"小学生" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

24歳 女性のストーリー
おばけを見たことです。
小学生の冬に風邪を引き、母と父と3人で寝ていました。
私は一番端っこで母の隣で寝ていました。
夜中にふと目が覚めて、なかなか寝れずにいた時に
何か嫌な気がするな、と子供ながらにしました。
そうしたら、父親の足元のところに白い服を着た女の霊が立っていました。
元々父親が霊感が強く、怖い話を聞いたり、実体験を聞いたりはしていたのですが、まさか自分が見えるとは思っていなかったので最初は信じていませんでした。
夜で部屋は真っ暗ですし、たまたま見えただけと思っていたのですが、また父親の足元を見ると、やはり女の人が立っていました。何回みても、瞬きしても居たので、もうこれは本物の幽霊だと思い、隣で寝ている母親を起こしているのに全く起きず、1人怖い気持ちのまま布団からくるまって朝を迎えたことがあります。
小学生だったので物凄く怖かったです。

「これまでで一番悲しかった時」

52歳 男性のストーリー
私が中学生の頃、家の軒下に燕が巣を作りました。
ヒナもかえり、玄関先が糞で一杯になりながらもヒナの成長を楽しみにしていしました。

ある日、学校から帰宅すると巣がなくなっていました。
小学生の通学路にあった我が家は、その心ない小学生に巣を壊され、ヒナは死んでしまったという事でした。
子供がした事とはいえ、許せないと痛烈に思いました。
その夜は止めどなく涙が出た事を今でも覚えています。何故か、悲しくてなりませんでした。多分、私の中ではもう家族の一員になっていたのだと思います。

あれから何十年も経ちますが、不思議なことに一度も燕が我が家に巣を作る事はありませんでした。
燕が巣を作ると幸運があると言われています。そういう意味でも本当に残念でなりません。
20歳 女性のストーリー
小学生3年生の頃から飼っていた犬が亡くなりました。

初めての死を見届けることになりました。

亡くなる前は急に心臓の病気になってしまい獣医さんからも覚悟しといてくださいと言われてました。

散歩には行けるくらいは元気だったためあまり実感無かったのが正直なところです。

亡くなる直前散歩に行きました。

深夜突然咳き込みだして、苦しそうだったため背中さすってあげると落ち着きました。

仕事も行くのも怖い日があり何度かお休みをさせてもらいました。

迷惑かけているのは十分に理解しています。

会社の同僚の人に言われたのが
病院で1日だけでも預かってもらえるよ
後は他の家族に看ててもらったら

獣医さんには病院はストレスになるから自宅の方が良いと言われていました。実際に臆病な子だったため私自身それしか方法がないです。

家族みんな仕事していたので、みんな出来る限り減らしてはいました。

そういう問題ではない時だったため

辛くて悲しい時でした。

勤怠管理している人はすごく理解してくれてあまり言われませでした。

迷惑かけているのは理解はしているが、ペットも家族なんで同僚の方に言われたのがショックでした。

「これまでで一番驚いた話」

33歳 女性のストーリー
おじいちゃんの家で犬を飼っていました。

白くてかわいい雌犬です。
当時私は小学生でしたが、よく散歩に連れ出していました。
その犬の様子が変な時期がありました。
おてんばでよく脱走したりしようとしていたのに、妙に大人しくなり甘えるように近くに寄ってきたりするのです。
どうしたのかなと思ってたある日、その犬の小屋を見るとソワソワせわしなく動き回っていて、足元に何かひきずっていたのです。
よく見ると、小さく動く生まれたばかりの子犬がそこにいました。
いつの間にか妊娠してまさにその時出産していたのでした。
慌てておじいちゃんを呼んで、とりあえず子犬を出してあげてタオルにくるみました。
可愛い白い子犬が4匹生まれました。
当時小学生の私には思いもやらない驚いた出来事でした。
24歳 女性のストーリー
小学生の時に一戸建てに家族で引っ越し
初めて自分の部屋がもててとても嬉しかったのです。結構広い部屋で
兄弟たちの中では一番広い部屋をもらえて
ベッドも買ってもらい小学生さながら
テンションはMAX、部屋の模様替えや
物の配置などとても楽しかったのを覚えてます。
3ヶ月ほど経ち
家での生活、新しい小学生にも慣れた頃
私の部屋は2階の道路側に面したところなのですが
窓の横をコンコンコンコンとノックされる音がして
最初は風かな〜と思ってたのですが
何度も何度もノックをされ
窓を開けて確認しても誰もいません。
外は真っ暗でした。
次の日体調を崩して寝込んでいるとまた、
コンコンとノックされて
さすがに腹が立ち、ドン!!!!と壁を叩いてしまいました。
けれどなぜかその後10年住んでましたが
それ以来一切ノックされることはなくなり
怖かったというよりも
ノックしてた人?霊?にもびっくりしました。
私の生きてきた人生で一番びっくりしたことです。

「これまでで一番お金を無駄にした話」

33歳 女性のストーリー
大学生になったばかりの時の話です。
田舎から大きな町に住み始めたということもあって,私は初めての一人暮らしにだいぶ浮かれていました。
入学してすぐ、町のおしゃれな美容室に行き、カラーやエクステを付けてイメージチェンジしました。
また、繁華街に買い物しに行き、雑誌で見た洋服を買いました。
アクセサリーも可愛いと思った物はすぐ購入していました。
また髪が少し伸びてエクステが絡まるからとすぐに美容室に行き、またカラーやパーマをしました。
その美容室の人に「ポイントがこんなに早く貯まってすごいですね」と言われ、自分のお金の消費を認識しました。
小学生の頃からコツコツ溜めていた貯金はあっという間になくなっていました。
それから調子に乗らずお金の使い方を見直して生活するようになりました。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

22歳 女性のストーリー
今までで単純に運が良かったと思えるのは度々ありましたが、1回だけほんとに運が良かったと、良い1年になるなと思ったことがありました。
あれは小学生?の時。お正月に三社参りをしていた時でした。地元の太宰府天満宮に家族4人で言った時のことです。寒いなら凄い人数の人で、お参りの行列はごった返して1時間くらいならんだ覚えがあります。
そんな中、毎年必ず太宰府天満宮にきたらすることがあります。500円御籤です。
正しい名称までは覚えてないですが、1回500円の大吉以上であればテレビだったり米俵だったりそこそこ高価なものが貰えましたし、大吉を引くと太鼓とアナウンスですごくお祝いをしてくれるものです。私たち家族はどちらかというと商品よりその年の運勢を占うということで必ずしてました。
おみくじを引くとなると必ず良い奴を引こうと肩に力が入りすごい形相でくじを引くのですが、その時はなんとなく指が当たったものにしました。くじを開けてもらうと、なんと太宰府天満宮で人生初の大吉だったのです。
初めて引いたのもありすごくテンションがあがって、嬉しかったのを覚えています。
その時何を思ったか、父がもう1回ひけ!といったのです。いい気持ちで終わりたいと思っていた私ですが渋々言うことを聞くしかなく、サッと引いて帰ろうとしたところ…またまた大吉。ええっ!?って声が出るほど驚きました。その時のお祝いの太鼓は今でも記憶に残っています。
なんだか勢いで引いた御籤ではありましたが、元旦に2回連続大吉はなんだか縁起のいい人生のなかで一番運の良かった思い出として今も覚えています。

「これまでに出会った天才」

22歳 男性のストーリー
 小学生の頃からの友人の話です。いつでもあきらめず、どんなことであっても淡々とこなして自分の時間を作り出す友人がいました。たまに家からふらっと消えるように外出しては50kmほど自転車で飛ばしてから散策し、写真を撮って帰宅するといったことを高校2年生の頃から行っており、その距離が年々増えてきて、100kmどころか1日かけてや2泊3日の行程でという風にどこまでも増えていくように見えました。しまいにはアメリカ横断を自転車で開始してしまいました。
 アメリカ横断の予行演習と言ってベトナムにも足を延ばしたりするなど行動力の化身と言わんばかりでありました。年々話す機会は減ってきているけれども近況や自慢話を聞いているとこのような人が天才なのかなと思います。

「今までで一番感動した話」

45歳 女性のストーリー
私が熱中症になってしまい、仕事から帰ってきて横になっていた時のことです。小学生と幼稚園生の子供がいるのですが、上の子が私の代わりに洗濯物を入れて畳んでくれたり、下の子のトイレやお風呂の世話をしてくれたり、夕飯も簡単なものですが、メニューも考え支度までしてくれたことがありました。
具合が悪く寝ている私の頭に冷えピタを貼ってくれ、身体を冷やすために保冷剤も持ってきてくれたりして、本当にびっくりしました。
いつもはケンカばかりの二人ですが、この日はケンカすることなく、ご飯も仲良く二人で済ませ、洗い物もしてくれました。
そして私にお粥まで作ってくれたんです。まだまだ小さいと思っていましたが、本当に感動した1日でした。

「わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード」

32歳 男性のストーリー
自分が小学生の頃、母親が胃潰瘍になった。
入院して胃を一部摘出する手術を行い無事成功。今でも元気に過ごしているが、
数年経って思い出話のように話をしていたら家族と話が微妙に合わずに不思議に思っていたら本当は母は胃潰瘍ではなく胃がんだったという嘘をつかれていたことが発覚した。
当時小学生で心配性の私に負担はかけたくないと家族全員がついた優しい嘘だっが、嘘をついたままバラすのを忘れられていたのだった。
しかも、自分には3歳したの弟がいるのだが、弟には事実を告げていて家族の中で本当に私だけが胃潰瘍と思い特に深く心配はせず数年過ごしていた。
確かに心配性でネガティブに考えてしまうから嘘をつかれてよかったと思う反面、自分も一緒に心配したかったという気持ちもあった。
24歳 男性のストーリー
自分が小学生くらいの頃に友だちと3人で学校内で悪さをして先生にとても怒られたことがあります。悪さを焚きつけたのは自分ともう1人の女の子だったのですが、3人の中の男の子が「僕がやりはじめました。」と言って嘘をついて自分たちをかばってくれました。おかげさまで自分たちはさほど怒られずすみましたが、その男の子の友達はだいぶこっぴどく怒られたようでした。あとあとその話を聞いた時、彼は女の子の自分たちを守らなきゃと思ったらしく、とっさに嘘をついてくれたそうです。当時はこいつなんでそんな不利になる嘘つくんだ?と思いましたが、時間が経って理由を聞いたらなんだかほっこりしました。これが自分がつかれた「優しい嘘」のエピソードです。
23歳 男性のストーリー
自分が保育園~小学生の頃、お手伝いが好きで共働きの両親に代わって洗濯物を取り込み畳むことを積極的にしてました。
夜になり母が仕事が終わり帰ってきて、その畳まれた洗濯物を見て「ありがとう~ほんと助かるよ~」ととても褒めてくれてるのが嬉しくて仕方なかったのをよく覚えています。
しかし、所詮小さい子供が畳んだものなのでたたみ方も綺麗とは言えませんし、タンスに入るように畳むにはまた違ったたたみ方があるのでしょう。
自分が寝たあとに母がこっそり洗濯物を畳みなおしているのを、夜トイレに起きた先に見てしまいました(母には気づかれてない)。
それがなんとなくショックで、逆に手を煩わせたような気がしてそれ以来お手伝いをあまり積極的にしなくなった覚えがあります。
しかし今考えると母のあの喜んでた顔は、息子の積極的に手伝う純粋な気持ちに答えるためだけでなく、その思いに対する本当の喜びであり、「愛」のある優しい嘘だったのかなぁと思います。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

36歳 女性のストーリー
小学生の頃から裁縫が苦手だった。家庭科の製作物は、いつも、見かねた友達が、私の代わりにやってくれていた。なので、自分に裁縫は無理だと思っていた 。だけど、大人になって、YouTubeを見るようになって、子供の体操袋やバッグの作り方の動画を見ていたら、自分にもできるような気がしてきて、試しに作ってみたら、あっさり作れてしまった。それからは、見よう見まねでバッグや財布やポーチなど、色々作れるようになった。今まで苦手だと思い込んでたけど、単にや
り方がわからなかっただけだったのかもと思った。口で説明されても、イラストを見ても、ちんぷんかんぷんだけど、動画ならスッと頭に入ってくる。最近は、バッグが欲しいと思ったら、まず作り方の動画を探して、自分で作っている。
35歳 女性のストーリー
小さいころ、お肉が食べられなかった私。
肉をいつまで噛んで、どうやって飲み込むのかがわからなかった。筋だけになった肉をいつまでも口に含み、親が見ていない時にティッシュにくるんで捨てるのだった。
小学生のある誕生日の夜、父に誘われて2人でステーキを食べに行った。そこで食べた肉は、あっという間に口の中からなくなり、溶けるようになくなった。
私は、とてもうれしくなり父を見上げた。このお肉、おいしいね!と喜ぶ私の頭を、父は少しの笑顔と「ごめんな」の言葉とともになでてくれた。
当時3人兄弟の弟が長期入院し、安いお肉しか食べてなかったと気付いたのは大人になってから。
きっと家族5人でステーキを食べる予算がなくて私だけ連れて行ってくれたのだろう。
あの時の父の悲しそうな笑顔を忘れない。
赤身ステーキの流行、私は大歓迎だ。
31歳 男性のストーリー
30も超えたいいオトナが、どうしても口にできないもの、それがニンジンです。
ニンジンには辛い思い出があり、小学生低学年の時に給食で出たニンジンの煮物をたべた際、
口に残る甘い味と、青臭いニンジンのエグミが原因で、その日食べた給食を教室内で嘔吐してしまい、クラスのみんなに笑われた思い出が未だに尾を引いて残っていました。
それ以来、20年以上、ニンジンを避けて生きてきたのですが、
付き合って間がない頃、当時付き合っていた彼女が、最初に振舞ってくれた手料理がニンジンスープでした。
自分がニンジン嫌いなことを知らず、仕事終わりにがんばって作ってくれた料理を残すわけにいかず、食べたのですが、そのスープがとても美味しく、それ以来ニンジンが好きになりつつあります。今の妻が、そのときの彼女です。
20歳 女性のストーリー
私は小学生のときから勉強が全般的に苦手で、特に算数や、中学になると数学などの、数字を使った学習が一番苦手で嫌いでした。
放課後や夏休みなどは、成績が芳しくない生徒を集めた補講で殆ど無かった思い出があります。そんな中で、私は周りの友人から勉強が全く出来ないと認識されていました。
もちろん私も自分自身の事を、そう認識していました。その頃の私はそもそも努力をしようとしていなかったのです。

しかし、中学2年の時、「どうせ馬鹿だからね〜」や「〇〇(私)よりも成績低かったら終わる」と、私の目の前で全く悪意がなく言われるのが嫌になっていきました。

そこで、ようやく塾に通いはじめ、家では常に学習に勤しんでいきました。
友人達には次のテストの結果で驚かせたく思い、学校ではなるべくいつも通りを貫いていました。

その結果、私は次の定期テストで全ての科目で高順位取る事ができました。
その中でも、一番不得意だった数学で学年一位を取る事ができだ事が、自分の中では最も嬉しい出来事でした。
その結果をみて友人達からはとても驚かれました。
中学生活の後半には、友人から勉強を教えて欲しいと言われる事が多くなりました。
私は人の倍以上勉強をしないとできないタイプでしたが、それでも努力次第で得意な事は増やせるんだと、この体験を持って深く実感いたしました。
46歳 男性のストーリー
昔は私はピアノが大の苦手でした。まず、おとなしく座っていること自体が困難でした。すぐに暴れたり、背中にかゆみが出てしまうくらい苦手なものでした。何度も先生を替え、試してみましたが、なかなか得意になりませんでした。5回目くらいに、幼稚園のときの園長先生が私のピアノの先生になりました。小学生の中頃でした。先生が替わった頃からだんだんピアノが得意になっていきました。指導法なのかもしれませんし、先生が私の特性をよく知っていたからかもしれません。私が、ピアノが嫌いなだけで、音楽自体は大好きだということを見いだしてくれたのです。それで、音楽からストーリーを作ってピアノで表現する方法が編み出されて、私はピアノが得意になりました。

「「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事」

28歳 女性のストーリー
フリーのイラストレーターや漫画を描いてそれを仕事にしている人は、ゲーム会社や出版社に一度勤めそこで実績や人脈を得てからではないとフリーで稼いでいけないと思っていたのですが、小学生からの同級生がイラスト作成サイトに登録しそこで稼いでいたことでその存在を知りました。
このイラスト作成サイトは、ゲームや小説で使用するような大きくてがっつり描いてある1枚の絵から、ツイッターなどのSNSで使用するアイコンにヘッダー、ブログデザイン、キャラクター単品にデフォルメ絵で描いてほしいなど、初心者でも気軽に絵の仕事を受注できるようになっているなと感じるサイトで、絵で稼いでいくと言ってもいろいろな方法や場所があるんだなと気がつきました。

「わたしの初恋と、その結末」

29歳 女性のストーリー
初恋は、高校2年生のボランティア活動の時でした。おそらく周りの人に比べたら遅い初恋なのかもしれません。高校の時にボランティア部に所属していて、夏休みの期間にボランティア活動をするために地元の大学で開かれる小学生と大学生と一緒にキャンプに行きました。教育学の一環でグループを作っていろいろな体験をしました。事前に川へ行くスケジュールがあったのでAEDの使い方や川の危険性などを学ぶ講習の時に一緒に活動する大学2年生のの男性に一目惚れしました。毎回会うたびにめでおったりして影から見ている感じでした。たまに二人きりになるとかもあるけれどうまく話ができなくていつも緊張していました。そんなボランティアも無事に終わり、彼とは何もないまま思い出として残っています。
33歳 男性のストーリー
私の初恋は小学生の4年生の時です。当時は子供ですので男女関係なく学校の休み時間に遊んでいました。その時に鬼ごっこをするのですが、男女数人で走り回ってました。その時の鬼役の女の子がとても可愛くて人気者の子でした。その子に捕まえられると離さないように手を握ったり体の上に乗ったらされていました。それが嬉しかったので、きっと好きだったのだと思います。しかしその頃は好きという思いを伝えるという発想がありませんでした。そのまま月日が経ち、いつの間にかその子に対する好きという気持ちはなくなり別の子の事が気になってしまいました。その子とは両想いになり、好き同士でした。初恋の子に10年以上経って会った時には可愛くもなく、興味もありませんでした。その当時は本当に純粋に好きだったんだと思いました。
31歳 女性のストーリー
初恋は小学生4年生の時でした。手紙交換をしていて両想いということはわかっていたのですが、周りの人たちにからかわれてあまり話したりすることができませんでした。学校から一緒に帰ったりして、とてもドキドキしました。彼氏、彼女ごっこみたいな感じです。でも小学生だったので特にそこから進展はせず、私も他の男子と遊んだりもしていたので、いつの間にか両想いの関係ではなくなり、なんとなく気まずくなり話さなくなりました。中学も一緒でしたが気まずいままで、話さないまま大人になって同窓会で久しぶりに会って話ができました。当時から頭が良かったのですが、大学卒業後に大企業に入りエリートサラリーマンになって、小学校時代のマドンナ?だった可愛い女の子と結婚していました。。その話を聞いた時、私はまだ独身で婚活中だったので、羨ましいというか複雑な気持ちになりました。
29歳 女性のストーリー
初恋は、高校2年生のボランティア活動の時でした。おそらく周りの人に比べたら遅い初恋なのかもしれません。高校の時にボランティア部に所属していて、夏休みの期間にボランティア活動をするために地元の大学で開かれる小学生と大学生と一緒にキャンプに行きました。教育学の一環でグループを作っていろいろな体験をしました。事前に川へ行くスケジュールがあったのでAEDの使い方や川の危険性などを学ぶ講習の時に一緒に活動する大学2年生のの男性に一目惚れしました。毎回会うたびにめでおったりして影から見ている感じでした。たまに二人きりになるとかもあるけれどうまく話ができなくていつも緊張していました。そんなボランティアも無事に終わり、彼とは何もないまま思い出として残っています。
33歳 男性のストーリー
私の初恋は小学生の4年生の時です。当時は子供ですので男女関係なく学校の休み時間に遊んでいました。その時に鬼ごっこをするのですが、男女数人で走り回ってました。その時の鬼役の女の子がとても可愛くて人気者の子でした。その子に捕まえられると離さないように手を握ったり体の上に乗ったらされていました。それが嬉しかったので、きっと好きだったのだと思います。しかしその頃は好きという思いを伝えるという発想がありませんでした。そのまま月日が経ち、いつの間にかその子に対する好きという気持ちはなくなり別の子の事が気になってしまいました。その子とは両想いになり、好き同士でした。初恋の子に10年以上経って会った時には可愛くもなく、興味もありませんでした。その当時は本当に純粋に好きだったんだと思いました。
31歳 女性のストーリー
初恋は小学生4年生の時でした。手紙交換をしていて両想いということはわかっていたのですが、周りの人たちにからかわれてあまり話したりすることができませんでした。学校から一緒に帰ったりして、とてもドキドキしました。彼氏、彼女ごっこみたいな感じです。でも小学生だったので特にそこから進展はせず、私も他の男子と遊んだりもしていたので、いつの間にか両想いの関係ではなくなり、なんとなく気まずくなり話さなくなりました。中学も一緒でしたが気まずいままで、話さないまま大人になって同窓会で久しぶりに会って話ができました。当時から頭が良かったのですが、大学卒業後に大企業に入りエリートサラリーマンになって、小学校時代のマドンナ?だった可愛い女の子と結婚していました。。その話を聞いた時、私はまだ独身で婚活中だったので、羨ましいというか複雑な気持ちになりました。

「死ぬかと思った話」

36歳 女性のストーリー
小さい頃からスイミングスクールに通っており、泳ぎには自信がありました。夏休みは毎年母方の実家に行き、近くに海があったのでよく泳ぎに行っていました。
小学生の時の話ですが、泳ぎが得意だったのもありいつも行っていた海では無く少し波が荒い海に父親と弟と行きました。弟がまだ小さかったこともあり、父親は弟を見つつだったので1人で海に入り結構奥まで泳ぎに行ってたらおぼれてしまいました。
海水を相当な量飲んでしまい、もう無理かもと思った時、たまたま近くを泳いでいたダイバーさんが助けてくれました。私を抱きながら泳ぎ、近くにあった岩にあげてくれました。そこまで父親が泳いで助けに来てくれて何とかなりましたが、あの時は本当に死ぬかと思いました。
30歳 女性のストーリー
小学生の頃スキー部に所属していて、とある大会に出場した際、滑っている最中にバランスを崩して転倒してしまいました。その時股間にスキー板がぶつかって、めちゃくちゃ痛くてしばらく動けませんでした。大会は棄権し、痛くて痛くて早く帰りたかったのですが、同級生の男子が入賞したので表彰を見届けてから帰ろうと母に言われ、悶えながら待っていました。
さすがにこれはどうにかなってるのではという痛みで、恐る恐るトイレに行ってパンツをおろしてみるとなんと血まみれ!!股間を覗いてみると腫れていました。母に大変だと説明しようやく家に帰れたのですが、その後用を足してみたら、死ぬほど痛くて泣きわめきました。母が傷を見てようやく事の重大さに気づいたらしく、病院に連れて行かれ、医者に「あと何ミリかずれていたら尿の出口を変えなきゃいけなかったよー」と絵を書いて傷の状況を説明されました。小学生になんて残酷なこと言うんだ・・・。に小学生にして初の分娩台に乗って、傷の縫合手術をされました。縫合だけで済んで良かったですが、二度と怪我したくない場所です。

「忘れられない夏の思い出」

24歳 女性のストーリー
小学生の頃、近所の夏祭りを友達と楽しんでいた時のこと、突然夕立に見舞われました。真夏だというのに、雨で冷え、浴衣は台無し。二人でプルプル震えながら、肩を寄せ合い、ごった返す人波の中、財布を握りしめ、雨宿りする場所を探しました。ようやくたどり着いたビルの陰、コンビニで買ってきたおでんはふわりと温かく、心まで温めてくれました。雨が止むまで、友人とおおよそ一般的な女子小学生がするような他愛もない話で盛り上がり、唯一無二のおでんの具「友情」を噛み締めていました。
それからというもの、私も友人も、夏の天気にはとりわけ用心深くなり、どこか遠くへ行く時は必ず雨具と気温調節用の衣類、食べ物飲み物といった備えを万端にするようになりました。
52歳 男性のストーリー
小学生の頃、夏休みに和歌山の方へ家族で、2、3泊でしたが、親に海に連れて行ってもらいました。電車とバスでの移動で、宿泊は民宿でした。場所は和歌山県日高町産湯の辺りでした。弟も含め、家族4人で毎年、その旅行が恒例でした。兄弟二人共、その当時は、泳ぎは得意な方ではなかったです。泳ぐことのほかに、堤防で釣りをしたりもしました。民宿なので、釣った魚は、お願いすると、夕食の一品になり、自分で釣った魚だけにとても美味しく感じたことを覚えています。炎天下の中、日陰で休憩を入れたりしましたが、夕方に民宿に戻り、お風呂に入ると、日焼けで、お湯をかけると、ひりひりとして、2、3泊後には腕のあちこちの皮膚がめくれている状態でした。民宿だけにとれたての魚料理が並び、サザエのつぼ焼きなども出て、非常においしかったです。父母も高齢になってしまいましたが、今では忘れられない思い出です。小学校の夏休みの宿題でどこかに行った思い出は毎年、その家族旅行でした。
43歳 男性のストーリー
私が小学生の時、夏休みには友達と集まって近所の山や空き地などに良く遊びに行きました。今の時代ならあまり子供達も外では遊びませんし、出かけるにしても日焼け対策や熱中症対策など万全にして出かけると思います。でも昔はそんなこと考えてもいませんでした。周りの友達はジュースなど持って遊びに来てましたが、私の家はそんなに裕福では無くて、遊びに行ってもジュースなど買えませんでした。でも私の母が遊びに行く私にいつも冷やしたキュウリを一本丸ごと持たせてくれました。今思えば、母なりの水分補給という事だったんでしょうが、当時の私はとてもそれが恥ずかしくてたまりませんでした。夏休みの時期になるとお祭りなどで冷えたキュウリが売っているのを見かけると、あの時のほろ苦い夏の思い出がよみがえってきます。
33歳 女性のストーリー
小学生の頃に通っていた学習塾のキャンプでの出来事です。その学習塾には仲の良い友達と通っていました。キャンプ場はログハウスがあり、プールも付いており昼間はプールを友人達と楽しんで、夜はログハウスでみんなでごろ寝をしてとても楽しかったのを覚えています。他の場所の学習塾の子達ともその時に初めて会ったのですがすぐに仲良くなれました。引率に付いてきてくれていたのは、いつもの塾の先生達とそのキャンプの時のみのアルバイトの大学生の方が何人かいました。朝方になって、ヒグラシの鳴き声がすごく綺麗に聴こえて起きました。朝ごはんは、大学生の方達がカレーを作ってくれていました。朝からカレーというのにも驚きましたが、そのカレーのまずいこと。私は食べられずに残そうとしました。でも大学生が「まずいなら食べなくて良いよ。」と言いますが表情がとても怖かったです。私はこっそりタッパーに入れて家に持ち帰りました。友達は見えないところで上手に捨てていました。楽しいキャンプでしたが、少し苦い思い出として忘れられません。

「忘れられない先生の話」

25歳 女性のストーリー
小学校5、6年のときの担任だった男性教師のS先生は忘れられないくらいすごい先生でした。

小学校の先生は中学高校と違って担任が全ての授業を受け持つ上、小学生を相手にしていますから、少し変わった方が多いと思います。
S先生も、授業中によく怒って職員室に帰ったりしていました。

ある日、放送委員のクラスメイト3人が朝の放送でミスをしてしまいました。放送ボタンを押したままお喋りをしてしまったのです。
もちろんわざとではありませんが、S先生はかなり怒りました。
朝教室に来るなり怒鳴り、3人を前に立たせてみんなが見る中説教を始めました。
1時間目が始まっても終わりませんでした。午前中ずっと3人を立たせて怒り続けました。
お昼になって給食の時間になってやっと終わったと思ったら、午後の授業が始まる時間になるとまた3人を立たせて怒り始めました 。
同じ事を1日中説教し続けました。
あまりの異常な長さにクラスメイトは先生の方がおかしいと、みんな3人を同情していました。
結局帰る時間まで説教し続け、何のために学校に行ったのかわかりませんでした。

今だときっと苦情が来ると思いますが、もう何年も前のことなので特に苦情も入らなかったと思います。
今あの先生がどんな授業をしているのか気になりますが、きっと変わってないと思います。
33歳 男性のストーリー
当時小学生だった時、いらっしゃった先生の話です。
声と体が大きく、いわゆる熱血タイプの先生で、みんなから好かれている先生でした。
悪いことは悪いとハッキリ叱ってくれる一方で、授業中はいつもユーモアたっぷりでみんなを笑わせてくれる、
本当に尊敬できる先生でした。
私の学校は非常に人数の少ない田舎の学校でしたから、2学年が一緒の教室で過ごす複式学級という形式をとっていました。
つまり、5,6年生が同じ教室で過ごし、その担任は一人なんです。そして、5年生になった時の担任が自動的に6年時まで
持ち上がるような仕組みでした。
当時の5,6年は毎年その熱血先生が担任しており、私も最終的には担任してもらえることを楽しみにしていたのですが、私たちの学年だけ、
なぜか違う先生が担任になってしまいました。私は本当に悲しくて、発表があった直後、プールで作業をしていたその熱血先生の所に行き
涙を流しながら、「担任が先生じゃありませんでした・・・」と話しに行ったのを覚えています。
先生は困ってしまい、「そうか・・・」とだけしか返ってこなかったのですが、今ではいい思い出です。
その後、担任は違えどいつも相談に乗ってもらい、頼りになる先生でした。

「人生で一番贅沢した話」

29歳 女性のストーリー
私が一番贅沢をしたと思う経験は、家族でのハワイ旅行です。私が5年生の時に初めて行ったのですが、初海外、それも4泊6日という日数で、とてもワクワクしていました。ハワイでは毎日海に入り、毎日ホテルの外でスパムを食べ、小学生ながらも日常を忘れて贅沢なひとときを過ごしていたなと思います。高級ブランドを買ったり、高級ホテルに泊まったり、高級レストランに行ったわけではありませんが、南国の島で好きなことを好きなだけした時間。家族分の旅費を出してくれた親にも感謝です。「物より思い出」とよく言われますが、私はこの思い出が人生で一番の贅沢だったと思っています。今ではなかなか海外へ行くことも難しくなりましたが、またあの時間を味わえたら、と思います。

「今だから言えるごめんなさい」

45歳 女性のストーリー
もう30年位前になりますが、わたしが小学生の頃、休憩時間に廊下で友達と話しをしてまったりしていました。
5クラスが並ぶ長い廊下だったので、定期的に消火器が設置してあり、私達はその消火器の横あたりで話していましたが、しばらく話していると他の子が話していた友達を呼びに来たので、私は教室に戻ろうとして向きを変えました。
その時、体が消火器にあたり「痛いっ」と思ったと同時に、プシュー!という音と共に
真っ白な煙が大量発生したのです。
その瞬間とっさに誰かに見られなかったかが気になり周りを見ると、幸いにもこちらを向いている生徒がおらず、私は慌てて消火器から離れました。すると教室からみんなが「何?何?」とゾクゾクと出てきて大騒ぎに。。。
私はそのゾクゾクと出てくる生徒に紛れ、あたかも私も今初めて気がついたフリをして、みんなと野次馬側で騒いでしまいました。
結局、消火器が古くて勝手に外れて落ちたのではないか。と言うことになり、みんなで白くなった廊下を「ビックリだよねー」などと言いながら掃除しました。
本当は私があたりました!みんなごめんねー!

26歳 女性のストーリー
私は小学生高学年の頃父を亡くしました。
私にとってはとても頼りになり大好きな父でした。
相談も聞いてしっかり答えてくれる父だったのでとても悲しかったです。
私の母は父とは違い私はあまり好きではありませんでした。
よく怒られるしあまり私の話を聞いてくれるような母ではありませんでした。
なので父が亡くなったことで少し反抗期になり母とは話が合わなくなり話すと喧嘩ばかりでした。
中学生になったころ、母と喧嘩になり
父がいないことで私は母に父と母が逆だったら良かったのにとひどいこと言ってしまいました。

今思うととても申し訳ないことを言ってしまい謝罪の言葉しかないです。

現在は少し成長し私ももうすぐ母になります。

女手1つで子供を育ててくれた母には感謝でいっぱいです。

あの頃はごめんなさい。
26歳 男性のストーリー
小学生の頃の話です。
小学校の図書館の本棚
の棚は自由に棚の位置を変えれるタイプのもので、棚の四方に固定するピンのようなものがありました。
そのピンは1つ取っても本棚はあんていを保てていたため何個かピンをとりました。
そのピンがコマのように回転するため、休憩時間になると友人たちとベイブレードのようにそのコマをつかって遊んでいました。
この遊びが流行ってきてコマの数が足りなくなり、四方の1箇所だけを取っていましたが、2箇所とるところも出てきました。そのうち、本の置き方次第では3個も取れたため調子にのってたくさん取っていると、そのうち本棚が急に崩れました。みんなはその場からすぐに逃げました。
先生がピンがないことには気がつきましたが、私たちがコマ遊びで使用していたことは今でも内緒です。すいませんでした。
19歳 女性のストーリー
これは私が小学生だった頃の話。私の家庭はまあまあ厳しく、パソコンもケータイも与えてもらえず、9時には布団に入らなければなりませんでした。そのおかげで私は健康ですごく元気な少女でした。しかし周りの子はみんなDSやネットを見て夜遅くまで起きたり、他の子がする全ての方がカッコよく見えていました。例えそれが視力検査の途中でも。
私は健康少女だったのでもちろんA、目はすごく良かったです。しかし他の子が目が悪いとか言って違うカッコいい機会で視力を図っているのがとても羨ましく、私は見えないフリをしてわざと間違えました。そして私もカッコいい機会の方に連れていかれカッコ気分を味わえたので満足でした。
すると数週間後診断書が届き、眼医者に行ってくださいとのこと、ヤバイと思いながらも眼医者さんに行くとたまたま私は逆睫毛という症状持ちで、目が悪い筋が通ってしまい、私は眼医者通いに、、
小学校の間三年間ほど、目が悪いフリをするのは辛かったです、そしてお母さん余計な医療費払わせてごめんね。
26歳 男性のストーリー
小学生のバレンタインデー。
前日の帰りの会で先生から、『明日はバレンタインデーですが、学校にお菓子は持ってきてはいけませんからね!』と忠告があった中、朝学校に来てみると、机の中に大きめの箱でが入っていました。
当時は小学校1年生でしたが、人生で初めて異性から貰った事、周りの児童からモテ男だとかチューでもしちゃえなどと茶化された事で恥ずかしさが頂点に達し、くれた子は分かっていたので、みんなの前で『先生にダメだと言われた事をする子は嫌いだ』と大きな声で言って泣かせてしまいました。
Mさん、あの時はごめんなさい。帰った後チョコは食べました。板チョコを溶かした手作り風で、大きなハートの形をしていた事はしっかり覚えています。あの日から、甘いだけだとあまり好きではなかったチョコが好きになりました。
27歳 女性のストーリー
本当に大人になった今となってはしょうもない話です…。けれど当時私は小学生。

仲の良い女の子といつもの様に小学校から帰っていた時に、偶然対立していた男子グループに会いました。
そこでちょっとまあ小学生ながらも嫌な雰囲気になり、悪口を言いながらその女の子と歩いていたのですが、男子グループの一番気に入らない1人が私たちの前を通りました。
その時に持っていた傘で私は男の子の足をひっかけました。

ちょっとした悪戯心だったのですが、男の子は思いっきり転んでしまい、足をちょっと擦りむいてしまいました。

結局そのままわたし達は家に帰ったのですが、運が悪くなんとその男の子の家が保険屋さんで、私の家にかなり怒って電話をかけてきて、擦りむいた足もめちゃくちゃ大袈裟に言われ、私の家や祖父祖母までこの話がいき、大変なことになりました。

この状況はやばいと小学生ながらに焦った私は言ってしまいました…。
「私は傘を足に引っ掛けてなんていないよ」

一緒に帰った女の子とその家族と、私と私の家族で会議も開かれ、そこではなんとその女の子は私のこの嘘に話を合わせてくれました。ただその後もちろん男の子側は引っ掛けたと主張していました。

私の家族や祖父祖母は私の事をおそらく信じているようです。
ただ大人になった今も、たまに祖父祖母の家に行くと、あの時って引っ掛けてないの?と聞いてきてドキッとしますが、忘れたとはぐらかしています。

もう30代間近になった大人の私なら言えます。
あの時嘘をついてごめんなさい。
そして男の子へ、悪戯心で傘で足を引っ掛けて怪我をさせてしまってごめんなさい。
あと私の嘘に合わしてくれた友人、ごめんね、有難う。
24歳 女性のストーリー
これは私が小学生の時の話なのですが、その日は非常にむしむしした夏の暑い日でした。そんな日に私の小学校では全校集会が開かれました。
その全校集会に行く前から私は自分の体に異変を感じます。
「 あれ、なんかお腹いたな。」
ずっとそう思いながらも私は体育館に並びました。
そして長い長い校長先生の話が始まったその時です。急に私のお腹にぎゅるぎゅると鳴りだしたのです。
その音は小さかったので周りにはバレなかったのですが、どんどんお腹がぎゅるぎゅるとなりオナラが出そうになりました。なんとか我慢しよう、我慢しよう。と思ったのですが、ふいに力を抜いた瞬間ぶーっ!っと大きな音をたててでてしまったのでした。
私はああ、やってしまったなと思ったのですが、周りの人達は私の隣に座っていた男子を指さしてオナラしたー!と言い始めたのです。勿論オナラをしたのは私だったので、その男子は強く否定したのですが、そんなことも通じずその男子がオナラをしたことになったのです。
その時は助かったと思ったのですが、今となっては申し訳ない思い出です。
30歳 女性のストーリー
今だから話せるごめんなさいというテーマで以下にお話させていただきます。
わたしは小学生の頃、片道45分ほど歩いて通学しておりました。朝、自宅を7時半に出る際には雨の日で無い時がありがたかったです。一方帰宅時が辛かった。友達と帰っている時はそうでもないのですが、一人で帰っている時は登り下りの激しい坂道を行くのでとても疲れました。
学校で疲れて帰っているだけならまだ良いのですが、便意をもよおしたときには本当にきついものがありました。
ある時私はトイレ(大)をしたくなりましたが、もちろん公園の公衆トイレなど通学路にはありません。大人になった今だからコンビニにトイレを借りるという選択肢も考え付きますが小学生だった当時の私は、気になる女の子の庭先で野グソすることしかできませんでした。
本当に申し訳ないと反省しています。しかも一部始終を見ていた女の子とその後付き合うことになりました。

「人を見返してやった話」

31歳 女性のストーリー
小学生の頃、校内で放課後に開催されるテニス教室に通っていました。

私は当時6年生のキャプテンでしたが、どちらかと言えば人の意見に同調する
おとなしい女の子でした。
おとなしいながらも、固定された友達ではなく、比較的誰とでも仲良くなるので、少しやんちゃな子とも仲良くしていました。

ある日、ある女の子のKが、テニス教室の中で集団いじめを始めたのです。
ターゲットは日に日に移り変わり、一人ずつ仲間外れにされます。

練習の最後にボールを集めるため、みんなでグラウンドを回りながらボールを探すのですが、ターゲットが近づいてくると、みんな一斉に逃げるのです。

一度はターゲットにされていた子もKに逆らえなかったのか、ターゲットが変われば安心したように別のターゲットをKと共にいじめるのです。

ある日、私もそのターゲットになりました。私は、それに気づいていたのですが、悲しむことも落ち込むこともKには態度として表さず、次の日にKのいる前で、聞こえるように大声でKのいじめについて友達に怒りの愚痴を言いました。
あんなことをして何が楽しいのか。一人になりたくなくて、逆にいじめられるのが怖いからしてるのでは?などを周りに聞こえるように話しました。

すると、昨日まで私をいじめていたKがころっと態度を変えて近づいてきたのです。
謝りまではしなかったものの、明らかに態度は違いました。
それ以降、私だけでなく、Kが集団いじめをすることはなくなりました。

「とっておきのすべらない話」

31歳 女性のストーリー
小学生の時に大好きな人がいました。放課後友達と残っていたら、好きな人の机を覗こうという話になりました。そして、見に行くとその日使った水着が忘れられていました。なぜだかテンションが上がってしまい、その水着の紐を持って友達に「うぇーい」と近づけて遊んでいたら、他の男子が教室に来て、私をみてダッシュで逃げてしまいました。次の日、その目撃した子と好きな人を接触させないように、朝から学校を走り回りましたが、見つからずにチャイムがなってしまいました。しかたなく自分の教室に戻ろうとすると、教室の前に好きな人が。そして、すれ違う瞬間に「おまえって最低だな」と。もうその瞬間はスローモーションに感じました。今までの私の中の黒歴史です。

「どうしても許せないこと」

23歳 女性のストーリー
小学生の頃飼っていたペットの柴犬を友達に冗談半分で保健所に連れて行かれて、そのことに気づかず、柴犬が殺処分されてしまった。
その友達は犬が嫌いで、私と喧嘩したのを理由にはらいせで連れて行ったと行っていて、謝ラルこともなく何もなかったように接してきたのが許せなかったし、その子が今柴犬の2匹飼っていてとてもよく面倒を見て洋服を着せたりしているのが気に食わない。
私はそれから犬どころかペットを飼う気にもなれず、ほしいけど実際に変えずにいるのに私の犬を殺したその子はペットと仲良く過ごしていて、友達にも自慢し、インスタグラムやフェイスブック、ツイッターに頻繁に画像や動画を載せていて、昔のことを忘れているようで許せない。
40歳 女性のストーリー
学生の頃からの友人の話。
その友人は、困っている人をみると見知らぬ人でも声を掛けずにはいれないひとで、いつも周りのことを考え、自分のことは二の次、三の次にできる人です。
私も幾度とその友人の助けに支えられてきました。
少々、言葉はキツイ部分もありますが、そんな友人を尊敬すらしてきました。
小学生で出会ってから今もまだ付き合いが続く貴重な友人です。
ですが、30代を過ぎた頃から結婚したいのにできないという不満から人の幸せを嫌なことばで攻撃するようなことを言うようになりました。
その言葉は、私には向けられていませんが、同じくらい長い付き合いの友人に対する言葉だったりするので、コレが友人の本質かと縁すら断ち切りたいと思ってしまいます。

「嘘みたいなほんとの話」

33歳 男性のストーリー
数年に1回大きな事故に遭います。
小学生の時から事故に遭い始め、最後は交通事故まで経験しました。

ここ10年以上身体的な事故には遭っていないのでこの先が不安です。
また、規模も年々大きくなっていっているので、交通事故より大きな事故は何なのかという不安にも駆られます。

幼稚園前:網戸に寄りかかっていたら網戸が破れ、顔面強打。
幼稚園:火打石の様に石を持って石を叩いていたら親指を挟み大量出血。
小学生:金属バットが頭にあたり、病院送り。
中学生:部活中に他生徒と衝突し、相手の歯が目元にあたり病院送り。
大学生:居眠り運転の正面衝突で、病院送り。

兄妹家族併せて6名ですが、私だけがそういった経験をしています。
お祓い等の経験はありませんが、そろそろやってみようかな。とも思います。
19歳 女性のストーリー
小学生のころ、学校のブラスバンドに所属していたのだが、ある日音楽室から体育館に打楽器をを運ぶ時間があった。同じパーカッションパートの友達と仲良く談笑しながら鍵盤打楽器を押し廊下を移動していたのだが、話がひと段落ついたところで二人とも話すことがなくなり無言の時間が。
しかしお互い無言でも気まずくない関係だったため無理に話をしようとしなかった。
私は特に何も考えずなんとなく歌をくちずさんだのだが、そこで驚きの展開。友達も全く同じ歌の全く同じところを全く同じタイミングで口ずさんだのだ。
私も友達も「え!?今のすごくない!?」と大興奮。
今でも顔を合わしたらときたま「あれすごかったよね」とその時の話をします。

「学校や仕事をサボってやったこと」

33歳 男性のストーリー

 私は逃げ癖といいますか、とにかく面倒な物事があったら問題を放り投げてしまう癖があります。小学生から就職した後にも面倒なことから逃げだしてきた経験があります。
 中でも私が専門学生の頃のが酷かったです。そのころ病院で臨床実習を受けてましたが、連日連夜のレポート作成や、実習先のパワハラに近い言動等によって嫌になってしまい、朝に実習先からエスケープしました。県を超えて都内の方にだいたい2週間ほど滞在してました。滞在中は実習生活でできなかったこと、まあ遊びですが漫画喫茶を拠点としてひたすらパチンコに打ち込んでいました。パチンコで得たお金で美味しいものを食べ、浅草や秋葉原等に寄って、ちょっとした観光気分にも浸りました。
 帰るきっかけは両親が警察に相談したと連絡を受けた時、一度帰ることを決意しました。このエピソードが私の人生の中でサボった経験になると思います。
27歳 女性のストーリー
私は小学生から高校生まで学校をさぼると家で映画を見ていました。当時は今のようにネットで映画を観ることはできなかったので、録画しておいた金曜ロードショウを繰り返し見ていました。近所にレンタルビデオ店があったので、時には母に無理を言ってビデオを借りてきてもらうこともありました。
社会人になった今でも時々さぼりで仕事を休みます。その際も、もっぱら家で映画を見ています。私は職場と家が大変近く、コンビニに行くことすら心配になる距離なので家からは一歩も出られないのです。ただ、学生時代と異なるのは、今はテレビをネットに繋いでいろいろな映画を観ることができるということです。ネットのおかげで、サボった日の映画鑑賞がはかどります。
32歳 女性のストーリー
小学生のとき、私は森田剛、母はキムタクにどっぷりハマっていて、一度だけ平日に学校をサボって、母と2人で電車を乗り継いでジャニーズショップに行ったのが楽しくて忘れられません。「学校サボっちゃえ!」と提案したのは母です。兄弟や、大真面目でカタブツな父には内緒で行きました。
それぞれうちわや写真を買って帰り、自宅の押入れに大切にしまい込んでいました。学校をサボってジャニーズショップに行ったことも、押入れのうちわも、ずーっと父にはバレず。
15年後、わたしの結婚式の最後の母への手紙で、初めて父にカミングアウトしました。とてもビックリしていましたが、15年も前なので怒られることはありませんでした。今では笑い話です。
23歳 女性のストーリー
小学生の頃、新任の担任だったので言うことを聞く生徒が少なく授業の途中だろうが何だろうが、教室を飛び出して当時の仲良しメンバーで家でタコパをしたり小学生ながらにおおちゃくをこいていたことと、高校の頃、学校の校則が厳しすぎて、嫌になった友達と親にも先生にも連絡せずに2人で海に黄昏に行ったり、寄り道さえ禁止の高校にも関わらず市内のデパートに制服のまま出かけた。同じ高校の時でまた別の日には、出掛けて補導に出ていた先生たちに見つかり、学校に連れて行かれてしっかり反省文を書かされ、毎日居残りをさせられ更に学校が嫌になって、遂に1週間以上学校をサボり、高校生なのに三者面談ではなく担任が家庭訪問に来ることになったこと。

「人が豹変した話」

20歳 女性のストーリー
これはとある友人の話です。

友人とは小学校2年生の頃、共通の友人を介して知り合いました。第一印象としては、恥ずかしがり屋で人見知りが激しくあまり打ち解けられない子だなと小学生ながらに感じたことを覚えています。最初の頃は共通の友人がいないと話も出来ない程でしたが、時間をかけて少しずつ距離を縮め、小学校3年生に進級する頃には何とか2人だけでも遊べるようになりました。

しかし、小学校4年生の頃友人は周りの環境のストレスなどが原因で急激に太ってしまい”男子からのからかい”により不登校になってしまいます。私は共通の友人と男子を注意し、放課後毎日のように友人の自宅に通い学校に来るように励ましました。その甲斐あって学校に普通に登校してくるようになり普通の日常が訪れます。その頃の友人は、男子からのからかいのせいもあり、さらに人見知りが激しくなり周りの子と壁を作ってしまいます。

そのまま小学校を卒業し中学校に入学します。友人はまだ太った体型のままでしたが、運動部に入ったおかげか2年生に進級する頃には標準の体型に戻っていました。痩せたおかげで友人は自分に自信がつき周りと積極的に関わるようになっていきます。

それから少し経った頃でしょうか。私に好きな人ができたため友人に相談がてら、『好きな人ができた。』と報告しました。仲の良い子でしたから何でも報告するのが当たり前と当時の私は思っていたんです。それがいけなかったんでしょう。友人は私の好きな人に猛アピールをするようになったんです。メールを沢山したり、二人で出かけたりと逐一私に報告までしてきました。当時、友人は痩せて男子からモテていましたから、私に好きな人ができて上手くいくことが気に食わなかったんでしょう。そして、友人と好きな人が付き合ってしまいました。

私はその出来事を境に友人とは縁を切りました。
友人が痩せて自信がついたことは嬉しかったですが、自身の使い方を間違えていると感じた私はこのまま友人と一緒に居ても自分のためにはならないと思ったんです。

その後の友人の進路などどうしているかは知りませんが、人は些細な出来事をきっかけに豹変してしまうんだなと痛感した出来事でした。

「人生が変わった出来事」

19歳 女性のストーリー
私は小学3年生の頃に将来の夢ができた。それはホテルで働くという夢。きっかけは遠足で訪れた職業体験ができる場で「ホテルスタッフ」という職業を2回も体験したこと。その時に初めて興味を持ったわけではなく、家族旅行やなんやらと宿泊施設に行くことが多かったので、そのたびにベッドメイキングや受付の仕事に興味を持っていた。短い時間ではあったけれど、体験してみるとこの職業になりたいと強く思うようになった。サービス関係の専門学校ではなく、4年制の大学を選んだ今も夢は変わらず自分の中にある。ただ、大学で福祉を学んでいるため、ホテルと福祉の仕事両方に携わりたいと考えいる。まだまだ具体的なことは決めていないが、職業を体験した小学生の遠足は私の人生を語るうえで最も大きな出来事かもしれない。

「修学旅行の思い出」

36歳 女性のストーリー
小学生の修学旅行で、自分のグループは背の高い子ばかりだった。
グループ行動で、ある博物館に入ろうとしたら、みんな背が高いので、本当に小学生?と疑われた。
全員私服だし、名札も確かつけてたし、黄色い帽子もかぶってた。
なので理解してもらえたらしい。
奈良の大仏の公園では、定番の鹿せんべい。
さっそく買ったら遠くにいた鹿が走ってきて、そこにあった柵を飛び越えてきた。
ちょっと恐怖だった。
でも、囲まれるだけで、襲われることはなく、必死におじぎをしてくれていた。
あの時、ミゾにはまっている鹿がいたけど、誰か大人の人が助けてくれたんだろうか。
きっと大丈夫だと思うが、子供だけでなんとかすることもできず、そのまま置いてきてしまったのが心残りである。
44歳 男性のストーリー
小学生の頃は、自分と同級生の身体の成長の違いに戸惑うこともあります。
私は、修学旅行の頃、アソコの毛が生えてきていまして、同級生の成長度合いが分からなかったので、生えているのが恥ずかしいと思ってました。
みんなで風呂に入りに行き、湯船に浸かるときに、みんなのをちらっとみると、みんな生えてなく、つるつるの皮つきウインナーでした。私も皮つきウインナーでしたが、その周りにちょろちょろ黒い毛があるのを見られたとき、同級生が驚いて、お風呂場でちょっとした騒ぎになってしまいました。
そのとき、担任の先生が入ってきて、騒いでる同級生に「大人になったら生えるんだ。お前らももうすぐだ。」一喝し、自分のタオルを取りました。中身は、ボーボーでしたが、皮つきウインナーでした。今、思い出してみると、「先生、包茎なのに、よく自分のを晒したな」と思いました。というのが修学旅行の思い出です。シモの話になって申し訳ありませんでした。
22歳 女性のストーリー
私の中での1番良かった修学旅行は小学生の時の修学旅行です。
なんといってもあの有名なUSJに行くことが出来たのはなによりも喜びに感じました。
それに、今であれば可愛いミニオンたちが楽しませてくれるので大人になった今だからこそまた違う楽しみ方をしてみたいなとも思っています。
USJに行けただけでなくいろんなお土産を買うことが出来たのもまた楽しかったです。
小学生時代の修学旅行はもうあれから早10年くらいは経ちましたが思い出しただけでもとてもワクワク感が止まりません。
入った瞬間からキティちゃんの写っているチケットをもらい今でも大切に保管しています。
このように楽しかった思い出しか個人的にはないなと感じています。
28歳 女性のストーリー
小学六年生の修学旅行で、札幌生まれだった私が、その時期ちょうど市外の田舎の小学校にいたため、行き先が札幌だったということがありました。田舎の小学校の子たちは電車にも乗ったことがなく、マクドナルドも食べたことがないという子達ばかりでしたが、その子達と一緒に、私の地元である札幌市で社会科見学をかねた都会見学をするという体験をしました。札幌生まれなんだからわかるでしょ?という扱いをされましたが、実際は街がどんどん開発され新しい商業ビルがたっていたので、私自身も初めて行く場所が多く、知っているふりをしながらも、新しくなった札幌に感動したのを覚えています。私は田舎の小学校ではない!という小学生なりのプライドがありましたが、今ではいい思い出です。
44歳 女性のストーリー
友達とのお泊りをするのが初めてだった小学生の時の修学旅行が思い出です。
隣のクラスの子と同じ部屋になりたくて学年混合での部屋割りを先生に提案したりなど我ながら積極的に活動したと思います。
修学旅行先はお決まりのハイキング+お寺めぐりでしたがなかなか小学生当時では景色の美しさやお寺の佇まいや景観の素晴らしさを理解するのは到底無理でした。
いかに隠れながらオヤツを食べたりソフトクリームを買って食べたりなどの思い出がよぎりました。
仲の良いお友達と違うクラスながらも同じ部屋になれた事で一日中クタクタなはずなのに時計は夜中の2時40分でした。押入れに入ってドラえもんごっこをしてる中を先生に見つかり正座をさせられこっぴどく叱られた記憶があります。

「忘れられない夏休み」

32歳 女性のストーリー
小学生のころの話です。小学3年生の私は両親は共働きでしたが児童館や学童には行っておらず、お昼ご飯のお弁当の用意も無く、毎日毎日お金が置いてあり、自分で好きなものを買いに行くスタイルの日々を送っていました。近くにはスーパーがあり、毎日お惣菜、お弁当、おにぎりなど。友達と毎日買いに行って友達の家で食べたりしながらスーパーのご飯で過ごしていました。そんなある日に、夏特有の夕立、ゲリラ豪雨がありました。その日は丁度自宅で過ごしており、ザーザーと雨は降り、雷はゴロゴロ、バキバキと激しく鳴っていました。記憶にあるのはそれが初めての体験で、凄く怖くて怖くて、母親に何度も電話しましたが帰れず。とにかく怖いので泣きながら布団を被り、机の下で隠れて雷が収まるのを待っていました。今でもその思い出が忘れられず、夏になると思い出すし、雷は未だに怖いです。なぜあの時母は帰って来てくれなかったのか!と思っていましたが、大人になった今では分かります(笑)全然良い話しの忘れられない夏休みでは無いのが残念ですが、毎日楽しく過ごしていたんだろうなとは思います。
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、遠くに住む幼馴染の家にお泊りに行った。
私と私の弟と、幼馴染と幼馴染の弟と遊んでいた。
その時代、家庭用ビデオカメラが普及していて、
それを使った遊びをしたくて、
そのために、
昼間に4人で不気味なかかしを作って
空地に置いてきた。
暗くなってから、ビデオカメラを持って4人で出かけ、
肝試し風に撮影をして、
昼間に自分たちで仕込んだ不気味なかかしを
あたかも、その時初めて見たかのように
「なんかあるー!!怖いー!!」と
4人で怖がり、走って逃げて
自作自演で楽しんだ。
帰宅してから、その撮影したビデオを、
親と一緒に見たりして、すごく盛り上がり、楽しかったのを覚えている。
大人になっても今でも、この話を幼馴染とすると盛り上がる。
26歳 女性のストーリー
子どものころ(小学生の時)には、夏のお盆の時期に毎年いとこや祖父母などの親戚たちと祖父母宅に集まっていました。
まずは、だいたいお昼ごろに集まって、お墓参りに行きました。

夜にはみんなで夜ご飯を食べて、特に外でバーベキューをしたのが思い出です。
他にも、伯母や祖母や母がちらし寿司をつくってくれたり、だしそうめんをつくってくれたりして、それがおいしくて大好きでした。

いとこたちは年上だったので、学校では遊ばない年上の子どもと遊ぶことができました。
みんなで電気を消して、隠れる人と探す人に分かれてちょっと怖いかくれんぼをしたり、みんなでテレビを見たりしました。

いとこのお姉さんが、ちらしの裏に可愛い絵を描いて、自分もこういう絵を描きたいなとうらやましく思っていた記憶があります。
そのお姉さんからは、怖い話を聞いてわくわくしていた記憶もあります。
いとこのお兄さんは、面白くて、ちょっと怖いことをしてふざけたりして楽しませてくれました。

きゃっきゃっと遊んで、夜中までとても楽しい時間を過ごしました。

「奇跡だと思った話」

28歳 男性のストーリー
小学生の頃に通っていたそろばん教室でそろばん終わりに仲間と夜8時頃にサッカーをして遊んでいた。
そのそろばん教室の周りは新しく団地が出来る予定で家が少しずつ建っている。その場所でしばらく遊んでいる時にボールが飛びすぎて変な穴の中に落ちてしまった。俺はボールを追ってその穴に飛び降りてボールを拾い上に上がって遊びを続けた。遊んだ後に、そろばん教室のバスが送迎の為に車のエンジンをかけました。そろばん教室のバスのライトが目の前の真っ暗な場所を照らした時に、俺がボールを落とした穴を光が照らした瞬間、俺は絶句しました。その穴には家を建てる為の鉄杭が穴一面に打たれていました。奇跡的にその鉄杭の隙間に飛び降りて居たのでケガなど無かったけど、場所を間違えていたら鉄杭の上に落ちて大変な大ケガになっていたと思ったら凄い奇跡だったと思います。

「家族に一番感謝したこと」

51歳 男性のストーリー
私は現在親子3世代で2世帯に住む50代無職の男性です。片方の家には長女と小学生1年生の孫が住んでいます。長女の旦那は数年前に急病で他界したため子供も小さいこともあり近くに住むことになりました。我が家には妻と独身の二女で住んでいます。それなりに幸せに暮らしていました。そんな折諸事情から無職となりました。再就職の方が上手くいっおらず最近は妻とほとんど会話が無くなり家庭内の空気が重くなりました。私に原因があるのがあるのは明らかなのですがどうすることもできない自分が情けない日々が続いていますが、隣に
住む小学生の孫がとても元気で毎日わたしを慕い遊びに来てくれます。その時だけは私の家の空気が明かくなります。週末はかならずお泊りしていきます。孫に私がどれ程助られいるかはかり知れません。これが私が最近家族に一番感謝したことです。
40歳 女性のストーリー
心労がたたって、人混みや乗り物に乗ることが苦手となりました。できるだそのような状況を避けるようにしていますが、どうしても避けられないとき、夫や子どもが付き添ってくれて、なんとか無事に乗り切ることができました。
自分でも自身に「大丈夫。乗り切れる」と言い聞かせるのですが、どうしても直前になると不安が強まってしまいます。そんな時、夫や小学生の子どもたちも「大丈夫だよ」と言ってくれ、それが心強かったです。乗り物に乗っている間、子どもが手を握ってくれたりもしました。
精神的疲労で、料理もできない日が続いたことがありましたが、会社帰りにお惣菜やお弁当を夫が買って帰ってくれたり、子どもたちも簡単な料理でも文句も言わず食べてくれて、とてもありがたかったです。自分に自信がなくなっているときだったので、家族の優しさに感謝しました。

「私の変えたい過去」

26歳 女性のストーリー
高校時代、冬の寒い朝。寝坊してしまったばっかりに急いで通学することに。
いつも使う急な坂を、この日は猛ダッシュで下っていました。
すると、おじいさんと小学生の子供が上ってくるのが見えたので、少しスピードを落とし脇に避けて進んだら、次の瞬間、コンクリートの地面にたたきつけられていました。
衝撃で何が起こったかわからず、立ち上がれないまま、全身痛いのか冷たいのか、へんにあったかい。手袋をした手で顔を触ってみると血が・・・。顔着(がんちゃく)。顔面から着地したみたいです。
さっき来た道に目をやると、先ほどのおじいさんと小学生はこっちを見ながらも、何事もなかったかのようにそのまま上って行ってしまったんです。
その時何を思ったか私は「なんで助けてくれないんですかぁぁぁ!!」と動けない&半泣きの状態で叫んだんです。それでも無視して行ってしまったのですが、、、。
しばらく立ち上がることもできずにいると、通りすがりの男性が助けてくれ、無事、救急車を呼んでもらえました。

けがは顔面に10針以上で骨折せずに済みましたが、今も傷を見るたびにこの出来事を思い出します。
今思うと、あのお二人は、助けてくれなくて当たり前なのかもしれないです。
もう、坂道猛ダッシュ&叫ばないので、過去を変えられたらな~と思います。

因みに、転んだ原因は丸太でした。近所の小学生が置いたみたいです・・・。

「一番ひどい友達からの裏切り」

61歳 女性のストーリー
私が中学生2年生の時のことです。私は、まじめで口数が少なく、目立たない女の子でした。そういう子はいじめられやすいですよね。私の場合はひどいいじめではなかったけれど、友達に適当に扱われ、うらぎられました。
私は、活発なAさんと小学生の時から友達でした。おしゃべりなAさんは、話を聞いてもらえる私を重宝にしていたし、私も楽しかったです。そのAさんが学級委員に他の子から推薦されたのです。Aさんは面倒な仕事をしたくなかったので、私を推薦したと思いましたが、引き受けました。しかし、隣のクラスの子がうるさいから注意してこいとか、学級会の進行が悪いとか、いいアイディアを出せとか、無理難題を押しつけ、困る私を面白がるようになりました。そして、数か月後に、Aさんは、学級委員が無能なので、私がやりますと言い出したのです。私は悲しかったけれど、やめたいと言い、交代しました。Aさんは自分の有能さを示すためにしてきたことだったのです。私は裏切りに気付き、そっと離れてますます目立たない中学校生活を送りました。
29歳 女性のストーリー
一番ひどい友達からの裏切りは、小学生の時に好きな人を取られたことです。
私は当時同じ小学校の友達と一緒に塾に通っていました。その友達に、実は好きな人がいるのだと相談し続けていました。相談して数ヶ月経った頃、修学旅行がありました。その時に相談相手と私の好きだった男の子が一緒に行動していて、さらには好きな人が相談相手の友達にお土産まで買ってあげていました。
私はショックを受けて「どういうこと」「いつからなの」と問い質しました。私の相談を受けているうちに好きな人のいいところを知って好きになってしまったとのことでした。子供心に、非常に傷ついた覚えがあります。
今思うと、小学生でも立派に恋愛をし、人間関係が崩れ、傷つくのだなということを証明した事案でした。

「一番おいしかった食べ物」

30歳 女性のストーリー
一番おいしかった食べ物は、おばあちゃんのから揚げです。
小学生のころ、毎週のように母方のおばあちゃんの家に家族でお泊りに行っていました。おばあちゃんは料理が得意で、昆布などから直接出汁をとるのは勿論、カレールーなども市販の物をほとんど使わない人でした。
私がから揚げが大好きで、おばあちゃんは私たちが止まりに来るたびにから揚げを揚げてくれました。一口目に醤油とニンニクがガツンときて、噛み締めていくと甘い鳥の油があふれてきて、最後にふわりとショウガの香りが鼻から抜けていく。
作り方を見ても、特に隠し味などの特別なことはしていないのに、お店とは違う独特なあの味が今でも忘れられません。当の本人に聞いてみても「適当だよ」と言われてしまい、今自分で作ってみてもあの味を再現できません。死ぬ前にもう一度食べたい一番おいしい食べ物です。
32歳 男性のストーリー
小学生の頃は家族4人で夏休みに大きな旅行に行くことが恒例でした。初めは幼馴染の子が沖縄に帰省するのが羨ましくて親に駄々をこねていたのが発端らしいのですが。
小学3年生の時には初めての北海道旅行でした。今でしたら函館の夜景や最北端の宗谷岬や釧路の湿原、札幌の繁華街など楽しみ方は何となく頭に浮かんでくるのですが、当時は予備知識なく親に連れられるがままでした。年の離れた姉は人気4人組ロックバンドのインディーズ時代のライブハウスに行き、私と両親は場所は忘れましたが、北海道でも有名だというジンギスカンのお店に行きました。美味しいお肉が食べられるならと期待をして行きました。気がつくと目の前には不思議な鉄板があり、その上に大量のバターが乗っかっていました。そして大量の野菜と肉の山。手際よく店員がバターを溶かし、野菜を積み上げ、肉を被せました。なんとも食欲をそそる見た目と香りに小学生ながら食欲のリミッターは解除され、あっという間にかんしょくしてしまいました。あの時のバターの風味と野菜の甘みと肉の香ばしさのコラボは三十路を超えた今でも忘れることのできない衝撃の美味しさです。機会ができたら是非自分の子どもにも食べさせてやりたいと思う今日この頃です。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

35歳 女性のストーリー
私とおばあちゃんとの思い出はおばあちゃんの田舎、愛媛県に連れていってもらったことです。小さい時はゴールデンウィークやお盆休み、秋祭りといった時期に姉や従姉妹たちと共に連れて行ってもらいました。小学生の頃になると、行く頻度は減ってしまいましたが、花火大会のある日に合わせて、連れて行ってもらいました。おばあちゃんの妹の家に泊まらせてもらっていたのですが、周りは畑が沢山あり、大阪出身の私にとってはその自然が魅力的でした。夏の花火大会は家から花火が見えたこともあり、すぐ近くで大きな花火を見たことが凄く印象に残っています。
おばあちゃんはもう亡くなってしまいましたが、田舎の思い出は凄く貴重な経験で、おばあちゃんとの大切な思い出です。
32歳 女性のストーリー
小学生の頃、車で1時間半くらい離れた祖父母の家に泊まりに行くのが夏休みの慣習でした。
祖父母の家の近くに住む従姉妹の姉妹と私の妹の4人で、毎年遊んでいました。おばあちゃんの作ってくれるクリームシチュー(夏なのに)を食べて、おじいちゃんのかくあぐらの上に座って、夜にはキャーキャー言いながら手持ち花火をする。
そして寝る時はなかなか寝つけず、従姉妹とずっと話をして、先に寝てしまった従姉妹をべそをかきつつ起こそうとしたり。でも気づいたら自分も寝ていたり。そんな夏休みでした。
祖父母には孫が大勢いるので、わたしもその中の1人でしたが、みんなに平等に可愛がってくれた祖父と祖母。成長と共にお泊まり会はなくなってしまいましたが、あの夏休みのことを思い出すと胸がじんわり温かくなります。
33歳 女性のストーリー
私が小学生の頃、夏休みの八月、丸々一月ほど、祖父母の家で過ごしていました。
夏休みといえば大量の宿題。例に漏れず私の小学校もこれでもかという量の宿題を出してきました。しかし意地でそれら全てを7月中に終わらせて、気持ち晴れやかにいつも祖父母の家に遊びに向かっていました。
ですがひとつだけ、決まって祖父母の家で行う宿題がありました。自由工作です。
何を作っていくかは自由のこの宿題を毎年祖父母と一緒に行っていたのです。川で拾った流木でモビールを作ったり、着物の切れ端でお手玉を作ったり、畑で見つけた虫たちを標本にしたりと、毎年違った作品を、笑って楽しく作っていました。
祖父はもうこの世を去りましたが、私の記憶の中では、当時のあの、優しい笑みの祖父が今もいます。
23歳 女性のストーリー
おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出は私が小さい時は、両親が共働きだったのでいつもおじいちゃん、おばあちゃんに面倒を見てもらっていました。
2人ともとても優しいので、私は大好きです。
小学生の時はデパートや動物園、バーベキュー、ボウリングなどたくさんの場所に連れて行って貰いました。中学生になると、休みの日にお買い物やおばあちゃんの家に遊びに行き家族皆んなで美味しいご飯を食べたりしました。旅行には半年に一回連れて行ってもらって、おじいちゃん、おばあちゃんには今まで色んな事で助けて貰いました。
成人して働き出した今、会うのは一年に一度になってしまい昔の事を思い出して悲しくなります。
これからは私が恩返しする番だと思います。
21歳 男性のストーリー
小学生の頃はまだ生きていたのでよく遊んでもらいました。特に将棋を何時間も教えてもらいました。一度も勝てなかったですが楽しかったです。また、旅行にも何回か連れて行ってもらい、乗馬などをさせてもらったのを覚えています。正月もお年玉をいっぱいもらえるのでうれしかったです。そのお金を使って、親にたしか熱海の旅行券を買ってもらっておじいちゃんとおばあちゃんにあげました。とても喜んでくれたのを覚えています。結局自分も行くことになっていっぱい遊んでもらったのを覚えています。中学校の途中でおじいちゃんがなくなったので、あの時一緒に旅行に行けてよかったなと思っています。身内で亡くなったのが初めてでしたので、普段の葬式は泣かないのですが、ものすごく泣いていました。
27歳 女性のストーリー
私が小学生の時、夏休みには必ず祖父母の家へ約1か月長期滞在していました。優しい祖父母が大好きで、実家へ帰る日は泣きながら帰りたくないと言ったこともあります。特によく思い出すのは祖母のことです。祖母はとにかくいたずらが大好きでした。例えばお茶にわさびを混ぜたり、祖父が毎日読んでいる本のしおりを違うページに変えたりとやっていることは子供みたいなことでした。祖父も毎回いたずらされているので、警戒すれば良いのに毎回騙されていました。騙された姿を見て祖母が楽しそうに笑うところを見るのが好きでした。毎日どんないたずらをしようか祖母と考えることが本当に楽しかったです。祖母は数年前に亡くなりましたが、今でも夏がくるとこのことをよく思い出します。
57歳 男性のストーリー
私の母方の祖父は、信心深かった。顔も丸顔で何時もニコニコしていた記憶しかない。
 そんな祖父は、祖母が裁縫の縫子という仕事をしていたので、着物を他の縫子さんに届けたり、出来上がった着物を依頼主に届けたりという事をしていた。
 祖父夫婦がこの仕事を始めたのは大分と高齢になってからとのことで、祖父が着物を運ぶために自動車の免許証を取ったのも、五十才を超えてからとのことだった。
 高齢で免許を取得したせいか、運転は穏やかで、田舎だったこともあるが、一度も事故を起こしたこともなかったそうだ。
 小学生になってすぐの夏休みに、親と帰省した時に、祖父が着物を運ぶ車に乗せてもらうことになった。今までも、帰省の度に最寄り駅まで送り迎えはしてもらっていたので、親と一緒には乗ったことがあったのだが、その時は、祖父と私の二人っきりでのドライブだった。
 何時もは後ろの座席ばかりだったが、この時初めて助手席に乗せてもらって、私はとても嬉しかったのを、覚えている。
 祖父の家は、一般道までは人が通るには広いが車幅いっぱいいっぱいしかなく、昔の集落の道なので、曲がりくねっているし、角切などしていない直角に曲がる交差点などを通らなければ、出れないような所だった。
 それでも祖父は慣れているので、そろそろと通過して、一般道に出て、目的地に向けて走り出した。集落の道では、車に接近してくる家の壁にドキドキし、一般道では前面の景色に夢中になっていた。しばらくして、ふと、運転している祖父が何か言っているのに気が付いた。話しかけてくれているのに景色に夢中で気が付かなかったのかと思たが、なにかちょっと違う。言っている言葉が、幼い私に向けてではなく、独り言の様なのだ。エンジン音などで聞こえにくいが、よく耳を澄まして聞いてみると・・・
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と運転しながら祖父は言っていたのだ。
 信号で止まったら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏‥」。走り出したら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」、荷物を降ろしたら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」・・・。
 帰りは「自分はこのまま、あの世に連れていかれるんじゃないか」と何か怖くなってしまった。
 後で聞いたら、「案園運転、事故除けのおまじないや」とのことだったが、ちょっとトラウマになりかけた出来事だった。

「自分は特別だと思った瞬間」

36歳 男性のストーリー
小学生の高学年からサッカーを始めたのですが、その時にはすでに周りの友達はクラブに入って経験を積んでいました。
その友達から体験でクラブの見学に来ないかと誘われたので、行ってみることにしました。
その見学では、実際の練習や試合をしてみる等、結構充実した内容だったのですが、僕はずっと友達や兄としか練習した事が無かったので少し緊張していました。
その練習での試合中、緊張もほぐれてきていつも通りプレイをしていたら、チームのコーチから突然呼ばれました。どうしたのかと思ったら、もしこのクラブに入るのなら、Aチーム(そのクラブはレベルに合わせてチーム分けされていて、Aチームが1番上位のチームでした)で練習して欲しいといわれました。ちなみに、僕を誘ってくれた友達はBチームで、子供ながらに少し気まずい空気になったのを覚えています。

「結婚っていいなと思った瞬間」

43歳 男性のストーリー
新婚旅行でいったメキシコのカンクンが忘れられず、いつかもう一度行くと夫婦でずっと思っていました。子供たちも3人小学生、長男は来年中学生のこの時期が、家族で行くには一番のチャンスと意気込んで、大金をはたいていざ新婚旅行でいった思い出のカンクンに。もちろん、行きたかった場所、思い出の場所に行き、いい家族旅行だったはずが、自分の二度の不注意で台無しに。財布なくなり、携帯壊れ。。。
さすがに財布をなくし、携帯を壊したダブルショックから精神的にはかなり参ってしまい、放心状態に。子供たちからも責められ、自分の情けなさ、だらしなさ、甘さを身をもって知ったことで、落ち込みました。念願の2回目のカンクン旅行は一気に冷めたものに。これまで撮ってきた写真も入っていたことから思い出まで消してしまったと。流石の落ち込みように、子供たちから責められるパパをかばったのは妻でした。一番落ち込んでるのはパパなんだから、もういわないのと子供たちを一喝。このときばかりは妻の人間性にほんとに感謝、そしていつまでもふさぎこんでもしかたない、せっかくの機会、まだまだ楽しまないとと前向きになれました。いろいろありましたが、念願の世界遺産チチェンイッツァは、最高の家族の思い出の場所になりました。

「独身っていいなと思った瞬間」

39歳 男性のストーリー
現在私は,結婚10年経過しました。
子どもは2人いて,共に小学生です。
私は会社員で妻はパート勤めで,仕事帰りは家事を分担するというその生活が日常となっています。

その中で独身がいいなと思った瞬間は,会社の飲み会です。
仕事後は,家事を妻と分担するために,お互いに役割があるため,
会社の飲み会が急遽入ると,子どもの面倒や炊事など妻の負担が多くなってしまいます。
そのため,会社の先輩や後輩に飲みに誘われると,すぐに即決できないことが多々あります。
独身の時は,徹夜で飲み屋にいることもありましたが,今はそれが出来ないのがとてもつらいです。最近では,先輩,後輩が気を遣ってだいぶん先の日時で都合をつけといてと言われますが,そのうち誘われなくなるんだろうなと危惧しています。

「そういえば昔夢見ていたこと」

38歳 女性のストーリー
小学生の頃、初めてなりたいと思った職業はピアノの先生でした。
ただ、小学3年の時点で親から音大はお金がかかりすぎるから絶対そっち方面は行かせないとストップがかかり、親が全てという意識の中で行きてる小学3年の私はピアノの先生の道を諦めました。
その後、親から薬剤師は安定してるから目指したら?と言われ何となくその気になっていた所、親が同級生の親から「薬学部は6年大学行かせないとダメらしいよー」と聞き、そちらの道も行かせないととストップがかかりました。

こんな感じで過ごしてきたので小学高学年くらいですかね、将来なりたい職業が公務員の窓際族になりたいと思っていた時期が本気でありました。
(親から反対されず安定した生活ができそうとか考えて)
今にして思えば何て夢のない可愛げのない小学生なんでしょうね(苦笑)
結局その後も色々あり今は全く別の職業についてます。
そんな自分の過去を振り返って我が子には自分の好きな道を進ませてやりたいなぁと思う今日この頃です( ̄▽ ̄;)
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、洋服と絵を描くことが好きでした。そのため、ドレスの絵を描いてみたり、女性の絵を描いたりということをよくしていました。そうした中で、ファッションデザイナーになることを夢見ていました。色々な雑誌やお店を見て回り、自分がいいなと思う洋服を作りたい、そんなことを夢見ていましたが、いつの頃からか夢や目標がなくなってしまい、とりあえず土日祝日休みの事務になれればいいや、と思うようになっていました。実際、事務職に就いていましたが、小学生の頃の夢を追っていたら今頃どうなっていたのかな、と思うこともあります。30を過ぎた今ではもう一度新しい人生を、と奮起する気力はありませんが、あの頃の私に声を掛けられるなら、夢を追いかける背中を押したいです。
25歳 女性のストーリー
今は全然違う事をしていますが、小学生の頃はずっと獣医さんに憧れていました。きっかけはテレビで見た動物病院のドキュメンタリーでした。何気なく見ていた番組でしたが、内容がとても印象的でその1つのきっかけで獣医さんという仕事がとてもかっこよく見えました。番組の内容は飼い犬がヘルニアになってしまった飼い主さんが、飼い犬に動物病院で手術させる事を決意するところから始まっていたと思います。難しい手術にも関わらず、手慣れた手つきで手術する獣医師の姿が映し出されていました。更に犬の一生懸命生きようとする生命力、回復力に驚かされ、手術後歩くことも出来なくなっていた犬が自分は歩けると信じて疑わず、懸命に歩こうとする姿に心うたれたのを今でも覚えています。
28歳 女性のストーリー
小学生の頃、囲碁にハマったことがありました。
ハマったきっかけは週刊少年ジャンプで連載、アニメ放送された「ヒカルの碁」。作品として面白かっただけでなく、プロ棋士の梅沢由香里さんの囲碁解説ミニコーナーが放送されていて、囲碁そのものへの興味が強くなった記憶があります。
私も祖父母の家で碁盤を探し、折り畳み式の碁盤セットを見つけ、おねだりしました。碁石を洗い、碁笥(碁石を入れておく器)がなかったのでプラスチック容器を代用しました。アニメを見様見真似で打ち始め、囲碁入門の本を見つけては買って読み漁りました。当時、小学校に囲碁将棋クラブもあり、入っていたイラストクラブを抜けてまで、囲碁将棋クラブに入りました。しかし、囲碁を打てるメンバーが少なく、いつも同じ相手の子とばかり。自宅で父相手に打ってもらうも、数回対局して以降、父にも相手にされなくなりました。そんな中でも楽しく打っていた私は「なんでこんなに楽しいものに、みんなは興味を持たないのだろう?」と感じていました。
そんな小学生時代、卒業アルバムの作文に書いた将来の夢は「囲碁を教える人になりたい」でした。
残念ながら、その夢は叶っていませんが、当時読んだ本は今でも何故か手放せずにいます。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
独身っていいなと思った瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
自分は特別だと思った瞬間
こんなひといました
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしの周りで一番勉強ができた人
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
これまでに出会った天才
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
人が豹変した話
今だから言えるごめんなさい
あの人と縁を切ってよかった
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
わたしの周りで大変身した人
わたしの周りの大恋愛
ノウハウ
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
○○の裏話
人間関係
女同士って面倒くさいと思った話
一番ひどい友達からの裏切り
女って本当に恐いと思った瞬間
家族に一番感謝したこと
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
奇跡だと思った話
今までで一番感動した話
忘れられない先生の話
忘れられない夏休み
学校や仕事をサボってやったこと
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
どうしても許せないこと
死ぬかと思った話
これまでで一番笑った話
これまでで一番驚いた話
人を見返してやった話
とっておきのすべらない話
これまでに一番勇気を出した瞬間
これまでで一番悲しかった時
嘘みたいなほんとの話
今までで体験した一番怖い体験
人生で一番運が良かったなと思う出来事
人生最大の失恋話
人生最大の修羅場
人生で一番贅沢した話
一番の苦労話
一番おいしかった食べ物
これはひどいなと思った結婚式
忘れられない夏の思い出
お金さえあればと感じた瞬間
修学旅行の思い出
これまでで一番お金を無駄にした話
私について
仕事での大失敗
わたしの初恋と、その結末
誰かに聞いてもらいたい愚痴
苦手だったのに得意になったエピソード
もっとも尊敬する人
人生が変わった出来事
私の変えたい過去
誰にも言っていない秘密
わたしがやめられないもの
そういえば昔夢見ていたこと
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話