"県" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

46歳 女性のストーリー
私の自宅は神奈川県某所にあり、自然豊かなのどかな地域で、近所の方とも仲良く暮らしています。
少し歩いたところにURの団地があり、そこの中の公園で子供を遊ばせることも多く、近所のママ友との交流の場になっていました。

今から数年前、作業服を着た30代くらいであろう男性が仕事帰りに公園にいる私達に挨拶をしてくれるようになり、徐々に会話をするようになり、そのうち公園で遊ぶ子供たちとも話をしてくれるようになり、「とても感じが良い方だね」とママ友たちと話していました。
ある日の昼間には仕事が急に休みになったからと、子供たちと遊んでくれたこともありました。
知らない男性ですし普段ならば警戒するのですが、いつも公園の周りを管理人さんが掃除しながら様子を見てくれていた為、私達はなんの疑念も抱かず子供たちと遊ぶ男性を微笑ましく見ていました。

しかしある日の夜遅くに、私服の警察官数名が訪ねて来て驚愕の事実を知らされました。
あの男性は世の中を震撼させた事件の犯人少年Aだったのです。
警察官に色々聞かれましたがその時の記憶がほとんど無く、ただ恐怖で震えていたように思います。

そのことはすぐに噂となり、男性はいつの間にか姿を消しました。

このような話を書くことを躊躇いましたが、今でも何処かで暮らしているであろう少年Aの存在は、罪を償っても変わらずに、私達には恐怖の対象でしかないということと、普通に暮らしていても凶悪犯と接点を持ててしまう現実に違和感を感じた為、書かせて頂きました。

これが私が今までで体験した一番怖い体験です。
ありがとうございました。


「わたしの周りで一番勉強ができた人」

49歳 女性のストーリー
小学6年生の時のクラスメイトの男子です。
当時、成績は5段階評価だったと思うのですが、オール5の成績で学年でもトップにいた男子です。
卒業文集に、将来は政治家になると書いていました。
これだけだと、たんにガリ勉みたいなイメージを持つと思いますが、スポーツ万能な上、クラスメイトの女子だけではなく、他のクラスの女子達からも物凄くモテてました。
本人は、自分が勉強が出来ると言う事を鼻にかける様な人ではなく、目が合えば誰とでもニコニコと話す人だったのでモテて当然です。
私は中学を受験して中高女子校に入ったのですが、偶然、通学途中の電車内で会いました。
当然、その男子は当時、県で1番と言われていた高校に入っていました。

「これまでで一番驚いた話」

21歳 女性のストーリー
子供が熱を出した日のこと。咳がひどく水も飲めない状態だっため夜間救急の電話をかけたら、その日の対応の病院を紹介された。
念の為サイトを確認したら小児科医も常駐、とのこと。
安心して病院に電話をかけたら衝撃の一言を言われた。
『ただいま内科医しかおりませんのでそれでも宜しければ』
それでも宜しければ?小児科医が居ないことも問題だが、内科医なのにみれるのだろうか?
それを聞いても同じ返答が返ってくるのみ。
見れるか見れないのか!強く聞いても『みれなくはないですけど、、お子さんそんな酷いんですか??』と。
このような夜間対応が進んでない県だとは思わず頭を抱えた。
そしてこんな病院があるのか、とも驚いた。
サイトに嘘を書くのもどうなと思った

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

39歳 男性のストーリー
正確な年齢は覚えていないのですが、おそらく40代後半の方です。
その方は結婚をされていて、まだお子さんはいらっしゃいませんでした。
数年前に自宅で飲み会をしようと呼ばれた事があり、行かせてもらいました。
少し仕事で時間の余裕が出来ると、海外や国内の旅行に行った話は聞いていたので、もしかしたら家も相当なモノなのかな?っと思っていました。
予想通りマンションの最上階ワンフロア全てが自宅で屋上つき。
その屋上もかなりの大人数でBBQができそうな程の大きさでした。
少し広めの庭なイメージです。
室内も仕切りが少なく、解放的な作りで、何畳あるの?ってぐらいの部屋です。
リゾートホテルみたいなお洒落な作りでした。
部屋内にある家具も拘りを持っていて、ソファ・ベットも値段は聞いていないのですが、相当気持ちよかったです。
仕事が車関係の方だったので、駐車場に止まっている車も高級車がズラリ3台!気分によって使い分けているみたいです。
よく奥さんと2人でドライブに行かれていて、日帰りで近隣の県に食べ歩きをされていました。
美味しいものを食べる事が趣味と仰っていました。
その度にお土産を頂いていましたが、ただただ羨ましい限りです。
46歳 女性のストーリー
職場の同僚が結婚したおじさんが一番のお金持ちだと思う。
仕事は飲食店を何軒か持っている社長さん。
普段はぱっとしないおじさんだが彼女と付き合っていたときに誕生日プレゼントに車を買ってくれた。
しかもクラウンで新車、わりといいクラスだった。
その他にも三連休などちょっとした連休では韓国や台湾などの近場の海外にお出かけする。
夏休みやゴールデンウィークなど長期の休みはハワイなど。
海外旅行だけで年に10回近くは行っていると思う。
結婚式はもちろんハワイでコテージを借りきって招待客もたくさん招いた様子。
あげくのはてには生まれたこどもはインターナショナルスクールに通わせている。
私たちの県は田舎なので隣の県まで新幹線通学させている。
自分にはあまりお金をかけないが請われるとどんどん出費するおじさんが一番お金持ちです。

「これまでで一番お金を無駄にした話」

30歳 女性のストーリー
その当時付き合っていた彼氏とのルールは、「お金が貯められる方が貯める」でした。
お互い遠距離恋愛だったため、月に1~2回どちらかがどちらかの県に5日ほど遊びに行くのが暗黙の了解だったのです。
最初はお互い1ヶ月おきに行き来していました。しかし段々と彼は遠くへ遊びにくることに億劫になっていき、私の方も中々お金が貯められない性分だったこともあり、9割型私が彼に会いに行く形になっていました。
ですがそれに合わせてルールも改定され、
私の交通費を折半した金額を、彼がお互いの将来のお金として定期預金で貯めてくれるということで合意していました。

けれど、3年経ったある日。
彼に裏切り行為があったことが発覚。その後なんとか許そうと努めたものの、2人の仲がギクシャクしてしまい、結局別れてしまいました。その際やはり問題に上がったのはお互いのお金を貯めた「定期預金」。
結果的に合計100万単位のお金が貯まっていたのですが、あまりにも未練タラタラな彼を遠ざけるために「お金は全部あげるから連絡してこないで」と大見栄を切ってしまいました・・・。今思えば、貰っておけば良かったです。とほほ。

「これまでに出会った天才」

36歳 女性のストーリー
ソフトボール部の、学年が1つ上の先輩です。
とても身体能力が高くスポーツは何でも出来て、性格もサバサバして男っぽく、みんなの憧れでした。
女からもモテて、他の中学校のソフトボールチームの女の子達が、試合のあとサインをもらいに来るほどでした。
彼女は守備も完璧で、バッティング力もすさまじく、どんな球でも打ちます。
牽制ボールでさえ身を乗り出して打ち、ホームランにしてしまう、そんな天才でした。
私がいじめられている時も助けてくれ、いじめていた子達を呼び出しシメてくれました。
そんな彼女は、ソフトボールの推薦で他の県の高校に進学し、それからは会わなくなりました。
そして何年か時が過ぎ、彼女は実は姓同一障害で、男になったと聞きました。
その頃はまだ姓同一障害は有名ではなく、彼女も苦しかっただろうと思います。
どうりで身体能力が高く、かっこ良かったはずだと、納得しました。
私の人生を大きく変えてくれた、大切な人です。

「わたしがやめられないもの」

48歳 男性のストーリー
私のやめられないものはラジオです。
普通に聴くのもそうですが、聴けない時は、radikoのアプリを使ってタイムフリー機能を使って聴いています。 特にFM横浜にはまっています。
朝9時から12時迄のLOVELYDAYでリポーターをやっている藤田優一君が好きです。神奈川県の至るところにリポートしています。たまに県外にもでてリポートする事もあります。はぁい藤田で~すがキャッチコピーで愛嬌のある方です。 番組中に3回リポートの時間があります。
また12時から15時迄Ene good for you がやります。これもリポーターがいて、穂積ユタカことホズミンといいます。スポーンをキャッチコピーに明るいトークが自慢です。 これも神奈川県をリポートしますし、たまに県外に出る事もあります。番組中に2回リポートがあります。
特に昼間用事がある時はradikoのタイムフリーで聴いています。

「もっとも尊敬する人」

23歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人物は中学校の担任の先生です。中学3年生まで同じ担任だったのですがそれまで私はすぐになんでも諦めてしまう事が多く飽き性が酷い性格でしたが
中学2年生の時にもうそろそろ高校受験の志望校を決める際にみんなはだいたい決まっていてその志望校の為の受験勉強や準備をしていましたが、私は全然決めておらずそん
な時に修学旅行でファームステイがあり農業体験が出来る内容でそこで私は初めて「農業」というものの素晴らしさと楽しさを知り、そこから私は県内で唯一の県立農業高校
を志望してそこから推薦入試を希望して担任と一緒に小論文と面接の訓練の日々で正直、人生で一番と言っていいほどかなりきつかったです。しかしそこで担任の先生から「
何事も絶対にあきらめないこと」の大切さを教えてもらい私はそれを心の教訓にして猛勉強をしました。そして半年以上勉強して私立の滑り止め高校にも受験し受かって、志
望校にも推薦で見事合格する事ができました。家族も友達もその担任の先生もとても喜んでいました。今現在でも担任の先生から説いてもらった「何事も絶対にあきらめない
こと」を自分の座右の銘にしています。担任の先生には今でも感謝しており私が人生で一番尊敬している人物です。
31歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人は中江藤樹さんです。
江戸時代の初期の頃に活躍なさった方で、近江の国(滋賀県)高島で生まれた方です。
下級武士だったため家族が貧しく、農業も営む両親の元に生まれますが、大洲(愛媛県)藩に出向いた祖父の付き人として高島から大洲に向かいます。
そこで、熱心に学問を学び後に陽明学者となります。
日本で唯一、聖人と呼ばれることでも有名です。正式には近江聖人といいます。
現代では、滋賀県の高島氏に中江藤樹記念館があり、当時中江藤樹さんが開いていた
寺小屋(日本の寺小屋の始まりを作ったとされています)の跡地を見学することもできます。中に入って当時の様子を伺うことも可能です。
中江藤樹さんの影響で後に活躍する熊沢蕃山の活躍にもつながります。


26歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは、お母さんです。私が産まれてすぐに離婚し、女手一つでお姉ちゃんと私を育ててくれました。夜の仕事をやっていたので、小さいときは「なんでママお仕事いっちゃうの?」と泣いて困らせていました。高校受験のときは、県立に受からないとお小遣い無しだからね!と言われていたので県立高校にいきました。私が高校生になると、家計も大変なはずなのにお小遣いを月に1万もくれました。部活もバイトもしていましたが、卒業したら働いて早くお母さんを楽にさせたいなと、ずっと思っていたので就活も頑張れ良い会社に入ることができました。今ではお母さんは再婚したので、今度は自分の幸せを優先してほしいです。これからもお母さんに親孝行していきたいとおもいます。

「わたしの初恋と、その結末」

39歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校3年生の時でした。相手はクラスの同級生で、いつも一緒に遊ぶグループの男の子でした。子どもでしたから、それまでは、好きな人といってもコロコロ変わったり、クラスに1番目から4番目に好きな人がいる状態でしたが、初めて1人の子を長く想うようになりました。彼は勉強こそ出来なかったけれど、運動神経は抜群で運動オンチな私はいつも助けられていました。バレンタインのチョコを初めて家族以外で渡したのも彼でした。学校には持ち込み禁止だったので、近くのスーパーに放課後呼び出しました。彼が来てくれるか、今の関係が壊れるんじゃないか、幼心にドキドキしたのを覚えています。無事に渡せて、関係も変わらず、ホワイトデーのお返し(確か、かわいい入れ物に入ったくまのクッキーだったと思います)ももらえました。大人のように付き合うもなにもなかったけれど、何気ない日々がすごく嬉しくて、毎日がとても楽しかったです。ですが、その1ヶ月後、私は親の転勤で引っ越すことになりました。そこで思っていたのはやはり彼のことです。子どもにとっては県をまたいでの移動なんて外国と同じですし、漫画やアニメのように手紙を出すなんて考えつきませんでした。こうして私の初恋は終わりました。最近、娘も大きくなり、あの頃の私の歳を越えて、好きな男の子が出来たのでこの話をしました。彼もどこかで私のことを覚えていてくれたら嬉しいな、と思います。
39歳 女性のストーリー
私の初恋は小学校3年生の時でした。相手はクラスの同級生で、いつも一緒に遊ぶグループの男の子でした。子どもでしたから、それまでは、好きな人といってもコロコロ変わったり、クラスに1番目から4番目に好きな人がいる状態でしたが、初めて1人の子を長く想うようになりました。彼は勉強こそ出来なかったけれど、運動神経は抜群で運動オンチな私はいつも助けられていました。バレンタインのチョコを初めて家族以外で渡したのも彼でした。学校には持ち込み禁止だったので、近くのスーパーに放課後呼び出しました。彼が来てくれるか、今の関係が壊れるんじゃないか、幼心にドキドキしたのを覚えています。無事に渡せて、関係も変わらず、ホワイトデーのお返し(確か、かわいい入れ物に入ったくまのクッキーだったと思います)ももらえました。大人のように付き合うもなにもなかったけれど、何気ない日々がすごく嬉しくて、毎日がとても楽しかったです。ですが、その1ヶ月後、私は親の転勤で引っ越すことになりました。そこで思っていたのはやはり彼のことです。子どもにとっては県をまたいでの移動なんて外国と同じですし、漫画やアニメのように手紙を出すなんて考えつきませんでした。こうして私の初恋は終わりました。最近、娘も大きくなり、あの頃の私の歳を越えて、好きな男の子が出来たのでこの話をしました。彼もどこかで私のことを覚えていてくれたら嬉しいな、と思います。

「死ぬかと思った話」

24歳 女性のストーリー
彼氏と他県のアウトレットに出かけた時の話
数回行ってことがあったが、毎回通って行く道は決まっておらずいろいろ試してみて行きやすい道、早く辿りつける道を探している模索段階でした。
その日もナビで3パターンくらいの行き方を提案され、前回とは違う道を選択しナビに従って運転してもらってました。
ちょうど県境を越える時、道が急に狭くなり周りは森が広がっているためUターンも出来ず、ただただ森を突き進むしか選択肢がないような状況になりました。道も舗装されているようでしたが、何年も誰も通ってないのではないかと思うほど、石や枝が散乱してました。
その日はたまたま普段より大きめのボックスカーに乗っていたため、道幅は狭く山を登るにしても曲がるにしても、とてもギリギリで少し傾いてしまったら隣の崖から転落するのではないかとヒヤヒヤしてました。
しかもその山道に終わりは全くみえず、1時間ほどここで私達は遭難して誰にも見つけてもらえず死んでしまうのだろうなと考えて進んでいました。
最後は無事に道が広がり、人が住んでいる場所にたどり着けて助かりました。
目的地にもたどり着けました。
しかしいくらナビに案内されてももう二度とあの道を通っては行きたくないと思ってます。
21歳 女性のストーリー
この話は2年前のことです。
地元での就職が嫌だった私は、高校を卒業して
2週間後くらいに、地元を離れて就職するために
愛知県にお引っ越ししました。
就職をして1ヶ月間は何もなかったのですが、
GW明けくらいに、お仕事が終わって帰宅しているところに事件は起きました。
私は飲食店で働いていたためその日の、
23時過ぎくらいにお仕事が終わり終電間際の
電車で最寄りの駅まで帰りました。
駅から歩いて徒歩3分くらいのところに
自宅がありました。
自宅まで歩いて帰り、ポストをあとにし
自宅の鍵をあけ入りドアをもう半分くらい閉めていた
その瞬間、ドアが「バッ!」って開き
知らない男性が自宅に入ってき、ドアを閉め
周りをきょろきょろした後、
「1人?1人だね」と言われ鍵を閉められました。
私は死ぬのかなっと一瞬思いましたが
ここで死んではいられないと思い
その方を追い出しました。
あの時は、本当に死ぬかと思い
すごく怖かったです。
56歳 女性のストーリー
8年前能古とです。東日本大震災。

忘れもいたしません。本当に津波を見て怖かった。

おかーさん今日私出掛けたくない。
娘の一言で私は救われた。

3月11日午後13時過ぎだった

私は娘がスチュワーデスになるために宮城県仙台の国際大学に見学に行くため気仙沼の南駅に切符を買いに行くはずだった。

税金の支払いもあるし、最初市役所にいってくるね。と私は娘にいった。

今日の空はおかーさん怖いよ。
長女の娘の可菜がいった。本当にいつもと違う空が悪魔のようにまるで、災害が起きるんじゃ。と言う予知も感じていました。

一生忘れることが出来なかった大地震。あなたは、山も家も飲み込んだ。

そして私たちの心もズタズタにした。
この恐ろしい怖さはなんだったんだろうか?

「わたしの周りの大恋愛」

28歳 男性のストーリー
友人の男性がある女性と学生の頃から数年付き合っていました。
社会人になる時同じ県の職場で働く予定でしたが
女性側の親族が病気となり、仕方なく女性は実家に戻り
友人とは離ればなれになりました。友人は彼女のことが忘れられずに
遠距離恋愛を続けましたが、少しでも大変な彼女の力になりたいと
かなり遠方でしたが転職し、彼女と一緒に暮らせるように転居していきました。
しかし転居後すぐに大地震が起こり、仕事も住む家も友人は失いました。
友人は遠方の地であったため知り合いもいるはずもなく、
彼女とその家族に逆にお世話になる形になり何とか急場を凌ぎました。
半年後、仕事も新たに見つけ、やっと新天地で改めて過ごせると思った矢先に
今度は彼女の浮気が発覚しました。
彼女に思い入れが強く、本当に大好きだった彼は失意を通り越して
心から絶望したそうです。
今では彼は地元に戻り幸せに暮らしていますが
恋愛に対する恐怖心や抵抗はかなりのものがあり
克復するのに数年費やしたそうです。

「忘れられない夏の思い出」

62歳 男性のストーリー
今から30年ほど前になりますが、当時は中学校の教師として働いていました。夏は、部活動の稼ぎ時でもあります。また、市郡の大会で県大会への出場権を得た場合や、それに続く中国大会・全国大会への出場権を得た時は、暑さの中でも活動をする必要があります。当時、私は野球部の顧問をしていましたので、一日外で練習をするという日もたくさんありました。暑さの中、意識がもうろうとするような場面があったことを思い出します。今のように熱中症への注意喚起もほとんどされていない時代です。生徒も自分も無事に活動できたことは奇跡とも言えます。今年も暑い夏が続いています。夏の高校野球も全国大会が始まります。関係される方が暑さの中で守られることを祈念します。
52歳 男性のストーリー
小学生の頃、夏休みに和歌山の方へ家族で、2、3泊でしたが、親に海に連れて行ってもらいました。電車とバスでの移動で、宿泊は民宿でした。場所は和歌山県日高町産湯の辺りでした。弟も含め、家族4人で毎年、その旅行が恒例でした。兄弟二人共、その当時は、泳ぎは得意な方ではなかったです。泳ぐことのほかに、堤防で釣りをしたりもしました。民宿なので、釣った魚は、お願いすると、夕食の一品になり、自分で釣った魚だけにとても美味しく感じたことを覚えています。炎天下の中、日陰で休憩を入れたりしましたが、夕方に民宿に戻り、お風呂に入ると、日焼けで、お湯をかけると、ひりひりとして、2、3泊後には腕のあちこちの皮膚がめくれている状態でした。民宿だけにとれたての魚料理が並び、サザエのつぼ焼きなども出て、非常においしかったです。父母も高齢になってしまいましたが、今では忘れられない思い出です。小学校の夏休みの宿題でどこかに行った思い出は毎年、その家族旅行でした。

「忘れられない先生の話」

62歳 男性のストーリー
それは、小学校の時の先生です。5年生と6年生の担任をしていただきました。一番心に残っているのは、クラスの全員で合唱練習をして、県民会館という大きな舞台で披露したことです。合唱部でもなく、特別な集団でもない、ふつうのクラスの児童が大きな舞台で歌うということは当時はあまりありませんでした。でも、その先生は「歌の力」をご存じだったと思います。「モズが枯れ木で啼いている」という歌詞で始まる反戦の歌は今も私の心の中にしっかりと残っています。また、この歌を一生にうたったクラスの仲間も、心の中でいつまでも忘れられない存在となっています。また、先生は、今でいう放課後学習を熱心にしてくださいました。終礼の時に問題をだして、それが解けたら帰ることができるというようにしてありました。必死で考えた記憶があります。今も覚えている問題は、速度の違う二台の車があって、一方が追い越される時間を求めるという問題です。数学的な考え方の楽しさを教えていただいた気がしています。感謝しています。

「人生で一番贅沢した話」

33歳 男性のストーリー
私は元々節約家で、農家である実家から送られてくる米と野菜で食生活のほとんどをまかなっております。
しかし、会社から臨時ボーナスが20万出たときに、意を決して贅沢をしようと試みました。
しかし、普段から贅沢を遠ざけて生活していたため、贅沢をしようにも何をどうすればいいのか思いつかないものです。
考えた末思いついたのは、いつも見てるだけだったスーパーの高級食材を食べ漁ることでした。
あの時の快感は今でも忘れません。
いつも訪れるスーパーでおいしそうなものは片っ端からカゴに入れていきました。
国産牛肉ステーキ(3980円)刺身の盛り合わせ(2480円)いくら醤油漬け(1980円)宮崎県産マンゴー(5980円)
特にマンゴーは驚くほどおいしくて、死ぬときに食べたいものはマンゴーにしようと、心から思いました。

「これまでの人生で悟ったこと」

31歳 男性のストーリー
ちょうど30歳のときですが、県をまたぐ引っ越しをしました。
仕事も私生活の拠点も変え、心機一転あらゆる環境が変わりました。
そして、自分の予想していなかったところも変化がありました。
それは、人間関係です。もちろん、引っ越したので、周囲の人が変わるのは当然なのですが、人のタイプが変わったのです。
引っ越し前は、普通のサラリーマンが100%近くいて、普通の暮らしを普通にしている方々が人間関係を構築していましたが、引っ越し後、バリエーションがかなり増えました。
サラリーマンは若干いますが、経営者、個人事業主、無職、フリーランス、旅人、占い師、スピリチュアル等、メディアで存在は知っていましたが、それが一気に目の前に現れました。
特にスピリチュアルな方々が多く、自然と私もその環境に身を置く機会が増えたのですが、そのせいか、人には個が実はなく、すべては一つがおおもとである、という価値観がとてもしっくりきています。

「学校や仕事をサボってやったこと」

33歳 男性のストーリー

 私は逃げ癖といいますか、とにかく面倒な物事があったら問題を放り投げてしまう癖があります。小学生から就職した後にも面倒なことから逃げだしてきた経験があります。
 中でも私が専門学生の頃のが酷かったです。そのころ病院で臨床実習を受けてましたが、連日連夜のレポート作成や、実習先のパワハラに近い言動等によって嫌になってしまい、朝に実習先からエスケープしました。県を超えて都内の方にだいたい2週間ほど滞在してました。滞在中は実習生活でできなかったこと、まあ遊びですが漫画喫茶を拠点としてひたすらパチンコに打ち込んでいました。パチンコで得たお金で美味しいものを食べ、浅草や秋葉原等に寄って、ちょっとした観光気分にも浸りました。
 帰るきっかけは両親が警察に相談したと連絡を受けた時、一度帰ることを決意しました。このエピソードが私の人生の中でサボった経験になると思います。
23歳 女性のストーリー
学生の時、通っていた学校の最寄り駅まで着いた途端行くのが嫌になり、そのまま電車で他県まで一人旅しました。誰も自分のことを見咎めず、気にされないというのは大変楽でしたね。最初に知らないカフェに入って、一日の計画を立てました(親にはサボったことは内緒だったので、あくまで学校へ行った体で帰ろうとしたので)結局午前中はだらだらとそのままカフェに居座り、午後に気になっていた映画を見て、そのまま帰りました。本当はショッピングも楽しみたかったのですが、物があると親にバレるかなと思ったからです。ドキドキしましたし、「学校から連絡が入っていて親にバレないかな」「怒られないかな」と帰宅してからもしばらく不安でしたが、なんのことはなく嘘を突き通しました。その後も度々サボることはありましたが、他県まで行って1人で時間を潰したのはあれっきりです。

「人が豹変した話」

43歳 男性のストーリー
自分の友人なのですが、つい最近も大きな話題なっておりますが、煽り運転の上暴行事件のニュースを見て思い出した事をお話したいと思います。
その友人とは当時非常に仲が良く普段はそんなに気性の激しいタイプではないのですが車に乗っていて周りの車から嫌な感じを受けた途端人が豹変してしまい何かのスイッチを押したかのように変わってしまいます。
タチが悪いのが変わった瞬間がわからないのです。見た感じは何も変化がありません。
ただ、対象車両に対しての攻撃が始まってしまいます。
こうなってしまうと誰のいう事も聞きません
では、実際どんな事をするかというと…
まずは煽り始めます。
そこから、執拗にどこまでも追いかけます。
(へたをすると、県をまたぐ事もあります。)
最後に降りて相手に詰め寄ります。
大体この一連の流れになります。
ただ、ちょっと笑ってしまうのは降りてからなんですが完全に頭に血が上っていると思いきや以外と冷静で相手の車を傷つけたりはしませんでした。理由は後から修理代の請求とかきてしまうのはイヤだったみたいです。
そこまで考えられるのならよせばいいのにと
思いますよね。
今、そんな事をしていたらすぐに有名人の仲間入り確定ですね。
もちろん悪い意味ですけど…。

「修学旅行の思い出」

18歳 女性のストーリー
高校の修学旅行で、長崎県のハウステンボスに行きました。ハウステンボスといえ一ば年中花が咲いていることで有名なので、楽しみにしていました。
4月に行ったので、さぞかし綺麗な春の花を見ることができるのだろうと思っていましたが、どこをみても花は咲いておらず、とても残念な気持ちになりました。
気持ちを切り替えて、テーマパークのアトラクションを楽しもうとしましたが、どれも私の興味を引くものはなく、また、楽しいな、と思うアトラクションがあっても、もう一度体験するには300円かかると知り、お金を花うならやらなくてもいいかな、と思うものばかりで、心の底から楽しいと思えるようなアトラクションはありませんでした。
ですが、ハウステンボスにはVRコーナーがあり、今話題のものだから、と一度やってみることにしたのですが、とても楽しかったです。まさかハウステンボスで体験できるとは知ず、最新の技術に触れることができてとても楽しかったです。
私は、夜景は好きではないため少しだけしかライトアップはみませんでしたが、とても手が込んでいるな、と思えるような素晴らしいものでした。
ハウステンボスでは、がっかりしたことも多かったものの、VRなどを楽しめたので、言ってよかったな、と思っています。
48歳 女性のストーリー
わたしは埼玉県に生まれて埼玉県の高校生を卒業しましたが、当時の修学旅行で和歌山~四国を回りました。
その時に不思議な体験をしました。

生まれも育ちも埼玉で、当時は埼玉か東京くらいしか行ったことのないわたしは、当然その場所も一度も訪れたことのない場所でした。
でも何故か住んでいた、あるいは訪れたことがあるといった不思議な既視感に襲われ、修学旅行中ずっとソワソワしていました。

何ともふわふわと落ち着かない気持ちで観光地を回っていて、そんな中、血の池地獄と言われている場所に行った時に、一瞬でしたが、頭の中に武士の戦場の様子が浮かび、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして、その場に倒れ込んでしまったのです。

すごく不思議な体験でした。

後日、母にそのことを伝えたところ、母親の先祖は和歌山のその四国辺り出身の武士だったそうです。

八代将軍徳川吉宗公の側付きの侍だったようで、同氏と一緒に江戸(東京)にやってきて~それから主が変わり~埼玉県の忍城へ~で、そのまま住み着いて子孫まで・・・。

ひょっとしたら、貴女は先祖の生まれ変わりかもね・・・・なんて笑いながら、母が話していました。
35歳 女性のストーリー
高校の修学旅行、沖縄へ行くはずでした。関東の海無し県民にとって海は憧れです。
しかしこの年、9.11が発生。その影響で、飛行機は危険とされ、行き先が変更になってしまいました。変更後の行き先は苦渋の決断、京都・奈良・大阪。あぁ、憧れの沖縄…。なぜ苦渋の決断かって?私の高校はキリスト教の教えをもつ高校だったのです。“いい機会だから、他の宗教も学んでくるといい”学校側はそんな風に言ってましたね…。
災難はまだ続きます。
初日、グループ行動の日。私は先生とのやりとりをする、グループの連絡係でした。制服の胸ポケットにケイタイを入れたまま、トイレに行ったんです。用を足して水を流す。“ボトッ。”何が起きたかすぐには分かりませんでした。しかし胸ポケットをさわると、ない!ケイタイがない!和式の水溜まりに見える物体は、私のケイタイ。そう、水没です。すぐに取り出し、洗って拭いて動作確認をしますが、液晶が死んでいます。でも、動くっぽい!?先生に話をして、連絡係は別の子に変わってもらいました。あとは地元の彼氏に、連絡できないって連絡しなければ。でもどうやって?思いついたのは、同機種を使う友達のケイタイを隣に置き、ボタンを同じ回数押して、メール送信。通話はできなかったけど、通信はできました!(後日確認済。)
この後三日間、ケイタイ無しで過ごしました。修学旅行は楽しかったけど、苦い思い出です。

「忘れられない夏休み」

42歳 男性のストーリー
自分が高校2年生の時の夏休みの話です。今から20年以上も前の話ですがその頃私には仲のいい親友と呼べる友達が4人ほどいました。

夏休み前に原付バイクの免許を全員が取得して夏休み前半には全員が人生で初めて原付きバイクを購入出来たこともあり、4人揃ってバイクで色々な場所へ出かける毎日でした。

バイクに乗るのが楽しくてたまらず殆ど毎日バイクに乗っていたので夏休み中だけでなんと1000キロ近くの距離を走行していた事に気づきとても驚いたのと同時に満足感も大きかったです。

隣の県へ出かけた時に起こったことなんですが一緒に走っていたはずの仲間と途中ではぐれてしまい、知らない土地で、当時は携帯電話などもありませんから連絡手段もなくお互いに見つけるまでに3時間位かかったことが有りました。
確かに疲れはしましたがそれでも当時は携帯電話が無いのが当たり前ですから、そういう勘というのも研ぎ澄まされていたのかお互いにそんなに焦りは感じていなかったみたいです。

乗り物を運転して自分の力だけで出かけるという経験も初めてでしたし、それを大切な親友と共有出来たというのがとても嬉しくて、この時の夏休みが今までの人生で一番楽しかったと今でも思います。

「奇跡だと思った話」

60歳 男性のストーリー
私の田舎は四国の徳島県と高知の丁度間に位置します。
四国全体に言うと丁度真ん中あたりの秘境地帯にあります。
交通は池田駅(高校野球で有名な池田高校のある所)から車で
2時間ほど山に入った所です。丁度今から10年ほど前に田舎に
帰った時の話です。京都から出発したのが昼の3時を回っていました。
池田に着いたのは午後の7時ごろ、そこで一泊しようと思っていましたが、
なぜか今日中に着きたいと言う気持ちが起こり、日が暮れてから山に
入って行きました。車で2時間ほどで着く予定でそれほどスピードは
出たなかったと思います。しかし疲れていたのかついうとうとと運転
していました。そこに鹿が道路に飛び出てきてとっさにハンドルを
きりました。そこの道路には所々ガードレールが朽ち落ちている箇所があり
不運にもガードレールがない場所から崖に落ちて行きました。
何が起こったのか解らいまま気が付いたら大きな木に車が引っ掛かり、
崖下10メートルほどで止まっていました。そこの崖の高さは100m
ほど、携帯で110番して窮地を脱しました。警官も「これは奇跡ですね」
この付近で崖に落ちた車は数多く観て来ましたがほぼ即死状態でしたとの事。
何かに助けられた感じが今でもします。
23歳 女性のストーリー
 私は、保育園の頃から水泳を習っていました。スイミングスクールに行くのは億劫でしたが、着いてしまえば友達と話せるのでそれなりに楽しく通っていました。スイミングを辞める頃には、タイムは早くありませんでしたが、一通り泳げるくらいになり、その頃には喘息も出なくなっていました。
 中学生に上がる前にスイミングを辞め、中学では違う部活に入るつもりでしたが、初心者もいて緩そうだった水泳部に結局入部しました。先輩方も優しく、とても楽しい部活の日々を送りました。大会では、最下位でゴールするのなんて当たり前、自己記録更新(タイム)できればいいな~位のノリでしか大会に臨んでいませんでした。そんな活動を送っていた私ですが、予期せぬ事態が起きました。
 私は、個人種目のほかリレーメンバーの補欠選手に入っていました。県大会の出場をかけた大会の日、私は個人種目でその前の大会ですでに予選落ちしていたので、リレーメンバーの補欠として気楽に応援だけしに行っていました。リレーメンバーの順位は6位、県大会に行けるのは上位3校と他校が出場辞退しても、繰り上がりで行くのは厳しいところでした。辞退校の発表があり、繰り上がっていく順位...期待が膨らみ、私はこれまで頑張ってきた選手達が県大会に出場できるように必死に祈っていました。そして、ついに、4校の辞退が発表され、私達の学校が繰り上がりで県大会の出場が決まったんです!!
そして、県大会当日、その日もリレーの補欠として大会に同行しました。初めての県大会の場に、出場するわけではありませんでしたが、気楽に楽しく観戦できると思いワクワクしていました。ですが、出発時刻になってもメンバーの1人が来ませんでした。電話をかけにいった先生が戻ってきて、「具合が悪いみたいで来れないらしいから、補欠の◯◯が代わりに出てね」と私に向けて言ってきたんです。
えぇ、もう、絶望しましたよ(笑)
補欠なんて、名ばかりで気楽だな~なんて思ってたのに、県大会出場の予選にすら出れない実力なのに、選手との時間差20秒もあるのに....
なぜここで補欠が発動されるんだ?!?!
とにかく、他の選手に申し訳ないし、大会にも出たくないしで、とにかくパニックになりそうでした。ひたすらメンバーの子に謝ってたなぁ(笑)
結果は最下位でしたが、こうやって振り返ってみれば、形はどうであれ、出れるはずのない県大会に出れたことは奇跡だったなと思っています(笑)
水泳をやっていたことで、喘息も軽減したと思うし、出れるはずのない県大会にも出れたので、ある意味奇跡だと思いました。
23歳 男性のストーリー
小学2年生の時に実家の新潟県に帰省した時に、地元の従妹と駄菓子屋に行き箱に入っているガムを1つ購入しました。そしてアタリが出たのでまたもう1つ購入しました。するとまたアタリが出てまたもう1つ購入しました。それがなんと10回以上連続でアタリが出て駄菓子屋のおばちゃん店主が調べてみると、その10円ガムの箱の全てがアタリくじ入りの箱で後々その駄菓子のおばちゃんに聞いたらその箱の事を店主が企業に電話すると誤封入した10円ガムの箱らしくかなり珍しい箱で本当に申し訳ないと謝られたそうです。このおかげで私は100円くらいでかなりの量の10円ガムを食べる事が出来ました。この奇跡の体験は今でも忘れない体験で従妹も今でも覚えています。
42歳 女性のストーリー
夫との出会いです。
私は就職のため地元を離れ、現在住んでいる県に引越してきました。仕事でも何度か顔を合わせることはあったようですが、意識にはなく、共通の知人が催した飲み会で意気投合し付き合うようになりました。
話していると、共通点が多いことに気づきました。
私が当時勤めていた職場の同僚は、夫の元同僚だった人が多くかったこと。長く勤めていればそういうこともある職業ですが、私自身こちらに来て2年目で知らない人ばかりだったので、びっくりしました。
夫が以前勤めていたのは、県内でも離れたところの私の叔母が住んでいる地域に近かったこと。広く転勤することはあまりないのですが、最寄りの駅やよく行っていた場所も知っているところで、話が盛り上がりました。
そして、一番びっくりしたのは、夫の同僚が私の妹の友達だったことです。職場は関東、妹は東北にいます。妹から「そっちに友達が就職したんだけど、知らない?」と言われ、よく話を聞いたら夫と同じ職場で、しかもよく飲みに出かける仲だったようです。
他にも似てるなーと思うことがたくさん重なり、最終的には結婚することになりました。人との出会いは、本当に奇跡なんだなと思った出来事です。

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

32歳 男性のストーリー
登山が趣味の30代です。
趣味と言っても年間に2〜3の山々を登る程度のすごくライトな登山家です。登るときはいつも単独です。友人、知人の中で登山に興味のある人は誰も居ないので、気づけば誰も誘う事なく、山のぼりたいなーと思ってはふらっと向かい1人登山を楽しんでいます。
そんな中、大分県の由布院にある由布岳に鎖場があるとの情報をネットから仕入れて、つい先日登って来ました。
天気は良好で体調も万全。ただ用事があったため登り始めが11時と遅く少し不安を感じながらスタートしました。
登り出しは良かったのですが、分岐のところまで来た時には辺りは雲の中。時間も遅かったことで周囲に人は居ませんでした。
そして目的の鎖場へ。
岩の壁を10メートル登り、さらにその先にもう一つ10メートルほどの鎖その先には真横に3メートルほど鎖が続く、岩の壁と言うか崖。
周りは雲で身体を煽る強風に、一度滑らせれば、登るも降りるも出来なく慣れば、間違いなく死。
人も居ない平日の山なので確実に死ぬと思うと、足が震えましたが、何故だかもうここは行くしか道がないと思いなんとか進むことができました。
その先も思った以上に難関な道が続き、7時間かけて無事に帰り着きました。
帰って見れば怖いことだらけでしたが、1番怖かったのは下山するまで人に会わなかった事です。
勇気と言うより蛮勇でした。

「私の変えたい過去」

43歳 男性のストーリー
これは私が実際に体験した人生の中でもかなりショッキングな出来事です。その日は、仕事でイベントもあり、いつもと違う場所への出勤でした。とはいってもそれほど遠方に行くわけでもなく、使い慣れた電車だったのですが、通常のラッシュ時より少し遅いぐらいで、満員電車とはいかない程度で、座ることはできないまでも車内に余裕があるぐらいでした。電車に乗り、これからはじまるイベントの連絡などで携帯電話で同僚とメールのやり取りをしていました。普段はあまりつかわないのですが、仕事のやり取りもあり、カバンを網棚に載せていました。あと一駅で着くぐらいのところで、イベントの関係で急いで電話をしないといけないことに気づきました。電車の中だったので、次の駅で降りてすぐ電話しようと頭で考えていたぐらいに電車も着き、飛び降りて急いで電話しました。電話してる最中になんか軽いなと思った時には時すでに遅く、普段使いもしない網棚に置いたカバンは電車とともに出発。一瞬何が起こったかわからないまま放心状態になりました。
●とにかくパニック
次にパニックです。まず、大事な手帳、財布、イベント資料など、さらに財布にはクレジットカード、免許証、保険証、銀行カード、現金が入っておりました。現金は普段あまり入れないものの、当日に限って子供の習い事の月謝や週末の旅行代金10万円程度が入っていました。手元に残ったていたのは、原因となった携帯電話、そして交通系ICが入った名刺入れ。ある意味、せめてものすくいだったかもしれませんが、電車とともにいってしまったカバンの中身を考えるともはやどうやって生きていけばいいんだ、今日のイベントどころではない、人生最大のピンチだとパニックでした。しかも、この電車は長距離運行で、二つ先の県まで行ってしまう電車でした。もはや追いかける方向もない。これほどゾッとした経験は今までないぐらいで、自業自得なだけに自分自身が本当に嫌になりました。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

61歳 男性のストーリー
私が大学を卒業して、入社した会社はゴム会社で営業職で就職いたしました。
入社して、数か月後に東京営業所に転勤になりました。
ここで知り合った、上司・先輩は皆さん私と同じ県出身でした。
皆さん同じ県の出身ということもあり、地方から出てきた私たちは、皆方言が一緒で仕事が不安な時に、言葉が一緒というのは、すごく安心感が有りました。
その後、長らく一緒の営業所で仕事を行いましたが、数年後からは数人ずつ人事異動で離れ、又違う人が来るという繰り返しでした。それから時間の経過とともに、皆で会う機会が会社では減りましたが、何年がたっても懐かしく、親交をたやさないようにするために、全国に散らばった人が年に1回旅行に行っています。そこで年に1回会うたびに30年前の職場でのエピソードを昨日の事のように親交を交わしています。

「一番おいしかった食べ物」

21歳 女性のストーリー
高知には文旦という柑橘系の果物があります。ある居酒屋さんではこの文旦にお砂糖をかけてバーナーで炙る、焼き文旦という料理が出てくるのですが、この焼き文旦が非常に美味しいです。
文旦自体はしっかりとした八朔のような食感で、すこし酸味のあるような味なのですが、ここにブリュレのパリパリとした食感が加わって、酸味とほろ苦さが絶妙にマッチします。
高知といえばカツオも有名ですが、カツオを食べるならば塩で是非食べて欲しいです。タレにつけて食べるものと、塩をかけて食べるものとがあるのですが、ぜひ、タレよりも塩とニンニクで味わってほしいです。
私は群馬県から高知県に引っ越したので魚を美味しいとあまりかんじたことはなかったのですが、高知県に来てカツオのとろける食感を味わってからはもうさかな、特にカツオのファンです。
33歳 男性のストーリー
32年生きてきて一番おいしかった食べ物は「カツオのたたき」です。
祖母、祖父が高知県に住んでいて夏になると必ず帰省します。帰省した時は必ず祖母がカツオを買って捌くところから始まり、調理してくれます。
ポン酢とニンニク、ショウガで食べると土佐のカツオは本当においしく口の中でとろけます。絶対に関東で食べられない、夏にしか食べれないと思っていました。しかし、土佐清水ワールドという居酒屋が都内になりそこでは高知県からの直送のカツオでたたきを出してくれます。味はもちろんそのまま!土佐のカツオを食べたら他では刺身や生魚は食べれないほど本当においしいんです。カツオのたたきを食べるたび、今は亡き祖母、祖父の顔を思い出します。
30歳 男性のストーリー
うどん県(香川県)にある讃岐ラーメンのお店のラーメンです。
「はまんど」という名前の店で、へんぴな田んぼの中にあります。
讃岐ラーメンって名前からふざけてると思って入りました。ところがどっこい、どのご当地ラーメンにも負けない、てゆうか普通に勝ってる美味しさでした。
伊吹島(香川県)のいりこをふんだんに使った醤油ベースのスープでした。
麺は讃岐うどんを意識して、歯ごたえのあるものでした。
煮卵などの食材も地元のものを使用しているため、れっきとしたご当地グルメです。そのため、観光として香川県に行った人にもおすすできます。
駅からは遠くて(しかも田舎な駅)アクセスは悪いです。
にもかかわらず、どこから人が現れたのかってくらい並んでいます。
食べログの口コミは香川県のラーメンの中でダントツに多いです。
33歳 男性のストーリー
私にとって、今まで一番おいしかった食べ物は「ひつまぶし」です。

鹿児島県に生まれ、学生時代は埼玉県で過ごしましたが、
8年前である社会人一年目の勤務先が愛知県でした。
「何か愛知の旨いものを食べてやろう」と意気込み、
歩き回って探した結果、ひつまぶしを食べることにしました。

うなぎの蒲焼きは食べたことがあったのですが、ひつまぶしは初体験。
料理が出てきたときに、目の前に並んだのはいくつものお皿や
お茶の入った急須など。「どうやって食べるの?」というのが
正直な感想でした。

店員さんに聞くのも恥ずかしかったのでスマホで調べると、
「ご飯を最初に4つに分けて・・・」と、今まで知らなかった
食べ方を学びました。早速試してみると、当然うなぎは
美味しいのですが、食べ方によっても味が全然違うことに驚きました。

価格はそこそこお高いので、頻繁に食べられるものではないですが、
その後愛知県を訪れた時には、つい思い出してしまう逸品です。
30歳 男性のストーリー
兵庫県西宮市の「和海(なごみ)」という店のラーメンは、生まれてこのかた、一番おいしいと思いました。すっきりと澄んだ味の塩ラーメンです。スープには雑味もまったくなく、後味もすっきりしています。(おそらく化学調味料の類は入っていないものと思います)また、麺も、そのスープに絡むように太さ等も計算されて作られており、のど越しも素晴らしいです。また、具についても、麩が乗っており、スープを吸ってふわふわになったものを食べるのがなんとも美味です。極めつけは、鳥チャーシューです。低温調理でじっくり仕上げていると思われる鳥チャーシューは、ジューシーで口当たりもとてもよく、うまみも非常に詰まっています。基本的に平日の昼間にしか空いていないので、なかなか訪問できませんが、ラーメンといえば…というくらい印象深い一杯でした。
24歳 女性のストーリー
冬の朝からキャンプに向けて長野県の山奥に進んでいた時に、近くにご飯屋さんが全くなくキャンプ場への道もどんどんと狭くなっていく中、お昼もだいぶ過ぎていた時に、偶然見つけた地元の方が自宅でやっている五平餅カフェで食べた、五平餅とシフォンケーキが一番美味しかったです。
五平餅に使われている味噌は、自家製の味噌でくるみから作られている甘い味噌でした。今までしょっぱい味噌で作られた五平餅しかなかったのでくるみ味噌の甘くておいしところに大感動でした!
お米も自家製でふわふわで腹ペコのお腹と心に沁みました。
シフォンケーキも手作りで、シンプルながらにおっきくてふわふわでケーキ屋さんのシフォンケーキのように美味しかったです。
54歳 男性のストーリー
私が一番おいしいかった食べ物は、以前社員旅行で行った三重県伊賀市にある「金谷本店」で食べた伊賀牛のすき焼きです。
家で食べるすき焼きと違って、最初は牛脂で油を敷いた後、サシの入った見た目にも美しいお肉を割り下を軽くかけていただきます。なんともいえない甘さとうま味が口の中に広がり、幸せなひと時、口の中であっという間にお肉がなくなってしまいます。
その後は、お野菜と一緒にお肉をいただくのですが、お肉から出たうま味が野菜と絡み合って、「世の中にこんなにおいしいすき焼きがあるのか」と思いました。
もちろん、有名高級店ですので、お値段もそれなりにします。私のような貧乏サラリーマンには、なかなか行けないお店ですが、息子が大学を卒業し、少しゆとりが出来たら、妻を連れてもう一度あのすき焼きを食べてみたいと思っています。
31歳 男性のストーリー
クラブハリエの焼きたてのバームクーヘン。
今までバームクーヘンなんて口の中の水分を全部もっていかれて、どこのものを食べてもさほど味に変わりはないと思っていたのですが、先日訪れた滋賀県にあるクラブハリエの焼きたてのバームクーヘンを食べれるお店へ行った際、せっかく来たのだからと食してみると今まで食べたどのバームクーヘンよりも柔らかく、それでいてしっとりしていて、口の中で溶けていく感覚を覚えました。
バターと砂糖をこねて何層にも焼き上げただけのお菓子と思っていましたが、卵やバターにもこだわっているらしく、これぞ熟練の技という感じがしました。
場所は滋賀県の近江八幡市にあるラコリーナというところで購入することができます。
31歳 男性のストーリー
クラブハリエの焼きたてのバームクーヘン。
今までバームクーヘンなんて口の中の水分を全部もっていかれて、どこのものを食べてもさほど味に変わりはないと思っていたのですが、先日訪れた滋賀県にあるクラブハリエの焼きたてのバームクーヘンを食べれるお店へ行った際、せっかく来たのだからと食してみると今まで食べたどのバームクーヘンよりも柔らかく、それでいてしっとりしていて、口の中で溶けていく感覚を覚えました。
バターと砂糖をこねて何層にも焼き上げただけのお菓子と思っていましたが、卵やバターにもこだわっているらしく、これぞ熟練の技という感じがしました。
場所は滋賀県の近江八幡市にあるラコリーナというところで購入することができます。
44歳 男性のストーリー
私の好きな食べ物は、「うどん」です。
最近では、丸亀製麺やはなまるうどんなどのチェーン店があちこちにでき、楽しくうどんライフを送ることができています。
だいたい月に4回から8回は昼食にうどんを食べます。
あんまりにも、うどんを食べるため、うどん屋さんの店員さんにも、顔を覚えられてしまいました。
いつも注文するのは、「ぶっかけうどん」です。夏には冷たいぶっかけうどん、冬には温かいぶっかけうどんを好んで食べます。
出勤前、朝食を用意できなかった際には、朝早くから開いている定食屋で素うどんを食べて出勤することもあります。ちなみに、朝素うどんは、250円です。
これだけうどんを愛する私ですが、生まれも育ちも香川県ではありません。
45歳 男性のストーリー
私が過去一番おいしかった食べ物は、意外と思われるかもしれませんが博多のとんこつラーメンです。
以前私はラーメンといえば味噌、とおもっており、豚骨ラーメンはどちらかというとブタくさいにおいのきついものぐらいにしか思っていませんでした。
その私が福岡に転勤になり1年間すごしたことがあります。
福岡県は博多ラーメンの聖地、飲み会の後などは〆で博多ラーメンを食べることがでてきたのですが、これが非常にうまい、この時とりこになりました。
いまだに福岡含めた九州にはよく出張にいきますが、この時はかならずラーメンを食べます。今では博多なら博多ラーメン、長浜ラーメン、久留米なら久留米ラーメン、熊本ならマー油たっぷりの熊本ラーメンなどもう豚骨ラーメンの虜です。
25歳 女性のストーリー
小さい頃に初めて食べた、田子の月の富士山頂というお菓子です。このお菓子は静岡にしかなく、ほかの県では買えないし、食べられません。
子供のころに食べてから、おばあちゃんが出かけた時に必ず買ってきてくれて、毎日二個以上は食べないときめていて、大切に食べていました。
大人になってからはどうしても食べたくなった時に買いくので、食べる回数は減ってしまいました。
県外の大学に通っていて、友達に大好物はなにと聞かれたことがあり、富士山頂と答えたら、当たり前だけど富士山頂を知らないので、買って行って紹介したこともありました。
好きすぎて、就活のときに田子の月に就職を本気で考え、説明会にも行きました。
最終的には就職はしませんでしたが、いまでも大好きなお菓子です。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

35歳 男性のストーリー
私が小さい頃、毎年お盆休みになると家族全員で福島県に住んでいる母方の祖父母の家に遊びに行っていました。
自然豊かな地域に祖父母の家があり、祖母は畑で採れた野菜や果物をたくさん食べさせてくれました。トウモロコシ、スイカ、梨など、その場で採れたてを食べるとこんなに美味しいのかと感動したものです。
祖父はトンボやカブトムシ、ザリガニ等をとりに連れていってくれました。大きなくぬぎの木を蹴飛ばして耳をすませると、ボトッと虫が落ちるという子どもにもできるやり方で日が暮れるまで虫とりをしていました。でもやっぱり祖父が勧めてくれる木以外では、あまりとれなかった記憶があり、祖父は虫とり名人だと憧れたものです。
祖父は私が中学生になる前に亡くなり、社会人になってからは祖母に会いに行く機会もなくなってしまいました。
仕事が落ち着いたら会いに行く機会を作りたいと思います。
35歳 女性のストーリー
私とおばあちゃんとの思い出はおばあちゃんの田舎、愛媛県に連れていってもらったことです。小さい時はゴールデンウィークやお盆休み、秋祭りといった時期に姉や従姉妹たちと共に連れて行ってもらいました。小学生の頃になると、行く頻度は減ってしまいましたが、花火大会のある日に合わせて、連れて行ってもらいました。おばあちゃんの妹の家に泊まらせてもらっていたのですが、周りは畑が沢山あり、大阪出身の私にとってはその自然が魅力的でした。夏の花火大会は家から花火が見えたこともあり、すぐ近くで大きな花火を見たことが凄く印象に残っています。
おばあちゃんはもう亡くなってしまいましたが、田舎の思い出は凄く貴重な経験で、おばあちゃんとの大切な思い出です。

「そういえば昔夢見ていたこと」

54歳 男性のストーリー
私の「そういえば昔夢見ていたこと」は、海辺のそばにある町の公務員になって、サーフィンをしながらのんびりと人生を過ごすことです。
私は大阪の在住ですが、大学は関東にある某マンモス大学に通っていました。その大学を受験し入学したのは、希望していた学部が神奈川県の藤沢市にあり、電車でもすぐに江の島や鵠沼など、日本でも有数のサーフスポットに行けるからです。大阪では、和歌山か徳島など遠方に行かないとサーフスポットはありませんので、当時サーファーを気取っていた私にとっては藤沢は憧れの街でした。
まぐれでその大学に入学し、勉強もそこそこにサーフィンとバイトに明け暮れる毎日でした。とても楽しかった日々です。そんな中、いよいよ卒業となり、結局は親の勧めもあり、大阪の実家に戻って地元の企業に勤めることになりました。
本当は、藤沢市かあるいはどこかサーフィンの出来る海岸のある街の公務員にでもなって、自然を満喫しながら、そこそこのんびりと生活したかったのですが、親にもそんなことは言えず、結局諦めてしまいました。
現在は、サーフィンをする余裕もなく、子育てと家のローンに追われ、満員電車に毎日揺られて会社に通う50代の中年サラリーマンになってしまいました。
54歳 男性のストーリー
今、学校の教師をやっているのですが、ここ15年くらい学校では、キャリア教育が行われています。
生徒に、自分の人生を設計させたり、地域の事業所にお願いして職場体験をさせたり、手厚くやってあげてはいるのですが、希望の仕事は公務員。実際、将来やりたいことはわからない、という答えが多くなんのためのキャリア教育かと疑問を抱くことがたびたびあります。
私達が子供の頃は、キャリア教育なんてなく、友達と将来の話になるたびに、偉い人合戦になっていました。
それは、一人が県知事なりたいと言うと、誰かが総理大臣と返し、そこで私が天皇陛下というのです。天皇陛下より偉い人はいないので、私の勝利と確信すると思わぬ所から横槍が。アメリカ大統領!
しかし、それは反則。理由は、日本人ができないから。
私の勝利が決定して、私は本当に天皇陛下を目指して猛勉強を始めました。
普段、勉強をしない私が勉強をするものですから、親が心配して私に訳を尋ねるのです。
私は猛勉強をして将来、天皇陛下になる試験を受けて天皇陛下になるんだと答えたら、親は呆れた顔をして、天皇陛下は血族でないとなれないんだ、と言われて悲しくなりました。
努力してもなれないくやしさと、天皇陛下の血筋でないとなれないやるせなさは、よい思い出となっています。
そう考えると、今の子供達は不幸せだと思います。
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