"京都" に関するエピソード

「これまでで一番悲しかった時」

34歳 女性のストーリー
京都アニメーションの放火事件がショッキングで悲しかった。
以前から京都アニメーションのアニメを好んで見ていて、スタッフさんが登壇されるトークイベントや体験会みたいなものに何度か参加していたり、スタッフインタビューの記事や、スタッフコメントのたくさん載っている本などを購入し読んでいた。
だからこそスタッフさんたち京都アニメーションで働く方々をとても身近に感じていて、それが本当に悲しくて胸が詰まるような感覚と、無性に泣けてきた。
実際の火事の映像や、焼けた建物、京都アニメーションの作品そのものや関連した音楽を聴くだけでも涙ぐんでしまう。
本当に悲しくて、毎日を生活するのがやっとという日々が数日続いていました。

「わたしの周りで一番勉強ができた人」

21歳 男性のストーリー
わたしの周りで一番勉強ができた人は、私の幼稚園の頃からの幼なじみでした。
彼は学年でもずば抜けて頭が良く、テストの順位も「どうせ1位だ」と思われているような人でした。
しかし、頭の良さをひけらかすことはあまりせず、また、どちらかと言うと影で努力するタイプの人間だったので、嫌な感じはせず、好感度も高い、勉強の他にもスポーツなども何でも出来る、完璧な人間でした。
そんな彼は今、京都の名門国立大学の学生です。

「これまでで一番驚いた話」

29歳 女性のストーリー
タイムリーですが、京都アニメーションの火災にとても驚きました。
私は平成2年生まれで、29年間35人も個人が殺害をする事件にあったことはなく、サリン事件よりも大きな事件と聞いて本当に信じられないなと思うばかりです。
また、アニメ業界で働いている友人も多く、危なかった子もいたので、関東に住んでいても遠く感じませんでした。
なによりも、自分が2日前に水泳がテーマの京都アニメーションが作成した映画を見たばかりだったので、最初はボヤくらいだろうと楽観視する程、現実味がなくましてや死者がでるなんて思いもしなかったです。
そして犯人も意識不明の重体でこのまま何もわからないまま事件が終わってしまうのかもしれないと思うとやりきれない気持ちもあります。
本当に今でも信じられず、友人が無事だったことが唯一の幸いでした。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

30歳 女性のストーリー
友人の男性の家が不動産を持ってるお家。
京都一帯を管理しているお父さんを持ってるのでお金持ち。
マンションの4フロアを所有していて、友人の部屋は1フロア全部。
お父さんからベンツを買ってもらい、それで大学通学。
もちろんお手伝いさん付き。
友人には靴を買ったりご飯をおごったりと周りへも大盤振る舞い。
ただ、庶民をバカにしているところがあるのが残念。
口が悪く、すぐに「これだから貧乏人」はと話す。
そのため、それほど周りに好かれていたわけではない。
なにしろ自分のお金ではなく、親のお金を使っているわけです。
そのためその男性に対する尊敬も周りはなし。
ただ、お金を持っていることをうまく周りも利用していい思いをしている感じ。

「今までで一番感動した話」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。


「今だから言えるごめんなさい」

72歳 男性のストーリー
古い話ですが、高校を卒業して就職した会社を3ヶ月足らずで辞めて放浪の旅に出ました。理由は特にないのですが、何となく生活の全てが面白くなかったと思います。
求人広告を見て京都の中華料理店でホール係と皿洗いの仕事で住み込みで働き始めました。
京都の夏は想像以上の暑さで、大部屋の20人くらいが寝るのですから暑くてとても眠れない毎日が続いていました。
2ヶ月くらい経ったある朝、目を覚ましてふと横を見ると空になった隣の布団の枕の横に財布が落ちていました。ナントその財布を頂いてしまったのです。そしてそのまま京都にオサラバしてしまったのです。働いていた会社にも無断でした。
今考えてみると金がなかったとは言えとんでもないことをしたものだと思います。今だから言えるごめんなさいの話です。

「嘘みたいなほんとの話」

72歳 男性のストーリー
嘘みたいな本当の話です。
高校を卒業して就職した会社を3ヶ月で退職して放浪の旅に出ました。お金はほとんど持っていませんでしたが、所謂住み込みの求人広告を見て京都の中華料理店でホール係や皿洗いの仕事をしました。先の事は何も考えていなかったので、面白くない事があって1ヶ月でやめて大阪へ行きました。
この時もお金は持っていません。特に当てもなかったので御堂筋をブラブラ歩いていました。淀屋橋のたもとで自分は行き倒れで死んでしまうかもと思ったくらいでしたが、麻雀荘の貼紙でホール係の募集に飛び込み採用されました。住み込みとはいえ最初の給料をもらうまでとても苦しい思いをしたことを覚えています。仕事自体は楽なものでしたがメンバーが足りない時、麻雀をさせられ疲れました。色々面白い事があったのですがここも2ヶ月くらいで辞めて東京へ出ました。
大田区の酒屋さんで住み込みで働く事になりました。自転車で酒やビールを配達するのは結構大変でした。ここでも飲んべえの旦那さんや奥さんによくしてもらったのでが、
お正月になり急に里心が出てきて家に戻りました。
今考えてみるとよく無事で帰れたものだと思います、古き良き時代の話です。

「修学旅行の思い出」

42歳 男性のストーリー
あれは、忘れもしない中学3年の修学旅行の時でした。修学旅行の行き先が奈良・京都だったので、定番の寺社仏閣を巡り、午後の自由行動などをして、奈良・京都の街を堪能していました。

事件(といっても犯罪等ではありませんが)を起こしたのは、その夜でした。私たちの部屋では枕投げやプロレスごっこが始まり、部屋にいる全員のテンションはMAX状態で、ノリノリでした。

そんな時に、こんな話が誰と無く上がったのでした。

「ねぇねぇ、ここのホテル、壁の隣が金網だからさぁ~、金網伝いに女子の部屋に遊びに行かね?」

なんということでしょう、今までもノリノリ状態だった私たちですが、こんな話がはじまってしまい、もう動物園の猿状態で、ウキウキ言ってました。

もう若気の至りで、先生に見つかるとか、女子が先生に報告するとか全く考えずに、全員一致で、よし行こう~~~~、ということになり、私たちの部屋の男子全員が、女子と遊ぶ為に必死に金網を降りたのでした。

無事、全員が金網を降りられて、女子たちと和気藹々と遊んでいたのですが、男子は4階、女子は3階と、部屋が決められていたのに、はしゃぎすぎて大声になっていた私たちの声に先生たちが気付き、あえなく御用となったのでした。

そして、そこから延々とお説教が続き、私たちの部屋全員が朝方まで、部屋の前で正座させられ、反省を促されたのでした。

今では考えられないですが、ほぼ30年前の話で、時代も時代だったため、正座は当たり前だよなぁ~と、思っていました。

しかし、うちの学校の先生はとても優しく、女子の部屋に忍び込んだ事よりも、金網伝いで降りたことに対して激怒していたのでした。

先生曰く「せっかく一生の思い出になる修学旅行を、もし、金網から落っこちて、事故になったらどうしてたんだ?  シャレにもならんし、人生で一番苦い思い出になるかもしれなかったんだぞ? お前ら・・・・・  事故になっていたら、先生も悲しいし、親御さんたちが悲しむだろう?」

これを聞いて、男子全員はかなり凹んで、シュンとしてしまい、まるで誰かが落っこちたような感じになってしまいました。しかし、間髪入れずに、先生が「まぁ、お前らのやったことは立場上、叱らないといけないから、叱ったんだよ。 しかしだなぁ~、お前ら後先考えず金網伝いに女子の部屋に行くとは、けしからんが、先生もお前らの同級生で同部屋だったら、一緒に行ってたぞ。ガハハハハ。」

と、暖かくも、突っ込みどころの多いお話をいただく事ができました。その後、朝方まで本当に正座して、周りの男子たちには笑われ、次の日は寝不足で旅行どころではなかったのですが、あの夜に先生に本当に人柄が溢れ出てた、お説教をされたのは、私の人生の本当に良い思い出です。

47歳 女性のストーリー
中学校の修学旅行は関東民なら定番の奈良、京都でしたね。昼間は制服で移動、宿泊施設に帰ったら学校のジャージ。当時はこれが普通。お風呂の時間までも監視がいるような、軍隊かよ的な昭和ならではの修学旅行でしたね。
そんな、修学旅行で悲劇が起きました。修学旅行二日目。清水寺の駐車場でのことです。修学旅行シーズンで駐車場内も渋滞。このままでは決められた時間通りに進まないと判断したのか、少数ずつ生徒をバスから降ろして行きました。
私と数名がバスから下ろされたのですが、すぐ目の前もバスがあり、向こうの通路まで行かれずに降りたところで立ち止まって居ました。
すると、乗っていたバスがなぜかバックしてきてひかれました。バスのタイヤが私の足を上ってくる感覚。忘れられません。
周りはパニックになってました。そのまま救急車で病院へ直行。全治3ヶ月の怪我でした。
私にとっては最悪の思い出です。
49歳 女性のストーリー
高校の京都奈良の修学旅行最終日、おこづかいをほとんど残さず、八つ橋やいろいろなおみやげを沢山買いました。
最近の高校生の修学旅行の荷物はスーツケースで片面はおみやげ用に空けていくようですが当時はそんなことは無く大きなビニル製の肩から掛けるバックでした。
翌日に向けて、たくさんのおみやげの荷造りをしたのですがどうしても荷物がまとまらず
先生に相談すると宅急便で、自宅に送っても良いと言われ送料はかかるものの同じ部屋の友達と宅急便で送ることにしました。
おみやげや、洗濯物や、もう不要と思われるものを送ると翌日最終日はほぼ手ぶらで過ごすことができる!と必死で荷造りをしホテルフロントで手続きをし、ほどなく宅急便が集配にきて送ることができました。
その後、部屋に戻りお風呂、寝る準備を始めようとした時、友達がかなり焦って
「全部送っちゃった!」と
友達は話しながら荷造りをするうちに必要なものまで入れて送ってしまったのでした。
部屋中、大笑いで皆で必要なものを少しずつ貸して最終夜を終えました。
34歳 女性のストーリー
高校生の頃、遠距離恋愛をしていました。電車でも3時間かかる距離…会えるのは長期休み程度でした。そんな彼と電話で修学旅行について話をしている時、日程が近いことに気付きました。でも私の高校は修学旅行の行き先は広島、京都、東京で、彼の高校は沖縄と京都です。行き先もバラバラだし、日程も全く同じわけじゃないからまさかねって笑いながら話をしていたのですが、そのまさかが起こったのです。私の修学旅行2日目の京都と、彼の3日目の京都の日程がちょうど重なったのです。もうこれには二人ともびっくり。ホテルに入ってからの自由時間に少しだけ会うことができ、恋愛成就で有名な地主神社の御守りを二人で分け、すごく喜びました。運命だね~なんて話をしていましたが、もちろん今は別々の人生を歩んでいます。こんな偶然ってあるんだなと感じた瞬間でした。
44歳 女性のストーリー
京都で半日だけ貸切タクシーに乗りグループ毎自由行動でした。使い捨てカメラが班ごと支給され、自分達で行きたいところを事前にプランニングし、運転手さんに説明を受けながらまわるのですが、お昼になると運転手さんが「おいしいところ連れて行ってやろうか?」「私達お弁当があります」「じゃ、景色のいい所で食べよう」と川辺に連れて行ってくれました。川辺でお弁当なんて食べたことないのですごく盛り上がった思い出があります。すごく親切な運転手さんで、他班からも羨ましがられました。

夜は座禅か染物体験があったのですが、独身男性の先生が自分のクラス担当の若いバスガイドさんの為にハンカチ染めをやってプレゼントしたんです。みんなでヒューヒュー冷やかしたら真っ赤な顔して照れていました。恋は旅とともに終了しましたが。

使い捨てカメラは一部の班が学校に戻り現像する前に盗まれてしまいました。一定期間出てくるのを待ちましたがでてこず、可哀想だからと全クラス分現像せず回収。同行カメラマンの写真しか買うことができないという悲しい思い出もあります。

51歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の話です。旅行先は奈良・京都でした。三泊四日の旅でした。
2日目に奈良から京都へ行く途中で宇治に寄りました。平等院鳳凰堂を見学した後、京都市内へ移動することになりました。推測ではありますが、バスに乗る際に全財産を落としてしまいました。それに気づいたのは京都市内のホテルに到着したときでした。
気づいたときには真っ青になり、担任に泣きついて1万円を借りました。楽しいはずの旅行が一瞬にして憂鬱な旅になってしまいました。3日目の自由行動もあまり楽しめず、修学旅行が終わった翌日に借りたお金は返しました。
このときの教訓から、旅行の時はお金を分散して持ち歩く様になりました。足代は確保できるくらいの金額に分散しています。今はクレジットカードを持っていますので、切符などの購入には問題ないのですが、今でも現金は分散して持ち歩いています。
57歳 男性のストーリー
もう、数十年前の小学校修学旅行の思い出です。
当時の家計は厳しかったようで修学旅行費すら払えるかどうかの現状でした。
父は公務員で低給料、母は自宅で駄菓子屋を行っていましたが、なかなか収入面に
ゆとりは無かったようです。
そんなある日、幼いながらも、「ぼく、修学旅行はあまり興味もないし行きたくない・・」
などと気お使って言った記憶がよみがえりました。
しかしながら両親は社交性、という教育には熱心に躾けられました。
多分コツコツ母がためていたお金なのでしょう、「大丈夫、友達も行くんだから楽しんできなさい・・と、旅費は学校にだしてあるからね」と、子供ながらに感動をした記憶があります。
旅行先の京都の宿泊先から、学校の課題として自宅にハガキを送るという事で、
両親あてに「ありがとう! 楽しんでいます!」といったハガキを書いたのを思い出しました。貴重な体験と良き思い出です。
44歳 男性のストーリー
私は修学旅行では京都に行きました。修学旅行といえば京都というほど有名な所なのではないでしょうか。
私の修学旅行の思い出は、座禅です。私の学校ではホテルでご飯を食べた後ある寺に行って座禅をするのです。まずは基本の姿勢、呼吸法などを教えて頂きそれを実践します。
座禅の時は両足を両太股にあげるのですがそれが痛いのなんので大変でした。それをなんとか耐え姿勢を整え呼吸を始めると非常に心が落ち着きました。
しかし、その心を落ち着けるはずの座禅の時間男子の一部が騒いでいました。それを見たらその寺のお坊さんが、棒で肩をベシッと叩くのです。本当に馬鹿なやつらだなぁと思いましたが、一人の生徒があまりに大きな声でイタッと言ったので私は我慢できずに吹き出してしまいました。そうするとお坊さんがゆっくり私のの 方に近づいてきて、肩を叩いてきたのです。まさか自分が叩かれるなんて思ってもなかったので、本当にびっくりしました。これが私の思い出です。
54歳 女性のストーリー
少し切なく、やるせない修学旅行の思い出があります。
高校の修学旅行は京都方面でした。旅館の部屋割りは大部屋で、私の部屋は女子が八人位いたと思います。そこで起きた出来事でした。
T子の財布がなくなりました。皆、自分は大丈夫だろうかと確かめましたが、なくなったのはT子だけでした。先生も加わり、皆で大捜索しましたが、とうとう出てきませんでした。T子は泣いていました。
その後は、先生からお金を借りてお土産などを買っていたようでした。
財布は落としたのか盗まれたのかは今でもわかりません。ですが、このクラスではその後、普段の学校生活でも次々とお金の紛失事件が起こりました。これは確実に犯人がいて、盗んだのだ、と誰もが思いました。とうとう解決しないまま卒業になりましたが、どうやら手癖の悪いB子という人がいて、その人が犯人ではなかろうか、と感じました。B子と私は仲が良かったので感じたことですが、B子の嫌っていた人が被害に遭っていたので、ゾッとしました。もちろん、証拠なんてありませんし、本人に問いただした訳でもありませんので誤解かも知れませんが、今となっては謎でしかありません。
42歳 男性のストーリー
修学旅行は京都奈良に行きましたが、一日目の京都の清水寺の男子トイレで仲間達とタバコを吸っていたら学年主任の先生に見つかり。逃げはしましたが、捕まり‥宿泊施設に行っても他のクラスメイト達との翌日の打ち合わせには出席出来ず。
食事後は、部屋から出してもらえませんでした。

しかし、懲りない面々は性懲りも無く各部屋のベランダから私が居た部屋に集まり。

枕投げをしていたら、又も学年主任が現れ皆で学年主任の先生を布団で巻き部屋から脱走。

女子の部屋に行き、夜の京都へと繰り出しました。昼間の顔とは違う京都の夜。
何故か大人な雰囲気が醸しだされていた事を良く覚えています。

しかし、所詮は子供1時間もするとヤバいよと言い出す奴がぞくぞく出てきて静かに宿泊施設に戻りましたが‥そんな事は許されません。
翌日、学年主任と帰宅。

京都奈良の修学旅行が京都だけで終了。
帰っても親にこっぴどく叱られました。

いまだに当時の懲りない面々とは付き合いがあり笑い話になってますが、皆 妻子ある立派な父を一生懸命にやってます。
18歳 男性のストーリー
 それは私が中学二年生の時でした。中学二年生といえば待ちに待った修学旅行。私の通っていた学校は奈良・京都に行きます。一か月の間、クラス全員で旅行プランを立てて、その時を待っていました。
 そして修学旅行。班行動で京都を丸一日見学しに行きました。京都を回って早2時間。そろそろ回るところもなくなってきた中、友達が一言、「地主神社行こうぜ」
地主神社とは縁結びの神社で知られていて、全員男子だった私の班は即決で行くことになりました。
 そしてその神社に着いて、お待ちかねのおみくじを引くことになり全員で引いてみると、なんと私だけ大吉でした。でも実際、大吉を引いたところで何かいいことが起きたためしはなく、大吉を引けたことがラッキーだと思い、宿に帰りました。
 しかしここでおみくじの力が発揮されました。携帯を先生に預けるために一人で部屋を出た私はある女の子のクラスメイトに呼び止められました。一瞬何のことかわかりませんでしたが、彼女の紅潮した顔を見てすぐに察しました。しかし、私にはそう言った経験が一度もなく、なんせ中学二年生だったものですから、そうなることが周りの人から冷やかされ、恥ずかしいだけだと思い込んでおり、とっさに部屋に引き返してしまいました。それからというもの、私は彼女から距離を取られてしまい、二人でいるのも気まずい関係です。彼女は勇気をもって私を呼び止めたのに…それ以来私は恩を仇で返した気分です。
 自業自得の思い出でした。
 

35歳 女性のストーリー
高校の修学旅行、沖縄へ行くはずでした。関東の海無し県民にとって海は憧れです。
しかしこの年、9.11が発生。その影響で、飛行機は危険とされ、行き先が変更になってしまいました。変更後の行き先は苦渋の決断、京都・奈良・大阪。あぁ、憧れの沖縄…。なぜ苦渋の決断かって?私の高校はキリスト教の教えをもつ高校だったのです。“いい機会だから、他の宗教も学んでくるといい”学校側はそんな風に言ってましたね…。
災難はまだ続きます。
初日、グループ行動の日。私は先生とのやりとりをする、グループの連絡係でした。制服の胸ポケットにケイタイを入れたまま、トイレに行ったんです。用を足して水を流す。“ボトッ。”何が起きたかすぐには分かりませんでした。しかし胸ポケットをさわると、ない!ケイタイがない!和式の水溜まりに見える物体は、私のケイタイ。そう、水没です。すぐに取り出し、洗って拭いて動作確認をしますが、液晶が死んでいます。でも、動くっぽい!?先生に話をして、連絡係は別の子に変わってもらいました。あとは地元の彼氏に、連絡できないって連絡しなければ。でもどうやって?思いついたのは、同機種を使う友達のケイタイを隣に置き、ボタンを同じ回数押して、メール送信。通話はできなかったけど、通信はできました!(後日確認済。)
この後三日間、ケイタイ無しで過ごしました。修学旅行は楽しかったけど、苦い思い出です。

「忘れられない夏休み」

22歳 女性のストーリー
大学2年生の夏休みに20歳を迎え、何か今までにやったことがないことがしてみたいと考えました。とは言っても学生の自分でできることは多くなく、結果「1人で二泊三日京都旅行」を敢行しました。
私は地方に住んでおり、バスで移動することもあまりありません。新幹線やホテルの予約や、京都での移動に多々不安がありましたが、「せっかく大人になったんだから」と母の言葉が後押ししてくれました。
中学生の時の修学旅行以来、二度目の京都。現地の予定は完全ノープランだったため、新幹線の中でどこに行こうか考えていました。おすすめのカフェを巡りたいところでしたが、夏休み期間ということもありカップルや家族連れが多く、女子1人で入るにはなかなか勇気のいるお店ばかり…。迷った挙句、修学旅行で巡った神社仏閣を再び巡るというプランになりました。
当時はガイドさんの話を聞いても全く耳を傾けなかった場所に、20歳になって再び足を踏み入れるのはとても感慨深いものがありましま。この神社で写真を撮ったな、あのお店でお土産を買ったっけ。そんな事を思い出しながら、1人京都の街並みをぶらぶらと。
その後、中学時代に読んでいた本の舞台となった場所にも行き、思春期時代の思い出を巡る旅となりました。
15歳の悩み多かった自分を追いかけるようなものでしたが、20歳という節目を迎えた年に経験できてとても良かったと感じています。

「奇跡だと思った話」

60歳 男性のストーリー
私の田舎は四国の徳島県と高知の丁度間に位置します。
四国全体に言うと丁度真ん中あたりの秘境地帯にあります。
交通は池田駅(高校野球で有名な池田高校のある所)から車で
2時間ほど山に入った所です。丁度今から10年ほど前に田舎に
帰った時の話です。京都から出発したのが昼の3時を回っていました。
池田に着いたのは午後の7時ごろ、そこで一泊しようと思っていましたが、
なぜか今日中に着きたいと言う気持ちが起こり、日が暮れてから山に
入って行きました。車で2時間ほどで着く予定でそれほどスピードは
出たなかったと思います。しかし疲れていたのかついうとうとと運転
していました。そこに鹿が道路に飛び出てきてとっさにハンドルを
きりました。そこの道路には所々ガードレールが朽ち落ちている箇所があり
不運にもガードレールがない場所から崖に落ちて行きました。
何が起こったのか解らいまま気が付いたら大きな木に車が引っ掛かり、
崖下10メートルほどで止まっていました。そこの崖の高さは100m
ほど、携帯で110番して窮地を脱しました。警官も「これは奇跡ですね」
この付近で崖に落ちた車は数多く観て来ましたがほぼ即死状態でしたとの事。
何かに助けられた感じが今でもします。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

60歳 男性のストーリー
夕暮れ、私はあの京都の街のタクシーの中でハンドルを握っていました。その頃、私は、なりたてのタクシードライバーで、未だ慣れぬタクシーの仕事に付かれる毎日を送っていました。
私がその職を得た当初、タクシー自由化というものが私が仕事を初めた頃行われ、ました。結果、月日が経つにつれ、街は、タクシーで溢れかえるようになって行きました。

その日も私は客足を見る事も容易にままならぬまま、むやみに車を走らせる中、無情に時はながれ、ひるから夕へと日は傾いていき、やがて、街は黄昏の薄闇に包まれて行きました。私は日報と呼ぶ売り上げの報告の書類にわずかに書いた乗客の売り上げの記録に失望と大きな苛立ちを覚えつつ、あてどもなくただ、一心不乱に客の人影を探りながら車を走らせていました。

そしてさらに、宵闇が街を覆うに連れ、道は行き交う車のライトで眩くなって行きました。「ああ、たまらん、なんとかならんかなあ…。別の場所に変えるかな…」私は、空しく、悲しい思いで胸がつぶれそうになりながら、尚も走りました。「もう今日はだめだ。見込みがないな。もう営業時間も無くなってきたよ」

私が、仕事を切り上げようと、心に決めかけて恨めしく町の灯を睨んでいたその時、遥か遠くに手を振る人の姿が、見えました。「おっ、久し振り!」私は速度をゆっくりと落としながら車を道の傍らへよせて行きました。幼い男の子でした。その子は手提げを持ったお母さんに手を引かれながら、手を振っていました。

「運転手さん止まってくれて有難う」ドアを開けるとその子がひょっこり覗いてにっこりと微笑みつつ言いました。「いや、いや!」思わず、私はその子に笑いかけました。私にはその子が天使に見えました。「宜しくお願いします。」母親が子供に続きました。

私は弾んだ声で、「有難うございます、どちらまで」と叫ぶように言いました。するとその子供のかん高いつやのある声が応えました。「堀川寺の内」。「堀川を北へ向かって、立体歩道橋をくぐってから西に入ってください」母親が続けました。「有り難うございます」私は黙々と、車を走らせました。

車は、行きかう車の灯や町の灯の下、幾つもの通りを過ぎ、曲がり進みました。私はそっと背後の客の様子を見やりました。ルームミラーにその幼い子供が母の膝で眠っている様子が見えました。どんどん車を進め、堀川通に入りさらに北へ向かう内、やがて前方に立体の歩道橋とその先に信号が見えて来ました。

「あの先を左です」母親が言いました。私が車は無事、目的地へ着き小さな公園の前で車を止めると母親は料金を払い、ひじに持ち物を掛け、眠った子供を背負いました。その母は丁寧な優しい声で、礼を言い、出て行きました。親子が路地の奥へ消えるまで私は、静かに見送りました。しばらく私は、黙ってぼんやり町の灯を見ていましたが、やがて、又、車を走らせていきました。

私がある公園の前に来た時、少し休憩を取り車外に出て、しばらく時を費やした後乗り込もうとドアを開けしなにふと、後部座席の床の何かしら不明の物に目が行きました。座席を倒して、私はそれをさぐりますとそれは小さな手提げ袋でであることが判りました。「ああ、あの子たちのか、」私は、少し、疲れを覚えつつ、会社へ連絡して待ちました。

当初は落とし主からの連絡が届いて居らずそのまま仕事を続けるのも厄介なので私は手持無沙汰のままその公園で暇を潰して居ましたが、やがて暫くして母親から連絡が入り、その親子の住所がわかりました。私はとるものもとりあえず、そそくさと親子の降りたところへ向かいました。

私が親子の降りた場所に着くと既にそこにその母親の姿がありました。「どうも済みません、うっかりしてて、あの子が落としたんです。」彼女は、とても丁寧に、恐縮した様子で言いました。「私こそ、ちゃんと見てあげられなくて」私は頭を下げました。私が忘れた手提げを差し出すと彼女は小さな白い封筒を差し出しました。「これは、あの子が書いたものです。読んでやってください。もうあの子は寝てます」

それは、子供用の絵入り封筒で中に一枚の子供用の便箋が入っていました。「運転手さん、届けてくれてありがとう。今日も元気で頑張って気をつけて乗ってね。」私は今もその手紙を机の引き出しに仕舞い続けています。

「一番おいしかった食べ物」

54歳 女性のストーリー
東京都小笠原村の父島で取れたてのキュウリを食べた時です。
いつも食べているキュウリとは全然違い、みずみずしくぱりっとしていて生臭さもなく
きゅうりとはこんなにおいしい野菜だったのかと感動しました。
いつもたべているキュウリはしなしなできゅうり自体にはりがなく、種の部分が生臭く
どちらかといえば苦手で美味しいと思ってたべたことはありませんでした。
ですからきゅうり単体で食べることはなく、酢の物やサラダの一部にして食べていました。小笠原村父島の知人に自分の庭でキュウリを作っていると言われついて行ったのですが、内心期待はしていませんでした。
けれども無造作にもぎとってくれたキュウリを食べてびっくりしました。
今までのわたしのキュゥリ感をくつがえす美味しさでした。
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わたしの周りの結婚できなそうだなという人
あの人と縁を切ってよかった
今だから言えるごめんなさい
わたしの周りの大恋愛
これまでに出会った天才
ノウハウ
業界ならではの話
異性は知らないなと思う話
○○の裏話
人間関係
女同士って面倒くさいと思った話
女って本当に恐いと思った瞬間
一番ひどい友達からの裏切り
家族に一番感謝したこと
学んだこと
これまでの人生で悟ったこと
「こんなお金の稼ぎ方があるんだな」と思った事
思い出
お金さえあればと感じた瞬間
人生で一番運が良かったなと思う出来事
人を見返してやった話
今までで体験した一番怖い体験
忘れられない夏休み
死ぬかと思った話
一番の苦労話
奇跡だと思った話
人生で一番贅沢した話
人生最大の失恋話
これまでで一番悲しかった時
これまでで一番笑った話
人生最大の修羅場
嘘みたいなほんとの話
忘れられない先生の話
修学旅行の思い出
どうしても許せないこと
これまでに一番勇気を出した瞬間
学校や仕事をサボってやったこと
これまでで一番驚いた話
これはひどいなと思った結婚式
とっておきのすべらない話
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出
忘れられない夏の思い出
今までで一番感動した話
一番おいしかった食べ物
これまでで一番お金を無駄にした話
私について
そういえば昔夢見ていたこと
仕事での大失敗
誰にも言っていない秘密
誰かに聞いてもらいたい愚痴
私の変えたい過去
苦手だったのに得意になったエピソード
人生が変わった出来事
わたしがやめられないもの
もっとも尊敬する人
わたしの初恋と、その結末
結婚・恋愛
夫婦関係を続けていくのが不安になった話
結婚を後悔した瞬間