"高校生" に関するエピソード

「今までで体験した一番怖い体験」

25歳 男性のストーリー
高校生の頃、部活で旧校舎に入った際に誰もいないのに後ろから頭を触られたことです。
後輩と一緒に二階に居たのですが、後輩は反対側の一番奥に居て後輩触ったのが後輩ではなかったことが分かり恐怖したこと
また、別の日に早朝、誰もいない廊下で戸が開く音、2~3人走る足音を聞いています。
当時、旧校舎は鏡が一枚もなくあったとしても粉々に割られているような状態でした。
現在は取り壊されているのですが、過去に自殺者も居り、いろいろな噂はありました。
別の校舎の部室部屋では、過去実際に自殺者が出ており新聞にも小さい記事ですが載っていたはずです。
高校の場所自体は問題はないはずなのですが、七不思議といわれるのがあるように
結構な数の噂はありましたが、実際に体験するとは思っていませんでした。

「これまでで一番驚いた話」

34歳 男性のストーリー
つい最近、交流が途絶えてしまった女性の話ですが、その方は、元々、僕が行く趣味の鉄道模型店にいた方で約6年位前に知り合い、その後、お店を諸事情で辞められてしまいましたが、お店にいる時にSNSで繋がって、辞められてもやり取りをしていて、また、お店にいる時から舞台女優をしている話を聞いていて、ある時、違うSNSへやり取りを変えた事をきっかけに出る舞台へ見に行く事があり、最終的には10回近く行ったと思いますが、そのうちの2回目の時、舞台のパンフレットを購入し、その際、その女性のプロフィールに`ハイスクールマンザイ優勝´と書かれていて、この時は大した大会ではないと思っていましたが、ネットで調べたら吉本興業主催の高校生の漫才全国大会で、しかも、相方の男性からスカウト(相手の事情でコンビ別れしたらしく…)されて組んだ急造コンビな上、約2ヶ月位で東海地区代表となり、そのまま優勝(その際、審査員だったオール巨人師匠が女性を称賛)し、当時の様子も写真と記事がネットに残っていて、見てなお驚きました。

「わたしの周りで一番お金持ちの人」

23歳 女性のストーリー
高校生時代の友人です。
友人のお父さんが美容院を経営している方でした。
いつも話の次元が違っていました。基本的に習い事は、どこかに習いにいくのではなく自宅に講師がくるという形でした。
家庭教師の方や、バイオリンの先生など様々な習い事をしていました。

家はタワーマンションでとてもひろく、外の景観がとてもきれいでした。
トイプードルとマンチカンを購入したそうで、家全体が高級感にあふれています。
ペッパーというロボットも家においてありました。

洋服もブランドものばかりでした。
普段から、次元が異なっており、周囲の人からは「また自慢だ」と煙たがられていました。
本人にとっては、当たり前の生活だと思うので悪気はないんだろなと思っていました。
38歳 女性のストーリー
高校の時の同級生の話です。
彼女は高校生の時から現実思考で、将来の夢が薬剤師でした。
薬剤師は安定して仕事がありますし、お給料もかなり良いので、絶対に薬剤師になるんだと言っていました。
そして実際に薬剤師になり、長年同じ薬局で働いています。
彼女は結婚するつもりがないらしく、一生独身を貫くことを決めているそうです。
そのために、二十代の後半で新築の分譲マンションを購入し、そこで妹さんと二人で暮らしているようです。
女性で、しかも若いうちにマンションを購入するなんてすごい!と、素直に尊敬していますし、憧れもあります。
美容にも気をつけていて、同窓会でもひと際目立つ存在です。
「お金持ちになりたかったから頑張ったんだ」と正直に言える彼女はとても素敵だと思います。

「これまでで一番笑った話」

57歳 女性のストーリー
その時は、めちゃめちゃ本気だったんですが、あとになって、誰に話しても、大爆笑される話です。主人に死に別れてから、二人の子供を必死で育ててきた私。その当時、長男は高校生でした。友達も携帯を持ちはじめた頃で、生活に余裕はなかったけれど、息子だけないのも不憫だろうと、やりくりしながら携帯を持たせていました。世に中も、まだ、ガラケーだった時代です。ある日、通牒をみると携帯代、3万円引き落としされていました。なんだこれは?携帯会社の間違いじゃないかと、問い合わせたところ、息子がおさいふ機能を使っていたことがわかりました。ぶちきれた私は、息子に注意。もうわかったのかと思いきや、三ヶ月、同じ事を繰り返したバカ息子に、とうとう堪忍袋の緒が切れて、【おーーーーりゃりゃりゃりゃりゃあーーーー!!!!!】と、もう自分でもよくわからない、ブルースリーのような言葉を連発しながら、息子に近ずいていった私は、息子の目の前で、持っていたガラケーを逆パカし、空中めがけて放りなげたのでした。今でもハッキリと、まるで映画の一場面をみるような、二つに切り離されたガラケーが空中を飛んで行くスローモーション映像を覚えています。しかし、そのスローモーションの映像の中で、飛んでいったガラケーは、私のガラケーだったのです。【ええ?!なんで私の?】と思い、息子も【なぜ?おかんの?】という顔をしていました。しかし、怒ってる最中で、急に、態度を変えれない私は、とりあえ、そのまま息子を怒鳴りまくりました。が、目線は、完全にガラケーの行方を追っていました。息子を怒り終えた私は、必死で二つに遮断されたガラケーを探し、とりあえず、電話をかけてみたところ、なんと電話がかかったことを確認!よかった!と喜んだのもつかの間、電話はかかるけど、耳をあてて相手の話を聴く上の部分が、切り離されてるので、会話できない事に気ずきました。その私の様子をみていたバカ息子がとうとう、堪えきれずに、声を殺しながら笑っていました。その後、携帯会社に行って、新しいのと交換してもらいました。

「これまでに出会った天才」

35歳 男性のストーリー
高校生の頃に出会った人がいますが、全国的にも有名な高校に通われていた彼ですが、
ちょうどその時の時期もあったのですが、期末テストの話になりました、
彼は、「うちの高校の古典のテストは簡単なんだよ、ただ百人一首の上の句と下の句が50個出てきて、それぞれ反対の句を各だけなんだよ」と言い出しました。
僕は、「えっ、それは100個すべての上の句と下の句を覚えるって事だよね?」と聞き貸したら
彼は、「えっ?覚えるだけだから簡単じゃない?」と言い放ちました。
本当の天才とは、覚えるという事が苦労とか努力が必要ないただの作業という事だったみたいです、読んだらすべて頭に入るらしいです。
数学などの計算したり頭使う問題は難しいけど、暗記問題は覚えるだけだから頭使わないとまでいっていたので頭の規格が違いすぎると思いました。
それにしても、全国的に有名な高校は規格外な試験をしているとも思った思い出でした。

「今までで一番感動した話」

27歳 女性のストーリー
仕事上での出来事です。
専門学校で教員をしています。当たり前ですが、ほとんどの方が未経験で入学をしてきます。また、中には既卒で入学をされる方もいますが、9割以上が高等学校卒業後、すぐにそのまま入学をしてきます。
在学中は、高等学校とほとんど変わらない時間割で授業を行っているので、専門学校に進学したとはいえ高校生気分が抜けず、その様子に注意をしたりということも多くあります。在学生とぶつかることもしょっちゅうです。
ですが、教員の醍醐味だと思いますが、普段は注意を受けることに対して怪訝そうにしていた学生も、卒業を迎えると「あの時注意、指導をしてもらえてよかった」と口にしてくれます。その時の感動といったらこの上ありません。卒業後就職をしてすぐにこういった事を感じてくれる卒業生や、少し時間が経ってから振り返ると思い出したように感じてくれる卒業生など、人によって様々です。指導する立場として、なかなか学生に対し自分の指導する気持ちが伝わらず、もどかしく感じることも多いですが、全てが報われ、感動を感じる瞬間です。
36歳 女性のストーリー
社会人1年目で、右も左もわからず、同期もいなかったので相談できる人もいなく、朝が憂鬱でした。
まだ慣れない運転で会社に行き、接客業だったので、お客様とのコミュニケーションを取らなければいけない、笑顔でいなければいけない。
先輩たちにも気を遣わなければいけない、そんな毎日でした。
ある朝、その日は雨が降っていました。
車を運転していると信号が赤になり、信号待ちをしていると、横断歩道で同じく信号待ちをしている男子高校生と、おばあちゃんがいました。
男子高校生とおばあちゃんは明らかに他人なのですが、おばあちゃんは持っていた傘に男子高校生も入れてあげました。
信号が青になると、男子高校生は照れくさそうに頭を下げ、おばあちゃんもニコニコ笑い、たった何秒か傘に入れてあげた、その光景を見ただけなのですが、とても心が温かくなり、私も傘に入れてあげれられる余裕を持とうと思いました。そして、ちゃんとお礼ができる人間になりたいと思いました。

「わたしの周りの結婚できなそうだなという人」

18歳 女性のストーリー
高校で出会った女の子の話。

すごく明るくて、元気で、みんながいつでも話しかけられるような女の子。


でも、誰もが話しかけやすすぎて、仲良くなりすぎて、異性が女として意識していないため、
彼氏いない歴=今の年齢

こんなにも、人気で元気があってみんなに愛されてても、みんなが友達認定しちゃうから彼氏もできないし、男も女としてみてくれない。
それを自覚しながらも自分を曲げたくない当本人は、一向に彼氏が出来てません。

性格はちょっと強気だけど、女からしたら全然彼女にできるような女の子。顔も悪くないし、スタイルも悪くない、普通の高校生なのに誰も好きにならない、もはや好きになったって人すら聞いたことない。
そんな人がいました。

「苦手だったのに得意になったエピソード」

38歳 男性のストーリー
私は物心がついた時から人見知りで、人と話したり
コミュニケーションを取るのが苦手でした。
母はそれを察していたようで、よく一人でお使いに行かせたり、病院等に行かせてはいましたが、幼少期には克服出来ずでした。
中学生・高校生時代は心が許せる数名程度の友人はいましたが、先生ともあまり話さず、人前に出るのが嫌で嫌で堪りませんでした。
高校を卒業し、建築の専門学校に進学しましたが
友人らしい友人も出来ずに半年くらいで学校を辞めてしまいました。今、思い返すと、この時に友人がいたら
学校を辞めていなかったんじゃないかと思います。
学校を辞めて建築関係の仕事を転々とし、相変わらず人とコミュニケーションを取るのが苦手なままでしたが、
そんな私に転機が訪れました。
ひょんな事から花屋を開業することになり、同時に結婚し、家庭を築くこととなりました。
経営は難しく、やはりお客様とのコミュニケーション無しでは成り立たない商売ですので、「家庭」という二文字を抱えていた私は必死に且つ、積極的に接客を行っていきました。
不思議と人と話すのに慣れていき、今となっては
仕事以外のプライベートなどでも、こちらから
他人に話したり出来るようになりました。
やはり、仕事や家庭によって心境の変化があれば
人って苦手なことが克服できたりもするんですね。
28歳 男性のストーリー
小学6年生からパソコンの授業が始まりました。
当時の私は「触ってもし壊してしまったらどうしよう?」という気持ちでパソコンに触るのが嫌で嫌で仕方が無かったのでパソコンの授業が一番嫌いでした。
ですが中学生になり夏休みの期間中にパソコンがある親戚の家に数日泊まることになりました。
それがきっかけで苦手だったパソコンを今度は一日中触るぐらい夢中になり、自分の家にもパソコンが欲しいと考えはじめ親に頼みこんで購入してもらいました。
自宅でもパソコンを毎日触る日々が続き、その時には自らブラインドタッチを意識して遅かった文字の入力も早くなり、他にはサイトやブログを作成してHTMLを覚えたりなどパソコンに没頭していました。
その結果、パソコンの授業が一番好きな授業となり高校生のころにはパソコンに関する資格だけはすぐに取れたりと、思い出深い出来事になっています。
31歳 男性のストーリー
高校生になったばかりのころはまだ小説というものが苦手でした。
もともと挿絵の入ったものや漫画を読むことが多くて、絵というのは私にとって気休めのようなものだったんです。
それがまったくない小説はただ字がずーっとつらなっていて息苦しさを感じてしまうのでした。
しかし私の通っていた高校は朝に読書をするという時間を設けられていて嫌でも読まざるを得ない状態になってしまいました。
最初こそ適度に挿絵が入っている児童書を読んでいましたが、徐々に文字だけでも慣れていって最終的には小説が読めるようになりました。
きっかけは全国模試か何かに載っていた「西の魔女が死んだ」です。これものちに児童書だということが分かりましたが、その購入した本には絵は1つも載っておらず、私が小説嫌いを克服したきっかけはそれでした。それ以降小説を読むのは大好きになっています。

「もっとも尊敬する人」

26歳 女性のストーリー
私がもっとも尊敬しているのは、お母さんです。私が産まれてすぐに離婚し、女手一つでお姉ちゃんと私を育ててくれました。夜の仕事をやっていたので、小さいときは「なんでママお仕事いっちゃうの?」と泣いて困らせていました。高校受験のときは、県立に受からないとお小遣い無しだからね!と言われていたので県立高校にいきました。私が高校生になると、家計も大変なはずなのにお小遣いを月に1万もくれました。部活もバイトもしていましたが、卒業したら働いて早くお母さんを楽にさせたいなと、ずっと思っていたので就活も頑張れ良い会社に入ることができました。今ではお母さんは再婚したので、今度は自分の幸せを優先してほしいです。これからもお母さんに親孝行していきたいとおもいます。

「わたしの初恋と、その結末」

22歳 女性のストーリー
私の初恋は幼稚園児の時です。
お互い好きで親も知ってるぐらいの仲でした。
ですが、小学校に上がると同時にカレの引っ越しが決まりました。遠距離状態にはなりましたが母と一緒にたまに手紙を書いたり誕生日プレゼントを送ったりしていました。
小学3年生ぐらいまで続きましたが少しずつ連絡をとらなくなり自然消滅でした。
高校生になり、自転車をこいで学校にむかっているとそのカレがその目の前を通りえっ!!と思い、二度見してしまいました笑
カレは地元に戻ってきていたみたいです。
ですが、私は結局話しかけれずに終わってしまいました。その時話しかけれていたらどうなっていたのかな?とか自分のこと覚えているのかな?とか考えました。こんな偶然ってあるんだな〜と思いました。
33歳 女性のストーリー
初恋は16歳のときでした。
女子校に通っていたので、クラスの男子という存在がない中で私が好きになったのは、塾のチューター(大学生の講師アルバイト)でした。
とっても爽やかで背が高く、いわゆる甘いマスクでした。見た目がいいだけでなく進路相談にも親身になってくれて、塾に行く目的の半分はチューター目的でした。
他の生徒からも塾の職員からも人気が高く、高嶺の花でした。もちろん彼女もいたようですし、バイト先の垢抜けない高校生なんか好きになってもらえるわけもなく、思い切ってメールで告白しましたがあっけなく振られました。それでも私を傷つけないよう慎重に言葉を選んでくれたように記憶していて、いい思い出になっています。
今でも、あの人どうしてるかな?と思い出すことがあります。
23歳 女性のストーリー
初恋は、高校生のときでした。
クラスメイトで仲はそこそこよかったです。冗談として周りからはカップルと呼ばれていました。
仲良くなるにつれてどんどん好きになっていきました。
体育館で部活をしていたのですが、向こうの部活終わりの際、手をふって応援してくれたりしていました。
よく一緒にいましたが、友達どうしで冗談としてカップルっぽいという関係が続いていました。
結局、告白はできませんでした。
今思えば、アタックすれば付き合えたと思います。
自分自身なにも行動しないうちに、好きだった人は他の方とお付き合いを始めてしまいました。
付き合ったという報告を受けてわりとショックでした。
それからは、自然と話す時間が減り、いままでのような関係は終わってしまいました。
33歳 女性のストーリー
初恋は16歳のときでした。
女子校に通っていたので、クラスの男子という存在がない中で私が好きになったのは、塾のチューター(大学生の講師アルバイト)でした。
とっても爽やかで背が高く、いわゆる甘いマスクでした。見た目がいいだけでなく進路相談にも親身になってくれて、塾に行く目的の半分はチューター目的でした。
他の生徒からも塾の職員からも人気が高く、高嶺の花でした。もちろん彼女もいたようですし、バイト先の垢抜けない高校生なんか好きになってもらえるわけもなく、思い切ってメールで告白しましたがあっけなく振られました。それでも私を傷つけないよう慎重に言葉を選んでくれたように記憶していて、いい思い出になっています。
今でも、あの人どうしてるかな?と思い出すことがあります。
23歳 女性のストーリー
初恋は、高校生のときでした。
クラスメイトで仲はそこそこよかったです。冗談として周りからはカップルと呼ばれていました。
仲良くなるにつれてどんどん好きになっていきました。
体育館で部活をしていたのですが、向こうの部活終わりの際、手をふって応援してくれたりしていました。
よく一緒にいましたが、友達どうしで冗談としてカップルっぽいという関係が続いていました。
結局、告白はできませんでした。
今思えば、アタックすれば付き合えたと思います。
自分自身なにも行動しないうちに、好きだった人は他の方とお付き合いを始めてしまいました。
付き合ったという報告を受けてわりとショックでした。
それからは、自然と話す時間が減り、いままでのような関係は終わってしまいました。

「誰にも言っていない秘密」

40歳 女性のストーリー
ずいぶん昔の話になりますが、高校生の時に友人が片想いしていた男子を好きになってしまいました。
最初は、応援するといったもののいつのまにか好きになってしまって、どうしたらいいのかも分からず誰一人として私の気持ちを知る人はいませんでした。
卒業してしまえば、自分の思いは消えると諦めることしか考えていなかってたからです。
それから卒業までの1年間はとても辛い学生生活でした。
ですが、卒業も数日に近づいていたある日、私が片想いしている男子の友人から呼び止められ、呼ばれた先に片想いの人がいて、いきなり告白されました。
予想もしていなかった出来事にアタマが真っ白になり思わず、好きな人がいるから付き合えない!と断りました。
告白されたことも片想いをしていたことも誰にも話したことがありません。
21歳 女性のストーリー
私はバイセクシャル(両性愛者)ということは公言しているのですが、唯一恋愛感情を抱いた女性がいるということが、誰にも言っていない私の秘密です。その女性と出会ったのは私が高校3年生のときで、相手の女性は私が入ったNPO法人のとある支部の先輩でした。ショートカットでボーイッシュな服装、一人称は「俺」でしたが、内面はとても女性らしく乙女な部分があり、また私がバイセクシャルであるということも寛容に受け入れてくださいました。なぜ私がこの女性を好きだったことが誰にも言っていない秘密かというと、その女性が支部のトップと交際しており、半同棲をしていたためです。当時高校生だった私には、自分の上司の交際相手に告白をすることは難しいことだったのです。

「死ぬかと思った話」

27歳 男性のストーリー
私が17歳の夏休みに体験した"死ぬかと思った話"になります。

毎年夏休みは海に行きます、人の少ないお盆の時期を狙い地元の幼馴染や友人と電車で行ける範囲で午前11時には海に着き午後17時前には帰路に着ける軽めの遠出といった感じで恒例のイベントとなっていました。

お盆の時期を狙うので"人が少なく""遊泳可能"という場所は限られておりこの時は地元から電車、バスを乗り継いで片道3時間程度の海水浴場でした。

当日は風もなく泳ぐには丁度良い暑さの天候で自分を含めた5人の友人も目一杯泳ぐことができ満足でした。

時間も差し迫り最後にどこまで泳げるか挑戦しよう!という提案に乗り、体力を使いきり帰る想像をしていました。

一人一人満足し海に上がっていく中、私はこれだけ穏やかな波の流れなら自分が遠くまで泳げるぞ!と5人の中でも運動ができるという自信からどんどん先へ泳ぎました

他の5人が泳いだ地点であれば少し戻れば足も着くからどうってことはないと思っていた矢先ある地点を境に波が強くなり力を入れてどれだけ泳いでも戻ることができなくなりました。

浮いているのがやっとという状態でしたが海から上がった友人4人は荷物をまとめ着替えるために浜とは別の場所にあるシャワー施設に向かってしまい私のことは置いて移動してしまいました。

もう体力も持たない、このまま友人が着替え終わるまで待っていたら死ぬのではと感じました。

当然ライフセーバーの方などもその海水浴場にはいたのですが、混まないということだけを重視して探した海水浴場でしたので、そういう方の数も少なく、やんちゃな高校生ということもありライフセーバーのいる監視塔とは離れた所で泳いでいました。

いよいよ浮くこともままならない状態になり、死んだなと思いました。

意識も遠ざかりかけたその時偶然近くでウィンドサーフィンをしている大人の集団がやってきて私のことを救助してくれました。

ウィンドサーフィンを趣味にしている近くに住む会社員の男性でした、仕事が早く終わって来ていなければ取り返しのつかないことになっていたぞと救助後に駆けつけたライフセーバーの方々と一緒にしこたま怒られました。

無事に帰ることはできましたが、それ以降私は足のつかない所では泳ぐことができなくなり、夏は海に行くこともなくなりそれからは毎年山でBBQをするようになりました。

以上が私の体験した"死ぬかと思った話"になります。

「わたしの周りの大恋愛」

22歳 女性のストーリー
私の友達の話で、高校生の時に片想いをしている友達がいてその友達と彼は中学から一緒で4年も片想いをしていて、私がその彼と同じクラスで隣の席で初めて喋った相手でした。まさか友達の好きな人とは思わずにどうにかしてその友達のことを色々聞こうとしました。すると好きな人を聞いた時にその友達の名前がでて私が嬉しくなりすぐに報告しました。すると友達も泣いて崩れて告白しておいでと言ったのですが彼はモテモテで入る隙間がなく悩んでいました。それが2年も続きもうダメだと友達が諦めてた時に彼が私に相談してきました。告白してもいいんかなと言う相談でした。私はもう即答でうん!と返事をし友達に告白してきてやっと5年の片想いが叶う時が来て私が号泣した話です。

「忘れられない夏の思い出」

43歳 男性のストーリー
高校生の頃の話です。卒業する学年になり、仲の良かった人たちで海に行こうという話になりました。BBQもついでに行うということにして、すでに車の免許を持っていた友人たち何人かの運転で海に向かいました。私はかなづちのため、海で泳ぐという気はサラサラなく、BBQメインで考えていました。
海に着き、BBQ準備組と海で泳ぐ組がそれぞれ楽しんでいました。
私はもちろんBBQの準備を行っていたのですが、親に強制的に連れられたり、経験回数も多く、1人でも準備ができるくらいでしたが、わざと外から見ているフリをしていました。案の定、周りは慣れない作業に戸惑います。
こうなれば、私の1人勝ちが確定です。無言で準備に手を出し、すばやく調理を始めました。自宅から隠し玉として、オリジナルの手料理を仕込んだりして来ていたので、ウケは最高でした。
みんなの笑顔と楽しそうな表情を見て、結果として将来飲食の道に入るきっかけとなりました。
40歳 女性のストーリー
高校生の夏休みにイギリスにホームステイに行った時の人生最大のモテ期だった体験を告白します。
当時私は女子校に通っていました。中学まで共学だったので、出会いがなく、恋バナがしたかったのでオーバーに軽いノリでした。
日本にいた頃は、クラスでも三番目くらいに人気がある方でした。幼稚園から顔見知りの女の子たちのグループにいたら、その子たちが目立ってモテるので、その効果にあやかっていたと思います。地方にいましたが、そのグループの女の子で東京のモデル事務所にスカウトされ所属した人もいるくらいでした。
ナンバーワンにならないけど、時々アプローチされるくらいで私には充分でした。
高校は女子校でも、朝の通学の電車のホームで一緒になる男子高生に一目惚れし、彼もかなり人気あったのに、初めての彼女になったこともありました。
イギリスでのホームステイ先は、ものすごく歓迎される感じではありませんでした。私の数日前にも、日本からの留学生が帰国したばかりでした。
私は女子校のノリで、英語力はなくても恋バナでホストファミリーの同年代の女子2人と盛り上がって仲良くなるつもりでしたが、2人ともそんなに恋愛に興味がないようでした。

ホームファミリーに夢を抱いていた私は、コミュニケーションをとることを諦めました。

そのかわり新しい恋愛の出会いを探そうとしましたがきっかけがありません。

ところが、現地の英会話スクールへの通学に使っていた20代男性のバスの運転手さんが、どうも私へ好意を持っていたらしく、ホームステイ中、私の友達たち10人位のバス代をずっと半額にしてくれました。

また、友人のホームファミリーの男の子が、私のことをものすごく気に入ってくれたらしく、熱烈なアプローチをしてきました。その男の子に関しては、友人のホームファミリーということで、流石に遠慮しました。

極めつけは、ロンドンで有名なミュージカルであるCatsを最前列で友人達と見ていたら、Catsに出ている俳優が上演中にボディタッチなどでアプローチしてきました。

Catsは、最前列で見ていると俳優と目が頻繁にあったり、演出上、俳優が私の座席の近くで静止していたりするのですが、その間ずっと見つめあったりしていました。

容姿に自信がある方は、日本の映画の舞台挨拶で前の方に座っていると、かなり有名な俳優さんとしばらく目を合わせるという体験ができるチャンスもあります。

「忘れられない先生の話」

21歳 女性のストーリー
高校生の時、私が入学式の時と同じタイミングにやってきた現代文の先生の話です。

最初から様子はおかしかったのですが、1番驚いたのが 羅生門 の授業の時でした。
最初はラジカセを使って音声さんが読み、クラス皆で聞き、それを踏まえて授業に入りました。
羅生門の登場人物である、老婆 や 下人 など、カラスまでも急にモノマネをし始めて、そんな先生は見た事がなく、クラス中で話題になりました。

その先生は自分のことを おっちゃん といい、私のクラスでほかの教科の授業をしていても前後のクラスでその先生が授業していたら、急な叫び声、急な音、等々とてもインパクトのある授業をする先生だったので、最初は他の教科の先生も 何?とはなっていましたが、高校三年生になるにつれ慣れてきたのか、 またやってるなぁ と発言する先生が増えてました。

今まで出会った中で一番インパクトがあり、授業中はとても賑やかな、親父ギャグが溢れ、冷たい空気が流れまくりでしたか、生徒のことも見て、ラフな関係で接してくれる、優しいおっちゃん先生でした。

「人生最大の失恋話」

40歳 女性のストーリー
高校生の時に同じ学校の男子を好きになりました。
喋ったこともなく、ある事情から諦めるつもりでした。
卒業したら会うこともなくなり、自分の気持ちもなくなるだろうと考えていたからです。
諦める前提の片想い。
その人を好きになってから卒業までの1年半、とても心苦し学校生活をしてきました。
ですが、卒業を控えたある日私が片想いをしている男子の友人から呼び止められ、呼ばれた先に片想いの人が待っていて、告白されました。
びっくりでしたが、私はよろこべずにいました。
好きな人がいるから付き合えないと告げ、告白を断りました。
それから卒業を迎え、20年近くたちますがその人以上に好きになれた人はいません。
私がその人から受けた告白を断った理由は、友人の好きだと知った人を好きになったからです。
27歳 女性のストーリー
高校生1年生のとき初めてできた彼氏が友達のお兄ちゃんで高校生3年の先輩でした。学校の中ではイケメンで人気でしたが今までの3年間告白されても誰とも付き合っていないので相当理想が高いと評判だったみたいです。
何も知らない私は全然化粧もしてないく、色気付いてもいないのでとっても付き合うことになった時は不思議でしたがある時、付き合って1年がたったころその彼が社会人になり、今までのように学校でも会えず新入社員なので研修や先輩との、飲み会などですれ違い始めた頃に彼氏に呼び出されて別れ話かなと思って時にやっぱり妹にしか見えない。妹が2人いる気分と言われました。1年も付き合った後に言われたことで色々考えてひたすら泣きました。
26歳 女性のストーリー
高校生のとき。大人の方に恋してました。相手は27歳の10個年上でした。あのときって大人がとても素敵に見えちゃうんですよね‥。デートも何回かして、うまくいくような気がしていました。そんなある日のこと、いつものようにデートで彼の車にのりこむと、ふと左手の薬指に指輪があるのが目にはいってしまいました。
なんと彼は既婚者だったのです。その時は彼のことが大好きだったので頭が真っ白になりました。今思えば遊ばれていただけだったんですよね。後日問い詰めてみると、既婚プラス偽名だったことが、発覚。しかしそのあとも彼が好きでしばらく関係を続けていました。高校を卒業した頃には目が覚めていてどうでも良くなりましたが‥あのときのことを思い出すと胸が痛くなります。
23歳 女性のストーリー
高校生の時に両思いで付き合った彼氏がいたのですが、クリスマスに遊ぶ約束をしてて、クリスマス当日に『ごめん、遊べなくなった』とドタキャンされた上に、夜に電話して『なにしてるの?』て聞いたら『女と遊んでる』って言われて、電話越しで泣いてたら『俺、女と寝たしお前と別れるから』とか言われてなんの前フリもなく振られたのが人生最大の失恋話です。
振られた直後は道端で号泣してた上に、自宅に帰ってからもティッシュまるごと1箱使い切りました。その後、祖母から『若いんだから男の子なんて山ほどいる』って言われた時には、なんでこんなクズのために涙流してんだろうと冷静になり、悔しくなったので私から『もう私の目の前に現れないでね。サヨナラ』と言ってその人とお別れしました。
28歳 女性のストーリー
本当に失敗しました。大好きで憧れていた同級生にチョコを渡したことから、発端が起きました。
当時私は高校生で友チョコと別に本命チョコとお手紙を添えてそっと彼のカバンに入れました。
そして翌日彼から呼び出されて、俺も好きだった。ありがとう。これからは友達以上の関係になろうなって言ってくれてすごく嬉しかったのもつかの間でした。
3年間付き合っていた彼と別れることになったのです。
発端は志望校の大学でした。
彼と私は同じ大学で学部違いで受けました。
しかし受かったのは、私だけで、彼は落ちました。
そのことを彼に伝えたら、お前は俺の理想の大学に行け、でも私は彼と同じ大学が良かったので、彼に内緒で同じ大学を受けました。
結果は私が落ちて彼が受かったのでした。
これが大失恋のきっかけでした。
私はそのことを彼に伝えたら、なぜ受かっているのに受けたと聞かれ、私は一緒大学行きたかったからと答えたら、俺たちは縁がなかった。
もう別れよう。それぞれ大学生活を送ろうって言ってきたのです。
私は彼と別れるつもりはなかったのですが、
高校生活の思い出じゃと言われればそうかもしれないと思い別れました。
受験は人生を変える
そして考え方も変わってしまった。
そんな大失恋でした。
お互い嫌いになっただけではないけど、
それぞれの人生の邪魔をしてはいけない気がして
別れました。

「今だから言えるごめんなさい」

23歳 女性のストーリー
小さい頃から泣き虫で、怒られるどころか、怒るそぶりを見せられるだけで泣いてしまうタイプでした。普段から鈍臭くて、親兄弟、学校の先生、近所のおじさんからもよく怒られていて、中学、高校でもずっと泣き虫キャラでした。
高校生の頃、彼氏ができて、とても優しく接してくれて、私が無駄に泣いても本当に心配して話を聞いてくれて、普通なら、そんなことで泣くなよめんどくさいな。と言われるようなことでも真剣に聞いてくれる人でした。
それなのに、遊びに行って夜遅くまで連絡をしなくて心配させてしまい、友達と遊んでいる最中に充電が切れてしまって、でも、友達の相談を無視できなくて付き合っていたと泣きながら説明しました。本当は、浮気をしていました、嘘泣きですごめんなさい。

「人を見返してやった話」

36歳 女性のストーリー
高校生の時、体が弱く、なかなか学校に行けない時期がありました。
久し振りに学校に来れて、しんどいながらも授業を受けていた時、忘れもしない英語科の先生が、突然私の顔をまじまじと見て、こうおっしゃいました。
「私は学校に来ない生徒は嫌いです」
クラスの中で休みがちな生徒は、私しかいません。クラスメイトも驚き、ざわざわし始め、私に注目が集まりました。
先生は、続けてこうおっしゃいました。
「学校に来ないということは、授業に出ない。授業に出ないということは、成績が悪い。私は、成績が悪い、勉強が出来ない生徒は嫌いです」と。
耳を疑いましたが、現実でした。クラスメイト全員がドン引きでした。授業が終わった後みんなが慰めてくれました。
確かに、定期テストで思うようにいい点数がとれなかったのは事実でした。
言い返す言葉もなく、すごく悔しい思いをしました。でも、強く「よく解った。今に見ていろ」と心に決めました。
それから、病院で点滴を受けているときも、家で熱を出して寝ているときも、教科書の他に参考書を買って、必死に勉強しました。
そして次の定期テストでは98点を取り、クラスでトップになりました。
私はその答案を持ち、職員室へ行きました。そうして先生に尋ねました。
「あなたの授業を受けているのにも関わらず、あなたの授業を受けていない私より成績が低い生徒のことを、どう思いますか?嫌いですか?」と尋ねました。
先生はオロオロと困ったように周囲を見回しながら「ごめんなさい」と頭を下げました。
胸がスッとしました。
でも、担任の先生から「やりすぎだ」と叱られました。
29歳 男性のストーリー
私は中学高校の一貫校に通っていたのですが、入学以降部活や遊びに夢中で勉強はもってのほかで常に学年最下位クラスの成績でした。そんな中、高校2年の二学期末を迎え、皆受験を意識し始めたころ、皆で成績を上げる為に、チーム戦でテストの成績勝負をする事になりました。最下位のチームは優勝チームに焼肉を奢るという高校生のお財布には少し厳しい勝負でした。そのチーム分けの際、私と同じチームになったメンバーが既に敗戦ムード。それもそのはず、中学1年から5年半最下位層をうろちょろしていた私は完全にお荷物のレッテルを貼られていました。ここで私は、皆を見返すチャンスだと感じ、敵チームを油断させる意味も含めて、家でものすごく勉強をしました。皆の驚く顔やチームメンバーの喜ぶ顔を見る為に中学以来初めて努力をしました。結果、クラス40人中まさかの2位。勝負していた友人だけでなく、職員室も騒ぎになり逆に呼び出される結果になりました。もちろん焼肉の事は伏せ先生にはこれが本当の力ですと豪語し天狗になりながら人を見返した話です。

「これまでの人生で悟ったこと」

57歳 女性のストーリー
ふと気づくと、あっという間に「還暦」近い年齢となってしまった。頭の中身はまだまだ高校生並みで、大病もせずに健康で楽しい毎日を過ごせているのは幸せな事だと思う。
とはいえ、これだけ年齢を重ねるとそれなりに「苦しい経験」もしてきたように思う。私がこの年齢まで生きてきて悟ったことは、「世の中や周りの人間は、たいてい自分の思う通りにはいかない。明日は何が起こるか分からない。だから自分自身の人生を生きよう」と言うことである。
いくつか実例を挙げると、勤務先で真面目に働いていても、社内の経済事情からリストラ宣告を受けてしまい職を失った。また、東日本大震災という思いもよらぬ自然災害に見舞われ、ライフラインがやられて生活に不自由を来たした事もあった。親が急に倒れて要介護状態になった事などもあった。
そんな中で私は「とりあえず今日の事だけを考えよう。明日のことは明日考えればいい」と自分自身に言い聞かせてきた。それは、様々な経験を経た上での、自分の信条ともなっている。

35歳 男性のストーリー
人生意外となんとかなる
よくある話ですが、私は中学生の頃いじめに遭いました中学生生活の3年間不登校にこそならなかったですが中々解決せずにつまらない3年間でした。中学校時代の友達は1人もいません。その後高校にいきましたが中学生の経験から人間不信のようなものになってしまい人とのコミュニケーションがうまくとれなくなりました。高校生生活の3年間はいじめこそなかったものの友人もほぼできずとてもつまらないものでした。その後は大学へ進学します。当然のことながら友達は出来ません。唯一バイトだけが楽しみでした。こんな人生なので自殺も幾度と考えたことがあります。社会人になっても変わらないだろうし結婚できない、しても嫁子供を幸せにできないであろうと。でもいまは結婚しましたし子供もいます。人付き合いは下手ですが働いています。収入もまあまああります。入った会社と職場環境がたまたまよかったのでしょう。人生意外となんとかなるなと思いました。

「どうしても許せないこと」

22歳 男性のストーリー
自分には親が母親しかいないのですが、小学1年の時に親が離婚して母親が育ててくれたのですが中学3年生の時に母親の職場の男性が母親に好意があり、付き合うようになりました。私も最初は苦手だったのですが母親と自分を大切にしてくれていたのでだんだん苦手ではなくなりました、それから1年経ち男性の方が私たちの実家の近くのアパートに住むことになりました。それからはよくアパートに遊びに行ったり着替えだけ実家に取り行ったりして数十メートルの違いですがそれなりに楽しくしてました。
しかし、高校2年になる頃に母親からもう会えないと言われ理由を聞いたところ同じ会社の若い子が好きになり、そっちの方に言ったそうです。もちろん、アパートもすぐ解約され、いきなりで私も混乱してました。
なにより許せなかったのが、高校生の私がいる中で母親と結婚して子供も欲しいと言ってた男性が簡単に私の母親を捨てたことです。大学生になった今でも、あの時結婚してたりあのまま楽しく生活できていれば母親も幸せに生活できたのにと思うと本当に許せない気持ちが残っています。
26歳 女性のストーリー
高校生の時に2つ上の先輩と付き合っていた。同じハンドボール部で部活後に一緒に帰っていたり、帰宅後は毎晩遅くまで電話をしていたのだが、半年経ってから電話をかけても出ない日が増えた。本人はアルバイトで出られなかったというが、他の知り合いに聞いたらその日はアルバイトはなかったと言った。気になる私はある日、先輩が部屋に遊びにきた時にタイミングを見計らって携帯を覗き見した。するとよく見る名前の人と電話やメールをしていることが発覚。その人は私の親友だった。私と先輩が付き合っていることを知りながら親友は先輩と浮気をしていた。私はその子に喧嘩をした時や先輩の誕生日プレゼントについてよく相談していたため、なおさら怒りがこみ上げてきて、バレて謝られた今でもずっと許すことができない。
37歳 女性のストーリー
もう20年近くも前、高校生の時に言われた些細な一言、でもどうしても許せない、忘れられないことがあります。
私は国立大学、推薦入学試験で運よく合格し、9月には進路が決まっていたすごくラッキーな高校3年生を送っていました。
高校3年のクラスでは、4人組でいつも行動を共にしていた、12月のあるランチ時間、話はやっぱり模試や進路の話ばかり。そこで、4人組のある一人が私に言った。
「私もう模試の結果も全然ダメで、受験先変えないといけないかも。どうしよう。○○ちゃん(私のこと)大学受けようかなぁ。」と、、、。
それって、私の行く予定の大学はレベルが低いっていうことですよね?まさか、そんなことを仲良くしていた友達から言われるなんて。
結局、彼女は、志望していた国立大学に落ち、滑り止めの私立大学に進学。
もう許せてもいい話なのかもしれないけれど、どうしても許せず。数年前にあった同窓会で連絡先を聞かれたときも、Lineは使ってないからと断りました。
31歳 女性のストーリー
高校生の頃、体育の授業でバレーボールのサーブの練習をしていた時です。誰かが打ったサーブが私の顔面に直撃しました。ちょうど口の辺りに当たって、唇から血が出ました。かなり強いボールだったので痛くてしばらく動けずにいたのですが、そのボールをぶつけてきた人は謝りに来ませんでした。誰だか分からないけど謝りに来ないなんて失礼な人だな、と不快に思いました。しかし、体育の授業が終わって鏡を見ると、ちょうどボールが当たった辺りの歯が歪んでいたんです!私は元々歯並びが整っているので、一本だけ歪んでいるのはすぐに分かりましたし、目立ちました。歯並びの良さだけは自慢だったので、本当にショックでした。ボールを私に当てた人は、私に当たったことに気づいていないのか、分かっていて謝りに来なかったのか、それともわざとなのかは分かりません。歯は今でも歪んだままですし、人の顔を傷つけておいて治療費と慰謝料をもらいたいくらいなのに謝りもしないのは今でも許せないです。
28歳 女性のストーリー
高校生の時に初めて付き合った年上で社会人の彼氏のことが、どうしても許せません。
初めての彼氏でわたしも良くなかったのはあとから反省していますが、パチンコが大好きな人で給料が入るたびにすぐにパチンコ屋に行ってお金を使い果たしてしまうような人でした。その時はわたしも彼のことが好きだったしそれなりにバイトをしていたので、たまにお金を貸してしまっていました。
結局貸したお金は3万円にもなりました。それでもわたしが特にお金に困ることはありませんでしたが、人にお金を返さないくせに夜遊びをやめず、女の子がいる飲み会に行ったりして、浮気のようなことも繰り返しているようでした。流石に許せなかったので、お金は返してもらえないままでしたが別れました。

「嘘みたいなほんとの話」

23歳 女性のストーリー
 LINEが普及し、現在のようにID検索に制限がなかった時代がありました。その当時私は高校生になりたて、世の常識も分からず、中学の頃から欲しかった携帯をようやく手にして有頂天になっていました。
 LINEをやっていると知らない人からメッセージが来ていました。常識で考えれば、無視もしくはブロックするのがトラブルの元にもなりませんよね。ですが、当時の私は好奇心旺盛なうえに一般教養に欠けており、知らない人からメッセージがきても普通に返信し、連絡を取り合っていました。
メッセージを送ってくる人は、なぜか最初は卑猥な話をするので、なんでこんな人たちばかり来るんだ??と疑問すら抱きました。どうやって自分を見つけたのか聞くとID検索だと言われ、どういうことだ??と不思議に思っていれば、自分が登録していたIDがみごとに卑猥な言葉で構成されていたんです(笑)
もちろん、狙ってしていたわけではないので驚きに驚きました。その当時のID由来は、双子のニックネームから取ってきたようなものだったので、まさか卑猥系で解釈されるとはだれも思わないじゃないですか(笑)
このIDのおかげと言っていいのか分かりませんが、普通であれば知り合うはずのない人と関われたのは良き思い出に(笑) それから、噓だと思われそうですが、1人だけリアルでも繋がりを持ち付き合って別れた今でも、よき理解者、よき友としての交流が続いています。
だからといって、知らない人と連絡取り合ったり、会ったりするのはトラブルの元なので気を付けてくださいね。
41歳 女性のストーリー
高校生の頃自分で耳の上部にピアスを開けようとして氷で冷やして安全ピンを刺して抜いた後、「ポタッポタッ」という音が聞こえてどこから音がしてるのかなーと呑気に思いながら鏡を見たら自分の耳から血が滴ってる音でした。
音にして聞こえるぐらい滴ってるって嘘だろう…と当時は思ったものです。
なかなか血が止まらなくて焦ったけれど病院に行くほどではなかったので良かったです。
上部に穴開けたかったのですが、軟骨があって無理やり安全ピンを刺したのが悪かったみたいで、血管を突き破ったみたいです。
どうしてもピアスを開けたかったので違う場所に開けて自分を納得させましたが、あれ以来ピアス開ける度にドキドキする羽目になってます。
これが私に起きた嘘みたいなほんとの話です。

「学校や仕事をサボってやったこと」

24歳 女性のストーリー
高校生の頃、部活も引退した3年生の時
ずっと部活をしに高校に行っていたようなものだったので
その部活を引退したら高校に行く気力が一気になくなってサボったりすることが多くなりました。
卒業はできるようにはサボる日数をしっかり調節などはしていました。
仲のいい友達の家に遊びにいって、その子の家でDVD見てゴロゴロしたり、バイクに乗って遊びに行ったり、ファミレスでずっと喋っていたり、映画見に行ったり遊んでいました。
友達の家が田舎だったので警察などに学校は?と聞かれることもなかったので楽でした。
学校から家に電話があると親にサボったことがバレるのが嫌だったので
自分で親のフリして学校に電話かけて休みますと嘘の電話をして
親にはバレないようにしてサボったりもしていました。
27歳 女性のストーリー
私は小学生から高校生まで学校をさぼると家で映画を見ていました。当時は今のようにネットで映画を観ることはできなかったので、録画しておいた金曜ロードショウを繰り返し見ていました。近所にレンタルビデオ店があったので、時には母に無理を言ってビデオを借りてきてもらうこともありました。
社会人になった今でも時々さぼりで仕事を休みます。その際も、もっぱら家で映画を見ています。私は職場と家が大変近く、コンビニに行くことすら心配になる距離なので家からは一歩も出られないのです。ただ、学生時代と異なるのは、今はテレビをネットに繋いでいろいろな映画を観ることができるということです。ネットのおかげで、サボった日の映画鑑賞がはかどります。
45歳 女性のストーリー
高校生の頃、1年生の頃から軽音部に入ってバンドを組んでいました。
そのため、スタジオやライブハウスへ普段から入りびたり、先輩や他校の生徒や
その他の一般社会人のバンドマン(ウーマン含む)達と知り合いになりました。
学校外でもバンドを組むこともあったので、当時学校をサボッて様々な人たちと
(メンバー含め)と一緒にスタジオへ入り練習するのはもちろん、
ご飯したり、海も近いこともあり海へ遊びに行ったり(浜辺でボケボケしたり、
夢を語り合ってみたり)、ボーリングにはまったり(マイボールまで作って
遊んでました)、ばかりいました。
しかも、高校2年生~3年にかけて、ライブハウスでバイトもするようになったので、
高校生活の中で、一番バイトメンバーと一緒にBBQしたり、スキー、温泉など
一番楽しい思い出を作ることができました。
まぁ、サボってなので、あまり良いこととは言えませんが、今となっては青春ですね。
24歳 男性のストーリー
高校生当時、学校をサボって冬の海まで行ったことがあります。
当時お付き合いしていた彼女と別れ、行き場のない気持ちが思春期というフィルターを通して発露したのだと思います。
海の寒さに身震いしたことと、こんな時でも「海」はそれ以上でもそれ以下でもないと感じました。
しばらくぼんやりと海を見ていました。
そこでふと、ただそこにあるのものが能動的に自信に影響を与えることはなく、地震がそうものをどう見るかによってなにがが生まれるんだなと気づきました。
周りには所在なさげにふらふらしている中年の男性や何故か半袖の女の子など多種多様な人たちがいました。
自分もこの中の一人なんだな、と思うとなんだかおかしくなりその後は豪華な海鮮丼を食べてから遅れて登校しました。
オチも山谷もない体験ですが、青春の1ページとして私の心に残っております。
54歳 女性のストーリー
自分で言うのも変ですが、とても真面目な学生だったと思います。
しかし、後にも先にも一度だけ学校をサボった事がありました。
高校生の頃、プロレスに熱狂していました。地方に住んでいたので、プロレスの巡業は年に一度か二度くらいしかやってきません。
試合は見に行く予定でしたが、どうしても憧れのレスラー達に会いたい、サインをもらいたい、写真を撮りたい、といった欲望がわきあがってきました。
そして、学校に仮病の電話をすると、仲間とともに朝から出かけてホテルや会場付近に張りこんでいました。すると、今は亡きジャンボ鶴田さんや三沢光春さんなどが続々と現れ、ファンサービスをしてくれたのです。今となっては思い切って行って良かったと思っています。
23歳 女性のストーリー
小学生の頃、新任の担任だったので言うことを聞く生徒が少なく授業の途中だろうが何だろうが、教室を飛び出して当時の仲良しメンバーで家でタコパをしたり小学生ながらにおおちゃくをこいていたことと、高校の頃、学校の校則が厳しすぎて、嫌になった友達と親にも先生にも連絡せずに2人で海に黄昏に行ったり、寄り道さえ禁止の高校にも関わらず市内のデパートに制服のまま出かけた。同じ高校の時でまた別の日には、出掛けて補導に出ていた先生たちに見つかり、学校に連れて行かれてしっかり反省文を書かされ、毎日居残りをさせられ更に学校が嫌になって、遂に1週間以上学校をサボり、高校生なのに三者面談ではなく担任が家庭訪問に来ることになったこと。
37歳 男性のストーリー
高校の時にたまにサボりましたね。

友人の家に泊まって、朝起きてから学校いかずにまずファミレスでモーニング。(もちろん私服で)
三時間目から出勤が多かったですが、ひどいときは、午後からとか、授業全部終わって部活から出勤してました。

友人は高校生からアパートで一人暮らしだったので、多いときは一週間泊まりっぱなしの時もありましたね。

学校が嫌な訳ではなかったですが、朝起きて何となく、「モーニング行くか」ってなると、だいたい一、二時間目は間に合わない時間になります。

学校に「体調悪いんで遅れます」と電話だけはしっかり入れておき、私服に着替えてファミレスへ。
出席日数に支障が出る程ではありませんでしたが、よくやってました。
26歳 女性のストーリー
高校生の頃、サボり癖がつき、学校にあまり行かなくなってしまいました。全日制の学校でしたが、週に3回くらいのペースで行っていたこともありました。卒業する事はできましたが、かなりギリギリの単位で卒業しました。両親は共働きで、私が学校に行く時間より前に職場に行っていました、そして学校から帰る時間よりも後に職場から帰ってくるような勤務だったので、1日家にいてもバレませんでした。1日家にいて、インターネットをしたり、テレビを見たりかなりダラダラと過ごしていました。たまに、平日でも両親が家にいる事があったので、そんな時は喫茶店でお茶をしたり、マンガ喫茶でインターネットをしたり漫画や雑誌を読んだりしていました。友達もいなかったので基本的に学校をサボる時は1人でした。

「人生が変わった出来事」

38歳 女性のストーリー
高校生の頃、ちょっとヤンチャな女友達といつものようにカラオケに行ったとき。
私が気分良く歌っていると、友達にふざけて足でマイクを軽く蹴られました。
その拍子にマイクが私の前歯に当たり軽く蹴った割には、物凄く痛くて脳天まで痛さが響き、その時は何も言えませんでしたが、私が痛がっている姿を見てイタズラが成功したのを笑いながら見てました。

そんな友達だったので、その後考え方の違いで友達を辞めましたが、なんとその一年後ぐらいに歯茎に膿が出てきたので歯医者に行くと、前歯が折れていました。

マイクが当たった衝撃で前歯が折れていたのです。そのまま放置するわけにはいかず、歯茎を切って抜歯しブリッジにしましたが、保険の差し歯では色が変色してくるので、自費でセラミックにしましたが、セラミックが割れてまた自費でやり直しましたが、
私はその友達だった人に保障もしてもらえず、お金がかかる人生になってしまいました。

次割れたら入れ歯です。そうなったら、まだ若いのに見た目最悪なので、前歯で硬いものを噛むのが凄く怖くなりました。

43歳 男性のストーリー
私は中学生の頃に不良グループから使い走りとしてコキ使われていました。高校に進学すれば不良グループと離れられる。そんな希望を持ち中学三年間を過ごしました。高校生になると新しい友人達に囲まれながら青春を謳歌し、次第にヤンチャな友人も増えて行きました。高校一年生の夏休みに地元の中学校卒業を卒業した同級生と会うことになり待ち合わせ場所に行くと、同級生はバリバリのヤンキーに変身していて既に高校は退学になっていました。この同窓生と私は夜な夜なつるむようになり、気が付くと私自身もヤンキーになっていました。夏休みが終わろうとする頃、ヤンキーの同窓生の提案で私を中学生時代にコキ使いまくったヤンキーグループに復讐しようと提案があり、悩んだ挙げ句呼び出しました。勢いよく威圧しながらやって来るかつての敵達。体に染み付いた恐怖感を抑えて私も威喝して一人と喧嘩になりマグレで私は勝ってしまったのです。その後、立場は逆転して敗退した彼等は私と同窓生の使い走りとして高校三年間を過ごしました。因果応報。私の人生が変わった瞬間です。
55歳 女性のストーリー
仕事中、クモ膜下出血で倒れ救急搬送された。その時てんかんの発作を起こしていたらしく、運転免許取り消しとなった。幸い、後遺症もなく退院できたものの、それまで、配達の仕事で生活を支えてきたのに、一気に収入が半分近くまでさがり、シングルマザーでまだ大学生と高校生の息子をかかえ、これまでの借金もあり、生活は一気にどん底に。それ以前に、社会復帰もできるかどうかさえも不安な状況。一か月の入院で筋肉はゼロに。無職にはなりたくなくて、焦る日々。半分の給料にも涙を呑んで辛抱するしかなくて。あの時死んでいたほうがよっぽど楽だったと思う日々。それは今でも毎日思う。時を戻せるのなら、やり直せるのなら、やり直したい。子供達との生活をちゃんとやり直したいと、願う。もう戻せないけど。

「修学旅行の思い出」

48歳 女性のストーリー
わたしは埼玉県に生まれて埼玉県の高校生を卒業しましたが、当時の修学旅行で和歌山~四国を回りました。
その時に不思議な体験をしました。

生まれも育ちも埼玉で、当時は埼玉か東京くらいしか行ったことのないわたしは、当然その場所も一度も訪れたことのない場所でした。
でも何故か住んでいた、あるいは訪れたことがあるといった不思議な既視感に襲われ、修学旅行中ずっとソワソワしていました。

何ともふわふわと落ち着かない気持ちで観光地を回っていて、そんな中、血の池地獄と言われている場所に行った時に、一瞬でしたが、頭の中に武士の戦場の様子が浮かび、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして、その場に倒れ込んでしまったのです。

すごく不思議な体験でした。

後日、母にそのことを伝えたところ、母親の先祖は和歌山のその四国辺り出身の武士だったそうです。

八代将軍徳川吉宗公の側付きの侍だったようで、同氏と一緒に江戸(東京)にやってきて~それから主が変わり~埼玉県の忍城へ~で、そのまま住み着いて子孫まで・・・。

ひょっとしたら、貴女は先祖の生まれ変わりかもね・・・・なんて笑いながら、母が話していました。
49歳 女性のストーリー
高校の京都奈良の修学旅行最終日、おこづかいをほとんど残さず、八つ橋やいろいろなおみやげを沢山買いました。
最近の高校生の修学旅行の荷物はスーツケースで片面はおみやげ用に空けていくようですが当時はそんなことは無く大きなビニル製の肩から掛けるバックでした。
翌日に向けて、たくさんのおみやげの荷造りをしたのですがどうしても荷物がまとまらず
先生に相談すると宅急便で、自宅に送っても良いと言われ送料はかかるものの同じ部屋の友達と宅急便で送ることにしました。
おみやげや、洗濯物や、もう不要と思われるものを送ると翌日最終日はほぼ手ぶらで過ごすことができる!と必死で荷造りをしホテルフロントで手続きをし、ほどなく宅急便が集配にきて送ることができました。
その後、部屋に戻りお風呂、寝る準備を始めようとした時、友達がかなり焦って
「全部送っちゃった!」と
友達は話しながら荷造りをするうちに必要なものまで入れて送ってしまったのでした。
部屋中、大笑いで皆で必要なものを少しずつ貸して最終夜を終えました。
34歳 女性のストーリー
高校生の頃、遠距離恋愛をしていました。電車でも3時間かかる距離…会えるのは長期休み程度でした。そんな彼と電話で修学旅行について話をしている時、日程が近いことに気付きました。でも私の高校は修学旅行の行き先は広島、京都、東京で、彼の高校は沖縄と京都です。行き先もバラバラだし、日程も全く同じわけじゃないからまさかねって笑いながら話をしていたのですが、そのまさかが起こったのです。私の修学旅行2日目の京都と、彼の3日目の京都の日程がちょうど重なったのです。もうこれには二人ともびっくり。ホテルに入ってからの自由時間に少しだけ会うことができ、恋愛成就で有名な地主神社の御守りを二人で分け、すごく喜びました。運命だね~なんて話をしていましたが、もちろん今は別々の人生を歩んでいます。こんな偶然ってあるんだなと感じた瞬間でした。
30歳 男性のストーリー
高校生の時の修学旅行にて二泊三日での沖縄になったのですが、一日目が西表島残りが沖縄本島に移動してのスケジュールでした。
一日目は楽しく西表島にて予定されていたスケジュールをこなし夜には外に出て街灯がなかったので素晴らしくきれいな星が空を覆いつくしていました。
次の日お昼前ぐらいに西表島から本島にボートで移動する前に島唯一の売店がありそこでペットボトルの期間限定のジュースを買いボートで移動中飲んでいたのですが、本島に着きホテルに着いたあたりでおなかの調子が悪くなりホテルの部屋についてからトイレにこもりそこから下痢が止まりませんでした。
ジュース以外口にいていなかったので原因がそのジュースですたがどこにも言えずじまい。
二日目の晩御飯がホテルの広場にて沖縄料理バイキングだったのですが下痢のせいで沖縄料理を楽しめず唯一口にできたのがシークワーサージュースのみでした。
せっかくの楽しみにしていた料理が食べれなかったのが悔やまれましたが全体的に楽しい修学旅行でした。
27歳 女性のストーリー
高校時代の修学旅行は、グアムでした。
グアムということで、海外の高校生との交流行事がありました。
交流ということでしたので、英語と日本語交じりで必死です。(グアムの高校生は英語が話せる方がたくさんいました。)その際に、私と女の子1人が日本人グループ。男の子3人がグアム側のメンバー。(性別が違ったことについては、あまり突っ込まないでください。)

楽しくわいわいお話をしたり、学校の中の案内をしてもらいました。そこまでは、普通です。Theアメリカ!The高校!というイメージ通り。
ここからが問題です。男の子の1人は急に聞いてきました。Do you have a boy friend?その時彼氏はいなかった為、Noと答えました。私としては、口説かれるの!?お!と思っていたところ、、、
Other member of the guys are in relationship. え、他の2人は付き合ってるよ。=彼ら2人はゲイだよ。と教えてくれました。日本人女子高生にはただただびっくりで固まっておりました。
口説かれるの!?とか思っていた私がとても恥ずかしかったです。
33歳 女性のストーリー
高校生の修学旅行は嫌な思い出しかありません。
仲の良かった友達が初日はずっと一緒にいたのに、2日目の夜からは部屋に戻ってこなくなり他の部屋にいたほうです。最終日は私の隣にいるのがイヤだと、飛行機の中で隣の席が嫌だから席を交換してくれる人を探していました。
理由は他のクラスの子と仲良くしていたからだと言われました。元々束縛が激しい友達だったけど、まさか修学旅行中にこんなことになるとは…。
自由行動もその子と約束をしていたせいで一緒に行動する子がいなく、とても嫌な思い出になりました。
大人になってから再会して仲良くなりましたが、また「私以外の子を親友と呼ぶな」と怒られ喧嘩になりました。女の友情はめんどくさい。今では何をしているかもわかりません。
22歳 女性のストーリー
わたしの修学旅行の思い出で一番印象に残っているのが、高校生卒業旅行です。その旅行先がカナダで一週間の旅行で、各首都を巡る旅行でした。トロント、バンクーバーなど巡り一生に残る思い出となりました。特にその旅行の中で印象に残っているイベントとしては、2つあります。1つ目は、氷河を見学したことです。氷河期時代から残っている氷河の上を歩くことができ、地球温暖化の現実味や太古の昔の環境を肌で感じることができました。2つ目は、メジャーリーグへの観戦です。たまたまその時は、ゴジラと呼ばれたホームラン王、松井選手がニューヨークヤンキースからカナダへチーム移行していたことやマリナーズ戦の観戦でしたので、ゴジラ対イチローの対決をカナダで見ることができ、非日常を感じました。
31歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行の思い出です。当初、海外の予定でしたが、当時新型肺炎が海外で流行しており、急遽国内となった修学旅行。行先は九州でしたが、初めての九州、また修学旅行ということで、みんなとても楽しみにしておりました。
長崎、熊本を周りましたが、夜は遅くまで友達をお喋りをしており、移動中のバスの中ではほとんど寝ておりました。
そして、最終日ですがこの日は朝から台風が九州に接近しており、天気が大荒れでした。風雨ともに大変強く、飛行機が飛ぶのかみんな不安でしたが、案の定、飛行機は欠航してしまいました。
結局、予定にはなかった福岡に1泊し、翌日に帰ってきました。
当時、みんなは大変喜んでましたが、先生方は大変だったんだろうなと思います。なかなかない経験が出来、一生の思い出になりました。
37歳 女性のストーリー
高校生の時の修学旅行が沖縄だったので、飛行機に乗ること自体が初体験で、特にトラブルはありませんでしたが、行きも帰りも発着陸が怖かったのを覚えてます。
沖縄に着いてからは「さすが元アメリカだなぁ」と思う事が多々ありました。
まず、宿泊したホテルでの食べ物はバイキング形式でしたが、全てがビックサイズ。
沖縄でしか食べられない、お料理ばかりだったので、バイキング形式で良かったなぁと思いました。
2日目の自由行動では、マンゴーアイス、シークワーサーのシロップのかき氷と、自分の地元にはないデザートを食べ歩きしました。
1番驚いたのは、ファストフード店に入り、ハンバーガーセットを頼んだ時に出てきたハンバーガーとポテトがアメリカンサイズで、飲み物なんてジョッキで出てきた事です。
やはり、地元のファストフード店では飲み物は紙コップでS・M・Lとサイズがあるのが普通なので、これには本当に驚きました。
学生時代の修学旅行で1番食べ物が美味しくて、楽しかったのは沖縄だけでしたし、率直に帰りたくないと始めて思えた場所でした。

「忘れられない夏休み」

22歳 女性のストーリー
社会人1年目で初めて訪れた夏休み(お盆休み)。
高校生の頃からお付き合いしている同い年の彼と少し距離を置いていた。
高校生活はずっと彼と一緒だった。(放課も週末も)私は少し疲れていた。
1人の時間が欲しかった。だから距離を置いていた。
ある日、会社で同じ部署の男性(3歳年上)に花火でも見て
疲れを取ろう!と言われ、花火大会に行くことになった。
年上の男性と出掛ける事が初めてだった私は少し緊張していた。
結構有名な花火大会だったらしく、朝から集合して会場へ向かった。
車での送迎や、食事代金の支払い、全てにおいて大人の対応だった。
花火を見終わり、帰宅ラッシュが過ぎるまで近くでゆっくりすることになった。
噴水がある公園で噴水を見ながら話していると、突然男性に告白されたのだ。
職場でそんなに会話していなかったし、私はむしろ嫌われていると思っていた。
だからとてもびっくりした。同い年の彼を一途に思ってきた私が、初めて
違う男性に心動く瞬間でした。私は人生で初めて浮気をしました。
数日後に告白を承諾した。同い年の彼に別れを告げると、何で?と言われました。
そうですよね、だって喧嘩もしていないのだから。私が一方的に距離を置き、
そして浮気した。最低な女です。3年だった今でも忘れられない夏休みです。
生きてきて初めて最低なことをした夏休み。
19歳 男性のストーリー
中学1年の夏休みを僕は忘れることはないと思う。
毎年お盆休みになると家族でお婆ちゃんの家に遊びに行きます。お婆ちゃんの家はドがつくほどの田舎で周りは山と畑に囲まれていて1番近くのコンビニに行くのに30分くらいかかります。その年はたまたまゲームの充電器をわすれて遊ぶものがなくなりつまらなくて何もない田舎を適当に散歩していました。10分くらい歩いたところで僕より少し身長が高くて高校生くらいの女の人に会いました。僕は年が近い人を見つけて嬉しくなってついつい話しかけました。驚いて振り返った女の人はすごく綺麗なひとでした。女の人は僕と一緒でお婆ちゃんの家遊びに来ているらしくお互いのことをいろいろ楽しく話しました。夕暮れ時になり明日もここで話そうと約束して帰りました。しかし父親が仕事で帰らなければならなくなり会うことができませんでした。それからあの女の人に会えたことはありません。
22歳 女性のストーリー
高校一年生の夏。

その頃の私は、「高校生」というなんとも輝かしい響きに胸踊り、なんにもないのになにかに期待するバカな女子高生でした。

そんな私にも一丁前に好きな人がいました。
同じ部活の2年生の先輩だったその人は、おっちょこちょいな私にもいつも優しく接してくれて。時にはからかって私のミスを軽くしてくれるようにも感じられました。

忘れられないのは、夏休みの後半。お盆も終わった頃です。

いつものように部活動を終えた後、「みんなで駅の方に遊びに行こうよ!」という話があがりました。
もちろん先輩も参加するそうで、私も行きたかったのですが………。
私はその田舎の高校では珍しいバス通学でした。
先輩や他のみんなは自転車だったので、「ああ、出遅れちゃうな…」と思っていたその時。

「あ、じゃあ後ろ乗ってく?」と、先輩の声。

田舎にある町の、さらに田舎なその道。
周囲には田んぼと畑とビニールハウスしかなくて。
でもそのおかげで、青い空がどこまでも広く見えて。

「しっかり掴まっておけよ」という先輩の声にドキドキしながら、そっと腰に手を添えて。

このまま一生駅になんて着かなければいいのに。と、そう思った夏休みでした。
37歳 女性のストーリー
高校生のときに、夏休みだけホテルのベッドメイキングのバイトをしました。
その時にお昼ゴハン食べるのに廊下で食べるしかなくて、一人で外に買いに行ったら小さな喫茶店を見つけてそこのオーナーの息子とひと夏の経験をしました。
始めは、ただご飯を食べに行くだけだったのですが、話が弾んで一度カラオケに行きました。その時にキスをされ、意識仕出しました。まだ高校生だった私はハーフのキレイ目の男の子に恋をしてしまいました。外国人から挨拶された程度でしたが、それからも毎日毎日喫茶店に通い、バイト最後の日に好きだと伝えると夏休み期間しか日本にいなくて、帰らないといけないと言われました。手紙書いてねと言われ2回書きました。一度会いたいと返事をくれましたがそれっきりです。
もう20年経ちましたが会えるなら今でも会いたいです。

「奇跡だと思った話」

22歳 女性のストーリー
当時高校生だった私は、母と喧嘩して彼氏の家に家出していました。家出してから3日目に母から連絡があり「やばいなー。絶対帰らなあかんやつやん。」と思い自転車で彼氏の家をでました。大通りに出るまでに細い路地がありそこを通ると車に轢かれ5メートル宙を飛びました。路地のギリギリまで家がありすぐ道路なのですが、路面が狭く車2台通れるか通れないかでしかも路地の両脇の家の囲いが高いため路地から出ないと車が見えない所なのです。
音楽を聴いていた私も悪いのですが、気づいたら地面に倒れていました。5分ほど意識がなかったそうです。当時乗っていたロードバイクも真ん中から曲がっており乗る事が不可能になっていました。激痛で立ち上がれませんでしたが、救急車を呼ぶと言われ慌てて立ち上がり断りをいれてからすぐに歩いて帰りました。
家から彼氏の家まで自転車で40分の距離だったので3時間近くかけて家までかえりました。左足の太腿が激痛で引きずりながら帰り、病院へいきましたが、全身打撲ですみ3日で治りました。車の所有者曰く、自転車に乗ったまま車と衝突し私自身が飛び頭から落ちたそうです。
頭も激痛でしたが、たんこぶですみました。
当時妊娠中で、事故のあと病院で検査して初めてわかったのですが妊娠3カ月でしたが赤ちゃんも無事でした。
車に轢かれて全身打撲ですみ3日で学校に復帰でき妊娠初期にも関わらず赤ちゃんも無事だったのは奇跡だと思います。

「これまでに一番勇気を出した瞬間」

18歳 女性のストーリー
高校生の頃、私の口の悪さが原因で、仲違いしてしまった友人がいました。
その友人とは、仲違いするまでは休み時間はいつも一緒に過ごし、放課後や休日はいつも一緒に遊んでいたほど仲が良かったため、仲違いしてしまった後は、とても寂しく、とても悲しく、一度謝罪をしましたが、もう一度さらにきちんと謝罪をしたいと考えていましたが、友人から避けられていたために話しかけられず、謝罪するタイミングが見つかりませんでした。
そんな時、体育祭のリレーの選手にその友人が選ばれ、私は自分の事のように嬉しくなり、友人に祝福の言葉をかけようとしました。ですが、今仲違いをしている私に祝福された所で嫌な気持ちになるかもしれない、となかなか言い出せずに、ついに放課後になってしまいました。私は、この機会を逃せばもう仲直りできないだろうと思い、勇気を出して友人に「おめでとう、あなたがリレーの選手に選ばれてよかった、自分のことのように嬉しいよ」と声をかけました。
すると、友人が笑顔になり、ありがとう、と言ってくれました。
友人も、仲直りする機会を探っていたようだったので、この時、勇気を出して声をかけてよかった、と本当に思っています。
そして、本当に大切なものは失ってから気づくということをこの事で実感したので、もう二度と友人を傷つけるような言動はするまいと日々心掛けています。
29歳 女性のストーリー
高校生の時に好きな先輩が居ました。その先輩は1つ年上なのですが、留年した為3年生で同じクラスになりました。学生の頃の歳の差は、とても大人に感じて憧れもありかっこ良いな~と思っていましたが、なかなか話すことはできませんでした。たまに挨拶するぐらいがやっとです。
卒業式の日が近付いてきて、告白するという選択は自分にはなかったのですが寂しい気持ちは募っていました。卒業式の当日、大学も別々だったので最後に一言でも話したいなと願っていました。みんな終わってからいろいろな人と写真を撮って別れを惜しむ中、ちょうど先輩と目が合い「写真撮ってもらえませんか?」と勇気を出して言うことができました。
その写真は今でもずっと思い出の一枚です。

「私の変えたい過去」

45歳 男性のストーリー
私の変えたい過去は高校生時代です。
高校入試の際に1次入試に落ちてしまい、1.5次入試で私立高校に合格しました。
合格したのはいいのですが、この学校ではひたすら大学合格を目指す勉強漬けの日々であり、しかも男子校だったので全くいい思い出がないのです。
この時の勉強のかいあって無事大学には合格できましたが、毎日のテストやら文化祭の日でも勉強やらと楽しいことを思い出すことができません。
しかも部活動もできませんでした。
なので私がもし過去を変えられるのであれば、多少レベルを落としてでも公立高校に入学して、何らかの部活動をやって同級生の女性たちともたくさん触れ合って、これぞまさしく青春という高校生生活を送ってみたいです。
18歳 男性のストーリー
私は現在高校三年生です。中学校では勉強をさぼってしまいあまり偏差値が高くない高校に入学しました。
高校入学後は留年などのことも考えたくさん勉強をしてきました。しかし、中学生の内に基礎ができていなかったため勉強に限界がありました。校内ではテストや評定平均は常に上位を保っていましたが上にも書いた通りあまり頭の良い学校ではなかったので他の高校とで比較すると頭の良さは普通ほどでした。
高校生活自体はとても充実していましたが進学は就職のことを考えるともっと早いうちに勉強を熱心に取り組むべきだと後悔しています。
なんとか勉強を頑張り医療関係の学校に進学が決定しましたが、中学生の頃からもっと勉強していれば自分の将来がもっと広がったのではないかととても後悔をしています。
これが私の変えたい過去の話です。
21歳 女性のストーリー
精神的障害を持ち、自分らしさを生まれつき制限される機会が多かった(今もですが)のですが、自分ももちろん家族も気がつくことはありませんでした。
ただ症状に耐え、我慢を続ける日々が限界に達した時、私がストレスによる身体症状が現れました。高校生の時でした。
自分でも、もちろん親も私の障害を受け入れられなかったため、親からは冷たい言葉を吐かれました。精神障害をコントロールしたり我慢したり、普通の人のように振る舞うことなどできないほど疲れてしまった私を、家族から腫れ物を触るように接せられました。

私に「普通」を求められる家族に理解してもらうことを私は半ば諦め、容認しました。
「普通」のフリを必死にして、ダメな時は家族に自分を否定され、また普段の症状からも精神的負担を強いられました。希死念慮も症状として現れることも良くあったため、本当に、楽しいことをしても楽しくない。毎日辛さ、悲しさ、絶望感しか感じない。死んでしまおうか。と何度も何度も、何度も何度も思いました。

今は、一人暮らしをして、大学で研究しています。障害を自分で受け止めつつ、毎日を過ごしています。私の障害を理解できなくとも、辛さをわかって助けてくれる友達がたくさんできました。治療に励み、毎日薬を飲んでいます。家族も私の訴えを聞いてくれました。落ち着いて、丁寧に説明したことで、治療や障害を理解してくれています。将来のことも、障害を踏まえて一緒に考えてくれます。

私が変えたい過去は、私の価値観、考え方です。障害がなければ、家族に冷たくされなくてすみましたし、症状による過度のストレスを負わなくて済んだと思います。障害さえなければと思うこともありますし、何で他の人とおんなじようにできないんだ、何で自分は感情が不安定になるんだ、などと考えることは多々あります。しかし、その全ても私は自分の一部として受け入れられたので、今は高校生の頃の辛い思い出は新しい自分になれた良いきっかけでもあります。

変えたい過去の考え方は、自分を受け入れなかったこと、ストイックになりすぎて「こうでないといけない」と追い詰めてしまったことです。
確かに、真面目で努力家でストイックな私は成績優秀で、県内でも上位の高校に入学しました。今考えると障害を持ちながら努力し続けた自分を誉めちぎりたいレベルです。笑
ですが、「ちゃんとしないと認めてもらえない」「自分など価値はないのだから、出来ることで認められよう」「また失敗した、自分なんか何にも役に立ちやしないダメなやつなんだ」とよく思っていたのです。この考え方は本当に危険です。いくら良い結果や成果をあげても、精神的に自己破壊しているのと同じです。(現に私は崩壊しました)
こういう考え方をする方は、真面目で、些細なミスも許されないまたは許せない方なんですよね。自己評価を低く、低くして、決して傲慢さも持たず、慎ましく生きようとしているのだと思います。
私は、もし、この内容を見られてる方の自己評価が低い方には、とびきり応援をして、褒めて褒めて、貴方の存在の大きさ、素敵さをいっぱい語りたいです。私からしたら、普通の人が普通に生活してるだけで凄い事なんです。羨ましいし、かっこいいです。やる事やらないのにダラダラしたってかっこいいですよ。笑

自己評価の低い考え方を時間をかけてゆっくり変えてきた私は、「自己評価高くしておけばよかった、今までの人生めちゃくちゃ損をしたな」って思ってます。障害に苦しめられても、障害でやるべき事が(やりたくても)できない自分を責めず許して、認めてあげる(認める事もプライドが傷つく事もあります)事で、私は生きていて幸せなのだと思えます。希死念慮も今もありますが、「いや、普段の私はこんなこと思わない!」となんとか理性で耐えてます。笑
今まで生きてきて思うのは、障害同様、自己評価の低い考え方の方が自分にとって大きな闇でした。障害が無くても、自己評価の低い考え方のまま生きていたら、きっといつか後悔してしまう時が来るのだと思います。

自分を責めても、自分を苦しめるだけです。得られるのは贖罪をしたように感じるだけ。
それに何の意味があるんですか?何の生産性がありますか?
自分を本当に幸せに出来るのは、他人ではなく自分です。自分を認めて許してあげるのは他人の役割ではなく自分の役割です。
私は今、こう考えて、日々幸せになることに努力しています。

「一番ひどい友達からの裏切り」

21歳 女性のストーリー
私はよく変わっている、個性的と言われます。
自分でもそう思います。「他者と同じ行動はしたくない」と小さい頃から思っていました。
自分は自分のやり方で生きていくのだと。
それ故なのか、幼少期から高校生まで酷い扱いを受けてくることが多々ありました。
一番酷い扱いを受けたのが中学2年のときです。複数名から突然裏切られ、そして都合のよい人間のように扱われました。一番酷いを「沢山の人から裏切りを受けた一番酷い時期」とさせてください。

中学2年を向かえ、6月にさしかかろうとしている頃。私は同クラスの人から突然「臭い」と言われ、のけ者にされるようになりました。私の目の前から去る、見えるところでの悪口、因縁、文句、誹謗中傷、それが日常茶飯事に。それも仲がよかった人から突然に。

―中学1年の時は仲良かったのに・・・。
  私たちは仲良しじゃなかったの?

確かに私は不潔かもしれない。成長期だったため、身体に様々な症状が現れそれの処理に手がおっついていなかったことは認めます。ですが、そこからの誹謗中傷はあまりにも酷すぎて・・・。次第にその波長は広がっていき、部活で同期から同じように扱われるようになりました。クラスでも彼女達と仲のいい人も私を同様に扱ってきました。その仲のいい人もそれまで私と仲がよかった友達でした。孤立し続ける自分、それでも同クラスに好きな人がいたから乗り越えられました。「好きな人は頑張っている、だから私も負けてられない」と。一番酷いときには私が何かしらで成功すると必ず何か因縁を付けられました。そのため「私は成功しちゃいけない人間なの?」と追い詰められ、物事の成功が怖くなりました。今でもそれは後遺症として残っています。
そんな時間が6ヶ月以上続きました。しかし私がクラスの人から認められたり、部活で活躍したりするとそれまでの対応はなんだったの?と思える程、私に親しくなりました。「あの時はほんとごめん、忘れて」といってくる人、なにもなかったかのように振舞ってくる人。
今思えばあのときの私はよく許したなと思います。人を邪魔者のように扱ったのに、辛い思いさせ、後遺症を植えつけたというのに今更何言ってるのと。ましてや「忘れて」なんぞ、出来るはずがありません。高校のときは彼女たちと仲良く接して来ましたが、大学になった今では赤の他人と思っています。古い関係が大嫌いな私ですからそれは確実に。


そしてもうひとつ、私の恋を応援するとかいっときながらそれを弄んだ人がいます。
私は初恋をしたときにどうしたらいいのかわからず、仲がいいと思っていた友達に打ち明けました。「誰にも言わない」と言いましたから。するとその友達はそのことをあちらこちらにばら撒きました。おかげで本人には当然、同期全体が私の好きな人を知ることになりました。当然避けられるようになり、目で追っているだけの窮屈な日々になりました。なのにその友達はまた別の友達2人と一緒に「さっさと告白」や好きな人と私の絵を描いて遊んできたりと楽しんでいるようでした。

―そんな状況で告白なんぞ出来るはずもない。

本人達はただのおちょくりのようでしたが、私には裏切りといじめにしか感じられませんでした。
そして月日が絶ったあるとき、先ほどの虐めも治まった頃、ばら撒いた友達は私にひとつの手紙を渡してきました。内容を拝見すると「好きな人が出来たから聞いてほしい、だれにも相談出来なくて・・・」
云々と綴られた最後には「あなたの好きな人のこと、ばらしてごめん!」と。
それから後々になってその友達と何故か親しくなり、あるとき好きな人の話になると「まあ、バレたけどみんな応援してくれたからいいじゃん」と言われました。

―好き放題私と私の恋を扱って?
 それでその態度?
 おまけに恋愛相談だと?

高校になってからもその友達は勝手に怒って勝手に元に戻ってと私は振り回され続けました。
高校卒業の頃は私に既に親友がいたので関係を自分の中で絶ったものの、今でも年賀状が届きます。もちろん返していません。先ほどと同様、彼女たちは赤の他人です。


このように裏切っては私を好き放題扱った後に謝ってきたり、何事もなかったかのように接され都合の良い人間のように扱われてきました。少し鋭利な言葉表現になってしまったかもしれませんがこれが私の本音です。
ぶっちゃけもう高校からの親友以外の小中高の人とは会いたくないです。それ程までに私の心の傷は大きいものでした。黄昏の話をしても仕方ありませんが人に「裏切りやいじめは人の心に大きな傷を残す」ということを伝えたいです。私のような被害者はもう出てほしくないですから。
24歳 女性のストーリー
私が高校生の時です。
休み時間、友人にスナック菓子をもらいました。
ちょうどお腹の空いていた私はラッキー、と思って袋を開けて一口ぱくり。
少し湿気っていたがおいしい、普通のスナック菓子だった。
これ湿気ってない?と尋ねたところ友人はニヤニヤとしていた。
なんだろうと思い詳しく聞くと、
「パッケージ裏見て」とのことだった。
私はその通りパッケージ裏をよく見てみると、少しだけ違和感を感じる。
……賞味期限切れてない?

賞味期限切れに気づいた私を見て友人は大爆笑。
美味しいがこれを人にあげるのは非常識だ、と怒るが友人は笑いながらごめんと言うばかり。
「私も食べちゃったけどなんともなかったよ!」
と言っていたので信じたも、数時間後私はお腹を壊した。
なんということだ。私はもう信じないぞ!
24歳 女性のストーリー
高校生の頃、彼氏と親友が浮気をしていました。私に、バイト終わるの待ってるね!帰りは迎えに行くから頑張れ!と言いつつ、私の親友を呼び出しカラオケ行ったりなんやかんやしたり…。
そのことは共通の友人から聞かされました。
親友は大好きだった元彼がいて,その人と私の彼氏を重ねてしまったと言っていました。
何かある度に相談してお互い励ましあって何があっても味方でいる!ってずっと一緒にいたのに。本当に心からショックであれから7年たった今でもたまに思い出して、なんで…?と悲しくなります。
ですが私には今、可愛い子供に優しい主人がいてとても幸せです。
当時の親友はあの時のことをどう思っているのか分かりませんが私は仲良かっただけにきっとこれからも許せないんだろうなと思います。
33歳 女性のストーリー
小学校からの幼なじみで、1番の親友。
中学生になってから、私への執着が始まり、リストカットや、自殺未遂をするように。私は、彼女から逃げたかったのもあり、高校生になって、留学を考えるようになった。少し、距離を置けば、きっと執着心は、なくなると思ったから。
高校を卒業して、私はニューヨークへ語学留学した。最初のうちは、毎日メールと電話のやりとりがあったが、それも少しずつ減っていき、一年後には、一ヶ月に一回程度連絡を取る仲になって、私は、ほっとしていた。良い関係が築けていると思っていた。
ある日、母からの突然の電話。彼女が、事故で亡くなったと。信じる事ができなかった。
次の日のフライトで、私は日本へ帰った。司法解剖があった為、その二日後が葬式だった。
事故の原因を聞くと、彼女は、周りに内緒で、デリヘルの仕事をしていた。その派遣先へ向かう途中の高速道路で、タイヤがパンクし、車が転倒し、即死だったらしい。
彼女は、親友だと思っていたけど、私に嘘ばかりついていたようだ。
彼女の死も、彼女の嘘も、全てが裏切られたように感じました。
29歳 女性のストーリー
私の友達A子ちゃんは、私の親友でした。幼いころから共に過ごしていたので彼女の事は分かったつもりでいました。私が高校生の時に初めて彼氏が出来ました。彼女もとても喜んでくれていました。しかし、実際は私に彼氏が出来た事が不愉快だったのか他の女友達や男友達に私が二股をかけていると言ってみたり、本当は好きじゃないけど付き合っているなど嘘を拭き込まれてしまいました。彼は、私を信じてくれていましたが、周囲は私の事を「最低の女」と陰口を言われ辛い時期を過ごしました。私が耐えれば彼と長く付き合う事が出来るのですが、陰口に耐えられず彼と別れてしまいました。その後は何もなかったかの様に、彼女は私の元に戻り、友人を続けています。そんな彼女が許せなかったので、彼女にすべてを離してもらい、友人として距離を置くことになり、現在は疎遠になっています。

「おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出」

27歳 男性のストーリー
母方おじいちゃん
幼少期、私に木工作業を教えてくれました。トンカチやクギ、ノコギリを使った作業はとても楽しかったのを覚えています。ものづくりってたのしい!と思い始めたきっかけとなりました。

母方おばあちゃん
優しい。とにかく色んなことに対して優しかったです。動物園に私を連れて行ってくれました。一緒に公園に行ってくれたり、私に料理を教えてくれたりしました。両親共働きだったので、保育園への送り迎えなど、よくおばあちゃんが私の面倒をみてくれていました。おばあちゃんの家にもよく泊まりに行っていました。

父方おじいちゃん
横笛を教えてくれました。すげー難しくてすぐ断念したけど。お米や野菜作るのが上手で、家に送ってくれていました。ときどきあったときにお小遣いをくれる人、という印象でした。

父方おばあちゃん
高校生の気難しい私に優しく接してくれました。
32歳 女性のストーリー
大好きなおばあちゃんはダンスが大好き。
自分が子供の時に親からダメと言われてできなかったダンスをおばあちゃんになってから始めました。そのダンスもしかも社交ダンス。昔は男の人と女の人が踊ること自体あまりなかったのですがおばあちゃんは社交ダンスをチョイスしました。毎日のようにダンスの練習へ行き、ダンスのない日もダンス仲間と会ってはおしゃべり。そんな多忙な中でも私への毎月のお小遣いは欠かさず渡してくれました。今思えば年金生活で大変だったはずなのに、毎月のお小遣いに加え、ひな祭りやクリスマスには必ずケーキ代もくれました。そしてその時はおばあちゃんの手作りのご飯でおもてなし。それが全然おしくないんです(笑)おばあちゃんは昔から料理が苦手。一度好きって伝えた「なす」。
そしたら毎月なす料理ばかり・・・(笑)。
おばあちゃんでご飯作るの上手なんじゃないの?って思いながら、まずいとは言えずいつも完食していました。月に一度会うにも多忙なおばあちゃんと当時高校生の私はなかなか時間が合わず、毎回日程調整をしていました。思春期もなぜかおばあちゃんとは自然に話せた私。
そんなおばあちゃんも最後のお小遣いをもらってすぐに交通事故で帰らぬ人になってしまい今年で14年。なすを見ると思い出しますし、おばあちゃんに話したいことがたくさん。会いたいな。

「自分は特別だと思った瞬間」

33歳 男性のストーリー
私が益子町で行われている産業祭というお祭りにいったときでした。
そこで地元の人達と色々と話していたのですが、当時30歳だったのに高校生ですか?と聞かれたときに、自分の外見の若々しさに自信を持ち自分は特別だと思いました。
産業祭には本がいっぱい売っているのですがそこでのんびり本を選び、選んだ本を近くの体育館に行ってのんびりと読んでいました。
近くには健康祭というものやっていて、というか産業祭の一種で健康祭もしていて血圧なども図ってもらったのですがそこでもしっかりと正常値でした。
歯を見てもらった場合でも特になんの問題もなくやっぱり健康そのものでした。
やはり私は30代になっても健康なんだなあと思い、自分は特別だと思いました。

「独身っていいなと思った瞬間」

28歳 男性のストーリー
私は12歳から絶えずずっと彼女がいました。
フリー期間も1ヶ月以上経過することはなく、常にパートナーがいました。
高校生の時から付き合う彼女とはいつもすぐにどちらかの家に棲みつき、少しでも離れると常にメール(当時はガラケー)、電話とお互いがお互いに執着するような付き合いをしていました。
地元同士の付き合いが多かったので、少し異性と喋るとどちらかが怒り…を長年続けてきていたためそれが普通だと思っていました。
成人して、フリーの期間を2ヶ月過ごした時に気付いた事が。
お金に余裕が出来る(全て私が支払っていたため)。
見張られてる感覚が皆無。
常に携帯を持ち歩かなくて良い。
異性と話しても怒られない。
独り身だと最初は寂しいが慣れると独りが気楽過ぎて抜け出せない。
と感じても今もまた同棲している自分がここにいます。
39歳 女性のストーリー
子供はかわいいが、毎日朝起きて朝ごはんや洗濯から始まり、子供の支度や自分の仕事に掃除に夕飯にお風呂に片づけにとバタバタしてほっとする時間もなく日々眠りにつく。
休みの日には、普段足りていない掃除を細かくやると休みもあっという間。
そんな時に独身の友達のLINEのアイコンがゴルフをプレイ中の姿に変わっていたり、旅行にいったであろうアイコンに変わっていたりすると、週7日間使って何とか仕事と家事を保てている自分も今独身だったら…と思う。
そこに追い打ちをかけるように、高校生や中学生の子供が休みのたびにすきなように過ごし、一番下の子も自由にしていたり…と、独身なら多少の汚れも目をつむって、好きなことに時間を使えるのにと思います。

「一番の苦労話」

36歳 女性のストーリー
母親がPTSDになり、高校生になった妹が境界性人格障害を患い、家庭崩壊した時のこと。
母は仕事には行けるが、なぜか家庭に戻ると何もできなくなり、妹は夜中、自意識がなくなったまま自転車で遠くまで行ってしまう。
朝方まだ夜が開けない時間に私に携帯で妹から連絡が入り、どこにいるかわからないと言われる。
母は動かない上、父親は疲れ果ててか、干渉することをやめてしまっていたため、運転免許取り立ての私が妹の対応をするしかない。
周辺の看板や建物の情報を妹から聞き出し、場所を特定。
そのまま車で30~40分ほどの場所まで妹を迎えにいく日が頻繁に発生。
また迎えに行った時の妹は疲れ果てており、学校にもあまり通わなくなっていた。
迎えに行った場所に一旦自転車を置いて妹を自宅まで連れ戻すため、翌日などに、自転車を取りにいく必要もあった。
そんな非日常のような日常が続き、私もそのままうつ病にかかる。
現在はそれぞれの道に進んでいるが、私は今もうつ病治療のため、服薬と通院をしなければいけない生活を送っている。
56歳 男性のストーリー
 高校生の時に事業に失敗した父が、借金を残して失踪しました。金目のものは持ち去られていたので、残された家族はサラ金に追立られることになりました。幸い家族が連帯保証人にはなっていなかったのですが、当然親戚や知り合いからは責められました。
 今のように債権者にも一定の制約があるわけでもなく昼夜関係なく取り立てに来られました。それでもなんとか借金は免れ、私は社会人になります。
 それから四半世紀後父の訃報が届きました。以外にも近くで生きていたようです。無論母も親戚も事後の処理などしません。やむなく遺体の引き取り、葬儀、住まいの撤去から相続に関する手続きまで一人で行いました。
 アパートを引き払う際は連帯保証人でもないのに不動産屋から酷く責められたことが最も精神的に堪えました。
 住まいの撤去では遺品整理の業者さんと出会い、相続については司法書士の先生に借金の有無を調べてもらい、葬儀ではその後もお世話になる小さな心優しい葬儀社の社長さんとも出会うなど、僅か3か月の間に普段はできない社会勉強をさせてもらえたのだと、今では思っています。
45歳 女性のストーリー
二人目の子供が生まれてすぐに、父親が倒れました。上の子供が2歳の頃でした。
介護が必要になり、どうしても家で過ごしたいと言う父親の気持ちを汲み、介護と育児の生活がスタートしました。夜中の授乳で寝不足の私に、何をしていても呼び付ける父親。当時、生まれたばかりの子供を抱っこした記憶がほとんどないくらい介護生活は壮絶でした。一番寂しい思いをさせたのは、長男でした。お兄ちゃんだからとたった2歳なのに頼りにしてしまいました。病気の父親に理不尽に怒られても、泣かずに我慢していました。介護が限界で泣いてしまった私に「ママ、何もしなくていいよ。ご飯作ってあげるからね」と頭を撫でてくれ、おもちゃの野菜を切り始めてくれたことは、未だに心の支えです。今は父親が亡くなり、子供たちは大学生と高校生ですが、あの頃の思いが今も私の中で大きいので、子供たちのやりたいことを全力で応援したいと思っています。

「そういえば昔夢見ていたこと」

34歳 女性のストーリー
高校生の頃は、アニメやゲームが好きだったこともあって声優を目指していたことがありました。その頃は看護師を養成する学校に通っていたので、看護師は命を守る仕事であるのに対して声優はキャラクターに対して命を吹き込む仕事であることなど、内容は違えど命に関する仕事ということで憧れを抱いていたのを覚えています。
ただ実際に声優になることができる人たちは限られていることや、声優として有名になるまではお金をほとんど稼げないことなど、現実を見るようになってからは自分には無理だと諦めました。声優になるための養成学校にかなりお金がかかるところも、諦めた理由の一つです。
それでも時々声優に慣れたらよかったなあと思うことはあります。

「異性は知らないなと思う話」

19歳 男性のストーリー
中学生、高校生の頃のお話しです。少しアダルトな内容が入るかもしれませんがご了承願いたいです。
男子はよく女子の話をしています。しかもその内容はほぼほぼ卑猥な内容の話題になります。年頃の男子だからしょうがないのかもしれませんが、どんな内容かというと「以外とあいつってあるよな(胸が)」や、「かわいいけど男連れ回してヤってそう」などというような内容の話です。これは異性は知らないのではないかと思います。
もう一つも少々卑猥な話になってしまうのですが、男子学生の自慰行為率が以上に高いという話題です。女子に男子がどれだけ1人でするのか知らないの?と聞いてみていた(中学生の頃)ところ全く知らない、きょとんとしていたのでこれも異性が知らないことに該当する話ではないかと思います。
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「あなたの番です」あらすじ
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こんなひといました
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