"苦労話" に関するエピソード

「一番の苦労話」

35歳 女性のストーリー
シングルマザーの母に、裕福でない環境で育てられたので独立するまでは苦労の連続でした。

ライフラインが停まるのは日常茶飯事で、電気がとまり冬は暗くなるのも早いし寒いので夕方17:00頃から布団へはいってひたすら目をとじて過ごしたり、水道がとまり、夏場なのにお風呂に何日も入れなかったことが多々ありました。
当時は汲取り式のいわゆるぼっとん便所でしたが汲取りをしてもらうお金が払えず何か月も溜まった糞尿が便器からあふれ出していました。
当然家は害虫だらけでした。ゴキブリと共存でしたね(苦笑)
一番辛かったのは家賃の滞納が長期に渡ると家を強制的に追い出されることです。何度も引っ越しを繰り返す日々でした。
中学の頃のことですが家に帰ると施錠されていて、おかしいなと思い窓から中をのぞくと家財道具などがすべて管理会社に撤去され空っぽになっていました。自分の大切にしていたものや写真など全て無くなっていて悲しさと虚しさでいっぱいになったことを覚えています。
41歳 男性のストーリー
技術者として製造メーカに努めていますが、まだ若手社員の時に自分の携わっている製品が不振で事業撤退の憂き目にあい、応援という形で他事業を手伝うことになりました。
応援という形で参加したために、その業務について簡単なレクチャーもなく、これまでの業務経験に基いて成果を出すよう求められました。が、まったく専門分野外のために大した戦力になれず、成果を残せない日々が続きました。
仕事は出来ずとも、ともかく業務に関わっていかないと何も出来ないままなので、無理やり不良に関する会議等に参加し、自らトラブルに巻き込まれるようにしました。
しかしトラブルを自分で解決する実力はないため、分かりそうな人に相談する事を繰り返しましたが、当然ながら嫌な顔をされることも多々ありました。
今ではある程度の実力はついたと思いますが、当時は一番精神的にタフな時期でした。
37歳 男性のストーリー
高校時代に親が事業に失敗し自己破産をした。そして両親と自分、弟で真夜中に夜逃げをしたことがある。見知らぬ土地で全く知らない人達との関わりで大変ストレスを感じた。
自分と弟は母の実家に戻り、祖母と一緒に暮らすこととなった。祖母のおかげで高校は卒業させて貰えた。元々は大学進学を考えていたが、金銭面的に進学は難しく、昼間病院で看護学生として働きながら、准看護師学校に入学した。
看護学生としての働いたが、朝7時から12時まで働き、昼間は学校、夕方17時から数時間ほどの勤務を月に22-25日ほど行い月給は10万程度であった。そのため学費と生活費でほとんどが消えてしまい、自身の趣味などはほとんど出来ない状態であった。
33歳 女性のストーリー
新卒で入った部署の直属の上司がパワハラ上司だった。言葉の節々にとげがあって、しょっちゅう理不尽な叱りを受けて、さらに人間性までも否定されて、精神をかなりやられた。
仕事の雑用はいつの間にか自分に全部降りかかってきていたので、本当に多忙だった。でも「そんなに残業するほど仕事回してない」と、残業を付けることはパワハラ上司の許可が下りず、できなかった。なので上司が不在の時に残業申告を出さずにこっそり残って仕事を片付けるなどして、何とか仕事をしていた。
その部署で働いていた5年間は心療内科に通院していて、どうしてもものすごく気分が落ち込む時は安定剤を時々飲み、日々やり過ごしていた。
当時は新卒でそれがパワハラだとは気づかず、社会って辛いな、大変だな、自分はメンタル弱いんだろうな、と思っていたけれど、今思えばあれは立派なパワハラ、モラハラだった。あの5年間は本当にしんどかった。
36歳 女性のストーリー
過去の苦労話ではなく、現在進行形になります。
子どものころから、人の気持ちが分からない、不注意、衝動的、段取り能力の欠如など、生きていくのに大変やりづらさを抱えていました。知的障害なのかと思ったこともありましたが、学校の成績は良かったので、益々悩んでしまいました。
そんな私が心について興味を持つことは自然な流れだったのかもしれません。今では精神科の仕事についています。そこで、勤務していた医師とカウンセラーに「発達障害だよ」と指摘されました。頭がそれなり良かったので社会適応できていたけれども、明白に発達障害だと言われました。昔ほどは悩んでいませんが、相変わらず人の気持ちが分からないのです。これは致命的です。必死に人の表情や言動のパターンのデータを蓄積中です。人生で一番このことに苦労しています。生まれてからずっとです。
10歳 男性のストーリー
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28歳 女性のストーリー
高校の時に両親が離婚しました。
原因は父親のDV。アルコールをよく飲む父は、母にたびたび暴力的になることがありました。
離婚後は妹とともに、母についていきました。
自分のことは自分でしようと、高校生活はバイトにいそしみました。
母は仕事も忙しく夜いないこともしばしば。妹がかわいそうではないとか衝突することもありました。
妹をかわいがっていたつもりでしたが、姉として疎まれていたようで、母のいないある日、妹と大きな喧嘩をしてしまいました。妹は深夜なのに家出。わたしは悲しみのあまり自殺を考えていました。
まさか家族に疎まれているなんて。
妹は無事戻ってきましたが、それから口をきいてくれることはなく、母に相談しても被害妄想だといわれました。
離婚後数回食事に言っていた父にも、送迎をお願いした時に、お前のためになぜ酒を我慢しておかなきゃいけないのだと怒られ疎遠に。
数年後、国家試験を控えた私に、今度は母からお前は悪魔の子だ。とか、この家に災いをもたらしているなんて言われるように。
発言されるだけではなく、家族で住んでいる玄関に張り紙をされたりもしました。
病気であったということですが、わたしという人間は、本当に人を不快にさせるしかないのだと痛感しました。
いまでは結婚し、母と妹とも食事にでかけますが、どうしようもない胸の苦しさから解放される日がくるとは到底思えません。
21歳 男性のストーリー
私の一番の苦労話はいじめから引きこもりと社会復帰です。              
中学生の時にひどいいじめにあい、家に引きこもっていました、学校の先生にも相談したりしていましたが常に両成敗または加害者を庇うようなことばっかりで話になりませんでした。そして完全に引きこもり中学校に全くいかないようになりました。
勉強は塾に通ってしていたので高校に通うことはできたのですがクラスは引きこもり支援のところでした。その時にカウンセリングに通い始めて時間をかけて外に出ること、人との会話などを最近ようやくまともにできるようなりましたが、仕事、バイトになると恐怖感がでて1日でやめるしまい大変でした。今は在宅の仕事で何とかやっていいけている状況です。
41歳 男性のストーリー
一番の苦労話ですが、、

私は、株式投資の中での信用取引です。
私の財テクといいますか、資産運用は、初めは積立投資信託でゆるーく開始していました。

先進国ファンド 新興国ファンド 日本株ファンドなど分散し始めました。
10年近く積み立ており、ボチボチ含み益も増えていきました。

株式投資も傍らでアベノミクス効果もありちまちまどころか、投資信託なんかしょぼいやと思いつつも利益を積み上げていく事になりました、、が!

つい、欲が出、信用取引でもっともっと稼いでやれ!と思うに至り、次々と売買するも、利益もあがるが、コケた時にはエゲツない損を被り、、また、投資信託や現金を担保に取引できるものだから、、とある銘柄を買った時に、ヒドイIRが発表され、それまであった10年間積み上げてきた投資信託の利益、株で得た利益がすっ飛びました。
しかも追証まで発生させ、投資信託の保有資産も削ってしまいました。

欲張りから来た失敗です。じっくりいくが自分にはあっていたのでしょうが、見失っていました。
オオゴケした時は、ガクッと膝をついて、冷や汗が出たものです。精神衛生面でもよろしくなく、、苦労話ともいえるでしょうか、まともに仕事するが一番だ、とも感じています。
36歳 女性のストーリー
母親がPTSDになり、高校生になった妹が境界性人格障害を患い、家庭崩壊した時のこと。
母は仕事には行けるが、なぜか家庭に戻ると何もできなくなり、妹は夜中、自意識がなくなったまま自転車で遠くまで行ってしまう。
朝方まだ夜が開けない時間に私に携帯で妹から連絡が入り、どこにいるかわからないと言われる。
母は動かない上、父親は疲れ果ててか、干渉することをやめてしまっていたため、運転免許取り立ての私が妹の対応をするしかない。
周辺の看板や建物の情報を妹から聞き出し、場所を特定。
そのまま車で30~40分ほどの場所まで妹を迎えにいく日が頻繁に発生。
また迎えに行った時の妹は疲れ果てており、学校にもあまり通わなくなっていた。
迎えに行った場所に一旦自転車を置いて妹を自宅まで連れ戻すため、翌日などに、自転車を取りにいく必要もあった。
そんな非日常のような日常が続き、私もそのままうつ病にかかる。
現在はそれぞれの道に進んでいるが、私は今もうつ病治療のため、服薬と通院をしなければいけない生活を送っている。
39歳 男性のストーリー
今までの人生で最も苦労したのは、自分が某大手ファミリーレストランで働いていた時のこと。そこは24時間営業のファミリーレストランとして人気のお店でした。連日多くの客が訪れ、多い時は1日に800人近い人が訪れていました。社員は店長と自分の2人だけ。あとはパートやアルバイト。そんな状態ですので、お盆や正月になると非常に休むパート・アルバイトが多いのです。そんな環境が嫌で、歳を重ねてからは厳しい仕事だと思い、辞めることも決まっていたさいごのお正月。悲劇は待っていました。どうやってシフトを組んでも深夜と午前のシフトが埋まらない。もはや自分が入り続けるしかなかったのです。12月31日の夕方6時に出社し、忙しい中深夜の業務をこなす。朝になるとモーニングが始まり、正月特有の初詣帰りの客が押し寄せる。そのまま休む間も無くランチ、そしてディナー。気づけば1月2日の12時。最後のお正月が終わった…
56歳 男性のストーリー
 高校生の時に事業に失敗した父が、借金を残して失踪しました。金目のものは持ち去られていたので、残された家族はサラ金に追立られることになりました。幸い家族が連帯保証人にはなっていなかったのですが、当然親戚や知り合いからは責められました。
 今のように債権者にも一定の制約があるわけでもなく昼夜関係なく取り立てに来られました。それでもなんとか借金は免れ、私は社会人になります。
 それから四半世紀後父の訃報が届きました。以外にも近くで生きていたようです。無論母も親戚も事後の処理などしません。やむなく遺体の引き取り、葬儀、住まいの撤去から相続に関する手続きまで一人で行いました。
 アパートを引き払う際は連帯保証人でもないのに不動産屋から酷く責められたことが最も精神的に堪えました。
 住まいの撤去では遺品整理の業者さんと出会い、相続については司法書士の先生に借金の有無を調べてもらい、葬儀ではその後もお世話になる小さな心優しい葬儀社の社長さんとも出会うなど、僅か3か月の間に普段はできない社会勉強をさせてもらえたのだと、今では思っています。
43歳 男性のストーリー
以前、仕事を医療事務をしており、様々な業務をしていた。しかし、事務は事務であり、患者に触れる事は、法律で禁じられていた。私は、医療従事者に憧れとコンプレックスを抱いており、一念発起し会社を退職し、34歳から医療の専門学校に入学した。最初は、慣れない勉強、一回り以上下の同級生、生活リズムが一変し、楽しいと思う反面、社会から出た怖さを感じた。そして、勉学、実習、課題など必死にこなし、国家試験を受けるまでこぎつけた。成績は芳しくなく、受かるかどうか瀬戸際なところであったが、教員や仲間、自分の必死の努力により、何とか合格を勝ち取った。人生において、こんなに勉強して苦労した事なかったし、こんなに嬉しい事は、経験なかった。今もあの時の事を思い出すが、あの思いは2度としたくない。
45歳 男性のストーリー
師弟制度が良くも悪くも今も根強い世界なので、なかなか自分の判断で行動したりといったことが難しく、また狭い世界であまり頭のいい人は多くないので変な噂を流されたりするともう消せなかったりする。
資格を持っていても民間企業のように起業したりということはほぼ不可能であり、業界の後継者不足が深刻と言われている割には既得権益で固められているので、新しい人に話が回ってくることもまずない。医者の世界と結構似ているところがある。色々と問題のある世界だとは思うが、今のところは何とか外に漏れずに済んでいるがいつか世間に内情も漏れ聞こえるようになったら一気に崩壊するのではないかと危惧している。
どの業界にも言えることだが真面目な人ほど損をすることが多い世界だと思う。
45歳 女性のストーリー
二人目の子供が生まれてすぐに、父親が倒れました。上の子供が2歳の頃でした。
介護が必要になり、どうしても家で過ごしたいと言う父親の気持ちを汲み、介護と育児の生活がスタートしました。夜中の授乳で寝不足の私に、何をしていても呼び付ける父親。当時、生まれたばかりの子供を抱っこした記憶がほとんどないくらい介護生活は壮絶でした。一番寂しい思いをさせたのは、長男でした。お兄ちゃんだからとたった2歳なのに頼りにしてしまいました。病気の父親に理不尽に怒られても、泣かずに我慢していました。介護が限界で泣いてしまった私に「ママ、何もしなくていいよ。ご飯作ってあげるからね」と頭を撫でてくれ、おもちゃの野菜を切り始めてくれたことは、未だに心の支えです。今は父親が亡くなり、子供たちは大学生と高校生ですが、あの頃の思いが今も私の中で大きいので、子供たちのやりたいことを全力で応援したいと思っています。
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あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
自分は特別だと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
独身っていいなと思った瞬間
こんなひといました
わたしの周りで一番勉強ができた人
あの人と縁を切ってよかった
これまでに出会った天才
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
わたしの周りで一番お金持ちの人
今だから言えるごめんなさい
人が豹変した話
わたしの周りで大変身した人
わたしの周りの大恋愛
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
ノウハウ
異性は知らないなと思う話
業界ならではの話
○○の裏話
人間関係
家族に一番感謝したこと
女同士って面倒くさいと思った話
女って本当に恐いと思った瞬間
一番ひどい友達からの裏切り
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
とっておきのすべらない話
人生最大の失恋話
これまでで一番お金を無駄にした話
人生で一番運が良かったなと思う出来事
これまでで一番悲しかった時
忘れられない夏の思い出
一番の苦労話
忘れられない夏休み
人生で一番贅沢した話
一番おいしかった食べ物
嘘みたいなほんとの話
人生最大の修羅場
奇跡だと思った話
お金さえあればと感じた瞬間
これはひどいなと思った結婚式
これまでで一番笑った話
死ぬかと思った話
今までで一番感動した話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
これまでに一番勇気を出した瞬間
忘れられない先生の話
人を見返してやった話
今までで体験した一番怖い体験
修学旅行の思い出
どうしても許せないこと
学校や仕事をサボってやったこと
これまでで一番驚いた話
私について
苦手だったのに得意になったエピソード
人生が変わった出来事
そういえば昔夢見ていたこと
仕事での大失敗
私の変えたい過去
わたしの初恋と、その結末
誰かに聞いてもらいたい愚痴
誰にも言っていない秘密
もっとも尊敬する人
わたしがやめられないもの
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話