"家族" に関するエピソード

「これまでで一番悲しかった時」

20歳 女性のストーリー
小学生3年生の頃から飼っていた犬が亡くなりました。

初めての死を見届けることになりました。

亡くなる前は急に心臓の病気になってしまい獣医さんからも覚悟しといてくださいと言われてました。

散歩には行けるくらいは元気だったためあまり実感無かったのが正直なところです。

亡くなる直前散歩に行きました。

深夜突然咳き込みだして、苦しそうだったため背中さすってあげると落ち着きました。

仕事も行くのも怖い日があり何度かお休みをさせてもらいました。

迷惑かけているのは十分に理解しています。

会社の同僚の人に言われたのが
病院で1日だけでも預かってもらえるよ
後は他の家族に看ててもらったら

獣医さんには病院はストレスになるから自宅の方が良いと言われていました。実際に臆病な子だったため私自身それしか方法がないです。

家族みんな仕事していたので、みんな出来る限り減らしてはいました。

そういう問題ではない時だったため

辛くて悲しい時でした。

勤怠管理している人はすごく理解してくれてあまり言われませでした。

迷惑かけているのは理解はしているが、ペットも家族なんで同僚の方に言われたのがショックでした。

「これまでで一番笑った話」

29歳 女性のストーリー
子供の頃、家族でカラオケに行ったときにです。元々私の父は大変音痴なのですが、カラオケで歌い始めると音が合うことの方が少なく、家族みんな大爆笑でした。試しに採点機能をつけてみて、画面上にリアルタイムで音が外れているか見てみようと思いやってみると、まずは出だしのリズムが合わない。マーカーのように出てくる画面上の音のしるしは、重なることがほとんどない。ここまで来ると、逆にどうやったらこんなに音が外せるのか不思議でした。父に話を聞いてみると、職場の二次会でみんなでカラオケに行ったときも、若手社員から大爆笑されたそうです。子供の頃の記憶はそれほど多くはないのですが、これは鮮明に覚えている笑いに笑った出来事でした。

「もっとも尊敬する人」

27歳 女性のストーリー
一番尊敬する人は私の母です。
週6日土曜日だけ半日でそれ以外はフルで働いてました。
朝9時〜夜11時までそれから帰って来てご飯
ずっと仕事ばかりでしたが休みの日は買い物に出かけたり祖母の家に行ったりしてました。
どれだけ仕事で忙しいかは分かってます。
職場では母にしか出来ない仕事があったので何十年も頑張ってます。
女手一つで私と兄を育ててくれて仕事もずっと続けてて文句1つ言わず疲れたしんどいとか弱音も吐かず本当に尊敬してます。
職場の社長さん家族からは家族同然の扱いをされていて創業ぐらいから長年一緒に働いていてすごく親切に色々してくれて母もその職場に貢献したいとずっと頑張っています。
そんな母を見ると私も同じような頼られる人になりたいと思います。

「今だから言えるごめんなさい」

27歳 女性のストーリー
私は小学校5年生の時から20歳ぐらいまでずっと父親に対して反抗していました。
きっかけは家族旅行出発前に起きた両親の喧嘩から、今まで聞いてきた話は嘘だったのかという絶望を抱いたことからでした。
そして勉強に部活にと優秀な姉贔屓なところ、その姉と同じようなことをさせようとしてきたこと、不登校となった時に心の拠り所にしていたネットのチャットを強引に辞めさせられたこと、自分には全然構ってくれなかったこと、何もかもに腹が立ち、高校の時からはついに口も聞かず、同じ場所にいようともしませんでした。
そんな父と別居した今、前みたいに上手く話せない状態にあることを少し悔やんでいます。もう少し早くに謝っていればよかったなと心の底から思います。

「どうしても許せないこと」

52歳 女性のストーリー
わたしが一人目の子供を出産したときのことです。その前に一回流産をしていましたので、家族みんな出産を待ち望んでいました。
夫は一人っ子でしたので、義母は大変楽しみにしていたこととは思いますが、それは実母も同じことでした。
出産を終えて入院していたときのこと、私はまだ体も落ち着いていない状態でしたのに、義母にこんなことを言われたのです。
「あそこの娘だとわかると困るから、実家のお母さんには病院に来ないでもらって」
びっくりしました。なぜそんなことを言われなくてはならないのかわかりませんでした。どれだけ自分達は立派だと思っているのかと怒りに震えました。この家族と一生連れ添って行くのかと思うと悲しくてたまりませんでした。

「家族に一番感謝したこと」

46歳 女性のストーリー
産まれたときからいる家族ではなく、結婚して築いた家族に感謝しています
家族といっても夫だけですが、わたしの内面を変えて支えてくれる人です

親や妹とは心からの信頼関係はありませんでした
ただ書類上一緒に生活した関係のような気がします

でも夫とは心から笑い、一緒に考えてくれて、支えて共に歩んでくれる
私は何て素晴らしい家族をもてたんだろうと感謝の気持ち以外ありません
私が楽しむことを快く許して、喜んでくれる

20代後半になって結婚をあせったこともありましたが、焦らずに待ってよかった
もし別の人と結婚していたら私の幸せは大きく狂っていたかもしれない
それぐらい夫との生活が充実しています

子供はいないけど、2人で支え合って年を重ねたいと思います
33歳 女性のストーリー
高校から進学する際、私はまだ就職も不安定な資格の職業に就きたいと両親を説得して、地元から離れた専門学校への進学を希望した。進学先は都会であるため、心配した両親は学費の他に寮での生活費なども援助してくれ、またその専門学校経由で2か月間の留学費用も援助してくれた。今考えると、2年間の学費、交通費、寮費、留学費用、そしてその時期は成人式、卒業式などでの晴れ着の費用などすべて援助してもらったと考えると物図後医学になったと思う。それを反対せず「今したい経験はしっかりさせてやりたいから」と送り出してくれた家族、両親には本当に感謝している。その後は無事就職もすることができたが、給料は思ったように多くなく家族への仕送りも微々たるものであったので、本当にあの学生時代の家族からの援助は感謝しなければならないなと思う。
46歳 女性のストーリー
家族といっても、私が産声を上げて育った家族ではありません
結婚して一緒にいる家族です

血のつながった続柄なのにそっけない関係でした、絆や家族への想いは希薄です
自分は親から考えを押し付けられて育ち、あまり理解されなかったので夫との交際期間中に自分が育ってきた環境の違いを痛感しました

夫は人の気持ちをとても理解できる人
私は自分の主張が下手な人

そんな不器用な私を少しずつ導いてくれた夫に感謝です
人として尊敬しています
病気で入院したときも気持ちに寄り添ってくれて励ましの言葉、一緒に頑張ろうとトライしてくれるその行動力

この人と一緒になってよかった、このまま一生を添い遂げたいという気持ちが結婚して15年以上たちましたが強くなっています

子供に恵まれなかったけど良き伴侶、わたしたちは一番幸せな家族かもしれません
39歳 女性のストーリー
普段ならいて当たり前、空気のような存在なのが家族だと思っていました。そんなに仲がいいわけでもなく、喧嘩もするような関係だったのあり、ありがたみを感じることはさほどありませんでした。
それが変わったのが、私が大人になってから罹患したインフルエンザです。仕事を始めて、実家から通っていたのですが冬のある日、ありえないくらいの体のだるさ、そして関節の痛さ。車の運転も危ないということでわざわざタクシーを呼んでくれた祖母、そして暫く隔離になったにも関わらずこまめに好きなものを買ってきてくれたり、気にかけてくれた寡黙な父母。
照れくさくて、直接はなかなか言いづらかったけどほんとに嬉しかったです。家族のありがたみをつくづく感じたことでした。
57歳 女性のストーリー
 私は長いことうつ病を患っていて、こんなにうつって長引くものなのかと思っていたら、最近「双極性障害Ⅱ型」という診断が出ました。うつ病だけだとあんなに長く、また繰り返すものではないそうです。双極性もうつになりますが、うつ病の人とはまったく飲む薬が違います。うつでないときの私は陽気なので基本的には陽気なたちだと思います。でも双極性と診断が下るとその陽気さを今度は「躁ではないか」と疑わねばならず、しんどい病気なのです。
 うつに落ち込めば死にたくなるもので、もう何回OD(薬の大量服用)をして救急車で運ばれ、ICUに入ったかしれません。そんなとき119番してくれるのはもちろん夫です。でも彼は私が意識を取り戻したとき、非難したことは一度もなく、普通に接してくれます。でもこのあいだ、犬の散歩で歩いているとき救急車が通り、「あのサイレンを聞くとドキドキする」と言ったので、これは悪いことをしたんだなとつくづく思いました。私が逆の立場で、意識不明の伴侶を発見する側ならもちろんそうです。改めて考えてみて、家族(愛犬含む)には感謝しています。病気について勉強する人ではありませんがどんなときも夫が私を見捨てなかったことには間違いありません。
 今はどんなつらい夜もきっと夜明けが来るのだと、それを忘れないように生きています。
46歳 女性のストーリー
社会人になって一年目に、ストレスで自律神経失調症になった時のことです。
当時一人暮らしをしていたので、実家に帰って療養することになりました。
私は、親の期待を裏切ったような気がして、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいで、最初は病気のことや仕事を休むことを伝えるのにとても躊躇しましたし、恐る恐る話を切り出しました。
しかし、両親は私を責めるようなことは一切言わずに話を聞いてくれ、自分の現状を受け入れてくれました。
一緒に食卓を囲んだり、近所の日帰り温泉に行ったり、家族とのただ何気ない日常生活の中で、私は徐々に健康を取り戻すことができ、転職して無事社会人に復帰することができました。
弱っている自分をただ受け入れてくれたことに心底感謝したし、自分がその時必要としていたのはそういう存在だったんだ、と気づかされました。自分が心身ともにいちばんつらい時に、そばにいてくれた家族に一番感謝しています。
45歳 男性のストーリー
仕事で、ちょっとした交通事故に見舞われ、3カ月入院することになりました。不安と絶望に毎日、日々からけていました。心優しい妻は、毎日お見舞いに訪れてくれて、しかも毎日励ましのお手紙を書いてくれました。その中には、娘、息子からのお手紙もありました。大変嬉しかったし、そのお手紙を、何度も何度も読み返し、感動感激したのを、覚えています。今でも、その時のお手紙は、大切な宝物です。また、毎日、差し入れも、してくれました。お菓子や果物etcです。とても、美味しかったのを、覚えているし、時には、手作りのお弁当まで、持ってきてくれていました。お手紙に、お弁当に、何度も、折れかけていた心を救われました。心身共に、弱っている時は、優しくされると、心から、感謝の気持ちが、こみ上げてきます。
22歳 女性のストーリー
私は昨年、妊娠出産を経験しました。
妊娠期間中の想像を超えるつわりで、食べ物を食べても吐き、食べれるものも限られて体重は5キロ減りました。
また子宮が大きくなったための内臓の痛みや、骨盤などの痛み、足がつったりしてとても辛い期間でした。
そして出産前の陣痛も鼻からスイカ以上の痛みで、出産後の股を縫う痛み、骨盤がグラグラして歩くことも困難で、すぐに貧血を起こしてしまいました。
頻回授乳で切れてしまう乳首、支給収縮の痛み、毎日の寝不足など生まれてからも休む暇もなくとても大変な思いをしました。
そしてこの時、私の家族はこんな大変な思いをして私を産んで育ててくれたんだなと思うと、涙がこぼれ落ちました。
文句を言ったり、嫌な態度をしてしまった昔を思い出すと胸が痛くなります。
家族のみんな本当にありがとう。
48歳 男性のストーリー
もう大分前になりますが、私が離婚をして実家に戻った時の話です。
元嫁や、その親、姉妹と価値観が合わずに離婚をしました。
向こうの家は金銭的に大変な事があり、借入金を申請する時に、二度も保証人になったり、元嫁が私のお金も回していた様です。私は普通にサラリーマンなのでそれほど余裕はありませんでしたが、相手の実家の近くにアパートを借り子供を含めた家族で住んでいました。いよいよ大変になったのか、私に、元嫁の実家に入り、家賃を援助して貰いたい様な話しをされましたが、断りました。元嫁は私の実家とは距離を置いていた為、子供にも良い話しはしていない感じで、略交流は無い感じでした。そんななか、向こうの親が少し体調不良な事がありましたが、私はあまり気にして無かったのですが、それが気に入らずに離婚になりました。私は男なので、実家に戻った後も、あまり多くを話しませんでしたが、私が不在の時に、養育費の話か何かで相手が私の実家に来た時に、元嫁が私の文句を言っていたらしく、それを聞いた私の姉妹達と母親は激怒していました。散々私を利用しておいて良く家に来れた、しかも文句まで言っていた、と、如何にも私が悪くて離婚になったからもっと養育費をよこせと言っていたとの事でした。私の親姉妹は、私の事を信用しており、向こうが言っている事実なんて無い事を、何も言わなくても分かってくれている事が嬉しかったです。
24歳 女性のストーリー
私が病気になった時に家族が1番支えになってくれました。
精神的に弱っていた私を見捨てることもなく
諦めることもなく話を聞いてくれ、調子が良くなるように色々調べてくれ、実践してくれたりいておりました。
金銭的にも余裕がなかった私に
病院代なども負担してくれなるべく私に負担がないようにしてくれ、本当に両親には頭が上がりません。
仕事も辞めて家でゆっくりしてもいいよと言ってくれ
生活費も入れれなかったけれども気にしなくていいと言ってくれ本当に支えてくれ家族の大切さに改めて気づきました。
今は病気が治り社会復帰し、正社員で働けるように目指しており
家族に恩返し出来る様に頑張っています。
一度職を失い病院が治るまで側にいてくれて
社会復帰出来たのは本当に両親のお陰です。
43歳 女性のストーリー
一人暮らしをしていた時は、仕事もしていましたし友人もおりましたが、体調が悪い時に病院に行きたいので車を出してほしいとか、会社の先輩や友人には言えませんでした。
仕事が休みの日に起き上がるのも辛くてどうしようもなくなったとき、父が車で実家に連れて帰ってくれた時は、ありがたいと思いました。
特に両親は、一人暮らしを反対されながらもレンタカーを借りてくれて引越しを手伝ってくれるなど協力をしてくれたので感謝しています。
成人になって一人暮らしをしていた時は資金面の援助は受けていませんでしたが、引越しを手伝ってくれたり、GWに実家に帰らないので両親が様子を見に来たり、病院で検査を受けた時は母が新幹線で来てくれたりなど、一人で頑張っていたようで、要所要所で両親に助けられていたんだなと思いました。
27歳 女性のストーリー
家庭環境があまりよくない中で育ったため、両親に対して特別な思い入れなどがないのですが自分を産んで育ててくれたことに関してはとても感謝しています。今自分が子供がいるので尚更感じます。
あの家庭環境があったからこそ逞しい母親になれているところもそうですが、今の状況がとても幸せなので過去があっての今だなと思うと、そのような環境下に置かれていていたことでそう思えるのであればそれはよくも悪くもいい経験になりました。
また、手をかけてもらえずとも私がここまで育ってこれたのは働いてお金を稼いでご飯を食べさせてくれて、それなりの経験や体験をさせてもらえることは軽い気持ちだけではできないので、そういった面でもありがたいです。
32歳 女性のストーリー
私が婚約破棄をしてしまったときのことです。家を出て行く覚悟もしており、仕事も辞めることも伝えていました。家族からも彼と幸せになるためだったら出て行ってもいいよと言ってくれていました。転勤族の彼の力になるということに覚悟を持っていました。
しかしその彼と最悪の終わり方をしてしまいました。もう私は、どうしたらいいのか分からず毎日自分のことを責め続けて泣いていました。何で彼と上手くやっていけなかったのだろうという思いでいっぱいでした。
すると家族は、温かく私のことをずっと見守ってくれて、自分のことを責めている私のことを叱ってくれました。彼のことを気にいっていたのでそんな彼と結婚できなかったことを謝罪をするとあんたは何も悪くないと支えてくれました。
51歳 男性のストーリー
私は現在親子3世代で2世帯に住む50代無職の男性です。片方の家には長女と小学生1年生の孫が住んでいます。長女の旦那は数年前に急病で他界したため子供も小さいこともあり近くに住むことになりました。我が家には妻と独身の二女で住んでいます。それなりに幸せに暮らしていました。そんな折諸事情から無職となりました。再就職の方が上手くいっおらず最近は妻とほとんど会話が無くなり家庭内の空気が重くなりました。私に原因があるのがあるのは明らかなのですがどうすることもできない自分が情けない日々が続いていますが、隣に
住む小学生の孫がとても元気で毎日わたしを慕い遊びに来てくれます。その時だけは私の家の空気が明かくなります。週末はかならずお泊りしていきます。孫に私がどれ程助られいるかはかり知れません。これが私が最近家族に一番感謝したことです。
36歳 女性のストーリー
家族に一番感謝したのは、私が20代のころのことです。
当時付き合って、周囲にもうちの両親にも結婚する体で紹介していた同棲していた彼氏が、職場の女と浮気してしまい、同棲が解消されました。結局は別れましたが、そうなるまでの間の親の言動に頭が下がります。
まず、元カレは中卒で職歴も資格もないフリーターだったので、大卒の親で、娘(私)も当時大学生だったことを考えると、親からしたら不安要素しかない相手だったのではないかと今は思えます。でも当時の私は彼を愛していたので、親は何も言わず交際自体を見守り、彼を受け入れてくれていました。浮気が発覚して別れる別れないのとき、親が数百キロ離れた地元から交代で「死ぬ気がする」と来てくれたり、私の気持ちを尊重して「別れたほうがいい」とは言わず、支えてくれたことです。今、子どもがいる私の立場で考えると色々ぞっとする環境です。あんな状態でも私を尊重してくれたことに大変感謝しています。
39歳 男性のストーリー
専門学校を出て初めての就職で、何もわからない中で通勤をしていましたが、上司が何も教えてくれず、職場の雰囲気にも馴染むことが出来ない状況で、何とか数年務めましたが結局精神的にしんどくなり、最終的に無断欠勤をしてしまいました。無断欠勤をした上に当時一人暮らしだったアパートから脱出してしまいました。無断欠勤の上アパートがもぬけの殻だったため、会社から家族へ連絡が入りひと騒動になり、後から聞いた話だと母親は泣いていたようですが、数日後私から母親へ連絡を入れた所怒りもせず、“実家に帰っておいで”と優しくいってくれました。その優しさがあったので、今改めて職に就き自分自身も家族を養えるようになったと感じています。
49歳 女性のストーリー
学生の頃からとにかく決めたことは曲げない性格で良く言えば行動力がありました。大学派行きたい所が決まっており両親からは家から通える学校にしなさいと言われたのにどうしても行きたい学校が通えない所だったにも関わらず決めた事を曲げず両親が折れてくれました。就職し何年か働いた後、留学し英語を極めたく渡米することを伝えた時反対されましたが私の性格上また曲げず両親が曲げてくれました。
その後結婚、離婚、海外引っ越し等を繰り返し現在に至りますが、どんな時でも兄妹、両親、家族は私をいつも温かく見守ってくれていました。こんなにわがままな人生を許し、支え理解してくれた家族には感謝の言葉したありません。また家族は常に味方でいてくれるということを身にしみて感じました。両親は年老い長生きしてくれることを遠くから日々祈ってます。
26歳 女性のストーリー
私は、中学時代、吹奏楽部に入っていたのですが、中学1年生の頃から部活内でハブられたり、こそこそと陰口をされたり散々でした。私の左腕には、生まれた時から赤いアザがあるのですが、半袖の季節になると、否が応でもその赤いアザを出さなければなりません。そのアザを見ただけでも、こそこそ話されたりしました。何事もやり通してきた私でしたが、ある日母親に「部活を辞めたい」と話した瞬間、すぐにいじめを受けていると察し、すぐ顧問の先生に連絡。その後、いじめをしていたグループの子達以外が話しかけてくれるようになり、その後は引退するまで楽しい時間を過ごすことが出来ました。

また、女手一つで私を育ててくれ、良き母、父親の役割を担ってくれたり、貯金を切り崩して私の為に塾や習い事をさせてくれたりと感謝しかありませんでした。

今、私は結婚をして家庭を持っています。今まで私に母親がしてくれたことをこれから恩返しをしていけたらなと思いました。
38歳 女性のストーリー
私には子供がおります。
産後6カ月の頃腰が痛くなり、ついに起き上がれなくなりました。
独身のころにも腰椎椎間板ヘルニアを患ったことがありすぐにそれだとわかりました。
前回は痛み止めと使い、一週間弱横になって治りましたが、この時は授乳中であり、育児中で薬を飲むことができず、ただひたすら痛みをこらえて横になっていました。
その間私に代わって子供の世話をしてくれたのが実家の両親でした。夜間のミルクを作ってくれたり、おんぶして寝かしつけてくれたりお風呂に入れてくれたり、離乳食を作って食べさせてくれました。
その後まったく良くならず悪化し、手術することになり、実家に子供を預け入院することになりました。手術後も子供を抱き上げる事が出来ない私はその後、子供が1歳になるまで実家で子供を一緒に見てもらいました。授乳もできない、泣いてても抱っこもできず、精神的に辛く、そして腰は激痛で体力的にも辛かったのですが、親が一緒にわが子の成長をみて喜んで笑顔でいてくれて、とても救われました。
その後歩けるようになったことと術後3か月経ったこともあり1歳を機に自宅に帰りました。自宅に帰るとき母は泣いていました。大変だったことや嬉しかったことを思い出したようです。あの時の事はいまでも親には感謝してもしきれません。
32歳 女性のストーリー
私は二年前に娘を出産しました。妊娠中から主人に助けられ、つわり期も乗り切れました。
特に出産中から産後は助けられました。私が陣痛に苦しむ中、声を掛けてくれたり、背中をさすってくれた時はとても嬉しかったです。また、産後は一番精神的にも肉体的にもつらかったですが、主人は傍に居てくれて支えてくれました。
主人以外にも私の実両親にも助けられました。妊娠中、中々連絡することができず心配を掛けた時には申し訳なくなりました。ですがそれでも話を聴いてくれたり、産後も愚痴や悩みを聴いてくれました。
妊娠中から出産、育児と肉体的にも精神的にも支えてくれた主人と実両親。彼らにはとても助けられましたし感謝しています。次は私が、主人と実両親の助けになれたら、と思います。
39歳 男性のストーリー
私は中学生の時に病気の癲癇になりました。
大学時代に、発作をおこして、自転車で交通事故にあいました。
そのために、手術することになりました。
両親は看護婦とサラリーマンでしたが、看護婦の母が会社を
休んで2か月つきっきりで神奈川の病院にきてくれて
看病してくれました。
私は徳島出身でしたので母の苦労は大変だったと思います。
また、兄弟の真ん中で長男、長女も大学にかようことになり
金銭面での負担も大きかったと思います。
それでも決断してくれたのはとてもありがたかったと思います。
手術後、もう15年以上経過しましたが、発作もなく普通の会社に入り、普通に生活できているのは
そのときに決断してくれた、支えてくれた家族のおかげだと
今では思っています。
40歳 女性のストーリー
心労がたたって、人混みや乗り物に乗ることが苦手となりました。できるだそのような状況を避けるようにしていますが、どうしても避けられないとき、夫や子どもが付き添ってくれて、なんとか無事に乗り切ることができました。
自分でも自身に「大丈夫。乗り切れる」と言い聞かせるのですが、どうしても直前になると不安が強まってしまいます。そんな時、夫や小学生の子どもたちも「大丈夫だよ」と言ってくれ、それが心強かったです。乗り物に乗っている間、子どもが手を握ってくれたりもしました。
精神的疲労で、料理もできない日が続いたことがありましたが、会社帰りにお惣菜やお弁当を夫が買って帰ってくれたり、子どもたちも簡単な料理でも文句も言わず食べてくれて、とてもありがたかったです。自分に自信がなくなっているときだったので、家族の優しさに感謝しました。
31歳 女性のストーリー
私は地元から遠い大学に進学したことをキッカケに一人暮らしを始めました。
最初は人並みにホームシックにもなりましたが、人との出会いや交流の多い大学生活の中ですぐに解消され、次第に実家に連絡する頻度も下がっていきました。
一人暮らしにも慣れた大学2回生の夏のことです。
大学は長期の休みでしたが、バイトとサークルで毎日忙しい生活を送る中、つい食事を手軽な菓子パンに頼ってしまっていました。
すると、ある朝目が覚めると体がとても重く、金縛りに合ったように動かないのです。
非常事態だと感じた私は、なんとか枕元の携帯を手にして実家に連絡をしました。
実家の母は、すぐに大学近くに住む遠縁の親戚に助けを求める連絡をしてくれ、私は極度の栄養失調で入院することになったのです。
また、両親は6時間も電車を乗り継いでかけつけてくれ、入院中に親身なお世話をしてくれました。
自分が想像していたよりも悪い状態だったようで、入院は1ヶ月にもなりました。
実家を出て一人で暮らしていると、自分だけでも何とかなると思っていたことを深く反省し、大きな愛で見守ってくれている家族に心から感謝した経験です。
32歳 女性のストーリー
仕事で気持ち的にボロボロに追い詰められたときに、そんなに辛いならばやめてもいいんだよ、と言ってくれたことです。当時は夜勤がある職場で人でも足りなくて夜勤の回数が多く、熱が高くても出勤し、心に余裕がない状態でした。加えて、自分が全く希望していない部署への移動が決まり、なんとか頑張ろうとしました。しかし、お客さんの目の前で後輩を怒鳴るような人達や閉鎖的な空間に耐えきれず、元の部署に戻してほしいと嘆願したところ、他の人も最初はそう言うけれど後々は感謝するものよ、など言われました。それでも移動を希望すると、否定的な言葉を言われ続けるなど、とても傷付きました。そんな風に傷ついて泣いている私を支え続けてくれた家族に深く感謝しています。
21歳 女性のストーリー
私はかつて大きな病気をしたことがあります。その時私を一番に支えてくれたのが、家族でした。まだ子供だった私は周囲に対してはっきり向ける目を持たず、病気になったことを嘆いたり当たり散らしたりしました。ひどいときにはものを投げたこともありました。
けれどそんな私を家族は大きな心で受け止め、私もまた徐々に落ち着いていきました。私が病気だと言うことを受け止め、前向きに治療をしていこうと思えたのはやはり家族のお陰であると思います。
また、治療の過程で骨髄移植をすることになったのですが、私の姉は「あなたが助かるならいくらでも」と骨髄の提供をしてくれました。
身体的にも時間的にも負担が大きいその行為を全くためらいなくしてくれた事に一番感謝をしています。
38歳 男性のストーリー
自分が病気になったときに父親が仕事を辞めてまでも看病してくれたことです。父親は仕事に対してやりがいを持っていましたし絶対にやめたくないと思っていたはずです。それでもこちらに気を使わせないようにしていろいろな理由を考えて説明してくれました。そのことを思い出すと今でも感謝の気持ちが溢れてきます。幸いなことにその後すぐに父親はもっと良い待遇の仕事を見つけることができましたが、もしも最悪の状況になったとしても自分のせいにする人ではないと思います。今では自分の病気も完治して親孝行をしていますが、いまだに向こうから恩着せがましさを感じる事はありません。親として子供への愛情を最高に注いでくれた瞬間だと思います。
41歳 女性のストーリー
シングルマザーで、仕事をしているので、実家の父母には特に感謝しています。子どもが保育園の時は送迎をお願いしていました。朝子どもを保育園まで送るのはほとんど大丈夫だったのですが、仕事が遅くなることが多かったので、お迎えはほぼ母に頼んでいました。小学校になっても一緒で学童へのお迎えを頼んでいました。子どもに対しての愛情も沢山与えてくれました。子どもがせがんだら一緒に遊んでくれたり、ご飯も沢山作ってもらいお裾分けもよくしてくれていました。時が経ち、今は夜勤のある仕事をしています。夜勤の時は子どもの面倒を見に家に来てくれています。また、習い事もさせているため、送迎をお願いすることも沢山あります。子どもが元気に育っているのは、私の親なしじゃありえません。とても感謝しています。
41歳 女性のストーリー
私はシングルマザーですので、両親に手伝ってもらうことが大変多かったです。今でも中学校の子どものために習い事の送迎を頼んだりしています。子どもが小さい頃は、保育園の送迎等もお願いしていました。仕事をしていたので、遅く帰ってくることも多々あり、お迎えに行ってもらって、夕ご飯までご馳走になったことも沢山ありました。今は、夜勤のある仕事に転職しているため、夜勤の時は泊まりで子どもをみてもらい、食事を食べさせてもらったり、一緒に寝てもらったりしています。両親なしでは、子どもが元気に今まで育ってくれるのは難しかったと思います。私にも気をくばり、心配してくれたり、相談にのってくれたりしています。親への感謝は尽きません。
51歳 女性のストーリー
仕事を長年やってきたがとてもしんどくてはっきり言ってブラック企業になってしまった。むかしは事務部署と営業部署が力を合わせて仕事を完成しようという感じだったが、管理職が上層部から命令を受けるからそうなるのか分からないが事務がやれて当たり前、営業にも力を入れろと。営業を営業部署と同等のレベルを求めてくるのでそれはもうおかしいとしか思えない状況だった。営業部署がそしたら事務のフォローをするのかといえばそんな知識はないから出来ないみたいな感じで、管理職が営業部署からしか上がらないから当然事務部署の苦労などわかるはずもない。監査業務までしているものに営業やれってどういう事。辞める最後まで理解はできませんでした。それで辞めたいと家族に言ったのですが不満を一言も言わず辞めさせてくれた。それで今の仕事を頑張って収入上げようとして昔の半分以下の給料だが元に戻せるよう力が湧いてくる。家族には恩返ししたい。
36歳 女性のストーリー
今は結婚して旦那と二人で住んでいます。
独身時代は父親と祖父と弟と私の四人暮らしでした。離婚していて母親とは一緒に住んでいなかったため、洗濯物や洗い物、掃除、料理や買い物すべてというか、ほとんど祖父が行っていました。そんなことが当たり前だと思っており、時にはご飯できたよという呼びかけすら鬱陶しく思い感謝すらしたことがなかったです。

しかし、そんな祖父も4年前に亡くなりました。それから半年後に私は今の旦那と同棲することになりました。それまで、家事をほとんどしておらず、料理は米を炊く、カレーを作る、だしの素で味噌汁を作ることくらいしかできませんでした。自炊すること、お茶碗を洗ったり、洗濯したり、買い物をすることがこんなにも大変だと思わなかったです。
料理が出てくるのは当たり前じゃない。洗濯物を干して畳んでくれるのも当たり前じゃない。洗い物をしてくれるのも、食材が揃っていることも当たり前じゃないと、同棲し、結婚してわかりました。感謝の気持ちでいっぱいですが、伝えることが出来ずに亡くなってしまいました。
家族、私の場合特に祖父にとても支えられていました。ありがとう。大好きっていいたかった。今までずっと家のことしてくれてありがとうございました。
31歳 女性のストーリー
去年の5月は初めての出産。妊娠経過は卵巣嚢腫があり、手術する羽目になったけれど極めて順調だった。お腹のこどもも「少し大きめの男の子だね」って医者に言われてたぐらいで健康優良児っぽかった。
予定日近くになって陣痛が来るのかなってドキドキしてたけど来なかった。それならとケーキバイキングなど来ないことを良いことに遊びまくった。
予定日から1週間後の夜中…いきなりお腹が痛くなった。しかも10分間隔でこの世と思えないいたみがおそってくる。母親学級だと破水して…おしるしが出てって言ってたのにそれがない!
朝になってのたうち回ってる私を見て夫が慌てて病院へ連れていってくれた。どうやら赤ちゃんは出てこようとしているのだが頭だけ下になって体が追い付いていないということで入院。夫と両親が付き添ってくれた。痛みが強すぎて誰かにしがみついていないと耐えきれない状況だったので、みんな仕事を休んで3日間付き合ってくれた。強く握りすぎて内出血してたのに文句ひとつ言わなかった。それに色々飲み物の差し入れやら腰揉んでくれたりしたお陰で乗り越えられた。1人だったら気が狂ってたかもしれない。家族がいてくれて本当に良かった。
25歳 男性のストーリー
一人っ子で今の家庭に生まれました。
小さい頃から、厳しくも優しく育ててくれました。
そんな中で感謝していることは、沢山あります。
しかし、その中でも、やはり、1番感謝していることと言えば、小学校から大学生まで、今まで貯めていた貯金を使って、将来奨学金を使わなくてもいいように、通わせてくれたことです。
あまり、言うことの聞かなかった、自分の志望校に行けず、期待に添えることのできなかった自分を最後まで見放すことなく、行った先行った先でも、しっかりと応援してくれていました。
就職するまでの16年間、ずっとわがままを言って、反抗していた自分をここまで育ててくれて、「本当にありがとうございました。」と言いたいです。
37歳 男性のストーリー
私は妻と子ども3人の5人家族です。
結婚して7年目、仕事も36歳なので脂ののってきたところなので、
残業も毎日多いです。
残業が続くと、日が変わったぐらいに家につき、晩御飯をレンチンして
一人で寂しくご飯をすることが多いです。
家族を支えなければならないとはいえ、家族のことが大好きなので寂しいのですが、
最近文字を書くことを覚えた長男(6歳)が、残業で遅くなると手紙を書いてくれるように
なりました。妻と長女(3歳)のメッセージを聞いて、手紙にしてくれます。(次男は0歳なので言葉が出せないのでメッセージなしですが)
小さいことかもしれませんが、この手紙が私の宝物で、家族に一番感謝していることです。この手紙をモチベーションに、毎日仕事を頑張って、家族を楽にさせたいと考えています。
49歳 女性のストーリー
昨年の春に鬱病となりました。6月に自殺をしようと首を吊りましたが、ロープが切れて未遂となりました。その後は、精神病院の閉鎖病棟に強制的に入院となりました。鬱は、様々なことが組み合わされて発生しているので、何かのきっかけで急に治るような病気ではありませんが、閉鎖病棟というところは約3カ月の治療期間が普通です。とはいえ3カ月経過しても迎えてくれる家族が居ない人は自宅に戻ることはできず、普通の病棟への転院や施設へ行くことになります。
閉鎖病棟に強制入院とはいえ、家族の面会は割と自由に行えましたので、毎日のように息子や娘が時間を割いて面会に来てくれていました。ほとんどの人が面会人はゼロです。何故かというと精神病院の閉鎖病棟にいる人のほとんどがリピーターです。家族と疎遠になっていたり、厄介者と思われている人の方が多いからです。そんなことも入院して初めて知りました。
ともかく、私は1カ月経過した後、家族がドクターにお願いしてくれて異例の退院をいたしました。そして何よりリピーターにはなりません。

「この職業で良かったなと思う瞬間」

44歳 男性のストーリー
私は介護福祉士です。世間では3Kとも5Kともいわれますが、実際は世間のイメージとはだいぶん乖離があります。確かに排泄物のお世話やご利用者の死に直面するなどのマイナス面がありますが、実際にはご家族様から感謝やねぎらいの言葉を頂くことが多く、大変有意義な職業だと思います。「あなたが、母に本当の家族のように接してくださったことは一生忘れません」「面会のたびに、新しい息子ができたと父が言っていました」などその方々の人生の終着駅に到達する瞬間に、私が少しでも彩りを添えることができる職業だと自負しています。確かにその方が亡くなられた時には悲しい思いもしますが、悲しい思いをするのは、本当の家族になれたからこそだと思います。
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修学旅行の思い出
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人生最大の失恋話
忘れられない夏の思い出
嘘みたいなほんとの話
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