"大阪" に関するエピソード

「苦手だったのに得意になったエピソード」

50歳 男性のストーリー
私は幼い頃からとても人見知りの性格だったと母親は、言っていました。
小学校3年生の時に生まれ育った大阪から父の転勤の為、遠く離れた九州の福岡に転校をしました。
その時に思ったのが、大阪時代では、とても活発な性格でしたが、福岡に来るとやはり、「転校生」という目で見られたのが、幸いしたのか、皆からは余り声をかけてもらえませんでした。
そこで、私が思っている「大阪パワー」を発揮しました。
大阪の頃は、皆が私を頼ってくれていたのですが、今度は私が、自分から進んで皆に接していくことに頑張りました。
段々と、友人も増えていき、小学校では、友達を増やして、そのまま皆一緒の中学校に進みました。
それから、中学校時代では部活の部長や、生徒会にも参加したので、大阪時代ではない、人との関わりに接しました。
それは、私が、就職先として選んだ「生命保険のセールス」にも、十分すぎるほど、役に立ちました。
初めて会う人への礼儀作法や気遣い。
これは、私が、経験した幼い頃の知らない人への経験があると思います。

「誰かに聞いてもらいたい愚痴」

34歳 男性のストーリー
5月末にパート契約でしたが、6年勤めた所を退職しましたが、退職理由は建前上は一身上の都合でありましたが、本音を言えば、勤めていて不満が募っていた事が理由で勤め先は営業所で本社は大阪でしたが、退職間際の営業所長に対しての振る舞いに不満が大きく、例を上げるとキリがないので何点かにしますが、営業所長は役が付く前から反りが合わない事が多々あり、所長になったあたりから横柄さが増し、同僚(女性)の娘を自己判断で決め、その事案を全体説明せずに入れたり、また、自分自身は加工する部署でしたが、社内では基本的ペーパーレスを進めていたものの、一部の指示をする際は指示書を必要となるんですが、営業所長は話したくないのか説明せずに指示書を作業スペースに置くのが常態化(一番最悪だったのがそばにいるのに置いていく…)という有り様で、しかも、性格が体育会系で何か言うと年上や評価してない人間に対してガッと言うので色々な事が募って退職に…。正直、当人がやりづらい原因を作っている事(自分自身が辞める前から年1人ペースで辞めていく事が続いていた…)いつ気づくのかや補填を何故、やらなかったのかと不満を出したら止まらなくなるので以上で終わります…。

「人生最大の失恋話」

32歳 女性のストーリー
20歳から24際の間に付き合っていた、イギリス人と日本人とのハーフの彼氏との話です。
会ってからすぐに熱烈なアプローチがあり2ヶ月ぐらいは断り続けましたが、しつこく告白をしてきました。
最初は信じなかったのですが、告白が毎回、あまりにも大胆で面白かったため、付き合ってみることにしました。
彼とは医療関係の研修でモンゴルで出会い、アプローチもモンゴルで受け続けました。帰国後、私は大阪、彼は東京での生活が始まりました。
彼は毎週末、大阪に来てくれて、毎回花束を持って来てくれました。
2年後にプロポーズを受けましたが、私は社会人になったばかりで働きたい願望が強かったため、断りました。断ってからは少々気まずくなりましたが、なんだかんだで2年後に私からプロポーズしました。
しかし、彼からは「もう遅い」と残念そうに言われました。1度目のプロポーズからギクシャクした雰囲気が彼は辛かったようです。気づいてはいましたが、私も見て見ぬふりをしていたのも事実です。しかし、強がってしまい、冷たい態度で別れてしまいました。
いろいろと不正解を出し続けた恋愛だったと思います。

「今だから言えるごめんなさい」

27歳 女性のストーリー
中学校の頃仲良かった子がいました。
その子は小学校の時に大阪から転校してきた子でした。
向こうから話しかけてきてくれたのでそこから話すようになり帰り道も坂の下で家も近くて一緒だったのでいつも一緒に帰っていました。
中学も一緒でしたが漫画の読み方が気に入らなくて
私の漫画なのに途中まで読んで今度読むって事になったら表紙で区切る人だったんです。
喋り方の語尾も両手の人差し指を先と先で合わせて〇〇だよ〜っていじいしたりすごくどもる子だったのでイライラが増し遊びに来てる間にお揃いの筆箱を隠してしまいました。
後日学校で話題になりましたが誰がやったかは分かりません。
なのでまた遊びに来た時にそっとカバンの中に入れておきました。

「嘘みたいなほんとの話」

72歳 男性のストーリー
嘘みたいな本当の話です。
高校を卒業して就職した会社を3ヶ月で退職して放浪の旅に出ました。お金はほとんど持っていませんでしたが、所謂住み込みの求人広告を見て京都の中華料理店でホール係や皿洗いの仕事をしました。先の事は何も考えていなかったので、面白くない事があって1ヶ月でやめて大阪へ行きました。
この時もお金は持っていません。特に当てもなかったので御堂筋をブラブラ歩いていました。淀屋橋のたもとで自分は行き倒れで死んでしまうかもと思ったくらいでしたが、麻雀荘の貼紙でホール係の募集に飛び込み採用されました。住み込みとはいえ最初の給料をもらうまでとても苦しい思いをしたことを覚えています。仕事自体は楽なものでしたがメンバーが足りない時、麻雀をさせられ疲れました。色々面白い事があったのですがここも2ヶ月くらいで辞めて東京へ出ました。
大田区の酒屋さんで住み込みで働く事になりました。自転車で酒やビールを配達するのは結構大変でした。ここでも飲んべえの旦那さんや奥さんによくしてもらったのでが、
お正月になり急に里心が出てきて家に戻りました。
今考えてみるとよく無事で帰れたものだと思います、古き良き時代の話です。

「人生が変わった出来事」

22歳 女性のストーリー
生きてきて21年ですが私の人生が変わった出来事は親の元から離れたことです。
高校卒業後と養成所に通ったがそこでのレッスンの厳しさに入所3ヶ月でやめてしまいました。
特にやりたいこともなく親元でダラダラとしながらフリーターとして働いていました。
その時は本当に無気力で家と職場の行き来くらいでしか外に出ていなかったです。
半年ほど働いたのですが全くお金を使わなかったので50万くらい溜まりそこで田舎だし車を買おうか悩んでいたのですが突如一人暮らしをしようと思い立ち気づいたら東京で家を契約していました。
親からの忠告など何一つ聞かず仕事も決まっていない状態で一人暮らしを始めたのですが甘くはなかったです。
でもだんだんと仕事も友達も出来て彼氏まででき今ではその彼氏と一緒に住んでいます、大阪で。

「修学旅行の思い出」

29歳 女性のストーリー
小学6年生の修学旅行で、奈良と大阪を回ったのですが、その頃はUSJがまだ出来たばかりの頃で、人より早くUSJデビューが出来て嬉しかったことを覚えています。ジョーズは40分待ち、ジュラシックパークやバックトゥザフューチャーは1時間待ちでした。あの頃はまだ、今のように待ち時間が2時間もするものは無く、ETやバックトゥザフューチャーなど、今はないアトラクションもありました。ジュラシックパークに初めて乗ったときは、乗り物に乗って恐竜のいる世界をゆっくり進んでいくだけだと思っていたので、最後の最後でジェットコースターのように水の中へ滑り落ちていったときは、本当に驚いて大きな声を出し、笑い転げていました。面白すぎて、ジュラシックパークは1時間待ちにも関わらず、2回連続で乗りました。あの頃は、本当に体力があっていくらでも遊べていたように思います。
35歳 女性のストーリー
高校の修学旅行、沖縄へ行くはずでした。関東の海無し県民にとって海は憧れです。
しかしこの年、9.11が発生。その影響で、飛行機は危険とされ、行き先が変更になってしまいました。変更後の行き先は苦渋の決断、京都・奈良・大阪。あぁ、憧れの沖縄…。なぜ苦渋の決断かって?私の高校はキリスト教の教えをもつ高校だったのです。“いい機会だから、他の宗教も学んでくるといい”学校側はそんな風に言ってましたね…。
災難はまだ続きます。
初日、グループ行動の日。私は先生とのやりとりをする、グループの連絡係でした。制服の胸ポケットにケイタイを入れたまま、トイレに行ったんです。用を足して水を流す。“ボトッ。”何が起きたかすぐには分かりませんでした。しかし胸ポケットをさわると、ない!ケイタイがない!和式の水溜まりに見える物体は、私のケイタイ。そう、水没です。すぐに取り出し、洗って拭いて動作確認をしますが、液晶が死んでいます。でも、動くっぽい!?先生に話をして、連絡係は別の子に変わってもらいました。あとは地元の彼氏に、連絡できないって連絡しなければ。でもどうやって?思いついたのは、同機種を使う友達のケイタイを隣に置き、ボタンを同じ回数押して、メール送信。通話はできなかったけど、通信はできました!(後日確認済。)
この後三日間、ケイタイ無しで過ごしました。修学旅行は楽しかったけど、苦い思い出です。

「忘れられない夏休み」

29歳 女性のストーリー
毎年小さい頃、夏休みには父方の実家の鹿児島に帰っていました。親戚やいとこと遊んだり、鹿児島の名所桜島や海に行ったりと楽しかった思い出がたくさんあります。
その中でも20年以上前に亡くなってしまったおばあちゃんとの思い出が忘れられません。
おばあちゃんとは私たちが住んでいる大阪、鹿児島とで距離がある為、会えるのは毎年1回ほどだったので少ししか会った記憶がありません。そして目が不自由だということもあり鹿児島に帰って来た時には覚えてくれてるかな〜と不安でした。でも毎回おばあちゃんは声だけで分かってくれて、頭に手をあてて「背が伸びたね」と笑顔で言ってくれました。離れてても覚えてくれていた嬉しさは、子どもだった私にとって忘れられない思い出です。

「奇跡だと思った話」

27歳 女性のストーリー
当時私は大学生で大阪の実家から離れ上京し、東京の大学に通っていました。一人暮らしの東京の家で、寂しさを紛らわせるために文鳥を飼っていました。もちろん生き物なので、私が帰省する度にその文鳥を虫かごの中に入れて、新幹線で共に大阪東京を行き来していました。

ある冬の夜、帰省を終え東京へ戻ろうと、新大阪駅に家族と共に車で向かい到着した時、駅の入り口の前で急に文鳥が虫かごの蓋を開け、「ぴっ!」と叫び駅を超えて物凄い速さで飛んでいきました。家族一同唖然として開いた口が塞がらず、しばらく呆然と立ち尽くしていました。

そこからは必死の捜索で、私は泣きながら駅の周辺はもちろん、駅員さんに変な顔をされつつも駅のホームの中に入り、1人「ぴーちゃん!ぴーちゃーん!(鳥の名前)」と全てのホームを周り呼び続けました。残念ながらその夜文鳥は見つからず、私は予めチケットを買っていた新幹線をとっくに逃しましたが、なんとか終電で東京へ帰りました。ショックのあまりスタバで買ったカフェモカを新幹線に乗り込んで席に着いた途端ぶちこぼしました。大阪に残った家族はその夜寝ずに駅の周りを探し続けましたが、見つからず家族一同絶望に飲まれそうでした。

結局ネットでこういった事例を調べて、ネットの「ペット探してます掲示板」にも載せ、とりあえず文鳥が逃げた一番近くの交番に紛失届として出すことになりました。もう人からの情報を待つしかなく、私は1人東京に戻り空っぽの鳥かごを見て絶望にくれていました。

しかしその2日後、家族から電話がかかってきました。なんと文鳥が見つかったのです。ただただ涙がでました。しかし見つかった経緯を聞いてこれは奇跡だと思いました。

どうやら文鳥は脱走した後、新大阪駅から少し離れた小道におそらく疲れて地面にペタンと座っていたようです。そこでたまたま神奈川から大阪へ旅行に来ていたカップルが鳥に詳しく、地面に座っている文鳥を見てすぐにどこかから逃げ出したんだと察したようです。
うちの文鳥は人懐っこいので、その方がすぐに保護してくださり、なんとその夜に簡易版鳥かごを作ってくださり、エサと水飲み場まで準備してその簡易版鳥かごに設置して下さっていました。

まだ奇跡は続きます。そのカップルの方が、なんとそこで偶然にも私の家族が紛失届を出した交番に、文鳥を届けてくれたのです。そこでその交番から家族は電話がきて、無事引き取ることができました。

これは3つの奇跡が重なって、奇跡以上の何かに私にとってはなりました。まず地面に落ちていたうちの文鳥を拾ってくれたカップルが鳥に詳しく、瞬時に簡易版鳥カゴ、エサ、水飲み場を準備してくれていたという奇跡。
そしてそのカップルが届けた交番が、偶然にも家族が紛失届をだした交番だったという奇跡。
そして現在、その文鳥は大阪の実家に戻っていつも通り可愛い文鳥と生活が出来ている奇跡。

これが私の人生の中で奇跡だとおもった話です。

ちなみにそれから文鳥はずっと大阪にいます。



「私の変えたい過去」

30歳 女性のストーリー
大阪の大学を卒業し、地元だが実家からかなり離れた田舎街に就職した。自分のやりたかった仕事につき厳しい先輩のもと一生懸命に勉強しながら働いた。同じ職場で出会った一人の男性と交際し、いつかは結婚を考えるようになった。また、いつかは実家の近くに戻りたいと思っていたが、彼が仕事をやめて私の実家のある街に移動したいといって、私もどうするか考えたが一緒に実家のある街に移ることを決めた。しかし、前と同じ仕事につくのは難しく、違う資格を取って働くことを決めた。
今になって思うと、彼だけ移って私はそこに残ってもう少し腕を磨き勉強すればよかったと今ではとても後悔しています。今でもその時の仕事をもう一度やりたいと思っていますが、現場から何年も離れるともうできない職のため本当に後悔しています。

「一番ひどい友達からの裏切り」

34歳 男性のストーリー
高校を卒業し僕は岡山の短大へ、その時付き合っていた彼女は大阪の専門学校に進学し遠距離恋愛がスタートしました。会えるペースは月に1回、それでも毎日電話やメールでやりとりし、会えない寂しさはありましたが、うまく付き合っていました。お互い在学期間は2年間。毎月欠かさず会いに行きました。彼女も盆や正月、その時々の行事事があると地元に帰ってきてお互いの都合が合えば会っていました。毎月大阪に会いに行っている時に彼女の大阪での友人関係が気になり聞いてみると学校のクラスメイトを紹介され僕もすぐに仲良くなりました。卒業1年前になるとその友人も含め遊ぶ事もあったのですが卒業前になり彼女から「別れたい」と言われ理由を聞くと、好きな人が出来たと言われました。なんとその好きな人は紹介してくれた友人で更に1年以上前から関係があったみたいです。仲良く遊びながら黙っていた友人にも彼女にも裏切られ一時期人間不信に陥りました。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

35歳 女性のストーリー
私とおばあちゃんとの思い出はおばあちゃんの田舎、愛媛県に連れていってもらったことです。小さい時はゴールデンウィークやお盆休み、秋祭りといった時期に姉や従姉妹たちと共に連れて行ってもらいました。小学生の頃になると、行く頻度は減ってしまいましたが、花火大会のある日に合わせて、連れて行ってもらいました。おばあちゃんの妹の家に泊まらせてもらっていたのですが、周りは畑が沢山あり、大阪出身の私にとってはその自然が魅力的でした。夏の花火大会は家から花火が見えたこともあり、すぐ近くで大きな花火を見たことが凄く印象に残っています。
おばあちゃんはもう亡くなってしまいましたが、田舎の思い出は凄く貴重な経験で、おばあちゃんとの大切な思い出です。

「そういえば昔夢見ていたこと」

54歳 男性のストーリー
私の「そういえば昔夢見ていたこと」は、海辺のそばにある町の公務員になって、サーフィンをしながらのんびりと人生を過ごすことです。
私は大阪の在住ですが、大学は関東にある某マンモス大学に通っていました。その大学を受験し入学したのは、希望していた学部が神奈川県の藤沢市にあり、電車でもすぐに江の島や鵠沼など、日本でも有数のサーフスポットに行けるからです。大阪では、和歌山か徳島など遠方に行かないとサーフスポットはありませんので、当時サーファーを気取っていた私にとっては藤沢は憧れの街でした。
まぐれでその大学に入学し、勉強もそこそこにサーフィンとバイトに明け暮れる毎日でした。とても楽しかった日々です。そんな中、いよいよ卒業となり、結局は親の勧めもあり、大阪の実家に戻って地元の企業に勤めることになりました。
本当は、藤沢市かあるいはどこかサーフィンの出来る海岸のある街の公務員にでもなって、自然を満喫しながら、そこそこのんびりと生活したかったのですが、親にもそんなことは言えず、結局諦めてしまいました。
現在は、サーフィンをする余裕もなく、子育てと家のローンに追われ、満員電車に毎日揺られて会社に通う50代の中年サラリーマンになってしまいました。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
自分は特別だと思った瞬間
独身っていいなと思った瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
こんなひといました
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
わたしの周りで一番お金持ちの人
わたしが出会った「さすがにこれは厳しい」という言い訳
わたしの周りで大変身した人
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りで一番勉強ができた人
わたしの周りの大恋愛
あの人と縁を切ってよかった
これまでに出会った天才
人が豹変した話
ノウハウ
○○の裏話
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
人間関係
女って本当に恐いと思った瞬間
女同士って面倒くさいと思った話
家族に一番感謝したこと
一番ひどい友達からの裏切り
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
今までで体験した一番怖い体験
人生で一番運が良かったなと思う出来事
一番おいしかった食べ物
人生で一番贅沢した話
死ぬかと思った話
人を見返してやった話
奇跡だと思った話
お金さえあればと感じた瞬間
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
忘れられない先生の話
これまでに一番勇気を出した瞬間
これまでで一番笑った話
嘘みたいなほんとの話
一番の苦労話
忘れられない夏の思い出
これまでで一番驚いた話
今までで一番感動した話
人生最大の修羅場
これまでで一番お金を無駄にした話
とっておきのすべらない話
これはひどいなと思った結婚式
修学旅行の思い出
どうしても許せないこと
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忘れられない夏休み
人生最大の失恋話
学校や仕事をサボってやったこと
私について
苦手だったのに得意になったエピソード
仕事での大失敗
誰にも言っていない秘密
わたしの初恋と、その結末
人生が変わった出来事
誰かに聞いてもらいたい愚痴
私の変えたい過去
わたしがやめられないもの
そういえば昔夢見ていたこと
もっとも尊敬する人
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間