"意識不明" に関するエピソード

「これまでで一番驚いた話」

29歳 女性のストーリー
タイムリーですが、京都アニメーションの火災にとても驚きました。
私は平成2年生まれで、29年間35人も個人が殺害をする事件にあったことはなく、サリン事件よりも大きな事件と聞いて本当に信じられないなと思うばかりです。
また、アニメ業界で働いている友人も多く、危なかった子もいたので、関東に住んでいても遠く感じませんでした。
なによりも、自分が2日前に水泳がテーマの京都アニメーションが作成した映画を見たばかりだったので、最初はボヤくらいだろうと楽観視する程、現実味がなくましてや死者がでるなんて思いもしなかったです。
そして犯人も意識不明の重体でこのまま何もわからないまま事件が終わってしまうのかもしれないと思うとやりきれない気持ちもあります。
本当に今でも信じられず、友人が無事だったことが唯一の幸いでした。

「人生が変わった出来事」

30歳 女性のストーリー
飼っている犬が意識不明の重体になった。原因も不明、脳が影響しているらしく、下手に検査もできなかった。毎日仕事と動物病院の往復。ICUに入っている2歳の天使が、意識もなく腕の中でぐったりしているのに毎日泣きながら過ごした。治療の続行と安楽死、本当に決断を迫られた。しかし、ある日突然立つことはおろか意識もなかった愛犬が、医師が朝様子を見にICUをのぞきみると、愛犬が立ち上がっていた。それまでにけいれん発作を併発し、その発作の動きでICUの壁に頭を強打しぽっかり皮膚がうげたり、輸血を小さな体に5回も行っていたので、医師も驚き、電話をくれた。会いに行くと、昨日まで意識もなかったわが子が、立ち上がり尻尾を振っていた。そのまま愛犬は回復した。後遺症とまではいかないが、歯が抜けてしまい、犬歯2本になってしまったのと、度重なる採決で剥げができてしまったが、生きていてくれるだけでいとおしい。腹が立つこともあるがペットではなく家族として愛犬に向き合っていることを再実感し、人生が変わった。
49歳 女性のストーリー
私の人生が変わった出来事は、昨年1月14日に車にはねられ、意識不明の重体に陥り、生死を彷徨った事です。
飲食店で朝6時まで働いてフラフラでした。仕事終わりに何も口にしていなかったので、ファミリーレストランで食事をした後、自宅へ帰る途中の出来事でした。信号のある交差点から10メートルの道路を横断しようとした時です。私自身は、自転車に乗っていました。そして渡ろうとした瞬間、「あーー死ぬーー」。気づいた時には、恐らく1メートルの近くで、横から走ってくる車のマークが、視野にはいり「ドカーン」と物凄い衝撃音で、私は相手のフロントガラスに頭をぶつけ、そのまま20メートル引きづられました。道路に転がって、すぐ周りの人が救急車を呼んでくださり、私はそのまま意識不明になりました。気づいた時は、線に繋がれ、酸素マスクをし、自分でも死ぬと思いました。それから数日入院をしましたが、私の命は奇跡的に助かりました。まだ完全には治っていませんが、命拾いをしました。事故後は、考える事も多いですが、くいのない生き方、そして人に優しくを心掛けています。

「奇跡だと思った話」

35歳 女性のストーリー
初めてバイク(原付)に乗った時、カーブで速度を落とさずに曲がり、電柱にぶつかり救急車で運ばれました。

倒れた瞬間、バイクから飛ばされている自分がスローに見えて、まるでドラマを見てるかの様でした。

病院に着いた頃
目も開かず、声も出ず、手も動かなかったため、救急隊や先生からの問いかけには何も答えられず意識不明と判断されました。

どんだけ時間がたったかはわかりませんがやがて母親が到着し、泣いているのも、先生と話をしているのも全部聞こえていました。

2週間が山だと言われました。
動くことも喋ることも、目を開けることも出来ない私は夢を見ているのか現実なのか生きてるのかもわからないまま...
大きい病院に運ばれる事に。

救急車で運ばれていると
なんと..
車酔いしました!笑

こんな状態でも車酔いするんだな〜と呑気な事考えていたなと今思い返してもおかしい出来事でした。

目を開けたのは事故から2週間後でした。

頭蓋骨骨折
右の瞼、頬
鼻を骨折し
首にはヒビが入っていてあと数ミリで即死だったと言われました。

顔にはびっちり電柱のポツポツの跡が付いていました。

そこから1週間で退院したのは奇跡だと先生や看護師さんから拍手を贈られました。
20年前の話です。

今でも雨の日の前など頭痛が酷い事はあります。
ですが今生きてる事に感謝です!

24歳 女性のストーリー
今から5年前、韓国に住む祖父が亡くなりました。
私は日本生まれ日本育ちで、当時大学生でした。幼少の頃から、長期休みの度に祖父の家で過ごし、優しくて聡明な祖父が大好きでした。高校の時は、バイトやライブなど自分の趣味に明け暮れ、会う機会がかなり減りましたが、大学生なると、祖父の体調が悪くなったので、休みの度に韓国へ訪れるようになりました。大学2回生の時、冬休みは祖父と一緒に過ごしていたのですが、年明けに祖父が意識不明で集中治療室での入院となりました。春休みになり、私が病院に到着した途端、3ヶ月間意識不明だった祖父が目を開き、私の顔を見て「可愛い孫だ」と口にしたのです。滞在中意識も戻り、毎日見舞いに行っていった親戚たちは驚き、これで回復する!と喜んでいた矢先、私が日本に到着して数分後に亡くなりました。祖父は私が訪れる日を、そして日本に安全に到着する日を、待ってくれていたのだと思っています。

「家族に一番感謝したこと」

57歳 女性のストーリー
 私は長いことうつ病を患っていて、こんなにうつって長引くものなのかと思っていたら、最近「双極性障害Ⅱ型」という診断が出ました。うつ病だけだとあんなに長く、また繰り返すものではないそうです。双極性もうつになりますが、うつ病の人とはまったく飲む薬が違います。うつでないときの私は陽気なので基本的には陽気なたちだと思います。でも双極性と診断が下るとその陽気さを今度は「躁ではないか」と疑わねばならず、しんどい病気なのです。
 うつに落ち込めば死にたくなるもので、もう何回OD(薬の大量服用)をして救急車で運ばれ、ICUに入ったかしれません。そんなとき119番してくれるのはもちろん夫です。でも彼は私が意識を取り戻したとき、非難したことは一度もなく、普通に接してくれます。でもこのあいだ、犬の散歩で歩いているとき救急車が通り、「あのサイレンを聞くとドキドキする」と言ったので、これは悪いことをしたんだなとつくづく思いました。私が逆の立場で、意識不明の伴侶を発見する側ならもちろんそうです。改めて考えてみて、家族(愛犬含む)には感謝しています。病気について勉強する人ではありませんがどんなときも夫が私を見捨てなかったことには間違いありません。
 今はどんなつらい夜もきっと夜明けが来るのだと、それを忘れないように生きています。
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あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
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こんなひといました
今だから言えるごめんなさい
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ノウハウ
業界ならではの話
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女って本当に恐いと思った瞬間
家族に一番感謝したこと
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人生が変わった出来事
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わたしがやめられないもの
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