"着物" に関するエピソード

「これまでで一番悲しかった時」

49歳 女性のストーリー
子供の頃から両親が共働きだったため、私は祖母に育てられました。
私が初孫と言う事もあり、祖母は厳しくもありましたが、それ以上に愛情もお金もかけてくれました。
雛人形や成人式に着た着物は今でも持っていますが、祖母に買って貰った物です。
祖母も自分で自分の生命があとどの位なのか分かっていたのかもしれません。
亡くなる少し前に、宝石屋を経営している友達が「このネックレス凄い高いでしょう」と見ただけで分かるネックレスを形見としてくれました。
いつも凛としていて家の中にいても着物をきちんと来た祖母がいなくなった時は、私自身悲しいと言うより、どうして良いのか分からなくなりました。
祖母の介護生活は7年も続き、時には疲れる事もありましたが、実際にいなくなると家の中が寂しくなりました。
私は現在海外在住ですが、祖父母の写真は持ってきて飾ってあります

「これまでで一番お金を無駄にした話」

39歳 女性のストーリー
私が21〜23歳の間に経験したことです。
まだ学生だったときと、社会人になったばかりの頃の2回に渡って、うまく営業されて半分騙されたような形で高額な商品を購入してしまったことがあります。1つは着物、2つめは健康器具でした。併せて60万円くらいの値段だったでしょうか。まだしっかりとした経済力もついていない身には、ローンを組まされて払っていたとはいえ高額でしたね。
両方とも共通しているのが、購入した品を使って資格が取れる、商売ができるという謳い文句があったこと。社会人経験もほとんどないので、あっさりその話を信じてしまい、商売をするまでの能力もなく、商品と支払いだけが残り、7〜8年くらいかけて完済しました。
当時は魅力的に思えたのでしょうけど、大きな無駄遣いでしたね。

「奇跡だと思った話」

29歳 女性のストーリー
今から3年ほど前の冬、祖母のすい臓がんが見つかりました。すでにステージは4。始めにかかった病院ではもう治療は出来ない、死を待つのみと言われ、このまま何もしなければ数ヶ月ももたないと言われました。
セカンドオピニオンをどうするか問われ、有名ながんセンターまで高速で1時間以上かかる場所ではありましたが一縷の望みをかけて連れて行きました。そこでは放射線治療をまだやれると言われ、入院が嫌いな祖母のために毎週火曜日家族の誰かが交代で付き添い連れて行きました。
ちょうどその頃私(孫)の結婚が決まり、せめてウェディングドレス姿だけでも見せてあげたいと思い、結婚式を早めました。始めに言われた数ヶ月を過ぎる半年後に式場の予約を取り、そこを目標に治療を頑張ろうという話になりました。
しかし、結婚式を1ヶ月前にした頃、突然何も食べれず飲めずという状態まで悪化してしまいました。病院へ連れて行きその場で入院、手術が決まりました。ただ、入院時の検査では見られた異物が、手術前日には消えていたのです。医師も「あれ?」と首を傾げていましたが、なくなったなら手術は必要ないとそのまま退院になり、その後それまでの食欲不振が嘘みたいに食べられるようになりました。
着物が大好きだった祖母は、「着物を着ていけない結婚式には顔も出したくない」とふさぎ込んでいましたが、控室に来るだけでも来て欲しいと祖母の妹にも連れ添ってもらい当日を迎えました。食事も1人前は難しいだろうからワンプレートで手配してもらい、もし体調がよければ出席できるように席も設けてありました。
ところがどっこい、それまでの病気が嘘みたいに当日は元気になり、なんと1日挙式から披露宴まできちんと出席し、食事も足らず結局弟たちから食事をわけてもらうほど食べられ、親戚一同驚愕でした。
その1年後私の妊娠がわかり、じゃあ次はひ孫を抱くまでがんばろう!と、短期目標を作っては余命を伸ばすことにみんな必死でした。
残念ながらひ孫が生まれる2ヶ月前に亡くなってしまいましたが、余命数ヶ月もないと言われたあの日からなんと2年も生きたのです。祖母の執念と、家族の思いが生んだ奇跡だったと今でも思います。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

33歳 女性のストーリー
私が小学生の頃、夏休みの八月、丸々一月ほど、祖父母の家で過ごしていました。
夏休みといえば大量の宿題。例に漏れず私の小学校もこれでもかという量の宿題を出してきました。しかし意地でそれら全てを7月中に終わらせて、気持ち晴れやかにいつも祖父母の家に遊びに向かっていました。
ですがひとつだけ、決まって祖父母の家で行う宿題がありました。自由工作です。
何を作っていくかは自由のこの宿題を毎年祖父母と一緒に行っていたのです。川で拾った流木でモビールを作ったり、着物の切れ端でお手玉を作ったり、畑で見つけた虫たちを標本にしたりと、毎年違った作品を、笑って楽しく作っていました。
祖父はもうこの世を去りましたが、私の記憶の中では、当時のあの、優しい笑みの祖父が今もいます。
57歳 男性のストーリー
私の母方の祖父は、信心深かった。顔も丸顔で何時もニコニコしていた記憶しかない。
 そんな祖父は、祖母が裁縫の縫子という仕事をしていたので、着物を他の縫子さんに届けたり、出来上がった着物を依頼主に届けたりという事をしていた。
 祖父夫婦がこの仕事を始めたのは大分と高齢になってからとのことで、祖父が着物を運ぶために自動車の免許証を取ったのも、五十才を超えてからとのことだった。
 高齢で免許を取得したせいか、運転は穏やかで、田舎だったこともあるが、一度も事故を起こしたこともなかったそうだ。
 小学生になってすぐの夏休みに、親と帰省した時に、祖父が着物を運ぶ車に乗せてもらうことになった。今までも、帰省の度に最寄り駅まで送り迎えはしてもらっていたので、親と一緒には乗ったことがあったのだが、その時は、祖父と私の二人っきりでのドライブだった。
 何時もは後ろの座席ばかりだったが、この時初めて助手席に乗せてもらって、私はとても嬉しかったのを、覚えている。
 祖父の家は、一般道までは人が通るには広いが車幅いっぱいいっぱいしかなく、昔の集落の道なので、曲がりくねっているし、角切などしていない直角に曲がる交差点などを通らなければ、出れないような所だった。
 それでも祖父は慣れているので、そろそろと通過して、一般道に出て、目的地に向けて走り出した。集落の道では、車に接近してくる家の壁にドキドキし、一般道では前面の景色に夢中になっていた。しばらくして、ふと、運転している祖父が何か言っているのに気が付いた。話しかけてくれているのに景色に夢中で気が付かなかったのかと思たが、なにかちょっと違う。言っている言葉が、幼い私に向けてではなく、独り言の様なのだ。エンジン音などで聞こえにくいが、よく耳を澄まして聞いてみると・・・
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と運転しながら祖父は言っていたのだ。
 信号で止まったら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏‥」。走り出したら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」、荷物を降ろしたら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」・・・。
 帰りは「自分はこのまま、あの世に連れていかれるんじゃないか」と何か怖くなってしまった。
 後で聞いたら、「案園運転、事故除けのおまじないや」とのことだったが、ちょっとトラウマになりかけた出来事だった。
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あらすじ
「あなたの番です」あらすじ
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人生最大の失恋話
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わたしがやめられないもの
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わたしの初恋と、その結末
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私の変えたい過去
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結婚を後悔した瞬間