"幼少期" に関するエピソード

「今までで一番感動した話」

35歳 女性のストーリー
月並みではありますが、親の偉大さには感動を覚えます。
私自身はまだ親になった経験がなく、誰かのために必死になったり、誰かのために何かを我慢したり、そういった経験はありません。
母親には毒親である私から見て祖父にあたる人物が居ました。
彼のせいで幼少期は夜逃げ同然のような生活をも強いられました。
そのような生活を支える父親も、私たち子を守ってくれる母親も幼いながらに心強かったのを覚えています。
私が成人してだいぶ経った頃に、何度も殺されかけたり、色んなことがあったと聞きました。
祖父を殺して母親も死のうと何度も思ったと…。
ですが私たち家族のために耐え抜いて、今は祖父も病気で他界し、平穏な毎日を過ごしていて、母親は毎日幸せだと笑っています。
そんな両親の背中を見て育ち、両親の愛情や責任、多方面から「感動」を覚えます。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

34歳 男性のストーリー
今から書く事は大した事ではないんだと思うものの、これは誰もが経験する事だと思いますが、食べ物関係で小さい時は食べられなかったものが年を重ねるに連れて食べられる事がよくある話ですが、僕自身も幼少期、魚類や野菜の一部があまり食べられなかったり(もしかしたら食わず嫌いの面もあったんだと思いますが…)したんですが、ここ最近、完全に克服までには至ってはないんですが、魚類や野菜の一部も食べられる様になり、話によると体質の変化だったり、話は変わりますが、珍味類が食べられるのは味覚・嗅覚が幼少期に敏感だったのが年を重ねる事に連れ、老化により鈍る事が影響しているとも言われているそうですが、老化というのはマイナス要素であるものの、年を重ねるというのは悪くないとも感じてます。
38歳 男性のストーリー
私は物心がついた時から人見知りで、人と話したり
コミュニケーションを取るのが苦手でした。
母はそれを察していたようで、よく一人でお使いに行かせたり、病院等に行かせてはいましたが、幼少期には克服出来ずでした。
中学生・高校生時代は心が許せる数名程度の友人はいましたが、先生ともあまり話さず、人前に出るのが嫌で嫌で堪りませんでした。
高校を卒業し、建築の専門学校に進学しましたが
友人らしい友人も出来ずに半年くらいで学校を辞めてしまいました。今、思い返すと、この時に友人がいたら
学校を辞めていなかったんじゃないかと思います。
学校を辞めて建築関係の仕事を転々とし、相変わらず人とコミュニケーションを取るのが苦手なままでしたが、
そんな私に転機が訪れました。
ひょんな事から花屋を開業することになり、同時に結婚し、家庭を築くこととなりました。
経営は難しく、やはりお客様とのコミュニケーション無しでは成り立たない商売ですので、「家庭」という二文字を抱えていた私は必死に且つ、積極的に接客を行っていきました。
不思議と人と話すのに慣れていき、今となっては
仕事以外のプライベートなどでも、こちらから
他人に話したり出来るようになりました。
やはり、仕事や家庭によって心境の変化があれば
人って苦手なことが克服できたりもするんですね。

「もっとも尊敬する人」

30歳 女性のストーリー
祖母です。幼少期に父親を病気で亡くしてから母親、兄弟たちと力を合わせて生活し、戦争中でも様々な工夫をして乗り切りました。
祖父と結婚後、勉強をして医療事務の資格を取り、子育てと仕事、舅や姑の世話などをこなしていきました。
当時は(40年位前)コンビニもなく、加工食品を今ほど充実はしていませんでした。祖母は忙しい生活の中でも毎日の食事は必ず自炊していたそうです。
また、子ども達にも安心、安全な物を食べさせたい、という気持ちからおやつもほとんど手作りだったそうです。
私も幼い頃祖父母の家に遊びに行くと野菜をふんだんに使用した料理や出来たてのおやつを食べていました。どれもとても美味しかったです。
料理だけでなく、洋服や小物類を裁縫で作ったりもしていました。
さらに趣味でハーモニカをやっており、演奏会に参加したり、趣味の料理の講師や地域の広報誌のコラムの執筆もしていました。
現在85歳になった祖母は身体の調子は衰えてきましたが、私たちが遊びに行くと美味しい料理を用意して出迎えてくれます。
私は2年前に結婚してフルタイムで働きながら家事もやっています。祖母のようにはいかないかもしれませんが、憧れであり目標にしていきたいです。
33歳 男性のストーリー
私が最も尊敬する人は大学生時代のゼミの教授です。この手の質問で両親の事はもちろん頭に浮かびますが、両親に対しては感謝の念が大きいため、純粋に尊敬できる方を選びました。この方は幼少期にかなり貧しく、大学に通えるようになったのは社会人を経て30歳からととても遅くに進学された教授です。卒業するだけで素晴らしい事なのに、その後も大学で研究をされて今では教授として多くの方に教えをとき、学会発表などもされています。その昔の苦労を我々学生にとてもフランクに話され、とにかく目線が近いため、いわゆる先生という感じがしない方です。その人間性と努力においては今まで私が出会った中では一番だと思いますのでとても尊敬しています。

「誰にも言っていない秘密」

34歳 男性のストーリー
完全な秘密ではないんですが、自分自身の趣味が鉄道模型(Nゲージ)を集め、それを貸しレイアウトというお金を払って、レールと街のジオラマが整備されたスペースで走らせる事をやっていますが、某SNSでは走らせている姿を上げているものの、所有する車両の紹介までしてはおらず、推測になりますが、所有両数は500両くらいになっていて、かけた総額も推測で200万円位になっているかもです。高々、ただのオモチャで何でそうなるんだと思われますが、所有する全て新品で買っていったという訳でもなく、新品で購入した物もあるものの、一部車両(例:蒸気機関車)の単価が高かったり、また鉄道模型は1度の生産で一般的なオモチャの様に大量に作る訳でもなく、さらに商品ラインナップから無くなりカタログ落ちではなく出てからしばらく経っている商品等は中古市場で人気車両の場合、定価~倍になってしまう事はよくあり、他にも貨物列車関係ならコンテナは基本バラ売りで新品だと単価的にもそこそこでチリ積になっていくので、かなり負荷になっていきます。多分、鉄道模型関係コレクターの方はこの経験される事はあるあるだと思いますが、行き付けの貸しレイアウトがある某チェーン鉄道模型店で見かけるお店の車両貸し出しでお試しで走らせる子供を連れた親御さんに言いたい事としては、お父さんがやっていたりなら良いんですが、0からで幼少期からの趣味としてはお金がかかるのでオススメしません(苦笑)。

「人生で一番贅沢した話」

34歳 男性のストーリー
ちょっと本題からズレてしまう話ですが、正確に言えば、一番贅沢をしたというよりは継続中の話で、実は趣味に関する事でその趣味というのはNゲージという鉄道模型集めで、さらにそれを貸しレイアウトという有料の走らせるスペースで走らせる事をしています。ちなみにNゲージは新品・中古(状態の良いものや玉数・生産から経ってしまって付加価値が付いたものも有)でもそれなりにかかるので約6年位で200万円は軽く越えていると思いますが、元を辿れば、生まれは福岡で幼少期に住んでいた近所に1つ下の幼なじみがいて、その子はやたらミニカーやその関連の建物等を比にならない位持っていて、元から鉄道好きでもありましたが、もしかしたら、その事に対する憧れからの反動かもしれないです。

「忘れられない夏休み」

44歳 女性のストーリー
それは、次男が幼少期に、先定性の生まれつきのずがの病気の為に、一回目の手術、約7〜8時間かかり、無事に終わり検査通院しながら、2回目の手術3〜4時間かかり、無事に終了しました。主人は海外勤務中でしたので、合間に、日本に帰国した時に、次男の病院に、長男(小3)とお見舞いに来てくれました。2回目の手術が無事に終わり、元気になった、あの夏休みに家族で、念願のディズニーランドに行く事が出来ました。大変な手術を2回も頑張った、次男・・父親が海外勤務中でしたので、留守番を祖父母と共に支えてくれた長男。家族の絆と共に、大好きな、ミッキーマウスに会えた、あの日の夏休み・・・ミッキーマウスの笑顔と共に、長男、次男の心に、いつまでも虹色に輝く橋となり、未来へと響いて行く事と思います。

「私の変えたい過去」

45歳 男性のストーリー
幼少期より現在に至るまで基本的な性格は変わっていないのですが、
人に対して喜怒哀楽を伝えることができない私。
喜んでいる、楽しんでいるのだけれど「つまらない?怒っている?」
と言われることが多々あります。怒っていてもそれが相手に伝わらず
ナメられることもしばしば。
反対に悲しいのに涙ひとつ流せず、見る人からしたら冷酷だなと
感じられてしまっているかもしれません。
幼いころにどのような生活をしていたのか記憶にないのですが、過去
を変えられるのならば喜怒哀楽の感情が表に出せる、そんな性格が
備わった状態で成長ができたならば大人になった今、このような悩みは
無いのだろうなと思うので、願わくばこの性格を変えたいなと思います。

「一番ひどい友達からの裏切り」

21歳 女性のストーリー
私はよく変わっている、個性的と言われます。
自分でもそう思います。「他者と同じ行動はしたくない」と小さい頃から思っていました。
自分は自分のやり方で生きていくのだと。
それ故なのか、幼少期から高校生まで酷い扱いを受けてくることが多々ありました。
一番酷い扱いを受けたのが中学2年のときです。複数名から突然裏切られ、そして都合のよい人間のように扱われました。一番酷いを「沢山の人から裏切りを受けた一番酷い時期」とさせてください。

中学2年を向かえ、6月にさしかかろうとしている頃。私は同クラスの人から突然「臭い」と言われ、のけ者にされるようになりました。私の目の前から去る、見えるところでの悪口、因縁、文句、誹謗中傷、それが日常茶飯事に。それも仲がよかった人から突然に。

―中学1年の時は仲良かったのに・・・。
  私たちは仲良しじゃなかったの?

確かに私は不潔かもしれない。成長期だったため、身体に様々な症状が現れそれの処理に手がおっついていなかったことは認めます。ですが、そこからの誹謗中傷はあまりにも酷すぎて・・・。次第にその波長は広がっていき、部活で同期から同じように扱われるようになりました。クラスでも彼女達と仲のいい人も私を同様に扱ってきました。その仲のいい人もそれまで私と仲がよかった友達でした。孤立し続ける自分、それでも同クラスに好きな人がいたから乗り越えられました。「好きな人は頑張っている、だから私も負けてられない」と。一番酷いときには私が何かしらで成功すると必ず何か因縁を付けられました。そのため「私は成功しちゃいけない人間なの?」と追い詰められ、物事の成功が怖くなりました。今でもそれは後遺症として残っています。
そんな時間が6ヶ月以上続きました。しかし私がクラスの人から認められたり、部活で活躍したりするとそれまでの対応はなんだったの?と思える程、私に親しくなりました。「あの時はほんとごめん、忘れて」といってくる人、なにもなかったかのように振舞ってくる人。
今思えばあのときの私はよく許したなと思います。人を邪魔者のように扱ったのに、辛い思いさせ、後遺症を植えつけたというのに今更何言ってるのと。ましてや「忘れて」なんぞ、出来るはずがありません。高校のときは彼女たちと仲良く接して来ましたが、大学になった今では赤の他人と思っています。古い関係が大嫌いな私ですからそれは確実に。


そしてもうひとつ、私の恋を応援するとかいっときながらそれを弄んだ人がいます。
私は初恋をしたときにどうしたらいいのかわからず、仲がいいと思っていた友達に打ち明けました。「誰にも言わない」と言いましたから。するとその友達はそのことをあちらこちらにばら撒きました。おかげで本人には当然、同期全体が私の好きな人を知ることになりました。当然避けられるようになり、目で追っているだけの窮屈な日々になりました。なのにその友達はまた別の友達2人と一緒に「さっさと告白」や好きな人と私の絵を描いて遊んできたりと楽しんでいるようでした。

―そんな状況で告白なんぞ出来るはずもない。

本人達はただのおちょくりのようでしたが、私には裏切りといじめにしか感じられませんでした。
そして月日が絶ったあるとき、先ほどの虐めも治まった頃、ばら撒いた友達は私にひとつの手紙を渡してきました。内容を拝見すると「好きな人が出来たから聞いてほしい、だれにも相談出来なくて・・・」
云々と綴られた最後には「あなたの好きな人のこと、ばらしてごめん!」と。
それから後々になってその友達と何故か親しくなり、あるとき好きな人の話になると「まあ、バレたけどみんな応援してくれたからいいじゃん」と言われました。

―好き放題私と私の恋を扱って?
 それでその態度?
 おまけに恋愛相談だと?

高校になってからもその友達は勝手に怒って勝手に元に戻ってと私は振り回され続けました。
高校卒業の頃は私に既に親友がいたので関係を自分の中で絶ったものの、今でも年賀状が届きます。もちろん返していません。先ほどと同様、彼女たちは赤の他人です。


このように裏切っては私を好き放題扱った後に謝ってきたり、何事もなかったかのように接され都合の良い人間のように扱われてきました。少し鋭利な言葉表現になってしまったかもしれませんがこれが私の本音です。
ぶっちゃけもう高校からの親友以外の小中高の人とは会いたくないです。それ程までに私の心の傷は大きいものでした。黄昏の話をしても仕方ありませんが人に「裏切りやいじめは人の心に大きな傷を残す」ということを伝えたいです。私のような被害者はもう出てほしくないですから。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

27歳 男性のストーリー
母方おじいちゃん
幼少期、私に木工作業を教えてくれました。トンカチやクギ、ノコギリを使った作業はとても楽しかったのを覚えています。ものづくりってたのしい!と思い始めたきっかけとなりました。

母方おばあちゃん
優しい。とにかく色んなことに対して優しかったです。動物園に私を連れて行ってくれました。一緒に公園に行ってくれたり、私に料理を教えてくれたりしました。両親共働きだったので、保育園への送り迎えなど、よくおばあちゃんが私の面倒をみてくれていました。おばあちゃんの家にもよく泊まりに行っていました。

父方おじいちゃん
横笛を教えてくれました。すげー難しくてすぐ断念したけど。お米や野菜作るのが上手で、家に送ってくれていました。ときどきあったときにお小遣いをくれる人、という印象でした。

父方おばあちゃん
高校生の気難しい私に優しく接してくれました。

「自分は特別だと思った瞬間」

27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
その際に、作詞にチャレンジしてみないかということになり、
思いきって言葉と向き合ってみることにしました。
すると、提出期限が1週間だったのにもかかわらず2日で書き上げ、
またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
現在追加で作詞の依頼を頂き、
新しい可能性が見えてきました。
まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
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しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
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またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
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現在追加で作詞の依頼を頂き、
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まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
演奏・アレンジばかりで作詞・作曲に関しては全く素人でした。
しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
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元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
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27歳 女性のストーリー
これまで音楽活動をしてきましたが、
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しかし、個人的には幼少期から読書が好きで文章を書くのも得意でした。
今年に入り、ご縁があって、
元から存じ上げていた憧れのアーティスト様とお仕事させてもらえることになり、
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またそのアーティスト様にも大変気に入って頂けて、
次回から歌っていただけることになりました。
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まず、憧れのアーティスト様とお仕事できただけでも私は特別だと感じましたが、
このチャンスをつかめたことも特別だとかんじました。
27歳 女性のストーリー
自分は特別だと思った瞬間は2つあります。
1つは幼少期のころの話です。
幼少期の頃、自分で言うのも恥ずかしいのですが可愛いとよく言われていました。今の自分とはだいぶ違うのですが、人見知りもせずよく笑い弟の面倒もよくみるいい子だと褒められ育てっていました。ある日、母親が当時やっていたさんまさんの番組に私を応募し書類選考に通ったと言われた時に幼いながらにもやっぱり私は可愛いのでは?と思ったのを今でも覚えています。(今思うとすごく恥ずかしいことを思っていたなと感じています…)

2つ目のお年玉の額は感じている方も多いかもしれません。私は四人兄弟の1番上で、なおかつ祖父母にとっての初孫でした。小さい頃から可愛がられて育っていたのでお年玉も生まれた時から社会人になるまでずっといい金額を貰っていました。
お年玉をいとこにあげる立場になった今、ずっと貰っていたことと貰っていた金額の多さは特別だったんだなと感じでいます。

「結婚っていいなと思った瞬間」

36歳 男性のストーリー
2013年に結婚し、2015年に子供が生まれました。現在、6年が経ちましたが、一番いいなぁと思った瞬間は親子の家族愛を感じた事です。

私は幼少期(2歳ぐらい)に親が離婚をしたため、母親と実弟、祖父母と暮らしていました。暮らし始めた時に弟と共に祖父母に養子縁組をした事で、母親が別の場所で一人暮らしを始めだし、基本的に祖父母に育てられました。

しかし、祖父母は愛情を持って育ててくれましたが、私にとって父親や母親の存在ではなく、あくまでも祖父母なので、親の存在や接し方というのが、分からず育ちました。

そんな中、子供が生まれ、父親となり、子育てする事で、立場は変わりましたが、子供が成長していく中で親子の家族愛という感じることができ、とても幸せです。

「独身っていいなと思った瞬間」

20歳 女性のストーリー
両親ともに毒親です。父は家族に対し無関心な精神疾患患者で、約20年もの間共に過ごしてきたはずなのに趣味や好物など全く知りません。母は元々の支配者気質に加えて現在更年期障害を患っており、以前にも増して心無い言葉を吐くようになりました。父方の祖父母は実家のすぐ隣に住んでいるのですが、両者ともに精神疾患患者で幼い頃から悩まされてきました。まだ余裕のある考え方ができなかった幼少期には「頼むから別れてくれ」と泣きついたこともありましたが、父や姑を嫌っているはずの母が離婚に踏み出すことは一度も無く、今に至ります。近年、父の精神疾患が悪化しては入院を繰り返すようになったのにも関わらず、「仕事があるから」「末の子供がまだ幼いから」などの理由で実家を出る気配すら見せない一方で、毎晩のように父や祖父母の悪口を延々と聞かされます。私自身父や祖父母に良い思い出がないため母をとがめる気はありませんが、流石に毎晩誰かの悪口を聞かされ続けるのはしんどいです。以上の経験から、私はどんなに好きな人ができても絶対に結婚はしないようにしようと心に決めております。気が向いたら会って、頃合いを見計らっては離れられるような、恋人くらいの距離感が丁度いいです。
人気のエピソード
あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
いろんな瞬間
結婚っていいなと思った瞬間
男または女に生まれて良かったなと思う瞬間
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自分は特別だと思った瞬間
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こんなひといました
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お金さえあればと感じた瞬間
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人生最大の修羅場
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これまでで一番悲しかった時
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私の変えたい過去
わたしがやめられないもの
誰にも言っていない秘密
誰かに聞いてもらいたい愚痴
人生が変わった出来事
わたしの初恋と、その結末
仕事での大失敗
そういえば昔夢見ていたこと
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結婚・恋愛
結婚を後悔した瞬間
夫婦関係を続けていくのが不安になった話