていくうちに、外回りをしている営業さんから「取引先の人が、電話応対が丁寧で助かったと言っていたよ」と教えてもらったり、電話口で「あなたの受け答えはいいね」と直接言ってもらえることが増えてきました。
ある会社を退職するときは、一緒に働く他の人たちから「なんでもできるから頼りにしていた」と言われ、ちょっと感動しました。
地味な作業の多い事務の仕事ですが、人から感謝されるときには、この職業をやっていて良かったなと思いました。
23歳 男性のストーリー
私は電気工事の仕事をしています。
普段は主に電柱の改修、新築、保安をしているのですがとにかく大変です。停電時間が決まっているのでお昼休みもろくに取れません。工事が早く終わった分には追加で仕事をもらい給料に反映されるのですが工事が遅れた時は家に帰るのが12時を回ることもあります。
こんな電気工事の仕事でもやりがいを感じる時があります。それは、不謹慎ですが台風や地震などの災害が起きた時です。いつもみんなが当たり前に使っている電気がなくなった時それを復旧しに行きます。その復旧の時は地域の方が待ち遠しいように工事を見にきてくださり電気が通るといままでにないくらいに喜ばれ感謝されます。この瞬間がこの職業で良かったと思える瞬間です。
28歳 男性のストーリー
私は現在、地域金融機関で営業をしております。預金、融資、企業支援業務、保険、投信等様々な募集営業活動をメインに行っております。それ以外に既存の大口管理(事業資金、住宅ローン利用者)も行っており、定期的にお客様の所へ訪問し現状等確認や資金ニーズ等伺っています。その中で市場金利の低下から、自分の住宅ローン金利が高いと不満を持つ方も増えております。
あるご自宅で住宅ローンの金利引下げ相談がありました。最初はクレームに近い案件で、訪問した際には怒られることもしばしばあり、あまり印象が良くなかったと思います。早急に対応しなければという考えもあり、最優先で金利引下げ申請を行いました。決裁になるまでも何度か訪問し続け、最後に契約書をもらいに訪問した際にそのお客様の子供から「将来なりたいものはお兄さん」と言ってもらいました。お客様の要望に応えることでかっこよく見える職業につけて良かったと感じた瞬間でした。
26歳 女性のストーリー
急性期の総合病院で理学療法士というリハビリの仕事をしております。
主に入院と外来を担当していますが、この仕事をしていて良かったと思う瞬間はありきたりですが、患者様から感謝されたときです。
入院されている方はご自身で思う様に身体を動かすことが出来なかったり、以前出来たことが出来なくて苦しい思いをされます。
また外来の方においては痛みで生活に支障を来たす方がいらっしゃいます。
そのような方々に、お一人でできる方法を模索し提案したり、または痛みが取れるようにアプローチします。
それによって改善が得られて、患者様から感謝された時にこの仕事をしていて良かったと心から思います。
また、入院患者様が退院されてから元気になった姿を見せに来てくれた時も同様の気持ちになります。
31歳 男性のストーリー
私は元々人としゃべることに少し自信を持っていた。なので大学を卒業してから就職先を探すときも「営業」一本で探していた。
また食べること、お酒を飲むことが大好きなので食品に関わる営業をしたいと考えていた。結局食品の卸売業の会社に就職した。
しかし現実は厳しく少々自信を持っていたしゃべりではどうにもならないことや好きだった食品は嫌いになるほど営業がうまくいかなかった。
そのため私は転職することにした。転職先として選んだのはプラント設備の配管工事や検査業務を行う会社で、私はそこに技術職として就職した。
転職してからは覚えることも多かったが私は転職して良かったと思えることばかりだった。
例えばこの仕事は検査業務で毎年法定の保安検査を受けなければならない。それに受からなければ事業所の営業を停止させられることもある。そのため事業所も保安検査に向けて様々な準備をする必要がある。
そんな時に分からないことや不安に思うことを解消するのが私の仕事で、事業所の方に何度も「ありがとう」「助かった」と言われることが増えた。
営業をしていた際にはなかったそれらの言葉をもらえるだけで私は今の職業でよかったと思う。
60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。
46歳 女性のストーリー
今現在私は介護職員として高齢者施設で働いています。以前は福祉の仕事など自分には出来ないと思っていましたが、気が付けば一番長く働いているのは福祉の仕事でした。
以前は他の業種で働いていましたが、会社内の派閥争いとかくだらないイジメなどを目の当たりにして、仕事内容よりも人間関係でのストレスが大きかったのですが、福祉の現場では仕事内容はとても体力も入りますし、トイレ介助などだと臭いもひどいですし、認知症の対応などは専門知識がいって大変なのですが、利用している高齢者の方達が時々「本当にありがとう」とお礼を言ってくれる瞬間があります。「今日は楽しかったよ」とか笑顔で名前を呼んでくれたりとか。その瞬間、気持ちがほわっと暖かくなってこの職業でよかったと真摯に思います。
28歳 女性のストーリー
自分はアパレル業で、店舗勤めの販売員です。

この職業で良かったなと思う瞬間は
「お客様が自分に会いに来てくれた」時です。

自分の配属店舗について簡潔に言いますと、
全国に店舗があるブランドで、価格もリーズナブルなものが多いです。

自分たちはお客様の求めているものをご提案させていただくのが役目です。
様々な理由で来店される方々に、少しでも満足していただけるような接客を日々心掛けています。
その為、お話してくださった方の名前や顔を覚えて、次回のご来店時に気付き、さらに仲が深められるよう努力しています。

その結果、お客様が「近くを通って、いるかなーと思って覗いてみた」「話したい事出来たから久しぶりに会いに行こうと思って!」とご来店してくださるんです。
お店のブランドはもちろんですが、このお店の自分を含め会いたいスタッフの為に足を運んでくれているんです。
きっとお客様からの信頼がなくては成り立たないと今も思います。

他の業種よりも様々な方と接する機会が多いからこそ、このようなお客様に巡り合えたと考えると、この職業で良かったなと思ってしまいます。
27歳 男性のストーリー
私はITエンジニアをしています。この職業をしていてよかったと感じる瞬間は、周囲の人と仕事の話をしている時です。
違う仕事をしている友人等との食事や飲み会の場で仕事の話になると、大部分が愚痴のようなマイナスのことばかりで、なんでその仕事を選んだのだろうと感じてしまいます。
私は現在の仕事内容には全く不満がなく、IT技術の急激な進化も相まって、必要性の高い職に就くことができたと感じています。
また、「多くの職業がAIで代用される」といった話をよく耳にしますが、私はAIの開発を行う側なので、少なくとも私が生きている期間は必要とされるのではないかなと感じています。
仕事に不満がないことがよかったと感じるとは思いもしませんでしたが、周囲の環境と比べることで実感できています。
29歳 男性のストーリー
私は今6年自動車整備士として仕事をしています。
初めは1年大型トラックの整備をしていましたが、高級外車を扱う車屋さんが近くにあり転職して今に至ります。
教えてくれる先輩も居ないために独学で勉強したり、周りの車屋さんに教えてもらいながらやってきました。
今ではある程度の作業をできるようになりました。
そんな中で、他の車屋さんでわからなかった故障を私がみて治すことができてお客さんから[ありがとう]と、とても感謝をされた時にこの仕事をしていてよかったなとおもいました。
そのお客さんは今でも何かあれば頼ってきてくださいます。
他にも苦労して治して、入庫してもらった時以上に車を綺麗にしてお返しした時に感謝のメールをいただいた時には苦労した分、涙が出そうになる程嬉しかったです。
これからもお客さんに頼りにしてもらえて、感謝してもらえる仕事をしていきたいとおもいます。
30歳 女性のストーリー
大学で事務として働いているのですが、卒業する学生が事務所を訪ねてきてくれたり、卒業した学生たちが遊びに来てくれたときにはこの仕事をしていてよかったなと思います。また、頑張っている学生たちのサポートをし、その学生達が成功し、嬉しそうにしている姿を見たときは、こちらまで嬉しくなり、今までの苦労が吹っ飛びます。若い学生達と接しているので、同い年の友達と比べると若いね。と言われることが多いので、それもよかったと思います。
そして、一般企業では、なかなか難しいと思うのですが、夏休みと冬休みが少なくても10日間はあり、旅行に行きやすいところもメリットです。部署にもよりますが、私が働いている部署は、残業もほとんどないので、この職業でよかったなと思います。
46歳 女性のストーリー
私の仕事は、米軍基地内で働く事務員です。学生のころからずっと英語に触れる仕事に就きたくて何年かこの職に応募しながら他の仕事をしていました。夢がかない面接までたどり着き合格。それ以来、アメリカ人の上司や同僚たちと楽しく仕事をしています。上司によっては、文化の違いからイライラさせられることもありますが、やはり好きな仕事についているということからあまり負担に感じません。好きな仕事をすることの大事さを学びました。また、日本ではない文化内での仕事なので、朝ご飯を口にしながらパソコンで仕事。音楽を聴きながら仕事。職場にあるTVは常にONなのでそれを見ながら仕事。日本では考えきれない仕事の仕方だと思います。そういう事を思うと今の仕事で良かったなと思います。
28歳 女性のストーリー
私は転職し、現在は販売業に勤めています。前職はいわゆるブラック企業で、特に人間関係が悪く精神的に病んでしまい、退職せざるを得なくなってしまいました。
現在の職場を選んだ大きな理由は、面接時に店長が「僕もうつになった経験がある」ということを話してくれて、私が転職した経緯を真摯に受け止めてくれたからです。こういった病気にきちんと理解を持って接してくれる上司はなかなか出会えないと思い、現職に勤めることを決めました。
結果的に、今の職業が私の人格にぴったりだと感じています。職場の人間関係はもちろんですが、とにかくお客様と接している時間が幸せです。接客業で働いている人の多くは、人との関わりを大切に思っている人達だと感じます。私も例に漏れず、人と人の繋がりを大切にしたいと感じているので、そういった気持ちがお客様に伝わるのだと思います。
私個人に会いにきてくれるお客様も増え、毎日が充実した幸せな日々を送っています。お給料は高くはありませんが(笑)、それでも心が満たされる暖かい職場です。今の職業に就けて、本当に幸せです。
28歳 女性のストーリー
約7年間、看護師をしています。私は小さい頃から看護師になりたくて、念願かなってなることができました。思っていたよりもとてもハードな仕事で、嫌なことも多い仕事です。ですが、看護師をしていると患者さんからたくさんの感謝の言葉わ、いただくことができます。今は独り身の方も多く、家族の見舞いもなく過ごされている患者さんが多いです。そんななかで一人一人に寄り添うことができる看護師という仕事は、とてもやりがいを感じることができます。
看取りの場面で、貴女に看取ってもらえてよかったと家族からいわれたときは、この仕事をしていてよかった、心を込めて寄り添うことができていたんだと感じることができて、とても嬉しく感じられました。これからもそんな看護師であり続けたいと考えています。
42歳 女性のストーリー
書店で働いています。
毎年夏休みになると、とあるママさんが私を訪ねてきてくださいます。
お子様が1年生の夏休みの時に、夏休みの宿題の読書感想文の本のおすすめをたずねられて、何冊か選ばせていただいたのはじまりです。
お子様は本はあまり好きではないのだけれど、どんな本がいいかというお話でした。
ちらちら雑談を挟みながら、お子様の好きなものや生活を探りながら選んだ本数冊をお買い上げいただき、数日後には本が好きではないというお子様がしっかり読んで感想文も提出できたとのこと。
おすすめはしたものの、実際に気に入っていただけるかは全く未知数だったので、とてもうれしい報告でした。
仕事としては当たり前のことをしただけなのですが、その日から私はその親子にとって夏休みの宿題専門のコンシェルジュです。
ほんの限られたタイミングのやり取りですが、それでも目に見えて誰かに喜んでいただけるのは、充足感と幸福感に包まれるひとときです。
好きな本を買ってただけるだけでも十分なのですが、この仕事でよかったなぁとしみじみできるのはこういうときなのだなぁと思います。
41歳 男性のストーリー
私は高校も出ていなく頭で仕事をする事が出来ない育ちでした。
高学歴の奴には負けてたまるかと思い資格を取り体を動かしなんぼの仕事しか稼げないし、安定した仕事なんか私にはあるのかな?と考えていました。
当時働いていた職業は建設業、雨なら休み、休みなら給料にならない日給月給でした。
仕事もだんだんとなくなり休みの日にはパチンコ、スロットとギャンブルをする日々が続きました。
ある日、兄の勤め先である運送業に働かないかとの誘いがあり勤めるようになりました。
体を動かして稼げる?と思い運転をする事も好きな私は働くことにし自分の中では今の職場で良かったと思っています。
なぜなら建設業では不安定な給料。
今は運送屋で中間管理職となりそれなりの年収を得てます。
33歳 女性のストーリー
私は小さい頃、両親が共働きだったので学校から帰ると祖父母と一緒に過ごす事が多かったんです。祖母のお茶のみに一緒に参加したり、祖父と一緒にテレビを見て学校の話をしたりしていました。
だんだん成長していく中で祖父母に恩返し出来るような仕事に就きたいと思った時に介護福祉士という仕事を見つけました。高齢者の身の回りのお世話をする仕事は私がやりたかった仕事だと思い、専門学校へ進学し、現在介護福祉士として働いています。
最初の頃は理想と現実の間で、とても悩み何度も辞めてしまおうと思った事がありました。でも、そんな考えは利用者からの「ありがとう」の一言で消えてしまいました。
最初は「仕事でやっているだけだから。」というひねくれた考え方も持っていましたが、今では「ありがとう」を聞く為に頑張っている部分もあります。
ありがとうって言われる事が、こんなに嬉しい事なんだという事に気付かせてくれたこの仕事に誇りを持って、これからも続けていきたいと思っています。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

25歳 女性のストーリー
私は都内でSEとして働いていますが、男性の多い職種ですので、女性はすごく寛大に見てもらえるところがあります。
まず、仕事のアサイン自体がかなり気を使ってもらえます。炎上しそうにないもの、お客様が比較的優しいものを、上司が優先して回してくれます。理由は、「急な夜間作業とか女の子に言えないからね、夜道とか危ないし」とのこと。
男性と同じように仕事を何でも受けられないのは申し訳ないけれど、ストレスなく働かせてもらっています。
仕事面以外でも、職場での飲み会は、女性陣はほとんどお金を出していません。男性のにんずが多いので、少し多く出すよ、とみんながやってくれると、ほとんど払い終わってしまいます。
同じお給料をいただいているから、女性だからといってお金を出さないのもおかしいとは思うのですが、優しさに甘えてしまっています。
ずるいようですが、女に生まれて、快適だなと思います。生まれ変わったとしても女になりたいです。

「異性は知らないなと思う話」

32歳 女性のストーリー
女性の生理について、男性はあまり理解をしていないと思います。
生理は子供を産む為に必要な現象ぐらいの考えだと思いますが、生理は女性にとってはとても嫌な現象です。
まずお腹の痛み。これが1番苦痛に思う人が多いと思います。
人によっては救急車を呼ぶほどの痛みを感じる方もいます。大げさではありません。
友達が実際、救急車を呼んでいました。
さらにイライラや不安症。
私はホルモンバランスが崩れやすく、自分のコントロールが出来ず、周りに当たり散らしています。
子供にあったたりして、自己嫌悪しています。
後、下着の汚れ。
気を付けていても寝ていたりすると下着を汚してしまったりします。
旦那は、理解ある人ですが、仕事場の男性は、理解がなく、イライラしている女性に「あの日だろ」なんて陰口。
どれだけ、女性はこの周期が苦痛かわかってないと常々思います。
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