"奇跡" に関するエピソード

「奇跡だと思った話」

56歳 男性のストーリー
雨の日の夜、阪神高速を走っていて、環状線から守口線に入ろうとしていて一番左の車線を走っていたところ、自分の右側の車線を走っていた車が、自分の車にに気づかずに車線変更しようとしたので思わずハンドルを左に切った。

すると側壁に当たりそうになったので慌てて今度はハンドルを右に切ったら、ギュルギュルと言う様な音がして、制御不能になり、4車線ほどある道路の一番左から、車体が右に約90度回転しながら真ん中ぐらいの車線まで流れていって止まった。そこに後続車の1台が衝突した。

事故にはなったものの、普通なら大事故になってもおかしくない状況で2台だけ、しかも物損だけの事故で済んだ。相手方もよく2台だけで済んだと驚いていた。
21歳 女性のストーリー
私が中学1年生の時、大切にしていた猫が死んでしまいました。もともとは野良猫だったのですが、よく一緒にいた母猫が死んでしまい、病弱でこのままだと死んでしまう、と思い保護した猫でした。5歳という若さではありましたが、大切に育ててきた猫。涙が止まりませんでした。桜の木の苗の下に土葬し、一通り終えた夕方。リビングでぼーっとしていたところ、外から、亡くした猫の妹に当たる猫が入ってきました。非常に警戒心の強い猫だったので、少しびっくりしましたが放っておきました。すると、あろうことか、私のすぐ目の前で、何かを踏ん張り始めたのです。私は焦って「お父さん!猫がうんこしてる!」と叫びましたが、よく見るとそれは子猫だったのです。悲しみにくれていた私ですが、目の前のことで頭が一杯。結局、今母猫と、子猫は我が家で平和に暮らしています。
30歳 男性のストーリー
私の住んでいる地域では3年の間に二度の大きな地震がありました。
二回目の地震では震源地がすぐ近くでしたのでかなり大きく揺れたことを覚えています。
当時休日だったこともあり、ゆっくり寝ていたのですが、当時の飼い猫がその日は朝からやけに騒いでいました。
普段は静かでおっとりした動きしかしないのに、この日の騒ぎ方は尋常ではありませんでした。
仕方なく起き上がり、猫を落ち着かせようと近寄りました。
そして抱き上げたのと同時ぐらいにぐらぐらと揺れが起こり、すぐに大きな揺れへと変わりました。
何が起きたのか分からず、ただ猫を抱きしめ、揺れに耐えるしかありませんでした。
その後しばらくして揺れが収まると、ベットの上にタンスの上部が落下していました。
和ダンスだったため、上部部分のみと言えどかなりの重みがあるものです。

あのまま寝ていたら確実に大怪我、もしくは死んでしまっていてもおかしくありませんでした。
動物はそう言った自然災害に敏感と聞いたことがありましたが、あの時猫が騒いでいなかったら私は今生きていなかったかもしれないです。
当時の飼い猫には感謝しかありません。
60歳 男性のストーリー
私の田舎は四国の徳島県と高知の丁度間に位置します。
四国全体に言うと丁度真ん中あたりの秘境地帯にあります。
交通は池田駅(高校野球で有名な池田高校のある所)から車で
2時間ほど山に入った所です。丁度今から10年ほど前に田舎に
帰った時の話です。京都から出発したのが昼の3時を回っていました。
池田に着いたのは午後の7時ごろ、そこで一泊しようと思っていましたが、
なぜか今日中に着きたいと言う気持ちが起こり、日が暮れてから山に
入って行きました。車で2時間ほどで着く予定でそれほどスピードは
出たなかったと思います。しかし疲れていたのかついうとうとと運転
していました。そこに鹿が道路に飛び出てきてとっさにハンドルを
きりました。そこの道路には所々ガードレールが朽ち落ちている箇所があり
不運にもガードレールがない場所から崖に落ちて行きました。
何が起こったのか解らいまま気が付いたら大きな木に車が引っ掛かり、
崖下10メートルほどで止まっていました。そこの崖の高さは100m
ほど、携帯で110番して窮地を脱しました。警官も「これは奇跡ですね」
この付近で崖に落ちた車は数多く観て来ましたがほぼ即死状態でしたとの事。
何かに助けられた感じが今でもします。
27歳 女性のストーリー
小学校に入学したばかりの頃、健康診断で心電図の検査がありました。私はその検査に引っかかり、総合病院にて精密検査をすると不整脈で、運動制限をかけられ、体育の授業に参加することはもちろん、休み時間や昼休みに友達と追いかけっこすることも禁止される学校生活がスタートしました。
月に2回は総合病院にて検査があり学校を休んでいました。そんなことが2年ほど続いたころの検査にて、心電図の数値がとても悪くなっており、次の長期休みで入院することが決定していました。
そのころ、私には血液の病気で、別の病院に入院している祖父がいました。祖父は厳しい人で、あまり会話をした記憶がないのですが、病気が悪化する孫の私をとても心配してくれていたようです。
長い闘病生活の末、祖父は私が小学2年の服に亡くなりました。
そしてその数週間後、私の心臓の検査があったのですが、数値がだいぶ下がり、病変が消えていました。そこからは順調に心臓がよくなり小学校卒業前には体育の授業に参加できるまでになりました。
祖父が天国へ病気を持っていってくれたのだと、親戚一同思っています。
53歳 女性のストーリー
私が結婚したのは22歳の時になります。
その後、子供がなかなか授からなくて、不妊治療も何回か通い、
とても痛い思いをしたのに出来なかった。
その間に流産も経験しました。
もう、子供はあきらめようと思ったのが、37歳を過ぎた頃でした、
旦那とも2人で楽しくやっていこうと言って、呑気に過ごしていた時、
体調に異変があり、検査薬を使用したところ、うっすらと陽性反応が
出ています、でもまた流産するかもという嫌な思い出がよみがえり、
なかなか病院に行けずにいました。
でも、その後も体調は変わらず、やっと病院に行くとしっかりと
心臓の動きが見えていて、とても感動しました。
その感覚は今も忘れていません。
高齢出産のハンコを押されながらも、元気な男の子が生まれてくれました。
私にとっては結婚して、15年目の奇跡です。
23歳 女性のストーリー
 私は、保育園の頃から水泳を習っていました。スイミングスクールに行くのは億劫でしたが、着いてしまえば友達と話せるのでそれなりに楽しく通っていました。スイミングを辞める頃には、タイムは早くありませんでしたが、一通り泳げるくらいになり、その頃には喘息も出なくなっていました。
 中学生に上がる前にスイミングを辞め、中学では違う部活に入るつもりでしたが、初心者もいて緩そうだった水泳部に結局入部しました。先輩方も優しく、とても楽しい部活の日々を送りました。大会では、最下位でゴールするのなんて当たり前、自己記録更新(タイム)できればいいな~位のノリでしか大会に臨んでいませんでした。そんな活動を送っていた私ですが、予期せぬ事態が起きました。
 私は、個人種目のほかリレーメンバーの補欠選手に入っていました。県大会の出場をかけた大会の日、私は個人種目でその前の大会ですでに予選落ちしていたので、リレーメンバーの補欠として気楽に応援だけしに行っていました。リレーメンバーの順位は6位、県大会に行けるのは上位3校と他校が出場辞退しても、繰り上がりで行くのは厳しいところでした。辞退校の発表があり、繰り上がっていく順位...期待が膨らみ、私はこれまで頑張ってきた選手達が県大会に出場できるように必死に祈っていました。そして、ついに、4校の辞退が発表され、私達の学校が繰り上がりで県大会の出場が決まったんです!!
そして、県大会当日、その日もリレーの補欠として大会に同行しました。初めての県大会の場に、出場するわけではありませんでしたが、気楽に楽しく観戦できると思いワクワクしていました。ですが、出発時刻になってもメンバーの1人が来ませんでした。電話をかけにいった先生が戻ってきて、「具合が悪いみたいで来れないらしいから、補欠の◯◯が代わりに出てね」と私に向けて言ってきたんです。
えぇ、もう、絶望しましたよ(笑)
補欠なんて、名ばかりで気楽だな~なんて思ってたのに、県大会出場の予選にすら出れない実力なのに、選手との時間差20秒もあるのに....
なぜここで補欠が発動されるんだ?!?!
とにかく、他の選手に申し訳ないし、大会にも出たくないしで、とにかくパニックになりそうでした。ひたすらメンバーの子に謝ってたなぁ(笑)
結果は最下位でしたが、こうやって振り返ってみれば、形はどうであれ、出れるはずのない県大会に出れたことは奇跡だったなと思っています(笑)
水泳をやっていたことで、喘息も軽減したと思うし、出れるはずのない県大会にも出れたので、ある意味奇跡だと思いました。
24歳 女性のストーリー
これは一人目の長男、出産時の実体験です。
臨月まで無事何事もなく進み
予定日いざ1週間前
そろそろかなと思っていた矢先、
夜中から微妙に痛みが伴いました。

我慢できそうですが念のために、病院に連絡をすると
お産の入院セットを持って来いとのこと。

そのまま病院で朝を迎え、いつ波がまた来るかと期待していましたが、来ず。
子宮口も2cmから全く動かず。

朝方5時すぎ、私の目の前に数人の大人がバタバタ。私も何が何かわからないまま、
酸素マスクをつけられ、旦那は外へと言われていた。
のちに分かったことは、胎児機能不全でお産がストップ。胎児の頭に10分間も血が流れていなかった状態でした。
このままだと母子ともに危険です。と医師から告げられ個人病院から急遽、国立の大学病院へ、緊急帝王切開での出産。

あの日、痛みを我慢して病院に電話せず、
家にいたら…と考えると恐ろしいです。

本当に奇跡でした。生まれるタイミングを我が子はしっかり教えてくれたように感じます。
21歳 女性のストーリー
お金持ち携帯も持ってない歳の時に家族で出かけていたのですが駅からバスで移動した場所でバスで20分ぐらいかかるところで遊んでいたのですが妹とケンカしていじけて勝手に一人で行動し始めました。そしたらお母さんにもいい加減にしなさいと怒られ尚更、機嫌を悪くした私は1人で帰るといいお金も持ってないのでもちろん歩いて帰れるほどの距離じゃなかったのですが私は頑固な性格なので道もわからないままひたすら歩き続けました。
そしたら行く時に乗ったバス停乗り場まで戻ってきたことに気づきそこまで戻れたのは良かったのですが電車も乗れないと家に帰れなくケンカして時間がたったら自分がバカみたいだったなと思うようになりお母さんたちと合流したくなったのですがお母さんがいまどこにいるのかもわからなく知らない人から電話を貸してもらうか迷っていたのですが駅に公衆電話があることに気づきその時は10円はもったいなかったのですがポケットにたまたま5円玉か1円玉が入っていてこれでちょっとでも電話できるかなと考えもしできなくてもお金が戻ってくるボタンで取り戻せばいいなと思いお金をいれやっぱり10円以上じゃないと使えなくお金を戻そうとボタンをおしても全然でてくる気配がなく泣きそうになりながらお金のとこを確認したらなんと10円玉が入っていました。
これでお母さんに電話できると思い電話しました。ですが10円なので話せるのはたったの数秒なのでどこにいるのか聞き今から行くから待っててと言いそのあとは無事に合流できました。今思えばあの時10円玉が入っていたのは奇跡だなと思いました。あの10円玉で本当に助かりました。
32歳 女性のストーリー
私は、15年生理がとまっていました。
原因はおそらく、当時付き合っていた彼氏に振られたことがきっかけで、どんどん痩せていきました。生理がとまり、ガリガリ、足は凍傷、とてもひどかったです。座ることすら痛くて辛い。その後、新しい人と付き合うこともありましたが、体調はぼろぼろ。
このままではいけないと思い、体重を増やすことから始めました。40キロないと生理はこないと婦人科の先生に言われましたが、43キロになってもいっこうに戻りませんでした。
7年彼氏がいない期間がありました。
このまま1人で生きていくのかなと思っていたところ、現在の彼氏に出会いました。出会ってその日に好きになりました。お互いに。
その彼に2回目に会ったとき、なんと生理がきました。15年もとまっていたので、大量の出血で身体がついにおかしくなったと思いました。
しかし、それが生理、しかもそこから毎月しっかりきていて、半年後くらいから基礎体温も安定、奇跡です。
まだ彼氏と彼女ですが、今後、幸せな家庭を築いていけたらと思っています。
22歳 女性のストーリー
当時高校生だった私は、母と喧嘩して彼氏の家に家出していました。家出してから3日目に母から連絡があり「やばいなー。絶対帰らなあかんやつやん。」と思い自転車で彼氏の家をでました。大通りに出るまでに細い路地がありそこを通ると車に轢かれ5メートル宙を飛びました。路地のギリギリまで家がありすぐ道路なのですが、路面が狭く車2台通れるか通れないかでしかも路地の両脇の家の囲いが高いため路地から出ないと車が見えない所なのです。
音楽を聴いていた私も悪いのですが、気づいたら地面に倒れていました。5分ほど意識がなかったそうです。当時乗っていたロードバイクも真ん中から曲がっており乗る事が不可能になっていました。激痛で立ち上がれませんでしたが、救急車を呼ぶと言われ慌てて立ち上がり断りをいれてからすぐに歩いて帰りました。
家から彼氏の家まで自転車で40分の距離だったので3時間近くかけて家までかえりました。左足の太腿が激痛で引きずりながら帰り、病院へいきましたが、全身打撲ですみ3日で治りました。車の所有者曰く、自転車に乗ったまま車と衝突し私自身が飛び頭から落ちたそうです。
頭も激痛でしたが、たんこぶですみました。
当時妊娠中で、事故のあと病院で検査して初めてわかったのですが妊娠3カ月でしたが赤ちゃんも無事でした。
車に轢かれて全身打撲ですみ3日で学校に復帰でき妊娠初期にも関わらず赤ちゃんも無事だったのは奇跡だと思います。
23歳 男性のストーリー
小学2年生の時に実家の新潟県に帰省した時に、地元の従妹と駄菓子屋に行き箱に入っているガムを1つ購入しました。そしてアタリが出たのでまたもう1つ購入しました。するとまたアタリが出てまたもう1つ購入しました。それがなんと10回以上連続でアタリが出て駄菓子屋のおばちゃん店主が調べてみると、その10円ガムの箱の全てがアタリくじ入りの箱で後々その駄菓子のおばちゃんに聞いたらその箱の事を店主が企業に電話すると誤封入した10円ガムの箱らしくかなり珍しい箱で本当に申し訳ないと謝られたそうです。このおかげで私は100円くらいでかなりの量の10円ガムを食べる事が出来ました。この奇跡の体験は今でも忘れない体験で従妹も今でも覚えています。
24歳 女性のストーリー
私が生まれたのは1月3日である。
もともと出産予定日は12月24日でクリスマスイヴであったようだ。
なので名前もイヴちゃんにしようかなどと話もしていたらしい。
しかし、生まれる気配もなく、年末を迎え、年越しをしてしまった。
出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、不安に思っていたらしい。
そして、1月3日。
ようやく生まれた。
この日は母の誕生日。
母の誕生日プレゼントが私となってしまったようだ。
同じ誕生日の親子。
同じ誕生日というのは私も周りで聞いたことがなく、この話をすると驚く人が多い。
同じ誕生日だからかはわからないが、よくテレパシーのようなことがおきる。
私がふと食べたいと思ったものがあると、家に帰ってきて夕飯が食べたかったものであったり、私が欲しいと思っていたものを母が買っていたりする。
なにか見えない力が母と私の間にはあるのかもしれないと思うことがよくある。
29歳 女性のストーリー
今から3年ほど前の冬、祖母のすい臓がんが見つかりました。すでにステージは4。始めにかかった病院ではもう治療は出来ない、死を待つのみと言われ、このまま何もしなければ数ヶ月ももたないと言われました。
セカンドオピニオンをどうするか問われ、有名ながんセンターまで高速で1時間以上かかる場所ではありましたが一縷の望みをかけて連れて行きました。そこでは放射線治療をまだやれると言われ、入院が嫌いな祖母のために毎週火曜日家族の誰かが交代で付き添い連れて行きました。
ちょうどその頃私(孫)の結婚が決まり、せめてウェディングドレス姿だけでも見せてあげたいと思い、結婚式を早めました。始めに言われた数ヶ月を過ぎる半年後に式場の予約を取り、そこを目標に治療を頑張ろうという話になりました。
しかし、結婚式を1ヶ月前にした頃、突然何も食べれず飲めずという状態まで悪化してしまいました。病院へ連れて行きその場で入院、手術が決まりました。ただ、入院時の検査では見られた異物が、手術前日には消えていたのです。医師も「あれ?」と首を傾げていましたが、なくなったなら手術は必要ないとそのまま退院になり、その後それまでの食欲不振が嘘みたいに食べられるようになりました。
着物が大好きだった祖母は、「着物を着ていけない結婚式には顔も出したくない」とふさぎ込んでいましたが、控室に来るだけでも来て欲しいと祖母の妹にも連れ添ってもらい当日を迎えました。食事も1人前は難しいだろうからワンプレートで手配してもらい、もし体調がよければ出席できるように席も設けてありました。
ところがどっこい、それまでの病気が嘘みたいに当日は元気になり、なんと1日挙式から披露宴まできちんと出席し、食事も足らず結局弟たちから食事をわけてもらうほど食べられ、親戚一同驚愕でした。
その1年後私の妊娠がわかり、じゃあ次はひ孫を抱くまでがんばろう!と、短期目標を作っては余命を伸ばすことにみんな必死でした。
残念ながらひ孫が生まれる2ヶ月前に亡くなってしまいましたが、余命数ヶ月もないと言われたあの日からなんと2年も生きたのです。祖母の執念と、家族の思いが生んだ奇跡だったと今でも思います。
45歳 男性のストーリー
今まで生まれてから運が良いと思ったことは一度もなく自分は運が悪いと思ってました。10年位前のことですが、いつものごとく年末ジャンボ宝くじを10枚購入して穏やかないつもと変わらない年末年始を過ごしてました。そして年が明けて新聞の年末ジャンボ宝くじの抽選結果をどうせ今年も外れてるんだろうなぁと毎年の恒例行事みたいにひとつひとつ確認していったら、まさかの100万円が当選してるじゃないですか。100万どころか1万以上の当選はしたことないので、何度も番号見直して、夢じゃないよなってつねってみたりして、現実に戻り当選したのを実感しました。宝くじ売り場じゃなく銀行行かなきゃ引き換えられないのもそのときに知り、引き換え期間が来てから銀行行くまでの期間もそわそわして落ち着かなかったし、銀行で100万もらった時にやっと落ち着きました。預金勧めらたので、取り敢えず使い道ないので預金したというつまらないお話ですけど(笑)
確率とか見たら10枚で当たる確率はとんでもなく低い確率なので、やっぱりこれは小さな奇跡なのかなぁと思いました。
大きな奇跡じゃなくてごめんなさい。
25歳 女性のストーリー
今から13年ほど前、中学生の頃に近所のお祭りに友達数人と遊びに行ったときの話です。

私たちはお祭り会場の入り口付近で立ち止まって、おしゃべりに夢中になっていました。
特に注意を受けたり嫌な目で見られたりといったこともなく、30分程度その場所にいましたが、私はふと「あっちに移動しよう」と口にしました。
突然の提案にも関わらず、友人たちも「そうだね」と受け入れてくれて、私たちは自転車を置いて数メートル離れたところに移動しました。
そこでも話は絶えることなく、またおしゃべりに夢中になっていました。

数分後、後ろから大きな音が聞こえました。
会場の向かいにある建物の駐車場からお祭り会場に向かって、猛スピードで車が突っ込んだようでした。(ブレーキとアクセルを踏み間違えたそうです。)
そして振り返った私たちはぞっとしました。
車が突っ込んでいたのは、つい数分前まで自分達がかたまっておしゃべりしていた場所だったからです。

あのとき「移動しよう」と言っていなかったら、友人たちがそれを受け入れてくれなかったら、私たちは事故に巻き込まれ、命を落としていたかもしれません。
幸いこの事故に巻き込まれた人はおらず、運転手の女性も軽いけがで済みました。

わたしの自転車は事故の衝撃でひしゃげてしまいましたが、なにかしらの奇跡がわたしの直感に働きかけてくれたのかもしれません。
28歳 男性のストーリー
小学生の頃に通っていたそろばん教室でそろばん終わりに仲間と夜8時頃にサッカーをして遊んでいた。
そのそろばん教室の周りは新しく団地が出来る予定で家が少しずつ建っている。その場所でしばらく遊んでいる時にボールが飛びすぎて変な穴の中に落ちてしまった。俺はボールを追ってその穴に飛び降りてボールを拾い上に上がって遊びを続けた。遊んだ後に、そろばん教室のバスが送迎の為に車のエンジンをかけました。そろばん教室のバスのライトが目の前の真っ暗な場所を照らした時に、俺がボールを落とした穴を光が照らした瞬間、俺は絶句しました。その穴には家を建てる為の鉄杭が穴一面に打たれていました。奇跡的にその鉄杭の隙間に飛び降りて居たのでケガなど無かったけど、場所を間違えていたら鉄杭の上に落ちて大変な大ケガになっていたと思ったら凄い奇跡だったと思います。
27歳 女性のストーリー
当時私は大学生で大阪の実家から離れ上京し、東京の大学に通っていました。一人暮らしの東京の家で、寂しさを紛らわせるために文鳥を飼っていました。もちろん生き物なので、私が帰省する度にその文鳥を虫かごの中に入れて、新幹線で共に大阪東京を行き来していました。

ある冬の夜、帰省を終え東京へ戻ろうと、新大阪駅に家族と共に車で向かい到着した時、駅の入り口の前で急に文鳥が虫かごの蓋を開け、「ぴっ!」と叫び駅を超えて物凄い速さで飛んでいきました。家族一同唖然として開いた口が塞がらず、しばらく呆然と立ち尽くしていました。

そこからは必死の捜索で、私は泣きながら駅の周辺はもちろん、駅員さんに変な顔をされつつも駅のホームの中に入り、1人「ぴーちゃん!ぴーちゃーん!(鳥の名前)」と全てのホームを周り呼び続けました。残念ながらその夜文鳥は見つからず、私は予めチケットを買っていた新幹線をとっくに逃しましたが、なんとか終電で東京へ帰りました。ショックのあまりスタバで買ったカフェモカを新幹線に乗り込んで席に着いた途端ぶちこぼしました。大阪に残った家族はその夜寝ずに駅の周りを探し続けましたが、見つからず家族一同絶望に飲まれそうでした。

結局ネットでこういった事例を調べて、ネットの「ペット探してます掲示板」にも載せ、とりあえず文鳥が逃げた一番近くの交番に紛失届として出すことになりました。もう人からの情報を待つしかなく、私は1人東京に戻り空っぽの鳥かごを見て絶望にくれていました。

しかしその2日後、家族から電話がかかってきました。なんと文鳥が見つかったのです。ただただ涙がでました。しかし見つかった経緯を聞いてこれは奇跡だと思いました。

どうやら文鳥は脱走した後、新大阪駅から少し離れた小道におそらく疲れて地面にペタンと座っていたようです。そこでたまたま神奈川から大阪へ旅行に来ていたカップルが鳥に詳しく、地面に座っている文鳥を見てすぐにどこかから逃げ出したんだと察したようです。
うちの文鳥は人懐っこいので、その方がすぐに保護してくださり、なんとその夜に簡易版鳥かごを作ってくださり、エサと水飲み場まで準備してその簡易版鳥かごに設置して下さっていました。

まだ奇跡は続きます。そのカップルの方が、なんとそこで偶然にも私の家族が紛失届を出した交番に、文鳥を届けてくれたのです。そこでその交番から家族は電話がきて、無事引き取ることができました。

これは3つの奇跡が重なって、奇跡以上の何かに私にとってはなりました。まず地面に落ちていたうちの文鳥を拾ってくれたカップルが鳥に詳しく、瞬時に簡易版鳥カゴ、エサ、水飲み場を準備してくれていたという奇跡。
そしてそのカップルが届けた交番が、偶然にも家族が紛失届をだした交番だったという奇跡。
そして現在、その文鳥は大阪の実家に戻っていつも通り可愛い文鳥と生活が出来ている奇跡。

これが私の人生の中で奇跡だとおもった話です。

ちなみにそれから文鳥はずっと大阪にいます。



55歳 女性のストーリー
第一志望の大学に合格できたことです。教育学部(美術系)です。
今でいうセンター試験、当時は共通一次試験と言っていました。模試は真面目に受けていましたが点数が合格ラインとかけ離れていました。特に数学がひどく、校内順位は下に誰もいない時があるほどでした。美術の先生にも担任にも、やめろ、受けるな、とか言われていました。
高3の夏には数学を捨て、文系科目と実技に集中することにしました。秋には美術系専門学校に希望を出し、こちらはすんなり合格できました。こっちでも十分いいや、と思ったので大学入試本番は高校の思い出の一つとして受けるだけ、どうせ合格するわけないし、とリラックスしていたように思います。
試験が終わってみると数学は予想通り、が国語が9割とれていた!(ここが、奇跡です)そんなに取れたことがないのに。このおかげでギリギリ合格ラインに指1本でぶら下がっている感じに。後は実技がどの程度までいけたのか? 予想できませんでしたが、結果、合格でした。
一生分の運をあの時使い果たしたのではないかと思います。その後はくじにもめったに当たりません。
32歳 女性のストーリー
数年前、少し古いフランス車に乗っていました。普段は幌の屋根で、電動でオープンにできるという車でした。電動なので、幌と言っても配線や様々な部品が付いていて重たいです。
ある日、高速道路のトンネル内を時速100キロほどで走行中に、頭上から急に「バリバリバリ!」と音がして、幌がすごい勢いで飛んでいってしまいました。すぐに助手席の私が警察に連絡し、最寄りの出口で降りて、待機しました。「もし後続車に当たっていたら…」「後続車が乗り上げて事故を起こしていたら…」と血の気が引きました。
その後、すぐに駆けつけて幌を回収してくれた警察によると、「後続車はみんな避けて行ってくれて、まったく被害は無い」とのことでした。本当に本当にゾッとしましたが、奇跡だなと思いました。
35歳 女性のストーリー
主人が資格の試験を受けるために電車で出かける事になり、街の中心部の大きい駅まで電車に乗ってから、更に電車を乗り換えて行くのですが、大きい駅なのでショッピングができるお店や本屋さんなどが入っているので、大きい駅まで一緒に電車で行って、自分は駅でゆっくり買い物などをして、試験が終わったら連絡してもらって夕方駅で落ち合う事にしました。その後、お店を見てまわったり、お昼を食べたりしてゆっくり過ごしていたのですが、スマホの電池が少なくなってきて、電源が切れてしまいました。近くに充電できるところがなく、待ち合わせ場所もちゃんと決めていなかったので、主人と連絡がとれないとどこに行っていいのかも分からないし、困ってしまいました。仕方なく、駅の人がいる場所をうろうろしていましたが、歩き疲れてきて、駅の階段の近くで休もうと思ったら、階段から下りてくる人が見えて、なんとそれが主人でした。相手がどこにいるか、いつ来るかも分からないのに、広い駅の中で出会えたのは、本当に奇跡だと思いました。
50歳 女性のストーリー
私の大好きなアーティストがあります。そのアーティストのライブでのスペシャル企画で、ある一定の条件を満たすとその企画にエントリーする事が出来ます。
その企画とは、ライブ終了後にあるアーティストとの記念撮影をしてもらえるというものです。
当選の人数はドームでのライブなので5万人以上の人の中から10組20人なので宝クジに当たるような確率だと思います。
その企画に一応頑張って応募しました。最初から当たるとは思っていなかったのですが、なんと当選いたしました。と言うメールが携帯電話に届いた時は本当に心臓が飛び出てしまうくらい驚きました。
そして、ライブの当日、終了後に大好きなアーティストを目の前にして一緒に写真を撮る事が出来ました。これは、私にとって間違いなく奇跡でした。
54歳 女性のストーリー
都内に住んでいた時の事です。
ある日、所用で少し遅刻して出勤しました。乗っていた通勤電車はラッシュの時間が過ぎて空いていました。途中東京駅で止まり、私の目の前のドアが開くと、そこになんと幼馴染であり、親友でもあるA子が立っていたのです。A子は地方に住んでいたので、目を疑いました。「何でここにいるの!?」とお互いに驚きあいました。
少しの停車時間で旧交を温め、また別れました。
話によると、これから海外旅行に行くために東京駅で空港行きの電車を待っていたのだそうです。偶然だとしても、この車両のこのドアの位置で、というのにある意味ゾッとしました。この出来事の後にもこの親友とは信じがたいエピソードが起こります。つくづく縁というものはあるのだな、と感じた出来事でした。
26歳 女性のストーリー
1年半お付き合いをしている彼との共通の趣味は旅行。二人ともまとまった休みが取れるときにはよく旅行に出かけています。
今年の5月には山口〜福岡へ旅行に行きました。天気予報は少し怪しい雰囲気。あとは当日の運次第、ということに。
いざ当日を迎えてみると旅行中は毎日晴れていてすごく楽しめました。
それだけではなく今年の夏には沖縄旅行を予定していました。天気予報では九州方面荒れ模様。
夏の沖縄ということで海でのアクティビティもたくさん予定していて飛行機が飛ぶのか、旅行中は雨で終わってしまうのか心配していました。
いざ迎えた旅行当日。2泊3日の行程で行きましたが見事に毎日快晴!!
一方その頃本州では大雨。九州でも災害級の雨が降っているほどでした。
見事に雨雲から逃げての旅行となり再び奇跡が訪れたと感じました。
34歳 男性のストーリー
「奇跡だと思った話」
それは、私が中学三年生の時、『体育祭』という運動会のようなもので、
全学年対抗の【大縄跳び】に挑戦した時のことです。
私が在籍していたクラスは、他所のクラスに比べると大人しく、静かな印象でした。
私自身、大人しい性格だったので丁度よかったのですが、何か大きな目標があると
一致団結するような、そんな気概がありました。
その目標というのが、先に挙げた【大縄跳び】です。
母校では伝統的な行事で、特徴的なのは”全学年対抗”という点です。
学年関係なく頂点を競うわけなので、自然と燃えてくるのが分かりました。
本番に向けての練習では、最初こそすぐにつかえてしまいましたが、徐々に
成果が表れ、100回前後は続くようになってきました。
これまでの歴代最高記録がそれぐらいだったので、一つの参考にしました。
そして本番当日。全種目の最後に行われました。
制限時間10分でどれだけ跳べるか。ただし、続く限りは無制限という条件です。
私のクラスは幸先が良く、中盤くらいまでに100回を超えました。
しかし、同学年の隣のクラスも同じくらいの記録を出したので、もう少し記録を
伸ばさなければなりません。
残り時間はおよそ3分。正真正銘のラストチャンス…。
プレッシャーより、ダメもとで開き直った雰囲気でした。
1回、2回と順調に回数を刻み、テンポが一定になってきたころに全学年のトップに‼
しかし、それよりも自分たちがどこまで跳べるか?記録を伸ばせるか?
そこに全神経を集中させ、無心で跳び続けました。
周囲の生徒たちは静かに見守ります…。
そして最終的に跳んだ回数は、【245回】の新記録‼
周囲で喝采が湧き、皆、充実感でいっぱいでした。
最後の最後、土壇場での大記録達成に、奇跡というか、超越した何かを感じました。
中学校生活の最後に良い思い出が出来たと、誇らしく思えました。
ちなみに【最後に足がひっかかったのは自分】というオチが付きます(笑)
54歳 男性のストーリー
社会人に成り立てのころ、残業も少なく貧乏なサラリーマンでした。
当然、好きな晩酌も出来ずにただ眠るだけの生活という具合です。
定食屋で「カツ丼」が食べられず、「玉丼」しか食べられませんでした。
ある日、学生時代からの付き合いのOB達で徹夜マージャンをすることになりました。
8時間ぐらいやったと思います。フラフラになりながら、場代を払ってなんとか3000円程勝ちました。
土曜日から日曜日の徹夜マージャンだったのでJRAのレースが開催されていました。
マージャンのメンバーとWINに馬券を購入することにしました。
持ち金全ての3000円(泡銭)をひとつのレースにつぎ込みました。
単勝5.0倍の一点買いで勝負しました。これがみごとに的中しました。泡銭が3000円が15000円に。
「これはついている!」と思いました。みんなからも年末ラッキーボーイと褒められました。
ここまでは普通にあることです。競馬からの帰り道、ちょうど年末ジャンボの売り出しがありました。
「このツキを使わない手はない!」と勝手に思い込み、15000円分全て宝くじを買うことにしました。
一口3000円で5口(15000円分)が買えました。徹夜あけのせいか、なんか「ええ感じ」する気がしました。
帰省して取りあえず、正月の新聞で当選番号を確認してみることにしました。
さすがに組番号は全て違う「1等はないか。。。」で、末端の数字を見ていくと100000円が当ているではないか?
これは、正月早々縁起がよい。3000円の泡銭が100000円になるという素晴らしい結果である。


20歳 女性のストーリー
大学の期末試験で、1限に英語のテストがあった。
前の日の夕方に少し寝てしまい、夜中に全然眠れないという状況になった。
1限は9時から始まり、テストの日は10分前には多くの人が集まるため、自分も8:50には着くようにしようと決めていたが、結局朝の4時くらいに寝たため、起きるのも当然遅くなってしまい、起きたのが8:40ぐらいになってしまった。
急いで学校に行く準備をして、テストを受ける教室へ向かった。幸い自分の家は学校まで徒歩10分もかからない場所に住んでいたため、9時過ぎに学校には着き、教室に入ると、機材のトラブルにより、リスニングが始められる状況ではなく、テストも始まっていなかったため、遅刻はしたもののきちんとテストを受けることができ、助かった。
44歳 女性のストーリー
美容院にて、螺旋階段の2階部分から足を踏み外して、転がるように落ちていき、螺旋階段の隙間から1階フロアに頭から落下しました。
頭部に激しい痛みと、ギーンという大きな耳鳴りが響き渡り、起き上がろうとしても目眩のような感じでグルグルまわって起きる事もできず、慌てて駆け寄ったスタッフさん達が私を心配しながら「頭から血が出てるので救急車を呼びますね!」と声をかけてくれました。
血が出てると聞いて、硬いフロアタイルに2階から落下したので、このままもう駄目かもと少し諦めながら、意識は絶えないように救急車の中でも頑張ってみました。
病院に運ばれて手当てを受けてからCTなどの検査をし、とりあえずは異常は見られないが、頭が少し割けているとの事で、その場で縫ってもらい、通院という形になりました。
翌日から通院しましたが、先生いわく、奇跡的に打ち所も悪くなかったのか、この程度で済んで良かったと言われ、風呂も翌日から許可がおりました。
ただ、頭を強打している為、今は良くても数ヶ月後になって急変する事もあるし、目眩は当分続くから気を付ける旨を伝えられ、通院も2週間で終わりました。
頭からまっ逆さまに硬いフロアに転落して、この程度で済んだのは私としても奇跡だと思っていますし、その時の事を思い出すと今でもゾッとしますが、後遺症もなく1年が無事過ぎましたので、今現在は少しホッとしています。
35歳 女性のストーリー
初めてバイク(原付)に乗った時、カーブで速度を落とさずに曲がり、電柱にぶつかり救急車で運ばれました。

倒れた瞬間、バイクから飛ばされている自分がスローに見えて、まるでドラマを見てるかの様でした。

病院に着いた頃
目も開かず、声も出ず、手も動かなかったため、救急隊や先生からの問いかけには何も答えられず意識不明と判断されました。

どんだけ時間がたったかはわかりませんがやがて母親が到着し、泣いているのも、先生と話をしているのも全部聞こえていました。

2週間が山だと言われました。
動くことも喋ることも、目を開けることも出来ない私は夢を見ているのか現実なのか生きてるのかもわからないまま...
大きい病院に運ばれる事に。

救急車で運ばれていると
なんと..
車酔いしました!笑

こんな状態でも車酔いするんだな〜と呑気な事考えていたなと今思い返してもおかしい出来事でした。

目を開けたのは事故から2週間後でした。

頭蓋骨骨折
右の瞼、頬
鼻を骨折し
首にはヒビが入っていてあと数ミリで即死だったと言われました。

顔にはびっちり電柱のポツポツの跡が付いていました。

そこから1週間で退院したのは奇跡だと先生や看護師さんから拍手を贈られました。
20年前の話です。

今でも雨の日の前など頭痛が酷い事はあります。
ですが今生きてる事に感謝です!

42歳 女性のストーリー
夫との出会いです。
私は就職のため地元を離れ、現在住んでいる県に引越してきました。仕事でも何度か顔を合わせることはあったようですが、意識にはなく、共通の知人が催した飲み会で意気投合し付き合うようになりました。
話していると、共通点が多いことに気づきました。
私が当時勤めていた職場の同僚は、夫の元同僚だった人が多くかったこと。長く勤めていればそういうこともある職業ですが、私自身こちらに来て2年目で知らない人ばかりだったので、びっくりしました。
夫が以前勤めていたのは、県内でも離れたところの私の叔母が住んでいる地域に近かったこと。広く転勤することはあまりないのですが、最寄りの駅やよく行っていた場所も知っているところで、話が盛り上がりました。
そして、一番びっくりしたのは、夫の同僚が私の妹の友達だったことです。職場は関東、妹は東北にいます。妹から「そっちに友達が就職したんだけど、知らない?」と言われ、よく話を聞いたら夫と同じ職場で、しかもよく飲みに出かける仲だったようです。
他にも似てるなーと思うことがたくさん重なり、最終的には結婚することになりました。人との出会いは、本当に奇跡なんだなと思った出来事です。
29歳 女性のストーリー
この話は私が生まれる前、正確にはお腹の中にいた頃の話です。
つわりがひどく、私を妊娠していても体重が45キロ(160cm)と痩せていたのもあり出産前、通常より早めに入院していた母親ですが、入院中風邪をこじらせてしまい40℃の熱が続く状態になりました。私を妊娠していた関係で解熱薬が飲めなく、母子とのに危険な状態でした。そこで主治医が父親に「奥さんと娘さんの命どちらをとりますか?」という究極の選択を切り出したそうです。そろで父親が苦渋の決断をし「嫁の命をとります」と告げ、医者が解熱剤を投与しようとしたらみるみる熱が下がったそうです。その時父親は「奇跡だ」と感じたそうです。その後、難産ではあったが私が無事に誕生し、母子ともに元気に退院しました。
36歳 女性のストーリー
私は猫を飼っていました。
雨に濡れた小さな鍵尻尾の子猫でした。
模様は鯖模様。サバトラ猫です。女の子でした。
成猫になり10年が経ちました。

保護した後に避妊手術もしていたせいか、
骨格は小さいもものの、お腹を床に擦りながら歩き、まるまると肥えて、元気にしていていたのに、12歳を迎えた頃
食べても食べても痩せていくようになりました。
「甲状腺亢進症」も疑いましたが、
まずは動物病院に連れて行きました。
「がん」だから、「諦めた方がいいです」
と獣医さんが言いました。

私は納得がいきませんでした。
私は仕事を休む決心をし、
動物病院で病院食を沢山仕入れました。
病院食である高カロリーの缶詰を4時間置きに、シリンジで与え続ける毎日です。
時には与えすぎて噴水のように吐かせることもあり、自分を責めました。
お水も消毒済みのシリンジでたっぷり与え続ける日々でした。
愛おしい猫のお腹が膨らみ、すやすや眠る姿に癒され、励まされました。

闘病生活を始めて1ヶ月が経った頃、我が子に変化が起こりました。
鳴くのです。
寂しい時、お腹空いた時、寒い時。

「がん」宣告をされた我が子は正直2キロもなかったのです。
健康な猫は3キロ前後が標準体重ですが、闘病生活の末、自らドライフードを食べ、水を飲み3.2キロにまで肥えました。
まるまるとした目も生気を取り戻し、
生き生きと活発にかぎしっぽを揺らしながら、擦り寄って甘えるようになりました。

これは我が子の生命力と奇跡だったのだと思います。15歳で虹の橋へ行きました。



24歳 女性のストーリー
今から5年前、韓国に住む祖父が亡くなりました。
私は日本生まれ日本育ちで、当時大学生でした。幼少の頃から、長期休みの度に祖父の家で過ごし、優しくて聡明な祖父が大好きでした。高校の時は、バイトやライブなど自分の趣味に明け暮れ、会う機会がかなり減りましたが、大学生なると、祖父の体調が悪くなったので、休みの度に韓国へ訪れるようになりました。大学2回生の時、冬休みは祖父と一緒に過ごしていたのですが、年明けに祖父が意識不明で集中治療室での入院となりました。春休みになり、私が病院に到着した途端、3ヶ月間意識不明だった祖父が目を開き、私の顔を見て「可愛い孫だ」と口にしたのです。滞在中意識も戻り、毎日見舞いに行っていった親戚たちは驚き、これで回復する!と喜んでいた矢先、私が日本に到着して数分後に亡くなりました。祖父は私が訪れる日を、そして日本に安全に到着する日を、待ってくれていたのだと思っています。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
独身っていいなと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
自分は特別だと思った瞬間
こんなひといました
あの人と縁を切ってよかった
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしの周りの大恋愛
これまでに出会った天才
わたしの周りで大変身した人
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
人が豹変した話
わたしの周りで一番勉強ができた人
ノウハウ
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
○○の裏話
人間関係
一番ひどい友達からの裏切り
家族に一番感謝したこと
女同士って面倒くさいと思った話
女って本当に恐いと思った瞬間
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
これはひどいなと思った結婚式
これまでで一番お金を無駄にした話
忘れられない先生の話
奇跡だと思った話
今までで体験した一番怖い体験
人生で一番贅沢した話
人生で一番運が良かったなと思う出来事
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
一番の苦労話
どうしても許せないこと
これまでに一番勇気を出した瞬間
お金さえあればと感じた瞬間
これまでで一番悲しかった時
とっておきのすべらない話
これまでで一番驚いた話
一番おいしかった食べ物
忘れられない夏休み
忘れられない夏の思い出
修学旅行の思い出
人生最大の修羅場
今までで一番感動した話
嘘みたいなほんとの話
学校や仕事をサボってやったこと
これまでで一番笑った話
人生最大の失恋話
人を見返してやった話
死ぬかと思った話
私について
誰かに聞いてもらいたい愚痴
誰にも言っていない秘密
私の変えたい過去
人生が変わった出来事
わたしの初恋と、その結末
そういえば昔夢見ていたこと
仕事での大失敗
もっとも尊敬する人
苦手だったのに得意になったエピソード
わたしがやめられないもの
結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話