"病院" に関するエピソード

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

46歳 女性のストーリー
今年4月下旬、着替えの際にみつけた胸のしこり
「乳がん」でした
すぐにクリニックで診察を受け「乳がん」の宣告で頭の中が真っ白です
クリニックの先生から「ステージ2ぐらいですから大丈夫ですよ」と声をかけていただきましたがショックの一言でした
手術・治療は別の大学病院で受け、現在も治療中です

大学病院に転院しても検査ばかりで1か月余り、心が折れそうでした
治療というゴールにむかって進んでいる実感がないからです
でも病院にいくときには必ず「夫」が付き添ってくれました
私が治療に前向きになるように一緒に頑張ろうと外食をやめ、晩酌のビールもやめ、免疫力をあげるため、気分転換のためにウォーキングを勧めてくれて一緒に付き合ってくれます
入院中も個室で毎日泊まって病院から出勤です
夜中トイレに行くとき、一人で不自由があったので夫に支えてもらいました

手術の際リンパの転移もなく、献身的に支えてくれる夫がいる、個室でリラックスした入院生活

ガンになったことは最初人生最大の不幸だと思いましたが、ガンをきっかけに食生活の見直し、ウォーキングでダイエットもできました
そして夫婦の絆も深まりました

ガン保険や医療保険に加入しているのでお金の心配もありません
子供もいないので、自分だけのことに専念できます
住宅ローンも数年前に終わっています

こんな私は「人生で一番運が良かった」
「誰よりも幸せな女」といえるのではないでしょうか?

「今までで一番感動した話」

31歳 女性のストーリー
私は統合失調症という病を患っております。
この精神病は、発症すると、「妄想・幻覚・幻聴」など、周囲が全くゆがんで見えてしまいます。
しかも、病気の本人は自分が病気であることを認めません(病識がないのです)。
それほど、ひどい精神病です。
私はこの病を何度か再発して、治ったり、といったことを繰り返していました。
そして、5年前、またこの病気が再発しました。
ついに初めて、精神病院に入院することになりました。
そして、その時、私は妄想の中で、親友の「Y」を妄想で「悪い奴だ」と思い込んでいたのです。
「Y」は私の長年の親友で、彼女自身も身体が弱い中、精神病院に入院したという私のことを心配し続けてくれました。
病院の中にいる私は「Y」を妄想の中でずっと憎んでたというのに!私の病気は徐々に快方に向かっていましたが、「Y」はまだ私の中で悪者でした。
しかし、ある日、そんな妄想の中の私へ「Y」から手紙が届いたのです。
心配する温かい言葉たち……。
私の中で、妄想が崩れ始めました。
そして、ついに退院してから「Y」に電話すると「Y」は電話口で号泣したのです。
私のことを思って。
ガラガラと私の妄想は崩れ去りました。
それが人生で一番感動した私の体験談です。

「どうしても許せないこと」

56歳 女性のストーリー
友人と二人で旅行に行ってからというもの調子が悪い。調子が悪いばかりでなく次第にオカシイと思うことばかりになった。調べてみると、寝ている間に友人が性具で犯している犯罪が、異常にすぎるという話だった。普通ではない。犯罪者であり精神異常者だと確信した。懲役を2000年積み上げていた。精神病院に入院したり、障害者手帳を偽造し、逮捕されたことがないと嘯くが、狂人であることででしかない。名誉棄損の裁判の大半は、友人が寝ている間に性具で犯した犯罪をどう虚言で埋め尽くしているかで起きる裁判だった。飛び火裁判が起きることで逮捕されないと思っているのかもしれないが、そうは思えない。間違えてはならないことがあるのだ。

「人生が変わった出来事」

52歳 女性のストーリー
結婚して4年目の春、風邪をひいたと思い市販の風邪薬を飲んだところ熱と発疹が出て、慌てて病院に行きました。今度はそこで解熱剤が出され、良くなるならと使用したところ症状は悪化するばかり。ついには大学病院に行くことになりました。
大学病院で受けた診断はスティーブンスジョンソンズ症候群。重症の薬物アレルギーです。それまでアレルギーとは無縁の生活だったのに、生活が一変しました。4ヶ月近く入院し、以降も様々な後遺症に悩まされつつ生活しています。
病気になって、意外にも良いこともありました。入院中に色々な相談ができる知り合いができたことです。お互い病人なので、健康な友人とは違い、弱音も吐けるし情報交換したりはげましあったり。これからも仲間と頑張ります。

「修学旅行の思い出」

37歳 女性のストーリー
今から約20年前のこと。
滅多に雪が降らない場所に住んでいた私は、修学旅行先でのスキー研修をとても楽しみにしていた。
バスに揺られ数時間。目的地近くのサービスエリアに着いたときに、一面の雪が目に入って感激!
バスガイドさんが少し呆れ気味に
『こんなに雪だけで喜んでいただけたのは、初めてです。』
と言っていたのを覚えている。
目的地に着き、簡単な講習を受けいざスキー!
最初は難しかったがだんだん慣れてきて、初心者コースを滑って初日が終わった。
それから2日間スキーを楽しむはずだったのだが、その晩に高熱を出して隔離部屋へ…
あまりの高熱に夜中に担任の先生と、近くの救急病院へ行くことに。
判明した病名はインフルエンザ。
かなり重症だったらしく、数時間の点滴をして帰った。
初めてのスキーは1日しか出来ず、楽しいはずの修学旅行はインフルエンザで苦い思い出となってしまった。
この出来事がトラウマになり、大人になった今でも雪国には行きたくないと思うようになっている。

「奇跡だと思った話」

24歳 女性のストーリー
これは一人目の長男、出産時の実体験です。
臨月まで無事何事もなく進み
予定日いざ1週間前
そろそろかなと思っていた矢先、
夜中から微妙に痛みが伴いました。

我慢できそうですが念のために、病院に連絡をすると
お産の入院セットを持って来いとのこと。

そのまま病院で朝を迎え、いつ波がまた来るかと期待していましたが、来ず。
子宮口も2cmから全く動かず。

朝方5時すぎ、私の目の前に数人の大人がバタバタ。私も何が何かわからないまま、
酸素マスクをつけられ、旦那は外へと言われていた。
のちに分かったことは、胎児機能不全でお産がストップ。胎児の頭に10分間も血が流れていなかった状態でした。
このままだと母子ともに危険です。と医師から告げられ個人病院から急遽、国立の大学病院へ、緊急帝王切開での出産。

あの日、痛みを我慢して病院に電話せず、
家にいたら…と考えると恐ろしいです。

本当に奇跡でした。生まれるタイミングを我が子はしっかり教えてくれたように感じます。
36歳 女性のストーリー
私は猫を飼っていました。
雨に濡れた小さな鍵尻尾の子猫でした。
模様は鯖模様。サバトラ猫です。女の子でした。
成猫になり10年が経ちました。

保護した後に避妊手術もしていたせいか、
骨格は小さいもものの、お腹を床に擦りながら歩き、まるまると肥えて、元気にしていていたのに、12歳を迎えた頃
食べても食べても痩せていくようになりました。
「甲状腺亢進症」も疑いましたが、
まずは動物病院に連れて行きました。
「がん」だから、「諦めた方がいいです」
と獣医さんが言いました。

私は納得がいきませんでした。
私は仕事を休む決心をし、
動物病院で病院食を沢山仕入れました。
病院食である高カロリーの缶詰を4時間置きに、シリンジで与え続ける毎日です。
時には与えすぎて噴水のように吐かせることもあり、自分を責めました。
お水も消毒済みのシリンジでたっぷり与え続ける日々でした。
愛おしい猫のお腹が膨らみ、すやすや眠る姿に癒され、励まされました。

闘病生活を始めて1ヶ月が経った頃、我が子に変化が起こりました。
鳴くのです。
寂しい時、お腹空いた時、寒い時。

「がん」宣告をされた我が子は正直2キロもなかったのです。
健康な猫は3キロ前後が標準体重ですが、闘病生活の末、自らドライフードを食べ、水を飲み3.2キロにまで肥えました。
まるまるとした目も生気を取り戻し、
生き生きと活発にかぎしっぽを揺らしながら、擦り寄って甘えるようになりました。

これは我が子の生命力と奇跡だったのだと思います。15歳で虹の橋へ行きました。



「家族に一番感謝したこと」

49歳 女性のストーリー
昨年の春に鬱病となりました。6月に自殺をしようと首を吊りましたが、ロープが切れて未遂となりました。その後は、精神病院の閉鎖病棟に強制的に入院となりました。鬱は、様々なことが組み合わされて発生しているので、何かのきっかけで急に治るような病気ではありませんが、閉鎖病棟というところは約3カ月の治療期間が普通です。とはいえ3カ月経過しても迎えてくれる家族が居ない人は自宅に戻ることはできず、普通の病棟への転院や施設へ行くことになります。
閉鎖病棟に強制入院とはいえ、家族の面会は割と自由に行えましたので、毎日のように息子や娘が時間を割いて面会に来てくれていました。ほとんどの人が面会人はゼロです。何故かというと精神病院の閉鎖病棟にいる人のほとんどがリピーターです。家族と疎遠になっていたり、厄介者と思われている人の方が多いからです。そんなことも入院して初めて知りました。
ともかく、私は1カ月経過した後、家族がドクターにお願いしてくれて異例の退院をいたしました。そして何よりリピーターにはなりません。

「仕事での大失敗」

31歳 女性のストーリー
医療機関で勤めていた時の体験談です。
病院で使用していたFAX機は、受信したときに即時印刷される物ではなく、
データを画面上で確認し、必要な場合だけ印刷するという機能でした。
ある日メモリ数がいっぱいになってしまい古いFAXデータを削除しようとしたのですが、間違えて全件削除のボタンを押してしまい、データをすべて削除してしまいました。
その中には、未印刷だった、他院から送ってもらったある患者さんの診療情報が含まれていました。
その患者さんは次の日に来院予定で、診療に必要だったのですぐにその病院にもう1回送ってもらうように電話し、すでに終業時間が過ぎていたのでその後届くだろうと思い帰宅しました。
しかし次の日に出勤したらFAXは届いていなくて、その病院に電話したら休診日だったため連絡がとれず、その日の診療内容を変更させてしまいました。
その病院が対応してくれなかった事に落胆しましたが、そもそもは自分のミスのせいで
色々な人を振り回してしまい、非常に申し訳なかった体験です。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

25歳 女性のストーリー
私は正看護師なのですが、新卒で就職した頃はこの職業で働けるところは病院、介護施設だけだと思っていました。結婚を機に、新卒で就職した大学病院を辞めて地元に戻りデイサービスに勤務していたのですが、そろそろ妊活に専念したいと自由な勤務で働けるところはないものかと考えていた時でした。母の友人に看護師にも派遣会社があって、単発派遣だと残業もほとんどないし高時給で時間の都合もつけやすい、と教えて貰ったのです。早速、紹介された派遣会社に登録してみると一般の単発派遣よりも仕事が多く、時給も倍以上で働きたい日付も自由に決められるので妊活との両立も難なく出来ています。看護師という資格を持っていることで、こんなにもストレスフリーな働き方があるなんて本当によかったと思いました。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
自分は特別だと思った瞬間
独身っていいなと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
こんなひといました
わたしの周りの大恋愛
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
わたしの周りで大変身した人
これまでに出会った天才
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
今だから言えるごめんなさい
人が豹変した話
わたしの周りで一番勉強ができた人
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
あの人と縁を切ってよかった
ノウハウ
○○の裏話
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
人間関係
一番ひどい友達からの裏切り
女同士って面倒くさいと思った話
家族に一番感謝したこと
女って本当に恐いと思った瞬間
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
学校や仕事をサボってやったこと
これまでで一番悲しかった時
人生最大の修羅場
奇跡だと思った話
どうしても許せないこと
お金さえあればと感じた瞬間
これまでで一番笑った話
これまでで一番お金を無駄にした話
一番の苦労話
これまでで一番驚いた話
人生で一番運が良かったなと思う出来事
忘れられない夏の思い出
人生最大の失恋話
これはひどいなと思った結婚式
忘れられない夏休み
一番おいしかった食べ物
人を見返してやった話
忘れられない先生の話
人生で一番贅沢した話
とっておきのすべらない話
今までで一番感動した話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
修学旅行の思い出
今までで体験した一番怖い体験
嘘みたいなほんとの話
死ぬかと思った話
これまでに一番勇気を出した瞬間
私について
誰かに聞いてもらいたい愚痴
人生が変わった出来事
わたしの初恋と、その結末
そういえば昔夢見ていたこと
誰にも言っていない秘密
もっとも尊敬する人
仕事での大失敗
私の変えたい過去
わたしがやめられないもの
苦手だったのに得意になったエピソード
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話