"専門学校" に関するエピソード

「わたしの周りで一番勉強ができた人」

32歳 女性のストーリー
わたしの周りで一番勉強ができた人は、Wスクール先の専門学校の1歳年上の男性でした。

その男性は遠方から通学していたり、非常に女性に人気があって沢山の人とデートをしたりと、明らかに私よりも勉強できる時間が少ないはずなのに、いつも専門学校のテストでは満点か満点に近い点数で、常にクラスのトップの成績でした。

勉強方法を聞いてみましたが、同じように実践しても私はテストで満点を取ることが出来ず、その勉強方法の倍以上の時間を掛けてやっと満点近い成績を取ることが出来ました。

本当に要領がよく、頭のいい人だなぁと男性の事を尊敬していました。

その後お互いに同業種に就職をしましたが、その彼は同業内でも指折りの有名な会社に就職をして、会社のホームページにも顔写真が載るほど昇進して活躍をしているようです。

わたしの周りで一番勉強ができた人は、誰もが納得するような勉強時間を確保していた人ではなく、本当に要領がよく、頭がいい人であって、素質としかいいようがない人でした。

彼との出会いから10年以上経ちますが、彼以上に勉強ができると感じた人は、未だに出会っていません。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

21歳 男性のストーリー
私は地方の田舎出身で、あまり勉強が好きではなく、高校3年生までは進学校ではなかったというのもあり、勉強という勉強はほぼ全く勉強してこなかったのですが、急にふとこのまま田舎で就職か名前を書けば受かるような専門学校や短大に行くよりかは勉強して都会に出てみたいと思い立ち、高校3年生の春から受験勉強を始め、全く都会の大学にも詳しくなかったのですが、センター試験の結果的に東京のとある名前の通った私立大学に合格することができました。
大学に進学することで都会に出てこれたし田舎で一生を終えるよりも、広い世界や新しい生活の仕方から価値観まで色々吸収することができて、大学に合格できたこと時代が運がいいなと思います。

「今までで一番感動した話」

27歳 女性のストーリー
仕事上での出来事です。
専門学校で教員をしています。当たり前ですが、ほとんどの方が未経験で入学をしてきます。また、中には既卒で入学をされる方もいますが、9割以上が高等学校卒業後、すぐにそのまま入学をしてきます。
在学中は、高等学校とほとんど変わらない時間割で授業を行っているので、専門学校に進学したとはいえ高校生気分が抜けず、その様子に注意をしたりということも多くあります。在学生とぶつかることもしょっちゅうです。
ですが、教員の醍醐味だと思いますが、普段は注意を受けることに対して怪訝そうにしていた学生も、卒業を迎えると「あの時注意、指導をしてもらえてよかった」と口にしてくれます。その時の感動といったらこの上ありません。卒業後就職をしてすぐにこういった事を感じてくれる卒業生や、少し時間が経ってから振り返ると思い出したように感じてくれる卒業生など、人によって様々です。指導する立場として、なかなか学生に対し自分の指導する気持ちが伝わらず、もどかしく感じることも多いですが、全てが報われ、感動を感じる瞬間です。

「わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳」

45歳 男性のストーリー
専門学校の教員をしています。
学生達は協力企業での実習があります。
私は学生達の指導教官として、協力企業へと出向き、学生指導担当の社員の方と実習の進捗状況について情報交換をします。
とある学生が、期限が今日までのレポートを学生指導担当に提出しませんでした。
今まで教員として、レポートが間に合わない学生達の様々な理由を聞いてきました。
パソコンで作業していて突然電源が切れてバックスクリーンしていなかったとか、自宅のパソコンで作業して、USBメモリーに移したつもりが移っていなかったとかは本当によくある一般的な言い訳です。
しかし、この学生の言い訳は、一味違いました。

「昨夜自宅で作業していたら、突然宇宙人が窓から入ってきて、宇宙船に拉致監禁された」
「宇宙人に口を塞がれたところから、記憶がない」
「気がついたら朝になって、実習先にいた」

学生指導担当も、私も、口をぽかーんとあけながら話を聞いていました。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

38歳 男性のストーリー
私は物心がついた時から人見知りで、人と話したり
コミュニケーションを取るのが苦手でした。
母はそれを察していたようで、よく一人でお使いに行かせたり、病院等に行かせてはいましたが、幼少期には克服出来ずでした。
中学生・高校生時代は心が許せる数名程度の友人はいましたが、先生ともあまり話さず、人前に出るのが嫌で嫌で堪りませんでした。
高校を卒業し、建築の専門学校に進学しましたが
友人らしい友人も出来ずに半年くらいで学校を辞めてしまいました。今、思い返すと、この時に友人がいたら
学校を辞めていなかったんじゃないかと思います。
学校を辞めて建築関係の仕事を転々とし、相変わらず人とコミュニケーションを取るのが苦手なままでしたが、
そんな私に転機が訪れました。
ひょんな事から花屋を開業することになり、同時に結婚し、家庭を築くこととなりました。
経営は難しく、やはりお客様とのコミュニケーション無しでは成り立たない商売ですので、「家庭」という二文字を抱えていた私は必死に且つ、積極的に接客を行っていきました。
不思議と人と話すのに慣れていき、今となっては
仕事以外のプライベートなどでも、こちらから
他人に話したり出来るようになりました。
やはり、仕事や家庭によって心境の変化があれば
人って苦手なことが克服できたりもするんですね。

「もっとも尊敬する人」

34歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は専門学校時代に短い間だけ交流のあった先輩です。
その先輩は私が大学を休学して声優や役者について学ぶ学校に通っていた時に出会いました。
初めて出会った時に個人的に感じた第一印象は最悪で「いい加減でお調子者」につきました。
でも、何故か嫌いになれずむしろ一緒にいる時間が心地よくすら感じました。
ちなみに同性の先輩ですので恋愛感情等は在りませんでした。
その先輩は頻繁に忘れ物や授業の無断欠席等をしていましたが突拍子もない演技や表現に何度も度肝を抜かれ、「あぁ、こんな人を天才っていうのかなぁ」と思っていました。
その先輩との最初で最後の苦い思いでは1年生と2年生の歌唱とダンスの合同発表(通常の学校でいうテストのようなもの)で私と組んでいて前日まで共に練習していて当日の朝も電話とメールで連絡を取り合っていたにも関わらず、時間になっても発表の場所に現れず音信不通になってしまいました。
私は万全の発表も出来ず、講師の方々からは物凄い叱責を受けてしまいました。
あの頃は入学して数ヶ月位で二人で作ってきたものを急遽、一人用にアレンジする等という事まで頭が回りませんでした。
結局、その先輩はその日以降も音信不通になり1週間程後に学校も辞めてしまいました。
前置きが長くなってしまいましたがどうしてその先輩を尊敬するようになったのかというと彼は父親を早くに亡くし母親も身体が弱かった為、弟と妹の面倒をみながら新聞奨学生の制度で学校に通いその他にいくつもアルバイトを掛け持ちしていたという事を別の先輩から聞かされたからでした。
あと、先輩は決して天才ではなく睡眠時間を殆ど取らずに影で練習に明け暮れていたとも聞かさました。
学校や学外の練習中にそんな素振りは全くみせず正に白鳥のような人だと今も感じます。
発表の日以降、音信不通になってしまったのは身体の弱かった母親が急遽亡くなってしまい。
連絡するタイミングを逃してしまい私に会わせる顔が無かったからと聞かされました。
出来ればもう一度会ってお話したかったと今も時折思い出します。
26歳 女性のストーリー
母のことを尊敬しています。
周りが友人たちが遊んでいる20歳の時に出産し、
一生懸命私を育ててくれました。
若い母親だから…と偏見の目で見られないように
言葉遣い、挨拶や公共の場でのマナーは厳しく躾けられました。
私が14歳の頃、両親が離婚しました。
母は親戚に頭を下げて生活費を工面してもらい、
自身はパートをしながら専門学校に通い始めました。
私を大学まで行かせるために、
老後私に面倒をかけないように、
経済的自立を目指し、30半ばで看護師を目指しました。
パート、子育て、専門学校と、忙殺された3年間を終え、
無事に看護師になりました。
どんな環境下でもめげずに自分の人生を切り開き、
私を育て上げた母の努力と根性は
その姿を側で見てきた私に大きな影響を与えました。
母のようなたくましくて強い女性になりたいです。
22歳 女性のストーリー
私が最も尊敬するのは母です
では、何故母が尊敬する人なのかお話ししましょう
母は、左手が発達せず左手が無い障がい者としてここ日本九州の大分に産まれ母の家族は、母の下に年の離れた妹1人、弟1人だったそうです母は、長女であった為かたくましく気が強い女性とし成長していき小中高を無事に卒業し、彼女は介護の専門学校へと通います
そして、いずれ宮崎産まれの父親と出会いを果たし専門学校を無事に卒業し、幾年日過ぎて母は、早くにして姉を子にむかえたといいます
母は、左手が無いのにも関わらず小さい赤ちゃんを懸命に育て姉に障がいが出ないか不安はあったといいますがそんな素振りは私達には微塵も伝わってきませんでした
ここからは、私が産まれてきてそして私が覚えてる話しでのお話しでございます
私は体重、2008㎏の未熟児で産まれ、今度こそ障がいを
覚悟したといいます、ですが私は産まれてすぐ保育器に入れられたものの元気と判断されるすぐに出されたといいます私は、その後も普通の子と遅くなりながらも着々と成長していきました
ここで母が言ってた一言を先に添えます
義手をするより素の方が動きやすいだってこれが私の1部だから
私がこの言葉を聞いたのは多分物凄く小さい頃だったと思います小さいながらにこの人は強いと感じました
ここからは、本当に私が母を尊敬するべきところへのお話しをしましょう
母は、私達にいつもワンピースや巾着、身に付けるあらゆるものを作ってくれました、そう母の特技は、普通の人でも難しい服飾やエコクラフトのバックを制作することでした
私も姉も小さい頃からお手伝いすることは、ありましたが母が障がいを持ってることを忘れるくらい何の気なしにやってのけるのです
ここまでお伝えしていませんでしたが母は主婦業である家事全般を全て行っていました
彼女は、私にとっても姉にとっても偉大で強く理想の母親像であります
母は、私達に言い続けたことがあります
無理はするな、強く居ようとするな、自分らしくあれそして、努力を怠るなさらに継続は力なりと
ここまで話しした通り母は障がいを持っています
障がいを悪いと言われるこのご時世障がいを気にしない私の母は、姉にも私にも常に平等であれと教えてくれた教材であり母が教師そのものでした
私には、大嫌いで大好きでこうは、なりたくないけど理想なんです矛盾してますがこれが私の母親像であり私の理想であり最も尊敬する人なんです

「「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事」

45歳 男性のストーリー
高校3年生の頃、卒業後の進路を進学か就職かで悩んでいました。本心としては進学を希望していましたが、私の家は母子家庭で母は病弱で働くことができず貧乏だったので、進学できるようなお金は全くありませんでした。
もう、覚悟して就職を目指そうと思い、見納めとして進路指導室で大学や専門学校のパンフレットを見ていました。
そんな時、沢山の学校が掲載されているある進学情報誌に、新聞奨学生についてのページがありました。内容を見てみますと、新聞配達をすることにより、学費を負担してもらえるという制度でした。さらに、給料が支給され、単身寮完備と記載されていました。
このページを見て、閉ざされていた進学への希望が開きました。
そして私は専門学校へ進学することができ、新聞店の寮に住み込みをしながらほぼ毎日朝夕の新聞配達を2年間続け、無事に卒業できました。
あの時、進学情報誌を読んでいなかったら、心残りのまま人生を歩んでいたのかもしれません。新聞配達をしながら学校に通うのは決して楽ではなかったですが、新聞奨学生の制度は私的には有り難かったと感じています。

「今だから言えるごめんなさい」

22歳 女性のストーリー
私はつい数年前まで専門学校に通っていました。
そこではおよそ2年間知識を取り入れていくことが大切でしたが私は一切そのことに関して気持ちがなくそもそも専門的な知識を取り入れていくことに関心すらありませんでした。
そこでは人間関係がうまくいかなくて莫大なストレスを感じていて発散方法を見出すことすら自分の中では当時ありませんでした。
なので今だからこそ言えますが最悪ずっと死ぬことばかりあるいは命を奪いかねない病気にならないかなとどこか期待していました。
精神的に病んでいて本当に専門学校の中では誰も私の立場になってくれる人がいなくて薬で自殺を図っていました。
だからこそその中だけに目を向けずずっと見てくれていた本当の友人たちを悲しませたことは絶対に何があっても忘れません。
そのことについて心から謝罪したいです。
母親は鬱病になった私を罵りましたが友人たちの親切さは宝物です。
50歳 女性のストーリー
私は短大の保育課を中退しました。本当の理由は友達に嫌われ仲間はずれにされていたからですが、親には「進路が変わった。保育士ではなくて看護師になりたいから中退して受験したい」と言いました。親は私がどんな道にすすむのも賛成で、厳しく追及されることもなく中退することができました。さて、看護師とは無理やりすぎる理由です。今考えれば、真剣に学ぶ人たちにとても失礼です。私は勉強そっちのけで居酒屋のバイトで稼ぎ、将来のことを考えるのを先延ばしにしていました。年が変わり、看護師の学校への願書は出さず、結局、保育の勉強を続けようと都立の専門学校を受験し、合格しました。親は特になにも言いませんでした。退学の本当の理由は、友達と離れたかったから。たくさんの学費を払ってもらいごめんなさい。でも専門学校は自分で学費を払い
資格を手にし、今でも働けるから行ってよかったと思っています。

「人を見返してやった話」

22歳 女性のストーリー
私は今から数年ほど前の専門学校に通っていました。
そこでは主に農作業をする知識をたくさん持つように教える学校でした。
そこの学校では入学してから間もないくらいに必ずといっていいほどトラクターの運転免許を取得するための講義を受けることになっていました。
私もそもそも自動車の免許を正直なところ今でも取得していませんがこの時は運転すること自体が初めてだったのでものすごく緊張しまくりました。
私は自分のやっていることにいっぱいいっぱいだったのでとにかく余裕がありませんでした。
そんな少し戸惑いや周りに遅れていることに自覚も感じている中で苦手な同級生にトラクターの運転のことについていちいち言われたことがかなりストレスで苦痛でした。
ですが、私の場合は試験を受けて一発で受かったのですがその同級生は落ちたので安心感が生まれました。

「学校や仕事をサボってやったこと」

39歳 女性のストーリー
私が通っていた高校は進学校でありながら、出席に関してはとてもゆるかったので、時々さぼってはいろいろなところに行きました。
たとえば専門学校がやっている、平日のみの美容院。美容師のタマゴさんがカット500円、パーマ1500円の破格でやってくれて、学生でお金がない私にはとてもありがたかったです。
そして朝マック。サラリーマンが多い朝マクドナルドで一息入れてから学校に行くのは、リフレッシュになりました。
あとは当時古着屋さんブームだったので、午後から街に出て古着屋さんめぐりをしていました。雑誌に載っているお店をはしごして、安くてかわいい洋服を見つけることがとても楽しかったです。今思えばもうちょっと真面目に授業に出ておけばと思うこともありますが、息抜きの方法を身に着けることができたので、大人になってから役立っているような気がします。
33歳 女性のストーリー
私が学校をサボってやったこと。
ものすごくありがちですが、学校をサボってディズニーに行った事でしょうか。
当時、専門学校に通っていたのですが、学校に行く振りをしてバイト先の友人たちと舞浜で待ち合わせをして1日ディズニー堪能してきました。
自分で言うのもなんですが、わりと優等生だった私としては非常にドキドキしたのを覚えています。
学校の人間関係にちょっと嫌気がさしていて、気の合うバイト先の友人達のサボっちゃいなよ誘惑にうっかり乗ってしまったといいますか、私としては本当に初めてのことでだいぶ勇気が必要なサボりだったのですが。それが逆に良かったのか、あれこれ考えすぎていた部分があったのかおサボりディズニー以降色んな事が吹っ切れたのか人間関係で悩んでいたのがバカらしくなり、どーでもいいやと開き直る事とができました。学校だけが全てじゃないし、逃げてもいいんだと思えたきっかけです。社会人になってさすがにサボりはしませんが、仕事の合間合間で息抜きを覚えれたのはたぶんディズニーおサボり事件があったからかなと、結果的に良かったと思っております。
36歳 女性のストーリー
友達との飲み会で、結果サボりになりました。
専門学校の時、友達との時間が本当に楽しくてクラスの半分以上(少人数のクラスです)と飲みに行き、そのまま私のアパートに流れてみんなで朝まで飲み、朝まで飲んでいるから結果的に誰も学校へ行くことができず、みんなでさぼりました・・・
その日の学校は半分以上がいないわけですから寂しかったと思います。
そこから各々帰るメンバー、昼までダラダラ過ごすメンバー、寝るメンバーと、様々で、しょっちゅうそんな事ができていた日々を振り返ると、本当に楽しかったし、宝物の思い出だなと思います。
飲みながらいろんなことをみんなで語り、泣いたり笑ったりできていたあの頃がとても懐かしく思います。

「人生が変わった出来事」

19歳 女性のストーリー
私は小学3年生の頃に将来の夢ができた。それはホテルで働くという夢。きっかけは遠足で訪れた職業体験ができる場で「ホテルスタッフ」という職業を2回も体験したこと。その時に初めて興味を持ったわけではなく、家族旅行やなんやらと宿泊施設に行くことが多かったので、そのたびにベッドメイキングや受付の仕事に興味を持っていた。短い時間ではあったけれど、体験してみるとこの職業になりたいと強く思うようになった。サービス関係の専門学校ではなく、4年制の大学を選んだ今も夢は変わらず自分の中にある。ただ、大学で福祉を学んでいるため、ホテルと福祉の仕事両方に携わりたいと考えいる。まだまだ具体的なことは決めていないが、職業を体験した小学生の遠足は私の人生を語るうえで最も大きな出来事かもしれない。
30歳 男性のストーリー
中学卒業後私は県外の専門学校に寮に入って入学しました。
そこそこな学力の学校で卒業後は電気関係のサラリーマンかプログラマか辺りになるだろうな。と思っていました。
寮生1年目で先輩から麻雀でカモにされました。最初の一回だけやんちゃな子はかもられるそうです。古い伝統でした。こちらは麻雀をしたこともない平成生まれだったので。
しかしそこから麻雀に興味を持ち、学校にも行かず学校の隣の寮で連日麻雀漬けの毎日です。朝までして学校の時間はメンツが学校に行くので私は日中ずっと寝ていました。
そのかいもあって、寮では負けなし、休日は街のほうで雀荘に通いました。雀荘の負け分を寮で回収する感じでした。現在私は麻雀と少しの仕事で食べています。
一番の体験と人生まで変えた高校1年生でした。

「忘れられない夏休み」

29歳 男性のストーリー
僕が専門学校に通っていた時なので10年ほど前の話になるのですが、夏休みに実家に帰省している時にお盆でほかの友達やら後輩もいて夜に何人かで灯台のふもとで流星群を見ようということになりました。
寝ずにおしゃべりをしていたのですが、ただただ昔の思い出話や進路のことなどたわいもない話をしただけだったけど、自分にとってはとても楽しくてこのままその感じがずっと続かないかなと思うくらいな気持ちになっていました。
一緒に喋っていたメンバーの中にずっと好きだった子がいて、二人きりになる場面があったのですが好きという言葉も言えずに朝を向かえ、それぞれ家に帰ったのですが、あの時に好きの一言が言えてたらなと後悔したという思い出です。

「奇跡だと思った話」

55歳 女性のストーリー
第一志望の大学に合格できたことです。教育学部(美術系)です。
今でいうセンター試験、当時は共通一次試験と言っていました。模試は真面目に受けていましたが点数が合格ラインとかけ離れていました。特に数学がひどく、校内順位は下に誰もいない時があるほどでした。美術の先生にも担任にも、やめろ、受けるな、とか言われていました。
高3の夏には数学を捨て、文系科目と実技に集中することにしました。秋には美術系専門学校に希望を出し、こちらはすんなり合格できました。こっちでも十分いいや、と思ったので大学入試本番は高校の思い出の一つとして受けるだけ、どうせ合格するわけないし、とリラックスしていたように思います。
試験が終わってみると数学は予想通り、が国語が9割とれていた!(ここが、奇跡です)そんなに取れたことがないのに。このおかげでギリギリ合格ラインに指1本でぶら下がっている感じに。後は実技がどの程度までいけたのか? 予想できませんでしたが、結果、合格でした。
一生分の運をあの時使い果たしたのではないかと思います。その後はくじにもめったに当たりません。

「これはひどいなと思った結婚式」

33歳 女性のストーリー
専門学校の時の友達が当時大学へ通う同い年の彼氏と5年の交際を経て結婚しました。その2人の結婚式の二次会での話です。二次会の幹事は新郎の高校時代の友人と新婦の専門学校時代の友人6人が任されました。ほとんどの企画は新郎の友人が考えてくれました。二次会のゲームが進んでいく中で新郎側の友人が企画したゲームでの新婦への質問に「新郎が付き合った彼女の人数は?」という質問に新婦側の友人は微妙な表情になりました。付き合っていた時に彼氏の浮気話を聞いていたので、新郎の黒い過去を知っている友人たちは新婦に対し、いたたまれない感情になりました。新婦も顔が引きつりながら答えていました。男子校のノリの少しデリカシーのない質問だなと感じました。

「女って本当に恐いと思った瞬間」

44歳 男性のストーリー
この話は高校時代のこと。高校時代と言っても、入学して間もないときの話。
自分は住んでいる地域外のいわゆる進学校へ入学した。通学できない距離ではなかったのだが、両親のはからいで下宿をすることになった。その下宿で、新入学時期だったので下宿人の顔合わせを目的として、バイキングで食事会を行うことになった。
そこで専門学校生の同い年の子と知り合い、その時を境に、その子からの猛アタックが始まる。毎日のように部屋へ訪ねてきて、付き合ってくれと言ってくるのだ。
自分は好きな人がいるので、無理だと毎回断るのだが、そのたびに鋭利なもので手首を切るような仕草をして、「死んでやる」と言い、去っていくのだ。これで自分の精神は崩壊して、ノイローゼ状態へ。それからは居留守をすることになった。当然彼女は死んではいない。

「家族に一番感謝したこと」

33歳 女性のストーリー
高校から進学する際、私はまだ就職も不安定な資格の職業に就きたいと両親を説得して、地元から離れた専門学校への進学を希望した。進学先は都会であるため、心配した両親は学費の他に寮での生活費なども援助してくれ、またその専門学校経由で2か月間の留学費用も援助してくれた。今考えると、2年間の学費、交通費、寮費、留学費用、そしてその時期は成人式、卒業式などでの晴れ着の費用などすべて援助してもらったと考えると物図後医学になったと思う。それを反対せず「今したい経験はしっかりさせてやりたいから」と送り出してくれた家族、両親には本当に感謝している。その後は無事就職もすることができたが、給料は思ったように多くなく家族への仕送りも微々たるものであったので、本当にあの学生時代の家族からの援助は感謝しなければならないなと思う。
39歳 男性のストーリー
専門学校を出て初めての就職で、何もわからない中で通勤をしていましたが、上司が何も教えてくれず、職場の雰囲気にも馴染むことが出来ない状況で、何とか数年務めましたが結局精神的にしんどくなり、最終的に無断欠勤をしてしまいました。無断欠勤をした上に当時一人暮らしだったアパートから脱出してしまいました。無断欠勤の上アパートがもぬけの殻だったため、会社から家族へ連絡が入りひと騒動になり、後から聞いた話だと母親は泣いていたようですが、数日後私から母親へ連絡を入れた所怒りもせず、“実家に帰っておいで”と優しくいってくれました。その優しさがあったので、今改めて職に就き自分自身も家族を養えるようになったと感じています。

「仕事での大失敗」

26歳 女性のストーリー
医療系の専門学校で資格を取って、新卒で入職した病院での大失敗です。
同じ部署にいた8年ほど先輩の職員がいわゆる「御局様」で、新人の私は早速目をつけられてしまいました。入職して早々に任された仕事は、病院を訴訟してきた患者家族の対応でした。さすがに上司も疑問に感じて手助けをしてくれましたが、時が過ぎるにつれ、御局様に嫌気がさし、同じ部署の職員はどんどん退職していきました。
私も仕事ができるようになり、御局様に頼まれた仕事をこなしていましたが、御局様は私がした仕事を自分がしたかのように上司に話していました。
このような事が重なって我慢の限界になり、私も退職したいと申し出ると「お前が辞めるなら死んでやる!」と泣きわめく御局様。
職場の管理者へパワハラとして申告し、なんとか退職できましたが、初めての就職が人生一の大失敗でした。

「私の変えたい過去」

40歳 女性のストーリー
大学受験せず専門学校を選んでしまったことです。
その時は、音楽以外の勉強は自分には不必要とすることが格好良いことだと思い、両親は大学への進学を進めてくれたのに、2年で4年分の学費がかかる専門学校へ進んでしまったこと。音楽大学にチャレンジする勇気、自信も無く、普通の大学に行くのもやめてしまったことをもう一度戻れたらチャレンジしたいなと思ってます。せめて普通の大学出ておけばよかったなと思いと、大学生でなければ過ごせない貴重な時間に今でも憧れてます。ただ、専門学校の友達も一生の友達だったりするので出会えなかったらと思うともう一度同じ道を選択するかなとも思いますが、大学へいってみたい気持ちは凄くあるので、過去が変えられるのならやはり専門学校ではなく大学を選びたいです。
26歳 女性のストーリー
私の変えたい過去は高校三年生の受験期です。もともと兄弟が美大に進学しており家計は余裕があるわけではなく、私が進学の際にはできればお金がかからないようにしてほしいという親の意向を直接ではなく間接的に伝えられていたため、自分が本当に行きたい進学先ではなく全く興味がないところへ進学してしまい、今社会人になり無事大手金融機関へ入社をいたしましたが、入社して数年経ってもやはり夢であったインテリアデザイナーを諦めることができず、会社を退社しまた専門学校へ通っています。今となれば、また夢を追いかけられるありがたさを感じていますが、高校三年生の受験期の時に進路を曲げず、夢を追いかけて、美大またはデザインの専門学校へ進学していたら今頃は違うだろうなと後悔してます。
25歳 女性のストーリー
私は高校卒業まで親の言う通りにしてきましたが高校卒業後の進路先である動物の専門学校も親の言う通りのところに通いました。
でも私はその頃漫画家をめざしていて絵の専門学校に通いたかったんです。
親には手に職を持っていろ、動物の専門学校を卒業してから考えなさいと言われていました。
しかし、高校も手に職を持っていろと言われて調理師の免許が取れる学科のある学校を卒業した為、これ以上親の言いなりにはなりたくないと思ってしまいました。それからは親の反対を押し切り動物の専門学校を中退し上京しました。
今では新聞奨学生として働きながら絵の専門学校に通っていますが仕事は慣れたのですがやっぱり寝れなくて精神的にもダメージがきます。私の変えたい過去はその動物の専門学校を中退せずやり遂げて上京してれば良かったです。

「一番ひどい友達からの裏切り」

34歳 男性のストーリー
高校を卒業し僕は岡山の短大へ、その時付き合っていた彼女は大阪の専門学校に進学し遠距離恋愛がスタートしました。会えるペースは月に1回、それでも毎日電話やメールでやりとりし、会えない寂しさはありましたが、うまく付き合っていました。お互い在学期間は2年間。毎月欠かさず会いに行きました。彼女も盆や正月、その時々の行事事があると地元に帰ってきてお互いの都合が合えば会っていました。毎月大阪に会いに行っている時に彼女の大阪での友人関係が気になり聞いてみると学校のクラスメイトを紹介され僕もすぐに仲良くなりました。卒業1年前になるとその友人も含め遊ぶ事もあったのですが卒業前になり彼女から「別れたい」と言われ理由を聞くと、好きな人が出来たと言われました。なんとその好きな人は紹介してくれた友人で更に1年以上前から関係があったみたいです。仲良く遊びながら黙っていた友人にも彼女にも裏切られ一時期人間不信に陥りました。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

28歳 女性のストーリー
今の職業は歯科衛生士をしています。高校を卒業し、専門学校を3年間通い、国家資格を取得しました。専門学校は非常に厳しく毎日勉強で辛い日々でしたが、今働いてからは毎日がとても充実し、やりがいを感じています。患者さんに「ありがとう」と言われるたびにこの仕事をしていてよかったなと思います。新卒のころはできないことがたくさんで苦労しましたが長年この職業だけをしていたおかげで今では自分に自信が持てるようになりました。
またこの職業は求人がたくさんありますので、就活ではあまり苦労することがないと思います。妊娠出産で一度退職しても、また違う職場を探しやすいことはとてもメリットだと思います。本当にこの仕事でよかったと思えます。
33歳 女性のストーリー
私は小さい頃、両親が共働きだったので学校から帰ると祖父母と一緒に過ごす事が多かったんです。祖母のお茶のみに一緒に参加したり、祖父と一緒にテレビを見て学校の話をしたりしていました。
だんだん成長していく中で祖父母に恩返し出来るような仕事に就きたいと思った時に介護福祉士という仕事を見つけました。高齢者の身の回りのお世話をする仕事は私がやりたかった仕事だと思い、専門学校へ進学し、現在介護福祉士として働いています。
最初の頃は理想と現実の間で、とても悩み何度も辞めてしまおうと思った事がありました。でも、そんな考えは利用者からの「ありがとう」の一言で消えてしまいました。
最初は「仕事でやっているだけだから。」というひねくれた考え方も持っていましたが、今では「ありがとう」を聞く為に頑張っている部分もあります。
ありがとうって言われる事が、こんなに嬉しい事なんだという事に気付かせてくれたこの仕事に誇りを持って、これからも続けていきたいと思っています。

「一番の苦労話」

43歳 男性のストーリー
以前、仕事を医療事務をしており、様々な業務をしていた。しかし、事務は事務であり、患者に触れる事は、法律で禁じられていた。私は、医療従事者に憧れとコンプレックスを抱いており、一念発起し会社を退職し、34歳から医療の専門学校に入学した。最初は、慣れない勉強、一回り以上下の同級生、生活リズムが一変し、楽しいと思う反面、社会から出た怖さを感じた。そして、勉学、実習、課題など必死にこなし、国家試験を受けるまでこぎつけた。成績は芳しくなく、受かるかどうか瀬戸際なところであったが、教員や仲間、自分の必死の努力により、何とか合格を勝ち取った。人生において、こんなに勉強して苦労した事なかったし、こんなに嬉しい事は、経験なかった。今もあの時の事を思い出すが、あの思いは2度としたくない。
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今だから言えるごめんなさい
ノウハウ
業界ならではの話
○○の裏話
異性は知らないなと思う話
人間関係
女同士って面倒くさいと思った話
家族に一番感謝したこと
一番ひどい友達からの裏切り
女って本当に恐いと思った瞬間
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
これまでで一番悲しかった時
修学旅行の思い出
忘れられない先生の話
人生最大の失恋話
一番の苦労話
今までで一番感動した話
これまでで一番お金を無駄にした話
どうしても許せないこと
忘れられない夏の思い出
お金さえあればと感じた瞬間
人生で一番運が良かったなと思う出来事
今までで体験した一番怖い体験
これはひどいなと思った結婚式
これまでで一番笑った話
人を見返してやった話
嘘みたいなほんとの話
死ぬかと思った話
学校や仕事をサボってやったこと
人生最大の修羅場
忘れられない夏休み
奇跡だと思った話
これまでで一番驚いた話
一番おいしかった食べ物
人生で一番贅沢した話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
これまでに一番勇気を出した瞬間
とっておきのすべらない話
私について
私の変えたい過去
苦手だったのに得意になったエピソード
もっとも尊敬する人
わたしの初恋と、その結末
そういえば昔夢見ていたこと
誰かに聞いてもらいたい愚痴
仕事での大失敗
人生が変わった出来事
わたしがやめられないもの
誰にも言っていない秘密
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間