"夏" に関するエピソード

「忘れられない夏の思い出」

37歳 男性のストーリー
当時28歳でした。
地元のお店で接客業をしていました。
そこに高校中退の女の子が新人で来ることに。

ツンデレな感じな女で、「この仕事お願い」といっても

「めんどくさいです」「やりたくないです」という感じ。

だけど自分のお仕事は手伝ってくれて、不思議な感じがしていました。

その子は通信で高校卒業を取得している間、このアルバイトをして、取得後は別の仕事をしたいという話をお昼の休憩に聞きました。
約1年ほどして、所得したので、辞めますという話だったので、送別会。

送別会も終わって帰宅しようとしたらTELが来て、「少し〇〇駅の前で会えませんか」ということ。
行ってみると、車で待っていてくれて、二人で話をした。彼女は彼氏がいるらしいのだが、急に抱きしめられて、(俺男なのに。。。)

「彼氏いるんでしょ?」
と聞いたら
「彼氏は寝てます。大丈夫。」といって抱きしめてくれました。

罪悪感もあり、それ以上のことはなかったのですが、10年たった今でも思い出します。


24歳 女性のストーリー
小学生の頃、近所の夏祭りを友達と楽しんでいた時のこと、突然夕立に見舞われました。真夏だというのに、雨で冷え、浴衣は台無し。二人でプルプル震えながら、肩を寄せ合い、ごった返す人波の中、財布を握りしめ、雨宿りする場所を探しました。ようやくたどり着いたビルの陰、コンビニで買ってきたおでんはふわりと温かく、心まで温めてくれました。雨が止むまで、友人とおおよそ一般的な女子小学生がするような他愛もない話で盛り上がり、唯一無二のおでんの具「友情」を噛み締めていました。
それからというもの、私も友人も、夏の天気にはとりわけ用心深くなり、どこか遠くへ行く時は必ず雨具と気温調節用の衣類、食べ物飲み物といった備えを万端にするようになりました。
49歳 女性のストーリー
1998年7月に横浜スタジアムで開催された氷室京介さんのライブに行った事が忘れられないです。
OneNightstandライブ、ファイナルとその前日の2日間参戦したのですが、ファイナルの日は座席がアリーナで前から2列目の席でした。
私は氷室京介さんのファンなのでライブは殆ど行っていますが、あの様な神席は最初で最後です。
アンコール最後の曲が終わったと同時に打ち上げられた花火の印象が強く残っています。アリーナ席はスタジアムから出る順番が1番最後でしたので、花火の綺麗さとライブの素晴らしさの余韻に浸ってました。
このライブはビデオで発売されたのですが、前から2列目にいた私はそのビデオに映っています。
自分が映っていると分かった時に、ビデオをもう一つ買ってしまいました。
現在、氷室京介さんは活動休止していますが、また夏の横浜スタジアムでサマーゲームを聴きたいと思うほど、私の夏の思い出になっています。
22歳 女性のストーリー
私は夏が大好きです。海にプールに川遊び・・・毎年夏はアウトドアを、沢山して楽しんでいます。
特に私は海などでするBBQが大好きで毎年10回以上する程です。
ある年の夏も毎週のように海などに遊びにいってはBBQを楽しんでいました。
すると、そのある年の夏、職場の同僚から200人規模のBBQがあるから一緒に行こう!と誘われました。
さすがにその規模のBBQは初めてだったので、即行くと伝え、当日までめちゃくちゃ楽しみにしていました。
当日、晴天にも恵まれ超BBQ日和でした。
指定された場所に行くと200人を超える人がいました。
最初は人の多さにびびってしまいましたがそんなの序の口でした。主催者はまさかの、ヤクザさん。参加者の7割もヤクザさんでした。普段関わることの無い人達だったので怖かったですが皆優しく、楽しいBBQでしたが、いろんな意味で忘れられない夏の思い出になりました。
34歳 男性のストーリー
ひと夏の恋関係のネタは残念ながら一つも持ってないんですが、中学時代の話で自分自身は部活で美術部に所属し、元々、絵を描く事は嫌いではなく、また帰宅部だと担任(中学3年同じだった…)が口うるさい(どちらかと言えば神経質)タイプだった事もあり、めんどくさく、担任が顧問する美術部へ入った次第ですが、活動としては主に油絵を描き、そのため、入部と同時に油絵セットを購入しましたが、油絵を描いて思った感想としては絵の具を塗っていくというより重ねていくという感じで下に塗った絵の具に徐々に重ねて風合いを出す様な感じでした。本題からズレてしまいましたが、部活は3年生になると夏休みが過ぎたら引退というのが通例で最後は夏休みまでに描くのが最後の活動でこの時も2枚描いている内の1枚苦戦していて、もういいかなと思っていたら顧問(担任と同一人物)に描き出されてしまい、不満がありましたが、この時、何かの選考会に出さなければならず、2枚出しましたが、入選はしたものの、顧問が描き出した方だったと分かり、挫折と屈辱を同時に味わった感じで、これを境に2度と油絵を描かないと誓いました。
40歳 女性のストーリー
私の両親の実家は、双方ともに地方にあります。
親戚は、それぞれその地方に固まり、しょっちゅう交流をしているようで、我が家だけが1年に1回、夏休みに帰省するのが毎年恒例の夏休みの行事でした。
親戚が我が家に来ることがなかったのでこの期間しか交流することがなく、人見知りの私は、慣れた頃に帰るを毎年繰り返していました。
向こうのいとこは頻繁に交流していたこともあって、いとこというよりも兄弟や友だちのように仲が良く、私たちだけがよそ者感を勝手に感じてしまい、交流するのがとても苦痛な時間でした。
あまりいい思い出ではないのですが、夏休み!といえば、この時の感覚がすごく残っていて夏休みシーズンになると思い出します。
62歳 男性のストーリー
今から30年ほど前になりますが、当時は中学校の教師として働いていました。夏は、部活動の稼ぎ時でもあります。また、市郡の大会で県大会への出場権を得た場合や、それに続く中国大会・全国大会への出場権を得た時は、暑さの中でも活動をする必要があります。当時、私は野球部の顧問をしていましたので、一日外で練習をするという日もたくさんありました。暑さの中、意識がもうろうとするような場面があったことを思い出します。今のように熱中症への注意喚起もほとんどされていない時代です。生徒も自分も無事に活動できたことは奇跡とも言えます。今年も暑い夏が続いています。夏の高校野球も全国大会が始まります。関係される方が暑さの中で守られることを祈念します。
33歳 男性のストーリー
当時中学生だった僕は、夏休み限定で家庭教師を頼んでいました。
来てくれていたのは地元の国立大に通う19歳の大学生のお姉さんです。
勉強はわかりやすく、楽しくて夢中になっていたのを覚えています。
当時は猛暑で毎日薄いTシャツで来るお姉さんの透けたブラジャー、たまに覗く胸元の谷間にいつもドキドキしていました。
夏休みも終盤にあり、全国模試を迎えました。
僕は思い切って、前よりも模試の順番が上がったらお願いを一個だけ聞いて欲しいとお願いしました。
「しょうがないなぁ」と笑いながら答えるお姉さんがホントに綺麗で、今でも思い出すとドキドキします。
猛勉強の末、順位を上げた僕は「どうしてもファーストキスをお姉さんとしたい」とお願いし、ファーストキスを捧げました。
37歳 男性のストーリー
親の介護と上司への信用がなくなり仕事を辞めた直後の夏の一件が未だに忘れられません。その日はとても暑く、ビアガーデンに行ったら最高だろうなと思う日でした。かくいう私も友人達と飲みに行く約束をしており友人たちも休日だったため日中から遊び夕方以降は飲みという計画で日中出かけました。日中は友人たちと麻雀して楽しみ、その後は飲みでビアガーデン空いてないとか愚痴りつつも何とか入れる店を見つけみんなで飲んで盛り上がりました。そしてお開きの時間になってきたのでまた都合をつけて飲もうと約束して帰路につきました。帰宅して喉の渇きを潤し一休みして自室に戻ろうとした際に隣の部屋で横たわっている父を発見しました。音もなく寝ているので血の気が引き息をしているか確認して寝ていると判明したので一安心したのですがいくら揺すっても起きない。今度は別の意味で血の気が引きどうやっても起きないので最終的に救急車を呼び病院に連れて行きました。救急室で母と二人で原因はなんだとか目を話したのが悪かったとか悩みましたが、救急医療の担当医師はどうやら薬の副作用が重なり昏睡に近い状態になったと説明されました。それと同時に対抗薬を入れてみたら目が覚めましたので朝まで様子を見てこのまま一旦入院しましょうと言われ、私たちは一旦帰宅しました。そして翌朝に主治医からの説明では原因不明ですが、もうこれ以降は起きないので安心してくださいと説明され救命センターでの説明と違うと食い下がっても大丈夫の一言で流されてしまいました。この一連の流れが未だに忘れられません、人の命を何だと思っているのか、原因がはっきりしないと今後も起きる可能性があるじゃないかと医者に対する不信感を得るまでに至りましたから。未だに夏が来るとあの一件を忘れる事が出来ずその部屋を見ると感情があふれてしまいます。
52歳 男性のストーリー
小学生の頃、夏休みに和歌山の方へ家族で、2、3泊でしたが、親に海に連れて行ってもらいました。電車とバスでの移動で、宿泊は民宿でした。場所は和歌山県日高町産湯の辺りでした。弟も含め、家族4人で毎年、その旅行が恒例でした。兄弟二人共、その当時は、泳ぎは得意な方ではなかったです。泳ぐことのほかに、堤防で釣りをしたりもしました。民宿なので、釣った魚は、お願いすると、夕食の一品になり、自分で釣った魚だけにとても美味しく感じたことを覚えています。炎天下の中、日陰で休憩を入れたりしましたが、夕方に民宿に戻り、お風呂に入ると、日焼けで、お湯をかけると、ひりひりとして、2、3泊後には腕のあちこちの皮膚がめくれている状態でした。民宿だけにとれたての魚料理が並び、サザエのつぼ焼きなども出て、非常においしかったです。父母も高齢になってしまいましたが、今では忘れられない思い出です。小学校の夏休みの宿題でどこかに行った思い出は毎年、その家族旅行でした。
23歳 女性のストーリー
19歳の社会人1年目の時に、久々に高校の友達3人と遊びました。夏だったので花火をしようと河川敷で花火をしました。車を止めて、携帯だけ写真を撮るために持っておりました。車から100メートル離れたところで花火をして楽しんでいました。するとバーンっと音が聞こえて、何?と言ってビビっていたのですが、近くに高速道路があったのでトラックの音かな?と言ってました。30分ほど花火をして終わって車に戻ったらなんと車の窓が割られていました。まさかの車上荒らしにあってました。携帯だけ持って荷物は置いていたので見事に全て盗まれていました。後々気づいたのですが、あのバーンとした後は窓を割る音だったんだと思うと、ゾッとします。忘れられない夏の思い出です。
48歳 男性のストーリー
江ノ島に彼女と行った事です。付き合いはじめて間もない頃だったのですが、2人で江ノ島水族館へ行きました。
昼御飯は、釜揚げしらす丼を食べました。美味しかったです。
水族館では記念撮影をして、館内をブラブラして彼女がクラゲが好きだというので見に行きました。クラゲショーもあり和やかな時間を楽しみました。
ペンギンも見ました。いろいろなものがいて癒されました。
もっとも見所のイルカとアシカのショーを見ました。イルカは、ジャンプしたり、踊ったりして華やかでした。幸い遠かったので水のかかることもなく楽しめました。
生まれてはじめてカピバラを見て楽しめました。
そして、夕食はちょっと奮発して高めのイタリア料理のダイニングレストランに入りました。サラダは豪華ではじめて食べるニョッキやピザやローストビーフも食べ、最高に美味しかったです。
この日は疲れましたがとても楽しい時を過ごしました。
43歳 男性のストーリー
高校生の頃の話です。卒業する学年になり、仲の良かった人たちで海に行こうという話になりました。BBQもついでに行うということにして、すでに車の免許を持っていた友人たち何人かの運転で海に向かいました。私はかなづちのため、海で泳ぐという気はサラサラなく、BBQメインで考えていました。
海に着き、BBQ準備組と海で泳ぐ組がそれぞれ楽しんでいました。
私はもちろんBBQの準備を行っていたのですが、親に強制的に連れられたり、経験回数も多く、1人でも準備ができるくらいでしたが、わざと外から見ているフリをしていました。案の定、周りは慣れない作業に戸惑います。
こうなれば、私の1人勝ちが確定です。無言で準備に手を出し、すばやく調理を始めました。自宅から隠し玉として、オリジナルの手料理を仕込んだりして来ていたので、ウケは最高でした。
みんなの笑顔と楽しそうな表情を見て、結果として将来飲食の道に入るきっかけとなりました。
32歳 女性のストーリー
中学生の時友達と海に行く約束をしました。
好きな男の子達と一緒に行くこともあって、計画は友達と念入りに考えました。海に行く交通手段やお昼ごはん、そして水着!中学生ながら背伸びして友達とビキニを買いに行きました。いろいろ見て、その頃私が大好きな色の赤い色の水着を買うことにしました。
中学生には金額が高くなんと一万円!貯めてたお小遣いを使い買って帰ったのですがなんと紐ビキニだったのです。
母親にこっぴどく金額や紐ビキニだということに怒られましたが、どうしても着たかった私はその水着を着て海に向かいました。緊張して、好きな男の子と話せず遊べないまま、一人で海で遊んでいると、大きな波がきてかぶってしまいました。その時ビキニがとれてしまい。今でも忘れられない思い出です。
29歳 女性のストーリー
夏は、私と夫が付き合いはじめた記念日がある。それで毎年、決まったお店でディナーを楽しんでいる。去年も例年通り、今までの思い出に浸りながら楽しく食事をした。食事が終わり外に出ると、たまたま地元の祭りが開催されていたので、それを少し見ることにした。しかし、見始めてから10分後、いきなり強い雨が降り出してきた。私たちは急いで雨宿りをし、雨が止むのを待つことにした。しかし、一向に雨が止みそうな気配もなく、スマホのアプリで雨雲レーダーを見ても、雨雲が切れそうになかった。祭りはそのまま続いていたが、とても観覧するどころではなかった。私たちは急いでタクシーに乗って帰ることにした。しかし、祭りの影響で交通規制があっており、タクシーもなかなか捕まらなかった。傘も持っていなかったのでずぶぬれを覚悟していたが、夫が自分のカーディガンを私にかけてくれた。夫はもちろんずぶぬれになったが、私は大分雨をしのぐことが出来た。しばらくたって何とかタクシーを捕まえることができ、無事帰宅した。食事に祭りに大雨と、いろんなことがあったが、夫の優しさを改めて感じることが出来た記念日となった。
37歳 女性のストーリー
花火大会の後に下駄の靴擦れが痛くて、用意しておいた普通のサンダルに履き替えて歩いて帰りました。しかし、下駄を忘れてきてしまい、忘れた場所が悪くてちょっとした騒ぎになってしまいました。

その花火大会では橋を歩行者天国にして歩いて橋を渡って花火がかなり近くから見られます。橋の長さがかなりあるので往復すると疲れます。

私が下駄からサンダルに履き替えた場所が花火が見える方とは逆の橋の欄干の近くでした。下駄がポツンと置いてあるとまるで人が身投げしたように見えて、身投げひた女の幽霊が出たと噂になってしまいました。花火大会の場所が田舎なので、地元の人は花火の後しばらく幽霊の話ばかりしていました。

今さら下駄からサンダルに履き替えて、下駄を忘れただけですと言い出しにくい空気になってしまいました。そのときに一緒に花火大会に行ってくれた彼氏が、今の夫です。一緒に屋台で買い物をしたり、花火を見上げたり最高のデートになるはずでした。

夫も同じ地域の出身なので花火大会の日の下駄の話が、幽霊の噂になってしまったことを知っています。それでも、その幽霊の話が地元で盛り上がり過ぎて、

「今さら下駄忘れただけって言いにくいよね」

夫は苦笑いしていて、二人の秘密のようになっています。もちろん消防団や警察の人はプロなので、置き忘れただけの下駄だと知っています。捜索の川さらいもされませんでしたし、誰にも迷惑はかけていませんが気不味いです。橋の欄干の側でなくても、地元以外から来た人が下駄からサンダルやスニーカーに履き替えて、脱いだ下駄を忘れていくというのはよくあることです。

いくら田舎とはいえ、100人単位の人が橋の周辺にいて誰かが身投げしたら目撃者が出ます。また幽霊の噂にならないように、下駄からサンダルに履き替えるときは下駄を忘れないようにしています。

人騒がせな忘れ物でしたが、毎年今の夫と地元の花火大会に行く度に、あの下駄の忘れ物を思い出します。浴衣の色に合わせて買った下駄なのにもったいなかったなと思います。幽霊扱いされてちょっと後悔が残る忘れられない夏の思い出です。
40歳 男性のストーリー
私の忘れられない夏の思い出は、「仕事に明け暮れた」ということである。
私は塾講師をしているので、夏は「夏期講習」に明け暮れることになる。普段平日昼間子供達は学校に行っているので、塾講師の仕事は午後からである。
一方夏は子供たちは夏休みなので、平日昼間時間がある。よって塾も「夏期講習」ということで午前中からとなる。
「夏期講習」期間中は最も長時間となると、「午前8時30分~午後9時30分」が3週間続くことになる。もちろん途中いくつか休憩時間があるが、正直きつい。
なるべく「体力温存」を図った授業を心がけているが、悪態をつく生徒への対応がメインとなり、とても「体力温存」どころではない。
しかし大変過酷ではあるが、「忘れられない夏の思い出」には良い意味でも悪い意味でもなっていることは、確かである。
43歳 男性のストーリー
私が小学生の時、夏休みには友達と集まって近所の山や空き地などに良く遊びに行きました。今の時代ならあまり子供達も外では遊びませんし、出かけるにしても日焼け対策や熱中症対策など万全にして出かけると思います。でも昔はそんなこと考えてもいませんでした。周りの友達はジュースなど持って遊びに来てましたが、私の家はそんなに裕福では無くて、遊びに行ってもジュースなど買えませんでした。でも私の母が遊びに行く私にいつも冷やしたキュウリを一本丸ごと持たせてくれました。今思えば、母なりの水分補給という事だったんでしょうが、当時の私はとてもそれが恥ずかしくてたまりませんでした。夏休みの時期になるとお祭りなどで冷えたキュウリが売っているのを見かけると、あの時のほろ苦い夏の思い出がよみがえってきます。
21歳 男性のストーリー
中学時代の友人と久々に会うことになり、会った時、彼に彼女がいました、
しかも相手は自分も好きだった女性、そう彼もその女性が好きだったそうです。

話を聞くと、中学卒業式後に告白したみたいでした。

私は、おめでとう!と言いながらも、

友人に好きだった女性を取られ。

心の中は複雑な気分でした。

でも、二人を見ていると、お互い仲も良く、

周りから見ればお似合いのカップルでした。

そのことを感じた瞬間、私は、最初友人への嫉妬がありましたが、やはり君には勝てないなと感じました。

その日、ふと夜空を見上げました。その日の夜空は、気温自体は、蒸し暑かったのですが、

空には雲ひとつもなく、星空が綺麗だったのを今でも覚えています。
33歳 女性のストーリー
小学生の頃に通っていた学習塾のキャンプでの出来事です。その学習塾には仲の良い友達と通っていました。キャンプ場はログハウスがあり、プールも付いており昼間はプールを友人達と楽しんで、夜はログハウスでみんなでごろ寝をしてとても楽しかったのを覚えています。他の場所の学習塾の子達ともその時に初めて会ったのですがすぐに仲良くなれました。引率に付いてきてくれていたのは、いつもの塾の先生達とそのキャンプの時のみのアルバイトの大学生の方が何人かいました。朝方になって、ヒグラシの鳴き声がすごく綺麗に聴こえて起きました。朝ごはんは、大学生の方達がカレーを作ってくれていました。朝からカレーというのにも驚きましたが、そのカレーのまずいこと。私は食べられずに残そうとしました。でも大学生が「まずいなら食べなくて良いよ。」と言いますが表情がとても怖かったです。私はこっそりタッパーに入れて家に持ち帰りました。友達は見えないところで上手に捨てていました。楽しいキャンプでしたが、少し苦い思い出として忘れられません。
40歳 女性のストーリー
高校生の夏休みにイギリスにホームステイに行った時の人生最大のモテ期だった体験を告白します。
当時私は女子校に通っていました。中学まで共学だったので、出会いがなく、恋バナがしたかったのでオーバーに軽いノリでした。
日本にいた頃は、クラスでも三番目くらいに人気がある方でした。幼稚園から顔見知りの女の子たちのグループにいたら、その子たちが目立ってモテるので、その効果にあやかっていたと思います。地方にいましたが、そのグループの女の子で東京のモデル事務所にスカウトされ所属した人もいるくらいでした。
ナンバーワンにならないけど、時々アプローチされるくらいで私には充分でした。
高校は女子校でも、朝の通学の電車のホームで一緒になる男子高生に一目惚れし、彼もかなり人気あったのに、初めての彼女になったこともありました。
イギリスでのホームステイ先は、ものすごく歓迎される感じではありませんでした。私の数日前にも、日本からの留学生が帰国したばかりでした。
私は女子校のノリで、英語力はなくても恋バナでホストファミリーの同年代の女子2人と盛り上がって仲良くなるつもりでしたが、2人ともそんなに恋愛に興味がないようでした。

ホームファミリーに夢を抱いていた私は、コミュニケーションをとることを諦めました。

そのかわり新しい恋愛の出会いを探そうとしましたがきっかけがありません。

ところが、現地の英会話スクールへの通学に使っていた20代男性のバスの運転手さんが、どうも私へ好意を持っていたらしく、ホームステイ中、私の友達たち10人位のバス代をずっと半額にしてくれました。

また、友人のホームファミリーの男の子が、私のことをものすごく気に入ってくれたらしく、熱烈なアプローチをしてきました。その男の子に関しては、友人のホームファミリーということで、流石に遠慮しました。

極めつけは、ロンドンで有名なミュージカルであるCatsを最前列で友人達と見ていたら、Catsに出ている俳優が上演中にボディタッチなどでアプローチしてきました。

Catsは、最前列で見ていると俳優と目が頻繁にあったり、演出上、俳優が私の座席の近くで静止していたりするのですが、その間ずっと見つめあったりしていました。

容姿に自信がある方は、日本の映画の舞台挨拶で前の方に座っていると、かなり有名な俳優さんとしばらく目を合わせるという体験ができるチャンスもあります。
24歳 女性のストーリー
それはまだ私が大学生だったころ、学校のカリキュラムでクラス全員で行った月山への写生旅行。
初夏だというにもかかわらず、着いた場所はひんやり冷えており、山の山頂付近では雪が積もっていた。どこで写生するかは自由とのことでまだ雪の積もるエリアに行くメンバーに着いていった。
その時は、まさか普通のスニーカーで急斜面をロープで伝いながら雪道を歩くとは思わなかった。
いくらか歩き、多少岩肌が確認できるエリアで写生することになった。
その時、山頂付近から霧というか雲のような白い靄が降りてきては下へと通過していった、とても美しく誰かが流したジブリのアシタカせっ記がさらに雰囲気を駆り立てた。あの時の体験と光景、気持ちは今でも忘れられない、大切な思い出となっている。
57歳 女性のストーリー
57歳の専業主婦です。忘れられない夏の思い出は、恋の思い出です。20歳の時会社の得意先の方で、月に何回か来られる時に会釈程度ぐらいで、特に意識はしてませんでした。
しばらく経って、映画館でバッタリ会い、その1ヶ月後、今度は音楽フェスでまた出会ってしまって、その時に一言「奇遇ですね」からお互い電話番号を交換しました。
デートが始まって、すぐ意気投合して、私は彼のことが大好きになりました。
今思えば、私は恋愛にまだ慣れてなくて、想いが強すぎて、周りが見えなくなっていたかもしれません。
そんな私の想いに彼は重荷になってしまって、半年でこの恋は終わりました。
彼に振られてからは、しばらく塞ぎ込む毎日が過ぎました。
でも日が経つにつれて、前の彼とは対照的な今の主人と出会い結婚して、今は穏やかに暮らしています。
あれから20年経った時に、前の彼とバッタリ再会したことがありましたが、その時は懐かしい気持ちと昔の自分を思い出して少しキュンとした甘酸っぱい感動があふれました。
今でも忘れられない体験です

「忘れられない先生の話」

33歳 女性のストーリー
小学校2~5年までの校長先生。今思えばとても面白い先生でした。とにかく色々な企画をしてくださる先生で、「校長先生と行う親子料理教室」「校長先生と行く魚釣り」「校長先生の夏休みプール教室(夏休みの午後に開放されるものと別で午前中に開かれていた)」「校長先生と行う工作教室」などなど、本当にたくさんのたのしい企画を考えてくださっていました。
中でも一番インパクトがあったのが冬季にグラウンドが使えない時期、業間体育の時間に何のレクを行なうかの学級会をしていた時に丁度教室を見回り中だった校長先生が学級会の議題を把握して『はーい!!ボク(校長先生)は新聞を丸めたものを雪玉として、室内でもやれる[室内雪合戦]がいいと思いまーす!!』と元気よく提案したことです。
満場一致で賛成で、その日以降業間体育の時間に何度も室内雪合戦を行ないました。

例えるなら「窓際のトットちゃん」に出てくる校長先生に近い方だったという印象です。

「忘れられない夏休み」

61歳 男性のストーリー
 子供たちが小さいころ、毎年夏休みには家族で海水浴をしていました。自宅から車で2,3時間程度で行くことができる海水浴場は5,6か所あり、夏休みを含めた夏の期間に度々行っていたものです。
 ある年の夏休み、いつものように家族である海水浴場に行きました。そこは、それまでに10回近く行ったところで、様子をよく知っていたのですが、その年は浜辺の一部がサーフィンのために海底が浚渫され、遠浅だった浜辺が深く掘り下げられていました。私と次男(小学1年生)は、そのことに気づかず、いつものようにひざ丈ぐらいの海辺(いつもより海底の傾斜がきついと思いながら)で水遊びをしていたところ、突然高波が寄せてきて、その引き波であっという間に100メートル近く沖まで流されてしまいました。泳ぎはできたのですが、子供を抱いていたことと波が強かったために泳いでも泳いでも浜辺へたどり着くことができませんでした。力尽きてもうだめかと思ったとき、20メートルぐらい先にサーファーが数人いるのに気づき、大声で助けを呼びました。サーファーがすくに気づいて私たちに近寄ってきたので、すぐ近くに来たサーファーに力を振り絞って子供を投げ、サーファーが子供をキャッチしたのを見た瞬間、私の中からすべての力が抜けて海底に沈んでいきました。「これで私の人生は終わりだな」という思いが脳裏に浮かび、頭上に真夏の海を通してギラギラ光る太陽を見ながら静かに沈んでいったのですが、私を探していたサーファーのサーフボードがその太陽を遮った瞬間、私の中に力が漲り、海面に向かって浮かぼうと腕を動かすことができ、救助されました。
 救助してくれたサーファーは名乗らずに去っていき、私は救急車で病院に搬送されて治療を受けました。
 この年の夏休みは今でも家族にとって忘れられない夏休みになりました。その時以来、私たち家族は海辺に近づくことはなくなりました。
52歳 女性のストーリー
中学1年の夏休み、母が手術を受けるため入院した。
学校のお弁当があるため、夏休みを選んだが、家に一人でいる時間が長くさみしかった。
父が朝食をつくり、お昼はスーパーで買って、病院で母と一緒に食べた。大部屋だったけど宿題を持って行って、1時間くらい勉強していた。3日もたつと同室の人と話をしたり、お見舞いのお菓子をもらって食べたりした。幸い手術すれば治る病気だったので、病室が居心地の良い空間になっていった。
病院から家に帰り、6時ごろになり少しづつ暗くなってくると、寂しかった。一人暮らしをしている八つ上の姉が、仕事がないときは夕食を準備してくれた。部活でお弁当があるときは父が作ってくれた。結構おいしかった。
2週間がたち、退院してしばらく家で安静にしていたが、母がいるだけで心強かった。
充分なお小遣いをもらっていたが、やはり家族がいる安心感が一番だった。
しばらくすると、通常の生活に戻り、母が入院したことすら忘れてしまうが、心配事があると、中一の夏に感じた不安な気持ちを思い出す。
37歳 男性のストーリー
もうずっと昔の事だが、高校3年の1学期期末試験で友人たちと点数勝負をした。
負けたら夏休み中にとあるイベントに参加するという条件で乗ったのだが、まさかの敗北。
そしてそのイベントに参加した事で、そのイベントに参加するのが趣味になり毎年夏休みはそのイベントに参加するのが毎年の行事となっている。
それまでの自分の人生をまるっきし変えるような出来事だったので未だに初参加した際の驚きは薄れていないし、ある意味自分の人生が変わった忘れられない夏休みとなってしまった。
当時参加していた友人たちも一人辞め二人辞めと今では自分こみで二人しか残っていないがそれでもあの時本気で試験に臨み点数で負けたのはある意味運命だったのかもしれないし、それで得たものが一生ものになりそうなのでこれはこれで良かったのかもしれないと思っている。
37歳 女性のストーリー
夏休みといえば学生。そんなイメージがありますが、夏休みは大人になっても楽しめます。
これは、社会人4年目の夏休みのことでした。職場の同僚が仲良く、みんなで夏休み1泊2日の海水浴旅行を計画しました。計画が決まったら、職業柄、まずはプラン作成、しおり作成、お揃いのTシャツ作成、役割分担、などなど綿密な計画を立て、旅行に行く前から楽しんでおりました。旅行当日、持ち物検査(笑)配車のくじ引きから始まり、海水浴場では泳ぐもよし焼くもよし、チーム対抗ビーチバレー大会、ビーチフラッグ大会、すいか割り、盛りだくさんで全力で楽しみました。夜は、宿泊先でBBQ、肝試し、花火大会、酒盛り、夜更けまでトランプしたりウノしたり、寝ることも忘れるくらい夜を満喫しました。次の日は、朝から日の出散歩、朝ごはんジャンケン、宿舎掃除。帰り支度をし、また配車のくじ引き。帰り道は、観覧車のある公園によって、集合写真撮影。大人って、こんなに楽しめる?てなほど、楽しみつくしました。あの夏休み旅行は、最初で最後でしたが、10年たった今でも忘れられない夏休みです。
28歳 女性のストーリー
15歳。中学3年生の夏休みでした。
当時私は周りの友達より早く携帯電話を持っていました。1番中の良かった友達も持っていました。
私たち2人は夏休み毎日のように会い、毎日簡単に出来る出会い系サイトの掲示板に投稿しして遊んでました。
8月15日。福山の花火大会に行こう!という話になり、福山駅までは電車に乗って行きました。会場まで行くにはすごい人の量のバスに乗らなければなりません。
私たちはいつものように掲示板で足になってくれる男の人を探しました。
ちょうどよく足になってくれる人が見つかり、花火を見て帰りの電車の時間が迫っていたので福山駅まではなく、東福岡駅に送ってもらいました。
ここまでの話でも今ではとてつもなく危ない事をした忘れられない夏休みなのですが、送ってもらった駅がとても忘れられません。
なんと人よりゴキブリの方が多い駅でした。
あの光景は今でも忘れられません。
41歳 男性のストーリー
小2の夏休み、おばあちゃんの家へ行って、従兄弟達と会って遊んでいました。私は、おばあちゃんが履いていた普通のサンダルが何となく好きで従兄弟達と外で遊びに行く時に、必ずそのサンダルを履いて遊んでいました。おばあちゃんの家は、日本の名水百選などにも選ばれる綺麗で美味しい水が流れている土地で、川の側溝も、都会にはなかなか無い幅広さでした。
僕と従兄弟は、公園でゴムボールとプラスチックのバットで野球をして遊んでいた時に、僕が打ったボールが公園の外の道路まで飛んで行きました。
慌てて、従兄弟達と走って取りに行った時に、小2の自分にはまだサイズが大きいおばあちゃんのサンダルが脱げて側溝に落ちてしまいました。おばあちゃんのサンダルはゆっくりと流されて行きました。おばあちゃんのサンダルを失くしてしまったら大変だと思った私は、側溝に降りて、川の流れに逆らいながらサンダルを追いかけました。その側溝は、上部にコンクリートで出来た棒状の仕切りが等間隔に取り付けられていて、自分は、それを避けながら追いかけていたんですが、サンダルを必死で追いかけるうちに、仕切りに頭を何度かぶつけました。
痛いなと思いながらも、サンダルを取る事しか頭に無い自分は、気にせず追いかけましたが、どんどんサンダルは遠ざかって行き、諦め始めた時、上から見ていた1つ上の従兄弟が私の頭を指差し「血が出てるよ」と言いました。額に手を当てると、ドロっとした血が手に付いていました。驚いた自分は、泣きながら側溝から出て、道で号泣。すると近くでバトミントンをしていた中学生くらいのお姉さんが、血を流して泣いている自分を見て、私を抱えながら、従兄弟の誘導でおばあちゃんの家まで走って連れて行ってくれました。その後、親族は大慌てで、病院へ連れて行き、結果、頭部を7針縫うケガを負いました。
22歳 女性のストーリー
大学2年生の夏休みに20歳を迎え、何か今までにやったことがないことがしてみたいと考えました。とは言っても学生の自分でできることは多くなく、結果「1人で二泊三日京都旅行」を敢行しました。
私は地方に住んでおり、バスで移動することもあまりありません。新幹線やホテルの予約や、京都での移動に多々不安がありましたが、「せっかく大人になったんだから」と母の言葉が後押ししてくれました。
中学生の時の修学旅行以来、二度目の京都。現地の予定は完全ノープランだったため、新幹線の中でどこに行こうか考えていました。おすすめのカフェを巡りたいところでしたが、夏休み期間ということもありカップルや家族連れが多く、女子1人で入るにはなかなか勇気のいるお店ばかり…。迷った挙句、修学旅行で巡った神社仏閣を再び巡るというプランになりました。
当時はガイドさんの話を聞いても全く耳を傾けなかった場所に、20歳になって再び足を踏み入れるのはとても感慨深いものがありましま。この神社で写真を撮ったな、あのお店でお土産を買ったっけ。そんな事を思い出しながら、1人京都の街並みをぶらぶらと。
その後、中学時代に読んでいた本の舞台となった場所にも行き、思春期時代の思い出を巡る旅となりました。
15歳の悩み多かった自分を追いかけるようなものでしたが、20歳という節目を迎えた年に経験できてとても良かったと感じています。
29歳 男性のストーリー
僕が専門学校に通っていた時なので10年ほど前の話になるのですが、夏休みに実家に帰省している時にお盆でほかの友達やら後輩もいて夜に何人かで灯台のふもとで流星群を見ようということになりました。
寝ずにおしゃべりをしていたのですが、ただただ昔の思い出話や進路のことなどたわいもない話をしただけだったけど、自分にとってはとても楽しくてこのままその感じがずっと続かないかなと思うくらいな気持ちになっていました。
一緒に喋っていたメンバーの中にずっと好きだった子がいて、二人きりになる場面があったのですが好きという言葉も言えずに朝を向かえ、それぞれ家に帰ったのですが、あの時に好きの一言が言えてたらなと後悔したという思い出です。
32歳 女性のストーリー
私が中学一年生だった年の夏休み。
入学式での吹奏楽部の歓迎演奏で、私は指揮者の先輩に一目惚れをしました。
彼は三年生。どうしてもお近づきになりたくて、彼と同じ吹奏楽部、しかも同じパートに入ることができました。
それだけでも夢のようだったのに、友達のお陰で、なんと学校に入学して三ヶ月もたたずにお付き合いすることができたのです。
ただ、私はまだ恋だの愛だのが理解できておらず、付き合えた事実だけで舞い上がり、ろくに彼の目を見て話すことすらできませんでした。
嬉しいけど恥ずかしい。そんな気持ちが抜けずによそよそしい態度をするばかりで、初めての夏休みがきました。
当時はお互い携帯電話も持っていなかったので、連絡手段は電話のみ。
夏休みに入ってすぐに彼から「鎌倉の花火を見に行こう」と誘われたのですが、嬉しい気持ちよりも、何故か「恥ずかしい気持ち」の方が勝ってしまい、とても冷たく断ってしまったのです。
本当は一緒に行きたくて仕方なかったのに。
それから彼とは自然消滅してしまいました。
あとにも先にも、あんなにも強烈な一目惚れをして好きになった男性はいないのに、自分が子供だったばっかりに、自分の正直な気持ちも、彼の気持ちも傷つけてしまったと、とても後悔しています。
20年近く経った今でも、夏の花火を見るたびに、彼の悲しそうな姿が思い浮かび、胸が痛みます。
24歳 女性のストーリー
中学生の夏休みです。
私は吹奏楽部に所属していたのですが、活動日がお盆以外ほぼ毎日朝から夕方まで練習していました。コンクールがちょうど夏休みの間にあったため、ずっと練習でした。演奏するにも意外と体力を使うので、大変でした。精神的にも体力的にも楽ではありませんでしたが、コンクールに向けての最後の練習は楽しんでやっていました。コンクールで演奏した後も達成感をとても感じ、頑張ってよかったと思いました。
今思えばよくやったなと思います。おかげで、大概の大変なことに直面したらこの頃を思い出し、あのときに比べればと頑張れます。
ある意味心の支えとなっていますし、やることがいっぱいで充実していたので忘れられない夏休みです。
22歳 女性のストーリー
社会人1年目で初めて訪れた夏休み(お盆休み)。
高校生の頃からお付き合いしている同い年の彼と少し距離を置いていた。
高校生活はずっと彼と一緒だった。(放課も週末も)私は少し疲れていた。
1人の時間が欲しかった。だから距離を置いていた。
ある日、会社で同じ部署の男性(3歳年上)に花火でも見て
疲れを取ろう!と言われ、花火大会に行くことになった。
年上の男性と出掛ける事が初めてだった私は少し緊張していた。
結構有名な花火大会だったらしく、朝から集合して会場へ向かった。
車での送迎や、食事代金の支払い、全てにおいて大人の対応だった。
花火を見終わり、帰宅ラッシュが過ぎるまで近くでゆっくりすることになった。
噴水がある公園で噴水を見ながら話していると、突然男性に告白されたのだ。
職場でそんなに会話していなかったし、私はむしろ嫌われていると思っていた。
だからとてもびっくりした。同い年の彼を一途に思ってきた私が、初めて
違う男性に心動く瞬間でした。私は人生で初めて浮気をしました。
数日後に告白を承諾した。同い年の彼に別れを告げると、何で?と言われました。
そうですよね、だって喧嘩もしていないのだから。私が一方的に距離を置き、
そして浮気した。最低な女です。3年だった今でも忘れられない夏休みです。
生きてきて初めて最低なことをした夏休み。
42歳 男性のストーリー
自分が高校2年生の時の夏休みの話です。今から20年以上も前の話ですがその頃私には仲のいい親友と呼べる友達が4人ほどいました。

夏休み前に原付バイクの免許を全員が取得して夏休み前半には全員が人生で初めて原付きバイクを購入出来たこともあり、4人揃ってバイクで色々な場所へ出かける毎日でした。

バイクに乗るのが楽しくてたまらず殆ど毎日バイクに乗っていたので夏休み中だけでなんと1000キロ近くの距離を走行していた事に気づきとても驚いたのと同時に満足感も大きかったです。

隣の県へ出かけた時に起こったことなんですが一緒に走っていたはずの仲間と途中ではぐれてしまい、知らない土地で、当時は携帯電話などもありませんから連絡手段もなくお互いに見つけるまでに3時間位かかったことが有りました。
確かに疲れはしましたがそれでも当時は携帯電話が無いのが当たり前ですから、そういう勘というのも研ぎ澄まされていたのかお互いにそんなに焦りは感じていなかったみたいです。

乗り物を運転して自分の力だけで出かけるという経験も初めてでしたし、それを大切な親友と共有出来たというのがとても嬉しくて、この時の夏休みが今までの人生で一番楽しかったと今でも思います。
19歳 男性のストーリー
中学1年の夏休みを僕は忘れることはないと思う。
毎年お盆休みになると家族でお婆ちゃんの家に遊びに行きます。お婆ちゃんの家はドがつくほどの田舎で周りは山と畑に囲まれていて1番近くのコンビニに行くのに30分くらいかかります。その年はたまたまゲームの充電器をわすれて遊ぶものがなくなりつまらなくて何もない田舎を適当に散歩していました。10分くらい歩いたところで僕より少し身長が高くて高校生くらいの女の人に会いました。僕は年が近い人を見つけて嬉しくなってついつい話しかけました。驚いて振り返った女の人はすごく綺麗なひとでした。女の人は僕と一緒でお婆ちゃんの家遊びに来ているらしくお互いのことをいろいろ楽しく話しました。夕暮れ時になり明日もここで話そうと約束して帰りました。しかし父親が仕事で帰らなければならなくなり会うことができませんでした。それからあの女の人に会えたことはありません。
22歳 女性のストーリー
高校一年生の夏。

その頃の私は、「高校生」というなんとも輝かしい響きに胸踊り、なんにもないのになにかに期待するバカな女子高生でした。

そんな私にも一丁前に好きな人がいました。
同じ部活の2年生の先輩だったその人は、おっちょこちょいな私にもいつも優しく接してくれて。時にはからかって私のミスを軽くしてくれるようにも感じられました。

忘れられないのは、夏休みの後半。お盆も終わった頃です。

いつものように部活動を終えた後、「みんなで駅の方に遊びに行こうよ!」という話があがりました。
もちろん先輩も参加するそうで、私も行きたかったのですが………。
私はその田舎の高校では珍しいバス通学でした。
先輩や他のみんなは自転車だったので、「ああ、出遅れちゃうな…」と思っていたその時。

「あ、じゃあ後ろ乗ってく?」と、先輩の声。

田舎にある町の、さらに田舎なその道。
周囲には田んぼと畑とビニールハウスしかなくて。
でもそのおかげで、青い空がどこまでも広く見えて。

「しっかり掴まっておけよ」という先輩の声にドキドキしながら、そっと腰に手を添えて。

このまま一生駅になんて着かなければいいのに。と、そう思った夏休みでした。
51歳 男性のストーリー
高校の夏休みは必ず仲間と自転車でテントなどの荷物を持って一週間ほどキャンプ、野宿などをしながらサイクリングをするのがたのしみでした。仲間は固定の四人組で夏休みが近づくと計画をたてるのも楽しみでありました。
地元は熊本でして一年目は天草を一周しながらサイクリングを楽しみました。キャンプ、海水浴をしながら多少のトラブルもありましたが、無事に成功しました。
2年目は長崎をほぼ一周するコースで真っ黒に日焼けしながら、長距離のためおしりも痛くなったりしながらも楽しく成功しました。
そして3年目の夏がきました。この時の計画は鹿児島までいきフェリーで屋久島にわたり屋久島一周でした。計画の当日台風がちかずいて来ていました。計画の変更は日程に余裕がなく計画強行3人(私もこちら側)反対1人で意見がまつぷたつにわかれました。話あいの結果、計画断念となりました。長い間計画していた事と初めての挫折に反対した友達をうらんだりもしました。
今となって考えれば台風がきてるから危険というのは当然であるが当時は3年連続でいくことに意義を求めいたきがします。今はその友達とも気の合う親友です。
忘れられない夏休みの思い出です。
32歳 女性のストーリー
19歳、短大2年生の夏休みが忘れられません。
片思いをしていた一つ年上の彼と、頻繁に2人で遊んでいました。彼の家に2人きりで泊まったり、ドライブをしたり。今思えばただの都合のいい女でしたが、当時は彼から誘ってもらえることに舞い上がっていました。
ドライブは、夜の海を見に行くのが定番でした。車から降りて、波打ち際を2人で歩く時間が幸せでした。時には岩場に座って膝枕をして、ただただ無言で時間を過ごしたり。
ただ、その数日後には、彼から「関係を終わりにしたい」と告げられ、地獄のような悲しい日々。
夏休みの間に、天国と地獄を味わいました。
その後、彼とお付き合いをすることは叶いませんでしたが、今でも夏になると、「もし膝枕をしていたあの海辺の時間に告白をしていたら、どうなっていたかな…」と、思い出します。
55歳 男性のストーリー
中学2年の夏休みのときに、沖縄から横浜の親戚の家に、約2週間滞在。
いま思うと、いろいろ迷惑かけたな~と反省しきりな面も...
しかし、ぼく自身は、当時は田舎ものだったので、いろいろと刺激があって、楽しかった。
生まれて初めてはとバスに乗ったのも、そのとき。
バスガイドのねえさんは、大柄な人でしたが、美人でした。一応...
あまり覚えていませんが、皇居に初めて行ったのもそのとき。
一面じゃりが敷かれた、大きな広場だったような?
そして、おそらくそこで、ガイドのねえさんも一緒に記念撮影。
世話になった家族の娘さん(子持ちの主婦)が住んでいる、群馬にも行って、少し滞在。
そこの子供たちといっしょに、古い小さな遊園地へ行ったり、花火をしたりして、けっこう楽しかったです。
夕飯で食べた餃子は、うまかったのか、なぜか今でもはっきりと覚えています。
37歳 女性のストーリー
高校生のときに、夏休みだけホテルのベッドメイキングのバイトをしました。
その時にお昼ゴハン食べるのに廊下で食べるしかなくて、一人で外に買いに行ったら小さな喫茶店を見つけてそこのオーナーの息子とひと夏の経験をしました。
始めは、ただご飯を食べに行くだけだったのですが、話が弾んで一度カラオケに行きました。その時にキスをされ、意識仕出しました。まだ高校生だった私はハーフのキレイ目の男の子に恋をしてしまいました。外国人から挨拶された程度でしたが、それからも毎日毎日喫茶店に通い、バイト最後の日に好きだと伝えると夏休み期間しか日本にいなくて、帰らないといけないと言われました。手紙書いてねと言われ2回書きました。一度会いたいと返事をくれましたがそれっきりです。
もう20年経ちましたが会えるなら今でも会いたいです。
32歳 女性のストーリー
小学生のころの話です。小学3年生の私は両親は共働きでしたが児童館や学童には行っておらず、お昼ご飯のお弁当の用意も無く、毎日毎日お金が置いてあり、自分で好きなものを買いに行くスタイルの日々を送っていました。近くにはスーパーがあり、毎日お惣菜、お弁当、おにぎりなど。友達と毎日買いに行って友達の家で食べたりしながらスーパーのご飯で過ごしていました。そんなある日に、夏特有の夕立、ゲリラ豪雨がありました。その日は丁度自宅で過ごしており、ザーザーと雨は降り、雷はゴロゴロ、バキバキと激しく鳴っていました。記憶にあるのはそれが初めての体験で、凄く怖くて怖くて、母親に何度も電話しましたが帰れず。とにかく怖いので泣きながら布団を被り、机の下で隠れて雷が収まるのを待っていました。今でもその思い出が忘れられず、夏になると思い出すし、雷は未だに怖いです。なぜあの時母は帰って来てくれなかったのか!と思っていましたが、大人になった今では分かります(笑)全然良い話しの忘れられない夏休みでは無いのが残念ですが、毎日楽しく過ごしていたんだろうなとは思います。
52歳 男性のストーリー
3つの人生初が多かった2019年の夏休み。
まずは転職。子育てと介護が終わったので、新しいことに挑戦したくて、
早速エージェントに登録。エージェント登録も人生初でしたが、
結局はハローワークで紹介してもらい、無事面接へ。

2つ目は人生初の就職面接。バブル時代だったので、
就職面接というスタイルがなく、採用担当者と面談程度だった時代なので、
履歴書書くのも人生初で、書き直しも3回ほど。
何とか無事に面接が終了して、半月後に入社。

そして最後の人生初が「マッチングアプリ」
転職するにあたって、新しい人生を一緒に歩んでくれる人が欲しくて・・・。
5つのアプリに登録し、現在、4人の女性とメールのやり取り中。
転職で少し不安な気持ちを癒してくれています。
48歳 男性のストーリー
大学3年の夏休み、北海道へ列車で旅行に行った時のことです。
函館から札幌に向かう夜行快速「ミッドナイト」の自由席で、たまたま向かい合わせになった女性がいて、発車までの間、お菓子を食べながら話をしていました。
翌朝、札幌駅に着いてから、一旦別れたのですが、どこで朝食をとろうかと駅の中をウロウロしているうちに、またその女性に会いました。私も特にこれといって予定があるわけではなかったので、しばらく一緒に付き合うことにしました。
大通公園でトウモロコシ雪印パーラーでグラタンを食べた後は、北海道大学に行き、クラーク像の前で写真を撮ったりしました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、札幌駅で旭川に向かう彼女を見送りました。
旅には人との出逢いがあるのは本当だと実感した夏でした。
44歳 女性のストーリー
それは、次男が幼少期に、先定性の生まれつきのずがの病気の為に、一回目の手術、約7〜8時間かかり、無事に終わり検査通院しながら、2回目の手術3〜4時間かかり、無事に終了しました。主人は海外勤務中でしたので、合間に、日本に帰国した時に、次男の病院に、長男(小3)とお見舞いに来てくれました。2回目の手術が無事に終わり、元気になった、あの夏休みに家族で、念願のディズニーランドに行く事が出来ました。大変な手術を2回も頑張った、次男・・父親が海外勤務中でしたので、留守番を祖父母と共に支えてくれた長男。家族の絆と共に、大好きな、ミッキーマウスに会えた、あの日の夏休み・・・ミッキーマウスの笑顔と共に、長男、次男の心に、いつまでも虹色に輝く橋となり、未来へと響いて行く事と思います。
21歳 女性のストーリー
初めての東京
ネットで知り合った人とそのご兄弟と東京に12時間かけて行きました。
初めての秋葉原行き、そこで初めてヴァンガードとと言うTKGのゲームをしたあと欲しいカードを買いに行きました。その後にスカイツリーと東京タワーに地図アプリ使いながら歩き、それまで地下鉄でしか移動しなかったのでJR乗りたいと思っていたが、駅まで遠く、迷ったので地下鉄にした後東京駅に行き、東京駅の地下で好きなキャラクターボンレスハムに会えました。帰りはずっと歩きたかった皇居あるき、武道館とか行ってみたいと思いました。
東京最終日にはちょうど開催されていたコミケに行くことが出来、人生でこれほどワクワク楽しく夢が叶う東京旅行でした。
32歳 男性のストーリー
小学6年生の夏休みです。何の変哲もありません。朝は早く起きてラジオ体操に行って、帰ってきたら庭の草花に水やりをして、朝食。テレビを見て、宿題をして、午後には兄弟や友達と市民プールに行きます。プールでがっつり泳いだあとは、家に帰ってクーラーのきいた部屋でポカリを飲み、ゲームをします。そんな毎日でした。これといって変わったことはない夏休みですが、大人になった今でも、思い出す夏休みはそのイメージです。夏休みについて思い出そうとしたときはもちろん、夏になって暑い日差しの中を歩いているだけでも、そういうイメージがふと頭の中に浮かんできます。本当の意味で、忘れられないとはそういうことなんだと思います。旅行に行ったりした思い出もありますが、忘れられない夏休みというと、私の中ではこれです。
34歳 男性のストーリー
子供のころ、友達とプールに行った事が楽しかったです。

近所のプールなのですが、流れるプールと波の出るプール、スライダーなどがあって、いつまででも遊んでいられるような楽しい所でした。

そこに売店もあったのですが、そこでフランクフルトを買ったり、ジュースを飲んだりした事も、楽しかった思い出です。

どこにでも売っている安物の食べ物だったのですが、そこでみんなで食べていると、どんな高級食材よりも美味しく感じました。

炎天下の中、走り回ってプールに飛び込んだり、流れるプールで鬼ごっこをしたり、あの頃は疲れる事も知らず、全力で遊びまわっていました。

プールから帰ってきたら、友達の家でゲームをしたり、野球をしたり、何をしていても楽しかったですね。

もう、その頃の友達とは会わなくなってしまったのですが、あの頃の思い出だけは、いつまでも鮮明に覚えています。
19歳 女性のストーリー
今年の夏休みは今の段階でまだ半分ほどですが、すでに自分史上最高に楽しくて、忘れられない夏になりつつあります。
夏休み前夜祭(テスト最終日)から夜にカラオケに行き、高校のころや中学のころの友達と連日朝から夜まで遊び、花火をしたりドライブで普段では行けないような少し遠いところに連れて行ってもらったり自分たちで火を起こしてイチからバーベキューをしたり、夏らしいことをたくさんしてとても満喫しています。
先程も書いた通り今年の夏休みはまだ半分ほど残っていますし、アルバイトもたくさん入っていますが遊びの予定もそれと同じくらいたくさん入っているので、残りの夏休みも夏らしいことをたくさんして楽しみたいと思っています。
36歳 男性のストーリー
小学4年の頃、友達と遊んだ帰り、一人で畑に挟まれた道を歩いて帰っていた。前から歩いてきた男の人は近所では見かけない顔で、里帰りか何かだろうとそのまますれ違った。その瞬間、その人がこちらを見て笑ったような気がして、私が振り返ると、その人はいなかった。両脇は畑。10メートルほど先に家はあるが、どれだけ走っても距離的に無理だし、それにしても門戸を開ける音がするはず。そしてその後、その人が近づいてきた時、ぼんやり光っていたような気がしたことを思い出した。それでも一番不思議だったのは、その人を見た時もすれ違った時も、さらに消えていなくなった時でさえ、何の恐怖感も抱かなかった事だ。その後、特に何も思わず家に帰ったが、未だにあの時のことは時々思い出す。
29歳 女性のストーリー
毎年小さい頃、夏休みには父方の実家の鹿児島に帰っていました。親戚やいとこと遊んだり、鹿児島の名所桜島や海に行ったりと楽しかった思い出がたくさんあります。
その中でも20年以上前に亡くなってしまったおばあちゃんとの思い出が忘れられません。
おばあちゃんとは私たちが住んでいる大阪、鹿児島とで距離がある為、会えるのは毎年1回ほどだったので少ししか会った記憶がありません。そして目が不自由だということもあり鹿児島に帰って来た時には覚えてくれてるかな〜と不安でした。でも毎回おばあちゃんは声だけで分かってくれて、頭に手をあてて「背が伸びたね」と笑顔で言ってくれました。離れてても覚えてくれていた嬉しさは、子どもだった私にとって忘れられない思い出です。
24歳 男性のストーリー
私にとって一番忘れられない夏休みは今年の夏休みです。というのも、私は大学4年生であり、今年の夏休みは就職活動に尽力し、ようやく第一志望のところから内々定を頂きました。私は一般の就活生と異なり、就職活動と公務員試験の両方を受験しており、本当に忙しくも充実した夏のひと時を過ごすことができました。就職活動と公務員試験の受験は一見すると全く異なるもののように感じられますが、両者とも入りたいという熱意さえあれば誰でも乗り越えられるのもであると認識しました。公務員試験に向けての勉強は大変でしたが、試験勉強を通じて全く知らなかった知識を学ぶことができ、精神的にも肉体的にも成長することができた夏休みでした。残りの学生生活も充実化させたいです。
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、遠くに住む幼馴染の家にお泊りに行った。
私と私の弟と、幼馴染と幼馴染の弟と遊んでいた。
その時代、家庭用ビデオカメラが普及していて、
それを使った遊びをしたくて、
そのために、
昼間に4人で不気味なかかしを作って
空地に置いてきた。
暗くなってから、ビデオカメラを持って4人で出かけ、
肝試し風に撮影をして、
昼間に自分たちで仕込んだ不気味なかかしを
あたかも、その時初めて見たかのように
「なんかあるー!!怖いー!!」と
4人で怖がり、走って逃げて
自作自演で楽しんだ。
帰宅してから、その撮影したビデオを、
親と一緒に見たりして、すごく盛り上がり、楽しかったのを覚えている。
大人になっても今でも、この話を幼馴染とすると盛り上がる。
26歳 女性のストーリー
子どものころ(小学生の時)には、夏のお盆の時期に毎年いとこや祖父母などの親戚たちと祖父母宅に集まっていました。
まずは、だいたいお昼ごろに集まって、お墓参りに行きました。

夜にはみんなで夜ご飯を食べて、特に外でバーベキューをしたのが思い出です。
他にも、伯母や祖母や母がちらし寿司をつくってくれたり、だしそうめんをつくってくれたりして、それがおいしくて大好きでした。

いとこたちは年上だったので、学校では遊ばない年上の子どもと遊ぶことができました。
みんなで電気を消して、隠れる人と探す人に分かれてちょっと怖いかくれんぼをしたり、みんなでテレビを見たりしました。

いとこのお姉さんが、ちらしの裏に可愛い絵を描いて、自分もこういう絵を描きたいなとうらやましく思っていた記憶があります。
そのお姉さんからは、怖い話を聞いてわくわくしていた記憶もあります。
いとこのお兄さんは、面白くて、ちょっと怖いことをしてふざけたりして楽しませてくれました。

きゃっきゃっと遊んで、夜中までとても楽しい時間を過ごしました。

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

30歳 女性のストーリー
お互いの仕事の都合も考慮し、新婚旅行の日程を決定、予約後、同じ日程での夏フェスの開催が決まってしまいました。
その夏フェスは、私が個人的に行きたいと切望していたものでした。
そんなことを言い出してよいものか・・。悩んで悩んで、会社の人、友人、いろいろな方に意見を聞いてみたりもしました(今思えば背中を押してくれる人をずっと探していただけです(笑))。
ですがやはり、言わないと一生後悔する!!新婚旅行も楽しめない!!と、旦那さまに「行きたいイベントがあるから新婚旅行の日程をずらしてくれ」と正直に伝えました。
どれだけ切れられるだろうかと戦々恐々でした・・が、少々渋い顔をされたのみで了承してくれ、無事、2万強のキャンセル料を払ってフェスに行くことができました!
もちろん日程をずらして新婚旅行にも行きました。
ありえない選択でも、勇気を出してみる事が大事なんだと感じた瞬間でした。旦那様にはほんとうに感謝しています。

「一番ひどい友達からの裏切り」

38歳 女性のストーリー
中学時代からの友人と大学時代からずっと続いていた恒例の夏休みの2人島生活。
社会人になっても夏休みの予定を合わせていつもの島のいつもの宿で過ごしていました。
桟橋で昼寝したりビール飲みながら散歩したりしてのんびりと過ごすだけですが、かけがえのない時間でした。
ある年に、仕事でまだ予定がわからないと言われ、定期的に予定確認の連絡をとっていました。予定や仕事の関係で夏終わりがけに行く年も数回あったので気にしていませんでした。
お盆当たりに仕事どんな調子?と連絡したところ、彼女にはめずらしくすぐに返事が返ってきました。
いま島にいまーすという文字と違う人数人との写真が。
大人数で行きたかったのかもしれない、違う人と行ってみたかったのかもしれない、連絡することを忘れていた?そもそも私と行きたくなかった?私が2人でとこだわっていただけ?色々なことを考えましたが、どうしても飲み込むことができず、そのまま音信不通になってしまいました。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

42歳 女性のストーリー
書店で働いています。
毎年夏休みになると、とあるママさんが私を訪ねてきてくださいます。
お子様が1年生の夏休みの時に、夏休みの宿題の読書感想文の本のおすすめをたずねられて、何冊か選ばせていただいたのはじまりです。
お子様は本はあまり好きではないのだけれど、どんな本がいいかというお話でした。
ちらちら雑談を挟みながら、お子様の好きなものや生活を探りながら選んだ本数冊をお買い上げいただき、数日後には本が好きではないというお子様がしっかり読んで感想文も提出できたとのこと。
おすすめはしたものの、実際に気に入っていただけるかは全く未知数だったので、とてもうれしい報告でした。
仕事としては当たり前のことをしただけなのですが、その日から私はその親子にとって夏休みの宿題専門のコンシェルジュです。
ほんの限られたタイミングのやり取りですが、それでも目に見えて誰かに喜んでいただけるのは、充足感と幸福感に包まれるひとときです。
好きな本を買ってただけるだけでも十分なのですが、この仕事でよかったなぁとしみじみできるのはこういうときなのだなぁと思います。
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