"大人" に関するエピソード

「これまでで一番悲しかった時」

29歳 女性のストーリー
これまで一番悲しかったことは祖母が亡くなったことです。
祖母とは家族の中で1番仲が良いと言っても過言ではないくらい仲良しでした。小さい頃からずっと一緒にいるので祖母がいるのは当たり前と思っていました。しかしだんだんと大人になっていく中で祖母と触れ合う機会少なくなっていき反抗期の時期には祖母に八つ当たりしたりしたこともありました。それでも祖母は私のことをいつも優しく見守ってくれて応援してくれました。私が何か悩んでいるときは私を心配して電話くれたり深くじっくり悩みを聞いてくれていました。祖母は私にとってかけがえのない存在でありとても大切な人でした。それでも人間にはいつかは死の別れがくるものです。しかし私は祖母が癌になっていることに気がつきませんでした。わたしは祖母が癌になっているちょうど時に留学をしたのですが私の留学中に祖母の状態は悪化していき私が留学から日本へ帰る頃にはもう末期の状態になっていました。留学中なんども悔みました。なぜ私は留学をしてしまったのだろうと。留学をしなければ残り少ない祖母の命と向き合えたのにと後悔しました。祖母は私が日本に帰ってきてから2週間後に亡くなりました。今でも祖母が夢に出てきて涙が出てきます。祖母が天国で楽しく過ごしていることを想像しながら人生後悔しないように精一杯生きて生きたいと思うこのごろです。
42歳 男性のストーリー
自分が5歳の時に両親が離婚したことです。その時に両親にこれからどっちと一緒に暮らしていきたいかを問われたのです。

まだ幼かった私は子供心にも直感というか優しかった父親のほうを選びました。母親の方は時折ヒステリックになり軽い暴力や暴言を振るうことがあって自分には受け入れ難かったのも事実でした。

でも幼い私にはこの先どのような生活になるのか全く想像ができす不安で仕方がなかったです。

私には2歳年下の弟もいたのですが、弟はまだ3歳で自分がどちらと暮らすかという選択肢は与えられず、母親が勝手に決めて母親と暮らすことになったのです。

またそれも悲しい出来事でした。

歳も近いため兄弟一緒に遊んだりしていたのにそれがこれから離れ離れになってしまうというのも想像が出来ずとても悲しかったです。

結局いまはお互い大人になり自由に会うことも出来て当時の事を話したりしてお互いの気持ちの折り合いをつけることが出来ました。

「わたしの周りで一番勉強ができた人」

57歳 男性のストーリー
私の周りで一番勉強ができた人は、やっぱり少し変わった人でした。両親はともに先生で、自宅のその人の部屋にはピアノがありました。もちろんピアノも弾けてショパンの何かしらの曲を弾いてくれました。また音楽は普通の人が聴く歌謡曲やポップスは全く聞かないで、クラシックだけ聞いているとの話でした。成績は東京大学が楽々ぱすできるくらいの実力がありましたが、かっこいいからという理由で慶応大学へ進みました。その後は一流企業に勤めていましたが、結婚はかなり遅く40歳くらいで結婚したようです。今でもたまに同窓会であったりしますが、とんでもない仕切りたがり屋で、カラオケ屋さんに行っても歌うジャンルを一方的に決めたりします。大人になっても風変わりなところは変わっていません。

「これまでで一番お金を無駄にした話」

32歳 女性のストーリー
ガチャを回すためにソシャゲに課金したお金が人生で一番の無駄遣いだと思います。

最近ソシャゲのガチャで大金を使う子供たちが多いというニュースをよく耳にしますが、大人になってもガチャの誘惑には勝てないときがあります。

RPG系のソシャゲを始めた際、最初は少量の課金と無料でもらえる石・券などでやりくりするのですがイベントなどで推しキャラが出てくるとどうしても足りなくなり気が付いたらかなりの額をつぎ込んでいました。

冷静になって考えるとたかが画像に一万、二万、三万…とドンドンお金をつぎ込む自分にゾッとしました。自分で稼いだお金はどう使おうが自分の勝手だと思っていますが流石に5万以上の請求額を見た時は「もう課金はやめよう。」と強く誓いました。
今考えるとその5万でもっといいもの買えただろう!!!と思いました。

「これまでで一番笑った話」

29歳 女性のストーリー
あるレジャー施設に行ったとき、入園料を買うために列に並んでいました。
すると前の若いお母さんが受付の人に「大人(おとな)二人と小人(こびと)二人」と言っているのが聞こえて旦那がぼそっと「あの人、こびと連れてるんやって」と。
私はこらえ切れなくなり腹を抱えて大笑いしました。
大人(おとな)は読めたのに、どうして小人はこどもじゃなくて「こびと」と読んだのかな?と冷静に分析している旦那も面白かったです。
でも、一番は受付のお姉さん!「はい、大人2名とこびと2名ですね」っとサラッと真顔で返してしてプロだなと思いました。
私なら笑いをこらえるの必死でプルプルしていたと思います。
誰か、あのお母さんに「小人はこびとじゃなくこどもって読むんやで」と教えてあげてください。

「これまでに出会った天才」

41歳 男性のストーリー
私の同級生の話です。
小学校、中学校と共に過ごしてきました。
スポーツ万能で仲間からも信頼があり、放課後などはみんなで遊んでゲームをしたりと人気が高い少年でした。
彼は運動神経が良かったのでそこが目立っていたように思えます。
ある日一緒に本屋さんに出かけた時の事だったのです、パラパラと色々な本をめくっていたので、その時はきっとどれを購入するのか悩んでいるのだなと思っていたのですが本屋の帰りに結局どれを買うか決まらなかったんだね的な話をしたときに衝撃的な一言「全部読み切ったよ。
」と!!幼き日の私には何を言っているのだろうと思いましたが、その年の夏休みの読書感想文はそのパラパラとめくって読んでいた一冊から書き上げて提出をしていました。
後で聞いた話ですが、彼は一度見たものはその場で覚えてしまい、忘れないそうです。
その後私も大人になり、彼も大人になりました。
彼の人生は幼いころから決まっていたように思えますが、東大を首席で卒業したそうです。
今では大手企業を引っ張っていっているそうです。

「わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード」

32歳 男性のストーリー
・貧乏な家計に配慮した担任の先生がみんなに配っていると言ってた遠足用のおやつを皆んなと同じだと言って多めにくれました。
他の子達はうまい棒一本だったが、300円分程戴きました。
・遠方に住む祖母の家で飼っていた犬が亡くなった際に私がとても可愛がっていたため、祖母に電話をする度に「たっちゃん(犬)元気?」と聞いていた。すると祖母は「元気だよ」と優しい声で答えてくれていた。暫くして祖母が体調を崩し、祖母宅に行くと犬が亡くなっていたことが分かった。弱っている祖母は「嘘をついてごめんなさい」と泣きながら言った。当時、両親が離婚した事も重なっていたため、私に犬が亡くなった事を言えなかったんだと思います。大人になってから思うのは、祖母が電話の度に嘘をついてくれていたんだと思うと切なくなります。

「わたしがやめられないもの」

28歳 男性のストーリー
間食がどうしてもやめれません。夕飯を食べた後、作業をして寝るまでに必ずポテトチップスを買って食べてしまいます。

やめようと努めるも、近くにコンビニがたくさんあるため毎日誘惑に負けてします。最近だとポテトチップスのほかにもコーラを買ってしまう癖がついてしまいました。やはり人間、ルーチーンが出来てしまうと弱いものです。

そんな私にも彼女が出来ました。彼女はとにかく間食やらスナック菓子が嫌いなタイプで、見つかると怒られてしまいます。よい大人なんだから我慢を・・・とは考えているものの。やはりやめれません。

彼女の目を盗み、コンビニに忍び通う日々が続いてしまっています。
背徳感もまし、余計にポテトチップスがおいしく感じてしまいます。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

36歳 女性のストーリー
小学生の頃から裁縫が苦手だった。家庭科の製作物は、いつも、見かねた友達が、私の代わりにやってくれていた。なので、自分に裁縫は無理だと思っていた 。だけど、大人になって、YouTubeを見るようになって、子供の体操袋やバッグの作り方の動画を見ていたら、自分にもできるような気がしてきて、試しに作ってみたら、あっさり作れてしまった。それからは、見よう見まねでバッグや財布やポーチなど、色々作れるようになった。今まで苦手だと思い込んでたけど、単にや
り方がわからなかっただけだったのかもと思った。口で説明されても、イラストを見ても、ちんぷんかんぷんだけど、動画ならスッと頭に入ってくる。最近は、バッグが欲しいと思ったら、まず作り方の動画を探して、自分で作っている。
35歳 女性のストーリー
小さいころ、お肉が食べられなかった私。
肉をいつまで噛んで、どうやって飲み込むのかがわからなかった。筋だけになった肉をいつまでも口に含み、親が見ていない時にティッシュにくるんで捨てるのだった。
小学生のある誕生日の夜、父に誘われて2人でステーキを食べに行った。そこで食べた肉は、あっという間に口の中からなくなり、溶けるようになくなった。
私は、とてもうれしくなり父を見上げた。このお肉、おいしいね!と喜ぶ私の頭を、父は少しの笑顔と「ごめんな」の言葉とともになでてくれた。
当時3人兄弟の弟が長期入院し、安いお肉しか食べてなかったと気付いたのは大人になってから。
きっと家族5人でステーキを食べる予算がなくて私だけ連れて行ってくれたのだろう。
あの時の父の悲しそうな笑顔を忘れない。
赤身ステーキの流行、私は大歓迎だ。
42歳 男性のストーリー
小学1年まで鉄棒が苦手でした。今でも忘れられない3歳の時に頭から落ちたからです。その時の怖さが忘れられず苦手だったのですが小学2年生の時の事、学校で七夕の短冊の願い事を書いてくる宿題がありました。「七夕さんでお願いしたら本当に願い叶うの?」と母に聞くと「お願いして努力したら叶うよ」と言われ本気で信じた私は鉄棒ができるようになりますように、と願い事を書き、それから必死で練習をしました。七夕さんが見守ってくれているから大丈夫と信じて…。それからはぐんぐん上達し小学4年生になった頃にはクラスで1番小さい私が1番高い鉄棒で体育の時間にお手本をするまでになりました。信じる心というのはすごいなと大人になった今思います。
37歳 男性のストーリー
苦いピーマンやししとうが小さい頃から苦手だった。
そのものの苦さしか感じなかったからだ。
大人になり仕事場で用意された中で青椒肉絲弁当しか残っていなかったので試しに食べてみたら味付けが濃いからか、美味しく食べる事ができた。
その後にピーマンが食べられるようになったのかと自分自身を疑い、もう一度青椒肉絲を食べてみることにした。するとやはり美味しく感じて、そこから自分自身でピーマン料理に手を伸ばすようになった。
同じようなししとうも、もしかしたら食べれるのでは?と思い試してみたら食べられた。
小さな頃は家庭で出てくる味付けしかしらなかった為にピーマンそのものの味を苦手と感じるだけだったが、ピーマンの苦さを上回る味付けによって、ピーマンの苦さがポイントになるんだと思える料理に出会えた事が苦手からむしろ得意になったきっかけだった。
39歳 男性のストーリー
街で小さい子供に会った時に、コミュニケーションをとれるようになった。
もともと子供が嫌いだったのと、自分が一人っ子で親戚とも離れて暮らしていたため、子供という存在が身の回りにいなかった。だから、公共交通機関やショッピングセンターに子供がいても、できれば関わりたくないし、泣いていることに嫌悪感はかんじなかったけれど、どうしようもないと思っていた。
自分が出産し、子育てをしていく中で、公共交通機関で自分や子供に話しかけてくれる大人に救われることがたくさんあるんだと知り、自分自身も子供の扱いがある程度わかるようになったため、子供と接するということに対して、抵抗感がなくなっていた。
もちろん、泣かせっぱなしや騒がせっぱなしで、何もしない親に対しては許せない存在なので、接すること自体避けたいという気持ちは昔のままであるが、必死になっているお母さんの子供に対しては、協力してあげたいという気持ちのほうが大きくなった。他人の子供に対して、すごくかわいいとか好きとかいう感情があるわけではないが、話したりあやしたりということが苦手だった私だけれど、子供を持つようになって、話しかけたりあやしたりが得意になった。
53歳 男性のストーリー
幼い頃、土地柄から山菜がよく取れ食卓に並ぶ事が多い事がありました、山菜の味は独特であくが強く幼い頃は苦手でした。周りの家庭は野菜といえばほうれん草、かぼちゃなど代表的な野菜ではありますが我が家は何時も山菜です。野菜の甘みが無く子供心ではありますがまたかよっていう感じでしたが、いつの日からかお酒を飲む機会が増え、つまみといえば山菜がつまみとなっております、ご飯のおかずには合わないと思っていた山菜ですが、お酒には無くてはならない存在と現在はなっております。
あんなに苦手だと思っていた山菜が、逆に好物になったのが不思議です。やはり子供の舌と大人の舌では感覚が違うのかと思っております。
現在、自身も親となり子供に山菜を勧めると食べてくれません。繰り返しのエピソードであります。

「もっとも尊敬する人」

32歳 女性のストーリー
私が最も尊敬する人は、自分の母親です。ベタな回答かもしれませんが、この世でもっともかけがえのない、尊敬する人物です。
子供の頃はわがままばかり言って、迷惑をかけて、それを受け止めてくれるのが母親なのだと、何も疑問に思いませんでした。当たり前に仕事をして、当たり前に子育てをして、当たり前に家のことや家事を全部こなして。母親とはそういうものなのだと思っていました。
大人になるにつれて、それが当たり前ではないのだと痛いほど実感しています。一人暮らしを始めて、料理も掃除も洗濯も何もしたくない日が何日もありました。たった自分1人分なのに、こんなにも生活するのは大変なのかと。母親は、それを毎日当たり前に、疲れていても落ち込んでいても悲しくても、それを表に出さずに、やっていてくれたんだなと。泣きました。
きっと、私の母以外でも、そうだと思います。今一度、自分の母親のことを思って、考えてみてくれたら嬉しく思います。
33歳 女性のストーリー
母親です。
私は12才で父親を癌で亡くしました。3つ下に弟が一人います。小さい子供を残された母は一生懸命生活する為に働いてくれました。
子供の頃はどのぐらい大変なことだったのかが理解できていませんでした。
大人になり、結婚し子供もできた今、母親がどれだけの苦労をしてきたのかがすごくわかります。
今の生活は、決して裕福とは言えないもので、生命保険や、学資保険などかける余裕もなく、年金や保険料などは減免や免除などをしてもらうというような貧乏生活。
将来の不安からは切り離されない生活です。母もきっとあの時は将来の不安に押しつぶされそうな気持ちだったんだろうなと思います。
そんな不安の中でも私たち兄弟を育ててくれて、こうやって今生きているんです。感謝しきれないし、そんな強い母親を尊敬しています。
31歳 女性のストーリー
私は大人になるまで親からも疎遠状態で、父はまともに向かい合ってくれませんでした。そんな人生でしたが今の主人と出会ってから私の人生は変わりました。私は持病があり夫にも迷惑をかけてしまっていますがそんな私を温かく迎えてくれて、生活の楽しさや人生の変化を与えてくれました。主人は人柄も良く仕事場でも周りとのコミュニケーションがうまくとれており、それがきっかけで出会うことになりました。主人は私の両親とも真摯に話をしてくれて今は私も育ててくれた両親に感謝出来るようになりました。また、私は子育てが苦手ですぐに子供に当たったりと、大人げない時もありますがすぐにフォローしてくれます。今では3人で暮らしていますがとても平穏な毎日を暮らすことが出来ております。私も尊敬する主人と共に良き妻として成長して行きたいと思います。

「「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事」

37歳 女性のストーリー
お金は、汗水たらして稼ぐもの。苦労して稼ぐもの。小さい頃から、そう教わって生きてきました。大人になり、お金を稼ぐようになり、そこそこ辛い思いをしながらも、日々お金を稼いで普通の生活を送ってきました。そんなある日、携帯一つ、いや、ボタン一つでお金が稼げることを知りました。それが、FXとの出会いでした。周りでは株や仮想通貨などが流行り出したころで、友達などは手を出していました。しかし、私は、そんなにうまい話はないだろうと、手を出すことはありませんでした。そんな私が、なぜFXにてを出したかというと、その頃付き合っていた彼氏の紹介からでした。身近にいる人の影響力はすごいものです。その彼氏にFXののうはうを教えてもらい、ほんの少し勉強し、簡単に始めることが出来ました。最初は小額から。ボタン一つで購入し、ボタン一つで決済。すると、ものの数時間で数千円稼げていました。今までは、半信半疑でしたが、そのとき本気で「こんなお金の稼ぎ方あるんだな」と思いました。
簡単にお金は稼げますが、簡単にお金を失います。リスクありきですが、やはり自分は多少苦労してお金を稼ぐほうが向いていると思いました。

「わたしの初恋と、その結末」

62歳 女性のストーリー
私の初恋は、中学一年生の時です。
同じ学校の三年生で、バドミントン部の部長でした。
同じクラスの友人と誘い合い、バドミントン部に入部しました。
先に友人が、部長を好きになり、私も、いつの間にか、好きになっていました。
それからと言うもの、休み時間に部長の教室を見に行ったり、放課後は、待ち伏せをして、部長の少し後を歩いて帰ったりしていました。
ストーカーの様な行為ですね。
特に悪いとも思わずに、行動していました。
部長の家まで行って、「一緒に、バドミントンをしてもらえますか」と頼んでして頂いたり、バレンタインに、チョコを渡したり、ファン気分で行動していました。
卒業する頃に、色紙を買って書いてもらいました。
「良く頑張った❗これからも、何事も諦めずに頑張れ‼️」と。
卒業してからは、とても寂しくなりました。
特に、何もなかったけれど、甘酸っぱい初恋の思い出です。
大人になって、迷惑をかけたと、反省しましたが、いつも、笑顔で優しい先輩だったと、感謝しています。
39歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校3年生の時でした。相手はクラスの同級生で、いつも一緒に遊ぶグループの男の子でした。子どもでしたから、それまでは、好きな人といってもコロコロ変わったり、クラスに1番目から4番目に好きな人がいる状態でしたが、初めて1人の子を長く想うようになりました。彼は勉強こそ出来なかったけれど、運動神経は抜群で運動オンチな私はいつも助けられていました。バレンタインのチョコを初めて家族以外で渡したのも彼でした。学校には持ち込み禁止だったので、近くのスーパーに放課後呼び出しました。彼が来てくれるか、今の関係が壊れるんじゃないか、幼心にドキドキしたのを覚えています。無事に渡せて、関係も変わらず、ホワイトデーのお返し(確か、かわいい入れ物に入ったくまのクッキーだったと思います)ももらえました。大人のように付き合うもなにもなかったけれど、何気ない日々がすごく嬉しくて、毎日がとても楽しかったです。ですが、その1ヶ月後、私は親の転勤で引っ越すことになりました。そこで思っていたのはやはり彼のことです。子どもにとっては県をまたいでの移動なんて外国と同じですし、漫画やアニメのように手紙を出すなんて考えつきませんでした。こうして私の初恋は終わりました。最近、娘も大きくなり、あの頃の私の歳を越えて、好きな男の子が出来たのでこの話をしました。彼もどこかで私のことを覚えていてくれたら嬉しいな、と思います。
48歳 女性のストーリー
中学3年生の頃のことです。隣のクラスの担任の先生で26歳の国語の先生が初恋の相手です。なので、国語の授業が楽しみで、国語の勉強頑張りました。
文化祭の時は一緒に写真を撮ってもらいました。中学3年なので1年間しか関わる事は出来なかったのですが、受験なども有り大変な時期では有りましたが、先生のおかげで楽しい思い出も出来ましたし、勉強も頑張れたのだと思います。
でも、先生には彼女がいて、体育祭の時に応援に来ていたらしく、失恋はしましたが卒業の時にアドレス帳に書いてもらいました。
その8年後に私が23歳の時にレストランでアルバイトをしていた時に、偶然その先生が奥さんと一緒に食事に来ていました。気づいては貰えなかったのですが、もう私も大人なので挨拶だけはしましたが。
31歳 女性のストーリー
初恋は小学生4年生の時でした。手紙交換をしていて両想いということはわかっていたのですが、周りの人たちにからかわれてあまり話したりすることができませんでした。学校から一緒に帰ったりして、とてもドキドキしました。彼氏、彼女ごっこみたいな感じです。でも小学生だったので特にそこから進展はせず、私も他の男子と遊んだりもしていたので、いつの間にか両想いの関係ではなくなり、なんとなく気まずくなり話さなくなりました。中学も一緒でしたが気まずいままで、話さないまま大人になって同窓会で久しぶりに会って話ができました。当時から頭が良かったのですが、大学卒業後に大企業に入りエリートサラリーマンになって、小学校時代のマドンナ?だった可愛い女の子と結婚していました。。その話を聞いた時、私はまだ独身で婚活中だったので、羨ましいというか複雑な気持ちになりました。
39歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校3年生の時でした。相手はクラスの同級生で、いつも一緒に遊ぶグループの男の子でした。子どもでしたから、それまでは、好きな人といってもコロコロ変わったり、クラスに1番目から4番目に好きな人がいる状態でしたが、初めて1人の子を長く想うようになりました。彼は勉強こそ出来なかったけれど、運動神経は抜群で運動オンチな私はいつも助けられていました。バレンタインのチョコを初めて家族以外で渡したのも彼でした。学校には持ち込み禁止だったので、近くのスーパーに放課後呼び出しました。彼が来てくれるか、今の関係が壊れるんじゃないか、幼心にドキドキしたのを覚えています。無事に渡せて、関係も変わらず、ホワイトデーのお返し(確か、かわいい入れ物に入ったくまのクッキーだったと思います)ももらえました。大人のように付き合うもなにもなかったけれど、何気ない日々がすごく嬉しくて、毎日がとても楽しかったです。ですが、その1ヶ月後、私は親の転勤で引っ越すことになりました。そこで思っていたのはやはり彼のことです。子どもにとっては県をまたいでの移動なんて外国と同じですし、漫画やアニメのように手紙を出すなんて考えつきませんでした。こうして私の初恋は終わりました。最近、娘も大きくなり、あの頃の私の歳を越えて、好きな男の子が出来たのでこの話をしました。彼もどこかで私のことを覚えていてくれたら嬉しいな、と思います。
48歳 女性のストーリー
中学3年生の頃のことです。隣のクラスの担任の先生で26歳の国語の先生が初恋の相手です。なので、国語の授業が楽しみで、国語の勉強頑張りました。
文化祭の時は一緒に写真を撮ってもらいました。中学3年なので1年間しか関わる事は出来なかったのですが、受験なども有り大変な時期では有りましたが、先生のおかげで楽しい思い出も出来ましたし、勉強も頑張れたのだと思います。
でも、先生には彼女がいて、体育祭の時に応援に来ていたらしく、失恋はしましたが卒業の時にアドレス帳に書いてもらいました。
その8年後に私が23歳の時にレストランでアルバイトをしていた時に、偶然その先生が奥さんと一緒に食事に来ていました。気づいては貰えなかったのですが、もう私も大人なので挨拶だけはしましたが。
20歳 女性のストーリー
5歳の時からの幼馴染を、小学校を卒業する頃までの7年間、ずっと好きでいたのが私の初恋です。結局関係性を変えるのが怖くて告白はできず、中学校が別になったことで付き合いも薄れてしまいました。大人になった今思い返してみると、きっと昔は両想いだったと思います。仲が良すぎて周りにからかわれても、ずっと一緒に遊んでました。お互いに幼すぎて踏み込めなかったのです。
今でも好きだというわけではありませんが、いい思い出である事には違いありません。大学生になってから久々に会うと、前は殆ど背丈が変わらなかったにも関わらず高身長のイケメンへと成長していて、かっこいいなと思いました。今はかわいい彼女がいるんだろうなと思うと、少し悲しいような、寂しいような気持ちがあります。
31歳 女性のストーリー
初恋は小学生4年生の時でした。手紙交換をしていて両想いということはわかっていたのですが、周りの人たちにからかわれてあまり話したりすることができませんでした。学校から一緒に帰ったりして、とてもドキドキしました。彼氏、彼女ごっこみたいな感じです。でも小学生だったので特にそこから進展はせず、私も他の男子と遊んだりもしていたので、いつの間にか両想いの関係ではなくなり、なんとなく気まずくなり話さなくなりました。中学も一緒でしたが気まずいままで、話さないまま大人になって同窓会で久しぶりに会って話ができました。当時から頭が良かったのですが、大学卒業後に大企業に入りエリートサラリーマンになって、小学校時代のマドンナ?だった可愛い女の子と結婚していました。。その話を聞いた時、私はまだ独身で婚活中だったので、羨ましいというか複雑な気持ちになりました。
24歳 女性のストーリー
幼稚園のクラス担任の先生に、初めての恋をしました。

当時の幼稚園の先生といえば、女性ばかりだったので母親のような感覚をもって甘えていたのですが、
初めて男の先生が来て、しかも自分のクラスの担任になって、最初は興味本位でちょっかいをかけていました。

それから、大人の男性の力強さ、私に向けられる優しい微笑み、分け隔てなく皆に与えられる優しさ、全てに私は心を奪われ、
いつしか私だけに構ってほしいがためにいたずらを仕掛けたり、先生の近くにまとわりついていたりしました。

結局、この気持ちを素直に伝えることはありませんでしたが、
卒園してから数年後、人づてに先生が結婚したという話を聞きました。
お嫁さんが羨ましいなと思いましたが、思ったよりショックではありませんでした。

それから一度だけ先生と再開しましたが、変わらず元気そうだったので、それが嬉しかったことを覚えています。

いつか先生みたいな素敵な旦那さんを見つけたいものです。

「誰にも言っていない秘密」

25歳 女性のストーリー
私が誰にも言っていない秘密は、子供の頃に買ってもらったペンギンのぬいぐるみに名前をつけ、大人になった今でもペンギンを飼ってるかのように可愛がっていることです。
ちなみに、ぬいぐるみが丸くてむにむにしていることから「おもち」という名前をつけています。
ペンギンは色が白黒なのもあり、時々おもちの黒い部分をなでなでしながら「黒ごまもち~」なんて言って遊んだりもしています。
おもちとはもう10年近く一緒にいるので私にとっては大切な家族そのもので、好きな歌手のライブの時におもちを鞄の中に入れて連れていったこともあり、ライブ後に家で「おもち~、○○さんに会えて良かったね!」と話しかけていました。
なので、将来の夢は私のそんな秘密も受け入れてくれる人と結婚することです。
37歳 女性のストーリー
誰にも言えない秘密があります。それは、大人になって「おねしょ」したことがあります。たまたま1度だけ。と言うものではありません。自分は病気なのではないかと心配になるレベルで「おねしょ」してます。大人になってからの「おねしょ」は大学生になってからでした。普通にズボンも布団も濡れるレベルの「おねしょ」でした。その後も、大学時代何度か「おねしょ」してます。次は、30歳過ぎてからです。同棲していた彼氏の横で。幸い、スウェットを履いていたので、布団はほんの少し濡れた程度で、何とかごまかしばれませんでした。漏らしたとすぐ気づき、シャワーでこっそり洗い流し着替え、タオルを敷いて布団意入り、彼氏のほうが先に家を出るので、出るまで布団の中で寝た振りしていました。その後、速攻でシーツを洗い布団はファブリーズ拭き掛け捲り1日中外に干して乾かしました。そのときの冷静な対応は、何とも手馴れたものでした。
色々調べてみると、大人の「おねしょ」は精神的なものが原因となっていることがほとんどだと。思い返してみると、大学時代は様々なストレスで大変だった時期でした。同棲時代はいつまでも結婚してもらえず、毎日毎日不安との戦いの日々でした。
いまは、落ち着いていますが、、、
誰にも言ってない秘密。もう、これ以上黒歴史増やさないまま、墓場まで持っていきたいです。

「死ぬかと思った話」

27歳 男性のストーリー
私が17歳の夏休みに体験した"死ぬかと思った話"になります。

毎年夏休みは海に行きます、人の少ないお盆の時期を狙い地元の幼馴染や友人と電車で行ける範囲で午前11時には海に着き午後17時前には帰路に着ける軽めの遠出といった感じで恒例のイベントとなっていました。

お盆の時期を狙うので"人が少なく""遊泳可能"という場所は限られておりこの時は地元から電車、バスを乗り継いで片道3時間程度の海水浴場でした。

当日は風もなく泳ぐには丁度良い暑さの天候で自分を含めた5人の友人も目一杯泳ぐことができ満足でした。

時間も差し迫り最後にどこまで泳げるか挑戦しよう!という提案に乗り、体力を使いきり帰る想像をしていました。

一人一人満足し海に上がっていく中、私はこれだけ穏やかな波の流れなら自分が遠くまで泳げるぞ!と5人の中でも運動ができるという自信からどんどん先へ泳ぎました

他の5人が泳いだ地点であれば少し戻れば足も着くからどうってことはないと思っていた矢先ある地点を境に波が強くなり力を入れてどれだけ泳いでも戻ることができなくなりました。

浮いているのがやっとという状態でしたが海から上がった友人4人は荷物をまとめ着替えるために浜とは別の場所にあるシャワー施設に向かってしまい私のことは置いて移動してしまいました。

もう体力も持たない、このまま友人が着替え終わるまで待っていたら死ぬのではと感じました。

当然ライフセーバーの方などもその海水浴場にはいたのですが、混まないということだけを重視して探した海水浴場でしたので、そういう方の数も少なく、やんちゃな高校生ということもありライフセーバーのいる監視塔とは離れた所で泳いでいました。

いよいよ浮くこともままならない状態になり、死んだなと思いました。

意識も遠ざかりかけたその時偶然近くでウィンドサーフィンをしている大人の集団がやってきて私のことを救助してくれました。

ウィンドサーフィンを趣味にしている近くに住む会社員の男性でした、仕事が早く終わって来ていなければ取り返しのつかないことになっていたぞと救助後に駆けつけたライフセーバーの方々と一緒にしこたま怒られました。

無事に帰ることはできましたが、それ以降私は足のつかない所では泳ぐことができなくなり、夏は海に行くこともなくなりそれからは毎年山でBBQをするようになりました。

以上が私の体験した"死ぬかと思った話"になります。

「わたしの周りの大恋愛」

26歳 女性のストーリー
中学生の頃通っていた塾の先生(男)と生徒(女)の話です。個別塾の担当だったので、受験期の頃は毎日会っていました。先生はとてもめんどうみがよく、お兄ちゃんのような存在だったのですが、その子にだけは他の生徒と比べて特別な扱いをしていました。その子も先生のことを尊敬して、先生みたいな大人になりたい!と言っていたり。のちにわかったことですが、お互い両思いだったそうです。しかし、受験期もおわり卒業。一緒にいることはなくなりました。卒業してから連絡先を交換したものの、お互い多忙で会うこともできず、そのうち携帯が壊れデータが消えてしまい、連絡が取れなくなり、ただの思い出となってしまったのです。しかし、なんと10年後にたまたま駅で再会。「大人になったら一緒にお酒を飲もうね!」と話をしていたのが10年越しに叶い、そのままお付き合い、ゴールイン。あの頃はまさかこんなことになるとは思っていませんでしたが、今はとても素敵な夫婦です。

「忘れられない先生の話」

35歳 女性のストーリー
中学校の卒業式の日に、大嫌いだった国語担当の先生の元へ行き、封筒に入れられた「〇〇先生のことが大嫌いだった理由」というタイトルの作文を「先生、本当にありがとうございました」と真顔で渡しました。先生はお礼の手紙だと思っていたのか「ありがとう」と笑顔で言ってくださり、わたしはその場を去りました。

数ヶ月後、わたしの父が働く中学校に電話をすると、たまたま例の国語の先生が電話に出ました。父と同じ中学校に転勤していたのです。先生はわたしが父の娘と知っていたので、すぐにわたしと気付きました。そして「いやぁ君の作文衝撃的で忘れられないよ。素敵な作文ありがとう」と皮肉っぽく言いましたが、その後に「それにしても君は文章力あるな。すごくよく書けてたよ」と今度は大人の対応が帰ってきました。

思春期だったとはいえ申し訳ないことをしたと思います。
わたしも35歳になって大人になったので、もしこの国語の先生に会えることができるのなら会って謝罪したいです。
60歳 女性のストーリー
忘れられない先生。ということで一番に思い出されるのは、今は亡き高校時代のT先生です。1年生から3年生まで担任としてお世話になった物理の先生でした。
堅物という印象で取っつきにくい雰囲気の先生でしたが、私が家庭の混乱や親との関係で、何もかも嫌になっていた時に、それに気づいてかけてくれた一言です。
「僕は、親は誰でも子どもを大切に思っているはずだ。とかは言わない。だって君の親の気持ちは知らないし、子どもを愛せない大人も居ると思っているから。唯、言えるのは、僕が担任として君をとても大切に思っているということは、確かに言える。もしもどうしようも無くなって、屋上から飛び降りようか。とか思ったら、どうしてもそうするなら、一緒に飛び降りるから僕にだけは知らせて下さい。」
当然、一緒に飛び降りるつもりではないと分かりつつも、こんな風に自分を気にかけて、誤解を受けるような言葉を使ってでも、守ろうとしてくれる人が居るのだ。ということが私自信がそこから先に進む力になりました。
60歳 女性のストーリー
高校時代の3年間担任としてしてお世話になったT先生は、忘れられない先生の1人です。
家庭の混乱や、親との関係などの今となっては小さい事で悩み、何もかも嫌になっていた時期がありました。本当に死んでしまったらどんなに楽か・・・と考えてみたり。
そんなときに、今は亡きT先生が気付いてくれってかけてくれた一言です。
「僕は、親なら誰でも子どもを大切に思って愛しているはずだ。なんてことは言わない。だって君の親の気持ちは僕には分からないし、子どもを愛せない大人も居ると思うから。でも、僕が君をとても大切に思っているということだけは、言える。もしもどうしょうも無くなって、屋上から飛び降りよう。なんて思うことがあったら、話してもどうにもならないなら、僕は一緒に飛び降りるから、必ず声をかけて下さい。」
まさか本当に一緒に飛び降りるつもりは無いと分かりつつも、そんな風に誤解を受けるような言葉を使ってまで私を気にかけて、守ろうとしてくれる人が少なくとも1人を居るんだ。という思いが私の新しい一歩を踏み出す力になりました。

「人生最大の失恋話」

36歳 女性のストーリー
私が大学2年生の時、バイト先のお店に客として来ていた彼と知り合いました。10歳年上の彼は社会人で、私にとってはとても大人で素敵に見えました。連絡先を交換し、プライベートで会うことも増え、交際に発展。大学生だった私の家に泊まるようになった彼に、仕事の重大さを知らない甘かった私は、彼といたいがために、自分の講義が無い日は彼に仕事を休むように促していました。次第にその誘いに応じるようになった彼は、ついに無断欠勤を続けそのまま退職し、私のアパートに転がり込んできました。運命を感じ、彼を支えるんだと意気込んで、彼のためにバイトを増やしたり、両親に婚約者として紹介していました。その後2年ほど同棲が続き、そのうちに彼はバイトを始めました。そこで知り合った彼と同じ趣味の女性を、バイト仲間として私も紹介され、何度か一緒に遊びました。次第に彼から愛情が感じられなくなったので、禁断のメールの盗み見をしたところ、その女性と性行為までし、愛を誓いあっていることが分かりました。寝ていた彼を叩き起こし、人生で初めて人を殴りました。出ていけ!と言ったら、彼はすごすご出て行きました。それでも後悔して、バイト先に詰めかけたり、その女性を殴ったり、だいぶ酷いことをしたせいか、彼も最初は私とやり直したいと言っていたものの、バイトを辞め、私の前から姿をくらましました。それから立ち直るまでに2年ほどかかりました。今ではネタになる良い思い出です。
43歳 女性のストーリー
もう20年も昔の事ですが私には大好きな3つ年上の幼馴染のKくんがいました。
幼馴染と言っても毎日会えるわけではなく毎年夏休みに父の田舎で会うだけの仲でした。
彼は本当に優しくてカッコいいお兄ちゃん的存在で初めて会ったのが私が小学校の低学年。
あまりに素敵なので同級生の男子には目もくれず毎年夏だけ一緒に過ごすKくんに20歳過ぎまで一筋でした。
私の好き好き攻撃は妹がお兄ちゃんにまとわりついているようなものだったんでしょうね。
最後までKくんには相手にしてはもらえませんでした。
あれは忘れもしない私が22歳の夏。K君が7歳年上の彼女を田舎に連れて来たのです。
その彼女は32歳の大人の女性でどこか陰のある美人さんでした。
Kくんの手前愛想よく彼女にもあいさつしたのですが彼女は私の気持ちを見抜いていたのか無言で会釈をするだけでした。
私とは真逆のタイプの女性で自分が落ち着きのないガキんちょだとまざまざと悟ったのです。
彼女を交え夜にバーベキューをしたのですが「あの人と結婚しようと思う」とKくんに聞かされショックで目の前が真っ暗になりました。
その後の記憶があいまいなのは当時の私にとってこの失恋は相当なダメージだったんだと思います。
言葉通り翌年の夏にその彼女と結婚し今では3児のパパです。
Kくんは結婚後田舎に遊びに来る事が無くなり私たちは疎遠になりました。
この失恋は現在良い思い出になって居ますが後にも先にも彼ほど素敵な人はいないと心のどこかで思っています。
その為彼氏が出来てもなかなか結婚に踏み切ることができないのが目下の悩みです。
38歳 女性のストーリー
学生の頃付き合っていた元カレ。

私の方がすっかり嫌気がさして別れた後は数年間連絡しませんでした。
それがお互いいい年になり何となく連絡を取り合うことになり、たまにお茶したり、旅行に行けばお土産のやりとりをしたりと、普通の友達の関係でいました。

彼はずっと結婚願望が溢れる人でした。
私はそういった願望がほとんどありませんでした。
彼女ができても、本当に好きにはなれないんだ、すぐダメになる。僕は結婚なんてできるかな。
よくそんな愚痴を聞きました。

もともと付き合ってたためか彼に対する私の勘は鋭いものがあり、彼女ができた(あるいはできそう)な雰囲気はすぐわかります。
彼はいつも私には何の報告もしません。
私もいつも彼には何も訊きません。
最近またできたな、と感じて数か月。

ある日の夜、かなり酔った彼から電話が来ました。
そして耳を疑う発言を始めたのです。


僕には彼女ができた。
今回はこのままいけば、きっと結婚できる。
でも、僕がいちばん好きなのは君なんだ。
それは今までずっと変わらない。
そしてこれからも変わらないから、それを覚えておいてほしい。


どこからどう聞いてもおかしな話ながら、正直ぐらつきました。
実は別れた後に一度だけ付き合ってほしいと告白されたことはあったのです。
その時はこの人とまた付き合うなんて考えも及ばなくて、ちゃんと返事はしませんでした。

でも、そんなに思ってくれてるのなら……お互い大人になった部分だって多いだろうし、付き合ってみてもいいのだろうか。
私の考えが変わったことで、彼とは一気に友達以上の恋人のような関係になりました。
彼の恋人は当然このことは知りません。いわゆる二股です。

私は彼に、恋人と別れるよう迫りました。
お互いいちばん好きな人と付き合おう。おかしな関係はやめよう、と。
彼はどっちかなんて選べない、両方好きなんだ、彼女とも私とも関係を続けたいと言い出す始末。

やがて彼は、やはり彼女と結婚することになった、と私に告げるのです。
これからもずっと友達としてよろしくなどと……。

すっかりもてあそばれました。
思わせぶりな態度を取っておいて、私はただの遊び相手だったようです。
恋人はよほど結婚に良いステータスのある人だったのでしょうか。

いつも恋が終わる時は私が別れを告げる側なのに、初めて感じたこの後味はまさに失恋。
彼とはそれ以後完全に縁を切りました。
今後も不倫相手にされてはかないませんから。
26歳 女性のストーリー
高校生のとき。大人の方に恋してました。相手は27歳の10個年上でした。あのときって大人がとても素敵に見えちゃうんですよね‥。デートも何回かして、うまくいくような気がしていました。そんなある日のこと、いつものようにデートで彼の車にのりこむと、ふと左手の薬指に指輪があるのが目にはいってしまいました。
なんと彼は既婚者だったのです。その時は彼のことが大好きだったので頭が真っ白になりました。今思えば遊ばれていただけだったんですよね。後日問い詰めてみると、既婚プラス偽名だったことが、発覚。しかしそのあとも彼が好きでしばらく関係を続けていました。高校を卒業した頃には目が覚めていてどうでも良くなりましたが‥あのときのことを思い出すと胸が痛くなります。
35歳 男性のストーリー
人生最大の失礼話はよくあることだと思いますが人妻わや好きになってしまったことです。同じ職場にいる女性でその女性は結婚していましたがとても魅力的な女性でした。こちらの家庭環境がうまくいってなかったこともあり好意をもつのはそれほど時間がかからなかったです。日増しに好きになってしまい感情が抑えきれずある日食事に誘いました。相手は仕事上の付き合いだと思ったのでしょう、快諾をもらい食事に行きました。その場でも楽しく食事をし私はますます好意を持ってしまいました。最終は相手の家庭の事情で退職されることになってしまいましたがこちらは諦めきれず告白をし関係を持ちたいと切に願いましたが叶わずの恋となりました。かなえば俗にいうダブル不倫になっていましたが叶わず、大人の恋と失恋は本当に辛いです。

「今だから言えるごめんなさい」

49歳 女性のストーリー
反省すべきいたずらをしたのは小学2年生のことでした。
近所に住む祖父母の家で、親戚が集まり鍋パーティーをする日のことです。
居間には大きなローテーブルが置かれ、その上には卓上コンロとすでに大きな鍋がセッティングされ出汁が注がれていました。
母や祖母などの大人たちは後から来る親戚を待ちつつ少し離れた台所で鍋の具材やその他のお料理の準備をしていたので、私と近所に住む同い年の従兄弟のA君と2人で粘土遊びをしていたのです。
しかし、いつしか粘土で使うヘラなどの道具を巡って喧嘩が勃発。
その手に持ったヘラや粘土ケースの蓋、そして粘土までもを投げ合うことに。
そして、いとこが投げたこぶし大の粘土がドボン!見事にテーブルの上の鍋の中にダイブしてしまいました。
私とA君は、しばらく鍋を見つめ硬直しました。が、A君は我に返りその粘土を取り出し何食わぬ顔して粘土ケースに戻しまた。
その後、私とA君はほとんど鍋には手をつけず他に出されている料理を食べ、何も知らない大人たちは、鍋を美味しくいただいてました。
あんな粘土エキス入鍋を食べさせてしまってごめんなさい。(笑)
27歳 女性のストーリー
本当に大人になった今となってはしょうもない話です…。けれど当時私は小学生。

仲の良い女の子といつもの様に小学校から帰っていた時に、偶然対立していた男子グループに会いました。
そこでちょっとまあ小学生ながらも嫌な雰囲気になり、悪口を言いながらその女の子と歩いていたのですが、男子グループの一番気に入らない1人が私たちの前を通りました。
その時に持っていた傘で私は男の子の足をひっかけました。

ちょっとした悪戯心だったのですが、男の子は思いっきり転んでしまい、足をちょっと擦りむいてしまいました。

結局そのままわたし達は家に帰ったのですが、運が悪くなんとその男の子の家が保険屋さんで、私の家にかなり怒って電話をかけてきて、擦りむいた足もめちゃくちゃ大袈裟に言われ、私の家や祖父祖母までこの話がいき、大変なことになりました。

この状況はやばいと小学生ながらに焦った私は言ってしまいました…。
「私は傘を足に引っ掛けてなんていないよ」

一緒に帰った女の子とその家族と、私と私の家族で会議も開かれ、そこではなんとその女の子は私のこの嘘に話を合わせてくれました。ただその後もちろん男の子側は引っ掛けたと主張していました。

私の家族や祖父祖母は私の事をおそらく信じているようです。
ただ大人になった今も、たまに祖父祖母の家に行くと、あの時って引っ掛けてないの?と聞いてきてドキッとしますが、忘れたとはぐらかしています。

もう30代間近になった大人の私なら言えます。
あの時嘘をついてごめんなさい。
そして男の子へ、悪戯心で傘で足を引っ掛けて怪我をさせてしまってごめんなさい。
あと私の嘘に合わしてくれた友人、ごめんね、有難う。
43歳 女性のストーリー
今だから「お兄ちゃん」ごめんなさい。

お母さんのお財布からお金盗ったのワタシ…なんだ。お財布からお金が減っているのにお母さんが気付いて、即座にお兄ちゃんを呼んだよね。たしかに、前からお兄ちゃんはお金を盗っていたからお母さんが決めつけるのも無理ないと思うけど…あの時の500円はワタシです。ワタシもお金が欲しい時があったんだよ、だからお兄ちゃんと一緒だよ。ただ、お札を簡単に持っていくお兄ちゃんはちょっと…なんですぐバレることするんだろうって、理解できなかったよ。500円ならバレないかなって、で、バレて、自分です、ごめんなさいって言わないのも、結構なワルだよね。大人になってお兄ちゃんの前で潔く反省できたのに、あの時言えなかったがために、未だに潔くなれない自分がいるのよ。

ホントに本当にごめんなさい。
30歳 女性のストーリー
今だから話せるごめんなさいというテーマで以下にお話させていただきます。
わたしは小学生の頃、片道45分ほど歩いて通学しておりました。朝、自宅を7時半に出る際には雨の日で無い時がありがたかったです。一方帰宅時が辛かった。友達と帰っている時はそうでもないのですが、一人で帰っている時は登り下りの激しい坂道を行くのでとても疲れました。
学校で疲れて帰っているだけならまだ良いのですが、便意をもよおしたときには本当にきついものがありました。
ある時私はトイレ(大)をしたくなりましたが、もちろん公園の公衆トイレなど通学路にはありません。大人になった今だからコンビニにトイレを借りるという選択肢も考え付きますが小学生だった当時の私は、気になる女の子の庭先で野グソすることしかできませんでした。
本当に申し訳ないと反省しています。しかも一部始終を見ていた女の子とその後付き合うことになりました。

「人を見返してやった話」

29歳 女性のストーリー
以前勤めていた会社には
私のことをすごく見下し、気に入らない後輩がいると挨拶を無視するような上司がいました。年齢も私よりも一回り以上、上で、すごく大人げないなぁと思いながらも反抗せずに我慢して仕事を続けていました。ある日、出身校の話になり、その上司と私が同じ高校であったことが分かりました。その上司は推薦で短大に落ちていました。
私は同じ推薦でその短大に受かり、卒業しています。あえてその上司には言いませんでしたが、
心の中で密かに見返してやったぞっと気持ちになりました。上司はとても悔しそうにしている様子が今でも思い出します。本来、最終学歴で人を見てはいけないのですがこの日ばかりはすごく気分がよかったです。

「これまでの人生で悟ったこと」

34歳 女性のストーリー
女性はなんだかんだマウンティングを気にして生きている人が多いと大人になってから、特に結婚して子どもができてから悟りました。相手の人が年下か、学歴はどうか、はたまた夫の職業、年収、賃貸か持ち家か、車、服などをやたらとチェックしてはマウンティングを取ってきます。こういう人はたぶん恵まれている環境にいながらも心が満たされていないお気の毒な人なんだなと思うと、いちいち相手にもする気にもなれませんが、面倒事に巻き込まれるのは厄介なので、話すような仲になったとしても、相手の話をできるだけ聞いて自分の話は当たり触らずなことだけを教えてあげるというのでうまくやってこれることを学びました。マウンティングする人は結局は疎まれていることが多いので、みんな優しく付き合ってあげて偉いなと思います。

「どうしても許せないこと」

22歳 男性のストーリー
子どもを叱ることができない親が許せません。私は教育業界で仕事をしていますが、最近自分の子どもを叱ることができない親が増えてきていると感じます。子どもがどんなワガママを言っても聞き入れ、子どもが他人に迷惑をかけていたとしても気にしないなどです。ひどい場合には迷惑をかけられた被害者に対して逆ギレをしてくるような親もいます。また、他人が注意すると、そのことに対して文句を言う親も多いです。そのような環境で育ってしまった子どもはやはり叱られることに慣れておらず、自分が何もやっても(言っても)許されると思い込んでしまっています。子どものうちは周りも許してくれるケースも多いかと思いますが、その子が大人になった時に苦労するのだろうなと思います。
43歳 男性のストーリー
20年ぶりに両親と同居しました。大人になってからずっとひとり暮らしや結婚し妻と暮らしていており、また、実家とは遠方であったため両親の生活スタイルはほとんどわかりませんでした。同居してから分かった事ですが、父親はとてもいい加減な人で何でもやりっぱなしです。片付けもすぐに行わずそのうちといった感じです。その片付けも元の場所に戻すわけではなくその辺に積み重ねるだけで、いざ使用したいものは見つからず買ってくるの繰り返しでいらないもので溢れかえっています。また、どうしても許せないことがスリッパを玄関の真ん中に脱ぎ捨てて外出することがどうしても許せません。何度言っても直りません。来客が来たらとても恥ずかしい思いをします。そんな父親の行動が許せません。
30歳 男性のストーリー
私は、女性として生まれました。ですが、物心ついたころから自分の性別に違和感を感じでいました。大人になり、性同一性障害の診断を受け、性別適合手術もし、現在は性別を女性から男性へ変更し、男として生活をしています。
近年、性別適合手術に対し、保険適用が始まりました。当事者は診断を受けてから、ホルモン治療をし、自分の望む性別に体を近づけ、心身ともに問題ないかを判断してから性別適合手術を受けます。GID治療の指針でも手術前にホルモン治療を実施するようになっています。しかし、手術前に保険外の自由診療であるホルモン治療を受けると、保険診療と自由診療の混合診療と扱われ、手術は保険適用外になってしまう。
近年、LGBTに対する社会の環境は良くなってきていると感じます。保険適用になると聞いたときは、やっとかと思いました。しかし、よくよく話を聞けば当事者のうち何人の人が保険適用で手術ができるのでしょう。
ホルモン注射をして手術を受けるのに、ホルモン治療をしていれば保険適用外になります。当事者の人には一つも話を聞かないで、決めたのかと思ってしまします。矛盾でしかない。当事者のことを馬鹿にしているのかと思ってしまいました。
32歳 女性のストーリー
前職場にどうしても許せない人が居ました。その人は、長年勤めている事務さんで今年還暦を迎えました。バツイチで子ナシという事で、大人になりきれていないのかやる事がとても幼稚でした。その人自身も三人姉妹の三女という事もあり、なんでもお姉ちゃんに助けてもらっていたのだと思います。その人に子供がいれば娘世代になる私にも、あれやってこれやって状態でした。しかし、時給は向こうの方が上です。でも仕事はしない。割りに合いません。他の店の人の事は責任感がないだの、返事をしろだの偉そうに言う癖に自分の店では自分がコレそのものです。自分で発言した事の責任を持てと思い続け上司に直談判しましたが、上司よりも年齢が上のこの人に手を焼いているようで、辞めるつもりも定年もないとの事から転職をしました。責任ということについてきちんと認識し直してほしいなと本気で思いました。
41歳 女性のストーリー
私のどうしても許せない事。それはお金に関する事です。
主人は見栄っ張りで、自分でお金の管理が出来ない人でした。大人になっても母親に自分の給料の管理を任せていたようで、一人の大人としてどうなんだ。と疑問になることが度々ありました。お金に関して見境なく友人後輩におごったりするので、計画を立てて使用することがありませんでした。お金がなければローンを組めばいい。と短絡的に考えて実行に移してしまうので、家族としてどう支えていけばいいのか分からなくなるときは、いつものことでした。ローンでは車・家電など我慢することがないので、払い終わる前に次のローンをする繰り返しで大きく膨らんでしまいました。主人だけがそうなのかと思っていたのですが、義父はお金を出すときは口も出す人で、その一言一言が許せなく、絶縁状態になっています。一番キズついたのは「お前たちの生活もオレが金出さなくちゃ、やっていけないんだろ」です。その当時は家族が大変な時期でしたので、この心無い言葉に、もう二度と頼るものかと許せません。

「学校や仕事をサボってやったこと」

39歳 女性のストーリー
私が通っていた高校は進学校でありながら、出席に関してはとてもゆるかったので、時々さぼってはいろいろなところに行きました。
たとえば専門学校がやっている、平日のみの美容院。美容師のタマゴさんがカット500円、パーマ1500円の破格でやってくれて、学生でお金がない私にはとてもありがたかったです。
そして朝マック。サラリーマンが多い朝マクドナルドで一息入れてから学校に行くのは、リフレッシュになりました。
あとは当時古着屋さんブームだったので、午後から街に出て古着屋さんめぐりをしていました。雑誌に載っているお店をはしごして、安くてかわいい洋服を見つけることがとても楽しかったです。今思えばもうちょっと真面目に授業に出ておけばと思うこともありますが、息抜きの方法を身に着けることができたので、大人になってから役立っているような気がします。
34歳 女性のストーリー
高校の頃、学校に行くのが億劫なときは、よく電車に乗って遠くに出かけていました。親には学校に行っていることにしたいので、いつもと同じ時間に出て同じような時間に帰ってきました。
学校の最寄り駅へ行く電車は、終点まで乗ると海に行けます。それに気付いてからは、何かあると海が見たくて終点まで乗るようになりました。
海を見ているというより、みんなが勉強している時間に電車で遠くに行くことが楽しかったんだと思います。
非常勤の先生で一人、仲の良い先生がいたのですが、海に行っていることはその先生だけに話していました。
大人になった今でもあの海が忘れられず、時々ふらっと行くことがあります。今では仕事をサボるわけにはいかないので、きちんと休日に行くようにしています。
37歳 女性のストーリー
若い時ですが、仕事をずる休みしたことがあります。
会社に行くつもりで家を出たけれど、急に彼氏に会いたくなって、風邪をひいたと嘘の理由で会社に電話して休んで、特急電車に乗って、遠距離恋愛していた彼氏に会いに行きました。そんな事が2度ほどありました。
他には、風邪ひいた時にそこそこ治ってきてるけど、もう少し休みたくて、「まだ熱が下がりません。」と会社に連絡して、3日ほど休んだりしました。
大学生時代には、授業をサボってカラオケに行ったり、友達とただしゃべって過ごしたりすることは良くありました。サッカーワールドカップがあった時期には、サボってテレビ見て応援することもありました。

今考えれば、学生時代にはもっとまじめに勉強し、会社員時代には大人としてしっかり責任もって仕事するべきだったなと思います。

「人が豹変した話」

26歳 女性のストーリー
私の母の話です
母は24歳の時に結婚し、社長令嬢として何不自由ない生活をしていた実家を離れ田舎の団地に嫁いできました。
母はもともと奥ゆかしい性格で父の言うことには背きもせず文句も言わず3歩下がって夫を立てる良き妻でした。
ただ、嫁いだ先が悪かった。
義実家からのイジメや小姑からの小言にも耐えている母の事はよく覚えてます。
父はジャイアンの悪いところを濃縮して固めたような性格で、暴力は当たり前。
お酒を毎日飲んでは、いかに母が劣っているか説教をする父でした。
その中には、専業主婦である母は役立たずだと罵る内容が多く、そのほかには非の付け所もないのか延々と罵るのです。
私には、毎日毎日罵られていた母がもう父の言う事を黙って聞くロボットのように見えていました。

ある日、父が友人だと言うAさん夫婦を家に連れてきました。
Aさん夫婦は夫婦でネットワークビジネスをしておりとても裕福な生活をしていると父に話していました。
Aさんの奥さんが何も取り柄のない私でもこのように稼げたと言った時、父が面白半分でいいました。
何もできない私の母でもできるのか、なら好きにしていいからお金を作って来いと
母は従いました。
そこから毎日Aさん夫婦は家に来るようになりました。
元々社長令嬢で身のこなしや作法の綺麗な私の母はいい広告塔になると踏んだのでしょう。
洗脳が始まったのです。
幼い私の幼稚園に行っている間に洗脳が始まったのです。

初めは母が明るくなりしゃべるようになり身だしなみを整えるようになり生き生きしている姿を見て私も嬉しかったのを覚えています。
みるみるうちに変わって行く母を
ある日言い出した張本人である父が色気付いてどこの男と街を歩いているのだ、売春婦かお前はと罵るようになりました。
この頃にはA夫婦に洗脳されている母は、このビジネスを理解出来ないものは虫ケラだと生きる価値の無いものだといいわたしにも良さを強要してくるようになっていました。
父もその虫ケラになってしまったのでしょう。
良い妻であった母は全く居なくなってしまったのです。
母は父に歯向い、私を無視し、仕事だといいビジネスの仲間達を一緒に過ごしています。
まるで、今が青春だと言わんばかりに輝いています。


私の両親は離婚し、私は祖母の家に預けられました。
母は母ではなくなってしまいました。
もう大人になった私は今でも昔の母に会いたいとおもっています。
25歳 女性のストーリー
私が22歳の頃、ネットで出会った友達で36歳の男性がいました。
ネットのみの繋がりだし住んでいる場所も年齢も離れているし、「会うことはないけど大切な友達」という程度にしか思っていませんでした。
しかし、私が毎回丁寧に彼のメッセージに返信していたのを気に入ったのか、ある日とんでもないことを言われました。
ある日、彼が飼い猫の写真を送ってきました。
私は「可愛いからずっと見ていられるね」と返しました。
すると彼から「なら嫁に来ると良いよ。そしたら本当にずっと見ていられるから。」と言われました。
私は「いや、会ったことのない人にプロポーズなんて冗談でしょ」と思い、適当に流しました。
すると彼が豹変し「ちゃんと返事してよ!俺が○○さん(私)養う!」としつこくメッセージを送ってきました。
当時、たまたま彼の本名を知っていたので何となく彼の本名を入力し、facebookやインスタグラムを片っ端から調べました。
すると、かなり構ってちゃんで女性に依存しており、更に未成年とも繋がっていることが発覚しました。
こんな大人にはなりたくないとぞっとし、会ったことがないことを不幸中の幸いだなあと思いました。

「人生が変わった出来事」

38歳 女性のストーリー
人生が変わった出来事は子供を出産したことです。
三人の子供がいますが、一番人生が変わったのは一人目の出産です。出産時、まわりに出産経験者が少なかったこともあり、子供を産んで育てるということにいまいち実感がありませんでした。
出産して驚いたことは赤ちゃんが自分では眠れなくて泣くことです。成長すると自分で眠ることができるようになったのですが、生まれたての赤ちゃんにも眠いとかおなかがすいたとか、何となく不安だとか、色んな気持ちがあり、大人が思う通りにならないことがわかりました。
仕事も順調で、それほど苦労をしたことがなかったので、初めて赤ちゃんを産んで育てる経験は目から鱗が落ちる経験でした。
子育て以外でも人付き合いのなかで他人を自分の思う通りにすることは難しく、どう折り合いをつけていくが大切だということを今も肝に命じて過ごしています。

「修学旅行の思い出」

36歳 女性のストーリー
小学生の修学旅行で、自分のグループは背の高い子ばかりだった。
グループ行動で、ある博物館に入ろうとしたら、みんな背が高いので、本当に小学生?と疑われた。
全員私服だし、名札も確かつけてたし、黄色い帽子もかぶってた。
なので理解してもらえたらしい。
奈良の大仏の公園では、定番の鹿せんべい。
さっそく買ったら遠くにいた鹿が走ってきて、そこにあった柵を飛び越えてきた。
ちょっと恐怖だった。
でも、囲まれるだけで、襲われることはなく、必死におじぎをしてくれていた。
あの時、ミゾにはまっている鹿がいたけど、誰か大人の人が助けてくれたんだろうか。
きっと大丈夫だと思うが、子供だけでなんとかすることもできず、そのまま置いてきてしまったのが心残りである。
44歳 男性のストーリー
小学生の頃は、自分と同級生の身体の成長の違いに戸惑うこともあります。
私は、修学旅行の頃、アソコの毛が生えてきていまして、同級生の成長度合いが分からなかったので、生えているのが恥ずかしいと思ってました。
みんなで風呂に入りに行き、湯船に浸かるときに、みんなのをちらっとみると、みんな生えてなく、つるつるの皮つきウインナーでした。私も皮つきウインナーでしたが、その周りにちょろちょろ黒い毛があるのを見られたとき、同級生が驚いて、お風呂場でちょっとした騒ぎになってしまいました。
そのとき、担任の先生が入ってきて、騒いでる同級生に「大人になったら生えるんだ。お前らももうすぐだ。」一喝し、自分のタオルを取りました。中身は、ボーボーでしたが、皮つきウインナーでした。今、思い出してみると、「先生、包茎なのに、よく自分のを晒したな」と思いました。というのが修学旅行の思い出です。シモの話になって申し訳ありませんでした。
22歳 女性のストーリー
私の中での1番良かった修学旅行は小学生の時の修学旅行です。
なんといってもあの有名なUSJに行くことが出来たのはなによりも喜びに感じました。
それに、今であれば可愛いミニオンたちが楽しませてくれるので大人になった今だからこそまた違う楽しみ方をしてみたいなとも思っています。
USJに行けただけでなくいろんなお土産を買うことが出来たのもまた楽しかったです。
小学生時代の修学旅行はもうあれから早10年くらいは経ちましたが思い出しただけでもとてもワクワク感が止まりません。
入った瞬間からキティちゃんの写っているチケットをもらい今でも大切に保管しています。
このように楽しかった思い出しか個人的にはないなと感じています。
33歳 女性のストーリー
高校生の修学旅行は嫌な思い出しかありません。
仲の良かった友達が初日はずっと一緒にいたのに、2日目の夜からは部屋に戻ってこなくなり他の部屋にいたほうです。最終日は私の隣にいるのがイヤだと、飛行機の中で隣の席が嫌だから席を交換してくれる人を探していました。
理由は他のクラスの子と仲良くしていたからだと言われました。元々束縛が激しい友達だったけど、まさか修学旅行中にこんなことになるとは…。
自由行動もその子と約束をしていたせいで一緒に行動する子がいなく、とても嫌な思い出になりました。
大人になってから再会して仲良くなりましたが、また「私以外の子を親友と呼ぶな」と怒られ喧嘩になりました。女の友情はめんどくさい。今では何をしているかもわかりません。
37歳 女性のストーリー
今から約20年前のこと。
滅多に雪が降らない場所に住んでいた私は、修学旅行先でのスキー研修をとても楽しみにしていた。
バスに揺られ数時間。目的地近くのサービスエリアに着いたときに、一面の雪が目に入って感激!
バスガイドさんが少し呆れ気味に
『こんなに雪だけで喜んでいただけたのは、初めてです。』
と言っていたのを覚えている。
目的地に着き、簡単な講習を受けいざスキー!
最初は難しかったがだんだん慣れてきて、初心者コースを滑って初日が終わった。
それから2日間スキーを楽しむはずだったのだが、その晩に高熱を出して隔離部屋へ…
あまりの高熱に夜中に担任の先生と、近くの救急病院へ行くことに。
判明した病名はインフルエンザ。
かなり重症だったらしく、数時間の点滴をして帰った。
初めてのスキーは1日しか出来ず、楽しいはずの修学旅行はインフルエンザで苦い思い出となってしまった。
この出来事がトラウマになり、大人になった今でも雪国には行きたくないと思うようになっている。
42歳 男性のストーリー
修学旅行は京都奈良に行きましたが、一日目の京都の清水寺の男子トイレで仲間達とタバコを吸っていたら学年主任の先生に見つかり。逃げはしましたが、捕まり‥宿泊施設に行っても他のクラスメイト達との翌日の打ち合わせには出席出来ず。
食事後は、部屋から出してもらえませんでした。

しかし、懲りない面々は性懲りも無く各部屋のベランダから私が居た部屋に集まり。

枕投げをしていたら、又も学年主任が現れ皆で学年主任の先生を布団で巻き部屋から脱走。

女子の部屋に行き、夜の京都へと繰り出しました。昼間の顔とは違う京都の夜。
何故か大人な雰囲気が醸しだされていた事を良く覚えています。

しかし、所詮は子供1時間もするとヤバいよと言い出す奴がぞくぞく出てきて静かに宿泊施設に戻りましたが‥そんな事は許されません。
翌日、学年主任と帰宅。

京都奈良の修学旅行が京都だけで終了。
帰っても親にこっぴどく叱られました。

いまだに当時の懲りない面々とは付き合いがあり笑い話になってますが、皆 妻子ある立派な父を一生懸命にやってます。

「忘れられない夏休み」

37歳 女性のストーリー
夏休みといえば学生。そんなイメージがありますが、夏休みは大人になっても楽しめます。
これは、社会人4年目の夏休みのことでした。職場の同僚が仲良く、みんなで夏休み1泊2日の海水浴旅行を計画しました。計画が決まったら、職業柄、まずはプラン作成、しおり作成、お揃いのTシャツ作成、役割分担、などなど綿密な計画を立て、旅行に行く前から楽しんでおりました。旅行当日、持ち物検査(笑)配車のくじ引きから始まり、海水浴場では泳ぐもよし焼くもよし、チーム対抗ビーチバレー大会、ビーチフラッグ大会、すいか割り、盛りだくさんで全力で楽しみました。夜は、宿泊先でBBQ、肝試し、花火大会、酒盛り、夜更けまでトランプしたりウノしたり、寝ることも忘れるくらい夜を満喫しました。次の日は、朝から日の出散歩、朝ごはんジャンケン、宿舎掃除。帰り支度をし、また配車のくじ引き。帰り道は、観覧車のある公園によって、集合写真撮影。大人って、こんなに楽しめる?てなほど、楽しみつくしました。あの夏休み旅行は、最初で最後でしたが、10年たった今でも忘れられない夏休みです。
22歳 女性のストーリー
大学2年生の夏休みに20歳を迎え、何か今までにやったことがないことがしてみたいと考えました。とは言っても学生の自分でできることは多くなく、結果「1人で二泊三日京都旅行」を敢行しました。
私は地方に住んでおり、バスで移動することもあまりありません。新幹線やホテルの予約や、京都での移動に多々不安がありましたが、「せっかく大人になったんだから」と母の言葉が後押ししてくれました。
中学生の時の修学旅行以来、二度目の京都。現地の予定は完全ノープランだったため、新幹線の中でどこに行こうか考えていました。おすすめのカフェを巡りたいところでしたが、夏休み期間ということもありカップルや家族連れが多く、女子1人で入るにはなかなか勇気のいるお店ばかり…。迷った挙句、修学旅行で巡った神社仏閣を再び巡るというプランになりました。
当時はガイドさんの話を聞いても全く耳を傾けなかった場所に、20歳になって再び足を踏み入れるのはとても感慨深いものがありましま。この神社で写真を撮ったな、あのお店でお土産を買ったっけ。そんな事を思い出しながら、1人京都の街並みをぶらぶらと。
その後、中学時代に読んでいた本の舞台となった場所にも行き、思春期時代の思い出を巡る旅となりました。
15歳の悩み多かった自分を追いかけるようなものでしたが、20歳という節目を迎えた年に経験できてとても良かったと感じています。
22歳 女性のストーリー
社会人1年目で初めて訪れた夏休み(お盆休み)。
高校生の頃からお付き合いしている同い年の彼と少し距離を置いていた。
高校生活はずっと彼と一緒だった。(放課も週末も)私は少し疲れていた。
1人の時間が欲しかった。だから距離を置いていた。
ある日、会社で同じ部署の男性(3歳年上)に花火でも見て
疲れを取ろう!と言われ、花火大会に行くことになった。
年上の男性と出掛ける事が初めてだった私は少し緊張していた。
結構有名な花火大会だったらしく、朝から集合して会場へ向かった。
車での送迎や、食事代金の支払い、全てにおいて大人の対応だった。
花火を見終わり、帰宅ラッシュが過ぎるまで近くでゆっくりすることになった。
噴水がある公園で噴水を見ながら話していると、突然男性に告白されたのだ。
職場でそんなに会話していなかったし、私はむしろ嫌われていると思っていた。
だからとてもびっくりした。同い年の彼を一途に思ってきた私が、初めて
違う男性に心動く瞬間でした。私は人生で初めて浮気をしました。
数日後に告白を承諾した。同い年の彼に別れを告げると、何で?と言われました。
そうですよね、だって喧嘩もしていないのだから。私が一方的に距離を置き、
そして浮気した。最低な女です。3年だった今でも忘れられない夏休みです。
生きてきて初めて最低なことをした夏休み。
32歳 女性のストーリー
小学生のころの話です。小学3年生の私は両親は共働きでしたが児童館や学童には行っておらず、お昼ご飯のお弁当の用意も無く、毎日毎日お金が置いてあり、自分で好きなものを買いに行くスタイルの日々を送っていました。近くにはスーパーがあり、毎日お惣菜、お弁当、おにぎりなど。友達と毎日買いに行って友達の家で食べたりしながらスーパーのご飯で過ごしていました。そんなある日に、夏特有の夕立、ゲリラ豪雨がありました。その日は丁度自宅で過ごしており、ザーザーと雨は降り、雷はゴロゴロ、バキバキと激しく鳴っていました。記憶にあるのはそれが初めての体験で、凄く怖くて怖くて、母親に何度も電話しましたが帰れず。とにかく怖いので泣きながら布団を被り、机の下で隠れて雷が収まるのを待っていました。今でもその思い出が忘れられず、夏になると思い出すし、雷は未だに怖いです。なぜあの時母は帰って来てくれなかったのか!と思っていましたが、大人になった今では分かります(笑)全然良い話しの忘れられない夏休みでは無いのが残念ですが、毎日楽しく過ごしていたんだろうなとは思います。
32歳 男性のストーリー
小学6年生の夏休みです。何の変哲もありません。朝は早く起きてラジオ体操に行って、帰ってきたら庭の草花に水やりをして、朝食。テレビを見て、宿題をして、午後には兄弟や友達と市民プールに行きます。プールでがっつり泳いだあとは、家に帰ってクーラーのきいた部屋でポカリを飲み、ゲームをします。そんな毎日でした。これといって変わったことはない夏休みですが、大人になった今でも、思い出す夏休みはそのイメージです。夏休みについて思い出そうとしたときはもちろん、夏になって暑い日差しの中を歩いているだけでも、そういうイメージがふと頭の中に浮かんできます。本当の意味で、忘れられないとはそういうことなんだと思います。旅行に行ったりした思い出もありますが、忘れられない夏休みというと、私の中ではこれです。
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、遠くに住む幼馴染の家にお泊りに行った。
私と私の弟と、幼馴染と幼馴染の弟と遊んでいた。
その時代、家庭用ビデオカメラが普及していて、
それを使った遊びをしたくて、
そのために、
昼間に4人で不気味なかかしを作って
空地に置いてきた。
暗くなってから、ビデオカメラを持って4人で出かけ、
肝試し風に撮影をして、
昼間に自分たちで仕込んだ不気味なかかしを
あたかも、その時初めて見たかのように
「なんかあるー!!怖いー!!」と
4人で怖がり、走って逃げて
自作自演で楽しんだ。
帰宅してから、その撮影したビデオを、
親と一緒に見たりして、すごく盛り上がり、楽しかったのを覚えている。
大人になっても今でも、この話を幼馴染とすると盛り上がる。

「奇跡だと思った話」

24歳 女性のストーリー
これは一人目の長男、出産時の実体験です。
臨月まで無事何事もなく進み
予定日いざ1週間前
そろそろかなと思っていた矢先、
夜中から微妙に痛みが伴いました。

我慢できそうですが念のために、病院に連絡をすると
お産の入院セットを持って来いとのこと。

そのまま病院で朝を迎え、いつ波がまた来るかと期待していましたが、来ず。
子宮口も2cmから全く動かず。

朝方5時すぎ、私の目の前に数人の大人がバタバタ。私も何が何かわからないまま、
酸素マスクをつけられ、旦那は外へと言われていた。
のちに分かったことは、胎児機能不全でお産がストップ。胎児の頭に10分間も血が流れていなかった状態でした。
このままだと母子ともに危険です。と医師から告げられ個人病院から急遽、国立の大学病院へ、緊急帝王切開での出産。

あの日、痛みを我慢して病院に電話せず、
家にいたら…と考えると恐ろしいです。

本当に奇跡でした。生まれるタイミングを我が子はしっかり教えてくれたように感じます。

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

39歳 女性のストーリー
親の仕事に同行する為にアメリカのボストンを訪れた時に、これまでで1番勇気を必要とする経験をしました。
子どもに絵本を読むという、たったそれだけの経験でしたが、とても怖かったです。
親の仕事相手のご家族にディナーにご招待されたことがきっかけでした。その家には3歳と1歳の男の兄弟がいました。やんちゃ盛りの男の子たちに、是非日本人と遊ばせたいと考えたママさんの計らいで、私ひとりお昼過ぎから御宅にお邪魔することになりました。
3歳の男の子とたっぷり遊んだのですが、英語がカタコトの大人を初めて見た男の子は私に興味津々です。ごっこ遊びで身体を使っている時はまだごまかせたのですが、お昼寝用の絵本を読んでほしいとせがまれた時はとても緊張しました。子どもをがっかりさせたくないし、お昼寝はちゃんとしてほしいし、断ろうかと思いました。でも、息子の異文化交流を微笑ましく眺めていたママの期待を裏切ることはできそうになかってので、勇気を振り絞って絵本を読みました。
29歳 女性のストーリー
高校生の時に好きな先輩が居ました。その先輩は1つ年上なのですが、留年した為3年生で同じクラスになりました。学生の頃の歳の差は、とても大人に感じて憧れもありかっこ良いな~と思っていましたが、なかなか話すことはできませんでした。たまに挨拶するぐらいがやっとです。
卒業式の日が近付いてきて、告白するという選択は自分にはなかったのですが寂しい気持ちは募っていました。卒業式の当日、大学も別々だったので最後に一言でも話したいなと願っていました。みんな終わってからいろいろな人と写真を撮って別れを惜しむ中、ちょうど先輩と目が合い「写真撮ってもらえませんか?」と勇気を出して言うことができました。
その写真は今でもずっと思い出の一枚です。
54歳 男性のストーリー
初恋の女の子に告白をしたこと。もう35年以上前の話です。中学校の卒業式の翌日、小学校3年のころから好きだった女の子に告白しようと決めました。自宅から彼女の家に電話をすると、電話に出たのはお母さん。当時は携帯電話なんかないので、自宅の家電に架けるしかないのです。家が近く、毎年誕生会に招待されていたのでお母さんのこともよく知っていました。でも今回ばかりは自分がかけていると知られてはいけないので、偽名を使った記憶があります。
彼女が電話に出て、何を話したかはもう全く覚えていませんが、一言「好きです」という前にあまりの緊張から言葉に詰まり、「ちょっと待ってね」と言って受話器を耳から外して深呼吸し、そのあとに告白をしました。彼女は「えー・・・?」と言い、最後は「また電話して」と言ってくれました。その時はなぜか付き合ってほしいとは言えず、結局その後電話することもできず。
彼女とはその後何度か駅で会ったりして、大人になってから車でドライブデートをしたこともありますが、最も勇気を出したのはそのきっかけとなった告白電話です。

「家族に一番感謝したこと」

39歳 女性のストーリー
普段ならいて当たり前、空気のような存在なのが家族だと思っていました。そんなに仲がいいわけでもなく、喧嘩もするような関係だったのあり、ありがたみを感じることはさほどありませんでした。
それが変わったのが、私が大人になってから罹患したインフルエンザです。仕事を始めて、実家から通っていたのですが冬のある日、ありえないくらいの体のだるさ、そして関節の痛さ。車の運転も危ないということでわざわざタクシーを呼んでくれた祖母、そして暫く隔離になったにも関わらずこまめに好きなものを買ってきてくれたり、気にかけてくれた寡黙な父母。
照れくさくて、直接はなかなか言いづらかったけどほんとに嬉しかったです。家族のありがたみをつくづく感じたことでした。

「私の変えたい過去」

24歳 男性のストーリー
大学の卒業式の話だ。
私は大学ではほとんど友達のような者はいなかったが、たまに話すくらいの人はいた。特別に仲が良かったわけでもないが、向こうはよく絡んできた。授業でも真面目でちょっと浮きやすいタイプだった。初めは話しかけられると鬱陶しい気持ちもあったが、だんだんと慣れてきて、悪い人ではないよな、と好意的な気持ちも湧いてくるようになった。
そして大学の卒業式になり、その人と私は隣り合わせになった。弾みはしないものの、ポツポツと話をしながら、無事卒業式は終えた。その後、その人の両親が来ており、とてもニコニコして「仲良くしてくれてありがとう」と言われた。私とその人は、まあ友達というほどではないけれど…みたいな感じで返答はしたが、向こうは連絡先でも交換する?と言ってきて、つい私は断ってしまった。別にしたってよかったのだが、その頃の私は人に仕向けられることに苦手意識を覚えており、自分の意思を通さなきゃと反射的に答えてしまったのだ。だからといって向こうに変な反応があったわけではないが、帰り道でとても後悔した。
両親の言葉から察するに、その人は今までも孤独になりやすかったのではないかと思う。あの時、少しでも私が大人だったら、連絡先の交換くらいわけはなかっただろう。これも一つの教訓のようなものであって、無かったことにするべきではないのかもしれないけれど、それでも瞬間に戻れるなら戻りたい。
45歳 男性のストーリー
幼少期より現在に至るまで基本的な性格は変わっていないのですが、
人に対して喜怒哀楽を伝えることができない私。
喜んでいる、楽しんでいるのだけれど「つまらない?怒っている?」
と言われることが多々あります。怒っていてもそれが相手に伝わらず
ナメられることもしばしば。
反対に悲しいのに涙ひとつ流せず、見る人からしたら冷酷だなと
感じられてしまっているかもしれません。
幼いころにどのような生活をしていたのか記憶にないのですが、過去
を変えられるのならば喜怒哀楽の感情が表に出せる、そんな性格が
備わった状態で成長ができたならば大人になった今、このような悩みは
無いのだろうなと思うので、願わくばこの性格を変えたいなと思います。

「一番ひどい友達からの裏切り」

24歳 女性のストーリー
大人になってからできた友人の話です。
別の友人の紹介で、彼女と三人で一緒にあそぶことがありました。その時に趣味の話で盛り上がって、連絡先を交換してそのあとも二人で遊ぶようになりました。
中々趣味の合う友人が田舎たこともあり、彼女への信頼もあっという間に私の中でできていました。気を許すようになってプライベートな踏み入った話をするようになって、家がそんなに遠くないこともわかり、週に何回も会って話すようになりました。
でもそれが間違いでした。彼女はだんだん時間にルーズになり、待ち合わせに遅れてくることもしばしば、お金がないと言ってご飯をおごることもたまにありました。
彼女のことを信頼して、見返りを求めているわけではなかったので、少しずつもやっとした気持ちはあったものの、友人関係を続けていました。

でもそんな気持ちもある日爆発してしまいました。大事な用事で待ち合わせをしていたのに、彼女は時間を過ぎても来ず、連絡も帰って着ませんでした。しばらく待って連絡が来たと思ったら、寝てた。いまから準備する。と謝罪もない簡素なメールが。
私はもう彼女と付き合っていられないと思い、来なくていい。と言って、そのあと連絡先をブロックして、縁を切りました。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

29歳 女性のストーリー
女に生まれてよかったと思うこと。
私は小さい頃から男のことの方が気があうことが多く、地域のお祭りで男の子だけ参加出来るものがあったりなど、男の子に生まれたらよかったと思っておりました。
しかし大人になるにつれ、自然や体、物事に対する捉え方は女性の方が共感できることが多くなってきて、女性で良かったと思うようになってきました。
自分が子供を産んだり出来る女性だからこそ、感覚的に理解できていることがあるように思います。
それはあまり突き詰めて考えすぎると、オーガニックやスピリチュアル、ベジタリアンなどのこだわりを持つようになり、それがこの世の中ではかえって生きにくいことになりそうなので、具体的に行動には起こさないのですが、ふんわりと体に感じる空気だとか、ある感情を大事にすることなど、直感的に動ける女性が1番心が自由なのではないかと思っているので、女性作家のいい作品に出会った時や、素敵な女性に出会ったときには、そんな風になれる可能性のある女に生まれて良かったと思います。

「一番おいしかった食べ物」

25歳 女性のストーリー
小さい頃に初めて食べた、田子の月の富士山頂というお菓子です。このお菓子は静岡にしかなく、ほかの県では買えないし、食べられません。
子供のころに食べてから、おばあちゃんが出かけた時に必ず買ってきてくれて、毎日二個以上は食べないときめていて、大切に食べていました。
大人になってからはどうしても食べたくなった時に買いくので、食べる回数は減ってしまいました。
県外の大学に通っていて、友達に大好物はなにと聞かれたことがあり、富士山頂と答えたら、当たり前だけど富士山頂を知らないので、買って行って紹介したこともありました。
好きすぎて、就活のときに田子の月に就職を本気で考え、説明会にも行きました。
最終的には就職はしませんでしたが、いまでも大好きなお菓子です。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

50歳 女性のストーリー
私が4歳の時の話です。
当時、私の家は北海道のとある農業高校に程近いところにあり、父が私を連れて農業高校の広大な敷地の中を散歩に出かけることもしばしばでした。
農業高校にはシクラメンやベゴニアなどの鉢花を栽培する温室があるのですが、父は温室の管理室にいる職員さんと親しくしており、
散歩の途中で管理室に寄りしばらく立ち話をしてから温室をひとまわりして帰ったものでした。
あるとき、地元のテレビ番組でその温室が紹介されたのを見て、子供心に「テレビでやるなんて、すごいところなんだ!」と考えました。

それからしばらくった頃に、東京に住む祖父が泊りがけに遊びにきたときに、
私は「おじいちゃん、ゆうめいなところにつれてってあげるね!」と祖父の手を引き、喜び勇んでいっぱい歩いて件の温室へ。
職員さんは父を伴わずやってきた私と初対面の祖父に驚きつつも、祖父といろいろ話をしてくださり、私も祖父と一緒にきれいな花をたくさん見て楽しい時間を過ごしました。
…家に戻ると、「どこへ行ってたの?!」と怒る母。
それもそのはず、家から温室までは道のりにして800mはある。
大人の足なら15分もかからないでしょうが、あれこれ興味を惹かれがちな4歳児の私と、70代後半の祖父の散歩。
朝食を食べてから出かけたのに、帰宅したのは昼食の時間になっていましたから、往復で1時間半はかかっていたはず。
「庭で遊んでいるか、散歩に出かけてもせいぜいご近所を回ってくるぐらいだろう」と思っていたであろう母が心配するのも当然ですね。
…しかし、祖父と私から事情ををきいた母は困惑しつつも大笑い。
夕方に帰宅した父は「おじいちゃんは足が痛いんだから、あんまり遠くへ連れてっちゃダメ」と。
祖父からは頭をなでられ「よく歩いたね」と褒められました。
(考えてみれば、いつも両親と出かけるときはすぐに歩きつかれて抱っこしてもらっていた私が、祖父と二人で往復歩きとおしたわけですから…)

東京に戻った祖父はその後脳梗塞を患い、私の家に来ても一緒に散歩に出かけることはなく家の中で過ごすだけになりました。
私が11歳の時に祖父は亡くなりましたが、葬儀に来た親戚みんなが4歳の頃の私と祖父の散歩の話を知っていて
「本当に○○(私)のこと、かわいがっていたものね」と言ってくれました。
祖父にとって私は一番年下の孫であり、未熟児で生まれたために無事に育つのか心配していたらしいこと、
あの散歩で私が元気いっぱいに成長していることを心から喜び、親戚に自慢げに話していたらしいと知ったのは、さらに何年か経ってからのことでした。

祖父と一緒に出かけたあの散歩は、祖父との一番の思い出です。
36歳 女性のストーリー
私の両親は共働きでした。家では一緒に暮らしていた祖母が待っていてくれました。いつも「ただいま」と玄関を開けると、「おかえり」と祖母が出迎えてくれていました。
幼いころは母が家に居てくれ、買い物やお菓子作りのできるの友人が羨ましく思うこともありました。いろいろ構ってくる祖母が嫌な時もありました。
でも誰も居ない家に帰ることがあったとき祖母の「おかえり」がない寂しさに気づき、祖母の存在の大きさを感じました。誰かが居てくれるという安心感も知りました。
幼いころ母が家に居なくても、寂しい思いをしなかったのは祖母が家に居てくれたからだと大人になってから気づきました。”親孝行できる時には親が居ない”とは聞くけれど、親孝行の前に祖母に何かしてあげたかったと後悔しました。私も親になったら「ただいま」の声に「おかえり」と祖母が言ってくれたように安心して帰ってこれる家にしたいです。
36歳 女性のストーリー
 私は甘い卵焼きが好きです。甘い卵焼きは祖母が祖父のために、毎朝用意していたものです。
 私の両親は共働きだったので、私の寝ているうちに仕事に行くこともありました。私の記憶では祖父母と一緒に朝食を食べてることのほうが多かったように感じます。
 幼かった私は祖父の膝に座り、祖母が作った甘い卵焼きを食べるのが私の好きな時間だったようです。祖父の膝に座ることが好きだった記憶はうっすらと覚えていました。いつもはしかめっ面だった祖父がこのときは、やさしい顔になっていたとは知らず、大人になってから親戚に話の中で聞きました。
「大きくなったら甘い卵焼き作れるようになるから、食べてね」と言っていた幼い私の夢は叶わなかったですが、今でも甘い卵焼きを食べると祖父との思い出がよみがえります。

「自分は特別だと思った瞬間」

26歳 女性のストーリー
私が小学校高学年頃から父親がアルコール中毒になり、家で暴言吐いたり暴力を振るうようになりました。それから良くなったり、酷くなったりを繰り返すようになりました。
10年以上経った今でもアルコール中毒は治っていません。仕事に行ったり行かなかったりです。
大人になり、結婚して、妊娠しました。県外に嫁いだので里帰り出産のため帰ってきました。娘が妊婦になって帰ってきても父親は相変わらずです。なんのお構いもなくタバコは吸うし、酒飲んでふらふらの状態で家のなかを歩き回ります。何度も突っ込まれそうになりました。
それを心配して、幼馴染や母親の友達が私に「なんかあったらすぐに逃げてきな。」「夜中でも朝方でもいつでもいいから。」「昼間やばくなったら鍵わたすから」と言ってくれました。
里帰りして幼馴染の家に逃げるなんて聞いたことないな、私って特別なんだなって感じました。

「結婚っていいなと思った瞬間」

23歳 女性のストーリー
先日、友人の結婚式に行ってきました。
留学時代の友人で、同期だったのですごく感慨深かったです。
学生時代のその子は、いつも賑やかでおしゃべり好きで、大人しめの私にも積極的に声をかけてくれた記憶があります。
良い子だけど、はっちゃけすぎてて、正直心配になるぐらいだったのですが、結婚式でのその子を見て思わず大人になったなぁ。嬉しいなぁ。なんて親目線で思っちゃいました。
旦那さんはすごく優しそうな人で、あぁこの子のことが大好きなんだなぁというのが感じられました。
お父さんのスピーチの時や、新婦入場の時も、本当に親御さんに感情移入してしまって思わずうるっときちゃいました。
一番印象的だったのは、ご両家の家族全員がお互いに仲が良さそうで、やっぱり結婚って家族ぐるみの付き合いになるんだなと思いました。
皆が仲が良くて、皆が幸せって本当に良いですよね。
それを見ながらしみじみ、結婚っていいなぁと思いました。

19歳 男性のストーリー
近くの公園で保育園の遠足を見たとき。歩道橋から電車を見る子、前日降った雨の水溜まりで泥遊びをする子、道具の取り合いで喧嘩して、泣きわめいている子。大人に忘れてしまった純粋なキラキラした心、キラキラした目。思わず立ち止まってしまった。自分のしたいことをただひたすらに、楽しいことをただひたすらに。もうすべてを忘れて、自分は何を生き急いでいたのかと思い返した。時間に追われ、課題に追われる毎日。そのピュアな心に触れたとき、なぜだか心がふわっとして、今まで結婚なんて微塵も考えてなっかた私でさえも、家庭を築きたいと思ってしまった。そして、自分の本当に愛した人とその子供と一緒にこの公園で遠足をするのが今の私の夢である。

「独身っていいなと思った瞬間」

25歳 男性のストーリー
一人で自由に使えるお金を確保した瞬間に思います。そのお金で自由に何買っても怒られませんし、子供のころ欲しかったものを大人買いしても誰にも咎まれないので漫画アニメゲーム映画フィギュアに使っています。また、一人なので何を食べても良いので、夜一人カップラーメンを自由に食べるときにも感じます。健康のことをいちいちゆう人がいないのでお菓子や不健康なファストフードを食べるのも自由なのが良いです。さらに、一人なのでいつも一番風呂です。夜一番風呂に入っている瞬間に感じます。入浴剤を多めに入れても誰も怒りませんし、長風呂しても誰にも叱られません。どんなに遅い時間でも早い時間でも自由な時間にお風呂に入ることもできます。

「そういえば昔夢見ていたこと」

54歳 男性のストーリー
小さい頃は飛行機のパイロットになりたかった。
人間にはできない、空を飛ぶというあこがれが、そう思わせたのだろう。
小さいころから飛行機が好きで、いろんな飛行機を作って飛ばした。
自分で言うのもなんだが、紙さえあればそれなりに飛ぶ飛行機を作る自信はある。
大人になってからもラジコンの飛行機にのめりこんだ時期もあった。
動力を持たないグライダーという飛行機を自分の手で投げ上げ、操作する。
投げた飛行機が上昇気流にに出会うと、動力を持たない機体がどんどん高く上がり、
どちらを向いているかわからないくらい小さくなる。
多分、その時、大人の私の顔は子供の顔をしていただろう。
いまだに、空を飛ぶということにあこがれを持つわたしである。
66歳 男性のストーリー
少年の頃はたくさんの夢を見ていました。1番最初の夢は、プロ野球の選手、私の子供の頃はなんといっても、王・長嶋の時代でしたので憧れました。次の夢は特撮映画の大ファンでしたので円谷英二に憧れて、特撮監督になるのが夢でした、私も大人になったらゴジラの映画を作るのだと夢に描いたものです。10代の後半になってから黒澤映画を見るようになって、黒澤のような世界的な監督になるのだと強く心に思ったのですが夢破れました。大人になるにつけ自分には才能もなければ、度胸もないと思い知りました、自分には計画性も夢を追いかける持続力もなく冒険心もないもちろんお金は言うに及ばず、私の一番欠けているものは積極性と自分を信じてゆく気持ちでした。

「あの人と縁を切ってよかった」

35歳 男性のストーリー
実の父親と縁を切って良かった。
子供の頃から自分勝手で口先だけは家族を心配する素振り。
母親が追い詰められて心が病んでも支えてやる事もせず
あっちへフラフラこっちへフラフラいい思い出はとても小さい頃に
あった気がするけどそんなことは遠い昔。
弟と妹が生まれてからいい思い出がひとつもない
追い込まれて泣いている母親をみて何度自分を責めたかわからない。
自分が大人になって父親と同じ轍を踏みそうになった。
それが嫌で嫌でたまらなくなって爺ちゃんが死んだ次の日から
父親との連絡を絶った。
それからと言うもの何をやってもうまくいかなかった人生が少しずつ
人並みになって行き、今では人よりもちょっぴりいい暮らしをしている。
心にアンカーを打つ存在と縁を切れば人生って良くなると実感している。

「○○の裏話」

24歳 女性のストーリー
私の働いているDVDレンタルショップの裏話です。
いつも笑顔で働いているスタッフですが、お客さんのいないところでは意外と不満をスタッフ同士で言っていることもしばしばあります。
DVDの読み込み面に毎回傷をつけてくる客や、アダルトビデオを返却されたときにベタッとなにか汚れているものもたまにあります……
子供が傷をつけたとかならわかりますが、大人が誰かに借りたものを傷をつけたり、汚して返すのって、非常識じゃないの?ってよく思っています。
あまり人の多くない地方などでは、よく来るお客さんの顔は意外と覚えられているかもしれません。何気なく適当に扱っている人はもしかしたら、近々その系列のお店でブラックリストに入って、もう借りられなくなるかもしれません。ぜひ気をつけてください。
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