"尊敬" に関するエピソード

「もっとも尊敬する人」

38歳 男性のストーリー
両親を尊敬しています。実母はいまは67歳ですがまだ、看護師として働いています。今までずっと同じ職場で長年働いてることがすごいとかんじます。実父は74歳ですが、お父さんもずっと同じ工場で働いてました。今は胃癌になりましたが、手術も四年前に終わって今は抗がん剤とかで頑張ってる姿を見るとすごいと感じます。お母さんはお父さんの面倒みながら仕事をしてさらに田舎に90歳になるら祖父母が2人で住んでるのでたまに帰ったりしてます。すごく行動的でガッツがあると思います。
自分は両親を尊敬してるので、これから結婚とかあると思いますが、そういう女性が魅力的だと思います。
そして、今まで両親にはいろいろ迷惑かけてきたと思いますがこれこらは自分がしっかりして支えていきたいと思います
21歳 男性のストーリー
僕が一番尊敬している人はTHEBEATGARDEN(ビートガーデン)という4人組の音楽グループでそのメンバーでもあるレイさんを尊敬しています。その理由はまず顔が凄くかっこいいし歌も凄く上手いです。THEBEATGARDENのボーカルの3人はみんな歌が上手いんですけどレイが一番なんじゃないかなと思います。
THEBEATGARDENを好きになったきっかけがたまたまショッピングモールでライブしていて曲を聴いたら凄くいい曲だなって思ってYouTubeでも聴くようになりハマりました。
それからファンになりライブやトークショーなどのさまざまなイベントにも行っています。今はあんまり人気は出て来てないですけど今年からは絶対人気が出てくると思います。レイさんが一番尊敬してる人なんでこれからも応援していますし頑張って欲しいです。
23歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人物は中学校の担任の先生です。中学3年生まで同じ担任だったのですがそれまで私はすぐになんでも諦めてしまう事が多く飽き性が酷い性格でしたが
中学2年生の時にもうそろそろ高校受験の志望校を決める際にみんなはだいたい決まっていてその志望校の為の受験勉強や準備をしていましたが、私は全然決めておらずそん
な時に修学旅行でファームステイがあり農業体験が出来る内容でそこで私は初めて「農業」というものの素晴らしさと楽しさを知り、そこから私は県内で唯一の県立農業高校
を志望してそこから推薦入試を希望して担任と一緒に小論文と面接の訓練の日々で正直、人生で一番と言っていいほどかなりきつかったです。しかしそこで担任の先生から「
何事も絶対にあきらめないこと」の大切さを教えてもらい私はそれを心の教訓にして猛勉強をしました。そして半年以上勉強して私立の滑り止め高校にも受験し受かって、志
望校にも推薦で見事合格する事ができました。家族も友達もその担任の先生もとても喜んでいました。今現在でも担任の先生から説いてもらった「何事も絶対にあきらめない
こと」を自分の座右の銘にしています。担任の先生には今でも感謝しており私が人生で一番尊敬している人物です。
34歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は専門学校時代に短い間だけ交流のあった先輩です。
その先輩は私が大学を休学して声優や役者について学ぶ学校に通っていた時に出会いました。
初めて出会った時に個人的に感じた第一印象は最悪で「いい加減でお調子者」につきました。
でも、何故か嫌いになれずむしろ一緒にいる時間が心地よくすら感じました。
ちなみに同性の先輩ですので恋愛感情等は在りませんでした。
その先輩は頻繁に忘れ物や授業の無断欠席等をしていましたが突拍子もない演技や表現に何度も度肝を抜かれ、「あぁ、こんな人を天才っていうのかなぁ」と思っていました。
その先輩との最初で最後の苦い思いでは1年生と2年生の歌唱とダンスの合同発表(通常の学校でいうテストのようなもの)で私と組んでいて前日まで共に練習していて当日の朝も電話とメールで連絡を取り合っていたにも関わらず、時間になっても発表の場所に現れず音信不通になってしまいました。
私は万全の発表も出来ず、講師の方々からは物凄い叱責を受けてしまいました。
あの頃は入学して数ヶ月位で二人で作ってきたものを急遽、一人用にアレンジする等という事まで頭が回りませんでした。
結局、その先輩はその日以降も音信不通になり1週間程後に学校も辞めてしまいました。
前置きが長くなってしまいましたがどうしてその先輩を尊敬するようになったのかというと彼は父親を早くに亡くし母親も身体が弱かった為、弟と妹の面倒をみながら新聞奨学生の制度で学校に通いその他にいくつもアルバイトを掛け持ちしていたという事を別の先輩から聞かされたからでした。
あと、先輩は決して天才ではなく睡眠時間を殆ど取らずに影で練習に明け暮れていたとも聞かさました。
学校や学外の練習中にそんな素振りは全くみせず正に白鳥のような人だと今も感じます。
発表の日以降、音信不通になってしまったのは身体の弱かった母親が急遽亡くなってしまい。
連絡するタイミングを逃してしまい私に会わせる顔が無かったからと聞かされました。
出来ればもう一度会ってお話したかったと今も時折思い出します。
33歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人はありきたりですが母です。
20年以上前、末っ子の私が7歳の時に父がうつ病になり仕事を辞めました。そこから母は私達兄妹3人を育てるために仕事を二つ掛け持ちし家計を支えました。今でも振り返るとあんなに忙しい中でいつ料理をしていたのかはわかりませんが、同居の祖母の力を借りつつも平日の給食以外は家でしっかりご飯を食べさせてくれました。昔はおしゃれが大好きだった母も、子供達にかかる費用を優先していたことや、自分の時間もあまりなかったことからなかなかおしゃれができなくなっていましたが、文句ひとつ言いませんでした。その母の頑張りのおかげで兄妹全員大学へ行くことができ、みんな立派な仕事について愛のある家庭を築いています。いかなる状況でもくじけずに笑顔と愛を注いでくれた母以上に尊敬できる人は私にはいません。
32歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は、自分の母親です。ベタな回答かもしれませんが、この世でもっともかけがえのない、尊敬する人物です。
子供の頃はわがままばかり言って、迷惑をかけて、それを受け止めてくれるのが母親なのだと、何も疑問に思いませんでした。当たり前に仕事をして、当たり前に子育てをして、当たり前に家のことや家事を全部こなして。母親とはそういうものなのだと思っていました。
大人になるにつれて、それが当たり前ではないのだと痛いほど実感しています。一人暮らしを始めて、料理も掃除も洗濯も何もしたくない日が何日もありました。たった自分1人分なのに、こんなにも生活するのは大変なのかと。母親は、それを毎日当たり前に、疲れていても落ち込んでいても悲しくても、それを表に出さずに、やっていてくれたんだなと。泣きました。
きっと、私の母以外でも、そうだと思います。今一度、自分の母親のことを思って、考えてみてくれたら嬉しく思います。
31歳 女性のストーリー
自分の主人を最も尊敬しています。20代にして難関資格試験に合格したこと、30代になった今でも勉強を学ぶことを忘れないこと、仕事でも結果を出していること、家庭を大事にしてくれること、親を大事でしていること、細かいことを挙げるときりがないのですが、一番身近で見ている身として、人として男性として夫としてこんなに尊敬できる人はなかなかいないのではないかと思っています。偉人でもなんでもないし、周りの人から見たら普通の人に見えるかもしれないけれど、私は主人の上を目指そうとする努力を知っているし、それを応援してきました。人生の中で大きな目標があり、それを達成するために頑張っている姿は尊敬に値すると思っています。
28歳 女性のストーリー
私が尊敬する人は、オンラインゲームの中であったフレンドです。
その人は年上の男性で、話し方もフレンドリーで面白く、人付き合いも上手くて、人と上手くコミュニケーションをとれないまま関係が終わってしまう私にとっては本当にありがたい存在で尊敬できる人です。
また、その人自身が経験した出来事が、ときには本当なのか?いやでも嘘をついているようには見えないし……といった絶妙な加減の面白いエピソード、怖いエピソードなどとにかく話題がたくさんあっていつも惹かれて話を聞いてしまうぐらい魅力的な人でした。
なので、私が仕事をする上でその方から聞いたエピソードを参考にすることもあったりと、私もこの人のような面白い人間になりたいなと思っています。
26歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは自分の母親です。

朝起きてから夜寝るまで家族のために働いてくれます。
しかも毎日こなしているのできっと大変なことでしょう。
しかし、それを本人に言うと家族が幸せになるなら
へっちゃらだ、と笑って言うのです。

わが母親ながら何て心が広いのだろうと驚きました。

家族の幸せのために頑張っている姿を見て
私も頑張らなければならないと思いました。

今は私が結婚をしたため別々に暮らして
いますが、私も今の家族のために頑張ろうと
思い、日々奮闘しています。

母親とは今でも一緒にご飯を食べたり
出かけていたりする仲です。ご馳走を
したいのに、なかなか財布を出させて
くれないところは困っていますが…

いつか自分の子供が出来たら自分の母親
のような母親になりたいと思っています。
33歳 女性のストーリー
母親です。
私は12才で父親を癌で亡くしました。3つ下に弟が一人います。小さい子供を残された母は一生懸命生活する為に働いてくれました。
子供の頃はどのぐらい大変なことだったのかが理解できていませんでした。
大人になり、結婚し子供もできた今、母親がどれだけの苦労をしてきたのかがすごくわかります。
今の生活は、決して裕福とは言えないもので、生命保険や、学資保険などかける余裕もなく、年金や保険料などは減免や免除などをしてもらうというような貧乏生活。
将来の不安からは切り離されない生活です。母もきっとあの時は将来の不安に押しつぶされそうな気持ちだったんだろうなと思います。
そんな不安の中でも私たち兄弟を育ててくれて、こうやって今生きているんです。感謝しきれないし、そんな強い母親を尊敬しています。
50歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は、星野源さんです。
普通なら、両親や、兄弟、先生・・など、身近な人の名前を出す人が多いかもしれないのですが、私の中の、尊敬に値するイメージは、真の自分を飾ることなく認め、受け止め、そのことを外に発信できる力を持っている人・・・であり、星野源さんはまさしく当てはまります。
星野さんの、音楽、執筆した書物、ラジオの語りからは、常に、自分の弱さを飾ることなく認め、平凡な、時にはバカバカしいと思える日常を、慈しみ、生き抜く力に変えていく証を見出すことができます。
私は、世の中のために、偉大なものを発見したり、作ったりできるほどの能力は持ち合わせていないけれど、星野源さんのように、自分の恥ずかしい部分を隠そうとせず、正直に、ありのままの平凡な日常の、何気ないエピソードを歌いながら、生まれてきたことに感謝を感じ、人生を全うするような人間でありたいと思っています。
29歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は、以前私が勤務していた病院の院長です。院長は70歳後半なのですが、現役でバリバリ働かれていました(現在も継続してお仕事をされているそうです。)プロフェッショナルな先生の技術は全国的にも有名で、各地から講演依頼をされ、いつも各地を周られています。
また、技術面だけでなく、人柄も大変すばらしい先生です。大変偉い先生ですが、スタッフたちとはとてもフレンドリーに話してくださり、昼食も一緒にとるほどフラットな関係をみんな持っています。一度しかお会いしなかった来客の方ですら先生の人柄に感動されるほどです。
技術と人柄の両方を兼ね備え、いつも患者様やスタッフに寄り添う姿勢が、私が一番尊敬する理由です。
38歳 男性のストーリー
私の尊敬する人は先日引退してしまいましたが、プロ野球のイチロー選手です。
どんなところが尊敬しているのかと言うと、アメリカや日本の誰もが彼を認めているこの現状に満足せずに、まだまだ更に上を目指しているその態度がとても素敵だと思ったのです。普通、あそこまで活躍すれば、ある程度の年齢になって、引退して、優雅に一生を暮せば良いと思うのですが、あくまで現役にこだわり、尚且つ成長しようという態度は尊敬しかありません。
生き方、考え方、物事に対する姿勢、とにかく格好よくて素敵だと思います。あそこまで自分に厳しくできるところ、現状に満足せず、常に進化を求めているところが特に尊敬しています。
今、引退をしてしまいましたが、野球を離れてもイチロー自身は成長する意識は変わらないでしょう。
26歳 女性のストーリー
高校時代に3年間担任だった恩師を、私は最も尊敬しています。
幼い頃に父親を亡くし、経済的にも苦しい状況の中で育った恩師。
大学だけは出ておきなさいと母親に言われるものの、とても私立なんて行ける状況ではなかった恩師は、国公立の教育大に進学することを心に決めます。
国公立の教育大は奨学金が無償になるので、特に勉強が好きなわけではないし教師と言う職業に拘った訳ではないけど、母の期待に応えるべく無我夢中で勉強に明け暮れたそう。恩師の出身校はとても国公立なんて狙えるレベルの高校ではなかったそうですが、奇跡的に現役合格を果たします。
大学入学後は勉強の楽しさに目覚め、大学院まで進学し、高校の教師になったのです。赴任2年目にもったのが私のクラスで、最初は頭の回転が速く即行動、非常に熱血な恩師に対して嫌悪感を抱いたのですが、ご自身がとてつもない苦労を経験したからこそ、親身に私たち生徒のことを考えてくれました。
生徒の為なら、朝6時からでも勉強会を開いてくれたり、たまに家庭科室を貸し切って美味しいお肉をご馳走してくれたりと、とにかくその熱心さは保護者から見ても感心の
域でした。卒業して10年経っても社会人の先輩として、色んなアドバイスを下さるので、心の支えになっています。
35歳 女性のストーリー
母です。
小さいころから私に「働いている父を蔑ろにしてはいけない」と教えてくれて育ててくれたのです。
子供の為にパートに出て、私の学費や家族のお金を作ってくれました。
「お家があってご飯が食べられるのはお父さんのおかげ。」
「毎日おやつが食べられるのはお母さんのおかげ。」
「でも、お父さんとお母さんが頑張れるのは子供のため。」
母が泣いているところを見たことが無く、子供心に母は私の自慢でした。
お料理も上手くて、いつも笑顔でスキンシップはちょっと激しめで。
洗濯掃除は苦手だけど、家族のためにいつも頑張っていました。
そんな母のおかげで私は思春期になっても父への反抗期は無かったです。
でも仲良しの家族だと思っていたけど、父が借金と浮気をして離婚しました。
そんな中でも母は泣かずに子供の安全を最優先し、仕事を更に増やし、
昼も夜も働いて私に不自由なく暮らせるように育ててくれたのです。
私はもう子供が持てない年齢になってしまったけど
もし、子供が出来たら母のように守るんだと決めていました。
私が死ぬまで、私の中の1番は母だと思っています。
23歳 男性のストーリー
私が尊敬する人は大学三年時を休学し、10ヶ月行ったカンボジアでお世話になった社長です。
彼を尊敬する理由は失敗を恐れず、挑戦を続けている事です。彼は18年程勤めた広告代理店を退職し、以前から好きだったカンボジアにて起業を行いました。代理店では部長という安定した役職にもつきながら、です。右も左もわからないカンボジアでは広告代理店は務まらないため、未経験でパン屋の売れ残りを買い取り、それらを販売するビジネスから始めました。それから、カンボジア人を雇い、弁当屋を始め、現在はビジネス向けイベントや広告代理店として活躍されています。本人曰く沢山失敗をしたり、カンボジアでありながら、日本人に騙されることもあったそうです。しかし、そのような人達も寛容に受け止め、カンボジアで5年以上ビジネスをやられています。
37歳 男性のストーリー
自分の嫁さんを本当に尊敬しています!
子供が4人いるのですが、自分の仕事柄、土日は休めないし、夜も遅いのですが、ほぼワンオペ状態で家事と、育児をしてくれています!
休みの日に多少なりと自分も家事や育児をするのですが、それを毎日やってもらっていると思うと本当にすごいなぁと思います

1人で子供4人も連れて出かけるのも大変だと思うけど、土日はけっこう子供達を遊ばせに連れていったり、習い事でサッカーをさせているのですが、

試合なども多く、朝も早い事が多いのに、まだ留守番とか出来ない子供なのでみんな連れて試合にいっています!

周りのママ友とかにも本当スゴイねぇと言われています

自分だったらなかなか出来ないなと思うので、それをやっている嫁を本当に尊敬しています
31歳 女性のストーリー
私は大人になるまで親からも疎遠状態で、父はまともに向かい合ってくれませんでした。そんな人生でしたが今の主人と出会ってから私の人生は変わりました。私は持病があり夫にも迷惑をかけてしまっていますがそんな私を温かく迎えてくれて、生活の楽しさや人生の変化を与えてくれました。主人は人柄も良く仕事場でも周りとのコミュニケーションがうまくとれており、それがきっかけで出会うことになりました。主人は私の両親とも真摯に話をしてくれて今は私も育ててくれた両親に感謝出来るようになりました。また、私は子育てが苦手ですぐに子供に当たったりと、大人げない時もありますがすぐにフォローしてくれます。今では3人で暮らしていますがとても平穏な毎日を暮らすことが出来ております。私も尊敬する主人と共に良き妻として成長して行きたいと思います。
32歳 女性のストーリー
その人は自分の目標に向かってひたすら努力できる人です。30代前半で有名な会社のマネージャーまで登り詰めたのに、心理学の教授になりたいと全てを捨てて今大学で働きながら勉強しています。何年以内に教授になると明確な目標に向かってとてもストイックに行動しています。
心理学にもいろんな分野がありますが、彼は職場環境をより良くする為の心理学を学んでいます。正直、私は20代後半に人間関係が原因で仕事を辞め、新しい働き方・生き方を探して今まで来たので、そこに向き合い、みんながより気持ちよく働けるようにという事をひたすら考え、学んでいる彼は凄いと思いました。
また健康面にもとても気を使っていて、暇さえあればジムに通い鍛えていたり、食事も忙しいなか自炊しています。ピザなどのジャンクフードは1年近く食べていないとか。
彼を見ていると私は自分に甘いダメな人間だな。と思う一方、この人を見ているとやる気スイッチを押されるとと言うか、とてもモチベーションが上がります。
頭も良くて何に対してもストイックな彼を本当に心から尊敬しています。
26歳 女性のストーリー
母のことを尊敬しています。
周りが友人たちが遊んでいる20歳の時に出産し、
一生懸命私を育ててくれました。
若い母親だから…と偏見の目で見られないように
言葉遣い、挨拶や公共の場でのマナーは厳しく躾けられました。
私が14歳の頃、両親が離婚しました。
母は親戚に頭を下げて生活費を工面してもらい、
自身はパートをしながら専門学校に通い始めました。
私を大学まで行かせるために、
老後私に面倒をかけないように、
経済的自立を目指し、30半ばで看護師を目指しました。
パート、子育て、専門学校と、忙殺された3年間を終え、
無事に看護師になりました。
どんな環境下でもめげずに自分の人生を切り開き、
私を育て上げた母の努力と根性は
その姿を側で見てきた私に大きな影響を与えました。
母のようなたくましくて強い女性になりたいです。
30歳 女性のストーリー
私の尊敬する人はやはり両親です。まずは私をここまてここまで育ててくれたことに感謝です。私には妹がおり二人姉妹でまだ未婚で子供もいませんが産まれてきてから今の歳まで子供を育てれるのは本当に凄いと思います。仕事にも行かないといけない中、帰ってきて仕事で疲れていてもご飯を作らないといけないし家事も行わないといけないし、体調が悪くても私たちの面倒もみないといけないし本当に両親はすごいと思います。今の私がそれを出来るというと親になってみれば変わるとは思いますが今の現状だと両親みたいにはなれないと思うし、逆に両親を越えることも不可能だと思います。親からすれば私は一生子供たと思いますがいつか自分が結婚し子供が出来たときは両親みたいな親になりたいと思います。
34歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は、20代の頃に8年程付き合っていた元彼です。彼の仕事に対する熱意をとても尊敬していて、別れて何年も経った今でも1番尊敬する人として思いつくのはその彼です。
彼はハウスメーカーの営業をしています。私も同業ですので、ハウスメーカーの営業がいかに大変な仕事か理解しているつもりです。お客様の一生に一度の買い物のお手伝いをする夢ある仕事ではありますが、その責任の重さは計り知れないです。その仕事にとても誇りを持っており、心から「お客様の笑顔の為に」という気持ちで仕事をしていた彼。それを改めて実感したのは、彼が店長となり部下の指導をしている姿を見た時です。部下と電話で話をしていた彼。どうやら部下から、進めている案件が白紙になりそうだといった相談を受けていたようでした。部下は店長である彼に相談なく案件を進めたようで、彼はこう言いました。「白紙になったら、○○くん(※部下の名前)の今月の数字が上がらないとか会社の利益にならないとかそういう問題じゃないんだ。お客様がせっかくウチの商品を気に入ってくれて、検討してくださったその時間を無駄にすることになる。商品は気に入ってくださったのに、○○くんの商談の仕方でお客様が購入を諦めてしまったらもったいないだろう?少しでも商談に自信がなかったらいつでも俺を呼べ。休日でも夜遅くでも関係なく力を貸すから。」
こんなにもお客様にも、部下にも、会社にも、真剣に向き合える彼をとても頼もしく思いました。そんな彼の仕事に対する熱意は、別れた今でも私の仕事へのモチベーションを保つ要素になっています。
45歳 女性のストーリー
私が尊敬する人は両親ですが、特に母親を尊敬しています。子供を産んで育ててから40代にして医療事務の仕事を勉強しながら資格を取得し、最後は支店長になるまでしっかり仕事をやり遂げました。あまり収入はよくなかったようですが、責任感が強く毎日2時間以上かけて通勤をし、夜遅くまで働く姿は同年代となった自分から見てもなかなか同じようなことは真似できないと感じています。母親の仕事に対する意識は将来の自分の仕事の取り組み方を考える機会も増やしてくれ、また悩んでいる時にはよくアドバイスももらったりしてこれまでの仕事選びや自分の生き方の指南をもらいました。自分が将来年齢を重ねて限界を感じる時がきても、母親の姿勢を見習って努力を惜しまないでいたいです。
28歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は、以前の職場の上司です。
その上司は60代の女性で、家庭の事情があり、毎日2時間、車を運転して会社に来ていました。
通勤だけでも、大変なのに、会社のために、深夜まで残って仕事をし、家に着く頃には日付を超え、また、朝の6時には出勤の毎日を繰り返していました。
そんな上司の姿をみて、なんとか力になりたいと思い、私も朝から晩まで、一緒懸命働きました。
しかし、いわいるブラック企業で、残業代も、基本給も少なく、私は生活が苦しく、ご飯をほとんど食べていませんでした。
それが、祟り、職場で倒れてしまいました。
ただの過労と貧血で、大事にはいたりませんでしたが、
心配した上司が、毎日お弁当を作ってきてくださるようになりました。
結婚してその職場は辞めてしまいましたが、その上司の優しさと明るさは、今でも私の目標であり、尊敬する人です。
32歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は私の母です。母は祖父から受け継いだ自営業をしながら私と兄二人の子供三人を一人で育ててくれました。父親はいたものの、ろくに仕事はせず少しDV的なところがあったので、子育てと家事は母が全て一人でおこなっていました。自分が子供だった頃は特に何も感じる事はありませんでしたが、結婚して子供ができた今になると母の偉大さが身にしみてわかります。毎日の生活をこなすだけでも大変なのに母は私達兄弟に惨めな思いはさせたくないと必死で、かつ人として大切な事はたくさん教えてくれてました。現在私には小さい子供が二人いますが、子育てに対するイライラや疲れ、行き詰まりを感じるとき常に母の事を考えるようにしています。
22歳 女性のストーリー
シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子さん。
公務員のご両親の元に生まれ、マラソン選手として生きていくと言った時反対されても自分の信念を貫き通した彼女は一般的に言う才能溢れる選手かといえばそうではない。なのにも関わらずオリンピックで金メダルをアジア人初取れたのは、「走るのが好き」ただその気持ちが誰よりも強かったこと。どんなにキツくても、辛くても走る楽しさを忘れない。これが彼女の才能なのかもしれない。小出監督と出会い、たくさんの才能ある選手を目の当たりにしても尚、腐ることなく走るのを楽しみ続け、努力を重ねた結果があの結果をもたらしたと思うから。
特別な才能がなくても努力と気持ちで世界を取れると教えてくれた彼女は私の最も尊敬する人。
36歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬してる人は主人のお母さん、つまり義母さんです。車で20分程度の距離に住んでますがこちらの家庭に干渉してくることはせず、良い距離感で接してくれています。私の場合、自分の親が過干渉ですごく口出してくるタイプの人間で主人との結婚式場を探す際もお金は1円も出さないのに口出しが激しくウンザリしてたのに対して義両親はお金を出しても口を出さない2人の好きなように決めてと言ってくれる方々で最初は驚きました。その後も私の親の介護問題なんかで私が悩んでいる時も常々気にかけてくれたり私が居ない所で主人に「今介護問題で精神的にきてるだろうから支えてあげて」など言ってくれたりした様です。その後も決して野次馬根性なんかではなく時折気にかけて話を聞いてくれます。上手く書けませんがああいう人になりたいなと思わせてくれる人で尊敬しています。
22歳 女性のストーリー
私が最も尊敬するのは母です
では、何故母が尊敬する人なのかお話ししましょう
母は、左手が発達せず左手が無い障がい者としてここ日本九州の大分に産まれ母の家族は、母の下に年の離れた妹1人、弟1人だったそうです母は、長女であった為かたくましく気が強い女性とし成長していき小中高を無事に卒業し、彼女は介護の専門学校へと通います
そして、いずれ宮崎産まれの父親と出会いを果たし専門学校を無事に卒業し、幾年日過ぎて母は、早くにして姉を子にむかえたといいます
母は、左手が無いのにも関わらず小さい赤ちゃんを懸命に育て姉に障がいが出ないか不安はあったといいますがそんな素振りは私達には微塵も伝わってきませんでした
ここからは、私が産まれてきてそして私が覚えてる話しでのお話しでございます
私は体重、2008㎏の未熟児で産まれ、今度こそ障がいを
覚悟したといいます、ですが私は産まれてすぐ保育器に入れられたものの元気と判断されるすぐに出されたといいます私は、その後も普通の子と遅くなりながらも着々と成長していきました
ここで母が言ってた一言を先に添えます
義手をするより素の方が動きやすいだってこれが私の1部だから
私がこの言葉を聞いたのは多分物凄く小さい頃だったと思います小さいながらにこの人は強いと感じました
ここからは、本当に私が母を尊敬するべきところへのお話しをしましょう
母は、私達にいつもワンピースや巾着、身に付けるあらゆるものを作ってくれました、そう母の特技は、普通の人でも難しい服飾やエコクラフトのバックを制作することでした
私も姉も小さい頃からお手伝いすることは、ありましたが母が障がいを持ってることを忘れるくらい何の気なしにやってのけるのです
ここまでお伝えしていませんでしたが母は主婦業である家事全般を全て行っていました
彼女は、私にとっても姉にとっても偉大で強く理想の母親像であります
母は、私達に言い続けたことがあります
無理はするな、強く居ようとするな、自分らしくあれそして、努力を怠るなさらに継続は力なりと
ここまで話しした通り母は障がいを持っています
障がいを悪いと言われるこのご時世障がいを気にしない私の母は、姉にも私にも常に平等であれと教えてくれた教材であり母が教師そのものでした
私には、大嫌いで大好きでこうは、なりたくないけど理想なんです矛盾してますがこれが私の母親像であり私の理想であり最も尊敬する人なんです
19歳 女性のストーリー
もっとも尊敬する人は中学三年生の時の担任の先生です。その先生は人との関わりや使う言葉をとても大切にする先生で、私もその先生からたくさんのことを教わりました。先生から教えていただいたたくさんの素敵な体験談や綺麗な言葉は今の私の支えになっています。そんな先生は旦那さんがオーストラリアで仕事をしていて、私たちが中学校を卒業する時に先生という仕事を辞め、オーストラリアへ移住されました。それでも、今でも私たちに手紙を送ってくださいます。先生は教師という仕事に誇りや情熱を持っていたのに、悩んだ末にオーストラリアへの移住を決定されました。そのこともまた、将来の進路について具体的に考え始めた私たちにとって大きな影響を与えてくれました。
39歳 男性のストーリー
その人はまったく嫌味がありません。おそらく人生で、誰がみても成功者だろうと思います。まずは、知識が豊富なところです。あらゆる分野に精通していらっしゃるかのようです。実は若い頃からトランペットを吹かれていました。ジャンルもジャズ奏者で、腕前は完璧でした。最近ではなかなか吹いてはないのですが、もしかしたら、プライベートで吹いているのかもしれません。あと、ジャズ奏者なので、アーティストや音楽論なども、恐らく知識は豊富だと思います。次に料理が出来る。基礎は全て把握しておられ、何でも作れると思います。次に地層・地形。学生時代に地形に興味を持ち、色々と調べていく中で、すっかりハマってしまったらしく、今では専門家も顔負けな程の博学者ですね。他にも、電車や話の聞き手のプロ、マニアックなジャンルへの興味やそれに伴う探究心など、あげていけばキリがないと思います。人生においてこれ程、誰かを尊敬した事はありませんし、今後現れないのかもしれません。今はお年を取られて、のんびりと、生活されています。どうかお元気なままで、これからも末永く私を楽しませて欲しいです。
46歳 女性のストーリー
自分の両親を尊敬しています。
短大を卒業するまでは実家で過ごしていました。
家事を手伝っていなかったわけではありませんが、食事、洗濯、掃除を毎日行うのは初めてで最初のうちは気を付けていても、仕事に慣れ、任されるようになると家事がおろそかになっていきました。自分の母は、仕事をしながらも毎日行っていて、その時は気づかずに文句を言ったりすることもあったけれど、自分がやってみて初めてその大変さに気づきました。自分一人だとやらなくてもいいいいけれど、家族がいるとそういうわけにもいきません。家族のために自分の事は後回しにしてでもやっていた母はすごいと思いました。
家庭を持ち、子供を育てる中で、父が愚痴を言いつつも仕事を続けていること、子供や家族を養うことのすごさを知りました。
裕福とは言えないけれど、学費や習い事をさせてもらっていたことなど、今自分が子供にしてあげたいことをさせてくれていたと実感します。
今の自分はまだ両親と同じように子供や家族に出来ていないけど、少しでも近づきたいと思います。
26歳 女性のストーリー
高校の時の先生です。授業も楽しく、人生について教えてくれました。雑談もとっても面白いですし、授業もちゃんとしてて、わかりやすかったです。
また、高校を卒業してからも毎年1度は卒業生のグループにコンタクトを取ってくれ、この1年の振り返り、自分が感じたことを教えてくれます。先生も一人の人間として、悩みながら葛藤しなが生きているんだ、ということを教えてくれます。
その教えを毎年楽しみにしていて、それを読むと自分も頑張らないと!という気持ちになります。卒業してからもそんな気持ちにしてくれて、いつまでも教えを説いて、先生でいてくれます。
きっと、私にとって人生の先生ですし、卒業してから8年経ちますが、会いに行って近況報告をする関係性が築けています。
23歳 女性のストーリー
私が最も尊敬するのは、今お付き合いしている人です。彼は中学からの同級生ですが、同い年とは思えないくらいしっかりしていて、いつもすごいなと驚かされたり、尊敬させられたりしています。特にそう感じるのは、人付き合いの面で、仕事やプライベート関係なしに社交的で、言うことはしっかり言ってくれる人です。仕事では、私は後輩に甘くしてしまい、叱れないことも多いのですが、彼はきちんと叱るところは叱り、褒めるところは褒めています。また、プライベートにおいても、私や友人にきちんと言うべきことは伝えてくれます。それもあってか、彼の周りにはいつも人がいて、ワイワイ楽しそうに生活している印象が強くあります。もちろん私もその輪の中に入れてくれますが、本当にすごいなといつも尊敬します。
39歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは妻です。仕事をバリバリこなしし会社の人からも信頼されています。挫折という言葉を知らないかのような感じで何でもやってしまいます。また失敗もしていないかのようにやっているところが素晴らしいと思います。そして私の両親と同居していますが、このご時世、同居を嫌がる人が多い中嫌がらず、しかも私の両親のことを大切にしてくれるところが今どき珍しいというかありがたく思います。妻にも短所や弱点やストレスなどたくさんあるとは思いますが、それらを感じさせないところがとても尊敬しています。私も夫として妻のようになれるように努力していきたいと思っております。そして妻に尊敬されるような人間になりたいと思います。
50歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は職場の先輩です。いつも笑顔で全ての方に対応されていて神です。相談事にも、的確なアドバイスがもらえて、ついつい小さな問題でも相談してしまいます。
また全体を常に気にかけて仕事をされるので仕事が早くそういうところでも尊敬しています。
ある時、新人がモタモタしてお客様の質問に答えられずグズグズしていたら、隣で他のお客様の対応をしていたにもかかわらず的確で親切なフォローで少しイライラしていたお客様も笑顔で帰られるというような事がありました。こんな時も「凄いなぁ。私もああいう風に対応できるようになりたい!」と思いました。
だからといって嫌味があるわけでもないところも見習いたいと感じます。
23歳 女性のストーリー
私が尊敬する人は、職場のチーフです。10年のブランクからまた、仕事を再開してチーフとして活躍されています。なので約20年近く現役でバリバリ働いているのでとで尊敬しています。そのチーフとすごいところは、まず、職場のみんなをまとめる力があり、女性だらけの職場なので一人一人の悩みの相談やら仕事のことやら全て聞いて改善してくれるとてもいい人です。時には叱ってくれてみんなで「お母さん」と呼んでいる時もありました。それくらい懐が大きく頼もしい人でいつもその人の周りには人が集まっていました。そして、たまに天然な部分もあり歳かなとごまかしたりするところが可愛かったりします。何十歳も歳が離れているのに普通の距離で接してくれてとても暖かい居心地のいい人でした。
24歳 女性のストーリー
私が尊敬する人はお母さんです。なぜかというと、私自身結婚と出産を最近して色々と大変なことが多すぎで、お母さんがこうしていたんだなと思うと、お母さんのありがたさをとても感じました。特に出産は、陣痛から出産まで時間がかかったこともありますが、比にならないくらいに激痛で疲労で生まれてくるまで体がもうボロボロでした。あんな痛みを経験していたお母さん。それから子育ては初めてのことだらけで毎日寝たくても寝れない日々。洗濯や掃除などの家事もしなくてはいけない。そんな日を過ごしているうちにどんどんお母さんはすごいなと感じさせられました。私を産んでここまで育ててくれたありがたみを痛感させられる毎日でお母さんを尊敬しています。
30歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは父です。30代に差し掛かろうとしている今やっとそう思います。大学を卒業し、ある程度社会人として部下も出来て役職もつくようになりましたが結婚や子育て、マイホームの購入などの資金繰りを想像できません。このまま仕事が続けられる保証もないし、病気したりしたら家族を養うことも出来ないだろうと心配になってしまいます。しかし父はそういう不安や責任を全て背負って私たち家族を養ってきてくれたのだなと思うと感動すらします。今までは小言がうるさいなとか、いちいち細かいなとか、思うことが多々ありましたが、実際に自分が同じような責任や不安を抱えていけるか心配してしまう今、父は偉大であり、まだまだ超えられない尊敬できる父です。
22歳 女性のストーリー
高校時代の国語の先生を尊敬しています。
私は福祉の国家資格を取得するために通信制の大学に通っています。
その頃、どうしても文学の単位が取れず、母校に行き国語の先生にアドバイスやポイントを教えていただいていました。
ある時、なぜ資格を取りたいのかという話をしていたとき、先生がこうおっしゃいました。
「私は教員免許を取るのが嫌だった。もちろん、学校の先生にはなりたかったんだけどね。」
資格を持つということはその分責任が大きく付きまとう、教員になって子どもたちを指導することは子どもたちの人生の過程を背負っているということだから、
私は怖かった、と。
その話を聞き、当時の私は資格を取ることを目標にし、仕事が有利になることしか考えていませんでした。
もちろんそれも重要ですが、そこまでの責任が実際に伴うことまでは考えてられていませんでした。
その後、先生と私はあまり連絡することは無くなってしまいましたが、今でも先生のお言葉を胸に常に資格を持つことと責任、
対人に対しての仕事の在り方を考えるようになりました。
25歳 女性のストーリー
わたしがもっとも尊敬する人は絵本作家のかこさとしさんです。
かこさんは、子供の絵本をお亡くなりになるまでずっと書き続けていました。
みなさんが一度は目にしたであろう「からすのパンやさん」や「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「どろぼうがっこう」などの名作をはじめ「海」や「地球」などの専門的な絵本も書かれました。
かこさんを尊敬している理由のひとつは、有名で長い間愛される絵本を書かれたからです。
子から孫へと読み継がれるものを書くことはなかなか難しいことだと思うからです。
それからもうひとつは子供のことを大切にしていることです。
いつもかこさんは「こどもさん」を、敬意をもって呼びます。
そして、子供に読んでもらうものということで専門分野をかなり突き詰めてわかりやすく楽しく絵本として書いてきました。
とても素晴らしい絵本作家さんだと思います。
27歳 女性のストーリー
一番尊敬する人は私の母です。
週6日土曜日だけ半日でそれ以外はフルで働いてました。
朝9時〜夜11時までそれから帰って来てご飯
ずっと仕事ばかりでしたが休みの日は買い物に出かけたり祖母の家に行ったりしてました。
どれだけ仕事で忙しいかは分かってます。
職場では母にしか出来ない仕事があったので何十年も頑張ってます。
女手一つで私と兄を育ててくれて仕事もずっと続けてて文句1つ言わず疲れたしんどいとか弱音も吐かず本当に尊敬してます。
職場の社長さん家族からは家族同然の扱いをされていて創業ぐらいから長年一緒に働いていてすごく親切に色々してくれて母もその職場に貢献したいとずっと頑張っています。
そんな母を見ると私も同じような頼られる人になりたいと思います。
33歳 男性のストーリー
 最も尊敬する人は父である。私の父は、口数はそれほど多くはないが、私を気にかけてくれるような行動や言動をしてくれる。たまにしか家には帰らないが、帰ったら「おかえり」と声をかけてくれたり、冬には、家の前の雪をすかしてくれたりする。
 学生時代は、口数が少ない父と意志の疎通がうまくできず、衝突することもあった。父は話すことがそれほどうまくは泣く感情を伝えることがうまくないので、互いに仲立ちすることは難しかった。それに10年はかかった。
 そのきっかけは、私が社会に出てから、父の周囲の人を大切にする人柄、人望、家族を大切にする姿などが見えてきたことである。
 ちゃんとした教育を受けてきた自覚はないが、自分自身、父に愛されて育ってきたんだなとは感じる。
 普通の父ではあるが、私にとってはかけがえのない存在である。感謝してるし尊敬しているので父とした。
31歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は中江藤樹さんです。
江戸時代の初期の頃に活躍なさった方で、近江の国(滋賀県)高島で生まれた方です。
下級武士だったため家族が貧しく、農業も営む両親の元に生まれますが、大洲(愛媛県)藩に出向いた祖父の付き人として高島から大洲に向かいます。
そこで、熱心に学問を学び後に陽明学者となります。
日本で唯一、聖人と呼ばれることでも有名です。正式には近江聖人といいます。
現代では、滋賀県の高島氏に中江藤樹記念館があり、当時中江藤樹さんが開いていた
寺小屋(日本の寺小屋の始まりを作ったとされています)の跡地を見学することもできます。中に入って当時の様子を伺うことも可能です。
中江藤樹さんの影響で後に活躍する熊沢蕃山の活躍にもつながります。


43歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は、昔勤めていた会社の上司です。
現在、私の会ってきた上司の中でナンバーワン、理想型となる上司の姿です。
仕事はしない、突然仕事中に外出、そしてたまに酒臭い。と、この点だけを見てしまうと最悪のイメージですが、この方には、それを勝るところがあります。
自分の役割をきちんと理解しており、事務作業はできないから(やらないから)、その分、周囲への配慮、根回し、交渉事に重点を置き、マネジメントに特化した仕事のやり方をしています。仕事中の外出もある意味私用ではあるのですが、苦労している部下のために、差し入れを買いに行ってくれたり。そして、最も重要な部分で、最終責任は自分が取るということで、自分で納得したやり方でミスが出たらキチンと尻ぬぐいをしてくれるところです。
逃げの一手が多い今の管理職の中では、珍しい存在でした。
26歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは、お母さんです。私が産まれてすぐに離婚し、女手一つでお姉ちゃんと私を育ててくれました。夜の仕事をやっていたので、小さいときは「なんでママお仕事いっちゃうの?」と泣いて困らせていました。高校受験のときは、県立に受からないとお小遣い無しだからね!と言われていたので県立高校にいきました。私が高校生になると、家計も大変なはずなのにお小遣いを月に1万もくれました。部活もバイトもしていましたが、卒業したら働いて早くお母さんを楽にさせたいなと、ずっと思っていたので就活も頑張れ良い会社に入ることができました。今ではお母さんは再婚したので、今度は自分の幸せを優先してほしいです。これからもお母さんに親孝行していきたいとおもいます。
47歳 女性のストーリー
母親です。どんな逆境にあっても、愚痴のひとつも言わず自分にできることをコツコツと毎日続けることのできる1つです。取り乱したり、感情的なった所は見た事がありません。父親が浮き沈みの激しい人生を送っているのに、なにがあっても動じません。そして自分勝手な父親に、文句のひとつも言わずに寄り添います。芯が強く自分の新年を持った人です。人とのトラブルも起こしたことがありません。泣いているのを見たのは、彼女が母親を亡くした時だけでした。彼女の様にはなれないですが、少しでも近づけたらとは思っております。羨ましいと思う部分が、自分の弱点ばかりなので、特にそう思います。ちなみに、顔や見映えも母親に似ればよかったのになと思います。
25歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は、前の会社の上司です。縁あって別の会社に行くのこととなりましたが、ずっとその上司の下で働けていたならば、会社に残っていたかもしれません。前の会社は新卒がほとんどの会社でしたが、その上司は中途採用のため他の人とは少し雰囲気が違っていました。エンジニア出身ということもあって、非常に論理的な方でした。作成する資料も、プレゼンの仕方も、いかに人を納得させるかということを論理的に組み立てる方でした。特に尊敬していたのは、上司部下との付き合い方です。プライベートでも仲良くさせていただき、何度か食事にも連れて行って頂きましたが、それ以上に仕事において、いい関係を築けて働くことができました。フィードバックが具体的で明快、かつ私の腹落ちするように丁寧に説明を頂けました。いいところも悪いところも、そのように指摘頂けたからこそモチベーション高く働けたのだと思います。
37歳 男性のストーリー
私の尊敬する人は、同じ会社の上司で、歳は私より一つ下です。
その人は一言で、筋の通った人情深い人で、常に自分の行動指針を持っていて、かつそれに縛られすぎない柔軟性もあります。
ももっとも尊敬するところは、「人の可能性を必ず信じ続ける」というところです。
例えば、怠け者の部下がいたとしても、感情で怒らず、その人がやる気を出せる範囲を、驚くほど時間をかけてしらべながら、その人が楽しく仕事ができるように、自分にできることを考え続けて、必ず実行します。
決して人を見捨てず、大局的に物事を考え、感情を理解しつつもそれを押し付けない、さらにはリーダーシップに長けており、気がつくとその人の周りにはひとが付いて行っています。
わたしがとても好きなのは、上司部下の堅苦しい関係ではなく、まるで友人のような関係でも居させてもらえるところです。
32歳 女性のストーリー
ジブリで色彩設定というお仕事をされていた、保田道世さんです。
色々のアニメーション制作会社で、仕上げという、アニメの原画に着彩していくお仕事を重ねながら、一つの作品全体の色合いを決めていく色彩設定というアニメで重要なポジションまで登りつめていかれました。
当時はまだまだ男社会、職人気質の世界のなかで、仕事で誇りと信念を貫き、新色をつくったり、絵の具の会社にかけあうなど、努力や追及を諦めなかった強さに心打たれます。
また、仕事だけでなく、恋愛やディスコに通うなど、自分らしく輝くことも大切にされており、同じ女性としてとても憧れています。
ジブリで専心されるようになってからも、色彩設定のお仕に磨きをかけていったことはもちろん、日本のアニメーションが永遠に続くことを強く望まれて、未来も見据えられていたことにも、胸が熱くなります。宮崎駿監督や鈴木プロデューサーへ、若いクリエイターのために社員化を勧めたり、海外への業務委託でなく社内作業を支持するなど、胸を張って役目を果たされ、自分も働く女性として、背中を追い続けていきたい方です。
51歳 男性のストーリー
アイルトン・セナ
世界的に有名なF1ドライバーです。当然、何度もワールドチャンピオンになったことは素晴らしことですが、若くて才能があったこと、アスリートとして勝つこと、勝つために最善のことを考え行動していたことは尊敬します。ただ、そのレーシングスタイルなどから、周りから避難・中傷されることも多く、また、ナイーブで同じドライバー仲間が事故で怪我をした時は、酷く傷つき、レースに出ることを悩むこともあり、そのような人間性を見せることからも、ただ神のように尊敬するのではなく、近い存在として尊敬ができました。ドライバーの安全を最優先に行動を起こしたことのほか、慈善事業にも積極的で、恵まれない子供たちにの支援活動も実施していたことから、そのような社会人としても尊敬できる存在です。
43歳 女性のストーリー
私の最も尊敬する人物は父です。
父は地元では少しだけ有名な地主の家の末っ子として生まれ、比較的裕福に育ったと聞いています。
そんな父の性格は、とても温厚で、細かいところをこだわらない。というよりは水に流す術を持っているので常に前向き。
私がどんなに悪いことをしてしまっても水を外すようなことがあっても、一度は厳しい言葉をかけますが、決して見放すこともなく
必ずフォローをしてくれます。子供のころから何かあれば父が助けてくれるという思いを強くもっていました。
母親になった今、人間として父のような存在でありたいという思いがあります。
子育て中の今、フっとした瞬間に思いだす「あの時の父の立場」の自分が同じ対応をすることの難しさを実感。
そんな父も、少しだけわがままな、少しだけ新しいことを覚えていられない、かわいいおじいちゃんになりました。
尊敬の気持ちは現在進行形です。
30歳 女性のストーリー
祖母です。幼少期に父親を病気で亡くしてから母親、兄弟たちと力を合わせて生活し、戦争中でも様々な工夫をして乗り切りました。
祖父と結婚後、勉強をして医療事務の資格を取り、子育てと仕事、舅や姑の世話などをこなしていきました。
当時は(40年位前)コンビニもなく、加工食品を今ほど充実はしていませんでした。祖母は忙しい生活の中でも毎日の食事は必ず自炊していたそうです。
また、子ども達にも安心、安全な物を食べさせたい、という気持ちからおやつもほとんど手作りだったそうです。
私も幼い頃祖父母の家に遊びに行くと野菜をふんだんに使用した料理や出来たてのおやつを食べていました。どれもとても美味しかったです。
料理だけでなく、洋服や小物類を裁縫で作ったりもしていました。
さらに趣味でハーモニカをやっており、演奏会に参加したり、趣味の料理の講師や地域の広報誌のコラムの執筆もしていました。
現在85歳になった祖母は身体の調子は衰えてきましたが、私たちが遊びに行くと美味しい料理を用意して出迎えてくれます。
私は2年前に結婚してフルタイムで働きながら家事もやっています。祖母のようにはいかないかもしれませんが、憧れであり目標にしていきたいです。
45歳 女性のストーリー
尊敬する人は主人です。もちろん日常生活においては主人に対して小さい愚痴はそこそこありますけど(笑)
まず、常に冷静さを保てること。感情で周りに当たり散らしたりしたことを見たことがありません。もちろん私にも、です。そして仕事に対して野望も昇格意欲もないと自分で宣言していますが、きちんとこなす事は当たり前だとしてもそれ以上に真摯に打ち込むので、自然と周囲から慕われている様に感じます。転勤族なので、定期的に職場は変わりますが、何年も前の職場の方からいまだにアクセスがあったりします。それも1件だけではありません。更には、去年大病を患い大きな手術をしました。明らかに痛みや不安、不快で精神的にも身体的にも疲弊していましたが、それでも第一に私と子どもの事を気づかっていたその精神力と人の良さに、私も見習わねばならないな、と思えました。そのお見舞いにも、わざわざ以前の転勤先で関わった職場の方が数名、距離があるにもかかわらず来てくださったり、お見舞いが届いたり。今までの主人の生きてきた過程が見えたと思えた時でした。決して主人は人徳者ではないし、偉人でもないです。職場で高い地位に就いているわけでもないし、お金持ちでもありません。しかし、人として大事なところを常に持ち続けてぶれない主人を尊敬し憧れを持っています。恥ずかしいし悔しいから絶対に言いませんが(笑)
33歳 女性のストーリー
祖母を尊敬しています。
とにかく前向きで、嫌味や悪口は一切言いません。無理に前向きでいようとやせ我慢している訳ではなく、自然とポジティブシンキングが出来る人です。嫌味や悪口を言うより、自分が今目の前にあるすべき事を優先し、コツコツこなすことが本当に上手でした。自分の機嫌を自分でとることの天才だと思います。
今あるもの、例えば職場や家庭の環境・体質などをありのまま受け入れ、足るを知る人です。私がつい無い物ねだりをしてしまう時は、祖母の信条を思い出します。
また、漠然とした不安に襲われた時は祖母のモットー「なるようにしか、ならない」を心の支えにしています。
不平不満を言わず、友達と趣味を楽しみ、楽観的に仕事を全うした祖母を超える人はなかなかいないと思っています。
33歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は大学生時代のゼミの教授です。この手の質問で両親の事はもちろん頭に浮かびますが、両親に対しては感謝の念が大きいため、純粋に尊敬できる方を選びました。この方は幼少期にかなり貧しく、大学に通えるようになったのは社会人を経て30歳からととても遅くに進学された教授です。卒業するだけで素晴らしい事なのに、その後も大学で研究をされて今では教授として多くの方に教えをとき、学会発表などもされています。その昔の苦労を我々学生にとてもフランクに話され、とにかく目線が近いため、いわゆる先生という感じがしない方です。その人間性と努力においては今まで私が出会った中では一番だと思いますのでとても尊敬しています。
47歳 女性のストーリー
ある製薬会社の営業の方です。年齢は父親と同じくらいの方です。
私が仕事ができるようになったのはその方が一生懸命教えてくださったからです。
短大を卒業し、ある薬屋の店頭販売員をしていました。
私自身が幼く見えるため、みんなから高卒に見られていました。
そのためこのような人に仕事を教えても仕方ないと思っていて、はじめから相手にすらしてくれない方もいました。
某有名なメーカーの方です。
ただその尊敬できる方は最初からちゃんと名刺もきちんと私に渡してくれ、対等に扱ってくれました。
ちゃんと仕事をしているかチェックしたりされましたが、きちんとしているのがわかると、どんどん薬のことを教えてくれ、売れるようになると楽しくなっていったのを覚えています。
今ではそこまでしてくれる人はいませんが、その方のおかげで今みんなで仕事が楽しくできるのだと思っています。
新人の方でも対等にちゃんと仕事が出来るようにしたいと今でも思えるのはその方のおかげです。
40歳 女性のストーリー
わたしがもっとも尊敬する人物は、それは手塚治虫です。
手塚治虫の描いた漫画は、全て目を通し、何回も何回も読みました。彼は、世に既に知られているようにかなり素晴らしい才能をもった人物です。
それは、彼の経歴からもわかるのですが、まず漫画家でありながら、医師免許をもっていることです。ほんとに多彩な方で、その知識や経験が、多くの作品でリアルに表現されています。とくにわかりやすいのが、ブラックジャック。これは、医師免許をもっている彼だからこそ描ける究極のストーリーです。
毎回リアルな手術内容と、+αで漫画ならではの空想で描けるような結末が織り交ぜられています。
また、戦争の時代の作品を描いたり、宗教的なブッダを遺しました。本当に、彼以上の漫画家は今後現れるのでしょうか。
32歳 男性のストーリー
私が尊敬するのは母です。
私の父は私が小学校3年生の時に病気で他界しました。
それから母は女手一つで3人の子供を育ててきました。
私の家はどちらかと言うと貧乏で父がいる時から借金がありました。母は父が亡くなってから私たちを育てるために朝は新聞配達、昼間は工場で仕事。
ほんとに辛かったと思います。でも辛いと言わずやめることもなく継続しています。毎朝2時に起きて新聞配達へ向かいます。そんな母を私は心より尊敬しています。
子供たちが大きくなり家を出て行きましたが現在母は一人暮らしをしていますが今だに朝は新聞配達、昼間は工場で仕事の生活を毎日続けています。
そんな中でも自分の幸せを見つけていつも笑って過ごしている母は本当に凄い人だと尊敬しています。
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