"ファ" に関するエピソード

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

39歳 男性のストーリー
正確な年齢は覚えていないのですが、おそらく40代後半の方です。
その方は結婚をされていて、まだお子さんはいらっしゃいませんでした。
数年前に自宅で飲み会をしようと呼ばれた事があり、行かせてもらいました。
少し仕事で時間の余裕が出来ると、海外や国内の旅行に行った話は聞いていたので、もしかしたら家も相当なモノなのかな?っと思っていました。
予想通りマンションの最上階ワンフロア全てが自宅で屋上つき。
その屋上もかなりの大人数でBBQができそうな程の大きさでした。
少し広めの庭なイメージです。
室内も仕切りが少なく、解放的な作りで、何畳あるの?ってぐらいの部屋です。
リゾートホテルみたいなお洒落な作りでした。
部屋内にある家具も拘りを持っていて、ソファ・ベットも値段は聞いていないのですが、相当気持ちよかったです。
仕事が車関係の方だったので、駐車場に止まっている車も高級車がズラリ3台!気分によって使い分けているみたいです。
よく奥さんと2人でドライブに行かれていて、日帰りで近隣の県に食べ歩きをされていました。
美味しいものを食べる事が趣味と仰っていました。
その度にお土産を頂いていましたが、ただただ羨ましい限りです。
59歳 男性のストーリー
近所で仲良くしている方の話です。
本業は会社経営ですが、会社はもう実体なくて経費のためだけの会社です。
不動産も沢山持っていて、駅前にビルをいくつも持っていますし駐車場もかなりのぢ数を保持しています。
アパート、マンションも貸したりしています。
聞く限りですが、固定資産税だけで一部上場会社の管理職の年収を軽く超えるということです。
1000万円以上の輸入車を何台も持っていて、どの車も車検を通さず次の車に乗り換えています。
ベンツ、アルファロメオ、ポルシェや聴いたことのないメーカーや車種を持っています。
先日、家を改築したのですが日光から大工さんたちが泊り込みで工事をしていました。
できた家はお寺のような大邸宅で屋根も銅葺きのものでした。
海外旅行も出かければ、月単位で旅行しています。

「これまでで一番お金を無駄にした話」

37歳 女性のストーリー
学生の頃、デザインを学んでいたので服装も派手めでした。
主に古着を愛用していたのですが、とにかく沢山の服を着こなしたかったし、質より量!という感じだったので、安いものを中心にバンバン古着を買っていました。
社会人になって好みも変わるし、落ち着いた服装になってきたこともあって学生の頃に着ていた服を全然使わなくなりました。
あまりにも量があるし、着ないのは勿体ないと思って休日に着たりしていましたが、全然上手く使えず、結局処分しました。
売れるものもありましたが、元々安くで手に入れたり、高かった物も二束三文・・
当時はファッションを楽しんだしそれなりに良かったですが、今となってはもう少しセーブして買い物をしていればなと後悔しました。

「これまでで一番笑った話」

52歳 男性のストーリー
だいぶ前にお話になりますが、会社の出張で、職場の人間が、4、5名単位で、出張先で、泊まり込み仕事をしていた時のお話です。
お昼のランチをたまにはみんなで、食事に行こうとなり、ファミレス系列のスケーキ系のお店に入ることにしました。
みんなが順番に注文を行なっていました。
笑いの原因を作った人の順番が来ました。
ステーキ肉の種類、パンを選択するか、あるいはご飯を選択するかまでは何事もなかったのです。
最後の一言、店員スタッフさんが、「お肉はどの様に焼かれますか」と、その同僚は「一生懸命焼いて下さい」と真面目な顔つきで言ったのです。
ウェルダン、ミディアム、レアのどれにするかの回答が返ってくると思っていたのに、「一生懸命焼いてください」の答えに店員スタッフさんは困り顔でした。
若い可愛い女性スタッフさんだったので、「はい、心を込めて、一生懸命焼かせて頂けますが、焼き方はいかがいたしましょう」と再度、訪ねて来られました。
私たちの方が年上で男ばかりだったので、相手が可愛い女の子で、非常に困惑気味だったので、笑いを堪えて、「くすくす」と小さく笑い、肩をゆすっていました。
意味の分かっていない同僚が同じ様に答えるものだから、ますます、女の子は困惑顔になりました。
剣局、周りがフォローしたので、女性スタッフは「有難うございます」と一礼して、ニコッと笑って戻って行きました。
女性スタッフが見えなくなった後、みんなから、「あほか、お前は」といじられていました。
平成の前半だった話ですが、今ほど、外食を多くはしていなかったのでしょう。
若かっただけに経験も少なかったからということでしょう。
後日、その話は職場全体にまで広がり、出張に行っていない私の耳にも入るくらいでした。

「わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳」

32歳 男性のストーリー
・部下から、事故で怪我してICUにいるため出勤できません。と言われた。
・デイサービスの居宅訪問で、おやつ代わりにキュウリ漬けを出されて、キュウリが大嫌いな同僚が「母がキュウリだけは食べてはいけない」と言われている。と説明していた。
・デイサービスの部下に時計の電池を買って来て。と言ったら単3のはずが、単4を買って来て、
「前は入った」と言われた。
・デイサービスの部下にA4サイズのクリアファイルの発注を頼んだらA4の3倍ぐらいのクリアファイルが届き、返品するように求めたら半分に切って使おうと思ったから発注したと非を認めなかった。
・母がカレーにつける福神漬けを買いに行ったら赤い箱のポッキーを買って来た。何故か聞いたら、「赤い容れ物だから間違えただけ!」とキレられた。
天然の母ではあるが流石によくわからなかった。

「もっとも尊敬する人」

23歳 男性のストーリー
私がもっとも尊敬する人物は中学校の担任の先生です。中学3年生まで同じ担任だったのですがそれまで私はすぐになんでも諦めてしまう事が多く飽き性が酷い性格でしたが
中学2年生の時にもうそろそろ高校受験の志望校を決める際にみんなはだいたい決まっていてその志望校の為の受験勉強や準備をしていましたが、私は全然決めておらずそん
な時に修学旅行でファームステイがあり農業体験が出来る内容でそこで私は初めて「農業」というものの素晴らしさと楽しさを知り、そこから私は県内で唯一の県立農業高校
を志望してそこから推薦入試を希望して担任と一緒に小論文と面接の訓練の日々で正直、人生で一番と言っていいほどかなりきつかったです。しかしそこで担任の先生から「
何事も絶対にあきらめないこと」の大切さを教えてもらい私はそれを心の教訓にして猛勉強をしました。そして半年以上勉強して私立の滑り止め高校にも受験し受かって、志
望校にも推薦で見事合格する事ができました。家族も友達もその担任の先生もとても喜んでいました。今現在でも担任の先生から説いてもらった「何事も絶対にあきらめない
こと」を自分の座右の銘にしています。担任の先生には今でも感謝しており私が人生で一番尊敬している人物です。

「誰にも言っていない秘密」

37歳 女性のストーリー
誰にも言えない秘密があります。それは、大人になって「おねしょ」したことがあります。たまたま1度だけ。と言うものではありません。自分は病気なのではないかと心配になるレベルで「おねしょ」してます。大人になってからの「おねしょ」は大学生になってからでした。普通にズボンも布団も濡れるレベルの「おねしょ」でした。その後も、大学時代何度か「おねしょ」してます。次は、30歳過ぎてからです。同棲していた彼氏の横で。幸い、スウェットを履いていたので、布団はほんの少し濡れた程度で、何とかごまかしばれませんでした。漏らしたとすぐ気づき、シャワーでこっそり洗い流し着替え、タオルを敷いて布団意入り、彼氏のほうが先に家を出るので、出るまで布団の中で寝た振りしていました。その後、速攻でシーツを洗い布団はファブリーズ拭き掛け捲り1日中外に干して乾かしました。そのときの冷静な対応は、何とも手馴れたものでした。
色々調べてみると、大人の「おねしょ」は精神的なものが原因となっていることがほとんどだと。思い返してみると、大学時代は様々なストレスで大変だった時期でした。同棲時代はいつまでも結婚してもらえず、毎日毎日不安との戦いの日々でした。
いまは、落ち着いていますが、、、
誰にも言ってない秘密。もう、これ以上黒歴史増やさないまま、墓場まで持っていきたいです。

「死ぬかと思った話」

31歳 女性のストーリー
22歳の夏、当時付き合っていた彼氏と彼氏の友達と4人でサーフィンに行きました。
その日は台風や近づいておりサーファーの人はたくさん来ていたのですが、海に入っている人はほとんどいませんでした。
人いなくてラッキーと思って海に入り波待ちしていたら次から次に波は来ますが、波はぐちゃぐちゃで到底立ち上がることもできずもう引き上げようと思ったとき中々大きな波に飲み込まれました。
まるで洗濯機の中みたいにぐるぐる回って上と下がわからなくなり必死にもがいてなんとか海面に出ることができました。
めちゃめちゃ苦しくて全部がスローモーションに見えました。
上がってきたら全員同じ状況だったみたいで疲労困憊。友達の1人はおでこにサーフィンの板が当たって流血してました。
調べたら台風のためその日その海岸はクローズのお知らせが出ていたみたいです。しっかり調べるべきでした。
海の事故毎年多いですがこうやって波に飲まれて上がれなくなって死ぬんだなととても怖かったです。

「忘れられない夏の思い出」

49歳 女性のストーリー
1998年7月に横浜スタジアムで開催された氷室京介さんのライブに行った事が忘れられないです。
OneNightstandライブ、ファイナルとその前日の2日間参戦したのですが、ファイナルの日は座席がアリーナで前から2列目の席でした。
私は氷室京介さんのファンなのでライブは殆ど行っていますが、あの様な神席は最初で最後です。
アンコール最後の曲が終わったと同時に打ち上げられた花火の印象が強く残っています。アリーナ席はスタジアムから出る順番が1番最後でしたので、花火の綺麗さとライブの素晴らしさの余韻に浸ってました。
このライブはビデオで発売されたのですが、前から2列目にいた私はそのビデオに映っています。
自分が映っていると分かった時に、ビデオをもう一つ買ってしまいました。
現在、氷室京介さんは活動休止していますが、また夏の横浜スタジアムでサマーゲームを聴きたいと思うほど、私の夏の思い出になっています。
33歳 男性のストーリー
当時中学生だった僕は、夏休み限定で家庭教師を頼んでいました。
来てくれていたのは地元の国立大に通う19歳の大学生のお姉さんです。
勉強はわかりやすく、楽しくて夢中になっていたのを覚えています。
当時は猛暑で毎日薄いTシャツで来るお姉さんの透けたブラジャー、たまに覗く胸元の谷間にいつもドキドキしていました。
夏休みも終盤にあり、全国模試を迎えました。
僕は思い切って、前よりも模試の順番が上がったらお願いを一個だけ聞いて欲しいとお願いしました。
「しょうがないなぁ」と笑いながら答えるお姉さんがホントに綺麗で、今でも思い出すとドキドキします。
猛勉強の末、順位を上げた僕は「どうしてもファーストキスをお姉さんとしたい」とお願いし、ファーストキスを捧げました。
40歳 女性のストーリー
高校生の夏休みにイギリスにホームステイに行った時の人生最大のモテ期だった体験を告白します。
当時私は女子校に通っていました。中学まで共学だったので、出会いがなく、恋バナがしたかったのでオーバーに軽いノリでした。
日本にいた頃は、クラスでも三番目くらいに人気がある方でした。幼稚園から顔見知りの女の子たちのグループにいたら、その子たちが目立ってモテるので、その効果にあやかっていたと思います。地方にいましたが、そのグループの女の子で東京のモデル事務所にスカウトされ所属した人もいるくらいでした。
ナンバーワンにならないけど、時々アプローチされるくらいで私には充分でした。
高校は女子校でも、朝の通学の電車のホームで一緒になる男子高生に一目惚れし、彼もかなり人気あったのに、初めての彼女になったこともありました。
イギリスでのホームステイ先は、ものすごく歓迎される感じではありませんでした。私の数日前にも、日本からの留学生が帰国したばかりでした。
私は女子校のノリで、英語力はなくても恋バナでホストファミリーの同年代の女子2人と盛り上がって仲良くなるつもりでしたが、2人ともそんなに恋愛に興味がないようでした。

ホームファミリーに夢を抱いていた私は、コミュニケーションをとることを諦めました。

そのかわり新しい恋愛の出会いを探そうとしましたがきっかけがありません。

ところが、現地の英会話スクールへの通学に使っていた20代男性のバスの運転手さんが、どうも私へ好意を持っていたらしく、ホームステイ中、私の友達たち10人位のバス代をずっと半額にしてくれました。

また、友人のホームファミリーの男の子が、私のことをものすごく気に入ってくれたらしく、熱烈なアプローチをしてきました。その男の子に関しては、友人のホームファミリーということで、流石に遠慮しました。

極めつけは、ロンドンで有名なミュージカルであるCatsを最前列で友人達と見ていたら、Catsに出ている俳優が上演中にボディタッチなどでアプローチしてきました。

Catsは、最前列で見ていると俳優と目が頻繁にあったり、演出上、俳優が私の座席の近くで静止していたりするのですが、その間ずっと見つめあったりしていました。

容姿に自信がある方は、日本の映画の舞台挨拶で前の方に座っていると、かなり有名な俳優さんとしばらく目を合わせるという体験ができるチャンスもあります。

「人生最大の失恋話」

48歳 女性のストーリー
私は、現在47歳になりますが、24歳の頃、私の中では人生最大の失恋をしました。
22歳の頃の事です。掛け持ちでアルバイトをしていました。昼間はペットショップで働き、夜はファミリーレストランでアルバイトをしていました。ファもリーレストランのバイト先は大学生の男の子がが多く年齢も近かったので、仲良くなってアルバイトが終わってからよくみんなでカラオケに行ったり、お花見をしたり、クリスマス会をしたり、遊んでばかりいました。その中で気になる男性がいて、1歳年下なんですが、両思いになりました。私の中では結婚を考えていました。やがて、彼氏は就職して、広島に引っ越しました。それでも、諦めがつかず、休みの日には広島まで会いに行っていましたが、結局は向こうに彼女が出来て、別れたりまた付き合ったりで、結局別れました。
立ち直るのにかなり時間はかかりましたが、遠距離恋愛はもうしないつもりです。

「学校や仕事をサボってやったこと」

24歳 女性のストーリー
高校生の頃、部活も引退した3年生の時
ずっと部活をしに高校に行っていたようなものだったので
その部活を引退したら高校に行く気力が一気になくなってサボったりすることが多くなりました。
卒業はできるようにはサボる日数をしっかり調節などはしていました。
仲のいい友達の家に遊びにいって、その子の家でDVD見てゴロゴロしたり、バイクに乗って遊びに行ったり、ファミレスでずっと喋っていたり、映画見に行ったり遊んでいました。
友達の家が田舎だったので警察などに学校は?と聞かれることもなかったので楽でした。
学校から家に電話があると親にサボったことがバレるのが嫌だったので
自分で親のフリして学校に電話かけて休みますと嘘の電話をして
親にはバレないようにしてサボったりもしていました。
43歳 女性のストーリー
大学の授業があるのにもかかわらず、映画を観てまわりました。
昔は観客席が500席以上が当たり前の時代(昭和ですね)
80席や120席と小さな映画館がレアで私はとても居心地が良かったので、
レトロな映画、例えばチャップリンの「モダンタイムズ」など観ていました。
1960年代に流行った映画などよく上映されていた映画館だったので、
バブル時代にはとても珍しい劇場だったでしょうね。
大学の授業では代返(友人に代わりに返事をしてもらう)をしてもらい、
映画三昧だったのは、のちの仕事にも生かされたような気がします。
それは、卒業後ファッション界へ就職したことです。
映画の中の衣装や背景との色合いやコーディネートを学生時代に映画を観ていたことで
沢山学んだような気がします。
54歳 女性のストーリー
自分で言うのも変ですが、とても真面目な学生だったと思います。
しかし、後にも先にも一度だけ学校をサボった事がありました。
高校生の頃、プロレスに熱狂していました。地方に住んでいたので、プロレスの巡業は年に一度か二度くらいしかやってきません。
試合は見に行く予定でしたが、どうしても憧れのレスラー達に会いたい、サインをもらいたい、写真を撮りたい、といった欲望がわきあがってきました。
そして、学校に仮病の電話をすると、仲間とともに朝から出かけてホテルや会場付近に張りこんでいました。すると、今は亡きジャンボ鶴田さんや三沢光春さんなどが続々と現れ、ファンサービスをしてくれたのです。今となっては思い切って行って良かったと思っています。
37歳 男性のストーリー
高校の時にたまにサボりましたね。

友人の家に泊まって、朝起きてから学校いかずにまずファミレスでモーニング。(もちろん私服で)
三時間目から出勤が多かったですが、ひどいときは、午後からとか、授業全部終わって部活から出勤してました。

友人は高校生からアパートで一人暮らしだったので、多いときは一週間泊まりっぱなしの時もありましたね。

学校が嫌な訳ではなかったですが、朝起きて何となく、「モーニング行くか」ってなると、だいたい一、二時間目は間に合わない時間になります。

学校に「体調悪いんで遅れます」と電話だけはしっかり入れておき、私服に着替えてファミレスへ。
出席日数に支障が出る程ではありませんでしたが、よくやってました。

「修学旅行の思い出」

37歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行が沖縄だったので、飛行機に乗ること自体が初体験で、特にトラブルはありませんでしたが、行きも帰りも発着陸が怖かったのを覚えてます。
沖縄に着いてからは「さすが元アメリカだなぁ」と思う事が多々ありました。
まず、宿泊したホテルでの食べ物はバイキング形式でしたが、全てがビックサイズ。
沖縄でしか食べられない、お料理ばかりだったので、バイキング形式で良かったなぁと思いました。
2日目の自由行動では、マンゴーアイス、シークワーサーのシロップのかき氷と、自分の地元にはないデザートを食べ歩きしました。
1番驚いたのは、ファストフード店に入り、ハンバーガーセットを頼んだ時に出てきたハンバーガーとポテトがアメリカンサイズで、飲み物なんてジョッキで出てきた事です。
やはり、地元のファストフード店では飲み物は紙コップでS・M・Lとサイズがあるのが普通なので、これには本当に驚きました。
学生時代の修学旅行で1番食べ物が美味しくて、楽しかったのは沖縄だけでしたし、率直に帰りたくないと始めて思えた場所でした。

「忘れられない夏休み」

61歳 男性のストーリー
 子供たちが小さいころ、毎年夏休みには家族で海水浴をしていました。自宅から車で2,3時間程度で行くことができる海水浴場は5,6か所あり、夏休みを含めた夏の期間に度々行っていたものです。
 ある年の夏休み、いつものように家族である海水浴場に行きました。そこは、それまでに10回近く行ったところで、様子をよく知っていたのですが、その年は浜辺の一部がサーフィンのために海底が浚渫され、遠浅だった浜辺が深く掘り下げられていました。私と次男(小学1年生)は、そのことに気づかず、いつものようにひざ丈ぐらいの海辺(いつもより海底の傾斜がきついと思いながら)で水遊びをしていたところ、突然高波が寄せてきて、その引き波であっという間に100メートル近く沖まで流されてしまいました。泳ぎはできたのですが、子供を抱いていたことと波が強かったために泳いでも泳いでも浜辺へたどり着くことができませんでした。力尽きてもうだめかと思ったとき、20メートルぐらい先にサーファーが数人いるのに気づき、大声で助けを呼びました。サーファーがすくに気づいて私たちに近寄ってきたので、すぐ近くに来たサーファーに力を振り絞って子供を投げ、サーファーが子供をキャッチしたのを見た瞬間、私の中からすべての力が抜けて海底に沈んでいきました。「これで私の人生は終わりだな」という思いが脳裏に浮かび、頭上に真夏の海を通してギラギラ光る太陽を見ながら静かに沈んでいったのですが、私を探していたサーファーのサーフボードがその太陽を遮った瞬間、私の中に力が漲り、海面に向かって浮かぼうと腕を動かすことができ、救助されました。
 救助してくれたサーファーは名乗らずに去っていき、私は救急車で病院に搬送されて治療を受けました。
 この年の夏休みは今でも家族にとって忘れられない夏休みになりました。その時以来、私たち家族は海辺に近づくことはなくなりました。

「人生最大の修羅場」

43歳 男性のストーリー
命に関わるような修羅場ではないのですが、
もう20数年前位前に当時付き合っていた彼女に浮気がバレてしまった時の事です。
とりあえずその日は友人5人でいわゆる合コンをしていました。
当然、彼女には男5人で飲み会という事で伝えてありました。
この話のポイントとしては当日にバレたというところです。
何故バレたかというと自分の場合、嘘をつく際、基本情報は包み隠さず伝えます。
なので、日にちと場所と時間は本当の事を伝えておきます。
単純に出かけていたのに寝てたという根本的な嘘は付きません。
当然バレた時の破壊力は計り知れないので…
そんな感じで、いそいそと心踊らせながら合コンへ…
合コン自体はいい感じであったまってきて今日は余程のイレギュラーが発生しない限りはファイナルステージ確実!という状況でした。
しかし、そんな中自分のポケベル(ポケモンではありません)が鬼の様に鳴っています。
出ている番号を見ると彼女の自宅からでした。着信履歴が見事に一周以上してしまっていりなんともそれは恐ろしい状況になっていました。この時には既に彼女は何かを確信いました。
さて、では何故彼女は自分に疑いの目を向けたのでしょう?先述している通り基本情報に
嘘はありません。
正解は、彼女は自分が行っていたお店に電話をしていたのです。
ただ、電話をしただけでは疑う要素がないと思うのですが、彼女は電話口で対応した店員さんにこう告げたのです。
今、男5人で来ている〇〇という人はいますか?と、
その返答に店員さんはこう返します。
男性5名だけのご来店は今、ありません。
店員さんは何も悪くありません。
本当の事をただ伝えただけです…。
その日その後、その鬼ベルをひたすら無視し
結果朝までコースでした。
ただ、恐怖のあまり朝5時に60km程離れた山奥にある彼女の自宅まで行き地面にが掘れる程の土下座をしたのはゆうまでもありません

「夫婦関係を続けていくのが不安になった話」

35歳 女性のストーリー
私達の結婚式に招待した夫婦二組が、不倫しました。夫同士は友人であったにもかかわらず、相手の妻に手をだしたのです。結局子供ができ、二組の夫婦は離婚・不倫カップルは再婚。裏切られた男性(夫の親友でもあります)は、現在はシングルファザーで子育てを行っています。
また、別の夫婦は、妻が事故に巻き込まれ亡くなりました。
私達夫婦の結婚式に招いた友人たちのうち、3組の夫婦が破滅してしまったのです。
事故はまだ、友人が亡くなったことに対するショックこそあれど立ち直れます。しかし、招待された結婚式で出会ったことをきっかけに不倫に及んだ二人のことは、いくらなんでも許せません。
私達夫婦も、いずれ遠くないうちに破綻するのではないでしょうか。時々そう不安になるのです。

「男または女に生まれて良かったなと思う瞬間」

29歳 女性のストーリー
女性に生まれてよかったと思う瞬間は、会社でゴミ出し当番の時に男性がいつも手伝ってくださいました。

汚れた仕事は男性がやろうとしてくれるような気持ちを感じて、恐縮でもありましたが、女性であることが良かったなと感じました。

重い荷物持ちの時なども、男性がサポートしてくれました。重いものを持たなくてよいという嬉しさではなくて、男性が助けようとしてくれているそういった心を感じるということが、とても幸せなことだと感じました。

また、お化粧やファッションなどに関することが大好きなので、季節に合ったものや、自分を変えたいと思う時に沢山買い物をします・
そういったときに、なかなか男性では味わえないよろこびだと思い女性に生まれたことに嬉しさを感じる瞬間でもあります。
26歳 女性のストーリー
女の人に生まれてよかったなと思う瞬間は、お洒落や化粧を周りの偏見なく楽しむことができる所です。最近では、男の人でも化粧だったりファッションでもロングスカートのようなものを履いてお洒落を楽しんでいる方もよく見られるようになり、かなり偏見の目は無くなってきていて男性も楽しみやすくなってきていますが、女の人に比べるとまだまだのように思います。派手な色のリップやマスカラなど女性ならではの化粧があったり、ネイルなど男性があまりしないようなお洒落も楽しむことが出来ます。ファッションでも、短めのスカートや少し肩を露出するオフショルダーなど女の人ならではのお洒落があります。アクセサリーも、ネックレスや指輪は男の人にもありますが、ターバンやカチューシャ、髪飾りなどは女性ならではという感じがします。こういったように、お洒落の幅が広いのでより楽しめるなと思うからです。
27歳 女性のストーリー
女に生まれてよかったなと思う時は、女で若いというところだけでちやほやされ年上男性からの対応が優しいと感じるときです。愛想よくニコニコ笑っているだけでなんでもいいよ、いいよという態度をしてくれますし、ある程度年を重ねれば若い男性から姉御姉御と慕われて年上男性とは違ったちやほやをされるので、女って得だなと感じます。また、ファッション関係でも洋服は安くて可愛いものがいろんなブランドから販売されており、最近は質がいいものも出てきているのでたくさんお洒落を楽しめますし、メイクもいろんなブランドがあってデパコス、プチプラなどから様々な話題商品が出ていてそれを購入し自分で使用して女性ならではのメイクの楽しみを味わえるというのもいいところです。
31歳 女性のストーリー
焼き肉の食べ放題のお店へデートへ行った際に女子料金って言うのがあって男と比べて500円ぐらい安かった。私はラーメン次郎では大盛りでないと満足しない胃袋の持ち主。一方、彼氏は女の子かと思うぐらい食が細い。それなのに男ってだけで料金が高い。つまり胃袋の大きさなんて関係ないんだ。安いのは嬉しかったけど、結局いっぱい食べたから申し訳なくなって割り勘してしまった。だって彼氏は胃袋小さいから、あんまり食べてなかったんだもの…申し訳なくなってしまったんだ。よく新歓やコンパは女の子の方が圧倒的に安い。それを見ると女に産まれて本当に良かったと思う。女の方が化粧やらファッションやらでお金がかかると言われているけど、物を選べばそんなことない。私なんて毎日全身5000円コーディネートさ。

「独身っていいなと思った瞬間」

25歳 男性のストーリー
一人で自由に使えるお金を確保した瞬間に思います。そのお金で自由に何買っても怒られませんし、子供のころ欲しかったものを大人買いしても誰にも咎まれないので漫画アニメゲーム映画フィギュアに使っています。また、一人なので何を食べても良いので、夜一人カップラーメンを自由に食べるときにも感じます。健康のことをいちいちゆう人がいないのでお菓子や不健康なファストフードを食べるのも自由なのが良いです。さらに、一人なのでいつも一番風呂です。夜一番風呂に入っている瞬間に感じます。入浴剤を多めに入れても誰も怒りませんし、長風呂しても誰にも叱られません。どんなに遅い時間でも早い時間でも自由な時間にお風呂に入ることもできます。
23歳 男性のストーリー
まずお金の面で、妻のファッションや趣味、ランチ代、子供が居るのであれば養育費などがすべて掛かりません。同時にそれらに使われる時間も一切掛かりません。という事でとにかく趣味と仕事に打ち込むことが出来る。誰にも文句を言われないので、例えば旅行に行きたくなった時も休みを合わせる必要がありません。お財布は自分が握っているので、欲しいと思った商品を躊躇いもなくポチポチ購入することだって出来ます。また、転職や在宅、海外勤務など、とにかく自分の意思ですべてを決断することが可能です。家族を残して…という心配もいりません。基本的に一人で何もかもやってしまうタイプの人間であればこんなに素晴らしい事はないでしょう。唯一の欠点と言えば自分自身が亡くなった後のお話でしょうか。

「一番の苦労話」

41歳 男性のストーリー
一番の苦労話ですが、、

私は、株式投資の中での信用取引です。
私の財テクといいますか、資産運用は、初めは積立投資信託でゆるーく開始していました。

先進国ファンド 新興国ファンド 日本株ファンドなど分散し始めました。
10年近く積み立ており、ボチボチ含み益も増えていきました。

株式投資も傍らでアベノミクス効果もありちまちまどころか、投資信託なんかしょぼいやと思いつつも利益を積み上げていく事になりました、、が!

つい、欲が出、信用取引でもっともっと稼いでやれ!と思うに至り、次々と売買するも、利益もあがるが、コケた時にはエゲツない損を被り、、また、投資信託や現金を担保に取引できるものだから、、とある銘柄を買った時に、ヒドイIRが発表され、それまであった10年間積み上げてきた投資信託の利益、株で得た利益がすっ飛びました。
しかも追証まで発生させ、投資信託の保有資産も削ってしまいました。

欲張りから来た失敗です。じっくりいくが自分にはあっていたのでしょうが、見失っていました。
オオゴケした時は、ガクッと膝をついて、冷や汗が出たものです。精神衛生面でもよろしくなく、、苦労話ともいえるでしょうか、まともに仕事するが一番だ、とも感じています。
39歳 男性のストーリー
今までの人生で最も苦労したのは、自分が某大手ファミリーレストランで働いていた時のこと。そこは24時間営業のファミリーレストランとして人気のお店でした。連日多くの客が訪れ、多い時は1日に800人近い人が訪れていました。社員は店長と自分の2人だけ。あとはパートやアルバイト。そんな状態ですので、お盆や正月になると非常に休むパート・アルバイトが多いのです。そんな環境が嫌で、歳を重ねてからは厳しい仕事だと思い、辞めることも決まっていたさいごのお正月。悲劇は待っていました。どうやってシフトを組んでも深夜と午前のシフトが埋まらない。もはや自分が入り続けるしかなかったのです。12月31日の夕方6時に出社し、忙しい中深夜の業務をこなす。朝になるとモーニングが始まり、正月特有の初詣帰りの客が押し寄せる。そのまま休む間も無くランチ、そしてディナー。気づけば1月2日の12時。最後のお正月が終わった…

「そういえば昔夢見ていたこと」

54歳 男性のストーリー
私の「そういえば昔夢見ていたこと」は、海辺のそばにある町の公務員になって、サーフィンをしながらのんびりと人生を過ごすことです。
私は大阪の在住ですが、大学は関東にある某マンモス大学に通っていました。その大学を受験し入学したのは、希望していた学部が神奈川県の藤沢市にあり、電車でもすぐに江の島や鵠沼など、日本でも有数のサーフスポットに行けるからです。大阪では、和歌山か徳島など遠方に行かないとサーフスポットはありませんので、当時サーファーを気取っていた私にとっては藤沢は憧れの街でした。
まぐれでその大学に入学し、勉強もそこそこにサーフィンとバイトに明け暮れる毎日でした。とても楽しかった日々です。そんな中、いよいよ卒業となり、結局は親の勧めもあり、大阪の実家に戻って地元の企業に勤めることになりました。
本当は、藤沢市かあるいはどこかサーフィンの出来る海岸のある街の公務員にでもなって、自然を満喫しながら、そこそこのんびりと生活したかったのですが、親にもそんなことは言えず、結局諦めてしまいました。
現在は、サーフィンをする余裕もなく、子育てと家のローンに追われ、満員電車に毎日揺られて会社に通う50代の中年サラリーマンになってしまいました。
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、洋服と絵を描くことが好きでした。そのため、ドレスの絵を描いてみたり、女性の絵を描いたりということをよくしていました。そうした中で、ファッションデザイナーになることを夢見ていました。色々な雑誌やお店を見て回り、自分がいいなと思う洋服を作りたい、そんなことを夢見ていましたが、いつの頃からか夢や目標がなくなってしまい、とりあえず土日祝日休みの事務になれればいいや、と思うようになっていました。実際、事務職に就いていましたが、小学生の頃の夢を追っていたら今頃どうなっていたのかな、と思うこともあります。30を過ぎた今ではもう一度新しい人生を、と奮起する気力はありませんが、あの頃の私に声を掛けられるなら、夢を追いかける背中を押したいです。
31歳 女性のストーリー
小学校の卒業文集には、将来の夢「ファッションデザイナーになる」と書きました。
幼いながら普通のOLにだけはなりたくないとなんとなく思っていましたが、現実は思い切り普通のOLです。

暇があればノートに洋服の絵を書き、誕生日には色鉛筆のセットを買ってもらい、小学校の手芸クラブで手縫いでお人形のお洋服を作り、子供用のミニーちゃんのおもちゃミシンを買ってもらい…

いつからその夢が夢でなくなったのかはもう思い出せません。夢は夢のままだったかもしれませんが、将来の目標にはなりませんでした。大学の進路選択の時に、デザイン学校という選択肢も一瞬頭をかすめましたが、勇気は出ませんでした。得意なことと好きなことは違うと言い訳していたのかもしれません。
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人間関係
女って本当に恐いと思った瞬間
一番ひどい友達からの裏切り
女同士って面倒くさいと思った話
家族に一番感謝したこと
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
人生最大の修羅場
一番の苦労話
人を見返してやった話
今までで体験した一番怖い体験
死ぬかと思った話
これまでに一番勇気を出した瞬間
一番おいしかった食べ物
人生最大の失恋話
どうしても許せないこと
忘れられない先生の話
これまでで一番驚いた話
修学旅行の思い出
お金さえあればと感じた瞬間
これまでで一番お金を無駄にした話
学校や仕事をサボってやったこと
とっておきのすべらない話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
今までで一番感動した話
これまでで一番笑った話
忘れられない夏の思い出
奇跡だと思った話
忘れられない夏休み
これまでで一番悲しかった時
人生で一番贅沢した話
人生で一番運が良かったなと思う出来事
嘘みたいなほんとの話
これはひどいなと思った結婚式
私について
私の変えたい過去
わたしがやめられないもの
人生が変わった出来事
わたしの初恋と、その結末
誰にも言っていない秘密
仕事での大失敗
誰かに聞いてもらいたい愚痴
苦手だったのに得意になったエピソード
もっとも尊敬する人
そういえば昔夢見ていたこと
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間