"変えたい過去" に関するエピソード

「私の変えたい過去」

38歳 男性のストーリー
ギャンブル依存症により消費者金融で300万円借金を作り、それをすべて両親に代わりに完済してもらったこと。
お給料を毎月すべて湯水のごとく使うのは当然、最初の内は知り合いに言い訳を適当に作り借金をしていたのだが、全く返せる見通しが立たなくなり、ついに手を出してしまった。一度手を染めてしまったら最後、それを返すためにまたギャンブル、なくなったらまた借りる、それを返すためにまたギャンブル…負の連鎖は止められず、気が付いたころには返せる見込みが全くないほどに膨れ上がってしまっていた。
上限の300万円に達したとき、自殺を考え失踪した。結局死にきれないまま3年間家に帰らず、両親が必死に自分を探し当て、もう二度としないと約束したうえで、全て支払ってもらい、何とか現在に至っている。
24歳 男性のストーリー
大学の卒業式の話だ。
私は大学ではほとんど友達のような者はいなかったが、たまに話すくらいの人はいた。特別に仲が良かったわけでもないが、向こうはよく絡んできた。授業でも真面目でちょっと浮きやすいタイプだった。初めは話しかけられると鬱陶しい気持ちもあったが、だんだんと慣れてきて、悪い人ではないよな、と好意的な気持ちも湧いてくるようになった。
そして大学の卒業式になり、その人と私は隣り合わせになった。弾みはしないものの、ポツポツと話をしながら、無事卒業式は終えた。その後、その人の両親が来ており、とてもニコニコして「仲良くしてくれてありがとう」と言われた。私とその人は、まあ友達というほどではないけれど…みたいな感じで返答はしたが、向こうは連絡先でも交換する?と言ってきて、つい私は断ってしまった。別にしたってよかったのだが、その頃の私は人に仕向けられることに苦手意識を覚えており、自分の意思を通さなきゃと反射的に答えてしまったのだ。だからといって向こうに変な反応があったわけではないが、帰り道でとても後悔した。
両親の言葉から察するに、その人は今までも孤独になりやすかったのではないかと思う。あの時、少しでも私が大人だったら、連絡先の交換くらいわけはなかっただろう。これも一つの教訓のようなものであって、無かったことにするべきではないのかもしれないけれど、それでも瞬間に戻れるなら戻りたい。
45歳 男性のストーリー
私の変えたい過去は高校生時代です。
高校入試の際に1次入試に落ちてしまい、1.5次入試で私立高校に合格しました。
合格したのはいいのですが、この学校ではひたすら大学合格を目指す勉強漬けの日々であり、しかも男子校だったので全くいい思い出がないのです。
この時の勉強のかいあって無事大学には合格できましたが、毎日のテストやら文化祭の日でも勉強やらと楽しいことを思い出すことができません。
しかも部活動もできませんでした。
なので私がもし過去を変えられるのであれば、多少レベルを落としてでも公立高校に入学して、何らかの部活動をやって同級生の女性たちともたくさん触れ合って、これぞまさしく青春という高校生生活を送ってみたいです。
41歳 男性のストーリー
現在、インターネットビジネス・FXトレーダーをして生活しておりますが、4年前まで7社グループの会長をしておりました。自分の変えたい過去はずばり、1円の大事さも気づいていなかった当時の自分です。
社員には1円の大事さを伝えていたのに、肝心な自分が疎かにしていました。365日付き合いで飲み歩く始末、、、。許させる経費内、自分の給料内でやっていたので会社資金には迷惑かけてはいませんでしたが、毎日酒臭い会長、社員にしてみたら本末転倒ですよね。
1円が大事といっておきながら毎晩飲み歩く始末。ちゃんと理由がありましたが理解される事は絶対にないと思いました。
そんな矢先の裏切り、追い出し、、そこまでやってきた努力が一瞬にして無くなり全て失い現在に至ります。
今はそうならないように家計簿をつけて生活しております。
31歳 女性のストーリー
子供の時私は好きな人ができると、もういてもたっても居られずに、好きを最大限アピールしていました。それは、好きな人の帰り道をずっとつけたり、休みの日に家に電話して本人が出たら切ったりなど、今になっては本当に迷惑なことをしていたと反省する日々です。

そんな私の最も反省する、変えたい過去があります。それは、好きな人がいくら好き好きとアピールしても相手にしてくれなく、馬鹿な私は相手にしてもらいたいがだけで、歩道橋の上から「この人はシスコンで、妹のことが大好きでお風呂に一緒に入ってまーす」と大声で叫んだんです。それを聞いた相手は私を追いかけました。それでも馬鹿な私は「おー相手にしてくれて嬉しい」と思っていた、どうしようもない奴でした。

今思い出すと本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
32歳 女性のストーリー
私は小学校から仲の良い親友がいました。何をするにも一緒で失恋したり失敗しても励まし合える、言葉なんかなくてもわかるようなそんな仲だと思っていました。
でも、気づいたときにはアラサーですべて嘘偽りだらけのフレネミーだったのです。
彼氏は寝取られ、失恋したら酒のつまみにされ、マウンティングは日常茶飯事、裏では私の悪口は言いたい放題、妄想癖の被害者面だった事を鈍感な私が気づかなかったのが悪い、いや、気づいていたけど自分に被害がないと思っていたから安心しきっていた部分でもある。
一度裏切られたときに気づいていれば、結婚式を白紙にすることもなく家族や仲間を悲しませ、怒らせる事もなかったんだろうなと今なら思えます。すべては長く一緒にいた時間が信頼だと思っていた過去を変えたい。一度不信を感じた時に縁を切ればよかったです。
34歳 女性のストーリー
私の変えたい過去は大学三年生の時に行った転職活動です。
あの時は「とにかく早く就職先を決めて、残りの大学生活を謳歌したい」というようなことしか考えていなかったため、企業研究もろくにしないまま就職活動をスタートさせてしまいました。
本当は一般事務に就職したかったのですが「志望動機を考えるのがめんどくさそう」という理由から志望動機が考えやすそうなSEで就職活動を行ってしまいました。
その結果、SEで就職が決まったのですが元々が法学部出身であり、文系人間だったのでいきなりプログラムが組めるわけもなく早々に挫折してしまいました。
また就職先が大きくない会社なので研修設備も整っておらず、一年目は毎日辛い日常でした。
あの時に戻れるのなら、就職活動の時に戻ってもっと真面目に就職活動をしたいと思います。
34歳 男性のストーリー
自営業で接客業をはじめました。始めた当時、とある会社から営業の電話がきて、
『御社専用の予約アプリを作成しませんか?』
と言われました。自分一人でのスタートでしたし、周りに相談しようにもなかなか相談できる人もおらず、
『これからの時代、必要になる時がくるだろうから。』
と、契約しました。
総額240万円ほど。分割で。
運用し始めて半年、なかなかアプリの恩恵を感じる機会がなく、せっかくアプリを使っての予約ができる状況になったのにもかかわらず、このような形となってしまい、あげくのはてに、
『契約しなければよかった。だからと言って契約後にキャンセルしたら240万の数十%の違約金を一括で支払え。というのも無理な話だったし…なぜ契約したのだろう。』
と、今でも後悔しています。正確には契約した次の日から自問自答の日々でしたが。
これがなければ月4万円ほど、余裕のある生活ができるはずでした。
そういう意味では変えたい過去の一つです。
45歳 男性のストーリー
幼少期より現在に至るまで基本的な性格は変わっていないのですが、
人に対して喜怒哀楽を伝えることができない私。
喜んでいる、楽しんでいるのだけれど「つまらない?怒っている?」
と言われることが多々あります。怒っていてもそれが相手に伝わらず
ナメられることもしばしば。
反対に悲しいのに涙ひとつ流せず、見る人からしたら冷酷だなと
感じられてしまっているかもしれません。
幼いころにどのような生活をしていたのか記憶にないのですが、過去
を変えられるのならば喜怒哀楽の感情が表に出せる、そんな性格が
備わった状態で成長ができたならば大人になった今、このような悩みは
無いのだろうなと思うので、願わくばこの性格を変えたいなと思います。
19歳 男性のストーリー
私は高校時代友達がいなくて寂しくて2・3回しか関わったことない先輩の女の子と青春してみたくて告白しました。しかし彼女は彼氏がいるみたいで私は気まずくなりました。高校にいるのも気まずくなりました。しかし彼女は廊下ですれ違う時おはようと挨拶してきます。私は気まずくそっけない態度をとってしまいました。私の心の中では彼氏いるからあんまり親しくしちゃだめだとずっと思っていました。こんなことになるなら告白しないで友達になればよかったとずっと後悔していました。後で後悔するからそれ以来誰にも告白しないようになりました。たぶん後から笑い話にされたかもしれないし僕は友達がいないし高校の同級生からは嫌われていたので益々私に対するイメージが悪くなったと思いました
40歳 女性のストーリー
大学受験せず専門学校を選んでしまったことです。
その時は、音楽以外の勉強は自分には不必要とすることが格好良いことだと思い、両親は大学への進学を進めてくれたのに、2年で4年分の学費がかかる専門学校へ進んでしまったこと。音楽大学にチャレンジする勇気、自信も無く、普通の大学に行くのもやめてしまったことをもう一度戻れたらチャレンジしたいなと思ってます。せめて普通の大学出ておけばよかったなと思いと、大学生でなければ過ごせない貴重な時間に今でも憧れてます。ただ、専門学校の友達も一生の友達だったりするので出会えなかったらと思うともう一度同じ道を選択するかなとも思いますが、大学へいってみたい気持ちは凄くあるので、過去が変えられるのならやはり専門学校ではなく大学を選びたいです。
18歳 男性のストーリー
私は現在高校三年生です。中学校では勉強をさぼってしまいあまり偏差値が高くない高校に入学しました。
高校入学後は留年などのことも考えたくさん勉強をしてきました。しかし、中学生の内に基礎ができていなかったため勉強に限界がありました。校内ではテストや評定平均は常に上位を保っていましたが上にも書いた通りあまり頭の良い学校ではなかったので他の高校とで比較すると頭の良さは普通ほどでした。
高校生活自体はとても充実していましたが進学は就職のことを考えるともっと早いうちに勉強を熱心に取り組むべきだと後悔しています。
なんとか勉強を頑張り医療関係の学校に進学が決定しましたが、中学生の頃からもっと勉強していれば自分の将来がもっと広がったのではないかととても後悔をしています。
これが私の変えたい過去の話です。
21歳 女性のストーリー
精神的障害を持ち、自分らしさを生まれつき制限される機会が多かった(今もですが)のですが、自分ももちろん家族も気がつくことはありませんでした。
ただ症状に耐え、我慢を続ける日々が限界に達した時、私がストレスによる身体症状が現れました。高校生の時でした。
自分でも、もちろん親も私の障害を受け入れられなかったため、親からは冷たい言葉を吐かれました。精神障害をコントロールしたり我慢したり、普通の人のように振る舞うことなどできないほど疲れてしまった私を、家族から腫れ物を触るように接せられました。

私に「普通」を求められる家族に理解してもらうことを私は半ば諦め、容認しました。
「普通」のフリを必死にして、ダメな時は家族に自分を否定され、また普段の症状からも精神的負担を強いられました。希死念慮も症状として現れることも良くあったため、本当に、楽しいことをしても楽しくない。毎日辛さ、悲しさ、絶望感しか感じない。死んでしまおうか。と何度も何度も、何度も何度も思いました。

今は、一人暮らしをして、大学で研究しています。障害を自分で受け止めつつ、毎日を過ごしています。私の障害を理解できなくとも、辛さをわかって助けてくれる友達がたくさんできました。治療に励み、毎日薬を飲んでいます。家族も私の訴えを聞いてくれました。落ち着いて、丁寧に説明したことで、治療や障害を理解してくれています。将来のことも、障害を踏まえて一緒に考えてくれます。

私が変えたい過去は、私の価値観、考え方です。障害がなければ、家族に冷たくされなくてすみましたし、症状による過度のストレスを負わなくて済んだと思います。障害さえなければと思うこともありますし、何で他の人とおんなじようにできないんだ、何で自分は感情が不安定になるんだ、などと考えることは多々あります。しかし、その全ても私は自分の一部として受け入れられたので、今は高校生の頃の辛い思い出は新しい自分になれた良いきっかけでもあります。

変えたい過去の考え方は、自分を受け入れなかったこと、ストイックになりすぎて「こうでないといけない」と追い詰めてしまったことです。
確かに、真面目で努力家でストイックな私は成績優秀で、県内でも上位の高校に入学しました。今考えると障害を持ちながら努力し続けた自分を誉めちぎりたいレベルです。笑
ですが、「ちゃんとしないと認めてもらえない」「自分など価値はないのだから、出来ることで認められよう」「また失敗した、自分なんか何にも役に立ちやしないダメなやつなんだ」とよく思っていたのです。この考え方は本当に危険です。いくら良い結果や成果をあげても、精神的に自己破壊しているのと同じです。(現に私は崩壊しました)
こういう考え方をする方は、真面目で、些細なミスも許されないまたは許せない方なんですよね。自己評価を低く、低くして、決して傲慢さも持たず、慎ましく生きようとしているのだと思います。
私は、もし、この内容を見られてる方の自己評価が低い方には、とびきり応援をして、褒めて褒めて、貴方の存在の大きさ、素敵さをいっぱい語りたいです。私からしたら、普通の人が普通に生活してるだけで凄い事なんです。羨ましいし、かっこいいです。やる事やらないのにダラダラしたってかっこいいですよ。笑

自己評価の低い考え方を時間をかけてゆっくり変えてきた私は、「自己評価高くしておけばよかった、今までの人生めちゃくちゃ損をしたな」って思ってます。障害に苦しめられても、障害でやるべき事が(やりたくても)できない自分を責めず許して、認めてあげる(認める事もプライドが傷つく事もあります)事で、私は生きていて幸せなのだと思えます。希死念慮も今もありますが、「いや、普段の私はこんなこと思わない!」となんとか理性で耐えてます。笑
今まで生きてきて思うのは、障害同様、自己評価の低い考え方の方が自分にとって大きな闇でした。障害が無くても、自己評価の低い考え方のまま生きていたら、きっといつか後悔してしまう時が来るのだと思います。

自分を責めても、自分を苦しめるだけです。得られるのは贖罪をしたように感じるだけ。
それに何の意味があるんですか?何の生産性がありますか?
自分を本当に幸せに出来るのは、他人ではなく自分です。自分を認めて許してあげるのは他人の役割ではなく自分の役割です。
私は今、こう考えて、日々幸せになることに努力しています。
50歳 女性のストーリー
私の変えたい過去は、幼少時代、男性にいじめられていたことです。そのため、登校拒否児になり、勉強が遅れてしまい、公立に行けませんでした。
未だにそれが原因なのか分かりませんが、男性に嫌われています。職場の男性も怖がっているか、タイプじゃないのか、寄ってもきません。私もいい年なので、積極的に寄っていくほうではありません。男嫌いだと勘違いされてしまっているようです。本当は、男性のほうが優しいから好きなんですが、いやがられては、こちらもひくしかありません。最近は、どうでもいいかなと思ってしまいます。しかし、友人たちが、旦那様のことを自慢する度に羨ましく思う時があります。
老後も近いので、これからどうなるか心配になってきています。
意地悪された過去を消したいです。
26歳 女性のストーリー
私の変えたい過去は高校三年生の受験期です。もともと兄弟が美大に進学しており家計は余裕があるわけではなく、私が進学の際にはできればお金がかからないようにしてほしいという親の意向を直接ではなく間接的に伝えられていたため、自分が本当に行きたい進学先ではなく全く興味がないところへ進学してしまい、今社会人になり無事大手金融機関へ入社をいたしましたが、入社して数年経ってもやはり夢であったインテリアデザイナーを諦めることができず、会社を退社しまた専門学校へ通っています。今となれば、また夢を追いかけられるありがたさを感じていますが、高校三年生の受験期の時に進路を曲げず、夢を追いかけて、美大またはデザインの専門学校へ進学していたら今頃は違うだろうなと後悔してます。
45歳 女性のストーリー
子供は親を選べないけど、親を選びたかった!
両親は私が3歳で離婚、新しい父は酒、ギャンブル好き、毎日のように母と喧嘩。
酔って大声で怒鳴ったり、人に怪我をさせて警察のお世話になったり。
母は私のことはかわいくなかったようで、話しかけても「あとで」と言ってばかりで無視。
時々ヒステリーを起こし、ご飯も食べず仕事も行かず、部屋に2〜3日閉じこもることも。
私が12歳のとき、高齢出産で妹を出産。私は「妹と親とで家族ができあがった。これでわたしは家族からはじかれた」と感じました。
学校ではいじめを受けることはなかったので、大学進学を期に家を出ました。
就職してからは、お金に困ったときだけ連絡があり、お金を貸しても返さない、妹の奨学金の保証人にさせられて、返済しない、など、酷い目にあいました。
挙げ句の果てには、かわいがってくれた祖母の死を知らされず、半年後に知りました。
それを期にうつになり、精神科ではアダルトチルドレンと言われ、カウンセリングで最近やっと復活。
過去の教訓を生かし、今は親と関わらないように生きています。
36歳 女性のストーリー
私は過去、精神的にかなり弱くギャンブル依存症になってしまったことがあります。
とにかく毎日パチンコへ行っていた時期もありました。
そのきっかけになった元彼と付き合う前に戻りたいです。
その元彼自身がパチンコ、パチスロ大好きで毎日のように行っていました。私はそのときはあまり興味がなかったので一緒に行くことはなかったのですが、ある日私の好きなアニメがパチンコになっているからと無理矢理ホールへ。
しかも3000円くらいで当たり、3万くらい勝ちました。
すると私は一気にハマってしまい、彼とは会うたびにパチンコデート。
しかも彼はかなり借金を作っていたようで、私にパチンコで勝ったら返す、と何度も数万円を貸しました。
結局、彼は浮気をして、私から借りた300万も返さないまま消えました。
そして私自身もギャンブル依存症になり、借金を作ることになってしまいました。
なので、彼と付き合わないという選択ができればいいなぁと今でも思ってしまいます。
26歳 女性のストーリー
それは私が中学生の時のことでした。

背の小さかった私は整列をするたびに一番前で
それはそれは悔しい思いをしていました。
そんな私が体育祭の行進の練習で、とある
お願いを先生からされました。

それは退場し終えたら「回れ右」とクラス
全体に声をかけてというものでした。

私が一番後ろだったので任命されたのでしょう。

しかし身長だけでなく気も小さかった私は
私の声でみんなが動いてくれるのかなと、
とても心配をしていました。

しかし、そんな心配は杞憂に終わりました。

そして帰った後、お風呂で母親に先生に
任されたんだよ、と自慢げに話していました。

その後の練習でも、何の失敗もなく
体育祭当日を迎えることになったのですが、
当日、私は大勢の前で緊張をしていました。

「人前で大きな声を出すなんて…」

私の緊張は最高潮でした。
そして行進での退場をし終えて
私がクラス全員に放った一言

「右向け右」

練習があったのでみんなが間違えることは
無かったのですがとても恥ずかしかったです。

あれから10年以上たった今でも思い出すと
穴があれば入りたいほど恥ずかしいです。
変えられるなら変えたい過去でした
40歳 女性のストーリー
20代の頃、付き合っていた彼がパチスロにハマっていて、自然とデートの時間に私も一緒に行くようになりました。もともとゲームセンターのコインゲームは好きだったのですが、「どうせお金でコイン交換して遊ぶなら、返ってくる可能性があるパチスロの方が楽しいよ」と彼に言われて「確かにそうかも」なんて思って、気づいたら自分ひとりでも暇な時間に行くようになってしまっていました。最初はビギナーズラックでけっこう勝っていたのでますますハマってしまい、その彼と別れてからも時間さえあればひとりで行くようになってしまいました。それなりにお金も時間も浪費してしまい、後に債務整理を行うことになってようやく止めることができました。人生が取り返しのつかないことになるほど多額ではありませんでしたが、パチスロにハマっていたなんて親もいまだに知らないし、夫にも言ったことはありません。貴重な20代をもっとほかのことに費やしたかったです。
40歳 女性のストーリー
誰かと会って、一緒に時を過ごしたり、遊んでいる最中..もしくは、相手の家へ泊った時とかでも、自分自身がしっくりこなくて、違和感を感じてしまったら即座に「帰ろう」「帰りたい」と思ってしまう事。もちろん、いきなりその場で「もう嫌、」と態度で示し、帰って来た事もあった。宿泊するつもりで、寝入ったものの我慢ができなくなり、真夜中であっても帰途に就くだとか。家族が相手だと、感情任せにブチ切れ、毒を吐いて帰って来たりしていた。相手から気に障る言動だったり、何か神経に障る一言を言われると気になって気になってずっと考えてしまい、最終的に自分がその場から居なくなりたい、という結論に辿り着く。居なくなる事でしか、自分を保てないというか。突発的にそんな行動をとってしまった自分を思い出すたびに、悲しくなります。
30歳 女性のストーリー
息子が6歳になり、誕生日会で保育園の担任先生より、
「○○君は大きくなったら何になりたいですか?」
という質問をされた事をきっかけに将来の夢についてを考えるようになりました。
勿論、母親の将来の夢と今の職業について、問われます。

私の変えたい過去は、18歳の頃の過去です。

高校で、演劇部に所属して、全国大会や実際のプロ(劇団四季など)の方からの指導を頂く機会が多い中、高校三年生の秋に個人演技賞を近畿内の大会で受賞しました。
それをきっかけに、プロの方からのオファーがいくつかあり、私は是非とも舞台俳優としての道に進みたいと父親に打ち明けました。

当然の如く、「アカン」の一点張りの父。母親も、「そんなんで食べていけないでしょ?」と拒否されました。

でも、どうしても演劇の道に進みたい私は、秘密で、アルバイトのような形でプロダクションに所属しながら大学へと通いました。

秘密というのはどこかでばれてしまうもの。
親に見つかり、プロダクションを強制で辞めさせられてしまいました。

それでも、自分が進みたい道へとガンガン進む勇気が私には無く、諦めて一般企業へと就職しました。

でも、子どもが出来て、その子どもから、
「ママ、夢は諦めちゃそこでおしまいなんやって!いつか掴むチャンスがあるかもしれへんからその時までじーって待つんや」
と息子に励まされ、勇気をもらいました。

あの時、息子みたいな背中を押してくれる人で出会ってれば、私は今、こうしてここにはいなかったのかな?と思います。
30歳 女性のストーリー
大阪の大学を卒業し、地元だが実家からかなり離れた田舎街に就職した。自分のやりたかった仕事につき厳しい先輩のもと一生懸命に勉強しながら働いた。同じ職場で出会った一人の男性と交際し、いつかは結婚を考えるようになった。また、いつかは実家の近くに戻りたいと思っていたが、彼が仕事をやめて私の実家のある街に移動したいといって、私もどうするか考えたが一緒に実家のある街に移ることを決めた。しかし、前と同じ仕事につくのは難しく、違う資格を取って働くことを決めた。
今になって思うと、彼だけ移って私はそこに残ってもう少し腕を磨き勉強すればよかったと今ではとても後悔しています。今でもその時の仕事をもう一度やりたいと思っていますが、現場から何年も離れるともうできない職のため本当に後悔しています。
25歳 女性のストーリー
私は高校卒業まで親の言う通りにしてきましたが高校卒業後の進路先である動物の専門学校も親の言う通りのところに通いました。
でも私はその頃漫画家をめざしていて絵の専門学校に通いたかったんです。
親には手に職を持っていろ、動物の専門学校を卒業してから考えなさいと言われていました。
しかし、高校も手に職を持っていろと言われて調理師の免許が取れる学科のある学校を卒業した為、これ以上親の言いなりにはなりたくないと思ってしまいました。それからは親の反対を押し切り動物の専門学校を中退し上京しました。
今では新聞奨学生として働きながら絵の専門学校に通っていますが仕事は慣れたのですがやっぱり寝れなくて精神的にもダメージがきます。私の変えたい過去はその動物の専門学校を中退せずやり遂げて上京してれば良かったです。
43歳 男性のストーリー
これは私が実際に体験した人生の中でもかなりショッキングな出来事です。その日は、仕事でイベントもあり、いつもと違う場所への出勤でした。とはいってもそれほど遠方に行くわけでもなく、使い慣れた電車だったのですが、通常のラッシュ時より少し遅いぐらいで、満員電車とはいかない程度で、座ることはできないまでも車内に余裕があるぐらいでした。電車に乗り、これからはじまるイベントの連絡などで携帯電話で同僚とメールのやり取りをしていました。普段はあまりつかわないのですが、仕事のやり取りもあり、カバンを網棚に載せていました。あと一駅で着くぐらいのところで、イベントの関係で急いで電話をしないといけないことに気づきました。電車の中だったので、次の駅で降りてすぐ電話しようと頭で考えていたぐらいに電車も着き、飛び降りて急いで電話しました。電話してる最中になんか軽いなと思った時には時すでに遅く、普段使いもしない網棚に置いたカバンは電車とともに出発。一瞬何が起こったかわからないまま放心状態になりました。
●とにかくパニック
次にパニックです。まず、大事な手帳、財布、イベント資料など、さらに財布にはクレジットカード、免許証、保険証、銀行カード、現金が入っておりました。現金は普段あまり入れないものの、当日に限って子供の習い事の月謝や週末の旅行代金10万円程度が入っていました。手元に残ったていたのは、原因となった携帯電話、そして交通系ICが入った名刺入れ。ある意味、せめてものすくいだったかもしれませんが、電車とともにいってしまったカバンの中身を考えるともはやどうやって生きていけばいいんだ、今日のイベントどころではない、人生最大のピンチだとパニックでした。しかも、この電車は長距離運行で、二つ先の県まで行ってしまう電車でした。もはや追いかける方向もない。これほどゾッとした経験は今までないぐらいで、自業自得なだけに自分自身が本当に嫌になりました。
28歳 女性のストーリー
高校2年生の時に出会った彼と付き合ったことを変えたい。
今では、違う彼と幸せに生活していますが、当時の人とは今の彼と結婚するまで悩まされました。簡単に別れてくれず、自傷行為に走ったりストーカー化して付き纏われる事もしばしばありました。
当時はブログが流行っていたので私もしていましたが、コメントは当たり前にされ、毎日のように監視されてました。どうにか別れた後も付き纏われ、連絡もきてたりしましたが、今の彼と付き合ったら自然となくなりました。
ただ、今の彼と別れた後、どこから知ったのか連絡をまたしてくることが増え、趣味のライブ観戦にも参戦していて、見かけた連絡がくる事がありました。
最近になりお互い結婚したので、なくなりましたが…結婚する直前まで最後の思い出〜とか言ってたので、本当に出逢いたくなかったし、買えたい過去になってます
48歳 男性のストーリー
私の変えたい過去は、バツイチなので前回結婚した事実を変えたいです。
理由は、私の家族、親族、友人、知人など色々な方に迷惑をかけた生活でした。結婚が早く、10年位生活をしていましたが、子供もおり普通にアパートで暮らしていました。
最初は良かったのですが、相手方の家の資金繰りが悪くなり、近くに住んでいた私の親族から金策したり、私も2本ほど借金の保証人になったりと散々でした。
私はサラリーマンでしたが、若い割には収入があったと思いますが、家計を任せていたので、別れる時には貯金ゼロ、処かマイナスでした。どのくらい援助していたのかも解らず、別れてからも保証人になった金融機関から督促が再三あるなど、もう思い出したくも無いです。
26歳 女性のストーリー
高校時代、冬の寒い朝。寝坊してしまったばっかりに急いで通学することに。
いつも使う急な坂を、この日は猛ダッシュで下っていました。
すると、おじいさんと小学生の子供が上ってくるのが見えたので、少しスピードを落とし脇に避けて進んだら、次の瞬間、コンクリートの地面にたたきつけられていました。
衝撃で何が起こったかわからず、立ち上がれないまま、全身痛いのか冷たいのか、へんにあったかい。手袋をした手で顔を触ってみると血が・・・。顔着(がんちゃく)。顔面から着地したみたいです。
さっき来た道に目をやると、先ほどのおじいさんと小学生はこっちを見ながらも、何事もなかったかのようにそのまま上って行ってしまったんです。
その時何を思ったか私は「なんで助けてくれないんですかぁぁぁ!!」と動けない&半泣きの状態で叫んだんです。それでも無視して行ってしまったのですが、、、。
しばらく立ち上がることもできずにいると、通りすがりの男性が助けてくれ、無事、救急車を呼んでもらえました。

けがは顔面に10針以上で骨折せずに済みましたが、今も傷を見るたびにこの出来事を思い出します。
今思うと、あのお二人は、助けてくれなくて当たり前なのかもしれないです。
もう、坂道猛ダッシュ&叫ばないので、過去を変えられたらな~と思います。

因みに、転んだ原因は丸太でした。近所の小学生が置いたみたいです・・・。
40歳 女性のストーリー
昔は絵本作家になりたかったです。
というのも、絵を描くのも大好きだったし、話を作るのも大好きだったからです。
一人遊びとして、よく広告の裏の白紙を利用して、頭で話を考えてセリフを考えながら絵をかいていました。
また、絵を描く荷が好き!ということで、親に絵を習わせてもらったこともあります。
学校で賞をもらったこともあります。
また、私の出身小学校では「手作り絵本クラブ」ってのがあって、小4からクラブ必須だったのですが、ずっとぞのクラブで活動してました。
そのクラブではもちろん先輩はいるのですが、その先輩の作品がすごく素晴らしくて。
小さいながら、私もその人みたいに絵がうまくなりたい!と思うようになりました。
話も子供が楽しめるような話が作れればいいなーと思うようになりました。

でも、結局はなれなかったんですけどね・・・。
26歳 男性のストーリー
メンヘラセフレが妊娠。。その時の対応を失敗した。。

私が大学2年生だったときのことです。女に飢えてた私は、出会い系サイトを使ってセフレを探していました。確か「LINEチャット」というアプリを使っていました。2回ほど会い、なんと一回の中出しセックスで妊娠してしまったのです。
「ちょっと話がある。」という連絡から
「妊娠したかもしれない」と報告を受け

ここまではまだ100歩譲って仕方のないことではあるものの(ゴムをしていたら防げた話ですが)

このように返信してしまったのです。
「てか俺の子供?
違うだろ。
他にもセフレいたよね。
てか学生だし下ろしたほうがいいよ。」

ここからが悪魔の始まりでした。
相手は私のSNSの友達全てに友達申請をし、
この男は最低の暴力男、人殺し
などと投稿をし、非常にめんどくさいことになりました。

この経験から、犯してしまったことに対して紳士ある言動が出来ていればここまで大事にはならなかったと思います。

もちろん遊び女に中出しセックスをすることは良くないことですが、
事実が分かったときに

まずは体の心配であったり、一旦落ち着いて話し合う機会を設けたりするべきであった。
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忘れられない先生の話
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人生で一番運が良かったなと思う出来事
これまでに一番勇気を出した瞬間
私について
誰かに聞いてもらいたい愚痴
苦手だったのに得意になったエピソード
私の変えたい過去
仕事での大失敗
人生が変わった出来事
わたしがやめられないもの
もっとも尊敬する人
そういえば昔夢見ていたこと
誰にも言っていない秘密
わたしの初恋と、その結末
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
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