"パート" に関するエピソード

「これまでで一番驚いた話」

41歳 女性のストーリー
短大を卒業して初めて就職した先でパート勤務をしていた時の事です。
日によっては本社と支社を行き来していたのですが、支社には決して逆らってはいけないお局様と呼ばれるアラフィフの女性がおりました。お局様が多忙な方で昼ご飯はいつも購入される方でした。
ただ、弁当本体ならまだ分かりますが新人もしくはその部下がお局様の購入された付属品のスープを溶き、サラダにドレッシングを設定してお局様の『適温』と感じられる時間にセッティング、もしくは置かないといけないと叱責を受けるというローカルルールを知った時に驚愕しました。
そこまでしないといけないのが社会人なのか、と当時は納得しましたが、次に転職した会社ではありえない話になっておりました。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

40歳 女性のストーリー
お金持ちと言えば、中学時代の友人ですかね‥。
子供の頃、そんな意識はしていませんでしたが、確かに他の友人のお家にお邪魔した時とは違うことがたくさんありました。
まず、家が今思えば、こだわりが見えていたように感じていました。
ダイニングのテーブルは立ち上がっても真ん中に置いてあるものが取れないほど大きなテーブル。
家にはエレベーターがあり、ビックリしました。
出てくるおやつはどこかの高級デパートで売っているようなお菓子。
アイスは、サーティワンのアイス。
もちろん、私も食べたことはありますが、子供の友人に出すアイスなんて箱に何本も入って売っているようなのが定番だったので申し訳ない気持ちになってしまっていました。
そんな彼女のお父さんは、会社経営者。
今は結婚していますが、育ちが裕福だからかダンナさんもかなり稼いでいるようです。
久々に会ったらどこのおばさんかと思うほど、ふくよかな姿になっていました。
見た目からしてお金があるんだろうなと言った装いで。
月々の食費がダンナさんと二人暮らしで30万だと聞いた時にはなるほどねと、納得してしまいました。

「もっとも尊敬する人」

35歳 女性のストーリー
母です。
小さいころから私に「働いている父を蔑ろにしてはいけない」と教えてくれて育ててくれたのです。
子供の為にパートに出て、私の学費や家族のお金を作ってくれました。
「お家があってご飯が食べられるのはお父さんのおかげ。」
「毎日おやつが食べられるのはお母さんのおかげ。」
「でも、お父さんとお母さんが頑張れるのは子供のため。」
母が泣いているところを見たことが無く、子供心に母は私の自慢でした。
お料理も上手くて、いつも笑顔でスキンシップはちょっと激しめで。
洗濯掃除は苦手だけど、家族のためにいつも頑張っていました。
そんな母のおかげで私は思春期になっても父への反抗期は無かったです。
でも仲良しの家族だと思っていたけど、父が借金と浮気をして離婚しました。
そんな中でも母は泣かずに子供の安全を最優先し、仕事を更に増やし、
昼も夜も働いて私に不自由なく暮らせるように育ててくれたのです。
私はもう子供が持てない年齢になってしまったけど
もし、子供が出来たら母のように守るんだと決めていました。
私が死ぬまで、私の中の1番は母だと思っています。
26歳 女性のストーリー
母のことを尊敬しています。
周りが友人たちが遊んでいる20歳の時に出産し、
一生懸命私を育ててくれました。
若い母親だから…と偏見の目で見られないように
言葉遣い、挨拶や公共の場でのマナーは厳しく躾けられました。
私が14歳の頃、両親が離婚しました。
母は親戚に頭を下げて生活費を工面してもらい、
自身はパートをしながら専門学校に通い始めました。
私を大学まで行かせるために、
老後私に面倒をかけないように、
経済的自立を目指し、30半ばで看護師を目指しました。
パート、子育て、専門学校と、忙殺された3年間を終え、
無事に看護師になりました。
どんな環境下でもめげずに自分の人生を切り開き、
私を育て上げた母の努力と根性は
その姿を側で見てきた私に大きな影響を与えました。
母のようなたくましくて強い女性になりたいです。

「「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事」

43歳 女性のストーリー
「メルカリ」
メルカリを始めるまでもオークションなどの存在は知っていましたが、知らない人との売買に不安しかなく、やるつもりはありませんでしたが、メルカリには匿名配送というものがあり、お互いに名前も住所も知らないまま取り引きが出来ることを知り、思い切って始めてみました。まだ子供が幼稚園に通っており、パートに出る事も出来なかったので、最初は暇つぶし程度に考えていました。
ところが、子供の使わなくなったおもちゃや着れなくなった洋服、履けなくなった靴、人からいただいたけど好みではなく使っていなかったものなど、どんどん売れました。しかもリサイクルショップに持って行った時とは比較にならないくらいの利益でした。ハンドメイドが好きなので、子供のものを作って余った生地で何か作って出品もしてみました。ハンドメイド品の追加オーダーもありました。本当に何でも売れるのでおもしろくてやめられなくなってしまいました。その時、こんなお金の稼ぎ方もあるんだなと思いました。

「誰にも言っていない秘密」

25歳 男性のストーリー
爆破バンコク在住なのですが、度々女の子と知り合う機会があります。もちろんそこからデートをし始めるのですが、みなさんご存知の通りバンコクはレズ、ゲイ、色々な人がいます。
ある日僕がバーで知り合ったことデートをすることになりました。バーで少し会話をしたところ、特に違和感も感じずいい子だなあと思っていました。デート場所は少し人が多いデパート。待っているとやって来ました。うん。女の子。
そう思いながら、楽しいデートもあっという間に終盤へ。
そこから少しお酒も入っていたことから、相手の家に行くことに。綺麗な家だなーと思いながら、ゆったりしているとその子が服を脱いで近づいてきました。まさかあそこには、男のものがついていました。
僕は自分の目を疑いながら気づいた頃には行為も、終わり誰にも言えない秘密になりました。

「お金さえあればと感じた瞬間」

24歳 女性のストーリー
今の職場を退職し、転職期間を設けたいと考えたときです。私は母の介護のため短大を出てパートで働いています。そこのパートは予定などの融通が利く上そこまで重労働ではないため長く続けても良いと思っていたのですが、一人必要に陰険ないじめをしてくる人がいるため私はどうしてもそのパートをやめたいと思うようになりました。しかし、そのためには転職期間の生活費を持っていなければいけません。私はそのようなまとまったお金はなく現在も同じパートで過ごしています。お金さえあればこんな思いをしなくて済むのにと本当に思います。お金は稼がなければ手に入りませんし使えばあっという間に消えてしまいます、使わないようにしても家賃や光熱費でどんどん消えていくのあればそう思う瞬間は多いです。
27歳 女性のストーリー
アウトレットやデパートなどに用事があり
買い物などに行くと
買う予定以外の物などもつい見てしまい
あれも欲しいこれも欲しいなど
欲しい物への欲求が沢山出てくる。
また、
あ!これ可愛い!欲しいな……。いくらだろ?っと
値札を見てみると自分の想像以上に
値段が高い事に驚き、悩んだ末に
結局買うのを我慢してしまう時とか。
この時ほど虚しいものはない。
こうゆう時ほど、あの時買っておけばよかったと
後から家に帰ってから
後悔する事が多いと思うのは私だけですか?
こうゆう場面になる時に、ふっと思うのが
お金さえあれば欲しい物を好きなだけ何も考えずに
買えるのにな。と思う……。
現実はそんな甘いものではないですね。
頑張って働くしかない!

「誰かに聞いてもらいたい愚痴」

34歳 男性のストーリー
5月末にパート契約でしたが、6年勤めた所を退職しましたが、退職理由は建前上は一身上の都合でありましたが、本音を言えば、勤めていて不満が募っていた事が理由で勤め先は営業所で本社は大阪でしたが、退職間際の営業所長に対しての振る舞いに不満が大きく、例を上げるとキリがないので何点かにしますが、営業所長は役が付く前から反りが合わない事が多々あり、所長になったあたりから横柄さが増し、同僚(女性)の娘を自己判断で決め、その事案を全体説明せずに入れたり、また、自分自身は加工する部署でしたが、社内では基本的ペーパーレスを進めていたものの、一部の指示をする際は指示書を必要となるんですが、営業所長は話したくないのか説明せずに指示書を作業スペースに置くのが常態化(一番最悪だったのがそばにいるのに置いていく…)という有り様で、しかも、性格が体育会系で何か言うと年上や評価してない人間に対してガッと言うので色々な事が募って退職に…。正直、当人がやりづらい原因を作っている事(自分自身が辞める前から年1人ペースで辞めていく事が続いていた…)いつ気づくのかや補填を何故、やらなかったのかと不満を出したら止まらなくなるので以上で終わります…。

「忘れられない先生の話」

21歳 女性のストーリー
私が忘れられない先生は中学校の担任の先生です。私は3年間担任をしてもらいました。女性の先生で、生徒のためを思って尽くしてくれるような先生です。例えば、体育祭でクラスで競う大縄跳びがあれば生徒だけではなく休憩時間に必ず先生も練習に付き合ってくれました。合唱コンクールではそれぞれのパートごとに家で自主練習できるようにCDを配布して一緒に優勝を目指してくれるような先生でした。それだけではなく、誰かが病気をして入院をしたときにメッセージカードを送ろうと提案をして、クラスメート全員でメッセージを書いたりしました。私も中学時代肺炎で入院していた期間がありましたが、クラスからメッセージカードをもらって元気が出ました。このように生徒ひとりひとりを思って行動をしてくれる素敵な先生だったなと思っています。

「人を見返してやった話」

46歳 女性のストーリー
私は結婚して17年、不妊治療したものの子供には恵まれませんでした

でも結婚当初から10年ちかく、まわりからの「子供が生まれました」や子供の写真入り年賀状で涙の正月を迎えていました

子供がいる人と会っても子供に関する話ばかりで自分が劣等感につつまれて憂鬱になるだけなので距離を置いていました

それから何年かたって一人は離婚
別の人は子供が大きくなったし、もともと夫婦仲があまりよくないようで家庭内別居状態
別の人は、住宅ローン払いながら子供にお金がかかるためパートで頑張ってるようです

一方私は
専業主婦(時々アルバイトしています)
夫婦仲も良好!
住宅ローンおわりました!!

相手に対して直接何かしたというものではありませんが、私の中で見返したと感じています
今年、「夫婦仲良く行った旅行が楽しかった!」と年賀状を送ったら返事がありませんでした
今まで苦々しい思いをしていたので今年の正月は格別でした

来年の年賀状も張り切って作ります
36歳 女性のストーリー
私には2歳上の姉がいます。
姉とは仲の良い姉妹として育ってきましたが、事あるごとに小さい頃から姉に「馬鹿!」と罵られたり、「あんたなんて一生結婚出来ないわよ」と、喧嘩する度に傷つくことを言われ続けてきました。
姉は勉強家で、高校は県内でも有数の進学校へ入りました。その時も姉は私に「私と同じ高校には来ないでよね。そんな心配はないか、あんたは馬鹿だから私の高校には入れない」と言ってきました。
その時、私の心に火がつき、なんとか姉を見返したいという一心で猛勉強し、2年後に姉と同じ高校に合格することが出来たのです。
しかし姉の私を馬鹿にする態度はそれほど変わることはありませんでした。
姉の態度が変わってきたのはつい最近。姉より先に結婚が決まり、母となって育児に奮闘する日々を過ごす一方、姉はまだ親と同居して独身です。最近の姉は私に対して「あなたは家庭を持って母となって、私よりしっかりしているね」とよく言います。
姉は難関国家資格を突破して、士業の仕事に突き進んでいます。一方私は結婚を機に退職してパートの主婦へ。
ずっと姉を尊敬し、ずっと姉に馬鹿にされ続けてきた人生。女として立場は全然違うけど、今ようやく姉が私を褒めたり、認めたりしてくれる事が増えたことに喜ぶ自分がいます。

「どうしても許せないこと」

46歳 女性のストーリー
昔スーパーで働いていたが、そこの店長が許せない。
堂々と従業員の勤務時間を捏造するし、時給も最低賃金以下でこき使う。
追求すると嘘をでっち上げて言い負かす。
気に入らない人間は上司ヅラして最もらしいことを言いつつ、相手を口撃(つかモラルハラスメント)するのをよくやるのでこいつのせいで、バイトやパートから正社員になってもすぐやめる。
なぜかと言うと正社員になったら、より一層ネチネチ口撃したりこき使うので三ヶ月以内にやめる。
あと思い通りにならん奴も、辞めるように仕向けるので迷惑千万だった。
客がレジで裸銭10万をポケットに入れてたが金が無くなったと騒いで、レジ打ちが金を盗んだと罵倒してた時現場にいたが、知らんふりしていたので従業員の一人が対応して自腹で金を払う羽目になったり(だからその人はその後やめた)とか無責任にもほどがある。
個人的には、口撃で病ませた癖に障害者を使ってやってるとか抜かすのが許せん。

「嘘みたいなほんとの話」

38歳 女性のストーリー
当時3歳の息子とは良いことをすると必ず神様が見ていて良いことが回ってくるんだよという話をしていました。だから悪いことをしたら悪いことが戻ってくるよということを教えたかったのです。
2人目が欲しいなぁと考えていた頃でした。デパートに息子と買い物中、足元に何か落ちています。1000円札でした。本来の私なら、ラッキーと思いそのまま拾っていたでしょう。しかし、その時は店員さんに届けなきゃいけないという強い意識が真っ先に来てすぐに店員さんへ届けました。息子も落とした人見つかるといいねといいながら、なんだか気持ちがぱあっと明るくなり帰宅しました。
それから半月ほどして、なんと2人目を妊娠したのです。なかなか出来ずにいた私は本当に驚きで、あの時きちんと届けたことを神様は見ていたのだろうか。もし届けずに自分のものにしていたら今頃は、、と思うと因果応報はやはりあるのだなと思いました。
19歳 女性のストーリー
小学生のころ、学校のブラスバンドに所属していたのだが、ある日音楽室から体育館に打楽器をを運ぶ時間があった。同じパーカッションパートの友達と仲良く談笑しながら鍵盤打楽器を押し廊下を移動していたのだが、話がひと段落ついたところで二人とも話すことがなくなり無言の時間が。
しかしお互い無言でも気まずくない関係だったため無理に話をしようとしなかった。
私は特に何も考えずなんとなく歌をくちずさんだのだが、そこで驚きの展開。友達も全く同じ歌の全く同じところを全く同じタイミングで口ずさんだのだ。
私も友達も「え!?今のすごくない!?」と大興奮。
今でも顔を合わしたらときたま「あれすごかったよね」とその時の話をします。

「学校や仕事をサボってやったこと」

23歳 女性のストーリー
小学生の頃、新任の担任だったので言うことを聞く生徒が少なく授業の途中だろうが何だろうが、教室を飛び出して当時の仲良しメンバーで家でタコパをしたり小学生ながらにおおちゃくをこいていたことと、高校の頃、学校の校則が厳しすぎて、嫌になった友達と親にも先生にも連絡せずに2人で海に黄昏に行ったり、寄り道さえ禁止の高校にも関わらず市内のデパートに制服のまま出かけた。同じ高校の時でまた別の日には、出掛けて補導に出ていた先生たちに見つかり、学校に連れて行かれてしっかり反省文を書かされ、毎日居残りをさせられ更に学校が嫌になって、遂に1週間以上学校をサボり、高校生なのに三者面談ではなく担任が家庭訪問に来ることになったこと。

「人生が変わった出来事」

52歳 女性のストーリー
昨年の話しです。私はとある会社に、パートとして働いていました。15年間、どの社員さんにも負けないくらい残業もバンバンやり、サービス残業もかなりこなし、持ち帰り仕事も頻繁でした。後から入社した人は、私がパートとは思ってない人ばかりでした。
長く勤務していたので、わからない社員さんに一から教え、部署の責任者が変わっても業務が滞る事はありませんでした。
定年まで10年、忙しくはありますが好きな仕事だってので、このまま続ける気持ちでしたが、事件は起きました。
5年勤務したら「無期雇用に転換」される制度ができ、制度ができてから5年目でした。そんな事を知らない私が5年目を迎えるタイミングで、契約更新せず期間満了で退職させられました。
仕事ばかりしていた自分が、理不尽な理由で無職となり今だにやる気が起きず、仕事もせず呆けています。
人生何が起きるかわかりません…

「修学旅行の思い出」

50歳 女性のストーリー
高校の修学旅行といえば、今からもう30年以上前になります。
行き先は東京と、立山黒部アルペンルート。

なかでも東京では、班行動ではあるけれど1日フリーの日があり、
どんな所へ行くかについて事前の話し合いはを熱を帯びました。
開園したばかりの東京ディズニーランドで1日過ごすか、それとも都内を周るのか。
人気は半々といったところで、私のいた班(女子5名)は都内研修を選びました。

同じく都内を選んだ他の班は、原宿の竹下通りや渋谷・六本木、
あるいは上野・浅草といった名所を研修コースに盛り込み、
いかに先生に認めてもらうか交渉に励んでいました。

それなのに私たちは、5人そろって真面目過ぎる生徒が集まったためか、
新宿ではアルタやルミネではなく「伊勢丹デパート」。
原宿では竹下通りに向かわず「明治神宮」。

真面目過ぎる研修コースは、何の問題もなく先生にすんなり認めてもらえました。
「もうちょっと面白い所に行っても良いんだよ?」とのコメントつきで…。
それでも行く前から楽しかった修学旅行を思い返すと、
四角四面の学生だった自分たちが何だか微笑ましいです。

「忘れられない夏休み」

32歳 女性のストーリー
私が中学一年生だった年の夏休み。
入学式での吹奏楽部の歓迎演奏で、私は指揮者の先輩に一目惚れをしました。
彼は三年生。どうしてもお近づきになりたくて、彼と同じ吹奏楽部、しかも同じパートに入ることができました。
それだけでも夢のようだったのに、友達のお陰で、なんと学校に入学して三ヶ月もたたずにお付き合いすることができたのです。
ただ、私はまだ恋だの愛だのが理解できておらず、付き合えた事実だけで舞い上がり、ろくに彼の目を見て話すことすらできませんでした。
嬉しいけど恥ずかしい。そんな気持ちが抜けずによそよそしい態度をするばかりで、初めての夏休みがきました。
当時はお互い携帯電話も持っていなかったので、連絡手段は電話のみ。
夏休みに入ってすぐに彼から「鎌倉の花火を見に行こう」と誘われたのですが、嬉しい気持ちよりも、何故か「恥ずかしい気持ち」の方が勝ってしまい、とても冷たく断ってしまったのです。
本当は一緒に行きたくて仕方なかったのに。
それから彼とは自然消滅してしまいました。
あとにも先にも、あんなにも強烈な一目惚れをして好きになった男性はいないのに、自分が子供だったばっかりに、自分の正直な気持ちも、彼の気持ちも傷つけてしまったと、とても後悔しています。
20年近く経った今でも、夏の花火を見るたびに、彼の悲しそうな姿が思い浮かび、胸が痛みます。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

60歳 女性のストーリー
学生時代の友人が一般企業に就職してバブル景気の時に、ビックリするくらいのボーナスをもらって、海外旅行にどんどん出かけて、ブランド品を買い漁っているのを目の当たりにした時は、さすがに内心うらやましく思いました。
しかし、三十年後には私もそこそこの給料をもらうようになり、そこそこのボーナスももらえるようになったので、最終的にはトントンかなあと思いました。
ちなみに友人は某生命保険会社のOLで社内結婚後、専業主婦になりました。その当時、一般企業では社内結婚すると、女性は退職するというのが慣習でした。
彼女は今は近所のスパーでパートで働いています。私は公務員、結婚後も働き続けて30数年になります。
今では友人からうらやましいと言われています。ということで、この仕事、公務員でよかったと思っています。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

30歳 女性のストーリー
私はコスメや雑貨、キャラクターグッズなどが好きなので、そういった可愛くてキラキラしたものに囲まれていると女性に生まれて良かったなと感じます。
また街を歩けば路面店もデパートも女性向けのお店ばかりだし、レストランでも周りを気にせずに気兼ねなくスイーツを食べることができます。レディースデーなど、女性限定のサービスもあり、お得にいろいろなサービスを体験することができます。
髪の毛の長さ、スカートやパンツ、ネイルなどいろいろな自分の表現の仕方があることも良いと思います。
女性消費者をターゲットとしたものが多いので、たくさんの娯楽があって男性よりも楽しめることが女性の特権ですし、女性に生まれて良かったなと思う瞬間です。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

23歳 女性のストーリー
おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出は私が小さい時は、両親が共働きだったのでいつもおじいちゃん、おばあちゃんに面倒を見てもらっていました。
2人ともとても優しいので、私は大好きです。
小学生の時はデパートや動物園、バーベキュー、ボウリングなどたくさんの場所に連れて行って貰いました。中学生になると、休みの日にお買い物やおばあちゃんの家に遊びに行き家族皆んなで美味しいご飯を食べたりしました。旅行には半年に一回連れて行ってもらって、おじいちゃん、おばあちゃんには今まで色んな事で助けて貰いました。
成人して働き出した今、会うのは一年に一度になってしまい昔の事を思い出して悲しくなります。
これからは私が恩返しする番だと思います。

「独身っていいなと思った瞬間」

39歳 女性のストーリー
友人や妹、周囲の女性たちが結婚し妊娠出産を経て、自分の時間がなくなっただけでなく、経済的にも困窮してしまったり、義実家、とくに姑との問題に巻き込まれて苦しんでいる姿、さらには育児に追われているのを目の当たりにしたとき、私は独身でよかったなと安堵することが多々あります。とくに、私は専業主婦の座を勝ち取って、永久就職したのと高をくくっていた女友だちが、旦那の突然の失業でパートを掛け持ちしなければならなくなったのを見ていると、なんだか憐れに思えてしまいました。人任せで生きていけるほど世の中甘くはありません。それにこれからの日本、決して希望が持てる要素がないのに、そんなところに子供を産み落としたことに対する義務感や責任を感じてほしい、そしてその責務を全うしてもらいたいといった気持ちでいっぱいになります。ややこしい問題もなく、自分一人が生きていければいいだけの自由な独身の私の選択は、ある意味では大正解だったのではないかと思う今日このごろです。
39歳 男性のストーリー
現在私は,結婚10年経過しました。
子どもは2人いて,共に小学生です。
私は会社員で妻はパート勤めで,仕事帰りは家事を分担するというその生活が日常となっています。

その中で独身がいいなと思った瞬間は,会社の飲み会です。
仕事後は,家事を妻と分担するために,お互いに役割があるため,
会社の飲み会が急遽入ると,子どもの面倒や炊事など妻の負担が多くなってしまいます。
そのため,会社の先輩や後輩に飲みに誘われると,すぐに即決できないことが多々あります。
独身の時は,徹夜で飲み屋にいることもありましたが,今はそれが出来ないのがとてもつらいです。最近では,先輩,後輩が気を遣ってだいぶん先の日時で都合をつけといてと言われますが,そのうち誘われなくなるんだろうなと危惧しています。

「一番の苦労話」

39歳 男性のストーリー
今までの人生で最も苦労したのは、自分が某大手ファミリーレストランで働いていた時のこと。そこは24時間営業のファミリーレストランとして人気のお店でした。連日多くの客が訪れ、多い時は1日に800人近い人が訪れていました。社員は店長と自分の2人だけ。あとはパートやアルバイト。そんな状態ですので、お盆や正月になると非常に休むパート・アルバイトが多いのです。そんな環境が嫌で、歳を重ねてからは厳しい仕事だと思い、辞めることも決まっていたさいごのお正月。悲劇は待っていました。どうやってシフトを組んでも深夜と午前のシフトが埋まらない。もはや自分が入り続けるしかなかったのです。12月31日の夕方6時に出社し、忙しい中深夜の業務をこなす。朝になるとモーニングが始まり、正月特有の初詣帰りの客が押し寄せる。そのまま休む間も無くランチ、そしてディナー。気づけば1月2日の12時。最後のお正月が終わった…

「あの人と縁を切ってよかった」

34歳 女性のストーリー
 あの人と縁を切ってよかった、と思うのは結婚前に勤めていた会社で同僚だった女性社員です。
 彼女はあまり良い噂が有りませんでした。「男性社員に媚を売って社員にしてもらった」とか、見えないところで他の男性社員とイチャイチャしていたり…目に余る行動も多かったです。
私は彼女とはあくまでも『会社の同僚で、世間話をする関係』を貫いていたのですが…
ある時からターゲットにされてしまったのです。それからというもの休日になれば電話がかかってくるのです。
ダラダラと「何してる?」「あの人があなたの事、嫌いだって」と下らない話ばかり。
私は次第に疲弊していきました。
パートさん(主婦の方)に相談したら、あきれてました。そして、「あまり親しくしない方がいい」、「何か言われても真に受けない方がいいよ」と言われました。
 彼女と縁が切れたのは、私が結婚して退職したからです。今思えば彼女は流行りの『エネルギーバンパイア』でした。(他人に迷惑かけて、精神的に疲弊させる人のことです。)
 その後聞いた話ではの彼女は会社内でいろいろ問題行動を起こして退職せざる終えなくなったそうです。彼女とは本当に縁が切れてよかったです。
 
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