"中学生" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

21歳 女性のストーリー
中学生の頃のことです。
夏休みだったと思います。
2階建ての家に両親と姉、私、幼い妹と暮らしていました。
2階に各自の部屋があったのですが、両親はベビーベッドの都合上1階の和室で寝起きしていました。
私は部屋が4畳しかなく、12畳程もあった両親の部屋が好きで両親が1階で寝起きする間その部屋で寝起きしていました。

当時中学生だった私は自分の携帯を持っておらず、母の携帯を2階に持って行き夜中まで動画を見たりしていました。

私は普段からお手洗いを我慢してしまうのですが、その日も我慢してしばらく経ってから1階にあるトイレへ向かいました。
夜中の2時〜3時だったと思います。

階段を降りていると、ガチャっとドアを開ける音が聞こえました。
トイレは階段の裏側?埋め込んだような場所にあり、私が慌てて覗き込むと、少し開いたドアに明かり、ドアノブを持つ真っ白な手が見えました。
仕方なく私は階段に座り込み、出てくるのを待っていました。
しかししばらく待っても出てこず、限界で見に行くと……明かりが消えていたんです。
おかしく思いノックするも返事がなく、明かりをつけて開くと誰もいない。
絶対に音も聞こえていたし、手も見えたんです。けれど思い返すと、家族にはあそこまで真っ白な手の人はいない。

ゾッとして慌てて霊感持ちの母を叩き起こし見てもらうと、大丈夫の一言だけ。
お手洗いも我慢の限界だったので母に待っていてもらい恐る恐る、大急ぎで済ませて出ました。
怖すぎて本当に大丈夫なのか聞くと母は
「中にはいなかったけど入り口近くで立ってた」
と。いやいや!怖すぎるから!!と、その日は両親の寝ている部屋で寝ました。

24歳 女性のストーリー
私が中学生の時に林間学校で経験した体験談です。
その時に宿泊したコテージの女子トイレを使用したクラスメイトが何人も
「トイレに髪の長い女の人がいる」と言い始めました。
みんなトイレを使うのを怖がっていて私もその一人でした。
しかし私は実際にその姿を見たわけではなかったのでみんなふざけて
冗談を言っているのかもしれないとも思っていました。
しかし野外活動を終えてコテージに戻るときにふと窓ガラスの方をみたら
すりガラス越しに白い服を着た髪の長い人のシルエットが見えたのです。
そこはちょうど噂になっている女子トイレがある窓でした。
私は怖くなってとっさに目をそらしてしまいました。おそるおそる
もう一度その窓をみてみるとそこには何もありませんでした。
本当にそのトイレには何かがいるのではと思わされた怖い思いをした体験でした。

24歳 女性のストーリー
中学生のとき、友達の家に泊まりに
行きました。夏の暑い時期で、
夜になっても部屋が蒸し暑く
外に出て家の前で座って話していました。
田舎の車通りが少ない場所なので
周りは真っ暗です。
2人で対面で座って居たんですが
気付くと友達の後ろに人が立っていたんです。暗くて顔はよく見えなかったんですが
多分男性かな?ものすごく怖くて
すぐにでも逃げ出したかったけれど
たまたま通りかかったひとだったら
申し訳ないのでしばらくそのままで
居たんです。友達も異変に気付き
会話は無くなり沈黙で2人で怯えてました。
その人も声をかけることもなく
何かするわけでもなくただ立ってこちらを
見ていました。
そして私はもう耐えきれず友達の手を
引っ張り走って家に入りました。
あれはなんだったのか未だにわかりません。
たまにその友達と思い出して話すんですが
未だに鮮明に覚えてて鳥肌が立ちます。

「これまでで一番悲しかった時」

52歳 男性のストーリー
私が中学生の頃、家の軒下に燕が巣を作りました。
ヒナもかえり、玄関先が糞で一杯になりながらもヒナの成長を楽しみにしていしました。

ある日、学校から帰宅すると巣がなくなっていました。
小学生の通学路にあった我が家は、その心ない小学生に巣を壊され、ヒナは死んでしまったという事でした。
子供がした事とはいえ、許せないと痛烈に思いました。
その夜は止めどなく涙が出た事を今でも覚えています。何故か、悲しくてなりませんでした。多分、私の中ではもう家族の一員になっていたのだと思います。

あれから何十年も経ちますが、不思議なことに一度も燕が我が家に巣を作る事はありませんでした。
燕が巣を作ると幸運があると言われています。そういう意味でも本当に残念でなりません。

「わたしの周りで一番勉強ができた人」

36歳 女性のストーリー
中学生の同級生で、落第忍者乱太郎が大好きな女の子でした。
難しい言葉をたくさん知っていて日常会話にも混ぜてきました。
急に変な踊りを踊りはじめたり、そのまま人の周りをぐるぐる回ったりするので、学年の中では少し変わり者として扱われて浮いていて、中には軽いいじめのような扱いをするような同級生がいるようにも見えましたが、本人はとても強い心を持っていて何とも思っていない雰囲気でした。
言いたいことは忖度せずに何でもはっきりと言うようなタイプでした。
来るもの拒まず、去る者追わずの姿勢で、友人関係に関してだけは中学生の同級生に比べてとてもクールに見えました。
勉強を教えてもらおうとしたことがありましたが、どうして分からないのかわからないらしく他の人に聞いてと言われました。

「」

29歳 男性のストーリー
中学生の頃、家庭教師のお姉さんに自転車で家に来てもらっていました。
その自転車を見て、隣の隣にすむ同級生男子が「これ、友達の盗まれた自転車だ!」と言ってきました。
後から聞くと、お姉さんの自転車は弟さんが貸してくれたそうですが、彼にどこから持ってきたかを聞くと、返答がしどろもどろだったそうです。
お姉さんは気まずくなり、他の家庭教師の方と交代されました。
奇跡的な巡り合わせと世間の狭さを感じました。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

22歳 女性のストーリー
私の周りで1番お金持ちな人は、中学生のときの同級生で、まず中学生の月のお小遣いが1万5千だったということが衝撃的でした。その子自身はお金持ちアピールとかは全くせずに、ただお小遣いの話をしてた時にそれを普通に話していて、周りにいた友達は、みんなびっくりしていました。
お父さんは医者をしているとは聞きましたが、お母さんも働いており、何をしているかは知りません。
家に遊びに行った時、三階建ての一軒家で、リビングは開放感があり、バーベキューができるくらいのテラスみたいなのがありました。二階の部屋は、普通より少し広いくらいの、部屋でした。3階には、少し狭いけれどシアタールームみたいなのがあって、映画館みたい雰囲気のお部屋がありました。これにもびっくりしました。
その子は一人っ子で、特に習い事をたくさんしてるわけでもなく、ピアノが上手でマイペースな子でした。

「わたしの周りで大変身した人」

24歳 女性のストーリー
中学生の同級生ですが、部活が同じ男子で
その当時は髪の毛がボサボサでメガネをかけて
ぽっちゃりしていた同級生がいました。
見た目はどちらかと言うと陰キャになります。
それから高校に入学し、別々の高校になったのですが
部活の試合でばったり会った時、髪の毛は短髪ですっきりしており
メガネをコンタクトにし、痩せていました。
一瞬誰かわからなくなりましたが、「久しぶり」などと
話をしていて、中学生の時の仲間と集まろうと話になりました。
集まった時、その同級生は本当にオシャレになっていて
中学の頃からは想像も出来ないイケメンになっていました。
高校に入って、初めての彼女ができたらしく
人は努力すれば変われるんだな、と思いました。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

37歳 女性のストーリー
進学したい短大に、系列の高校があることが志望校を決める直前に判明したことです。私は中学生の頃に苦手教科があったせいで、もともとの志望校を目指すのはちょっと無理だろうと悩んでいました。でも、高校の数が少ない地域なのでランクを落とすとどこの大学にも行けないような勉強しかできない可能性が高くなるリスクがあったのです。
そんな頃、授業で地元の高校をグループ別に調べようということになりました。私は別の高校を調べていたのですが、ふっとスカートに何か当たるのを感じたら隣のグループが調べていた高校のパンフレットだったのです。それを見たら進学したい短大の系列校だと書いてあるではありませんか!しかも、その当時の私の成績でも特進コースに入れる可能性があると知って、とても驚きました。
早速、その日から家族を説得しにかかったのは言うまでもありません。というのも、もともとその学校は成績下位者の受け皿だから信用できないと家族に言われていたのです。しかし、もともと私が進学を希望していた短大は家族の事情で、ここならまあ出してあげられるからここへ行きなさいと小さい頃から言われ続けていた学校。私が頑張ればその短大への系列校推薦が取れるし、中学から高校へもここならば今の成績で推薦が出せるって先生に言われたし一石二鳥じゃない?と家族を口説き落としました。
結果は万々歳。特進だったおかげで成績は大いに伸びましたし、系列校推薦も最初の思惑通りばっちり取れて、短大まで勉強や部活・生徒会活動を満喫できました。短大でたくさんの資格を取得できたのも、高校である程度マルチタスクな勉強の仕方を身につけられたからだと思います。また、短大で取得した資格はもちろんですが、高校の生徒会で身に着けたスキルも今の仕事に役立っています。あの時、母校のパンフを見られたこと。それが本当に運のよかったことだと思います。

「これまでで一番笑った話」

33歳 男性のストーリー
中学生のころ近所のバス停からバス通学で学校に通っていた。
バスを降りてから、いつもつるんでいる同級生と待ち合わせをして学校に向かうのだが、そのメンバーの中に小さくて小太りの男の子がいた。
その子の名前はフナツ君というのだが、フナツ君はいつもみんなの前でふざけて笑わせてくれる男の子で、
その日も一人だけ少し前を歩き、僕たちの方を向いて色んな変な動きを見せながら歩いていた。
車道と歩道の境目に小さい縁石が続いていたのだが、フナツ君はそこの上に登って遊んでいた。
危ないなと思った瞬間、案の定足を踏み外してこけてしまい、縁石が股間にクリーンヒット。
その場で悶絶したのだが、周りを歩いている女子中学生たちも笑いを堪え、対向車の車の運転手も笑っていて、
あの時は私も腹を抱えて笑いました。

「これまでに出会った天才」

22歳 男性のストーリー
 これまでに出会った中で天才だと思った人はある友人の母親です。なぜならその家族自体が趣味を通じてまとまっていて片親で男三人兄弟を育てているのにだれ一人として非行や反社会的活動に走らず、喧嘩も起こさず仲良く家事を分担して負担を少しでも和らげようと率先して活動しているからです。今まででこれほどまでに家族関係が円滑に回っている家族を見たことがありませんでした。
 その家族の一番下の兄弟と私は仲が良いのですが、その友人と親しくなった中学生の時にはすでに片親になっており、私は反抗期の真っ最中で親と衝突を繰り返していましたが、その家族は誰も彼女と喧嘩しておらず、むしろ距離感としては友人のようにふるまっていました。
 たとえ、同じ趣味を持っているにしてもここまできれいに家族をまとめ上げられるのは一種の天才だと思います。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

38歳 男性のストーリー
私は物心がついた時から人見知りで、人と話したり
コミュニケーションを取るのが苦手でした。
母はそれを察していたようで、よく一人でお使いに行かせたり、病院等に行かせてはいましたが、幼少期には克服出来ずでした。
中学生・高校生時代は心が許せる数名程度の友人はいましたが、先生ともあまり話さず、人前に出るのが嫌で嫌で堪りませんでした。
高校を卒業し、建築の専門学校に進学しましたが
友人らしい友人も出来ずに半年くらいで学校を辞めてしまいました。今、思い返すと、この時に友人がいたら
学校を辞めていなかったんじゃないかと思います。
学校を辞めて建築関係の仕事を転々とし、相変わらず人とコミュニケーションを取るのが苦手なままでしたが、
そんな私に転機が訪れました。
ひょんな事から花屋を開業することになり、同時に結婚し、家庭を築くこととなりました。
経営は難しく、やはりお客様とのコミュニケーション無しでは成り立たない商売ですので、「家庭」という二文字を抱えていた私は必死に且つ、積極的に接客を行っていきました。
不思議と人と話すのに慣れていき、今となっては
仕事以外のプライベートなどでも、こちらから
他人に話したり出来るようになりました。
やはり、仕事や家庭によって心境の変化があれば
人って苦手なことが克服できたりもするんですね。
28歳 男性のストーリー
小学6年生からパソコンの授業が始まりました。
当時の私は「触ってもし壊してしまったらどうしよう?」という気持ちでパソコンに触るのが嫌で嫌で仕方が無かったのでパソコンの授業が一番嫌いでした。
ですが中学生になり夏休みの期間中にパソコンがある親戚の家に数日泊まることになりました。
それがきっかけで苦手だったパソコンを今度は一日中触るぐらい夢中になり、自分の家にもパソコンが欲しいと考えはじめ親に頼みこんで購入してもらいました。
自宅でもパソコンを毎日触る日々が続き、その時には自らブラインドタッチを意識して遅かった文字の入力も早くなり、他にはサイトやブログを作成してHTMLを覚えたりなどパソコンに没頭していました。
その結果、パソコンの授業が一番好きな授業となり高校生のころにはパソコンに関する資格だけはすぐに取れたりと、思い出深い出来事になっています。

「わたしの初恋と、その結末」

48歳 女性のストーリー
中学時代に通っていた美容院の美容師さんが初恋の相手です。女子校に通っていた私はかなり奥手で、美容室の中でも殆ど美容師さんと話すことができず、秘めた恋のようなものでした。最寄りの駅の近くの美容室だったため、学校帰りによくその美容室を覗いていましたが、美容師さんの姿を見るだけで満足していたように記憶しています。当時はショートカットにしていましたが、中学生ということで、凝った髪型にもできず、毎月通うほどでもなく、だんだん足が遠のいて、美容師さんのこともフェードアウトのように忘れていったと思います。友達同士で同じ美容室に行っていたら勇気を持ってもっと楽しく美容師さんと会話できていたのかなあと、当時のシャイな私が懐かしいです。
33歳 女性のストーリー
小学校4年生くらいに初恋を経験しました。
同じクラスの男の子でした。その男の子と私が両想いという噂が流れて気まずくなってしまい、話さなくなってしまいました。だけど私はずっと好きでした。
そして、中学生になり違う小学校の子と友達になりました。その友達が私の初恋の人を好きになり、告白しました。そして振られてしまいました。
私はその子に自分も好きだということが言えなくて、初恋の男の子に告白することなく、初恋は終了しました。
ちゃんと気持ちを伝えるだけでも伝えていたら良かったなと今になっては思います。
いまでも夢に年に一度くらいその男の子が出てくるので自分の中で消化できていないのかなと不思議な気持ちになります。
43歳 男性のストーリー
私の初恋は中学生の時です。相手は同級生。同じクラスの娘でした。同じクラスですので接点は多く、近所にも住んでいたので、ちょくちょく一緒に行動していました。
幼稚園、小学校の頃から見ていたはずですが、中学生になったころから「かわいい」と感じるようになり、狙って一緒に帰るようにしていました。
頃合いを見て、帰り際に告白。見事に成功してくれました。それからというもの、登下校はほぼ一緒。親も知り合いでしたので、家族ぐるみで付き合っていました。高校時代も同じ高校に通っていたため、付き合い続けましたが、高校卒業後、私は県内、彼女は県外ということになり、はっきりと「別れよう」ということにはなりませんでしたが、自然消滅というカタチになりました。現在は、共に違う土地に住んでいるため会うことはありません。
28歳 女性のストーリー
私の初恋は小学六年生の時の同級生です。
その子とは学校が休みの日でも会って一緒に遊んでいました。
恋愛感情はなかったのですが、ある日近くに不審者が現れたとのことで緊急の集会が開かれ体育館に全生徒が集まりました。
いつもと変わらず会話をしていたのですが、その子の保護者が向かいにきて家に帰る事になった時、寂しいな、まだ一緒にいたいなと思いその時にこれが恋なんだなと気がつきました。
周りの協力もあってお互いに両思いだと知ったのですが、中学生にあがってクラスが別々になったことですれ違いが発生。
私も私で上手くいかないことに苛立ってしまい、またそのあと不登校になってしまったためにその男の子との恋愛は自然消滅という形で終わってしまいました。
26歳 女性のストーリー
私が通っていた小学校は全校生徒50人に満たない小さな学校だったため、普段から異学年と関わることも多く、宿泊学習も一緒でした。
5年生の宿泊学習で私は一つ上の先輩を好きになりました。それが初恋です。

宿泊学習で肝試しをするということになり、まず先生の怖い話をみんなで聞くことになりました。私は心霊系が苦手だったので、話が始まってすぐに怖さで泣いてしまいました。
その時、隣に座っていた先輩がそっと背中に手を置いてくれ、話が終わるまで優しくさすってくれました。
普段から優しい人でしたが、その時の優しさにドキドキしてしまい先輩が好きになってしまいました。
その時の私は付き合うということを考えることもなく、先輩が卒業するまで気持ちを伝えることもありませんでした。

中学生になった私は、先輩とまた同じ学校になりましたが、関わることはほとんどありませんでした。
そのまま2年が経ち、先輩の卒業式の日。
勇気をだして”第2ボタンをください”と伝えました。それを聞いた女の先輩が”私も欲しい、じゃんけんで勝ったほうがもらおう!”と提案してきました。その先輩はただボタンを集めているだけだったので絶対に負けたくないと思いました。
しかし、私はじゃんけんに負けてしまいました。せっかく勇気を出したのに、、と思っていると”あげるよ”と言って先輩が私に第2ボタンをくれました。

それ以来、連絡をとることも会うこともありませんが、先輩の優しさで素敵な初恋の思い出になりました。
48歳 女性のストーリー
中学時代に通っていた美容院の美容師さんが初恋の相手です。女子校に通っていた私はかなり奥手で、美容室の中でも殆ど美容師さんと話すことができず、秘めた恋のようなものでした。最寄りの駅の近くの美容室だったため、学校帰りによくその美容室を覗いていましたが、美容師さんの姿を見るだけで満足していたように記憶しています。当時はショートカットにしていましたが、中学生ということで、凝った髪型にもできず、毎月通うほどでもなく、だんだん足が遠のいて、美容師さんのこともフェードアウトのように忘れていったと思います。友達同士で同じ美容室に行っていたら勇気を持ってもっと楽しく美容師さんと会話できていたのかなあと、当時のシャイな私が懐かしいです。
33歳 女性のストーリー
小学校4年生くらいに初恋を経験しました。
同じクラスの男の子でした。その男の子と私が両想いという噂が流れて気まずくなってしまい、話さなくなってしまいました。だけど私はずっと好きでした。
そして、中学生になり違う小学校の子と友達になりました。その友達が私の初恋の人を好きになり、告白しました。そして振られてしまいました。
私はその子に自分も好きだということが言えなくて、初恋の男の子に告白することなく、初恋は終了しました。
ちゃんと気持ちを伝えるだけでも伝えていたら良かったなと今になっては思います。
いまでも夢に年に一度くらいその男の子が出てくるので自分の中で消化できていないのかなと不思議な気持ちになります。
43歳 男性のストーリー
私の初恋は中学生の時です。相手は同級生。同じクラスの娘でした。同じクラスですので接点は多く、近所にも住んでいたので、ちょくちょく一緒に行動していました。
幼稚園、小学校の頃から見ていたはずですが、中学生になったころから「かわいい」と感じるようになり、狙って一緒に帰るようにしていました。
頃合いを見て、帰り際に告白。見事に成功してくれました。それからというもの、登下校はほぼ一緒。親も知り合いでしたので、家族ぐるみで付き合っていました。高校時代も同じ高校に通っていたため、付き合い続けましたが、高校卒業後、私は県内、彼女は県外ということになり、はっきりと「別れよう」ということにはなりませんでしたが、自然消滅というカタチになりました。現在は、共に違う土地に住んでいるため会うことはありません。
28歳 女性のストーリー
私の初恋は小学六年生の時の同級生です。
その子とは学校が休みの日でも会って一緒に遊んでいました。
恋愛感情はなかったのですが、ある日近くに不審者が現れたとのことで緊急の集会が開かれ体育館に全生徒が集まりました。
いつもと変わらず会話をしていたのですが、その子の保護者が向かいにきて家に帰る事になった時、寂しいな、まだ一緒にいたいなと思いその時にこれが恋なんだなと気がつきました。
周りの協力もあってお互いに両思いだと知ったのですが、中学生にあがってクラスが別々になったことですれ違いが発生。
私も私で上手くいかないことに苛立ってしまい、またそのあと不登校になってしまったためにその男の子との恋愛は自然消滅という形で終わってしまいました。
26歳 女性のストーリー
私が通っていた小学校は全校生徒50人に満たない小さな学校だったため、普段から異学年と関わることも多く、宿泊学習も一緒でした。
5年生の宿泊学習で私は一つ上の先輩を好きになりました。それが初恋です。

宿泊学習で肝試しをするということになり、まず先生の怖い話をみんなで聞くことになりました。私は心霊系が苦手だったので、話が始まってすぐに怖さで泣いてしまいました。
その時、隣に座っていた先輩がそっと背中に手を置いてくれ、話が終わるまで優しくさすってくれました。
普段から優しい人でしたが、その時の優しさにドキドキしてしまい先輩が好きになってしまいました。
その時の私は付き合うということを考えることもなく、先輩が卒業するまで気持ちを伝えることもありませんでした。

中学生になった私は、先輩とまた同じ学校になりましたが、関わることはほとんどありませんでした。
そのまま2年が経ち、先輩の卒業式の日。
勇気をだして”第2ボタンをください”と伝えました。それを聞いた女の先輩が”私も欲しい、じゃんけんで勝ったほうがもらおう!”と提案してきました。その先輩はただボタンを集めているだけだったので絶対に負けたくないと思いました。
しかし、私はじゃんけんに負けてしまいました。せっかく勇気を出したのに、、と思っていると”あげるよ”と言って先輩が私に第2ボタンをくれました。

それ以来、連絡をとることも会うこともありませんが、先輩の優しさで素敵な初恋の思い出になりました。

「誰にも言っていない秘密」

33歳 男性のストーリー
誰にも言っていない秘密は知られたくない事になりますのでこのように自分を特定されない場合においてのみ教える事ができます。秘密はたくさんあるのですが、教えれるレベルの話をします。中学生の時に可愛いと思う子がいました。塾が一緒でした。話す機会はありませんでしたので、一方的な好意でした。その当時は性に対して目覚めてました。何かその子に触れたいと思うようになり、その子の靴を舐めました。興奮はしましたが、もちろん苦い感じでよくはありませんでした。他にはその子が捨てたであろう空き缶を舐めたり、噛み終わったガムを噛んだりした事があります。それ以上はエスカレートすることはありませんでした。またおそらく誰にもバレていないと思っています。今では考えられませんし、誰にも言えないおかしな行動です。
43歳 男性のストーリー
中学生の頃、海釣りに行っていました。磯場だったので、近くにお店もなく、もちろんトイレもありませんでした。近くに民家が何軒かありました。最初は我慢していました。まあ、いつものことだから、そのうちおさまるだろうと思っていました。例のごとく、一回目の波は乗り切りました。そして、二回目の波がやってきました。ダメダメダメだと、何とか乗り切りました。その間は、何も飲まず、何も食べずに過ごしました。しかし、そういう時は必ずと言っていいほど、三回目の波がやってきます。我慢我慢我慢して耐えていましたが、ブチっとお尻の穴がゆるみ、少しヒヤッとしました。その瞬間、もう我慢しきれないとあきらめました。お尻の穴をふさぐことを我慢することを。生まれて初めて、外で、海で、野ぐそをしました。
33歳 女性のストーリー
確か中学2年生の時です。英語の授業中でした。
当時かなりの内向的だった私は人前が苦手で自分の意見が言えませんでした。
その英語の授業の時は先生が前に座り、別の事をして生徒は自習をしていました。教室がシーンと静かでみんな集中しているとき、私はトイレに行きたくなったんです。
でも手を上げて先生に
『トイレに行きたいです』
とは言えるわけもなく、ひたすら我慢我慢我慢…
こういうときって全然時間が進まないんですよね。5分経ったかなと思って時計を見ても1、2分しか経ってないんです。私のお腹は限界を迎えました…
そう!中学生にしてお漏らし…
消えてなくなりたいくらい恥ずかしかったです。
周りの男子が気づいてドン引きしてました。トホホ…。

これは墓場に持っていきたい!

「わたしの周りの大恋愛」

26歳 女性のストーリー
中学生の頃通っていた塾の先生(男)と生徒(女)の話です。個別塾の担当だったので、受験期の頃は毎日会っていました。先生はとてもめんどうみがよく、お兄ちゃんのような存在だったのですが、その子にだけは他の生徒と比べて特別な扱いをしていました。その子も先生のことを尊敬して、先生みたいな大人になりたい!と言っていたり。のちにわかったことですが、お互い両思いだったそうです。しかし、受験期もおわり卒業。一緒にいることはなくなりました。卒業してから連絡先を交換したものの、お互い多忙で会うこともできず、そのうち携帯が壊れデータが消えてしまい、連絡が取れなくなり、ただの思い出となってしまったのです。しかし、なんと10年後にたまたま駅で再会。「大人になったら一緒にお酒を飲もうね!」と話をしていたのが10年越しに叶い、そのままお付き合い、ゴールイン。あの頃はまさかこんなことになるとは思っていませんでしたが、今はとても素敵な夫婦です。

「忘れられない夏の思い出」

33歳 男性のストーリー
当時中学生だった僕は、夏休み限定で家庭教師を頼んでいました。
来てくれていたのは地元の国立大に通う19歳の大学生のお姉さんです。
勉強はわかりやすく、楽しくて夢中になっていたのを覚えています。
当時は猛暑で毎日薄いTシャツで来るお姉さんの透けたブラジャー、たまに覗く胸元の谷間にいつもドキドキしていました。
夏休みも終盤にあり、全国模試を迎えました。
僕は思い切って、前よりも模試の順番が上がったらお願いを一個だけ聞いて欲しいとお願いしました。
「しょうがないなぁ」と笑いながら答えるお姉さんがホントに綺麗で、今でも思い出すとドキドキします。
猛勉強の末、順位を上げた僕は「どうしてもファーストキスをお姉さんとしたい」とお願いし、ファーストキスを捧げました。
32歳 女性のストーリー
中学生の時友達と海に行く約束をしました。
好きな男の子達と一緒に行くこともあって、計画は友達と念入りに考えました。海に行く交通手段やお昼ごはん、そして水着!中学生ながら背伸びして友達とビキニを買いに行きました。いろいろ見て、その頃私が大好きな色の赤い色の水着を買うことにしました。
中学生には金額が高くなんと一万円!貯めてたお小遣いを使い買って帰ったのですがなんと紐ビキニだったのです。
母親にこっぴどく金額や紐ビキニだということに怒られましたが、どうしても着たかった私はその水着を着て海に向かいました。緊張して、好きな男の子と話せず遊べないまま、一人で海で遊んでいると、大きな波がきてかぶってしまいました。その時ビキニがとれてしまい。今でも忘れられない思い出です。

「人生最大の失恋話」

23歳 男性のストーリー
私には好きな女の子Sちゃんが居た。
Sちゃんはクラスの中でも人気が高く、いわゆる陽キャラと言われるイケイケグループの一員だった。
そのころはまだガラケーが主流で、やり取りもメールが一般的であった。
学生で在りながら携帯電話を与えられていた私は、Sちゃんとメールをすることに夢中になっていた。
メール世代の方はお分かり頂けるだろうが、”新着信メール受信“で何回メールが来ていないか確認したことか。
そんな甘酸っぱい日々を過ごしている中で、知り合いの男の子Hくんに彼氏ができたという情報が入ってきた。
「おお、あいつでも彼女ができたのか」
そう思った私は、自分にも彼女が欲しいと思うようになっていた。
「狙うはあの子しかいない」
そんなことを思いながら返すメール。ワクワクとドキドキを繰り返す。とても充実していたと思う。
ある日私は決心した。
「告白しよう」
そのようにして告白できたならよかったのだろうか。
臆病な私はぬるっと
「なぁ、Hくん彼女できたらしいよ。俺らも付き合ってみる?」とメールで打っていた。
今思うと、なんてかっこ悪い告白の仕方なのだろうと思う。
結果は
「ごめんなさい。」だった。
「まじか、、、」
そう思ったのも束の間、あるメールが飛んできた。
「Hくんの彼女、私だよ」
悲しみが一転、驚きと恥ずかしさに変わった。
「今までのドキドキは何だったんだ。。。彼氏持ちだということに気付かないなんて、しかも彼氏Hくんかよ、、」
恋愛は厳しいものだと認識させられる、中学生の時のエピソードでした。

その後、Sちゃんとのメールはぱったり途絶えました(笑)
24歳 女性のストーリー
中学2年生の時に恋した私の初恋の人です。
私が中学生の時はまだ昔のタイプの携帯かスマホ初期の時代で、私が好きになった彼は携帯を持っていませんでした。
なので友達に頼んで手紙を書いて渡してもらいました。
そのあとも手紙でのやり取りは続き、気にかけてもらえるようになったのでバレンタインにチョコと一緒に告白をしました!
結果はOKで付き合う事になりお互い初彼女初彼氏になりました。
彼は付き合っているのを隠したくてデートなどは出来なく一緒に帰ると事が私にとってのデートでした。
私は会うたびに好きになっていって何をするのも彼の事しか考えられませんでした。好きで好きで仕方がありませんでした。
その後も特に何もなかったのですが、夏休みになり急に別れようと言われました。
とてもショックで涙が止まらなくて夏期講習を休むほどでした。
35歳 女性のストーリー
わたしには中学生の時に片思いの相手がいました。わたしより一つ年上の先輩で、色白でイケメン、さらには頭も良くスポーツもできる完璧な先輩でした。
当時は先輩に話しかけたりすることができず、ずっと片思いのままで中学校を卒業してしまいました。
それから何年か経って、わたしが大学生になった時、通学電車の中でタイプの男性に出会いました。まさしくあの先輩そのものといった感じの人だったので一目惚れでした。
それまで気づかなかったのですがいつも同じ車両に乗っている近くの大学生だとわかりました。
毎朝、同じ車両だったので出来るだけ近くに行こうと思って頑張っていました。
そしてある日、となりに立つことができたんです。
するとその人とその人の友達の会話が聞こえてきました。聞いているとどうも怪しいのです。友達は男性だったのですが、ただの友達ではなく付き合っているようでした。
まさかとは思ったものの、さりげなく手を繋いだ瞬間を目撃してしまい、わたしは失恋したのだと確信しました。
23歳 女性のストーリー
中学生の頃、私に気があることを知りちょっと気になっていた相手から告白され、付き合うことになりました。それからは毎日メールをして、毎日一緒に下校していたのですが、付き合いだして2ヶ月ほどたった頃、学校では話すのに毎日していたメールがパタリと来なくなり、一緒に帰ることも減っていきました。付き合う前から私は少し気が強く、隣のクラスのある女子とよくケンカをしていたのですが、その頃から彼氏とその女子が学校で楽しく話をする姿をよく見るようになり、問いただすと「別れよう」の一言だけ言われました。本当にショックで、初めての彼氏だったのでどうしていいのかも分からずその場から逃げ出してしまいました。毎日泣きながら悩んで私が出した結論は復縁です。別れを告げられて2週間ほど経った頃、勇気を出して戻りたいとメールをしました。そのあとの返信は「そうですか。好きにしてください」でした。嫌われる心当たりもなく、付き合っていた頃は学校中から仲良いねと言われていたので、信じられず予想もしていなかった答えで、返信ができないまま卒業をし今では会うことも全くなくなりました。初めての彼氏で衝撃の別れ方だったので、今でも忘れられない私の人生最大の失恋です。

「今だから言えるごめんなさい」

26歳 女性のストーリー
私は小学生高学年の頃父を亡くしました。
私にとってはとても頼りになり大好きな父でした。
相談も聞いてしっかり答えてくれる父だったのでとても悲しかったです。
私の母は父とは違い私はあまり好きではありませんでした。
よく怒られるしあまり私の話を聞いてくれるような母ではありませんでした。
なので父が亡くなったことで少し反抗期になり母とは話が合わなくなり話すと喧嘩ばかりでした。
中学生になったころ、母と喧嘩になり
父がいないことで私は母に父と母が逆だったら良かったのにとひどいこと言ってしまいました。

今思うととても申し訳ないことを言ってしまい謝罪の言葉しかないです。

現在は少し成長し私ももうすぐ母になります。

女手1つで子供を育ててくれた母には感謝でいっぱいです。

あの頃はごめんなさい。
30歳 男性のストーリー
中学生の頃に夏休み、両親共働きのためおじいちゃんと2人で過ごすことが多かった。

昼ごはんをいつも買ってきてくれるおじいちゃん。

最初に頼んだ唐揚げ弁当を多分何を選んでいいのかわからず毎日買ってきてくれていた。

唐揚げを好きで最初に頼んだけど毎日毎日唐揚げ弁当は少しきつくなってきてしまったがそれをおじいちゃんには言えず過ごす毎日。

1、2週間くらい続いたかの時にこっそり捨ててそれからは家にある物を食べるようになってしまう。

何度か裏の畑に捨てては罪悪感の日々。
けどやっぱり食べたくはない唐揚げ弁当、未だにおじいちゃんは知らないだろうけど、せっかく買ってきてくれたお弁当あの頃捨てていましたごめんなさいおじいちゃん。
27歳 女性のストーリー
中学の時、部活動の同学年代でいじめ、嫌がらせがありました。
運動部だったのですが、休憩中に陰口を言われたり、無視されたり、
パス練習でボールを強く、あさっての方向へ投げられたり…

ターゲットはリーダー格が飽きるたびどんどん変わっていき、
わたしの一番仲が良かった友達が、嫌がらせの対象になりました。
もちろん、その子はチームメイトに悪いことは何もしていません。

私は友達といるのが楽しかったので、一緒にいました。
ですが、ある日いじめのボスに「いい子ぶるな」と言われてしまい、
次は自分がターゲットになるかもしれない、と怖くとなり、
友達に自ら話しかけに行くのをやめてしまいました。

だんだん友達は部活動にくるのがつらくなり、休みがちになっていきました。
その時もう3年生だったこともあり、部活動はあっという間に引退しましたが、
今でも、友達と一緒にいてあげられなかったことを後悔しています。

中学生という多感な時期ですし、正義感をふりかざすのは難しかったと思います。
ですが、その子の心に大きな傷を残してしまったことは事実です。
一生に一度しかない学校生活、つらい思いをさせてごめんなさい。
23歳 女性のストーリー
私が中学生の頃の話ですが、
おばあちゃんは長年500円貯金をしていました。
可愛いたぬきの大きな貯金箱だったと思います。
何キロにもなるほど500円貯金をしていました。
ある日、一緒に数えようと言ってきたので一緒に数えました。
おばあちゃんはいつも私にお小遣いをくれるので
今回も数え終わったらくれるだろうと
自分でも分かっていたのですが
数えながら結構な額をくすねていました。
数え終わって一万円ほどお小遣いをくれたのですが
くすねた額を合わせると二万円程になっていたと思います。
その一回ではなく二、三回同じようなことを
したと思います。
おばあちゃんが気づかないことをいいことに
すごく申し訳ないことをしたなと今になって思っています。ごめんなさい。
22歳 女性のストーリー
中学生のときどうしても生理的に無理で嫌いになってしまった男の子と授業で隣の席でした。小テストを交換しなければならなかったけど本当に嫌すぎて、完全に無視してしまってとても気を使わせてしまいました。その子じゃない側の友達にいつも頼んで、その子にもめちゃくちゃ気を使わせてしまった覚えがあります。さらには、私がシャーペンを落としてしまったときにその子が拾ってくれたのですが、本当に生理的に受け付けなかったせいで、そのシャーペンをその授業のあと捨ててしまいました。今思えば、どうしてそんなに苦手というか嫌いになってしまったのかもわかりませんし、そんなに苦手だとしても無視するのではなくて他にもっと解決する方法があったのではないかと思うと本当に謝りたいです。
23歳 女性のストーリー
今から10年ほど前、私がまだ中学生だったころのお話です。
当時私には周りに秘密で付き合っていた彼氏がいました。その彼は学年でも特に目立つような人ではなく成績もルックスも標準の人でしたが彼の優しさと告白された時の嬉しさからお付き合いを始めました。
ですがその彼実は、幼稚園からの親友の好きな人だったんです。親友に対する罪悪感はありましたが、恋愛に興味もありましたし好きだという気持ちもあったのでお付き合いをしてしまいました。もちろん親友には内緒で。
今思えば正直に話して理解してもらうべきだったと思いますが当時は恐怖のあまり言いだせませんでした。
ですが今となっては昔の話。現在、私は別の男性と結婚し妊娠中で親友も一児の母となっています。
あの時コソコソと隠れて恋愛していたこと本当に反省してます。ごめんなさい。
32歳 女性のストーリー
中学生のころ、私はまぁまぁ遊んでいて、友達と中学生だがコンパニオンに行って2時間接待してお給料貰ったり、万引きしたり、原付バイクを2人乗りしていたりしていました。そんな遊びまわっているある日、今日の夜もコンパニオンでお金貰えるねー!なんて友達と話していてお昼ご飯を食べに行こうと話していました。某有名チェーン店に入りランチを楽しんでいました。持ち合わせもあまりないので少な目に注文し、今日はどんなんなのかな?なんて話していました。ふと見るとレジは入り口より反対の奥側、レジ奥より反対の入り口ドア近くに通された私達。若気の至りですね。レジ会計済ませたよその御客さんと一緒に出ました。最初で最後の食い逃げ。この後凄く後悔し、10年以上経った今でも反省しています。あの時は本当にごめんなさい!
54歳 男性のストーリー
僕は昔中学生の同級生と遊んでいて仲間5人である飲食店で
食い逃げをしました。お金は持っていましたがスリル半面悪い事をしていると認識をしていましたけどお客さんがたくさんいたのでバレないのでは無いかと思ってやってしまいました。今でしたらネットでアップされて人道質問されて罰金もしくは刑を受けなければいかなかったのではないでしょうかね。20のころなんで善悪は分っている成人でしたが
その頃はイケイケだったので警察とかこわおもてのお兄さんとかは全然怖く無かったです。
今はみんな真面目になって家庭を築いている人ばかりです。一人は今も独身をしています。
その友人と3年前に会いましたけどかなり真面目人間になっていました。

「人を見返してやった話」

41歳 女性のストーリー
私は中学生の頃にイジメにあっていました。親や先生にも言えず耐えながら3年間を過ごしました。私は必死に勉強をして見返してやろうと思っていました。高校への進学は同じ中学から受験する同級生がいない自宅からかなり遠い所に決めました。必死に勉強をして小さい頃から目標にしていた職業に就く事が出来ました。中学を卒業して25年程経ちましたが、最近になって私をいじめていた一人に会う機会がありました。その人は現在は非正規雇用で働いている様子でした。私はすぐにその人のことに気づきましたが気づかないふりをしていました。しばらくしてその人が私の事に気付いて声をかけてきたときに「こんな仕事しててすごいなあ」って言ってきたので「◯◯くんにいじめられたおかげでいつか見返してやろうと思って必死に勉強を頑張ってきた。今は仕事にやりがいがあって楽しい、ありがとう」と言ったときにすがすがしい気持ちになった。

「これまでの人生で悟ったこと」

31歳 女性のストーリー
これまでの人生で悟ったことは、人間はある程度図々しくて自分勝手でいた方が生きやすいということです。私は子供の頃、謙虚で大人しく、自分の気持ちを我慢して何でも周りに譲ってしまう子でした。しかし私は残念ながら「優しい子」とは思われず「何をしても怒らない、言いなりになる子、嫌な事はこの子に押し付ければいい」と思われて性格の悪い子達に利用されてしまい、損してしまっていました。また、中学生の頃は成績が良く学年トップクラスだったにも関わらず、謙虚でいなきゃいけない、自慢してはいけないと思っていたために自分の成績を隠し頭が悪い振りをしていたら、成績の悪い馬鹿だと思われて見下されました。20代になってからも自分のこの癖は続きましたが、やはり都合良く利用されて損するか、見下されるかのどちらかでした。人間、謙虚過ぎる、優し過ぎるよりもある程度自己主張ができて少し図々しいくらいの方が生きやすいと思っています。
35歳 男性のストーリー
人生意外となんとかなる
よくある話ですが、私は中学生の頃いじめに遭いました中学生生活の3年間不登校にこそならなかったですが中々解決せずにつまらない3年間でした。中学校時代の友達は1人もいません。その後高校にいきましたが中学生の経験から人間不信のようなものになってしまい人とのコミュニケーションがうまくとれなくなりました。高校生生活の3年間はいじめこそなかったものの友人もほぼできずとてもつまらないものでした。その後は大学へ進学します。当然のことながら友達は出来ません。唯一バイトだけが楽しみでした。こんな人生なので自殺も幾度と考えたことがあります。社会人になっても変わらないだろうし結婚できない、しても嫁子供を幸せにできないであろうと。でもいまは結婚しましたし子供もいます。人付き合いは下手ですが働いています。収入もまあまああります。入った会社と職場環境がたまたまよかったのでしょう。人生意外となんとかなるなと思いました。

「どうしても許せないこと」

36歳 男性のストーリー
仕事帰りにバスを使って家に帰ろうとバスターミナルで待っていて、バスが来て乗ろうとした時に横から走ってきた中学生くらいの女子が自分にぶつかってきた。
その影響で吹き飛ばされた自分は頭を打ってしまい、血が出ました。
その時自分の手には足が悪い為杖を使っており、しかも買い物したワインのビンも持っていましたので、全く受け身が出来ませんでした。
その後バス会社の方が来て対応してくれましたが、自分の状況を少し見た中学生くらいの相手がバスに乗り込む姿を見たのです。
いくら急いで帰ろうとしていても、今の状況で帰ろうとするかな?って信じられない行動をされたので、バス会社の人に言って相手をバスから降ろしました。
その後止血できたので、その時は帰りましたが病院へ行くべきだったと思います。
54歳 男性のストーリー
私の会社の前の役員が、とあることをきっかけに私をいじめ出したことです。とあることとは、当時私は企画部に所属しており、取締役会の資料を作成担当でした。その役員が取締役会で発表する資料の原稿を私に手渡し、「誤っている箇所や意味が伝わりにくい箇所は訂正しておいて」との指示があったので、誤字脱字を含めて、わかりやすい資料に大幅訂正することになりました。なんせ、誤字脱字を含めて、文章が中学生レベルであり、止むを得ず私なりに考えて訂正しました。すると、資料をみたその役員が、カンカンに怒りだし、私に対して「お前は何様だ」と言ってきました。自身プライドが相当傷つけられたみたいです、結局、私が作成した資料を取締役会で使ったにも関わらず、それ以来、ネチネチいじめが始まりました。飲んだ席では、「お前のことは絶対に許さない、家まで殴り込んでやる」みたいなことも言われました。結局、役員内規に違反して、勝手に役員定年を延長していることが社外役員にバレてしまい、退任に追い込まれました。今はそいつがいないので、一安心です。

「嘘みたいなほんとの話」

33歳 男性のストーリー
数年に1回大きな事故に遭います。
小学生の時から事故に遭い始め、最後は交通事故まで経験しました。

ここ10年以上身体的な事故には遭っていないのでこの先が不安です。
また、規模も年々大きくなっていっているので、交通事故より大きな事故は何なのかという不安にも駆られます。

幼稚園前:網戸に寄りかかっていたら網戸が破れ、顔面強打。
幼稚園:火打石の様に石を持って石を叩いていたら親指を挟み大量出血。
小学生:金属バットが頭にあたり、病院送り。
中学生:部活中に他生徒と衝突し、相手の歯が目元にあたり病院送り。
大学生:居眠り運転の正面衝突で、病院送り。

兄妹家族併せて6名ですが、私だけがそういった経験をしています。
お祓い等の経験はありませんが、そろそろやってみようかな。とも思います。

「人生が変わった出来事」

31歳 男性のストーリー
自分が中学生に上がるまでは、勉学に勤しみ、部活動に励むというその日その日をなんとなく生きていく人生でした。
そんなある日、「技術」という選択授業で簡単なロボットを作り、大会に出るというものがありました。授業が始まり、お手本となるロボットを見て、自分なりに設計して実際に制作を始めるというものでしたが、初めて見るとある程度の制約はあるものの、自由度が高い作業にどんどんのめり込んでいる自分がいました。大会では2回戦敗退ということであまりよい結果を残せませんでしたが、その日からモノづくりの楽しさに気が付き将来はモノづくりに携われるように進路を進めようと決意しました。
実際にその後の進路は工業高校に進み、国内ではレベルの高い工業大学へ進学し製造業の開発部門で日々製品開発業務に勤しむ生活を送っております。中学生の時のきっかけがあって本当によかったと思っています。
43歳 男性のストーリー
私は中学生の頃に不良グループから使い走りとしてコキ使われていました。高校に進学すれば不良グループと離れられる。そんな希望を持ち中学三年間を過ごしました。高校生になると新しい友人達に囲まれながら青春を謳歌し、次第にヤンチャな友人も増えて行きました。高校一年生の夏休みに地元の中学校卒業を卒業した同級生と会うことになり待ち合わせ場所に行くと、同級生はバリバリのヤンキーに変身していて既に高校は退学になっていました。この同窓生と私は夜な夜なつるむようになり、気が付くと私自身もヤンキーになっていました。夏休みが終わろうとする頃、ヤンキーの同窓生の提案で私を中学生時代にコキ使いまくったヤンキーグループに復讐しようと提案があり、悩んだ挙げ句呼び出しました。勢いよく威圧しながらやって来るかつての敵達。体に染み付いた恐怖感を抑えて私も威喝して一人と喧嘩になりマグレで私は勝ってしまったのです。その後、立場は逆転して敗退した彼等は私と同窓生の使い走りとして高校三年間を過ごしました。因果応報。私の人生が変わった瞬間です。
24歳 女性のストーリー
私が中学生の頃の話です。
友人の勧めでソフトテニス部に入ることになりました。過半数が初心者でしたが、1、2名経験者がありフォームもやはり私達とは別格の存在でした。外でのスポーツということもあり、直射日光に浴びながら必死にボールを追いかける日々でした。

ある日、今思えばそんなことで?というような内容で、私がいじめにあいます。
同じ部活の同級生全員からの無視は答えました。ですが、負けたくない一心で毎日通い、嫌われている相手、悪口を言っている相手にも挨拶を欠かしませんでした。その中で絶対にこいつらより上手くなってやると心に決めて、番手選考会が始まりました。
正直、勝てる自信はありませんでしたが、自主練をやっていたお陰でしょうか、先輩を抜いてベンチ入りを果たしました。
その後、いじめていた奴らも急変し仲良くなり、中学三年生の時には番手2番目まで上り詰めました。
その頃には、誰も私に指図することもなく、悪口を言われるわけでもなく、むしろ私の組みたいと、散々いじめた女が泣きついた時に、本当にざまぁみろと思いました。

「修学旅行の思い出」

33歳 女性のストーリー
修学旅行の思い出と言えば、始めてのスキー体験でしょうか。
沖縄出身のため、雪はもちろんスキー等にはほぼ縁がなく修学旅行のインイベントとしてスキーに行ったのですが。
二泊三日の二日目。前日にはっちゃけすぎた男子が調子に乗って半袖で動き回って熱を出しスキーがでくなくなるなんてお約束もありつつバスで移動。みんなそわそわしながらスキー場へ向かいました。
スキー場ついてグループ別れインストラクターさんの元へ。人数としてはクラスの女子の半分なので8人程度。ドキドキのスキー体験が始まるはずだったのですが、そのインストラクターさんがまさかのスパルタタイプ。いや今考えるとこの人数みるインストラクターさんも大変だったなとは思うのですが、スキーなんてやったことの無い中学生女子に厳しい厳しい。
まず、初体験で道具の扱い方もろくにわからない私たちが見よう見まねで真似た動きを「違う!そうじゃない」と語気も荒々し訂正から始まり、インストラクターさんのテンションに怯えてなかな滑り出せない友人の背中無理やり押す、びっくりして転ぶと怒る。
あまりの状況になかなか上達できない私達グループにイライラしたのか急にストックを回収し出しそのまま滑れと言い出す。あげく、上手い子には優しく下手な子には厳しいまさかの対応で、非常にがっかした体験でした。
修学旅行の文集で私達のグループ全員スキー体験楽しみにしていたのにインストラクターさんが怖かったと示し併せたように書いたぐらいです。
いや、まあ、ストックを外すのは練習としてはありなのかなと今なら思いますが当時は逆に怖かったし何よりスキーなんてもうやりたくないと思いました。
ある意味インパクトがすごかったので、思い出と言えば思い出ですが、もう一回ぐらいちゃんと納得のいく経験して思い出を上書きできたらなと思いながらはや十数年。いまだに縁がないのは、これがある種のトラウマなのかなぁと思わなくもないです。
51歳 女性のストーリー
私の修学旅行の思い出は、中学生の時のこと、クラスでも嫌われていたので、孤立していてバスに乗り込むときも一人でいました。一応班行動をすることになっていたので、どこかに入れてもらってはいたのですが、意地悪されていたのいたのです。この人ならいいなと思った女友達はいたのですが、グループに入ることは出来ませんでした。
コースは、東京、栃木コースでしたが、初めて来る東京はやはり都会で楽しかったです。遊ぶところも学ぶところもたくさんあり、楽しいなと感じました。大好きな劇団も観ることが出来て楽しかったです。それに普段入ることが出来ない国会議事堂も見学が出来て、勉強になりました。
栃木は、涼しくて過ごしやすかったです。バスの中で歌った歌は評判が良くて、嬉しかったのを覚えています。
あの頃が懐かしいです。

「忘れられない夏休み」

41歳 男性のストーリー
小2の夏休み、おばあちゃんの家へ行って、従兄弟達と会って遊んでいました。私は、おばあちゃんが履いていた普通のサンダルが何となく好きで従兄弟達と外で遊びに行く時に、必ずそのサンダルを履いて遊んでいました。おばあちゃんの家は、日本の名水百選などにも選ばれる綺麗で美味しい水が流れている土地で、川の側溝も、都会にはなかなか無い幅広さでした。
僕と従兄弟は、公園でゴムボールとプラスチックのバットで野球をして遊んでいた時に、僕が打ったボールが公園の外の道路まで飛んで行きました。
慌てて、従兄弟達と走って取りに行った時に、小2の自分にはまだサイズが大きいおばあちゃんのサンダルが脱げて側溝に落ちてしまいました。おばあちゃんのサンダルはゆっくりと流されて行きました。おばあちゃんのサンダルを失くしてしまったら大変だと思った私は、側溝に降りて、川の流れに逆らいながらサンダルを追いかけました。その側溝は、上部にコンクリートで出来た棒状の仕切りが等間隔に取り付けられていて、自分は、それを避けながら追いかけていたんですが、サンダルを必死で追いかけるうちに、仕切りに頭を何度かぶつけました。
痛いなと思いながらも、サンダルを取る事しか頭に無い自分は、気にせず追いかけましたが、どんどんサンダルは遠ざかって行き、諦め始めた時、上から見ていた1つ上の従兄弟が私の頭を指差し「血が出てるよ」と言いました。額に手を当てると、ドロっとした血が手に付いていました。驚いた自分は、泣きながら側溝から出て、道で号泣。すると近くでバトミントンをしていた中学生くらいのお姉さんが、血を流して泣いている自分を見て、私を抱えながら、従兄弟の誘導でおばあちゃんの家まで走って連れて行ってくれました。その後、親族は大慌てで、病院へ連れて行き、結果、頭部を7針縫うケガを負いました。
22歳 女性のストーリー
大学2年生の夏休みに20歳を迎え、何か今までにやったことがないことがしてみたいと考えました。とは言っても学生の自分でできることは多くなく、結果「1人で二泊三日京都旅行」を敢行しました。
私は地方に住んでおり、バスで移動することもあまりありません。新幹線やホテルの予約や、京都での移動に多々不安がありましたが、「せっかく大人になったんだから」と母の言葉が後押ししてくれました。
中学生の時の修学旅行以来、二度目の京都。現地の予定は完全ノープランだったため、新幹線の中でどこに行こうか考えていました。おすすめのカフェを巡りたいところでしたが、夏休み期間ということもありカップルや家族連れが多く、女子1人で入るにはなかなか勇気のいるお店ばかり…。迷った挙句、修学旅行で巡った神社仏閣を再び巡るというプランになりました。
当時はガイドさんの話を聞いても全く耳を傾けなかった場所に、20歳になって再び足を踏み入れるのはとても感慨深いものがありましま。この神社で写真を撮ったな、あのお店でお土産を買ったっけ。そんな事を思い出しながら、1人京都の街並みをぶらぶらと。
その後、中学時代に読んでいた本の舞台となった場所にも行き、思春期時代の思い出を巡る旅となりました。
15歳の悩み多かった自分を追いかけるようなものでしたが、20歳という節目を迎えた年に経験できてとても良かったと感じています。
24歳 女性のストーリー
中学生の夏休みです。
私は吹奏楽部に所属していたのですが、活動日がお盆以外ほぼ毎日朝から夕方まで練習していました。コンクールがちょうど夏休みの間にあったため、ずっと練習でした。演奏するにも意外と体力を使うので、大変でした。精神的にも体力的にも楽ではありませんでしたが、コンクールに向けての最後の練習は楽しんでやっていました。コンクールで演奏した後も達成感をとても感じ、頑張ってよかったと思いました。
今思えばよくやったなと思います。おかげで、大概の大変なことに直面したらこの頃を思い出し、あのときに比べればと頑張れます。
ある意味心の支えとなっていますし、やることがいっぱいで充実していたので忘れられない夏休みです。

「奇跡だと思った話」

23歳 女性のストーリー
 私は、保育園の頃から水泳を習っていました。スイミングスクールに行くのは億劫でしたが、着いてしまえば友達と話せるのでそれなりに楽しく通っていました。スイミングを辞める頃には、タイムは早くありませんでしたが、一通り泳げるくらいになり、その頃には喘息も出なくなっていました。
 中学生に上がる前にスイミングを辞め、中学では違う部活に入るつもりでしたが、初心者もいて緩そうだった水泳部に結局入部しました。先輩方も優しく、とても楽しい部活の日々を送りました。大会では、最下位でゴールするのなんて当たり前、自己記録更新(タイム)できればいいな~位のノリでしか大会に臨んでいませんでした。そんな活動を送っていた私ですが、予期せぬ事態が起きました。
 私は、個人種目のほかリレーメンバーの補欠選手に入っていました。県大会の出場をかけた大会の日、私は個人種目でその前の大会ですでに予選落ちしていたので、リレーメンバーの補欠として気楽に応援だけしに行っていました。リレーメンバーの順位は6位、県大会に行けるのは上位3校と他校が出場辞退しても、繰り上がりで行くのは厳しいところでした。辞退校の発表があり、繰り上がっていく順位...期待が膨らみ、私はこれまで頑張ってきた選手達が県大会に出場できるように必死に祈っていました。そして、ついに、4校の辞退が発表され、私達の学校が繰り上がりで県大会の出場が決まったんです!!
そして、県大会当日、その日もリレーの補欠として大会に同行しました。初めての県大会の場に、出場するわけではありませんでしたが、気楽に楽しく観戦できると思いワクワクしていました。ですが、出発時刻になってもメンバーの1人が来ませんでした。電話をかけにいった先生が戻ってきて、「具合が悪いみたいで来れないらしいから、補欠の◯◯が代わりに出てね」と私に向けて言ってきたんです。
えぇ、もう、絶望しましたよ(笑)
補欠なんて、名ばかりで気楽だな~なんて思ってたのに、県大会出場の予選にすら出れない実力なのに、選手との時間差20秒もあるのに....
なぜここで補欠が発動されるんだ?!?!
とにかく、他の選手に申し訳ないし、大会にも出たくないしで、とにかくパニックになりそうでした。ひたすらメンバーの子に謝ってたなぁ(笑)
結果は最下位でしたが、こうやって振り返ってみれば、形はどうであれ、出れるはずのない県大会に出れたことは奇跡だったなと思っています(笑)
水泳をやっていたことで、喘息も軽減したと思うし、出れるはずのない県大会にも出れたので、ある意味奇跡だと思いました。
25歳 女性のストーリー
今から13年ほど前、中学生の頃に近所のお祭りに友達数人と遊びに行ったときの話です。

私たちはお祭り会場の入り口付近で立ち止まって、おしゃべりに夢中になっていました。
特に注意を受けたり嫌な目で見られたりといったこともなく、30分程度その場所にいましたが、私はふと「あっちに移動しよう」と口にしました。
突然の提案にも関わらず、友人たちも「そうだね」と受け入れてくれて、私たちは自転車を置いて数メートル離れたところに移動しました。
そこでも話は絶えることなく、またおしゃべりに夢中になっていました。

数分後、後ろから大きな音が聞こえました。
会場の向かいにある建物の駐車場からお祭り会場に向かって、猛スピードで車が突っ込んだようでした。(ブレーキとアクセルを踏み間違えたそうです。)
そして振り返った私たちはぞっとしました。
車が突っ込んでいたのは、つい数分前まで自分達がかたまっておしゃべりしていた場所だったからです。

あのとき「移動しよう」と言っていなかったら、友人たちがそれを受け入れてくれなかったら、私たちは事故に巻き込まれ、命を落としていたかもしれません。
幸いこの事故に巻き込まれた人はおらず、運転手の女性も軽いけがで済みました。

わたしの自転車は事故の衝撃でひしゃげてしまいましたが、なにかしらの奇跡がわたしの直感に働きかけてくれたのかもしれません。

「家族に一番感謝したこと」

39歳 男性のストーリー
私は中学生の時に病気の癲癇になりました。
大学時代に、発作をおこして、自転車で交通事故にあいました。
そのために、手術することになりました。
両親は看護婦とサラリーマンでしたが、看護婦の母が会社を
休んで2か月つきっきりで神奈川の病院にきてくれて
看病してくれました。
私は徳島出身でしたので母の苦労は大変だったと思います。
また、兄弟の真ん中で長男、長女も大学にかようことになり
金銭面での負担も大きかったと思います。
それでも決断してくれたのはとてもありがたかったと思います。
手術後、もう15年以上経過しましたが、発作もなく普通の会社に入り、普通に生活できているのは
そのときに決断してくれた、支えてくれた家族のおかげだと
今では思っています。

「私の変えたい過去」

18歳 男性のストーリー
私は現在高校三年生です。中学校では勉強をさぼってしまいあまり偏差値が高くない高校に入学しました。
高校入学後は留年などのことも考えたくさん勉強をしてきました。しかし、中学生の内に基礎ができていなかったため勉強に限界がありました。校内ではテストや評定平均は常に上位を保っていましたが上にも書いた通りあまり頭の良い学校ではなかったので他の高校とで比較すると頭の良さは普通ほどでした。
高校生活自体はとても充実していましたが進学は就職のことを考えるともっと早いうちに勉強を熱心に取り組むべきだと後悔しています。
なんとか勉強を頑張り医療関係の学校に進学が決定しましたが、中学生の頃からもっと勉強していれば自分の将来がもっと広がったのではないかととても後悔をしています。
これが私の変えたい過去の話です。
26歳 女性のストーリー
それは私が中学生の時のことでした。

背の小さかった私は整列をするたびに一番前で
それはそれは悔しい思いをしていました。
そんな私が体育祭の行進の練習で、とある
お願いを先生からされました。

それは退場し終えたら「回れ右」とクラス
全体に声をかけてというものでした。

私が一番後ろだったので任命されたのでしょう。

しかし身長だけでなく気も小さかった私は
私の声でみんなが動いてくれるのかなと、
とても心配をしていました。

しかし、そんな心配は杞憂に終わりました。

そして帰った後、お風呂で母親に先生に
任されたんだよ、と自慢げに話していました。

その後の練習でも、何の失敗もなく
体育祭当日を迎えることになったのですが、
当日、私は大勢の前で緊張をしていました。

「人前で大きな声を出すなんて…」

私の緊張は最高潮でした。
そして行進での退場をし終えて
私がクラス全員に放った一言

「右向け右」

練習があったのでみんなが間違えることは
無かったのですがとても恥ずかしかったです。

あれから10年以上たった今でも思い出すと
穴があれば入りたいほど恥ずかしいです。
変えられるなら変えたい過去でした

「一番ひどい友達からの裏切り」

31歳 女性のストーリー
中学生の時に同じ学校の同級生を好きになりました。その人は陸上部でとても足が早く、私は毎日教室からグラウンドをみて、彼にドキドキしていました。そんな私をみて、周りの友達たちも応援してくれて、毎日「今日あいつ遅刻してきたよ」とか「今あいつトイレ行ったからチャンスだから話しかけてきなー」など情報やアドバイスを教えてくれました。

そんな毎日を過ごしていて、とうとう私は自分の気持ちに我慢が出来なくなりました。いつも1番に応援してくれていた友達に「私明日告白してくるわ」と宣言して、次の日放課後彼を呼び出し、思いの丈を伝えました。すると彼から「ごめん。昨日からお前の友達に告白されて付き合うことになったんだ」と言われたんです。その友達が告白を宣言して、毎日1番に応援してくれていた子だったのです。ショック過ぎて、その子にどうしてそうなったのか聞くことも出来す、今も友情は続いています。
61歳 女性のストーリー
私が中学生2年生の時のことです。私は、まじめで口数が少なく、目立たない女の子でした。そういう子はいじめられやすいですよね。私の場合はひどいいじめではなかったけれど、友達に適当に扱われ、うらぎられました。
私は、活発なAさんと小学生の時から友達でした。おしゃべりなAさんは、話を聞いてもらえる私を重宝にしていたし、私も楽しかったです。そのAさんが学級委員に他の子から推薦されたのです。Aさんは面倒な仕事をしたくなかったので、私を推薦したと思いましたが、引き受けました。しかし、隣のクラスの子がうるさいから注意してこいとか、学級会の進行が悪いとか、いいアイディアを出せとか、無理難題を押しつけ、困る私を面白がるようになりました。そして、数か月後に、Aさんは、学級委員が無能なので、私がやりますと言い出したのです。私は悲しかったけれど、やめたいと言い、交代しました。Aさんは自分の有能さを示すためにしてきたことだったのです。私は裏切りに気付き、そっと離れてますます目立たない中学校生活を送りました。
22歳 女性のストーリー
私には中学生の時周りからも、双子?と言われるくらい似ているとても仲の良い友達Aちゃんがいました。
休憩時間一緒に遊んだり、放課後遊んだり、休みの日に遊んだり、秘密を教えあったりしました。
そんな中、Aちゃんをあまりよく思わない他の友達が悪口を言ったり、してもないことを噂話したりしてるのをみて私はそんなことしてないよ!とAちゃんを庇い助けました。
噂話もなくなったころ、今度は私の悪口、噂話が出てくるようになりました。
私はほっとけばいいや、Aちゃんもいるし!って思っていたのですが、なんとAちゃんは休憩時間も悪口を言ってる友達の方にいき、私が話しかけても軽く無視しました。
授業内のグループ分けもいつも一緒だったのに、悪口を言ってる友達とグループになったりしてました。
私は助けてあげたのに、なんで?ととっても疑問でした。
その後は私は他の友達のグループに入れてもらい仲良くさせてもらいました。
この話が一番ひどい友達からの裏切りでした。
20歳 女性のストーリー
中学入学してすぐ友達になったAちゃん。
家も近く部活も一緒で毎日遊んで、毎週泊まって
高校が離れてもバイト先は一緒で週2回は必ず会うくらいでお互い隠し事がないくらい仲良しでした。
私は14歳の時に好きな人ができました。
中学生からしたらだいぶ年上だったので、Aちゃんにも相談できず高校入学するまでずっと黙ってました。
高校に入ってから、実はずっと好きな人がいると打ち明け、その時はAちゃんも応援するよと色々話を聞いてくれてました。
ですが、私は高校卒業しても好きな人との進展はないままでAちゃんは卒業してすぐ結婚して子供も産まれました。
それでも変わらず頻繁にAちゃんと遊んでは恋バナしてました。
好きになってから7年目、あまりに進展がないからかAちゃんが協力するから好きな人の連絡先を教えてとなり、その日からAちゃんは変わり始めました。
好きな人とはお兄ちゃんと妹みたいな関係な私達だったけど、毎日昼休憩と夕方には電話してメールしてだったのが、Aちゃんと連絡とるようになってから3日に1回に変わりました。
Aちゃんと遊んでる時にも、Aちゃんは私の好きな人と私そっちのけで電話したりメールしたりしてて、でもそれは私に協力してくれてるんだって思ってました。
それから半年くらいしてAちゃんは離婚しました。
離婚してすぐ、SNSでAちゃんと私の好きだった人が結婚したのをしりました。
後からわかった事ですが、連絡先を交換してから頻繁に会ったりして、私の好きな人を取ったんだと周りに自慢げに話をしてたことを知って、とてもショックでした。
それでも、今も、Aちゃんと好きだった人とは仲良くしてます。
36歳 女性のストーリー
私が中学生の頃の話です。中学2年の当時、初めての彼氏がいました。しかし4か月もしないで別れてしまいました。理由は「お前のことが好きかどうかわからなくなった」という彼側の理由でした。私も愛するまではいかないにしろ、好きは好きだったので、フラれて結構落ち込んで、同じグループの友達に慰めてもらったり、元気づけてもらったりしていました。しかも、その時の席が私の友達Aが私の斜め後ろ、彼(当時すでに元カレ)が私の後という席でしたので、Aには話を色々聞いてもらってかなり助けられていました。
そんな傷もすっかり癒え、中学の卒業式。友達がだんだん帰っていく中、同じグループですがAとは別の友人Bから「黙っているのが苦しくて。実は…」と話がありました。Aはグループの中でもBと一番仲が良く、色々話していたそうです。元カレとAがほぼ付き合っていた状態だったと。Aには好きな人がいて、付き合うまではいかなかったようですが、私と元カレが付き合っていたころから、Aと元カレは毎日電話をして、付き合いたいね的なことを言っていたとか。それからAとは面白いくらいに会う機会がないのですが、もう過去のこととはいえちょっと切なくなります。
23歳 女性のストーリー
中学生の時に好きな先生がいました。妻子持ちで外見もお世辞にもかっこいいと言える人ではなく、生徒からは嫌われている先生でした。
私は中学校卒業と同時にその先生へ手紙を出し、見事、返事とその先生のメールアドレスをもらいました。
好きな人とのメールのやりとりはとても慎重になるもので、友達に相談しながらメールを打っていたのを覚えています。
今回はその友達の話です。
その友達とは小学校からの仲ですが、中学校に上がると同時にいじめが勃発し、私はその友達と仲良くしているからという理由で自分もいじめに合う中でも、その友達のそばにいました。
高校に上がるといじめをするような人ともおさらばでき、友達も他の中学校から来た子たちに話しかけたりしていました。
事件が起こったのはそんな時でした。
その友達は、他の子と友達になりたいけど話すことが何もないと思ったのか、私の中学の先生への片思いとメールのやり取りについて話し始めたのです。
中学は他校であれど同じ市内なので異動で赴任していた時期もあり、もちろん他の中学校の生徒もその先生のことを嫌っていました。
そんな状況の中、絶対に誰にも言わないで。〇〇ちゃんしか頼れないから。と言っておいたにも関わらず、その友達は私利私欲のために私を売ったのです。
人生が終わったと思いました。これから3年間の高校生活を指を刺されながら、笑われながら生きていくのかとおもいました。それと同時に、この友達がいじめられる理由はどれだけ隠してもこういうところが滲み出てるからなんだなぁということも思いました。
しかし現実は、少しばかり噂になり、変人扱いを受けたものの、目立った被害もなく、他の友達と高校で好きになった先生のおかげで楽しい高校生活を送ることができました。
それでも、あの時私を見世物にした友達は許せず、高校卒業へ向かって徐々に疎遠になっていきました。
33歳 女性のストーリー
小学校からの幼なじみで、1番の親友。
中学生になってから、私への執着が始まり、リストカットや、自殺未遂をするように。私は、彼女から逃げたかったのもあり、高校生になって、留学を考えるようになった。少し、距離を置けば、きっと執着心は、なくなると思ったから。
高校を卒業して、私はニューヨークへ語学留学した。最初のうちは、毎日メールと電話のやりとりがあったが、それも少しずつ減っていき、一年後には、一ヶ月に一回程度連絡を取る仲になって、私は、ほっとしていた。良い関係が築けていると思っていた。
ある日、母からの突然の電話。彼女が、事故で亡くなったと。信じる事ができなかった。
次の日のフライトで、私は日本へ帰った。司法解剖があった為、その二日後が葬式だった。
事故の原因を聞くと、彼女は、周りに内緒で、デリヘルの仕事をしていた。その派遣先へ向かう途中の高速道路で、タイヤがパンクし、車が転倒し、即死だったらしい。
彼女は、親友だと思っていたけど、私に嘘ばかりついていたようだ。
彼女の死も、彼女の嘘も、全てが裏切られたように感じました。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

31歳 女性のストーリー
私が女に生まれて良かったと思う瞬間はメイクをしている時です。
もともと目がきつく見えるすっぴんが大嫌いだった私ですが、中学生ころから化粧をし始め、ナチュラルメイクからギャルメイクまでいろいろな種類のメイクができるようになり、今はTPOやその時なりたいイメージに合わせて自分の顔が変わっていくのがとても楽しく嬉しく思います。
自分の理想に少しずつ近づいていけると、自信も出てきます。

それに男性は常にすっぴんで勝負しなければならないので、もしも自分が男だったらと思うとほんとにぞっとします。

やはり自分に自信がなくても、メイクをすると理想の自分に近づけ自信が持てるという点は女性に生まれたメリットだと思います。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

35歳 男性のストーリー
私が小さい頃、毎年お盆休みになると家族全員で福島県に住んでいる母方の祖父母の家に遊びに行っていました。
自然豊かな地域に祖父母の家があり、祖母は畑で採れた野菜や果物をたくさん食べさせてくれました。トウモロコシ、スイカ、梨など、その場で採れたてを食べるとこんなに美味しいのかと感動したものです。
祖父はトンボやカブトムシ、ザリガニ等をとりに連れていってくれました。大きなくぬぎの木を蹴飛ばして耳をすませると、ボトッと虫が落ちるという子どもにもできるやり方で日が暮れるまで虫とりをしていました。でもやっぱり祖父が勧めてくれる木以外では、あまりとれなかった記憶があり、祖父は虫とり名人だと憧れたものです。
祖父は私が中学生になる前に亡くなり、社会人になってからは祖母に会いに行く機会もなくなってしまいました。
仕事が落ち着いたら会いに行く機会を作りたいと思います。
28歳 女性のストーリー
中学生の時の修学旅行のお土産に、ミッキーとミニーのキーホルダーを買ったんですが、このお土産に祖父母がわたしの想像をこえる喜び方をしてくれ、いつかふたりをディズニーランドへ連れて行ってあげたいなと思いました。
しかし祖父はうつ病になり外出のできない日が増え、少し元気になったかなと思ったらアルツハイマー性の認知症だと診断され、また心筋梗塞になってからは急激に見た目も変わってしまい、祖母が老老介護で頑張るだけの毎日になってしまいました。ディズニーランドへ連れて行ってあげることはできまさんでしたが、
祖父は病室で息を引き取るまでずっと目を開けて祖母を見つめていたとききました。祖父の死後、祖母も足腰が悪くなり、ディズニーランドには連れて行けそうにないですが、祖母とお土産のミッキーとミニーを連れてどこかへ連れて行ってあげたいなと思っています。
41歳 女性のストーリー
私は、中学生の時に側彎症になり成人までの治療が必要と判断されました。月に一回受診があったのですが、母は拒否的で一緒に着いてきてくれなかってのですが、祖母は必ず着いてきてくれて、医師の話もしっかり聞いてくれました。
また、私が治療で辛い思いをしていてら長い時間がかかってもずっと話を聞いてくれて、一緒に泣いてくれることもありました。私の体の事でいじめに合ったときも学校に行って医師と話をして状況を話してくれて、いじめが起こることがおかしいことを伝えてくれました。
治療上、食事が取れないことも度々ありましたが、食べやすい食事を作ってくれて栄養バランスが崩れないようにかんがえてくれていました。お陰で痩せ細る事なく成長することが出来ました。
祖母に大感謝しています。
23歳 女性のストーリー
おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出は私が小さい時は、両親が共働きだったのでいつもおじいちゃん、おばあちゃんに面倒を見てもらっていました。
2人ともとても優しいので、私は大好きです。
小学生の時はデパートや動物園、バーベキュー、ボウリングなどたくさんの場所に連れて行って貰いました。中学生になると、休みの日にお買い物やおばあちゃんの家に遊びに行き家族皆んなで美味しいご飯を食べたりしました。旅行には半年に一回連れて行ってもらって、おじいちゃん、おばあちゃんには今まで色んな事で助けて貰いました。
成人して働き出した今、会うのは一年に一度になってしまい昔の事を思い出して悲しくなります。
これからは私が恩返しする番だと思います。

「自分は特別だと思った瞬間」

33歳 男性のストーリー
私は小中と学生時代は人気者で同じ学校だけでなく、他校にもその人気が広まるほどの人気者でした。生徒会長や実行委員長などありとあらゆる事に対して、リーダーシップを取ってきました。その部分が評価され、内心評価が高く、高校受験はある程度の勉強で合格することができ、その時に特別だと感じました。更に高校に進学すると部には所属せずにバンド活動に明け暮れていました。高校時代はまだ中学生の人気が続いている事もあり、ライブをすればたくさんのお客さんが集まって、大盛り上がりでした。その時にもやっぱり自分は特別だ。と自信ばかりが増えていました。今、思えばその頃からです。他の人気者がたくさんいてる事実を知り、それを認めたくない気持ちが空回りし、音楽性を独特なものに変更していき、余計にお客さんは寄り付かず、しまいにはバンドメンバーまで居なくなる始末。その自分は特別だ。を思いつづけ26歳で特別ではなかったとあきらめ、就職しました。今は一般職平社員です。

「結婚っていいなと思った瞬間」

43歳 男性のストーリー
新婚旅行でいったメキシコのカンクンが忘れられず、いつかもう一度行くと夫婦でずっと思っていました。子供たちも3人小学生、長男は来年中学生のこの時期が、家族で行くには一番のチャンスと意気込んで、大金をはたいていざ新婚旅行でいった思い出のカンクンに。もちろん、行きたかった場所、思い出の場所に行き、いい家族旅行だったはずが、自分の二度の不注意で台無しに。財布なくなり、携帯壊れ。。。
さすがに財布をなくし、携帯を壊したダブルショックから精神的にはかなり参ってしまい、放心状態に。子供たちからも責められ、自分の情けなさ、だらしなさ、甘さを身をもって知ったことで、落ち込みました。念願の2回目のカンクン旅行は一気に冷めたものに。これまで撮ってきた写真も入っていたことから思い出まで消してしまったと。流石の落ち込みように、子供たちから責められるパパをかばったのは妻でした。一番落ち込んでるのはパパなんだから、もういわないのと子供たちを一喝。このときばかりは妻の人間性にほんとに感謝、そしていつまでもふさぎこんでもしかたない、せっかくの機会、まだまだ楽しまないとと前向きになれました。いろいろありましたが、念願の世界遺産チチェンイッツァは、最高の家族の思い出の場所になりました。

「独身っていいなと思った瞬間」

39歳 女性のストーリー
子供はかわいいが、毎日朝起きて朝ごはんや洗濯から始まり、子供の支度や自分の仕事に掃除に夕飯にお風呂に片づけにとバタバタしてほっとする時間もなく日々眠りにつく。
休みの日には、普段足りていない掃除を細かくやると休みもあっという間。
そんな時に独身の友達のLINEのアイコンがゴルフをプレイ中の姿に変わっていたり、旅行にいったであろうアイコンに変わっていたりすると、週7日間使って何とか仕事と家事を保てている自分も今独身だったら…と思う。
そこに追い打ちをかけるように、高校生や中学生の子供が休みのたびにすきなように過ごし、一番下の子も自由にしていたり…と、独身なら多少の汚れも目をつむって、好きなことに時間を使えるのにと思います。

「一番の苦労話」

21歳 男性のストーリー
私の一番の苦労話はいじめから引きこもりと社会復帰です。              
中学生の時にひどいいじめにあい、家に引きこもっていました、学校の先生にも相談したりしていましたが常に両成敗または加害者を庇うようなことばっかりで話になりませんでした。そして完全に引きこもり中学校に全くいかないようになりました。
勉強は塾に通ってしていたので高校に通うことはできたのですがクラスは引きこもり支援のところでした。その時にカウンセリングに通い始めて時間をかけて外に出ること、人との会話などを最近ようやくまともにできるようなりましたが、仕事、バイトになると恐怖感がでて1日でやめるしまい大変でした。今は在宅の仕事で何とかやっていいけている状況です。

「そういえば昔夢見ていたこと」

36歳 男性のストーリー
僕は子供の頃からサッカーをしていました。中学生の頃は市の選抜に選ばれたり、少しは自分のサッカーの技術には自身を持っていました。高校は強豪高に進学して、その後はプロになりたいなんて夢を見ていました。
月並みですが、プロになってお金を稼いだら、家族に家や車をプレゼントしてあげようとか考えていました。
しかし、中学2年の頃ケガをしてしまい、サッカーから距離を置く期間がありました。あんなに熱心に取り組んでいたサッカーなのに、その頃から少しずつサッカーに対する情熱が失われてきていることに気がつきました。ケガが治っても部活にも顔をあまり出さなくてなり、たまに部活に出ても思ったようにプレイできなくなりました。周りの人達も、「前は上手かったのに、今はダメだな」なんて言ってたのを人伝てに聞きました。
それで、サッカーを辞めてしまいました。あのまま、もしサッカーを続けていたらどうなっていたのか、時々考えることが今でもあります。
45歳 女性のストーリー
小学校低学年の時中森明菜さんに憧れて歌手になりたいと思った。ヤマハ音楽教室に通い、音感は悪くなかったものの声の出し方がわからず大きな声は全く出せなかった。合唱部の主将だった母にもピアノで伴奏することばかりを求められ、必ず歌がうまくなってやると決心した。中学生になりバンドブームが押し寄せると毎日バンドの曲を大声で歌う日々が続いた。しかし全く感情は乗っていなかったし、ただ音をなぞるような歌だった。大学生になってボーカルスクールに通い始めても、バンドを組んで活動し始めても音程ばかりにこだわる歌い方は変わらなかった。社会人となったある日、プロのバンドマンのマスターが経営するスナックでマスターのソウルフルな歌声を聴いて衝撃を受けた。この人との間には越えられない壁があると思いながらも何度も一緒に歌っていただくうち、少しずつお客様との呼吸や感情の入れ方がわかっていった。今はバンドのボーカルとして、あのころの夢とは違う形だがずっと歌い続けている。

「異性は知らないなと思う話」

19歳 男性のストーリー
中学生、高校生の頃のお話しです。少しアダルトな内容が入るかもしれませんがご了承願いたいです。
男子はよく女子の話をしています。しかもその内容はほぼほぼ卑猥な内容の話題になります。年頃の男子だからしょうがないのかもしれませんが、どんな内容かというと「以外とあいつってあるよな(胸が)」や、「かわいいけど男連れ回してヤってそう」などというような内容の話です。これは異性は知らないのではないかと思います。
もう一つも少々卑猥な話になってしまうのですが、男子学生の自慰行為率が以上に高いという話題です。女子に男子がどれだけ1人でするのか知らないの?と聞いてみていた(中学生の頃)ところ全く知らない、きょとんとしていたのでこれも異性が知らないことに該当する話ではないかと思います。
23歳 女性のストーリー
私は中学生の時から現在までずっと女子校なのですが、今回は男性の皆さんが知らないであろう女子校について書きたいと思います。
まず女子校の良いところは自分の趣味を共学よりもオープンにできるところです。
女子校ではイケメン俳優、ジャニーズ、LDH、48.46系、ハロプロ、2.5次元、アニメ、漫画など様々なジャンルを好きな人全て趣味をオープンにしています。
共学の友達に聞くとアニメの趣味を隠しているなどと言っていたのでそういう面で女子高で良かったなーと思います。
次にこれも趣味の話とかぶってしまうのですが、好きな芸能人などと本気で結婚や恋愛ができると思い込む人が非常に多いです。
恋愛経験がない人も多くいますので、ドラマや漫画のような恋愛を芸能人とできると本気で思っています。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
自分は特別だと思った瞬間
独身っていいなと思った瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
こんなひといました
人が豹変した話
これまでに出会った天才
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
わたしの周りで大変身した人
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りの大恋愛
わたしの周りで一番勉強ができた人
あの人と縁を切ってよかった
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
ノウハウ
業界ならではの話
○○の裏話
異性は知らないなと思う話
人間関係
女同士って面倒くさいと思った話
一番ひどい友達からの裏切り
家族に一番感謝したこと
女って本当に恐いと思った瞬間
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
どうしても許せないこと
とっておきのすべらない話
人生で一番運が良かったなと思う出来事
人を見返してやった話
忘れられない夏休み
死ぬかと思った話
お金さえあればと感じた瞬間
奇跡だと思った話
忘れられない夏の思い出
人生で一番贅沢した話
これまでに一番勇気を出した瞬間
一番の苦労話
修学旅行の思い出
人生最大の修羅場
忘れられない先生の話
人生最大の失恋話
今までで一番感動した話
これはひどいなと思った結婚式
学校や仕事をサボってやったこと
今までで体験した一番怖い体験
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
一番おいしかった食べ物
嘘みたいなほんとの話
これまでで一番お金を無駄にした話
これまでで一番笑った話
これまでで一番悲しかった時
これまでで一番驚いた話
私について
もっとも尊敬する人
人生が変わった出来事
仕事での大失敗
そういえば昔夢見ていたこと
誰にも言っていない秘密
わたしの初恋と、その結末
私の変えたい過去
誰かに聞いてもらいたい愚痴
わたしがやめられないもの
苦手だったのに得意になったエピソード
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間