"夢" に関するエピソード

「誰にも言っていない秘密」

39歳 女性のストーリー
会社の上司に惹かれていたこと。ポーカーフェイスで、でも優しくて。最初から意識していた訳ではないけれども、直属の上司になってしばらくしてから気になり出した。日焼けした肌や、意外とずんぐりした指先。気付いたときには、その人の声や仕草に目を奪われて意識していた。個人面談のときに、個室で二人だけになるときは緊張してドキドキして、いつも以上に笑顔が多い上司に、胸がキュンとしすぎて息切れしてしまったり。気になり出したのが先だったか、夢を見たのが先だったか忘れてしまったが、夢の中で口づけされたこともある。そんなことはありえないはずなのに、まるで本当の出来事のように心に残っている。その人には、社内結婚の奥様も、お子様もいらっしゃるので、現状を変えようとは思わなかったが、二人で喫茶店で話し合いをしていて、ふと会話が途切れたときには、夢の続きのように、脈絡なく突然手を握られたりしないだろうか、と勝手にひとりでドキドキしていた。叶わぬ片恋は、誰にも言わず、誰にも迷惑を掛けず、心の中にしまっておく。

「奇跡だと思った話」

45歳 男性のストーリー
今まで生まれてから運が良いと思ったことは一度もなく自分は運が悪いと思ってました。10年位前のことですが、いつものごとく年末ジャンボ宝くじを10枚購入して穏やかないつもと変わらない年末年始を過ごしてました。そして年が明けて新聞の年末ジャンボ宝くじの抽選結果をどうせ今年も外れてるんだろうなぁと毎年の恒例行事みたいにひとつひとつ確認していったら、まさかの100万円が当選してるじゃないですか。100万どころか1万以上の当選はしたことないので、何度も番号見直して、夢じゃないよなってつねってみたりして、現実に戻り当選したのを実感しました。宝くじ売り場じゃなく銀行行かなきゃ引き換えられないのもそのときに知り、引き換え期間が来てから銀行行くまでの期間もそわそわして落ち着かなかったし、銀行で100万もらった時にやっと落ち着きました。預金勧めらたので、取り敢えず使い道ないので預金したというつまらないお話ですけど(笑)
確率とか見たら10枚で当たる確率はとんでもなく低い確率なので、やっぱりこれは小さな奇跡なのかなぁと思いました。
大きな奇跡じゃなくてごめんなさい。

「そういえば昔夢見ていたこと」

51歳 男性のストーリー
毎晩、寝る時が一番幸せだと感じている。一日を過ごし床に就けることに感謝している。
観たい夢を見れることは無いが、現実ではかなっていない夢を見れる頃がある。
なぜその夢を覚えているかというと、トイレに起きたとき、または、夢の途中で目覚ましで夢から覚めた時である。
トイレなどで起きた時は、続きの夢を見れるようにまた、床に就く。
目覚ましで起きてしまったときは、その時の夢を忘れないように余韻を残しつつ準備をしている。その日の夜に夢の続きが見れるように記憶として残るように。
現実では、起きないであろういい夢を見て覚えていることはなかなか無いため、その時は夢から覚めたくない、または、夢の続きを見ようと必死になっている自分がいる。
そういう自分も嫌ではない。今後もそういう時間を大切にしていきたいと思う、いつ見れるか分からない夢のために。
54歳 男性のストーリー
私の「そういえば昔夢見ていたこと」は、海辺のそばにある町の公務員になって、サーフィンをしながらのんびりと人生を過ごすことです。
私は大阪の在住ですが、大学は関東にある某マンモス大学に通っていました。その大学を受験し入学したのは、希望していた学部が神奈川県の藤沢市にあり、電車でもすぐに江の島や鵠沼など、日本でも有数のサーフスポットに行けるからです。大阪では、和歌山か徳島など遠方に行かないとサーフスポットはありませんので、当時サーファーを気取っていた私にとっては藤沢は憧れの街でした。
まぐれでその大学に入学し、勉強もそこそこにサーフィンとバイトに明け暮れる毎日でした。とても楽しかった日々です。そんな中、いよいよ卒業となり、結局は親の勧めもあり、大阪の実家に戻って地元の企業に勤めることになりました。
本当は、藤沢市かあるいはどこかサーフィンの出来る海岸のある街の公務員にでもなって、自然を満喫しながら、そこそこのんびりと生活したかったのですが、親にもそんなことは言えず、結局諦めてしまいました。
現在は、サーフィンをする余裕もなく、子育てと家のローンに追われ、満員電車に毎日揺られて会社に通う50代の中年サラリーマンになってしまいました。
57歳 女性のストーリー
 フランスの古い俳優ピエール・フレネーが大好きで、調べると日本には入ってきていない出演映画がたくさんあり、そのためにパリに3か月くらい滞在して「シネマテーク・フランセーズ」で見まくろうというのが夢でした。フランスは芸術を大切にする国でほんとに古い映画でもシネマテーク・フランセーズに行けば見られると小林信彦という作家が書いていたので、自分も行きたいと考えたのです。そのためにOLのときのお給料を貯金していました。奨学金の返済もあったので月の給料の9割は貯金と借金返済で消え、洋服も新調せず、交通費も貯金に回そうと自転車で通勤していました。
 その夢が夢のまま終わったのは結婚したからです。さすがに夫を置いてフランスへ行くのは無理でしたね。今もその頃フランスから取り寄せた本などを眺めて、時々彼のことを思っています。彼のおかげでフランス近代演劇・映画に詳しくなることができました。フランスにこそ行けませんでしたが知力を尽くして調べ物をした経験はのちの人生に生きています。
66歳 女性のストーリー
世界中の遺跡を訪ねてみたい。エジプト、インカ、イースター島、ボロブドールの遺跡、ッポンペイの火山灰に埋もれた廃墟、イギリスの先史時代の遺跡、ペルシャ戦争の後、チンギスハンの墓、などなど。子供の頃から夢みていた。
でもいまだにインド、タイ、ハワイの3国を訪ねたのみ。
この先この年でこの夢が実現できるだろうか。
でも、何が起こるのかわからないのが人生。
期待を持つことをあきらめないでいようと思う。
いつか奇跡が起きて、世界一周旅行に招待されるかもしれない、いつか、宝くじで大金があたって世界一周も夢ではないかもしれない。
いつか、世界の大金持ちのセレブに見初められ・・・無理かな・・・
でも、空想するだけでも、しないよりはまし。
だって、思考は現実化するって、誰か言っていましたよね。
46歳 女性のストーリー
そういえば、昔は漫画家になることを夢見ていました。
自分の画力に限界を感じて「それなら小説を書こう」と思いつつ、書いたり書かなかったりと細々趣味として続けています。
娘は絵が得意な夫に似て、私が子供の頃よりはるかに上手に絵を描いているので、もし漫画家を志望した場合は夢を応援してあげようと思います。
とはいえ、現代は昔と違い、様々なところで絵を共有したり評価されたりとチャンスが転がっているので、まずは数をこなすこと、自分の絵の評価ポイントを見極めることなどアドバイスできたらいいなと思います。
当の娘はアイドルになりたいと言っているので、アドバイスする機会があるかどうかは神のみぞ知る、という感じですが。これも私の夢物語なのかもしれません。
61歳 女性のストーリー
私は貧しく育ちました。友達を家に呼ぶこともできず、家族のことを聞かれるとごまかしたりうそをついたりしてきました。ですから、とにかく、お金持ちになり、自分の家に住み、少しは人に自慢できる仕事や生活をしたいと夢見ていました。そのために、収入を得ることにこだわり、奨学金で大学を出て、たくさん仕事をしました。今、夢はかなったといえるでしょうか。答えは、微妙です。自分の家は買えました。仕事も収入も安定していました。老後が十分とは言えませんが。家族はというと、わけがあり、人には言えません。やはり、夢は全部はかなわないのです。でも、努力できたことにと昔よりはましだと思うことで、良かったと考えたいです。今の夢は、後悔せずに生きることです。
47歳 女性のストーリー
あれはまだ、義務教育の最中だったと思います。親に「一億円の豪邸を建てる」と豪語していました。何の根拠もなくどこで覚えた言葉だったのか、将来は「印税生活する」と息巻いていました。当時の私は友人も少なくクラスで浮いていて、クラスメイトから半無視状態だったことから、知らず知らずのうちに現実逃避をして、心身のバランスを取っていたのだと思います。
今は、印税生活どころか契約社員でチマチマ生活するのがやっとです。今でも思い出しては恥ずかしいと思う反面、あの頃のように、無邪気に未来を夢見て、根拠のない自身に満ちて、生きていけたらどんなにいいかと思います。
夢は叶えるためにあるという人もいます。これを機に、私は印税生活を実現するために何をしたらいいのか模索しながら、生活していこうと思います。
38歳 女性のストーリー
小学生の頃、初めてなりたいと思った職業はピアノの先生でした。
ただ、小学3年の時点で親から音大はお金がかかりすぎるから絶対そっち方面は行かせないとストップがかかり、親が全てという意識の中で行きてる小学3年の私はピアノの先生の道を諦めました。
その後、親から薬剤師は安定してるから目指したら?と言われ何となくその気になっていた所、親が同級生の親から「薬学部は6年大学行かせないとダメらしいよー」と聞き、そちらの道も行かせないととストップがかかりました。

こんな感じで過ごしてきたので小学高学年くらいですかね、将来なりたい職業が公務員の窓際族になりたいと思っていた時期が本気でありました。
(親から反対されず安定した生活ができそうとか考えて)
今にして思えば何て夢のない可愛げのない小学生なんでしょうね(苦笑)
結局その後も色々あり今は全く別の職業についてます。
そんな自分の過去を振り返って我が子には自分の好きな道を進ませてやりたいなぁと思う今日この頃です( ̄▽ ̄;)
37歳 女性のストーリー
ホームアローン1を初めて観た時に、海外のクリスマスに憧れた。
(泥棒とのやりとりの部分も好きだったけど。。)
大きな家がライトアップされ、きれいに飾り付けのされたもみの木や、暖かそうな暖炉。真っ赤なウールのセーターや手袋、見たことのないお菓子や大きなピザ。それらを囲んで家族でクリスマスを祝う。
(ホームアローン1では、家族は旅行に出かけたけども。。)
自分の過ごすクリスマスとは、全く違う文化があった。
クリスマスの朝を迎えると、もみの木の下にはたくさんのプレゼント。
外は真っ白な雪でしんと静か。子供達が暖炉のそばでプレゼントを開ける。
温かな食事を囲んで、家族でクリスマスを迎える。
昔、夢見ていたクリスマス。



34歳 女性のストーリー
高校生の頃は、アニメやゲームが好きだったこともあって声優を目指していたことがありました。その頃は看護師を養成する学校に通っていたので、看護師は命を守る仕事であるのに対して声優はキャラクターに対して命を吹き込む仕事であることなど、内容は違えど命に関する仕事ということで憧れを抱いていたのを覚えています。
ただ実際に声優になることができる人たちは限られていることや、声優として有名になるまではお金をほとんど稼げないことなど、現実を見るようになってからは自分には無理だと諦めました。声優になるための養成学校にかなりお金がかかるところも、諦めた理由の一つです。
それでも時々声優に慣れたらよかったなあと思うことはあります。
33歳 女性のストーリー
今の主人と付き合い始めた頃、主人は初めから私と結婚するつもりで付き合っていると伝えてくれたので、私も自然と、主人と結婚した後の生活をいろいろと妄想・夢見ていました。
願わくば、子供は授かりたい。そして、その子供の成長を出来る限り一番近くで見ていたい。ならば、やはり母としていつでも動ける環境、家庭を全て任される立場の専業主婦が望ましい。収入が少し足りないなら、内職でもすれば良いから、子供におかえりを言える環境を作ってやりたい。
などと夢見ていましたが、いざ現実、今現在主人は無職。転職先で精神病んでしまって療養中。私もフルでガッチリ稼がないと生活できないレベル…。不満もなければ不幸とも思っていませんが、やっぱり、夢は夢だなー、と時々思います。
37歳 女性のストーリー
ホームアローン1を見た時に、海外のクリスマスに憧れた。
(泥棒とのやりとりも、面白かったけど。。)
クリスマスが近づくと、大きな家にクリスマスのライトがキラキラと光る。美しく飾られたもみの木と、大きな暖炉に火がともる。
真っ赤なウールのクリスマスセーターや手袋。見たこともないお菓子や大きなピザ。クリスマスの日、それらを囲んで家族皆で祝う。
(ホームアローン1では、皆旅行に出かけたけども。。)
祈り、感謝をする日。
知らない国の文化があった。
クリスマスの朝、外は雪でしんと静か。
目が覚めると、もみの木の下には子供たちへのたくさんのプレゼント。温かい食事を囲んで、家族で迎えるクリスマス。
昔夢見ていたクリスマス。

10歳 男性のストーリー
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32歳 男性のストーリー
そういえば昔夢見ていたこと

という問いに対してふと考えを巡らせたのは、幼いころに夢見ていたことが複数存在していたからだ。
まず一つは自分は25歳ごろに亡くなるのではないか?という漠然とした妄想を夢見ていた、これは漫画やアニメの影響をもろに受けていた時のもので、中学から高校までそのようなことを思っていた、いわゆる中二病というやつである。
夢見ていた、ということとは外れいるように見える人はおそらくまっとうな方であろう。
今の自分から見てもかなりサイコで恥ずかしい奴だと思う。ただその当時は素直に25歳ですっぱりこの世から消えるのがすごくかっこいいと思っていたのだ。

もひとつはコンビニのオーナーになることである。
その当時はコンビニが町中に多くでき始めた時代だったので、子供心に最先端の店を経営したいと若かりし自分は夢を見ていた。
19000101歳 男性のストーリー
野球選手になりたいと思っていました。
野球が好きというわけじゃないのですが、男らしくてかっこよくてチヤホヤされてお金もたくさんあって美人と結婚するイメージです。
45歳 男性のストーリー
私が昔夢見ていたのがサラリーマンになることでした。
今から考えるとなんて面白みのない少年だったのかとがっかりしてしまいます。
しかもその通りのサラリーマンになってよかったなあとは思えないのです。
やはり普通の少年や少女が夢見るようなプロ野球選手とかモデルや歌手などの夢を持って頑張っていけばよかったと感じます。
ただ色んなスポーツをやったのですが特にこの競技が好きとか自分がこの競技が得意だということは全く感じなかったので仕方ない部分もあるかもしれません。
逆に夢ではないですが、これだけは自分に向いていないと思うことばかりだったです。
私の場合は習字です。
親の勧めで習字を習っていたのですが、下手すぎて全くやる気が出せずに遊んでばかりいたら、先生の方から辞めたほうがいいのではと言われてしまいました。
37歳 女性のストーリー
小学生の頃、洋服と絵を描くことが好きでした。そのため、ドレスの絵を描いてみたり、女性の絵を描いたりということをよくしていました。そうした中で、ファッションデザイナーになることを夢見ていました。色々な雑誌やお店を見て回り、自分がいいなと思う洋服を作りたい、そんなことを夢見ていましたが、いつの頃からか夢や目標がなくなってしまい、とりあえず土日祝日休みの事務になれればいいや、と思うようになっていました。実際、事務職に就いていましたが、小学生の頃の夢を追っていたら今頃どうなっていたのかな、と思うこともあります。30を過ぎた今ではもう一度新しい人生を、と奮起する気力はありませんが、あの頃の私に声を掛けられるなら、夢を追いかける背中を押したいです。
31歳 女性のストーリー
小学校の卒業文集には、将来の夢「ファッションデザイナーになる」と書きました。
幼いながら普通のOLにだけはなりたくないとなんとなく思っていましたが、現実は思い切り普通のOLです。

暇があればノートに洋服の絵を書き、誕生日には色鉛筆のセットを買ってもらい、小学校の手芸クラブで手縫いでお人形のお洋服を作り、子供用のミニーちゃんのおもちゃミシンを買ってもらい…

いつからその夢が夢でなくなったのかはもう思い出せません。夢は夢のままだったかもしれませんが、将来の目標にはなりませんでした。大学の進路選択の時に、デザイン学校という選択肢も一瞬頭をかすめましたが、勇気は出ませんでした。得意なことと好きなことは違うと言い訳していたのかもしれません。
43歳 女性のストーリー
昔、夢見ていたことといえば私の場合、自給自足でした。
自分の土地を持って、古民家に住んで、田畑を耕して暮らすというのが目標だったり理想だったりしました。
都会に暮らしているので、緑の豊かな場所に住んで、自然とともに暮らすのは理想でした。
都会ぐらしなのに、あまりデスクワークやコンピューター関連の仕事に憧れなかったせいもありますし、すました感じで小綺麗にしてヒールのある靴を履いて実用性のないスカートやスーツを着る暮らしが嫌だったというのもあります。
以前野菜や果物が好きで栽培していた時期もありましたが、今は経済的な現実や自然災害の恐ろしさを知って、やっぱり完全な自給自足は夢だし、贅沢なことなんだと思い直しているところです。
52歳 男性のストーリー
学生時代に科学者になろうと思ったことがあった。それで大学の理学部に入って、そこで勉強をしていくことになった。
その頃は、そのうち夢が実現するかと思っていた。科学者のことを何も知らなかった。学んでいくうちに、簡単に行かないことがわかる。
研究者になるのは狭き門だった。大学に残ったり、研究所に入るには成績が良くないとできないそうだ。それに、そこに入ったとしても給料の保証がされない。
大学院に進学するなら授業料と生活費が必要になる。一人前の研究者になるまでは時間がかかる。
それに、博士になっても収入の保証が無い。それが一番の問題だった。今でもあるように当時からオーバードクターの問題があって、博士号を取得してもろくな稼ぎが無い人が居たのである。
それで研究者への道を諦めて普通に就職していく。それが普通だった。私もそうすることにした。もし残っていたとしても、大変だったろう。
36歳 男性のストーリー
僕は子供の頃からサッカーをしていました。中学生の頃は市の選抜に選ばれたり、少しは自分のサッカーの技術には自身を持っていました。高校は強豪高に進学して、その後はプロになりたいなんて夢を見ていました。
月並みですが、プロになってお金を稼いだら、家族に家や車をプレゼントしてあげようとか考えていました。
しかし、中学2年の頃ケガをしてしまい、サッカーから距離を置く期間がありました。あんなに熱心に取り組んでいたサッカーなのに、その頃から少しずつサッカーに対する情熱が失われてきていることに気がつきました。ケガが治っても部活にも顔をあまり出さなくてなり、たまに部活に出ても思ったようにプレイできなくなりました。周りの人達も、「前は上手かったのに、今はダメだな」なんて言ってたのを人伝てに聞きました。
それで、サッカーを辞めてしまいました。あのまま、もしサッカーを続けていたらどうなっていたのか、時々考えることが今でもあります。
54歳 男性のストーリー
小さい頃は飛行機のパイロットになりたかった。
人間にはできない、空を飛ぶというあこがれが、そう思わせたのだろう。
小さいころから飛行機が好きで、いろんな飛行機を作って飛ばした。
自分で言うのもなんだが、紙さえあればそれなりに飛ぶ飛行機を作る自信はある。
大人になってからもラジコンの飛行機にのめりこんだ時期もあった。
動力を持たないグライダーという飛行機を自分の手で投げ上げ、操作する。
投げた飛行機が上昇気流にに出会うと、動力を持たない機体がどんどん高く上がり、
どちらを向いているかわからないくらい小さくなる。
多分、その時、大人の私の顔は子供の顔をしていただろう。
いまだに、空を飛ぶということにあこがれを持つわたしである。
52歳 男性のストーリー
中学校のときの担任の先生に「お前は手先が器用だから医者になるべきだ」と言われ、自分自身もその気になり、大学の医学部への進学を夢見て勉強に励んだのを覚えています。
友人からも医者の中でも選ぶなら外科医がよいと言われ、手塚治虫のブラックジャックをその友人から借りて読みまくりました。しかしながら、マンガにも関わらず手術中の描写を見て、少々気持ち悪くなってしまい、1か月も経たないうちにその夢を断念してしまいました。
もしあの時、ブラックジャックを読んでいなかったら、今頃自分はかっこいい外科医として執刀していたかもしれないと思うと、少々残念な気分と同時に、逆にホッと安心するのは、もうあれから30年以上経ち、家族と一緒に幸せな暮らしをしているからなのでしょうか。
45歳 女性のストーリー
小学校低学年の時中森明菜さんに憧れて歌手になりたいと思った。ヤマハ音楽教室に通い、音感は悪くなかったものの声の出し方がわからず大きな声は全く出せなかった。合唱部の主将だった母にもピアノで伴奏することばかりを求められ、必ず歌がうまくなってやると決心した。中学生になりバンドブームが押し寄せると毎日バンドの曲を大声で歌う日々が続いた。しかし全く感情は乗っていなかったし、ただ音をなぞるような歌だった。大学生になってボーカルスクールに通い始めても、バンドを組んで活動し始めても音程ばかりにこだわる歌い方は変わらなかった。社会人となったある日、プロのバンドマンのマスターが経営するスナックでマスターのソウルフルな歌声を聴いて衝撃を受けた。この人との間には越えられない壁があると思いながらも何度も一緒に歌っていただくうち、少しずつお客様との呼吸や感情の入れ方がわかっていった。今はバンドのボーカルとして、あのころの夢とは違う形だがずっと歌い続けている。
66歳 男性のストーリー
少年の頃はたくさんの夢を見ていました。1番最初の夢は、プロ野球の選手、私の子供の頃はなんといっても、王・長嶋の時代でしたので憧れました。次の夢は特撮映画の大ファンでしたので円谷英二に憧れて、特撮監督になるのが夢でした、私も大人になったらゴジラの映画を作るのだと夢に描いたものです。10代の後半になってから黒澤映画を見るようになって、黒澤のような世界的な監督になるのだと強く心に思ったのですが夢破れました。大人になるにつけ自分には才能もなければ、度胸もないと思い知りました、自分には計画性も夢を追いかける持続力もなく冒険心もないもちろんお金は言うに及ばず、私の一番欠けているものは積極性と自分を信じてゆく気持ちでした。

64歳 男性のストーリー
私は子供のころから野球をやっていて、昔はプロの選手になることにあこがれていました。しかし環境がよくなかっつたので,高校へ進学した時点であきらめてしまいましたが、その後も野球は続けていました。そうして40歳を超えたころから、50歳以上の軟式野球の全国大会があることを知り、それに向けて仲間が集まり、チームを作り練習を重ねて、ようやく全国大会の切符を手に入れることが出来ました、それも2度の全国大会出場です。憧れだった全国大会へも出場することが出来、その上、甲子園球場での大会へも行くことが出来、甲子園の土を踏むことが出来ました、長年行ってきた野球の夢がかなったのだと思っています。そうして今も、還暦の野球を同じメンバーで夏の間は休みなしで、がんばっているのです。私の人生は野球に始まり野球で終わりそうなそんな人生の様に思います、ともかくあこがれの全国大会と、甲子園球場の土が踏めたことで、子供のころからの夢が叶ったようです。
23歳 男性のストーリー
そう言えば、昔(少年時代)はよく夢を見ていた、ワールドカップが終わればサッカー選手になろうと思ったし、日本シリーズの時期はプロ野球選手になりたいと思った。そんな影響をもろに受けていた少年時代に特に夢を見ていたのが、仮面ライダーだ。世界の平和のため?に自らの命を省みず、悪の組織に立ち向かっていくヒーローだ。特に俺が好きなところは普段は普通に生活しているのに、悪者が現れたときは即座に戦いへ向かう。戦いが終われば、何もなかったかのように普段の生活へ戻る。なんて健気なんだ。子供心に感銘を受けたものである。サラリーマンになった今、俺は仮面ライダーにはなれなかったが、大事な人を守るためジムへ週に2回通っている。しかし、ジムに通っていることについては基本的に他人には話しをしない。これは、ある意味仮面ライダーなのではないか?笑
27歳 男性のストーリー
小さい頃は「プロ野球選手」という典型的な夢を抱いていた。
小学校低学年から野球をはじめ、野球ばかりの生活だった。当時はプロ野球の中継も盛んで、毎日のように観戦していた。球場に足を運んだこともあった。
それなりに練習もしていたし、チームの中でも上手な方ではあったと思う。だから、当然のように「プロ野球選手」を目指していた。
あの頃はスポーツをしてお金を稼ぐには、どれだけの努力が必要なのか、どれだけすごいことなのか、と考えるようなこともなかった気がする。一番身近で一番かっこいいと思ったのが「プロ野球選手」で、自然とそれを目指していた。
しかしながら、肩の故障から中学1年で野球を辞め、夢を諦めるとともに軟式テニスを始めた。結構性に合っていたみたいで、30歳手前の現在でも続けている。
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あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
この職業で良かったなと思う瞬間
独身っていいなと思った瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
自分は特別だと思った瞬間
こんなひといました
わたしの周りで一番勉強ができた人
わたしの周りで一番お金持ちの人
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今だから言えるごめんなさい
人が豹変した話
わたしがつかれた「優しい嘘」のエピソード
わたしの周りの結婚できなそうだなという人
わたしの周りの大恋愛
これまでに出会った天才
あの人と縁を切ってよかった
わたしの周りで大変身した人
ノウハウ
異性は知らないなと思う話
○○の裏話
業界ならではの話
人間関係
女って本当に恐いと思った瞬間
家族に一番感謝したこと
一番ひどい友達からの裏切り
女同士って面倒くさいと思った話
学んだこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
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これまでに一番勇気を出した瞬間
これはひどいなと思った結婚式
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
忘れられない先生の話
忘れられない夏休み
一番おいしかった食べ物
どうしても許せないこと
これまでで一番驚いた話
今までで体験した一番怖い体験
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忘れられない夏の思い出
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死ぬかと思った話
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嘘みたいなほんとの話
お金さえあればと感じた瞬間
人生で一番運が良かったなと思う出来事
人生で一番贅沢した話
一番の苦労話
人を見返してやった話
人生最大の修羅場
学校や仕事をサボってやったこと
とっておきのすべらない話
今までで一番感動した話
奇跡だと思った話
人生最大の失恋話
これまでで一番お金を無駄にした話
私について
もっとも尊敬する人
誰かに聞いてもらいたい愚痴
仕事での大失敗
わたしがやめられないもの
私の変えたい過去
誰にも言っていない秘密
人生が変わった出来事
そういえば昔夢見ていたこと
苦手だったのに得意になったエピソード
わたしの初恋と、その結末
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間