"先生" に関するエピソード

「忘れられない先生の話」

35歳 女性のストーリー
中学校の卒業式の日に、大嫌いだった国語担当の先生の元へ行き、封筒に入れられた「〇〇先生のことが大嫌いだった理由」というタイトルの作文を「先生、本当にありがとうございました」と真顔で渡しました。先生はお礼の手紙だと思っていたのか「ありがとう」と笑顔で言ってくださり、わたしはその場を去りました。

数ヶ月後、わたしの父が働く中学校に電話をすると、たまたま例の国語の先生が電話に出ました。父と同じ中学校に転勤していたのです。先生はわたしが父の娘と知っていたので、すぐにわたしと気付きました。そして「いやぁ君の作文衝撃的で忘れられないよ。素敵な作文ありがとう」と皮肉っぽく言いましたが、その後に「それにしても君は文章力あるな。すごくよく書けてたよ」と今度は大人の対応が帰ってきました。

思春期だったとはいえ申し訳ないことをしたと思います。
わたしも35歳になって大人になったので、もしこの国語の先生に会えることができるのなら会って謝罪したいです。
23歳 男性のストーリー
忘れられない先生は小学校の5年生と6年生の担任をして下さったN先生です。

自分自身小学校の頃は割と不真面目な人間でした。
不真面目といっても、皆様が想像するような不良ではなく
宿題は必ずと言っていいほどやってこない
口よりも先に手が出てしまう、しょうもないいじめっ子のようなものです。

更に目立ちたがりだったため、生徒会長や委員長といった仕事もしていましたが
目立つことだけを考えていたので
責任感なぞあるわけもなく、前述のいじめっ子気質のこともあって
毎日のようにN先生に呼び出されておりました。

ただ、自分がどんな馬鹿なことをしてもN先生は常に優しく
諭すようになぜ自分の行動は間違えているのか
どうすれば良かったのかを教えてくださいました。

時には自宅まで車で送ってくださったり
宿題を忘れたときは休憩時間に付きっきりで
私が終わるまで、見てくださったりと
お忙しいにも関わらず、本当にご迷惑をおかけしました。

とても印象に残ったようなエピソードがあるわけではありませんが
他の先生方以上に自分自身に向き合ってくださったことが
童心ながら、記憶に残っております。

私が小学校を卒業してすぐに、教員の仕事はやめられたとお伺いしました。
今は、何をされているのかはわかりかねますが
長年お会いできていないので
また時間を作って、ご挨拶にお伺いしようと思います。
48歳 女性のストーリー
忘れない先生は、息子の保育の先生です。
保育の時は1日の行動などを連絡帳に書いて頂くのですが、興味のある点を重視し記載されてましたし、こちらからの連絡事項にも寛大に返事を書かれて、よく笑わせて頂いた記憶があります。
送り迎えの前後に先生と話をしていても、親の方を見ながらも常に子供の事を気にかけておられて、危険な事をしている子供にすぐに注意されたり、子供が転倒などあったら保護者は取りあえず置いといて子供の方へ走っていかれるような先生でした。
多くの先生は保護者がウルサいので、ほぼほぼ保護者優先になってしまいますが、その先生は保護者優先ではなく、子供優先の素晴らしい先生だと思います。
突然の転勤でちゃんとお礼が言えなかったのが残念で仕方ありません。
21歳 女性のストーリー
高校生の時、私が入学式の時と同じタイミングにやってきた現代文の先生の話です。

最初から様子はおかしかったのですが、1番驚いたのが 羅生門 の授業の時でした。
最初はラジカセを使って音声さんが読み、クラス皆で聞き、それを踏まえて授業に入りました。
羅生門の登場人物である、老婆 や 下人 など、カラスまでも急にモノマネをし始めて、そんな先生は見た事がなく、クラス中で話題になりました。

その先生は自分のことを おっちゃん といい、私のクラスでほかの教科の授業をしていても前後のクラスでその先生が授業していたら、急な叫び声、急な音、等々とてもインパクトのある授業をする先生だったので、最初は他の教科の先生も 何?とはなっていましたが、高校三年生になるにつれ慣れてきたのか、 またやってるなぁ と発言する先生が増えてました。

今まで出会った中で一番インパクトがあり、授業中はとても賑やかな、親父ギャグが溢れ、冷たい空気が流れまくりでしたか、生徒のことも見て、ラフな関係で接してくれる、優しいおっちゃん先生でした。

25歳 女性のストーリー
小学校5、6年のときの担任だった男性教師のS先生は忘れられないくらいすごい先生でした。

小学校の先生は中学高校と違って担任が全ての授業を受け持つ上、小学生を相手にしていますから、少し変わった方が多いと思います。
S先生も、授業中によく怒って職員室に帰ったりしていました。

ある日、放送委員のクラスメイト3人が朝の放送でミスをしてしまいました。放送ボタンを押したままお喋りをしてしまったのです。
もちろんわざとではありませんが、S先生はかなり怒りました。
朝教室に来るなり怒鳴り、3人を前に立たせてみんなが見る中説教を始めました。
1時間目が始まっても終わりませんでした。午前中ずっと3人を立たせて怒り続けました。
お昼になって給食の時間になってやっと終わったと思ったら、午後の授業が始まる時間になるとまた3人を立たせて怒り始めました 。
同じ事を1日中説教し続けました。
あまりの異常な長さにクラスメイトは先生の方がおかしいと、みんな3人を同情していました。
結局帰る時間まで説教し続け、何のために学校に行ったのかわかりませんでした。

今だときっと苦情が来ると思いますが、もう何年も前のことなので特に苦情も入らなかったと思います。
今あの先生がどんな授業をしているのか気になりますが、きっと変わってないと思います。

「」

29歳 男性のストーリー
小1、小2の担任の先生は「おもらししてもいいから授業中トイレに行くな」という方針だったので、皆おもらししまくりでした(音楽会の最中も!)。
いじめっ子の頭にすら漏らした子をいじめる概念が出てこないほどの洗脳ぶり。
以降の先生は普通にトイレに行かせてくれましたが、しばらくはトイレに行った子はそのクラス上がりの子から「漏らせばいいのに、授業から逃げようとする卑怯者」という扱いを受けていました。
いかにその年齢の子供たちにとって先生が絶対的な存在か、思い知りました。

「忘れられない先生の話」

24歳 男性のストーリー
私にとって忘れられない先生は高校時代の世界史の先生です。先生は世界史のみならず世の中の様々な知識や分野に精通しており、しばしば私たち生徒の知的好奇心をくすぐっていただきました。また先生は知識量のみならず、ユーモアにも満ち溢れておられ、大学受験期の精神的にしんどい時期でも私たちを笑わせて和ませてくれました。その結果、世界史では満点に近い点数を獲得することができ、無事に第一志望の大学に合格することができました。大学に合格した今でも私はしばしば母校を訪れますが、先生に会うたびに楽しく充実した高校生活が脳裏によぎります。私も将来は学校の先生になって生徒に好かれ、模範とれるように精いっぱい努力していきます。
44歳 男性のストーリー
中学の時、非常に見た目のキャラの濃い男性の先生がいた。
当時、とんねるずの石橋貴明が演じていた「ほもだほもお」にそっくりだったのだ。
そんな彼なのに、言動が非常にキザ、英語教師だった彼はまるでルー大柴のごとく会話に無駄に英語を挟んでくる、笑いの生まれないルー大柴。
そんなルーのことも卒業してしまうと忘れてしまっていた。
大学になった、久しぶりに地元の同級生とあった。同じクラスだったこともあり話も弾んだ、そのうち担任の先生の話になった。自分たちは彼女が初めて担任するクラスの生徒だった。小柄な彼女は少し生徒からナメられていた、そしてナメられたままにならぬよう彼女はよく大声で怒鳴っていた、とりたてて美人というわけでもなかったが可愛いらし印象で、今ならもっと人気があったんじゃないかな、みたいな話をしていた。
そこにちょうど別の同級生が来て、その元担任の先生と仲がいいといって、電話をかけ出した(当然家電だ)、横から電話の話きいていると、どうやら結婚したらしい、同級生はなぜか担任先生の旦那さまと話し始めた。??どういうこと、と思っていると。電話を切った同級生が「まさかルーと結婚するとはねー」
まじかーーー、人ってわかんない、そして二人のことは僕を忘れることがなくなった
23歳 男性のストーリー
高校時代、入学してすぐの事です。
私は野球部に入部しました。
新入部員は私を含めて15人でした。
当時、先生(監督)はとても理不尽ですぐ怒る方でした。さらに暴力的なことも多々あるで有名でした。これは他の生徒にはすることなく、野球部員だけの態度でした。
ある日、先生の体育の授業で同期の野球部が忘れ物をしました。
それを授業を受けていた生徒の前で説教をしました。
先生の怒りのボルテージが上がり、最後に生徒の前で暴行を行いました。
それを見ていたある生徒が学校で定期的に行われる体罰調査のアンケートでそのことを書くと、学校側で問題となりその生徒は呼び出しを受けたりと大変なことになりました。
結果、先生の処分は減給になりました。
57歳 男性のストーリー
 高校の時の専門科目に忘れられない先生がいる。
 私は建築科に在籍していたのだが、卒業時、留年しかけていた。
 別に落ちこぼれだった訳ではなく、自慢でではないが、どちらかと言えば成績は良い方だった。しかしスランプに陥り、必須課題であった製図の課題が全くと言っていいほどできていなかった。
 担当の建築製図の先生が、最終提出日を過ぎても提出できない私の描きかけの図面を見て「今までの成績から、この図面とこの図面はできたことにしよう。あとこちらの図面を仕上げれば、課題達成にする」といってくれて、本来の卒業式には間に合わなかったが、卒業することができた。
 そんな状態だったので、卒業後の進路は未定だったが、その先生が知り合いに頼んでくれて、先生の知人の設計事務所に入れてもらうことができた。が、3か月と続かず辞めてしまった私に、また、別の知人の勤める建築会社を斡旋してくれて、某鉄道系建設会社に入社させてくれた。
 卒業して何年も経っているのに、色々迷惑ばかりかけて、年賀状を送ったり、お中元、お歳暮を贈ったりしていたが、鉄道系会社も数年で辞めてしまってからは、年賀状も送らなくなってしまった。建築関係からも離れてしまった今でも、今の自分があるのはあの先生のお陰だと思っている。
48歳 女性のストーリー
中学3年生の頃の事です。隣のクラスの先生が忘れられません。年齢は26歳で、若い先生に憧れていました。国語の先生だったので、国語は、ものすごく頑張りました。他にもその先生に憧れている娘は多く、ライバルが多かったです。今まで学校の先生で若い男性の先生は居ませんでしたので、その先生は人気が有りました。毎日、先生と自分の事を妄想していました。文化祭の時は一緒に写真を撮ってもらいました。卒業式の時はアドレス帳にメッセージを書いてもらいました。でも、その先生には彼女が居て、体育祭の時に一緒にお弁当を食べてたそうで、友達に「諦めた方がいいよ。」と言われても諦めきれませんでした。
それから8年後、私はレスロランで接客のアルバイトをしていて、その先生が奥さんと一緒に食事に来られました。私が声をかけても気付いてもらえなかったのですが。
23歳 男性のストーリー
私が思う忘れられない先生は私が小学3年生の時の担任の先生です。その先生は今の時代では考えられないような教育法でクラス全員の成績を上げていました。その先生は
かなり破天荒で武闘派な先生で悪事やいたずらをした生徒にはほうきの竹の棒で割れるまで叩いたり向こう側まで聞こえるような大声で罵声を挙げるなど今では社会問題も
のの行動や教育指導をしていました。そしてテスト期間の時ではカンニング防止のためわざわざ教室から全員机といすを持ってきてかなりの一定間隔を空けてテストを実施
しており給食もそこの体育館で食べていました。当時は体育館で給食を食べることなどなかったので新感覚だなと思ってましたが今になって考えるとかなり凄い事をやって
いるなと思いました。そしてその担任の先生は体罰として鉄拳制裁は当たり前で自分のクラスはもちろんのこと、他のクラスの生徒の悪事まで徹底的に指導していました。
しかし根っからの悪人ではなくその先生いわく「出来るはずのことをしていない。言われたことをしていなかったら怒る」と言っていたのが印象的でオンオフの切り替えが
凄まじく生徒と遊ぶ時は学校全体を貸切って鬼ごっこをしたり先生も交じって全力で遊んでくれてとても遊び心のある先生で授業をする時は「7時間目まであるかわりに宿
題無し」というのもありました。今でもある意味忘れられない印象的な先生でした。現在その先生は他の学校で校長先生をしています。
44歳 女性のストーリー
高校時代の英語の先生です。物静かで少しボソボソ話す先生でした。その先生はビートルズの大ファンで英語の授業は視聴覚室でやることが多かったです。
先生はビートルズに影響を受けた人で歌詞を自分なりに訳してみたり歌を歌ったりして勉強したそうです。視聴覚室では先生が録画したビートルズのビデオを見たりビートルズの歌をよく歌ったりしました。
学校の教科書そっちのけでビートルズ一色。他のクラスからは羨ましがられましたね。
ただテスト前になると教室で教科書の授業になるので退屈。1回の授業で数ページ進むのでついていくのが必須だし、自分で勉強しないと試験範囲までたどり着けないというちょっと困ったことがありました。
今でもビートルズをテレビでみたり曲を聴くとその先生を思い出しますし、授業はあまり覚えていないけどビートルズの歌は唄えます。
「生きた英語を学ぶことは大事」とよく言っていた先生でした。
45歳 男性のストーリー
今では考えられませんが、小学校5?6年生の時の担任が教室でタバコをすっていました。それも休憩中ではなくて授業中に吸っていました、ある時はそのタバコを吸っている手をデッサンさせていました。
給食の時ももちろんテストの時でさえプカプカ吸ってました。
そのくせ金八先生に憧れているのか、授業を突然潰して散歩大会したり、人生論を語り出したりとかなら無茶苦茶でした。
金八目指すんならます生徒の前でタバコ吸うなよって思いますけどね。
当時も何人かの生徒はタバコをやめてくれと直談判しに行きましたが、相手にもされず喫煙はやめてくれませんでした。

更に最低なのが隣のクラスの担任を授業中に口説くんです、それも冗談とかではなくで本気です。

今は何してるか知りませんが、先生を続けられたとは思いません
62歳 男性のストーリー
それは、小学校の時の先生です。5年生と6年生の担任をしていただきました。一番心に残っているのは、クラスの全員で合唱練習をして、県民会館という大きな舞台で披露したことです。合唱部でもなく、特別な集団でもない、ふつうのクラスの児童が大きな舞台で歌うということは当時はあまりありませんでした。でも、その先生は「歌の力」をご存じだったと思います。「モズが枯れ木で啼いている」という歌詞で始まる反戦の歌は今も私の心の中にしっかりと残っています。また、この歌を一生にうたったクラスの仲間も、心の中でいつまでも忘れられない存在となっています。また、先生は、今でいう放課後学習を熱心にしてくださいました。終礼の時に問題をだして、それが解けたら帰ることができるというようにしてありました。必死で考えた記憶があります。今も覚えている問題は、速度の違う二台の車があって、一方が追い越される時間を求めるという問題です。数学的な考え方の楽しさを教えていただいた気がしています。感謝しています。
23歳 男性のストーリー
小学6年生の1学期の始業式の校長先生の話です。校長先生は日本国内を鉄道で旅行することが好きで、移動中に車窓から富士山を眺める機会が多くあったようです。特に、車窓から見える綺麗な台形の富士山が、印象的だと話していました。しかし、あるとき旅行で普段あまり通らないルートの鉄道に乗っていたとき、車窓から富士山を眺める機会がありました。そのとき見た富士山は、綺麗な台形ではなく、中腹にコブのようなもの見えたそうです。これは、富士山が江戸時代に噴火した際に富士山の中腹にできた宝永山というものです。校長先生はこのとき、この宝永山を見つけることができたのは、富士山を普段見ない方向から見たためであり、あるものを色々な方向から見ることで、新しい発見をすることができるのだと感じたそうです。その経験を踏まえて、校長先生は生徒たちに物事を色々な方向から見ることができるようになってほしいと伝えました。この話は今でも強く印象に残っています。
39歳 男性のストーリー
国語の教師の方で、とても真面目な人でしたが、少し変わっている所がありました。給食の時間になると自宅から持ってきたであろうミキサーを持ち出して、何と給食をミキサーにかけてしまうのです。惣菜も御飯も飲み物(三角パック牛乳)全部入れてミキサーにかけてしまいます。そして、そのドロドロになった物を飲み干すのです。ある日、友人が先生になぜ給食をミキサーにかけるのか聞くと、本人曰く「腹に入れば皆同じ、歯で噛むより消化も良いし、時間も短縮できてる」だそうです。究極の効率化と言えば確かにそうですが、味はおかしくなり普通の人では飲めないかと思います。別にその先生は、歯が悪かったり特別な病気でもないのに不思議な方でした。
50歳 女性のストーリー
私が小学5年性の時の担任の先生の話です。田舎の小学校に大学を卒業したばかりの男性の若い先生が赴任してきました。10歳くらいは違いますが、兄のような存在でした。先生は、初めて先生となり、私たち5年生の担任として向き合うのですが、私たちも田舎の子供とはいえ小学5年生、悪さもします。善悪とか深い意味もなくやっていたことが多かったように思います。クラスである女の子に〇〇菌と名前をつけてからかっていました。その女の子も笑っていたし、いまでいうイジメとは違うちょっとした遊びのつもりでした。ある日、クラスに先生が入ってきたとたん、ものすごい顔でこの遊びをしていたものは手をあげろといい、私たちクラスの半分以上の生徒は先生に叱られたのでした。悪気なくしていた私たちには何が起こったのかその時、ぜんぜん理解ができませんでした。ただ、だんだん涙を流しながら話をする先生の姿をみて、私たちはそんなに彼女を傷つけていたことがわかりました。今でもあの先生の泣いている顔が忘れられません。
31歳 男性のストーリー
中学3年からのサッカー部の顧問の先生。

自分が中学3年生の時にサッカー部の顧問が異動になり、新しく別の中学校から来た先生がサッカー部の顧問となった。
それまでの自分はそこまで熱心にサッカーに取り組んでいるというわけではなく、部活自体も楽しいとは感じていなかった。

しかし、新しく来た先生の練習は厳しい面もありながら非常にやりがいがあり、中学3年生の4月から部活を引退するその年の夏までの間、とても楽しくサッカーに取り組むことが出来た。その結果、自分は中学で辞めようと思っていたサッカーを高校でも続けるようになり、今でもサッカーに関わる仕事をしている。

この先生に出会っていなければ、間違いなく自分は別の道を歩んでいた。
指導を受けた期間は5か月程度だったが、その先生のことは今でも強く印象に残っている。
25歳 男性のストーリー
高校3年生の時の担任の先生が今でも忘れることができません。定年退職直前のおじいちゃん先生でしたが、どんなことに対しても熱心に取り組む姿がとても印象的な先生でした。その先生は化学の先生でしたので、時々原子記号のTシャツを着てきてなかなか面白い一面もありました。生徒たちから「そのTシャツをテストの時に着用してよ」と言われてましたのを覚えています。そんなことをしたら公開カンニングで大変なことになるのは間違いありません。とにかく熱心に指導していただき、生徒を愛する心をとても持っていた先生だと思います。時々起こることもありましたが、内容としては全て生徒に対してのことで、それだけ熱くなってくれていたと思います。
32歳 女性のストーリー
高校時代、バレンタインの時に仲のいい先生たちにチョコレートを渡すことが流行っていた。その当時の化学の先生が独特の変わった先生で常に飄々としていて面白く、もしチョコレートをあげたらどんな反応をするのか、お返しに何かくれるのか気になって友達と一緒にあげることにした。
チョコレートをあげると普段よりは少しテンション高めにお礼を言ってくれ、後日お返しをくれると言ってくれた。しかし、先生の性格的にそうは言っても恐らく実際にはお返しを用意するのを忘れるだろう、と友達と予想していた。
ところがその予想は見事に外れ、お返しを渡された。どんなものをくれたのかと見たら…チョコがけするめ。チョコのかかったするめだった。
一体なぜこのお返しなのかと聞くと、単に面白かったかららしい。本人も食べたが全く美味しくなかった、とまで言われた。
一体どこにこんなものが売っていたのか、何故これを選んだのか、更にはジョークアイテムとしてだったとしても何故先生本人の分までわざわざ買って食べてみたのか、と複雑な気分になった。
バレンタインの時期になるとどうしてもこの先生とするめチョコを思い出してしまう。
33歳 男性のストーリー
当時小学生だった時、いらっしゃった先生の話です。
声と体が大きく、いわゆる熱血タイプの先生で、みんなから好かれている先生でした。
悪いことは悪いとハッキリ叱ってくれる一方で、授業中はいつもユーモアたっぷりでみんなを笑わせてくれる、
本当に尊敬できる先生でした。
私の学校は非常に人数の少ない田舎の学校でしたから、2学年が一緒の教室で過ごす複式学級という形式をとっていました。
つまり、5,6年生が同じ教室で過ごし、その担任は一人なんです。そして、5年生になった時の担任が自動的に6年時まで
持ち上がるような仕組みでした。
当時の5,6年は毎年その熱血先生が担任しており、私も最終的には担任してもらえることを楽しみにしていたのですが、私たちの学年だけ、
なぜか違う先生が担任になってしまいました。私は本当に悲しくて、発表があった直後、プールで作業をしていたその熱血先生の所に行き
涙を流しながら、「担任が先生じゃありませんでした・・・」と話しに行ったのを覚えています。
先生は困ってしまい、「そうか・・・」とだけしか返ってこなかったのですが、今ではいい思い出です。
その後、担任は違えどいつも相談に乗ってもらい、頼りになる先生でした。
29歳 女性のストーリー
私の忘れられない先生は、高校時代の政治経済を担当していた先生です。この先生が授業で行った政治経済を教えてもらった記憶はほとんどありません。なぜなら、この先生は毎回、「人は生きていく上で人の話を聞くということが一番大切なんだ」という話ばかりしていたからです。教科書の内容が進むのは、一回の授業で1ページ2ページくらいのこともしょっちゅうでした。私はなぜこんなにちゃんと授業をしないのか、なぜ毎回同じ話ばかりするんだ、と思っていました。なぜこの話ばかりしていたかは今でも分かりません。しかし、学校の他の授業の内容は、年数が経つにつれて忘れていったのですが、この先生の言葉だけは今でも鮮明に覚えています。先生はおそらく、点数を取るためのいずれ忘れてしまう知識よりも、生きていく上で大切なことを伝えたかったのだと思います。人の話を聞くというのは、簡単そうで難しいです。この大切さを教えてくれた先生にはとても感謝しています。
32歳 女性のストーリー
私の忘れられない先生は中学校3年間の担任の先生です。3年間同じ担任だったというのもあり、すごく思い出が沢山ある先生です。
学校行事の体育祭では全力でクラスのみんなを応援して、学校祭ではクラス発表にも自ら参加し、ダンスを踊り、合唱コンクール毎日も一緒に練習してくれる熱意のある先生でした。
授業中には急に先生の面白い話(漫談)が始まって度々授業が中断されたり、国語教諭だったので詩の授業の時なども全身を使って表現してくれる面白い先生でした。
何より1番忘れられないのは3年間毎日欠かさず先生がやってくれていた事です。
毎朝教室にいくと、必ずおはようから始まるメッセージが黒板いっぱいに書いてあり、前日に思った事や面白かったことなど、先生のそのメッセージを読むのが毎朝の日課でした。
学校は嫌いでしたがその先生のことは大好きでした。
36歳 女性のストーリー
小学校4~5年生の時の担任の話です。当時26歳くらいの女性で、4年生~6年生の間の担任でした。あるとき、以前から問題行動が多かった男の子が、いよいよ私を含め同級生に乱暴なことをしてきました。後から聞くと、彼の家庭環境がかなり複雑で、そのストレスが出たのだと思いますが、そんなことを知らない子供たちは、暴力的な彼にただ参っていたのです。そこで「いじめ」という形で彼に「制裁しよう」というクラスが一丸となりました。最低最悪な方法ですが、その時は私たちは正義の鉄槌と考え、間違っている意識はありませんでした。〇〇菌、無視など、暴力以外のいじめはやったと思います。自分でも胸糞悪いです。今は彼に本当に申し訳なく思っています。あるとき、クラス全員そろっている状態で〇〇菌とこっそりやっているところを、その担任に見つかりました(以前からうすうす気づいていたのではないかと思います)。そこで、先生は「いじめやってんのか!」と激怒。でも次にもっと怒られるかと思ったら、先生は机に突っ伏して泣き出しました。何か先生は言ったんでしょうが、何を言われたかは覚えていません。でも、20年以上昔のことなのに「私たちがやっているのは人というものを悲しませる重大ないけないことだ」と心に強く刺さったのです。それからは、いじめがピタリとやみました。みんな同じように思ったのかもしれません。もしそこで先生が糾弾したり、責任の所在を求めたら、私たちの反応は違っていたのではないかと思います。先生がただ泣いていた。いじめは人を悲しませる、やってはいけない行為なのだ、と、身をもって教えていただいたと思います。
27歳 女性のストーリー
私の忘れられない先生は高校の時の担任の先生の2人です。
1人は一年の時の担任の先生だった女性です。まだ20代で先生の中で若くて、自分たちと歳があまり離れていなかったので、まるで友達のように接してくれる、とても可愛らしく女性として尊敬できるほど優しい先生でした。初めて先生から「友達のように思っていた」と私と先生で揉めたときに言われたので、それがとても嬉しかったです。
それだけ親しくなれて、好かれているんだということを実感したからです。普段みんなにいじられているけど、ちゃんと先生らしく厳しいところもあり、しっかりしていてとても好きです。初めて信頼できる、友達のような親しみのある方だと思ったのがこの先生でした。
もう1人は今の時代に珍しい熱血教師な男性。とても生徒のことを心から思っていてくれて、大事に思ってくれているからこそ時に厳しい、イタリアなどの外国とバイクが大好きな先生です。2年と3年生の時に担任だった先生で、手のかかる個性的的な私たちを二年間熱い思いで見守って、色々なことを教えてくれた素晴らしき恩師です。
何度私たちを叱っても決して見捨てない、とても優しい、大きな愛情を持って私たちと真剣に向き合ってくれました。その事がとても珍しく、皆なんだかんだ言って感謝している大好きな先生です。
高校の時にもっとたくさんの素敵な先生に出会いましたが、この2人の先生が一番近くて素敵だったので今でも忘れられない先生達です。
33歳 女性のストーリー
小学校2~5年までの校長先生。今思えばとても面白い先生でした。とにかく色々な企画をしてくださる先生で、「校長先生と行う親子料理教室」「校長先生と行く魚釣り」「校長先生の夏休みプール教室(夏休みの午後に開放されるものと別で午前中に開かれていた)」「校長先生と行う工作教室」などなど、本当にたくさんのたのしい企画を考えてくださっていました。
中でも一番インパクトがあったのが冬季にグラウンドが使えない時期、業間体育の時間に何のレクを行なうかの学級会をしていた時に丁度教室を見回り中だった校長先生が学級会の議題を把握して『はーい!!ボク(校長先生)は新聞を丸めたものを雪玉として、室内でもやれる[室内雪合戦]がいいと思いまーす!!』と元気よく提案したことです。
満場一致で賛成で、その日以降業間体育の時間に何度も室内雪合戦を行ないました。

例えるなら「窓際のトットちゃん」に出てくる校長先生に近い方だったという印象です。
23歳 女性のストーリー
私の中学の時の理科の先生の話で、
いつも授業中に世間話8割で、理科の授業を2割くらいしかやらない先生がいました。
独自の持論で、色々な話をされるので、普段聞けないし
分からない話を、理科の授業のたびに聞けました。
面白くて、いつも笑っていました。
理科の先生の授業なんか少なくていい、やらなくていい
みたいなスタンスが新鮮で、ああこんな先生もいるんだと思い、楽しい先生だなと思いました。
理屈ばかりで、頭の固い先生よりも、よっぽど授業が8割方雑談だったので、
面白く楽しかったのも事実です。
ああいう授業のやり方もあるんだと思ったし、なにより授業が苦痛だった身としては、
その先生の授業がいつも楽しみで仕方ありませんでした。
24歳 男性のストーリー
 私が出会った中で一番印象に残っているのは高校3年間ずっと担任だったY先生です。
 Y先生の指導教科は英語で、私は彼のおかげで苦手だった英語を克服し、そして大学は英語専攻に進みました。先生の授業は、どちらかといえば理系チックで全てルールに基づいているといった感じで、私自身理系でしたので、自分のスタイルに合っていました。
 また授業外では気さくな人で話しやすく、文化祭や体育祭などの学校行事は、生徒よりも楽しんでいて、それにつられて私たちも準備・練習に励んだのを覚えています。現在では退職され、家族とのんびり暮らしているようです。もう学校での先生としての彼は見ることができませんが、たまには連絡をして、一緒にご飯にもいったりしています。当時の担任の先生と一緒にお酒を飲むのは、少し不思議で懐かしく感じます。また今度思い出話でもしながらお酒を飲みたいと思います。
26歳 女性のストーリー
高校時代の数学の先生でしたが、授業にプラスチック製の野球バットを持ってくる先生がいました。
いわゆる指示棒の代わりだと思うのですが、この先生は授業中に黒板をそのバットでバンバンと叩くので、最初の印象は「そのうちそのバットで誰か叩かれるのではないだろうか…」という若干の恐怖を感じていたのを覚えています(実際に居眠りをしていた生徒は軽く叩かれていましたが)。
しかもそのバットは何本もあるらしく、今日は青色、次の日は赤色…と先生の気分によって変えてくるようで、生徒同士で今日は先生が何色のバットを持ってくるのか、ちょっとした賭けをしていたりしました。
その先生の授業自体はとても分かりやすく(若干口調は悪かったのですが)優しい先生だったので、なかなか出会うことのない面白い先生だったなと思います。
21歳 女性のストーリー
私が忘れられない先生は中学校の担任の先生です。私は3年間担任をしてもらいました。女性の先生で、生徒のためを思って尽くしてくれるような先生です。例えば、体育祭でクラスで競う大縄跳びがあれば生徒だけではなく休憩時間に必ず先生も練習に付き合ってくれました。合唱コンクールではそれぞれのパートごとに家で自主練習できるようにCDを配布して一緒に優勝を目指してくれるような先生でした。それだけではなく、誰かが病気をして入院をしたときにメッセージカードを送ろうと提案をして、クラスメート全員でメッセージを書いたりしました。私も中学時代肺炎で入院していた期間がありましたが、クラスからメッセージカードをもらって元気が出ました。このように生徒ひとりひとりを思って行動をしてくれる素敵な先生だったなと思っています。
60歳 女性のストーリー
忘れられない先生。ということで一番に思い出されるのは、今は亡き高校時代のT先生です。1年生から3年生まで担任としてお世話になった物理の先生でした。
堅物という印象で取っつきにくい雰囲気の先生でしたが、私が家庭の混乱や親との関係で、何もかも嫌になっていた時に、それに気づいてかけてくれた一言です。
「僕は、親は誰でも子どもを大切に思っているはずだ。とかは言わない。だって君の親の気持ちは知らないし、子どもを愛せない大人も居ると思っているから。唯、言えるのは、僕が担任として君をとても大切に思っているということは、確かに言える。もしもどうしようも無くなって、屋上から飛び降りようか。とか思ったら、どうしてもそうするなら、一緒に飛び降りるから僕にだけは知らせて下さい。」
当然、一緒に飛び降りるつもりではないと分かりつつも、こんな風に自分を気にかけて、誤解を受けるような言葉を使ってでも、守ろうとしてくれる人が居るのだ。ということが私自信がそこから先に進む力になりました。
60歳 女性のストーリー
高校時代の3年間担任としてしてお世話になったT先生は、忘れられない先生の1人です。
家庭の混乱や、親との関係などの今となっては小さい事で悩み、何もかも嫌になっていた時期がありました。本当に死んでしまったらどんなに楽か・・・と考えてみたり。
そんなときに、今は亡きT先生が気付いてくれってかけてくれた一言です。
「僕は、親なら誰でも子どもを大切に思って愛しているはずだ。なんてことは言わない。だって君の親の気持ちは僕には分からないし、子どもを愛せない大人も居ると思うから。でも、僕が君をとても大切に思っているということだけは、言える。もしもどうしょうも無くなって、屋上から飛び降りよう。なんて思うことがあったら、話してもどうにもならないなら、僕は一緒に飛び降りるから、必ず声をかけて下さい。」
まさか本当に一緒に飛び降りるつもりは無いと分かりつつも、そんな風に誤解を受けるような言葉を使ってまで私を気にかけて、守ろうとしてくれる人が少なくとも1人を居るんだ。という思いが私の新しい一歩を踏み出す力になりました。
36歳 女性のストーリー
 アメリカ人の英語教師の話です。50代の中年男性で英語のディスカッションクラスの先生でした。第一印象は、あまりフレンドリーではない先生でした。授業は、生徒が興味のあるニュース記事を各々持参し、皆で話し合います。
 ある日、私は「日本における児童虐待問題」についての記事を持参し、クラスで話し合いました。どうしたら解決できるかという意見を皆でシェアをしていた時、先生が「僕は、小さい時、父親から暴行を受けていたし、罵声も浴びせられていた。また父親や姉から性的虐待も受けていた。断片的に覚えている。何度も何度も死にたいと思った。」と話しました。その話を長々とされて、クラスメイト全員はドン引きしてしまいました。それを聞いた、私は胸糞悪い思いをしました。あまりにもショッキングな話にクラスメイト全員が、ディスカッションができなくなりました。レッスン後、クラス皆で「あの先生、大丈夫?」と話しました。
 その先生に対してダークな悪い印象を持った私は、先生が日頃から書いている詩をネット上で見つけました。その内容が「姉が父親から性的虐待をされているのを自分が覗き見している」というもの。身体がゾクゾクするような生々しい文章の表現で、気分が悪く、先生の奥深い心の闇を垣間見ました。それから私は、先生のクラスを取りたくなくなり、顔も思い出したくないくらい嫌いになりました。

「今だから言えるごめんなさい」

24歳 女性のストーリー
これは私が小学生の時の話なのですが、その日は非常にむしむしした夏の暑い日でした。そんな日に私の小学校では全校集会が開かれました。
その全校集会に行く前から私は自分の体に異変を感じます。
「 あれ、なんかお腹いたな。」
ずっとそう思いながらも私は体育館に並びました。
そして長い長い校長先生の話が始まったその時です。急に私のお腹にぎゅるぎゅると鳴りだしたのです。
その音は小さかったので周りにはバレなかったのですが、どんどんお腹がぎゅるぎゅるとなりオナラが出そうになりました。なんとか我慢しよう、我慢しよう。と思ったのですが、ふいに力を抜いた瞬間ぶーっ!っと大きな音をたててでてしまったのでした。
私はああ、やってしまったなと思ったのですが、周りの人達は私の隣に座っていた男子を指さしてオナラしたー!と言い始めたのです。勿論オナラをしたのは私だったので、その男子は強く否定したのですが、そんなことも通じずその男子がオナラをしたことになったのです。
その時は助かったと思ったのですが、今となっては申し訳ない思い出です。

「人を見返してやった話」

23歳 女性のストーリー
なんでもお前はできないと言われてきたけど、
部活の部長になってみんなを引っ張って世界大会に行って、ボランティア活動して、みんなから感謝されたて先生を見返した。
私は、元々勉強が無理で成績は下の方でした。
それで、先生にはまともになれ何も出来ない。なにか悪いことがあれば、私のせいにされてきました。
それが嫌で、部活だけは頑張ろうと思って頑張り続けたら部活をしているお前は輝いて見える。本当にすごい。
と何人もの先生から褒められた。
それが嬉しかったのと、さらにもっと頑張ろうっていう思いがありました。
最終的に校長先生から呼ばれて校内で表彰され卒業した今でもそれだけは一生忘れられないです。
今までで1番、たくさんの人を見返せと思った瞬間でした。

「修学旅行の思い出」

47歳 男性のストーリー
小学六年生の時、修学旅行で会津若松に行ったが、初日に学校に集合したときから、校長先生に怒られた。その原因は校長が話を始めている最中に遅刻者がノソノソ来て、みんなそちらに注目が行ってしまい、校長の話なんか聴いていない。その時「どこ見てる! 一年生よりひどい」と罵声が上がった。問題は次の日、宿泊先のトイレで、オイラが小の用を足そうとドアを開けたら、二人の同級生がいきなり飛び出してきた。何事かと思ったが、小を出している最中、個室から校長が血相変えて出てきて、オイラに「用を出しているときに、戸をドンドン叩くとは何事だ‼」と怒鳴り混んできた。オイラはホースをもったまま呆然としていた。犯人はあの二人ではないのか。とにかく、怒られた思いでしかなく、ろくなことがなかった。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
自分は特別だと思った瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
独身っていいなと思った瞬間
こんなひといました
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
わたしの周りで一番お金持ちの人
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りで一番勉強ができた人
これまでに出会った天才
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
わたしの周りで大変身した人
あの人と縁を切ってよかった
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
人が豹変した話
わたしの周りの大恋愛
ノウハウ
業界ならではの話
○○の裏話
異性は知らないなと思う話
人間関係
家族に一番感謝したこと
女って本当に恐いと思った瞬間
女同士って面倒くさいと思った話
一番ひどい友達からの裏切り
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
これまでの人生で悟ったこと
思い出
お金さえあればと感じた瞬間
忘れられない夏の思い出
どうしても許せないこと
一番の苦労話
これまでで一番驚いた話
忘れられない夏休み
嘘みたいなほんとの話
学校や仕事をサボってやったこと
奇跡だと思った話
今までで一番感動した話
とっておきのすべらない話
人生最大の失恋話
忘れられない先生の話
死ぬかと思った話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
これまでで一番お金を無駄にした話
今までで体験した一番怖い体験
これはひどいなと思った結婚式
人生で一番運が良かったなと思う出来事
これまでに一番勇気を出した瞬間
修学旅行の思い出
一番おいしかった食べ物
人を見返してやった話
人生で一番贅沢した話
これまでで一番悲しかった時
これまでで一番笑った話
人生最大の修羅場
私について
仕事での大失敗
誰かに聞いてもらいたい愚痴
私の変えたい過去
わたしの初恋と、その結末
もっとも尊敬する人
そういえば昔夢見ていたこと
誰にも言っていない秘密
わたしがやめられないもの
人生が変わった出来事
苦手だったのに得意になったエピソード
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間