"修学旅行" に関するエピソード

「修学旅行の思い出」

30歳 女性のストーリー
いまだから言えますが私の修学旅行の思い出といえば、仲の良い女子でグループを組み行く前から沢山計画を立てとっても楽しみにしていた宿泊や初めて行く場所での自由行動に期待で胸を膨らませていったのですが…
グループ内の女の子の1人が当時大流行していたモバゲーというサイトで知り合った他校のメル友(彼氏らしい)がいる彼女。
偶然にもそのメル友と同じ日程で同じ場所での修学旅行だったのが発覚し、何かに付けてメル友に会おうとする友達と絶対に会いたくない他のメンバー。
あんなにも楽しみに計画していた修学旅行だったのに、何をしてもメル友の事ばかりになってしまう友人に一気に雰囲気の悪くなるグループ。
結局謎のメル友の為に見知らぬ土地で別行動させる訳にもいかず計画通りに行動はしましたが微妙な雰囲気の修学旅行となってしまった思い出となりました。
33歳 女性のストーリー
修学旅行中ですが、英語の宿題がありました。
内容は、外国人に名前と出身地を聞くというもので、人数が多いほど得点が加算されるというものでした。
旅行先が都内であったため、外国人を探すのに苦労はありませんでした。
声をかけるときはとても緊張しました。しかし、こちらの意図(英語の宿題であること)をわかってもらうと、とても快く対応してくれました。
外国人といっても、出身地は様々で、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどたくさんありました。聞いているうちにとても楽しくなり、ついでに海外への興味がわいてきたことを覚えています。
きっと現在なら、東南アジアや東アジア系の人が多いことでしょう。しかし当時は、白人の割合がとても多かったです。時代の変化を感じるとともに、現在の子どもたちならどのような宿題をするのかなとも思います。
このような思いになれるのも、あの宿題のおかげなのでしょう。
42歳 男性のストーリー
あれは、忘れもしない中学3年の修学旅行の時でした。修学旅行の行き先が奈良・京都だったので、定番の寺社仏閣を巡り、午後の自由行動などをして、奈良・京都の街を堪能していました。

事件(といっても犯罪等ではありませんが)を起こしたのは、その夜でした。私たちの部屋では枕投げやプロレスごっこが始まり、部屋にいる全員のテンションはMAX状態で、ノリノリでした。

そんな時に、こんな話が誰と無く上がったのでした。

「ねぇねぇ、ここのホテル、壁の隣が金網だからさぁ~、金網伝いに女子の部屋に遊びに行かね?」

なんということでしょう、今までもノリノリ状態だった私たちですが、こんな話がはじまってしまい、もう動物園の猿状態で、ウキウキ言ってました。

もう若気の至りで、先生に見つかるとか、女子が先生に報告するとか全く考えずに、全員一致で、よし行こう~~~~、ということになり、私たちの部屋の男子全員が、女子と遊ぶ為に必死に金網を降りたのでした。

無事、全員が金網を降りられて、女子たちと和気藹々と遊んでいたのですが、男子は4階、女子は3階と、部屋が決められていたのに、はしゃぎすぎて大声になっていた私たちの声に先生たちが気付き、あえなく御用となったのでした。

そして、そこから延々とお説教が続き、私たちの部屋全員が朝方まで、部屋の前で正座させられ、反省を促されたのでした。

今では考えられないですが、ほぼ30年前の話で、時代も時代だったため、正座は当たり前だよなぁ~と、思っていました。

しかし、うちの学校の先生はとても優しく、女子の部屋に忍び込んだ事よりも、金網伝いで降りたことに対して激怒していたのでした。

先生曰く「せっかく一生の思い出になる修学旅行を、もし、金網から落っこちて、事故になったらどうしてたんだ?  シャレにもならんし、人生で一番苦い思い出になるかもしれなかったんだぞ? お前ら・・・・・  事故になっていたら、先生も悲しいし、親御さんたちが悲しむだろう?」

これを聞いて、男子全員はかなり凹んで、シュンとしてしまい、まるで誰かが落っこちたような感じになってしまいました。しかし、間髪入れずに、先生が「まぁ、お前らのやったことは立場上、叱らないといけないから、叱ったんだよ。 しかしだなぁ~、お前ら後先考えず金網伝いに女子の部屋に行くとは、けしからんが、先生もお前らの同級生で同部屋だったら、一緒に行ってたぞ。ガハハハハ。」

と、暖かくも、突っ込みどころの多いお話をいただく事ができました。その後、朝方まで本当に正座して、周りの男子たちには笑われ、次の日は寝不足で旅行どころではなかったのですが、あの夜に先生に本当に人柄が溢れ出てた、お説教をされたのは、私の人生の本当に良い思い出です。

26歳 男性のストーリー
高校の時の修学旅行の話である。私が当時在学していた高校は【北海道】、【沖縄】、【シンガポール】の3ヶ所から選択できるのだが、私は沖縄を選択した。その理由はその当時の好きな女の子(仮名、A子)が沖縄を選択していたからであった。今振り返るととても安易な発想ではあるが、当時の私にとっては重要な問題であった。なぜなら修学旅行の期間で告白することを決めていたからである。
修学旅行の主な日程は到着日(1日目)は午後から街の散策。2日目に海でのレクリエーションが予定されていた。つまり、A子に告白する時間はこの2日しかなかった。
街の散策は同じ班になることは叶わなかったが、2日目のレクリエーションの時間は同じ班になることができたのである。神は私を見捨ててはいなかった。
そして運命の2日目。今までになく、良い雰囲気になった。これが沖縄の海の力なのかと1人気分揚々と過ごし、片付けの時間。
周囲の友人が上手く気を遣ってくれ、2人きりになったタイミングで意を決した。
(私)『好きです。付き合ってください。』
(A子)『え、(しばらくの沈黙)
ごめんなさい
47歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行は関東民なら定番の奈良、京都でしたね。昼間は制服で移動、宿泊施設に帰ったら学校のジャージ。当時はこれが普通。お風呂の時間までも監視がいるような、軍隊かよ的な昭和ならではの修学旅行でしたね。
そんな、修学旅行で悲劇が起きました。修学旅行二日目。清水寺の駐車場でのことです。修学旅行シーズンで駐車場内も渋滞。このままでは決められた時間通りに進まないと判断したのか、少数ずつ生徒をバスから降ろして行きました。
私と数名がバスから下ろされたのですが、すぐ目の前もバスがあり、向こうの通路まで行かれずに降りたところで立ち止まって居ました。
すると、乗っていたバスがなぜかバックしてきてひかれました。バスのタイヤが私の足を上ってくる感覚。忘れられません。
周りはパニックになってました。そのまま救急車で病院へ直行。全治3ヶ月の怪我でした。
私にとっては最悪の思い出です。
18歳 女性のストーリー
高校の修学旅行で、長崎県のハウステンボスに行きました。ハウステンボスといえ一ば年中花が咲いていることで有名なので、楽しみにしていました。
4月に行ったので、さぞかし綺麗な春の花を見ることができるのだろうと思っていましたが、どこをみても花は咲いておらず、とても残念な気持ちになりました。
気持ちを切り替えて、テーマパークのアトラクションを楽しもうとしましたが、どれも私の興味を引くものはなく、また、楽しいな、と思うアトラクションがあっても、もう一度体験するには300円かかると知り、お金を花うならやらなくてもいいかな、と思うものばかりで、心の底から楽しいと思えるようなアトラクションはありませんでした。
ですが、ハウステンボスにはVRコーナーがあり、今話題のものだから、と一度やってみることにしたのですが、とても楽しかったです。まさかハウステンボスで体験できるとは知ず、最新の技術に触れることができてとても楽しかったです。
私は、夜景は好きではないため少しだけしかライトアップはみませんでしたが、とても手が込んでいるな、と思えるような素晴らしいものでした。
ハウステンボスでは、がっかりしたことも多かったものの、VRなどを楽しめたので、言ってよかったな、と思っています。
36歳 女性のストーリー
小学生の修学旅行で、自分のグループは背の高い子ばかりだった。
グループ行動で、ある博物館に入ろうとしたら、みんな背が高いので、本当に小学生?と疑われた。
全員私服だし、名札も確かつけてたし、黄色い帽子もかぶってた。
なので理解してもらえたらしい。
奈良の大仏の公園では、定番の鹿せんべい。
さっそく買ったら遠くにいた鹿が走ってきて、そこにあった柵を飛び越えてきた。
ちょっと恐怖だった。
でも、囲まれるだけで、襲われることはなく、必死におじぎをしてくれていた。
あの時、ミゾにはまっている鹿がいたけど、誰か大人の人が助けてくれたんだろうか。
きっと大丈夫だと思うが、子供だけでなんとかすることもできず、そのまま置いてきてしまったのが心残りである。
33歳 女性のストーリー
高校3年生の修学旅行でオーストリアへ行きました。初海外にワクワクドキドキ。元々英会話に興味があった私は、現地の人と会話をすることが楽しみでした。とあるショッピングセンターでお土産を物色していたら、欲しいものが見つからず、これは現地の人と会話するチャンス!と、すぐさまスーパーのレジにいる現地の方に話しかけてみました。自分の持っている知識の単語を組み合わせてなんとか通じた!しかし、その現地の方は、「それなら、こっちにあるよ。案内するねー」と、日本語がペラペラでした。
頑張って勇気を出して話しかけたのにー!なんだかモヤモヤした気持ちになりましたが、親切なスタッフの方だったなーと、今ではいい思い出です。
48歳 女性のストーリー
わたしは埼玉県に生まれて埼玉県の高校生を卒業しましたが、当時の修学旅行で和歌山~四国を回りました。
その時に不思議な体験をしました。

生まれも育ちも埼玉で、当時は埼玉か東京くらいしか行ったことのないわたしは、当然その場所も一度も訪れたことのない場所でした。
でも何故か住んでいた、あるいは訪れたことがあるといった不思議な既視感に襲われ、修学旅行中ずっとソワソワしていました。

何ともふわふわと落ち着かない気持ちで観光地を回っていて、そんな中、血の池地獄と言われている場所に行った時に、一瞬でしたが、頭の中に武士の戦場の様子が浮かび、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして、その場に倒れ込んでしまったのです。

すごく不思議な体験でした。

後日、母にそのことを伝えたところ、母親の先祖は和歌山のその四国辺り出身の武士だったそうです。

八代将軍徳川吉宗公の側付きの侍だったようで、同氏と一緒に江戸(東京)にやってきて~それから主が変わり~埼玉県の忍城へ~で、そのまま住み着いて子孫まで・・・。

ひょっとしたら、貴女は先祖の生まれ変わりかもね・・・・なんて笑いながら、母が話していました。
37歳 女性のストーリー
高校時代の修学旅行が北海道でした。体験を事前に選ぶものでした。そば打ち、ジャガイモ掘り、ラフティング、バター作り等々、選べる体験はたくさんでした。そのなかで、ラフティングを選びました。人生で初めてのラフティングは激流を下るもので、絶叫マシンが苦手な私でしたが、それとは異なり、とても楽しいものでした。インストラクターのノリが良く、激流をうまく潜り抜けると、パドル水面に叩きつけて、喜びを分かち合うルールでやっていました。最後の激流を抜けたとき、今まで通り、パドルで水面を叩きつけました。その時、右手小指に痛みが‥。隣の友達のパドルの持ち手が私の指に当たっていたようです。テンションが盛り上がってる友達とインストラクター。私も回りが盛り上がっているのが楽しく一緒に騒いでいました。しかし、ボートを降りると更に痛みが増して‥見ると小指が真っ赤に腫れ上がってました。大ケガには至りませんでしたが、残りの旅行は痛みに耐えながらの参加でした。
50歳 女性のストーリー
小学校の修学旅行の就寝は、1クラス毎、男女に分かれて、畳の大部屋で雑魚寝でした。1クラス男女が15人ずつくらいだったと思います。後で男子から聞いたのですが、男子の部屋では朝早くに面白いことが起こったようです。

男子の1人がなぜか相当な早起きををしたようです。そしてなぜか早く起きすぎてしまったことに気づかずにみんなを起こしたらしい。「みんな起きる時間だよ。着替えて、出かける用意して!」と。疑うことをしなかった男子達はみな起き出して、身支度をしたとのことです。それでしばらく経ってから1人の男子がやっと気づいたとのこと。「えっまだ4時半じゃん!」1人の子が間違えたことにやっと気付いた男子達は、せっかく着替えたもんだから服のまま2度寝に入ったそうです。

男子達は笑って話していた。誰も怒ってる子はいなかったです。
30歳 男性のストーリー
高校の修学旅行にフランスのパリがあったので、フランスを選んだ。
英語は元々得意だったので、英語以外にも外国語を学びたいと思っていたので、旅行前のフランス語講座を楽しみにしていたが、講師の方の都合で中止になり、フランス語が習得できないまま、フランスへ。
結局現地のガイドさんがいたのと、集団行動の時間が多く、フランス語は使う機会どころか、英語を使う機会もほとんどなかった。
ただ、帰りの空港でいい経験ができた。
余ったユーロを円に変えたいと友達に言われたので、外貨の両替所を私が探し、友達と他にも両替をしたい学生を案内した。その時は閉まっていたため、少しそこで20~30人くらいで一緒に両替所の前で待つことにした。
現地のグランドスタッフの方が英語で話しかけてきたので、私がユーロを円に変えたいので、両替所の前で、待っていることを伝えると、その日、両替ができるか電話で確認してくれた。
結果、両替できなかったので、待ってる学生にそのことを伝えた。
思い出というより、自分の英語力に自信を持つことができた良いきっかけになった。
英語でコミュニケーションを取り、実際に海外で誰にも頼らず、問題解決ができた。
だから、もっと勉強してスキルを上げたいと思い、高校卒業後、語学留学をしたし、就職してからも、仕事で英語力を活かすことができた。
当時17歳でこのような経験ができたことで自信が持てたので、人生で大きな出来事だった。
77歳 男性のストーリー
小学校の修学旅行で日光へ行った。標高が高いのと曇天のため温度が下がった。薄着だったので体が冷え、腹痛に見舞われた。霧の中で記念写真の撮影が行われたが、苦しくてそれどころではなかった。
高校の修学旅行の前日の夕方、体育の授業の一部として400メートル走と800メートル走のタイムを測った。全力で走った後で水道の水をガブガブ飲んだ。若気のいたりだった。
自宅へ帰ると嘔吐が始まった。激しい運動の後に水を急に大量に飲んだため、胃腸に偏重を来したのだ。嘔吐は夜中まで続いた。明け方になって治ってきたが、早朝に桜木町へ集合せねばならないので、「行かれないな」と思ったが、兄が「どうしても行け」と強制するので仕方なく出かけた。関西、四国への旅行はまるで楽しくなかった。最低だった!
45歳 男性のストーリー
関東に修学旅行に行き、鎌倉の大仏を見た後ホテルへバスで向かいましたが、
その途中で大渋滞に巻き込まれたあげくバスが追突事故を起こしてしまいました。
結局、バス会社の社員が来て事故処理を引き継ぎへこんだ車体のバスでホテルへ向かいました。
結局ホテルについたのが深夜で美味しいバイキングの夕食のはずが、急遽用意された冷え切った弁当が夕食になってしまいました。
そんな疲れ切った状態で翌朝はディズニーランドへ行きました。楽しみすぎて、つい無理をしてしまい絶叫系アトラクションに乗りまくった結果乗り物良いをして気分が悪くなって倒れてしまいました。
最終的に乗り物で散々な目に合った思い出ばかりの修学旅行になってしまいました。
49歳 女性のストーリー
高校の京都奈良の修学旅行最終日、おこづかいをほとんど残さず、八つ橋やいろいろなおみやげを沢山買いました。
最近の高校生の修学旅行の荷物はスーツケースで片面はおみやげ用に空けていくようですが当時はそんなことは無く大きなビニル製の肩から掛けるバックでした。
翌日に向けて、たくさんのおみやげの荷造りをしたのですがどうしても荷物がまとまらず
先生に相談すると宅急便で、自宅に送っても良いと言われ送料はかかるものの同じ部屋の友達と宅急便で送ることにしました。
おみやげや、洗濯物や、もう不要と思われるものを送ると翌日最終日はほぼ手ぶらで過ごすことができる!と必死で荷造りをしホテルフロントで手続きをし、ほどなく宅急便が集配にきて送ることができました。
その後、部屋に戻りお風呂、寝る準備を始めようとした時、友達がかなり焦って
「全部送っちゃった!」と
友達は話しながら荷造りをするうちに必要なものまで入れて送ってしまったのでした。
部屋中、大笑いで皆で必要なものを少しずつ貸して最終夜を終えました。
34歳 女性のストーリー
小学校の修学旅行、1泊2日の東京観光という日程で行きました。
当時はまだ北陸新幹線ができる前だったので特急で上野駅まで行きそこからバスで最初の目的地お台場にある船の科学館へ行き色々な船の歴史や展示を見ました。
葛西臨海水族園ではマグロの大群が泳いでいる姿は迫力ありました。
泊まった旅館で夕飯後後楽園遊園地(現在は東京ド-ムシティアトラクションズ)へ行きました。
自分は絶叫系が無理だったので観覧車、汽車しか乗れませんでした。
2日目は東京タワー、国会議事堂、上野の博物館へ行きました。
東京タワーは修学旅行の定番で展望台から見える都内の景色はとても綺麗でした。
国会議事堂はテレビでよく見る場所を見て驚きました。
34歳 女性のストーリー
高校生の頃、遠距離恋愛をしていました。電車でも3時間かかる距離…会えるのは長期休み程度でした。そんな彼と電話で修学旅行について話をしている時、日程が近いことに気付きました。でも私の高校は修学旅行の行き先は広島、京都、東京で、彼の高校は沖縄と京都です。行き先もバラバラだし、日程も全く同じわけじゃないからまさかねって笑いながら話をしていたのですが、そのまさかが起こったのです。私の修学旅行2日目の京都と、彼の3日目の京都の日程がちょうど重なったのです。もうこれには二人ともびっくり。ホテルに入ってからの自由時間に少しだけ会うことができ、恋愛成就で有名な地主神社の御守りを二人で分け、すごく喜びました。運命だね~なんて話をしていましたが、もちろん今は別々の人生を歩んでいます。こんな偶然ってあるんだなと感じた瞬間でした。
54歳 女性のストーリー
高校の修学旅行の新幹線でのお弁当を彼の分まで手づくりして、冷やかされたけれど、嬉しそうに食べてくれて、私は嬉しかったなぁ〜

途中の川下りの船は無理やり私が乗った船に乗り込んできたり〜

ってなことをしていたら彼が体調崩して、保健の先生にひやかされながら看病したりと

青春感満載の修学旅行でした♪

で、帰りのフェリーではみんなで部屋で大はしゃぎした後甲板で彼と写真を撮りました。

自撮りなんてできない時代だったから友達に撮ってもらわなきゃいけないし、何組かそんなことをしていてすごく恥ずかしかったです〜(≧∇≦*)

あ〜なんて初々しくも甘酸っぱい思い出…

で、只今37年目www
ダンナさまになられています( *^艸^)
33歳 女性のストーリー
修学旅行の思い出と言えば、始めてのスキー体験でしょうか。
沖縄出身のため、雪はもちろんスキー等にはほぼ縁がなく修学旅行のインイベントとしてスキーに行ったのですが。
二泊三日の二日目。前日にはっちゃけすぎた男子が調子に乗って半袖で動き回って熱を出しスキーがでくなくなるなんてお約束もありつつバスで移動。みんなそわそわしながらスキー場へ向かいました。
スキー場ついてグループ別れインストラクターさんの元へ。人数としてはクラスの女子の半分なので8人程度。ドキドキのスキー体験が始まるはずだったのですが、そのインストラクターさんがまさかのスパルタタイプ。いや今考えるとこの人数みるインストラクターさんも大変だったなとは思うのですが、スキーなんてやったことの無い中学生女子に厳しい厳しい。
まず、初体験で道具の扱い方もろくにわからない私たちが見よう見まねで真似た動きを「違う!そうじゃない」と語気も荒々し訂正から始まり、インストラクターさんのテンションに怯えてなかな滑り出せない友人の背中無理やり押す、びっくりして転ぶと怒る。
あまりの状況になかなか上達できない私達グループにイライラしたのか急にストックを回収し出しそのまま滑れと言い出す。あげく、上手い子には優しく下手な子には厳しいまさかの対応で、非常にがっかした体験でした。
修学旅行の文集で私達のグループ全員スキー体験楽しみにしていたのにインストラクターさんが怖かったと示し併せたように書いたぐらいです。
いや、まあ、ストックを外すのは練習としてはありなのかなと今なら思いますが当時は逆に怖かったし何よりスキーなんてもうやりたくないと思いました。
ある意味インパクトがすごかったので、思い出と言えば思い出ですが、もう一回ぐらいちゃんと納得のいく経験して思い出を上書きできたらなと思いながらはや十数年。いまだに縁がないのは、これがある種のトラウマなのかなぁと思わなくもないです。
33歳 女性のストーリー
修学旅行の思い出で1番思い出に残っているのは高校の時に行った北海道です。
私はずっと3人で行動していたのですが3人共食べることが好き過ぎて観光よりも食べることを優先していました。
蟹が乗ってるラーメン、蟹汁、海鮮丼、海鮮焼き、じゃがバター、北海道牛乳のソフトクリーム。
あるものはとりあえず全部食べ尽くしました。
中でも1番美味しかったのがとうもろこし。
とうもろこしといっても屋台で買ったやつでは無くて歩いていると小さな木の小屋にとうもろこし30円と書かれていてそれをなんとなく安いし買ってみようという事になり買って帰りました。
するとそれを見た旅館のスタッフの方が良かったら湯がいてあげるよと言ってくださりご好意で調理していただきました。
そのとうもろこしは今までら食べた中で1番甘くて美味しかったです。
色々お金を使ったけど30円のとうもろこしが1番でした。
あれから北海道行けてませんがまた行きたいと思います。
19歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行で某有名温泉に行ったときの話です。
〝ようこそ○○温泉へ!〟という看板が見えてきたあたりから、急に具合が悪くなってきました。普段は車酔いなどもあまりしないのですが、慣れない旅行だからかなあくらいに考えていました。
部屋に着いて友達と撮った写真のすべてにオーブが写っていました。画面が真っ白になって見えないくらいのオーブが写っていたので、次の日には全部消しました。
その日の夜ご飯と次の日の朝ご飯は具合が悪すぎてほとんど手をつけられませんでした。
ホテルを出発して少ししたところでトイレ休憩になったためトイレに行くと、個室に入った途端にとんでもない吐き気がして吐き気が治まるまで吐いたらそれまでの気持ち悪さはすべてなくなりました。
ホテルが近づいた瞬間に取り憑かれて、吐いて出したのでしょうか...?
44歳 女性のストーリー
京都で半日だけ貸切タクシーに乗りグループ毎自由行動でした。使い捨てカメラが班ごと支給され、自分達で行きたいところを事前にプランニングし、運転手さんに説明を受けながらまわるのですが、お昼になると運転手さんが「おいしいところ連れて行ってやろうか?」「私達お弁当があります」「じゃ、景色のいい所で食べよう」と川辺に連れて行ってくれました。川辺でお弁当なんて食べたことないのですごく盛り上がった思い出があります。すごく親切な運転手さんで、他班からも羨ましがられました。

夜は座禅か染物体験があったのですが、独身男性の先生が自分のクラス担当の若いバスガイドさんの為にハンカチ染めをやってプレゼントしたんです。みんなでヒューヒュー冷やかしたら真っ赤な顔して照れていました。恋は旅とともに終了しましたが。

使い捨てカメラは一部の班が学校に戻り現像する前に盗まれてしまいました。一定期間出てくるのを待ちましたがでてこず、可哀想だからと全クラス分現像せず回収。同行カメラマンの写真しか買うことができないという悲しい思い出もあります。

50歳 女性のストーリー
高校の修学旅行といえば、今からもう30年以上前になります。
行き先は東京と、立山黒部アルペンルート。

なかでも東京では、班行動ではあるけれど1日フリーの日があり、
どんな所へ行くかについて事前の話し合いはを熱を帯びました。
開園したばかりの東京ディズニーランドで1日過ごすか、それとも都内を周るのか。
人気は半々といったところで、私のいた班(女子5名)は都内研修を選びました。

同じく都内を選んだ他の班は、原宿の竹下通りや渋谷・六本木、
あるいは上野・浅草といった名所を研修コースに盛り込み、
いかに先生に認めてもらうか交渉に励んでいました。

それなのに私たちは、5人そろって真面目過ぎる生徒が集まったためか、
新宿ではアルタやルミネではなく「伊勢丹デパート」。
原宿では竹下通りに向かわず「明治神宮」。

真面目過ぎる研修コースは、何の問題もなく先生にすんなり認めてもらえました。
「もうちょっと面白い所に行っても良いんだよ?」とのコメントつきで…。
それでも行く前から楽しかった修学旅行を思い返すと、
四角四面の学生だった自分たちが何だか微笑ましいです。
44歳 男性のストーリー
小学生の頃は、自分と同級生の身体の成長の違いに戸惑うこともあります。
私は、修学旅行の頃、アソコの毛が生えてきていまして、同級生の成長度合いが分からなかったので、生えているのが恥ずかしいと思ってました。
みんなで風呂に入りに行き、湯船に浸かるときに、みんなのをちらっとみると、みんな生えてなく、つるつるの皮つきウインナーでした。私も皮つきウインナーでしたが、その周りにちょろちょろ黒い毛があるのを見られたとき、同級生が驚いて、お風呂場でちょっとした騒ぎになってしまいました。
そのとき、担任の先生が入ってきて、騒いでる同級生に「大人になったら生えるんだ。お前らももうすぐだ。」一喝し、自分のタオルを取りました。中身は、ボーボーでしたが、皮つきウインナーでした。今、思い出してみると、「先生、包茎なのに、よく自分のを晒したな」と思いました。というのが修学旅行の思い出です。シモの話になって申し訳ありませんでした。
38歳 女性のストーリー
高校の時の修学旅行は沖縄。私は誰も言えずにいたが、初めて沖縄に行くし、初めて飛行機にものる旅にわくわく。そして一番驚いたことは、共学の高校であったが、旅行先のホテルの部屋男女一緒であったことであった。このことは非常に珍しいと思う。後になって、どうして男女一緒の部屋にしたのか、先生たちのリスク管理の認識がいかほどなのか?とこのご時世だと考えてしまうのだが、その時代ではそれでよかったのでしょう。なぜそのような男女混合の部屋になったのか。まずはクラス内における男女比に一番の理由があったと思う。当時配属していたクラスが理系であり、40人の定員の内、女子が3人と本当に少なかったのである。その3人のために修学旅行用の8~10人の部屋を当てるのは、不経済だとジャッジしたのが大きな要因。もう一つは、万が一が起こらない、というか、クラス内の恋愛がないと判断されて、男女混合の部屋になったのでしょう。だけど大誤算。私、実はクラス内で男子と隠れて恋愛の真っ只中。それも一緒に相部屋でした。いかがわしいことはなかったですが、もう旅行期間は目がギラギラとさえてました。淡くてほろ苦い、旅行思い出です。
47歳 男性のストーリー
小学六年生の時、修学旅行で会津若松に行ったが、初日に学校に集合したときから、校長先生に怒られた。その原因は校長が話を始めている最中に遅刻者がノソノソ来て、みんなそちらに注目が行ってしまい、校長の話なんか聴いていない。その時「どこ見てる! 一年生よりひどい」と罵声が上がった。問題は次の日、宿泊先のトイレで、オイラが小の用を足そうとドアを開けたら、二人の同級生がいきなり飛び出してきた。何事かと思ったが、小を出している最中、個室から校長が血相変えて出てきて、オイラに「用を出しているときに、戸をドンドン叩くとは何事だ‼」と怒鳴り混んできた。オイラはホースをもったまま呆然としていた。犯人はあの二人ではないのか。とにかく、怒られた思いでしかなく、ろくなことがなかった。
30歳 男性のストーリー
高校生の時の修学旅行にて二泊三日での沖縄になったのですが、一日目が西表島残りが沖縄本島に移動してのスケジュールでした。
一日目は楽しく西表島にて予定されていたスケジュールをこなし夜には外に出て街灯がなかったので素晴らしくきれいな星が空を覆いつくしていました。
次の日お昼前ぐらいに西表島から本島にボートで移動する前に島唯一の売店がありそこでペットボトルの期間限定のジュースを買いボートで移動中飲んでいたのですが、本島に着きホテルに着いたあたりでおなかの調子が悪くなりホテルの部屋についてからトイレにこもりそこから下痢が止まりませんでした。
ジュース以外口にいていなかったので原因がそのジュースですたがどこにも言えずじまい。
二日目の晩御飯がホテルの広場にて沖縄料理バイキングだったのですが下痢のせいで沖縄料理を楽しめず唯一口にできたのがシークワーサージュースのみでした。
せっかくの楽しみにしていた料理が食べれなかったのが悔やまれましたが全体的に楽しい修学旅行でした。
22歳 女性のストーリー
私の学校では校則で携帯電話を持っていっていけないことになっていました。けれど、修学旅行の夜にこっそり携帯電話を使ってメールをしていた学生がいて、それが見つかってしまいました。一人が見つかったことで芋づる式にメールをその時一緒にしていた学生が6人ほど先生に見つかりました。その結果、本当は起床時間が8時だったところ学年全員が6時に起こされました。そして、学年集会が開かれ、携帯電話を持ってきた上に隠れて使っていた学生がいたことが伝えられ、その他に持ってきた学生がいないか等の事情聴取のようなものが今後行われることが言い渡されました。ひとまず、今回バレて見つかった学生は旅館に半日待機して反省文を書くことになり、後から合流という処罰が下りました。ただし、反省文を欠かされているメンバーがいる班はその人を迎えに旅館に戻ってこなければいけないという面倒なことが増えかなりのブーイングを食らっていました。
35歳 男性のストーリー
修学旅行は全て雨!
小学校、中学校、高校の修学旅行は全て雨でした。
全て雨!ずっと雨!雨雨雨!雨の中スペースワールドに行ってジェットコースターを乗ったり(小学)、雨の中沖縄の国際通りを自由行動したり(中学)、黒部ダム見学も雨(高校)等、修学旅行は雨の思い出。
ちなみに大学の海外研修旅行で中国に行ったのですが、その時も大雨と台風で成田空港で缶詰になりました。(翌日に無事に出発)
学校行事は常に雨と重なる、雨男です。でもその時は雨男は俺じゃないって思ってました。
ですが、雨は雨なりに楽しい思い出も。好きだった女の子と相合傘できたり、先生が美味しいラーメン食べに連れて行ってくれたり、急遽別の行程で楽しみを増やしてくれたりと、雨ならではの楽しみ方もありました。
その時は本当にショックではありましたが、今となれば良い思い出です。
さすがに社会人のなってからの社員旅行は晴れでした。。。
51歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の話です。旅行先は奈良・京都でした。三泊四日の旅でした。
2日目に奈良から京都へ行く途中で宇治に寄りました。平等院鳳凰堂を見学した後、京都市内へ移動することになりました。推測ではありますが、バスに乗る際に全財産を落としてしまいました。それに気づいたのは京都市内のホテルに到着したときでした。
気づいたときには真っ青になり、担任に泣きついて1万円を借りました。楽しいはずの旅行が一瞬にして憂鬱な旅になってしまいました。3日目の自由行動もあまり楽しめず、修学旅行が終わった翌日に借りたお金は返しました。
このときの教訓から、旅行の時はお金を分散して持ち歩く様になりました。足代は確保できるくらいの金額に分散しています。今はクレジットカードを持っていますので、切符などの購入には問題ないのですが、今でも現金は分散して持ち歩いています。
45歳 女性のストーリー
高校の修学旅行の話。
となりのクラスの男の子が、東京駅のホームにすでに停まっていた回送電車にふざけて乗ったらそのままドアが閉まり発車してしまった!
担任の先生だけ残り他の生徒は予定通りの新幹線に乗り出発しました。
どうやらその新幹線は車庫に入ったらしく、みんながお昼のわんこそばを食べている時に担任の先生とその男の子は無事に到着しました。
もちろんその話は卒業まで語り継がれ、3年生を送る会では先生たちの出し物でも笑いのネタにされていました。

当時は携帯電話などなく、本人は強がっていたけどかなり不安だったろうなぁと思います。
去年同窓会があり、20年以上たった今でも笑いのネタにされていました。

修学旅行の思い出はたくさんあるけれど、一番に思い出すのはこの出来事です。
22歳 女性のストーリー
私の中での1番良かった修学旅行は小学生の時の修学旅行です。
なんといってもあの有名なUSJに行くことが出来たのはなによりも喜びに感じました。
それに、今であれば可愛いミニオンたちが楽しませてくれるので大人になった今だからこそまた違う楽しみ方をしてみたいなとも思っています。
USJに行けただけでなくいろんなお土産を買うことが出来たのもまた楽しかったです。
小学生時代の修学旅行はもうあれから早10年くらいは経ちましたが思い出しただけでもとてもワクワク感が止まりません。
入った瞬間からキティちゃんの写っているチケットをもらい今でも大切に保管しています。
このように楽しかった思い出しか個人的にはないなと感じています。
39歳 女性のストーリー
中学時代の修学旅行が一番の思い出です。初日はバスで岡山入りし、遊覧船に乗って瀬戸内海の景色を楽しむというプログラムがあったのですが、そこでビックリしたことがありました。何と瀬戸大橋の下を列車が走っていたのです。まさか橋の下に列車が走ることなど考えたこともなかった私は驚きのあまり言葉も出ませんでした。そして後になって瀬戸大橋の下を列車が通るということはすぐ下の景色は瀬戸内海なので、そこから眺めを楽しむことが出来るのは斬新だなと思う一方で、高所恐怖症の人は怖くてたまらないだろうなとも思いました。
また、初日の岡山では倉敷市にある大原美術館にも行きました。そこにレオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」のレプリカがあったのですが、たくさん落書きがされていたのが残念だったのを覚えています。たとえレプリカとは言え、展示品には触れないはずなのに誰がこんなことをと思うしかありませんでした。
28歳 女性のストーリー
小学六年生の修学旅行で、札幌生まれだった私が、その時期ちょうど市外の田舎の小学校にいたため、行き先が札幌だったということがありました。田舎の小学校の子たちは電車にも乗ったことがなく、マクドナルドも食べたことがないという子達ばかりでしたが、その子達と一緒に、私の地元である札幌市で社会科見学をかねた都会見学をするという体験をしました。札幌生まれなんだからわかるでしょ?という扱いをされましたが、実際は街がどんどん開発され新しい商業ビルがたっていたので、私自身も初めて行く場所が多く、知っているふりをしながらも、新しくなった札幌に感動したのを覚えています。私は田舎の小学校ではない!という小学生なりのプライドがありましたが、今ではいい思い出です。
27歳 女性のストーリー
高校時代の修学旅行は、グアムでした。
グアムということで、海外の高校生との交流行事がありました。
交流ということでしたので、英語と日本語交じりで必死です。(グアムの高校生は英語が話せる方がたくさんいました。)その際に、私と女の子1人が日本人グループ。男の子3人がグアム側のメンバー。(性別が違ったことについては、あまり突っ込まないでください。)

楽しくわいわいお話をしたり、学校の中の案内をしてもらいました。そこまでは、普通です。Theアメリカ!The高校!というイメージ通り。
ここからが問題です。男の子の1人は急に聞いてきました。Do you have a boy friend?その時彼氏はいなかった為、Noと答えました。私としては、口説かれるの!?お!と思っていたところ、、、
Other member of the guys are in relationship. え、他の2人は付き合ってるよ。=彼ら2人はゲイだよ。と教えてくれました。日本人女子高生にはただただびっくりで固まっておりました。
口説かれるの!?とか思っていた私がとても恥ずかしかったです。
33歳 女性のストーリー
高校生の修学旅行は嫌な思い出しかありません。
仲の良かった友達が初日はずっと一緒にいたのに、2日目の夜からは部屋に戻ってこなくなり他の部屋にいたほうです。最終日は私の隣にいるのがイヤだと、飛行機の中で隣の席が嫌だから席を交換してくれる人を探していました。
理由は他のクラスの子と仲良くしていたからだと言われました。元々束縛が激しい友達だったけど、まさか修学旅行中にこんなことになるとは…。
自由行動もその子と約束をしていたせいで一緒に行動する子がいなく、とても嫌な思い出になりました。
大人になってから再会して仲良くなりましたが、また「私以外の子を親友と呼ぶな」と怒られ喧嘩になりました。女の友情はめんどくさい。今では何をしているかもわかりません。
37歳 女性のストーリー
今から約20年前のこと。
滅多に雪が降らない場所に住んでいた私は、修学旅行先でのスキー研修をとても楽しみにしていた。
バスに揺られ数時間。目的地近くのサービスエリアに着いたときに、一面の雪が目に入って感激!
バスガイドさんが少し呆れ気味に
『こんなに雪だけで喜んでいただけたのは、初めてです。』
と言っていたのを覚えている。
目的地に着き、簡単な講習を受けいざスキー!
最初は難しかったがだんだん慣れてきて、初心者コースを滑って初日が終わった。
それから2日間スキーを楽しむはずだったのだが、その晩に高熱を出して隔離部屋へ…
あまりの高熱に夜中に担任の先生と、近くの救急病院へ行くことに。
判明した病名はインフルエンザ。
かなり重症だったらしく、数時間の点滴をして帰った。
初めてのスキーは1日しか出来ず、楽しいはずの修学旅行はインフルエンザで苦い思い出となってしまった。
この出来事がトラウマになり、大人になった今でも雪国には行きたくないと思うようになっている。
20歳 女性のストーリー
中学時代の修学旅行の思い出で、その時付き合っていた彼と私の友達カップルの自由行動のグループを組んだのですが、私の彼に元カノが修学旅行直前に猛アタックしてきて、「グループ私とやっぱり組もう」と言ったり、あげくには、告白までしていました。
彼は断っていたのですが、元カノに私は目をつけられビクビクしながら修学旅行の自由行動をしました。
また、その自由行動では、ちょうど修学旅行の日で付き合って半年になる大好きな彼との思い出を作ろうとしたのに持ってきたデジカメはトイレに落として壊し、友達が持ってきた写ルンですで撮った写真は、全てスカートの下にはいていた短パンのジャージがチラッと出ていて、とてもダサく黒歴史になる写真ばかり。(中学校の時はスカートの下にジャージを履かなければいけなかった。)
思い返すと、もう少しいい思い出が作りたかったなと思いました。
44歳 女性のストーリー
友達とのお泊りをするのが初めてだった小学生の時の修学旅行が思い出です。
隣のクラスの子と同じ部屋になりたくて学年混合での部屋割りを先生に提案したりなど我ながら積極的に活動したと思います。
修学旅行先はお決まりのハイキング+お寺めぐりでしたがなかなか小学生当時では景色の美しさやお寺の佇まいや景観の素晴らしさを理解するのは到底無理でした。
いかに隠れながらオヤツを食べたりソフトクリームを買って食べたりなどの思い出がよぎりました。
仲の良いお友達と違うクラスながらも同じ部屋になれた事で一日中クタクタなはずなのに時計は夜中の2時40分でした。押入れに入ってドラえもんごっこをしてる中を先生に見つかり正座をさせられこっぴどく叱られた記憶があります。
51歳 女性のストーリー
私の修学旅行の思い出は、中学生の時のこと、クラスでも嫌われていたので、孤立していてバスに乗り込むときも一人でいました。一応班行動をすることになっていたので、どこかに入れてもらってはいたのですが、意地悪されていたのいたのです。この人ならいいなと思った女友達はいたのですが、グループに入ることは出来ませんでした。
コースは、東京、栃木コースでしたが、初めて来る東京はやはり都会で楽しかったです。遊ぶところも学ぶところもたくさんあり、楽しいなと感じました。大好きな劇団も観ることが出来て楽しかったです。それに普段入ることが出来ない国会議事堂も見学が出来て、勉強になりました。
栃木は、涼しくて過ごしやすかったです。バスの中で歌った歌は評判が良くて、嬉しかったのを覚えています。
あの頃が懐かしいです。

33歳 女性のストーリー
私が高校2年生の頃、初めて同じクラスの男の子にメールアドレスを聞かれて、メールのやり取りを始めました。
その時は見た目もタイプではなかったので、ただの友だちとしてやり取りを続けていて、話しやすいなー、程度にしか思っていませんでした。
やり取りを続けて1ヶ月くらい経った頃、修学旅行の日がやってきました。当時は携帯を持って行ってはダメだったのですが、こっそりお互いに持って行ってやり取りをしていました。
男子部屋の様子をリアルタイムで聞いたりと、女子部屋でもかなり盛り上がりながら楽しんでいました。
自由時間に売店で待ち合わせをして二人で話そう、と誘われて、時間を合わせて会いました。
いつもと違う空間で、妙に意識してしまい、ドキドキしました。
その日の夜のメールのやり取りの最中に、突然「好きです」と告白され、女子部屋で大盛り上がり。
私も売店で話した時から気になり始めていて、告白を受け入れ付き合うことに。
その時、男子部屋が大いに盛り上がりすぎて先生に見つかり、携帯を持っているのがバレて没収されちゃったそうです。
これが私の修学旅行の一番の思い出です。
22歳 女性のストーリー
わたしの修学旅行の思い出で一番印象に残っているのが、高校生卒業旅行です。その旅行先がカナダで一週間の旅行で、各首都を巡る旅行でした。トロント、バンクーバーなど巡り一生に残る思い出となりました。特にその旅行の中で印象に残っているイベントとしては、2つあります。1つ目は、氷河を見学したことです。氷河期時代から残っている氷河の上を歩くことができ、地球温暖化の現実味や太古の昔の環境を肌で感じることができました。2つ目は、メジャーリーグへの観戦です。たまたまその時は、ゴジラと呼ばれたホームラン王、松井選手がニューヨークヤンキースからカナダへチーム移行していたことやマリナーズ戦の観戦でしたので、ゴジラ対イチローの対決をカナダで見ることができ、非日常を感じました。
55歳 男性のストーリー
中学のとき、沖縄から九州へ。
長崎は、グラバー邸でコーラを飲む。
当然ながら、観光地巡るので、それなりに、人がいっぱい。
長崎の平和公園では、友だちとだらだら歩いたので、昼食に遅刻して、先生に怒られた。
あと、どこかの城へ行った。
熊本城?
武者返しの部分で、走ってどこまで登れるか、友だちと競いあった。
熊本では阿蘇山にも行って、ガイドの人に火山についての説明をされて、いろいろと勉強になった。
火山といえば、鹿児島では、いきなり桜島の火山灰が降ってきて、学生服の背中が白っぽくなった。
そこでは、名産?の焼き饅頭も食べた。
あと、どこかのドライブインで食べた、揚げじゃがいも?はうまかった。
船で一日かけて行ったので、旅行中ほとんど船酔い状態。
そして、おそらくみんな、便秘状態。
船中では、なぜか、カップルがたくさん誕生してました。
37歳 男性のストーリー
私の高校3年生の時の修学旅行先は沖縄でした。
6月だったんですが、とにかく蒸し暑かったです。
私の学校は男子校だったので、バスの中でみんなが指定の制服(ポロシャツ)の腕をまくっていました。むさ苦しかったです。
行った場所は「ひめゆりの塔」「首里城」他色々です。
ひめゆりの塔の近くでどこか「ガマ」と呼ばれる洞窟に入ったような記憶があります。
なんか霊がでるのではないかとむさ苦しい男子生徒たちが意外にはしゃいでいた気がします。でも、洞窟内はとても涼しく沖縄の熱さを忘れさせてくれました。
あと、ホテルの近くの海でバナナボートに乗りました。3人乗りでジェットボート?で引っ張ってもらいました。これはスリルがあって楽しかったです。途中で落ちた学生もいました。その後、天気が曇ってきましたが、そんな中でビーチバレーをしました。
お土産はホテルの売店で「紫いも」のタルトっぽいのを買ったと思います。
男子校の修学旅行なので女っ気はないですが、沖縄の自然は美しく遊べる場所も満載で、楽しい思い出でした。
40歳 女性のストーリー
高校時代、まじめな人間だと先生に思い込まれていた私。
夜に違う班の子の部屋に行って騒いでたら先生に見つかり、1時間ほど正座で説教。
「まさかあんた達(ほかのまじめだとおもわれてた人たち)がこういうことするとは思わなかった」と言われ・・。
羽目を外してしまったんですね。それ以降、しばらく先生達に目を付けられるようになりました。当たり前ですけどね。
修学旅行先が、戦争でひどい目に合ったところで、そこの記念館(といえばいいのか?)に行ったのですが、しばらく中で見学していたのですが、雰囲気にのまれたのか、すごく気分が悪くなって、途中で見ることができなくなって、リタイヤしてしまいました。友人にもそういう子がいて、その子は入り口付近で「もう入れない」と言って入り口付近のいすで座り込んでました。
57歳 男性のストーリー
もう、数十年前の小学校修学旅行の思い出です。
当時の家計は厳しかったようで修学旅行費すら払えるかどうかの現状でした。
父は公務員で低給料、母は自宅で駄菓子屋を行っていましたが、なかなか収入面に
ゆとりは無かったようです。
そんなある日、幼いながらも、「ぼく、修学旅行はあまり興味もないし行きたくない・・」
などと気お使って言った記憶がよみがえりました。
しかしながら両親は社交性、という教育には熱心に躾けられました。
多分コツコツ母がためていたお金なのでしょう、「大丈夫、友達も行くんだから楽しんできなさい・・と、旅費は学校にだしてあるからね」と、子供ながらに感動をした記憶があります。
旅行先の京都の宿泊先から、学校の課題として自宅にハガキを送るという事で、
両親あてに「ありがとう! 楽しんでいます!」といったハガキを書いたのを思い出しました。貴重な体験と良き思い出です。
28歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行で東京に2泊で行きました。二日目に班別行動で色々な企業を訪問するというのがありました。行くまでにも、学校でグループごとに調べたり電話したりアポを取ったりなど、将来の夢に向けて調べるチームや気になるお店に行きたいチーム様々でした。私のグループは、都内の小さな豆腐屋さんに行くことになっていて、私が班長でした。ギャルもいるようなやんちゃなグループで全然まとまりなく大変でしたがみんな仲良かったので当日楽しみにしていました。当日の朝になって私が高熱を出してしまい、まさかの旅館待機で私以外のメンバーが行ってくれました。地図も分かるのかなと心配でしたが、夕方になっておからクッキーを手土産にみんなが部屋に来てくれました。みんなの優しさを思い知った修学旅行になりました。
44歳 男性のストーリー
私は修学旅行では京都に行きました。修学旅行といえば京都というほど有名な所なのではないでしょうか。
私の修学旅行の思い出は、座禅です。私の学校ではホテルでご飯を食べた後ある寺に行って座禅をするのです。まずは基本の姿勢、呼吸法などを教えて頂きそれを実践します。
座禅の時は両足を両太股にあげるのですがそれが痛いのなんので大変でした。それをなんとか耐え姿勢を整え呼吸を始めると非常に心が落ち着きました。
しかし、その心を落ち着けるはずの座禅の時間男子の一部が騒いでいました。それを見たらその寺のお坊さんが、棒で肩をベシッと叩くのです。本当に馬鹿なやつらだなぁと思いましたが、一人の生徒があまりに大きな声でイタッと言ったので私は我慢できずに吹き出してしまいました。そうするとお坊さんがゆっくり私のの 方に近づいてきて、肩を叩いてきたのです。まさか自分が叩かれるなんて思ってもなかったので、本当にびっくりしました。これが私の思い出です。
31歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行の思い出です。当初、海外の予定でしたが、当時新型肺炎が海外で流行しており、急遽国内となった修学旅行。行先は九州でしたが、初めての九州、また修学旅行ということで、みんなとても楽しみにしておりました。
長崎、熊本を周りましたが、夜は遅くまで友達をお喋りをしており、移動中のバスの中ではほとんど寝ておりました。
そして、最終日ですがこの日は朝から台風が九州に接近しており、天気が大荒れでした。風雨ともに大変強く、飛行機が飛ぶのかみんな不安でしたが、案の定、飛行機は欠航してしまいました。
結局、予定にはなかった福岡に1泊し、翌日に帰ってきました。
当時、みんなは大変喜んでましたが、先生方は大変だったんだろうなと思います。なかなかない経験が出来、一生の思い出になりました。
54歳 女性のストーリー
少し切なく、やるせない修学旅行の思い出があります。
高校の修学旅行は京都方面でした。旅館の部屋割りは大部屋で、私の部屋は女子が八人位いたと思います。そこで起きた出来事でした。
T子の財布がなくなりました。皆、自分は大丈夫だろうかと確かめましたが、なくなったのはT子だけでした。先生も加わり、皆で大捜索しましたが、とうとう出てきませんでした。T子は泣いていました。
その後は、先生からお金を借りてお土産などを買っていたようでした。
財布は落としたのか盗まれたのかは今でもわかりません。ですが、このクラスではその後、普段の学校生活でも次々とお金の紛失事件が起こりました。これは確実に犯人がいて、盗んだのだ、と誰もが思いました。とうとう解決しないまま卒業になりましたが、どうやら手癖の悪いB子という人がいて、その人が犯人ではなかろうか、と感じました。B子と私は仲が良かったので感じたことですが、B子の嫌っていた人が被害に遭っていたので、ゾッとしました。もちろん、証拠なんてありませんし、本人に問いただした訳でもありませんので誤解かも知れませんが、今となっては謎でしかありません。
37歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行が沖縄だったので、飛行機に乗ること自体が初体験で、特にトラブルはありませんでしたが、行きも帰りも発着陸が怖かったのを覚えてます。
沖縄に着いてからは「さすが元アメリカだなぁ」と思う事が多々ありました。
まず、宿泊したホテルでの食べ物はバイキング形式でしたが、全てがビックサイズ。
沖縄でしか食べられない、お料理ばかりだったので、バイキング形式で良かったなぁと思いました。
2日目の自由行動では、マンゴーアイス、シークワーサーのシロップのかき氷と、自分の地元にはないデザートを食べ歩きしました。
1番驚いたのは、ファストフード店に入り、ハンバーガーセットを頼んだ時に出てきたハンバーガーとポテトがアメリカンサイズで、飲み物なんてジョッキで出てきた事です。
やはり、地元のファストフード店では飲み物は紙コップでS・M・Lとサイズがあるのが普通なので、これには本当に驚きました。
学生時代の修学旅行で1番食べ物が美味しくて、楽しかったのは沖縄だけでしたし、率直に帰りたくないと始めて思えた場所でした。
24歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の時の話です。当時、自分のクラスは男子が8人しかおらず、普段から男子8人で行動することが多かったのですが、修学旅行も例に漏れず、4人ずつの班に別れてはいたものの、実態は8人で行動していました。
2泊3日の日程のうち全体行動の日程だった観光名所の見学や戦争体験の講演、班別の自由行動までは良かったのですが、最終日の自由行動で事件は起こりました。この日の自由行動は班別である必要もなく、個人行動が許されている日でした。いつもは8人で行動していますが、班別じゃなくていいならと、そのうちの一人は隣のクラスの友達と行動することに。じゃあ我々もと他のメンバーで行動しようとしたところ、自分を入れて6人しかその場にはいませんでした。「まあ彼もどっかにいったんだろ」と残りの6人で行動を開始。しかし見当たらない彼はトイレに行っていただけ。先生に探して一緒に行動するように言われ、小雨の降る中6人で探し回ることに、、、
結局見つからず楽しみにしてた沖縄そばもゆっくり味わえないことに、、、
修学旅行唯一の苦い思い出です。
20歳 女性のストーリー
中学1年生の時から気になっていた異性がいて、2年でその人と同じクラスになった。その上、修学旅行ではその人と同じ班になり、修学旅行までと修学旅行後の少しの期間と修学旅行の数日間はその人と話す機会が増えた。
修学旅行前はそれほど話す機会もなく、たまに話せばよかったくらいだったけど、同じ班になってからは修学旅行の時の話だけではなく、プライベートな所でも話すようになり、その人と仲良くなった。
修学旅行では、同じ班なこともありずっと一緒にいろいろな場所を回っていて、その人は班長だったので、分からない事があればすぐにその人に聞き、何でも気軽に話せるような関係にまで仲良くなった。
そして修学旅行が終わってからもたくさん話した結果、その人と両想いになる事ができ、最高な思い出となった。
23歳 女性のストーリー
高校の時の修学旅行がマレーシアでした。マレーシアの学校に通っている子たちと英語で交流するというプログラムがありましたが、とても驚いたのは彼女たちの人の暖かさです。
2人ペアで校内を案内してもらいましたが、ペアの子はプレゼントを用意してくれていました。私がもらったのは頭に巻くスカーフで、きっとお寺?に観光で行くだろうと思ってくれたのか用意してくれてました。私がもし逆の立場だったらそこまで考えられないなと思い、すごく感動しました。そして別れ際には最後まで悲しそうにみんなで見送りをしてくれ、バスのすぐ傍までいてくれました。そういうのが当たり前にできる文化ってすごくいいなと思いました。ちなみに、ペアの子に住所を教えてもらったので日本に帰ってからプレゼントを贈りましたが届いたのかは未だに不明です。
42歳 男性のストーリー
修学旅行は京都奈良に行きましたが、一日目の京都の清水寺の男子トイレで仲間達とタバコを吸っていたら学年主任の先生に見つかり。逃げはしましたが、捕まり‥宿泊施設に行っても他のクラスメイト達との翌日の打ち合わせには出席出来ず。
食事後は、部屋から出してもらえませんでした。

しかし、懲りない面々は性懲りも無く各部屋のベランダから私が居た部屋に集まり。

枕投げをしていたら、又も学年主任が現れ皆で学年主任の先生を布団で巻き部屋から脱走。

女子の部屋に行き、夜の京都へと繰り出しました。昼間の顔とは違う京都の夜。
何故か大人な雰囲気が醸しだされていた事を良く覚えています。

しかし、所詮は子供1時間もするとヤバいよと言い出す奴がぞくぞく出てきて静かに宿泊施設に戻りましたが‥そんな事は許されません。
翌日、学年主任と帰宅。

京都奈良の修学旅行が京都だけで終了。
帰っても親にこっぴどく叱られました。

いまだに当時の懲りない面々とは付き合いがあり笑い話になってますが、皆 妻子ある立派な父を一生懸命にやってます。
29歳 女性のストーリー
小学6年生の修学旅行で、奈良と大阪を回ったのですが、その頃はUSJがまだ出来たばかりの頃で、人より早くUSJデビューが出来て嬉しかったことを覚えています。ジョーズは40分待ち、ジュラシックパークやバックトゥザフューチャーは1時間待ちでした。あの頃はまだ、今のように待ち時間が2時間もするものは無く、ETやバックトゥザフューチャーなど、今はないアトラクションもありました。ジュラシックパークに初めて乗ったときは、乗り物に乗って恐竜のいる世界をゆっくり進んでいくだけだと思っていたので、最後の最後でジェットコースターのように水の中へ滑り落ちていったときは、本当に驚いて大きな声を出し、笑い転げていました。面白すぎて、ジュラシックパークは1時間待ちにも関わらず、2回連続で乗りました。あの頃は、本当に体力があっていくらでも遊べていたように思います。
18歳 男性のストーリー
 それは私が中学二年生の時でした。中学二年生といえば待ちに待った修学旅行。私の通っていた学校は奈良・京都に行きます。一か月の間、クラス全員で旅行プランを立てて、その時を待っていました。
 そして修学旅行。班行動で京都を丸一日見学しに行きました。京都を回って早2時間。そろそろ回るところもなくなってきた中、友達が一言、「地主神社行こうぜ」
地主神社とは縁結びの神社で知られていて、全員男子だった私の班は即決で行くことになりました。
 そしてその神社に着いて、お待ちかねのおみくじを引くことになり全員で引いてみると、なんと私だけ大吉でした。でも実際、大吉を引いたところで何かいいことが起きたためしはなく、大吉を引けたことがラッキーだと思い、宿に帰りました。
 しかしここでおみくじの力が発揮されました。携帯を先生に預けるために一人で部屋を出た私はある女の子のクラスメイトに呼び止められました。一瞬何のことかわかりませんでしたが、彼女の紅潮した顔を見てすぐに察しました。しかし、私にはそう言った経験が一度もなく、なんせ中学二年生だったものですから、そうなることが周りの人から冷やかされ、恥ずかしいだけだと思い込んでおり、とっさに部屋に引き返してしまいました。それからというもの、私は彼女から距離を取られてしまい、二人でいるのも気まずい関係です。彼女は勇気をもって私を呼び止めたのに…それ以来私は恩を仇で返した気分です。
 自業自得の思い出でした。
 

35歳 女性のストーリー
高校の修学旅行、沖縄へ行くはずでした。関東の海無し県民にとって海は憧れです。
しかしこの年、9.11が発生。その影響で、飛行機は危険とされ、行き先が変更になってしまいました。変更後の行き先は苦渋の決断、京都・奈良・大阪。あぁ、憧れの沖縄…。なぜ苦渋の決断かって?私の高校はキリスト教の教えをもつ高校だったのです。“いい機会だから、他の宗教も学んでくるといい”学校側はそんな風に言ってましたね…。
災難はまだ続きます。
初日、グループ行動の日。私は先生とのやりとりをする、グループの連絡係でした。制服の胸ポケットにケイタイを入れたまま、トイレに行ったんです。用を足して水を流す。“ボトッ。”何が起きたかすぐには分かりませんでした。しかし胸ポケットをさわると、ない!ケイタイがない!和式の水溜まりに見える物体は、私のケイタイ。そう、水没です。すぐに取り出し、洗って拭いて動作確認をしますが、液晶が死んでいます。でも、動くっぽい!?先生に話をして、連絡係は別の子に変わってもらいました。あとは地元の彼氏に、連絡できないって連絡しなければ。でもどうやって?思いついたのは、同機種を使う友達のケイタイを隣に置き、ボタンを同じ回数押して、メール送信。通話はできなかったけど、通信はできました!(後日確認済。)
この後三日間、ケイタイ無しで過ごしました。修学旅行は楽しかったけど、苦い思い出です。
64歳 男性のストーリー
修学旅行もう40年以上前のことになります、時がたつのは速いものですね。当時は汽車での修学旅行がほとんどだったのですが、そんな中一回だけ乗ることが出来たのが、当時は私たちの乗ることが出来なかった新幹線に乗ることが出来たのです。日本の技術のすごさを感じながら、最後は寝台車で帰路に就いたのを、思い出しました。
それと当時は宿泊は旅館で,他校と一緒になることは当たり前の時代、よくケンカになりそうになりましたが、私たちの学校の一番でかいのが表れて、けんかにならずに済んだことが良くありました、そいつは大きいだけで,ケンカをするようなやつではなかったのですが、ただ大きいことはよいことだったのですね。
時代は変わり、今は海外へ普通に行く時代になっています。修学旅行もお金がかかる時代になってきたようですね、親は大変ですね。
42歳 男性のストーリー
高校の修学旅行で北海道に行ったのですが、私は長崎に住んでいるので、白銀の世界が素晴らしかったです。また普段は接する事のない、競走馬にも会えました。特にオグリキャップは綺麗だと思いました。真冬の北海道だったので、路面凍結していたのですが、地元の人が滑って転んでいたのには笑っでしまいました。
北海道はかなり大きいので正直なところバス旅行でした。そのためガイドがカラオケを準備していたのですが、曲目が少なかったです。その反動か、福岡空港から長崎に帰るまでの長崎バスでカラオケの曲が豊富でみんな弾けていたのをよく覚えてます。
アイヌ文化に触れた事や霧の摩周湖に行けた事も私にとっては、非常に良かったと思います。
33歳 女性のストーリー
高校時代、修学旅行で長崎へ行きました。
当時違うクラスの子と付き合っていた私は、事前に彼氏と「修学旅行中にお互いにプレゼントを買い、最終日の夜に交換しよう」と約束していました。

班別で自由に買い物をしてよい時間がたくさんあったので、クラスの友達にもあれこれお土産の内容を考えてもらい、結果オルゴールを購入しました。
値段はそんなに高くなかったと思いますが、メリーゴーランドの形のおしゃれなオルゴールでした。

そして最終日の夜。
点呼後、先生に見つからないように部屋を抜け出して、死角になるところで彼氏と密会しました。
私が彼へのプレゼントを取り出すと、なんと彼も同じ箱。
箱の中からはオルゴールが出てきました!
数ある店の中でまさかの同じプレゼントを選んでいたのです。

運命だ!とその時は思いましたが、今となっては淡い思い出。
卒業前には別れてしまいました。
でも、とってもいい思い出です。
37歳 女性のストーリー
私は、高校の修学旅行に行けませんでした。高校2年の秋、国民体育大会地元開催を目前の修学旅行。もちろん、「行く」という選択肢はありませんでした。(競技の特性上、数日休むとパフォーマンスに影響が出る為)過去に、先輩も修学旅行に行ってない記憶があったのと、国体地元開催で関係者は通常より気合が入ってるのもわかっていたので、行けないのは当然だと思っていました。
修学旅行の事前作業は見てるだけ。学年全体の事前指導はその場にいて聞いてるだけ。保護者同伴の参加説明会はもちろん欠席。出発前は、あーだこーだ盛り上がるクラスメイトを眺めるだけ。そんなこんなで、修学旅行期間。午前中は図書館で勉強。A4用紙1枚に、何でもいいから書くだけ。ほんとに何でもいい。あいうえおでも、、、たぶん、行けないことを可哀想だと思って超簡単な課題にしてくれてた。地元開催なこともあり、不参加部活動生多数でした。
午後からは、部活。そんな1週間。ま、練習時間早まってラッキーくらいな感じ。
みんなが修学旅行から帰ってきたら、たくさんのお土産にお土産話に、、、楽しそうで何より。みんな、事後作業(レポート作成とか観光地まとめとか)いろんな作業に追われてたかな。
ま、もともと行けない事もわかってたので、そんなに苦痛ではありませんでした。行けなかった事も一つの思い出かなと思います。
22歳 女性のストーリー
私の学年が、というべきなのか、私の学校の修学旅行の時期が、というべきなのか、小中高とどの修学旅行も話題には事欠きません。
小学校のときには新型インフルエンザ(豚インフル、だったと記憶)の流行によって、5月に予定されていた修学旅行が実施さえ危ぶまれる事態に。結局9月に延期して行ったものの、ハラハラした記憶があります。
中学のときには、生徒の希望で東京への修学旅行が決定。しかし、1年生3月の時に東日本大震災・原発事故が発生して、行き先を例年通りの沖縄へ変更。幻の東京計画となりました。
高校では行き・旅行中は何もなく北海道を満喫したものの、帰りにハラハラさせられました。雨風の影響で地元空港への着陸に手間取り、東京へのとんぼ返りも予告されてしまう事態に。無事に着陸したものの、「しばらく飛行機はいいね」と友人で話しました。
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