"東京" に関するエピソード

「これまでで一番悲しかった時」

57歳 女性のストーリー
悲しかった出来事といえば、肉親の死、友人の死や別れなど悲しい出来事を経験してきましたがそれは長い人生の中で出会う当然の悲しみで、幸い大きな悲劇には今のところ見舞われていません。
なので一番悲しかった時はいつだろうと思い起こすと、おそらく人生で最初の号泣した高校2年の時の失恋なのかもしれません。
割と喜怒哀楽の感受性が薄い子だったのですが、その時ばかりは一晩中泣いていました。
青春時代、多感な年頃ということもあったのか、それが今一番印象に残っています。
「他に好きな子ができたんだ」と当時付き合ってたボーイフレンドから告げられた時、
(しかも電話で)あまりの突然の事に一気に涙が溢れてきて「どうして?どうして?」としか言葉が出てきませんでした。
なぜか覚えているのは窓の外から聞こえた近所の盆踊りの太鼓と東京音頭のメロディ。
そしてもう一度会ってちゃんと話して欲しいと約束した朝、
まだショック状態の私は卵かけ御飯さえ喉をとおらず、あぁ悲しい時って本当にご飯が喉を通らないのだなぁとぼんやり考えていました。
今思えば、ちいさな青春時代の一ページかもしれませんが、あの朝ちょっと心配げな父の言葉とか茶碗のご飯のことを覚えているのはやはり一番印象に残っている悲しい時だったのかもしれません。

「わたしの周りで一番勉強ができた人」

57歳 男性のストーリー
私の周りで一番勉強ができた人は、やっぱり少し変わった人でした。両親はともに先生で、自宅のその人の部屋にはピアノがありました。もちろんピアノも弾けてショパンの何かしらの曲を弾いてくれました。また音楽は普通の人が聴く歌謡曲やポップスは全く聞かないで、クラシックだけ聞いているとの話でした。成績は東京大学が楽々ぱすできるくらいの実力がありましたが、かっこいいからという理由で慶応大学へ進みました。その後は一流企業に勤めていましたが、結婚はかなり遅く40歳くらいで結婚したようです。今でもたまに同窓会であったりしますが、とんでもない仕切りたがり屋で、カラオケ屋さんに行っても歌うジャンルを一方的に決めたりします。大人になっても風変わりなところは変わっていません。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

41歳 男性のストーリー
私の知り合いの中で、最もお金持ち(推定)の方についてです。
その方は50代前半の地方公務員で、奥さんと大学生の子供が2人の4人家族です。
職業も市役所の一般職で身なりや車も極めて普通で、自宅に至っては築40年近いお世辞にも綺麗とは言いがたい状態です。
しかしこの方、この地区の大身庄屋の子孫で、持っている土地の広さが半端ないのです。
その所有地に、大手企業の工場や大型ショッピングモールが建っています。また最近では一部の山を宅地造成のために開発業者へ売却したとのことです。
本人から少し聞きましたが、借地代だけで一月あたり200万以上の収入があるとのことです。
しかし前述したとおり、見た目には全くそのような素振りも見せないのでこの事実を知っている人間は私を含めてごく僅かです。
しかし、そのお金持ちっぷりが判るのが東京の大学への進学が決まった長男への投資の仕方です。
下宿ではなく、都内某所に大学生の長男のためにマンションを購入してあげました。また、バイトせずとも勉強に専念出来るように仕送りを月に30万円!
そして車は某ドイツ製高級車を与えていました。
一見親の甘やかしかと思いますが、この長男はその仕送り等を最大限に利用し、勉強に打ち込んでおり、国家公務員1種を目標としているとのことです。
33歳 女性のストーリー
私の友人でMRの仕事をしている30代後半の男性がいます。
彼は勉強家でよくビジネス関連の書籍を読んでいたり、動画を見ています。
彼は仕事の休みを利用してよく海外に旅行しています。
おそらく100か国以上は旅していると思います。
東京の一等地に一人暮らしをし、最近ではマンションを購入して家賃収入も得ているとのことです。
彼の買い物を見ていると高いお酒や食材を値段を見ずに購入している感じでした。
高級なレストランやバーにもよく出かけているようです。
独身でお金を資産運用しながらプライベートも楽しんでいる感じです。
やりたいこと、食べたい物、行きたい場所などにお金を惜しまず使っている様子は私の周りの中で一番お金を使っている感じに見えます。

「これまでで一番お金を無駄にした話」

41歳 女性のストーリー
東京に越したばかりの頃のことです。
洗濯物を干すための竿を買わなければと思っていたところに、物干し竿売りの小型トラックがスピーカーを鳴らしながら近所にやってきたのがわかりました。
もしかして買えるかも?と思い、財布を手に外に出ました。
洗濯物用なんですが、一本いくらですかと値段と尋ねると、お兄さんは198!(イチキュッツパ)と言いました。
ベランダで使用するんですがと指さすと、お兄さんは竿を適当な長さにカットしてくれました。
さて会計と、1,980円を支払おうとすると、19,800円と言われて固まりました。
ぼったくりだったようです。
すでに竿はカットされてしまったので、払わないわけにはいかず。
痛い出費でしたが学びました。

「人生で一番運が良かったなと思う出来事」

24歳 女性のストーリー
私の人生で一番運が良かったなと思うことは、自分の両親のもとに生まれてきたことです。
私が、前の職業をやりたいといった時も、その職業を辞めたいといった時も、辞めて東京に行きたいといった時も、たとえどんな選択をしても、「あなたの好きなようにしなさい」と両親は言ってくれました。
でも、決して見放しているわけではなく、遠くから常に見守ってくれています。
愛情とはこういうことなんだろうなと感じます。
思えば「こういうふうになりなさい」「こうやって生きなさい」などと強要されることは今までありませんでした。
そのおかげで、現在私は自分の望むように生きることができています。
ちゃんと感謝の気持ちを伝えられていませんが、いつかきちんと言葉にできたらと思います。
21歳 男性のストーリー
私は地方の田舎出身で、あまり勉強が好きではなく、高校3年生までは進学校ではなかったというのもあり、勉強という勉強はほぼ全く勉強してこなかったのですが、急にふとこのまま田舎で就職か名前を書けば受かるような専門学校や短大に行くよりかは勉強して都会に出てみたいと思い立ち、高校3年生の春から受験勉強を始め、全く都会の大学にも詳しくなかったのですが、センター試験の結果的に東京のとある名前の通った私立大学に合格することができました。
大学に進学することで都会に出てこれたし田舎で一生を終えるよりも、広い世界や新しい生活の仕方から価値観まで色々吸収することができて、大学に合格できたこと時代が運がいいなと思います。

「忘れられない夏の思い出」

40歳 女性のストーリー
高校生の夏休みにイギリスにホームステイに行った時の人生最大のモテ期だった体験を告白します。
当時私は女子校に通っていました。中学まで共学だったので、出会いがなく、恋バナがしたかったのでオーバーに軽いノリでした。
日本にいた頃は、クラスでも三番目くらいに人気がある方でした。幼稚園から顔見知りの女の子たちのグループにいたら、その子たちが目立ってモテるので、その効果にあやかっていたと思います。地方にいましたが、そのグループの女の子で東京のモデル事務所にスカウトされ所属した人もいるくらいでした。
ナンバーワンにならないけど、時々アプローチされるくらいで私には充分でした。
高校は女子校でも、朝の通学の電車のホームで一緒になる男子高生に一目惚れし、彼もかなり人気あったのに、初めての彼女になったこともありました。
イギリスでのホームステイ先は、ものすごく歓迎される感じではありませんでした。私の数日前にも、日本からの留学生が帰国したばかりでした。
私は女子校のノリで、英語力はなくても恋バナでホストファミリーの同年代の女子2人と盛り上がって仲良くなるつもりでしたが、2人ともそんなに恋愛に興味がないようでした。

ホームファミリーに夢を抱いていた私は、コミュニケーションをとることを諦めました。

そのかわり新しい恋愛の出会いを探そうとしましたがきっかけがありません。

ところが、現地の英会話スクールへの通学に使っていた20代男性のバスの運転手さんが、どうも私へ好意を持っていたらしく、ホームステイ中、私の友達たち10人位のバス代をずっと半額にしてくれました。

また、友人のホームファミリーの男の子が、私のことをものすごく気に入ってくれたらしく、熱烈なアプローチをしてきました。その男の子に関しては、友人のホームファミリーということで、流石に遠慮しました。

極めつけは、ロンドンで有名なミュージカルであるCatsを最前列で友人達と見ていたら、Catsに出ている俳優が上演中にボディタッチなどでアプローチしてきました。

Catsは、最前列で見ていると俳優と目が頻繁にあったり、演出上、俳優が私の座席の近くで静止していたりするのですが、その間ずっと見つめあったりしていました。

容姿に自信がある方は、日本の映画の舞台挨拶で前の方に座っていると、かなり有名な俳優さんとしばらく目を合わせるという体験ができるチャンスもあります。

「人生最大の失恋話」

26歳 男性のストーリー
4年半付き合った彼女がおり、自分が大学入学と共に上京をしましたがそこからも遠距離恋愛をしていました。遠距離恋愛が1年過ぎた頃自分が実家に帰ったタイミングで彼女とデートをしていたのですが彼女の様子がどうもおかしかったです。問い詰めても何も言わず自分が東京へ戻った日の夜に別れを告げられました。自分が上京した後に浮気をしておりその後まさかの浮気相手との間に妊娠していたそうです。それを言い出せずにそのまま時間が過ぎ我慢出来ずに別れを告げられました。それを聞いた時には笑うしかありませんでした。今では子供も産まれ浮気相手とは離婚したそうです。自分が高校の3年間と大学1年の青春を捧げた人が今ではシングルマザーだと知るとやるせない気持ちでいっぱいです。
32歳 女性のストーリー
20歳から24際の間に付き合っていた、イギリス人と日本人とのハーフの彼氏との話です。
会ってからすぐに熱烈なアプローチがあり2ヶ月ぐらいは断り続けましたが、しつこく告白をしてきました。
最初は信じなかったのですが、告白が毎回、あまりにも大胆で面白かったため、付き合ってみることにしました。
彼とは医療関係の研修でモンゴルで出会い、アプローチもモンゴルで受け続けました。帰国後、私は大阪、彼は東京での生活が始まりました。
彼は毎週末、大阪に来てくれて、毎回花束を持って来てくれました。
2年後にプロポーズを受けましたが、私は社会人になったばかりで働きたい願望が強かったため、断りました。断ってからは少々気まずくなりましたが、なんだかんだで2年後に私からプロポーズしました。
しかし、彼からは「もう遅い」と残念そうに言われました。1度目のプロポーズからギクシャクした雰囲気が彼は辛かったようです。気づいてはいましたが、私も見て見ぬふりをしていたのも事実です。しかし、強がってしまい、冷たい態度で別れてしまいました。
いろいろと不正解を出し続けた恋愛だったと思います。
55歳 男性のストーリー
学生時代の友人だった彼女。
お互い社会人になってからも忘れられず、思い切って告白したところ「私も貴方が好き」という思いもしなかった返事があり、恋人同士となりました。
恥かしながら自分にとっては初めての彼女で、若干の遠距離恋愛になりましたが、それでも週末は彼女の家の方にでかけたり、東京まで出てきてもらったりと交際を続けていました。
しかし、どこかで「学生時代の同級生」という思いがあったのか、次第に彼女に対してぞんざいな態度をとるようになってしまいました。
付き合いだしてから数年経ったある日、仕事で海外に2週間ほど行くことになりました。
順調に仕事をこなし、明日は帰国だという日に国際電話で彼女に電話をして「おみやげ何がいい?」と聞いたのですが、「たぶん受け取れない」という答えが返ってきました。
その意味もわからないまま日本に帰国し、彼女に電話したところ、共通の先輩と付き合うことになったから別れてほしいと告げられました。
友人の延長線のような付き合いが数年続くなか、彼女は結婚したいと思っていたそうです。
なのに一向に結婚の話が出ないことに悩んだ彼女は、私が海外に行っている間に先輩に相談し、そのまま恋仲になったのだそうです。
「貴方の奥さんになりたかった」
それが彼女の最後の言葉でした。

「嘘みたいなほんとの話」

72歳 男性のストーリー
嘘みたいな本当の話です。
高校を卒業して就職した会社を3ヶ月で退職して放浪の旅に出ました。お金はほとんど持っていませんでしたが、所謂住み込みの求人広告を見て京都の中華料理店でホール係や皿洗いの仕事をしました。先の事は何も考えていなかったので、面白くない事があって1ヶ月でやめて大阪へ行きました。
この時もお金は持っていません。特に当てもなかったので御堂筋をブラブラ歩いていました。淀屋橋のたもとで自分は行き倒れで死んでしまうかもと思ったくらいでしたが、麻雀荘の貼紙でホール係の募集に飛び込み採用されました。住み込みとはいえ最初の給料をもらうまでとても苦しい思いをしたことを覚えています。仕事自体は楽なものでしたがメンバーが足りない時、麻雀をさせられ疲れました。色々面白い事があったのですがここも2ヶ月くらいで辞めて東京へ出ました。
大田区の酒屋さんで住み込みで働く事になりました。自転車で酒やビールを配達するのは結構大変でした。ここでも飲んべえの旦那さんや奥さんによくしてもらったのでが、
お正月になり急に里心が出てきて家に戻りました。
今考えてみるとよく無事で帰れたものだと思います、古き良き時代の話です。

「学校や仕事をサボってやったこと」

21歳 女性のストーリー
私は中学校の時からずっとK-POPが好きでした。その中でもKARAがとても好きでした。中学の時にあったK-POPの女性のグループでは初の東京ドームコンサートコンサートに行きたかったのですが私はお小遣いがなかったのでコンサートに行くためのチケットや交通費がなかったので応募すらできませんでした。なのでその時はDVDを買って我慢しました。高校になってバイトをできるようになったのでお金をコンサートに行くために貯めました。頑張って貯めているとKARAのメンバーの2人が脱退することが決まってそのコンサートがあるとあったのでいかないといけないと思い応募して当たったので行きました。けどそのコンサートは平日でした。なので学校があるのですが、絶対に行きたいと思ったのだ学校には熱が出ました。ただ言って休みました。けど休んで行って良かったと思います。とてもいい思い出になりました。

「人生が変わった出来事」

59歳 女性のストーリー
人生が変わった出来事と言えば、私にとっては長年勤めた会社を辞め、東京を離れ実家のある神戸に移り住んだことです。
東京での生活は管理職だったことや、何よりも社長が熱血漢で仕事に厳しく、徹夜で会議等も珍しくない状況で、とにかく仕事づくめの日々でした。
1日平均12時間以上も会社に拘束された生活は、ハードでしたがやりがいもあり、充実したものでした。
そんな仕事人間だった私が親との生活を選び神戸での転職活動を通して知ったのは、あまりにも世間知らずだったことでした。
当たり前ですが、50歳を越えての転職は厳しく、書類選考で落ちることがほとんどでした。
また、面接までいっても根っからの仕事好き人間のため、やる気満々で挑むと相手に引かれ「そこまでやっていただかなくても」という空気が漂った苦い経験もあります。
しかし、今は無事働き場を見つけ、神戸の美しい海や山の夕景を観ながら帰る道すがら、東京から神戸に戻って良かった、家族と暮らせる幸せな日々に感謝の毎日です。
22歳 女性のストーリー
生きてきて21年ですが私の人生が変わった出来事は親の元から離れたことです。
高校卒業後と養成所に通ったがそこでのレッスンの厳しさに入所3ヶ月でやめてしまいました。
特にやりたいこともなく親元でダラダラとしながらフリーターとして働いていました。
その時は本当に無気力で家と職場の行き来くらいでしか外に出ていなかったです。
半年ほど働いたのですが全くお金を使わなかったので50万くらい溜まりそこで田舎だし車を買おうか悩んでいたのですが突如一人暮らしをしようと思い立ち気づいたら東京で家を契約していました。
親からの忠告など何一つ聞かず仕事も決まっていない状態で一人暮らしを始めたのですが甘くはなかったです。
でもだんだんと仕事も友達も出来て彼氏まででき今ではその彼氏と一緒に住んでいます、大阪で。

「修学旅行の思い出」

48歳 女性のストーリー
わたしは埼玉県に生まれて埼玉県の高校生を卒業しましたが、当時の修学旅行で和歌山~四国を回りました。
その時に不思議な体験をしました。

生まれも育ちも埼玉で、当時は埼玉か東京くらいしか行ったことのないわたしは、当然その場所も一度も訪れたことのない場所でした。
でも何故か住んでいた、あるいは訪れたことがあるといった不思議な既視感に襲われ、修学旅行中ずっとソワソワしていました。

何ともふわふわと落ち着かない気持ちで観光地を回っていて、そんな中、血の池地獄と言われている場所に行った時に、一瞬でしたが、頭の中に武士の戦場の様子が浮かび、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして、その場に倒れ込んでしまったのです。

すごく不思議な体験でした。

後日、母にそのことを伝えたところ、母親の先祖は和歌山のその四国辺り出身の武士だったそうです。

八代将軍徳川吉宗公の側付きの侍だったようで、同氏と一緒に江戸(東京)にやってきて~それから主が変わり~埼玉県の忍城へ~で、そのまま住み着いて子孫まで・・・。

ひょっとしたら、貴女は先祖の生まれ変わりかもね・・・・なんて笑いながら、母が話していました。
34歳 女性のストーリー
小学校の修学旅行、1泊2日の東京観光という日程で行きました。
当時はまだ北陸新幹線ができる前だったので特急で上野駅まで行きそこからバスで最初の目的地お台場にある船の科学館へ行き色々な船の歴史や展示を見ました。
葛西臨海水族園ではマグロの大群が泳いでいる姿は迫力ありました。
泊まった旅館で夕飯後後楽園遊園地(現在は東京ド-ムシティアトラクションズ)へ行きました。
自分は絶叫系が無理だったので観覧車、汽車しか乗れませんでした。
2日目は東京タワー、国会議事堂、上野の博物館へ行きました。
東京タワーは修学旅行の定番で展望台から見える都内の景色はとても綺麗でした。
国会議事堂はテレビでよく見る場所を見て驚きました。
34歳 女性のストーリー
高校生の頃、遠距離恋愛をしていました。電車でも3時間かかる距離…会えるのは長期休み程度でした。そんな彼と電話で修学旅行について話をしている時、日程が近いことに気付きました。でも私の高校は修学旅行の行き先は広島、京都、東京で、彼の高校は沖縄と京都です。行き先もバラバラだし、日程も全く同じわけじゃないからまさかねって笑いながら話をしていたのですが、そのまさかが起こったのです。私の修学旅行2日目の京都と、彼の3日目の京都の日程がちょうど重なったのです。もうこれには二人ともびっくり。ホテルに入ってからの自由時間に少しだけ会うことができ、恋愛成就で有名な地主神社の御守りを二人で分け、すごく喜びました。運命だね~なんて話をしていましたが、もちろん今は別々の人生を歩んでいます。こんな偶然ってあるんだなと感じた瞬間でした。
50歳 女性のストーリー
高校の修学旅行といえば、今からもう30年以上前になります。
行き先は東京と、立山黒部アルペンルート。

なかでも東京では、班行動ではあるけれど1日フリーの日があり、
どんな所へ行くかについて事前の話し合いはを熱を帯びました。
開園したばかりの東京ディズニーランドで1日過ごすか、それとも都内を周るのか。
人気は半々といったところで、私のいた班(女子5名)は都内研修を選びました。

同じく都内を選んだ他の班は、原宿の竹下通りや渋谷・六本木、
あるいは上野・浅草といった名所を研修コースに盛り込み、
いかに先生に認めてもらうか交渉に励んでいました。

それなのに私たちは、5人そろって真面目過ぎる生徒が集まったためか、
新宿ではアルタやルミネではなく「伊勢丹デパート」。
原宿では竹下通りに向かわず「明治神宮」。

真面目過ぎる研修コースは、何の問題もなく先生にすんなり認めてもらえました。
「もうちょっと面白い所に行っても良いんだよ?」とのコメントつきで…。
それでも行く前から楽しかった修学旅行を思い返すと、
四角四面の学生だった自分たちが何だか微笑ましいです。
45歳 女性のストーリー
高校の修学旅行の話。
となりのクラスの男の子が、東京駅のホームにすでに停まっていた回送電車にふざけて乗ったらそのままドアが閉まり発車してしまった!
担任の先生だけ残り他の生徒は予定通りの新幹線に乗り出発しました。
どうやらその新幹線は車庫に入ったらしく、みんながお昼のわんこそばを食べている時に担任の先生とその男の子は無事に到着しました。
もちろんその話は卒業まで語り継がれ、3年生を送る会では先生たちの出し物でも笑いのネタにされていました。

当時は携帯電話などなく、本人は強がっていたけどかなり不安だったろうなぁと思います。
去年同窓会があり、20年以上たった今でも笑いのネタにされていました。

修学旅行の思い出はたくさんあるけれど、一番に思い出すのはこの出来事です。
51歳 女性のストーリー
私の修学旅行の思い出は、中学生の時のこと、クラスでも嫌われていたので、孤立していてバスに乗り込むときも一人でいました。一応班行動をすることになっていたので、どこかに入れてもらってはいたのですが、意地悪されていたのいたのです。この人ならいいなと思った女友達はいたのですが、グループに入ることは出来ませんでした。
コースは、東京、栃木コースでしたが、初めて来る東京はやはり都会で楽しかったです。遊ぶところも学ぶところもたくさんあり、楽しいなと感じました。大好きな劇団も観ることが出来て楽しかったです。それに普段入ることが出来ない国会議事堂も見学が出来て、勉強になりました。
栃木は、涼しくて過ごしやすかったです。バスの中で歌った歌は評判が良くて、嬉しかったのを覚えています。
あの頃が懐かしいです。

28歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行で東京に2泊で行きました。二日目に班別行動で色々な企業を訪問するというのがありました。行くまでにも、学校でグループごとに調べたり電話したりアポを取ったりなど、将来の夢に向けて調べるチームや気になるお店に行きたいチーム様々でした。私のグループは、都内の小さな豆腐屋さんに行くことになっていて、私が班長でした。ギャルもいるようなやんちゃなグループで全然まとまりなく大変でしたがみんな仲良かったので当日楽しみにしていました。当日の朝になって私が高熱を出してしまい、まさかの旅館待機で私以外のメンバーが行ってくれました。地図も分かるのかなと心配でしたが、夕方になっておからクッキーを手土産にみんなが部屋に来てくれました。みんなの優しさを思い知った修学旅行になりました。
22歳 女性のストーリー
私の学年が、というべきなのか、私の学校の修学旅行の時期が、というべきなのか、小中高とどの修学旅行も話題には事欠きません。
小学校のときには新型インフルエンザ(豚インフル、だったと記憶)の流行によって、5月に予定されていた修学旅行が実施さえ危ぶまれる事態に。結局9月に延期して行ったものの、ハラハラした記憶があります。
中学のときには、生徒の希望で東京への修学旅行が決定。しかし、1年生3月の時に東日本大震災・原発事故が発生して、行き先を例年通りの沖縄へ変更。幻の東京計画となりました。
高校では行き・旅行中は何もなく北海道を満喫したものの、帰りにハラハラさせられました。雨風の影響で地元空港への着陸に手間取り、東京へのとんぼ返りも予告されてしまう事態に。無事に着陸したものの、「しばらく飛行機はいいね」と友人で話しました。

「忘れられない夏休み」

21歳 女性のストーリー
初めての東京
ネットで知り合った人とそのご兄弟と東京に12時間かけて行きました。
初めての秋葉原行き、そこで初めてヴァンガードとと言うTKGのゲームをしたあと欲しいカードを買いに行きました。その後にスカイツリーと東京タワーに地図アプリ使いながら歩き、それまで地下鉄でしか移動しなかったのでJR乗りたいと思っていたが、駅まで遠く、迷ったので地下鉄にした後東京駅に行き、東京駅の地下で好きなキャラクターボンレスハムに会えました。帰りはずっと歩きたかった皇居あるき、武道館とか行ってみたいと思いました。
東京最終日にはちょうど開催されていたコミケに行くことが出来、人生でこれほどワクワク楽しく夢が叶う東京旅行でした。

「奇跡だと思った話」

27歳 女性のストーリー
当時私は大学生で大阪の実家から離れ上京し、東京の大学に通っていました。一人暮らしの東京の家で、寂しさを紛らわせるために文鳥を飼っていました。もちろん生き物なので、私が帰省する度にその文鳥を虫かごの中に入れて、新幹線で共に大阪東京を行き来していました。

ある冬の夜、帰省を終え東京へ戻ろうと、新大阪駅に家族と共に車で向かい到着した時、駅の入り口の前で急に文鳥が虫かごの蓋を開け、「ぴっ!」と叫び駅を超えて物凄い速さで飛んでいきました。家族一同唖然として開いた口が塞がらず、しばらく呆然と立ち尽くしていました。

そこからは必死の捜索で、私は泣きながら駅の周辺はもちろん、駅員さんに変な顔をされつつも駅のホームの中に入り、1人「ぴーちゃん!ぴーちゃーん!(鳥の名前)」と全てのホームを周り呼び続けました。残念ながらその夜文鳥は見つからず、私は予めチケットを買っていた新幹線をとっくに逃しましたが、なんとか終電で東京へ帰りました。ショックのあまりスタバで買ったカフェモカを新幹線に乗り込んで席に着いた途端ぶちこぼしました。大阪に残った家族はその夜寝ずに駅の周りを探し続けましたが、見つからず家族一同絶望に飲まれそうでした。

結局ネットでこういった事例を調べて、ネットの「ペット探してます掲示板」にも載せ、とりあえず文鳥が逃げた一番近くの交番に紛失届として出すことになりました。もう人からの情報を待つしかなく、私は1人東京に戻り空っぽの鳥かごを見て絶望にくれていました。

しかしその2日後、家族から電話がかかってきました。なんと文鳥が見つかったのです。ただただ涙がでました。しかし見つかった経緯を聞いてこれは奇跡だと思いました。

どうやら文鳥は脱走した後、新大阪駅から少し離れた小道におそらく疲れて地面にペタンと座っていたようです。そこでたまたま神奈川から大阪へ旅行に来ていたカップルが鳥に詳しく、地面に座っている文鳥を見てすぐにどこかから逃げ出したんだと察したようです。
うちの文鳥は人懐っこいので、その方がすぐに保護してくださり、なんとその夜に簡易版鳥かごを作ってくださり、エサと水飲み場まで準備してその簡易版鳥かごに設置して下さっていました。

まだ奇跡は続きます。そのカップルの方が、なんとそこで偶然にも私の家族が紛失届を出した交番に、文鳥を届けてくれたのです。そこでその交番から家族は電話がきて、無事引き取ることができました。

これは3つの奇跡が重なって、奇跡以上の何かに私にとってはなりました。まず地面に落ちていたうちの文鳥を拾ってくれたカップルが鳥に詳しく、瞬時に簡易版鳥カゴ、エサ、水飲み場を準備してくれていたという奇跡。
そしてそのカップルが届けた交番が、偶然にも家族が紛失届をだした交番だったという奇跡。
そして現在、その文鳥は大阪の実家に戻っていつも通り可愛い文鳥と生活が出来ている奇跡。

これが私の人生の中で奇跡だとおもった話です。

ちなみにそれから文鳥はずっと大阪にいます。



54歳 女性のストーリー
都内に住んでいた時の事です。
ある日、所用で少し遅刻して出勤しました。乗っていた通勤電車はラッシュの時間が過ぎて空いていました。途中東京駅で止まり、私の目の前のドアが開くと、そこになんと幼馴染であり、親友でもあるA子が立っていたのです。A子は地方に住んでいたので、目を疑いました。「何でここにいるの!?」とお互いに驚きあいました。
少しの停車時間で旧交を温め、また別れました。
話によると、これから海外旅行に行くために東京駅で空港行きの電車を待っていたのだそうです。偶然だとしても、この車両のこのドアの位置で、というのにある意味ゾッとしました。この出来事の後にもこの親友とは信じがたいエピソードが起こります。つくづく縁というものはあるのだな、と感じた出来事でした。

「私の変えたい過去」

48歳 女性のストーリー
私は18歳まで田舎で育ちました。
小さい頃から何らかの表現者になりたいと思っており、絵、歌、演技・・・様々な表現手法に興味がありました。
それらを習いたいと思っても「東京の子じゃないから無理」と言われ断念するしかなかった幼少時代でした。
知らず知らずのうちに私はそれを抑圧だと感じていたようで
その反動なのか、18歳で大学進学のために東京に出てからは堰を切ったかのように
やりたいと思うことは何でもやりました。
結果、あれもこれも手を出しすぎて「自分にはこれ」と自信を持って言うことが出来るものが何一つありません。
それは仕事についても共通していて、○○の専門と言うことが出来るものは何一つも見つけることが出来ません。
やりたいことを追い続けてしまい、目の前の面白いことだけに集中してしまい
苦難を伴うものからは逃げていた結末がこれです。
実は表現者になりたいと思う傍らで、医者になりたい・・・という夢も持っていました。
そのどれにも近づこうとせず、目の前に降ってくるものだけを追い求め、それはそれで何らかの形になったとしても、強い思いやベースがあるわけではないので長続きするわけがありません。
大学生だった自分に渇を入れたい、あの時代は楽しかったはずなのに、今の私の目線で見ると暗黒の時代です。
48歳にもなり、本来ならばもう少し落ち着くべきところ、とにかく今は生きていくことに必死です。
それもこれも大学時代、そして20代でしっかり種まきしなかったことが原因、自分の責任です。
安定や普通なんてつまらないと思っていたあの頃の自分について、今更後悔しても仕方がない、前に進むしかありません。
これが私の人生ですから、泣かずに負けずに戦い続けます。

「一番ひどい友達からの裏切り」

36歳 女性のストーリー
もう20年ほど前の出来事ですが、インターネットが普及し始めた頃、見ず知らずの人と会話できる”チャットルーム”で親しくなった友達との話です。

自分はいわゆる”腐女子”で、周りにそういった友達がいなかったため、当時16歳だった私は、趣味を話すチャットルームで出会った”腐女子”の同い年の女の子と意気投合し、2年ほど連絡を取り合った後、東京で開催される"コミケ"で直接会うことになりました。

それからその友人とは一緒に同人webサイトを作ったり、合同で同人誌を出したり、出会ってから5年位楽しく遊んでいました。
サイトやイベントを通じで共通の趣味を持つ友達が増えてきた時、私の描いた絵や漫画を批判するコメントがwebサイトに匿名で届くようになったり、2ちゃんねるに悪口を書かれたりするようになりました。

結論を言うと、悪口や批判的なコメントを送っていたのはその友人で、私がその友人以外の人と仲良くしているのが気に入らなかったようで、私の悪口を書いて周りから孤立させたかったようです。
他の友人から「あの子あなたの悪口みたいなことを色んな人に匿名で送ってるみたいだよ」と言われて分かりました。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

61歳 男性のストーリー
私が大学を卒業して、入社した会社はゴム会社で営業職で就職いたしました。
入社して、数か月後に東京営業所に転勤になりました。
ここで知り合った、上司・先輩は皆さん私と同じ県出身でした。
皆さん同じ県の出身ということもあり、地方から出てきた私たちは、皆方言が一緒で仕事が不安な時に、言葉が一緒というのは、すごく安心感が有りました。
その後、長らく一緒の営業所で仕事を行いましたが、数年後からは数人ずつ人事異動で離れ、又違う人が来るという繰り返しでした。それから時間の経過とともに、皆で会う機会が会社では減りましたが、何年がたっても懐かしく、親交をたやさないようにするために、全国に散らばった人が年に1回旅行に行っています。そこで年に1回会うたびに30年前の職場でのエピソードを昨日の事のように親交を交わしています。

「一番おいしかった食べ物」

54歳 女性のストーリー
東京都小笠原村の父島で取れたてのキュウリを食べた時です。
いつも食べているキュウリとは全然違い、みずみずしくぱりっとしていて生臭さもなく
きゅうりとはこんなにおいしい野菜だったのかと感動しました。
いつもたべているキュウリはしなしなできゅうり自体にはりがなく、種の部分が生臭く
どちらかといえば苦手で美味しいと思ってたべたことはありませんでした。
ですからきゅうり単体で食べることはなく、酢の物やサラダの一部にして食べていました。小笠原村父島の知人に自分の庭でキュウリを作っていると言われついて行ったのですが、内心期待はしていませんでした。
けれども無造作にもぎとってくれたキュウリを食べてびっくりしました。
今までのわたしのキュゥリ感をくつがえす美味しさでした。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

50歳 女性のストーリー
私が4歳の時の話です。
当時、私の家は北海道のとある農業高校に程近いところにあり、父が私を連れて農業高校の広大な敷地の中を散歩に出かけることもしばしばでした。
農業高校にはシクラメンやベゴニアなどの鉢花を栽培する温室があるのですが、父は温室の管理室にいる職員さんと親しくしており、
散歩の途中で管理室に寄りしばらく立ち話をしてから温室をひとまわりして帰ったものでした。
あるとき、地元のテレビ番組でその温室が紹介されたのを見て、子供心に「テレビでやるなんて、すごいところなんだ!」と考えました。

それからしばらくった頃に、東京に住む祖父が泊りがけに遊びにきたときに、
私は「おじいちゃん、ゆうめいなところにつれてってあげるね!」と祖父の手を引き、喜び勇んでいっぱい歩いて件の温室へ。
職員さんは父を伴わずやってきた私と初対面の祖父に驚きつつも、祖父といろいろ話をしてくださり、私も祖父と一緒にきれいな花をたくさん見て楽しい時間を過ごしました。
…家に戻ると、「どこへ行ってたの?!」と怒る母。
それもそのはず、家から温室までは道のりにして800mはある。
大人の足なら15分もかからないでしょうが、あれこれ興味を惹かれがちな4歳児の私と、70代後半の祖父の散歩。
朝食を食べてから出かけたのに、帰宅したのは昼食の時間になっていましたから、往復で1時間半はかかっていたはず。
「庭で遊んでいるか、散歩に出かけてもせいぜいご近所を回ってくるぐらいだろう」と思っていたであろう母が心配するのも当然ですね。
…しかし、祖父と私から事情ををきいた母は困惑しつつも大笑い。
夕方に帰宅した父は「おじいちゃんは足が痛いんだから、あんまり遠くへ連れてっちゃダメ」と。
祖父からは頭をなでられ「よく歩いたね」と褒められました。
(考えてみれば、いつも両親と出かけるときはすぐに歩きつかれて抱っこしてもらっていた私が、祖父と二人で往復歩きとおしたわけですから…)

東京に戻った祖父はその後脳梗塞を患い、私の家に来ても一緒に散歩に出かけることはなく家の中で過ごすだけになりました。
私が11歳の時に祖父は亡くなりましたが、葬儀に来た親戚みんなが4歳の頃の私と祖父の散歩の話を知っていて
「本当に○○(私)のこと、かわいがっていたものね」と言ってくれました。
祖父にとって私は一番年下の孫であり、未熟児で生まれたために無事に育つのか心配していたらしいこと、
あの散歩で私が元気いっぱいに成長していることを心から喜び、親戚に自慢げに話していたらしいと知ったのは、さらに何年か経ってからのことでした。

祖父と一緒に出かけたあの散歩は、祖父との一番の思い出です。

「結婚っていいなと思った瞬間」

29歳 女性のストーリー
長い遠距離から、やっとのことで結婚しました。
福岡、東京で遠く5年も離れていましたが、ずっとすぐに会いに行ける距離でもなくお金もかかり、一緒に居たくてもいれない寂しさが募ってましたが、結婚して同棲を始めました。
仕事の時間以外は、一緒にいれる時間は長いし、すぐに会えるし、一緒の空気をすえる。
そして、お互いの1番がお互いで、大切にしてされる感じがとてもいいです。
好きな時間を好きなだけ共有できて、同じ思い出を沢山共有出来るのも幸せです。
また、子供もできて新しい家族も増え、なおかつ幸せが増えました。色んな悩みも増え、喧嘩もいっぱいしますが、こんな当たり前は今まで考えれなかったので、結婚をして本当によかったなと思っています。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
独身っていいなと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
自分は特別だと思った瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
こんなひといました
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
これまでに出会った天才
わたしの周りで大変身した人
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしの周りで一番勉強ができた人
人が豹変した話
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
あの人と縁を切ってよかった
わたしの周りの大恋愛
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
ノウハウ
業界ならではの話
○○の裏話
異性は知らないなと思う話
人間関係
女って本当に恐いと思った瞬間
家族に一番感謝したこと
女同士って面倒くさいと思った話
一番ひどい友達からの裏切り
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
忘れられない夏休み
人生で一番運が良かったなと思う出来事
修学旅行の思い出
これまでで一番お金を無駄にした話
嘘みたいなほんとの話
忘れられない先生の話
人生で一番贅沢した話
どうしても許せないこと
今までで一番感動した話
今までで体験した一番怖い体験
一番の苦労話
人生最大の失恋話
これまでで一番驚いた話
これまでで一番笑った話
とっておきのすべらない話
忘れられない夏の思い出
これはひどいなと思った結婚式
人生最大の修羅場
これまでで一番悲しかった時
死ぬかと思った話
人を見返してやった話
奇跡だと思った話
一番おいしかった食べ物
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
これまでに一番勇気を出した瞬間
学校や仕事をサボってやったこと
お金さえあればと感じた瞬間
私について
もっとも尊敬する人
わたしの初恋と、その結末
誰にも言っていない秘密
誰かに聞いてもらいたい愚痴
人生が変わった出来事
私の変えたい過去
そういえば昔夢見ていたこと
わたしがやめられないもの
仕事での大失敗
苦手だったのに得意になったエピソード
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間