"沖縄" に関するエピソード

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

34歳 女性のストーリー
元職場の同期。
その同期は、結婚相手として将来養ってもらえるような人(外見は多少タイプでなくてもよかった)を探し、IT関係の自営業をしている男性と結婚した。
現在は、2人の子どもに恵まれ、1人を出産したあとは、専業主婦として生活している。
本人は「旦那が自営業だし雇い主だからお給料を払う側だし、将来どうなるか不安」と言っているが、こどもは、いつもブランドの服を着て、おもちゃも高級、旅行も北海道から沖縄、海外も年に何度も行っており、持ち家はないものの住宅は高級マンションで月20万以上はしそうなマンションにすんでいる。
同期は料理が苦手だそうで、AI機能が搭載された調理器具を何台も持っており、犬も飼っている、どうみてもセレブな生活をしている。

「これまでで一番笑った話」

39歳 男性のストーリー
沖縄あるある沖縄出身者:『沖縄の台風はスゴイよ~本土とはレベルが違う』

不動産屋 :『普通に電気も水も止まるし、電柱も倒れますよ!』

と、引越し前に散々インプットされていたため、移住してから初の台風来襲に戦々恐々の妻。窓に叩きつける雨と風の音でテレビもろくに聞こえない状況に不安は高まる一方。

妻:『(これ関東だったらとっくに電車が止まるレベルだよね)』

妻:『(都会で甘やかされた生活を送っていた自分に、水も電気もないサバイバルなんてハードル高すぎる・・・)』

そんな軽くパニック状態の妻をよそに、警報発令のためお仕事を早退してきた夫の手にあったのは沖縄を代表するお酒「泡盛」の一升瓶。
非常食や懐中電灯ではなく、お酒。

妻:『いやいや、サバイバルに必要なのは酒ではないよ。』

夫:『いやいや、これは台風を乗り切るためのマストアイテムだよ。』

妻:『・・・(恐怖のあまり日本語が通じなくなったか?)』

夫:『台風の日は、家が揺れてるのか自分が揺れているのか分からなくなるまで酒飲んで過ごすんだって』

妻:『?!』

夫:『それと、ほらアレ見て』

と夫が指差した先は、我が家の窓から見える某大手レンタルショップの駐車場。そして雨で川みたいになっている国道で強風にあおられながらも列を作っている車、車、車。

妻:『なにあれ?』

夫:『DVD借りる人で渋滞が出来てるんだよ。混んでて駐車場に入れないみたい』

妻:『?!』

夫:『明日は仕事休みになるし、ウチらも何か借りに行く?』

妻:『あ~うん・・・そうだね・・・そうだね』

「人生で一番贅沢した話」

31歳 女性のストーリー
私が人生で一番贅沢をしたなと思うのは、自分の結婚式です。
私は海の見えるチャペルでの結婚式にずっと憧れており、地元での結婚式と比較すると3倍近くのお金をかけて、沖縄の海沿いのチャペルで結婚式を挙げました。
人生で1番高額な支払いになりましたし、更なる負担を避けるため家族のみの参加になりましたが、念願叶い海目の前の素敵なチャペルで挙式が挙げられましたし、さらにチャペルそばのプライベートビーチにてウェディングフォトも撮影でき、贅沢だなとは思ったものの大満足で夢のような時間を過ごさせてもらいました。
そして、結婚式後もそのまま沖縄に滞在し約1週間新婚旅行も兼ねて沖縄を旅行し、たくさん美味しいものを食べ思い出をつくりさらに贅沢な時間を過ごしました。
30歳 女性のストーリー
先日友人と沖縄旅行に行ってきました。ずっと憧れていたリッツカールトンに宿泊し、朝はビュッフェで食べ放題、その後ホテルのプールで遊んでお部屋で何をするでもなく、くつろいで、夜はホテルのレストランでディナーを食べました。夜はお部屋のお風呂で泡ぶろをして、ホテルのスパに行っておもいっきり自分を甘やかしました。普段オフィスワークで肩こりや腰痛がひどく、簡単なマッサージには行っていましたが、リッツカールトンのオイルマッサージは格別でした。担当者の方もきめ細やかで丁寧なサービスで、お部屋もアロマの香りがし、オイルマッサージでじっくりほぐしてもらえました。国内旅行でこんなに高額な旅行は初めてだったので、今までで一番贅沢な日でした。

「修学旅行の思い出」

26歳 男性のストーリー
高校の時の修学旅行の話である。私が当時在学していた高校は【北海道】、【沖縄】、【シンガポール】の3ヶ所から選択できるのだが、私は沖縄を選択した。その理由はその当時の好きな女の子(仮名、A子)が沖縄を選択していたからであった。今振り返るととても安易な発想ではあるが、当時の私にとっては重要な問題であった。なぜなら修学旅行の期間で告白することを決めていたからである。
修学旅行の主な日程は到着日(1日目)は午後から街の散策。2日目に海でのレクリエーションが予定されていた。つまり、A子に告白する時間はこの2日しかなかった。
街の散策は同じ班になることは叶わなかったが、2日目のレクリエーションの時間は同じ班になることができたのである。神は私を見捨ててはいなかった。
そして運命の2日目。今までになく、良い雰囲気になった。これが沖縄の海の力なのかと1人気分揚々と過ごし、片付けの時間。
周囲の友人が上手く気を遣ってくれ、2人きりになったタイミングで意を決した。
(私)『好きです。付き合ってください。』
(A子)『え、(しばらくの沈黙)
ごめんなさい
34歳 女性のストーリー
高校生の頃、遠距離恋愛をしていました。電車でも3時間かかる距離…会えるのは長期休み程度でした。そんな彼と電話で修学旅行について話をしている時、日程が近いことに気付きました。でも私の高校は修学旅行の行き先は広島、京都、東京で、彼の高校は沖縄と京都です。行き先もバラバラだし、日程も全く同じわけじゃないからまさかねって笑いながら話をしていたのですが、そのまさかが起こったのです。私の修学旅行2日目の京都と、彼の3日目の京都の日程がちょうど重なったのです。もうこれには二人ともびっくり。ホテルに入ってからの自由時間に少しだけ会うことができ、恋愛成就で有名な地主神社の御守りを二人で分け、すごく喜びました。運命だね~なんて話をしていましたが、もちろん今は別々の人生を歩んでいます。こんな偶然ってあるんだなと感じた瞬間でした。
33歳 女性のストーリー
修学旅行の思い出と言えば、始めてのスキー体験でしょうか。
沖縄出身のため、雪はもちろんスキー等にはほぼ縁がなく修学旅行のインイベントとしてスキーに行ったのですが。
二泊三日の二日目。前日にはっちゃけすぎた男子が調子に乗って半袖で動き回って熱を出しスキーがでくなくなるなんてお約束もありつつバスで移動。みんなそわそわしながらスキー場へ向かいました。
スキー場ついてグループ別れインストラクターさんの元へ。人数としてはクラスの女子の半分なので8人程度。ドキドキのスキー体験が始まるはずだったのですが、そのインストラクターさんがまさかのスパルタタイプ。いや今考えるとこの人数みるインストラクターさんも大変だったなとは思うのですが、スキーなんてやったことの無い中学生女子に厳しい厳しい。
まず、初体験で道具の扱い方もろくにわからない私たちが見よう見まねで真似た動きを「違う!そうじゃない」と語気も荒々し訂正から始まり、インストラクターさんのテンションに怯えてなかな滑り出せない友人の背中無理やり押す、びっくりして転ぶと怒る。
あまりの状況になかなか上達できない私達グループにイライラしたのか急にストックを回収し出しそのまま滑れと言い出す。あげく、上手い子には優しく下手な子には厳しいまさかの対応で、非常にがっかした体験でした。
修学旅行の文集で私達のグループ全員スキー体験楽しみにしていたのにインストラクターさんが怖かったと示し併せたように書いたぐらいです。
いや、まあ、ストックを外すのは練習としてはありなのかなと今なら思いますが当時は逆に怖かったし何よりスキーなんてもうやりたくないと思いました。
ある意味インパクトがすごかったので、思い出と言えば思い出ですが、もう一回ぐらいちゃんと納得のいく経験して思い出を上書きできたらなと思いながらはや十数年。いまだに縁がないのは、これがある種のトラウマなのかなぁと思わなくもないです。
38歳 女性のストーリー
高校の時の修学旅行は沖縄。私は誰も言えずにいたが、初めて沖縄に行くし、初めて飛行機にものる旅にわくわく。そして一番驚いたことは、共学の高校であったが、旅行先のホテルの部屋男女一緒であったことであった。このことは非常に珍しいと思う。後になって、どうして男女一緒の部屋にしたのか、先生たちのリスク管理の認識がいかほどなのか?とこのご時世だと考えてしまうのだが、その時代ではそれでよかったのでしょう。なぜそのような男女混合の部屋になったのか。まずはクラス内における男女比に一番の理由があったと思う。当時配属していたクラスが理系であり、40人の定員の内、女子が3人と本当に少なかったのである。その3人のために修学旅行用の8~10人の部屋を当てるのは、不経済だとジャッジしたのが大きな要因。もう一つは、万が一が起こらない、というか、クラス内の恋愛がないと判断されて、男女混合の部屋になったのでしょう。だけど大誤算。私、実はクラス内で男子と隠れて恋愛の真っ只中。それも一緒に相部屋でした。いかがわしいことはなかったですが、もう旅行期間は目がギラギラとさえてました。淡くてほろ苦い、旅行思い出です。
30歳 男性のストーリー
高校生の時の修学旅行にて二泊三日での沖縄になったのですが、一日目が西表島残りが沖縄本島に移動してのスケジュールでした。
一日目は楽しく西表島にて予定されていたスケジュールをこなし夜には外に出て街灯がなかったので素晴らしくきれいな星が空を覆いつくしていました。
次の日お昼前ぐらいに西表島から本島にボートで移動する前に島唯一の売店がありそこでペットボトルの期間限定のジュースを買いボートで移動中飲んでいたのですが、本島に着きホテルに着いたあたりでおなかの調子が悪くなりホテルの部屋についてからトイレにこもりそこから下痢が止まりませんでした。
ジュース以外口にいていなかったので原因がそのジュースですたがどこにも言えずじまい。
二日目の晩御飯がホテルの広場にて沖縄料理バイキングだったのですが下痢のせいで沖縄料理を楽しめず唯一口にできたのがシークワーサージュースのみでした。
せっかくの楽しみにしていた料理が食べれなかったのが悔やまれましたが全体的に楽しい修学旅行でした。
35歳 男性のストーリー
修学旅行は全て雨!
小学校、中学校、高校の修学旅行は全て雨でした。
全て雨!ずっと雨!雨雨雨!雨の中スペースワールドに行ってジェットコースターを乗ったり(小学)、雨の中沖縄の国際通りを自由行動したり(中学)、黒部ダム見学も雨(高校)等、修学旅行は雨の思い出。
ちなみに大学の海外研修旅行で中国に行ったのですが、その時も大雨と台風で成田空港で缶詰になりました。(翌日に無事に出発)
学校行事は常に雨と重なる、雨男です。でもその時は雨男は俺じゃないって思ってました。
ですが、雨は雨なりに楽しい思い出も。好きだった女の子と相合傘できたり、先生が美味しいラーメン食べに連れて行ってくれたり、急遽別の行程で楽しみを増やしてくれたりと、雨ならではの楽しみ方もありました。
その時は本当にショックではありましたが、今となれば良い思い出です。
さすがに社会人のなってからの社員旅行は晴れでした。。。
55歳 男性のストーリー
中学のとき、沖縄から九州へ。
長崎は、グラバー邸でコーラを飲む。
当然ながら、観光地巡るので、それなりに、人がいっぱい。
長崎の平和公園では、友だちとだらだら歩いたので、昼食に遅刻して、先生に怒られた。
あと、どこかの城へ行った。
熊本城?
武者返しの部分で、走ってどこまで登れるか、友だちと競いあった。
熊本では阿蘇山にも行って、ガイドの人に火山についての説明をされて、いろいろと勉強になった。
火山といえば、鹿児島では、いきなり桜島の火山灰が降ってきて、学生服の背中が白っぽくなった。
そこでは、名産?の焼き饅頭も食べた。
あと、どこかのドライブインで食べた、揚げじゃがいも?はうまかった。
船で一日かけて行ったので、旅行中ほとんど船酔い状態。
そして、おそらくみんな、便秘状態。
船中では、なぜか、カップルがたくさん誕生してました。
37歳 男性のストーリー
私の高校3年生の時の修学旅行先は沖縄でした。
6月だったんですが、とにかく蒸し暑かったです。
私の学校は男子校だったので、バスの中でみんなが指定の制服(ポロシャツ)の腕をまくっていました。むさ苦しかったです。
行った場所は「ひめゆりの塔」「首里城」他色々です。
ひめゆりの塔の近くでどこか「ガマ」と呼ばれる洞窟に入ったような記憶があります。
なんか霊がでるのではないかとむさ苦しい男子生徒たちが意外にはしゃいでいた気がします。でも、洞窟内はとても涼しく沖縄の熱さを忘れさせてくれました。
あと、ホテルの近くの海でバナナボートに乗りました。3人乗りでジェットボート?で引っ張ってもらいました。これはスリルがあって楽しかったです。途中で落ちた学生もいました。その後、天気が曇ってきましたが、そんな中でビーチバレーをしました。
お土産はホテルの売店で「紫いも」のタルトっぽいのを買ったと思います。
男子校の修学旅行なので女っ気はないですが、沖縄の自然は美しく遊べる場所も満載で、楽しい思い出でした。
37歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行が沖縄だったので、飛行機に乗ること自体が初体験で、特にトラブルはありませんでしたが、行きも帰りも発着陸が怖かったのを覚えてます。
沖縄に着いてからは「さすが元アメリカだなぁ」と思う事が多々ありました。
まず、宿泊したホテルでの食べ物はバイキング形式でしたが、全てがビックサイズ。
沖縄でしか食べられない、お料理ばかりだったので、バイキング形式で良かったなぁと思いました。
2日目の自由行動では、マンゴーアイス、シークワーサーのシロップのかき氷と、自分の地元にはないデザートを食べ歩きしました。
1番驚いたのは、ファストフード店に入り、ハンバーガーセットを頼んだ時に出てきたハンバーガーとポテトがアメリカンサイズで、飲み物なんてジョッキで出てきた事です。
やはり、地元のファストフード店では飲み物は紙コップでS・M・Lとサイズがあるのが普通なので、これには本当に驚きました。
学生時代の修学旅行で1番食べ物が美味しくて、楽しかったのは沖縄だけでしたし、率直に帰りたくないと始めて思えた場所でした。
24歳 男性のストーリー
高校の修学旅行の時の話です。当時、自分のクラスは男子が8人しかおらず、普段から男子8人で行動することが多かったのですが、修学旅行も例に漏れず、4人ずつの班に別れてはいたものの、実態は8人で行動していました。
2泊3日の日程のうち全体行動の日程だった観光名所の見学や戦争体験の講演、班別の自由行動までは良かったのですが、最終日の自由行動で事件は起こりました。この日の自由行動は班別である必要もなく、個人行動が許されている日でした。いつもは8人で行動していますが、班別じゃなくていいならと、そのうちの一人は隣のクラスの友達と行動することに。じゃあ我々もと他のメンバーで行動しようとしたところ、自分を入れて6人しかその場にはいませんでした。「まあ彼もどっかにいったんだろ」と残りの6人で行動を開始。しかし見当たらない彼はトイレに行っていただけ。先生に探して一緒に行動するように言われ、小雨の降る中6人で探し回ることに、、、
結局見つからず楽しみにしてた沖縄そばもゆっくり味わえないことに、、、
修学旅行唯一の苦い思い出です。
35歳 女性のストーリー
高校の修学旅行、沖縄へ行くはずでした。関東の海無し県民にとって海は憧れです。
しかしこの年、9.11が発生。その影響で、飛行機は危険とされ、行き先が変更になってしまいました。変更後の行き先は苦渋の決断、京都・奈良・大阪。あぁ、憧れの沖縄…。なぜ苦渋の決断かって?私の高校はキリスト教の教えをもつ高校だったのです。“いい機会だから、他の宗教も学んでくるといい”学校側はそんな風に言ってましたね…。
災難はまだ続きます。
初日、グループ行動の日。私は先生とのやりとりをする、グループの連絡係でした。制服の胸ポケットにケイタイを入れたまま、トイレに行ったんです。用を足して水を流す。“ボトッ。”何が起きたかすぐには分かりませんでした。しかし胸ポケットをさわると、ない!ケイタイがない!和式の水溜まりに見える物体は、私のケイタイ。そう、水没です。すぐに取り出し、洗って拭いて動作確認をしますが、液晶が死んでいます。でも、動くっぽい!?先生に話をして、連絡係は別の子に変わってもらいました。あとは地元の彼氏に、連絡できないって連絡しなければ。でもどうやって?思いついたのは、同機種を使う友達のケイタイを隣に置き、ボタンを同じ回数押して、メール送信。通話はできなかったけど、通信はできました!(後日確認済。)
この後三日間、ケイタイ無しで過ごしました。修学旅行は楽しかったけど、苦い思い出です。
22歳 女性のストーリー
私の学年が、というべきなのか、私の学校の修学旅行の時期が、というべきなのか、小中高とどの修学旅行も話題には事欠きません。
小学校のときには新型インフルエンザ(豚インフル、だったと記憶)の流行によって、5月に予定されていた修学旅行が実施さえ危ぶまれる事態に。結局9月に延期して行ったものの、ハラハラした記憶があります。
中学のときには、生徒の希望で東京への修学旅行が決定。しかし、1年生3月の時に東日本大震災・原発事故が発生して、行き先を例年通りの沖縄へ変更。幻の東京計画となりました。
高校では行き・旅行中は何もなく北海道を満喫したものの、帰りにハラハラさせられました。雨風の影響で地元空港への着陸に手間取り、東京へのとんぼ返りも予告されてしまう事態に。無事に着陸したものの、「しばらく飛行機はいいね」と友人で話しました。

「忘れられない夏休み」

55歳 男性のストーリー
中学2年の夏休みのときに、沖縄から横浜の親戚の家に、約2週間滞在。
いま思うと、いろいろ迷惑かけたな~と反省しきりな面も...
しかし、ぼく自身は、当時は田舎ものだったので、いろいろと刺激があって、楽しかった。
生まれて初めてはとバスに乗ったのも、そのとき。
バスガイドのねえさんは、大柄な人でしたが、美人でした。一応...
あまり覚えていませんが、皇居に初めて行ったのもそのとき。
一面じゃりが敷かれた、大きな広場だったような?
そして、おそらくそこで、ガイドのねえさんも一緒に記念撮影。
世話になった家族の娘さん(子持ちの主婦)が住んでいる、群馬にも行って、少し滞在。
そこの子供たちといっしょに、古い小さな遊園地へ行ったり、花火をしたりして、けっこう楽しかったです。
夕飯で食べた餃子は、うまかったのか、なぜか今でもはっきりと覚えています。

「奇跡だと思った話」

26歳 女性のストーリー
1年半お付き合いをしている彼との共通の趣味は旅行。二人ともまとまった休みが取れるときにはよく旅行に出かけています。
今年の5月には山口〜福岡へ旅行に行きました。天気予報は少し怪しい雰囲気。あとは当日の運次第、ということに。
いざ当日を迎えてみると旅行中は毎日晴れていてすごく楽しめました。
それだけではなく今年の夏には沖縄旅行を予定していました。天気予報では九州方面荒れ模様。
夏の沖縄ということで海でのアクティビティもたくさん予定していて飛行機が飛ぶのか、旅行中は雨で終わってしまうのか心配していました。
いざ迎えた旅行当日。2泊3日の行程で行きましたが見事に毎日快晴!!
一方その頃本州では大雨。九州でも災害級の雨が降っているほどでした。
見事に雨雲から逃げての旅行となり再び奇跡が訪れたと感じました。

「一番おいしかった食べ物」

32歳 男性のストーリー
小学生の頃は家族4人で夏休みに大きな旅行に行くことが恒例でした。初めは幼馴染の子が沖縄に帰省するのが羨ましくて親に駄々をこねていたのが発端らしいのですが。
小学3年生の時には初めての北海道旅行でした。今でしたら函館の夜景や最北端の宗谷岬や釧路の湿原、札幌の繁華街など楽しみ方は何となく頭に浮かんでくるのですが、当時は予備知識なく親に連れられるがままでした。年の離れた姉は人気4人組ロックバンドのインディーズ時代のライブハウスに行き、私と両親は場所は忘れましたが、北海道でも有名だというジンギスカンのお店に行きました。美味しいお肉が食べられるならと期待をして行きました。気がつくと目の前には不思議な鉄板があり、その上に大量のバターが乗っかっていました。そして大量の野菜と肉の山。手際よく店員がバターを溶かし、野菜を積み上げ、肉を被せました。なんとも食欲をそそる見た目と香りに小学生ながら食欲のリミッターは解除され、あっという間にかんしょくしてしまいました。あの時のバターの風味と野菜の甘みと肉の香ばしさのコラボは三十路を超えた今でも忘れることのできない衝撃の美味しさです。機会ができたら是非自分の子どもにも食べさせてやりたいと思う今日この頃です。
24歳 女性のストーリー
小さいころから果物が好きでよくいちごやりんご、ミカンなどを食べていました。
しかし、ある夏に祖父母の家に遊びに行った際に出された果物が今まで食べたてきた果物の中で飛びぬけておいしかったものがあります。
それは「マンゴスチン」、果物の世界では果物の女王の異名を持っている。
可食部は、種の周りを覆っている白い部分でミカンのような形である、その甘さはさわやかな酸味をとのハーモニーで、いちごなど比べ物にならないほどのおいしさだった。
いくらでも食べられる、と思ったが、原産国は東南アジアや南アジアで熱帯果実の栽培ができる沖縄でも栽培に成功していない品種。
様々な店に足を運んだが、どこも夏にほんの一部しか販売されておらずお目にかかれたら奇跡というほどだった。
いまでも、あの味は忘れられず、見つけた場合は購入してひと時の贅沢を味わっている。
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「あなたの番です」あらすじ
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